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脳科学辞典 - 利用者の投稿記録 [ja]
2024-03-28T09:54:20Z
利用者の投稿記録
MediaWiki 1.39.6
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E9%8A%85%E3%83%BB%E4%BA%9C%E9%89%9B-%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AA%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%83%89%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%A0%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BC&diff=46091
銅・亜鉛-スーパーオキシドディスムターゼ
2021-03-11T12:30:26Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[https://researchmap.jp/read0110611 藤原範子]</font><br><br />
''兵庫医科大学医学部医学科生化学''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2021年1月14日 原稿完成日:2021年XX月XX日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 脳神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
英:Cu/Zn-superoxide dismutase<br><br />
英略語:Cu/Zn-SOD, SOD1<br />
<br />
{{box|text= 銅・亜鉛スーパーオキシドディスムターゼは、スーパーオキシドアニオンラジカルを酸素と過酸化水素に変換する抗酸化酵素の一つで、生体を酸化ストレスから守る役目を果たしている。SOD1をコードする遺伝子の変異は筋萎縮性側索硬化症 (ALS) を来たし、家族性ALSの20%に存在する。変異SOD1を高発現させたマウスはALS症状を示すが、SOD1を欠損させたマウスはALSとは異なる表現型を示す。}}<br />
<br />
== 発見の歴史 ==<br />
銅と亜鉛を含有するSOD(SOD1)は1969年にMcCordとFridovichによって同定された<ref name=Li1995><pubmed>7493016</pubmed></ref>[1]。1930年代に[[wj:ウシ|ウシ]]の[[肝臓]]や[[ヒト]][[血液]]等から精製されていた薄青色の機能不明な[[wj:銅|銅]]タンパク質が見出されていたが、これらの銅タンパク質と[[SOD1]]が同一のタンパク質であることが触媒機構とともに証明された<ref name=Li1995><pubmed>7493016</pubmed></ref>[1]。SOD1はサブユニットあたり1分子ずつの[[wj:銅|Cu]]と[[wj:亜鉛|Zn]]を持つ二量体(32 kDa)('''図2A''')で、あらゆる細胞に存在するが、特に肝臓と[[赤血球]]に多く発現している。<br />
<br />
1970年に[[wj:マンガン|マンガン]]を含む[[Mn-SOD]]([[SOD2]])が[[wj:大腸菌|大腸菌]]で発見され<ref name=McCord1969><pubmed>5389100</pubmed></ref>[2]、[[ニワトリ]]肝臓からも精製された<ref name=Keele1970><pubmed>4921969</pubmed></ref>[3]。SOD2は[[wj:マンガン|Mn]]を活性部位に持つ四量体(88 kDa)で、あらゆる細胞の[[ミトコンドリア]]マトリックスに存在している。1973年には[[wj:鉄|鉄]]を含有する[[Fe-SOD]]が大腸菌中で発見された<ref name=Weisiger1973><pubmed>4702877</pubmed></ref>[4]。Fe-SODは最も古い形のSODと考えられている。<br />
<br />
1982年になって、ヒトの血清から、SOD1と同じく銅と亜鉛を含み、[[wj:シアン|シアン]]に阻害されるがSOD1抗体には反応しない第4のSOD([[細胞外SOD]], [[extracellular-SOD]], [[SOD3]])が発見された<ref name=Yost1973><pubmed>4352182</pubmed></ref><ref name=Marklund1982><pubmed>7172448</pubmed></ref>[5] [6]。SOD3はサブユニットあたり1分子ずつのCuとZnを持つ四量体(135 kDa)で、SOD1と60%の相同性を持ち、ヘパリン結合性の糖タンパク質である。立体構造もSOD1ダイマーを2つ重ね合わせた構造を有するが、[[血管内皮]]細胞や[[気管上皮]]細胞で多く発現し、細胞外に分泌されている。<br />
<br />
なお、SOD1は大腸菌のような[[原核生物]]や[[酵母]]、[[カビ]]にも存在している。[[嫌気性細菌]]にもSODがあり、酸素が地球上に発生する前(30億年前)から生物はSODを獲得していたことがわかっている。[[嫌気性]]の[[メタン菌]]や[[硫酸還元菌]]はFe-SODをもっており、[[好気性]]の[[非硫黄細菌]]はMn-SODをもっている。Mn-SODとFe-SODはほぼ同一の活性中心と50%近い配列相同性を有しており、よく似た性質をもつ<ref name=Vance1998><pubmed>9548935</pubmed></ref>[8]。微生物の中には[[wj:ニッケル|ニッケル]]を含有する[[Ni-SOD]]をもつものもある<ref name=Youn1996><pubmed>8900409</pubmed></ref>[9]。<br />
<br />
== アイソザイム ==<br />
ヒトではCu,Zn-SOD(SOD1)、Mn-SOD(SOD2)、 EC-SOD(SOD3)の3種類のSODアイソザイムが存在し、それぞれ、主に[[細胞質]]、ミトコンドリア、細胞外に局在して抗酸化作用を発揮している('''表''')。SOD2の欠損マウスだけが出生直後に致死となることから、SODアイソザイムの中で最も重要であるといえる<ref name=Marklund1982b><pubmed>6961438</pubmed></ref>[7]。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+表. ヒトSODアイソザイムの特徴<br />
|-<br />
! !! Cu/Zn-SOD (SOD1) !! Mn-SOD (SOD2) !! EC-SOD (SOD3)<br />
|-<br />
! scope="row"| 分布 <br />
|| 細胞質 || ミトコンドリア|| 細胞外腔<br />
|-<br />
! scope="row"| 分子量(オリゴマーあたり)<br />
|| 32,000|| 88,000 || 135,000<br />
|-<br />
! scope="row"| サブユニット <br />
|| 二量体 || 四量体 || 四量体<br />
|-<br />
! scope="row"| 金属含量(原子/サブユニット) <br />
|| 1Cu, 1Zn || 1Mn || 1Cu, 1Zn<br />
|-<br />
! scope="row"| 染色体 <br />
|| 21q22 || 6q21 || 4pter-q21<br />
|-<br />
! scope="row"| 特徴 <br />
|| 遺伝子変異がALSの原因|| [[サイトカイン]]によって誘導||[[ヘパリン]]親和性 分泌性 [[糖タンパク質]]<br />
|-<br />
! scope="row"| KOマウス <br />
|| [[溶血性貧血]]、[[脂肪肝]]、[[肝癌]]、骨密度・筋肉量低下 ||新生児期に死亡|| 見かけは正常 高酸素状態に弱い<br />
|}<br />
<br />
[[ファイル:Fujiwara SOD Fig1.png|サムネイル|350px|'''図1. SODの立体構造'''<br>'''A.''' Cys111に2-メルカプトエタノール修飾させた野生型SOD1の立体構造({{PDB|3T5W}}を改変) 2-メルカプトエタノールの有無に関わらず、野生型SOD1結晶構造のCys111付近は非対称で向き合う構造が多く、ALS変異型SOD1では対称になっている場合が多い<ref name=Ihara2012><pubmed>22804629</pubmed></ref>[12]。<br>'''B.''' SOD1のβストランドとループ構造の模式図 同じ色のβストランドが水素結合により、逆平行βシートを形成する。SOD1のアミノ酸配列から見たβストランドはa, b, c, d. e. f. g. hの順に並んでいる。SOD1ではグリークキー (Greek key) 構造 が2つ存在する。この構造は、隣接する4本の逆平行βストランドとそれらを連結するループで構成され、このうちの3本はヘアピン構造で結合している。1番目のβストランドに隣接する4番目のβストランドは、グリークキーループ (SOD1ではループIIIとループVI) によって3番目のストランドと結合している。]]<br />
[[ファイル:Fujiwara SOD Fig2.png|サムネイル|200px|'''図2. SOD1の分子進化過程で増えてきたシステイン残基''']]<br />
<br />
== 構造 ==<br />
SOD1の分子量は生物種によって多少異なるが、サブユニットあたり約16,000 (アミノ酸残基:151から155個)で、ヒトSOD1は153個のアミノ酸残基を有している。<br />
<br />
N末端の[[メチオニン]]残基は脱落し、アセチル化された[[アラニン]]残基から始まっている。そのためSOD1のアミノ酸残基の番号は、ヒトSOD1のアミノ酸配列を基本とし、アラニンを1番目として表記されている(メチオニンを1番目とする表記法もある)。例えば家族性ALSの変異を表すG37Rは、アラニンから数えて37番目のグリシンがアルギニンに変異したことを表している。<br />
<br />
SOD1は分子量も小さく安定であることから非常に多くの立体構造が決定されており、[https://pdbj.org/ Protein Databank]に登録されている('''図1A''')。SOD1サブユニットは8本のβストランドが逆平行βシートを形成しており、[[グリークキー構造]]を2つ有したβバレル構造である('''図1B''')。グリークキー構造は隣接する4本の逆平行βストランドとそれらを連結するループで構成され、このうちの3本はヘアピン構造で結合している。1番目のβストランドに隣接する4番目のβストランドは、グリークキーループによって3番目のストランドと結合している。SOD1では、ループIIIとループVIがグリークキーループと呼ばれる。グリークキー構造はギリシャ美術で見られる[[wj:ギリシア雷文|雷門模様]]に似ていることから命名された。<br />
<br />
SOD1のサブユニット同士のダイマー化は[[疎水性アミノ酸]]残基間の相互作用と主鎖同士の水素結合から成り立っている。またサブユニットあたり酵素活性に必須であるCuイオンと酵素の構造安定性に寄与するZnイオンを1つずつ配位している。金属の配位とサブユニット内に1ヶ所ある[[ジスルフィド結合]](Cys57-Cys146)はSOD1タンパク質の安定性に大きく寄与している。<br />
<br />
=== システイン残基 ===<br />
'''図2'''は進化の過程におけるSOD1の[[システイン]]残基の位置を示したものである。SOD1構造の維持に重要なCys57とCys146の分子内S-S結合は存在しており、種を超えて完全に保存されている。一方、進化の過程でフリー(S-S結合していない)のシステイン残基は増えてきた。ヒトSOD1のCys6に相当する6番目のアミノ酸は酵母や植物ではアラニンで、ヒトのCys111に相当するアミノ酸はセリンになっている。[[魚類]]や[[ニホンザル]]を含む哺乳類のSOD1では6番目のアミノ酸がフリーのシステインに変異し、ヒト・[[類人猿]]および[[ニワトリ]]のSOD1は111番目もフリーのシステインを持つようになった。<br />
<br />
なお、[[ショウジョウバエ]]やニワトリのSOD1はフリーのシステイン残基を余分に持つ。大きな脳をもつ高等動物や酸素を大量に消費する飛行を行う昆虫と鳥類は多くの酸化ストレスに曝されることから、フリーのシステイン残基のチオール基(SH)による抗酸化作用が必要になってきたと考えられる。しかし、フリーのシステイン残基は反応性が高く酸化されやすいため、SOD1タンパク質自体にとっては有利なことではない。特にグリークキーループVIに存在するCys111は非常に酸化されやすく、[[スルフォン酸]]への不可逆的酸化<ref name=Fujiwara2007><pubmed>17913710</pubmed></ref>[10]や分子間ジスルフィド結合<ref name=Furukawa2006><pubmed>16636274</pubmed></ref>[11]が起こり、ミスフォールディングや凝集に進む。このCys111を[[2-メルカプトエタノール]](2-ME)('''図1A''')<ref name=Ihara2012><pubmed>22804629</pubmed></ref>[12]やシステイン<ref name=Auclair2013><pubmed>23927036</pubmed></ref>[13]などでブロックすると酸化による分解や凝集を防ぐことができる。<br />
<br />
== 機能 ==<br />
[[ファイル:Fujiwara SOD Fig3.png|サムネイル|'''図3. SOD、その他の抗酸化酵素の働き<br>A.''' SODの酵素反応 SODの活性中心では金属イオン(M)の酸化還元を利用してスーパーオキシドを酸素への酸化と過酸化水素への還元を行っている。<br>'''B.''' 酸素から水への還元時における活性酸素の発生と各抗酸化酵素の働き。]]<br />
=== 酵素活性 ===<br />
[[好気性生物]]の細胞内呼吸であるミトコンドリアの[[電子伝達系]]からは、酸素が不完全に還元された[[スーパーオキシドアニオンラジカル]](以下[[スーパーオキシド]])が漏れ出ている。SODは最初の[[ラジカル]]消去に働く最も重要な抗酸化酵素である。<br />
<br />
SODはスーパーオキシドを[[過酸化水素]]と[[酸素]]に変換する不均化反応 『 2O<sub>2</sub><sup>・-</sup> + 2H<sup>+</sup> → O<sub>2</sub> + H<sub>2</sub>O<sub>2</sub> 』 を触媒する。不均化反応とは、同一種の基質が2種類以上の異なる種類の生成物を与える化学反応のことである。SOD1の場合は、2価の銅イオンがO<sub>2</sub><sup>・-</sup>をO<sub>2</sub>に酸化して銅イオンは1価になり、その1価の銅イオンがO<sub>2</sub><sup>・-</sup>をH<sub>2</sub>O<sub>2</sub>に還元して銅イオンは2価に戻ることを繰り返している。活性中心がFe (3価 ⇔ 2価)やMn (3価 ⇔ 2価)でも同様の触媒機構が働いている('''図3A''')。<br />
<br />
銅イオンや鉄イオンが存在すると過酸化水素と反応してより毒性の高い[[ヒドロキシラジカル]](・OH)ができてしまうので、生成した過酸化水素は[[カタラーゼ]]や[[グルタチオンペルオキシダーゼ]]などによって水にまで還元される('''図3B''')。<br />
<br />
電子伝達系以外に[[キサンチンオキシダーゼ]]や[[NADPHオキシダーゼ]]によってもスーパーオキシドは産生される。<br />
<br />
=== ミトコンドリア呼吸抑制能 ===<br />
SOD1はミトコンドリアから漏出するスーパーオキシドの消去以外に、ミトコンドリアの酸素呼吸そのものを低下させる役割を持つことが明らかになってきた<ref name=Sehati2011><pubmed>21397007</pubmed></ref><ref name=Reddi2013><pubmed>23332757</pubmed></ref>[77,78]。Lys122残基('''図4''', ALS変異未定)の[[アセチル化]]がSOD1の酵素活性には影響せずにSOD1がもつミトコンドリア呼吸抑制能を低下させることも報告されている<ref name=Banks2017><pubmed>28739857</pubmed></ref>[79]。多くの代謝酵素や[[転写因子]]のリシン残基のアセチル化や[[スクシニル化]]がミトコンドリア呼吸をはじめとする細胞内代謝を制御することがわかってきており<ref name=Zhao2010><pubmed>20167786</pubmed></ref>[80]、SOD1のアセチル化もその一つだと考えられている。<br />
<br />
=== 転写制御因子としての作用 ===<br />
SOD1が酸化ストレス刺激で核内に入り、[[DNA]]に結合し、DNA修復遺伝子、ALSに関係する遺伝子、[[がん遺伝子]]やCu/Fe恒常遺伝子などの発現を制御する機能が報告されている<ref name=Tsang2014><pubmed>24647101</pubmed></ref><ref name=Li2019><pubmed>31162603</pubmed></ref>[81, 82]。<br />
<br />
=== 分泌SOD1のパラクライン作用 ===<br />
細胞質に存在するSOD1が[[小胞体]](ER)-[[ゴルジ体]]経路で細胞外に輸送され<ref name=Urushitani2008><pubmed>18337461</pubmed></ref>[83]、特に変異SOD1は[[クロモグラニンB]]と結合して分泌され細胞毒性に関与していることが報告された<ref name=Urushitani2006><pubmed>16369483</pubmed></ref>[84]。さらに、細胞外のカリウムイオンによって誘導された[[脱分極]]によってSOD1が細胞外に分泌されること<ref name=Cruz-Garcia2017><pubmed>28794127</pubmed></ref>[85]や神経細胞においてSOD1が[[ムスカリン性アセチルコリン受容体]]を介して[[ERK1]]/[[ERK2|2]]と[[AKT]]を活性化すること<ref name=Damiano2013><pubmed>23147108</pubmed></ref>[86]が報告されている。<br />
<br />
[[ファイル:Fujiwara SOD Fig4.png|サムネイル|'''図4. ALSに関与するSOD1変異'''<br>&theta;は終止コドンやフレームシフト変異、インサートによってSOD1全長が変化している欠失変異を表している。 黄色マーカーは酵母、植物、魚類、他の哺乳動物でも保存されたアミノ酸残基を示し、黄緑色マーカーは魚類や哺乳動物など脊椎動物で保存されているアミノ酸残基を示している。]]<br />
== 疾患との関わり ==<br />
=== 筋萎縮性側索硬化症 ===<br />
==== SOD1変異 ====<br />
1993年に[[家族性ALS]]の原因遺伝子として最初に同定されたのがSOD1である<ref name=Deng1993><pubmed>8351519</pubmed></ref><ref name=Rosen1993><pubmed>8446170</pubmed></ref>[14, 15]。当初はSOD1活性の低下がALSの原因になると考えられたが、SOD1[[ノックアウトマウス]]はALS症状を示さず<ref name=Reaume1996><pubmed>8673102</pubmed></ref>[16]、変異SOD1の高発現マウスがALS症状を示したことで、その考えは否定された。全ALS患者の2%程度がSOD1遺伝子の変異によるものと推定されている。<br />
<br />
執筆時点(2021年3月)で153個のアミノ酸残基から成るサブユニットに180個以上の[[点変異]]やC末端を欠損する[[フレームシフト変異]]が報告されている('''図4''')[[https://alsod.ac.uk/ Amyotrophic Lateral Sclerosis online Database]]。ALSを引き起こす変異はあらゆる場所に起こっているが、真核生物間でよく保存されているアミノ酸残基での変異がALS変異になる傾向が高い。あまり保存されていないループIIからβ3cストランド(K23~K36)及びループIV(F50~E78)には比較的ALS変異が少ない('''図1、4''')。<br />
<br />
構成するアミノ酸残基による違いも見られ、システイン残基は4ヶ所すべてにおいてALS変異が見つかっている。SOD1に多く存在する[[グリシン]]残基は25ヶ所あるが、そのうち15ヶ所でALS変異が見つかっており、変異率は60%である。G37R、G85R、G93Aは早期に発見されたALS変異で、ALSモデルマウスが作製されている。特にGly93においてはAla以外に5種類のアミノ酸変異が報告されている。14ヶ所あるバリン残基も10ヶ所でALS変異が見つかっており、変異率は70%に上る。一方、11ヶ所あるリシン残基の点変異は1ヶ所(K3E)のみで、フレームシフトなどによる欠失変異が3ヶ所見つかっている。<br />
<br />
==== SOD1のミスフォールディングと凝集 ====<br />
SOD1が酵素タンパク質として機能を発揮するには、金属(CuとZn)の配位、Cys57とCys146のジスルフィド結合、そしてサブユニット同士のダイマー化という[[翻訳後修飾]]過程が必要である。この翻訳後修飾を失わせるような処理、つまり、金属を除いてジスルフィド結合を還元すると、野生型SOD1であってもモノマーになり凝集化や[[アミロイド]]化が起こり<ref name=Furukawa2008><pubmed>18552350</pubmed></ref>[17]、高濃度のSOD1アミロイドは[[ヒドロゲル]]を形成する<ref name=Fujiwara2018><pubmed>30289953</pubmed></ref>[18]。<br />
<br />
ALS変異SOD1は野生型SOD1よりも金属がはずれやすくジスルフィド結合も還元されやすいため<ref name=Tiwari2003><pubmed>12458194</pubmed></ref>[19]、熱安定性が低く[[プロテアーゼ]]の攻撃を受けやすい<ref name=Rodriguez2002><pubmed>11854285</pubmed></ref>[20]。そのため、ALS変異SOD1はモノマーになりやすく[[凝集体]]やアミロイドになりやすい性質を有している<ref name=Khare2004><pubmed>15475574</pubmed></ref><ref name=Rakhit2007><pubmed>17486090</pubmed></ref><ref name=Chattopadhyay2008><pubmed>19022905</pubmed></ref>[21, 22, 23]。一方、SOD1は酸化処理によってもアミロイド形成や凝集が起こる<ref name=Rakhit2002><pubmed>12356748</pubmed></ref>[24]。<br />
<br />
[[酸化ストレス]]と[[神経変性疾患]]との関係は[[アルツハイマー病]]や[[パーキンソン病]]でも示唆されているが、SOD1自体の酸化修飾もALS病態に関与している可能性がある<ref name=Fujiwara2007><pubmed>17913710</pubmed></ref><ref name=Bosco2010><pubmed>20953194</pubmed></ref>[10, 25]。ALSにおける酸化ストレス軽減のために、[[ラジカル消去剤]]である[[エダラボン]]([[ラジカット]])が2番目のALS治療薬として認可された。また、SOD1の凝集が運動神経細胞死に関わっているかは議論の余地がある。最近は凝集体よりもミスフォールディングした可溶性SOD1の方に細胞毒性があると報告されている<ref name=Proctor2016><pubmed>26719414</pubmed></ref><ref name=Tokuda2019><pubmed>31744522</pubmed></ref>[26, 27]。<br />
<br />
==== ALSモデル動物 ====<br />
家族性ALSで見つかったSOD1の変異遺伝子を高発現させたマウス(変異SOD1トランスジェニックマウス、変異SOD1 tgマウス)がALSと同様の症状を示した<ref name=Gurney1994><pubmed>8209258</pubmed></ref>[28]ことから、多くの変異SOD1を高発現させたマウスやラットがALSモデル動物として作製された。<br />
<br />
ALSの進行や病態の解析、発症機構の解明、治療方法の開発などに利用され、ALSの研究は大きく飛躍した。長年唯一のALS治療薬として使用されてきた[[リルゾール]]は、神経毒性を示す興奮性神経伝達物質の[[グルタミン酸]]の遊離阻害作用をもつ。実際、変異SOD1 tgマウスを用いた研究では、グルタミン酸を再取込みする[[グルタミン酸トランスポーター1]] ([[GLT1]]) の発現量が低下し、ALS発症前からグルタミン酸量が多くなっていること<ref name=Howland2002><pubmed>11818550</pubmed></ref>[29]や[[イオノマイシン]]処理などの刺激で放出されるグルタミン酸量が野生型SOD1 tgマウスよりも多いこと<ref name=Milanese2011><pubmed>21175617</pubmed></ref>[30]が報告されている。しかし、GLT1を過剰発現させてもG93A tgマウスの生存期間に変化は見られなかった<ref name=Li2015><pubmed>25818008</pubmed></ref>[31]。<br />
<br />
ALSモデル動物の研究により、変異の種類によってALSの発症時期や罹病期間が異なることや、変異SOD1の発現量が多いほどALSの発症が早くなり罹病期間が短くなる(生存期間が短い)ことがわかってきた。またALS患者同様、病変部位である[[脊髄前角細胞]]にはSOD1免疫陽性の封入体や[[レビー小体様硝子様封入体(Lewy body-like hyaline inclusions)]]が見つかっている。興味深いことにA4V発現マウス(A4V tgマウス)はALS症状を示さなかったが、野生型SOD1を共発現させるとALS症状が現れた。G93A tgマウスやL126Z tg マウスにおいても野生型SOD1の共発現によって発症が早まり、生存期間も短くなった<ref name=Deng2006><pubmed>16636275</pubmed></ref>[32]。さらに野生型SOD1のみを高発現させたマウスでもALS様の症状が見られたことから<ref name=Jaarsma2000><pubmed>11114261</pubmed></ref>[33]、孤発性ALSにおいても野生型SOD1の関与が示唆されている。実際、変異SOD1のみならず野生型SOD1高発現マウスから樹立させた[[iPS細胞]]由来の[[運動神経細胞]]においてもミスフォールドしたSOD1タンパク質の蓄積が観察されている<ref name=Komatsu2018><pubmed>29140847</pubmed></ref>[34]。従って、変異の有無に関わらずSOD1タンパク質自体のミスフォールディングや凝集化がALS発症に関与する可能性が考えられている。<br />
<br />
====銅シャペロンタンパク質との関係 ====<br />
真核生物ではSOD1に銅イオンを渡す[[銅シャペロンタンパク質]](Copper chaperon for SOD1, CCS)が働いており、CCSを欠損した酵母は致死となる<ref name=Culotta1997><pubmed>9295278</pubmed></ref>[35]。しかし、CCSをノックアウトさせたマウスとALSモデルマウスであるG37R、G93A、G85R tgマウスをそれぞれ掛け合わせても発症時期や罹病期間に変化は見られず、CCSによる銅配位とALSには関係がないと思われた<ref name=Subramaniam2002><pubmed>11889469</pubmed></ref>[36]。一方、CCSの高発現はALS病態を増悪させてしまうこともある。<br />
<br />
ヒトCCSとG93AまたはG37Rとのダブルトランスジェニックマウスでは早期からミトコンドリアの空胞化が見られ、生存期間が元のG93AやG37Rトランスジェニックマウスの生存期間より著しく短縮した。一方、銅イオンを配位できない変異SOD1とのダブルトランスジェニックマウスでは変化は見られなかった <ref name=Son2007><pubmed>17389365</pubmed></ref><ref name=Son2009><pubmed>19320055</pubmed></ref>[37, 38]。つまり、銅イオンが少ない条件でCCSと銅配位できる変異SOD1を高発現させると変異SOD1に銅が輸送されてしまい、他の銅要求性タンパク質(ミトコンドリアの[[シトクロムCオキシダーゼ]]など)が銅不足になったことがALS増悪の原因だと考えられている。なお、CCSの一次構造は中央部分がSOD1と相同性が高く(47%)、N末とC末の両側に拡張した領域を持つ。結晶構造解析によると、相同性の高いCCSの中央部分のダイマー構造はSOD1ダイマーと非常によく似ていた<ref name=Lamb1999><pubmed>10426947</pubmed></ref>[39]。ALS患者の脊髄でSOD1-CCSヘテロダイマー中間体も検出されている<ref name=Antinone2017><pubmed>28120938</pubmed></ref>[40]。<br />
<br />
====タンパク質分解機構の関与 ====<br />
異常タンパク質の分解に関わる[[ユビキチン]]-[[プロテアソーム]]系や[[オートファジー]]・[[リソソーム]]系の機能低下は、ミスフォールドタンパク質を分解できず凝集化を促進するため神経変性疾患の原因と考えられている<ref name=Bence2001><pubmed>11375494</pubmed></ref><ref name=Cuervo2004><pubmed>15102438</pubmed></ref>[41, 42]。ユビキチン免疫陽性の封入体はALSをはじめ神経変性疾患患者の病変部位でよく観察される。細胞の実験においてもプロテアソーム阻害剤は変異SOD1の分解を阻害し、[[ポリユビキチン]]化SOD1の蓄積を誘導する<ref name=Urushitani2002><pubmed>12437574</pubmed></ref>[43]。<br />
<br />
また神経細胞特異的にオートファジー経路をノックアウトしたマウス(Atg5KO)は運動機能の低下を示し、脳にもユビキチン免疫陽性の封入体が多く見つかっている<ref name=Hara2006><pubmed>16625204</pubmed></ref>[44]。しかし、オートファジー経路をノックアウトしたマウスとG93A tgマウスを掛け合わせたところ、発症は早くなったが生存期間は逆に延長した<ref name=Rudnick2017><pubmed>28904095</pubmed></ref>[45]。<br />
<br />
さらに、運動ニューロン特異的にプロテアソーム系を障害させたマウスはALSに似た運動ニューロン死を誘導したが、オートファジー系を障害させたマウスでは運動機能に異常が認められなかった。つまり、運動ニューロン障害においてはオートファジー・リソソーム系よりもユビキチン・プロテアソーム系が主因となっている可能性がある<ref name=Tashiro2012><pubmed>23095749</pubmed></ref>[46]。<br />
<br />
====ミトコンドリア機能障害 ====<br />
ALSでミトコンドリア機能障害が起こることは研究早期から提唱されてきた。変異SOD1 tgマウスの運動ニューロンでミトコンドリア内のCa<sup>2+</sup>緩衝作用と呼吸能障害が見出されている<ref name=Mattiazzi2002><pubmed>12050154</pubmed></ref><ref name=Damiano2006><pubmed>16478527</pubmed></ref>[47, 48]。ミトコンドリアが傷害されるとシトクロムCが放出されアポトーシスが誘導されるが、アポトーシス経路を遮断するとALSモデルマウスの生存期間が延長したとの報告もある<ref name=Reyes2010><pubmed>20890041</pubmed></ref>[49]。<br />
<br />
変異SOD1 tgマウスの筋肉細胞で見られるミトコンドリアの[[uncoupling protein 3]] ([[UCP3]]) の上昇は、ALSにおけるエネルギー代謝の亢進による脂肪量の減少に関与している<ref name=Dupuis2003><pubmed>14500553</pubmed></ref>[50]。一方、神経保護に働く[[UCP2]]を高発現させたG93A tgマウスは逆にALSの進行が早まった<ref name=Peixoto2013><pubmed>24141050</pubmed></ref>[51]。<br />
<br />
====オルガネラ異常 ====<br />
神経変性疾患の原因の一つとして[[小胞体ストレス]]が考えられている。ALSにおいても、ミスフォールディングした変異SOD1が運動ニューロン内の[[小胞体]]に蓄積して小胞体ストレスを誘導することで脆弱な運動ニューロンが細胞死に至ると考えられている<ref name=Nishitoh2008><pubmed>18519638</pubmed></ref><ref name=Atkin2008><pubmed>18440237</pubmed></ref><ref name=Saxena2009><pubmed>19330001</pubmed></ref>[52, 53, 54]。さらに、ALS患者や変異SOD1 tgマウスにおいて、ゴルジ体の断片化<ref name=Mourelatos1996><pubmed>8643599</pubmed></ref><ref name=Bellouze2016><pubmed>27277231</pubmed></ref>[55, 56]や[[核膜]]形態異常<ref name=Kinoshita2009><pubmed>19816199</pubmed></ref>[57]、[[核輸送]]障害<ref name=Zhong2017><pubmed>28463106</pubmed></ref>[58]なども観察されており、ミトコンドリア以外のオルガネラ異常の関与が注目されている。<br />
<br />
==== 非細胞自律性神経細胞死 ====<br />
変異SOD1 tgマウスにおいて、ミクログリアや[[アストロサイト]]での変異SOD1の発現量が多いほどALSの進行速度が速くなり、逆にミクログリアやアストロサイトでの変異SOD1を除去するとALSの進行速度が遅くなることが証明された。つまり、変異SOD1を発現している運動神経細胞が自律的に[[細胞死]]をきたすわけではない『非細胞自律性神経細胞死』の概念が提唱されている<ref name=Boillee2006><pubmed>16741123</pubmed></ref><ref name=Yamanaka2008><pubmed>18246065</pubmed></ref>[59, 60]。<br />
<br />
==== プリオン伝播作用とワクチン療法 ====<br />
また細胞外に放出されたミスフォールドSOD1が隣接する細胞に取り込まれ、その細胞内のSOD1をミスフォールディングさせる[[プリオン]]伝播作用を示すことが提唱された<ref name=Munch2011><pubmed>21321227</pubmed></ref><ref name=Grad2014><pubmed>25551548</pubmed></ref>[87, 88]。さらに、ALS患者脳脊髄液中に存在する可溶性ミスフォールド野生型SOD1が運動ニューロン様細胞に対して細胞毒性を示す<ref name=Tokuda2019><pubmed>31744522</pubmed></ref>[27]。そこで、細胞外([[脳脊髄液]])のミスフォールドSOD1をターゲットにした新たなALS治療法が開発されるようになってきた。マウスを用いた実験段階であるが、ミスフォールドSOD1に特異的な抗体を髄腔内投与する療法やSOD1を投与して生体内で抗体を作らせる[[ワクチン療法]]の効果が報告されている<ref name=Urushitani2007><pubmed>17277077</pubmed></ref><ref name=Takeuchi2010><pubmed>20838241</pubmed></ref>[89, 90]。<br />
<br />
==== SOD1に対する核酸医薬 ====<br />
SOD1の翻訳を阻害する[[核酸医薬]]の開発競争も始まっている<ref name=Ralph2005><pubmed>15768029</pubmed></ref><ref name=Stoica2016><pubmed>26891182</pubmed></ref><ref name=Mueller2020><pubmed>32640133</pubmed></ref>[91, 92, 93]。既にSOD1変異を持つ患者に対して、SOD1 mRNAを分解する[[アンチセンス薬]][[tofersen]]の髄腔内投与の効果・安全性を検討する第1/第2相試験が行われており、第3相試験への期待が高まっている<ref name=Miller2020><pubmed>32640130</pubmed></ref>[94]。<br />
<br />
=== SOD1欠損症 ===<br />
1993年以降SOD1の変異がALS患者で続々と見つかってきたのとは対照的に、SOD1の欠損症は2019年に初めてホモ接合性SOD1トランケーション変異(c.335dupG, p.C112Wfs*11, SOD活性なし)の症例が2例報告された。なお、p.C112Wfs*11はメチオニンから数えて112番目のCys(従来の表記ではCys111)がTrpになるフレームシフトが起こり、さらに10個の余分なアミノ酸の後に終止コドンになった欠失変異を意味している。<br />
<br />
その2歳と6歳の患者は進行性の運動失調を伴う[[精神運動遅滞]]、[[過剰驚愕症]]([[びっくり病]])、[[痙性麻痺]]、[[耳介]]低位などの症状がみられており、SOD1の機能喪失とALS病態の関わりを再考する症例となっている<ref name=Park2019><pubmed>31332433</pubmed></ref><ref name=Andersen2019><pubmed>31314961</pubmed></ref>[75, 76]。これらの症例の家族にALS症状は見られていないものの、SOD1の機能喪失によるのかC末端が欠失したSOD1タンパク質の影響なのかも議論の余地がある。<br />
<br />
SOD1ノックアウトマウスはALS症状を示さず一見正常に生育するものの雌の不妊が見つかり<ref name=Reaume1996><pubmed>8673102</pubmed></ref>[61]、その後多くの異常が報告されるようになった。SOD1は赤血球に多く発現しているため、その欠損は[[溶血性貧血]]を引き起こし<ref name=Iuchi2007><pubmed>17059387</pubmed></ref>[62]、腎臓や肝臓に鉄が蓄積すると考えられる<ref name=Yoshihara2012><pubmed>22435664</pubmed></ref><ref name=Yoshihara2016><pubmed>27629432</pubmed></ref>[63, 64]。また、普通食でも脂肪肝から肝硬変になり<ref name=Uchiyama2006><pubmed>16921198</pubmed></ref><ref name=Sakiyama2016><pubmed>26981929</pubmed></ref>[65, 66]、高齢になると肝腫瘍が発生する<ref name=Elchuri2005><pubmed>15531919</pubmed></ref>[67]。さらに、[[難聴]]<ref name=McFadden1999><pubmed>10466888</pubmed></ref>[68]、骨減少症<ref name=Nojiri2011><pubmed>22025246</pubmed></ref>[69]、[[骨格筋]]の萎縮<ref name=Muller2006><pubmed>16716900</pubmed></ref>[70]、[[皮膚萎縮症]]<ref name=Murakami2009><pubmed>19289104</pubmed></ref>[71]、[[加齢黄斑変性]]<ref name=Imamura2006><pubmed>16844785</pubmed></ref>[72]などの老化症状が見られている。[[アルツハイマー病]]モデルマウスと掛け合わせると認知機能がさらに低下することも報告されている<ref name=Murakami2011><pubmed>22072713</pubmed></ref>[73]。またSOD1ノックアウトマウスは行動異常を起こし、[[大脳]]では[[ドーパミントランスポーター]]の発現が上昇していることが観察されている<ref name=Yoshihara2016><pubmed>27629432</pubmed></ref>[74]。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[筋萎縮性側索硬化症]]<br />
* [[アミロイド]]<br />
* [[ユビキチン]]<br />
* [[プロテアソーム]]<br />
* [[オートファジー]]<br />
* [[リソソーム]]<br />
* [[グルタミン酸]] <br />
<br />
== 参考文献 ==</div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E6%8A%97%E3%81%A6%E3%82%93%E3%81%8B%E3%82%93%E8%96%AC&diff=43810
抗てんかん薬
2020-04-01T08:22:51Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[https://researchmap.jp/7000019861/ 武山博文]</font><br><br />
''京都大学大学院医学研究科 呼吸管理睡眠制御学講座''<br><br />
<font size="+1">[https://researchmap.jp/_ukiyo 宇佐美清英]</font><br><br />
''京都大学大学院医学研究科 てんかん・運動異常生理学講座''<br><br />
<font size="+1">[https://researchmap.jp/matsumot_kyt 松本理器]</font><br><br />
''神戸大学大学院医学研究科 内科学講座 脳神経内科学分野''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2020年4月1日 原稿完成日:20XX年XX月X日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
{{box|text= 抗てんかん薬は、てんかんの病態を治癒に導くものではないが、てんかん発作の消失ないし頻度減少や、発作症状の程度の軽減などといった、発作抑制効果を患者にもたらす。抗てんかん薬の効果は、作用点との関連で、①電位依存型イオンチャネル、②リガンド(配位子)依存型イオンチャネル(細胞膜に置かれた受容体の一種で、情報伝達物質が結合、すなわち配位することで機能するイオンチャネル)、③GABA代謝阻害、④シナプス小胞蛋白2A、の4つの大きなグループに分けられる。抗てんかん薬治療は単剤治療を原則とする。単剤治療で約半数の患者の発作が抑制される。単剤で発作の抑制が不良な場合、合理的多剤併用療法を行う。てんかん患者のうち 約30%は、既存の抗てんかん薬を組み合わせても発作抑制効果が不十分な薬剤抵抗性てんかんと言われている。薬剤抵抗性てんかんに対しては、薬物療法の再検討、およびてんかん外科(てんかん焦点切除術、脳梁離断術、迷走神経刺激療法など)などの他の治療法を検討する。自己免疫介在性の病態であれば免疫療法が奏功する。}}<br />
<br />
==抗てんかん薬とは==<br />
てんかんは、脳内の神経細胞の異常な電気的興奮に伴って痙攣や意識障害などが発作的に起こる慢性的な疾患である(脳科学辞典「てんかん」の項目も参照)。てんかんの有病率は一般に人口の0.5 ~ 1.0 %とされており、近年の我が国での健康保険組合の診療報酬情報の分析に基づく疫学研究でも、てんかん患者数は人口1000人あたり7.24人(人口の約0.7 %)と推計され<ref>厚生労働科学研究費補助金(障害者対策総合研究事業)総合研究<br>「てんかんの有病率等に関する疫学研究及び診療実態の分析と治療体制の整備に関する研究」報告書<br>研究代表者 大槻泰介 国立精神・神経医療研究センター てんかんセンター長, 2016</ref>、てんかんは頻度の高い神経疾患の一つである。<br />
<br />
抗てんかん薬は、てんかんの病態を治癒に導くものではないが、てんかん発作の消失ないし頻度減少や、発作症状の程度の軽減などといった、発作抑制効果を患者にもたらす。<br />
てんかん薬物治療においては、単剤治療を原則に、合理的多剤投与が行われている。しかし、てんかん患者のうち 約30%は、既存の抗てんかん薬を組み合わせても発作抑制効果が不十分な難治性てんかんと言われている。<br />
<br />
ここでは、抗てんかん薬の代表的な薬剤とその作用機序、我が国での臨床における現状、抗てんかん薬治療の戦略に焦点を当てて概説し、個々の抗てんかん薬については詳述しない。<br />
[[ファイル:Takeyama Fig 1.png|サムネイル|右|400px|'''図1. 抗てんかん薬の主な作用機序'''<br><br />
AMPA: α-amino-3-hydroxy-5-methyl-4-isoxazole propionic acid, GABA: γ-aminobutyric acid, NMDA: N-methyl-D-aspartate, SV2A: synaptic vesicle glycoprotein 2A.<br />
(文献<ref name=ref2 />より引用)]]<br />
== 作用機序 ==<br />
抗てんかん薬は、イオンチャネルに対して影響を与え、神経細胞の過剰興奮を抑制することでその発作抑制効果を発揮していると考えられている。その作用点は大きく7つが現在挙げられている。'''図1.'''に、抗てんかん薬の主な作用機序を示す<ref name=ref2>'''吉村元、松本理器'''<br>てんかんの新規治療薬<br>Annual Review神経2018 中外医学社、2018</ref>。'''表1.'''に主要な薬剤とイオンチャネルの関係で、比較的よくわかっているものを、'''表2.'''に抗てんかん薬の作用点による効果の特徴をまとめた<ref name=ref3>'''兼本浩祐'''<br>てんかん学ハンドブック 第3版<br>医学書院, 2012</ref>。<br />
<br />
抗てんかん薬の効果は、'''表1.'''に整理したように、作用点との関連で、①電位依存型イオンチャネル、②リガンド(配位子)依存型イオンチャネル、③GABA代謝阻害、④シナプス小胞タンパク質2A、の4つの大きなグループに分けて考えると理解しやすい。なお、リガンド依存型イオンチャネルとは、細胞膜に置かれた受容体の一種で、情報伝達物質が結合する(配位される)ことで機能するイオンチャネルのことである。<br />
<br />
選択的ナトリウム(Na<sup>+</sup>)チャネル阻害薬、選択的高電位活性型(非T型)カルシウム(Ca<sup>2+</sup>)チャネル阻害薬、選択的GABA代謝阻害薬は、いずれも焦点性てんかんに選択的に有効であるが、一方で特発性全般てんかん群を悪化させる場合がある。対照的に、選択的な低電位活性型(T型)カルシウムチャネル阻害薬は、欠神発作あるいは欠神脱力発作といった特発性の全般発作に選択的に有効性を示す。抗グルタミン酸受容体作用をもつ薬剤(トピラマート、ラモトリギン、バルプロ酸ナトリウム、ペランパネル)、シナプス小胞タンパク質に作用するとされるレベチラセタ、やNa<sup>+</sup>チャネル阻害作用と抗低電位活性型(T型)カルシウムチャネル阻害作用を有するゾニサミドは、抗焦点起始発作(部分発作)と抗全般起始発作(全般発作)作用を併せもち、広域スペクトラムの抗てんかん薬と位置づけられる。<br />
<br />
{| class="wikitable" style="text-align: center;<br />
|+表1. 抗てんかん薬の作用点<br />
!rowspan="2"| !!colspan="3"|電位依存型イオンチャネル !!colspan="2"|リガンド依存型イオンチャネル!!rowspan="2"|GABA代謝阻害!!rowspan="2"|シナプス小胞タンパク質2A<br />
|-<br />
! Na<sup>+</sup>チャネル || 高電位活性型(非T型)Ca<sup>2+</sup> || 低電位活性型(T型)Ca<sup>2+</sup> || グルタミン酸 || GABA<sub>A</sub><br />
|-<br />
! カルバマゼピン<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! オクスカルバマゼピン<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! フェニトイン<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! ガバペンチン<br />
| || ◯ || || || || ± || <br />
|-<br />
! ビガバトリン<br />
| || || || || || ◎ || <br />
|-<br />
! ラモトリギン<br />
| ◎ || ◯ || || ◯<sup>*1</sup> || || || <br />
|-<br />
! トピラマート<br />
| ◯ || ◯ || || ◯<sup>*2</sup> || ◯ || || <br />
|-<br />
! ペランパネル<br />
| || || || ◎<sup>*2</sup> || || || <br />
|-<br />
! ゾニサミド<br />
| ◎ || || ◯ || || || || <br />
|-<br />
! バルプロ酸ナトリウム<br />
| ◯ || || ◯ || ◯<sup>*3</sup> || || ◯ || <br />
|-<br />
! ラコサミド<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! レベチラセタム<br />
| || ± || || || ± || || ◎<br />
|-<br />
! フェノバルビタール<br />
| || ± || || ± || ◎ || || <br />
|-<br />
! ベンゾジアゼピン系(ジアゼパム、クロナゼパム、クロバザムなど)<br />
| || || || || ◎ || || <br />
|-<br />
! エトスクシミド<br />
| || || ◎ || || || || <br />
|}<br />
<br />
<sup>*1</sup> グルタミン酸の神経末端からの放出障害。<br />
<sup>*2</sup> AMPA型グルタミン酸受容体阻害。<br />
<sup>*3</sup> NMDA型グルタミン酸受容体阻害。<br />
<br />
◎は主要な抗てんかん作用。±は補助的に作用している可能性あり。◯はその中間。<br />
<br />
文献<ref name=ref3 />,<ref name=日本神経学会>'''日本神経学会監修'''<br>「てんかん診療ガイドライン」委員会編集:てんかん診療ガイドライン2018<<br>医学書院, 2018 [https://www.neurology-jp.org/guidelinem/tenkan_2018.html]</ref>,<ref>'''大野行弘、松本理器''' <br>臨床薬学テキストシリーズ:神経・筋・精神・麻酔・鎮痛. 第1章 神経・筋疾患. B 疾患各論 ①てんかん. p 34-46. <br>中川書店)</ref>を元に作成。<br />
<br />
{| class="wikitable" style="text-align: left;<br />
|+表2. 抗てんかん薬の作用点による効果の特徴<br />
! 作用点 !! 薬剤名 !! 効果の特徴<br />
|-<br />
! 選択的Na<sup>+</sup>チャネル阻害薬<br />
| カルバマゼピン、フェニトイン ||rowspan="3"|選択的抗焦点性てんかん薬(特発性全般てんかん群は悪化させる可能性あり)<br />
|-<br />
! 選択的高電位活性型(非T型)Ca<sup>2+</sup>チャネル阻害薬<br />
| ガバペンチン<br />
|-<br />
! 選択的GABA代謝阻害薬<br />
| ビガバトリン<br />
|-<br />
! 複数の作用点をもつ薬剤<br>(初めの4つは抗グルタミン酸受容体作用あり)<br />
| トピラマート、ラモトリギン、バルプロ酸ナトリウム、ペランパネル、ゾニサミド ||rowspan="2"| 広域スペクトラム抗てんかん薬<br />
|-<br />
! 選択的シナプス小胞タンパク質作用薬<br />
| レベチラセタム<br />
|-<br />
! 選択的GABA<sub>A</sub>受容体活性化薬<br />
| フェノバルビタール、ベンゾジアゼピン系 || 全般的中枢神経抑制薬(高次脳機能の抑制を伴う)<br />
|-<br />
! 低電位活性型(T型)Ca<sup>2+</sup>チャネル阻害薬<br />
| エトスクシミド、バルプロ酸ナトリウム || 抗欠神発作薬<br />
|}<br />
<br />
文献<ref name=ref3 /><ref name=日本神経学会>'''日本神経学会監修'''<br>「てんかん診療ガイドライン」委員会編集:てんかん診療ガイドライン2018<<br>医学書院, 2018 [https://www.neurology-jp.org/guidelinem/tenkan_2018.html]</ref>を元に作成<br />
<br />
== 我が国での臨床における抗てんかん薬の現状 ==<br />
日本では、1989年発売のゾニサミド以降、長らく抗てんかん薬の開発は行われていなかったが、2000年にクロバザムが発売された。その後、いわゆる新規抗てんかん薬と呼ばれるガバペンチン(2006年)、トピラマート(2007年)、ラモトリギン(2008年)、レベチラセタム(2010年)の4剤が相次いで上市されたことから、てんかん治療の選択肢は格段に広がった<ref name=ref4>'''矢野育子、池田昭夫'''<br>新薬展望2017:第Ⅲ部 治療における最近の新薬の位置付け<薬効別>〜新薬の広場〜 抗てんかん薬<br>医薬ジャーナル 53,S-1, 2017</ref>。<br />
<br />
その後も、希少疾患である Dravet症候群に対するスチリペントールや、Lennox-Gastaut症候群に対するルフィナミドが発売され、2016年にはペランパネル、ビガバトリン、ラコサミド、オクスカルバゼピンの4剤が製造承認を受け、欧米でのガイドラインに沿った治療が行える環境となってきた(現在の日本のガイドラインは、<ref name=日本神経学会 />を参照)。<br />
<br />
また、欧米のてんかん重積状態の治療ガイドラインなどにおいて、第1選択薬としてあげられているロラゼパム静注製剤が、2019年2月に製造承認を受けた。<br />
<br />
== 治療の戦略 ==<br />
抗てんかん薬治療は単剤治療を原則とする。単剤治療で約半数の患者の発作が抑制される。単剤療法として承認されている主な抗てんかん薬は、カルバマゼピン、バルプロ酸ナトリウム、フェニトイン、クロナゼパム、ゾニサミド、フェノバルビタール、レベチラセタム、ラモトリギン、ラコサミド、ペランパネル(2020年2月時点)が挙げられる。焦点てんかんでみられる焦点起始発作(部分発作)では、カルバマゼピン、ラモトリギン、レベチラセタム、次いでゾニサミド、トピラマートが第一選択薬とされる。全般てんかんの強直間代発作ではバルプロ酸ナトリウム、欠神発作ではバルプロ酸ナトリウム、エトスクシミド、ミオクロニー発作ではバルプロ酸ナトリウム、クロナゼパムが第一選択薬とされる<ref name=日本神経学会 />。ただし、バルプロ酸ナトリウムは催奇形性を有するため、妊娠の可能性のある女性への投与は避ける必要がある。その場合、催奇形性の低いラモトリギンなどが推奨される。<br />
<br />
単剤で発作の抑制が不良な場合、合理的多剤併用療法を行う。合理的多剤併用療法とは、現在の使用薬とは異なる作用機序あるいは多くの作用機序を持つ薬剤の追加、副作用プロファイルが重ならない組み合わせ、相互作用が少ない組み合わせを考慮した併用療法のことである。そのてんかんに対し適切とされる抗てんかん薬を単剤あるいは多剤併用で副作用がない範囲の十分な血中濃度で2剤試みても一定期間(1年以上もしくは治療前の最長発作間隔の3倍以上の長いほう)発作を抑制できないてんかんを、薬剤抵抗性てんかんとよぶ(国際抗てんかん連盟が提唱する定義)。<br />
<br />
薬剤抵抗性てんかんに対しては、薬物療法の再検討(診断、薬剤選択、投与量、薬理動態に基づく抗てんかん薬の使用など)、およびてんかん外科(てんかん焦点切除術、脳梁離断術、迷走神経刺激療法など)などの他の治療法を検討する<ref name=日本神経学会 />。<br />
<br />
自己免疫介在性の病態であれば免疫療法(免疫グロブリン静注療法、ステロイド、免疫抑制剤など)が奏功する<ref><pubmed> 25036726</pubmed></ref><ref>'''坂本光弘、松本理器、十川純平、端祐一郎、武山博文、小林勝哉、下竹昭寛、近藤誉之、高橋良輔、池田昭夫'''<br>自己免疫性てんかんにおける診断アルゴリズムの提唱とその有用性の予備的検討<br>臨床神経学 2018;58:609-616.</ref>。<br />
<br />
==関連項目==<br />
* [[抗不安薬]]<br />
* [[気分安定薬]]<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
<references /></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E6%8A%97%E3%81%A6%E3%82%93%E3%81%8B%E3%82%93%E8%96%AC&diff=43809
抗てんかん薬
2020-04-01T08:21:39Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[https://researchmap.jp/7000019861/ 武山博文]</font><br><br />
''京都大学大学院医学研究科 呼吸管理睡眠制御学講座''<br><br />
<font size="+1">[https://researchmap.jp/_ukiyo 宇佐美清英]</font><br><br />
''京都大学大学院医学研究科 てんかん・運動異常生理学講座''<br><br />
<font size="+1">[https://researchmap.jp/matsumot_kyt 松本理器]</font><br><br />
''神戸大学大学院医学研究科 内科学講座 脳神経内科学分野''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2020年4月1日 原稿完成日:20XX年XX月X日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
{{box|text= 抗てんかん薬は、てんかんの病態を治癒に導くものではないが、てんかん発作の消失ないし頻度減少や、発作症状の程度の軽減などといった、発作抑制効果を患者にもたらす。抗てんかん薬の効果は、作用点との関連で、①電位依存型イオンチャネル、②リガンド(配位子)依存型イオンチャネル(細胞膜に置かれた受容体の一種で、情報伝達物質が結合、すなわち配位することで機能するイオンチャネル)、③GABA代謝阻害、④シナプス小胞蛋白2A、の4つの大きなグループに分けられる。抗てんかん薬治療は単剤治療を原則とする。単剤治療で約半数の患者の発作が抑制される。単剤で発作の抑制が不良な場合、合理的多剤併用療法を行う。てんかん患者のうち 約30%は、既存の抗てんかん薬を組み合わせても発作抑制効果が不十分な薬剤抵抗性てんかんと言われている。薬剤抵抗性てんかんに対しては、薬物療法の再検討、およびてんかん外科(てんかん焦点切除術、脳梁離断術、迷走神経刺激療法など)などの他の治療法を検討する。自己免疫介在性の病態であれば免疫療法が奏功する。}}<br />
<br />
==抗てんかん薬とは==<br />
てんかんは、脳内の神経細胞の異常な電気的興奮に伴って痙攣や意識障害などが発作的に起こる慢性的な疾患である(脳科学辞典「てんかん」の項目も参照)。てんかんの有病率は一般に人口の0.5 ~ 1.0 %とされており、近年の我が国での健康保険組合の診療報酬情報の分析に基づく疫学研究でも、てんかん患者数は人口1000人あたり7.24人(人口の約0.7 %)と推計され<ref>厚生労働科学研究費補助金(障害者対策総合研究事業)総合研究<br>「てんかんの有病率等に関する疫学研究及び診療実態の分析と治療体制の整備に関する研究」報告書<br>研究代表者 大槻泰介 国立精神・神経医療研究センター てんかんセンター長, 2016</ref>、てんかんは頻度の高い神経疾患の一つである。<br />
<br />
抗てんかん薬は、てんかんの病態を治癒に導くものではないが、てんかん発作の消失ないし頻度減少や、発作症状の程度の軽減などといった、発作抑制効果を患者にもたらす。<br />
てんかん薬物治療においては、単剤治療を原則に、合理的多剤投与が行われている。しかし、てんかん患者のうち 約30%は、既存の抗てんかん薬を組み合わせても発作抑制効果が不十分な難治性てんかんと言われている。<br />
<br />
ここでは、抗てんかん薬の代表的な薬剤とその作用機序、我が国での臨床における現状、抗てんかん薬治療の戦略に焦点を当てて概説し、個々の抗てんかん薬については詳述しない。<br />
[[ファイル:Takeyama Fig 1.png|サムネイル|右|400px|'''図1. 抗てんかん薬の主な作用機序'''<br><br />
AMPA: α-amino-3-hydroxy-5-methyl-4-isoxazole propionic acid, GABA: γ-aminobutyric acid, NMDA: N-methyl-D-aspartate, SV2A: synaptic vesicle glycoprotein 2A.<br />
(文献<ref name=ref2 />より引用)]]<br />
== 作用機序 ==<br />
抗てんかん薬は、イオンチャネルに対して影響を与え、神経細胞の過剰興奮を抑制することでその発作抑制効果を発揮していると考えられている。その作用点は大きく7つが現在挙げられている。'''図1.'''に、抗てんかん薬の主な作用機序を示す<ref name=ref2>'''吉村元、松本理器'''<br>てんかんの新規治療薬<br>Annual Review神経2018 中外医学社、2018</ref>。'''表1.'''に主要な薬剤とイオンチャネルの関係で、比較的よくわかっているものを、'''表2.'''に抗てんかん薬の作用点による効果の特徴をまとめた<ref name=ref3>'''兼本浩祐'''<br>てんかん学ハンドブック 第3版<br>医学書院, 2012</ref>。<br />
<br />
抗てんかん薬の効果は、'''表1.'''に整理したように、作用点との関連で、①電位依存型イオンチャネル、②リガンド(配位子)依存型イオンチャネル、③GABA代謝阻害、④シナプス小胞タンパク質2A、の4つの大きなグループに分けて考えると理解しやすい。なお、配位依存型イオンチャネルとは、細胞膜に置かれた受容体の一種で、情報伝達物質が結合する(配位される)ことで機能するイオンチャネルのことである。<br />
<br />
選択的ナトリウム(Na<sup>+</sup>)チャネル阻害薬、選択的高電位活性型(非T型)カルシウム(Ca<sup>2+</sup>)チャネル阻害薬、選択的GABA代謝阻害薬は、いずれも焦点性てんかんに選択的に有効であるが、一方で特発性全般てんかん群を悪化させる場合がある。対照的に、選択的な低電位活性型(T型)カルシウムチャネル阻害薬は、欠神発作あるいは欠神脱力発作といった特発性の全般発作に選択的に有効性を示す。抗グルタミン酸受容体作用をもつ薬剤(トピラマート、ラモトリギン、バルプロ酸ナトリウム、ペランパネル)、シナプス小胞タンパク質に作用するとされるレベチラセタ、やNa<sup>+</sup>チャネル阻害作用と抗低電位活性型(T型)カルシウムチャネル阻害作用を有するゾニサミドは、抗焦点起始発作(部分発作)と抗全般起始発作(全般発作)作用を併せもち、広域スペクトラムの抗てんかん薬と位置づけられる。<br />
<br />
{| class="wikitable" style="text-align: center;<br />
|+表1. 抗てんかん薬の作用点<br />
!rowspan="2"| !!colspan="3"|電位依存型イオンチャネル !!colspan="2"|リガンド依存型イオンチャネル!!rowspan="2"|GABA代謝阻害!!rowspan="2"|シナプス小胞タンパク質2A<br />
|-<br />
! Na<sup>+</sup>チャネル || 高電位活性型(非T型)Ca<sup>2+</sup> || 低電位活性型(T型)Ca<sup>2+</sup> || グルタミン酸 || GABA<sub>A</sub><br />
|-<br />
! カルバマゼピン<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! オクスカルバマゼピン<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! フェニトイン<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! ガバペンチン<br />
| || ◯ || || || || ± || <br />
|-<br />
! ビガバトリン<br />
| || || || || || ◎ || <br />
|-<br />
! ラモトリギン<br />
| ◎ || ◯ || || ◯<sup>*1</sup> || || || <br />
|-<br />
! トピラマート<br />
| ◯ || ◯ || || ◯<sup>*2</sup> || ◯ || || <br />
|-<br />
! ペランパネル<br />
| || || || ◎<sup>*2</sup> || || || <br />
|-<br />
! ゾニサミド<br />
| ◎ || || ◯ || || || || <br />
|-<br />
! バルプロ酸ナトリウム<br />
| ◯ || || ◯ || ◯<sup>*3</sup> || || ◯ || <br />
|-<br />
! ラコサミド<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! レベチラセタム<br />
| || ± || || || ± || || ◎<br />
|-<br />
! フェノバルビタール<br />
| || ± || || ± || ◎ || || <br />
|-<br />
! ベンゾジアゼピン系(ジアゼパム、クロナゼパム、クロバザムなど)<br />
| || || || || ◎ || || <br />
|-<br />
! エトスクシミド<br />
| || || ◎ || || || || <br />
|}<br />
<br />
<sup>*1</sup> グルタミン酸の神経末端からの放出障害。<br />
<sup>*2</sup> AMPA型グルタミン酸受容体阻害。<br />
<sup>*3</sup> NMDA型グルタミン酸受容体阻害。<br />
<br />
◎は主要な抗てんかん作用。±は補助的に作用している可能性あり。◯はその中間。<br />
<br />
文献<ref name=ref3 />,<ref name=日本神経学会>'''日本神経学会監修'''<br>「てんかん診療ガイドライン」委員会編集:てんかん診療ガイドライン2018<<br>医学書院, 2018 [https://www.neurology-jp.org/guidelinem/tenkan_2018.html]</ref>,<ref>'''大野行弘、松本理器''' <br>臨床薬学テキストシリーズ:神経・筋・精神・麻酔・鎮痛. 第1章 神経・筋疾患. B 疾患各論 ①てんかん. p 34-46. <br>中川書店)</ref>を元に作成。<br />
<br />
{| class="wikitable" style="text-align: left;<br />
|+表2. 抗てんかん薬の作用点による効果の特徴<br />
! 作用点 !! 薬剤名 !! 効果の特徴<br />
|-<br />
! 選択的Na<sup>+</sup>チャネル阻害薬<br />
| カルバマゼピン、フェニトイン ||rowspan="3"|選択的抗焦点性てんかん薬(特発性全般てんかん群は悪化させる可能性あり)<br />
|-<br />
! 選択的高電位活性型(非T型)Ca<sup>2+</sup>チャネル阻害薬<br />
| ガバペンチン<br />
|-<br />
! 選択的GABA代謝阻害薬<br />
| ビガバトリン<br />
|-<br />
! 複数の作用点をもつ薬剤<br>(初めの4つは抗グルタミン酸受容体作用あり)<br />
| トピラマート、ラモトリギン、バルプロ酸ナトリウム、ペランパネル、ゾニサミド ||rowspan="2"| 広域スペクトラム抗てんかん薬<br />
|-<br />
! 選択的シナプス小胞タンパク質作用薬<br />
| レベチラセタム<br />
|-<br />
! 選択的GABA<sub>A</sub>受容体活性化薬<br />
| フェノバルビタール、ベンゾジアゼピン系 || 全般的中枢神経抑制薬(高次脳機能の抑制を伴う)<br />
|-<br />
! 低電位活性型(T型)Ca<sup>2+</sup>チャネル阻害薬<br />
| エトスクシミド、バルプロ酸ナトリウム || 抗欠神発作薬<br />
|}<br />
<br />
文献<ref name=ref3 /><ref name=日本神経学会>'''日本神経学会監修'''<br>「てんかん診療ガイドライン」委員会編集:てんかん診療ガイドライン2018<<br>医学書院, 2018 [https://www.neurology-jp.org/guidelinem/tenkan_2018.html]</ref>を元に作成<br />
<br />
== 我が国での臨床における抗てんかん薬の現状 ==<br />
日本では、1989年発売のゾニサミド以降、長らく抗てんかん薬の開発は行われていなかったが、2000年にクロバザムが発売された。その後、いわゆる新規抗てんかん薬と呼ばれるガバペンチン(2006年)、トピラマート(2007年)、ラモトリギン(2008年)、レベチラセタム(2010年)の4剤が相次いで上市されたことから、てんかん治療の選択肢は格段に広がった<ref name=ref4>'''矢野育子、池田昭夫'''<br>新薬展望2017:第Ⅲ部 治療における最近の新薬の位置付け<薬効別>〜新薬の広場〜 抗てんかん薬<br>医薬ジャーナル 53,S-1, 2017</ref>。<br />
<br />
その後も、希少疾患である Dravet症候群に対するスチリペントールや、Lennox-Gastaut症候群に対するルフィナミドが発売され、2016年にはペランパネル、ビガバトリン、ラコサミド、オクスカルバゼピンの4剤が製造承認を受け、欧米でのガイドラインに沿った治療が行える環境となってきた(現在の日本のガイドラインは、<ref name=日本神経学会 />を参照)。<br />
<br />
また、欧米のてんかん重積状態の治療ガイドラインなどにおいて、第1選択薬としてあげられているロラゼパム静注製剤が、2019年2月に製造承認を受けた。<br />
<br />
== 治療の戦略 ==<br />
抗てんかん薬治療は単剤治療を原則とする。単剤治療で約半数の患者の発作が抑制される。単剤療法として承認されている主な抗てんかん薬は、カルバマゼピン、バルプロ酸ナトリウム、フェニトイン、クロナゼパム、ゾニサミド、フェノバルビタール、レベチラセタム、ラモトリギン、ラコサミド、ペランパネル(2020年2月時点)が挙げられる。焦点てんかんでみられる焦点起始発作(部分発作)では、カルバマゼピン、ラモトリギン、レベチラセタム、次いでゾニサミド、トピラマートが第一選択薬とされる。全般てんかんの強直間代発作ではバルプロ酸ナトリウム、欠神発作ではバルプロ酸ナトリウム、エトスクシミド、ミオクロニー発作ではバルプロ酸ナトリウム、クロナゼパムが第一選択薬とされる<ref name=日本神経学会 />。ただし、バルプロ酸ナトリウムは催奇形性を有するため、妊娠の可能性のある女性への投与は避ける必要がある。その場合、催奇形性の低いラモトリギンなどが推奨される。<br />
<br />
単剤で発作の抑制が不良な場合、合理的多剤併用療法を行う。合理的多剤併用療法とは、現在の使用薬とは異なる作用機序あるいは多くの作用機序を持つ薬剤の追加、副作用プロファイルが重ならない組み合わせ、相互作用が少ない組み合わせを考慮した併用療法のことである。そのてんかんに対し適切とされる抗てんかん薬を単剤あるいは多剤併用で副作用がない範囲の十分な血中濃度で2剤試みても一定期間(1年以上もしくは治療前の最長発作間隔の3倍以上の長いほう)発作を抑制できないてんかんを、薬剤抵抗性てんかんとよぶ(国際抗てんかん連盟が提唱する定義)。<br />
<br />
薬剤抵抗性てんかんに対しては、薬物療法の再検討(診断、薬剤選択、投与量、薬理動態に基づく抗てんかん薬の使用など)、およびてんかん外科(てんかん焦点切除術、脳梁離断術、迷走神経刺激療法など)などの他の治療法を検討する<ref name=日本神経学会 />。<br />
<br />
自己免疫介在性の病態であれば免疫療法(免疫グロブリン静注療法、ステロイド、免疫抑制剤など)が奏功する<ref><pubmed> 25036726</pubmed></ref><ref>'''坂本光弘、松本理器、十川純平、端祐一郎、武山博文、小林勝哉、下竹昭寛、近藤誉之、高橋良輔、池田昭夫'''<br>自己免疫性てんかんにおける診断アルゴリズムの提唱とその有用性の予備的検討<br>臨床神経学 2018;58:609-616.</ref>。<br />
<br />
==関連項目==<br />
* [[抗不安薬]]<br />
* [[気分安定薬]]<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
<references /></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E6%8A%97%E3%81%A6%E3%82%93%E3%81%8B%E3%82%93%E8%96%AC&diff=43808
抗てんかん薬
2020-04-01T08:11:08Z
<p>Makotourushitani: /* 作用機序 */</p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[https://researchmap.jp/7000019861/ 武山博文]</font><br><br />
''京都大学大学院医学研究科 呼吸管理睡眠制御学講座''<br><br />
<font size="+1">[https://researchmap.jp/_ukiyo 宇佐美清英]</font><br><br />
''京都大学大学院医学研究科 てんかん・運動異常生理学講座''<br><br />
<font size="+1">[https://researchmap.jp/matsumot_kyt 松本理器]</font><br><br />
''神戸大学大学院医学研究科 内科学講座 脳神経内科学分野''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2020年4月1日 原稿完成日:20XX年XX月X日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
{{box|text= 抗てんかん薬は、てんかんの病態を治癒に導くものではないが、てんかん発作の消失ないし頻度減少や、発作症状の程度の軽減などといった、発作抑制効果を患者にもたらす。抗てんかん薬の効果は、作用点との関連で、①電位依存型イオンチャネル、②配位依存型イオンチャネル(細胞膜に置かれた受容体の一種で、情報伝達物質が結合、すなわち配位することで機能するイオンチャネル)、③GABA代謝阻害、④シナプス小胞蛋白2A、の4つの大きなグループに分けられる。抗てんかん薬治療は単剤治療を原則とする。単剤治療で約半数の患者の発作が抑制される。単剤で発作の抑制が不良な場合、合理的多剤併用療法を行う。てんかん患者のうち 約30%は、既存の抗てんかん薬を組み合わせても発作抑制効果が不十分な薬剤抵抗性てんかんと言われている。薬剤抵抗性てんかんに対しては、薬物療法の再検討、およびてんかん外科(てんかん焦点切除術、脳梁離断術、迷走神経刺激療法など)などの他の治療法を検討する。自己免疫介在性の病態であれば免疫療法が奏功する。}}<br />
<br />
==抗てんかん薬とは==<br />
てんかんは、脳内の神経細胞の異常な電気的興奮に伴って痙攣や意識障害などが発作的に起こる慢性的な疾患である(脳科学辞典「てんかん」の項目も参照)。てんかんの有病率は一般に人口の0.5 ~ 1.0 %とされており、近年の我が国での健康保険組合の診療報酬情報の分析に基づく疫学研究でも、てんかん患者数は人口1000人あたり7.24人(人口の約0.7 %)と推計され<ref>厚生労働科学研究費補助金(障害者対策総合研究事業)総合研究<br>「てんかんの有病率等に関する疫学研究及び診療実態の分析と治療体制の整備に関する研究」報告書<br>研究代表者 大槻泰介 国立精神・神経医療研究センター てんかんセンター長, 2016</ref>、てんかんは頻度の高い神経疾患の一つである。<br />
<br />
抗てんかん薬は、てんかんの病態を治癒に導くものではないが、てんかん発作の消失ないし頻度減少や、発作症状の程度の軽減などといった、発作抑制効果を患者にもたらす。<br />
てんかん薬物治療においては、単剤治療を原則に、合理的多剤投与が行われている。しかし、てんかん患者のうち 約30%は、既存の抗てんかん薬を組み合わせても発作抑制効果が不十分な難治性てんかんと言われている。<br />
<br />
ここでは、抗てんかん薬の代表的な薬剤とその作用機序、我が国での臨床における現状、抗てんかん薬治療の戦略に焦点を当てて概説し、個々の抗てんかん薬については詳述しない。<br />
[[ファイル:Takeyama Fig 1.png|サムネイル|右|400px|'''図1. 抗てんかん薬の主な作用機序'''<br><br />
AMPA: α-amino-3-hydroxy-5-methyl-4-isoxazole propionic acid, GABA: γ-aminobutyric acid, NMDA: N-methyl-D-aspartate, SV2A: synaptic vesicle glycoprotein 2A.<br />
(文献<ref name=ref2 />より引用)]]<br />
== 作用機序 ==<br />
抗てんかん薬は、イオンチャネルに対して影響を与え、神経細胞の過剰興奮を抑制することでその発作抑制効果を発揮していると考えられている。その作用点は大きく7つが現在挙げられている。'''図1.'''に、抗てんかん薬の主な作用機序を示す<ref name=ref2>'''吉村元、松本理器'''<br>てんかんの新規治療薬<br>Annual Review神経2018 中外医学社、2018</ref>。'''表1.'''に主要な薬剤とイオンチャネルの関係で、比較的よくわかっているものをまとめた<ref name=ref3>'''兼本浩祐'''<br>てんかん学ハンドブック 第3版<br>医学書院, 2012</ref>。<br />
<br />
抗てんかん薬の効果は、'''表1.'''に整理したように、作用点との関連で、①電位依存型イオンチャネル、②配位依存型イオンチャネル、③GABA代謝阻害、④シナプス小胞タンパク質2A、の4つの大きなグループに分けて考えると理解しやすい。なお、配位依存型イオンチャネルとは、細胞膜に置かれた受容体の一種で、情報伝達物質が結合することで(配位されることで)機能するイオンチャネルのことである。<br />
<br />
選択的ナトリウム(Na<sup>+</sup>)チャネル阻害薬、選択的高電位活性型(非T型)カルシウム(Ca<sup>2+</sup>)チャネル阻害薬、選択的GABA代謝阻害薬は、いずれも焦点性てんかんに選択的に有効であるが、一方で特発性全般てんかん群を悪化させる場合がある。対照的に、選択的な低電位活性型(T型)カルシウムチャネル阻害薬は、欠神発作あるいは欠神脱力発作といった特発性の全般発作に選択的に有効性を示す。抗グルタミン酸受容体作用をもつ薬剤(トピラマート、ラモトリギン、バルプロ酸ナトリウム、ペランパネル)、シナプス小胞タンパク質に作用するとされるレベチラセタ、やNa<sup>+</sup>チャネル阻害作用と抗低電位活性型(T型)カルシウムチャネル阻害作用を有するゾニサミドは、抗焦点起始発作(部分発作)と抗全般起始発作(全般発作)作用を併せもち、広域スペクトラムの抗てんかん薬と位置づけられる。<br />
<br />
{| class="wikitable" style="text-align: center;<br />
|+表1. 抗てんかん薬の作用点<br />
!rowspan="2"| !!colspan="3"|電位依存型イオンチャネル !!colspan="2"|リガンド依存型イオンチャネル!!rowspan="2"|GABA代謝阻害!!rowspan="2"|シナプス小胞タンパク質2A<br />
|-<br />
! Na<sup>+</sup>チャネル || 高電位活性型(非T型)Ca<sup>2+</sup> || 低電位活性型(T型)Ca<sup>2+</sup> || グルタミン酸 || GABA<sub>A</sub><br />
|-<br />
! カルバマゼピン<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! オクスカルバマゼピン<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! フェニトイン<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! ガバペンチン<br />
| || ◯ || || || || ± || <br />
|-<br />
! ビガバトリン<br />
| || || || || || ◎ || <br />
|-<br />
! ラモトリギン<br />
| ◎ || ◯ || || ◯<sup>*1</sup> || || || <br />
|-<br />
! トピラマート<br />
| ◯ || ◯ || || ◯<sup>*2</sup> || ◯ || || <br />
|-<br />
! ペランパネル<br />
| || || || ◎<sup>*2</sup> || || || <br />
|-<br />
! ゾニサミド<br />
| ◎ || || ◯ || || || || <br />
|-<br />
! バルプロ酸ナトリウム<br />
| ◯ || || ◯ || ◯<sup>*3</sup> || || ◯ || <br />
|-<br />
! ラコサミド<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! レベチラセタム<br />
| || ± || || || ± || || ◎<br />
|-<br />
! フェノバルビタール<br />
| || ± || || ± || ◎ || || <br />
|-<br />
! ベンゾジアゼピン系(ジアゼパム、クロナゼパム、クロバザムなど)<br />
| || || || || ◎ || || <br />
|-<br />
! エトスクシミド<br />
| || || ◎ || || || || <br />
|}<br />
<br />
<sup>*1</sup> グルタミン酸の神経末端からの放出障害。<br />
<sup>*2</sup> AMPA型グルタミン酸受容体阻害。<br />
<sup>*3</sup> NMDA型グルタミン酸受容体阻害。<br />
<br />
◎は主要な抗てんかん作用。±は補助的に作用している可能性あり。◯はその中間。<br />
<br />
文献<ref name=ref3 />,<ref name=日本神経学会>'''日本神経学会監修'''<br>「てんかん診療ガイドライン」委員会編集:てんかん診療ガイドライン2018<<br>医学書院, 2018 [https://www.neurology-jp.org/guidelinem/tenkan_2018.html]</ref>,<ref>'''大野行弘、松本理器''' <br>臨床薬学テキストシリーズ:神経・筋・精神・麻酔・鎮痛. 第1章 神経・筋疾患. B 疾患各論 ①てんかん. p 34-46. <br>中川書店)</ref>を元に作成。<br />
<br />
{| class="wikitable" style="text-align: left;<br />
|+表2. 抗てんかん薬の作用点による効果の特徴<br />
! 作用点 !! 薬剤名 !! 効果の特徴<br />
|-<br />
! 選択的Na<sup>+</sup>チャネル阻害薬<br />
| カルバマゼピン、フェニトイン ||rowspan="3"|選択的抗焦点性てんかん薬(特発性全般てんかん群は悪化させる可能性あり)<br />
|-<br />
! 選択的高電位活性型(非T型)Ca<sup>2+</sup>チャネル阻害薬<br />
| ガバペンチン<br />
|-<br />
! 選択的GABA代謝阻害薬<br />
| ビガバトリン<br />
|-<br />
! 複数の作用点をもつ薬剤<br>(初めの4つは抗グルタミン酸受容体作用あり)<br />
| トピラマート、ラモトリギン、バルプロ酸ナトリウム、ペランパネル、ゾニサミド ||rowspan="2"| 広域スペクトラム抗てんかん薬<br />
|-<br />
! 選択的シナプス小胞タンパク質作用薬<br />
| レベチラセタム<br />
|-<br />
! 選択的GABA<sub>A</sub>受容体活性化薬<br />
| フェノバルビタール、ベンゾジアゼピン系 || 全般的中枢神経抑制薬(高次脳機能の抑制を伴う)<br />
|-<br />
! 低電位活性型(T型)Ca<sup>2+</sup>チャネル阻害薬<br />
| エトスクシミド、バルプロ酸ナトリウム || 抗欠神発作薬<br />
|}<br />
<br />
文献<ref name=ref3 /><ref name=日本神経学会>'''日本神経学会監修'''<br>「てんかん診療ガイドライン」委員会編集:てんかん診療ガイドライン2018<<br>医学書院, 2018 [https://www.neurology-jp.org/guidelinem/tenkan_2018.html]</ref>を元に作成<br />
<br />
== 我が国での臨床における抗てんかん薬の現状 ==<br />
日本では、1989年発売のゾニサミド以降、長らく抗てんかん薬の開発は行われていなかったが、2000年にクロバザムが発売された。その後、いわゆる新規抗てんかん薬と呼ばれるガバペンチン(2006年)、トピラマート(2007年)、ラモトリギン(2008年)、レベチラセタム(2010年)の4剤が相次いで上市されたことから、てんかん治療の選択肢は格段に広がった<ref name=ref4>'''矢野育子、池田昭夫'''<br>新薬展望2017:第Ⅲ部 治療における最近の新薬の位置付け<薬効別>〜新薬の広場〜 抗てんかん薬<br>医薬ジャーナル 53,S-1, 2017</ref>。<br />
<br />
その後も、希少疾患である Dravet症候群に対するスチリペントールや、Lennox-Gastaut症候群に対するルフィナミドが発売され、2016年にはペランパネル、ビガバトリン、ラコサミド、オクスカルバゼピンの4剤が製造承認を受け、欧米でのガイドラインに沿った治療が行える環境となってきた(現在の日本のガイドラインは、<ref name=日本神経学会 />を参照)。<br />
<br />
また、欧米のてんかん重積状態の治療ガイドラインなどにおいて、第1選択薬としてあげられているロラゼパム静注製剤が、2019年2月に製造承認を受けた。<br />
<br />
== 治療の戦略 ==<br />
抗てんかん薬治療は単剤治療を原則とする。単剤治療で約半数の患者の発作が抑制される。単剤療法として承認されている主な抗てんかん薬は、カルバマゼピン、バルプロ酸ナトリウム、フェニトイン、クロナゼパム、ゾニサミド、フェノバルビタール、レベチラセタム、ラモトリギン、ラコサミド、ペランパネル(2020年2月時点)が挙げられる。焦点てんかんでみられる焦点起始発作(部分発作)では、カルバマゼピン、ラモトリギン、レベチラセタム、次いでゾニサミド、トピラマートが第一選択薬とされる。全般てんかんの強直間代発作ではバルプロ酸ナトリウム、欠神発作ではバルプロ酸ナトリウム、エトスクシミド、ミオクロニー発作ではバルプロ酸ナトリウム、クロナゼパムが第一選択薬とされる<ref name=日本神経学会 />。ただし、バルプロ酸ナトリウムは催奇形性を有するため、妊娠の可能性のある女性への投与は避ける必要がある。その場合、催奇形性の低いラモトリギンなどが推奨される。<br />
<br />
単剤で発作の抑制が不良な場合、合理的多剤併用療法を行う。合理的多剤併用療法とは、現在の使用薬とは異なる作用機序あるいは多くの作用機序を持つ薬剤の追加、副作用プロファイルが重ならない組み合わせ、相互作用が少ない組み合わせを考慮した併用療法のことである。そのてんかんに対し適切とされる抗てんかん薬を単剤あるいは多剤併用で副作用がない範囲の十分な血中濃度で2剤試みても一定期間(1年以上もしくは治療前の最長発作間隔の3倍以上の長いほう)発作を抑制できないてんかんを、薬剤抵抗性てんかんとよぶ(国際抗てんかん連盟が提唱する定義)。<br />
<br />
薬剤抵抗性てんかんに対しては、薬物療法の再検討(診断、薬剤選択、投与量、薬理動態に基づく抗てんかん薬の使用など)、およびてんかん外科(てんかん焦点切除術、脳梁離断術、迷走神経刺激療法など)などの他の治療法を検討する<ref name=日本神経学会 />。<br />
<br />
自己免疫介在性の病態であれば免疫療法(免疫グロブリン静注療法、ステロイド、免疫抑制剤など)が奏功する<ref><pubmed> 25036726</pubmed></ref><ref>'''坂本光弘、松本理器、十川純平、端祐一郎、武山博文、小林勝哉、下竹昭寛、近藤誉之、高橋良輔、池田昭夫'''<br>自己免疫性てんかんにおける診断アルゴリズムの提唱とその有用性の予備的検討<br>臨床神経学 2018;58:609-616.</ref>。<br />
<br />
==関連項目==<br />
* [[抗不安薬]]<br />
* [[気分安定薬]]<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
<references /></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E6%8A%97%E3%81%A6%E3%82%93%E3%81%8B%E3%82%93%E8%96%AC&diff=43807
抗てんかん薬
2020-04-01T08:10:04Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[https://researchmap.jp/7000019861/ 武山博文]</font><br><br />
''京都大学大学院医学研究科 呼吸管理睡眠制御学講座''<br><br />
<font size="+1">[https://researchmap.jp/_ukiyo 宇佐美清英]</font><br><br />
''京都大学大学院医学研究科 てんかん・運動異常生理学講座''<br><br />
<font size="+1">[https://researchmap.jp/matsumot_kyt 松本理器]</font><br><br />
''神戸大学大学院医学研究科 内科学講座 脳神経内科学分野''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2020年4月1日 原稿完成日:20XX年XX月X日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
{{box|text= 抗てんかん薬は、てんかんの病態を治癒に導くものではないが、てんかん発作の消失ないし頻度減少や、発作症状の程度の軽減などといった、発作抑制効果を患者にもたらす。抗てんかん薬の効果は、作用点との関連で、①電位依存型イオンチャネル、②配位依存型イオンチャネル(細胞膜に置かれた受容体の一種で、情報伝達物質が結合、すなわち配位することで機能するイオンチャネル)、③GABA代謝阻害、④シナプス小胞蛋白2A、の4つの大きなグループに分けられる。抗てんかん薬治療は単剤治療を原則とする。単剤治療で約半数の患者の発作が抑制される。単剤で発作の抑制が不良な場合、合理的多剤併用療法を行う。てんかん患者のうち 約30%は、既存の抗てんかん薬を組み合わせても発作抑制効果が不十分な薬剤抵抗性てんかんと言われている。薬剤抵抗性てんかんに対しては、薬物療法の再検討、およびてんかん外科(てんかん焦点切除術、脳梁離断術、迷走神経刺激療法など)などの他の治療法を検討する。自己免疫介在性の病態であれば免疫療法が奏功する。}}<br />
<br />
==抗てんかん薬とは==<br />
てんかんは、脳内の神経細胞の異常な電気的興奮に伴って痙攣や意識障害などが発作的に起こる慢性的な疾患である(脳科学辞典「てんかん」の項目も参照)。てんかんの有病率は一般に人口の0.5 ~ 1.0 %とされており、近年の我が国での健康保険組合の診療報酬情報の分析に基づく疫学研究でも、てんかん患者数は人口1000人あたり7.24人(人口の約0.7 %)と推計され<ref>厚生労働科学研究費補助金(障害者対策総合研究事業)総合研究<br>「てんかんの有病率等に関する疫学研究及び診療実態の分析と治療体制の整備に関する研究」報告書<br>研究代表者 大槻泰介 国立精神・神経医療研究センター てんかんセンター長, 2016</ref>、てんかんは頻度の高い神経疾患の一つである。<br />
<br />
抗てんかん薬は、てんかんの病態を治癒に導くものではないが、てんかん発作の消失ないし頻度減少や、発作症状の程度の軽減などといった、発作抑制効果を患者にもたらす。<br />
てんかん薬物治療においては、単剤治療を原則に、合理的多剤投与が行われている。しかし、てんかん患者のうち 約30%は、既存の抗てんかん薬を組み合わせても発作抑制効果が不十分な難治性てんかんと言われている。<br />
<br />
ここでは、抗てんかん薬の代表的な薬剤とその作用機序、我が国での臨床における現状、抗てんかん薬治療の戦略に焦点を当てて概説し、個々の抗てんかん薬については詳述しない。<br />
[[ファイル:Takeyama Fig 1.png|サムネイル|右|400px|'''図1. 抗てんかん薬の主な作用機序'''<br><br />
AMPA: α-amino-3-hydroxy-5-methyl-4-isoxazole propionic acid, GABA: γ-aminobutyric acid, NMDA: N-methyl-D-aspartate, SV2A: synaptic vesicle glycoprotein 2A.<br />
(文献<ref name=ref2 />より引用)]]<br />
== 作用機序 ==<br />
抗てんかん薬は、イオンチャネルに対して影響を与え、神経細胞の過剰興奮を抑制することでその発作抑制効果を発揮していると考えられている。その作用点は大きく7つが現在挙げられている。'''図1.'''に、抗てんかん薬の主な作用機序を示す<ref name=ref2>'''吉村元、松本理器'''<br>てんかんの新規治療薬<br>Annual Review神経2018 中外医学社、2018</ref>。'''表1.'''に主要な薬剤とイオンチャネルの関係で、比較的よくわかっているものをまとめた<ref name=ref3>'''兼本浩祐'''<br>てんかん学ハンドブック 第3版<br>医学書院, 2012</ref>。<br />
<br />
抗てんかん薬の効果は、'''表1.'''に整理したように、作用点との関連で、①電位依存型イオンチャネル、②配位依存型イオンチャネル、③GABA代謝阻害、④シナプス小胞タンパク質2A、の4つの大きなグループに分けて考えると理解しやすい。なお、配位依存型イオンチャネルとは、細胞膜に置かれた受容体の一種で、情報伝達物質が結合することで(配位されることで)機能するイオンチャネルのことである。<br />
<br />
選択的ナトリウム(Na<sup>+</sup>)チャネル阻害薬、選択的高電位活性型(非T型)カルシウム(Ca<sup>2+</sup>)チャネル阻害薬、選択的GABA代謝阻害薬は、いずれも焦点性てんかんに選択的に有効であるが、一方で特発性全般てんかん群を悪化させる場合がある。対照的に、選択的な低電位活性型(T型)カルシウムチャネル阻害薬は、欠神発作あるいは欠神脱力発作といった特発性の全般発作に選択的に有効性を示す。抗グルタミン酸受容体作用をもつ薬剤(トピラマート、ラモトリギン、バルプロ酸ナトリウム、ペランパネル)、シナプス小胞タンパク質に作用するとされるレベチラセタ、やNa<sup>+</sup>チャネル阻害作用と抗低電位活性型(T型)カルシウムチャネル阻害作用を有するゾニサミドは、抗焦点起始発作(部分発作)と抗全般起始発作(全般発作)作用を併せもち、広域スペクトラムの抗てんかん薬と位置づけられる。<br />
<br />
{| class="wikitable" style="text-align: center;<br />
|+表1. 抗てんかん薬の作用点<br />
!rowspan="2"| !!colspan="3"|電位依存型イオンチャネル !!colspan="2"|リガンド依存型イオンチャネル!!rowspan="2"|GABA代謝阻害!!rowspan="2"|シナプス小胞タンパク質2A<br />
|-<br />
! Na<sup>+</sup>チャネル || 高電位活性型(非T型)Ca<sup>2+</sup> || 低電位活性型(T型)Ca<sup>2+</sup> || グルタミン酸 || GABA<sub>A</sub><br />
|-<br />
! カルバマゼピン<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! オクスカルバマゼピン<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! フェニトイン<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! ガバペンチン<br />
| || ◯ || || || || ± || <br />
|-<br />
! ビガバトリン<br />
| || || || || || ◎ || <br />
|-<br />
! ラモトリギン<br />
| ◎ || ◯ || || ◯<sup>*1</sup> || || || <br />
|-<br />
! トピラマート<br />
| ◯ || ◯ || || ◯<sup>*2</sup> || ◯ || || <br />
|-<br />
! ペランパネル<br />
| || || || ◎<sup>*2</sup> || || || <br />
|-<br />
! ゾニサミド<br />
| ◎ || || ◯ || || || || <br />
|-<br />
! バルプロ酸ナトリウム<br />
| ◯ || || ◯ || ◯<sup>*3</sup> || || ◯ || <br />
|-<br />
! ラコサミド<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! レベチラセタム<br />
| || ± || || || ± || || ◎<br />
|-<br />
! フェノバルビタール<br />
| || ± || || ± || ◎ || || <br />
|-<br />
! ベンゾジアゼピン系(ジアゼパム、クロナゼパム、クロバザムなど)<br />
| || || || || ◎ || || <br />
|-<br />
! エトスクシミド<br />
| || || ◎ || || || || <br />
|}<br />
<br />
<sup>*1</sup> グルタミン酸の神経末端からの放出障害。<br />
<sup>*2</sup> AMPA型グルタミン酸受容体阻害。<br />
<sup>*3</sup> NMDA型グルタミン酸受容体阻害。<br />
<br />
◎は主要な抗てんかん作用。±は補助的に作用している可能性あり。◯はその中間。<br />
<br />
文献<ref name=ref3 />,<ref name=日本神経学会>'''日本神経学会監修'''<br>「てんかん診療ガイドライン」委員会編集:てんかん診療ガイドライン2018<<br>医学書院, 2018 [https://www.neurology-jp.org/guidelinem/tenkan_2018.html]</ref>,<ref>'''大野行弘、松本理器''' <br>臨床薬学テキストシリーズ:神経・筋・精神・麻酔・鎮痛. 第1章 神経・筋疾患. B 疾患各論 ①てんかん. p 34-46. <br>中川書店)</ref>を元に作成。<br />
<br />
{| class="wikitable" style="text-align: left;<br />
|+表2. 抗てんかん薬の作用点による効果の特徴<br />
! 作用点 !! 薬剤名 !! 効果の特徴<br />
|-<br />
! 選択的Na<sup>+</sup>チャネル阻害薬<br />
| カルバマゼピン、フェニトイン ||rowspan="3"|選択的抗焦点性てんかん薬(特発性全般てんかん群は悪化させる可能性あり)<br />
|-<br />
! 選択的高電位活性型(非T型)Ca<sup>2+</sup>チャネル阻害薬<br />
| ガバペンチン<br />
|-<br />
! 選択的GABA代謝阻害薬<br />
| ビガバトリン<br />
|-<br />
! 複数の作用点をもつ薬剤<br>(初めの4つは抗グルタミン酸受容体作用あり)<br />
| トピラマート、ラモトリギン、バルプロ酸ナトリウム、ペランパネル、ゾニサミド ||rowspan="2"| 広域スペクトラム抗てんかん薬<br />
|-<br />
! 選択的シナプス小胞タンパク質作用薬<br />
| レベチラセタム<br />
|-<br />
! 選択的GABA<sub>A</sub>受容体活性化薬<br />
| フェノバルビタール、ベンゾジアゼピン系 || 全般的中枢神経抑制薬(高次脳機能の抑制を伴う)<br />
|-<br />
! 低電位活性型(T型)Ca<sup>2+</sup>チャネル阻害薬<br />
| エトスクシミド、バルプロ酸ナトリウム || 抗欠神発作薬<br />
|}<br />
<br />
文献<ref name=ref3 /><ref name=ref4 />を元に作成<br />
<br />
== 我が国での臨床における抗てんかん薬の現状 ==<br />
日本では、1989年発売のゾニサミド以降、長らく抗てんかん薬の開発は行われていなかったが、2000年にクロバザムが発売された。その後、いわゆる新規抗てんかん薬と呼ばれるガバペンチン(2006年)、トピラマート(2007年)、ラモトリギン(2008年)、レベチラセタム(2010年)の4剤が相次いで上市されたことから、てんかん治療の選択肢は格段に広がった<ref name=ref4>'''矢野育子、池田昭夫'''<br>新薬展望2017:第Ⅲ部 治療における最近の新薬の位置付け<薬効別>〜新薬の広場〜 抗てんかん薬<br>医薬ジャーナル 53,S-1, 2017</ref>。<br />
<br />
その後も、希少疾患である Dravet症候群に対するスチリペントールや、Lennox-Gastaut症候群に対するルフィナミドが発売され、2016年にはペランパネル、ビガバトリン、ラコサミド、オクスカルバゼピンの4剤が製造承認を受け、欧米でのガイドラインに沿った治療が行える環境となってきた(現在の日本のガイドラインは、<ref name=日本神経学会 />を参照)。<br />
<br />
また、欧米のてんかん重積状態の治療ガイドラインなどにおいて、第1選択薬としてあげられているロラゼパム静注製剤が、2019年2月に製造承認を受けた。<br />
<br />
== 治療の戦略 ==<br />
抗てんかん薬治療は単剤治療を原則とする。単剤治療で約半数の患者の発作が抑制される。単剤療法として承認されている主な抗てんかん薬は、カルバマゼピン、バルプロ酸ナトリウム、フェニトイン、クロナゼパム、ゾニサミド、フェノバルビタール、レベチラセタム、ラモトリギン、ラコサミド、ペランパネル(2020年2月時点)が挙げられる。焦点てんかんでみられる焦点起始発作(部分発作)では、カルバマゼピン、ラモトリギン、レベチラセタム、次いでゾニサミド、トピラマートが第一選択薬とされる。全般てんかんの強直間代発作ではバルプロ酸ナトリウム、欠神発作ではバルプロ酸ナトリウム、エトスクシミド、ミオクロニー発作ではバルプロ酸ナトリウム、クロナゼパムが第一選択薬とされる<ref name=日本神経学会 />。ただし、バルプロ酸ナトリウムは催奇形性を有するため、妊娠の可能性のある女性への投与は避ける必要がある。その場合、催奇形性の低いラモトリギンなどが推奨される。<br />
<br />
単剤で発作の抑制が不良な場合、合理的多剤併用療法を行う。合理的多剤併用療法とは、現在の使用薬とは異なる作用機序あるいは多くの作用機序を持つ薬剤の追加、副作用プロファイルが重ならない組み合わせ、相互作用が少ない組み合わせを考慮した併用療法のことである。そのてんかんに対し適切とされる抗てんかん薬を単剤あるいは多剤併用で副作用がない範囲の十分な血中濃度で2剤試みても一定期間(1年以上もしくは治療前の最長発作間隔の3倍以上の長いほう)発作を抑制できないてんかんを、薬剤抵抗性てんかんとよぶ(国際抗てんかん連盟が提唱する定義)。<br />
<br />
薬剤抵抗性てんかんに対しては、薬物療法の再検討(診断、薬剤選択、投与量、薬理動態に基づく抗てんかん薬の使用など)、およびてんかん外科(てんかん焦点切除術、脳梁離断術、迷走神経刺激療法など)などの他の治療法を検討する<ref name=日本神経学会 />。<br />
<br />
自己免疫介在性の病態であれば免疫療法(免疫グロブリン静注療法、ステロイド、免疫抑制剤など)が奏功する<ref><pubmed> 25036726</pubmed></ref><ref>'''坂本光弘、松本理器、十川純平、端祐一郎、武山博文、小林勝哉、下竹昭寛、近藤誉之、高橋良輔、池田昭夫'''<br>自己免疫性てんかんにおける診断アルゴリズムの提唱とその有用性の予備的検討<br>臨床神経学 2018;58:609-616.</ref>。<br />
<br />
==関連項目==<br />
* [[抗不安薬]]<br />
* [[気分安定薬]]<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
<references /></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E6%8A%97%E3%81%A6%E3%82%93%E3%81%8B%E3%82%93%E8%96%AC&diff=43806
抗てんかん薬
2020-04-01T07:52:30Z
<p>Makotourushitani: /* 作用機序 */</p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[https://researchmap.jp/7000019861/ 武山博文]</font><br><br />
''京都大学大学院医学研究科 呼吸管理睡眠制御学講座''<br><br />
<font size="+1">[https://researchmap.jp/_ukiyo 宇佐美清英]</font><br><br />
''京都大学大学院医学研究科 てんかん・運動異常生理学講座''<br><br />
<font size="+1">[https://researchmap.jp/matsumot_kyt 松本理器]</font><br><br />
''神戸大学大学院医学研究科 内科学講座 脳神経内科学分野''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2020年4月1日 原稿完成日:20XX年XX月X日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 内科学講座 脳神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
{{box|text= 抗てんかん薬は、てんかんの病態を治癒に導くものではないが、てんかん発作の消失ないし頻度減少や、発作症状の程度の軽減などといった、発作抑制効果を患者にもたらす。抗てんかん薬の効果は、作用点との関連で、①電位依存型イオンチャネル、②リガンド(配位子)依存型イオンチャネル(細胞膜に置かれた受容体の一種で、情報伝達物質がリガンドとして結合、すなわち配位することで機能するイオンチャネル)、③GABA代謝阻害、④シナプス小胞蛋白2A、の4つの大きなグループに分けられる。抗てんかん薬治療は単剤治療を原則とする。単剤治療で約半数の患者の発作が抑制される。単剤で発作の抑制が不良な場合、合理的多剤併用療法を行う。てんかん患者のうち 約30%は、既存の抗てんかん薬を組み合わせても発作抑制効果が不十分な薬剤抵抗性てんかんと言われている。薬剤抵抗性てんかんに対しては、薬物療法の再検討、およびてんかん外科(てんかん焦点切除術、脳梁離断術、迷走神経刺激療法など)などの他の治療法を検討する。自己免疫介在性の病態であれば免疫療法が奏功する。}}<br />
<br />
==抗てんかん薬とは==<br />
てんかんは、脳内の神経細胞の異常な電気的興奮に伴って痙攣や意識障害などが発作的に起こる慢性的な疾患である(脳科学辞典「てんかん」の項目も参照)。てんかんの有病率は一般に人口の0.5 ~ 1.0 %とされており、近年の我が国での健康保険組合の診療報酬情報の分析に基づく疫学研究でも、てんかん患者数は人口1000人あたり7.24人(人口の約0.7 %)と推計され<ref>厚生労働科学研究費補助金(障害者対策総合研究事業)総合研究<br>「てんかんの有病率等に関する疫学研究及び診療実態の分析と治療体制の整備に関する研究」報告書<br>研究代表者 大槻泰介 国立精神・神経医療研究センター てんかんセンター長, 2016</ref>、てんかんは頻度の高い神経疾患の一つである。<br />
<br />
抗てんかん薬は、てんかんの病態を治癒に導くものではないが、てんかん発作の消失ないし頻度減少や、発作症状の程度の軽減などといった、発作抑制効果を患者にもたらす。<br />
てんかん薬物治療においては、単剤治療を原則に、合理的多剤投与が行われている。しかし、てんかん患者のうち 約30%は、既存の抗てんかん薬を組み合わせても発作抑制効果が不十分な難治性てんかんと言われている。<br />
<br />
ここでは、抗てんかん薬の代表的な薬剤とその作用機序、我が国での臨床における現状、抗てんかん薬治療の戦略に焦点を当てて概説し、個々の抗てんかん薬については詳述しない。<br />
[[ファイル:Takeyama Fig 1.png|サムネイル|右|400px|'''図1. 抗てんかん薬の主な作用機序'''<br><br />
AMPA: α-amino-3-hydroxy-5-methyl-4-isoxazole propionic acid, GABA: γ-aminobutyric acid, NMDA: N-methyl-D-aspartate, SV2A: synaptic vesicle glycoprotein 2A.<br />
(文献<ref name=ref2 />より引用)]]<br />
== 作用機序 ==<br />
抗てんかん薬は、イオンチャネルに対して影響を与え、神経細胞の過剰興奮を抑制することでその発作抑制効果を発揮していると考えられている。その作用点は大きく7つが現在挙げられている。'''図1.'''に、抗てんかん薬の主な作用機序を示す<ref name=ref2>'''吉村元、松本理器'''<br>てんかんの新規治療薬<br>Annual Review神経2018 中外医学社、2018</ref>。'''表1.'''に主要な薬剤とイオンチャネルの関係で、比較的よくわかっているものを、'''表2.'''に抗てんかん薬の作用点による効果の特徴をまとめた<ref name=ref3>'''兼本浩祐'''<br>てんかん学ハンドブック 第3版<br>医学書院, 2012</ref>。<br />
<br />
抗てんかん薬の効果は、'''表1.'''に整理したように、作用点との関連で、①電位依存型イオンチャネル、②リガンド(配位子)依存型イオンチャネル、③GABA代謝阻害、④シナプス小胞タンパク質2A、の4つの大きなグループに分けて考えると理解しやすい。なお、リガンド依存型イオンチャネルとは、細胞膜に置かれた受容体の一種で、情報伝達物質が結合する(配位される)ことで機能するイオンチャネルのことである。<br />
<br />
選択的ナトリウム(Na<sup>+</sup>)チャネル阻害薬、選択的高電位活性型(非T型)カルシウム(Ca<sup>2+</sup>)チャネル阻害薬、選択的GABA代謝阻害薬は、いずれも焦点性てんかんに選択的に有効であるが、一方で特発性全般てんかん群を悪化させる場合がある。対照的に、選択的な低電位活性型(T型)カルシウムチャネル阻害薬は、欠神発作あるいは欠神脱力発作といった特発性の全般発作に選択的に有効性を示す。抗グルタミン酸受容体作用をもつ薬剤(トピラマート、ラモトリギン、バルプロ酸ナトリウム、ペランパネル)、シナプス小胞タンパク質に作用するとされるレベチラセタ、やNa<sup>+</sup>チャネル阻害作用と抗低電位活性型(T型)カルシウムチャネル阻害作用を有するゾニサミドは、抗焦点起始発作(部分発作)と抗全般起始発作(全般発作)作用を併せもち、広域スペクトラムの抗てんかん薬と位置づけられる。<br />
<br />
{| class="wikitable" style="text-align: center;<br />
|+表1. 抗てんかん薬の作用点<br />
!rowspan="2"| !!colspan="3"|電位依存型イオンチャネル !!colspan="2"|リガンド依存型イオンチャネル!!rowspan="2"|GABA代謝阻害!!rowspan="2"|シナプス小胞タンパク質2A<br />
|-<br />
! Na<sup>+</sup>チャネル || 高電位活性型(非T型)Ca<sup>2+</sup> || 低電位活性型(T型)Ca<sup>2+</sup> || グルタミン酸 || GABA<sub>A</sub><br />
|-<br />
! カルバマゼピン<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! オクスカルバマゼピン<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! フェニトイン<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! ガバペンチン<br />
| || ◯ || || || || ± || <br />
|-<br />
! ビガバトリン<br />
| || || || || || ◎ || <br />
|-<br />
! ラモトリギン<br />
| ◎ || ◯ || || ◯<sup>*1</sup> || || || <br />
|-<br />
! トピラマート<br />
| ◯ || ◯ || || ◯<sup>*2</sup> || ◯ || || <br />
|-<br />
! ペランパネル<br />
| || || || ◎<sup>*2</sup> || || || <br />
|-<br />
! ゾニサミド<br />
| ◎ || || ◯ || || || || <br />
|-<br />
! バルプロ酸ナトリウム<br />
| ◯ || || ◯ || ◯<sup>*3</sup> || || ◯ || <br />
|-<br />
! ラコサミド<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! レベチラセタム<br />
| || ± || || || ± || || ◎<br />
|-<br />
! フェノバルビタール<br />
| || ± || || ± || ◎ || || <br />
|-<br />
! ベンゾジアゼピン系(ジアゼパム、クロナゼパム、クロバザムなど)<br />
| || || || || ◎ || || <br />
|-<br />
! エトスクシミド<br />
| || || ◎ || || || || <br />
|}<br />
<br />
<sup>*1</sup> グルタミン酸の神経末端からの放出障害。<br />
<sup>*2</sup> AMPA型グルタミン酸受容体阻害。<br />
<sup>*3</sup> NMDA型グルタミン酸受容体阻害。<br />
<br />
◎は主要な抗てんかん作用。±は補助的に作用している可能性あり。◯はその中間。<br />
<br />
文献<ref name=ref3 />,<ref name=日本神経学会>'''日本神経学会監修'''<br>「てんかん診療ガイドライン」委員会編集:てんかん診療ガイドライン2018<<br>医学書院, 2018 [https://www.neurology-jp.org/guidelinem/tenkan_2018.html]</ref>,<ref>'''大野行弘、松本理器''' <br>臨床薬学テキストシリーズ:神経・筋・精神・麻酔・鎮痛. 第1章 神経・筋疾患. B 疾患各論 ①てんかん. p 34-46. <br>中川書店)</ref>を元に作成。<br />
<br />
{| class="wikitable" style="text-align: left;<br />
|+表2. 抗てんかん薬の作用点による効果の特徴<br />
! 作用点 !! 薬剤名 !! 効果の特徴<br />
|-<br />
! 選択的Na<sup>+</sup>チャネル阻害薬<br />
| カルバマゼピン、フェニトイン ||rowspan="3"|選択的抗焦点性てんかん薬(特発性全般てんかん群は悪化させる可能性あり)<br />
|-<br />
! 選択的高電位活性型(非T型)Ca<sup>2+</sup>チャネル阻害薬<br />
| ガバペンチン<br />
|-<br />
! 選択的GABA代謝阻害薬<br />
| ビガバトリン<br />
|-<br />
! 複数の作用点をもつ薬剤<br>(初めの4つは抗グルタミン酸受容体作用あり)<br />
| トピラマート、ラモトリギン、バルプロ酸ナトリウム、ペランパネル、ゾニサミド ||rowspan="2"| 広域スペクトラム抗てんかん薬<br />
|-<br />
! 選択的シナプス小胞タンパク質作用薬<br />
| レベチラセタム<br />
|-<br />
! 選択的GABA<sub>A</sub>受容体活性化薬<br />
| フェノバルビタール、ベンゾジアゼピン系 || 全般的中枢神経抑制薬(高次脳機能の抑制を伴う)<br />
|-<br />
! 低電位活性型(T型)Ca<sup>2+</sup>チャネル阻害薬<br />
| エトスクシミド、バルプロ酸ナトリウム || 抗欠神発作薬<br />
|}<br />
<br />
文献<ref name=ref3 />から改変して引用<br />
<br />
== 我が国での臨床における抗てんかん薬の現状 ==<br />
日本では、1989年発売のゾニサミド以降、長らく抗てんかん薬の開発は行われていなかったが、2000年にクロバザムが発売された。その後、いわゆる新規抗てんかん薬と呼ばれるガバペンチン(2006年)、トピラマート(2007年)、ラモトリギン(2008年)、レベチラセタム(2010年)の4剤が相次いで上市されたことから、てんかん治療の選択肢は格段に広がった<ref name=ref4>'''矢野育子、池田昭夫'''<br>新薬展望2017:第Ⅲ部 治療における最近の新薬の位置付け<薬効別>〜新薬の広場〜 抗てんかん薬<br>医薬ジャーナル 53,S-1, 2017</ref>。<br />
<br />
その後も、希少疾患である Dravet症候群に対するスチリペントールや、Lennox-Gastaut症候群に対するルフィナミドが発売され、2016年にはペランパネル、ビガバトリン、ラコサミド、オクスカルバゼピンの4剤が製造承認を受け、欧米でのガイドラインに沿った治療が行える環境となってきた(現在の日本のガイドラインは、<ref name=日本神経学会 />を参照)。<br />
<br />
また、欧米のてんかん重積状態の治療ガイドラインなどにおいて、第1選択薬としてあげられているロラゼパム静注製剤が、2019年2月に製造承認を受けた。<br />
<br />
== 治療の戦略 ==<br />
抗てんかん薬治療は単剤治療を原則とする。単剤治療で約半数の患者の発作が抑制される。単剤療法として承認されている主な抗てんかん薬は、カルバマゼピン、バルプロ酸ナトリウム、フェニトイン、クロナゼパム、ゾニサミド、フェノバルビタール、レベチラセタム、ラモトリギン、ラコサミド、ペランパネル(2020年2月時点)が挙げられる。焦点てんかんでみられる焦点起始発作(部分発作)では、カルバマゼピン、ラモトリギン、レベチラセタム、次いでゾニサミド、トピラマートが第一選択薬とされる。全般てんかんの強直間代発作ではバルプロ酸ナトリウム、欠神発作ではバルプロ酸ナトリウム、エトスクシミド、ミオクロニー発作ではバルプロ酸ナトリウム、クロナゼパムが第一選択薬とされる<ref name=日本神経学会 />。ただし、バルプロ酸ナトリウムは催奇形性を有するため、妊娠の可能性のある女性への投与は避ける必要がある。その場合、催奇形性の低いラモトリギンなどが推奨される。<br />
<br />
単剤で発作の抑制が不良な場合、合理的多剤併用療法を行う。合理的多剤併用療法とは、現在の使用薬とは異なる作用機序あるいは多くの作用機序を持つ薬剤の追加、副作用プロファイルが重ならない組み合わせ、相互作用が少ない組み合わせを考慮した併用療法のことである。そのてんかんに対し適切とされる抗てんかん薬を単剤あるいは多剤併用で副作用がない範囲の十分な血中濃度で2剤試みても一定期間(1年以上もしくは治療前の最長発作間隔の3倍以上の長いほう)発作を抑制できないてんかんを、薬剤抵抗性てんかんとよぶ(国際抗てんかん連盟が提唱する定義)。<br />
<br />
薬剤抵抗性てんかんに対しては、薬物療法の再検討(診断、薬剤選択、投与量、薬理動態に基づく抗てんかん薬の使用など)、およびてんかん外科(てんかん焦点切除術、脳梁離断術、迷走神経刺激療法など)などの他の治療法を検討する<ref name=日本神経学会 />。<br />
<br />
自己免疫介在性の病態であれば免疫療法(免疫グロブリン静注療法、ステロイド、免疫抑制剤など)が奏功する<ref><pubmed> 25036726</pubmed></ref><ref>'''坂本光弘、松本理器、十川純平、端祐一郎、武山博文、小林勝哉、下竹昭寛、近藤誉之、高橋良輔、池田昭夫'''<br>自己免疫性てんかんにおける診断アルゴリズムの提唱とその有用性の予備的検討<br>臨床神経学 2018;58:609-616.</ref>。<br />
<br />
==関連項目==<br />
* [[抗不安薬]]<br />
* [[気分安定薬]]<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
<references /></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E6%8A%97%E3%81%A6%E3%82%93%E3%81%8B%E3%82%93%E8%96%AC&diff=43805
抗てんかん薬
2020-04-01T07:34:27Z
<p>Makotourushitani: /* 作用機序 */</p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[https://researchmap.jp/7000019861/ 武山博文]</font><br><br />
''京都大学大学院医学研究科 呼吸管理睡眠制御学講座''<br><br />
<font size="+1">[https://researchmap.jp/_ukiyo 宇佐美清英]</font><br><br />
''京都大学大学院医学研究科 てんかん・運動異常生理学講座''<br><br />
<font size="+1">[https://researchmap.jp/matsumot_kyt 松本理器]</font><br><br />
''神戸大学大学院医学研究科 内科学講座 脳神経内科学分野''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2020年4月1日 原稿完成日:20XX年XX月X日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 内科学講座 脳神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
{{box|text= 抗てんかん薬は、てんかんの病態を治癒に導くものではないが、てんかん発作の消失ないし頻度減少や、発作症状の程度の軽減などといった、発作抑制効果を患者にもたらす。抗てんかん薬の効果は、作用点との関連で、①電位依存型イオンチャネル、②リガンド(配位子)依存型イオンチャネル(細胞膜に置かれた受容体の一種で、情報伝達物質がリガンドとして結合、すなわち配位することで機能するイオンチャネル)、③GABA代謝阻害、④シナプス小胞蛋白2A、の4つの大きなグループに分けられる。抗てんかん薬治療は単剤治療を原則とする。単剤治療で約半数の患者の発作が抑制される。単剤で発作の抑制が不良な場合、合理的多剤併用療法を行う。てんかん患者のうち 約30%は、既存の抗てんかん薬を組み合わせても発作抑制効果が不十分な薬剤抵抗性てんかんと言われている。薬剤抵抗性てんかんに対しては、薬物療法の再検討、およびてんかん外科(てんかん焦点切除術、脳梁離断術、迷走神経刺激療法など)などの他の治療法を検討する。自己免疫介在性の病態であれば免疫療法が奏功する。}}<br />
<br />
==抗てんかん薬とは==<br />
てんかんは、脳内の神経細胞の異常な電気的興奮に伴って痙攣や意識障害などが発作的に起こる慢性的な疾患である(脳科学辞典「てんかん」の項目も参照)。てんかんの有病率は一般に人口の0.5 ~ 1.0 %とされており、近年の我が国での健康保険組合の診療報酬情報の分析に基づく疫学研究でも、てんかん患者数は人口1000人あたり7.24人(人口の約0.7 %)と推計され<ref>厚生労働科学研究費補助金(障害者対策総合研究事業)総合研究<br>「てんかんの有病率等に関する疫学研究及び診療実態の分析と治療体制の整備に関する研究」報告書<br>研究代表者 大槻泰介 国立精神・神経医療研究センター てんかんセンター長, 2016</ref>、てんかんは頻度の高い神経疾患の一つである。<br />
<br />
抗てんかん薬は、てんかんの病態を治癒に導くものではないが、てんかん発作の消失ないし頻度減少や、発作症状の程度の軽減などといった、発作抑制効果を患者にもたらす。<br />
てんかん薬物治療においては、単剤治療を原則に、合理的多剤投与が行われている。しかし、てんかん患者のうち 約30%は、既存の抗てんかん薬を組み合わせても発作抑制効果が不十分な難治性てんかんと言われている。<br />
<br />
ここでは、抗てんかん薬の代表的な薬剤とその作用機序、我が国での臨床における現状、抗てんかん薬治療の戦略に焦点を当てて概説し、個々の抗てんかん薬については詳述しない。<br />
[[ファイル:Takeyama Fig 1.png|サムネイル|右|400px|'''図1. 抗てんかん薬の主な作用機序'''<br><br />
AMPA: α-amino-3-hydroxy-5-methyl-4-isoxazole propionic acid, GABA: γ-aminobutyric acid, NMDA: N-methyl-D-aspartate, SV2A: synaptic vesicle glycoprotein 2A.<br />
(文献<ref name=ref2 />より引用)]]<br />
== 作用機序 ==<br />
抗てんかん薬は、イオンチャネルに対して影響を与え、神経細胞の過剰興奮を抑制することでその発作抑制効果を発揮していると考えられている。その作用点は大きく7つが現在挙げられている。'''図1.'''に、抗てんかん薬の主な作用機序を示す<ref name=ref2>'''吉村元、松本理器'''<br>てんかんの新規治療薬<br>Annual Review神経2018 中外医学社、2018</ref>。'''表1.'''に主要な薬剤とイオンチャネルの関係で、比較的よくわかっているものをまとめた<ref name=ref3>'''兼本浩祐'''<br>てんかん学ハンドブック 第3版<br>医学書院, 2012</ref>。<br />
<br />
抗てんかん薬の効果は、'''表1.'''に整理したように、作用点との関連で、①電位依存型イオンチャネル、②リガンド(配位子)依存型イオンチャネル、③GABA代謝阻害、④シナプス小胞タンパク質2A、の4つの大きなグループに分けて考えると理解しやすい。なお、リガンド依存型イオンチャネルとは、細胞膜に置かれた受容体の一種で、情報伝達物質が結合する(配位される)ことで機能するイオンチャネルのことである。<br />
<br />
選択的ナトリウム(Na<sup>+</sup>)チャネル阻害薬、選択的高電位活性型(非T型)カルシウム(Ca<sup>2+</sup>)チャネル阻害薬、選択的GABA代謝阻害薬は、いずれも焦点性てんかんに選択的に有効であるが、一方で特発性全般てんかん群を悪化させる場合がある。対照的に、選択的な低電位活性型(T型)カルシウムチャネル阻害薬は、欠神発作あるいは欠神脱力発作といった特発性の全般発作に選択的に有効性を示す。抗グルタミン酸受容体作用をもつ薬剤(トピラマート、ラモトリギン、バルプロ酸ナトリウム、ペランパネル)、シナプス小胞タンパク質に作用するとされるレベチラセタ、やNa<sup>+</sup>チャネル阻害作用と抗低電位活性型(T型)カルシウムチャネル阻害作用を有するゾニサミドは、抗焦点起始発作(部分発作)と抗全般起始発作(全般発作)作用を併せもち、広域スペクトラムの抗てんかん薬と位置づけられる。<br />
<br />
{| class="wikitable" style="text-align: center;<br />
|+表1. 抗てんかん薬の作用点<br />
!rowspan="2"| !!colspan="3"|電位依存型イオンチャネル !!colspan="2"|リガンド依存型イオンチャネル!!rowspan="2"|GABA代謝阻害!!rowspan="2"|シナプス小胞タンパク質2A<br />
|-<br />
! Na<sup>+</sup>チャネル || 高電位活性型(非T型)Ca<sup>2+</sup> || 低電位活性型(T型)Ca<sup>2+</sup> || グルタミン酸 || GABA<sub>A</sub><br />
|-<br />
! カルバマゼピン<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! オクスカルバマゼピン<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! フェニトイン<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! ガバペンチン<br />
| || ◯ || || || || ± || <br />
|-<br />
! ビガバトリン<br />
| || || || || || ◎ || <br />
|-<br />
! ラモトリギン<br />
| ◎ || ◯ || || ◯<sup>*1</sup> || || || <br />
|-<br />
! トピラマート<br />
| ◯ || ◯ || || ◯<sup>*2</sup> || ◯ || || <br />
|-<br />
! ペランパネル<br />
| || || || ◎<sup>*2</sup> || || || <br />
|-<br />
! ゾニサミド<br />
| ◎ || || ◯ || || || || <br />
|-<br />
! バルプロ酸ナトリウム<br />
| ◯ || || ◯ || ◯<sup>*3</sup> || || ◯ || <br />
|-<br />
! ラコサミド<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! レベチラセタム<br />
| || ± || || || ± || || ◎<br />
|-<br />
! フェノバルビタール<br />
| || ± || || ± || ◎ || || <br />
|-<br />
! ベンゾジアゼピン系(ジアゼパム、クロナゼパム、クロバザムなど)<br />
| || || || || ◎ || || <br />
|-<br />
! エトスクシミド<br />
| || || ◎ || || || || <br />
|}<br />
<br />
<sup>*1</sup> グルタミン酸の神経末端からの放出障害。<br />
<sup>*2</sup> AMPA型グルタミン酸受容体阻害。<br />
<sup>*3</sup> NMDA型グルタミン酸受容体阻害。<br />
<br />
◎は主要な抗てんかん作用。±は補助的に作用している可能性あり。◯はその中間。<br />
<br />
文献<ref name=ref3 />,<ref name=日本神経学会>'''日本神経学会監修'''<br>「てんかん診療ガイドライン」委員会編集:てんかん診療ガイドライン2018<<br>医学書院, 2018 [https://www.neurology-jp.org/guidelinem/tenkan_2018.html]</ref>,<ref>'''大野行弘、松本理器''' <br>臨床薬学テキストシリーズ:神経・筋・精神・麻酔・鎮痛. 第1章 神経・筋疾患. B 疾患各論 ①てんかん. p 34-46. <br>中川書店)</ref>を元に作成。<br />
<br />
{| class="wikitable" style="text-align: left;<br />
|+表2. 抗てんかん薬の作用点による効果の特徴<br />
! 作用点 !! 薬剤名 !! 効果の特徴<br />
|-<br />
! 選択的Na<sup>+</sup>チャネル阻害薬<br />
| カルバマゼピン、フェニトイン ||rowspan="3"|選択的抗焦点性てんかん薬(特発性全般てんかん群は悪化させる可能性あり)<br />
|-<br />
! 選択的高電位活性型(非T型)Ca<sup>2+</sup>チャネル阻害薬<br />
| ガバペンチン<br />
|-<br />
! 選択的GABA代謝阻害薬<br />
| ビガバトリン<br />
|-<br />
! 複数の作用点をもつ薬剤<br>(初めの4つは抗グルタミン酸受容体作用あり)<br />
| トピラマート、ラモトリギン、バルプロ酸ナトリウム、ペランパネル、ゾニサミド ||rowspan="2"| 広域スペクトラム抗てんかん薬<br />
|-<br />
! 選択的シナプス小胞タンパク質作用薬<br />
| レベチラセタム<br />
|-<br />
! 選択的GABA<sub>A</sub>受容体活性化薬<br />
| フェノバルビタール、ベンゾジアゼピン系 || 全般的中枢神経抑制薬(高次脳機能の抑制を伴う)<br />
|-<br />
! 低電位活性型(T型)Ca<sup>2+</sup>チャネル阻害薬<br />
| エトスクシミド、バルプロ酸ナトリウム || 抗欠神発作薬<br />
|}<br />
<br />
文献<ref name=ref3 />から改変して引用<br />
<br />
== 我が国での臨床における抗てんかん薬の現状 ==<br />
日本では、1989年発売のゾニサミド以降、長らく抗てんかん薬の開発は行われていなかったが、2000年にクロバザムが発売された。その後、いわゆる新規抗てんかん薬と呼ばれるガバペンチン(2006年)、トピラマート(2007年)、ラモトリギン(2008年)、レベチラセタム(2010年)の4剤が相次いで上市されたことから、てんかん治療の選択肢は格段に広がった<ref name=ref4>'''矢野育子、池田昭夫'''<br>新薬展望2017:第Ⅲ部 治療における最近の新薬の位置付け<薬効別>〜新薬の広場〜 抗てんかん薬<br>医薬ジャーナル 53,S-1, 2017</ref>。<br />
<br />
その後も、希少疾患である Dravet症候群に対するスチリペントールや、Lennox-Gastaut症候群に対するルフィナミドが発売され、2016年にはペランパネル、ビガバトリン、ラコサミド、オクスカルバゼピンの4剤が製造承認を受け、欧米でのガイドラインに沿った治療が行える環境となってきた(現在の日本のガイドラインは、<ref name=日本神経学会 />を参照)。<br />
<br />
また、欧米のてんかん重積状態の治療ガイドラインなどにおいて、第1選択薬としてあげられているロラゼパム静注製剤が、2019年2月に製造承認を受けた。<br />
<br />
== 治療の戦略 ==<br />
抗てんかん薬治療は単剤治療を原則とする。単剤治療で約半数の患者の発作が抑制される。単剤療法として承認されている主な抗てんかん薬は、カルバマゼピン、バルプロ酸ナトリウム、フェニトイン、クロナゼパム、ゾニサミド、フェノバルビタール、レベチラセタム、ラモトリギン、ラコサミド、ペランパネル(2020年2月時点)が挙げられる。焦点てんかんでみられる焦点起始発作(部分発作)では、カルバマゼピン、ラモトリギン、レベチラセタム、次いでゾニサミド、トピラマートが第一選択薬とされる。全般てんかんの強直間代発作ではバルプロ酸ナトリウム、欠神発作ではバルプロ酸ナトリウム、エトスクシミド、ミオクロニー発作ではバルプロ酸ナトリウム、クロナゼパムが第一選択薬とされる<ref name=日本神経学会 />。ただし、バルプロ酸ナトリウムは催奇形性を有するため、妊娠の可能性のある女性への投与は避ける必要がある。その場合、催奇形性の低いラモトリギンなどが推奨される。<br />
<br />
単剤で発作の抑制が不良な場合、合理的多剤併用療法を行う。合理的多剤併用療法とは、現在の使用薬とは異なる作用機序あるいは多くの作用機序を持つ薬剤の追加、副作用プロファイルが重ならない組み合わせ、相互作用が少ない組み合わせを考慮した併用療法のことである。そのてんかんに対し適切とされる抗てんかん薬を単剤あるいは多剤併用で副作用がない範囲の十分な血中濃度で2剤試みても一定期間(1年以上もしくは治療前の最長発作間隔の3倍以上の長いほう)発作を抑制できないてんかんを、薬剤抵抗性てんかんとよぶ(国際抗てんかん連盟が提唱する定義)。<br />
<br />
薬剤抵抗性てんかんに対しては、薬物療法の再検討(診断、薬剤選択、投与量、薬理動態に基づく抗てんかん薬の使用など)、およびてんかん外科(てんかん焦点切除術、脳梁離断術、迷走神経刺激療法など)などの他の治療法を検討する<ref name=日本神経学会 />。<br />
<br />
自己免疫介在性の病態であれば免疫療法(免疫グロブリン静注療法、ステロイド、免疫抑制剤など)が奏功する<ref><pubmed> 25036726</pubmed></ref><ref>'''坂本光弘、松本理器、十川純平、端祐一郎、武山博文、小林勝哉、下竹昭寛、近藤誉之、高橋良輔、池田昭夫'''<br>自己免疫性てんかんにおける診断アルゴリズムの提唱とその有用性の予備的検討<br>臨床神経学 2018;58:609-616.</ref>。<br />
<br />
==関連項目==<br />
* [[抗不安薬]]<br />
* [[気分安定薬]]<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
<references /></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E6%8A%97%E3%81%A6%E3%82%93%E3%81%8B%E3%82%93%E8%96%AC&diff=43804
抗てんかん薬
2020-04-01T07:29:01Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[https://researchmap.jp/7000019861/ 武山博文]</font><br><br />
''京都大学大学院医学研究科 呼吸管理睡眠制御学講座''<br><br />
<font size="+1">[https://researchmap.jp/_ukiyo 宇佐美清英]</font><br><br />
''京都大学大学院医学研究科 てんかん・運動異常生理学講座''<br><br />
<font size="+1">[https://researchmap.jp/matsumot_kyt 松本理器]</font><br><br />
''神戸大学大学院医学研究科 内科学講座 脳神経内科学分野''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2020年4月1日 原稿完成日:20XX年XX月X日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 内科学講座 脳神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
{{box|text= 抗てんかん薬は、てんかんの病態を治癒に導くものではないが、てんかん発作の消失ないし頻度減少や、発作症状の程度の軽減などといった、発作抑制効果を患者にもたらす。抗てんかん薬の効果は、作用点との関連で、①電位依存型イオンチャネル、②リガンド(配位子)依存型イオンチャネル(細胞膜に置かれた受容体の一種で、情報伝達物質がリガンドとして結合、すなわち配位することで機能するイオンチャネル)、③GABA代謝阻害、④シナプス小胞蛋白2A、の4つの大きなグループに分けられる。抗てんかん薬治療は単剤治療を原則とする。単剤治療で約半数の患者の発作が抑制される。単剤で発作の抑制が不良な場合、合理的多剤併用療法を行う。てんかん患者のうち 約30%は、既存の抗てんかん薬を組み合わせても発作抑制効果が不十分な薬剤抵抗性てんかんと言われている。薬剤抵抗性てんかんに対しては、薬物療法の再検討、およびてんかん外科(てんかん焦点切除術、脳梁離断術、迷走神経刺激療法など)などの他の治療法を検討する。自己免疫介在性の病態であれば免疫療法が奏功する。}}<br />
<br />
==抗てんかん薬とは==<br />
てんかんは、脳内の神経細胞の異常な電気的興奮に伴って痙攣や意識障害などが発作的に起こる慢性的な疾患である(脳科学辞典「てんかん」の項目も参照)。てんかんの有病率は一般に人口の0.5 ~ 1.0 %とされており、近年の我が国での健康保険組合の診療報酬情報の分析に基づく疫学研究でも、てんかん患者数は人口1000人あたり7.24人(人口の約0.7 %)と推計され<ref>厚生労働科学研究費補助金(障害者対策総合研究事業)総合研究<br>「てんかんの有病率等に関する疫学研究及び診療実態の分析と治療体制の整備に関する研究」報告書<br>研究代表者 大槻泰介 国立精神・神経医療研究センター てんかんセンター長, 2016</ref>、てんかんは頻度の高い神経疾患の一つである。<br />
<br />
抗てんかん薬は、てんかんの病態を治癒に導くものではないが、てんかん発作の消失ないし頻度減少や、発作症状の程度の軽減などといった、発作抑制効果を患者にもたらす。<br />
てんかん薬物治療においては、単剤治療を原則に、合理的多剤投与が行われている。しかし、てんかん患者のうち 約30%は、既存の抗てんかん薬を組み合わせても発作抑制効果が不十分な難治性てんかんと言われている。<br />
<br />
ここでは、抗てんかん薬の代表的な薬剤とその作用機序、我が国での臨床における現状、抗てんかん薬治療の戦略に焦点を当てて概説し、個々の抗てんかん薬については詳述しない。<br />
[[ファイル:Takeyama Fig 1.png|サムネイル|右|400px|'''図1. 抗てんかん薬の主な作用機序'''<br><br />
AMPA: α-amino-3-hydroxy-5-methyl-4-isoxazole propionic acid, GABA: γ-aminobutyric acid, NMDA: N-methyl-D-aspartate, SV2A: synaptic vesicle glycoprotein 2A.<br />
(文献<ref name=ref2 />より引用)]]<br />
== 作用機序 ==<br />
抗てんかん薬は、イオンチャネルに対して影響を与え、神経細胞の過剰興奮を抑制することでその発作抑制効果を発揮していると考えられている。その作用点は大きく7つが現在挙げられている。'''図1.'''に、抗てんかん薬の主な作用機序を示す<ref name=ref2>'''吉村元、松本理器'''<br>てんかんの新規治療薬<br>Annual Review神経2018 中外医学社、2018</ref>。'''表1.'''に主要な薬剤とイオンチャネルの関係で、比較的よくわかっているものをまとめた<ref name=ref3>'''兼本浩祐'''<br>てんかん学ハンドブック 第3版<br>医学書院, 2012</ref>。<br />
<br />
抗てんかん薬の効果は、'''表1.'''に整理したように、作用点との関連で、①電位依存型イオンチャネル、②リガンド(配位子)依存型イオンチャネル、③GABA代謝阻害、④シナプス小胞タンパク質2A、の4つの大きなグループに分けて考えると理解しやすい。なお、リガンド依存型イオンチャネルとは、細胞膜に置かれた受容体の一種で、情報伝達物質が結合することで(配位されることで)機能するイオンチャネルのことである。<br />
<br />
選択的ナトリウム(Na<sup>+</sup>)チャネル阻害薬、選択的高電位活性型(非T型)カルシウム(Ca<sup>2+</sup>)チャネル阻害薬、選択的GABA代謝阻害薬は、いずれも焦点性てんかんに選択的に有効であるが、一方で特発性全般てんかん群を悪化させる場合がある。対照的に、選択的な低電位活性型(T型)カルシウムチャネル阻害薬は、欠神発作あるいは欠神脱力発作といった特発性の全般発作に選択的に有効性を示す。抗グルタミン酸受容体作用をもつ薬剤(トピラマート、ラモトリギン、バルプロ酸ナトリウム、ペランパネル)、シナプス小胞タンパク質に作用するとされるレベチラセタ、やNa<sup>+</sup>チャネル阻害作用と抗低電位活性型(T型)カルシウムチャネル阻害作用を有するゾニサミドは、抗焦点起始発作(部分発作)と抗全般起始発作(全般発作)作用を併せもち、広域スペクトラムの抗てんかん薬と位置づけられる。<br />
<br />
{| class="wikitable" style="text-align: center;<br />
|+表1. 抗てんかん薬の作用点<br />
!rowspan="2"| !!colspan="3"|電位依存型イオンチャネル !!colspan="2"|リガンド依存型イオンチャネル!!rowspan="2"|GABA代謝阻害!!rowspan="2"|シナプス小胞タンパク質2A<br />
|-<br />
! Na<sup>+</sup>チャネル || 高電位活性型(非T型)Ca<sup>2+</sup> || 低電位活性型(T型)Ca<sup>2+</sup> || グルタミン酸 || GABA<sub>A</sub><br />
|-<br />
! カルバマゼピン<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! オクスカルバマゼピン<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! フェニトイン<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! ガバペンチン<br />
| || ◯ || || || || ± || <br />
|-<br />
! ビガバトリン<br />
| || || || || || ◎ || <br />
|-<br />
! ラモトリギン<br />
| ◎ || ◯ || || ◯<sup>*1</sup> || || || <br />
|-<br />
! トピラマート<br />
| ◯ || ◯ || || ◯<sup>*2</sup> || ◯ || || <br />
|-<br />
! ペランパネル<br />
| || || || ◎<sup>*2</sup> || || || <br />
|-<br />
! ゾニサミド<br />
| ◎ || || ◯ || || || || <br />
|-<br />
! バルプロ酸ナトリウム<br />
| ◯ || || ◯ || ◯<sup>*3</sup> || || ◯ || <br />
|-<br />
! ラコサミド<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! レベチラセタム<br />
| || ± || || || ± || || ◎<br />
|-<br />
! フェノバルビタール<br />
| || ± || || ± || ◎ || || <br />
|-<br />
! ベンゾジアゼピン系(ジアゼパム、クロナゼパム、クロバザムなど)<br />
| || || || || ◎ || || <br />
|-<br />
! エトスクシミド<br />
| || || ◎ || || || || <br />
|}<br />
<br />
<sup>*1</sup> グルタミン酸の神経末端からの放出障害。<br />
<sup>*2</sup> AMPA型グルタミン酸受容体阻害。<br />
<sup>*3</sup> NMDA型グルタミン酸受容体阻害。<br />
<br />
◎は主要な抗てんかん作用。±は補助的に作用している可能性あり。◯はその中間。<br />
<br />
文献<ref name=ref3 />,<ref name=日本神経学会>'''日本神経学会監修'''<br>「てんかん診療ガイドライン」委員会編集:てんかん診療ガイドライン2018<<br>医学書院, 2018 [https://www.neurology-jp.org/guidelinem/tenkan_2018.html]</ref>,<ref>'''大野行弘、松本理器''' <br>臨床薬学テキストシリーズ:神経・筋・精神・麻酔・鎮痛. 第1章 神経・筋疾患. B 疾患各論 ①てんかん. p 34-46. <br>中川書店)</ref>を元に作成。<br />
<br />
{| class="wikitable" style="text-align: left;<br />
|+表2. 抗てんかん薬の作用点による効果の特徴<br />
! 作用点 !! 薬剤名 !! 効果の特徴<br />
|-<br />
! 選択的Na<sup>+</sup>チャネル阻害薬<br />
| カルバマゼピン、フェニトイン ||rowspan="3"|選択的抗焦点性てんかん薬(特発性全般てんかん群は悪化させる可能性あり)<br />
|-<br />
! 選択的高電位活性型(非T型)Ca<sup>2+</sup>チャネル阻害薬<br />
| ガバペンチン<br />
|-<br />
! 選択的GABA代謝阻害薬<br />
| ビガバトリン<br />
|-<br />
! 複数の作用点をもつ薬剤<br>(初めの4つは抗グルタミン酸受容体作用あり)<br />
| トピラマート、ラモトリギン、バルプロ酸ナトリウム、ペランパネル、ゾニサミド ||rowspan="2"| 広域スペクトラム抗てんかん薬<br />
|-<br />
! 選択的シナプス小胞タンパク質作用薬<br />
| レベチラセタム<br />
|-<br />
! 選択的GABA<sub>A</sub>受容体活性化薬<br />
| フェノバルビタール、ベンゾジアゼピン系 || 全般的中枢神経抑制薬(高次脳機能の抑制を伴う)<br />
|-<br />
! 低電位活性型(T型)Ca<sup>2+</sup>チャネル阻害薬<br />
| エトスクシミド、バルプロ酸ナトリウム || 抗欠神発作薬<br />
|}<br />
<br />
文献<ref name=ref3 />から改変して引用<br />
<br />
== 我が国での臨床における抗てんかん薬の現状 ==<br />
日本では、1989年発売のゾニサミド以降、長らく抗てんかん薬の開発は行われていなかったが、2000年にクロバザムが発売された。その後、いわゆる新規抗てんかん薬と呼ばれるガバペンチン(2006年)、トピラマート(2007年)、ラモトリギン(2008年)、レベチラセタム(2010年)の4剤が相次いで上市されたことから、てんかん治療の選択肢は格段に広がった<ref name=ref4>'''矢野育子、池田昭夫'''<br>新薬展望2017:第Ⅲ部 治療における最近の新薬の位置付け<薬効別>〜新薬の広場〜 抗てんかん薬<br>医薬ジャーナル 53,S-1, 2017</ref>。<br />
<br />
その後も、希少疾患である Dravet症候群に対するスチリペントールや、Lennox-Gastaut症候群に対するルフィナミドが発売され、2016年にはペランパネル、ビガバトリン、ラコサミド、オクスカルバゼピンの4剤が製造承認を受け、欧米でのガイドラインに沿った治療が行える環境となってきた(現在の日本のガイドラインは、<ref name=日本神経学会 />を参照)。<br />
<br />
また、欧米のてんかん重積状態の治療ガイドラインなどにおいて、第1選択薬としてあげられているロラゼパム静注製剤が、2019年2月に製造承認を受けた。<br />
<br />
== 治療の戦略 ==<br />
抗てんかん薬治療は単剤治療を原則とする。単剤治療で約半数の患者の発作が抑制される。単剤療法として承認されている主な抗てんかん薬は、カルバマゼピン、バルプロ酸ナトリウム、フェニトイン、クロナゼパム、ゾニサミド、フェノバルビタール、レベチラセタム、ラモトリギン、ラコサミド、ペランパネル(2020年2月時点)が挙げられる。焦点てんかんでみられる焦点起始発作(部分発作)では、カルバマゼピン、ラモトリギン、レベチラセタム、次いでゾニサミド、トピラマートが第一選択薬とされる。全般てんかんの強直間代発作ではバルプロ酸ナトリウム、欠神発作ではバルプロ酸ナトリウム、エトスクシミド、ミオクロニー発作ではバルプロ酸ナトリウム、クロナゼパムが第一選択薬とされる<ref name=日本神経学会 />。ただし、バルプロ酸ナトリウムは催奇形性を有するため、妊娠の可能性のある女性への投与は避ける必要がある。その場合、催奇形性の低いラモトリギンなどが推奨される。<br />
<br />
単剤で発作の抑制が不良な場合、合理的多剤併用療法を行う。合理的多剤併用療法とは、現在の使用薬とは異なる作用機序あるいは多くの作用機序を持つ薬剤の追加、副作用プロファイルが重ならない組み合わせ、相互作用が少ない組み合わせを考慮した併用療法のことである。そのてんかんに対し適切とされる抗てんかん薬を単剤あるいは多剤併用で副作用がない範囲の十分な血中濃度で2剤試みても一定期間(1年以上もしくは治療前の最長発作間隔の3倍以上の長いほう)発作を抑制できないてんかんを、薬剤抵抗性てんかんとよぶ(国際抗てんかん連盟が提唱する定義)。<br />
<br />
薬剤抵抗性てんかんに対しては、薬物療法の再検討(診断、薬剤選択、投与量、薬理動態に基づく抗てんかん薬の使用など)、およびてんかん外科(てんかん焦点切除術、脳梁離断術、迷走神経刺激療法など)などの他の治療法を検討する<ref name=日本神経学会 />。<br />
<br />
自己免疫介在性の病態であれば免疫療法(免疫グロブリン静注療法、ステロイド、免疫抑制剤など)が奏功する<ref><pubmed> 25036726</pubmed></ref><ref>'''坂本光弘、松本理器、十川純平、端祐一郎、武山博文、小林勝哉、下竹昭寛、近藤誉之、高橋良輔、池田昭夫'''<br>自己免疫性てんかんにおける診断アルゴリズムの提唱とその有用性の予備的検討<br>臨床神経学 2018;58:609-616.</ref>。<br />
<br />
==関連項目==<br />
* [[抗不安薬]]<br />
* [[気分安定薬]]<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
<references /></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E6%8A%97%E3%81%A6%E3%82%93%E3%81%8B%E3%82%93%E8%96%AC&diff=43803
抗てんかん薬
2020-04-01T07:23:54Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[https://researchmap.jp/7000019861/ 武山博文]</font><br><br />
''京都大学大学院医学研究科 呼吸管理睡眠制御学講座''<br><br />
<font size="+1">[https://researchmap.jp/_ukiyo 宇佐美清英]</font><br><br />
''京都大学大学院医学研究科 てんかん・運動異常生理学講座''<br><br />
<font size="+1">[https://researchmap.jp/matsumot_kyt 松本理器]</font><br><br />
''神戸大学大学院医学研究科 内科学講座 脳神経内科学分野''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2020年4月1日 原稿完成日:20XX年XX月X日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 内科学講座 脳神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
{{box|text= 抗てんかん薬は、てんかんの病態を治癒に導くものではないが、てんかん発作の消失ないし頻度減少や、発作症状の程度の軽減などといった、発作抑制効果を患者にもたらす。抗てんかん薬の効果は、作用点との関連で、①電位依存型イオンチャネル、②リガンド(配位子)依存型イオンチャネル(細胞膜に置かれた受容体の一種で、情報伝達物質が結合、すなわち配位することで機能するイオンチャネル)、③GABA代謝阻害、④シナプス小胞蛋白2A、の4つの大きなグループに分けられる。抗てんかん薬治療は単剤治療を原則とする。単剤治療で約半数の患者の発作が抑制される。単剤で発作の抑制が不良な場合、合理的多剤併用療法を行う。てんかん患者のうち 約30%は、既存の抗てんかん薬を組み合わせても発作抑制効果が不十分な薬剤抵抗性てんかんと言われている。薬剤抵抗性てんかんに対しては、薬物療法の再検討、およびてんかん外科(てんかん焦点切除術、脳梁離断術、迷走神経刺激療法など)などの他の治療法を検討する。自己免疫介在性の病態であれば免疫療法が奏功する。}}<br />
<br />
==抗てんかん薬とは==<br />
てんかんは、脳内の神経細胞の異常な電気的興奮に伴って痙攣や意識障害などが発作的に起こる慢性的な疾患である(脳科学辞典「てんかん」の項目も参照)。てんかんの有病率は一般に人口の0.5 ~ 1.0 %とされており、近年の我が国での健康保険組合の診療報酬情報の分析に基づく疫学研究でも、てんかん患者数は人口1000人あたり7.24人(人口の約0.7 %)と推計され<ref>厚生労働科学研究費補助金(障害者対策総合研究事業)総合研究<br>「てんかんの有病率等に関する疫学研究及び診療実態の分析と治療体制の整備に関する研究」報告書<br>研究代表者 大槻泰介 国立精神・神経医療研究センター てんかんセンター長, 2016</ref>、てんかんは頻度の高い神経疾患の一つである。<br />
<br />
抗てんかん薬は、てんかんの病態を治癒に導くものではないが、てんかん発作の消失ないし頻度減少や、発作症状の程度の軽減などといった、発作抑制効果を患者にもたらす。<br />
てんかん薬物治療においては、単剤治療を原則に、合理的多剤投与が行われている。しかし、てんかん患者のうち 約30%は、既存の抗てんかん薬を組み合わせても発作抑制効果が不十分な難治性てんかんと言われている。<br />
<br />
ここでは、抗てんかん薬の代表的な薬剤とその作用機序、我が国での臨床における現状、抗てんかん薬治療の戦略に焦点を当てて概説し、個々の抗てんかん薬については詳述しない。<br />
[[ファイル:Takeyama Fig 1.png|サムネイル|右|400px|'''図1. 抗てんかん薬の主な作用機序'''<br><br />
AMPA: α-amino-3-hydroxy-5-methyl-4-isoxazole propionic acid, GABA: γ-aminobutyric acid, NMDA: N-methyl-D-aspartate, SV2A: synaptic vesicle glycoprotein 2A.<br />
(文献<ref name=ref2 />より引用)]]<br />
== 作用機序 ==<br />
抗てんかん薬は、イオンチャネルに対して影響を与え、神経細胞の過剰興奮を抑制することでその発作抑制効果を発揮していると考えられている。その作用点は大きく7つが現在挙げられている。'''図1.'''に、抗てんかん薬の主な作用機序を示す<ref name=ref2>'''吉村元、松本理器'''<br>てんかんの新規治療薬<br>Annual Review神経2018 中外医学社、2018</ref>。'''表1.'''に主要な薬剤とイオンチャネルの関係で、比較的よくわかっているものをまとめた<ref name=ref3>'''兼本浩祐'''<br>てんかん学ハンドブック 第3版<br>医学書院, 2012</ref>。<br />
<br />
抗てんかん薬の効果は、'''表1.'''に整理したように、作用点との関連で、①電位依存型イオンチャネル、②リガンド(配位子)依存型イオンチャネル、③GABA代謝阻害、④シナプス小胞タンパク質2A、の4つの大きなグループに分けて考えると理解しやすい。なお、リガンド依存型イオンチャネルとは、細胞膜に置かれた受容体の一種で、情報伝達物質が結合することで(配位されることで)機能するイオンチャネルのことである。<br />
<br />
選択的ナトリウム(Na<sup>+</sup>)チャネル阻害薬、選択的高電位活性型(非T型)カルシウム(Ca<sup>2+</sup>)チャネル阻害薬、選択的GABA代謝阻害薬は、いずれも焦点性てんかんに選択的に有効であるが、一方で特発性全般てんかん群を悪化させる場合がある。対照的に、選択的な低電位活性型(T型)カルシウムチャネル阻害薬は、欠神発作あるいは欠神脱力発作といった特発性の全般発作に選択的に有効性を示す。抗グルタミン酸受容体作用をもつ薬剤(トピラマート、ラモトリギン、バルプロ酸ナトリウム、ペランパネル)、シナプス小胞タンパク質に作用するとされるレベチラセタ、やNa<sup>+</sup>チャネル阻害作用と抗低電位活性型(T型)カルシウムチャネル阻害作用を有するゾニサミドは、抗焦点起始発作(部分発作)と抗全般起始発作(全般発作)作用を併せもち、広域スペクトラムの抗てんかん薬と位置づけられる。<br />
<br />
{| class="wikitable" style="text-align: center;<br />
|+表1. 抗てんかん薬の作用点<br />
!rowspan="2"| !!colspan="3"|電位依存型イオンチャネル !!colspan="2"|リガンド依存型イオンチャネル!!rowspan="2"|GABA代謝阻害!!rowspan="2"|シナプス小胞タンパク質2A<br />
|-<br />
! Na<sup>+</sup>チャネル || 高電位活性型(非T型)Ca<sup>2+</sup> || 低電位活性型(T型)Ca<sup>2+</sup> || グルタミン酸 || GABA<sub>A</sub><br />
|-<br />
! カルバマゼピン<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! オクスカルバマゼピン<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! フェニトイン<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! ガバペンチン<br />
| || ◯ || || || || ± || <br />
|-<br />
! ビガバトリン<br />
| || || || || || ◎ || <br />
|-<br />
! ラモトリギン<br />
| ◎ || ◯ || || ◯<sup>*1</sup> || || || <br />
|-<br />
! トピラマート<br />
| ◯ || ◯ || || ◯<sup>*2</sup> || ◯ || || <br />
|-<br />
! ペランパネル<br />
| || || || ◎<sup>*2</sup> || || || <br />
|-<br />
! ゾニサミド<br />
| ◎ || || ◯ || || || || <br />
|-<br />
! バルプロ酸ナトリウム<br />
| ◯ || || ◯ || ◯<sup>*3</sup> || || ◯ || <br />
|-<br />
! ラコサミド<br />
| ◎ || || || || || || <br />
|-<br />
! レベチラセタム<br />
| || ± || || || ± || || ◎<br />
|-<br />
! フェノバルビタール<br />
| || ± || || ± || ◎ || || <br />
|-<br />
! ベンゾジアゼピン系(ジアゼパム、クロナゼパム、クロバザムなど)<br />
| || || || || ◎ || || <br />
|-<br />
! エトスクシミド<br />
| || || ◎ || || || || <br />
|}<br />
<br />
<sup>*1</sup> グルタミン酸の神経末端からの放出障害。<br />
<sup>*2</sup> AMPA型グルタミン酸受容体阻害。<br />
<sup>*3</sup> NMDA型グルタミン酸受容体阻害。<br />
<br />
◎は主要な抗てんかん作用。±は補助的に作用している可能性あり。◯はその中間。<br />
<br />
文献<ref name=ref3 />,<ref name=日本神経学会>'''日本神経学会監修'''<br>「てんかん診療ガイドライン」委員会編集:てんかん診療ガイドライン2018<<br>医学書院, 2018 [https://www.neurology-jp.org/guidelinem/tenkan_2018.html]</ref>,<ref>'''大野行弘、松本理器''' <br>臨床薬学テキストシリーズ:神経・筋・精神・麻酔・鎮痛. 第1章 神経・筋疾患. B 疾患各論 ①てんかん. p 34-46. <br>中川書店)</ref>を元に作成。<br />
<br />
{| class="wikitable" style="text-align: left;<br />
|+表2. 抗てんかん薬の作用点による効果の特徴<br />
! 作用点 !! 薬剤名 !! 効果の特徴<br />
|-<br />
! 選択的Na<sup>+</sup>チャネル阻害薬<br />
| カルバマゼピン、フェニトイン ||rowspan="3"|選択的抗焦点性てんかん薬(特発性全般てんかん群は悪化させる可能性あり)<br />
|-<br />
! 選択的高電位活性型(非T型)Ca<sup>2+</sup>チャネル阻害薬<br />
| ガバペンチン<br />
|-<br />
! 選択的GABA代謝阻害薬<br />
| ビガバトリン<br />
|-<br />
! 複数の作用点をもつ薬剤<br>(初めの4つは抗グルタミン酸受容体作用あり)<br />
| トピラマート、ラモトリギン、バルプロ酸ナトリウム、ペランパネル、ゾニサミド ||rowspan="2"| 広域スペクトラム抗てんかん薬<br />
|-<br />
! 選択的シナプス小胞タンパク質作用薬<br />
| レベチラセタム<br />
|-<br />
! 選択的GABA<sub>A</sub>受容体活性化薬<br />
| フェノバルビタール、ベンゾジアゼピン系 || 全般的中枢神経抑制薬(高次脳機能の抑制を伴う)<br />
|-<br />
! 低電位活性型(T型)Ca<sup>2+</sup>チャネル阻害薬<br />
| エトスクシミド、バルプロ酸ナトリウム || 抗欠神発作薬<br />
|}<br />
<br />
文献<ref name=ref3 />から改変して引用<br />
<br />
== 我が国での臨床における抗てんかん薬の現状 ==<br />
日本では、1989年発売のゾニサミド以降、長らく抗てんかん薬の開発は行われていなかったが、2000年にクロバザムが発売された。その後、いわゆる新規抗てんかん薬と呼ばれるガバペンチン(2006年)、トピラマート(2007年)、ラモトリギン(2008年)、レベチラセタム(2010年)の4剤が相次いで上市されたことから、てんかん治療の選択肢は格段に広がった<ref name=ref4>'''矢野育子、池田昭夫'''<br>新薬展望2017:第Ⅲ部 治療における最近の新薬の位置付け<薬効別>〜新薬の広場〜 抗てんかん薬<br>医薬ジャーナル 53,S-1, 2017</ref>。<br />
<br />
その後も、希少疾患である Dravet症候群に対するスチリペントールや、Lennox-Gastaut症候群に対するルフィナミドが発売され、2016年にはペランパネル、ビガバトリン、ラコサミド、オクスカルバゼピンの4剤が製造承認を受け、欧米でのガイドラインに沿った治療が行える環境となってきた(現在の日本のガイドラインは、<ref name=日本神経学会 />を参照)。<br />
<br />
また、欧米のてんかん重積状態の治療ガイドラインなどにおいて、第1選択薬としてあげられているロラゼパム静注製剤が、2019年2月に製造承認を受けた。<br />
<br />
== 治療の戦略 ==<br />
抗てんかん薬治療は単剤治療を原則とする。単剤治療で約半数の患者の発作が抑制される。単剤療法として承認されている主な抗てんかん薬は、カルバマゼピン、バルプロ酸ナトリウム、フェニトイン、クロナゼパム、ゾニサミド、フェノバルビタール、レベチラセタム、ラモトリギン、ラコサミド、ペランパネル(2020年2月時点)が挙げられる。焦点てんかんでみられる焦点起始発作(部分発作)では、カルバマゼピン、ラモトリギン、レベチラセタム、次いでゾニサミド、トピラマートが第一選択薬とされる。全般てんかんの強直間代発作ではバルプロ酸ナトリウム、欠神発作ではバルプロ酸ナトリウム、エトスクシミド、ミオクロニー発作ではバルプロ酸ナトリウム、クロナゼパムが第一選択薬とされる<ref name=日本神経学会 />。ただし、バルプロ酸ナトリウムは催奇形性を有するため、妊娠の可能性のある女性への投与は避ける必要がある。その場合、催奇形性の低いラモトリギンなどが推奨される。<br />
<br />
単剤で発作の抑制が不良な場合、合理的多剤併用療法を行う。合理的多剤併用療法とは、現在の使用薬とは異なる作用機序あるいは多くの作用機序を持つ薬剤の追加、副作用プロファイルが重ならない組み合わせ、相互作用が少ない組み合わせを考慮した併用療法のことである。そのてんかんに対し適切とされる抗てんかん薬を単剤あるいは多剤併用で副作用がない範囲の十分な血中濃度で2剤試みても一定期間(1年以上もしくは治療前の最長発作間隔の3倍以上の長いほう)発作を抑制できないてんかんを、薬剤抵抗性てんかんとよぶ(国際抗てんかん連盟が提唱する定義)。<br />
<br />
薬剤抵抗性てんかんに対しては、薬物療法の再検討(診断、薬剤選択、投与量、薬理動態に基づく抗てんかん薬の使用など)、およびてんかん外科(てんかん焦点切除術、脳梁離断術、迷走神経刺激療法など)などの他の治療法を検討する<ref name=日本神経学会 />。<br />
<br />
自己免疫介在性の病態であれば免疫療法(免疫グロブリン静注療法、ステロイド、免疫抑制剤など)が奏功する<ref><pubmed> 25036726</pubmed></ref><ref>'''坂本光弘、松本理器、十川純平、端祐一郎、武山博文、小林勝哉、下竹昭寛、近藤誉之、高橋良輔、池田昭夫'''<br>自己免疫性てんかんにおける診断アルゴリズムの提唱とその有用性の予備的検討<br>臨床神経学 2018;58:609-616.</ref>。<br />
<br />
==関連項目==<br />
* [[抗不安薬]]<br />
* [[気分安定薬]]<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
<references /></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%97%87&diff=37857
認知症
2018-01-03T23:27:56Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/bakakyoudai 松村 晃寛]、[http://researchmap.jp/phoca 川又 純]、[http://researchmap.jp/read0012356 下濱 俊]</font><br><br />
''札幌医科大学 医学部 神経内科学講座''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2016年2月5日 原稿完成日:2016年月日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
英:dementia, major neurocognitive disorder 独:Demenz 仏:démence<br />
<br />
同義語:痴呆、呆け、耄け、老耄、耄碌 (いずれも現在では歴史的名称であり、科学的用語として今日用いるべきではない)<br />
<br />
{{box|text= 認知症は、一度正常に達した認知機能が意識清明下で後天的に低下し日常生活や社会生活に支障をきたす状態を言う。原因疾患はアルツハイマー病などの神経変性疾患の他、血管性認知症、慢性硬膜下血腫、正常圧水頭症、脳腫瘍、感染症、各種内科疾患、薬物中毒など多彩である。高齢化の進展に伴い患者数は増加しており、また有効な根治療法が確立していないケースが多く経済的、社会的観点からも重大な課題となっている。<u>(編集部コメント:名称に関する議論は、イントロに詳しいので、省きました。)</u>}}<br />
<br />
== 認知症とは ==<br />
=== 背景 ===<br />
認知症は概ね、[[意識]]正常下で[[認知機能]]が後天的に持続性に低下し、それにより日常生活・社会生活の障害をきたす疾患と捉えられている。近年、世界的な高齢化の進展に伴い増加している。その多くは病因未解明の[[神経変性疾患]]である[[アルツハイマー病]]が占めており、有効な根治療法が確立していないケースが多い。認知症ケアに要する経済的コストは2010年時点で全世界において6000億ドル以上と試算され、2030年には1兆ドルにものぼると推計されている<ref>'''Prince M, Albanese E, Guerchet M, Prina M, Prince M, et al.'''<br>World Alzheimer Report 2014<br>''Alzheimer's disease|Alzheimer's Disease International (London)'': 2014</ref>。このように、高齢化が進む世界において認知症患者の増加は経済的、社会的観点からも重大な課題となっている。<br />
<br />
=== 歴史的推移 ===<br />
本邦において本概念は古来、「呆ける、惚ける、耄ける(ぼける、ほける、ほうける)」「老い痴らふ(おいしらふ)」などの一般語で表わされ、少なくとも平安時代以降の文学などにおいて記載が散見される。江戸時代には広義に「老化による衰え」というニュアンスを含む「耄碌(もうろく)」という一般語が使用されるようになる。一方、医学用語としては、江戸時代の医師である[[wj:浅井貞庵|浅井貞庵]]の著書「[[wj:方彙口訣|方彙口訣]]」や[[wj:本間棗軒|本間棗軒]]の著書「[[wj:内科秘録|内科秘録]]」の中に「[[健忘]]」の語が認められる。[[wj:江戸時代|江戸時代]]末期から[[wj:明治時代|明治]]初期にかけて様々な西洋医学用語が日本語に訳されたが「dementia」については1872年(明治5年)の「[[wj:医語類聚|医語類聚]]」では「狂ノ一種」と訳され、以後も「痴狂」や「瘋癩」「痴呆」など様々に訳され一定しなかった。その後、1908年(明治41年)、東京帝国大学精神病学講座の[[wj:呉秀三|呉秀三]]教授が「狂」の文字を避ける観点から「痴呆」の使用を提唱し、それが一般化した。しかし、徐々に「痴呆」という用語における差別感・侮蔑感・不適切感が指摘されるようになり、[[wj:厚生労働省|厚生労働省]]における議論や検討会を経て、2004年末に公的な用語としてはそれまでの「痴呆」を「認知症」と呼び変えることが決定した。一方、人間が外界の情報を内部に[[取り入れ]]る知的機能・現象を表わす「認知」という言葉の後に「〜の状態」という意味の「症」を続けるのは日本語として意味が不明であり、不適切であると言う議論も出ている。<br />
<br />
== 診断 ==<br />
=== 診断基準 ===<br />
認知症の診断基準のうち、国際的に広く用いられているものとしては[[wikipedia:ja:世界保健機関|世界保健機関]]による[[ICD-10]]や、[[wikipedia:ja:米国精神学会|米国精神学会]]による[[DSM-Ⅲ]]、[[DSM-Ⅳ]]-TRおよび2013年5月に公開された[[DSM-5]]などが挙げられる。<br />
<br />
ICD-10は1990年の第43回世界保健総会において採択された「疾病および関連保健問題の国際統計分類(International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems)」第10版であり、dementiaを「脳疾患により慢性(6ヶ月以上)あるいは進行性に[[記憶]]、[[思考]]、[[見当識]]、[[理解]]、[[計算]]、[[学習能力]]、[[言語]]、[[判断]]を含む高次皮質機能障害を示す症候群で、意識は清明である」としている。ICD-10における認知症の具体的な診断基準の要約を'''表1'''に示す。2017年にはICD-11が制定・公表される予定である。<br><br />
<br />
{| cellspacing="1" cellpadding="1" border="1" width="949" height="20""<br />
|+ '''表1.ICD-10による認知症の診断基準の要約''' <br />
| G1.以下の各項目を示す証拠が存在する。<br />
1) 記憶力の低下<br><br />
新規情報についての記憶力が低下し、重症例では過去に学習した情報の[[想起]]も障害される。可能であれば客観的に確認する。<br><br />
2) 記憶以外の認知機能の低下<br><br />
計画・整理といった判断や思考に関する能力、および情報処理全般の悪化があり、従来の能力水準からの悪化を可能であれば客観的に確認する。<br />
|-<br />
| G2.周囲の環境に対する認識がG1の症状を明確に証明するのに十分な期間、保たれている(すなわち[[意識混濁]]は存在しない)。[[せん妄]]のエピソードが重なっている場合は認知症の診断は保留する。<br />
|-<br />
| G3.[[情動]]コントロールや意欲の低下、社会行動の変化など以下の1項目以上を認める。<br><br />
1) [[情動不安定]]<br><br />
2) [[易怒性]]<br><br />
3) [[無気力]]<br><br />
4) [[社会行動の粗雑化]]<br><br />
|-<br />
| G4.診断確定にはG1症状が6ヶ月以上存在していることが必要。それより短い期間の場合は暫定診断とする。<br />
|}<br />
<br />
<u>(編集部コメント:DSM各版の比較は、概念の歴史的変遷を俯瞰するのには良いかもしれませんが、記事の長さも限られているのでDSM−5を除いて省いてはと思います。)</u><br />
<br />
DSM-Ⅲは1980年出版の「[[精神障害]]の診断統計マニュアル(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)」第3版であり、1987年にはその改訂版であるDSM-Ⅲ-Rが出版されている。DSM-Ⅲ-Rにおける認知症の診断基準の要約を'''表2'''に示す。また1994年には第4版にあたるDSM-Ⅳが出版され、2000年にDSM-Ⅳ-TRとして改訂されている。DSM-Ⅳ-TRにおける認知症の診断基準の要約を'''表3'''に示す。<br><br />
<br />
{| cellspacing="1" cellpadding="1" border="1" width="550" height="20""<br />
|+ '''表2.DSM-Ⅲ-Rによる認知症の診断基準の要約''' <br />
| A.短期・[[長期記憶]]障害の明らかな証拠が存在する。<br />
|-<br />
| B.以下のうち少なくとも1項目以上を認める。<br><br />
1) 抽象的思考の障害<br><br />
2) 判断の障害<br><br />
3) 高次皮質機能の障害(失語、失行、失認、構成障害)<br><br />
4) 性格変化<br />
|-<br />
| C.上記A、Bにより仕事、社会生活、人間関係が損なわれる。<br />
|-<br />
| D.意識変容やせん妄が存在する場合には起こらない(除外項目)。<br />
|-<br />
| E.以下のどちらかの状況にある。<br><br />
1) 病歴、身体所見、検査などの証拠から器質的疾患が病因であると判断される。<br><br />
2) このような証拠がなくとも器質的疾患以外の状況が合理的に除外されている場合。<br />
|}<br />
<br><br />
<br />
{| cellspacing="1" cellpadding="1" border="1" width="602" height="20""<br />
|+ '''表3.DSM-Ⅳ-TRによる認知症の診断基準の要約''' <br />
| A.多彩な認知機能障害の発現として以下の2項目がある。<br><br />
1) 記憶障害(新規情報の学習や、過去に学習した情報の想起の障害)<br><br />
(a)[[即時記憶]]は数字の順唱、逆唱により、近時記憶は言葉や物品の遅延再生により評価する。<br><br />
(b)[[遠隔記憶]]は随伴者に確認可能な個人情報(誕生日や卒業年、結婚記念日など)もしくは被<br />
験者の教育レベル・文化背景に合った一般知識の質問により評価する。<br><br />
<br />
2) 以下の認知機能障害のうち1項目以上を認める。<br><br />
(a)失語(言語の障害)<br><br />
(b)失行(運動機能は障害されていないのに運動の遂行が障害される)<br><br />
(c)失認(感覚機能は障害されていないのに対象を認識もしくは同定できない)<br><br />
(d)[[遂行機能]](計画を立てる、組織化する、順序立てる、抽象化すること)の障害<br />
|-<br />
| B.上記A-1)、A-2)の認知機能障害各々が社会的もしくは職業的機能の著しい障害を引き起こし、病前の機能水準からの著しい低下を示す。<br />
|-<br />
| C.この障害はせん妄の経過中にのみ現れるものではない。<br />
|}<br />
<br><br />
これらの診断基準を踏まえ、本邦の認知症疾患治療ガイドライン2010では認知症を「一度正常に達した認知機能が後天的な脳の障害によって持続性に低下し、日常生活や社会生活に支障をきたすようになった状態を言い、それが意識障害のないときに見られる。」と定義している。<br><br />
他方、2013年に公表されたDSM-5ではdementiaという用語は消失し、代わりに「[[神経認知障害]]:neurocognitive disorders(ND)」と総称することを提唱している。dementiaという用語が廃止されたのは語源的に「de (without) + mentia (mind)」と構成されており、「mad」「crazy」「insane」「lunatic」など「狂」を意味する語と類義で差別的・侮蔑的なためとされる。認知症に該当するMajor NDの診断基準を'''表4'''に示す。<br><br />
<br />
{| cellspacing="1" cellpadding="1" border="1" width="680" height="20""<br />
|+ '''表4.DSM-5による認知症(major neurocognitive disorder)の診断基準の要約''' <br />
| A.1つ以上の認知領域(複雑性注意、遂行機能、学習と記憶、言語、[[知覚]]-運動、社会的認知)において過去の水準から明らかな認知の低下を来しているという以下に基づく証拠がある。<br><br />
1) 本人、本人を良く知る情報提供者、もしくは臨床医による認知機能の明らかな低下があるという懸念。<br><br />
2) できれば標準化された神経心理学的検査で記録される形で、それが無い場合は他の定量化された臨床的評価によって確認された認知機能の明らかな障害。<br />
|-<br />
| B.毎日の活動において認知機能障害が自立性を阻害している(例:請求書の支払いや服薬管理など日常生活における複雑な操作的活動に援助を要する)。<br><br />
|-<br />
| C.認知機能障害はせん妄の経過中にのみ起こるものではない。<br />
|-<br />
| D.認知機能障害は他の[[精神疾患]]ではうまく説明されない(例:うつ病、統合失調症)。<br />
|}<br />
<br />
DSM-5の変更点に対する本邦の対応は、major neurocognitive disordersが内容的に従来のdementiaと重なる部分が多いこと、またdementiaに対する用語が本邦ではすでに「痴呆」から「認知症」へと変更されており社会的にも受け入れられていることから、major neurocognitive disordersを「認知症」とすることが[[日本精神神経学会]] 精神科用語検討委員会 精神科病名検討連絡会にて承認されている。<br />
<br />
=== 鑑別診断 ===<br />
認知症と鑑別すべき疾患・病態としては、[[せん妄]]などの[[意識障害]]、[[抑うつ状態]]、[[統合失調症]]などが挙げられる。<br />
<br />
せん妄は症状に類似点も多く、各種診断基準においても除外項目に挙げられることが多いが、本質は意識障害であり急性発症である点、興奮や幻覚で発症することが多い点、日内変動が見られやすい点、数日から数週間で軽快することが多い点などが鑑別点として挙げられる。<br />
<br />
また認知症を呈する疾患の鑑別診断には、アルツハイマー病、[[レビー小体型認知症]]、[[前頭側頭葉変性症]]、[[嗜銀顆粒性認知症]]、[[進行性核上性麻痺]]、[[大脳皮質基底核変性症]]、[[ハンチントン病]]などの[[神経変性疾患]]が挙げられる他、[[脳血管障害]]による[[血管性認知症]]、慢性[[硬膜下血腫]]、[[正常圧水頭症]]、[[硬膜動静脈瘻]]、[[脳腫瘍]]、[[外傷性脳損傷]]、[[慢性外傷性脳症]]、[[Creutzfeldt-Jakob病]]やその他の感染症として[[HIV感染症]]、[[亜急性硬化性全脳炎]]、[[進行性多巣性白質脳症]]、[[神経梅毒]]、[[髄膜脳炎]]など多彩な脳・神経疾患が挙げられる。また上記以外にも[[パーキンソン病]]や[[多発性硬化症]]、[[筋萎縮性側索硬化症]]、あるいは[[神経ベーチェット]]や[[サルコイドーシス]]など全身性疾患の中枢神経症状においても認知症を合併する場合がある。さらに、[[wikipedia:ja:甲状腺機能低下症|甲状腺機能低下症]]などの内[[分泌]]疾患、[[wikipedia:ja:糖尿病|糖尿病]]、栄養異常([[wikipedia:ja:ビタミンB1|ビタミンB1]]や[[wikipedia:ja:ビタミンB12|B12]]低下)などの代謝疾患、[[wikipedia:ja:肝不全|肝不全]]や[[wikipedia:ja:腎不全|腎不全]]などの[[wikipedia:ja:臓器不全|臓器不全]]、[[アルコール]]や[[麻薬]]、その他薬物や金属、[[wikipedia:ja:一酸化炭素|一酸化炭素]]による[[wikipedia:ja:中毒|中毒]]など、各種身体疾患においても認知症は認められ、鑑別の範囲は非常に多岐に渡る。<br />
<br />
=== 検査 ===<br />
認知症であるか否か、あるいは認知症性疾患であるとしてどのような診断であるのか、以下のような検査が必要になる。<br />
==== 神経心理検査 ====<br />
認知症であるか否かのスクリーニング検査のうち、質問式の方法としては本邦では[[長谷川式認知症スケール]](Hasegawa's dementia scale-revised:HDS-R)や[[mini-mental state examination]](MMSE)が広く用いられる。<br />
<br />
:'''長谷川式認知症スケール''':1974年に作成された[[長谷川式簡易知能スケール]]の改訂版(1991年)であり、2004年の認知症への改称に伴い2005年から現在の名称になっている。9つの設問からなり最高点は30点満点で21点以上を正常、20点以下を認知症の疑いとする。<br />
<br />
:'''Mini-mental state examination''':国際的に最も広く使用されている方法で、11の設問からなる。最高点は30点満点で24点以上を正常、23点以下を認知症の疑いとしていたが、最近では27点以上を正常、22〜26点を軽度認知症の疑い、21点以下を認知症の疑いが強いとする基準も用いられる。<br />
<br />
他にも、より簡便なスクリーニング法として「10時10分もしくは8時20分を指す時計の文字盤を描かせる」[[clock frawing test]](CDT)や年齢、日付、生年月日などのみを質問する方法なども行われる。また長谷川式認知症スケールやmini-mental state examinationでは評価が困難な[[前頭葉]]機能の評価法として[[frontal assessment battery]](FAB)が挙げられる。これは6設問からなり最高点は18点満点でカットオフ値については諸説あり、11、12点を勧める報告<ref>'''前島 伸、種村 純、大沢 愛、川原田 美、関口 恵ら'''<br>高齢者に対するFrontal assessment battery(FAB)の臨床意義について.<br>''脳と神経'': 2006, 58; 207-11</ref>などが散見される。<br />
<br />
==== 血液検査 ====<br />
認知症が疑われた際に、認知症をきたす各種内科疾患とそれ以外の認知症疾患の鑑別に有用である。例えば、一般的な項目として[[wikipedia:ja:血算|血算]]、[[wikipedia:ja:血沈|血沈]]、肝機能、腎機能、[[wikipedia:ja:電解質|電解質]]、[[wikipedia:ja:血糖|血糖]]、[[wikipedia:ja:HbA1c|HbA1c]]、[[wikipedia:ja:脂質|脂質]]、[[wikipedia:ja:アンモニア|アンモニア]]、[[wikipedia:ja:甲状腺ホルモン|甲状腺ホルモン]]、ビタミンB1、B12、[[wikipedia:ja:葉酸|葉酸]]、[[wikipedia:ja:梅毒血清反応|梅毒血清反応]]、[[wikipedia:ja:動脈血ガス分析|動脈血ガス分析]]などが挙げられる。<br />
<br />
また悪性腫瘍の鑑別に各種[[wikipedia:ja:腫瘍マーカー|腫瘍マーカー]]、[[wikipedia:ja:自己免疫疾患|自己免疫疾患]]の鑑別に各種[[wikipedia:ja:自己抗体|自己抗体]]、感染症の鑑別には[[wikipedia:ja:HIV抗体|HIV抗体]]や[[wikipedia:ja:JCウイルス|JCウイルス]]、[[wikipedia:ja:麻疹ウイルス|麻疹ウイルス]]、[[wikipedia:ja:風疹ウイルス|風疹ウイルス]]抗体がそれぞれ役立つ。さらに中毒を疑う例では各種薬剤、特に[[抗精神病薬]]や金属、有機化合物などの血中濃度測定が有用である。一方、神経変性疾患であるアルツハイマー病においては血漿[[アミロイドβ]]([[Aβ]])についての検証がなされている<ref><pubmed> 9065558 </pubmed></ref><ref><pubmed> 9029078 </pubmed></ref>。<br />
<br />
==== 脳脊髄液検査 ====<br />
[[脳脊髄液]]検査は[[髄膜脳炎]]や[[くも膜下出血]]、各種[[神経免疫疾患]]、腫瘍性疾患などの鑑別に有用である。[[亜急性硬化性全脳炎]]においては脳脊[[髄液]][[wikipedia:ja:麻疹|麻疹]]抗体、進行性多巣性[[白質]]脳症ではJCウイルス[[DNA]] PCRが、Creutzfeldt-Jakob病では脳脊髄液[[14-3-3タンパク質]]や総タウタンパク質の測定がそれぞれ有用とされる。またアルツハイマー病では脳脊髄液中の[[タウ]]タンパク質やAβが検証され、近年注目されている。<br />
<br />
==== 画像検査 ====<br />
画像検査のうち[[CT]]、[[MRI]]、[[MRA]]は脳血管障害、慢性[[硬膜]]下血腫、正[[常圧]]水頭症、硬膜動静脈瘻、脳腫瘍、髄膜脳炎、多発性硬化症などの診断に有用である。MRIの拡散強調画像はCreutzfeldt-Jakob病の病変描出能に優れる。またMRIは神経変性疾患における脳の形態学的変化の描出にも優れ、近年では[[voxel-based morphometry]](VBM)が発達している。これは各個人の脳の形態情報を標準化し、健常標準脳の形態と比較してvoxel単位で統計学的に脳の萎縮を評価する手法である。アルツハイマー病における[[海馬]]や[[海馬傍回]]の評価などに用いる。<br />
<br />
[[脳血流SPECT]]は主に[[123I-IMP|<sup>123</sup>I-IMP]]や[[99mTc-ECD|<sup>99m</sup>Tc-ECD]]を核種として用い、特に神経変性疾患においては形態学的変化をきたす以前の異常を検出しうる検査法として重要視されている。かつては評価において客観性に欠けることが指摘されていたが、近年では[[statistical parametric mapping]](SPM)、[[three-dimentional stereotactic surface projection]](3D-SSP)、[[easy Z-score imaging system]](e-ZIS)などの画像統計解析手法が発達し、課題が克服されている。<br />
<br />
保健適応外の臨床研究領域では、アルツハイマー病において[[陽電子断層撮像法#脳機能計測|FDG-PET]]で側頭葉内側や[[頭頂-側頭連合野]]、[[帯状回]]後部などにおける糖代謝低下が指摘される。また近年、[[11C-PIB|<sup>11</sup>C-PIB]]や[[FDDNP]]、[[BF-227]]などを核種とした[[陽電子断層撮像法#様々なPETプローブとその応用|アミロイドイメージング]]によりアルツハイマー病における[[老人斑]]の検出が非侵襲的に可能になり注目されている。<br />
<br />
== 病態生理 ==<br />
認知症の原因疾患は非常に多岐にわたるため、個々の疾患の病態生理について本項目に記すことは困難である。認知症の診断基準・定義は先述の通り種々あるが、概ね意識清明下で後天的に認知機能が過去の水準より低下した状態を包含する。必ずしも認知機能障害イコール認知症ではないが、認知機能障害は認知症の構成要素であるとはいえる。認知機能は「情報を脳内に取り入れ、各種処理過程を経て表出するまでに関わる脳の全機能」と考えられ、各認知機能はそれぞれ大脳の特定の部位に局在し、脳の障害部位により特徴的な認知機能障害を呈する。また、脳疾患における認知機能障害は局在の他に疾患に特有のメカニズムが関与する場合もある。そこで、認知機能障害の病態生理について解剖学的見地と各種脳疾患ごとの見地から以下にそれぞれ記載する('''表5、6''')。<br />
<br />
<u>(編集部コメント:次は表にしました)</u><br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+ 表5.解剖学的見地からの病態生理<br />
!障害部位!!症状<br />
|-<br />
|'''[[前頭葉]]'''<br />
|[[失行]]、[[失語]]、[[性格変化]]、[[意欲]]・[[活動性]]低下、[[興奮]]、[[多幸感]]、[[無頓着]]、[[脱抑制]]、大食、[[注意力]]低下、[[記銘力]]障害、問題解決能力低下など<br />
|-<br />
|'''[[劣位半球]][[頭頂葉]]'''<br />
|[[半側身体失認]]や[[半側空間無視]]、[[構成失行]]、[[着衣失行]]、[[病態失認]]、[[地誌的記憶障害]]など<br />
|-<br />
|'''[[優位半球]]頭頂葉'''<br />
|[[観念失行]]や[[観念運動失行]]<br />
|-<br />
|'''優位半球[[角回]]'''<br />
|[[手指失認]]・[[左右識別障害]]・[[失算]]・[[失書]]を4徴とする[[Gerstmann症候群]]<br />
|-<br />
|'''[[側頭葉]]'''<br />
|[[Wernicke失語]]や[[嗅覚障害]]、[[聴覚失認]]、[[皮質聾]]、[[複合幻聴]]、[[Klüver-Bucy症候群]]、側頭葉内側の障害により[[記憶障害]]<br />
|-<br />
|'''[[後頭葉]]'''<br />
|[[半盲]]、[[皮質盲]]、[[視幻覚]]、[[視覚保続]]、[[視覚失認]]、[[純粋失読]]、[[Anton症候群]](視覚障害を否認)など<br />
|-<br />
|'''[[脳梁]]'''<br />
|左視野の[[失読]]や左手の[[失書]]・[[失行]]、[[道具]]の強迫使用、[[拮抗性失行]]([[離断症候群]])<br />
|-<br />
|'''[[大脳辺縁系]]<br>([[梁下回]]・[[帯状回]]・[[海馬傍回]]・[[鉤]]・[[扁桃体]]・[[海馬]]・[[歯状回]]・[[脳弓]]・[[中隔核]])''' <br />
|[[Papez回路]]や[[Yakovlev回路]]を含み、記憶や[[情動]]と関連する。両側海馬障害により[[近時記憶]]が、[[乳頭体]]病変では[[遠隔記憶]]が障害される。<br />
|-<br />
|'''[[視床]]'''<br />
|種々の感覚入力の中継点であり、視床核はPapez回路やYakovlev回路を構成するため、視床障害により記憶・情動障害が起こりえる。<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+ 表6.各種脳疾患ごとの見地から病態生理<br />
!疾患!!病態<br />
|-<br />
|'''アルツハイマー病'''<br />
|早期から海馬を中心とする[[側頭葉]]内側部、[[側頭頭頂移行部]]の萎縮がみられる。記憶障害がほぼ必発である。[[前頭連合野]]は比較的保たれるため初期からの[[人格]]変化は稀で礼節は保たれる。<br />
|-<br />
|'''レビー小体型認知症'''<br />
|[[脳血流SPECT]]において[[一次視覚野]]を含めた[[後頭葉]]から[[頭頂葉]]の血流低下を認め、[[幻視]]や視覚障害を呈するが初期の記銘力障害は目立たないことが多い。<br />
|-<br />
|'''前頭側頭葉変性症'''<br />
|多幸、脱抑制、異常行動、自発性の低下などが高頻度に認められる一方、[[妄想]]や幻視は少なく初期からの顕著な記憶障害、失語、視空間障害、失行・失認、[[構成障害]]は見られない。<br />
|-<br />
|'''嗜銀顆粒性認知症'''<br />
|側頭葉内側面の迂回回が[[嗜銀顆粒]]の好発部位であり、左右差を呈することが多く、物忘れを初発としつつ頑固さや易怒性、自発性低下など前頭側頭葉変性症に類似の症状を呈するが進行は緩徐である。<br />
|-<br />
|'''血管性認知症'''<br />
|病態、局在とも多様で不均一である。記憶力の割に人格や理解力などが保たれる[[まだら状認知症]]を呈し、階段状に進行する。<br />
|-<br />
|'''慢性硬膜下血腫''' <br />
|局所神経症状がなくとも認知機能障害を呈する場合があり、その機序として血腫による脳循環障害が考えられる。<br />
|-<br />
|'''正常圧水頭症'''<br />
|[[脳室]]拡大や正常範囲内での頭蓋内圧上昇をきたし、神経線維の直接圧迫や脳循環障害を介して種々の症状を呈する。タップ[[テスト]]により早期から反応がみられることから脳循環障害の要素が強いと思われる。注意障害や思考・反応・作業速度の低下、語想起能力低下、遂行機能障害など前頭葉機能中心の認知機能障害を呈する。<br />
|-<br />
|'''硬膜動静脈瘻''' <br />
|[[動静脈間シャント]]により動脈血流が静脈に流入し、脳静脈還流障害・浮腫などを呈し認知機能障害を発症する。[[大脳皮質]]のみならず、[[Galen大静脈]]へのシャントによる両側視床の局所血流障害でも発症する。<br />
|-<br />
|'''脳腫瘍''' <br />
|局在により多彩な症状を呈するが、認知症だけを呈する場合は前頭葉病変が多いとされる。[[前頭葉穹窿部]]が両側性に障害されると自発性の欠如が、[[前頭眼窩野]]が両側性に障害されると人格の変化がみられる。<br />
|-<br />
|'''外傷性脳損傷'''<br />
|頭部に対して物理的な衝撃が作用した結果起こる急性の脳損傷で、脳挫傷やびまん性[[軸索]]損傷を主体とし、これによる[[脳浮腫]]や[[脳循環障害]]などにより広範な脳機能障害が誘発される。<br />
|-<br />
|'''慢性外傷性脳症''' <br />
|頭部への外力を慢性的に受けることで脳の微小損傷が蓄積し、数年〜数十年後に様々な神経症状と認知機能障害を呈する。詳細な機序は不明だが病理学的にアルツハイマー病との類似性が指摘される。<br />
|-<br />
|'''Creutzfeldt-Jakob病''' <br />
|MRI拡散強調画像において大脳皮質、大脳基底核、視床に異常信号を認める。食欲不振、倦怠感、[[睡眠障害]]、[[頭痛]]、視覚障害から亜急性に認知症状が進行し、言語障害、性格変化や異常行動、[[小脳失調]]、[[錐体路]]・[[錐体外路徴候]]、[[ミオクローヌス]]を経て[[無動性無言状態]]に至る。<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
== 治療 ==<br />
認知症を呈する疾患のうち、まずは根治可能な疾患を鑑別し加療する。慢性硬膜下血腫や正常圧水頭症などは外科手術、内分泌・代謝疾患、感染症は内科的治療、薬剤誘発性のものは原因薬剤の中止を行う。他方、アルツハイマー病などの神経変性疾患、[[プリオン病]]、後遺障害の残存しやすい外傷性脳損傷や血管性認知症、ある種の脳腫瘍などは根治困難であり対症療法を検討する。認知症の症状は[[中核症状]]と[[周辺症状]](behavioral psychological symptoms of dementia:BPSD)に二分され、以下にそれぞれの特徴と治療・対処法について記載する。<br />
<br />
=== 中核症状 ===<br />
記憶障害、見当識障害、遂行機能障害、計算力低下など進行に伴い出現する普遍的症状を指す。<br />
<br />
==== アルツハイマー病の中核症状に対する対症療法 ====<br />
認知症の50%を占めるアルツハイマー病に対し本邦で承認されているのは[[コリンエステラーゼ]](cholinesterase:ChE)[[阻害薬]]と[[NMDA型グルタミン酸受容体|N-methyl-D-aspartate(NMDA)受容体]][[拮抗薬]]である。ChE阻害薬は「アルツハイマー病において[[Meynert核]]の[[アセチルコリン]]([[acetylcholine]]:[[ACh]])作動性神経細胞の脱落とACh合成系の活性低下が病態に関連する」という[[コリン]]仮説を基に開発され、[[シナプス]]間隙のACh量を増加させる。<br />
<br />
一方、NMDA型[[グルタミン酸受容体]]拮抗薬は「アルツハイマー病において、脳内[[グルタミン酸]]濃度の持続的上昇やNMDA型グルタミン酸受容体への[[アミロイド]]βの結合によりCa<sup>2+</sup>が細胞内に過剰流入し、[[シナプス後膜電位]]変化が増大して(シナプティックノイズ)記憶・学習の形成を阻害したり、[[酸化ストレス]]増大や[[神経細胞死]]を招く」という[[グルタミン酸仮説]]に基づき開発されている。本剤は持続性の病的な低濃度グルタミン酸刺激に対してはNMDA型グルタミン酸受容体に結合して過剰Ca<sup>2+</sup>流入による神経毒性を防ぐが、生理的な神経興奮による一過性の高濃度グルタミン酸刺激に対しては電位依存性にNMDA型グルタミン酸受容体から解離するため、正常な神経伝達や記憶形成には影響しない。'''表7'''に各薬剤の特徴を示す。<br><br />
<br />
{| cellspacing="1" cellpadding="1" border="1" width="850" height="20""<br />
|+ '''表7.アルツハイマー病治療薬の特徴''' <br />
! style="width:14%" | 一般名 !! style="width:12%" | 作用機序 !! style="width:14%" | 適応 !! style="width:23%" | 副次的効果 !! style="width:13%" | 剤型 !! style="width:12%" | 用法(回/日) !! style="width:12%" | 代謝・排泄<br />
|-<br />
! [[ドネペジル]]<br />
| rowspan="3" style="text-align:center"| ChE阻害剤 || style="text-align:center" | 軽〜重度AD || style="text-align:center" | なし || style="text-align:center" | 錠剤・散剤<br>口腔内崩壊錠<br>ゼリー剤等 || style="text-align:center" | 1 || rowspan="2" style="text-align:center" | 肝<br />
|-<br />
! [[ガランタミン]]<br />
| rowspan="2" style="text-align:center" | 軽〜中等度AD || style="text-align:center" | nACh受容体への<br>アロステリック(APL)作用 || style="text-align:center" | 錠剤 || style="text-align:center" | 2 <br />
|-<br />
! [[リバスチグミン]]<br />
| style="text-align:center" | BuChE阻害作用 || style="text-align:center" | 経皮吸収型製剤 || style="text-align:center" | 1 || rowspan="2" style="text-align:center" | 腎<br />
|-<br />
! [[メマンチン]]<br />
| style="text-align:center" | NMDA受容体拮抗薬 || style="text-align:center" | 中等度〜重度AD || style="text-align:center" | なし || style="text-align:center" | 錠剤 || style="text-align:center" | 1 <br />
|}<br />
<small>nACh:[[ニコチン性]]アセチルコリン(nicotic acetylcholine)、BuChE:[[ブチリルコリンエステラーゼ]](butyrylcholinesterase)、</small><br><br />
<small>VaD:血管性認知症(vascular dementia)、DLB:レビー小体型認知症(dementia with Lewy bodies)</small><br />
<br />
==== アルツハイマー病以外の認知症性疾患の中核症状に対する対症療法 ====<br />
血管性認知症では[[ドーパミン]]放出促進作用とNMDA受容体拮抗作用を有する[[アマンタジン]]が「脳梗塞後遺症に伴う意欲・自発性低下」に対し保険承認されている他、保険適応外の臨床研究でChE阻害剤が有効とする報告もある。<br />
<br />
外傷性脳損傷についてはこれも保険適応外だが、注意障害に対し[[メチルフェニデート]]やChE阻害剤、アマンタジンなどが有効との報告がある。<br />
<br />
レビー小体型認知症ではChE阻害剤にて認知機能や妄想、幻覚など臨床症状全般が改善したという報告があり本邦では2014年9月より[[アリセプト]]が承認されている。メマンチンも本邦未承認ではあるが[[ランダム化比較試験]]で改善が報告されている。しかし前頭側頭葉変性症など他の神経変性疾患や[[プリオン]]病は現状では有効な治療薬はない。<br />
<br />
=== 周辺症状===<br />
<u>(編集部コメント:略号の使用は極力避けておりますので、BPSDを周辺症状と致しましたが、よろしいでしょうか)</u><br />
<br />
かつて認知症の問題行動や異常行動とよばれた概念で行動症状と心理症状に二分される。前者は[[不穏]]、[[多動]]、[[徘徊]]、[[攻撃性]]、興奮、[[拒絶]]、[[拒食]]・[[異食]]、[[不潔行為]]、[[つきまとい]]、[[概日リズム障害]]、[[社会的逸脱行動|社会的]]・[[性的逸脱行動]]が、後者は抑うつや[[不安]]、[[アパシー]]、[[幻覚]]、[[妄想]]などがあげられる。認知症患者の約60〜90%が少なくとも1つ以上のBPSD症状を呈し、特に無関心、興奮、[[易刺激性]]、抑うつなどの頻度が高いとされる。<br />
<br />
==== ケアと環境整備による対応 ====<br />
周辺症状に対しては原因、誘因、状態を把握し、会話の仕方の工夫(短く簡潔に、穏やかに)や[[失禁]]・空腹など身体的問題への対処、不安の原因の除去、首尾一貫した対応、道具の工夫などまずはケア・環境整備により対応する。これらの対応で難しい場合には次の薬物療法を試みる。<br />
<br />
==== 薬物療法 ====<br />
ChE阻害剤など中核症状を改善する薬剤により周辺症状も軽減されることが多く、認知症疾患治療ガイドライン2010コンパクト版2012でも焦燥性興奮、攻撃性、脱抑制、体重減少、レビー小体型認知症における幻覚・妄想や[[REM睡眠期行動異常]](RBD)などに記載が見られる。また抑肝散など漢方療法も示唆される(詳細は後述)。<br />
<br />
[[抗精神病薬]]では[[非定型抗精神病薬]]が使われやすいが、米国食品衛生局(FDA)より「認知症高齢者の臨床治験において非定型抗精神病薬投与群はプラセボ投与群に比べ死亡率が増加する」という警告が出ており要注意である。2013年7月には「かかりつけ医のための周辺症状に対する[[向精神薬]]使用ガイドライン」が厚生労働省により公表されている('''表8''')。<br><br />
<br />
{| cellspacing="1" cellpadding="1" border="1" width="965" height="20""<br />
|+ '''表8.周辺症状に対する向精神薬治療''' <br />
! style="width:9%" | 分類 !! style="width:12%" | 作用機序など !! style="width:13%" | 薬物名 !! style="width:21%" | 想定される<br>認知症への使用 !! style="width:43%" | 特徴・注意点 !! style="width:2%" | 用量<br />
|-<br />
! rowspan="5" | 抗精神病薬<br />
| rowspan="2" style="text-align:center"| SDA || style="text-align:center" | [[リスペリドン]] || rowspan="5" style="text-align:center" | 焦燥、興奮、攻撃性<br>または精神病症状 ||・高血糖あるいは糖尿病を合併している場合は第1選択。<br>・DLBではパーキンソン症状の悪化を示しやすいため注意。 || style="text-align:center" | 0.5〜2.0mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center" | [[ペロスピロン]] || ・抗不安薬、眠前薬として使用可。<br>・高血糖/糖尿病合併例では慎重投与。 || style="text-align:center" | 4〜12mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center"| Loose binding || style="text-align:center" | [[クエチアピン]] || ・パーキンソン症状がある場合とDLBでは第1選択、眠前薬として使用可。<br>・高血糖/糖尿病合併例では禁忌。 || style="text-align:center" | 25〜100mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center"| MARTA || style="text-align:center" | [[オランザピン]] || ・眠前薬としては用いない。<br>・高血糖/糖尿病合併例では禁忌。 || style="text-align:center" | 2.5〜10mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center"| Dopamine partial agonist || style="text-align:center" | [[アリピプラゾール]] || ・眠前薬としては用いない。<br>・高血糖/糖尿病合併例では慎重投与。 || style="text-align:center" | 3〜9mg<br />
|-<br />
! rowspan="10" | [[抗うつ薬]]<br />
| rowspan="4" style="text-align:center"| [[SSRI]] || style="text-align:center" | [[フルボキサミン]] || rowspan="4" style="text-align:center" | うつ症状、FTDの脱抑制、<br>情動行動、食行動異常 ||・分3、食直後の服用<br>・開始時悪心や嘔吐が出現することあり<br>・高齢者では慎重投与 || style="text-align:center" | 25-75〜75-100mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center" | [[パロキセチン]] || ・うつ病とうつ状態では用量は右記。原則1週ごとに10mg/日ずつ増量<br>・高齢者では慎重投与(SIADH、出血のリスク増)<br>・分1、夕直後の服用<br>・開始時悪心や嘔吐が出現することあり || style="text-align:center" | 10〜40mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center" | [[セルトラリン]] || ・分1<br>・高齢者では慎重投与 || style="text-align:center" | 25〜50mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center" | [[エスシタロプラム]] || ・分1、夕食後<br>・QT延長例は禁忌<br>・肝機能障害、高齢者では10mgを上限が望ましい || style="text-align:center" | 10mg<br />
|-<br />
| rowspan="2" style="text-align:center"| [[SNRI]] || style="text-align:center" | [[ミルナシプラン]] || style="text-align:center" | うつ症状 ||・分3、[[MAO阻害薬]]との併用は禁忌<br>・[[前立腺]]疾患等合併例では尿閉が起きることあり || style="text-align:center" | 15〜60mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center" | [[デュロキセチン]] || style="text-align:center" | うつ症状、舌などの[[痛み]]<br>を訴える心気症状に<br>効果がある可能性あり || ・分1、夕直後の服用<br>・SSRI類似の消化器症状が出現することあり<br>・高度の肝・腎機能障害では禁忌<br>・高齢者では慎重投与 || style="text-align:center" | 20〜40mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center"| NaSSA || style="text-align:center" | [[ミルタザピン]] || style="text-align:center" | うつ症状、抗不安作用、睡眠障害の改善、食欲改善効果 ||・分1、眠気が出やすい、眠前投与<br>・高齢者では血中濃度上昇のリスクあり、慎重投与 || style="text-align:center" | 7.5〜30mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center"| 三環系 || style="text-align:center" | [[アモキサピン]] || style="text-align:center" | うつ症状<br>(SSRI無効時) ||・抗コリン作用、弱心毒性 || style="text-align:center" | 25〜75mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center"| 四環系 || style="text-align:center" | [[ミアンセリン]] || style="text-align:center" | せん妄、不眠 ||・弱抗コリン作用、鎮静効果<br>・心毒性なし、分1で眠前投与も可 || style="text-align:center" | 10〜30mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center"| 異環系 || style="text-align:center" | [[トラゾドン]] || style="text-align:center" | 焦燥、不眠<br />
||・抗コリン作用、心毒性なし<br>・眠気のため就寝前に投与も可<br>・1〜数回分服、高齢者では安全性未確立 || style="text-align:center" | 25〜100mg<br />
|-<br />
! rowspan="6" | [[抗不安薬]]/<br>睡眠導入薬<br />
|-<br />
| rowspan="4" style="text-align:center" | ω1[[GABA受容体|ベンゾジアゼピン受容体]]<br>[[作動薬]] || style="text-align:center" | [[ゾルピデム]] || rowspan="3" style="text-align:center" | 入眠障害 || rowspan="3" | 超短時間作用型 || style="text-align:center" | 5mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center" | [[ゾピクロン]] || style="text-align:center" | 7.5mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center" | [[エスゾピクロン]] || style="text-align:center" | 1〜2mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center" | [[クアゼパム]] || style="text-align:center" | 中途覚醒/早朝覚醒 || 長時間型、活性代謝物あり || style="text-align:center" | 15mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center" | [[メラトニン受容体]]|| style="text-align:center" | [[ラメルテオン]] || style="text-align:center" | 入眠障害 || フルボキサミンとの併用は禁忌 || style="text-align:center" | 8mg<br />
|}<br />
<small>厚生労働省 かかりつけ医のためのBPSDに対応する向精神薬使用ガイドラインより改変引用</small><br><br />
<small>SDA:[[セロトニン]]・[[ドーパミン]]拮抗薬、DLB:レビー小体型認知症、MARTA:[[多受容体作用抗精神病薬]]</small><br><br />
<small>FTD:[[前頭側頭型認知症]]、SSRI:[[選択的セロトニン再取り込み阻害薬]]、SNRI:[[セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬]]、NaSSA:[[ノルアドレナリン作動性・特異的セロトニン作動性抗うつ薬]]</small><br><br />
<br />
=== その他の治療アプローチ ===<br />
==== 漢方療法 ====<br />
保険適応外ではあるが、最もエビデンスレベルが高いのは周辺症状に対する抑肝散である。本邦の認知症疾患治療ガイドライン2010コンパクト版2012にも記載があり、実臨床でも頻用されている。抑肝散には[[甘草]]が多く含まれるので、[[wikipedia:ja:偽アルドステロン症|偽アルドステロン症]]や[[wikipedia:ja:低カリウム血症|低カリウム血症]]に注意を要する。また他にも保険適応外ながら釣藤散、[[抑肝散加陳皮半夏]]や[[柴胡加竜骨牡蠣湯]]、[[黄連解毒湯]]、[[加味温胆湯]]、[[加味帰脾湯]]、[[八味地黄丸]]、[[当帰芍薬散]]など複数の漢方薬の報告がある。<br />
==== 日常生活動作障害への対応 ====<br />
認知症の初期には[[日常生活動作]](activities of daily living:ADL)のうち家事動作・服薬管理・買い物・電話・交通機関の利用など社会的活動に必要な、複雑で高度な手段的日常生活動作(instrumental ADL:IADL)から障害される。その後、中等度以降に進行すると食事・排泄・入浴・更衣・整容・移動などの基本的ADL(basic ADL:BADL)が障害される。IADL障害に対しては記憶の代償手段の活用(メモや日毎の内服分包、タイマー使用など)で対応する。症状が進行してBADL障害も出現するようになったら、「できるADL」を評価しながら段階的に介護量を調整し、安全面や負担も考慮して「していくADL」を検討する。また環境設定を統一し、同じ動作・方法を繰り返して[[手続き記憶]]を活用して学習したり、目印や着衣の容易な服への変更など環境整備により自立度を高める。<br />
<br />
==== 非薬物療法 ====<br />
認知機能、BPSD、ADLの改善を目指して行う。米国精神医学会の治療ガイドラインによると、標的とされるのは「認知」「刺激」「行動」「感情」の4つで、「認知」に関しては、見当識について他者とコミュニケーションをとりながら繰り返し学習する[[リアリティオリエンテーション療法]]、「刺激」については[[音楽療法]]などの各種[[芸術療法]]、「行動」に関しては行動異常を観察・評価して介入法を導き出すアプローチが、「感情」については過去の思い出について聞き手が受容・[[共感]]的に傾聴する[[回想法]]などが試みられる。また他にも[[認知刺激療法]]、[[運動療法]]などが試みられる。<br />
<br />
== 疫学 ==<br />
2014年の[[wj:国際アルツハイマー病協会|国際アルツハイマー病協会]]の報告によると、2013年時点での世界の認知症患者数は4400万人にものぼるとされ、疾患別内訳としてはアルツハイマー病が50-75%、血管性認知症が30-40%、前頭側頭葉変性症が5−10%、レビー小体型認知症が5%以下と記載されている。本邦においても厚生労働省研究班の調査により認知症患者数は2012年時点で460万人以上にのぼることが報告され、2025年には700万人にものぼると推計されている<ref>'''朝田 隆、泰羅 雅、石合 純、清原 裕、池田 学、et al.'''<br>都市部における認知症有病率と認知症の生活機能障害への対応.<br>''平成23年度-平成24年度総合研究報告書 : 厚生労働科学研究費補助金認知症対策総合研究事業'': 2013</ref><ref>'''二宮 利、清原 裕、小原 知、米本 孝'''<br>日本における認知症の高齢者人口の将来推計に関する研究.<br>''平成26年度総括・分担研究報告書 : 厚生労働科学研究費補助金厚生労働科学特別研究事業'': 2015</ref>。<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
<references/></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%97%87&diff=37856
認知症
2018-01-03T23:05:13Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/bakakyoudai 松村 晃寛]、[http://researchmap.jp/phoca 川又 純]、[http://researchmap.jp/read0012356 下濱 俊]</font><br><br />
''札幌医科大学 医学部 神経内科学講座''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2016年2月5日 原稿完成日:2016年月日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
英:dementia, major neurocognitive disorder 独:Demenz 仏:démence<br />
<br />
同義語:痴呆、呆け、耄け、老耄、耄碌 (いずれも現在では歴史的名称であり、科学的用語として今日用いるべきではない)<br />
<br />
{{box|text= 認知症は、一度正常に達した認知機能が意識清明下で後天的に低下し日常生活や社会生活に支障をきたす状態を言う。原因疾患はアルツハイマー病などの神経変性疾患の他、血管性認知症、慢性硬膜下血腫、正常圧水頭症、脳腫瘍、感染症、各種内科疾患、薬物中毒など多彩である。高齢化の進展に伴い患者数は増加しており、また有効な根治療法が確立していないケースが多く経済的、社会的観点からも重大な課題となっている。<u>(編集部コメント:名称に関する議論は、イントロに詳しいので、省きました。1段落で全体に対する要約をお願いいたします)</u>}}<br />
<br />
== 認知症とは ==<br />
=== 背景 ===<br />
認知症は概ね、[[意識]]正常下で[[認知機能]]が後天的に持続性に低下し、それにより日常生活・社会生活の障害をきたす疾患と捉えられている。近年、世界的な高齢化の進展に伴い増加している。その多くは病因未解明の[[神経変性疾患]]である[[アルツハイマー病]]が占めており、有効な根治療法が確立していないケースが多い。認知症ケアに要する経済的コストは2010年時点で全世界において6000億ドル以上と試算され、2030年には1兆ドルにものぼると推計されている<ref>'''Prince M, Albanese E, Guerchet M, Prina M, Prince M, et al.'''<br>World Alzheimer Report 2014<br>''Alzheimer's disease|Alzheimer's Disease International (London)'': 2014</ref>。このように、高齢化が進む世界において認知症患者の増加は経済的、社会的観点からも重大な課題となっている。<br />
<br />
=== 歴史的推移 ===<br />
本邦において本概念は古来、「呆ける、惚ける、耄ける(ぼける、ほける、ほうける)」「老い痴らふ(おいしらふ)」などの一般語で表わされ、少なくとも平安時代以降の文学などにおいて記載が散見される。江戸時代には広義に「老化による衰え」というニュアンスを含む「耄碌(もうろく)」という一般語が使用されるようになる。一方、医学用語としては、江戸時代の医師である[[wj:浅井貞庵|浅井貞庵]]の著書「[[wj:方彙口訣|方彙口訣]]」や[[wj:本間棗軒|本間棗軒]]の著書「[[wj:内科秘録|内科秘録]]」の中に「[[健忘]]」の語が認められる。[[wj:江戸時代|江戸時代]]末期から[[wj:明治時代|明治]]初期にかけて様々な西洋医学用語が日本語に訳されたが「dementia」については1872年(明治5年)の「[[wj:医語類聚|医語類聚]]」では「狂ノ一種」と訳され、以後も「痴狂」や「瘋癩」「痴呆」など様々に訳され一定しなかった。その後、1908年(明治41年)、東京帝国大学精神病学講座の[[wj:呉秀三|呉秀三]]教授が「狂」の文字を避ける観点から「痴呆」の使用を提唱し、それが一般化した。しかし、徐々に「痴呆」という用語における差別感・侮蔑感・不適切感が指摘されるようになり、[[wj:厚生労働省|厚生労働省]]における議論や検討会を経て、2004年末に公的な用語としてはそれまでの「痴呆」を「認知症」と呼び変えることが決定した。一方、人間が外界の情報を内部に[[取り入れ]]る知的機能・現象を表わす「認知」という言葉の後に「〜の状態」という意味の「症」を続けるのは日本語として意味が不明であり、不適切であると言う議論も出ている。<br />
<br />
== 診断 ==<br />
=== 診断基準 ===<br />
認知症の診断基準のうち、国際的に広く用いられているものとしては[[wikipedia:ja:世界保健機関|世界保健機関]]による[[ICD-10]]や、[[wikipedia:ja:米国精神学会|米国精神学会]]による[[DSM-Ⅲ]]、[[DSM-Ⅳ]]-TRおよび2013年5月に公開された[[DSM-5]]などが挙げられる。<br />
<br />
ICD-10は1990年の第43回世界保健総会において採択された「疾病および関連保健問題の国際統計分類(International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems)」第10版であり、dementiaを「脳疾患により慢性(6ヶ月以上)あるいは進行性に[[記憶]]、[[思考]]、[[見当識]]、[[理解]]、[[計算]]、[[学習能力]]、[[言語]]、[[判断]]を含む高次皮質機能障害を示す症候群で、意識は清明である」としている。ICD-10における認知症の具体的な診断基準の要約を'''表1'''に示す。2017年にはICD-11が制定・公表される予定である。<br><br />
<br />
{| cellspacing="1" cellpadding="1" border="1" width="949" height="20""<br />
|+ '''表1.ICD-10による認知症の診断基準の要約''' <br />
| G1.以下の各項目を示す証拠が存在する。<br />
1) 記憶力の低下<br><br />
新規情報についての記憶力が低下し、重症例では過去に学習した情報の[[想起]]も障害される。可能であれば客観的に確認する。<br><br />
2) 記憶以外の認知機能の低下<br><br />
計画・整理といった判断や思考に関する能力、および情報処理全般の悪化があり、従来の能力水準からの悪化を可能であれば客観的に確認する。<br />
|-<br />
| G2.周囲の環境に対する認識がG1の症状を明確に証明するのに十分な期間、保たれている(すなわち[[意識混濁]]は存在しない)。[[せん妄]]のエピソードが重なっている場合は認知症の診断は保留する。<br />
|-<br />
| G3.[[情動]]コントロールや意欲の低下、社会行動の変化など以下の1項目以上を認める。<br><br />
1) [[情動不安定]]<br><br />
2) [[易怒性]]<br><br />
3) [[無気力]]<br><br />
4) [[社会行動の粗雑化]]<br><br />
|-<br />
| G4.診断確定にはG1症状が6ヶ月以上存在していることが必要。それより短い期間の場合は暫定診断とする。<br />
|}<br />
<br />
<u>(編集部コメント:DSM各版の比較は、概念の歴史的変遷を俯瞰するのには良いかもしれませんが、記事の長さも限られているのでDSM−5を除いて省いてはと思います。)</u><br />
<br />
DSM-Ⅲは1980年出版の「[[精神障害]]の診断統計マニュアル(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)」第3版であり、1987年にはその改訂版であるDSM-Ⅲ-Rが出版されている。DSM-Ⅲ-Rにおける認知症の診断基準の要約を'''表2'''に示す。また1994年には第4版にあたるDSM-Ⅳが出版され、2000年にDSM-Ⅳ-TRとして改訂されている。DSM-Ⅳ-TRにおける認知症の診断基準の要約を'''表3'''に示す。<br><br />
<br />
{| cellspacing="1" cellpadding="1" border="1" width="550" height="20""<br />
|+ '''表2.DSM-Ⅲ-Rによる認知症の診断基準の要約''' <br />
| A.短期・[[長期記憶]]障害の明らかな証拠が存在する。<br />
|-<br />
| B.以下のうち少なくとも1項目以上を認める。<br><br />
1) 抽象的思考の障害<br><br />
2) 判断の障害<br><br />
3) 高次皮質機能の障害(失語、失行、失認、構成障害)<br><br />
4) 性格変化<br />
|-<br />
| C.上記A、Bにより仕事、社会生活、人間関係が損なわれる。<br />
|-<br />
| D.意識変容やせん妄が存在する場合には起こらない(除外項目)。<br />
|-<br />
| E.以下のどちらかの状況にある。<br><br />
1) 病歴、身体所見、検査などの証拠から器質的疾患が病因であると判断される。<br><br />
2) このような証拠がなくとも器質的疾患以外の状況が合理的に除外されている場合。<br />
|}<br />
<br><br />
<br />
{| cellspacing="1" cellpadding="1" border="1" width="602" height="20""<br />
|+ '''表3.DSM-Ⅳ-TRによる認知症の診断基準の要約''' <br />
| A.多彩な認知機能障害の発現として以下の2項目がある。<br><br />
1) 記憶障害(新規情報の学習や、過去に学習した情報の想起の障害)<br><br />
(a)[[即時記憶]]は数字の順唱、逆唱により、近時記憶は言葉や物品の遅延再生により評価する。<br><br />
(b)[[遠隔記憶]]は随伴者に確認可能な個人情報(誕生日や卒業年、結婚記念日など)もしくは被<br />
験者の教育レベル・文化背景に合った一般知識の質問により評価する。<br><br />
<br />
2) 以下の認知機能障害のうち1項目以上を認める。<br><br />
(a)失語(言語の障害)<br><br />
(b)失行(運動機能は障害されていないのに運動の遂行が障害される)<br><br />
(c)失認(感覚機能は障害されていないのに対象を認識もしくは同定できない)<br><br />
(d)[[遂行機能]](計画を立てる、組織化する、順序立てる、抽象化すること)の障害<br />
|-<br />
| B.上記A-1)、A-2)の認知機能障害各々が社会的もしくは職業的機能の著しい障害を引き起こし、病前の機能水準からの著しい低下を示す。<br />
|-<br />
| C.この障害はせん妄の経過中にのみ現れるものではない。<br />
|}<br />
<br><br />
これらの診断基準を踏まえ、本邦の認知症疾患治療ガイドライン2010では認知症を「一度正常に達した認知機能が後天的な脳の障害によって持続性に低下し、日常生活や社会生活に支障をきたすようになった状態を言い、それが意識障害のないときに見られる。」と定義している。<br><br />
他方、2013年に公表されたDSM-5ではdementiaという用語は消失し、代わりに「[[神経認知障害]]:neurocognitive disorders(ND)」と総称することを提唱している。dementiaという用語が廃止されたのは語源的に「de (without) + mentia (mind)」と構成されており、「mad」「crazy」「insane」「lunatic」など「狂」を意味する語と類義で差別的・侮蔑的なためとされる。認知症に該当するMajor NDの診断基準を'''表4'''に示す。<br><br />
<br />
{| cellspacing="1" cellpadding="1" border="1" width="680" height="20""<br />
|+ '''表4.DSM-5による認知症(major neurocognitive disorder)の診断基準の要約''' <br />
| A.1つ以上の認知領域(複雑性注意、遂行機能、学習と記憶、言語、[[知覚]]-運動、社会的認知)において過去の水準から明らかな認知の低下を来しているという以下に基づく証拠がある。<br><br />
1) 本人、本人を良く知る情報提供者、もしくは臨床医による認知機能の明らかな低下があるという懸念。<br><br />
2) できれば標準化された神経心理学的検査で記録される形で、それが無い場合は他の定量化された臨床的評価によって確認された認知機能の明らかな障害。<br />
|-<br />
| B.毎日の活動において認知機能障害が自立性を阻害している(例:請求書の支払いや服薬管理など日常生活における複雑な操作的活動に援助を要する)。<br><br />
|-<br />
| C.認知機能障害はせん妄の経過中にのみ起こるものではない。<br />
|-<br />
| D.認知機能障害は他の[[精神疾患]]ではうまく説明されない(例:うつ病、統合失調症)。<br />
|}<br />
<br />
DSM-5の変更点に対する本邦の対応は、major neurocognitive disordersが内容的に従来のdementiaと重なる部分が多いこと、またdementiaに対する用語が本邦ではすでに「痴呆」から「認知症」へと変更されており社会的にも受け入れられていることから、major neurocognitive disordersを「認知症」とすることが[[日本精神神経学会]] 精神科用語検討委員会 精神科病名検討連絡会にて承認されている。<br />
<br />
=== 鑑別診断 ===<br />
認知症と鑑別すべき疾患・病態としては、[[せん妄]]などの[[意識障害]]、[[抑うつ状態]]、[[統合失調症]]などが挙げられる。<br />
<br />
せん妄は症状に類似点も多く、各種診断基準においても除外項目に挙げられることが多いが、本質は意識障害であり急性発症である点、興奮や幻覚で発症することが多い点、日内変動が見られやすい点、数日から数週間で軽快することが多い点などが鑑別点として挙げられる。<br />
<br />
また認知症を呈する疾患の鑑別診断には、アルツハイマー病、[[レビー小体型認知症]]、[[前頭側頭葉変性症]]、[[嗜銀顆粒性認知症]]、[[進行性核上性麻痺]]、[[大脳皮質基底核変性症]]、[[ハンチントン病]]などの[[神経変性疾患]]が挙げられる他、[[脳血管障害]]による[[血管性認知症]]、慢性[[硬膜下血腫]]、[[正常圧水頭症]]、[[硬膜動静脈瘻]]、[[脳腫瘍]]、[[外傷性脳損傷]]、[[慢性外傷性脳症]]、[[Creutzfeldt-Jakob病]]やその他の感染症として[[HIV感染症]]、[[亜急性硬化性全脳炎]]、[[進行性多巣性白質脳症]]、[[神経梅毒]]、[[髄膜脳炎]]など多彩な脳・神経疾患が挙げられる。また上記以外にも[[パーキンソン病]]や[[多発性硬化症]]、[[筋萎縮性側索硬化症]]、あるいは[[神経ベーチェット]]や[[サルコイドーシス]]など全身性疾患の中枢神経症状においても認知症を合併する場合がある。さらに、[[wikipedia:ja:甲状腺機能低下症|甲状腺機能低下症]]などの内[[分泌]]疾患、[[wikipedia:ja:糖尿病|糖尿病]]、栄養異常([[wikipedia:ja:ビタミンB1|ビタミンB1]]や[[wikipedia:ja:ビタミンB12|B12]]低下)などの代謝疾患、[[wikipedia:ja:肝不全|肝不全]]や[[wikipedia:ja:腎不全|腎不全]]などの[[wikipedia:ja:臓器不全|臓器不全]]、[[アルコール]]や[[麻薬]]、その他薬物や金属、[[wikipedia:ja:一酸化炭素|一酸化炭素]]による[[wikipedia:ja:中毒|中毒]]など、各種身体疾患においても認知症は認められ、鑑別の範囲は非常に多岐に渡る。<br />
<br />
=== 検査 ===<br />
認知症であるか否か、あるいは認知症性疾患であるとしてどのような診断であるのか、以下のような検査が必要になる。<br />
==== 神経心理検査 ====<br />
認知症であるか否かのスクリーニング検査のうち、質問式の方法としては本邦では[[長谷川式認知症スケール]](Hasegawa's dementia scale-revised:HDS-R)や[[mini-mental state examination]](MMSE)が広く用いられる。<br />
<br />
:'''長谷川式認知症スケール''':1974年に作成された[[長谷川式簡易知能スケール]]の改訂版(1991年)であり、2004年の認知症への改称に伴い2005年から現在の名称になっている。9つの設問からなり最高点は30点満点で21点以上を正常、20点以下を認知症の疑いとする。<br />
<br />
:'''Mini-mental state examination''':国際的に最も広く使用されている方法で、11の設問からなる。最高点は30点満点で24点以上を正常、23点以下を認知症の疑いとしていたが、最近では27点以上を正常、22〜26点を軽度認知症の疑い、21点以下を認知症の疑いが強いとする基準も用いられる。<br />
<br />
他にも、より簡便なスクリーニング法として「10時10分もしくは8時20分を指す時計の文字盤を描かせる」[[clock frawing test]](CDT)や年齢、日付、生年月日などのみを質問する方法なども行われる。また長谷川式認知症スケールやmini-mental state examinationでは評価が困難な[[前頭葉]]機能の評価法として[[frontal assessment battery]](FAB)が挙げられる。これは6設問からなり最高点は18点満点でカットオフ値については諸説あり、11、12点を勧める報告<ref>'''前島 伸、種村 純、大沢 愛、川原田 美、関口 恵ら'''<br>高齢者に対するFrontal assessment battery(FAB)の臨床意義について.<br>''脳と神経'': 2006, 58; 207-11</ref>などが散見される。<br />
<br />
==== 血液検査 ====<br />
認知症が疑われた際に、認知症をきたす各種内科疾患とそれ以外の認知症疾患の鑑別に有用である。例えば、一般的な項目として[[wikipedia:ja:血算|血算]]、[[wikipedia:ja:血沈|血沈]]、肝機能、腎機能、[[wikipedia:ja:電解質|電解質]]、[[wikipedia:ja:血糖|血糖]]、[[wikipedia:ja:HbA1c|HbA1c]]、[[wikipedia:ja:脂質|脂質]]、[[wikipedia:ja:アンモニア|アンモニア]]、[[wikipedia:ja:甲状腺ホルモン|甲状腺ホルモン]]、ビタミンB1、B12、[[wikipedia:ja:葉酸|葉酸]]、[[wikipedia:ja:梅毒血清反応|梅毒血清反応]]、[[wikipedia:ja:動脈血ガス分析|動脈血ガス分析]]などが挙げられる。<br />
<br />
また悪性腫瘍の鑑別に各種[[wikipedia:ja:腫瘍マーカー|腫瘍マーカー]]、[[wikipedia:ja:自己免疫疾患|自己免疫疾患]]の鑑別に各種[[wikipedia:ja:自己抗体|自己抗体]]、感染症の鑑別には[[wikipedia:ja:HIV抗体|HIV抗体]]や[[wikipedia:ja:JCウイルス|JCウイルス]]、[[wikipedia:ja:麻疹ウイルス|麻疹ウイルス]]、[[wikipedia:ja:風疹ウイルス|風疹ウイルス]]抗体がそれぞれ役立つ。さらに中毒を疑う例では各種薬剤、特に[[抗精神病薬]]や金属、有機化合物などの血中濃度測定が有用である。一方、神経変性疾患であるアルツハイマー病においては血漿[[アミロイドβ]]([[Aβ]])についての検証がなされている<ref><pubmed> 9065558 </pubmed></ref><ref><pubmed> 9029078 </pubmed></ref>。<br />
<br />
==== 脳脊髄液検査 ====<br />
[[脳脊髄液]]検査は[[髄膜脳炎]]や[[くも膜下出血]]、各種[[神経免疫疾患]]、腫瘍性疾患などの鑑別に有用である。[[亜急性硬化性全脳炎]]においては脳脊[[髄液]][[wikipedia:ja:麻疹|麻疹]]抗体、進行性多巣性[[白質]]脳症ではJCウイルス[[DNA]] PCRが、Creutzfeldt-Jakob病では脳脊髄液[[14-3-3タンパク質]]や総タウタンパク質の測定がそれぞれ有用とされる。またアルツハイマー病では脳脊髄液中の[[タウ]]タンパク質やAβが検証され、近年注目されている。<br />
<br />
==== 画像検査 ====<br />
画像検査のうち[[CT]]、[[MRI]]、[[MRA]]は脳血管障害、慢性[[硬膜]]下血腫、正[[常圧]]水頭症、硬膜動静脈瘻、脳腫瘍、髄膜脳炎、多発性硬化症などの診断に有用である。MRIの拡散強調画像はCreutzfeldt-Jakob病の病変描出能に優れる。またMRIは神経変性疾患における脳の形態学的変化の描出にも優れ、近年では[[voxel-based morphometry]](VBM)が発達している。これは各個人の脳の形態情報を標準化し、健常標準脳の形態と比較してvoxel単位で統計学的に脳の萎縮を評価する手法である。アルツハイマー病における[[海馬]]や[[海馬傍回]]の評価などに用いる。<br />
<br />
[[脳血流SPECT]]は主に[[123I-IMP|<sup>123</sup>I-IMP]]や[[99mTc-ECD|<sup>99m</sup>Tc-ECD]]を核種として用い、特に神経変性疾患においては形態学的変化をきたす以前の異常を検出しうる検査法として重要視されている。かつては評価において客観性に欠けることが指摘されていたが、近年では[[statistical parametric mapping]](SPM)、[[three-dimentional stereotactic surface projection]](3D-SSP)、[[easy Z-score imaging system]](e-ZIS)などの画像統計解析手法が発達し、課題が克服されている。<br />
<br />
保健適応外の臨床研究領域では、アルツハイマー病において[[陽電子断層撮像法#脳機能計測|FDG-PET]]で側頭葉内側や[[頭頂-側頭連合野]]、[[帯状回]]後部などにおける糖代謝低下が指摘される。また近年、[[11C-PIB|<sup>11</sup>C-PIB]]や[[FDDNP]]、[[BF-227]]などを核種とした[[陽電子断層撮像法#様々なPETプローブとその応用|アミロイドイメージング]]によりアルツハイマー病における[[老人斑]]の検出が非侵襲的に可能になり注目されている。<br />
<br />
== 病態生理 ==<br />
認知症の原因疾患は非常に多岐にわたるため、個々の疾患の病態生理について本項目に記すことは困難である。認知症の診断基準・定義は先述の通り種々あるが、概ね意識清明下で後天的に認知機能が過去の水準より低下した状態を包含する。必ずしも認知機能障害イコール認知症ではないが、認知機能障害は認知症の構成要素であるとはいえる。認知機能は「情報を脳内に取り入れ、各種処理過程を経て表出するまでに関わる脳の全機能」と考えられ、各認知機能はそれぞれ大脳の特定の部位に局在し、脳の障害部位により特徴的な認知機能障害を呈する。また、脳疾患における認知機能障害は局在の他に疾患に特有のメカニズムが関与する場合もある。そこで、認知機能障害の病態生理について解剖学的見地と各種脳疾患ごとの見地から以下にそれぞれ記載する('''表5、6''')。<br />
<br />
<u>(編集部コメント:次は表にしました)</u><br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+ 表5.解剖学的見地からの病態生理<br />
!障害部位!!症状<br />
|-<br />
|'''[[前頭葉]]'''<br />
|[[失行]]、[[失語]]、[[性格変化]]、[[意欲]]・[[活動性]]低下、[[興奮]]、[[多幸感]]、[[無頓着]]、[[脱抑制]]、大食、[[注意力]]低下、[[記銘力]]障害、問題解決能力低下など<br />
|-<br />
|'''[[劣位半球]][[頭頂葉]]'''<br />
|[[半側身体失認]]や[[半側空間無視]]、[[構成失行]]、[[着衣失行]]、[[病態失認]]、[[地誌的記憶障害]]など<br />
|-<br />
|'''[[優位半球]]頭頂葉'''<br />
|[[観念失行]]や[[観念運動失行]]<br />
|-<br />
|'''優位半球[[角回]]'''<br />
|[[手指失認]]・[[左右識別障害]]・[[失算]]・[[失書]]を4徴とする[[Gerstmann症候群]]<br />
|-<br />
|'''[[側頭葉]]'''<br />
|[[Wernicke失語]]や[[嗅覚障害]]、[[聴覚失認]]、[[皮質聾]]、[[複合幻聴]]、[[Klüver-Bucy症候群]]、側頭葉内側の障害により[[記憶障害]]<br />
|-<br />
|'''[[後頭葉]]'''<br />
|[[半盲]]、[[皮質盲]]、[[視幻覚]]、[[視覚保続]]、[[視覚失認]]、[[純粋失読]]、[[Anton症候群]](視覚障害を否認)など<br />
|-<br />
|'''[[脳梁]]'''<br />
|左視野の[[失読]]や左手の[[失書]]・[[失行]]、[[道具]]の強迫使用、[[拮抗性失行]]([[離断症候群]])<br />
|-<br />
|'''[[大脳辺縁系]]<br>([[梁下回]]・[[帯状回]]・[[海馬傍回]]・[[鉤]]・[[扁桃体]]・[[海馬]]・[[歯状回]]・[[脳弓]]・[[中隔核]])''' <br />
|[[Papez回路]]や[[Yakovlev回路]]を含み、記憶や[[情動]]と関連する。両側海馬障害により[[近時記憶]]が、[[乳頭体]]病変では[[遠隔記憶]]が障害される。<br />
|-<br />
|'''[[視床]]'''<br />
|種々の感覚入力の中継点であり、視床核はPapez回路やYakovlev回路を構成するため、視床障害により記憶・情動障害が起こりえる。<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+ 表6.各種脳疾患ごとの見地から病態生理<br />
!疾患!!病態<br />
|-<br />
|'''アルツハイマー病'''<br />
|早期から海馬を中心とする[[側頭葉]]内側部、[[側頭頭頂移行部]]の萎縮がみられる。記憶障害がほぼ必発である。[[前頭連合野]]は比較的保たれるため初期からの[[人格]]変化は稀で礼節は保たれる。<br />
|-<br />
|'''レビー小体型認知症'''<br />
|[[脳血流SPECT]]において[[一次視覚野]]を含めた[[後頭葉]]から[[頭頂葉]]の血流低下を認め、[[幻視]]や視覚障害を呈するが初期の記銘力障害は目立たないことが多い。<br />
|-<br />
|'''前頭側頭葉変性症'''<br />
|多幸、脱抑制、異常行動、自発性の低下などが高頻度に認められる一方、[[妄想]]や幻視は少なく初期からの顕著な記憶障害、失語、視空間障害、失行・失認、[[構成障害]]は見られない。<br />
|-<br />
|'''嗜銀顆粒性認知症'''<br />
|側頭葉内側面の迂回回が[[嗜銀顆粒]]の好発部位であり、左右差を呈することが多く、物忘れを初発としつつ頑固さや易怒性、自発性低下など前頭側頭葉変性症に類似の症状を呈するが進行は緩徐である。<br />
|-<br />
|'''血管性認知症'''<br />
|病態、局在とも多様で不均一である。記憶力の割に人格や理解力などが保たれる[[まだら状認知症]]を呈し、階段状に進行する。<br />
|-<br />
|'''慢性硬膜下血腫''' <br />
|局所神経症状がなくとも認知機能障害を呈する場合があり、その機序として血腫による脳循環障害が考えられる。<br />
|-<br />
|'''正常圧水頭症'''<br />
|[[脳室]]拡大や正常範囲内での頭蓋内圧上昇をきたし、神経線維の直接圧迫や脳循環障害を介して種々の症状を呈する。タップ[[テスト]]により早期から反応がみられることから脳循環障害の要素が強いと思われる。注意障害や思考・反応・作業速度の低下、語想起能力低下、遂行機能障害など前頭葉機能中心の認知機能障害を呈する。<br />
|-<br />
|'''硬膜動静脈瘻''' <br />
|[[動静脈間シャント]]により動脈血流が静脈に流入し、脳静脈還流障害・浮腫などを呈し認知機能障害を発症する。[[大脳皮質]]のみならず、[[Galen大静脈]]へのシャントによる両側視床の局所血流障害でも発症する。<br />
|-<br />
|'''脳腫瘍''' <br />
|局在により多彩な症状を呈するが、認知症だけを呈する場合は前頭葉病変が多いとされる。[[前頭葉穹窿部]]が両側性に障害されると自発性の欠如が、[[前頭眼窩野]]が両側性に障害されると人格の変化がみられる。<br />
|-<br />
|'''外傷性脳損傷'''<br />
|頭部に対して物理的な衝撃が作用した結果起こる急性の脳損傷で、脳挫傷やびまん性[[軸索]]損傷を主体とし、これによる[[脳浮腫]]や[[脳循環障害]]などにより広範な脳機能障害が誘発される。<br />
|-<br />
|'''慢性外傷性脳症''' <br />
|頭部への外力を慢性的に受けることで脳の微小損傷が蓄積し、数年〜数十年後に様々な神経症状と認知機能障害を呈する。詳細な機序は不明だが病理学的にアルツハイマー病との類似性が指摘される。<br />
|-<br />
|'''Creutzfeldt-Jakob病''' <br />
|MRI拡散強調画像において大脳皮質、大脳基底核、視床に異常信号を認める。食欲不振、倦怠感、[[睡眠障害]]、[[頭痛]]、視覚障害から亜急性に認知症状が進行し、言語障害、性格変化や異常行動、[[小脳失調]]、[[錐体路]]・[[錐体外路徴候]]、[[ミオクローヌス]]を経て[[無動性無言状態]]に至る。<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
== 治療 ==<br />
認知症を呈する疾患のうち、まずは根治可能な疾患を鑑別し加療する。慢性硬膜下血腫や正常圧水頭症などは外科手術、内分泌・代謝疾患、感染症は内科的治療、薬剤誘発性のものは原因薬剤の中止を行う。他方、アルツハイマー病などの神経変性疾患、[[プリオン病]]、後遺障害の残存しやすい外傷性脳損傷や血管性認知症、ある種の脳腫瘍などは根治困難であり対症療法を検討する。認知症の症状は[[中核症状]]と[[周辺症状]](behavioral psychological symptoms of dementia:BPSD)に二分され、以下にそれぞれの特徴と治療・対処法について記載する。<br />
<br />
=== 中核症状 ===<br />
記憶障害、見当識障害、遂行機能障害、計算力低下など進行に伴い出現する普遍的症状を指す。<br />
<br />
==== アルツハイマー病の中核症状に対する対症療法 ====<br />
認知症の50%を占めるアルツハイマー病に対し本邦で承認されているのは[[コリンエステラーゼ]](cholinesterase:ChE)[[阻害薬]]と[[NMDA型グルタミン酸受容体|N-methyl-D-aspartate(NMDA)受容体]][[拮抗薬]]である。ChE阻害薬は「アルツハイマー病において[[Meynert核]]の[[アセチルコリン]]([[acetylcholine]]:[[ACh]])作動性神経細胞の脱落とACh合成系の活性低下が病態に関連する」という[[コリン]]仮説を基に開発され、[[シナプス]]間隙のACh量を増加させる。<br />
<br />
一方、NMDA型[[グルタミン酸受容体]]拮抗薬は「アルツハイマー病において、脳内[[グルタミン酸]]濃度の持続的上昇やNMDA型グルタミン酸受容体への[[アミロイド]]βの結合によりCa<sup>2+</sup>が細胞内に過剰流入し、[[シナプス後膜電位]]変化が増大して(シナプティックノイズ)記憶・学習の形成を阻害したり、[[酸化ストレス]]増大や[[神経細胞死]]を招く」という[[グルタミン酸仮説]]に基づき開発されている。本剤は持続性の病的な低濃度グルタミン酸刺激に対してはNMDA型グルタミン酸受容体に結合して過剰Ca<sup>2+</sup>流入による神経毒性を防ぐが、生理的な神経興奮による一過性の高濃度グルタミン酸刺激に対しては電位依存性にNMDA型グルタミン酸受容体から解離するため、正常な神経伝達や記憶形成には影響しない。'''表7'''に各薬剤の特徴を示す。<br><br />
<br />
{| cellspacing="1" cellpadding="1" border="1" width="850" height="20""<br />
|+ '''表7.アルツハイマー病治療薬の特徴''' <br />
! style="width:14%" | 一般名 !! style="width:12%" | 作用機序 !! style="width:14%" | 適応 !! style="width:23%" | 副次的効果 !! style="width:13%" | 剤型 !! style="width:12%" | 用法(回/日) !! style="width:12%" | 代謝・排泄<br />
|-<br />
! [[ドネペジル]]<br />
| rowspan="3" style="text-align:center"| ChE阻害剤 || style="text-align:center" | 軽〜重度AD || style="text-align:center" | なし || style="text-align:center" | 錠剤・散剤<br>口腔内崩壊錠<br>ゼリー剤等 || style="text-align:center" | 1 || rowspan="2" style="text-align:center" | 肝<br />
|-<br />
! [[ガランタミン]]<br />
| rowspan="2" style="text-align:center" | 軽〜中等度AD || style="text-align:center" | nACh受容体への<br>アロステリック(APL)作用 || style="text-align:center" | 錠剤 || style="text-align:center" | 2 <br />
|-<br />
! [[リバスチグミン]]<br />
| style="text-align:center" | BuChE阻害作用 || style="text-align:center" | 経皮吸収型製剤 || style="text-align:center" | 1 || rowspan="2" style="text-align:center" | 腎<br />
|-<br />
! [[メマンチン]]<br />
| style="text-align:center" | NMDA受容体拮抗薬 || style="text-align:center" | 中等度〜重度AD || style="text-align:center" | なし || style="text-align:center" | 錠剤 || style="text-align:center" | 1 <br />
|}<br />
<small>nACh:[[ニコチン性]]アセチルコリン(nicotic acetylcholine)、BuChE:[[ブチリルコリンエステラーゼ]](butyrylcholinesterase)、</small><br><br />
<small>VaD:血管性認知症(vascular dementia)、DLB:レビー小体型認知症(dementia with Lewy bodies)</small><br />
<br />
==== アルツハイマー病以外の認知症性疾患の中核症状に対する対症療法 ====<br />
血管性認知症では[[ドーパミン]]放出促進作用とNMDA受容体拮抗作用を有する[[アマンタジン]]が「脳梗塞後遺症に伴う意欲・自発性低下」に対し保険承認されている他、保険適応外の臨床研究でChE阻害剤が有効とする報告もある。<br />
<br />
外傷性脳損傷についてはこれも保険適応外だが、注意障害に対し[[メチルフェニデート]]やChE阻害剤、アマンタジンなどが有効との報告がある。<br />
<br />
レビー小体型認知症ではChE阻害剤にて認知機能や妄想、幻覚など臨床症状全般が改善したという報告があり本邦では2014年9月より[[アリセプト]]が承認されている。メマンチンも本邦未承認ではあるが[[ランダム化比較試験]]で改善が報告されている。しかし前頭側頭葉変性症など他の神経変性疾患や[[プリオン]]病は現状では有効な治療薬はない。<br />
<br />
=== 周辺症状===<br />
<u>(編集部コメント:略号の使用は極力避けておりますので、BPSDを周辺症状と致しましたが、よろしいでしょうか)</u><br />
<br />
かつて認知症の問題行動や異常行動とよばれた概念で行動症状と心理症状に二分される。前者は[[不穏]]、[[多動]]、[[徘徊]]、[[攻撃性]]、興奮、[[拒絶]]、[[拒食]]・[[異食]]、[[不潔行為]]、[[つきまとい]]、[[概日リズム障害]]、[[社会的逸脱行動|社会的]]・[[性的逸脱行動]]が、後者は抑うつや[[不安]]、[[アパシー]]、[[幻覚]]、[[妄想]]などがあげられる。認知症患者の約60〜90%が少なくとも1つ以上のBPSD症状を呈し、特に無関心、興奮、[[易刺激性]]、抑うつなどの頻度が高いとされる。<br />
<br />
==== ケアと環境整備による対応 ====<br />
周辺症状に対しては原因、誘因、状態を把握し、会話の仕方の工夫(短く簡潔に、穏やかに)や[[失禁]]・空腹など身体的問題への対処、不安の原因の除去、首尾一貫した対応、道具の工夫などまずはケア・環境整備により対応する。これらの対応で難しい場合には次の薬物療法を試みる。<br />
<br />
==== 薬物療法 ====<br />
ChE阻害剤など中核症状を改善する薬剤により周辺症状も軽減されることが多く、認知症疾患治療ガイドライン2010コンパクト版2012でも焦燥性興奮、攻撃性、脱抑制、体重減少、レビー小体型認知症における幻覚・妄想や[[REM睡眠期行動異常]](RBD)などに記載が見られる。また抑肝散など漢方療法も示唆される(詳細は後述)。<br />
<br />
[[抗精神病薬]]では[[非定型抗精神病薬]]が使われやすいが、米国食品衛生局(FDA)より「認知症高齢者の臨床治験において非定型抗精神病薬投与群はプラセボ投与群に比べ死亡率が増加する」という警告が出ており要注意である。2013年7月には「かかりつけ医のための周辺症状に対する[[向精神薬]]使用ガイドライン」が厚生労働省により公表されている('''表8''')。<br><br />
<br />
{| cellspacing="1" cellpadding="1" border="1" width="965" height="20""<br />
|+ '''表8.周辺症状に対する向精神薬治療''' <br />
! style="width:9%" | 分類 !! style="width:12%" | 作用機序など !! style="width:13%" | 薬物名 !! style="width:21%" | 想定される<br>認知症への使用 !! style="width:43%" | 特徴・注意点 !! style="width:2%" | 用量<br />
|-<br />
! rowspan="5" | 抗精神病薬<br />
| rowspan="2" style="text-align:center"| SDA || style="text-align:center" | [[リスペリドン]] || rowspan="5" style="text-align:center" | 焦燥、興奮、攻撃性<br>または精神病症状 ||・高血糖あるいは糖尿病を合併している場合は第1選択。<br>・DLBではパーキンソン症状の悪化を示しやすいため注意。 || style="text-align:center" | 0.5〜2.0mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center" | [[ペロスピロン]] || ・抗不安薬、眠前薬として使用可。<br>・高血糖/糖尿病合併例では慎重投与。 || style="text-align:center" | 4〜12mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center"| Loose binding || style="text-align:center" | [[クエチアピン]] || ・パーキンソン症状がある場合とDLBでは第1選択、眠前薬として使用可。<br>・高血糖/糖尿病合併例では禁忌。 || style="text-align:center" | 25〜100mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center"| MARTA || style="text-align:center" | [[オランザピン]] || ・眠前薬としては用いない。<br>・高血糖/糖尿病合併例では禁忌。 || style="text-align:center" | 2.5〜10mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center"| Dopamine partial agonist || style="text-align:center" | [[アリピプラゾール]] || ・眠前薬としては用いない。<br>・高血糖/糖尿病合併例では慎重投与。 || style="text-align:center" | 3〜9mg<br />
|-<br />
! rowspan="10" | [[抗うつ薬]]<br />
| rowspan="4" style="text-align:center"| [[SSRI]] || style="text-align:center" | [[フルボキサミン]] || rowspan="4" style="text-align:center" | うつ症状、FTDの脱抑制、<br>情動行動、食行動異常 ||・分3、食直後の服用<br>・開始時悪心や嘔吐が出現することあり<br>・高齢者では慎重投与 || style="text-align:center" | 25-75〜75-100mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center" | [[パロキセチン]] || ・うつ病とうつ状態では用量は右記。原則1週ごとに10mg/日ずつ増量<br>・高齢者では慎重投与(SIADH、出血のリスク増)<br>・分1、夕直後の服用<br>・開始時悪心や嘔吐が出現することあり || style="text-align:center" | 10〜40mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center" | [[セルトラリン]] || ・分1<br>・高齢者では慎重投与 || style="text-align:center" | 25〜50mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center" | [[エスシタロプラム]] || ・分1、夕食後<br>・QT延長例は禁忌<br>・肝機能障害、高齢者では10mgを上限が望ましい || style="text-align:center" | 10mg<br />
|-<br />
| rowspan="2" style="text-align:center"| [[SNRI]] || style="text-align:center" | [[ミルナシプラン]] || style="text-align:center" | うつ症状 ||・分3、[[MAO阻害薬]]との併用は禁忌<br>・[[前立腺]]疾患等合併例では尿閉が起きることあり || style="text-align:center" | 15〜60mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center" | [[デュロキセチン]] || style="text-align:center" | うつ症状、舌などの[[痛み]]<br>を訴える心気症状に<br>効果がある可能性あり || ・分1、夕直後の服用<br>・SSRI類似の消化器症状が出現することあり<br>・高度の肝・腎機能障害では禁忌<br>・高齢者では慎重投与 || style="text-align:center" | 20〜40mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center"| NaSSA || style="text-align:center" | [[ミルタザピン]] || style="text-align:center" | うつ症状、抗不安作用、睡眠障害の改善、食欲改善効果 ||・分1、眠気が出やすい、眠前投与<br>・高齢者では血中濃度上昇のリスクあり、慎重投与 || style="text-align:center" | 7.5〜30mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center"| 三環系 || style="text-align:center" | [[アモキサピン]] || style="text-align:center" | うつ症状<br>(SSRI無効時) ||・抗コリン作用、弱心毒性 || style="text-align:center" | 25〜75mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center"| 四環系 || style="text-align:center" | [[ミアンセリン]] || style="text-align:center" | せん妄、不眠 ||・弱抗コリン作用、鎮静効果<br>・心毒性なし、分1で眠前投与も可 || style="text-align:center" | 10〜30mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center"| 異環系 || style="text-align:center" | [[トラゾドン]] || style="text-align:center" | 焦燥、不眠<br />
||・抗コリン作用、心毒性なし<br>・眠気のため就寝前に投与も可<br>・1〜数回分服、高齢者では安全性未確立 || style="text-align:center" | 25〜100mg<br />
|-<br />
! rowspan="6" | [[抗不安薬]]/<br>睡眠導入薬<br />
|-<br />
| rowspan="4" style="text-align:center" | ω1[[GABA受容体|ベンゾジアゼピン受容体]]<br>[[作動薬]] || style="text-align:center" | [[ゾルピデム]] || rowspan="3" style="text-align:center" | 入眠障害 || rowspan="3" | 超短時間作用型 || style="text-align:center" | 5mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center" | [[ゾピクロン]] || style="text-align:center" | 7.5mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center" | [[エスゾピクロン]] || style="text-align:center" | 1〜2mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center" | [[クアゼパム]] || style="text-align:center" | 中途覚醒/早朝覚醒 || 長時間型、活性代謝物あり || style="text-align:center" | 15mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center" | [[メラトニン受容体]]|| style="text-align:center" | [[ラメルテオン]] || style="text-align:center" | 入眠障害 || フルボキサミンとの併用は禁忌 || style="text-align:center" | 8mg<br />
|}<br />
<small>厚生労働省 かかりつけ医のためのBPSDに対応する向精神薬使用ガイドラインより改変引用</small><br><br />
<small>SDA:[[セロトニン]]・[[ドーパミン]]拮抗薬、DLB:レビー小体型認知症、MARTA:[[多受容体作用抗精神病薬]]</small><br><br />
<small>FTD:[[前頭側頭型認知症]]、SSRI:[[選択的セロトニン再取り込み阻害薬]]、SNRI:[[セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬]]、NaSSA:[[ノルアドレナリン作動性・特異的セロトニン作動性抗うつ薬]]</small><br><br />
<br />
=== その他の治療アプローチ ===<br />
==== 漢方療法 ====<br />
保険適応外ではあるが、最もエビデンスレベルが高いのは周辺症状に対する抑肝散である。本邦の認知症疾患治療ガイドライン2010コンパクト版2012にも記載があり、実臨床でも頻用されている。抑肝散には[[甘草]]が多く含まれるので、[[wikipedia:ja:偽アルドステロン症|偽アルドステロン症]]や[[wikipedia:ja:低カリウム血症|低カリウム血症]]に注意を要する。また他にも保険適応外ながら釣藤散、[[抑肝散加陳皮半夏]]や[[柴胡加竜骨牡蠣湯]]、[[黄連解毒湯]]、[[加味温胆湯]]、[[加味帰脾湯]]、[[八味地黄丸]]、[[当帰芍薬散]]など複数の漢方薬の報告がある。<br />
==== 日常生活動作障害への対応 ====<br />
認知症の初期には[[日常生活動作]](activities of daily living:ADL)のうち家事動作・服薬管理・買い物・電話・交通機関の利用など社会的活動に必要な、複雑で高度な手段的日常生活動作(instrumental ADL:IADL)から障害される。その後、中等度以降に進行すると食事・排泄・入浴・更衣・整容・移動などの基本的ADL(basic ADL:BADL)が障害される。IADL障害に対しては記憶の代償手段の活用(メモや日毎の内服分包、タイマー使用など)で対応する。症状が進行してBADL障害も出現するようになったら、「できるADL」を評価しながら段階的に介護量を調整し、安全面や負担も考慮して「していくADL」を検討する。また環境設定を統一し、同じ動作・方法を繰り返して[[手続き記憶]]を活用して学習したり、目印や着衣の容易な服への変更など環境整備により自立度を高める。<br />
<br />
==== 非薬物療法 ====<br />
認知機能、BPSD、ADLの改善を目指して行う。米国精神医学会の治療ガイドラインによると、標的とされるのは「認知」「刺激」「行動」「感情」の4つで、「認知」に関しては、見当識について他者とコミュニケーションをとりながら繰り返し学習する[[リアリティオリエンテーション療法]]、「刺激」については[[音楽療法]]などの各種[[芸術療法]]、「行動」に関しては行動異常を観察・評価して介入法を導き出すアプローチが、「感情」については過去の思い出について聞き手が受容・[[共感]]的に傾聴する[[回想法]]などが試みられる。また他にも[[認知刺激療法]]、[[運動療法]]などが試みられる。<br />
<br />
== 疫学 ==<br />
2014年の[[wj:国際アルツハイマー病協会|国際アルツハイマー病協会]]の報告によると、2013年時点での世界の認知症患者数は4400万人にものぼるとされ、疾患別内訳としてはアルツハイマー病が50-75%、血管性認知症が30-40%、前頭側頭葉変性症が5−10%、レビー小体型認知症が5%以下と記載されている。本邦においても厚生労働省研究班の調査により認知症患者数は2012年時点で460万人以上にのぼることが報告され、2025年には700万人にものぼると推計されている<ref>'''朝田 隆、泰羅 雅、石合 純、清原 裕、池田 学、et al.'''<br>都市部における認知症有病率と認知症の生活機能障害への対応.<br>''平成23年度-平成24年度総合研究報告書 : 厚生労働科学研究費補助金認知症対策総合研究事業'': 2013</ref><ref>'''二宮 利、清原 裕、小原 知、米本 孝'''<br>日本における認知症の高齢者人口の将来推計に関する研究.<br>''平成26年度総括・分担研究報告書 : 厚生労働科学研究費補助金厚生労働科学特別研究事業'': 2015</ref>。<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
<references/></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E8%84%B3%E7%A7%91%E5%AD%A6%E8%BE%9E%E5%85%B8:%E8%84%B3%E7%A7%91%E5%AD%A6%E8%BE%9E%E5%85%B8%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6&diff=37071
脳科学辞典:脳科学辞典について
2017-01-09T11:18:45Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div> 脳科学辞典は、脳科学分野の約1,000個の用語を解説し、無償で公開するサイトである。利用者としては脳科学分野で研究活動を行っている、または行おうとしている学生と研究者を主に想定している。脳科学は大きな広がりを持った分野であるので、使われる用語も極めて多岐にわたっている。一線の研究者であっても、自分の専門分野から離れた分野には知らない用語がままある。自分の専門分野から離れた分野の用語の内容をインターネット上で簡単に勉強することができれば、研究者としての成長に、さらに質の高い研究の創造に大きく役立つと期待する。用語の解説に当たっては、それぞれの用語が最も頻繁に使われる分野から最も遠い分野の学生・研究者にも容易に理解でき、かつ最近の研究動向についての知識もある程度得られるような記述を心がけた。編集と執筆は全て無償のボランティア活動である。解説内容に対する責任を明確にするために、執筆者は編集委員会で選定し、各用語解説に執筆者と担当編集者の名前を書き加えた。利用者からの新規解説用語の提案も歓迎する。<br />
<br />
脳科学辞典は有志による編集委員会がニューロインフォマティックス日本ノードの支援を受けて始めたが、更なる発展を目指して2015年2月に日本神経科学学会の事業として位置づけられた。脳科学辞典編集委員会は日本神経科学学会の常設委員会となり、同学会理事会の監督下にある。<br />
<br />
== 編集委員長 ==<br />
<br />
林 康紀(理化学研究所 脳科学総合研究センター)<br />
<br />
==編集委員==<br />
<br />
=== 認知 ===<br />
<br />
定藤規弘(自然科学研究機構 生理学研究所)<br />
<br />
田中啓治(理化学研究所 脳科学総合研究センター)<br />
<br />
=== システム・回路 ===<br />
<br />
一戸紀孝(国立精神・神経医療研究センター 神経研究所)<br />
<br />
藤田一郎(大阪大学大学院 生命機能研究科)<br />
<br />
宮川 剛(藤田保健衛生大学 総合医科学研究所 システム医科学研究部門)<br />
<br />
=== 細胞・シナプス・分子 ===<br />
<br />
河西春郎(東京大学大学院 医学系研究科)<br />
<br />
御子柴克彦(理化学研究所 脳科学総合研究センター)<br />
<br />
柚崎通介(慶応義塾大学大学院 医学研究科)<br />
<br />
和田圭司(国立精神・神経医療研究センター トランスレーショナル・メディカルセンター)<br />
<br />
=== 発生 ===<br />
<br />
大隅典子(東北大学大学院 医学系研究科)<br />
<br />
岡野栄之(慶応義塾大学大学院 医学研究科)<br />
<br />
上口裕之(理化学研究所 脳科学総合研究センター)<br />
<br />
村上富士夫(大阪大学大学院 生命機能研究科)<br />
<br />
=== 病気 ===<br />
<br />
加藤忠史(理化学研究所 脳科学総合研究センター)<br />
<br />
高橋良輔(京都大学大学院 医学研究科)<br />
<br />
漆谷 真(滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br />
<br />
=== 技術 ===<br />
<br />
山口陽子(理化学研究所 脳科学総合研究センター)<br />
<br />
臼井支朗(理化学研究所 脳科学総合研究センター)<br />
<br />
==編集事務局==<br />
<br />
古屋友恵(理化学研究所 脳科学総合研究センター 編集事務一般)<br />
<br />
==連絡先==<br />
〒351-0198 埼玉県和光市広沢2-1<br><br />
理化学研究所脳科学総合研究センター<br><br />
電子メールアドレス:[mailto:bsd@jnss.org bsd@jnss.org]<br><br />
編集事務局 古屋まで</div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E8%84%B3%E6%A2%97%E5%A1%9E&diff=37070
脳梗塞
2017-01-09T11:17:37Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0165172 細見 直永]、[http://researchmap.jp/read0088926 松本 昌泰]</font><br><br />
''広島大学大学院 [[脳神経]]内科学''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2016年2月24日 原稿完成日:2016年3月4日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
{{box|text=<br />
脳梗塞は虚血性脳卒中ともいわれ、脳血管の閉塞に伴い脳機能不全を引き起こす疾患である。①心原性脳塞栓症、②アテローム血栓性脳梗塞、③ラクナ梗塞、④その他の4病型に分けられる。rt-PA静注血栓溶解療法や脳血管内治療による血栓除去術により閉塞血管を超急性期に再開通することが、最も有効に転機改善例を増加させ、死亡例を減少させる。<br />
}}<br />
<br />
==イントロダクション==<br />
本邦では2050年に高齢者人口が35.7%の超高齢化社会を迎えるとされ、[[wikipedia:ja:心筋梗塞|心筋梗塞]]、脳梗塞などの[[wikipedia:ja:アテローム血栓性疾患|アテローム血栓性疾患]]が今後さらに激増することが予測されている。我が国の[[脳卒中]](脳梗塞、[[脳出血]]、[[くも膜下出血]])による死亡者は年間約13万人で、死亡原因の第4位を占めており、脳卒中罹患者数は272万人と推定されている。また、脳卒中は寝たきりの最大の原因でもあり、高齢化の進行に伴い患者数はますます増加していくと考えられる。[[wikipedia:ja:厚生労働省|厚生労働省]]班研究によると、脳卒中の患者数は2020年頃には287万5千人に達すると予想されている。脳卒中はいずれの病型であっても一旦発症すると永続的な後遺症が残存する可能性が高く、また生命予後を短縮することから、その発症予防法を確立していくことが極めて重要である。<br />
<br />
==症状==<br />
脳梗塞の神経学的症状は、突発完成するものから、緩徐に進行するものまで多彩である。したがって、どのような神経学的症状がいつから出現し、現在までの症状の増強・減弱に関して聴取する必要がある。さらに脳梗塞発症前には[一過性脳虚血発作]]([[TIA]]:transient ischemic attack)が先行していることがあり、TIAの把握も必要である。<br />
<br />
脳梗塞の診断には神経学的診察に基づく身体所見の検出が必要である。脳梗塞は[[片麻痺]]・[[感覚障害]]・[[運動失調]]・[[顔面麻痺]]・[[眼球運動障害]]・[[視野障害]]・[[嚥下障害]]・[[失語]]・[[構音障害]]など多彩な症状を示す。脳卒中の早期検出にむけて、“Act FAST”というキャンペーンが推進されている。これは脳卒中の主要症状が前述の顔面麻痺、片麻痺、[[言語障害]](構音障害や失語をふくむ)であり、これらのうちの一つでもその症状が確認できた場合には脳卒中である可能性が72%あり、[[シンシナティ病院前脳卒中スケール]](CPSS)として脳卒中病院前救護に活用されている。<br />
<br />
脳梗塞の重症度は[[National Institutes of Health Stroke Scale]](NIHSS)スコア(表1)や[[Japan Stroke Scale]](JSS)スコアによって評価される。NIHSSスコアは神経学的診察の簡易版とも考えられ、コメディカルによるスコアも専門医によるものと強い相関が得られることが示されている。したがって、非専門医には是非とも習得されることを推奨したい。NIHSSは各地で開催されているImmediate Stroke Life Support(ISLS)コースでも実地練習を行っており、さらに詳しくは[https://learn.heart.org/nihss.aspx American Stroke Association]のサイトにてe-learningで学ぶことができる。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+ 表1.NIH Stroke Scale (NIHSS) 1994年版<br />
|-<br />
| colspan="2" | NIHSS 患者名: 評価日時: 評価者: <br />
|-<br />
|1a.意識水準<br />
|□0:完全覚醒 □1:簡単な刺激で覚醒<br>□2:繰り返し刺激、強い刺激で覚醒 □3:完全に無反応<br />
|-<br />
|1b.意識障害ー質問<br>(今月の月名及び年齢)<br />
|□0:両方正解 □1:片方正解 □2:両方不正解<br />
|-<br />
|1c.意識障害ー従命<br>(開閉眼、「手を握る・開く」)<br />
|□︎0:両方正解 □︎1:片方正解 □︎2:両方不可能<br />
|-<br />
|2.最良の注視<br />
|□︎0:正常 □︎1:部分的注視視野 □︎2:完全注視麻痺<br />
|-<br />
|3.視野<br />
|□︎0:視野欠損なし □︎1:部分的半盲<br>□︎2:完全半盲 □︎3:両側性半盲<br />
|-<br />
|4.顔面麻痺<br />
|□︎0:正常 □︎1:軽度の麻痺<br>□︎2:部分的麻痺 □︎3:完全麻痺<br />
|-<br />
|5.上肢の運動(右)<br> *仰臥位のときは45度右上肢<br> □︎9:切断、関節癒合<br />
|□︎0:90度*を10秒保持可能(下垂なし)<br>□︎1:90度*を保持できるが、10秒以内に下垂<br>□︎2:90度*の拳上または保持ができない<br>□︎3:重力に抗して動かない<br>□︎4:全く動きがみられない<br />
|-<br />
|上肢の運動(左)<br> *仰臥位のときは45度左上肢<br> □︎9:切断、関節癒合<br />
|□︎0:90度*を10秒保持可能(下垂なし)<br>□︎1:90度*を保持できるが、10秒以内に下垂<br>□︎2:90度*の拳上または保持ができない<br>□︎3:重力に抗して動かない<br>□︎4:全く動きがみられない<br />
|-<br />
|6.下肢の運動(右)<br> □︎9:切断、関節癒合<br />
|□︎0:30度を5秒間保持できる(下垂なし)<br>□︎1:30度を保持できるが、5秒以内に下垂<br>□︎2:重力に抗して動きがみられる<br>□︎3:重力に抗して動かない<br>□︎4:全く動きがみられない<br />
|-<br />
|下肢の運動(左)<br> □︎9:切断、関節癒合<br />
|□︎0:30度を5秒間保持できる(下垂なし)<br>□︎1:30度を保持できるが、5秒以内に下垂<br>□︎2:重力に抗して動きがみられる<br>□︎3:重力に抗して動かない<br>□︎4:全く動きがみられない<br />
|-<br />
|7.運動失調<br> □︎9:切断、関節癒合<br />
|□︎0:なし □︎1:1肢 □︎2:2肢<br />
|-<br />
|8.感覚<br />
|□︎0:障害なし □︎1:軽度から中等度 □︎2:重度から完全<br />
|-<br />
|9.最良の言語<br />
|□︎0:失語なし □︎1:軽度から中等度<br>□︎2:重度の失語 □︎3:無言、全失語<br />
|-<br />
|10.構音障害<br> □︎9:挿管または身体的障壁<br />
|□︎0:正常 □︎1:軽度から中等度 □︎2:重度<br />
|-<br />
|11.消去現象と注意障害<br />
|□︎0:異常なし<br>□︎1:視覚、触覚、聴覚、視空間、または自己身体に対する不注意、<br> あるいは1つの感覚様式で2点同時刺激に対する消去現象<br>□︎2:重度の半側不注意あるいは2つ以上の感覚様式に対する半側不注意<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
==診断==<br />
===病歴聴取===<br />
====発症時間====<br />
脳梗塞の超急性期治療には、発症後の経過時間によりその適応が規定されるものがある。その典型例は急性期[[rt-PA静注血栓溶解療法]]であり、その適応は発症後4.5時間以内と規定され、これを遵守することが治療成績に大きく影響する。したがって、発症時間を確認することが重要であるが、[[睡眠]]中発症や独居老人などでは発症時間を確認することが困難であり、このため最終健常確認時間を発症時間とみなす。つまり発見時間が発症時間ではないことに十分注意した上で現病歴を聴取することが重要である。<br />
<br />
====基礎疾患====<br />
脳梗塞発症に対する危険因子である[[wikipedia:ja:高血圧|高血圧]]・[[wikipedia:ja:糖尿病|糖尿病]]・[[wikipedia:ja:脂質異常症|脂質異常症]]・[[wikipedia:ja:不整脈|不整脈]]([[wikipedia:ja:心房細動|心房細動]])・[[wikipedia:ja:心疾患|心疾患]]([[wikipedia:ja:心筋梗塞|心筋梗塞]]・[[wikipedia:ja:リウマチ性弁膜症|リウマチ性弁膜症]]・[[wikipedia:ja:心筋症|心筋症]]・[[wikipedia:ja:弁置換術|弁置換術]]後など)などは、超急性期からの全身管理にも影響を及ぼすため、正確な把握が要求される。<br />
<br />
===必要な検査===<br />
*[[CT]]:脳梗塞急性期の来院時には脳出血との鑑別目的にて撮像される。脳梗塞超急性期に明らかな低吸収域として病巣が検出されることは少なく、明らかな低吸収域が検出されるまでには12時間以上かかることも多い。また、脳梗塞の超急性期に認められる微細なCT上の変化(早期虚血性変化(early CT sign))として、[[皮髄境界]]の消失、[[レンズ核]]の不明瞭化、脳溝の消失などが知られている。早期虚血性変化の診断には熟達が必要であるが、[http://melt.umin.ac.jp/MELT_WEB_SWFObj_Final/ "Early CT signs判読トレーニング"]サイトにてe-learningで画像診断訓練を行うことができる。CT画像の所見に基づき早期虚血性変化が認められる領域を評価し、減点法により虚血領域を評価するAlbert Stroke Program Early CT Score(ASPECTS)も脳梗塞サイズを半定量評価するのに有効である。<br />
*[[MRI]]:脳梗塞超急性期には[[T1強調画像|T1]]・[[T2強調画像]]などのMRIシーケンスでは病巣の検出が困難である。しかしながら、[[拡散強調画像]]により、早期から病巣を高信号域として確認することが可能である。[[MRA]]により頭蓋内の狭窄・閉塞血管を把握することは治療方針決定のためにも必要である。<br />
*[[wj:頸動脈|頸動脈]][[wj:超音波検査|エコー]]:頭蓋外血管とくに[[wikipedia:ja:頸動脈|頸動脈]]分岐部の[[wikipedia:ja:動脈硬化|動脈硬化]]病変や[[wikipedia:ja:内頸動脈|内頸動脈]]や[[椎骨動脈]]などの動脈解離が脳梗塞の原因となりえる。頸動脈エコーは頸部血管の状態の把握が簡便であり非侵襲検査であることから必須の検査である。<br />
*[[wikipedia:ja:心電図|心電図]]:[[心原性脳塞栓症]]の原因となる心筋梗塞・心筋症などの検出のために必要な検査である。また動脈硬化性脳梗塞である[[アテローム血栓性脳梗塞]]や[[ラクナ梗塞]]には[[wikipedia:ja:冠動脈|冠動脈]]疾患が合併する可能性があり、この評価としても必要である。<br />
*心エコー(経胸壁及び経食道):心原性脳塞栓症の原因となる心疾患を検出する。心腔内に血栓が検出されることもあるが、心原性脳塞栓症の原因心疾患の同定には血栓自体の検出は必須ではない。また心腔内のモヤモヤエコーが高度であれば、塞栓症リスクが高度となることが知られている。<br />
<br />
これらの検査の結果をふまえて、脳梗塞の病型分類を行い、各病型に応じた急性期治療と再発予防治療を行う必要がある。<br />
<br />
===鑑別診断===<br />
*[[慢性硬膜下血腫]]:[[頭痛]]や[[片麻痺]]にて発症する。「発症の日がはっきりしない」、「片麻痺の進行が七日以上に及ぶ」、「上下肢の[[運動麻痺]]の程度に比べて[[意識障害]]が強い」、「精神症状が麻痺に先行している」、「頭痛が強い」ときには要注意である。<br />
*[[脳腫瘍]]:片麻痺で発症することがあり、腫瘍内出血から脳出血をきたしていることもある。<br />
*[[片頭痛]]:発作に伴い、[[眼筋]]麻痺・片麻痺などを引き起こすことがある。<br />
*[[wikipedia:ja:低血糖|低血糖]]発作:[[眼球偏位]]・片麻痺を起こすことがあり、症状による脳卒中との鑑別は困難である。したがって、脳卒中様症状にて来院した患者では血糖値のチェックは必須である。<br />
*[[ヒステリー性片麻痺]]:[[腱反射]]に左右差は見られず、[[Babinski反射]]も麻痺側に見られることはない。顔面の片麻痺が見られる患者で、両側の[[共同運動]](話をしたり、口笛を吹いたり)をする際に片麻痺側の筋が正常に働いたりする。<br />
*[[てんかん]]:発作に伴い片麻痺が出現することがある。[[脳波]]検査によりてんかん性異常脳波の確認が必要である。<br />
<br />
==病態生理==<br />
[[image:脳梗塞1.png|thumb|350px|'''図1.CHADS2 スコア'''<br>心房細動の脳卒中発症率をリスク数により層別。<br />
最大6点で、0点は抗血栓薬不要、1点はワルファリン治療を考慮、2点以上はワルファリン治療を推奨。(文献<ref name=ref1><pubmed>11401607</pubmed></ref>より作図)]]<br />
<br />
脳梗塞は、①心原性脳塞栓症、②アテローム血栓性脳梗塞、③ラクナ梗塞、④その他の4病型に分けられる。<br />
<br />
===心原性脳塞栓症===<br />
[[wikipedia:ja:心腔|心腔]]内の[[wikipedia:ja:血栓|血栓]]あるいは心内を経由した血栓(塞栓子)が脳血管を閉塞して生じる脳梗塞である。心原性脳塞栓症は心房細動、急性期・慢性期心筋梗塞後[[wikipedia:ja:心室瘤|心室瘤]]、[[wikipedia:ja:僧帽弁狭窄症|僧帽弁狭窄症]]、[[wikipedia:ja:拡張型肥大型心筋症|拡張型]]・[[wikipedia:ja:肥大型心筋症|肥大型心筋症]]などによる心内血栓による脳塞栓症や、[[wikipedia:ja:下肢深部静脈血栓|下肢深部静脈血栓]]から[[wikipedia:ja:卵円孔|卵円孔]]開存経由の[[奇異性脳塞栓症]]により、末梢の脳血管を閉塞して発症するものである。<br />
<br />
重度の[[意識障害]]や[[失語]]などの[[大脳皮質]]症状を伴うことが多く、日中活動時に突発完成することが多い。<br />
<br />
[[wikipedia:ja:非弁膜症性心房細動|非弁膜症性心房細動]](NVAF)患者の脳梗塞発症率は平均5%/年であり、心房細動のない[[ヒト]]に比べて2-7倍高い。脳梗塞・TIAの既往を有する非弁膜症性心房細動に対する[[抗凝固療法]]は、脳梗塞再発率を年間12%から4%まで下げることができ有効性は確立している。そして、非弁膜症性心房細動に対する心原性脳塞栓症発症予防としては[[CHADS2スコア]]に沿ったリスク層別化による[[wikipedia:ja:非ビタミンK阻害経口抗凝固薬|非ビタミンK阻害経口抗凝固薬]](NOAC)や[[wikipedia:ja:ワルファリン|ワルファリン]]を用いた抗凝固療法が推奨される<ref name=ref1><pubmed>11401607</pubmed></ref>。非弁膜症性心房細動に対する抗凝固療法の適応基準を示した日本循環器学会心房細動治療(薬物)ガイドライン<ref name=ref2><pubmed>24965079</pubmed></ref>、脳卒中治療ガイドライン2015<ref name=ref3>'''日本脳卒中学会 脳卒中ガイドライン委員会、編'''<br>心房細動. 脳卒中治療ガイドライン2015<br>''株式会社協和企画''; 2015: pp. 32-5.</ref>でもCHADS2スコアの概念が[[取り入れ]]られている。CHADS2スコアでは、心不全、高血圧、高齢、糖尿病(各1点)、脳梗塞既往(2点)が非弁膜症性心房細動における心原性脳塞栓症発症のリスクとして抽出され、合計2点以上は非ビタミンK阻害経口抗凝固薬、ワルファリン治療が推奨され、1点では非ビタミンK阻害経口抗凝固薬治療が推奨されている(図1)。<br />
<br />
===アテローム血栓性脳梗塞===<br />
頭蓋内外の比較的大きな動脈のアテローム硬化病変を原因とし、近年の日本人の急性期脳梗塞例の約30%を占める。高血圧、糖尿病、脂質異常症、[[wikipedia:ja:喫煙|喫煙]]、多量飲酒などが危険因子となる。<br />
<br />
アテローム血栓性脳梗塞の発症機序は血栓性、塞栓性、血行力学性の3つに分けられる。主幹動脈の[[wikipedia:ja:粥状硬化|粥状硬化]]を基盤として血栓が形成され、閉塞した血管の灌流領域の梗塞を来したものが血栓性である。<br />
<br />
また、血管壁に形成された血栓が遊離し、末梢の血管に飛来し血管閉塞をきたしたものは塞栓性で、[[wikipedia:ja:動脈原性塞栓症|動脈原性塞栓症]](artery-to-artery embolism)と呼ばれる。<br />
<br />
主幹動脈のアテローム硬化性の高度狭窄や閉塞により、支配領域の灌流が低下した脳組織に、[[wikipedia:ja:脱水|脱水]]や[[wikipedia:ja:血圧低下|血圧低下]]などの[[wikipedia:ja:血行力学|血行力学]]的な負荷が加わり梗塞に至ったものは血行力学性と呼ばれ、分水嶺領域に脳梗塞(watershed infarction)を認めることが多い。本病型は低灌流かつ脳血管予備能が低下している症例が多く、しばしば血栓形成が進むため、症状の動揺や進行が見られやすい病型である。<br />
<br />
===ラクナ梗塞===<br />
脳深部や[[脳幹]]を灌流する小動脈(穿通枝動脈)のマイクロアテローム病変を基盤とした血栓性閉塞による15mm以下の梗塞であり、日本人の急性期脳梗塞の約30-40%を占める。病巣は[[基底核]]、[[放線冠]]、[[視床]]、脳幹など穿通枝が栄養する領域に限局し、細小動脈病変の進展に最も関連する高血圧が最大の危険因子である。臨床症候としてはラクナ症候群と呼ばれる症候(pure motor hemiparesis, pure sensory stroke, sensorimotor stroke, ataxic hemiparesis, dysarthria-clumsy hand syndrome)のいずれかを呈する。<br />
<br />
===その他===<br />
====branch atheromatous disease====<br />
近年、穿通枝領域の比較的大きい梗塞(長径15mm以上)をきたす病態として、branch atheromatous disease(BAD)が提唱され、注目されている。BADは穿通枝を分岐する主幹動脈の壁在プラークが穿通枝を閉塞するもので、ラクナ梗塞とアテローム血栓性脳梗塞の境界に位置づけられる病態であると考えられる。その他の脳梗塞の原因としては、血液凝固異常、脳動脈解離、血管炎、[[もやもや病]]、片頭痛など比較的頻度の少ないものもある。<br />
<br />
====一過性脳虚血発作====<br />
[[image:脳梗塞2.png|thumb|350px|'''図2.ABCD2 スコア'''<br>一過性脳虚血発作の脳卒中発症率をリスク数にて層別。<br />
最大7点で4点以上が緊急入院の適応。(文献<ref name=ref4><pubmed>17258668</pubmed></ref>より引用)]]<br />
<br />
一過性脳虚血発作(transient ischemic attack: TIA)は、片麻痺や失語などの明らかな脳の局所神経症状(巣症状)が出現し、24時間以内に完全に消失するものと定義されているが、通常は数分から数十分以内に症状が完全消失し、長くても1時間以内に改善する場合が大半である。原因としては頸動脈分岐部のアテローム動脈硬化病変に形成された壁在血栓が剥離して、微小塞栓として脳動脈を一過性に閉塞し発症する病態が多い(微小塞栓機序)。ただし、高度の狭窄や閉塞による潜在的な脳血流不全状態があるときに、脱水や血圧低下などにより、一過性に血流不全状態が強くなり症状を発現する病態(血行力学的機序)や心房細動などの心原性による病態もある。いずれの病態においても、TIAは来るべき脳梗塞の前触れ、危険信号であり、速やかに対処すべき非常に重要な病態である。<br />
<br />
TIA患者における脳梗塞発症の危険度を層別化する方法として、[[ABCD2スコア]]が提唱されている(図2)<ref name=ref4><pubmed>17258668</pubmed></ref>。ABCD2スコアが4点以上の場合には原則的に緊急入院にて対応し、TIA発症直後からその後の脳梗塞発症予防につなげた治療を行うべきとしている。<br />
<br />
==治療==<br />
===rt-PA静注血栓溶解療法===<br />
発症4.5時間以内に治療開始できる場合に考慮する(グレードA)。本邦では海外での使用量よりも少ない[[アルテプラーゼ]](0.6mg/kg)で適応が通っており、その1/10量を1〜2分かけて投与した後、残りを1時間かけて投与する。ただし、頭蓋内出血既往・血糖値異常(50mg/dl未満または400mg/dl以上)・血小板数低値(10万/mm3以下)・PT-INR>1.7・CTで広汎な早期虚血性変化を認めた場合などが主な禁忌項目であり、年齢75歳以上・NIHSSスコア23以上・JCS100以上など慎重投与項目も2つ以上が認められた場合には転帰が不良であることが報告されており注意を要する。<br />
<br />
===脳血管内治療による血栓除去術=== <br />
[[機械的血栓除去術]]<br />
<br />
発症早期の内頸動脈または[[中大脳動脈]]閉塞による急性期脳梗塞に対して、rt-PA静注血栓溶解療法を含む内科的治療に加えて血栓回収療法を施行することが、患者の転機を改善し、死亡率を低下することが示された。これを検討した試験であるMR-CLEAN、ESCAPE、EXTEND-IA、SWIFT-PRIME、REVASCATの結果を踏まえると、内頸動脈、中大脳動脈(M1-M2)閉塞、ASPECTS:7-9、穿刺開始時に4時間半以内の症例を対象に、[[ステントリトリーバー]]を中心とする機械的血栓除去術を、rt-PA静注血栓溶解療法を含む従来の内科治療に加えて行い、しかも穿刺後1時間半(発症後6時間)以内にTICI2以上の再開通を60%以上の高率で確保する必要がある。rt-PA静注血栓溶解療法の開始時期1分でも早いほど効果が高いことが示されているが、機械的血栓除去術も発症後から再開通までの時間は早ければ早いほど転機改善例が増加し死亡例が減少する。<br />
<br />
===抗血栓療法===<br />
脳梗塞急性期における抗血栓療法の目的は急性期再発の予防のみでなく、微小循環改善による脳梗塞巣拡大の軽減効果が期待される。脳梗塞急性期における抗血栓療法は、脳梗塞の発症原因つまり病型により変える必要がある。<br />
<br />
心原性脳塞栓症の発症48時間以内では[[wikipedia:ja:ヘパリン|ヘパリン]]を使用することを考慮してもよいが、エビデンスは低い。推奨用量は10000単位/日である。その後は内服薬の投与が可能となった時点でワルファリンを開始し、PT-INRが1.6を超えた時点で、ヘパリンを中止しワルファリンのみでのコントロールとする。[[wikipedia:ja:ダビガトラン|ダビガトラン]]ほか新たな抗凝固薬が心房細動による心原性脳塞栓症の予防に対してその効果が確立されてきている。しかしながら心原性脳塞栓症は出血性脳梗塞への移行が多く、ダビガトランはこの出血性脳梗塞発症後6ヶ月間は禁忌となっている点に注意が必要である。<br />
<br />
アテローム血栓性脳梗塞の発症48時間以内では、選択的[[wikipedia:ja:トロンビン|トロンビン]]阻害薬である[[wikipedia:ja:アルガトロバン|アルガトロバン]]や[[wikipedia:ja:アスピリン|アスピリン]](160〜300mg/日)が推奨される。[[wikipedia:ja:オザグレルナトリウム|オザグレルナトリウム]](160mg/日)の投与は、発症後5日以内の患者で推奨される。<br />
<br />
ラクナ梗塞では、オザグレルナトリウム(160mg/日)の投与は、発症後5日以内の患者で推奨される。オザグレルナトリウムは特にラクナ梗塞において効果的であるとの報告がある。発症48時間以内ではアスピリン(160〜300mg/日)投与が推奨される。ただし、オザグレルナトリウム投与中のアスピリンの併用は理論的には推奨できない。<br />
<br />
===脳保護療法===<br />
日本で承認されている唯一の[[脳保護薬]]である[[エダラボン]](60mg/日)は[[wikipedia:ja:フリーラジカル|フリーラジカル]]捕捉薬で、臨床第Ⅲ相試験では対象を穿通枝領域梗塞に絞った検討で効果を認めた。エダラボンとrt-PAの併用で出血性梗塞への移行を軽減する可能性が示されている。ただし感染症の合併、高度な意識障害(JCS100以上)の存在、脱水状態では腎機能障害を引き起こす可能性があり注意が必要である。さらに[[wikipedia:ja:クレアチニン|クレアチニン]]1.5mg/dl以上を示す腎機能障害を有している患者には禁忌となっている。ただし[[wikipedia:ja:血液透析|血液透析]]中の患者においては、半量投与による安全性も報告されている。<br />
<br />
===降圧療法===<br />
脳梗塞の場合には、超急性期には脳血流自動調節能が障害されており、血圧低下により虚血部およびその周辺部の脳血流低下を引き起こし、梗塞巣を拡大させる危険性がある。したがって、著しい高血圧を認める場合にのみ緩徐に降圧することが各種ガイドラインで推奨されている。「脳卒中治療ガイドライン2015」では220/120 mmHg以上が持続する場合、あるいは[[wikipedia:ja:大動脈解離|大動脈解離]]、急性心筋梗塞、心不全、腎不全を合併している場合に限り慎重な降圧を行うことを考慮しても良いとしている<ref name=ref5>'''日本脳卒中学会 脳卒中ガイドライン委員会、編'''<br>血圧. 脳卒中治療ガイドライン2015<br>''株式会社協和企画''; 2015: pp. 6-7.</ref>。また、神経症状が安定している高血圧合併症例では、禁忌などがない限り、発症前から用いている降圧薬を脳卒中発症後24時間以降に再開することを考慮しても良いとされている。<br />
<br />
===脳卒中リハビリテーション===<br />
急性期のリハビリテーションはより早期からの開始が効果的であるとされている。したがって全身状態が安定し、症状の進行がない場合、可能な限り早期(当日からでも)からリハビリテーションを開始する。早期離床により、[[wikipedia:ja:深部静脈血栓症|深部静脈血栓症]]・[[wikipedia:ja:褥瘡|褥瘡]]・[[wikipedia:ja:関節拘縮|関節拘縮]]・[[wikipedia:ja:嚥下性肺炎|嚥下性肺炎]]など長期臥床による合併症を予防することが可能である。<br />
<br />
==参考文献==<br />
<references /></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E9%81%BA%E4%BC%9D%E6%80%A7%E8%84%8A%E9%AB%84%E5%B0%8F%E8%84%B3%E5%A4%89%E6%80%A7%E7%97%87&diff=37069
遺伝性脊髄小脳変性症
2017-01-09T11:16:34Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0113019 西澤 正豊]</font><br><br />
''新潟大学 脳研究所 ''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2016年1月30日 原稿完成日:2016年月日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
英語名:hereditary spinocerebellar ataxia <br />
<br />
<br />
{{box|text= 多系統萎縮症とは、小脳系、大脳基底核系、自律神経系の3系統を中心とし、錐体路にも及ぶ多系統が変性する神経変性疾患である。小脳系の系統変性を主体とする病型は、オリーブ橋小脳萎縮症、大脳基底核系では線条体黒質変性症、自律神経系ではShy-Drager症候群と呼ばれてきた。小脳性運動失調から発症し、次第に自律神経症状や錐体外路症状、錐体路症状を伴う病型をMSA-C、パーキンソン症状から発症し、次第に自律神経症状を伴う病型をMSA-Pと呼ぶ。全経過は約9年で、誤嚥性肺炎や敗血症などの感染症が死因となることが多いが、夜間の突然死も重要である。根治的治療法は確立されておらず、対症療法が主体となる。病理学的にはオリゴデンドログリアや神経細胞の細胞質内に特徴的な封入体が観察され、その主な構成成分はリン酸化されたα-シヌクレインである。}}<br />
<br />
==常染色体優性遺伝性脊髄小脳変性症==<br />
<br />
===概念===<br />
遺伝性[[脊髄小脳変性症]]の9割以上を占める[[常染色体優性遺伝性脊髄小脳変性症]](Autosomal dominant SCD:ADSCD)は、その約9割まで原因遺伝子が同定された。原因遺伝子座が同定された[[常染色体優性遺伝]]性脊髄[[小脳]]変性症は、脊髄小脳失調症(spinocerebellar ataxia:SCA)の何番というように、病名を機械的に決める方式が広く採用されている。The Human Genome Organization(HUGO)には現在[[SCA41]]まで登録されており、このうちSCA9、16、22は欠番である。一方、わが国で頻度が高い[[歯状核赤核淡蒼球ルイ体萎縮症]]([[dentatorubral pallidoluysian atrophy]]:[[DRPLA]])は、脊髄小脳失調症としては登録されていない。<br />
<br />
わが国では[[Machado-Joseph病]]([[MJD]]:別名[[SCA3]])の頻度が最も高く、全体の約4分の1を占める。[[SCA6]]、DRPLA、[[SCA31]]がこれに次ぐ。これらの頻度には地域差があり、東日本ではMachado-Joseph病、西日本ではSCA6が多い。<br />
<br />
常[[染色体]]優性遺伝性脊髄小脳変性症における遺伝子異常の多くは、[[翻訳]]領域に存在するCAGリピート長が正常の2、3倍に異常伸長していることであり、遺伝子レベルでは[[CAGリピート病]]、タンパク質レベルでは[[ポリグルタミン病]]とよばれる。伸長したポリグルタミン鎖を含むタンパク質が凝集する過程で形成されるオリゴマーに細胞障害性があると考えられる。<br />
<br />
ポリグルタミン病では、世代を経る毎に発症年齢が若年化し、重症化する表現促進現象(anticipation)が認められる。Mendel遺伝では説明できない現象であったが、リピート数の伸長によることが明らかになっている。翻訳領域のCAGリピートは父方から伝搬する場合に著明に伸長する傾向があり、CAGリピート数が短いSCA6を除き、発症年齢とリピート数には負の相関が認められる。<br />
<br />
遺伝性脊髄小脳変性症に関する遺伝子診断を行う際には、[[wikipedia:ja:文部科学省|文部科学省]]、厚生労働省、[[wikipedia:ja:経済産業省|経済産業省]]の3省庁合同の[[ヒト]]ゲノム・遺伝子解析研究に関する最新の倫理指針を遵守する必要がある。根治的な治療法が確立されていない遺伝性疾患の[[発症前診断]]や[[保因者診断]]は、原則として行わない。<br />
<br />
===各論===<br />
わが国で頻度の高い病型を中心とし、その他の病型は表2に一括した。<br />
<br />
#Machado-Joseph病 MJD(SCA3)<br> Machado-Joseph病は当初、[[wikipedia:ja:ポルトガル|ポルトガル]]領[[wikipedia:ja:アゾレス諸島|アゾレス諸島]]から北米に移民した子孫の間に見出された疾患であり、その後、欧州で記載されたSCA3でも同一のCAGリピート伸長が確認されている。臨床的にはRosenbergにより、若年発症で[[錐体路症状]]と、[[ジストニア]]などの[[錐体外路症状]]が目立つ1型、成年発症で[[痙性失調症]]と[[眼振]]を呈する2型、高齢発症で[[筋萎縮]]や[[末梢神経障害]]などの末梢性病変を伴う3型、[[パーキンソニズム]]を伴うまれな4型に分けられている。[[Ataxin3]]遺伝子に存在するCAGリピートの伸長は1型で最も長く、3型では短い。顔面筋の線維束性収縮や[[ミオキミア]]、[[びっくり眼]]などはMachado-Joseph病によくみられる。<br />
#SCA6<br> 50歳前後で発症し、小脳性運動失調症状のみを呈する純粋小脳型常染色体優性遺伝性脊髄小脳変性症であり、[[P/Q型電位依存性Caチャネル]]α1サブユニット遺伝子のC末端に位置するCAGリピートの軽度の伸長による。同遺伝子の点変異は、[[反復発作性運動失調症2型]](episodic ataxia type 2: EA2)と[[家族性片麻痺性片頭痛]]の原因でもある。<br />
#SCA31<br> 常染色体優性遺伝性脊髄小脳変性症では最も高齢の60歳前後で発症する純粋小脳型常染色体優性遺伝性脊髄小脳変性症であるが、遺伝子診断によらずにSCA6と鑑別することは困難である。わが国では長野県、静岡県、鹿児島県で特に多い。第16染色体長腕の[[BEAN]]と[[TK2]]遺伝子に共通するイントロンに挿入されたTGGAAという5塩基リピートが著明に伸長しており、転写産物によるRNA fociが形成されていることから、これと相互作用する核タンパク質の機能変化が想定される。<br />
#DRPLA<br> わが国に多い常染色体優性遺伝性脊髄小脳変性症で、発症年齢により臨床症状が異なる。[[atrophin 1]]遺伝子に存在するCAGリピートが長い場合は若年発症となり、[[進行性ミオクローヌスてんかん]]の臨床像を示す。伸長の程度が軽い場合には成人発症となり、[[認知]]機能障害や[[不随意運動]]などを呈する。ポリグルタミン病では最も著明な[[表現促進現象]]がみられ、リピート伸長の程度により、発症年齢や臨床像、重症度が規定される。[[小脳歯状核]]とその遠心路、[[淡蒼球]][[視床下核]]系に変性と萎縮を認めるだけでなく、[[大脳白質]]にも広範な変性像が認められる。<br />
#毛細血管拡張運動失調症(ataxia telangiectasia:AT;Louis-Bar症候群)<br> 幼児期に小脳性運動失調と[[皮膚]]や眼球結膜の[[wikipedia:ja:毛細血管|毛細血管]]拡張症で発症する。[[wikipedia:ja:IgA|IgA]]が低下し、[[wikipedia:ja:免疫不全|免疫不全]]のために感染症を起こしやすく、また高率に[[wikipedia:ja:悪性リンパ腫|悪性リンパ腫]]などの悪性腫瘍を合併する。ATの責任遺伝子[[ATM]]は2本鎖[[DNA]]の損傷修復に関与するタンパク質をコードする。神経症状として眼球運動失行を認め、以下に述べる[[aprataxin]]や[[senataxin]]の欠損症と病態、臨床症候は類似している。<br />
<br />
==常染色体劣性遺伝性脊髄小脳変性症==<br />
===概念===<br />
早期から緩徐進行性の小脳性運動失調を呈し、両親がいとこ婚である場合には、[[常染色体劣性遺伝]]性脊髄小脳変性症(autosomal recessive SCD:ARSCD)が疑われる。SCAと同じく、HUGOではSCARとして順番に番号がふられており、現在SCAR20まで登録されている(表3)。常染色体劣性遺伝性脊髄小脳変性症では純粋小脳型は少なく、末梢神経障害、眼球運動失行(ocular motor apraxia:OMA)などの多彩な症候を合併することが多い。<br />
<br />
===各論===<br />
#Friedreich運動失調症 Friedreich ataxia(FRDA)<br> 欧米では最も頻度が高い遺伝性脊髄小脳変性症である。Friedreich運動失調症の90%以上は、原因遺伝子[[frataxin]]のイントロンに存在するGAAリピートの著明な異常伸長のホモ接合体であり、数%は異常伸長と点変異の複合ヘテロ接合体である。しかし、欧米のFriedreich運動失調症には強い[[創始者効果]]が認められるため、わが国ではGAAリピートの異常伸長によるFriedreich運動失調症は確認されていない。原因遺伝子産物は、ミトコンドリアTCAサイクルを構成する[[aconitase]]などの[[鉄-硫黄タンパク質]]の機能維持に関与するので、Friedreich運動失調症の病態はfrataxinの機能喪失によるミトコンドリアの機能障害と想定される。<br> Friedreich運動失調症の主な症候は、[[後索]]の変性による[[深部感覚障害]]、錐体路症状、[[凹足]]、[[脊柱側弯症]]などである。小脳の萎縮は軽度であり、また[[心筋障害]]、[[糖尿病]]を合併する。<br />
#アプラタキシンaprataxin欠損症<br> わが国では、眼球運動失行と[[wikipedia:ja:低アルブミン血症|低アルブミン血症]]という特異な症候を伴い、Friedreich運動失調症に類似した臨床像を呈する[[早発性失調症]]([[early onset ataxia with ocular motor apraxia and hypoalbuminemia]]/[[ataxia-ocular motor apraxia type 1]]:[[EAOH]]/[[AOA1]])が見出され、原因遺伝子としてaprataxinが同定された。GAAリピートの異常伸長を伴う欧米型のFriedreich運動失調症はわが国には存在しないと考えられるので、これまでわが国でFriedreich運動失調症として報告されてきた症例は本症と考えられ、本症はわが国の常染色体劣性遺伝性脊髄小脳変性症の約3分の2を占めている。原因遺伝子産物のaprataxinは[[核小体]]に局在するタンパク質であり、1本鎖DNAの損傷修復機構への関与が想定される。<br> 眼球運動失行では[[衝動性眼球運動]](saccade)の開始が著明に障害される。主に小児期に認められるため、本症は小児科領域でAOA1として記載されてきた。眼球運動失行は10代後半には次第に目立たなくなり、代わって眼球運動障害が進行してくる。また低アルブミン血症は30歳前後から明らかになる。<br />
#セナタキシンsenataxin欠損症<br> Ataxia-ocular motor apraxiaには、AOA1に類似した臨床症状を呈しながら、アルブミンは低下せず、[[wikipedia:ja:α-fetoprotein|α-fetoprotein]]の高値を伴う[[AOA2]]がある。原因遺伝子[[senataxin]]の変異による。わが国からも報告があり、血中[[CK]]、[[wikipedia:ja:γ-グロブリン|γ-グロブリン]]も高値となる。<br />
#サクシンsacsin欠損症<br> わが国の常染色体劣性遺伝性脊髄小脳変性症では、アプラタキシン欠損症に次いで、[[シャルルボア・サグネイ型劣性遺伝性痙性失調症]]([[autosomal recessive spastic ataxia of Charlevoix-Saguenay]]:[[ARSACS]];[[サクシン欠損症]])が多い。シャルルボア・サグネイ型劣性遺伝性痙性失調症は当初カナダのQuebec州から報告されたが、その後世界各地で見出されている。ケベックの症例は[[網膜有髄線維]]の増加を伴う痙性失調症を特徴とするが、わが国では網膜[[有髄線維]]を欠く例、痙縮を欠く例も報告されている。<br />
#ビタミンE欠乏症<br> [[α-Tocopherol transfer protein]]の欠損による[[ビタミンE欠乏症]]では、進行性の小脳性運動失調が認められ、しばしば[[網膜]]色素変性を伴う。ビタミンEの大量投与により症状の改善が期待できるので、運動失調症の鑑別上重要である。</div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E9%81%BA%E4%BC%9D%E6%80%A7%E8%84%8A%E9%AB%84%E5%B0%8F%E8%84%B3%E5%A4%89%E6%80%A7%E7%97%87&diff=37068
遺伝性脊髄小脳変性症
2017-01-09T11:15:29Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0113019 西澤 正豊]</font><br><br />
''新潟大学 脳研究所 ''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2016年1月30日 原稿完成日:2016年月日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
英語名:hereditary spinocerebellar ataxia <br />
<br />
英語略:MSA<br />
<br />
{{box|text= 多系統萎縮症とは、小脳系、大脳基底核系、自律神経系の3系統を中心とし、錐体路にも及ぶ多系統が変性する神経変性疾患である。小脳系の系統変性を主体とする病型は、オリーブ橋小脳萎縮症、大脳基底核系では線条体黒質変性症、自律神経系ではShy-Drager症候群と呼ばれてきた。小脳性運動失調から発症し、次第に自律神経症状や錐体外路症状、錐体路症状を伴う病型をMSA-C、パーキンソン症状から発症し、次第に自律神経症状を伴う病型をMSA-Pと呼ぶ。全経過は約9年で、誤嚥性肺炎や敗血症などの感染症が死因となることが多いが、夜間の突然死も重要である。根治的治療法は確立されておらず、対症療法が主体となる。病理学的にはオリゴデンドログリアや神経細胞の細胞質内に特徴的な封入体が観察され、その主な構成成分はリン酸化されたα-シヌクレインである。}}<br />
<br />
==常染色体優性遺伝性脊髄小脳変性症==<br />
<br />
===概念===<br />
遺伝性[[脊髄小脳変性症]]の9割以上を占める[[常染色体優性遺伝性脊髄小脳変性症]](Autosomal dominant SCD:ADSCD)は、その約9割まで原因遺伝子が同定された。原因遺伝子座が同定された[[常染色体優性遺伝]]性脊髄[[小脳]]変性症は、脊髄小脳失調症(spinocerebellar ataxia:SCA)の何番というように、病名を機械的に決める方式が広く採用されている。The Human Genome Organization(HUGO)には現在[[SCA41]]まで登録されており、このうちSCA9、16、22は欠番である。一方、わが国で頻度が高い[[歯状核赤核淡蒼球ルイ体萎縮症]]([[dentatorubral pallidoluysian atrophy]]:[[DRPLA]])は、脊髄小脳失調症としては登録されていない。<br />
<br />
わが国では[[Machado-Joseph病]]([[MJD]]:別名[[SCA3]])の頻度が最も高く、全体の約4分の1を占める。[[SCA6]]、DRPLA、[[SCA31]]がこれに次ぐ。これらの頻度には地域差があり、東日本ではMachado-Joseph病、西日本ではSCA6が多い。<br />
<br />
常[[染色体]]優性遺伝性脊髄小脳変性症における遺伝子異常の多くは、[[翻訳]]領域に存在するCAGリピート長が正常の2、3倍に異常伸長していることであり、遺伝子レベルでは[[CAGリピート病]]、タンパク質レベルでは[[ポリグルタミン病]]とよばれる。伸長したポリグルタミン鎖を含むタンパク質が凝集する過程で形成されるオリゴマーに細胞障害性があると考えられる。<br />
<br />
ポリグルタミン病では、世代を経る毎に発症年齢が若年化し、重症化する表現促進現象(anticipation)が認められる。Mendel遺伝では説明できない現象であったが、リピート数の伸長によることが明らかになっている。翻訳領域のCAGリピートは父方から伝搬する場合に著明に伸長する傾向があり、CAGリピート数が短いSCA6を除き、発症年齢とリピート数には負の相関が認められる。<br />
<br />
遺伝性脊髄小脳変性症に関する遺伝子診断を行う際には、[[wikipedia:ja:文部科学省|文部科学省]]、厚生労働省、[[wikipedia:ja:経済産業省|経済産業省]]の3省庁合同の[[ヒト]]ゲノム・遺伝子解析研究に関する最新の倫理指針を遵守する必要がある。根治的な治療法が確立されていない遺伝性疾患の[[発症前診断]]や[[保因者診断]]は、原則として行わない。<br />
<br />
===各論===<br />
わが国で頻度の高い病型を中心とし、その他の病型は表2に一括した。<br />
<br />
#Machado-Joseph病 MJD(SCA3)<br> Machado-Joseph病は当初、[[wikipedia:ja:ポルトガル|ポルトガル]]領[[wikipedia:ja:アゾレス諸島|アゾレス諸島]]から北米に移民した子孫の間に見出された疾患であり、その後、欧州で記載されたSCA3でも同一のCAGリピート伸長が確認されている。臨床的にはRosenbergにより、若年発症で[[錐体路症状]]と、[[ジストニア]]などの[[錐体外路症状]]が目立つ1型、成年発症で[[痙性失調症]]と[[眼振]]を呈する2型、高齢発症で[[筋萎縮]]や[[末梢神経障害]]などの末梢性病変を伴う3型、[[パーキンソニズム]]を伴うまれな4型に分けられている。[[Ataxin3]]遺伝子に存在するCAGリピートの伸長は1型で最も長く、3型では短い。顔面筋の線維束性収縮や[[ミオキミア]]、[[びっくり眼]]などはMachado-Joseph病によくみられる。<br />
#SCA6<br> 50歳前後で発症し、小脳性運動失調症状のみを呈する純粋小脳型常染色体優性遺伝性脊髄小脳変性症であり、[[P/Q型電位依存性Caチャネル]]α1サブユニット遺伝子のC末端に位置するCAGリピートの軽度の伸長による。同遺伝子の点変異は、[[反復発作性運動失調症2型]](episodic ataxia type 2: EA2)と[[家族性片麻痺性片頭痛]]の原因でもある。<br />
#SCA31<br> 常染色体優性遺伝性脊髄小脳変性症では最も高齢の60歳前後で発症する純粋小脳型常染色体優性遺伝性脊髄小脳変性症であるが、遺伝子診断によらずにSCA6と鑑別することは困難である。わが国では長野県、静岡県、鹿児島県で特に多い。第16染色体長腕の[[BEAN]]と[[TK2]]遺伝子に共通するイントロンに挿入されたTGGAAという5塩基リピートが著明に伸長しており、転写産物によるRNA fociが形成されていることから、これと相互作用する核タンパク質の機能変化が想定される。<br />
#DRPLA<br> わが国に多い常染色体優性遺伝性脊髄小脳変性症で、発症年齢により臨床症状が異なる。[[atrophin 1]]遺伝子に存在するCAGリピートが長い場合は若年発症となり、[[進行性ミオクローヌスてんかん]]の臨床像を示す。伸長の程度が軽い場合には成人発症となり、[[認知]]機能障害や[[不随意運動]]などを呈する。ポリグルタミン病では最も著明な[[表現促進現象]]がみられ、リピート伸長の程度により、発症年齢や臨床像、重症度が規定される。[[小脳歯状核]]とその遠心路、[[淡蒼球]][[視床下核]]系に変性と萎縮を認めるだけでなく、[[大脳白質]]にも広範な変性像が認められる。<br />
#毛細血管拡張運動失調症(ataxia telangiectasia:AT;Louis-Bar症候群)<br> 幼児期に小脳性運動失調と[[皮膚]]や眼球結膜の[[wikipedia:ja:毛細血管|毛細血管]]拡張症で発症する。[[wikipedia:ja:IgA|IgA]]が低下し、[[wikipedia:ja:免疫不全|免疫不全]]のために感染症を起こしやすく、また高率に[[wikipedia:ja:悪性リンパ腫|悪性リンパ腫]]などの悪性腫瘍を合併する。ATの責任遺伝子[[ATM]]は2本鎖[[DNA]]の損傷修復に関与するタンパク質をコードする。神経症状として眼球運動失行を認め、以下に述べる[[aprataxin]]や[[senataxin]]の欠損症と病態、臨床症候は類似している。<br />
<br />
==常染色体劣性遺伝性脊髄小脳変性症==<br />
===概念===<br />
早期から緩徐進行性の小脳性運動失調を呈し、両親がいとこ婚である場合には、[[常染色体劣性遺伝]]性脊髄小脳変性症(autosomal recessive SCD:ARSCD)が疑われる。SCAと同じく、HUGOではSCARとして順番に番号がふられており、現在SCAR20まで登録されている(表3)。常染色体劣性遺伝性脊髄小脳変性症では純粋小脳型は少なく、末梢神経障害、眼球運動失行(ocular motor apraxia:OMA)などの多彩な症候を合併することが多い。<br />
<br />
===各論===<br />
#Friedreich運動失調症 Friedreich ataxia(FRDA)<br> 欧米では最も頻度が高い遺伝性脊髄小脳変性症である。Friedreich運動失調症の90%以上は、原因遺伝子[[frataxin]]のイントロンに存在するGAAリピートの著明な異常伸長のホモ接合体であり、数%は異常伸長と点変異の複合ヘテロ接合体である。しかし、欧米のFriedreich運動失調症には強い[[創始者効果]]が認められるため、わが国ではGAAリピートの異常伸長によるFriedreich運動失調症は確認されていない。原因遺伝子産物は、ミトコンドリアTCAサイクルを構成する[[aconitase]]などの[[鉄-硫黄タンパク質]]の機能維持に関与するので、Friedreich運動失調症の病態はfrataxinの機能喪失によるミトコンドリアの機能障害と想定される。<br> Friedreich運動失調症の主な症候は、[[後索]]の変性による[[深部感覚障害]]、錐体路症状、[[凹足]]、[[脊柱側弯症]]などである。小脳の萎縮は軽度であり、また[[心筋障害]]、[[糖尿病]]を合併する。<br />
#アプラタキシンaprataxin欠損症<br> わが国では、眼球運動失行と[[wikipedia:ja:低アルブミン血症|低アルブミン血症]]という特異な症候を伴い、Friedreich運動失調症に類似した臨床像を呈する[[早発性失調症]]([[early onset ataxia with ocular motor apraxia and hypoalbuminemia]]/[[ataxia-ocular motor apraxia type 1]]:[[EAOH]]/[[AOA1]])が見出され、原因遺伝子としてaprataxinが同定された。GAAリピートの異常伸長を伴う欧米型のFriedreich運動失調症はわが国には存在しないと考えられるので、これまでわが国でFriedreich運動失調症として報告されてきた症例は本症と考えられ、本症はわが国の常染色体劣性遺伝性脊髄小脳変性症の約3分の2を占めている。原因遺伝子産物のaprataxinは[[核小体]]に局在するタンパク質であり、1本鎖DNAの損傷修復機構への関与が想定される。<br> 眼球運動失行では[[衝動性眼球運動]](saccade)の開始が著明に障害される。主に小児期に認められるため、本症は小児科領域でAOA1として記載されてきた。眼球運動失行は10代後半には次第に目立たなくなり、代わって眼球運動障害が進行してくる。また低アルブミン血症は30歳前後から明らかになる。<br />
#セナタキシンsenataxin欠損症<br> Ataxia-ocular motor apraxiaには、AOA1に類似した臨床症状を呈しながら、アルブミンは低下せず、[[wikipedia:ja:α-fetoprotein|α-fetoprotein]]の高値を伴う[[AOA2]]がある。原因遺伝子[[senataxin]]の変異による。わが国からも報告があり、血中[[CK]]、[[wikipedia:ja:γ-グロブリン|γ-グロブリン]]も高値となる。<br />
#サクシンsacsin欠損症<br> わが国の常染色体劣性遺伝性脊髄小脳変性症では、アプラタキシン欠損症に次いで、[[シャルルボア・サグネイ型劣性遺伝性痙性失調症]]([[autosomal recessive spastic ataxia of Charlevoix-Saguenay]]:[[ARSACS]];[[サクシン欠損症]])が多い。シャルルボア・サグネイ型劣性遺伝性痙性失調症は当初カナダのQuebec州から報告されたが、その後世界各地で見出されている。ケベックの症例は[[網膜有髄線維]]の増加を伴う痙性失調症を特徴とするが、わが国では網膜[[有髄線維]]を欠く例、痙縮を欠く例も報告されている。<br />
#ビタミンE欠乏症<br> [[α-Tocopherol transfer protein]]の欠損による[[ビタミンE欠乏症]]では、進行性の小脳性運動失調が認められ、しばしば[[網膜]]色素変性を伴う。ビタミンEの大量投与により症状の改善が期待できるので、運動失調症の鑑別上重要である。</div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E7%9A%AE%E8%B3%AA%E6%80%A7%E5%B0%8F%E8%84%B3%E8%90%8E%E7%B8%AE%E7%97%87&diff=37067
皮質性小脳萎縮症
2017-01-09T11:13:38Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0113019 西澤 正豊]</font><br><br />
''新潟大学 脳研究所 ''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2016年1月30日 原稿完成日:2016年月日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
英語名:cortical cerebellar atrophy<br />
<br />
英語略:CCA<br />
<br />
==概念==<br />
脊髄[[小脳]]変性症の中では最も高齢で発症し、小脳性運動失調のみが緩徐に進行する孤発性の一群を[[皮質性小脳萎縮症]]と呼ぶ。単一疾患ではなく、一見家族歴を欠いていても、遺伝子診断により[[遺伝性脊髄小脳変性症]]原因遺伝子である[[SCA6]]や[[SCA31]]と確定される例があり、またアルコール性などの二次性小脳変性症も含まれる。純粋小脳型を呈する変性疾患としての皮質性小脳萎縮症は、実際には非常に少ないと考えられる。<br />
<br />
==診断・症候==<br />
中年期以降に、小脳性の[[体幹運動失調]]と[[構音障害]]が緩徐に進行する。経過は多系統萎縮症に比べて緩やかであり、進行しても独立歩行が可能な例もある。四肢の協調運動障害も次第に進行するが、小脳系以外の症候は認めない。<br />
<br />
[[image:脊髄小脳変性症2.png|thumb|350px|'''図2.皮質性小脳萎縮症のMRIにおける小脳萎縮'''<br>小脳の萎縮を認めるが、脳幹は保たれている]]<br />
<br />
画像検査では、小脳に限局して進行性の萎縮を認める(図2)。病初期には[[虫部]]前葉から萎縮が始まり、次第に[[小脳半球]]に波及する。しかし、[[wj:甲状腺機能低下症|甲状腺機能低下症]]、[[wj:ビタミンE欠乏症|ビタミンE欠乏症]]、[[wj:ビタミンB1欠乏症|ビタミンB1欠乏症]]、[[wj:Wilson病|Wilson病]]などの代謝性疾患、[[慢性アルコール中毒]]、[[フェニトイン]]や[[臭化バレリル尿素]]などの薬物中毒、[[有機水銀中毒]]、[[wj:トルエン|トルエン]]や[[wj:ベンゼン|ベンゼン]]などの[[wj:有機溶媒中毒|有機溶媒中毒]]、[[傍腫瘍性小脳変性症]]([[腫瘍随伴性神経症候群]])、[[グルテン失調症]]、[[GAD抗体陽性失調症]]、[[急性小脳炎]]、[[Fisher症候群]]、[[神経Behçet病]]、[[多発性硬化症]]、小脳血管障害、小脳腫瘍など、多くの疾患を除外する必要があり、診断を皮質性小脳萎縮症と確定することは容易ではない。<br />
<br />
==治療==<br />
根治的な治療法は確立されていないが、小脳の機能維持を目的として、四肢末梢への錘負荷や[[バランス]]訓練などのリハビリテーションが広く行われてきた。小脳が正常に保たれている脳血管障害に対する機能回復訓練とは異なり、[[運動学習]]の首座と考えられる小脳に進行性の変性が起きている小脳変性症の場合にも、繰り返し学習による可塑性(use- dependent plasticity)が獲得されるか否かは明らかでなかった。そこで、厚生労働省の運動失調症調査研究班で筆者らは、短期集中リハビリが小脳性運動失調の進行抑制に有効であるかを検証する臨床治験を、皮質性小脳萎縮症と遺伝性純粋小脳型失調症(SCA6とSCA31)を対象として実施し、1日各1時間の理学療法と作業療法を1ヶ月間継続すると、小脳性運動失調は改善し、その効果は最大6ヶ月続くことが実証された。この効果は既存の薬物治療効果を上回っており、小脳機能維持を目的としたリハビリテーション体制を整備することが今後の課題である。<br />
<br />
==関連項目==<br />
* [[脊髄小脳変性症]]<br />
* [[多系統萎縮症]]<br />
* [[遺伝性脊髄小脳変性症]]<br />
* [[α-シヌクレイン]]<br />
<br />
==参考文献==<br />
<references/></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E5%A4%9A%E7%B3%BB%E7%B5%B1%E8%90%8E%E7%B8%AE%E7%97%87&diff=37066
多系統萎縮症
2017-01-09T11:12:51Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0113019 西澤 正豊]</font><br><br />
''新潟大学 脳研究所 ''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2016年1月30日 原稿完成日:2016年月日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
英語名:Multiple system atrophy 独:Multisystematrophie 仏:atrophies multisystématisées<br />
<br />
英語略:MSA<br />
{{box|text= 多系統萎縮症とは、小脳系、大脳基底核系、自律神経系の3系統を中心とし、錐体路にも及ぶ多系統が変性する神経変性疾患である。小脳性運動失調から発症し、次第に自律神経症状や錐体外路症状、錐体路症状を伴う病型をMSA-C、パーキンソン症状から発症し、次第に自律神経症状を伴う病型をMSA-Pと呼ぶ。全経過は約9年で、誤嚥性肺炎や敗血症などの感染症が死因となることが多いが、夜間の突然死も重要である。根治的治療法は確立されておらず、対症療法が主体となる。病理学的にはオリゴデンドログリアや神経細胞の細胞質内に特徴的な封入体が観察され、その主な構成成分はリン酸化されたα-シヌクレインである。}}<br />
==概念==<br />
[[小脳]]あるいはその連絡線維の変性を呈する疾患の総称である[[脊髄小脳変性症]]のうち、遺伝性がなく、かつ病変が[[大脳基底核]]、[[自律神経系]]をなどにも及ぶ病型を指す。脊髄小脳変性症の孤発例の約3分の2を占める。<br />
<br />
従来、小脳系の変性を主体とする病型は、[[オリーブ橋小脳萎縮症]](olivopontoserebellar atrophy:OPCA)、大脳基底核系を主体とする病型は、[[線条体黒質変性症]](striatonigral degeneration:SND)、[[自律神経系]]を主体とする病型は、[[Shy-Drager症候群]](Shy-Drager syndrome:SDS)とも呼ばれてきた。オリーブ橋小脳萎縮症は[[w:Joseph Jules Dejerine|Dejerine]]とAndré-Thomasによる1900年の報告に始まるが<ref>'''J. J. Dejerine, A. Thomas'''<br>L'átrophie olivo-ponto-cérébelleuse.<br>In: ''Nouvelle iconographie de la Salpêtrière''. 1900, 13, S. 330.</ref>、[[オリーブ小脳系]]を超えた病変も認められていた。1964年にAdamsが提唱した線条体黒質変性症においても、[[黒質]][[線条体]]だけでなく、オリーブ小脳系の変性を伴うと記載されていた<ref><pubmed> 14219099</pubmed></ref>。Shy-Drager症候群はShyとDragerにより1960年に報告されたが<ref><pubmed> 14446364 </pubmed></ref>、1967年のSchwarzによる4剖検例では、自律神経系を超えた変性が認められていた<ref><pubmed> 6018044 </pubmed></ref>。こうした経緯から、GrahamとOppenheimerは1969年、病変分布の共通性から、オリーブ橋小脳萎縮症、線条体黒質変性症、Shy-Drager症候群を包括する多系統委縮症という名称を提案した<ref><pubmed>5774131</pubmed></ref>。高橋によるShy-Drager症候群のわが国初の詳細な剖検報告(1969年)<ref>'''高橋昭, 高城晋, 山本耕平ほか'''<br>Shy-Drager症候群. オリーブ橋小脳萎縮症との関連<br>''臨床神経学'' 9: 121-129, 1969</ref>でも、Shy-Drager症候群とオリーブ橋小脳萎縮症病変の共通性が指摘されている。<br />
<br />
==症候==<br />
40~60歳に、多くは[[小脳性運動失調]]から発症し、次第に自律神経症状や[[錐体外路症状]]、[[錐体路症状]]を伴う病型を[[MSA-C]]と呼ぶ。新潟大学の剖検例では、MSA-Cに[[パーキンソニズム]]を伴うのは74%であった。また、[[尿失禁]]や[[排尿困難]]、[[起立性低血圧]]や[[失神]]、男性では[[陰萎]]などの自律神経症状が発現する中央値は発症から2.5年であり、2.5年より早期から自律神経障害が出現すると、その後の進行が速かった。<br />
<br />
一方、[[パーキンソン症状]]から発症し、次第に自律神経症状を伴う病型を[[MSA-P]]と呼ぶ。小脳性運動失調症状はパーキンソン症状にマスクされやすく、MSA-Pが小脳性運動失調を伴う頻度は、新潟大学の検討では44%であった。MSA-Pの初期には、パーキンソン病との鑑別が困難な症例もある。パーキンソン病に比べて、[[レボドパ]]補充療法の効果が乏しく、進行が速く、症状の左右差や[[静止時振戦]]がまれであることが特徴とされるが、MSA-Pでもパーキンソン症状の左右差が明らかな例や、典型的な静止時振戦を示す例、レボドパも無効ではなく、改善を示す例がある。進行期になると、多系統萎縮症でも[[大脳皮質]]の著明な萎縮や、進行性の認知障害が認められる。<br />
<br />
多系統萎縮症の全経過は約9年で、[[wj::誤嚥性肺炎|誤嚥性肺炎]]や[[wj::敗血症|敗血症]]などの[[wj::感染症|感染症]]が死因となることが多いが、夜間の[[突然死]]も重要である。通常の低音のいびきとは異なる高調の喉頭喘鳴は、[[声帯外転麻痺]]を示唆する症候とされ、声帯外転麻痺による気道閉塞が突然死の原因と考えられてきた。しかし、麻酔薬により[[睡眠]]状態を再現して喉頭内視鏡検査を行うと、気道狭窄が生じている部位は[[wj:声帯|声帯]]に限らず、[[wj:被裂部|被裂部]]、[[wj::喉頭蓋|喉頭蓋]]、[[wj::舌根部|舌根部]]、[[wj::軟口蓋|軟口蓋]]など広範囲に及び、また吸気時に喉頭蓋が気管に引き込まれ、気道を閉塞する[[wikipedia:floppy epiglottis|floppy epiglottis]]と呼ばれる病態も合併することが明らかになった。MSAの睡眠呼吸障害に対する治療法として、マスクを用いた[[持続陽圧換気]](continuous positive airway pressure: CPAP)を不用意に行うと、floppy epiglottisでは気道狭窄が悪化する[[恐れ]]があり、注意を要する。<br />
<br />
多系統萎縮症の睡眠呼吸障害に対して、CPAP装着や気管切開などを行っても、突然死を防げない症例が存在する。[[中枢性無呼吸]]や致死性[[wj:不整脈|不整脈]]などが原因と考えられ、気管切開による人工呼吸管理が必要になる。<br />
<br />
== 診断 ==<br />
診断には、1999年に発表されたGilmanらによるconsensus statementが広く用いられてきた<ref name=Gilman />。これによると、多系統萎縮症は診断の確かさによりdefinite、probable、possibleの3群に分類され、さらにオリーブ橋小脳萎縮症も線条体黒質変性症もいずれは自律神経症状を合併することからShy-Drager症候群を除外して、小脳症状と自律神経障害を呈して従来のオリーブ橋小脳萎縮症に相当する多系統萎縮症をMSA-C、[[パーキンソン症]]状と自律神経障害を呈して従来の線条体黒質変性症に相当する多系統萎縮症をMSA-Pとして、多系統萎縮症を臨床的に2分した。2008年には、改訂版が発表され、probableとpossibleの主な分岐点は、自律神経症状の程度により規定された。排尿障害では[[尿失禁]]、男性では[[勃起障害]]が重視され、起立性低血圧では、起立後3分以内に収縮期血圧が30 mmHg以上,あるいは拡張期血圧が15 mmHg以上低下する場合をprobableとする基準値が定められた(表1)。<br />
<br />
これに対してわが国では、[[MSA-A]]としてShy-Drager症候群を残そうとする立場もある。新潟大学脳研究所で、病理学的に診断が確定された多系統萎縮症の臨床像を検討すると、MCA-C、MSA-Pのいずれも22%は、初発症状が自律神経障害であった。Shy-Drager症候群とされてきた症例は、早期から著明な自律神経障害で発症し、次第に小脳性運動失調やパーキンソン症状を伴うが、Shy-Drager症候群に特異的な自律神経障害は指摘できない。また「premotor MSA」(発症早期に自律神経障害が前景に立ち、他の系統変性による症候がまだ目立たない段階で、たまたま病理学的[[検索]]が行われた症例)では、オリーブ橋小脳系と線条体黒質系の変性は軽微であるのに対し、脳幹の自律神経諸核には既にglial cytoplasmic inclusionを認めている。また、Shy-Drager症候群と[[進行性自律神経機能不全症]](progressive autonomic failure:PAF)との鑑別も、初期には困難である。こうした知見を総合すると、Shy-Drager症候群を独立した疾患とすることは現時点では難しいと考えられる。<br />
<br />
MSA-CとMSA-Pの頻度には、著明な人種差がある。わが国ではMSA-Cが全体の7、8割、MSA-Pが2、3割を占めるが、欧米ではこの頻度が逆転している。MSA-CとMSA-Pは臨床診断であるが、病理学的に診断が確定されたdefinite 多系統萎縮症についても、Wenningらが検討した欧州ではMSA-Pが8割を占め<ref name=Wenning><pubmed> 12773886 </pubmed></ref>、一方、新潟大学の多系統萎縮症連続剖検例では、MSA-Cが3分の2を占めた。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+ 表1.多系統萎縮症診断基準改訂版<ref name=Gilman><pubmed>18725592</pubmed></ref><br />
|-<br />
|'''従来通り、definite, probable, possibleに分類し、さらにMSA-PとMSA-Cに分類する。'''<br />
#Definite MSA<br> 病理学的に,中枢神経に広範に、多数の[[α-シヌクレイン]]陽性glial cytoplasmic inclusion(GCI)を認め、線条体黒質系またはオリーブ橋小脳系の変性所見を伴う。<br />
#Probable MSA<br> 孤発性で進行性の成人発症(30歳以降)の変性疾患で、自律神経障害(尿失禁([[wj:膀胱|膀胱]]からの尿排出をコントロールできない、男性では勃起障害)、または起立後3分以内に少なくとも収縮期血圧が30 mmHg,拡張期血圧が15 mmHg低下する起立性低血圧)に加え、レボドパ反応性の乏しいパーキンソニズム(動作緩慢に、筋強剛、振戦、または[[姿勢反射]]障害を伴う)、または小脳症候群([[歩行失調]]に、小脳性[[構音障害]]、四肢失調、または小脳性[[眼球運動障害]]を伴う)を呈する。<br />
#Possible MSA<br> 孤発性で進行性の成人発症(30歳以降)の変性疾患で、パーキンソニズム、または小脳症候群を呈し、加えて自律神経障害を示唆する所見(他の原因では説明できない[[尿意促迫]]、[[頻尿]]、[[残尿]]、男性では[[勃起不全]]、またはprobable MSAの規準を満たさないレベルの起立性低血圧)を少なくとも一つ認め、さらに以下の表で少なくとも一つの所見を満たすもの。<br><br />
(1) Possible MSA-P またはMSA-C<br> [[腱反射亢進]]を伴う[[Babinski徴候]]陽性、喘鳴。<br><br />
(2) Possible MSA-P<br> 急速進行性のパーキンソニズム、レボドパ反応性が乏しいこと、運動症状出現3年以内の姿勢反射障害、<br />
歩行失調・小脳性構音障害・四肢失調・または<br> 小脳性眼球運動障害、運動症状出現5年以内の嚥下障害、<br />
[[MRI]]における[[被殻]]・[[中小脳脚]]・[[橋]]・または小脳の萎縮、[[陽電子断層撮像法#脳機能計測|FDG-PET]]における被殻・脳幹・または小脳の低代謝。<br><br />
(3) Possible MSA-C<br> パーキンソニズム(動作緩慢と筋強剛)、MRIにおける被殻・中小脳脚・または橋の萎縮、FDG-PETにおける[[被殻]]の低代謝、[[SPECT]]または[[PET]]における<br> 黒質線条体[[ドーパミン]]作動性ニューロンの節前性脱神経 。<br />
|-<br />
|'''多系統萎縮症の診断を支持するred flag所見<br>'''<br />
口部顔面[[ジストニア]]、頸部前屈、[[カンプトコルミア]](脊柱の高度の前屈)and/or [[Pisa症候群]](脊柱の高度の側屈)、手または足の拘縮、吸気時のため息、高度の発声困難、高度の構音障害、いびきの出現または増悪、手足の冷感、病的笑いまたは病的泣き、jerkyな[[ミオクローヌス]]様の[[姿勢振戦]]または[[動作性振戦]]。 <br />
|-<br />
|'''多系統萎縮症の診断を支持しない所見<br>'''<br />
典型的丸薬丸め様の[[静止時振戦]]、臨床的に有意な[[末梢神経障害]]、薬剤誘発性でない[[幻覚]]、75歳以上の発症、失調症やパーキンソニズムの家族歴、[[認知症]]([[DSM-IV]]による)、[[多発性硬化症]]を示唆する大脳[[白質]]病変。<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
==補助診断法==<br />
[[image:脊髄小脳変性症1.png|thumb|350px|'''図1.多系統萎縮症のMRI所見'''<br>図左:MSA-Cにおける橋十字サインと橋、小脳の萎縮<br><br />
図右:MSA-Pにおける線条体後外側部の線状高信号(スリットサイン)]]<br />
<br />
多系統萎縮症の補助診断には[[MRI]]が有用である。MSA-Cでは、小脳、[[中小脳脚]]、[[脳幹]]の進行性萎縮とともに、橋底部に十字状の高信号(hot cross bun sign:橋十字サイン)が、MSA-Pでは、被殻の進行性萎縮とグリオーシス、鉄の沈着により、被殻後外側部に線状の高信号(putaminal slit sign)が認められる(図1)。<br />
<br />
[[MIBG心筋シンチグラフィー]]では、MSA-Pの初期には取り込みの低下は認められないので、パーキンソン病との鑑別に役立つ。[[脳脊髄液]]中の[[α-シヌクレイン]]は多系統萎縮症では低下する。glial cytoplasmic inclusionに結合するリガンドを利用した[[PET]]検査も開発中である。<br />
<br />
==治療==<br />
根治的治療法は確立されておらず、対症療法が主体となる。わが国では、[[thyrotropin releasing hormone]]([[TRH]])の点滴とその誘導体([[タルチレリン]])の経口投与が、小脳性運動失調に対して唯一保険適用となっているが、その効果は限定的である。起立性低血圧や排尿障害などの自律神経症状には、対症療法を行う。多くの薬剤について、小脳性運動失調症に対する有効性が検証されているが、確実に効果が実証されたものはない。<br />
<br />
多系統萎縮症では、経過中に気道や尿路の感染症を繰り返して、全身状態が悪化することが多い。口腔ケアを徹底して、誤嚥による気道感染を予防することが重要である。<br />
<br />
脊髄小脳変性症と多系統萎縮症は[[wj:厚生労働省|厚生労働省]]の[[wj:指定難病制度|指定難病制度]]の対象疾患であり、さらに[[wj:介護保健法|介護保健法]]における「特定疾病」に指定されている。制度上Shy-Drager症候群を拡大して多系統萎縮症として独立させたために、脊髄小脳変性症には[[皮質性小脳萎縮症]]と[[遺伝性脊髄小脳変性症]]が残された形となっている。また、MSA-Pはパーキンソン病と診断されている場合が少なからずあり、難病対策制度上の分類には、再度整理が必要である。<br />
<br />
== 病理所見 ==<br />
MSA-Cでは小脳皮質、[[橋]]小脳系、および[[下オリーブ核]]に強い変性と神経細胞脱落、[[グリオーシス]]が認められる。一方、MSA-Pでは[[被殻]]、黒質の変性が高度であり、特に被殻の後外側部は神経細胞脱落が強く、褐色調の色素沈着がみられる。Shy-Drager症候群とされた剖検例では、[[脊髄]][[中間外側核]]、[[迷走神経]]背側核、[[交感神経節]]などの自律神経諸核の変性が強い。<br />
<br />
<br />
多系統萎縮症に共通する疾患特異的バイオマーカーとして、脳幹の[[オリゴデンドロサイト]]や神経細胞の細胞質内に特徴的な封入体([[glial cytoplasmic inclusion]]:[[GCI]]、[[neuronal cytoplasmic inclusion]]:[[NCI]])が見出され、多系統萎縮症は疾患単位として確立された。さらに、glial cytoplasmic inclusion、neuronal cytoplasmic inclusionの主な構成成分は、リン酸化された[[α-シヌクレイン]]であることが明らかにされた。α-シヌクレインは、もともとオリゴデンドロサイトには発現していない。多系統萎縮症では病的[[グリア細胞]]がα-シヌクレインを産生するという可能性よりも、神経細胞が産生したα-シヌクレインが細胞間を伝搬してグリアに取り込まれるという「[[プリオン]]様のタンパク伝搬仮説」が現在は有力である。パーキンソン病の特徴である[[レヴィー小体]]の主な構成成分もリン酸化α-シヌクレインであるが、同じシヌクレイノパチーである多系統萎縮症とパーキンソン病がどこで分岐するかは未解明である。α-シヌクレイン遺伝子の点変異は家族性パーキンソン病の原因とはなるが、多系統萎縮症の表現型は示さない。α-シヌクレイン遺伝子のduplication、あるいはtriplicationによるまれな家族性パーキンソン病では、レヴィー小体とglial cytoplasmic inclusionがともに認められることから、遺伝子量の増大はglial cytoplasmic inclusion形成の原因の一つと考えられる。<br />
<br />
== 病態生理 ==<br />
ごくまれではあるが、多系統萎縮症には家族発症例があり、これらの解析から辻らにより[[COQ2]]([[コエンザイムQ10]]合成酵素)遺伝子に変異が同定された。変異が2つあれば発症者となり、変異が1つでは発症リスクを高めることになる。日本人のみに認められるV393A変異は多系統萎縮症の約9%に見出され(健常者では約3%)、ホモ変異例では脳内のコエンザイムQ10量が減少していた。<br />
<br />
<br />
==関連項目==<br />
* [[脊髄小脳変性症]]<br />
* [[皮質性小脳萎縮症]]<br />
* [[遺伝性脊髄小脳変性症]]<br />
* [[α-シヌクレイン]]<br />
<br />
==参考文献==<br />
<br />
<references/></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E5%A4%9A%E7%B3%BB%E7%B5%B1%E8%90%8E%E7%B8%AE%E7%97%87&diff=37065
多系統萎縮症
2017-01-09T11:11:52Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0113019 西澤 正豊]</font><br><br />
''新潟大学 脳研究所 ''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2016年1月30日 原稿完成日:2016年月日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
英語名:Multiple system atrophy 独:Multisystematrophie 仏:atrophies multisystématisées<br />
<br />
英語略:MSA<br />
{{box|text= 多系統萎縮症とは、小脳系、大脳基底核系、自律神経系の3系統を中心とし、錐体路にも及ぶ多系統が変性する神経変性疾患である。小脳性運動失調から発症し、次第に自律神経症状や錐体外路症状、錐体路症状を伴う病型をMSA-C、パーキンソン症状から発症し、次第に自律神経症状を伴う病型をMSA-Pと呼ぶ。全経過は約9年で、誤嚥性肺炎や敗血症などの感染症が死因となることが多いが、夜間の突然死も重要である。根治的治療法は確立されておらず、対症療法が主体となる。病理学的にはオリゴデンドログリアや神経細胞の細胞質内に特徴的な封入体が観察され、その主な構成成分はリン酸化されたα-シヌクレインである。}}<br />
==概念==<br />
[[小脳]]あるいはその連絡線維の変性を呈する疾患の総称である[[脊髄小脳変性症]]のうち、遺伝性がなく、かつ病変が[[大脳基底核]]、[[自律神経系]]をなどにも及ぶ病型を指す。脊髄小脳変性症の孤発例の約3分の2を占める。<br />
<br />
従来、小脳系の変性を主体とする病型は、[[オリーブ橋小脳萎縮症]](olivopontoserebellar atrophy:OPCA)、大脳基底核系を主体とする病型は、[[線条体黒質変性症]](striatonigral degeneration:SND)、[[自律神経系]]を主体とする病型は、[[Shy-Drager症候群]](Shy-Drager syndrome:SDS)とも呼ばれてきた。オリーブ橋小脳萎縮症は[[w:Joseph Jules Dejerine|Dejerine]]とAndré-Thomasによる1900年の報告に始まるが<ref>'''J. J. Dejerine, A. Thomas'''<br>L'átrophie olivo-ponto-cérébelleuse.<br>In: ''Nouvelle iconographie de la Salpêtrière''. 1900, 13, S. 330.</ref>、[[オリーブ小脳系]]を超えた病変も認められていた。1964年にAdamsが提唱した線条体黒質変性症においても、[[黒質]][[線条体]]だけでなく、オリーブ小脳系の変性を伴うと記載されていた<ref><pubmed> 14219099</pubmed></ref>。Shy-Drager症候群はShyとDragerにより1960年に報告されたが<ref><pubmed> 14446364 </pubmed></ref>、1967年のSchwarzによる4剖検例では、自律神経系を超えた変性が認められていた<ref><pubmed> 6018044 </pubmed></ref>。こうした経緯から、GrahamとOppenheimerは1969年、病変分布の共通性から、オリーブ橋小脳萎縮症、線条体黒質変性症、Shy-Drager症候群を包括する多系統委縮症という名称を提案した<ref><pubmed>5774131</pubmed></ref>。高橋によるShy-Drager症候群のわが国初の詳細な剖検報告(1969年)<ref>'''高橋昭, 高城晋, 山本耕平ほか'''<br>Shy-Drager症候群. オリーブ橋小脳萎縮症との関連<br>''臨床神経学'' 9: 121-129, 1969</ref>でも、Shy-Drager症候群とオリーブ橋小脳萎縮症病変の共通性が指摘されている。<br />
<br />
==症候==<br />
40~60歳に、多くは[[小脳性運動失調]]から発症し、次第に自律神経症状や[[錐体外路症状]]、[[錐体路症状]]を伴う病型を[[MSA-C]]と呼ぶ。新潟大学の剖検例では、MSA-Cに[[パーキンソニズム]]を伴うのは74%であった。また、[[尿失禁]]や[[排尿困難]]、[[起立性低血圧]]や[[失神]]、男性では[[陰萎]]などの自律神経症状が発現する中央値は発症から2.5年であり、2.5年より早期から自律神経障害が出現すると、その後の進行が速かった。<br />
<br />
一方、[[パーキンソン症状]]から発症し、次第に自律神経症状を伴う病型を[[MSA-P]]と呼ぶ。小脳性運動失調症状はパーキンソン症状にマスクされやすく、MSA-Pが小脳性運動失調を伴う頻度は、新潟大学の検討では44%であった。MSA-Pの初期には、パーキンソン病との鑑別が困難な症例もある。パーキンソン病に比べて、[[レボドパ]]補充療法の効果が乏しく、進行が速く、症状の左右差や[[静止時振戦]]がまれであることが特徴とされるが、MSA-Pでもパーキンソン症状の左右差が明らかな例や、典型的な静止時振戦を示す例、レボドパも無効ではなく、改善を示す例がある。進行期になると、多系統萎縮症でも[[大脳皮質]]の著明な萎縮や、進行性の認知障害が認められる。<br />
<br />
多系統萎縮症の全経過は約9年で、[[wj::誤嚥性肺炎|誤嚥性肺炎]]や[[wj::敗血症|敗血症]]などの[[wj::感染症|感染症]]が死因となることが多いが、夜間の[[突然死]]も重要である。通常の低音のいびきとは異なる高調の喉頭喘鳴は、[[声帯外転麻痺]]を示唆する症候とされ、声帯外転麻痺による気道閉塞が突然死の原因と考えられてきた。しかし、麻酔薬により[[睡眠]]状態を再現して喉頭内視鏡検査を行うと、気道狭窄が生じている部位は[[wj:声帯|声帯]]に限らず、[[wj:被裂部|被裂部]]、[[wj::喉頭蓋|喉頭蓋]]、[[wj::舌根部|舌根部]]、[[wj::軟口蓋|軟口蓋]]など広範囲に及び、また吸気時に喉頭蓋が気管に引き込まれ、気道を閉塞する[[wikipedia:floppy epiglottis|floppy epiglottis]]と呼ばれる病態も合併することが明らかになった。MSAの睡眠呼吸障害に対する治療法として、マスクを用いた[[持続陽圧換気]](continuous positive airway pressure: CPAP)を不用意に行うと、floppy epiglottisでは気道狭窄が悪化する[[恐れ]]があり、注意を要する。<br />
<br />
多系統萎縮症の睡眠呼吸障害に対して、CPAP装着や気管切開などを行っても、突然死を防げない症例が存在する。[[中枢性無呼吸]]や致死性[[wj:不整脈|不整脈]]などが原因と考えられ、気管切開による人工呼吸管理が必要になる。<br />
<br />
== 診断 ==<br />
診断には、1999年に発表されたGilmanらによるconsensus statementが広く用いられてきた<ref name=Gilman />。これによると、多系統萎縮症は診断の確かさによりdefinite、probable、possibleの3群に分類され、さらにオリーブ橋小脳萎縮症も線条体黒質変性症もいずれは自律神経症状を合併することからShy-Drager症候群を除外して、小脳症状と自律神経障害を呈して従来のオリーブ橋小脳萎縮症に相当する多系統萎縮症をMSA-C、[[パーキンソン症]]状と自律神経障害を呈して従来の線条体黒質変性症に相当する多系統萎縮症をMSA-Pとして、多系統萎縮症を臨床的に2分した。2008年には、改訂版が発表され、probableとpossibleの主な分岐点は、自律神経症状の程度により規定された。排尿障害では[[尿失禁]]、男性では[[勃起障害]]が重視され、起立性低血圧では、起立後3分以内に収縮期血圧が30 mmHg以上,あるいは拡張期血圧が15 mmHg以上低下する場合をprobableとする基準値が定められた(表1)。<br />
<br />
これに対してわが国では、[[MSA-A]]としてShy-Drager症候群を残そうとする立場もある。新潟大学脳研究所で、病理学的に診断が確定された多系統萎縮症の臨床像を検討すると、MCA-C、MSA-Pのいずれも22%は、初発症状が自律神経障害であった。Shy-Drager症候群とされてきた症例は、早期から著明な自律神経障害で発症し、次第に小脳性運動失調やパーキンソン症状を伴うが、Shy-Drager症候群に特異的な自律神経障害は指摘できない。また「premotor MSA」(発症早期に自律神経障害が前景に立ち、他の系統変性による症候がまだ目立たない段階で、たまたま病理学的[[検索]]が行われた症例)では、オリーブ橋小脳系と線条体黒質系の変性は軽微であるのに対し、脳幹の自律神経諸核には既にglial cytoplasmic inclusionを認めている。また、Shy-Drager症候群と[[進行性自律神経機能不全症]](progressive autonomic failure:PAF)との鑑別も、初期には困難である。こうした知見を総合すると、Shy-Drager症候群を独立した疾患とすることは現時点では難しいと考えられる。<br />
<br />
MSA-CとMSA-Pの頻度には、著明な人種差がある。わが国ではMSA-Cが全体の7、8割、MSA-Pが2、3割を占めるが、欧米ではこの頻度が逆転している。MSA-CとMSA-Pは臨床診断であるが、病理学的に診断が確定されたdefinite 多系統萎縮症についても、Wenningらが検討した欧州ではMSA-Pが8割を占め<ref name=Wenning><pubmed> 12773886 </pubmed></ref>、一方、新潟大学の多系統萎縮症連続剖検例では、MSA-Cが3分の2を占めた。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+ 表1.多系統萎縮症診断基準改訂版<ref name=Gilman><pubmed>18725592</pubmed></ref><br />
|-<br />
|'''従来通り、definite, probable, possibleに分類し、さらにMSA-PとMSA-Cに分類する。'''<br />
#Definite MSA<br> 病理学的に,中枢神経に広範に、多数の[[α-シヌクレイン]]陽性glial cytoplasmic inclusion(GCI)を認め、線条体黒質系またはオリーブ橋小脳系の変性所見を伴う。<br />
#Probable MSA<br> 孤発性で進行性の成人発症(30歳以降)の変性疾患で、自律神経障害(尿失禁([[wj:膀胱|膀胱]]からの尿排出をコントロールできない、男性では勃起障害)、または起立後3分以内に少なくとも収縮期血圧が30 mmHg,拡張期血圧が15 mmHg低下する起立性低血圧)に加え、レボドパ反応性の乏しいパーキンソニズム(動作緩慢に、筋強剛、振戦、または[[姿勢反射]]障害を伴う)、または小脳症候群([[歩行失調]]に、小脳性[[構音障害]]、四肢失調、または小脳性[[眼球運動障害]]を伴う)を呈する。<br />
#Possible MSA<br> 孤発性で進行性の成人発症(30歳以降)の変性疾患で、パーキンソニズム、または小脳症候群を呈し、加えて自律神経障害を示唆する所見(他の原因では説明できない[[尿意促迫]]、[[頻尿]]、[[残尿]]、男性では[[勃起不全]]、またはprobable MSAの規準を満たさないレベルの起立性低血圧)を少なくとも一つ認め、さらに以下の表で少なくとも一つの所見を満たすもの。<br><br />
(1) Possible MSA-P またはMSA-C<br> [[腱反射亢進]]を伴う[[Babinski徴候]]陽性、喘鳴。<br><br />
(2) Possible MSA-P<br> 急速進行性のパーキンソニズム、レボドパ反応性が乏しいこと、運動症状出現3年以内の姿勢反射障害、<br />
歩行失調・小脳性構音障害・四肢失調・または<br> 小脳性眼球運動障害、運動症状出現5年以内の嚥下障害、<br />
[[MRI]]における[[被殻]]・[[中小脳脚]]・[[橋]]・または小脳の萎縮、[[陽電子断層撮像法#脳機能計測|FDG-PET]]における被殻・脳幹・または小脳の低代謝。<br><br />
(3) Possible MSA-C<br> パーキンソニズム(動作緩慢と筋強剛)、MRIにおける被殻・中小脳脚・または橋の萎縮、FDG-PETにおける[[被殻]]の低代謝、[[SPECT]]または[[PET]]における<br> 黒質線条体[[ドーパミン]]作動性ニューロンの節前性脱神経 。<br />
|-<br />
|'''多系統萎縮症の診断を支持するred flag所見<br>'''<br />
口部顔面[[ジストニア]]、頸部前屈、[[カンプトコルミア]](脊柱の高度の前屈)and/or [[Pisa症候群]](脊柱の高度の側屈)、手または足の拘縮、吸気時のため息、高度の発声困難、高度の構音障害、いびきの出現または増悪、手足の冷感、病的笑いまたは病的泣き、jerkyな[[ミオクローヌス]]様の[[姿勢振戦]]または[[動作性振戦]]。 <br />
|-<br />
|'''多系統萎縮症の診断を支持しない所見<br>'''<br />
典型的丸薬丸め様の[[静止時振戦]]、臨床的に有意な[[末梢神経障害]]、薬剤誘発性でない[[幻覚]]、75歳以上の発症、失調症やパーキンソニズムの家族歴、[[認知症]]([[DSM-IV]]による)、[[多発性硬化症]]を示唆する大脳[[白質]]病変。<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
==補助診断法==<br />
[[image:脊髄小脳変性症1.png|thumb|350px|'''図1.多系統萎縮症のMRI所見'''<br>図左:MSA-Cにおける橋十字サインと橋、小脳の萎縮<br><br />
図右:MSA-Pにおける線条体後外側部の線状高信号(スリットサイン)]]<br />
<br />
多系統萎縮症の補助診断には[[MRI]]が有用である。MSA-Cでは、小脳、[[中小脳脚]]、[[脳幹]]の進行性萎縮とともに、橋底部に十字状の高信号(hot cross bun sign:橋十字サイン)が、MSA-Pでは、被殻の進行性萎縮とグリオーシス、鉄の沈着により、被殻後外側部に線状の高信号(putaminal slit sign)が認められる(図1)。<br />
<br />
[[MIBG心筋シンチグラフィー]]では、MSA-Pの初期には取り込みの低下は認められないので、パーキンソン病との鑑別に役立つ。[[脳脊髄液]]中の[[α-シヌクレイン]]は多系統萎縮症では低下する。glial cytoplasmic inclusionに結合するリガンドを利用した[[PET]]検査も開発中である。<br />
<br />
==治療==<br />
根治的治療法は確立されておらず、対症療法が主体となる。わが国では、[[thyrotropin releasing hormone]]([[TRH]])の点滴とその誘導体([[タルチレリン]])の経口投与が、小脳性運動失調に対して唯一保険適用となっているが、その効果は限定的である。起立性低血圧や排尿障害などの自律神経症状には、対症療法を行う。多くの薬剤について、小脳性運動失調症に対する有効性が検証されているが、確実に効果が実証されたものはない。<br />
<br />
多系統萎縮症では、経過中に気道や尿路の感染症を繰り返して、全身状態が悪化することが多い。口腔ケアを徹底して、誤嚥による気道感染を予防することが重要である。<br />
<br />
脊髄小脳変性症と多系統萎縮症は[[wj:厚生労働省|厚生労働省]]の[[wj:指定難病制度|指定難病制度]]の対象疾患であり、さらに[[wj:介護保健法|介護保健法]]における「特定疾病」に指定されている。制度上Shy-Drager症候群を拡大して多系統萎縮症として独立させたために、脊髄小脳変性症には[[皮質性小脳萎縮症]]と[[遺伝性脊髄小脳変性症]]が残された形となっている。また、MSA-Pはパーキンソン病と診断されている場合が少なからずあり、難病対策制度上の分類には、再度整理が必要である。<br />
<br />
== 病理所見 ==<br />
MSA-Cでは小脳皮質、[[橋]]小脳系、および[[下オリーブ核]]に強い変性と神経細胞脱落、[[グリオーシス]]が認められる。一方、MSA-Pでは[[被殻]]、黒質の変性が高度であり、特に被殻の後外側部は神経細胞脱落が強く、褐色調の色素沈着がみられる。Shy-Drager症候群とされた剖検例では、[[脊髄]][[中間外側核]]、[[迷走神経]]背側核、[[交感神経節]]などの自律神経諸核の変性が強い。<br />
<br />
<br />
多系統萎縮症に共通する疾患特異的バイオマーカーとして、脳幹の[[オリゴデンドロサイト]]や神経細胞の細胞質内に特徴的な封入体([[glial cytoplasmic inclusion]]:[[GCI]]、[[neuronal cytoplasmic inclusion]]:[[NCI]])が見出され、多系統萎縮症は疾患単位として確立された。さらに、glial cytoplasmic inclusion、neuronal cytoplasmic inclusionの主な構成成分は、リン酸化された[[α-シヌクレイン]]であることが明らかにされた。α-シヌクレインは、もともとオリゴデンドロサイトには発現していない。多系統萎縮症では病的[[グリア細胞]]がα-シヌクレインを産生するという可能性よりも、神経細胞が産生したα-シヌクレインが細胞間を伝搬してグリアに取り込まれるという「[[プリオン]]様のタンパク伝搬仮説」が現在は有力である。パーキンソン病の特徴である[[レヴィー小体]]の主な構成成分もリン酸化α-シヌクレインであるが、同じシヌクレイノパチーである多系統萎縮症とパーキンソン病がどこで分岐するかは未解明である。α-シヌクレイン遺伝子の点変異は家族性パーキンソン病の原因とはなるが、多系統萎縮症の表現型は示さない。α-シヌクレイン遺伝子のduplication、あるいはtriplicationによるまれな家族性パーキンソン病では、レヴィー小体とglial cytoplasmic inclusionがともに認められることから、遺伝子量の増大はglial cytoplasmic inclusion形成の原因の一つと考えられる。<br />
<br />
== 病態生理 ==<br />
ごくまれではあるが、多系統萎縮症には家族発症例があり、これらの解析から辻らにより[[COQ2]]([[コエンザイムQ10]]合成酵素)遺伝子に変異が同定された。変異が2つあれば発症者となり、変異が1つでは発症リスクを高めることになる。日本人のみに認められるV393A変異は多系統萎縮症の約9%に見出され(健常者では約3%)、ホモ変異例では脳内のコエンザイムQ10量が減少していた。<br />
<br />
<br />
==関連項目==<br />
* [[脊髄小脳変性症]]<br />
* [[皮質性小脳萎縮症]]<br />
* [[遺伝性脊髄小脳変性症]]<br />
* [[α-シヌクレイン]]<br />
<br />
==参考文献==<br />
<br />
(<u>編集部コメント:文献をお願い致します。著者と年号があったものに関しては編集部で入れましたので、ご確認ください。</u>)<br />
<references/></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E3%81%A6%E3%82%93%E3%81%8B%E3%82%93&diff=37064
てんかん
2017-01-09T11:08:28Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0082204 兼子 直]</font><br><br />
''北東北てんかんセンター''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2016年2月8日 原稿完成日:2016年3月12日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
{{box|text= てんかんとは種々の原因(遺伝、外因)により起きる慢性の脳の病気であり、自発性かつ反復性の発作(てんかん発作)を主徴とし、脳波検査で発作性放電を示し、焦点部位の機能異常により多彩な発作症状を示す疾患ないし症候群である。発作にはけいれんだけでなく意識障害を示すものもあり、同じ発作パターンが反復して出現する。脳波検査で発作性放電が出現しても臨床的な発作がなければてんかんではなく、1回のみの発作も治療の対象とはならない。治療は抗てんかん薬による薬物療法が主流である。約70%の症例は抗てんかん薬で発作が抑制され、抑制されない症例では食餌療法、外科治療、迷走神経刺激療法などが検討される。近年、てんかんの原因遺伝子が各種同定され、それに基づくてんかんの分子病態が報告されてきている。その流れからはてんかんを治癒できる薬剤の開発あるいはてんかんの発病を防止する治療が検討されるようになった。}}<br />
<br />
==てんかんとは==<br />
[[wj:世界保健機関|WHO]]の定義では、“てんかんとは種々の原因(遺伝、外因)により起きる慢性の脳の病気であり、自発性かつ反復性の発作(てんかん発作)を主徴とし、[[脳波]]検査で[[発作性放電]]を示し、焦点部位の機能異常により多彩な発作症状を示す疾患ないし症候群である”とされている。<br />
<br />
発作症状は異常興奮を起こす脳部位、範囲により規定される。発作症状は同じパターンを繰り返す。発作にはけいれんだけでなく[[意識障害]]を示すものもある。各てんかん類型の発作症状は以下の診断、分類の項目で記述する。<br />
<br />
==診断==<br />
[[IMAGE:てんかん脳波1.png|thumb|300px|'''脳波1.覚醒時大発作てんかん発作時の脳波'''<br>10歳女児の脳波で両側性に棘波の群発を認める。]]<br />
[[IMAGE:てんかん脳波2.png|thumb|300px|'''脳波2.前頭葉てんかん'''<br>10歳男児の脳波で、左前頭葉に棘徐派結合を認める。]]<br />
[[IMAGE:てんかん脳波3.png|thumb|300px|'''脳波3.側頭葉てんかん'''<br>21歳女性の脳波で、左側頭前部から側頭中部にかけて、棘波、鋭波の群発を認める。]]<br />
[[IMAGE:てんかん脳波4.png|thumb|300px|'''脳波4.後頭葉てんかん'''<br>10歳男児の脳波で、右後頭葉優位に、棘徐波結合を認める。]]<br />
[[IMAGE:てんかん脳波5.png|thumb|300px|'''脳波5.中心・側頭部に棘波を持つ良性小児てんかん'''<br>左半球(左中心・側頭部)にローランド棘波を認める 。]]<br />
[[IMAGE:てんかん脳波6.png|thumb|300px|'''脳波6.欠神発作時の脳波'''<br>脳全体に3Hz(1秒間に3回の頻度)の棘波結合の持続的な出現を認める。]]<br />
[[IMAGE:てんかん脳波7.png|thumb|300px|'''脳波7.ウエスト症候群の脳波'''<br>棘波、多棘波、高振幅の徐波が、同期せずばらばらに出現し、ヒプスアリスミア(hypsarrythmia)を示す。]]<br />
[[IMAGE:てんかん脳波8.png|thumb|300px|'''脳波8.レノックス・ガストー症候群の脳波'''<br>脳全体に3cpsより遅い棘徐波結合が頻会に出現する。]]<br />
<br />
===病歴===<br />
てんかんは慢性の脳疾患であり、脳神経細胞の異常興奮により惹起され、1回以上の発作を起こし、発作以外の症状も伴う。てんかん発作の症状はけいれん発作だけでなく、種々の程度の[[意識障害]]、[[行動障害]]を示す場合もあるが、重要な点は「発作は同じパターンを繰り返す」ことである。診断の際には、発作時に開眼しているか、[[wj:チアノーゼ|チアノーゼ]]があるか、意識障害の有無や行動変化とその回復過程はどうなっているか、尿[[失禁]]、[[嘔吐]]、発作後の[[頭痛]]、[[もうろう状態]]などを伴うか否か、などの発作症状の観察や発病年齢の聴取が重要である。<br />
<br />
===検査所見===<br />
補助診断として[[脳波]]・ビデオ同時記録、[[睡眠ポリグラフィーが]]用いられ、脳[[MRI]]、[[SPECT]]などが検査されるが、最近では[[遺伝子診断]]も試みられている。これらの所見を基に、てんかんか否かを判断し、てんかんと診断されれば次にてんかん発作型を分類することになる。<br />
==== 脳波 ====<br />
てんかんの診断に脳波検査は欠かせない。同じパターンを示す発作の確認と発作間歇期に発作波([[棘徐波結合]]、[[鋭波-徐波結合]]、[[棘波]]、[[鋭波]]、[[徐波]]の群発などが記録されるとてんかんと考えられるが(脳波1-8<ref>'''兼子直'''<br>追補改訂版、てんかん教室<br>''新興医学出版''、2003</ref>を参照。)、てんかんであっても脳波異常が記録されないときもあるため、発作症状からてんかんが疑われる場合には時間をおいて繰り返し、脳波を記録する必要がある。24時間連続して記録するビデオ脳波同時記録は服薬をしない状態で記録するため、発作時脳波を記録できる可能性が高く、鑑別診断の有力な手段である。<br />
<br />
==== 画像診断 ====<br />
てんかんの原因として[[脳奇形]]、[[脳腫瘍]]、[[脳出血]]、[[脳萎縮]]など脳の器質性疾患を見出すには MRI検査が有力であり,[[PET]]あるいはSPECTを併用し代謝、血流の変化する部位同定も焦点部位決定に役立つ。<br />
<br />
==== 遺伝子診断 ====<br />
一部のてんかん類型では遺伝子検査が行われる。特に生後間もない時に発病するてんかん類型('''表3''')では鑑別診断に有力な検査手段となる。てんかんの発病を防止しようとする動きがあり、これには発病前の治療が必要性であり、ハイリスク児同定に遺伝子検査が有力な手段となる<ref name=ref11>'''兼子直、他'''<br>新しい抗てんかん薬の開発とてんかんの発病防止戦略<br>''最新医学'' 70;1044-1050, 2015.</ref>。<br />
<br />
====血液生化学====<br />
目撃者がいない場合にはけいれん発作後の[[wj:クレアチンホスホキナーゼ|クレアチンホスホキナーゼ]] (CPK)の上昇、複雑部分発作の30分以内なら血中[[プロラクチン]]濃度などの増加も診断上参考になる。<br />
<br />
====心電図====<br />
[[複雑部分発作]]などの意識障害の存在が疑われ、脳波異常がなければ、[[wj:心電図|心電図]]検査、[[wj:ホルター心電図|ホルター心電図]]検査も必要となる。<br />
<br />
===鑑別診断===<br />
患者の示す発作症状がてんかん性か否かが問題となる症例は少なくない。鑑別すべき重要な疾患、状態には以下のようなものがある。これらの内、てんかんを疑われて受診した患者では[[心因性非てんかん発作]](psychogenic non-epileptic seizure: PNES)、[[wj:循環器|循環器]]疾患に伴う[[失神]].、および[[レム睡眠行動障害]]、[[ナルコレプシー]]、[[睡眠時随伴症]]([[夜驚症]]、[[夢中遊行]])、[[入眠時ミオクローヌス]]の睡眠関連症状はしばしば鑑別を要する。<br />
<br />
==== 心因性非てんかん発作 ====<br />
心因性非てんかん発作(PNES)は精神医学でいう解離性障害あるいは転換性障害のひとつといえるが、まったく同一とはいえない。診断で難しいのはてんかんと 心因性非てんかん発作が合併した場合である。難治てんかんでは両者の合併は10-35%と高頻度である<ref name=ref14>'''Krumholz A et al'''<br>Coexisting epilepsy and nonepileptic seizures.<br>In: Kaplan PW, et al, eds: Imitator of epilepsy.<br>Pp 261-276, Demos Medical Publishingm INC, New York, 2005. </ref>。 症状は多彩である。首の横振り、[[後弓反張]]、不規則な手足の運動、刺激に反応する場合がある。発作時には閉眼していることが多く、開眼させようとすると抵抗し、[[対光反射]]は存在する。ビデオ脳波同時記録を行い、発作症状と[[脳波]]所見が一致するか否かが診断の要点となる。発作が始まった時期の前に“心因”の存在を見出すことが重要である。<br />
<br />
====循環器疾患に伴う失神====<br />
一過性の意識消失を失神というが、[[不整脈]]、[[自律神経調節性失神]](NMS)がある。<br />
<br />
不整脈には[[wj:徐脈性不整脈|徐脈性不整脈]]([[wj:洞不全症候群|洞不全症候群]]、[[wj:AVブロック|AVブロック]])、[[wj:頻拍性不整脈|頻拍性不整脈]]([[wj:上室性頻拍|上室性頻拍]]、[[wj:心室性不整脈|心室性不整脈]])があり、[[wj:心電図|心電図]]検査を要する。<br />
<br />
自律神経調節性失神には[[迷走神経緊張性失神]](前駆症状は発汗、あくび、吐き気、腹痛)、[[頸動脈洞症候群]](振り向くような動作で起こる)、[[状況失神]](排尿、排便、咳、嚥下などが原因となる)がある。病歴の聴取が重要である。<br />
<br />
==== 一過性脳虚血発作 ====<br />
[[一過性脳虚血発作]]とは可逆的な経過をたどる脳卒中の病型の1つである。一過性脳虚血発作の症状持続時間は2-15分と報告されている<ref name=ref12>'''小坂昌宏'''<br>一過性脳虚血発作の症状<br>''神経内科'' 72;562-568, 2010.</ref>。<br />
<br />
==== 片頭痛 ====<br />
偏頭痛は発作性に見られる変則性の脈拍に一致した拍動性の頭痛である。予兆として[[閃光]]、暗点、[[視野欠損]]、[[錯視]]としての視覚の変形や大小の変化を示す[[片頭痛]]「[[不思議の国のアリス現象]]」などがある。片頭痛とてんかんの両者の特徴を持つ[[てんかん性片頭痛症候群]]の存在に留意する必要がある<ref name=ref15><pubmed>7964814</pubmed></ref>。<br />
<br />
==== 一過性健忘 ====<br />
60歳前後に発症ピークがあり、数時間持続する[[健忘]]を示す。診断基準としては[[逆行性健忘]]の存在、意識障害がなく[[自己同一性]]の喪失はない、[[認知機能障害]]は健忘のみで24時間以内に回復する<ref name=ref2><pubmed>20129169</pubmed></ref>。<br />
<br />
==== ナルコレプシー ====<br />
[[ナルコレプシー]]は[[睡眠発作]]、[[情動脱力発作]]、[[睡眠麻痺]]、[[入眠時幻覚]]、[[自動症]]などを示す。診断には[[終夜睡眠ポリグラフ]]で日中の過剰な睡眠と入眠時[[レム睡眠]]が見いだされること、確定診断として[[髄液]]中の[[オレキシン]]の低下がある<ref name=ref1>'''Americal Academy of Sleep Medicine'''<br>International Classification of Sleep Disorders. Second Edition. Diagnostic and coding Manual. <br>''American Academy of Sleep Medicine'', 2005</ref>。<br />
<br />
==== レム睡眠行動障害 ====<br />
レム睡眠期に一致して手足を動かし、叫ぶ、泣く、笑う、動き回るなどの異常行動が見られ、レム睡眠期が終わると終了する。<br />
<br />
==== 夜驚症、夢中遊行、錯乱性覚醒 ====<br />
いずれも主に小児にみられ、[[ノンレム睡眠]]からの覚醒障害により生ずると考えられている。[[夜驚症]]は睡眠中に突然起きだし[[恐怖]]に満ちた叫び、外界からの刺激に反応せず、混乱、[[失見当識]]を示す。[[夢中遊行]]は睡眠中に起き上がり、開眼し歩き回る。その後布団に戻って眠ることが多い。[[錯乱性覚醒]]は覚醒後数十分間、[[失見当識]]や思考の緩慢さが見られる。これらの状態は[[前頭葉てんかん]]との鑑別に重要である。<br />
<br />
==== 入眠時ミオクローヌス ====<br />
[[入眠時ミオクローヌス]]とは、入眠期に起こる短い不規則な筋の収縮であり、発生機序は不明である。[[ミオクロニー発作]]、[[単純部分発作]]との鑑別に重要である。[[周期性四肢運動障害]]は睡眠中に起こる足関節の背屈進展を伴う運動が頻回に出現する状態であり、入眠時ミオクローヌスとは異なる。<br />
<br />
==== 周期性四肢運動障害 ====<br />
[[周期性四肢運動障害]]とは睡眠中に起こる常同的四肢の運動で、[[むずむず脚症候群]]とオーバーラップする症候群として捉えられる。下肢に多く見られ、重症になると入眠が困難になる。病態として[[視床下部]]A11の[[ドーパミン]](DA)細胞の機能低下が考えられている<ref name=ref9>'''稲見康司、他'''<br>むずむず脚症候群、周期性四肢運動障害<br>''日本臨床'' 71(増刊号5);485-490, 2013.</ref>。<br />
<br />
==== 発作性ジスキネジア ====<br />
[[発作性ジスキネジア]](PD)は[[ジストニア]]、[[アテトーゼ]]、[[バリスムス]]、[[舞踏病]]が単独あるいは複合して出現する。[[発作性運動誘発性ジスキネジア]](paroxysmal kinesigenic dyskinesia: PKD)は男性に多く、家族性症例が多い。[[Proline-rich transmembrane protein 2]]が責任遺伝子の1つとして報告された<ref name=ref8><pubmed>22752065</pubmed></ref>。意識障害はなく、発作間欠期は無症候性である。発作は数十秒で毎日のように頻回に出現する。[[随意運動]]の開始、[[ストレス]]、緊張などにより誘発され、[[前兆]](感覚異常など)がある症例が多い。特発性発作性運動性ジスキネジアでは発作時脳波にも異常は見られない。症候性の場合には画像所見で異常が見いだされることもある。<br />
<br />
==== 非運動誘発性ジスキネジア ====<br />
[[非運動誘発性ジスキネジア]](paroxysmal non-kinesigenic dyskinesia: PNKD)は男性にやや多く、家族性の症例の多くでは[[myofibrillogenesis regulator 1]] (MR-1)遺伝子が責任遺伝子として報告されている<ref name=ref3><pubmed>17515540</pubmed></ref>。MR-1遺伝子変異がない症例の発病は12歳ころで、変異のある症例の発病は平均4歳である。症状は発作性運動誘発性ジスキネジアとほぼ同様であるが、MR-1変異がある症例ではジストニアあるいはジストニアと舞踏病の組み合わせで、変異がない症例ではジストニア、舞踏病、両者の組み合わせ、[[バリスム]]が観察される。発作は主に体肢に起こり、発作は週単位で10分から1時間の持続時間が多い。[[カフェイン]]、[[アルコール]]、情動変化、疲労、空腹などで誘発される。MR-1変異のない症例ではてんかんと合併することもあり、変異を有する症例では片頭痛を約半数が合併する。前兆には体肢の硬直、ふらふら感、しびれ感、などがある。<br />
<br />
==分類==<br />
てんかんの遺伝子解析の最近の進歩で、国際抗てんかん連盟(ILAE)は新たな分類を提案しているが、現実的にはてんかん発作型の分類が抗てんかん薬選択に用いれるため、てんかん発作の国際分類(1981年)<ref name=ref4><pubmed>6790275</pubmed></ref>が多く使われている(表1)。<br />
<br />
この分類では発作は[[全般発作]]と[[部分発作]]に 分類され、それぞれ、前者は[[欠神発作]]、[[ミオクロニー発作]]、[[間代発作]]、[[強直発作]]、[[強直間代発作]]、[[脱力発作]]に分けられ、後者は[[単純部分発作]]、[[複雑部分発作]]と[[2次性全般化発作]]に分けられる。これらの分類に従って治療のための抗てんかん薬が選択される。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+表1.てんかん発作型国際分類(1981年)<br />
|-<br />
| rowspan="3" style="background-color:#d3d3d3" |'''部分発作(焦点性、局在性発作)'''<br />
|'''A.[[単純部分発作]](意識減損はない)'''<br />
#運動徴候を呈するもの<br />
#体性感覚または特殊感覚症状を呈するもの<br />
#自律神経症状あるいは徴候を呈するもの<br />
#精神症状を呈するもの<br><br />
(多くは“複雑部分発作”として経験される)<br />
|-<br />
|'''B.[[複雑部分発作]]'''<br />
#単純部分発作で始まり意識減損に移行するもの<br> a.単純部分発作で始まるもの<br> b.自動症を伴うもの<br />
#意識減損で始まるもの<br />
|-<br />
|'''C.二次的に全般化する部分発作'''<br />
#単純部分発作(A.)が全般発作に進展するもの<br />
#複雑部分発作(B.)が全般発作に進展するもの<br />
#単純部分発作から複雑部分発作を経て全般発作に進展するもの<br />
|-<br />
| rowspan="6" style="background-color:#d3d3d3" |全般発作<br />
|A.<br />
#'''[[欠神発作]]'''<br> a.意識減損のみのもの<br> b.軽度の[[間代要素]]を伴うもの<br> c.[[脱力要素]]を伴うもの<br> d.[[強直要素]]を伴うもの<br> e.[[自動症]]を伴うもの<br> f.[[自律神経要素]]を伴うもの<br> (b~fは単独でも組み合わせでもあり得る)<br />
#'''[[非定型欠神発作]]'''<br> a.筋緊張の変化はA.1.よりも明瞭<br> b.発作の起始/終末は急激ではない<br />
|-<br />
|'''B.[[ミオクロニー発作]]'''<br />
|-<br />
|'''C.[[間代発作]]'''<br />
|-<br />
|'''D.[[強直発作]]'''<br />
|-<br />
|'''E.[[強直間代発作]]'''<br />
|-<br />
|'''F.脱力(失立)発作'''<br />
|-<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |'''未分類てんかん発作'''<br />
| 不適切あるいは不完全なデータのため分類できないものや上記カテゴリーに分類できないすべてのものを含む。<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
===全般発作===<br />
発作の起始から発作発射が脳全体に及び起こる発作で、発作直後から意識は失われる。原因として遺伝的素因が関与すると考えられている。<br />
<br />
==== 欠神発作 ====<br />
ごく短時間の意識喪失を示す発作で定型と非定型の2種類に分けられる。<br />
<br />
定型欠神発作は数秒から十数秒の意識障害が突然始まり速やかに回復する。発作は頻発する傾向があり、思春期頃には消失することが多いが、一部は強直間代発作に移行する。発作時脳波は[[3Hz棘徐派結合]]ないし[[多棘徐派結合]]を示す。<BR> 否定形欠神発作は意識障害以外にも各種症状が混在した臨床症状(ミオクロニー、自働症、間代運動、自律神経症状など)がより多く見られ、脱力などの筋緊張の変化がみられることも多い。発作の始まりと終わりがゆっくりで、脳波所見も不規則で左右非対称、背景活動も突発性異常波が混在することもある。欠神発作は複雑部分発作との鑑別が必要なときがあるが、複雑部分発作は発作持続時間がより長く、成人に多い。<br />
<br />
==== ミオクロニー発作 ====<br />
突然に両側同時に強い筋の[[れん縮]]が出現する。瞬間的なので意識障害を伴わず、光刺激により誘発されやすい。思春期に好発し、覚醒直後、入眠期に起こりやすい。発作時の脳波では両側同期性の棘徐波結合が出現し、棘波に一致し筋れん縮が起こる。<br />
<br />
==== 間代発作 ====<br />
意識消失とともに数秒から1分以上の左右対称性の全身の律動的な筋の痙攣を起こす。発作時脳波では10Hz以上の速波と徐派から構成され、棘徐派結合も出現する。<br />
==== 強直間代発作 ====<br />
突然の叫び(初期叫声)から始まることがあり、意識を突然消失し、左右対称性の全身の強直性けいれん(約30秒)が出現し、次いで間代性けいれん(30から90秒)に移行する。強直けいれんでは体幹・四肢近位が屈曲強直し、[[眼球]]が上転、口をかみしめ、呼吸筋も強直しているため呼吸できず顔面蒼白、[[チアノーゼ]]が出現する。その他発作中には[[唾液]][[分泌]]、[[尿失禁]]をすることもある。間代性けいれんは次第に収束するが、睡眠([[終末睡眠]])に移行し、あるいは発作後朦朧状態に移行する場合もある。この間の意識は無く、朦朧状態から回復しても頭痛、[[筋肉]]痛、[[嘔吐]]などを示すこともある。発作時脳波は強直けいれん時には筋電図やアーチファクトが入るが、間代けいれんに入ると次第に筋電図の間から見える脳波が読めるようになる。脳波は9Hz以上の低電位放電から始まり次第に周波数が減り振幅が増大化するが、発作前の脳波律動になるまでには数分間を要する。 <br />
==== 脱力発作 ====<br />
一瞬(数秒以内)の全身の姿勢保持筋の緊張低下あるいは消失により起こるため、起立時に起これば[[転倒]]する。発作抑制は困難な症例もある。発作時脳波では多棘徐派結合、平坦化、[[低電位速波]]から構成される。<br />
<br />
===部分発作===<br />
脳波上の異常波が脳の一定部位から始まり、発作症状も脳の一定部位から始まる。部分発作は1)意識障害を伴わない単純部分発作、2)意識障害を伴う複雑部分発作、3)、二次性全般か発作に分類される。これらの単純部分発作は複雑部分発作、二次性全般化発作の初期症状として出現することも少なくない。<br />
<br />
==== 単純部分発作 ====<br />
意識障害を示さず、発作時脳波は脳皮質の局所性の放電である。これは発作症状から4種類に分けられる。<br />
:1. '''[[運動徴候を伴う発作]]'''は[[焦点性運動発作]]、[[ジャクソン型発作]]、[[回転発作]]、[[姿勢発作]]、[[音声発作]]がある。焦点性運動発作は[[前中心回]]の[[運動領野]]に焦点があり、その脳部位に関連する身体部位のけいれんが出現する。ジャクソン型発作は前中心回の一部に始まった発作発射が周囲の脳部位に波及するため手ー腕ー下肢などのように同側の身体部位を巻き込んで発作が拡大してゆく。発作後に足などの麻痺が残ることがあり、これを[[トッドの麻痺]]という。<br>'''[[回転発作]]'''は脳皮質焦点の反対側へ眼球、顔、躯幹を向ける発作である。<br>'''[[姿勢発作]]'''は[[補足運動野]]に焦点がある場合、反対側の上肢を挙上し、それを見上げるように頭部、眼球を回転させる。音声発作は前中心回の発作発射により同じ言葉を反復する、叫ぶ、あるいは言葉を話せなくなる発作である。<br>2. '''[[体性感覚ないし特殊感覚症状を伴う発作]]'''には[[体性感覚発作]]、[[視覚発作]]、[[聴覚発作]]、[[めまい発作]]がある。体性感覚発作は[[後中心回]]の発作発射によりその部位がつかさどる体の一部にしびれ感などの[[知覚]]異常が出現する。視覚発作は[[後頭葉]]にてんかん焦点があるとき、閃光、渦巻く雲が見えたり視野が狭くなったりする。<br>'''[[聴覚発作]]'''はてんかん焦点が側頭葉上部にあると、発作として音が聞こえあるいは逆に聞こえなくなる。鉤回に焦点があると匂いを感ずる発作が、焦点が島、弁蓋部にあると苦味、酸味などの味覚発作が出現する。側頭葉上回にあるとめまい発作が出現すると考えられている。<br>3. '''[[自律神経症状ないし兆候を伴う発作]]'''は、数分以内の自律神経系症状(悪心、嘔吐、頭痛、腹部不快感など)を示す発作で、血圧の上昇、[[瞳孔]]散大、くしゃみなどもみられる。成人の場合には多彩な自律神経症状は発作症状の一部として出現する。<br>4. '''[[精神症状を伴う発作]]''' 発作発射は[[側頭葉]]皮質から[[辺縁系]]の一部に限局するため、意識は失われない。発作症状は多彩であり、[[情動発作]]が多い。これは側頭葉下面皮質に焦点があるとき、[[不安]]、[[恐怖]]、[[怒り]]、[[多幸感]]、を感ずるものである。[[言語中枢]]付近に焦点がある場合、言葉を話せなくなる([[運動性失語]])あるいは言葉を理解できなくなる([[感覚性失語]])を起こす。<br>'''[[記憶障害発作]]'''は一過性の[[健忘]]、[[既視体験]]、[[未視体験]]などの発作症状を示し、[[認知発作]]には[[夢幻様体験]]、[[強制思考]]などがある。[[錯覚]]発作の症状として[[変形視]]、[[巨視症]]、[[小視症]]などの視覚症状と音が大きくあるいは小さく聞こえるなどの聴覚性症状がある。[[構成幻覚発作]]は人の声、動作が意味を持ち、情景が見え、音楽が聞こえるなどの複雑な幻覚を感ずる発作である。<br />
<br />
==== 複雑発作 ====<br />
発作時に意識障害を認め、発作後に健忘を残す。発作の始めから意識障害を示す発作と単純部分発作から複雑部分発作へと移行する発作があり、それぞれ意識障害のみを示す発作と自働症を伴う発作に細分化される。意識障害は数十秒から数分間に及び、意識障害の始まりと終わりは欠神発作に比較し、よりゆっくりとしている。発作中は動作が止まるときと体を奇妙に動かす自働症を示すこともある。側頭葉起源の自働症は運動を伴わない凝視と意識の断絶で始まり、噛む、嚥下する、衣類をなでるなどの、単純かつ定型的な[[自働症]]が続発する。側頭葉以外に起始場合には[[凝視]]を欠き、[[歩行性自働症]]、両側四肢の持続的運動および強直性の反体側への頭部、眼球の運動を特徴とする場合、あるいは転倒発作で開始され、[[錯乱]]と健忘を伴い、徐々に回復するタイプがある<ref name=ref5><pubmed>7092181</pubmed></ref>。<br> 前葉性の複雑部分発作の特徴は蹴ったり叩いたりする複雑な運動性自働症、奇妙な発語、軽症の発作後もうろう状態と急速な回復とがある。複雑部分発作時の脳波所見は側頭部、前頭部ないしは広範性の一側性ないしは両側性放電を示すが、脳波異常を記録できない場合もあり、心因性発作と誤診されることもある。<br />
==== 二次性全般化発作 ====<br />
単純部分発作から、複雑部分発作から、単純部分から複雑部分発作を経て二次性全般化発作にいたる3経路がある。強直・間代発作が多いが、強直あるいは間代だけの場合もある。発作時脳波は焦点性発射が全般化することが多く、発作間歇期には焦点性異常波が記録される。しかし、異常所見が記録されないこともある。<br />
<br />
===2006年の発作型の分類===<br />
てんかん学の進歩あるいは遺伝学の進歩に伴い国際抗てんかん連盟は分類の改定を行っている。表2に2006年提案の発作型の分類を示す<ref name=ref7><pubmed>16981873</pubmed></ref>。この分類では、てんかんは[[全般性起始]]と[[焦点性起始]]、[[新生児発作]]に分けられる。 全般性発作(全般性起始)はA.[[強直もしくは間代性症状を有する発作]]、B.欠神発作、 C.[[ミオクロニー発作型]]、D.[[てんかん性スパズム]]、E. 脱力発作に分類される。<br />
<br />
焦点性(部分性起始)発作はA.局所発作(焦点部位により[[新皮質]]、[[海馬]]・[[海馬傍回]]は局所内伝播の有無で細分される。B.同側への伝播、C.対側への伝播、D.2次性全般化、に分類された。この分類では[[てんかん性スパスムズ]](Epileptic spasms)が独立した名称で採用されたが、これは突然発作が起こり、終了する短い発作で(1秒程度)、[[体軸]]と[[近位筋]]の両側性の強直れん縮である。<br />
<br />
発作時間は強直発作より短く、ミオクロニーれん縮(0.1秒)より長い。発作は覚醒直後に起こりやすく周期的に出現することが多い。この分類では[[てんかん重積状態]]がリストされたが、この分類も改定されつつあり、当面は臨床では1981年の分類で薬剤を選択したほうが無難である。<br />
<br />
発症年齢によるてんかん症候群と関連病態の分類(2006)を表3に示す。表のように、発症年齢によるてんかん症候群の分類は診断する際に参考になり、発症年齢の聴取は極めて重要である。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+表2.2006年の発作型の国際分類<br />
|-<br />
| rowspan="9" style="background-color:#d3d3d3" |自己終息性てんかん発作<br />
| rowspan="5" |Ⅰ.全般性起始<br><br />
|A.強直もしくは間代性症状を有する発作<br />
#[[強直間代発作]]<br />
#[[間代発作]]<br />
#[[強直発作]]<br />
|-<br />
|B.欠神発作<br />
#[[定型欠神発作]]<br />
#[[非定型欠神発作]]<br />
#[[ミオクロニー欠神発作]]<br />
|-<br />
|C.ミオクロニー発作型<br />
#ミオクロニー発作<br />
#[[ミオクロニー失立発作]]<br />
#[[眼瞼ミオクロニー]]<br />
|-<br />
|D.てんかん性スパズム<br />
|-<br />
|E.脱力発作<br />
|-<br />
| rowspan="4" |Ⅱ.焦点性(部分性起始)<br />
|A.局所<br />
#新皮質<br> a.局所内伝播なし<br> [[焦点性間代発作]]<br> [[焦点性ミオクロニー発作]]<br> [[抑制性運動発作]]<br> [[要素性症状を持った焦点性感覚発作]]<br> [[失語症発作]]<br> b.局所内伝播あり<br> [[ジャクソンマーチ発作]]<br> [[焦点性(非対称性)強直発作]]<br> [[経験症状を伴う焦点性感覚発作]]<br />
#海馬、海馬傍回<br />
|-<br />
|B.同側への伝播<br />
#新皮質領域(半側間代発作を含む)<br />
#辺縁系領域(笑い発作を含む)<br />
|-<br />
|C.対側への伝播<br />
#新皮質領域<br />
#辺縁系領域<br />
|-<br />
|D.二次性全般化<br />
#強直間代発作<br />
#欠神発作<br />
#てんかん性スパズム<br />
|-<br />
Ⅲ.新生児発作<br />
|-<br />
| rowspan="10" style="background-color:#d3d3d3" |てんかん重積状態<br />
|-<br />
|colspan="2"|Ⅰ.[[持続性部分てんかん]]<br />
|-<br />
|colspan="2"|Ⅱ.[[補足運動野てんかん重積状態]]<br />
|-<br />
|colspan="2"|Ⅲ.[[持続性前兆]]<br />
|-<br />
|colspan="2"|Ⅳ.[[認知障害性焦点性てんかん重積状態]]<br />
|-<br />
|colspan="2"|Ⅴ.[[強直間代てんかん重積状態]]<br />
|-<br />
|colspan="2"|Ⅵ.[[欠神てんかん重積状態]]<br />
|-<br />
|colspan="2"|Ⅶ.[[ミオクロニーてんかん重積状態]]<br />
|-<br />
|colspan="2"|Ⅷ.[[強直てんかん重積状態]]<br />
|-<br />
|colspan="2"|Ⅸ.[[微細てんかん重積状態]]<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+表3.発作年齢によるてんかん症候群と関連病態<br />
|-<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |新生児期<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |青年期<br />
|-<br />
|[[良性家族性新生児発作]]<br>[[早期ミオクロニー脳症]]<br>[[大田原症候群]]<br />
|[[若年欠神てんかん]]<br>[[若年ミオクロニーてんかん]]<br>[[進行性ミオクローヌスてんかん]]<br />
|-<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |乳児期<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |年齢と相関が低いもの<br />
|-<br />
|[[早期乳児遊走性部分発作]]<br>[[West症候群]]<br>[[乳児ミオクロニーてんかん]]<br>[[良性乳児発作]]<br>[[Dravet症候群]]<br>[[非進行性ミオクロニー脳症]]<br />
|[[常染色体優性夜間前頭葉てんかん]]<br>[[家族性側頭葉てんかん]]<br>海馬硬化による[[内側側頭葉てんかん]]<br>[[Rasmussen症候群]]<br>視床下部[[過誤腫]]による笑い発作<br />
|-<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |小児期<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |特殊なてんかん状態<br />
|-<br />
|rowspan="3" |[[早発良性小児後頭部てんかん]]<br>中心・側頭部棘波を示す[[良性小児てんかん]]<br>ミオクロニー失立発作を持つてんかん<br>[[遅発小児後頭部てんかん]]<br>[[ミオクロニー欠神てんかん]]<br>[[Lennox-Gastaut症候群]]<br>[[Landau-Kleffner症候群]]を含む徐波睡眠期棘徐波を示すてんかん<br>[[小児欠神てんかん]]<br />
|特定化されない症候性焦点性てんかん<br>全般性強直間代発作のみを持つてんかん<br>反射てんかん<br>[[熱性けいれんプラス]]<br>多様な焦点を示す[[家族性焦点性てんかん]]<br />
|-<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |てんかん診断を必要としないてんかん発作状態 <br />
|-<br />
|[[良性新生児発作]]<br>[[熱性発作]]<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
==病態生理==<br />
てんかんの原因には遺伝性、脳血管性、外傷性、腫瘍性、変性、感染症性などがあるが、これにより神経細胞の抑制の低下または[[興奮性]]の亢進により神経細胞が興奮し、てんかん発作を起こす。てんかんを起こすようになる脳内の変化を[[てんかん原性]](epileptogenesis)といい、発作を繰り返し起こすようになる変化を[[発作原性]](ictogenesis)というが、それぞれの過程が脳内に成立する時期と期間が存在することが分かってきた<ref name=ref22><pubmed>24045013</pubmed></ref> <ref name=ref23><pubmed>19020039</pubmed></ref>。神経細胞自体の興奮性は細胞内外の[[イオン]]濃度の変化、[[グリア細胞]]からの影響を受ける。<br />
<br />
遺伝子変異などにより、種々の変化が[[シナプス]]を中心にダイナミックな変化が起こる。神経[[細胞膜]]の各種チャネルの機能異常が起こり、神経細胞内外のイオン濃度が変化し、神経細胞は脱分極する。その結果、細胞外の[[wikipedia:ja:カリウム|カリウム]]イオン濃度上昇と[[カルシウム]]イオン濃度の減少を引き起こすが、[[カルシウム]]イオンの減少は[[アストロサイト]]のカルシウムシグナリングを活性化、グルタミン酸の遊離を誘発する。また、興奮したシナプスからあふれ出たグルタミン酸もアストロサイトの[[グルタミン酸受容体]]と結合し、カルシウムシグナリングを活性化させる。結果として[[突発的脱分極シフト]](paroxysmal deporalization shift)が起こり、それが周囲の神経細胞群の興奮を引き起こし、発作発射にいたる。この領域の研究の進展は目覚しく、新たな知見が集積されつつある<ref name=ref20><pubmed>25047565</pubmed></ref>。<br />
<br />
==治療==<br />
治療は[[抗てんかん薬]]による薬物療法が主流で、薬剤で発作抑制が困難な場合、外科治療の可能性が探られる。小児では食餌療法([[ケトン食療法]]など)なども試みられ、外科治療困難例に対しては迷走神経刺激療法も開始されている。<br />
<br />
===治療薬選択===<br />
治療薬は発作型により選択されるが、全般発作に対しては[[バルプロ酸]](VPS)、[[エトサクシミド]](ETS)、[[ラモトリジン]](LTG)、[[レベチラセタム]](LEV)、[[ソニサミド]](ZNS)などが選択され、部分発作に対しては[[カルバマゼピン]](CBZ)、[[トピラメート]](TPM)、レベチラセタム、ソニサミドなどが選択される。[[ドラヴェー症候群]]に[[スティリペントール]]が、[[レノックス・ガストー症候群]]には[[ルフイナミド]]が使用できるようになった。[[ガバペンチン]]は小児難治てんかんに効果を示すときがあり、[[クロバザム]]は全般、部分の両方に付加投与として処方されることが多い。<br />
<br />
薬剤選択には副作用も考慮すべき要因である。容量依存性服作用はすべての抗てんかん薬で存在するため、投与量、血中濃度に留意する必要があるが、各薬剤特有の副作用が薬剤選択に重要である。[[フェニトイン]]は歯肉増殖、[[wikipedia:ja:多毛症|多毛症]]のゆえに女性には避けるべきで、ソニサミド、トピラメートでうつ症状が出現することがあり、レベチラセタムでは行動異常が、ラモトリジンでは重篤な発疹が出現することがある。<br />
<br />
抗てんかん薬には発疹を起こすものがあるが、[[HLA]]領域の[[遺伝子多型]]によることが明らかとなり、予測可能性が出てきた<ref name=ref21>'''吉田秀一ら'''<br>遺伝情報に基づいた個別化治療<br>''医学のあゆみ'' 232;951-955, 2010.</ref>。<br />
<br />
===個別化治療===<br />
[[IMAGE:てんかん1.png|thumb|350px|'''図1.GABA 受容体の膜展開図'''<br>膜の上は細胞外、下は細胞内を示す。GABA受容体には膜貫通部位が4個ある。<br><br />
NはN端をCはC端を示し、数字は変異の位置を示す。<ref name=ref10><pubmed>24422737</pubmed></ref>。]]<br />
<br />
てんかんの遺伝情報に基づいた個別化治療の戦略はてんかんの病態(例えば、[[イオンチャネル]]の異常)、その異常に対応する抗てんかん薬、その抗てんかん薬の副作用を考慮し薬剤を選択する。一方、[[wikipedia:ja:薬物代謝酵素|薬物代謝酵素]]、[[wikipedia:ja:薬剤排泄トランスポーター|薬剤排泄トランスポーター]]の遺伝子多型からその個人の適量を決定する、という個別化治が示されている<ref name=ref21 />。<br />
<br />
表4は抗てんかん薬が基質となる代謝酵素([[シトクロムP450]];CYPs)分子種を示しているが、[[CYP3A4]]、[[CYP2C9]]、[[CYP2C19]]が抗てんかん薬の代謝に重要であり、各CYPには遺伝的多型が存在し代謝能力が異なる(extensive、intermediate、poor metabolizer)。日本人ではCYP2C19のpoor metabolizerは約18%、CYP2C9は約7%がpoor metabolizerである。<br />
<br />
薬剤選択に関してその一例として図1に[[GABA受容体]]の膜展開図を示す<ref name=ref10 />。膜の上は細胞外、下は細胞内を示す。GABRA1遺伝子上の4の位置(A322D)に変異があるとバルプロ酸が第一選択役となり、GABRG2の1の位置(R43Q)に変異があるとバルプロ酸、トピナ、バルビツール剤が選択される。GABRG2の変異位置がK289Mの場合、[[トピナ]]、[[バルビツール剤]]、[[ベンゾジアゼピン]]、ガバペンチンなどが選択され、Q351X変異を持つ症例では抗てんかん薬に抵抗性を示し、変異がR139Gの症例は熱性けいれんの可能性があり、抗てんかん薬が不要かもしれない<ref name=ref10 />。<br />
<br />
このように症例が持つ遺伝子異常の種類、変異の位置などにより薬剤の選択が可能となり、薬物代謝酵素、薬剤排泄トランスポーターなどの遺伝子多型から適量を算出することが理論的には可能である。一部の抗てんかん薬では患者の体重、併用薬剤、処方予定の抗てんかん薬に関わるCYPの多型、などからクリアランスを想定できるので、その患者の抗てんかん薬の至適容量を計算することができる<ref name=ref19><pubmed>24345815</pubmed></ref>。近い将来、このような個別化治療が臨床で実施可能となり、薬剤選択と投与量調整における時間が短縮する。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+表4.抗てんかん薬と代謝酵素<br>文献<ref name=ref21 />より一部改変し、引用<br />
|-<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |抗てんかん薬<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |排泄経路<br />
|-<br />
|カルバマゼピン<br />
|'''[[CYP3A4]]/[[CYP3A5|5]]''', [[CYP2D6]], [[CYP2C8]], [[EPHX1]]<br />
|[[wj:酸化|酸化]]<br />
|-<br />
|エトサクシミド<br />
|'''CYP3A4'''<br />
|酸化<br />
|-<br />
|バルプロ酸<br />
|CYP2D6, '''[[CYP2C9]]''', '''[[CYP2C19]]''', [[CYP1A2]], [[CYP2B1]], [[CYP2B2]], [[CYP2B4]], [[CYP2E1]], [[CYP4B1]], [[UGT2B1]]<br />
|酸化(>50%)と[[wikipedia:ja:グルクロン酸|グルクロン酸]]抱合(30-40%)<br />
|-<br />
|ガバペンチン<br />
| -<br />
|[[腎]]排泄<br />
|-<br />
|フェノバルビタール<br />
|'''CYP3A4''', CYP2D6, '''CYP2C9''', '''CYP2C19''', CYP2B1, [[CYP4A1]]<br />
|酸化+[[N-グルコシル化]](70%)と腎排泄(25%)<br />
|-|<br />
|フェニトイン<br />
|'''CYP3A4''', CYP2C8, '''CYP2C9''', [[CYP2C10]], '''CYP2C19'''<br />
|酸化<br />
|-<br />
|トピラメート<br />
|'''CYP2C19'''<br />
|酸化(20-60%)と腎排泄(40-80%)<br />
|-<br />
|レベチラセタム<br />
|水酸化酵素(アセトアミド基の酵素的加水分解)<br />
|腎排泄(65%)と[[wikipedia:ja:加水分解|加水分解]](35%)<br />
|-<br />
|ラモトリジン<br />
|[[UGT1A4]], [[UGT2B7]]<br />
|グルクロン酸抱合<br />
|-<br />
|ゾニサミド<br />
|'''CYP3A4''', CYP2D6<br />
|酸化 + 還元 + [[wikipedia:ja:N-アセチル化|N-アセチル化]](>50%)と腎排泄<br />
|-<br />
|クロバザム<br />
|'''CYP3A4'''<br />
|酸化<br />
|-<br />
|}<br />
太字で示されている酵素は抗てんかん薬代謝に関与する主な酵素である。CYP:酸化的代謝を行うチトクロームp450、EPH:[[エポキシド水解酵素]]、UGT:[[UDP-グルクロニールトランスフェラーゼ]]<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+表5.抗てんかん薬誘発性重症皮膚反応とHLAアリルs<br>文献<ref name=ref21 />より一部改変し、引用<br />
|-<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |抗てんかん薬<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |副作用<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |HLAアリル<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |人種<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |オッズ比<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |P値<br />
|-<br />
|カルバマゼピン<br />
|SJS/TEN<br />
|''HLA-B*1502''<br />
|台湾の中国人<BR>タイ人<br />
|2505<BR>54.8<br />
|2.0×10<SUP>-32</SUP><BR>2.9×10<SUP>-12<br />
|-<br />
|<br />
|SJS/TEN<br />
|''HLA-B*1511''<br />
|日本人<BR>韓国人<br />
|16.3<BR>18.4<br />
|0.0004<BR>0.002<br />
|-<br />
|<br />
|SJS/TEN<BR>(SJS/TEN/HSS/MPE)<br />
|''HLA-A*3101''<br />
|日本人<BR>コーカシアン<BR><BR><BR><br />
|33.9<BR>(9.5)<BR>25.9<BR>(9.1)<br />
|2.4×10<SUP>-4</SUP><BR>(1.09×10<SUP>-16</SUP>)<BR>8.0×10<SUP>-5</SUP><BR>(1.0×10<SUP>-7</SUP>)<br />
|-<br />
|<br />
|MPE/HSS<br />
|''HLA-A*3101''<br />
|香港の中国人<br />
|12.2<br />
|0.0021<br />
|-<br />
|フェニトイン<br />
|SJS/TEN<br />
|''HLA-B*1502''<br />
|タイ人<br />
|18.5<br />
|0.005<br />
|-<br />
|カルバマゼピン/フェニトイン/ラモトリジン<br />
|SJS/TEN/HSS<br />
|''HLA-B*1502''<br />
|香港の中国人<br />
|17.6<br />
|0.001<br />
|-<br />
|}<br />
SJS:スチーブンスジョンソン症候群、TEN:中毒性表皮壊死、HSS:過敏性症候群、MPE:斑丘疹<br />
<br />
===発病の防止===<br />
現在の薬物療法の対症療法であり、根治療法ではない。抗てんかん薬により発作を抑制し、自然治癒を待つという戦略である。前者に対して[[iPS細胞]]などの新たな薬剤スクリンーニングシステムの導入、後者に対しててんかんの発病防止戦略が考えられている<ref name=ref11 />。<br />
<br />
一例として、[[常染色体優性夜間前頭葉てんかん]]で同定されたCHRNA4の変異S284Lを導入した遺伝子改変[[動物]]<ref name=ref23 />を用いた解析から発病前の特定の一定期間[[フロセミド]]で治療すると発病を防止できることが報告された<ref name=ref22 />。フロセミドは[[NKCC1]]を阻害することから、細胞内[[wikipedia:ja:塩化物イオン|塩化物イオン]]濃度を減少させ、[[GABA]]の抑制機能を回復するからと考えられている。同様にNKCC1を抑制する[[ブメタナイド]](bumetanide)は側頭葉てんかんに効果を示す<ref name=ref6><pubmed>23061490</pubmed></ref> <ref name=ref13><pubmed>22797810</pubmed></ref> <ref name=ref18><pubmed>23293960</pubmed></ref>。これらの報告は部分発作に共通の分子基盤が存在し、その分子病態を補正する物質で適切な時期に治療するとてんかんの発病を防止できることを示している。<br />
<br />
==疫学==<br />
[[有病率]](prevalence rate)とはある時点での患者の割合であるが、調査日における対象人口1000人あたりの患者数で示される。治療継続中または最終発作から5年未満の患者を活動性てんかんとみなして調査する。有病率を考える上で問題となるのは調査方法である。つまり、てんかんの診断方法をいかにするか、単発の発作を除いているか、小児期では発熱時の発作を除いているか、どの地域で調査するか、調査がpopulation based surveyなのか、hospital based surveyなのか、あるいは登録制度を持っている国ではそこに集積されたデータを用いているか、などである。調査地域の年齢構成が異なるため、対象年齢別の調査にする必要がある。これらの要因で有病率は異なる。<br />
<br />
表6に地域調査による最近の年齢別に有病率が報告されているデータを示した。前年例で見ると4.8から15.4とばらつくが、これは調査の方法論に起因するものと考えられる。最近は先進国では高齢者が増加しているが、有病率は高齢者で比較的高くなる傾向が認められる。国内では地域調査は少ないが、小児期(0歳から12歳)の有病率は8.8、単発または発熱時の発作を除くと5.3と報告されている<ref name=ref16><pubmed>22797810</pubmed></ref>。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+ 表6.地域調査による年代別てんかんの有病率<br>文献<ref name=ref17>'''大塚頌子'''<br>てんかんの疫学<br>''臨床てんかん学''、p17-22,医学書院、2015.</ref>を一部改変して引用<br />
|-<br />
|国及び報告者<br />
|患者数<br />
|対象年齢<br />
|有病率(/1,000)<br />
|-<br />
|USA<br>Hauserら<br>1991<ref><pubmed> 1868801 </pubmed></ref><br />
|383<br />
|全年齢<br>0~14歳<br>15~64歳<br>65歳以上<br />
|6.79<br>3.92<br>7.12<br>10.61<br />
|-<br />
|Italy<br>Maremmaniら<br>1991<ref><pubmed> 2044492 </pubmed></ref><br />
|51<br />
|全年齢層<br>0~19歳<br>20~59歳<br>60歳以上<br />
|5.1<br>6.3<br>4.9<br>4.5<br />
|-<br />
|Tanzania<br>Rwizaら<br>1992<ref><pubmed> 1464263 </pubmed></ref><br />
|185<br />
|全年齢<br>0~19歳<br>20~59歳<br>60歳以上<br />
|10.2<br>6.6<br>16.2<br>12.1<br />
|-<br />
|Iceland<br>Olafssonら<br>1999<ref><pubmed> 10565579 </pubmed></ref><br />
|428<br />
|全年齢<br>0~14歳<br>15~64歳<br>65歳以上<br />
|4.8<br>3.4<br>5.0<br>6.5<br />
|-<br />
|Honduras<br>Medinaら<br>2005<ref><pubmed> 15660778 </pubmed></ref><br />
|100<br />
|全年齢<br>0~19歳<br>20~59歳<br>60歳以上<br />
|15.4<br>13.7<br>19.0<br>9.5<br />
|-<br />
|Croatia<br>Bielenら<br>2007<ref><pubmed> 17986093 </pubmed></ref><br />
|1,022<br />
|全年齢<br>0~18歳<br>19~65歳<br>66歳以上<br />
|4.8<br>4.9<br>4.9<br>4.4<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
==参考文献==<br />
<references /> </div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E8%BB%BD%E5%BA%A6%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E9%9A%9C%E5%AE%B3&diff=37063
軽度認知障害
2017-01-09T11:07:49Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/bakakyoudai 松村 晃寛]、[http://researchmap.jp/phoca 川又 純]、[http://researchmap.jp/read0012356 下濱 俊]</font><br><br />
''札幌医科大学 医学部 神経内科学講座''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2016年2月5日 原稿完成日:2016年2月26日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
英:mild cognitive impairment, minor neurocognitive disorder 英略語:MCI 独:Mild cognitive impairment 仏:La déficience cognitive légère<br />
<br />
{{box|text= 軽度認知障害は正常ではないが認知症ともいえないほど軽度の認知機能障害を呈し、日常生活も保たれている状態を示す概念である。2013年の調査では本邦において400万人ほどの症例が存在することが明らかになっている<ref name=ref1>'''朝田 隆、 泰羅 雅、石合 純、清原 裕、池田 学、et al.'''<br>都市部における認知症有病率と認知症の生活機能障害への対応.<br>''平成23年度-平成24年度総合研究報告書 : 厚生労働科学研究費補助金認知症対策総合研究事業'': 2013</ref>。MCIは認知症の前駆状態であるとする考えがある一方、健常加齢の経過においてもみられる状態であるとする考え方も存在する。実際、MCIから認知症へのコンバート率は年間約10%とする一方、正常状態に戻るリバート率も14〜44%と報告されている。検査法については簡易スクリーニング法として近年、Montreal Cognitive Assessment日本語版(MoCA-J)が作成され、他にもMRI、SPECTといった画像検査や、脳脊髄液中のAβ42、リン酸化タウといったバイオマーカーが試みられている。治療法はまだ確立したものは無いがアルツハイマー病に対する治療やレビー小体型認知症に対する治療が試みられている。またライフスタイルの改善が重要とする考えもある。}}<br />
<br />
== 軽度認知障害とは ==<br />
==== 背景 ====<br />
軽度認知障害は何らかの[[認知機能]]障害を呈し健常とはいえないが、[[認知症]]ともいえない正常[[加齢]]と認知症のいわば境界領域に該当する概念である。[[アルツハイマー病]]などの認知症の前駆状態としてとらえられることが多く、認知症における早期診断・治療の重要性という観点から近年注目されるようになっている。しかし他方で、認知症は未だ根治療法が無いことや診断・告知による心理社会的影響から早期診断については慎重な対応が必要とする考えも存在する。<br />
<br />
==== 歴史的推移 ====<br />
類似概念としては、まず1962年にKralが提唱した「進行速度が緩徐な正常老化としての『良性[[健忘]]』と急速に進行する病的な『悪性健忘』」が挙げられる。その後、1986年に米国の[[wikipedia:ja:国立精神保健研究所|国立精神保健研究所]]のCrookらにより「年齢50歳以上で日常生活上の記憶障害の訴えがあり、記憶検査で成人平均値より1SD以下の低下を認めるが認知症ではない」という定義で[[age-associated memory impairment]]([[AAMI]])という概念が提唱される。これは健常高齢者における記憶障害という位置づけでとらえられている。<br />
<br />
また1994年には[[wikipedia:ja:国際老年精神医学会|国際老年精神医学会]]のLevyによりage-associated cognitive decline(AACD)という概念が提唱される。これはAAMIとは異なり「[[記憶]]・[[学習]]以外にも[[注意]]・[[集中]]、[[思考]]、[[言語]]、[[視空間認知]]のいずれかが健常高齢者平均から1SD以上低下しているもの」とされる。ここには健常加齢と認知症前駆状態の両方が含まれうる。<br />
<br />
概してヨーロッパでは健常加齢の果てに認知機能の低下が起こるという考え方(normality model)が受け入れられており、現在でもAAMIやAACDがしばしば引用されている。<br />
<br />
その後1995年にはカナダの認知症研究に基づいてEblyらにより[[cognitive impaired not demented]]([[CIND]])という概念が提唱されたが、[[せん妄]]や[[うつ]]状態、[[精神疾患]]、[[アルコール]]や薬物によるものも含まれるため必ずしも認知症の前駆状態とはいえない。また、他にも[[ICD-10]]における[[mild cognitive disorder]]([[MCD]])や[[DSM-Ⅳ]]における[[age related cognitive decline]]([[ARCD]])、[[mild neurocognitive decline]]([[MNCD]])などが提唱されてきた。<br />
<br />
一方、米国においては病的状態を背景とした認知症前駆状態としてのMCIという概念(pathology model)が提唱されるようになる。具体的には、1988年にReisbergらが、自らが提唱した[[global deterioration scale for assessment of primary degenerative dementia]]([[GDS]])におけるstage 3をMCIと表現したのが始まりとされる。1991年にはZaudigらが神経心理学的測定による検証を行い、新たなMCIの定義を提唱してGDS 2および3、CDR 0.5に相当するとしている。米国[[wikipedia:Mayo Clinic|Mayo Clinic]]のPetersenらは1995年からMCIという用語を使用しているが、1999年には記憶障害に重きを置いた診断基準を提唱している(後述)<ref name=ref2><pubmed> 10190820 </pubmed></ref>。しかし、同年にシカゴで開催されたMCIコンセンサス会議においてはMCIを1つのclinical entityとして表現することは困難として、<br />
#健忘型(amnestic type)<br />
#複数の高次機能領域にまたがってごく軽度の障害を呈するタイプ(multiple cognitive domains slightly impaired type<br />
#記銘力以外の高次機能領域で単一の障害を呈するタイプ(single non-memory domain impaired type)<br />
<br />
の3つのsubtypeに分類することが提唱されている。そして2003年にスウェーデンのWinbladらが開催したMCI key symposiumにおいて現在の診断基準が提唱された<ref name=ref3><pubmed> 15324367 </pubmed></ref>。最近では記憶とその他の認知機能障害の有無によってamnestic MCIかnon-amnestic MCIかに分け、さらにそれぞれを単一領域の障害か複数の障害かによって<br />
#amnestic MCI single domain<br />
#amnestic MCI multiple domain<br />
#non-amnestic MCI single domain<br />
#non-amnestic MCI multiple domain<br />
<br />
の4つのサブタイプに分類することが提唱されている。このように、MCIという概念は様々な変遷を経ながら予防医学的観点から認知症高リスク群として注目され、受け入れられるようになっていった。<br />
<br />
== 診断 ==<br />
==== 診断基準 ====<br />
MCIの診断基準としては1999年にPetersonらが提唱した記憶障害に重きを置いた診断基準<ref name=ref2 />の他、2003年のMCI key symposiumで提唱された診断基準<ref name=ref3 />、および2013年5月に公開された[[DSM-5]]の診断基準などが挙げられる。<br />
<br />
1999年 Petersonらの診断基準<ref name=ref2 />ではMCIを<br />
#記憶障害の愁訴がある<br />
#日常生活活動は正常<br />
#全般的な認知機能は正常<br />
#年齢に比して記憶力が低下<br />
#認知症は認めない<br />
<br />
ものと定義している。<br />
<br />
一方、2003年のMCI key symposiumにおけるMCI診断基準<ref name=ref3 />では<br />
#認知機能は正常ではないが認知症でもない(DSM-Ⅳ、ICD-10による認知症の診断基準を満たさない)<br />
#認知機能低下-①本人および/または第三者からの申告および客観的認知検査の障害、-②客観的認知検査上の経時的減衰の証拠<br />
#基本的な日常生活は保たれており、複雑な日常生活機能の障害は軽度にとどまる<br />
<br />
ものとしている。<br />
<br />
他方、DSM-5では<br />
#[[複雑性注意]]、[[遂行機能]]、学習および記憶、[[言語]]、[[知覚]]-[[運動]]、[[社会的認知]]の6項目のうち1項目以上でわずかな低下が-①本人の訴え、よく知る介護者やかかりつけ医等からの情報、-②標準化された[[認知テスト]]の成績に基づいて明らか<br />
#認知障害は日常生活の独立性を妨げるものではない<br />
#せん妄によるものではない<br />
#[[うつ病]]や[[統合失調症]]等の精神疾患ではうまく説明できない<br />
<br />
ことをmild neurocognitive disorder(ND)としている。[[wj:日本老年精神医学会|日本老年精神医学会]]病名検討委員会において、mild NDは内容的にmild cognitive impairment(MCI)とみなすのが妥当であることから「軽度認知障害」とすることが決まり、[[wj:日本精神神経学会|日本精神神経学会]] 精神科用語検討委員会 精神科病名検討連絡会に提案して承認されている。<br />
<br />
==== 鑑別診断 ====<br />
[[血管性認知症]]、[[外傷性認知症]]、アルツハイマー病や他の[[変性性認知症]]、[[プリオン病]]などが挙げられる。<br />
<br />
==== 検査 ====<br />
MCIを鑑別する簡易スクリーニング検査のうち、国際的にも認知されているのが[[Montreal Cognitive Assessment]]([[MoCA]])<ref><pubmed> 15817019 </pubmed></ref>である。近年、その日本語版であるMoCA-J<ref><pubmed> 20141536 </pubmed></ref>も作成されている。これは[[trail making test B]]簡略版、立方体の図形模写、時計描画、命名課題、数字の順唱と逆唱、target detection課題(ひらがなのリストを読み上げ「あ」の時に手を叩くよう求める)、計算、復唱課題、語[[想起]]課題、類似課題、5単語遅延再生課題、見当識の12課題からなり最高点は30点満点で26点以上を正常、25点以下をMCIの疑いとする。<br />
<br />
画像検査としては[[MRI]]や[[脳血流SPECT]]などが挙げられるが所見が軽微のことが多く視察法では評価が難しいため画像統計解析の利用が必要になることが多い。[[voxel-based morphometry]](VBM)による画像解析では近年、[[海馬傍回]]前方の[[嗅内野]]皮質の萎縮が注目されている。保健適応外の臨床研究領域では、[[陽電子断層撮像法#脳機能計測|FDG-PET]]やバイオマーカーとして[[脳脊髄液]]中の[[Aβ42]]やリン酸化[[タウ]]の測定が注目されているが、まだ確立はしていない。<br />
<br />
== 病態生理 ==<br />
当初は生活状況と記憶[[テスト]]で判定し、アルツハイマー病に移行する前駆状態という位置づけであった。しかし、現在では[[レビー小体型認知症]]や[[前頭側頭葉変性症]]、[[血管性認知症]]などアルツハイマー病以外の認知症性疾患の前駆状態も含む概念として認識されている。MCIのサブタイプ別に考えると、記憶障害のみであったり、記憶を含む多領域障害であればアルツハイマー病に移行しやすく、記憶以外の症状が主症状の場合はレビー小体型認知症や前頭側頭葉変性症等に移行しやすいと認識されている。<br />
<br />
== 治療 ==<br />
現状、MCIに対する認知症薬の保険適応は無い。上記の通りMCIにおいて認知機能低下は軽微で基本的な日常生活は保たれるため、将来的には認知症への進展(コンバート)の予防を目標とした治療法が検討される可能性はある。<br />
<br />
臨床研究レベルで、薬物治療として[[ドネペジル]]、[[ガランタミン]]、[[リバスチグミン]]などのアルツハイマー病治療薬([[コリンエステラーゼ]] [[cholinesterase]](ChE)[[阻害薬]])の有効性を検討した研究がいくつかあるが、MCIから認知症への転換を抑制する効果について明らかなエビデンスは無いのが現状である。しかし、[[APOE|ApoE]]遺伝子ε4多型保因者の検討においてドネペジル治療により36ヶ月後のAD発症率が有意に低下していたとする報告も存在する。レビー小体型認知症のMCIでは記憶障害や遂行機能障害は呈さずにリアルな[[幻視]]や[[REM睡眠]]行動障害等が出現することがあり、この場合はレビー小体型認知症としての[[抑肝散]]やドネペジル等による薬物療法が有効な場合があるとされる。<br />
<br />
薬物以外のアプローチでは、認知症予防のライフスタイル、具体的には運動や食生活・[[睡眠]]の改善、血圧や血糖、脂質異常の改善、[[視覚]]・[[聴覚]]の維持などがMCIから認知症への進行を防ぐためには重要という考え方も存在する。<br />
<br />
== 疫学 ==<br />
2013年の全国調査によるとMCI患者数は400万人と推計され、高齢者人口の約13%を占めることが明らかとなった<ref name=ref1 />。他の報告でも高齢者人口の17〜18%とするものが散見される。また、長期介護施設に入所している集団では地域社会で暮らしている人に比べ2倍近く高いとする報告がある。MCIのコンバート率については、Bowenらによる記憶障害のみ認める群の追跡調査では、4年間に48%が認知症を発症したのに対して対照群では18%であったと報告している。また、メタアナリシスの報告では認知症へのコンバート率は年間約10%とされ、正常へのリバート率については14〜44%の範囲で報告されている。<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
<references/></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E5%85%88%E5%A4%A9%E6%80%A7%E5%A4%A7%E8%84%B3%E7%99%BD%E8%B3%AA%E5%BD%A2%E6%88%90%E4%B8%8D%E5%85%A8%E7%97%87&diff=37062
先天性大脳白質形成不全症
2017-01-09T11:05:22Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0203816/ 井上 健]</font><br><br />
''国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2016年1月15日 原稿完成日:2016年1月19日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
英:congenital hypomyelinating leukodystrophy<br />
<br />
同義語:ミエリン形成不全症<br />
<br />
{{box|text= 先天的な中枢神経系のミエリン形成不全を本態とする疾患群を総称して、先天性大脳白質形成不全症という。代表的疾患であるPelizaeus-Merzbacher病(PMD)をはじめ、現在11疾患が知られているが、PMD以外の疾患は極めて稀である。11疾患すべてにおいて、原因遺伝子が同定されている。臨床的には重度の精神運動[[発達遅滞]]、痙性四肢麻痺に加え様々な神経症状を呈する。診断には頭部MRI、電気生理学的検査、遺伝子解析を組み合わせて行う。PMDの原因は主要な[[ミエリン]]膜タンパク質をコードするPLP1遺伝子の変異で、重複、点変異、欠失などが同定されている。[[オリゴデンドロサイト前駆細胞]](OPC)から成熟[[オリゴデンドロサイト]]への[[分化]]に伴う[[ミエリン化]]の開始と同時に、オリゴデンドロサイトが急速に[[細胞死]]に陥ることがPLP1変異の共通の細胞病態である。一方、細胞死を引き起す分子病態はPLP1の変異の種類によって異なり、それに応じて臨床型や重症度も異なる。根治療法はなく、対症療法が現在の医療的ケアの中心である。研究レベルでは、いくつかの化合物や高脂肪食、幹細胞移植などの有効性が報告されている。}}<br />
<br />
==先天性大脳白質形成不全症とは==<br />
先天性大脳白質形成不全症は、[[ミエリン]](髄鞘)の構成成分やミエリン化に必要な因子などの遺伝的な異常が原因でおこる、中枢神経系のミエリン化の広範かつ著明な低下あるいは停止を特徴とする疾患群である。いわゆる[[白質変性症]] [[leukodystrophy]]という疾患概念は、神経病理学的に[[大脳]][[白質]]が特異的に障害され、変性によって破壊される疾患を示す言葉として長く使われて来たが、実際にはミエリンが「破壊される疾患=demyelinating」と「最初からうまく出来ない疾患=hypomyelinating」に分類される。先天性大脳白質形成不全症は後者を示すものである。代表的疾患である[[Pelizaeus-Merzbacher病]](PMD)をはじめ、現在11疾患が知られている(表1)が、PMD以外の疾患は極めて稀である。11疾患すべてにおいて、原因遺伝子が同定されている。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+表1. 先天性大脳白質形成不全症の分類<br />
|-<br />
! 疾患名 !! 略称 !! 遺伝子座 !! 遺伝子<br />
|-<br />
| '''第1群(末梢神経障害なし)''' || || || <br />
|-<br />
| [[Pelizaeus-Merzbacher病]] || PMD || Xq22.2 || ''[[PLP1]]''<br />
|-<br />
| [[Pelizaeus-Merzbacher-like病1]] || PMLD1 || 1q42.13 || ''[[GJC2]]''<br />
|-<br />
| [[基底核および小脳萎縮を伴う髄鞘形成不全症]] [[Hypomyelination with atrophy of the basal ganglia and cerebellum]] || HABC || 19p13.3 || ''[[TUBB4A]]''<br />
|-<br />
| [[18q欠失症候群]] || 18qDEL || 18q22→qter || ''[[MBP]]''<br />
|-<br />
| [[Allan-Herndon-Dudleys症候群]] || AHDS || Xq13.2 || ''[[SLC16A2]]''<br />
|-<br />
| [[Hsp60 chaperonopathy]] || MitChap60 || 2q33.1 || ''[[HSPD1]]''<br />
|-<br />
| [[Salla病]] || SD || 6q13 || ''[[SLC17A5]]''<br />
|-<br />
| [[小脳萎縮と脳梁低形成を伴うび漫性大脳白質形成不全症]] [[Diffuse cerebral hypomyelination with cerebellar atrophy and hypoplasia of the corpus callosum]] || HCAHC || 12q23.3 || ''[[POLR3B]]'' <br />
|-<br />
| '''第2群(末梢神経障害あり)''' || || || <br />
|-<br />
| [[先天性白内障を伴う髄鞘形成不全症]] [[Hypomyelination and congenital cataract]] || HCC || 7p15.3 || ''[[FAM126A]]''<br />
|-<br />
| [[失調、歯牙低形成を伴う髄鞘形成不全症]] [[Ataxia, delayed dentition, and hypomyelination]] || ADDH (or 4H) || 10q22.3 || ''POLR3A''<br />
|-<br />
| [[脱髄型ニューロパチー、中枢性髄鞘形成不全症、ワーデンバーグ症候群、ヒルシュスプルング病]] [[Peripheral demyelinating neuropathy, central dysmyelination, Waardenburg syndrome, and Hirschsprung disease]] || PCWH || 22q13 || ''[[SOX10]]''<br />
|}<br />
<br />
===先天性大脳白質形成不全症の症状===<br />
PMDを含めこれらの疾患は、臨床的に共通した検査所見および臨床症状を呈する。すべての疾患に共通する所見として<br />
# [[錐体路障害]]:[[痙性麻痺|痙性四肢(下肢)麻痺]]<br />
# [[MRI]]画像所見:[[T2強調画像]]で、白質にび漫性の高信号領域(脱髄の所見は除外される)<br />
の2つが挙げられ、随伴所見として<br />
# [[眼振]]<br />
# [[精神運動発達遅滞]]<br />
# [[小脳]]障害:体幹・四肢の[[失調]]症状、[[企図振戦]]、小児期には[[測定障害]]、[[変換障害]]、不明瞭[[言語]]など<br />
# [[大脳基底核]]障害:[[固縮]]、[[ジストニア]]<br />
# [[てんかん]]<br />
# 電気生理学的検査所見:[[誘発電位]]で中枢伝導障害<br />
が挙げられる。<br />
<br />
==Pelizaeus-Merzbacher病==<br />
以下に、代表的な先天性大脳白質形成不全症であるPelizaeus-Merzbacher病について概説する。<br />
<br />
===疾患の概要===<br />
Pelizaeus-Merzbacher病 (PMD)は、出生直後より知的運動発達の著明な遅れ、眼振、低緊張、痙性四肢麻痺、小脳失調、ジストニアなどを呈する小児の難治性稀少性神経疾患である。原因遺伝子[[phospholipid protein 1]] (PLP1)はXq22.2に存在する。[[wj:遺伝形式#伴性劣性遺伝|X染色体連鎖性劣性遺伝]]形式をとり、患者は基本的に男児のみである。生直後から遅くとも1カ月程度までに眼振で気づかれることが多い。生後から半年程度までは筋緊張低下の症状を呈するが、[[原始反射]]の消失が遅れ、[[Babinski反射]]は半年を超えても陽性であり、やがて[[腱反射]]の亢進も明らかになり[[一次ニューロン]]の問題を示す。小脳症状としての企図振戦は1歳過ぎには、注意深く観察すると明らかであることが多い。また、2歳頃には[[アテトーゼ]]様の異常肢位が発現してくる。<br />
<br />
このように[[中枢神経系]]の運動、運動制御系、大脳基底核のすべての症状が相次いで出現するのがこの疾患の特徴であるが、後年眼振は目立たなくなり、関節拘縮が進むと小脳症状も気づかれず、年長児で痙性と固縮をもつ[[脳性麻痺]]として診断されている例も多い。通常10〜20歳代を過ぎると症状の[[退行]]が始まり、平均寿命は30歳前後と思われる。症状の退行と平行して、画像上の脳萎縮を認める。<br />
<br />
臨床的亜型として、乳幼児期の運動知的発達がほぼ正常で、学童期以降にゆっくりと退行するX連鎖性痙性対麻痺の表現型をとることがある([[痙性対麻痺2型]];[[SPG2]])。<br />
<br />
===診断===<br />
診断は、臨床所見に加え、画像および遺伝子検査、さらに電気生理学的検査を組み合わせて行う<ref>'''井上 健,岩城明子,黒澤健司,高梨潤一,出口貴美子,山本俊至,小坂 仁'''<br>先天性大脳白質形成不全症:Pelizaeus-Merzbacher病とその類縁疾患<br>''脳と発達'':2011;43(6):435-442</ref>。画像では頭部[[MRI]]が有用かつ必須である。[[T2強調画像]]で、大脳白質にびまん性の高信号領域を認める。T2強調画像での高信号がミエリン化の遅延・停止なのか、それとも[[脱髄]]なのかの鑑別が重要である。一般的に[[脱髄性疾患]]では、T2強調画像で著しい高信号を呈する部位を認めることが多く、同部位は[[T1強調画像]]では低信号を呈する。ミエリン化不全の判断には、正常小児のミエリン化パターンを知ることが必要である。MRスペクロスコピーでは[[wj:N-アセチルアスパラギン酸|N-アセチルアスパラギン酸]](NAA)と[[クレアチン]]の上昇、[[コリン]]の低下を認めるが、特にNAAの上昇はPelizaeus-Merzbacher病に特異的である<ref><pubmed> 11805250 </pubmed></ref>。Pelizaeus-Merzbacher病以外の先天性大脳白質形成不全症では、基底核萎縮、小脳萎縮などの所見を合併することがある。<br />
<br />
PLP1遺伝子解析においては、変異の多様性を念頭に置き、異なる検査方法を組み合わせる必要がある。PLP1[[wj:遺伝子重複|重複]]は、[[定量的PCR法]]や[[細胞増殖#細胞周期|間期]]核[[FISH]]法などにより正常の2倍量のPLP1の存在により確認できる。また、新たな技術として[[MLPA]]([[multiplex ligation-dependent probe amplification]])や[[アレイCGH]]([[microarray-based comparative genomic hybridization]])などでも診断可能である。MLPAはすべてのエクソンについての定量解析が可能であるため、部分重複も検出可能である。アレイCGHでは、網羅的な解析が可能である点が特徴である。高密度アレイを用いれば、重複のサイズも同定できるため、得られる[[情報量]]が多い。これらの方法は、保因者診断にも用いることができる。[[点変異]]の検出には、各[[エクソン]]を[[PCR]]増幅後に直接塩基配列決定法を用いて解析する。欠失はそのサイズによって検出の可否が異なるが、通常欠失領域のエクソンはMLPAやPCRで増幅されないため、比較的容易に同定できる。FISH、アレイCGHも有効であるが、小さな部分欠失は検出できないことがあるので注意が必要である。<br />
<br />
電気生理学的検査は、画像診断や遺伝子解析に比べると特異性に劣るが、MRIでの髄鞘形成不全の描出が難しい生後6ヶ月までの時期には診断的有用性が高い。[[聴覚脳幹反応]]において、II波以降の潜時の延長が見られる。Pelizaeus-Merzbacher病では[[ニューロパチー]]の合併は通常認めないが、PLP1のnull変異の症例では軽度から中等度の[[神経伝導]]速度の低下を認めることが多い。また、イントロンの[[スプライス変異]]の症例では、比較的重度のPelizaeus-Merzbacher病例であっても神経伝導速度が低下することがある。Pelizaeus-Merzbacher病以外の先天性大脳白質形成不全症の症例では、ニューロパチーを合併する疾患もあるため(表1)、神経伝導速度の測定は積極的に実施していくことが望ましい。<br />
<br />
[[Image:MutationPMD.png|thumb|400px|'''図1.Pelizaeus-Merzbacher病の表現型、変異と分子病態<br>'''Pelizaeus-Merzbacher病の臨床像は重症の先天型から軽症の痙性対麻痺2型まで、幅広いスペクトラムを呈する。変異の種類と表現型の間にある程度の相関を有する。また変異の種類によって異なる細胞病態を呈する。点変異によりアミノ酸置換を来した変異PLP1タンパク質は、小胞体(ER)に蓄積することによって小胞体ストレスを誘導する。過剰な小胞体ストレスによりunfolded protein response(UPR)の細胞死シグナル経路が活性化されると、オリゴデンドロサイトは死に至る。遺伝子重複によって過剰産生された野生型PLP1タンパク質は、正常に膜輸送されるが、その後コレステロール(chol)に結合して後期エンドソーム・リソソーム(E/L)に蓄積するが、細胞死に至る細胞分子病態は不明である。遺伝子欠失などのnull変異は、疾患スペクトラムの中では軽症型となる痙性対麻痺を呈する。PLP1の欠損は、髄鞘化そのものには大きな影響を及ぼさないが、PLP1が欠落している髄鞘は脆弱で壊れやすい。]]<br />
<br />
===病態生理===<br />
中枢神経系のミエリンが広範かつび漫性に欠落することがPelizaeus-Merzbacher病の一次的な組織学的病因である。オリゴデンドロサイトは広く脱落する。一方で、[[軸索]]は比較的保たれている。一部、皮質直下のUファイバーに島状にミエリン化を認める(tigroidと呼ばれる)。<br />
<br />
遺伝学的病因は、PLP1遺伝子の変異である。PLP1は四回貫通型構造をとる主要なミエリン膜タンパク質をコードする。17kbのゲノム領域に渡る7つのエクソンから構成される。PLP1と[[DM20]]という2つのスプライス多型を有する。DM20はエクソン3の後半35残基分が欠落している。このPLP1特異的領域に生じた変異は、DM20のアミノ酸配列には影響を及ぼさないため、臨床的には軽症のSPG2となる。PLP1の変異で最も頻度が高いのはPLP1全体を含むゲノム重複(60〜70%)である。点変異(20〜30%)はアミノ酸置換変異が多く、変異は全エクソンに均等に分布する。頻度は低いが、[[微小欠失挿入変異]]や[[ナンセンス変異]]も見出される。エクソン以外にイントロン部位の変異も見出されている。遺伝子全体を含む欠失は、重複に比べて頻度は低い。<br />
<br />
[[オリゴデンドロサイト前駆細胞]]から成熟オリゴデンドロサイトへの分化に伴うミエリン化の開始と同時に、オリゴデンドロサイトが急速に細胞死に陥ることが各PLP1変異の共通の細胞病態であるが、細胞死を引き起す分子病態はPLP1の変異の種類によって異なり、それに応じて臨床型や重症度も異なるので、その理解は重要である<ref><pubmed> 15627202 </pubmed></ref>(図1)。<br />
<br />
遺伝子重複はXq22.2付近の中間部重複により、PLP1のコピー数が増え、正常配列のPLP1の発現量が増加することによって、ミエリン形成不全をきたすと考えられる。この病態を[[遺伝子量効果]] [[gene dosage effect]]と呼ぶ。重複ゲノム領域の大きさは、数十Kbから数Mbに及ぶが、最も頻度が高いのは500Kb前後の重複である。付近のPLP1以外の遺伝子も重複しているが、数Mbに渡る大きな重複でない限り、重症度や臨床症状への影響はない。PLP1重複の臨床表現型には幅があるものの、典型的には最も頻度が高い古典型Pelizaeus-Merzbacher病を呈する(図1)。稀に3重複の症例の報告があり、重症の表現型をとる。細胞病態の詳細は不明であるが、過剰発現したPLP1タンパク質は細胞内で[[コレステロール]]と結合したまま、[[後期エンドソーム]]/[[リソソーム]]に蓄積することが明らかになっており、脂質に関連した分子病態が示唆されている<ref><pubmed> 11956232 </pubmed></ref>。<br />
<br />
点変異は、重症(先天型)から軽症(SPG2)まで幅広い臨床像を呈する(図1)。変異はしばしば家系に特異的で、頻度の高い共通変異や[[創始者効果]]はない。[[アミノ酸]]置換の細胞病態として、 [[折りたたみ異常]]を来した変異体PLP1が[[小胞体]]に蓄積して惹起する[[小胞体ストレス]]の関与が知られている<ref><pubmed> 12441049 </pubmed></ref>。細胞は小胞体ストレスに対する防御機構 unfolded protein response (UPR)を誘導するが、過剰な蓄積によりUPRが破綻し、[[アポトーシス]]誘導経路が活性化され、最終的に死に陥る。また、PLP1以外の[[分泌]]・膜タンパク質の輸送障害を引き起すことも明らかになっている<ref><pubmed> 23344956 </pubmed></ref>。疾患の重症度と変異部位のアミノ酸残基の進化上の保存度の間に関連性が示唆されているが、生物学的な実証はされていない。<br />
<br />
PLP1遺伝子の機能喪失型(null)変異は稀であるが、臨床症状が特徴的であるので、注意を要する。原因変異は、PLP1ゲノム領域の全長あるいは部分欠失、[[翻訳]]領域内のナンセンス変異や一部のスプライス変異などが含まれる。臨床症状は、軽症型でしばしばSPG2と診断される。軽度の脱髄型あるいは混合型ニューロパチーを合併する。保因者女性に幼児期発症の痙性対麻痺や成人期発症の歩行障害や認知障害などの症状を認める(症候性保因者)ため、一見、優性遺伝形式の様に見えることがある。PLP1の欠損はミエリン形成そのものへの影響は少ないが、PLP1が欠落したミエリンは不安定で壊れやすい。一方、より重症の表現型となる重複や点変異は、[[機能獲得型変異]]と考えられており、オリゴデンドロサイトの細胞死を誘導する結果、重度のミエリン形成不全を来す(図1)。<br />
<br />
===治療===<br />
[[リハビリテーション]]や適切な装具の使用、呼吸や栄養の管理、筋弛緩剤や抗痙攣薬などの対症療法が現在の医療的ケアの中心になっている。これらの対症療法の進歩により、Pelizaeus-Merzbacher病患者の予後は著明に改善している。全般的に先天性大脳白質形成不全症患者では、[[知的障害]]に運動障害を伴うことから、脳性麻痺児と同様の療育を受けることが実際的である。[[てんかん]]様発作は25%程度の患者に認めるが、Pelizaeus-Merzbacher病患者では実際に[[脳波]]異常を伴うことは少ない。治療は一般的な小児のてんかんの治療法に基づく。全身性のジストニアに関しては[[筋弛緩薬]]や[[抗痙縮剤]]、局所性のジストニアでは[[ボツリヌス毒素]]を用いる。股関節の[[痙性脱臼]]は、[[w:大腿骨|大腿骨]]が内転・内旋・屈位になりやすいためにおこる。外転位保持夜間装具が必要となる場合がある。高度例では整形外科的な[[wj:腸腰筋|腸腰筋]]延長・切離術をおこなう。呼吸障害に関しては、[[wj:喉頭|喉頭]][[wj:咽頭|咽頭]]機能不全のために、[[wj:誤嚥性肺炎|誤嚥性肺炎]]を起こしやすい。また経口摂取が難しい症例では、経[[wj:胃管|胃管]]あるいは[[wj:胃瘻|胃瘻]]からの栄養補給が行われる。筋緊張亢進のために、胃食道逆流を伴う症例では、[[wj:噴門形成術|噴門形成術]]を併用する。<br />
<br />
現在までに疾患に対する根治的な治療法はないが、基礎研究および治験レベルでは、疾患の分子細胞病態を標的とした治療法の試みが行われている。点変異に対しては、[[マウス]]モデルや[[培養細胞]]を用いた研究で、[[クルクミン]]や[[クロロキン]]などが部分的に有効と報告された<ref><pubmed> 22436581 </pubmed></ref><ref><pubmed> 24521562 </pubmed></ref>。また、重複に対しては、高コレステール食がミエリン化を促進することが報告された<ref><pubmed> 22706386 </pubmed></ref>。幹細胞移植による再生医療は、先天性大脳白質形成不全症に対する有望な治療法として期待されている。モデルマウスを用いた報告はこれまでにもなされていたが、最近、米国において患者に対する[[神経幹細胞]]の移植治療が試験的に行われ、その安全性と部分的な治療効果が報告された<ref><pubmed> 23052294 </pubmed></ref>。<br />
<br />
===疫学===<br />
本邦における全国疫学調査によると、先天性大脳白質形成不全症の有病率は人口10万人(1~19歳)当たり0.78人である<ref><pubmed> 24532200 </pubmed></ref>。Pelizaeus-Merzbacher病の罹患率は男児10万出生当たり1.4人であった。また、この調査でもPelizaeus-Merzbacher病は最も頻度の高いことが明らとなり、その推定罹患率は男児10万出生当たり1.45人であった。遺伝学的検査を受けた先天性大脳白質形成不全症患者のうち、62%でPLP1遺伝子の変異が同定されていた。<br />
<br />
===モデル動物===<br />
数多くの[[動物モデル]]がPMDの病態解明と治療法開発のために用いられていおり、実際に主要な分子細胞機序はこれらの動物モデルを用いた解析から明らかになっている。[[自然発生モデル]]と[[遺伝子改変モデル]]の両方が確立しており、[[マウス]]をはじめ、[[イヌ]]、[[ウサギ]]、[[ラット]]などのモデル動物が知られている。<br />
<br />
自然発生モデルの多くは、タンパク質をコードする[[エクソン]]や[[wj:スプライシング|スプライス・ジャンクション]]の変異によって、アミノ酸置換やエクソン欠失など構造変化を引き起す。これらのうち[[jimpy]](jp)と[[myelin synthesis deficit]](msd)マウスは、重症型PMDのモデルとして用いられている<ref><pubmed> 2425262 </pubmed></ref><ref><pubmed> 1688931 </pubmed></ref>。どちらも重度の神経症状を呈し、生後1ヶ月ほどで死亡する。脳ではオリゴデンドロサイトの[[アポトーシス]]の増加により、成熟オリゴデンドロサイトの数は減少し、ミエリン鞘がほとんど形成されていない。一方、軽症型PMDあるいはSPG2のモデルとして、[[rumpshaker]](rsh)マウス、[[shaking]](sh)イヌ、[[paralytic tremor]](pt)ウサギなどが知られている<ref><pubmed> 1694232 </pubmed></ref><ref><pubmed> 8894446 </pubmed></ref><ref><pubmed> 8275312 </pubmed></ref>。これらのモデル動物は、症状は比較的軽度で、成体まで生存する。脳ではミエリン形成不全の程度は軽く、成熟オリゴデンドロサイトも存在する。これらのモデル動物のうち、jp、msd、rshマウスの変異は、ヒトPMD/SPG2患者で全く同じ変異が見つかっており、表現型もこれらヒト患者の重症度にそぐうものであるため、これらのモデルマウスはヒト患者における重症度の多様性の分子細胞機序の研究のためのツールとして適している。<br />
<br />
[[トランスジェニック動物|トランスジェニック]]および[[ノックアウトマウス]]は、遺伝子改変モデルとして報告されている<ref><pubmed> 7520255 </pubmed></ref><ref><pubmed> 7512350 </pubmed></ref><ref><pubmed> 9010205 </pubmed></ref><ref><pubmed> 9616125 </pubmed></ref>。トランスジェニックマウスは、PMDの遺伝子重複変異のモデルとなる。[[wj:コスミド|コスミド]]クローンを用いたゲノム重複モデルは、PLP1とDM20の両方の転写産物の過剰発現を再現しているが、トランスジーンは[[wj:常染色体|常染色体]]からの発現となる。最近、リコンビニアリングの技術を用いたマウスPlp1遺伝子座のゲノム重複をもつマウスも作られている<ref><pubmed> 23864668 </pubmed></ref>。これら過剰発現マウスの表現型は、発現量の多いホモ接合体の方が発現量の低いヘテロ接合体よりも重症であることから、遺伝子量効果を呈していることが分かる。一方、ノックアウトマウスでは、正常に近いミエリン形成の量とオリゴデンドロサイトの数が観察されており、PLP1欠失あるいは機能欠損変異の疾患モデルとなる。ノックアウトマウスで他の他の疾患モデルと大きく異なる点は、ミエリン形成不全を伴わずに、遅発性軸索変性を来すことである。これはPLP1が軸索の維持に必要であることを示唆するが、その分子機序は依然不明である。<br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[髄鞘]]<br />
<br />
==参考文献==<br />
<references/></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E8%84%8A%E9%AB%84%E5%B0%8F%E8%84%B3%E5%A4%89%E6%80%A7%E7%97%87&diff=37061
脊髄小脳変性症
2017-01-09T11:04:05Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0113019 西澤 正豊]</font><br><br />
''新潟大学 脳研究所 ''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2016年1月30日 原稿完成日:2016年月日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
英語名:spinocerebellar degeneration<br />
<br />
英語略:SCD<br />
<br />
==概念==<br />
脊髄小脳変性症は、[[小脳]]あるいはその連絡線維の変性により、主な症状として[[小脳性運動失調]]を呈する疾患の総称である。<br />
<br />
脊髄小脳変性症は従来、神経病理学的所見に基づいて、主に[[脊髄]]を障害するもの、脊髄と小脳を障害するもの、主に小脳を障害するものの3群に分類されてきた。しかし、最近では遺伝形式と臨床症候に基づく簡便な分類が用いられ、脊髄小脳変性症はまず孤発性と遺伝性に大別される。全体の約3分の2を占める孤発性群はさらに、変性が小脳に限局する[[皮質性小脳萎縮症]]([[cortical cerebellar atrophy]]:[[CCA]])と、変性が小脳系だけでなく、[[大脳基底核系]]や[[自律神経系]]、[[錐体路]]にも拡がる[[多系統萎縮症]]([[multiple system atrophy]]:[[MSA]])に分けられる。孤発性群では、多系統萎縮症が約3分の2、皮質性小脳萎縮症が約3分の1を占める。全体の残り3分の1は遺伝性群で、遺伝形式によって優性遺伝性と劣性遺伝性に分けられる。優性遺伝性が9割以上を占める。<br />
<br />
遺伝性脊髄小脳変性症の原因遺伝子の同定が進み、分子病態が解明されつつある現状から、脊髄小脳変性症を病理学的な概念である「変性症」に限定せず、運動失調(ataxia)を呈する疾患群として捉えようとする立場や、分子病態に基づいて分類し直そうとする試みがある。<br />
<br />
==多系統萎縮症==<br />
===概念===<br />
[[多系統萎縮症]](Multiple system atrophy : MSA)の多系統変性は、小脳系、大脳基底核系、自律神経系の3系統を中心とし、錐体路にも及ぶ。小脳系の系統変性を主体とする病型は、従来、[[オリーブ橋小脳萎縮症]](olivopontoserebellar atrophy:OPCA)、大脳基底核系では[[線条体黒質変性症]](striatonigral degeneration:SND)、自律神経系では[[Shy-Drager症候群]](Shy-Drager syndrome:SDS)と呼ばれてきた。<br />
<br />
オリーブ橋小脳萎縮症はDejerineとAndré-Thomasによる1900年の報告に始まるが、オリーブ小脳系を超えた病変も認められていた。1964年にAdamsが提唱した線条体黒質変性症においても、黒質線条体だけでなく、オリーブ小脳系の変性を伴うと記載されていた。Shy-Drager症候群はShyとDragerにより1960年に報告されたが、1967年のSchwarzによる4剖検例では、自律神経系を超えた変性が認められていた。こうした経緯から、GrahamとOppenheimerは1969年、病変分布の共通性から、オリーブ橋小脳萎縮症、線条体黒質変性症、Shy-Drager症候群を包括する多系統委縮症という名称を提案した。高橋によるShy-Drager症候群のわが国初の詳細な剖検報告(1969年)でも、Shy-Drager症候群とオリーブ橋小脳萎縮症病変の共通性が指摘されている。<br />
<br />
その後、多系統萎縮症に共通する疾患特異的バイオマーカーとして、脳幹の[[オリゴデンドログリア]]や神経細胞の細胞質内に特徴的な封入体([[glial cytoplasmic inclusion]]:[[GCI]]、[[neuronal cytoplasmic inclusion]]:[[NCI]])が見出され、多系統萎縮症は疾患単位として確立された。さらに、glial cytoplasmic inclusion、neuronal cytoplasmic inclusionの主な構成成分は、リン酸化された[[α-シヌクレイン]]であることが明らかにされた。<br />
<br />
多系統萎縮症の診断には、1999年に発表されたGilmanらによるconsensus statementが広く用いられてきた。これによると、多系統萎縮症は診断の確かさによりdefinite、probable、possibleの3群に分類され、さらにオリーブ橋小脳萎縮症も線条体黒質変性症もいずれは自律神経症状を合併することからShy-Drager症候群を除外して、小脳症状と自律神経障害を呈して従来のオリーブ橋小脳萎縮症に相当する多系統萎縮症を[[MSA-C]]、[[パーキンソン症]]状と自律神経障害を呈して従来の線条体黒質変性症に相当する多系統萎縮症を[[MSA-P]]として、多系統萎縮症を臨床的に2分した。2008年には、改訂版が発表され、probableとpossibleの主な分岐点は、自律神経症状の程度により規定された。排尿障害では[[尿失禁]]、男性では[[勃起障害]]が重視され、起立性低血圧では、起立後3分以内に収縮期血圧が30 mmHg以上,あるいは拡張期血圧が15 mmHg以上低下する場合をprobableとする基準値が定められた(表1)。<br />
<br />
これに対してわが国では、[[MSA-A]]としてShy-Drager症候群を残そうとする立場もある。新潟大学脳研究所で、病理学的に診断が確定された多系統萎縮症の臨床像を検討すると、MCA-C、MSA-Pのいずれも22%は、初発症状が自律神経障害であった。Shy-Drager症候群とされてきた症例は、早期から著明な自律神経障害で発症し、次第に小脳性運動失調やパーキンソン症状を伴うが、Shy-Drager症候群に特異的な自律神経障害は指摘できない。また「premotor MSA」(発症早期に自律神経障害が前景に立ち、他の系統変性による症候がまだ目立たない段階で、たまたま病理学的検索が行われた症例)では、オリーブ橋小脳系と線条体黒質系の変性は軽微であるのに対し、脳幹の自律神経諸核には既にglial cytoplasmic inclusionを認めている。また、Shy-Drager症候群と[[進行性自律神経機能不全症]](progressive autonomic failure:PAF)との鑑別も、初期には困難である。こうした知見を総合すると、Shy-Drager症候群を独立した疾患とすることは現時点では難しいと考えられる。<br />
<br />
MSA-CとMSA-Pの頻度には、著明な人種差がある。わが国ではMSA-Cが全体の7、8割、MSA-Pが2、3割を占めるが、欧米ではこの頻度が逆転している。MSA-CとMSA-Pは臨床診断であるが、病理学的に診断が確定されたdefinite 多系統萎縮症についても、Wenningらが検討した欧州ではMSA-Pが8割を占め、一方、新潟大学の多系統萎縮症連続剖検例では、MSA-Cが3分の2を占めた。<br />
<br />
病理所見としては、MSA-Cでは小脳皮質、[[橋]]小脳系、および[[下オリーブ核]]に強い変性と神経細胞脱落、[[グリオーシス]]が認められる。一方、MSA-Pでは[[被殻]]、黒質の変性が高度であり、特に被殻の後外側部は神経細胞脱落が強く、褐色調の色素沈着がみられる。Shy-Drager症候群とされた剖検例では、脊髄中間外側核、迷走神経背側核、交感神経節などの自律神経諸核の変性が強い。<br />
<br />
glial cytoplasmic inclusionの主要な構成タンパク質であるα-シヌクレインは、もともとオリゴデンドログリアには発現していない。多系統萎縮症では病的グリアがα-シヌクレインを産生するという可能性よりも、神経細胞が産生したα-シヌクレインが細胞間を伝搬してグリアに取り込まれるという「[[プリオン]]様のタンパク伝搬仮説」が現在は有力である。パーキンソン病の特徴である[[レヴィー小体]]の主な構成成分もリン酸化α-シヌクレインであるが、同じシヌクレイノパチーである多系統萎縮症とパーキンソン病がどこで分岐するかは未解明である。α-シヌクレイン遺伝子の点変異は家族性パーキンソン病の原因とはなるが、多系統萎縮症の表現型は示さない。α-シヌクレイン遺伝子のduplication、あるいはtriplicationによるまれな家族性パーキンソン病では、レヴィー小体とglial cytoplasmic inclusionがともに認められることから、遺伝子量の増大はglial cytoplasmic inclusion形成の原因の一つと考えられる。<br />
<br />
ごくまれではあるが、多系統萎縮症には家族発症例があり、これらの解析から辻らにより[[COQ2]]([[コエンザイムQ10合成酵素]])遺伝子に変異が同定された。変異が2つあれば発症者となり、変異が1つでは発症リスクを高めることになる。日本人のみに認められるV393A変異は多系統萎縮症の約9%に見出され(健常者では約3%)、ホモ変異例では脳内のコエンザイムQ10量が減少していた。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+ 表1.多系統萎縮症診断基準改訂版<ref><pubmed>18725592</pubmed></ref><br />
|-<br />
|'''従来通り、definite, probable, possibleに分類し、さらにMSA-PとMSA-Cに分類する。'''<br />
#Definite MSA<br> 病理学的に,中枢神経に広範に、多数のα-synuclein陽性glial cytoplasmic inclusion(GCI)を認め、線条体黒質系またはオリーブ橋小脳系の変性所見を伴う。<br />
#Probable MSA<br> 孤発性で進行性の成人発症(30歳以降)の変性疾患で、自律神経障害(尿失禁(膀胱からの尿排出をコントロールできない、男性では勃起障害)、または起立後3分以内に少なくとも収縮期血圧が30 mmHg,拡張期血圧が15 mmHg低下する起立性低血圧)に加え、レボドパ反応性の乏しいパーキンソニズム(動作緩慢に、筋強剛、振戦、または姿勢反射障害を伴う)、または小脳症候群(歩行失調に、小脳性構音障害、四肢失調、または小脳性眼球運動障害を伴う)を呈する。<br />
#Possible MSA<br> 孤発性で進行性の成人発症(30歳以降)の変性疾患で、パーキンソニズム、または小脳症候群を呈し、加えて自律神経障害を示唆する所見(他の原因では説明できない尿意促迫、頻尿、残尿、男性では勃起不全、またはprobable MSAの規準を満たさないレベルの起立性低血圧)を少なくとも一つ認め、さらに以下の表で少なくとも一つの所見を満たすもの。<br><br />
(1) Possible MSA-P またはMSA-C<br> 腱反射亢進を伴うBabinski徴候陽性、喘鳴。<br><br />
(2) Possible MSA-P<br> 急速進行性のパーキンソニズム、レボドパ反応性が乏しいこと、運動症状出現3年以内の姿勢反射障害、<br />
歩行失調・小脳性構音障害・四肢失調・または<br> 小脳性眼球運動障害、運動症状出現5年以内の嚥下障害、<br />
MRIにおける被殻・中小脳脚・橋・または小脳の萎縮、FDG-PETにおける被殻・脳幹・または小脳の低代謝。<br><br />
(3) Possible MSA-C<br> パーキンソニズム(動作緩慢と筋強剛)、MRIにおける被殻・中小脳脚・または橋の萎縮、FDG-PETにおける被殻の低代謝、SPECTまたはPETにおける<br> 黒質線条体ドーパミン作動性ニューロンの節前性脱神経 。<br />
|-<br />
|'''多系統萎縮症の診断を支持するred flag所見<br>'''<br />
口部顔面ジストニア、頸部前屈、カンプトコルミア(脊柱の高度の前屈)and/or Pisa症候群(脊柱の高度の側屈)、手または足の拘縮、吸気時のため息、高度の発声困難、高度の構音障害、いびきの出現または増悪、手足の冷感、病的笑いまたは病的泣き、jerkyなミオクローヌス様の姿勢振戦または動作性振戦。 <br />
|-<br />
|'''多系統萎縮症の診断を支持しない所見<br>'''<br />
典型的丸薬丸め様の静止時振戦、臨床的に有意な末梢神経障害、薬剤誘発性でない幻覚、75歳以上の発症、失調症やパーキンソニズムの家族歴、認知症(DSM-IVによる)、多発性硬化症を示唆する大脳白質病変。<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
===症候===<br />
MSA-Cは40~60歳に、多くは小脳性運動失調から発症し、次第に自律神経症状や錐体外路症状、錐体路症状を伴う。新潟大学の剖検例では、MSA-Cにパーキンソニズムを伴うのは74%であった。また、尿失禁や排尿困難、起立性低血圧や失神、男性では陰萎などの自律神経症状が発現する中央値は発症から2.5年であり、2.5年より早期から自律神経障害が出現すると、その後の進行が速かった。<br />
<br />
MSA-Pの多くはパーキンソン症状から発症し、次第に自律神経症状を伴う。小脳性運動失調症状はパーキンソン症状にマスクされやすく、MSA-Pが小脳性運動失調を伴う頻度は、新潟大学の検討では44%であった。MSA-Pの初期には、パーキンソン病との鑑別が困難な症例もある。パーキンソン病に比べて、[[レボドパ]]補充療法の効果が乏しく、進行が速く、症状の左右差や静止時振戦がまれであることが特徴とされるが、MSA-Pでもパーキンソン症状の左右差が明らかな例や、典型的な静止時振戦を示す例、レボドパも無効ではなく、改善を示す例がある。進行期になると、多系統萎縮症でも大脳皮質の著明な萎縮や、進行性の認知障害が認められる。<br />
<br />
多系統萎縮症の全経過は約9年で、[[wikipedia:ja:誤嚥性肺炎|誤嚥性肺炎]]や[[wikipedia:ja:敗血症|敗血症]]などの[[wikipedia:ja:感染症|感染症]]が死因となることが多いが、夜間の[[突然死]]も重要である。通常の低音のいびきとは異なる高調の喉頭喘鳴は、[[声帯外転麻痺]]を示唆する症候とされ、声帯外転麻痺による気道閉塞が突然死の原因と考えられてきた。しかし、麻酔薬により睡眠状態を再現して喉頭内視鏡検査を行うと、気道狭窄が生じている部位は[[wikipedia:ja:声帯|声帯]]に限らず、[[wikipedia:ja:被裂部|被裂部]]、[[wikipedia:ja:喉頭蓋|喉頭蓋]]、[[wikipedia:ja:舌根部|舌根部]]、[[wikipedia:ja:軟口蓋|軟口蓋]]など広範囲に及び、また吸気時に喉頭蓋が気管に引き込まれ、気道を閉塞する[[wikipedia:floppy epiglottis|floppy epiglottis]]と呼ばれる病態も合併することが明らかになった。MSAの睡眠呼吸障害に対する治療法として、マスクを用いた[[持続陽圧換気]](continuous positive airway pressure: CPAP)を不用意に行うと、floppy epiglottisでは気道狭窄が悪化する恐れがあり、注意を要する。<br />
<br />
多系統萎縮症の睡眠呼吸障害に対して、CPAP装着や気管切開などを行っても、突然死を防げない症例が存在する。[[中枢性無呼吸]]や致死性[[wikipedia:ja:不整脈|不整脈]]などが原因と考えられ、気管切開による人工呼吸管理が必要になる。<br />
<br />
===補助診断法===<br />
[[image:脊髄小脳変性症1.png|thumb|350px|'''図1.多系統萎縮症のMRI所見'''<br>図左:MSA-Cにおける橋十字サインと橋、小脳の萎縮<br><br />
図右:MSA-Pにおける線条体後外側部の線状高信号(スリットサイン)]]<br />
<br />
多系統萎縮症の補助診断には[[MRI]]が有用である。MSA-Cでは、小脳、[[中小脳脚]]、[[脳幹]]の進行性萎縮とともに、橋底部に十字状の高信号(hot cross bun sign:橋十字サイン)が、MSA-Pでは、被殻の進行性萎縮とグリオーシス、鉄の沈着により、被殻後外側部に線状の高信号(putaminal slit sign)が認められる(図1)。<br />
<br />
[[MIBG心筋シンチグラフィー]]では、MSA-Pの初期には取り込みの低下は認められないので、パーキンソン病との鑑別に役立つ。[[脳脊髄液]]中のα-シヌクレインは多系統萎縮症では低下する。glial cytoplasmic inclusionに結合するリガンドを利用した[[PET]]検査も開発中である。<br />
<br />
===治療===<br />
根治的治療法は確立されておらず、対症療法が主体となる。わが国では、[[thyrotropin releasing hormone]]([[TRH]])の点滴とその誘導体([[タルチレリン]])の経口投与が、小脳性運動失調に対して唯一保険適用となっているが、その効果は限定的である。起立性低血圧や排尿障害などの自律神経症状には、対症療法を行う。多くの薬剤について、小脳性運動失調症に対する有効性が検証されているが、確実に効果が実証されたものはない。<br />
<br />
多系統萎縮症では、経過中に気道や尿路の感染症を繰り返して、全身状態が悪化することが多い。口腔ケアを徹底して、誤嚥による気道感染を予防することが重要である。<br />
<br />
脊髄小脳変性症と多系統萎縮症は[[wikipedia:ja:厚生労働省|厚生労働省]]の[[wikipedia:ja:指定難病制度|指定難病制度]]の対象疾患であり、さらに介護保健法における「特定疾病」に指定されている。制度上Shy-Drager症候群を拡大して多系統萎縮症として独立させたために、脊髄小脳変性症には皮質性小脳萎縮症と遺伝性脊髄小脳変性症が残された形となっている。また、MSA-Pはパーキンソン病と診断されている場合が少なからずあり、難病対策制度上の分類には、再度整理が必要である。<br />
<br />
==皮質性小脳萎縮症==<br />
===概念===<br />
脊髄小脳変性症の中では最も高齢で発症し、小脳性運動失調のみが緩徐に進行する孤発性の一群を[[皮質性小脳萎縮症]](Cortical cerebellar atrophy : CCA)と呼んでいる。しかし、皮質性小脳萎縮症は単一疾患ではなく、一見家族歴を欠いていても、遺伝子診断により後述する[[SCA6]]や[[SCA31]]と確定される例があり、またアルコール性などの二次性小脳変性症も含まれる。純粋小脳型を呈する変性疾患としての皮質性小脳萎縮症は、実際には非常に少ないと考えられる。<br />
<br />
===症候===<br />
中年期以降に、小脳性の[[体幹運動失調]]と[[構音障害]]が緩徐に進行する。経過は多系統萎縮症に比べて緩やかであり、進行しても独立歩行が可能な例もある。四肢の協調運動障害も次第に進行するが、小脳系以外の症候は認めない。<br />
<br />
===補助診断法===<br />
[[image:脊髄小脳変性症2.png|thumb|350px|'''図2.皮質性小脳萎縮症のMRIにおける小脳萎縮'''<br>小脳の萎縮を認めるが、脳幹は保たれている]]<br />
<br />
画像検査では、小脳に限局して進行性の萎縮を認める(図2)。病初期には[[虫部]]前葉から萎縮が始まり、次第に小脳半球に波及する。しかし、[[wikipedia:ja:甲状腺機能低下症|甲状腺機能低下症]]、[[wikipedia:ja:ビタミンE欠乏症|ビタミンE欠乏症]]、[[wikipedia:ja:ビタミンB1欠乏症|ビタミンB1欠乏症]]、[[wikipedia:ja:Wilson病|Wilson病]]などの代謝性疾患、[[慢性アルコール中毒]]、[[フェニトイン]]や[[臭化バレリル尿素]]などの薬物中毒、[[有機水銀中毒]]、[[wikipedia:ja:トルエン|トルエン]]や[[wikipedia:ja:ベンゼン|ベンゼン]]などの[[wikipedia:ja:有機溶媒中毒|有機溶媒中毒]]、[[傍腫瘍性小脳変性症]]([[腫瘍随伴性神経症候群]])、[[グルテン失調症]]、[[GAD抗体陽性失調症]]、[[急性小脳炎]]、[[Fisher症候群]]、[[神経Behçet病]]、[[多発性硬化症]]、小脳血管障害、小脳腫瘍など、多くの疾患を除外する必要があり、診断を皮質性小脳萎縮症と確定することは容易ではない。<br />
<br />
===治療===<br />
根治的な治療法は確立されていないが、小脳の機能維持を目的として、四肢末梢への錘負荷やバランス訓練などのリハビリテーションが広く行われてきた。小脳が正常に保たれている脳血管障害に対する機能回復訓練とは異なり、[[運動学習]]の首座と考えられる小脳に進行性の変性が起きている小脳変性症の場合にも、繰り返し学習による可塑性(use- dependent plasticity)が獲得されるか否かは明らかでなかった。そこで、厚生労働省の運動失調症調査研究班で筆者らは、短期集中リハビリが小脳性運動失調の進行抑制に有効であるかを検証する臨床治験を、皮質性小脳萎縮症と遺伝性純粋小脳型失調症(SCA6とSCA31)を対象として実施し、1日各1時間の理学療法と作業療法を1ヶ月間継続すると、小脳性運動失調は改善し、その効果は最大6ヶ月続くことが実証された。この効果は既存の薬物治療効果を上回っており、小脳機能維持を目的としたリハビリテーション体制を整備することが今後の課題である。<br />
<br />
==遺伝性脊髄小脳変性症==<br />
===常染色体優性遺伝性脊髄小脳変性症===<br />
<br />
====概念====<br />
遺伝性脊髄小脳変性症の9割以上を占める[[常染色体優性遺伝性脊髄小脳変性症]](Autosomal dominant SCD:ADSCD)は、その約9割まで原因遺伝子が同定された。原因遺伝子座が同定された常染色体優性遺伝性脊髄小脳変性症は、脊髄小脳失調症(spinocerebellar ataxia:SCA)の何番というように、病名を機械的に決める方式が広く採用されている。The Human Genome Organization(HUGO)には現在[[SCA41]]まで登録されており、このうちSCA9、16、22は欠番である。一方、わが国で頻度が高い[[歯状核赤核淡蒼球ルイ体萎縮症]]([[dentatorubral pallidoluysian atrophy]]:[[DRPLA]])は、脊髄小脳失調症としては登録されていない。<br />
<br />
わが国では[[Machado-Joseph病]]([[MJD]]:別名[[SCA3]])の頻度が最も高く、全体の約4分の1を占める。[[SCA6]]、DRPLA、[[SCA31]]がこれに次ぐ。これらの頻度には地域差があり、東日本ではMachado-Joseph病、西日本ではSCA6が多い。<br />
<br />
常染色体優性遺伝性脊髄小脳変性症における遺伝子異常の多くは、翻訳領域に存在するCAGリピート長が正常の2、3倍に異常伸長していることであり、遺伝子レベルでは[[CAGリピート病]]、タンパク質レベルでは[[ポリグルタミン病]]とよばれる。伸長したポリグルタミン鎖を含むタンパク質が凝集する過程で形成されるオリゴマーに細胞障害性があると考えられる。<br />
<br />
ポリグルタミン病では、世代を経る毎に発症年齢が若年化し、重症化する表現促進現象(anticipation)が認められる。Mendel遺伝では説明できない現象であったが、リピート数の伸長によることが明らかになっている。翻訳領域のCAGリピートは父方から伝搬する場合に著明に伸長する傾向があり、CAGリピート数が短いSCA6を除き、発症年齢とリピート数には負の相関が認められる。<br />
<br />
遺伝性脊髄小脳変性症に関する遺伝子診断を行う際には、[[wikipedia:ja:文部科学省|文部科学省]]、厚生労働省、[[wikipedia:ja:経済産業省|経済産業省]]の3省庁合同のヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する最新の倫理指針を遵守する必要がある。根治的な治療法が確立されていない遺伝性疾患の[[発症前診断]]や[[保因者診断]]は、原則として行わない。<br />
<br />
====各論====<br />
わが国で頻度の高い病型を中心とし、その他の病型は表2に一括した。<br />
<br />
#Machado-Joseph病 MJD(SCA3)<br> Machado-Joseph病は当初、[[wikipedia:ja:ポルトガル|ポルトガル]]領[[wikipedia:ja:アゾレス諸島|アゾレス諸島]]から北米に移民した子孫の間に見出された疾患であり、その後、欧州で記載されたSCA3でも同一のCAGリピート伸長が確認されている。臨床的にはRosenbergにより、若年発症で[[錐体路症状]]と、[[ジストニア]]などの[[錐体外路症状]]が目立つ1型、成年発症で[[痙性失調症]]と[[眼振]]を呈する2型、高齢発症で[[筋萎縮]]や[[末梢神経障害]]などの末梢性病変を伴う3型、[[パーキンソニズム]]を伴うまれな4型に分けられている。[[Ataxin3]]遺伝子に存在するCAGリピートの伸長は1型で最も長く、3型では短い。顔面筋の線維束性収縮や[[ミオキミア]]、[[びっくり眼]]などはMachado-Joseph病によくみられる。<br />
#SCA6<br> 50歳前後で発症し、小脳性運動失調症状のみを呈する純粋小脳型常染色体優性遺伝性脊髄小脳変性症であり、[[P/Q型電位依存性Caチャネル]]α1サブユニット遺伝子のC末端に位置するCAGリピートの軽度の伸長による。同遺伝子の点変異は、[[反復発作性運動失調症2型]](episodic ataxia type 2: EA2)と[[家族性片麻痺性片頭痛]]の原因でもある。<br />
#SCA31<br> 常染色体優性遺伝性脊髄小脳変性症では最も高齢の60歳前後で発症する純粋小脳型常染色体優性遺伝性脊髄小脳変性症であるが、遺伝子診断によらずにSCA6と鑑別することは困難である。わが国では長野県、静岡県、鹿児島県で特に多い。第16染色体長腕の[[BEAN]]と[[TK2]]遺伝子に共通するイントロンに挿入されたTGGAAという5塩基リピートが著明に伸長しており、転写産物によるRNA fociが形成されていることから、これと相互作用する核タンパク質の機能変化が想定される。<br />
#DRPLA<br> わが国に多い常染色体優性遺伝性脊髄小脳変性症で、発症年齢により臨床症状が異なる。[[atrophin 1]]遺伝子に存在するCAGリピートが長い場合は若年発症となり、[[進行性ミオクローヌスてんかん]]の臨床像を示す。伸長の程度が軽い場合には成人発症となり、[[認知]]機能障害や[[不随意運動]]などを呈する。ポリグルタミン病では最も著明な[[表現促進現象]]がみられ、リピート伸長の程度により、発症年齢や臨床像、重症度が規定される。[[小脳歯状核]]とその遠心路、[[淡蒼球]][[視床下核]]系に変性と萎縮を認めるだけでなく、[[大脳白質]]にも広範な変性像が認められる。<br />
#毛細血管拡張運動失調症(ataxia telangiectasia:AT;Louis-Bar症候群)<br> 幼児期に小脳性運動失調と皮膚や眼球結膜の[[wikipedia:ja:毛細血管|毛細血管]]拡張症で発症する。[[wikipedia:ja:IgA|IgA]]が低下し、[[wikipedia:ja:免疫不全|免疫不全]]のために感染症を起こしやすく、また高率に[[wikipedia:ja:悪性リンパ腫|悪性リンパ腫]]などの悪性腫瘍を合併する。ATの責任遺伝子[[ATM]]は2本鎖DNAの損傷修復に関与するタンパク質をコードする。神経症状として眼球運動失行を認め、以下に述べる[[aprataxin]]や[[senataxin]]の欠損症と病態、臨床症候は類似している。<br />
<br />
===[[常染色体劣性遺伝]]性脊髄小脳変性症===<br />
====概念====<br />
早期から緩徐進行性の小脳性運動失調を呈し、両親がいとこ婚である場合には、常染色体劣性遺伝性脊髄小脳変性症(autosomal recessive SCD:ARSCD)が疑われる。SCAと同じく、HUGOではSCARとして順番に番号がふられており、現在SCAR20まで登録されている(表3)。常染色体劣性遺伝性脊髄小脳変性症では純粋小脳型は少なく、末梢神経障害、眼球運動失行(ocular motor apraxia:OMA)などの多彩な症候を合併することが多い。<br />
<br />
====各論====<br />
#Friedreich運動失調症 Friedreich ataxia(FRDA)<br> 欧米では最も頻度が高い遺伝性脊髄小脳変性症である。Friedreich運動失調症の90%以上は、原因遺伝子[[frataxin]]のイントロンに存在するGAAリピートの著明な異常伸長のホモ接合体であり、数%は異常伸長と点変異の複合ヘテロ接合体である。しかし、欧米のFriedreich運動失調症には強い[[創始者効果]]が認められるため、わが国ではGAAリピートの異常伸長によるFriedreich運動失調症は確認されていない。原因遺伝子産物は、ミトコンドリアTCAサイクルを構成する[[aconitase]]などの[[鉄-硫黄タンパク質]]の機能維持に関与するので、Friedreich運動失調症の病態はfrataxinの機能喪失によるミトコンドリアの機能障害と想定される。<br> Friedreich運動失調症の主な症候は、[[後索]]の変性による[[深部感覚障害]]、錐体路症状、[[凹足]]、[[脊柱側弯症]]などである。小脳の萎縮は軽度であり、また[[心筋障害]]、[[糖尿病]]を合併する。<br />
#アプラタキシンaprataxin欠損症<br> わが国では、眼球運動失行と[[wikipedia:ja:低アルブミン血症|低アルブミン血症]]という特異な症候を伴い、Friedreich運動失調症に類似した臨床像を呈する[[早発性失調症]]([[early onset ataxia with ocular motor apraxia and hypoalbuminemia]]/[[ataxia-ocular motor apraxia type 1]]:[[EAOH]]/[[AOA1]])が見出され、原因遺伝子としてaprataxinが同定された。GAAリピートの異常伸長を伴う欧米型のFriedreich運動失調症はわが国には存在しないと考えられるので、これまでわが国でFriedreich運動失調症として報告されてきた症例は本症と考えられ、本症はわが国の常染色体劣性遺伝性脊髄小脳変性症の約3分の2を占めている。原因遺伝子産物のaprataxinは[[核小体]]に局在するタンパク質であり、1本鎖DNAの損傷修復機構への関与が想定される。<br> 眼球運動失行では[[衝動性眼球運動]](saccade)の開始が著明に障害される。主に小児期に認められるため、本症は小児科領域でAOA1として記載されてきた。眼球運動失行は10代後半には次第に目立たなくなり、代わって眼球運動障害が進行してくる。また低アルブミン血症は30歳前後から明らかになる。<br />
#セナタキシンsenataxin欠損症<br> Ataxia-ocular motor apraxiaには、AOA1に類似した臨床症状を呈しながら、アルブミンは低下せず、[[wikipedia:ja:α-fetoprotein|α-fetoprotein]]の高値を伴う[[AOA2]]がある。原因遺伝子[[senataxin]]の変異による。わが国からも報告があり、血中[[CK]]、[[wikipedia:ja:γ-グロブリン|γ-グロブリン]]も高値となる。<br />
#サクシンsacsin欠損症<br> わが国の常染色体劣性遺伝性脊髄小脳変性症では、アプラタキシン欠損症に次いで、[[シャルルボア・サグネイ型劣性遺伝性痙性失調症]]([[autosomal recessive spastic ataxia of Charlevoix-Saguenay]]:[[ARSACS]];[[サクシン欠損症]])が多い。シャルルボア・サグネイ型劣性遺伝性痙性失調症は当初カナダのQuebec州から報告されたが、その後世界各地で見出されている。ケベックの症例は[[網膜有髄線維]]の増加を伴う痙性失調症を特徴とするが、わが国では網膜有髄線維を欠く例、痙縮を欠く例も報告されている。<br />
#ビタミンE欠乏症<br> [[α-Tocopherol transfer protein]]の欠損による[[ビタミンE欠乏症]]では、進行性の小脳性運動失調が認められ、しばしば[[網膜]]色素変性を伴う。ビタミンEの大量投与により症状の改善が期待できるので、運動失調症の鑑別上重要である。<br />
<br />
===遺伝性痙性対麻痺===<br />
====概念====<br />
わが国の難治性疾患克服研究事業では、[[遺伝性痙性対麻痺]](Hereditary spastic paraplegia:HSP;spastic gait:SPG)が従来から脊髄小脳変性症に含まれており、脊髄小脳変性症全体の約4%を占めている。AD、AR、X染色体連鎖劣性の各遺伝形式をとるが、ADが多い。Hereditary spastic paraplegiaもspastic gaitの何番というように、病名を順番に機械的に決める方式が広く採用されており、その数は50を超えている(表4)。わが国では、ADでspastinの変異による[[SPG4]]が最も多い。<br />
<br />
====症候====<br />
HSPには、緩徐進行性の痙性対麻痺のみを呈する純粋型と、その他の症候を合併する複合型がある。複合型には小脳性運動失調を合併する場合があり、この場合は痙性対麻痺を主とする立場と、小脳性運動失調症を主体とする立場で分類が異なることになる。これまでにわが国で確認されている主な病型と原因遺伝子、臨床症状を表にまとめる。<br />
<br />
==参考文献==<br />
<references /></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E7%AD%8B%E8%90%8E%E7%B8%AE%E6%80%A7%E5%81%B4%E7%B4%A2%E7%A1%AC%E5%8C%96%E7%97%87&diff=37060
筋萎縮性側索硬化症
2017-01-09T11:02:55Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/s_watanabe 渡邊 征爾]、[http://researchmap.jp/kojiyamanaka 山中 宏二]</font><br><br />
''名古屋大学 環境医学研究所 病態神経科学''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2015年12月18日 原稿完成日:2016年2月2日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
英:amyotrophic lateral sclerosis, 英略称: ALS 独:Amyotrophy Lateralsklerose 仏:sclérose latérale amyotrophique<br />
<br />
同義語:ルー・ゲーリッグ病 (Lou Gehrig's disease) <br />
<br />
{{box|text= 筋萎縮性側索硬化症は、大脳皮質運動野および脳幹、脊髄の運動神経の細胞死による、全身の骨格筋の筋力低下、筋萎縮を主症状とする進行性の神経変性疾患である。ALSの90%以上は、非遺伝性に発症するが、約5−10%は遺伝性に発症する。遺伝性ALSの原因遺伝子は約20種類が同定されている。運動神経細胞死の根本的原因は不明であり、有効といえる治療法は確立されていない。最近、非遺伝性を含むALSの病巣に異常蓄積するTDP-43タンパク質が同定された。これらの病因タンパク質や遺伝子を手がかりとして病態の解明に向けて研究が進展している。}}<br />
<br />
==歴史==<br />
筋萎縮性側索硬化症(ALS)はフランスの神経内科医、病理学者である[[wj:ジャン=マルタン・シャルコー|ジャン=マルタン・シャルコー]] (Jean-Martin Charcot) (1825-1893)と同僚の Alex Joffroyにより、独立した疾患として初めて記述された<ref>'''Jean-Martin Charcot, A Joffroy'''<br>Deux cas d'atrophie musculaire progressive : avec lésions de la substance grise et des faisceaux antéro-latéraux de la moelle épinière<br>''V. Masson'', P. 355-367, 630-649, 745-760, 1869</ref>。さらに、アメリカ大リーグの野球選手[[wj:ルー・ゲーリッグ|ルー・ゲーリッグ]] (Lou Gehrig) (1903-1941) がALSのため引退したことから、本疾患は一般に広く知られるようになった。<br />
<br />
==臨床症状・疫学==<br />
===臨床症状===<br />
ALSは[[大脳皮質]][[一次運動野|運動野]]に存在する[[上位運動ニューロン]]および下部[[脳幹]][[運動神経核]]、[[脊髄]][[前]]角に存在する[[下位運動ニューロン]]の神経変性を特徴とする。上位運動ニューロン障害により、[[深部腱反射]]の亢進、[[病的反射]]、[[痙縮]]などの症状を呈し、下位運動ニューロン障害により進行性の[[筋力低下]]、[[筋萎縮]]を呈する。典型的なALSでは、片側[[上肢]](あるいは[[下肢]])[[遠位筋]]の筋力低下と筋萎縮を自覚し、その後、症状はより近位筋および反対側に進展し、さらに下肢(上肢)、頸部筋、顔面、嚥下筋へ進行していく。また、こむら返りや、[[線維束性収縮]]([[筋肉]]のぴくつき)をしばしば自覚する。一方、ALSの約10-20%には、[[構音障害]]、[[嚥下障害]]を主徴とする[[球麻痺]]を初発症状とするものがある。最終的には[[呼吸筋]]の麻痺をきたし、[[wj:人工呼吸器|人工呼吸器]]を装着しない限り[[wj:呼吸不全|呼吸不全]]により死に至る。<br />
<br />
[[感覚]]障害、[[眼球運動]]障害、[[膀胱]][[直腸]]障害、[[wj:褥瘡|褥瘡]]は、ALSにおいて通常出現せず、臨床的にはALSの四大陰性徴候と呼ばれるが、人工呼吸器を装着して長期に経過した症例では、眼球運動障害が出現することがある。<br />
<br />
また、人工呼吸器装着後に長期生存した症例において、骨格筋麻痺、眼球運動障害の進行により補助機器によってもコミュニケーションをとることができない完全閉じ込め状態(Totally locked-in state: TLS)に至ることがある。本邦の全国調査では、人工呼吸器装着例の約13%にTLSを認めたとの報告がある<ref name=ref001>'''溝口功一、川田明弘、林秀明'''<br>TPPVを導入したALS患者のTLSの全国実態調査<br><br />
''臨床神経'': 2008, 48: 476-80</ref>。<br />
<br />
ALSの約15-30%に性格変化、[[言語障害]]、[[認知症]]を示す[[前頭側頭葉変性症]](Frontotemporal Lobar Degeneration: FTLD)を合併するものがある。ALSとFTLDの一群において共通して蓄積する[[TDP-43]]タンパク質の発見を機に、臨床的、病理学的にもALSと[[FTLD-TDP]](TDP-43の蓄積を特徴とするFTLDの一群)は一連の連続する疾患群であるという考え方が定着している。<br />
<br />
ALSの亜型として下位運動ニューロンのみが障害され、筋萎縮が両上肢に限局するもの(Flail arm型)や上位運動ニューロンのみが障害される[[原発性側索硬化症]]と呼ばれるものがあり、これらの亜型は典型的ALSと比べて症状の進行が緩やかである<ref name=ref1>'''祖父江 元(専門編集) 辻 省次(総編集)'''<br>すべてがわかるALS(筋萎縮性側索硬化症)・運動ニューロン疾患(アクチュアル脳・神経疾患の臨床)<br>''中山書店'', 2013 ISBN 978-4-521-73443-9</ref><ref name=ref2>'''日本神経学会 監修'''<br>筋萎縮性側索硬化症 診療ガイドライン 2013<br>''南江堂'', 2013 ISBN 978-4-524-26646-3</ref>。<br />
<br />
===臨床経過・生命予後===<br />
多くの[[wj:コホート研究|コホート研究]]での生存期間は、発症時から人工呼吸器装着時あるいは死亡時点までの期間とされている。海外の既報告では、孤発性ALSの生存期間中央値は、20-48ヶ月である。本邦での統計では、平均生存期間は約40ヶ月、中央値は31ヶ月であった。予後因子として、高齢発症、発症部位(呼吸障害、[[球麻痺]]で発症するケース)、低栄養は生存期間が短くなる予後不良因子としてほぼ確立している。このようなコホート研究や臨床治験においてよく用いられる重症度指標に、[[改訂ALS Functional Rating Scale]] (ALSFRS-R)がある(表1)。これは、言語、歩行、食事動作や嚥下、呼吸などの12項目の機能を点数化してその合計点数を数値化したものである(48点満点)<ref name=ref1 />。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+ 表1.改訂ALS Functional Rating Scale (ALSFRS-R)<br />
|-<br />
| colspan="3" style="background-color:#f0fff0"| '''ALSFRS-R (ALS functional rating scale) ※48点満点'''<br />
|-<br />
| rowspan="5" style="background-color:#f0fff0" | 1. 言語<br />
|4<br />
|会話は正常<br />
|-<br />
|3<br />
|会話障害が認められる<br />
|-<br />
|2<br />
|繰り返し聞くと意味がわかる<br />
|-<br />
|1<br />
|声以外の伝達手段と会話を併用<br />
|-<br />
|0<br />
|実用的会話の喪失<br />
|-<br />
| rowspan="5" style="background-color:#f0fff0" | 2. 唾液分泌<br />
|4<br />
|正常<br />
|-<br />
|3<br />
|口内の唾液はわずかだが、明らかに過剰(夜間はよだれが垂れることがある)<br />
|-<br />
|2<br />
|中程度に過剰な唾液(わずかによだれが垂れることがある)<br />
|-<br />
|1<br />
|顕著に過剰な唾液(よだれが垂れる)<br />
|-<br />
|0<br />
|著しいよだれ(絶えずティッシュペーパーやハンカチを必要とする)<br />
|-<br />
| rowspan="5" style="background-color:#f0fff0" |3. 嚥下<br />
|4<br />
|正常な食事習慣<br />
|-<br />
|3<br />
|初期の摂食障害(時に食物を喉に詰まらせる)<br />
|-<br />
|2<br />
|食物の内容が変化(継続して食べられない)<br />
|-<br />
|1<br />
|補助的なチューブ栄養を必要とする<br />
|-<br />
|0<br />
|全面的に非経口性または腸管性栄養<br />
|-<br />
| rowspan="5" style="background-color:#f0fff0" |4. 書字<br />
|4<br />
|正常<br />
|-<br />
|3<br />
|遅い、または書きなぐる(すべての単語が判読可能)<br />
|-<br />
|2<br />
|一部の単語が判読不可能<br />
|-<br />
|1<br />
|ペンは握れるが、字を書けない<br />
|-<br />
|0<br />
|ペンが握れない<br />
|-<br />
| colspan="3" style="background-color:#f0fff0" | 5. 摂食動作: 胃瘻の設置の有無により、(1)(2)いずれかの一方で評価する<br />
|-<br />
| colspan="3" style="background-color:#f0fff0" | (1)(胃瘻なし)食事用具の使い方<br />
|-<br />
| rowspan="5" style="background-color:#f0fff0" |<br />
|4<br />
|正常<br />
|-<br />
|3<br />
|いくぶん遅く、ぎこりないが、他人の助けを必要としない<br />
|-<br />
|2<br />
|フォーク・スプーンは使えるが、箸は使えない<br />
|-<br />
|1<br />
|食物は誰かに切ってもらわなければならないが、なんとかフォークまたはスプーンで食べることができる<br />
|-<br />
|0<br />
|誰かに食べさせてもらわなければならない<br />
|-<br />
| colspan="3" style="background-color:#f0fff0" |(2)(胃瘻あり)指先の動作<br />
|-<br />
| rowspan="5" style="background-color:#f0fff0" |<br />
|4<br />
|正常<br />
|-<br />
|3<br />
|ぎこちないがすべての指先の作業ができる<br />
|-<br />
|2<br />
|ボタンやファスナーをとめるのにある程度手助けが必要<br />
|-<br />
|1<br />
|介護者にわずかに面倒をかける(身の回りの動作に手助けが必要)<br />
|-<br />
|0<br />
|まったく指先の動作ができない<br />
|-<br />
| rowspan="5" style="background-color:#f0fff0" |6. 着衣、身の回りの動作<br />
|4<br />
|障害なく正常に着る<br />
|-<br />
|3<br />
|努力を要するが(あるいは効率が悪いが)独りで完全にできる<br />
|-<br />
|2<br />
|時折、手助けまたは代わりの方法が必要<br />
|-<br />
|1<br />
|身の回りの動作に手助けが必要<br />
|-<br />
|0<br />
|全面的に他人に依存<br />
|-<br />
| rowspan="5" style="background-color:#f0fff0" |7. 寝床での動作<br />
|4<br />
|正常<br />
|-<br />
|3<br />
|いくぶん遅く、ぎこちないが、他人の助けを必要としない<br />
|-<br />
|2<br />
|独りで寝返ったり、寝具を整えられるが非常に苦労する<br />
|-<br />
|1<br />
|寝返りを始めることはできるが、独りで寝返ったり、寝具を整えることができない<br />
|-<br />
|0<br />
|自分ではどうすることもできない<br />
|-<br />
| rowspan="5" style="background-color:#f0fff0" |8. 歩行<br />
|4<br />
|正常<br />
|-<br />
|3<br />
|やや歩行が困難<br />
|-<br />
|2<br />
|補助歩行<br />
|-<br />
|1<br />
|歩行は不可能<br />
|-<br />
|0<br />
|脚を動かすことができない<br />
|-<br />
| rowspan="5" style="background-color:#f0fff0" |9. 階段をのぼる<br />
|4<br />
|正常<br />
|-<br />
|3<br />
|遅い<br />
|-<br />
|2<br />
|軽度に不安定、疲れやすい<br />
|-<br />
|1<br />
|介助を要する<br />
|-<br />
|0<br />
|のぼれない<br />
|-<br />
| colspan="3" style="background-color:#f0fff0" |呼吸(呼吸困難、起坐呼吸、呼吸不全の3項目を評価)<br />
|-<br />
| rowspan="5" style="background-color:#f0fff0" |10. 呼吸困難<br />
|4<br />
|なし<br />
|-<br />
|3<br />
|歩行中に起こる<br />
|-<br />
|2<br />
|日常動作(食事、入浴、着替え)のいずれかで起こる<br />
|-<br />
|1<br />
|坐位あるいは臥床安静時のいずれかで起こる<br />
|-<br />
|0<br />
|極めて困難で補助呼吸装置を考慮する<br />
|-<br />
| rowspan="5" style="background-color:#f0fff0" |11. 起坐呼吸<br />
|4<br />
|なし<br />
|-<br />
|3<br />
|息切れのため夜間の睡眠がやや困難<br />
|-<br />
|2<br />
|眠るのに支えとする枕が必要<br />
|-<br />
|1<br />
|坐位でないと眠れない<br />
|-<br />
|0<br />
|まったく眠ることができない<br />
|-<br />
| rowspan="5" style="background-color:#f0fff0" |12. 呼吸不全<br />
|4<br />
|なし<br />
|-<br />
|3<br />
|間欠的に補助呼吸装置(BiPAPなど)が必要<br />
|-<br />
|2<br />
|夜間に継続的に補助呼吸装置(BiPAPなど)が必要<br />
|-<br />
|1<br />
|1日中(夜間、昼間とも)補助呼吸装置(BiPAPなど)が必要<br />
|-<br />
|0<br />
|挿管または気管切開による人工呼吸が必要<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
===疫学===<br />
本邦では、特定疾患に指定されている難病であり、2013年度の受給者数(約9200人)および他の統計よりALSの有病率は7−10人/10万人と推察されている<ref name=ref1 /><ref name=ref2 />。また発症率は、約2人/10万人/年である。<br />
<br />
世界的に、ALSの有病率はほぼ均一であるが、例外的に発症率が高い地域が、[[wj:紀伊半島|紀伊半島]]([[wj:三重県|三重県]]南部・[[wj:和歌山県|和歌山県]])である。以前は[[wj:グアム島|グアム島]]においても発症率が高かったが、現在ではほぼ世界平均水準となっている。50歳未満での発症は少なく、60−70歳代にかけて最も多く発症する。やや男性に多く発症し、男性患者は女性の1.3−1.4倍である。発症のリスク因子として[[喫煙]]、[[頭部外傷]]やスポーツの関与について報告があるが、その結論は一定していない。<br />
<br />
==診断・検査==<br />
===ALSの診断===<br />
ALSの診断には、<br />
<br />
#上位運動ニューロン徴候([[深部腱反射]]亢進、[[病的反射]]の出現)と下位運動ニューロン徴候(筋萎縮、筋力低下、線維束性収縮)がみられること<br />
#症状が進行性であり、他の部位への進展がみられること<br />
#類似の症状を呈する他の疾患が除外されること<br />
<br />
が要件とされ、診断の確かさを示す診断グレードとともに[[El Escorial基準]]としてまとめられている<ref name=ref3 />(表2)。しかし、診療現場では、発症早期においてすべての要件を満たす例は多くなく、診断感度が低いことが指摘されていた。そこで[[筋電図]]異常をさらに重視した診断基準として2006年にAwaji基準が提唱された<ref name=ref005><pubmed>18164242</pubmed></ref>。<br />
<br />
Awaji基準の特徴は、<br />
#下位運動ニューロン症候に関して筋電図異常と臨床所見を等価と判断すること、<br />
#線維束性収縮電位を急性脱神経所見として採用したことである。 <br />
<br />
1の採用によって、”Clinically probable-laboratory-supported”という診断グレードは廃止された。Awaji基準と改訂El Escorial基準を比較した研究では、診断感度が向上したことが複数のグループから報告されているが、同時に”Clinically probable-laboratory-supported”という診断グレードを廃止して”Clinically probable“に統合したため、上位運動ニューロン障害を示す臨床所見を脳神経・頸髄・胸髄・腰仙髄のうち2部位に認める必要がある点において診断感度が低下した。<br />
<br />
2015年には、”Clinically possible” 診断グレードの取り扱いを中心に、世界神経学会によるEl Escorial基準の一部改訂が行われた。ALSと診断する最低限の所見として以下のいずれか1項目を満たすことが提唱され<ref name=ref006><pubmed>26121170</pubmed></ref>。<br />
<br />
#進行性の上位および下位運動ニューロン症候を少なくとも1領域に認めること(従来のclinically possible ALSカテゴリー)<br />
#下位運動ニューロン症候を2領域に認めること(臨床診断あるいは筋電図所見による)<br />
<br />
また、遺伝性ALSについて以下の基準が提唱された。2親等以内にALSあるいはFTLD患者を有し、家系内でALS原因遺伝子に病的変異を認め、表現型が分離(segregation)される場合に遺伝性ALSと呼ぶ。この場合は、遺伝子所見は、上位運動ニューロン症候あるいは1領域の障害に同等と見なして診断する<ref name=ref006 />。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+表2.改訂El Escorial診断基準(抜粋、1998)<ref name=ref3><pubmed> 11464847 </pubmed></ref><br />
|-<br />
| style="background-color:#f0fff0"|'''ALS診断における必須事項'''<br />
|-<br />
|A. 以下が必要<br>(A:1) 下位運動ニューロン症候が臨床所見、電気生理学的検査、神経病理学的検査で示される。<br>(A:2) 上位運動ニューロン症候が臨床所見で示される。<br>(A:3) 症状、症候が一領域内あるいは他の領域に進行性に広がることが、病歴あるいは所見から示される。<br />
|-<br />
|B. 以下が存在しない<br>(B:1) 上位、下位運動ニューロン症候を説明する他疾患を示す電気生理学的所見あるいは病理学的所見。<br>(B:2) 臨床所見、電気生理学的所見を説明する他疾患を示す神経画像所見。<br />
|-<br />
| style="background-color:#f0fff0"|'''診断グレード'''<br />
|-<br />
|身体を脳幹(脳神経)領域、頸髄領域、胸髄領域、腰仙髄領域の4種類に分ける。<br />
|-<br />
|clinically definite ALS<br>臨床所見で3領域以上に上位および下位運動ニューロン症候を認める。<br />
|-<br />
|clinically probable ALS<br>臨床所見で2領域以上に上位および下位運動ニューロン症候を認め、上位運動ニューロン症候のある部位の一部が下位運動ニューロン症候のある部位よりも頸側にある。<br />
|-<br />
|clinically probable-laboratory-supported ALS<br>臨床所見で上位および下位運動ニューロン症候を1領域のみ、もしくは上位運動ニューロン症候のみを1領域に認め、かつ針筋電図で示された下位運動ニューロン症候を2領域以上で認める。<br />
|-<br />
|clinically possible ALS<br>臨床所見で上位および下位運動ニューロン症候を1領域のみ、もしくは上位運動ニューロン症候のみを2領域以上に認める。<br>下位運動ニューロン症候のある部位を上位運動ニューロン症候のある部位より頸側に認め、clinically probable-laboratory-supported ALSの基準を満たさないものを含む。<br>十分な除外診断を必要とする。<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
===検査所見===<br />
ALSの診断のため、電気生理学的検査([[神経伝導検査]]、筋電図)、血液検査、[[髄液]]検査、神経画像検査などが行われる。<br />
<br />
特に、電気生理学的検査は重要であり、神経伝導検査により、[[脱髄性ニューロパチー]]や[[感覚神経障害]]を来す他の[[末梢神経]]疾患を除外することができる。ALSの神経伝導検査では、運動神経における[[複合筋活動電位]] (compound muscle action potential)の振幅低下が主な所見であり、[[伝導遅延]]や[[伝導ブロック]]は認めない。また感覚神経伝導は正常である。[[針筋電図]]では、脱神経所見(神経変性により[[骨格筋]]が運動神経による支配を受けなくなる状態)を検出する。具体的には、[[線維束性収縮電位]] (fasciculation potentials)、[[線維自発電位]] (fibrillation potentials)、[[陽性棘波]] (positive sharp wave)と呼ばれる筋線維の自発的放電など脱神経早期の現象を反映した所見がみられる。また,慢性脱神経所見として、運動単位の振幅増大、運動単位発射頻度の増加など、脱神経が進行して、少ない運動神経でより多くの筋線維を支配する現象を反映した所見がみられる。<br />
<br />
また、[[MRI]]などの[[神経画像検査]]により、筋力低下を来す脳、脊髄疾患の鑑別を行う。ALSにおいては、[[T2強調画像]]において[[錐体路]]の高信号化の所見がみられることがある。血液・髄液検査では、ALSにおいて特徴的な異常所見はなく、他疾患の鑑別のために行われる<ref name=ref1 /><ref name=ref2 />。<br />
<br />
===鑑別診断===<br />
ALSと鑑別すべき疾患として、[[脊髄性筋萎縮症]]、[[球脊髄性筋萎縮症]]、[[ポリオ後症候群]]、[[多巣性運動ニューロパチー]]、[[遺伝性ニューロパチー]]、[[多発性硬化症]]、[[筋炎]]、[[頸椎症]]、[[筋無力症]]など[[神経筋接合部]]の疾患、[[重金属中毒]]などがある。<br />
<br />
==治療==<br />
個々の治療法について、米国神経学会(American Academy of Neurology: AAN)あるいは日本神経学会(JNS)のALS診療ガイドラインにおけるグレード分類(表3)を示す<ref name=ref007><pubmed>19822873</pubmed></ref>。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+ 表3.米国神経学会(AAN)あるいは日本神経学会(JNS)のALS診療ガイドラインにおけるグレード分類<ref>'''Minds診療ガイドライン選定部会監修'''<br>Minds診療ガイドライン作成の手引き2007<br>''医学書院''</ref><br />
|-<br />
| colspan="2"|'''AAN Level of Recommendations'''<br />
|-<br />
| Level A<br />
| Established<br />
|-<br />
| Lebel B<br />
| Probable<br />
|-<br />
| Level C<br />
| Possible<br />
|-<br />
| Level U<br />
| Data inadequate or conflicting<br />
|-<br />
| colspan="2"|'''日本神経学会診療ガイドライン:グレード分類'''<br />
|-<br />
|グレードA<br />
|強い科学的根拠があり、行うよう強く勧められる<br />
|-<br />
|グレードB<br />
|科学的根拠があり、行うよう勧められる<br />
|-<br />
|グレードC1<br />
|科学的根拠はないが、行うよう勧められる<br />
|-<br />
|グレードC2<br />
|科学的根拠がなく,行わないよう勧められる<br />
|-<br />
|グレードD<br />
|無効性あるいは害を示す科学的根拠があり、行わないよう勧められる<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
===薬物療法===<br />
[[リルゾール]](商品名:リルテック)が長年ALS治療薬として推奨、使用されてきた(JNS, グレードA; AAN, レベルA)。リルゾールは、[[グルタミン酸]]による[[興奮神経毒性]]を抑制することで運動神経保護作用を発揮すると考えられている。これまでに行われた臨床治験からは、生存期間を平均2-3ヶ月延長する効果があることが知られている。<br />
<br />
2015年より本邦においては、[[エダラボン]](商品名:ラジカット)の点滴投与が発症早期のALSに対して保険適用となった。エダラボンは、[[酸化ストレス]]の軽減を通じた神経保護剤として[[脳梗塞]]急性期において使用されているが、早期ALS患者に限定した比較試験で、臨床症状の進行を遅らせる効果が認められた<ref name=ref4><pubmed> 25286015 </pubmed></ref>。<br />
<br />
===栄養・理学療法===<br />
早期に体重が減少するケースは、ALSの予後不良因子として知られている。そこで、初期の体重減少を食い止めるため、栄養管理の重要性が提唱されている(JNS, グレードB)。ALSの症状の進行により、むせや嚥下障害による低栄養に対して、経口摂取を中止あるいは楽しみ程度として、胃瘻造設などによる経腸栄養を主栄養とすることは進行期の治療として定着している(JNS, グレードC1; AAN, レベルB)が、治療としての早期における栄養管理の検討が必要と考えられる。また、筋力保持や、関節の拘縮防止のため、[[理学療法]]も行われるが、過度の過重は筋力低下を増悪する可能性も指摘されている。<br />
<br />
===呼吸管理===<br />
ALSでは呼吸筋の麻痺による呼吸不全が死因となることがほとんどである。人工呼吸器の装着の判断は、疾患の告知とともに重要な問題となっている。呼吸不全の早期において、マスクによる呼吸補助(非侵襲的換気、Non-invasive Ventilation:NIV)を用いることで呼吸症状の一時的な改善や肺炎の予防を通じた生命予後の改善に結びついている(JNS, グレードB; AAN, レベルB)。<br />
<br />
===コミュニケーション===<br />
進行期では、四肢の麻痺や声が出しにくくなるため、コミュニケーションをとることが困難となる。目の動きを用いた文字盤による方法や、コンピューター等の方法により意思伝達を行うことが可能である。脳活動や脳血流をモニタリングして意思疎通を行う[[BMI]] (brain machine interface)の開発が進行しており、近い将来ALS患者への応用が期待される。<br />
<br />
==病理所見==<br />
[[image:脳科学辞典Fig1 (ALS).jpg|thumb|300px|'''図1.孤発性ALSにおけるTDP-43陽性封入体'''<br>孤発性ALS腰髄におけるTDP-43陽性の円形封入体(矢印)、スケイン様封入体(*)。TDP-43抗体による免疫組織染色<br>漆谷 真先生(京都大学)提供]]<br />
[[image:脳科学辞典Fig2 (ALS).jpg|thumb|300px|'''図2.Bunina小体'''<br>孤発性ALS前角におけるBunina小体(矢印)。HE染色、200倍<br>故 中野今治先生(元自治医科大学)提供]]<br />
<br />
大脳皮質の上位運動ニューロンおよび脊髄の下位運動ニューロンに選択的な変性と脱落を認める。特に脊髄では、下位運動ニューロンの変性に伴って、[[髄鞘]]の崩壊や反応性[[グリオーシス]]の亢進が顕著である。また、下位運動ニューロン[[軸索]]近位には[[ニューロフィラメント]]が蓄積して腫大した[[スフェロイド]]が認められる。通常、[[大脳]]の萎縮は認められないが、一部のALS症例で[[中心前回]]、特に錯体路の萎縮を認めるほか、FTLDを伴うALSでは[[側頭葉]]を中心とした萎縮が見られる<ref name=ref1 />。<br />
<br />
===TDP-43陽性封入体===<br />
これまで、FTLDは病理学的に[[タウ]]の蓄積を認めるもの([[FTLD-tau]])と、[[ユビキチン]]陽性、タウ陰性封入体を伴うもの([[FTLD-U]])の2群に分類されてきた。2006年、Araiら<ref><pubmed>17084815</pubmed></ref>、およびNeumannら<ref><pubmed> 17023659 </pubmed></ref>は、FTLD-UとALSに共通して認められるユビキチン陽性・タウ陰性の[[封入体]]の主要構成タンパク質としてTDP-43(TAR DNA binding protein 43)を同定した。この発見により、FTLDとALSがTDP-43の異常化を伴って神経変性を生じるという共通した疾患機序に基づくことが明らかとなった。<br />
<br />
ALSやFTLDにおけるTDP-43陽性封入体は、[[アルツハイマー病]]におけるタウやパーキンソン病における[[α-シヌクレイン]]と同様、線維構造をとった異常構造物として神経細胞内における[[スケイン様封入体]] (skein-like inclusion)や[[円形封入体]]、または[[グリア細胞]]内封入体として観察される(図1)。TDP-43陽性封入体は''[[SOD1]]''変異による家族性ALSを除いた、ほぼ全てのALSにおいて共通して見られることから、ALSの病態に深く関与していることが考えられる。生化学的解析から、病巣に蓄積したTDP-43は一部がC末端側で断片化しており、更に強い[[リン酸化]]を受けていることが判明している。[[培養細胞]]を用いた複数の研究から、TDP-43のC末端側断片はTDP-43凝集の核となることが示唆されているが、ALS患者の病巣から複数の断片が検出されることを根拠として凝集が先に生じる可能性も指摘されており、TDP-43陽性封入体の形成機序はALSの重要な研究課題となっている<ref><pubmed> 20102522 </pubmed></ref>。<br />
<br />
===ブニナ小体===<br />
[[ブニナ小体]]とは残存運動ニューロンの細胞質に存在する好酸性の微小な円形封入体(図2)で、1962年にBuninaによって初めて報告された。通常、ブニナ小体は孤発性ALSの特徴として認められるが、TDP-43変異を有する遺伝性ALSでも高頻度に出現する。シスタチンC、トランスフェリン、およびペリフェリンに対する[[免疫]]組織染色で陽性を示すことから、これらのタンパク質が構成因子であると考えられているが、現在までのところALSの病態におけるブニナ小体の意義は不明である<ref><pubmed> 18069968 </pubmed></ref><ref><pubmed> 21241994 </pubmed></ref>。<br />
<br />
==病態生理==<br />
===ALSの環境要因===<br />
ALSの集積地帯として知られたる紀伊半島やグアムでは、家族性発症率こそ高いもののメンデル様式の遺伝を示さないこと、および発症率に年代間で差があることから環境要因の存在が考えられた。しかし、現在までALSの原因となることを実証した環境要因は存在しない<ref><pubmed> 24126629 </pubmed></ref>。<br />
<br />
===家族性ALSの原因遺伝子===<br />
現在までに約20種類あまりの遺伝子が家族性ALSの原因遺伝子として同定されている(表4)。本邦で頻度の高い遺伝子異常として、''SOD1''(家族性ALSの約20%)、''[[FUS]]''/''[[TLS]]'' (約1−5%)、''[[TARDBP]]'' (TDP-43: 約1%)が知られる。''[[C9orf72]]''変異によるFTLDを伴うALS([[FTLD-ALS]])の頻度は、人種、地域によってかなり異なる。欧米では家族性ALSの約30-50%を占め、家族性ALSの原因として最も頻度が高いが、日本を含む東アジアでは極めて少ない。代表的な遺伝子を以下に概説する。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+表4. 家族性ALSの原因遺伝子(Online [[Mendelian Inheritance in Man]]; [http://www.ncbi.nlm.nih.gov/omim OMIM] より作成)<br />
| align="center" style="background:#f0f0f0;"|'''型名'''<br />
| align="center" style="background:#f0f0f0;"|'''遺伝子座'''<br />
| align="center" style="background:#f0f0f0;"|'''遺伝子名'''<br />
| align="center" style="background:#f0f0f0;"|'''遺伝形式'''<br />
|-<br />
| [[ALS1]]||21q22||[[Cu/Znスーパーオキシドジスムターゼ1]] ([[SOD1]])||AD<br />
|-<br />
| [[ALS2]]||2q33||[[アルシン]] ([[alsin]], [[ALS2]])||AR<br />
|-<br />
| [[ALS3]]||18q21||||AD<br />
|-<br />
| [[ALS4]]||9q34||[[センタキシン]] ([[sentaxin]], [[SETX]])||AD<br />
|-<br />
| [[ALS5]]||15q15-21||[[スパタクシン]] ([[Spatacsin]], [[SPG11]])||AR<br />
|-<br />
| [[ALS6]]||16q11.2||[[Fused in salcoma/translocated in liposarcoma]] ([[FUS]]/[[TLS]])||AD<br />
|-<br />
| [[ALS7]]||20p13||||AD<br />
|-<br />
| [[ALS8]]||20q13.3||[[Vesicle associated membrane protein-associated protein B]] ([[VAPB]])||AD<br />
|-<br />
| [[ALS9]]||14q11.2||[[アンジオジェニン]] ([[angiogenin]], [[ANG]])||AD<br />
|-<br />
| [[ALS10]]||1p36.2||[[TAR DNA結合タンパク質]] ([[TARDBP]])||AD<br />
|-<br />
| [[ALS11]]||6q21||[[FIG4]]||AD<br />
|-<br />
| [[ALS12]]||10p13||[[オプチニューリン]] ([[optineurin]], [[OPTN]])||AD/AR<br />
|-<br />
| [[ALS13]]||12q24.12||[[アタキシン2]] ([[ataxin2]], [[ATXN2]])||AD<br />
|-<br />
| [[ALS14]]||9p13||[[Vasolin-containing protein]] ([[VCP]])||AD<br />
|-<br />
| [[ALS15]]||Xp11.21||[[ユビキリン2]] ([[Ubiquillin 2]], [[UBQL2]])||XD<br />
|-<br />
| [[ALS16]]||9p13.3||[[Sigma non-opioid receptor 1]] ([[SIGMAR1]])||AR<br />
|-<br />
| [[ALS17]]||3p11.2||[[Chromatin-modifying protein 2B]] ([[CHMP2B]])||AD<br />
|-<br />
| [[ALS18]]||17p13.3||[[プロフィリン1]] ([[PFN1]])||AD<br />
|-<br />
| [[ALS19]]||2q33.3-34||''[[ERBB4]]''||AD<br />
|-<br />
| [[ALS20]]||12q13.13||[[ヘテロ核リボヌクレオタンパク質]] ([[ヘテロ核リボヌクレオタンパク質|Heterogenous nuclear ribonucleotide protein A1]], [[HNRNPA1]])||AD<br />
|-<br />
| [[ALS21]]||5q31.2||[[マトリン3]] ([[Matrin 3]], [[MATR3]])||AD<br />
|-<br />
| [[ALS22]]||2q35||[[チューブリン|チューブリンα-4A]] ([[チューブリン|TUBA4A]])||AD<br />
|-<br />
| [[FTD-ALS1]]||9p21.2||[[C9orf72]]||AD<br />
|-<br />
| [[FTD-ALS2]]||22q11.23||[[CHCHD10]]||AD<br />
|-<br />
| [[FTD-ALS3]]||5q35.3||[[SQSTM1]] ([[p62]])||AD<br />
|-<br />
| [[FTD-ALS4]]||12q14.2||[[TBK1]]||AD<br />
|-<br />
| ||2q13.1||[[ダイナクチン1]] (DCTN1)||AD<br />
|-<br />
| ||12q24||[[D-アミノ酸酸化酵素]] (DAO)||AD<br />
|}<br />
<br />
AD:[[常染色体優性遺伝]]、AR:[[常染色体劣性遺伝]]、XD:[[伴性優性遺伝]]<br />
<br />
AD: [[常染色体優性遺伝]]様式、AR: [[常染色体劣性遺伝]]様式、XD: [[伴性優性遺伝]]様式、FTD-ALS: 前頭側頭葉型認知症(Frontotemporal dementia; FTD)を伴うALS<br />
<br />
====SOD1====<br />
''SOD1''変異は家族性ALSの約20%を占め、本邦で最も頻度の高い遺伝子変異であり、150種類以上の変異が報告されている。また、孤発性ALSの一部にもSOD1変異を認める。SOD1は[[スーパーオキシドラジカル]](O<sup>2−</sup>)を除去する酵素であるが、ALSの発症には変異SOD1自身の酵素活性は関係していない。従って、変異に伴う毒性獲得(gain of toxicity)がALSを引き起こす原因と考えられている。変異SOD1タンパク質には三次構造に大きな異常が見られることから、異常なオリゴマーの形成や蓄積に伴い、後述するタンパク質代謝異常や[[カルシウム]]シグナルの異常化、[[軸索輸送]]障害などの複数の毒性を発揮して、運動神経変性を引き起こすと考えられている<ref><pubmed> 11715057 </pubmed></ref>。<br />
<br />
====TARDBP (TDP-43)====<br />
孤発性ALSで封入体を形成するTDP-43についても、コードする''TARDBP''遺伝子上で[[常染色体優性遺伝]]形式による家族性ALSの家系が複数報告されている。孤発性ALSと同様に、病巣におけるTDP-43の異常蓄積は単なる二次的な変化ではなく、ALSの分子病態に一次的に関わると考えられている。しかし、TDP-43がSOD1の場合と同様に毒性獲得の機序に従うかは、未だ議論がある。TDP-43[[ノックアウトマウス]]は胎生致死で、生体内でもそのタンパク質量が厳格に制御されていることや、ALSではTDP-43が運動神経細胞の核から消失することから、機能喪失による神経変性機序(loss of function)も考えられている。一方、TDP-43変異によるALSが優性遺伝することや変異TDP-43[[トランスジェニックマウス]]が運動障害を示すことは毒性獲得説を示唆しており、今後の研究による解明が待たれる<ref name=ref12><pubmed> 23931993 </pubmed></ref><ref name=ref13><pubmed> 23524377 </pubmed></ref>。<br />
<br />
====FUS/TLS====<br />
''FUS/TLS''遺伝子がコードするFUSはRNA結合タンパク質で、TDP-43と同様、通常は核に局在するが、患者由来の変異FUSは細胞質へ蓄積し、FUS陽性/TDP-43陰性の[[好塩基性封入体]]を形成する。FUSはTDP-43に類似した構造や機能をもち、少なくとも一部は共通したRNA代謝異常の機序によってALSを発症すると考えられる<ref name=ref14><pubmed> 23023293 </pubmed></ref>。<br />
<br />
====C9orf72====<br />
2011年に''C9orf72''が家族性FTLD-ALSの原因遺伝子として報告された。C9orf72によるFTLD-ALSは優性遺伝により発症し、患者では遺伝子のイントロンにおけるGGGGCC繰り返し配列(リピート)の異常な伸長がみられ、ALSの一部は[[リピート病]]として発症することが明らかとなった<ref><pubmed> 21944778 </pubmed></ref><ref><pubmed> 21944779 </pubmed></ref>。<br />
<br />
''C9orf72''のGGGGCCリピートは、健常者で30リピート未満であるが、ALS/FTD患者では700〜1600近くに異常伸長している。異常リピートの保有率には地域差および人種差が存在し、北欧、特にフィンランドで最も多いことから、高い創始者効果をもった変異であると考えられている。''C9orf72''遺伝子の機能は不明であるが、最近、C9orf72欠損[[マウス]]がALS様の症状を示さないと報告された<ref><pubmed> 26044557 </pubmed></ref>ことから、C9orf72の異常は機能喪失よりも、むしろ毒性獲得によりALSを引き起こすことが示唆された。このGGGGCCリピートに由来する[[mRNA]]は核内での異常な[[RNA凝集体]]の形成(RNA foci)、および[[wj:開始コドン|開始コドン]]非依存的な[[翻訳]]産物の蓄積(repeat associated non-ATG translation; RAN)を介して、運動神経への毒性を引き起こすと考えられている<ref><pubmed> 25638642 </pubmed></ref>。しかし、最近報告された、[[wj:人工染色体|人工染色体]]により異常型''C9orf72''を導入したマウスではRNA fociの形成やRAN産物の蓄積などの病態は再現されたものの運動神経変性は生じておらず<ref name=ref19><pubmed> 26637797 </pubmed></ref><ref name=ref20><pubmed> 26637796 </pubmed></ref>、''C9orf72''の異常が運動神経変性を引き起こす機序について、より詳細な検討が必要と考えられる。<br />
<br />
====その他====<br />
上記の遺伝子のほかに、[[オプチニューリン]] (''OPTN'')や''[[ERBB4]]''遺伝子変異を有する家族性ALSが本邦で発見、報告されている。<br />
<br />
===ALSの動物モデル===<br />
変異SOD1を過剰発現するトランスジェニックマウス(SOD1tgマウス)では、運動神経に[[細胞死]]が起こることによって進行性に下肢の麻痺や筋萎縮を示し、ALSの症状や病理変化をよく再現することからALSの[[モデル動物]]として頻用されている<ref><pubmed> 8209258 </pubmed></ref>。しかし、''SOD1''変異に伴うALSの病理組織ではTDP-43陽性封入体やブニナ小体を欠くなど、その病態が孤発性ALSと必ずしも一致しないことから、より孤発性ALSに近い病態の再現を目指した新たな[[動物モデル]]の作製が盛んに試みられている。具体的には、変異TDP-43や変異FUSを発現するトランスジェニックマウスが報告されている<ref name=ref13 />ほか、[[アデノ随伴ウイルスベクター]](AAV vector)<ref><pubmed> 25977373 </pubmed></ref>や人工染色体<ref name=ref19 /><ref name=ref20 />を用いて、''C9orf72''の異常なリピート伸長を導入したマウスなどが報告されているが、運動神経に選択的な細胞死が起こる[[モデル動物]]の樹立には至っていない。<br />
<br />
==神経細胞内の分子病態==<br />
===興奮毒性===<br />
上位と下位の運動神経間のシグナル伝達はグルタミン酸を[[神経伝達物質]]として用いるが、過剰のグルタミン酸は[[カルシウムイオン]]の細胞内への過剰な流入を引き起こして、有害であることが知られている。ALS患者の脊髄やSOD1tgマウスでは、[[シナプス]]間隙におけるグルタミン酸の回収を担う、[[アストロサイト]]の[[グルタミン酸トランスポーター]][[GLT1]]/[[EAAT2]]の発現が低下しており、グルタミン酸回収量が低下している。また、孤発性ALSにおいて、運動神経の[[グルタミン酸受容体]]である、[[AMPA型グルタミン酸受容体]]が[[RNA編集]]の異常に伴ってカルシウムイオン易透過性になっていることも明らかにされた<ref><pubmed> 24355598 </pubmed></ref><ref><pubmed> 14985749 </pubmed></ref>。これらの異常により、運動神経への過剰なカルシウムイオンの流入が生じ、運動神経の変性を引き起こすものと考えられている。<br />
<br />
最近の研究で、カルシウムイオン依存性の[[タンパク質分解酵素]]である[[カルパイン]]がTDP-43の異常断片化と易凝集化に関与していることが報告されたことも、興奮毒性の機序がALSにおける運動神経変性に深く関与していることを示唆している<ref><pubmed> 23250437 </pubmed></ref>。また、ALSの治療薬リルゾールは、主としてグルタミン酸受容体に対する拮抗阻害効果を通じて、この興奮毒性を緩和することが作用機序であると考えられている。<br />
<br />
===ミトコンドリア障害===<br />
[[ミトコンドリア]]は細胞のエネルギー産生器官として重要であり、[[酸化ストレス]]の原因となる活性酸素の産生や[[アポトーシス]]の誘導に深く関与する。<br />
<br />
ALSの病態に関連した研究として、SOD1tgマウスにおいて変異SOD1がミトコンドリアの外膜に蓄積し、ミトコンドリアの[[ATP]]産生を抑制すること、変異SOD1の存在下ではミトコンドリアのカルシウムイオンの緩衝作用が低下していること、また変異TDP-43の過剰発現に伴ってミトコンドリアの分裂が促進されることなどが報告されている。ミトコンドリアの品質管理異常が神経細胞変性につながることは、主に[[パーキンソン病]]に関してよく研究されているが、エネルギー要求度の高い運動神経が傷害されるALSにおいてもミトコンドリアの障害や異常なミトコンドリアの蓄積が運動神経変性に深く関与していることが推察される<ref><pubmed> 24568860 </pubmed></ref>。<br />
<br />
===小胞体ストレス===<br />
[[小胞体ストレス]](endoplasmic reticulum stress; ER-stress)とは、正常な三次構造を形成できなかったタンパク質が小胞体に蓄積し、細胞への傷害を及ぼす現象である。このような悪影響を回避するため、細胞では小胞体[[ストレス応答]]によって[[分子シャペロン]]や[[小胞体関連分解]](endoplasmic reticulum associated degradation; ERAD)が惹起され、速やかに異常タンパク質を除去される。SOD1tgマウスを用いた検討から、発症前の極めて早期から小胞体ストレス応答が活性化していることや、ERADの阻害に伴う過剰な小胞体ストレス応答により神経細胞死が引き起こされることが判明している<ref><pubmed> 21834058 </pubmed></ref>。<br />
<br />
===タンパク質分解障害===<br />
ユビキチン-[[プロテアソーム]]系(ubiquitin-proteasome system; UPS)は、細胞内の不要または異常なタンパク質を選択的に分解する重要な経路であり、その機能不全はALSに限らず、多くの神経変性疾患に共通して重要であると考えられている<ref><pubmed> 14556719 </pubmed></ref>。TDP-43陽性封入体を含め、ユビキチン陽性の封入体はALSの病巣において多数認められ、またプロテアソームの阻害が病態を増悪させて封入体の形成を促進することが知られている。<br />
<br />
一方、細胞内における不要タンパク質のもう1つの分解系として、[[オートファジー]]と呼ばれる機構が存在し、細胞内の不要な物質や小器官を[[オートファゴソーム]]と呼ばれる二重膜で包んだ後、[[リソソーム]]との融合により分解している。ALSでは[[LC3]]や[[p62]]といったオートファジー関連タンパク質の異常な蓄積やオートファゴソームの数の増加が見られることに加え、家族性ALSの原因遺伝子であるオプチニューリン、および潜在的なALSの原因遺伝子として報告された[[TBK1]]([[TANK-binding kinase 1]])はオートファジーの制御因子として知られており、オートファジー機構の破綻がALSにおける神経細胞変性に関与していることが示唆されている<ref><pubmed> 23921753 </pubmed></ref>。しかし、運動神経におけるオートファジーの誘導が神経細胞保護的であるのか、または過剰なオートファジーが細胞傷害的に影響しているのかは未だ議論がある。現時点では、薬剤等の投与を通じたオートファジーの誘導による運動神経保護に関して、十分な有効性は示されていない。<br />
<br />
===RNA代謝異常===<br />
家族性ALSの原因遺伝子にはTDP-43、FUS、[[hnRNAPA1]]/[[HnRPA2B1|A2B1]]など、[[RNA結合タンパク質]]をコードする遺伝子が多数含まれており、変異に伴うRNA代謝の異常がALSを引き起こすことが示唆される。TDP-43やFUSはイントロンに結合してmRNAのスプライシングや安定性の制御に関与しており、これらの不調によるスプライシング異常や遺伝子制御異常がALSの病態に関与することが示唆されている<ref name=ref14 /><ref><pubmed> 21358643 </pubmed></ref><ref><pubmed> 21358640 </pubmed></ref><ref><pubmed> 25968143 </pubmed></ref>。また、ALSの運動神経ではTDP-43が制御する[[スプライシング複合体]]、[[スプライソソーム]]の異常の報告がある<ref><pubmed> 23255347 </pubmed></ref>。これらのタンパク質は細胞内でストレス下の翻訳抑制などに関わる[[ストレス顆粒]](stress granule)と呼ばれる構造の構成分子であり、過剰なストレス顆粒の形成が神経細胞死に関与する可能性が指摘されている<ref name=ref12 />。<br />
<br />
===細胞内輸送障害===<br />
運動神経は細胞体と末梢の神経筋接合部までを結ぶ、極めて長い軸索を有している。タンパク質や[[脂質]]などの合成や分解は主に[[細胞体]]で行われるため、軸索中の細胞内輸送は運動神経の機能に必須である。長い軸索を有する運動神経は細胞内輸送の破綻に対して脆弱であり、運動神経に選択的な変性につながるものと考えられる。これまで、ALSをはじめとして、[[球脊髄性筋萎縮症]]([[spinal and bulbar muscular atrophy]]; [[SBMA]])など、運動神経の変性を伴う多くの疾患で軸索機能の異常が報告されている<ref><pubmed> 18558852 </pubmed></ref>。<br />
<br />
細胞内輸送に関わる家族性ALSの原因遺伝子として、[[アルシン]] (alsin)、[[プロフィリン|プロフィリン1]] (profilin 1)、[[CHMP2B]]、[[ダイナクチン|ダイナクチン1]] (dynactin 1)などが報告されている。これらの動物モデルでは、ALS患者で見られる軸索の腫大化とニューロフィラメントの蓄積を伴って、運動機能障害を呈する。また、孤発性ALSではダイナクチン1の発現が低下して、軸索内の輸送に障害が生じていることが報告された<ref><pubmed> 15668976 </pubmed></ref>。<br />
<br />
===酸化ストレス===<br />
ALS患者の脊髄やSOD1tgマウスの腰髄では、タンパク質の[[カルボニル化]]や[[8-オキソ-2’-デオキシグアニン]]といった[[酸化ストレス]]マーカーが顕著に増加している。酸化ストレスは[[過酸化脂質]]の生成を介してスーパーオキシドラジカルを発生させて細胞傷害的に作用し、特に脳や神経系は脂質に富み、酸化ストレスに脆弱であることから、酸化ストレスの緩和はALSにおける神経細胞変性を抑制するための重要な標的と考えられている。実際、酸化ストレスを軽減する[[抗酸化物質]]の投与はSOD1tgマウスを用いた系で有効であることが報告されている<ref><pubmed> 16713195 </pubmed></ref>。さらに、酸化ストレスを軽減するエダラボンは、早期例に限定したALS治療薬として本邦で使用されている。<br />
<br />
==グリア細胞関連病態==<br />
ALSの脊髄では顕著な[[反応性グリオーシス]]の亢進が見られ、[[ミクログリア]]の活性化やアストロサイトの増殖、肥大化が観察されてきた。このような変化は従前、運動神経変性に伴う二次的なものと考えられてきたが、SOD1tgマウスにおいて、グリア細胞選択的に変異SOD1を除去するとSOD1tgマウスの生存期間が延長することから、グリア細胞が積極的にALSの病態に関与して運動神経変性を制御していることが明らかとなった<ref><pubmed> 16741123 </pubmed></ref><ref><pubmed> 18246065 </pubmed></ref>。このように非神経細胞であるグリア細胞の異常が[[細胞死|神経細胞死]]を引き起こすことを「[[非自律性の神経細胞死]](non-cell autonomous neuronal death)」と呼び、グリア細胞の病的変化が神経変性を促進するメカニズムを明らかにすることが重要な研究課題のひとつとなっている<ref><pubmed> 19951898 </pubmed></ref>。<br />
<br />
==関連項目==<br />
* [[運動ニューロン]]<br />
* [[Cu/Znスーパーオキシドジスムターゼ1]]<br />
* [[TDP-43]]<br />
* [[脊髄性筋萎縮症]]<br />
* [[球脊髄性筋萎縮症]]<br />
* [[前頭側頭葉変性症]]<br />
<br />
==外部リンク==<br />
*[https://www.neurology-jp.org/guidelinem/als2013_index.html 筋萎縮性側索硬化症診療ガイドライン2013]<ref name=ref2 /><br />
==参考文献==<br />
<references /></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E9%A0%AD%E7%97%9B&diff=37059
頭痛
2017-01-09T11:02:21Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">竹島多賀夫</font><br><br />
''医療法人寿会 富永病院 神経内科・頭痛センター''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2015年9月23日 原稿完成日:2015年12月22日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
英語名:headache、cephalalgia 独:Kopfschmerz 仏:Céphalée、mal de tête <br />
<br />
{{box|text=<br />
頭痛を主症状とする疾病は頭痛性疾患としてまとめられている。他に原因となる疾患が無いものを一次性頭痛、他の疾患によるものを二次性頭痛とする。一次性頭痛は、片頭痛、緊張型頭痛、群発頭痛が代表的である。頭痛診断は、国際頭痛学会から公開されている国際頭痛分類と診断基準(第3版beta版、2013)に従う。一次性頭痛は通常生命を脅かすことはないが、生活に支障をきたし健康寿命を短縮させる疾病であり対策が求められている。片頭痛は閃輝暗点等の前兆の有無により、前兆のある片頭痛と前兆のない片頭痛に大別される。片頭痛発作にはセロトニン作動薬であるトリプタンが奏功する。急性期治療薬のみでは十分な治療効果が得られない場合は片頭痛予防薬を用いる。片頭痛の頻度が増加する慢性片頭痛が注目されている。緊張型頭痛は頭痛の頻度により反復性と慢性に細分類されている。群発頭痛と類縁の頭痛性疾患が三叉神経・自律神経性頭痛としてまとめられ疾患概念が整理されてきた。二次性頭痛には様々な疾患によって引き起こされる頭痛がある。片頭痛など、一次性頭痛が他の疾患により増悪したのか、他の疾患により新たな二次性頭痛が発生したのかは常に考慮が必要である。<br />
}}<br />
<br />
==定義==<br />
頭痛は頭部の一部あるいは全体の[[痛み]]の総称。後頭部と[[wikipedia:ja:頚|頚]](後頚部)の境界、眼の奥の痛みも頭痛として扱う。頭皮の[[wikipedia:ja:外傷|外傷]]や[[wikipedia:ja:化膿|化膿]]などによる頭の表面の一部の痛みは通常は頭痛には含めない。 頭痛は、[[発熱]]や[[腹痛]]と同様に症状の名称であるが、慢性的に頭痛発作を繰り返す場合は頭痛性疾患(headache disorder)として扱う。<br />
<br />
==メカニズムと疼痛感受部位==<br />
一般的に[[疼痛]]は発生メカニズムにより、[[侵害受容性痛]]、[[神経障害性痛]]、[[心因性痛]]に分類される。<br />
<br />
頭痛の多くは侵害受容性痛と考えられている。頭蓋外の[[皮膚]]、[[筋肉]]、[[血管]]には[[痛覚受容器]]が存在し、疼痛感受部位になりうる。皮膚の刺激は限局した疼痛が発生するが、血管が刺激されると、より広汎な部位の疼痛として認識される。頭蓋の[[骨]]組織は痛覚受容器が存在せず、侵害刺激が加わっても痛みを発生しないが、[[骨膜]]には痛覚受容器があり、疼痛が発生する。<br />
<br />
頭蓋内では、脳実質は痛覚受容器が無く、無痛であるが、[[静脈洞]]や[[脳硬膜]]に分布する動脈、脳底部の動脈は疼痛感受部位である。頭蓋内組織に侵害刺激が加わると、その部位のみならず、[[関連痛]]として広範な部位の頭痛として感じられる。<br />
<br />
頭痛発生の一般的メカニズムとして、痛覚感受部位の炎症、圧迫、牽引、脳動脈の伸展や拡張、炎症、頭頚部の持続的筋収縮、[[脳神経]]([[三叉神経]]、[[中間神経]])や上部[[頚髄]][[脊髄神経]]の圧迫などがあげられる。頭痛の進展や慢性化には[[神経障害性痛]]の関与も示されている。 <br />
<br />
==頭痛の分類と診断 国際頭痛分類第3版==<br />
頭痛の系統的分類は1962年に[[wj:アメリカ国立衛生研究所|米国衛生研究所]]のad-hoc委員会で作成された分類が、いわゆる"''ad hoc''分類"として広く認知されていた<ref name=ref1>''Headache AHCoCo'''<br>Classification of headache. <br>''Journal of the American Medical Association.''179:717-718, 1962.</ref>。1988年には[[wikipedia:ja:国際頭痛学会|国際頭痛学会]]が頭痛分類と診断基準の初版<ref name=ref2><pubmed>3048700</pubmed></ref>を刊行し、2004年に第2版<ref name=ref3><pubmed>14979299</pubmed></ref>、2013年に第3版beta版<ref name=ref4><pubmed>23771276</pubmed></ref>が公開されている。第2版<ref name=ref5>'''日本頭痛学会・国際頭痛分類普及委員会訳'''<br>国際頭痛分類第2版 新訂増補日本語版<br>東京: ''医学書院''; 2007.</ref>、第3版beta版の日本語版<ref name=ref6>'''日本頭痛学会・国際頭痛分類委員会訳'''<br>国際頭痛分類第3版beta版<br>東京: ''医学書院''; 2014.</ref>が書籍として刊行されており、[[wikipedia:ja:日本頭痛学会|日本頭痛学会]]の[https://www.jhsnet.org/kokusai_new_2015.html Webサイト]で全文を閲覧できる。 <br />
<br />
[[wikipedia:ja:国際頭痛分類|国際頭痛分類]]は[[wikipedia:ja:国際疾病分類|国際疾病分類]]との整合性に配慮されており、分類は階層化されている。さらに、各頭痛の[[操作的診断基準]]が記載されている。第1部 [[一次性頭痛]]、第2部 [[二次性頭痛]]、第3部:[[有痛性脳神経ニューロパチー]]、他の顔面痛およびその他の頭痛に大別され、14のグループに分類されている(表1)。ICHD-3βの頭分類は階層的に作成されており、コード番号が割り振られている。各頭痛性疾患には操作的診断基準が掲載されている。<br />
<br />
[[一次性頭痛]]は、頭痛の原因となる他の患がなく、頭痛そのものが障害となっている神経疾患である。[[片頭痛]]、[[緊張型頭痛]]、[[三叉神経・自律神経性頭痛]]([[群発頭痛]])が代表的である。<br />
<br />
[[二次性頭痛]]とは、頭蓋内や頭部、顔面、全身の疾患の症状として頭痛が出現するものである。二次性頭痛には、頭蓋内疾患、脳血管障害など多くの原因が挙げられる。国際頭痛分類第3版beta版(ICHD-3β)では、第二部、5章以降に掲載されている(表1)。<br />
<br />
{| class="wikitable" <br />
|+ 表1.国際頭痛分類第3版beta版(ICHD-3β)の大項目(グループ) <br />
|- <br />
| '''第1部:[[一次性頭痛]]'''<br> 1.[[片頭痛]]<br> 2.[[緊張型頭痛]]<br> 3.[[三叉神経・自律神経性頭痛]](trigeminal autonomic cephalalgias, TACs)<br> 4.その他の一次性頭痛疾患 <br />
|- <br />
| '''第2部:[[二次性頭痛]]''' <br> 5.頭頸部外傷・傷害による頭痛<br> 6.頭頸部血管障害による頭痛<br> 7.非血管性頭蓋内疾患による頭痛<br> 8.物質またはその離脱による頭痛<br> 9.[[wikipedia:ja感染症|感染症]]による頭痛<br> 10.[[wikipedia:ja:ホメオスターシス|ホメオスターシス]]障害による頭痛<br> 11.[[wikipedia:ja:頭蓋骨|頭蓋骨]]、[[wikipedia:ja:頸|頸]]、[[眼]]、[[wikipedia:ja:耳|耳]]、[[wikipedia:ja:鼻|鼻]]、[[wikipedia:ja:副鼻腔|副鼻腔]]、[[wikipedia:ja:歯|歯]]、[[wikipedia:ja:口|口]]あるいはその他の顔面・頸部の構成組織の障害による頭痛あるいは顔面痛<br> 12.[[精神疾患]]による頭痛<br />
|- <br />
| '''第3部:[[有痛性脳神経ニューロパチー]]、他の顔面痛およびその他の頭痛''' <br> 13.有痛性脳神経ニューロパチーおよび他の顔面痛<br> 14.その他の頭痛性疾患<br />
|- <br />
|}<br />
<br />
==一次性頭痛==<br />
===片頭痛===<br />
片頭痛(migraine)は「偏頭痛」と記載されることもあるが、医学用語として用いる場合は「片頭痛」を用いる。ただし、中国では偏頭痛が使用されている。<br />
<br />
片頭痛発作の特徴として、拍動性、片側性に加え、日常生活に支障をきたすこと、日常動作により頭痛が悪化すること、[[悪心]]、[[嘔吐]]や、[[光過敏]]、[[音過敏]]を伴うことが重視されている。これらの特徴を中心に診断基準が作成され、1988年以来、世界各国で検証、使用されている(表3)。「片頭痛」と表記されるにもかかわらず、しばしば両側性の頭痛がおこり、また非拍動性の片頭痛もあるので診断に際し注意が必要である。片頭痛は日常生活に支障をきたす頻度の高い疾患であり、患者のQOLを阻害し、医療経済的に大きな損失をもたらしている。<br />
<br />
==== 分類 ====<br />
前兆のある片頭痛と前兆のない片頭痛に大別される。ICHD-3βでは表2のサブタイプ、サブフォームが規定されている。<br />
<br />
頭痛分類における、[[前兆]](aura)は[[大脳皮質]]または[[脳幹]]の一過性局在性神経症候をさす。[[閃輝暗点]]が代表的である。[[視覚障害]]、[[感覚障害]]、[[失語性言語障害]]を典型的前兆としている。<br />
<br />
運動障害の前兆がある場合は[[片麻痺性片頭痛]]、脳幹由来の神経症候の場合は脳幹性前兆を伴う片頭痛、単眼性の網膜症状を伴う場合は[[網膜片頭痛]]とする(表2-1.2)。<br />
<br />
食欲の変化、悪心、[[気分変調]]などが片頭痛発作に先行することがあるが、これら漠然とした症状は前兆と区別し[[予兆]](premonitory symptom)とする。予兆は「前兆のない片頭痛」でもしばしばみられる。<br />
<br />
{| class="wikitable" <br />
|+ 表2.片頭痛のサブタイプ、サブフォーム <br />
|- <br />
| 1.[[片頭痛]](Migraine) <br />
|- <br />
|1.1 前兆のない片頭痛(Migraine without aura)<br><br />
1.2 前兆のある片頭痛(Migraine with aura)<br><br />
1.2.1 典型的前兆を伴う片頭痛 (Migraine with typical aura)<br><br />
1.2.1.1 典型的前兆に頭痛を伴うもの (Typical aura with headache)<br><br />
1.2.1.2 典型的前兆のみで頭痛を伴わないもの (Typical aura without headache)<br><br />
1.2.2 脳幹性前兆を伴う片頭痛 (Migraine with brainstem aura)<br><br />
1.2.3 [[片麻痺性片頭痛]](Hemiplegic migraine)<br><br />
1.2.3.1 [[家族性片麻痺性片頭痛]] (Familial hemiplegic migraine:FHM)<br><br />
1.2.3.1.1 家族性片麻痺性片頭痛1型 (FHM1)<br><br />
1.2.3.1.2 家族性片麻痺性片頭痛2型 (FHM2)<br><br />
1.2.3.1.3 家族性片麻痺性片頭痛3型 (FHM3)<br><br />
1.2.3.1.4 家族性片麻痺性片頭痛、他の遺伝子座(Familial hemiplegic migraine, other loci)<br><br />
1.2.3.2 [[孤発性片麻痺性片頭痛]] (Sporadic hemiplegic migraine)<br><br />
1.2.4 [[網膜片頭痛]](Retinal migraine)<br><br />
1.3 [[慢性片頭痛]](Chronic migraine)<br><br />
1.4 片頭痛の合併症(Complications of migraine)<br><br />
1.4.1 [[片頭痛発作重積]](Status migrainosus)<br><br />
1.4.2 遷延性前兆で[[脳梗塞]]を伴わないもの (Persistent aura without infarction)<br><br />
1.4.3 [[片頭痛性脳梗塞]](Migrainous infarction)<br><br />
1.4.4 片頭痛前兆により誘発される[[痙攣]]発作 (Migraine aura-triggered seizure)<br><br />
1.5 片頭痛の疑い(Probable migraine)<br><br />
1.5.1 前兆のない片頭痛の疑い (Probable migraine without aura)<br><br />
1.5.2 前兆のある片頭痛の疑い (Probable migraine with aura)<br><br />
1.6 片頭痛に関連する[[周期性症候群]] (Episodic syndromes that may be associated with migraine)<br><br />
1.6.1 [[再発性消化管障害]] (Recurrent gastrointestinal disturbance)<br><br />
1.6.1.1 [[周期性嘔吐症候群]] (Cyclical vomiting syndrome)<br><br />
1.6.1.2 [[腹部片頭痛]](Abdominal migraine)<br><br />
1.6.2 [[良性発作性めまい]] (Benign paroxysmal vertigo)<br><br />
1.6.3 [[良性発作性斜頸]] (Benign paroxysmal torticollis)<br><br />
|- <br />
|} <br />
<br />
<br />
{| class="wikitable" <br />
|+ 表3.1.1 前兆のない片頭痛 の診断基準(ICHD-3β) <br />
|- <br />
| A.B〜D を満たす発作が5回以上ある <br />
|- <br />
| B.頭痛発作の持続時間は4〜72時間(未治療もしくは治療が無効の場合)<br />
|- <br />
|C.頭痛は以下の4つの特徴の少なくとも2項目を満たす<br><br />
1. 片側性<br><br />
2. 拍動性<br><br />
3. 中等度〜重度の頭痛<br><br />
4. 日常的な動作(歩行や階段昇降など)により頭痛が増悪する、あるいは頭痛のために日常的な動作を避ける<br />
|- <br />
| D.頭痛発作中に少なくとも以下の1項目を満たす<br><br />
1. 悪心または嘔吐(あるいはその両方)<br><br />
2. 光過敏および音過敏<br />
|- <br />
| E.ほかに最適なICHD-3の診断がない<br />
|- <br />
|} <br />
<br />
====疫学====<br />
片頭痛の有病率は北米では一般人口の13%(男性6%、女性18%)、欧州15%(男性7%、女性18%)などの報告がある<ref name=ref7>'''竹島多賀夫, 中島健二'''<br>片頭痛の疫学<br>''脳'' 21.8:411-417, 2005.</ref>。わが国のSakai&Igarashiの調査<ref name=ref8><pubmed>9051330</pubmed></ref>では、片頭痛全体で8.4%、MO 5.8%(男2.1%、女9.3%)、MA 2.6%(男1.4%、女3.6%)であった。Takeshimaらの大山町研究<ref name=ref9><pubmed> 14979878</pubmed></ref>では MO 5.2%(男1.9%、女8.1%)、MA 0.9%(男0.4%、女1.06%)であった。片頭痛は男性より女性に多く、30歳代、40歳代にピークがある。<br />
<br />
====診断====<br />
片頭痛の診断はICHD-3βの診断基準<ref name=ref6 />に沿って行う。<br />
<br />
====病因と病態仮説====<br />
歴史的には、血管説、神経説、[[セロトニン]]学説、[[wikipedia:ja:血小板|血小板]]説などが提唱されてきた。近年の神経科学的知見から、片頭痛の疼痛は、脳硬膜の三叉神経血管系の[[神経原性炎症]]とその後惹起される神経感作が主たる病態と理解されている(三叉神経血管説<ref name=ref10><pubmed>8217498</pubmed></ref>)。神経原性炎症には[[カルシトニン遺伝子関連ペプチド]]([[CGRP]])が重要な関与をしている。この他、発痛物質[[サブスタンスP]]、セロトニン、[[ヒスタミン]]なども神経原性炎症の進展に関与すると考えられている。<br />
<br />
前兆のある片頭痛でみられる、閃輝暗点は、大脳皮質[[後頭葉]][[視覚野]]で発生する皮質拡延性抑制がその本態であると考えられている<ref name=ref11><pubmed>11287655</pubmed></ref> <ref name=ref12>'''古和久典'''<br>片頭痛のメカニズム In: 竹島多賀夫、ed. 頭痛治療薬の考え方、使い方<br>東京: ''中外医学社''; 2015:9-16.</ref>。<br />
<br />
[[神経原性炎症]]と皮質拡延性抑制のより上流の病態として、[[視床下部]]や脳幹の異常を片頭痛発生器(generator)として想定する仮設も提唱されている。<br />
<br />
家族性片麻痺性片頭痛では、[[Ca2+チャンネル|Ca<sup>2+</sup>チャンネル]]遺伝子([[CACNA1A]])の変異が発見され、その後、[[ATP1A2]]遺伝子や[[SCN1A]]遺伝子の変異が報告されている<ref name=ref13>'''竹島多賀夫、今村恵子、中島健二'''<br>【頭痛診療の進歩】 頭痛発症に関与する遺伝子 片麻痺性片頭痛<br>''神経内科'' 66:244-251, 2007.</ref>。いずれも[[イオンチャネル]]に関連する遺伝子であり、片頭痛はチャネル病であるとの説も唱えられているが、片頭痛全般に一般化できるかどうかはさらなる検討が必要である。<br />
<br />
====治療====<br />
片頭痛発作時には静かで快適な環境で安静が原則である。頭部の冷却も一定の効果が期待できる。<br />
<br />
'''急性期薬物治療''':片頭痛発作時に頭痛を頓挫させる目的で使用する。[[鎮痛薬]]、[[非ステロイド性抗炎症薬]]([[NSAIDs]])、[[エルゴタミン]]、[[トリプタン]]などが用いられる<ref name=ref14>'''慢性頭痛の診療ガイドライン作成委員会'''<br>Ⅱ片頭痛 2 -2 片頭痛の急性期治療には、どのような方法があり、どのように使用するか<br>In: 日本神経学会・日本頭痛学会編、ed. 慢性頭痛の診療ガイドライン 2013<br>東京: ''医学書院''; 2013:114-117.</ref>。随伴症状の悪心、嘔吐の改善にためには、[[制吐剤]]を併用する<ref name=ref15>'''慢性頭痛の診療ガイドライン作成委員会'''<br>Ⅱ片頭痛 2 -8 急性期治療において制吐薬の使用は有用か<br>In: 日本神経学会・日本頭痛学会編、ed. 慢性頭痛の診療ガイドライン 2013<br>東京: ''医学書院''; 2013:131-132.</ref>。<br />
#鎮痛薬、非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs):[[アセトアミノフェン]]、[[アスピリン]]、[[複合鎮痛薬]]、[[インドメタシン]]、[[cox-2阻害薬]]など<br />
#エルゴタミン: [[クリアミン]]<br />
#[[トリプタン]]:セロトニン作動薬: セロトニンアナログ: [[スマトリプタン]]、[[ゾルミトリプタン]]、[[エレトリプタン]]、[[リザトリプタン]]、[[ナラトリプタン]]などがある。片頭痛特異的治療薬として広く使用されている。<br />
#[[ゲパント]]:CGRP[[拮抗薬]](本邦未承認)<br />
#抗CGRP抗体、抗[[CGRP受容体]]抗体:開発中<br />
'''予防薬''':頭痛発作頻度が高い場合、急性期治療薬で十分なQOL改善が得られない場合に使用する。[[Ca2+拮抗薬|Ca<sup>2+</sup>拮抗薬]]([[ロメリジン]]、[[ベラパミル]])、[[β遮断薬]]([[プロプラノロール]]、[[メトプロロール]])、[[抗てんかん薬]]([[バルプロ酸]]、[[トピラマート]])、[[抗うつ薬]]([[アミトリプチリン]])、[[アンジオテンシン受容体ブロッカー]] [[ARB]]([[カンデサルタン]])、[[ACE阻害剤]]([[リシノプリル]])などが使用される<ref name=ref16>'''慢性頭痛の診療ガイドライン作成委員会'''<br>II 片頭痛 3. 予防療法<br>In: 日本神経学会・日本頭痛学会編、ed. 慢性頭痛の診療ガイドライン 2013<br>東京: ''医学書院''; 2013:145-187.</ref>。漢方薬では、[[呉茱萸湯]]が有効とされている。[[ビタミンB2]]や、サプリメントの[[wj:ナツシロギク#利用|feverfew]]も有用性が示されている。<br />
<br />
非薬物療法として、[[運動療法]]や、[[認知行動療法]]、[[リラクセーション]]、[[鍼灸療法]]もおこなわれる。片頭痛の運動療法は非発作時に実施する。頭痛発作中は運動により頭痛が増悪する。<br />
<br />
===慢性片頭痛===<br />
片頭痛は頭痛発作を繰り返すが、発作の間欠期は健康な状態であることも特徴のひとつである。しかしながら頭痛発作の頻度が増加し、月に15日以上片頭痛がある状態が3カ月以上持続する場合は[[慢性片頭痛]]とする。<br />
<br />
しばしば急性期治療薬の過剰使用(乱用)を伴っており、薬剤の使用過多による頭痛([[薬物乱用頭痛]])との鑑別が問題になる。また、治療薬等の影響により頭痛の性状だけでは[[緊張型頭痛]]との区別が困難になることがある。<br />
<br />
ICHD-3βでは慢性片頭痛は頭痛が月に15 日以上の頻度で3 ヵ月を超えて起こり、少なくとも月に8日の頭痛は片頭痛の特徴をもつものと規定されている。(表4)<br />
<br />
片頭痛関連周期性症候群として、表2-1.6に示す疾患が掲載されている。小児期に罹患し、成長とともに一般的な片頭痛発作に推移する例が大部分であるが、成人でもみられることがある。<br />
<br />
{| class="wikitable" <br />
|+ 表4.1.3 慢性片頭痛の診断基準(ICHD-3β) <br />
|- <br />
| A.緊張型頭痛様または片頭痛様の頭痛(あるいはその両方)が月に15日以上の頻度で3ヵ月を超えて起こり、BとCを満たす<br />
|- <br />
| B.1.1「前兆のない片頭痛」の診断基準B〜Dを満たすか、1.2「前兆のある片頭痛」の診断基準BおよびCを満たす発作が、併せて5回以上あった患者に起こる<br />
|- <br />
|C.3ヵ月を超えて月に8 日以上で以下のいずれかを満たす<br><br />
1. 1.1「前兆のない片頭痛」の診断基準C とD を満たす<br><br />
2. 1.2「前兆のある片頭痛」の診断基準B とCを満たす<br><br />
3. 発症時には片頭痛であったと患者が考えており、トリプタンあるいは[[麦角誘導体]]で改善する<br />
|- <br />
| D.ほかに最適なICHD-3の診断がない<br />
|- <br />
|} <br />
<br />
===緊張型頭痛===<br />
緊張型頭痛は両側性、非拍動性の頭痛で、日常生活の支障はないか、あっても中等度までである。動作による頭痛の悪化はなく、重度の悪心、嘔吐、光過敏、音過敏は伴わない<ref name=ref6 />。<br />
<br />
多くは身体的[[ストレス]]、精神的ストレスによってもたらされると考えられている。頭頸部の筋緊張を伴うものと伴わないものに細分類され、頭痛頻度により、[[稀発反復性緊張型頭痛]]、[[頻発反復性緊張型頭痛]]、[[慢性緊張型頭痛]]に区別されている(表5)。<br />
<br />
==== 疫学 ====<br />
有病率は調査報告によりばらつきが大きいが、年間有病率21.7%~86.5%、生涯有病率12.9~78%とされている<ref name=ref17>'''慢性頭痛の診療ガイドライン作成委員会'''<br>III 緊張型頭痛 3 どの程度の緊張型頭痛患者が存在するのか.またその危険因子や誘因・予後はどうか.本当の緊張型の数は.<br>In: 日本神経学会・日本頭痛学会編、ed. 慢性頭痛の診療ガイドライン 2013<br>東京: ''医学書院''; 2013:194-195.</ref>。<br />
==== メカニズム ====<br />
稀発反復性緊張型頭痛は身体的、精神的ストレスに対する反応で誰にでも発生しうると考えられている。慢性緊張型頭痛や頻発反復性緊張型頭痛は末梢あるいは中枢の神経生物学的異常をともなう疾患であると考えられている。<br />
<br />
==== 診断 ====<br />
ICHD-3βの診断基準<ref name=ref6 />に従って行う。<br />
==== 治療 ====<br />
反復性緊張型頭痛は多くの場合鎮痛薬、NSAIDsが有効である<ref name=ref18>'''慢性頭痛の診療ガイドライン作成委員会'''<br>III 緊張型頭痛 7 緊張型頭痛の急性期(頭痛時、頓服)治療にはどのような種類があり、どの程度有効か、またどのように使い分けるか<br>In: 日本神経学会・日本頭痛学会編、ed. 慢性頭痛の診療ガイドライン 2013<br>東京: ''医学書院''; 2013:204-207.</ref>。慢性緊張型頭痛や、反復性緊張型頭痛で急性期治療薬の使用頻度が高い場合には予防療法を行う<ref name=ref19>'''慢性頭痛の診療ガイドライン作成委員会'''<br>III 緊張型頭痛 8 緊張型頭痛の予防治療はどのように行うか<br>In: 日本神経学会・日本頭痛学会編, ed. 慢性頭痛の診療ガイドライン 2013<br>東京: ''医学書院''; 2013:206-208.</ref>。[[三環系抗うつ薬]](アミトリプチリン)は良質のエビデンスがあり広く使用されている。わが国では、経験的な治療として、[[筋弛緩薬]]や[[ベンゾジアゼピン]]が用いられることもある。<br />
<br />
{| class="wikitable" <br />
|+ 表5.2.緊張型頭痛(Tension-type headache:TTH)のサブタイプ(ICHD-3β)<br />
|- <br />
|2.1 [[稀発反復性緊張型頭痛]] (Infrequent episodic tension-type headache)<br><br />
2.1.1 頭蓋周囲の圧痛を伴う稀発反復性緊張型頭痛 (Infrequent episodic tension-type headache associated with pericranial tenderness)<br><br />
2.1.2 頭蓋周囲の圧痛を伴わない稀発反復性緊張型頭痛 (Infrequent episodic tension-type headache not associated with pericranial tenderness)<br />
|- <br />
| 2.2 [[頻発反復性緊張型頭痛]] (Frequent episodic tension-type headache)<br><br />
2.2.1 頭蓋周囲の圧痛を伴う頻発反復性緊張型頭痛(Frequent episodic tension-type headache associated with pericranial tenderness)<br><br />
2.2.2 頭蓋周囲の圧痛を伴わない頻発反復性緊張型頭痛(Frequent episodic tension-type headache not associated with pericranial tenderness)<br />
|- <br />
|2.3 [[慢性緊張型頭痛]] (Chronic tension-type headache)<br><br />
2.3.1 頭蓋周囲の圧痛を伴う慢性緊張型頭痛 (Chronic tension-type headache associated with pericranial tenderness)<br><br />
2.3.2 頭蓋周囲の圧痛を伴わない慢性緊張型頭痛 (Chronic tension-type headache not associated with pericranial tenderness)<br />
|- <br />
| 2.4 [[緊張型頭痛]]の疑い (Probable tension-type headache)<br><br />
2.4.1 稀発反復性緊張型頭痛の疑い (Probable infrequent episodic tensiontype headache)<br><br />
2.4.2 頻発反復性緊張型頭痛の疑い (Probable frequent episodic tensiontype headache)<br><br />
2.4.3 慢性緊張型頭痛の疑い(Probable chronic tension-type headache) <br />
|- <br />
|} <br />
<br />
===三叉神経・自律神経性頭痛(群発頭痛)===<br />
[[群発頭痛]]は、[[眼窩]]、眼窩周囲、前頭部、側頭部の三叉神経領域の激痛と、眼充血、流涙、鼻汁漏などの自律神経症状で特徴づけられる頭痛性疾患である。頭痛発作は15分から3時間程度の持続で連日おこり、数カ月間の群発期が過ぎると自然に消退する<ref name=ref6 />。<br />
<br />
2004年の国際頭痛分類第2版で、発作性片側頭痛などの群発頭痛類縁疾患と合わせて三叉神経・自律神経性頭痛(trigeminal autonomic cephalalgias, TACs)としてまとめられた。ICHD-3βではさらにサブタイプの追加整理がなされている(表6)<br />
==== 疫学 ====<br />
群発頭痛の有病率は10万人あたり56~401人程度と報告されている<ref name=ref20>'''慢性頭痛の診療ガイドライン作成委員会'''<br>IV 群発頭痛 3. 群発頭痛およびその他の三叉神経・自律神経性頭痛にはどの程度の患者が存在するか.危険因子、増悪因子にはどのようなものが存在するか.<br>In: 日本神経学会・日本頭痛学会編、ed. 慢性頭痛の診療ガイドライン 2013<br>東京: ''医学書院''; 2013:221-222.</ref>。<br />
<br />
若年男性に多いが、最近は女性の群発頭痛罹患者も増加傾向にあるとされている<ref name=ref21><pubmed>21278239 </pubmed></ref>。片頭痛や緊張型頭痛より頻度は低いが、それほど稀な疾患ではない。 <br />
==== 診断 ====<br />
ICHD-3β<ref name=ref6 />に準拠する。群発期が頭痛のない[[寛解]]期をはさんで反復する場合を反復性群発頭痛、群発期が寛解せず1年以上続く場合を慢性群発頭痛とする。診断基準を表7に示した。<br />
==== 治療 ====<br />
'''急性期治療''':[[スマトリプタン]]の皮下注が標準的治療である<ref name=ref22>'''慢性頭痛の診療ガイドライン作成委員会'''<br>IV 群発頭痛 5. 群発頭痛急性期(発作期)治療薬にはどのような薬剤があり、どの程度有効か<br>In: 日本神経学会・日本頭痛学会編、ed. 慢性頭痛の診療ガイドライン 2013<br>東京: ''医学書院''; 2013:226-228.</ref>。スマトリプタンの点鼻もある程度の効果が期待できる。経口トリプタンは効果発現に1時間程度を要するため、発作持続時間が1時間程度の患者には有用性が乏しい。純酸素吸入(マスク 7-10L/分)も有用である。<br />
<br />
'''予防療法''':群発期には発作頻度の低減、頭痛強度の軽減のため予防療法を行う。[[ベラパミル]]、[[副腎皮質ステロイド]]ホルモンなどが使用される<ref name=ref23>'''慢性頭痛の診療ガイドライン作成委員会'''<br>IV 群発頭痛 6. 群発頭痛発作期の予防療法にはどのような薬剤があり、どの程度有効か<br>In: 日本神経学会・日本頭痛学会編、ed. 慢性頭痛の診療ガイドライン 2013<br>東京: 医学書院; 2013:229-232.</ref>。<br />
<br />
群発頭痛の他、[[発作性片側頭痛]]、[[短時間持続性片側神経痛様頭痛発作]]、[[持続性片側頭痛]]などが記載されている。発作性片側頭痛と、持続性片側頭痛はインドメタシンが著効する。診断基準にもインドメタシンへの反応性が規定されており、[[インドメタシン反応性頭痛]]として纏められることもある<ref name=ref24>'''慢性頭痛の診療ガイドライン作成委員会'''<br>IV 群発頭痛 7. 発作性片側頭痛治療薬にはどのような種類があり、どの程度有効か<br>In: 日本神経学会・日本頭痛学会編, ed. 慢性頭痛の診療ガイドライン 2013<br>東京: ''医学書院''; 2013:233-234.</ref>。<br />
<br />
{| class="wikitable" <br />
|+ 表6.3. 三叉神経・自律神経性頭痛のサブタイプ(ICHD-3β)<br />
|- <br />
|3.1 [[群発頭痛]](Cluster headache)<br><br />
3.1.1 [[反復性群発頭痛]] (Episodic cluster headache)<br><br />
3.1.2 [[慢性群発頭痛]](Chronic cluster headache)<br />
|- <br />
| 3.2 [[発作性片側頭痛]](Paroxysmal hemicrania)<br><br />
3.2.1 [[反復性発作性片側頭痛]] (Episodic paroxysmal hemicrania)<br><br />
3.2.2 [[慢性発作性片側頭痛]] (Chronic paroxysmal hemicrania:CPH)<br />
|- <br />
|3.3 [[短時間持続性片側神経痛様頭痛発作]](Short-lasting unilateral neuralgiform headache attacks)<br><br />
3.3.1 結膜充血および流涙を伴う短時間持続性片側神経痛様頭痛発作(SUNCT)<br />
(Short-lasting unilateral neuralgiform headache attacks with conjunctival injection and tearing:SUNCT)<br />
3.3.1.1 反復性SUNCT(Episodic SUNCT)<br><br />
3.3.1.2 慢性SUNCT(Chronic SUNCT)<br><br />
3.3.2 頭部自律神経症状を伴う短時間持続性片側神経痛様頭痛発作(SUNA)<br><br />
(Short-lasting unilateral neuralgiform headache attacks with cranial autonomic symptoms:SUNA)<br><br />
3.3.2.1 反復性SUNA(Episodic SUNA)<br><br />
3.3.2.2 慢性SUNA(Chronic SUNA)<br><br />
|- <br />
| 3.4 [[持続性片側頭痛]](Hemicrania continua)<br><br />
3.4.1 持続性片側頭痛、寛解型(Hemicrania continua, remitting subtype)<br><br />
3.4.2 持続性片側頭痛、非寛解型 (Hemicrania continua, unremitting subtype)<br />
|- <br />
| 3.5 三叉神経・自律神経性頭痛の疑い (Probable trigeminal autonomic cephalalgia)<br><br />
3.5.1 群発頭痛の疑い (Probable cluster headache)<br><br />
3.5.2 発作性片側頭痛の疑い (Probable paroxysmal hemicrania)<br><br />
3.5.3 短時間持続性片側神経痛様頭痛発作の疑い (Probable short-lasting unilateral neuralgiform headache attacks)<br><br />
3.5.4 持続性片側頭痛の疑い (Probable hemicrania continua)<br />
|- <br />
|} <br />
<br />
{| class="wikitable" <br />
|+ 表7.3.1 群発頭痛の診断基準(ICHD-3β)<br />
|- <br />
|A.B〜D を満たす発作が5回以上ある<br />
|- <br />
| B.未治療の場合,重度〜きわめて重度の一側の痛みが眼窩部、眼窩上部または側頭部のいずれか1つ以上の部位に15〜180分間持続する<br />
|- <br />
|C.以下の1項目以上を認める<br><br />
1. 頭痛と同側に少なくとも以下の症状あるいは徴候の1項目を伴う<br><br />
a) 結膜充血または流涙(あるいはその両方)<br><br />
b) 鼻閉または鼻漏(あるいはその両方)<br><br />
c) 眼瞼浮腫<br><br />
d) 前額部および顔面の発汗<br><br />
e) 前額部および顔面の紅潮<br><br />
f) 耳閉感<br><br />
g) [[縮瞳]]または[[眼瞼下垂]](あるいはその両方)<br><br />
2. 落ち着きのない、あるいは興奮した様子<br />
|- <br />
| D.発作時期の半分以上においては、発作の頻度は1回/2日〜8回/日である<br />
|- <br />
| 3.5 三叉神経・自律神経性頭痛の疑い (Probable trigeminal autonomic cephalalgia)<br><br />
3.5.1 群発頭痛の疑い (Probable cluster headache)<br><br />
3.5.2 発作性片側頭痛の疑い (Probable paroxysmal hemicrania)<br><br />
3.5.3 短時間持続性片側神経痛様頭痛発作の疑い (Probable short-lasting unilateral neuralgiform headache attacks)<br><br />
3.5.4 持続性片側頭痛の疑い (Probable hemicrania continua)<br />
|- <br />
|} <br />
<br />
===その他の一次性頭痛===<br />
片頭痛、緊張型頭痛、三叉神経・自律神経性頭痛が主要な一次性頭痛であるが、その他の一次性頭痛として表8のようなものが記載されている<ref name=ref6 />。[[一次性雷鳴頭痛]]は、[[くも膜下出血]]の際の頭痛に類似した突発性の激しい頭痛であるが、他に原因となる疾患がないものである。6.7.3 「[[可逆性脳血管攣縮症候群]](RCVS)による頭痛」との鑑別が問題となる。<br />
<br />
「[[冷たいものの摂取または冷気吸息による頭痛]]」は、かき氷を摂取した際に多くの人が経験する頭痛である。[[アイスクリーム頭痛]]と称されることもある。<br />
<br />
[[睡眠時頭痛]]は[[目覚まし時計頭痛]]とも称される。夜間に一定の時刻に頭痛で目覚めるが、群発頭痛にみられるような自律神経症状を伴わない。[[カフェイン]]や[[リチウム]]が有効である。<br />
<br />
[[新規発症持続性連日性頭痛]]は、新たに頭痛が出現し、寛解することなく3ヵ月以上にわたり連日性の頭痛が持続するものである。<br />
<br />
{| class="wikitable" <br />
|+ 表8.4.その他の一次性頭痛疾患のサブタイプ、サブフォーム(ICHD-3β、抜粋)<br />
|- <br />
|4.1 [[一次性咳嗽性頭痛]](Primary cough headache)<br><br />
4.2 [[一次性運動時頭痛]](Primary exercise headache)<br><br />
4.3 [[性行為に伴う一次性頭痛]](Primary headache associated with sexual activity)<br><br />
4.4 [[一次性雷鳴頭痛]](Primary thunderclap headache)<br><br />
4.5 [[寒冷刺激による頭痛]](Cold-stimulus headache)<br><br />
4.5.1 [[外的寒冷刺激による頭痛]](Headache attributed to external application of a cold stimulus)<br><br />
4.5.2 [[冷たいものの摂取または冷気吸息による頭痛]](Headache attributed to ingestion or<br />
inhalation of a cold stimulus)<br><br />
4.6 頭蓋外からの圧力による頭痛 (External-pressure headache)<br><br />
4.6.1 頭蓋外からの圧迫による頭痛 (External-compression headache)<br><br />
4.6.2 頭蓋外からの牽引による頭痛 (External-traction headache)<br><br />
4.7 [[一次性穿刺様頭痛]](Primary stabbing headache)<br><br />
4.8 [[貨幣状頭痛]](Nummular headache)<br><br />
4.9 [[睡眠時頭痛]](Hypnic headache)<br><br />
4.10 [[新規発症持続性連日性頭痛]](NDPH)(New daily persistent headache:NDPH)<br />
|- <br />
|} <br />
<br />
==二次性頭痛==<br />
二次性頭痛の診断には、その頭痛が他の疾患によって惹起されていることを明瞭に示される必要がある。以前よりある一次性頭痛が、頭痛を起こしうる器質疾患の発症により増悪している場合もあるので注意が必要である。<br />
<br />
一次性頭痛の一般診断基準を表9に示した。頭痛と原因となりうる疾患の関係を確認して二次性頭痛の診断を行う。前述のごとくICHD-3βの第2部 5章~12章に二次性頭痛が掲載されており、各々の診断基準が示されている。<br />
<br />
{| class="wikitable" <br />
|+ 表9.二次頭痛の一般診断基準 (ICHD-3β)<br />
|- <br />
|A. 頭痛は、Cを満たす<br />
|- <br />
|B. 頭痛を引き起こしうることが科学的に実証されている他の疾患の診断がなされている<br />
|- <br />
|C. 原因となる証拠として,以下のうちの少なくとも2項目が示されている<br><br />
1. 頭痛が、原因と推測されている疾患と時期的に一致して発現している<br><br />
2. 以下のいずれかもしくは両方<br><br />
a) 頭痛は原因と推測される疾患が悪化するのと並行して有意に悪化している<br><br />
b) 頭痛は原因と推測される疾患が軽快するのと並行して有意に改善している<br><br />
3. 頭痛は原因疾患の典型的な特徴を有している<br><br />
4. 原因となる他の証拠が存在する<br><br />
|- <br />
|D. ほかに最適なICHD-3の診断がない<br />
|- <br />
|} <br />
<br />
===頭頸部外傷・傷害による頭痛 ===<br />
サブタイプには、5.1「頭部外傷による急性頭痛」、5.2「頭部外傷による持続性頭痛」、5.3「[[wikipedia:ja:むち打ち|むち打ち]]による急性頭痛」、5.4「むち打ちによる持続性頭痛」、5.5「開頭術による急性頭痛」、5.6「開頭術による持続性頭痛」が掲載されている。頭痛が3ヵ月を超えて続くものを持続性頭痛と定義している。<br />
<br />
===頭頸部血管障害による頭痛 ===<br />
表10にサブタイプの一覧を示した。ICHD-3βで新たに掲載された6.7.3 「[[可逆性脳血管攣縮症候群]](RCVS)による頭痛」は、[[性行為]]、[[労作]]、[[ヴァルサルヴァ手技]]あるいは[[感情]]などが引き金になり、典型的には1〜2週間にわたって雷鳴頭痛を繰り返す可逆性脳血管攣縮症候群によって引き起こされる頭痛である。頭痛はRCVSの唯一の症状のことがある。一次性雷鳴頭痛とRCVSによる頭痛の鑑別が重要で、疑わしい場合には6.7.3.1 「可逆性脳血管攣縮症候群(RCVS)による頭痛の疑い」とすることが推奨されている。<br />
<br />
{| class="wikitable" <br />
|+ 表10.6. 「頭頸部血管障害による頭痛」のサブタイプ(ICHD-3β)<br />
|- <br />
|6.1 [[虚血性脳卒中]]または[[一過性脳虚血発作]]による頭痛<br><br />
6.1.1 虚血性脳卒中(脳梗塞)による頭痛<br><br />
6.1.2 一過性脳虚血発作(TIA)による頭痛<br />
|- <br />
|6.2 非外傷性頭蓋内出血による頭痛<br><br />
6.2.1 非外傷性[[脳内出血]]による頭痛<br><br />
6.2.2 非外傷性[[くも膜下出血]](SAH)による頭痛<br><br />
6.2.3 非外傷性[[急性硬膜下出血]](ASDH)による頭痛<br />
|- <br />
|6.3 未破裂血管奇形による頭痛<br><br />
6.3.1 未破裂嚢状[[動脈瘤]]による頭痛<br><br />
6.3.2 [[動静脈奇形]](AVM)による頭痛<br><br />
6.3.3 [[硬膜動静脈瘻]](DAVF)による頭痛<br><br />
6.3.4 [[海綿状血管腫]]による頭痛<br><br />
6.3.5 脳三叉神経性または軟膜血管腫症([[スタージ・ウェーバー症候群]])による頭痛<br><br />
|- <br />
|6.4 [[動脈炎]]による頭痛<br><br />
6.4.1 [[巨細胞性動脈炎]](GCA)による頭痛<br><br />
6.4.2 [[中枢神経系原発性血管炎]](PACNS)による頭痛<br><br />
6.4.3 [[中枢神経系続発性血管炎]](SACNS)による頭痛<br><br />
|- <br />
|6.5 頸部[[頸動脈]]または[[椎骨動脈]]障害による頭痛<br><br />
6.5.1 頸部頸動脈または椎骨動脈の解離による頭痛、顔面痛または頸部痛<br><br />
6.5.2 動脈内膜切除術後頭痛<br><br />
6.5.3 頸動脈または椎骨動脈の血管形成術性頭痛<br />
|- <br />
|6.6 [[脳静脈血栓症]](CVT)による頭痛<br />
|- <br />
|6.7 その他の急性頭蓋内動脈障害による頭痛<br><br />
6.7.1 頭蓋内血管内手技による頭痛<br><br />
6.7.2 血管造影性頭痛<br><br />
6.7.3 [[可逆性脳血管攣縮症候群]](RCVS)による頭痛<br><br />
6.7.3.1 可逆性脳血管攣縮症候群(RCVS)による頭痛の疑い<br><br />
6.7.4 頭蓋内動脈解離による頭痛<br><br />
|- <br />
|6.8 遺伝性血管異常症による頭痛<br><br />
6.8.1 [[皮質下梗塞および白質脳症を伴った常染色体優性脳動脈症]](CADASIL)<br><br />
6.8.2 [[ミトコンドリア脳症・乳酸アシドーシス・脳卒中様発作症候群]](MELAS)<br><br />
6.8.3 その他の遺伝性血管異常症による頭痛<br />
|- <br />
|6.9 [[下垂体卒中]]による頭痛<br />
|- <br />
|} <br />
<br />
===非血管性頭蓋内疾患による頭痛=== <br />
7.1 「頭蓋内圧亢進性頭痛」、7.2 「低[[髄液]]圧による頭痛」、7.3 「非感染性炎症疾患性頭痛」、7.4 「頭蓋内新生物による頭痛」、7.5 「髄注による頭痛」、7.6 「てんかん発作による頭痛」、7.7 「[[キアリ奇形]]I 型(CM1)による頭痛」、7.8 「その他の非血管性頭蓋内疾患による頭痛」が掲載されている。キアリ奇形I 型(CM1)による頭痛は、咳嗽やヴァルサルヴァ手技により増悪することも特徴であり、4.1「一次性咳嗽性頭痛」との鑑別が重要である。<br />
<br />
===物質またはその離脱による頭痛===<br />
8.1「物質の使用または曝露による頭痛」、8.2「薬剤の使用過多による頭痛(薬物乱用頭痛)」、8.3「物質離脱による頭痛」が掲載されている。「[[薬物乱用頭痛]]」の名称に関する議論があり、ICHD-3β日本語版では「薬剤の使用過多による頭痛(薬物乱用頭痛)」の頭痛名称が採択された。1.3「慢性片頭痛」と8.2「薬剤の使用過多による頭痛(薬物乱用頭痛)」の鑑別がしばしば問題となる。<br />
<br />
===感染症による頭痛===<br />
9.1「頭蓋内感染症による頭痛」、9.2「全身性感染症による頭痛」とそのサブフォームが詳細に記述されている。<br />
<br />
===ホメオスターシス障害による頭痛===<br />
10.1.2 「[[飛行機頭痛]]」が、ICHD-3βでこの章に加えられた。また、付録にはA10.8.1「[[宇宙飛行による頭痛]]」も加えられている。10.3「[[高血圧性頭痛]]」もここで定義されている。通常の高血圧は頭痛の原因とみなされず、多くは頭痛の結果として血圧が上昇傾向にあるということにも注意が必要である(表11)。<br />
<br />
{| class="wikitable" <br />
|+ 表11.10. ホメオスターシスの障害による頭痛(ICHD-3β)<br />
|- <br />
|10.1 [[低酸素血症]]あるいは[[高炭酸ガス血症]]による頭痛<br><br />
10.1.1 [[高山性頭痛]]<br><br />
10.1.2 [[飛行機頭痛]]<br><br />
10.1.3 [[潜水時頭痛]]<br><br />
10.1.4 [[睡眠時無呼吸性頭痛]]<br />
|- <br />
|10.2 [[透析頭痛]]<br />
|- <br />
|10.3 [[高血圧性頭痛]]<br><br />
10.3.1 [[褐色細胞腫]]による頭痛<br><br />
10.3.2 [[高血圧性脳症]]のない[[高血圧性クリーゼ]]による頭痛<br><br />
10.3.3 [[高血圧性脳症]]による頭痛<br><br />
10.3.4 [[子癇前症]]または[[子癇]]による頭痛<br><br />
10.3.5 [[自律神経反射障害]]による頭痛<br />
|- <br />
|10.4 [[甲状腺機能低下症]]による頭痛<br />
|- <br />
|10.5 絶食による頭痛<br />
|- <br />
|10.6 [[心臓性頭痛]]<br />
|- <br />
|10.7 その他のホメオスターシス障害による頭痛 <br />
|- <br />
|} <br />
<br />
===頭蓋骨、頸、眼、耳、鼻、副鼻腔、歯、口あるいはその他の顔面・頸部の構成組織の障害による頭痛あるいは顔面痛===<br />
ICHD-2のA11.5.1「[[鼻粘膜接触点頭痛]]」はA11.5.3「[[鼻粘膜、鼻甲介、鼻中隔の障害による頭痛]]」に集約されている(表12)。<br />
<br />
{| class="wikitable" <br />
|+ 表12.11.頭蓋骨、頸、眼、耳、鼻、副鼻腔、歯、口あるいはその他の顔面・頸部の構成組織の障害による頭痛あるいは顔面痛(ICHD-3β、抜粋)<br />
|- <br />
|11.1 [[頭蓋骨疾患による頭痛]](Headache attributed to disorder of cranial bone)<br />
|- <br />
|11.2 [[頸部疾患による頭痛]] (Headache attributed to disorder of the neck)<br />
|- <br />
|11.3 [[眼疾患による頭痛]] (Headache attributed to disorder of the eyes)<br />
|- <br />
|11.4 [[耳疾患による頭痛]] (Headache attributed to disorder of the ears)<br />
|- <br />
|11.5 [[鼻・副鼻腔疾患による頭痛]] (Headache attributed to disorder of the nose or paranasal sinuses)<br />
|- <br />
|11.6 [[歯・顎の障害による頭痛]](Headache attributed to disorder of the teeth or jaw)<br />
|- <br />
|11.7 [[顎関節症(TMD)による頭痛]] (Headache attributed to temporomandibular disorder:TMD)<br />
|- <br />
|11.8 [[茎突舌骨靱帯炎による頭痛あるいは顔面痛]] (Head or facial pain attributed to inflammation of the stylohyoid ligament)<br />
|- <br />
|11.9 [[その他の頭蓋骨、頸、眼、耳、鼻、副鼻腔、歯、口あるいはその他の顔面・頸部の構成組織の障害による頭痛あるいは顔面痛]]<br />
|- <br />
|} <br />
<br />
===精神疾患による頭痛===<br />
12.1「[[身体化障害]]による頭痛」 12.2「[[精神病性障害]]による頭痛」が掲載されている。付録には、A12.3 「[[うつ病]]による頭痛」、A12.4 [[分離不安症]]/[[分離不安障害]]による頭痛」、A12.5 「[[パニック症]]/[[パニック障害]]による頭痛」、A12.6 「[[限局性恐怖症]]による頭痛」、A12.7 「[[社交不安症]]/[[社交不安障害]](社交恐怖)による頭痛)、A12.8 「[[全般性不安症]]/[[全般性不安障害]]による頭痛」、A12.9 「[[心的外傷後ストレス障害]]による頭痛」、A12.10 「[[急性ストレス障害]]による頭痛」が掲載されている。付録診断基準は、今後検証が必要な研究のための基準であるが、[[精神疾患]]による頭痛の付録基準は日常診療でも使用可能と考えられている。<br />
<br />
==有痛性脳神経ニューロパチーおよび他の顔面痛==<br />
[[三叉神経痛]]をはじめ各種神経痛、[[有痛性脳神経ニューロパチー]]が掲載されている(表13)。<br />
<br />
[[症候性三叉神経痛]](symptomatic trigeminal neuralgia)の名称がICHD-3βでは[[有痛性三叉神経ニューロパチー]](painful trigeminal neuropathy)に変更された。ICHD-2の13.17「[[眼筋麻痺性片頭痛]]」は以前より片頭痛のサブフォームではなく、ニューロパチーと考えられており、13章に分類されていたが、ICHD-3βでは“片頭痛”の用語が消え 13.6「虚血性眼球運動麻痺による頭痛」に包括された。<br />
<br />
{| class="wikitable" <br />
|+ 表13.11.[[頭蓋骨、頸、眼、耳、鼻、副鼻腔、歯、口あるいはその他の顔面・頸部の構成組織の障害による頭痛あるいは顔面痛]](ICHD-3β、抜粋)<br />
|- <br />
|13.1 [[三叉神経痛]](Trigeminal neuralgia)<br><br />
13.1.1 [[典型的三叉神経痛]] (Classical trigeminal neuralgia)<br><br />
13.1.1.1 典型的三叉神経痛、純粋発作性 (Classical trigeminal neuralgia, purely paroxysmal)<br><br />
13.1.1.2 持続性顔面痛を伴う典型的三叉神経痛(Classical trigeminal neuralgia with concomitant persistent facial pain)<br><br />
13.1.2 [[有痛性三叉神経ニューロパチー]] (Painful trigeminal neuropathy)<br><br />
13.1.2.1 [[急性帯状疱疹]]による有痛性三叉神経ニューロパチー (Painful trigeminal neuropathy attributed to acute Herpes zoster)<br><br />
13.1.2.2 [[帯状疱疹後三叉神経ニューロパチー]] (Post-herpetic trigeminal neuropathy)<br><br />
13.1.2.3 [[外傷後有痛性三叉神経ニューロパチー]](Painful post-traumatic trigeminal neuropathy)<br><br />
13.1.2.4 [[多発性硬化症]](MS)プラークによる有痛性三叉神経ニューロパチー 〔Painful trigeminal neuropathy attributed to multiple sclerosis (MS) plaque〕<br><br />
13.1.2.5 占拠性病変による有痛性三叉神経ニューロパチー(Painful trigeminal neuropathy attributed to spaceoccupying lesion)<br><br />
13.1.2.6 その他の疾患による有痛性三叉神経ニューロパチー (Painful trigeminal neuropathy attributed to other disorder)<br><br />
|- <br />
|13.2 [[舌咽神経痛]](Glossopharyngeal neuralgia)<br />
|- <br />
|13.3 [[中間神経(顔面神経)痛]] 〔Nervus intermedius( facial nerve) neuralgia〕<br />
|- <br />
|13.4 [[後頭神経痛]](Occipital neuralgia)<br />
|- <br />
|13.5 [[視神経炎]](Optic neuritis)<br />
|- <br />
|13.6 [[虚血性眼球運動神経麻痺]]による頭痛 (Headache attributed to ischaemic ocular motor nerve palsy)<br />
|- <br />
|13.7 [[トロサ・ハント症候群]](Tolosa-Hunt syndrome)<br />
|- <br />
|13.8 [[傍三叉神経性眼交感症候群]]([[レーダー症候群]]) 〔Paratrigeminal oculosympathetic( Raeder's) syndrome〕<br />
|- <br />
|13.9 [[再発性有痛性眼筋麻痺性ニューロパチー]](Recurrent painful ophthalmoplegic neuropathy)<br />
|- <br />
|13.10 [[口腔内灼熱症候群]](BMS) (Burning mouth syndrome:BMS)<br />
|- <br />
|13.11 [[持続性特発性顔面痛]](PIFP) (Persistent idiopathic facial pain:PIFP)<br />
|- <br />
|13.12 [[中枢性神経障害性疼痛]] (Central neuropathic pain)<br />
|- <br />
|} <br />
<br />
==その他の頭痛性疾患==<br />
第14章には14.1 「[[分類不能の頭痛]]」、14.2「[[詳細不明の頭痛]]」が掲載されている。ICHD-3βの頭痛分類のいずれにも該当しないものは「分類不能の頭痛」として記載しておき、将来の知見の集積をまつように設計されている。<br />
<br />
頭痛の存在は確実であるが、正確な頭痛の分類に必要な情報が不足している場合には「詳細不明の頭痛」としてコード化しておく。<br />
<br />
<br />
付記: 頭痛性疾患の同義語と用語の変遷について簡単に記す。頭痛名は国際頭痛分類第3版beta版に従うのが原則であり、特に頭痛研究、専門的頭痛診療では厳密に準拠して使用する必要がある。以前の文献には異なる名称が用いられていたものが多数あり、疾患理解の進歩、概念の変遷に伴い名称が変更されてきている。 <br />
<br />
* 前兆のない片頭痛(Migraine without aura): 「前兆を伴わない片頭痛」と訳されていたが国際頭痛分類第2版日本語版(2004)で「前兆のない片頭痛」に改訂された。普通型片頭痛(common migraine)、単純片側頭痛(hemicrania simplex)は前兆のない片頭痛(Migraine without aura)とほぼ同義である。<br />
* 前兆のある片頭痛(migraine with aura):同様に「前兆を伴う片頭痛」から改訂された。典型的または古典的片頭痛(classic or classical migraine)は前兆のある片頭痛(migraine with aura)とほぼ同義である。<br />
* 脳幹性前兆を伴う片頭痛(migraine with brainstem aura): 脳底動脈片頭痛(basilar artery migraine)、脳底片頭痛(basilar migraine)、脳底型片頭痛(basilar-type migraine)とほぼ同義である。以前は脳底動脈の収縮による虚血が中心的病態と考えられたが、脳底動脈の関与のエビデンスが乏しいことから「脳底型」に変更され、さらに「脳幹性前兆」に変更された。Migraine stupor、confusional migraineは意識障害を伴う片頭痛発作に用いられた用語であるが、多くは「脳幹性前兆を伴う片頭痛」あるいは、「遷延性前兆で脳梗塞を伴わないもの」に該当する。現在は頭痛診断名としては用いない。<br />
* 片頭痛の合併症(complications of migraine):表2に示したサブフォームがある。以前用いられた複雑(型)片頭痛(complicated migraine, complex migraine)は研究者により内容が異なる。通常の片頭痛とは異なるという意味で用いられる場合と、前兆の遷延や脳梗塞の併発に用いられる場合などがあった。<br />
* 片頭痛に関連する周期性症候群(episodic syndromes that may be associated with migraine)には、表2に示すごとく腹部片頭痛(abdominal migraine)や、良性発作性めまい(benign paroxysmal vertigo)が含まれる。これら頭痛以外の症状が発作性反復性に発現し片頭痛と同等と考えられるものを、片頭痛等価症(migraine equivalent)と記載されることがある。ICHD-2では小児周期性症候群(片頭痛に移行することが多いもの)[childhood periodic syndromes that are commonly precursor of migraine]として記載されていた。<br />
* 緊張型頭痛(tension-type headache): 緊張性頭痛(tension headache)、筋収縮性頭痛(muscle contraction headache)はほぼ同義に使用されてきた。ストレス頭痛(stress headache)、本態性頭痛(essential headache)、特発性頭痛(idiopathic headache)および心因性頭痛(psychogenic headache)も大部分は現在の緊張型頭痛に該当するが、個々の研究により定義が異なり、片頭痛の一部が含まれる場合や、精神疾患による頭痛、身体化障害による頭痛が含まれると考えられる場合などがある。<br />
* 群発頭痛(Cluster headache):毛様体神経痛(ciliary neuralgia)、ヒスタミン性頭痛(histaminic cephalalgia)、ホートン頭痛(Horton's headache)などの記載が用いられていたが、現在はほとんど使用されなくなった。<br />
<br />
==参考文献==<br />
<references /></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=22q11.2%E6%AC%A0%E5%A4%B1%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4%E3%81%8A%E3%82%88%E3%81%B322q11.2%E9%87%8D%E8%A4%87%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4&diff=37058
22q11.2欠失症候群および22q11.2重複症候群
2017-01-09T11:01:47Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">廣井 昇</font><br><br />
''アルバートアインシュタイン医科大学''<br><br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0080375 吉川 武男]</font><br><br />
''国立研究開発法人理化学研究所 脳科学総合研究センター''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2015年9月17日 原稿完成日:2015年12月30日 改訂版受付日:2016年11月2日 改訂版完成日:2016年11月4日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
英:22q11.2 deletion syndrom and 22q11.2 duplication syndrome 独:Mikrodeletionssyndrom 22q11.2 仏:Microdélétion 22q11.2<br />
<br />
同義語:[[velocardiofacial syndrome]]([[VCFS]])、[[conotruncal anomaly face syndrome]]([[CTAF]])、[[Cardiac defects, Abnormal facies, Thymic hypoplasia, Cleft palate, and Hypocalcemia, and a variable deletion on chromosome 22]]([[CATCH 22]])、[[DiGeorge syndrome]]、[[Shprintzen syndrome]]、[[Sedláčková syndrome]]、[[Cayler cardiofacial syndrome]]、[[Takao syndrome]]<br />
<br />
{{box|text= 22q11.2欠失症候群および22q11.2重複症候群は、ヒト染色体22q11.2領域の遺伝子量の増減によりおこる一連の症状群をさす。22q11.2欠失の身体症状では、心疾患、口蓋裂、典型的な顔の骨格、副甲状腺縮小、胸腺の欠如あるいは形成不全、ならびにそれらの機能不全によるさまざまな症状がみられる。精神疾患では、知的障害、注意欠陥・多動性障害(ADHD)、統合失調症、自閉症スペクトラム障害などが頻発する。22q11.2重複保有者は、認知運動機能の発達の遅れや知的障害、あるいは学習困難が多くみられ、自閉症スペクトラム障害の診断もみられる。身体症状としては、両眼隔離、発育不全、視覚聴覚異常、小顎、口蓋帆咽頭不全、手足耳の形成異常、筋緊張低下や特徴的顔貌などがある。両者とも、診断は出生前あるいは出生後でのDNA検査によって確定する。22q11.2欠失・重複自体の治療法はないが、各症状に対する外科手術、薬物治療などがなされている。認知機能の遅れや知的障害、学習困難に対しては療育プログラムが施行されている。病態生理の詳細はいまだ十分には理解されていないが、ヒト遺伝子関連研究やマウスなどのモデルを用いた研究では、''TBX1、COMT、DGCR8''などの遺伝子の精神疾患の症状への関与が示唆されている。}}<br />
<br />
==歴史的推移==<br />
現在22q11.2欠失症候群として知られる疾病は、症候群内の個々の症状要素の種類および重篤度に個人差があるため、それぞれの発見者やグループによってさまざまな呼び方をされてきた('''表1''')。<br />
<br />
その後、これらの症候群が実は同じ[[wikipedia:ja:染色体異常|染色体異常]]に由来することが判明したが<ref name=ref1><pubmed>1360769</pubmed></ref> <ref name=ref2><pubmed>1349199</pubmed></ref> <ref name=ref3><pubmed>2045103</pubmed></ref> <ref name=ref4><pubmed>1349369</pubmed></ref>、どの用語を使うかで学会が分裂し用語論争と先取権争いに発展した。しかしそれらの動きは患者の利益に繋がらないことから、用語をその遺伝的機序に基づき22q11.2欠失症候群に統一する動きがある。<br />
<br />
22q11.2欠失患者では、[[知的障害]]、[[ADHD]]、[[統合失調症]]、[[自閉症スペクトラム障害]]の発症が認められ、22q11.2重複患者でも[[認知機能]]の低下および知的障害や[[自閉症]]スペクトラム障害が高い頻度で生じる<ref name=ref5><pubmed>23917946</pubmed></ref> <ref name=ref6><pubmed>24577245</pubmed></ref>。その後、[[精神疾患]]患者のサンプルで報告された[[コピー数変化]]([[CNV]])と総称される[[染色体]]変異は各精神疾患診断名の中で1%以下の割合で存在し、それゆえに他の精神疾患関連CNVと併せてrare copy number variantsと総称されるものの中にも22q11.2欠失および重複は含まれていることがわかった<ref name=ref7><pubmed>22424231</pubmed></ref>。<br />
{| class="wikitable"<br />
|+ 表1.22q11.2欠失症候群の別名<br />
|- <br />
| <br />
*症状による命名:[[velocardiofacial syndrome]]([[VCFS]])、[[conotruncal anomaly face syndrome]]([[CTAF]])、[[Cardiac defects, Abnormal facies, Thymic hypoplasia, Cleft palate, and Hypocalcemia, and a variable deletion on chromosome 22]]([[CATCH 22]])<br />
*名祖命名:[[DiGeorge syndrome]]、[[Shprintzen syndrome]]、[[Sedláčková syndrome]]、[[Cayler cardiofacial syndrome]]、[[Takao syndrome]]<br />
|}<br />
==症状==<br />
22q11.2欠失症候群で観察される症状は多岐にわたり、しかも個人間での発現症状と重篤度でバラツキが見られるのが特徴である。身体症状としては'''表2'''のものが見られる。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+ 表2.22q11.2欠失症候群の身体症状<br />
|- <br />
| <br />
*[[wj:円錐動脈幹異常|円錐動脈幹異常]]などの[[wj:先天性心疾患|先天性心疾患]]<br />
*[[wj:チアノーゼ|チアノーゼ]]<br />
*[[wj:粘膜下口蓋裂|粘膜下口蓋裂]]や[[wj:口蓋裂|口蓋裂]]などの[[wj:鼻咽腔閉鎖機能不全|鼻咽腔閉鎖機能不全]]<br />
*[[wj:胸腺|胸腺]]の欠如あるいは形成不全<br />
*[[wj:自己免疫疾患|自己免疫疾患]]<br />
*典型的な顔の骨格(小さく低い位置にある耳、横に広がった目の位置、厚めのまぶた、比較的長い顔、短い上唇)と短い上唇に起因する乳幼児期の[[摂食]]問題<br />
*副甲状腺縮小による[[wj:副甲状腺ホルモン|副甲状腺ホルモン]]低下<br />
*[[wj:低カルシウム血症|低カルシウム血症]]<br />
*[[腎臓]]異常<br />
*[[wj:喉頭|喉頭]][[wj:気管|気管]][[wj:食道|食道]]異常<br />
*[[痙攣]]<br />
*[[wj:甲状腺|甲状腺]]機能低下<br />
*[[成長ホルモン]]欠如<br />
*[[wj:血小板|血小板]]減少<br />
*[[聴覚]]異常<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
それぞれの精神疾患の罹患率は年齢によっても異なり、また知的障害は自閉症スペクトラム障害とも重複する。精神疾患としては'''表3'''のものがある<ref name=ref5 /> <ref name=ref6 />。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+ 表3.22q11.2欠失症候群の精神症状<br />
|- <br />
| <br />
*[[知的障害]]<br />
*[[注意欠陥・多動性障害]](ADHD)<br />
*[[不安症]]状<br />
*[[統合失調症]]<br />
*[[自閉症スペクトラム障害]]<br />
*[[抑うつ]]<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
22q11.2重複は一般に症状が軽く個人間で症状出現にバラツキがあり、身体症状だけでは診断が難しい。主な症状は'''表4'''のものを含む<ref name=ref5 /> <ref name=ref8><pubmed>18707033</pubmed></ref>。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+ 表4.22q11.2重複症候群の主な症状<br />
|- <br />
| <br />
*[[認知運動機能]]の発達の遅れ <br />
*知的障害および学習困難<br />
*両眼隔離<br />
*発育不全<br />
*[[視覚]]聴覚異常<br />
*[[行為障害]]<br />
*小顎<br />
*口蓋帆咽頭不全<br />
*手足耳の形成異常<br />
*筋緊張低下<br />
*平坦な鼻など特徴的な顔貌 <br />
|-<br />
|}<br />
<br />
なお、22q11.2重複は統合失調症の発症リスクを減少させる(発症防御因子)という報告もある<ref name=ref9><pubmed>24217254</pubmed></ref>。<br />
<br />
==確定診断==<br />
22q11.2欠失の診断は、[[Fluorescence In Situ Hybridization]]([[FISH]])、[[BACs-on-Beads technology]]、[[Multiplex Ligation-dependent Probe Amplification]]([[MLPA]])、[[Array-Comparative Genomic Hybridization]]([[Array-CGH]])などの検査で確定する。<br />
<br />
欠失が単一[[DNA]]プローブの外にある非定型の場合FISHでは見逃すことがあり、多くのプローブを同時に使うBACs-on-Beads technologyやMLPAが必要となる。また、Array-CGHはゲノム全域にわたってプローブが組み込まれた検知法であるため、欠失や重複の長さがより正確に同定できる。重複はFISH, Array-CGHやMLPAで同定されている。<br />
<br />
==疫学==<br />
遺伝子疾患としての22q11.2欠失の頻度は、これまでに主に出生後の子供のサンプルに基づき4,000から6,000人に1人という推定がなされていた<ref name=ref10><pubmed>12837874</pubmed></ref> <ref name=ref11><pubmed>14736631</pubmed></ref>。一方、9,000以上の胎児のサンプルを用いた最近の研究で、遺伝子疾患リスクの高いサンプルで22q11.2欠失が1.08%(92人に1人)、22q11.2重複が0.30%(330人に1人)、遺伝子疾患リスクの低いサンプルでも欠失が0.10%(992人に1人)、重複が0.12%(850人に1人)で見つかり、全サンプルでは22q11.2欠失が0.34%(292人に1人)、22q11.2重複が0.16%(622人に1人)であった<ref name=ref12><pubmed>25962607</pubmed></ref>。<br />
<br />
精神疾患に関しては、22q11.2欠失は稀な染色体数変異(rare copy number variants)と呼ばれるもので、統合失調症と診断された患者群の0.2-0.3%、自閉症スペクトラム障害と診断された患者群の0.07%に存在する。研究初期の小規模の統合失調症サンプルではより高率で22q11.2欠失が見つかるとの報告もあったが、最近の大規模研究でこの主張は否定されている<ref name=ref7 /> <ref name=ref13><pubmed>24311552</pubmed></ref>。また、自閉症スペクトラム障害は22q11.2欠失では生じないとの一部研究者の主張も、大規模研究では支持されていない<ref name=ref7 />。<br />
<br />
22q11.2重複は健常人では0.08%で見られるが、知的障害、[[発達遅延]]、[[wj:先天性形成異常|先天性形成異常]]を持つものでは0.32%、自閉症スペクトラム障害児では0.28%と健常人よりも有意に高い率で見つかっている<ref name=ref7 />。<br />
<br />
==病態生理==<br />
=== 染色体異常 ===<br />
22q11.2欠失は、[[ヒト]]22番染色体長腕のq11.2領域における1コピーの欠失による。大多数においては3 Mbの欠失、残りは3 Mb 部位の内側にある1.5 Mbや2 Mb欠失、あるいは3 Mbを含みそれ大きな以上の染色体欠失である。これらの領域から離れた部位での欠失も1%以下のケースでみられる<ref name=ref14><pubmed>9106531</pubmed></ref> <ref name=ref15><pubmed>23245648</pubmed></ref> <ref name=ref16><pubmed>17028864</pubmed></ref>。22q11.2重複も、欠失と同じ部位での3 Mbあるいはその内側での 1.5 Mb重複として起こる。22q11.2欠失は両親の一方から受け継いだケースがみられるが、新規な遺伝子異常(''de novo'')のケースの方が多い<ref name=ref17><pubmed> 24395195</pubmed></ref> <ref name=ref18><pubmed>9350810</pubmed></ref>。一方で22q11.2重複は、逆に両親の一方から遺伝して生じる方が新規な遺伝子異常のケースより多いと推定されている<ref name=ref19><pubmed>25118001</pubmed></ref>。欠失や重複の起始点や終着点が同一箇所になるのは、[[low copy repeats]](LCR)と呼ばれる染色体部位でのゲノム再編成によると考えられている。<br />
<br />
欠失、重複は最低でも1.5 Mb、大多数において3Mbにも及ぶため、そこに含まれている多くの遺伝子がどのように身体症状および精神症状に寄与しているのかはよくわかっていない。CNV領域にコードされている遺伝子は、タンパクを作るものだけではなく[[マイクロRNA]]と呼ばれるタンパク質を生成せず他の遺伝子の[[翻訳]]を制御するものも含まれている。<br />
<br />
欠失・重複の両方で多くの同じ症状が出現することから、22q11.2での遺伝子が適正値から多くても少なくても症状を引き起こすものと考えられている<ref name=ref5 />。しかしながら、統合失調症は欠失では高頻度で見られるものの重複では見られないか、あるいは防御因子になることから<ref name=ref9 />、遺伝子量の増減が必ずしも同一症状を引き起こすものではない。さらに、22q11.2欠失・重複では症状のバラツキが大きいので、当該領域の遺伝子の表現型に与える影響は決して100%ではなく、各症状の出現には欠失・重複領域の遺伝子の他、他のゲノム領域上の遺伝子との相加的作用、相乗的相互作用が想定される。[[マウス]]での遺伝子背景を変えた研究、また人での統合失調症の[[エキソーム解析]]の結果から、このような機序の存在が示唆されている<ref name=ref20><pubmed>24482440</pubmed></ref> <ref name=ref21><pubmed>19240081</pubmed></ref>。<br />
<br />
ヒトでは、22q11.2欠失・重複領域内にある単一遺伝子のCNVは報告されていないため、個々の遺伝子がどの症状にどのように関与しているかについては、詳細は不明である。ただ、[[TBX1|''TBX1'']]遺伝子の機能欠失型変異を持つ家系は数例報告されており、これらの家系では[[心臓|心]]疾患、[[副甲状腺]]機能低下症、典型的な顔貌、知能発達遅延、自閉症スペクトラム障害、[[広汎性発達障害]]、等が見られることから、''TBX1''の22q11.2欠失症候群における一部の症状への寄与が推定されている<ref name=ref22><pubmed>11748311</pubmed></ref> <ref name=ref23><pubmed>24637876</pubmed></ref> <ref name=ref24><pubmed>16684884</pubmed></ref>。<br />
<br />
===iPS細胞を用いた研究===<br />
22q11.2欠失を持ちかつ統合失調症を発症した患者から[[iPS細胞]]を樹立し、それを分化させた[[ニューロスフェア]]([[神経幹細胞|神経幹]]/[[神経前駆細胞|前駆細胞]]の塊)、[[神経細胞]]、[[グリア細胞|グリア]]系の細胞の解析から得られた知見として、<br />
<br />
#患者由来のニューロスフィアのサイズは健常者と比べて約30%小さい<br />
#このニューロスフィアを神経系の細胞(神経細胞とグリア細胞)に分化誘導したところ、患者由来のニューロスフィアは健常者由来と比べて神経細胞に分化する割合が約10%低く、[[アストロサイト]](グリア細胞の一種)に分化する割合が約10%高い、<br />
#患者由来のニューロスフィアのサイズ減少には、[[miR-17]]/[[miR-92|92]]のmiRNAや[[miR-106a]]/[[miR-106b|b]]、[[miRNA-185]]の発現低下が関与している、<br />
#miRNAの異常は、欠失領域にマップされていて成熟miRNAの形成に関与する[[DGCR8]]の影響と考えられる、<br />
#上記miRNAの発現低下が標的の1つである[[p38α]] ([[MAPK14]])の発現上昇を引き起こし、患者由来のニューロスフィアでみられた分化効率の異常につながると考えらる。実際患者由来のニューロスフィアにおけるp38αの発現量を調べた結果、健常者由来のニューロスフィアに比べて約30%上昇しており、p38の[[阻害剤]]によって患者由来のニューロスフィアの分化効率を改善できた、<br />
#死後脳解析においても、健常者の死後脳と比べて患者の死後脳(統合失調症群)では神経細胞のマーカーである[[MAP2]]遺伝子の発現量の低下と、アストロサイトのマーカーである[[GFAP]]遺伝子の発現量の上昇がみられた、<br />
等が報告されている<ref><pubmed>27801899</pubmed></ref>。<br />
<br />
<br />
=== 病態動物モデル===<br />
22q11.2領域にある遺伝子をマウスのゲノムで遺伝子操作した研究からは、各々の遺伝子の役割が推定されている。''Tbx1''欠損マウスは、22q11.2欠失症候群の[[心臓]]疾患をある程度再現することから<ref name=ref25><pubmed>11242110</pubmed></ref> <ref name=ref26><pubmed>11242049</pubmed></ref> <ref name=ref27><pubmed>11239417</pubmed></ref>、この遺伝子が特に心臓疾患に寄与すると考えられている。マウスでの''Tbx1''欠損は、他にも[[胸腺]]の形成異常、[[口蓋裂]]、[[聴覚]]異常などを起こす<ref name=ref28><pubmed>15190012</pubmed></ref>。<br />
<br />
精神疾患に寄与するものとしては、22q11.2領域遺伝子の単独欠損マウスを用いた解析が行われている<ref name=ref5 />。''Tbx1''欠損マウスは、自閉症スペクトラム障害様の広汎な行動異常を引き起こす<ref name=ref29><pubmed>21908517</pubmed></ref>。<br />
<br />
[[Sept5|''Sept5'']]欠損マウスは、社会行動に選択的な異常を示す<ref name=ref21 /> <ref name=ref30><pubmed>22589251</pubmed></ref>。認知機能の重要な要素である[[作業記憶]]は、''Tbx1''欠損28および''Dgcr8''欠損<ref name=ref31><pubmed>24904170</pubmed></ref> <ref name=ref32><pubmed>23719809</pubmed></ref> <ref name=ref33><pubmed>18469815</pubmed></ref>で異常を呈する。<br />
<br />
22q11.2重複については、ヒト22q11.2ゲノム領域を含んだ[[wj:ベクター (遺伝子工学)#人工染色体ベクター|BAC]]([[wj:ベクター (遺伝子工学)#人工染色体ベクター|bacterial artificial chromosome]])クローンを用いて[[トランスジェニックマウス]]を作成し、複数遺伝子を過剰発現させた場合の解析が進んでいる<ref name=ref5 />。''SEPT5''、[[GP1BB|''GP1BB'']]、''TBX1''、[[GNB1|''GNB1L'']]を含む200 kbのヒト22q11.2相当部位を過剰発現させたマウスでは、[[抗精神病薬]]で抑えられる活動量亢進を示し、[[社会行動]]の低下がみられた<ref name=ref34><pubmed>16365290</pubmed></ref>。その隣接部位190 kbの染色体領域は、[[TXNRD2|''TXNRD2'']]、[[COMT|''COMT'']]、[[ARVCF|''ARVCF'']]を含み、この部位の過剰発現は[[作業記憶]]を選択的に障害した<ref name=ref35><pubmed>19617637</pubmed></ref>。これらの遺伝子の過剰発現が、さまざまな精神疾患のいろいろな側面に関与していると推定されている。<br />
<br />
==治療==<br />
現時点で22q11.2欠失・重複自体の治療法はないが、症候群内の個々の症状に対してはさまざまな治療法が施されている。心臓疾患は修復外科手術により生存率が高まり、胸腺欠如は[[wj:胸腺|胸腺]][[wj:移植|移植]]手術によって機能が回復し、[[wikipedia:ja:細菌|細菌]][[wikipedia:ja:感染症|感染症]]は[[wikipedia:ja:抗生物質|抗生物質]]で対処できる。[[wj:副甲状腺|副甲状腺]]機能低下症に起因する[[wikipedia:ja:低カルシウム血症|低カルシウム血症]]は、[[wikipedia:ja:ビタミンD|ビタミンD]]や[[カルシウム]]サプリメントで補正される。精神症状には[[抗精神病薬]]等が用いられる。認知機能の遅れや[[知的障害]]、[[学習困難]]に対しては、専門機関、専門家による療育プログラムが施行されている。<br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[コピー数変化]]<br />
<br />
==参考文献==<br />
<references /><br />
</div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E3%82%A2%E3%83%9F%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%89%CE%B2%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%AF%E8%B3%AA&diff=37057
アミロイドβタンパク質
2017-01-09T11:00:33Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/_tomitataisuke 富田 泰輔]</font><br><br />
''東京大学 薬学研究科''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2013年12月7日 原稿完成日:2014年1月4日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
英:amyloid-β protein、Aβ<br />
<br />
同義語:アミロイドβペプチド、amyloid-β peptide、βアミロイド、β-amyloid<br />
<br />
{{box|text=<br />
[[アルツハイマー病]]の病理学的特徴の一つである[[老人斑]]の主要構成成分は、アミロイドβタンパク質(Aβ)と呼ばれる40アミノ酸程度のペプチドである。Aβ沈着が病理学的に捉えられる最初期病変であること、Aβが凝集し、直接[[神経細胞毒性]]を示しうること、そして[[家族性アルツハイマー病]]患者の遺伝学的解析から、Aβの産生および蓄積の異常が[[アルツハイマー病]]の発症に深く関係しているという「[[アミロイドカスケード仮説]]」が現在広く支持されている。Aβは前駆体タンパク質APPの部分断片であり、βセクレターゼおよびγセクレターゼによる連続した切断によって産生、分泌される。そして細胞外で様々な経路において分解を受ける。したがってセクレターゼ活性の制御やAβ分解経路の活性化はアルツハイマー病治療戦略として重要であると考えられている。<br />
}}<br />
<br />
==アミロイドβタンパク質とは==<br />
[[Image:TTfig1.PNG|thumb|350px|'''図1.Aβ産生経路'''<br>APPはβ及びγセクレターゼによる切断を受ける。]]<br />
アルツハイマー病患者脳において蓄積している[[脳血管アミロイドアンギオパチー]]や老人斑の生化学的解析から、その主要構成成分として同定された40アミノ酸程度のペプチドである<ref><pubmed> 6375662 </pubmed></ref>。Aβ沈着が病理学的に捉えられる最初期病変であること、Aβが凝集し、直接神経細胞毒性を示しうること、そして家族性アルツハイマー病患者の遺伝学的解析から、Aβの産生および蓄積の異常がアルツハイマー病の発症に深く関係しているという「アミロイドカスケード仮説」が現在広く支持されている。<br />
<br />
==産生==<br />
cDNAクローニングによりAβは前駆タンパク質である[[Amyloid-β precursor protein]]([[APP]])の部分断片であること、[[βセクレターゼ]]および[[γセクレターゼ]]による連続した二段階切断によって切りだされ、細胞外へと[[分泌]]されることが示された<ref><pubmed> 20139999 </pubmed></ref>。<br />
<br />
βセクレターゼ活性は[[BACE1]]と呼ばれる[[一回膜貫通型アスパラギン酸プロテアーゼ]]によって担われており、その切断が総Aβ産生量を規定している。<br />
<br />
γセクレターゼは[[プレセニリン]]を活性中心サブユニットとし、[[ニカストリン]]、[[Aph-1]]、[[Pen-2]]と膜タンパク複合体<ref><pubmed> 12660785 </pubmed></ref>として活性を発揮する[[膜内配列切断アスパラギン酸プロテアーゼ]]<ref><pubmed> 23585568 </pubmed></ref>であり、APPの膜貫通領域を細胞質側から徐々に切断し最終的にAβを分泌せしめる。プレセニリンは9回膜貫通型構造を取り、第6膜貫通領域にYDモチーフ、第7膜貫通領域にGxGDモチーフと呼ばれる活性中心アミノ酸残基を含むモチーフを持つ。また第8および第9膜貫通領域の間にPALモチーフと呼ばれる種間保存性の高い一次配列を持つ。これら3つのモチーフを含む膜結合型プロテアーゼは[[wj:古細菌|古細菌]]から保存されており、[http://merops.sanger.ac.uk/cgi-bin/famsum?family=a22 Peptidase family A22]としてMEROPSデータベース上で分類されている。しかし4種類の膜タンパク質からなる複合体形成を必要とするのはγセクレターゼのみである。<br />
<br />
一方APPにはAβ配列の16番目で[[αセクレターゼ]]による切断を受ける代謝経路も存在する。この結果生じたC末端断片もγセクレターゼによる切断を受けてp3と呼ばれる短い断片が分泌される。この場合はAβ産生には至らないため、[[アルツハイマー病]]発症に対して防御的な経路と考えられる。神経細胞における主たるαセクレターゼとしては[[細胞外プロテアーゼ#ADAM_proteases_with_thrombospondin_motif|ADAM9]]、[[細胞外プロテアーゼ#ADAM_proteases_with_thrombospondin_motif|ADAM10]]、[[細胞外プロテアーゼ#ADAM_proteases_with_thrombospondin_motif|ADAM17]]が候補として考えられている。<br />
<br />
APPのα、β切断によって細胞外領域が分泌されるが、このような現象は[[エクトドメインシェディング]]とも呼ばれ、様々な膜タンパク質において観察されている<ref><pubmed> 22991436 </pubmed></ref>。そしてシェディングによって生じる膜結合型の断片がさらに引き続いて膜内配列におけるγ切断をうけるI型膜貫通蛋白も多く知られており、APPファミリー分子の他にも[[Notch]]や[[カドヘリン]]、[[CD44]]、[[ニューレグリン]]、[[ErbB4]]、[[アルカデイン]]、[[ニューロリギン]]などがその切断を介して神経・[[グリア細胞]]の分化、[[神経可塑性]]や神経生存性に重要な役割を果たすことが示されている<ref><pubmed> 16630834 </pubmed></ref><ref><pubmed> 19038214 </pubmed></ref><ref><pubmed> 21865451 </pubmed></ref><ref><pubmed> 21982365 </pubmed></ref><ref><pubmed> 23083742 </pubmed></ref>。また一部の基質ではAβ様分泌ペプチドの産生が確認されている<ref><pubmed> 20049724 </pubmed></ref><ref><pubmed> 21681798 </pubmed></ref>。しかしその生理的機能は定かではなく、またAβ以外の分子が凝集能を示すことは報告されていない。また多くの場合、シェディングの役割は細胞表面膜に存在する基質の量を低下させることに寄与している。したがってAβが産生されるプロセスは比較的普遍的な膜タンパク質代謝の一つであり<ref><pubmed> 15173829 </pubmed></ref>、シェディングによって生じた膜結合型断片を分解する過程で生じた産物とも考えられる。<br />
<br />
一方、γセクレターゼ切断によって放出される細胞質内領域が何らかの役割を果たしていることが多い。特に膜受容体型[[転写因子]]である[[Notch]]は、近接する細胞に発現しているリガンドの結合を契機として[[ADAM10]]によりシェディングを受け、引き続きγセクレターゼによって転写活性化ドメインを含む細胞質内領域を放出し、遺伝子発現を調節している<ref><pubmed> 23028119 </pubmed></ref><ref><pubmed> 24099003 </pubmed></ref>。<br />
<br />
==凝集性と沈着様式==<br />
Aβの特徴はその凝集性の高さであり、[[wikipedia:ja:緩衝液|緩衝液]]中に高濃度で存在するだけで凝集してアミロイド線維を形成する。凝集したAβは分解抵抗性を示す。人工合成ペプチドを用いた解析から、その線維形成過程は主にAβの一次配列とアミノ酸長に依存することが示されている。特に産生時のγセクレターゼによる切断部位の多様性によって生じる最C末端長の違いが、生理的条件下で生じうるAβの凝集性を変化させる要因である。Aβの主な分子種として、第40番目のアミノ酸であるValで終わるAβ40、第42番目のアミノ酸であるAlaで終わるAβ42が知られている。通常、神経細胞からはAβ40がAβ42に比して10倍近く多く産生される<ref><pubmed> 7640283 </pubmed></ref>。<br />
<br />
このうちAβ42は<i>in vitro</i>で凝集性が高く<ref><pubmed> 8490014 </pubmed></ref>、アルツハイマー病患者脳においても初期から優位に蓄積することが知られている<ref><pubmed> 8043280 </pubmed></ref>。最近、Aβ43が更に凝集性が高い分子種であり、アルツハイマー病脳でも蓄積していることが示され、AβのC末端長の重要性が再確認されている<ref><pubmed> 21725313 </pubmed></ref>。また産生後に生じる最N末端の部分分解とピログルタミル化<ref><pubmed> 7857653 </pubmed></ref>も非常に疎水性が上がるため重要であると考えられている。そのためアルツハイマー病患者脳に老人斑として蓄積している最も主要なAβは、3番目の[[グルタミン酸]]がピログルタミル化し、最C末端が42番目のアラニンで終わっている分子種であると想定されている。<br />
<br />
凝集したAβが神経細胞毒性を発揮する機構として近年オリゴマー仮説が注目されている(「アルツハイマー病」の4.2.3「オリゴマー仮説」参照)。この仮説では特に神経細胞死を惹起する前に可溶性Aβオリゴマーが毒性受容体を介してシナプス毒性を引き起こしているという仮説が考えられており、様々な膜タンパク質がAβ毒性受容体候補としてあげられている(「アミロイドーシス」の「細胞毒性」を参照)。<br />
<br />
==家族性アルツハイマー病とAβ==<br />
[[Image:TTfig2.PNG|thumb|350px|'''図2.Aβ産生量を変化させる遺伝子変異'''<br>β及びγセクレターゼによる切断に影響を与える遺伝子変異。]]<br />
<br />
第21番染色体のトリソミーである[[ダウン症]]患者脳において早期より老人斑蓄積が見られることから、APP遺伝子とアルツハイマー病の関係が示唆されていた。その後見出された家族性アルツハイマー病(FAD)に連鎖する遺伝子変異([http://www.molgen.ua.ac.be/ADMutations/ Alzheimer Disease & Frontotemporal Dementia Mutation Database])の多くはこのAβの産生量(図2)もしくは凝集性を高める性質を示すことが明らかとなった。さらにAPP遺伝子の重複変異を持つFAD家系<ref><pubmed> 16369530 </pubmed></ref>が同定され、[[アルツハイマー病]]におけるアミロイドカスケード仮説の強い根拠となっている。<br />
<br />
===総Aβ産生量を変化させる遺伝子変異===<br />
βセクレターゼ切断部位近傍に存在するSwedish変異(KM670/671NL)<ref><pubmed> 1302033 </pubmed></ref>、Italian変異(A673V(Aβ配列としてA2V))<ref><pubmed> 19286555 </pubmed></ref>は、APPのBACE1に対する親和性を高め、総Aβ産生量を上昇させる。またβセクレターゼの切断部位にはAβ配列内にもう一つ存在し、β’切断部位と呼称されている。この切断はN末端が短いAβ産生につながるが、β’切断部位の変異であるLeuven変異(E682K(Aβ配列としてE11K))がβ’切断を抑制し、結果的に総Aβ産生量を増加させる効果を持つ<ref><pubmed> 21500352 </pubmed></ref>。<br />
<br />
一方ごく最近、アイスランド国民の全ゲノムシーケンシング解析からアルツハイマー病および老化に伴う[[認知機能]]低下に対して防御的に作用するrare variantとしてAβ産生を40%低下させるIcelandic変異(A673T(Aβ配列としてA2T))が同定された<ref><pubmed> 22801501 </pubmed></ref>。この変異はβセクレターゼによる切断効率を低下させることが示されている。この変異はAβ産生量の変化がアルツハイマー病の発症リスクを規定していることを明確にしたと言える。<br />
<br />
これまでにBACE1遺伝子変異は報告されていないが、アルツハイマー病患者脳や[[脳脊髄液]]中でBACE1タンパク質<ref><pubmed> 12514700 </pubmed></ref>や活性<ref><pubmed> 12223024 </pubmed></ref><ref><pubmed> 14978286 </pubmed></ref>の上昇が報告されている。すなわち、老化に伴うBACE1活性の変動が孤発性アルツハイマー病発症機序に影響を与えている可能性が示唆されている。また最近になり、FADにおいてADAM10の機能欠失型変異が見出され、非Aβ産生経路の抑制がAPP代謝をAβ産生へとシフトさせ、アルツハイマー病を惹起することも示された<ref><pubmed> 24055016 </pubmed></ref>。<br />
<br />
===凝集性の高いAβ42の産生比率を変化させる遺伝子変異===<br />
APP配列内のAβ配列近傍に存在するFAD変異は、Aβ分子そのものに影響を与えないが、その産生量を変化させる。世界で初めて家族性アルツハイマー病に連鎖する遺伝子変異として見出されたのがそのような変異のひとつであるLondon変異(V717I)である<ref><pubmed> 1671712 </pubmed></ref>。長らくこのLondon変異が引き起こす生化学的変化については不明であったが、[[wikipedia:ja: 武田薬品工業|武田薬品工業株式会社]]の鈴木、尾高らがAβの最C末端の違いを認識する断端抗体を樹立し、その抗体を利用した[[wj:ELISA#.E3.82.B5.E3.83.B3.E3.83.89.E3.82.A4.E3.83.83.E3.83.81.E6.B3.95|サンドイッチELISA]]法が開発されたことによって、London変異が分泌AβのC末端長に影響を与えることが示された<ref><pubmed> 8191290 </pubmed></ref>。<br />
<br />
同様にAβのC末側に存在するIranian変異(T714A)、Austrian変異(T714I)、German変異(V715A)、French変異(V715M)、Florida変異(I716V)、Iberian変異(I716F)、London変異(V717Iの他、L、F、G)、Australian変異(L723P)、Belgian変異(K724N)などは、いずれもγセクレターゼによる切断を変化させ、総Aβ産生量には大きな影響を与えずに特に凝集性の高いAβ42の産生比率(総Aβ産生量に対する)を上昇させる。またFlemish変異(A692G(Aβ配列としてA21G))はAβ産生量を増大させる。これはA21を含む領域がAPPに存在するγセクレターゼ活性を抑制するドメインであり、Flemish変異はその抑制効果を低下させるため、Aβ産生量を増加させると考えられている<ref><pubmed> 20062056 </pubmed></ref>。<br />
<br />
一方で、ほとんどのFADは[[Presenilin 1]]もしくは[[Presenilin 2|2]]遺伝子上の点突然変異に連鎖する。これらのFAD変異がプレセニリンタンパク質にどのような影響を及ぼしているかは未だ定かではないが、Aβ42産生を上昇させる変異の他、Aβ40産生を低下させる変異や、全体としてAβ産生を抑制するような変異も報告されている。しかしいずれの変異においても野生型γセクレターゼと比較してAβ42の産生比率を特異的に増加させることが共通しており<ref><pubmed> 10327206 </pubmed></ref><ref><pubmed> 16752394 </pubmed></ref>、その結果アルツハイマー病の発症過程が促進されていると考えられている。<br />
<br />
βセクレターゼに対するIcelandic変異のように、γセクレターゼによるAβ42産生を抑制する変異は未だ見出されていないが、アルツハイマー病に関連する遺伝学的予防因子<i>PICALM</i><ref><pubmed> 24162737 </pubmed></ref>の発現量低下がγセクレターゼの細胞内輸送を変化させることでAβ42産生量を低下させることが報告されている。<br />
<br />
===凝集性を変化させる遺伝子変異===<br />
[[Image:TTfig3.PNG|thumb|350px|'''図3.Aβの凝集性を変化させる遺伝子変異'''<br>Aβ配列内部の変異は凝集性に影響を与える。]]<br />
<br />
Aβ配列内(図3)にも多くのFAD変異が存在し、多くの場合はAβの凝集性に大きな影響を与える。Aβ配列のN末端側にある変異は、British変異(H677R(Aβ配列としてH6R))、Tottori変異(D678N(Aβ配列としてD7N))そしてItalian変異(A673V(Aβ配列としてA2V))である。British変異およびTottori変異は、いずれもAβアミロイド線維形成を亢進させる<ref><pubmed> 17170111 </pubmed></ref>。Italian変異については、βセクレターゼによる切断を亢進させると同時に凝集性を高める<ref><pubmed> 19286555 </pubmed></ref>。<br />
<br />
一方、Aβ配列の中央部に位置する変異としては、Arctic変異(E693G(Aβ配列としてE22G))、Osaka変異(ΔE693(Aβ配列としてΔE22))、Iowa変異(D694N(Aβ配列としてD23N))が存在する。Dutch変異(E693Q(Aβ配列としてE22Q))はオランダ型[[遺伝性アミロイド性脳出血]]に連鎖する変異として発見された。Dutch変異、Arctic変異ともに<i>in vitro</i>でアミロイド線維形成能が高いこと<ref><pubmed> 12944403 </pubmed></ref>が示されている。加えて、Arctic変異はAβ線維形成過程の中間段階で生じるプロトフィブリルの形成を亢進・安定化することが観察されている<ref><pubmed> 11528419 </pubmed></ref>。Osaka変異は、2008年に本邦より報告された比較的新しい変異である。興味深いことに、この変異をもつAβはアミロイド線維を形成せずオリゴマーの形で留まり、シナプス毒性を示す<ref><pubmed> 18300294 </pubmed></ref>。<br />
<br />
==分解==<br />
生理的条件下ではAβは[[ネプリライシン]]などの酵素により分解されるため、脳内でのAβの[[wj:半減期|半減期]]は30分程度である<ref><pubmed> 19741145 </pubmed></ref>。その他にも[[インスリン分解酵素]]や、[[プラスミン]]、[[エンドセリン変換酵素]]、[[カテプシン]]、[[KLK7]]、[[細胞外プロテアーゼ#マトリックスメタロプロテアーゼ|マトリックスメタロプロテアーゼ]]などがAβ分解酵素として同定されている。Aβはグリア細胞による貪食を受けることも知られている。さらに血管内皮細胞を介した[[wikipedia:ja:トランスエンドサイトーシス|トランスエンドサイトーシス]]によって排出される可能性も示唆されている。アルツハイマー病の遺伝学的リスク因子として最も強い[[w: Apolipoprotein_E|Apolipoprotein E]]はAβ分解システムに関与している<ref><pubmed> 18549781 </pubmed></ref><ref><pubmed> 21715678 </pubmed></ref>ことが示唆されている他、孤発性アルツハイマー病患者においてはAβクリアランス速度が有意に低下している<ref><pubmed> 21148344 </pubmed></ref>ことが示されており、Aβ分解・代謝経路の全容解明が待たれている。<br />
<br />
==脳内Aβ濃度を保つシステムと機能==<br />
脳内におけるAβ産生はBACE1発現量が最も高い神経細胞が主に担い<ref><pubmed> 10549806 </pubmed></ref>、その産生量は神経活動に依存している<ref><pubmed> 12670422 </pubmed></ref>。そのメカニズムとしてBACE1<ref><pubmed> 21715678 </pubmed></ref>やγセクレターゼ<ref><pubmed> 23563578 </pubmed></ref>、そしてαセクレターゼであるADAM10<ref><pubmed> 23676497 </pubmed></ref>の活性が神経活動に応じて変化することが示されている。<br />
<br />
このような神経活動に依存したAβ産生亢進は、[[昏睡]]患者における[[意識障害|意識レベル]]と脳脊髄液中Aβ量の相関<ref><pubmed> 18755980 </pubmed></ref>や、[[睡眠]]・覚醒と関連した脳内Aβ量の日周期変動<ref><pubmed> 19779148</pubmed></ref>、さらに老人斑沈着を認める非認知症者における異常な脳活動の上昇<ref><pubmed> 19640477 </pubmed></ref>とも関連が示唆されている。その一方で高濃度のAβは神経細胞を異常興奮させること、一方で神経活動を低下させたり、[[神経細胞死]]を招くことが実験系で示されている。このような観点から、神経活動依存性に産生されるAβがフィードバック的に脳内における神経活動の制御に関わっているという可能性も提示されている。しかしAPP[[ノックアウトマウス]]における[[神経可塑性]]異常については報告されておらず、Aβの生理的意義については不明である。<br />
<br />
なおAPPの生理機能については、[[シナプス小胞]]の[[輸送]]や神経突起の伸長に関与していることが示唆されているが<ref><pubmed> 22355794 </pubmed></ref>、[[哺乳類]]においてはファミリー分子である[[APLP1]]、[[APLP2]]が相補的に機能している。そのためAPPノックアウトマウスで大きな異常は認められていないが、APP/APLP2ダブルノックアウトマウスでは脳の発生異常が報告されている。しかしAPLPファミリーとAPPではAβ部分の一次配列が全く異なっており、少なくともAβはAPP機能には必要ないと考えられる。<br />
<br />
==Aβを標的とした抗アルツハイマー病治療薬開発戦略==<br />
[[Image:TTfig7.PNG|thumb|350px|'''図4.アルツハイマー病の進行と分子病態'''<br>Aβ蓄積は15-20年以上前から開始していると推測されている。]]<br />
<br />
アミロイドカスケード仮説に基づき、Aβを標的とした抗アルツハイマー病戦略は根治療法として期待され、特にセクレターゼ活性制御によるAβ産生メカニズムの抑制、Aβ凝集阻害によるアミロイド形成抑制、そしてAβ除去を促進するアミロイド沈着の抑制を主たる薬効とする治療薬開発が推進されてきた。この中でセクレターゼ活性制御のうちγセクレターゼ阻害薬[[wikipedia:en:Semagacestrat|Semagacestat]]の治験は副作用を生じたため開発が中止された。この副作用の原因は定かではないが、前述したようにγセクレターゼは数多くの基質の切断に関与していること、特にNotchシグナルの抑制が大きな問題となったのではないかと考えられている。従って現在ではAβ42産生のみを特異的に低下させるγセクレターゼ制御薬(モジュレーター)や、βセクレターゼ阻害薬の治験が精力的に進められている<ref><pubmed> 19402777 </pubmed></ref>。Aβ凝集阻害については[[scyllo-Inositol]]を用いた治験が行われたが、やはり副作用のため開発中止となった。Aβ除去を目的としたストラテジーについては、現在は特にAβに対する獲得免疫を利用した[[wikipedia:ja:抗体|抗体]]や[[wikipedia:ja:ワクチン|ワクチン]]による治療薬開発が進められている。またAβの凝集性を高めるピログルタミル化を担う酵素[[glutaminyl cyclase]]も、新たな創薬戦略として注目されている<ref><pubmed> 18836460 </pubmed></ref>。<br />
<br />
剖検脳(図4)において老人斑の疾患特異性が高いのに対して、[[神経原線維変化]]は様々な神経変性疾患において観察されること、そして非認知症健常者においても老人斑蓄積が認められることから、Aβ蓄積と[[タウ]]病変である神経原線維変化の関係については、長らく様々な議論がなされてきた。しかしほぼ全てのFAD遺伝子変異がAβ蓄積を亢進する一方で、Aβ産生を抑制する変異が認知機能低下に対する防御的変異として同定されたこと、またタウ遺伝子変異に起因し、老人斑蓄積を認めない[[前頭側頭葉変性症]]が見出され、Aβはアルツハイマー病を惹起する毒性分子であり、タウ病変はその下流で神経細胞死に直接関与するプロセスであると考えられるようになった。そしてモデルマウスを用いて、Aβ蓄積がタウ病変を亢進させる<ref><pubmed> 11520987 </pubmed></ref><ref><pubmed> 11520988 </pubmed></ref>ことや、脳脊髄液中のタウ濃度を上昇させる<ref><pubmed> 23863834 </pubmed></ref>ことが示された。<br />
<br />
一方でこれまでに多くのAβに対する治療法開発が失敗に終わってきた。特にAβ[[wj:ワクチン|ワクチン]]療法[[AN-1792]]の治験では、老人斑蓄積が消失している患者が確認されたにも関わらず認知機能の低下は抑制されておらず<ref><pubmed> 12640446 </pubmed></ref>、アミロイドカスケード仮説に基づいた抗Aβ療法に疑義が呈された。しかし近年の大規模臨床観察研究や、FAD変異キャリヤーのバイオマーカー解析などから、Aβ蓄積はアルツハイマー病発症から15-20年以上前に始まり、引き続いてタウ病変が惹起されること<ref><pubmed> 22784036 </pubmed></ref>、老人斑蓄積が確認される健常者やmild cognitive impairment(MCI)がアルツハイマー病を発症する確率が有意に高いことが明らかとなり<ref><pubmed> 19587325 </pubmed></ref><ref><pubmed> 19346482 </pubmed></ref>、Aβの蓄積が脳アミロイドーシスとしてのアルツハイマー病病変における最上流プロセスであることは間違いないと考えられている。そして抗Aβ抗体医薬の一つ[[Solanezumab]]の治験においては、全体としてはエンドポイントが達成できなかったものの、mild-to-moderateに分類される、比較的早期のアルツハイマー病患者においては認知機能の低下が抑制されたと報告されている([https://investor.lilly.com/releasedetail.cfm?releaseid=711933 Detailed Results of the Phase 3 Solanezumab EXPEDITION Studies])。そのような観点から、未発症期に個々人のAD発症リスクを正しく理解して抗Aβ療法を先制医療として開始することが正しいのではないかと考えられている。<br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[アルツハイマー病]]<br />
*[[アミロイドーシス]]<br />
*[[細胞外プロテアーゼ]]<br />
<br />
==参考文献==<br />
<references/></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%82%B9%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4&diff=37056
ウィリアムス症候群
2017-01-09T10:58:49Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">浅田 晃佑</font><br><br />
''東京大学先端科学技術研究センター''<br><br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0095222 板倉 昭二]</font><br><br />
''京都大学大学院文学研究科''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2013年11月25日 原稿完成日:2013年11月30日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
英語名:Williams syndrome, Williams-Beuren syndrome<br />
<br />
類義語:[[ウィリアムス-ボイレン症候群]]<br />
<br />
関連語:[[乳児高カルシウム血症]]<br />
<br />
{{box|text= ウィリアムス症候群は、7番[[wikipedia:ja:染色体|染色体]]長腕の微細欠失症候群(7q11.23)で、発生頻度の稀な[[神経発達障害]]である。[[wikipedia:ja:心臓|心臓]]疾患、特徴のある顔貌、[[聴覚過敏]]、[[知的障害]]、[[視空間認知]]の障害、高い社交性などが伴う。言語能力の優位性と視空間認知能力の障害という能力の不均衡があると言われてきたが、近年この考えは言語能力と認知能力の乖離を誇張しがちであるとも批判されている。視空間認知の障害として、脳の[[背側経路]]の障害が指摘されている。また、社交性の高さについては、[[扁桃体]]の機能との関連が指摘されている。}}<br />
<br />
==ウィリアムス症候群とは==<br />
ウィリアムス症候群は、7番染色体長腕の微細欠失症候群(7q11.23)で、発生頻度の稀な神経[[発達障害]]である<ref><pubmed>7693128</pubmed></ref>。<br />
<br />
==臨床症状==<br />
===身体所見===<br />
[[image:Williams_syndrome.jpg|thumb|200px|'''図1.ウィリアムス症候群の症例(10歳男性)'''<br>Wikipediaより]]<br />
<br />
[[w:supravalvar aortic stenosis|大動脈弁上狭窄]]、短い[[wikipedia:ja:眼瞼裂|眼瞼裂]]や低い[[wikipedia:ja:鼻根|鼻根]]などの特徴的な顔貌(図1)、聴覚過敏、[[wikipedia:ja:低身長|低身長]]などの身体的特徴を伴い、乳児期に[[wikipedia:ja:高カルシウム血症|高カルシウム血症]]を示す患者もいる<ref>'''山本俊至'''<br> [[ウイリアムズ症候群]]とは<br>大澤真木子・中西俊雄(監修)松岡瑠美子・砂原眞理子・古谷道子(編)ウイリアムズ症候群ガイドブック<br>''東京: 中山書店'':2010, pp.6–9</ref>。<br />
<br />
===神経発達===<br />
[[image:Williams_syndrome_fig1.png|thumb|350px|'''図2.ウィリアムス症候群を持つ子どもが描いた自転車の絵'''<br>左は9歳7か月時、右は12歳11か月時に描いたもの 左は、ハンドル(handles)・ペダル(pedals)・シート(seat)・輪止め(spokes)・車輪(wheel)を描写している<ref name=ref1><pubmed>10899809</pubmed></ref> John Wiley & Sonsより許可を得て掲載]]<br />
<br />
平均[[知能指数]]が55程度で、軽度から中度の[[知的障害]]を持つ人が多い<ref><pubmed>10953231</pubmed></ref>。ウィリアムス症候群を持つ人の特性の中で特筆すべきものとして、言語能力の優位性と視空間認知能力の障害という能力の不均衡があると言われてきた<ref>'''CB Mervis, J Morris, J Bertrand, BF Robinson'''<br>Williams syndrome: Findings from an integrated program of research.<br>In H Tager-Flusberg (Ed.), Neurodevelopmental disorders.<br>''Cambridge, MA: MIT Press'':1999, pp.65–110</ref><ref><pubmed>3584299</pubmed></ref>。そのことにより、言語能力のモジュール説(言語が他の脳領域から独立して機能していることを主張する立場)を支持する症例として研究者らに取り上げられてきたことがあった<ref>'''S Pinker'''<br>Words and rules: The ingredients of language.<br>''New York: Basic Books.'':1999</ref>。しかし、近年この考えはウィリアムス症候群における言語能力と認知能力の乖離を誇張しがちであるとし批判され<ref><pubmed>17326109</pubmed></ref>、その批判を支持する研究が多い<ref>'''A Karmiloff-Smith'''<br>Research into Williams syndrome: The state of the art.<br>In CA Nelson, M Luciana (Eds.), Handbook of Developmental Cognitive Neuroscience (2nd ed.).<br>''Cambridge, MA: MIT Press.'':2008, pp.691–699</ref><ref><pubmed>9180000</pubmed></ref>。<br />
<br />
視空間認知では、積み木の模様構成や描画でかなりの困難を示す。ウィリアムス症候群を持つ子どもの描画能力の例として、図2がある<ref name=ref1></ref>。その一方で、顔の認識能力は他の能力と比べて高く、複数の顔写真の中からターゲットとなる顔と角度や照明の状況が異なっている同じ顔を選択させる[[ベントン顔認識テスト]](Benton [[Test]] of Facial Recognition)で、生活年齢と同等かそれに近いレベルの成績を示すことが報告されている<ref>'''U Bellugi, PP Wang, TL Jernigan'''<br>Williams syndrome: An unusual neuropsychological profile.<br>In S Broman, J Grafman (Eds.), Atypical cognitive deficits in developmental disorders: Implications for brain function.<br>'' Hillsdale, NJ: Lawrence Erlbaum Associates.'':1994, pp.23–56</ref><ref><pubmed>12893122</pubmed></ref>。<br />
<br />
言語・社会能力では、他の能力に比べて高い語い能力を有する。しかし、文法能力は精神年齢と同程度で、語用能力(文脈に応じて適切に言葉を理解・使用する能力)にも困難を抱えるという報告がある<ref><pubmed>22866045</pubmed></ref><ref><pubmed>17241486</pubmed></ref>。また、初対面の人にも躊躇なく接することや人とたくさん話すという高い社交性を持つ<ref><pubmed>20070473</pubmed></ref><ref><pubmed>10953232</pubmed></ref>が、その高すぎる社交性によりトラブルになるまたは巻き込まれるということもある<ref>'''E Semel, SR Rosner'''<br>Understanding Williams syndrome: Behavioral patterns and interventions<br>''Mahwah, NJ: Lawrence Erlbaum Associates'':2003</ref>。<br />
<br />
==診断==<br />
7番染色体長腕の微細欠失症候群(7q11.23)で、[[wikipedia:ja:エラスチン|エラスチン]]遺伝子(elastin; ELN)を含む約1.6Mbの領域の約20の遺伝子が欠失していると言われ<ref>'''山本俊至'''<br> ウイリアムズ症候群であることを確認するには<br>大澤真木子・中西俊雄(監修)松岡瑠美子・砂原眞理子・古谷道子(編)ウイリアムズ症候群ガイドブック<br>''東京: 中山書店'':2010, pp.10–13</ref>、診断は臨床症状の診察を行い、この領域の欠失を判定する[[FISH]]法により確定される。<br />
<br />
==疫学==<br />
頻度は、従来は2万人に1人と言われていたが、最近では7500人に1人の割合という報告がある<ref><pubmed>12088082</pubmed></ref>。<br />
<br />
==神経基盤==<br />
神経基盤としては、視空間認知の障害として、脳の[[背側経路]]の障害が指摘されている<ref><pubmed>9223077</pubmed></ref><ref><pubmed>15339645</pubmed></ref>。Meyer-Lindenbergら<ref><pubmed>16760918</pubmed></ref>は、[[fMRI]]の知見などから、[[腹側経路]]ではそれほど問題がないものの、背側経路で低活性が見られ、さらに[[頭頂間溝]]の構造異常が見られることからこの部分から背側経路への情報入力に問題がある可能性を指摘している。ウィリアムス症候群における頭頂間溝の構造異常が視空間認知障害と関わるという指摘は、他の研究でもなされている<ref><pubmed>16120786</pubmed></ref>。<br />
<br />
また、社交性や不安については、[[扁桃体]]の関与が指摘されている。ある研究では、人画像に対して扁桃体の活性が低く、物体画像に対しては扁桃体の活性が強いという結果が見られた<ref><pubmed>16007084</pubmed></ref>。このことは、人に対する親密性と特定の物体(例:注射)に対する過度の不安を示すというウィリアムス症候群を持つ人の行動パターンをよく表している。さらに、扁桃体の大きさがウィリアムス症候群を持つ人では定型発達者よりも大きく、その大きさと人に対する親密性が関連するという報告がある<ref><pubmed>19406143</pubmed></ref>。<br />
<br />
==治療==<br />
現時点で病態に基づく根治療法は存在しない。<br />
<br />
[[聴覚]]過敏などに伴う不安のコントロール、高い社交性(例:人に近づきすぎる)がトラブルを生まないような配慮が必要である。また、一見して分かる、多弁や高い社交性という特徴だけにとらわれず、ウィリアムス症候群を持つ人の得手・不得手を見極めた対応が重要である。<br />
<br />
易怒性や[[摂食]]不良などの症状を呈する高[[カルシウム]]血症乳児の場合はカルシウムや[[ビタミンD]]の摂取制限を行うことがある。[[wj:高血圧|高血圧]]、[[wj:甲状腺|甲状腺]]機能異常や[[wj:耐糖能|耐糖能]]異常を定期的に観察し、異常を認めた場合は内科的加療が必要である。<ref>'''A Khan'''<br>Williams Syndrome <br>''Medscape reference''[http://emedicine.medscape.com/article/893149-treatment Treatment & Management] </ref>。<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
<references/></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E3%82%A2%E3%83%9F%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%B9&diff=37055
アミロイドーシス
2017-01-09T10:57:57Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/_tomitataisuke 富田 泰輔]</font><br><br />
''東京大学 薬学研究科''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2013年11月27日 原稿完成日:2014年1月4日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
英:amyloidosis 独:Amyloidose 仏:amylose、amyloïdose<br />
<br />
{{box|text= [[アミロイド]]amyloidは[[wikipedia:ja:コンゴーレッド|コンゴーレッド]]染色でオレンジ色に染まり、[[wikipedia:ja:偏光顕微鏡|偏光顕微鏡]]で緑色偏光を呈し、[[wikipedia:ja:電子顕微鏡|電子顕微鏡]]観察下では7~15nmの繊維構造を呈する物質である。アミロイドが、組織間隙に沈着して臓器の機能不全が生じる疾患をアミロイドーシス amyloidosisと呼ぶ<ref><pubmed> 22664198 </pubmed></ref>。アミロイドタンパク質の種類や臓器によって特徴が見られ、大きく[[全身性アミロイドーシス]]と[[限局性アミロイドーシス]]に分類される。代表的な全身性アミロイドーシスには、全身性AAアミロイドーシス、家族性アミロイドニューロパチーが挙げられる。限局性アミロイドーシスには脳アミロイドーシスである、[[アルツハイマー病]]、[[脳血管アミロイドアンギオパチー]]、遺伝性アミロイド性脳出血で、[[クロイツフェルト・ヤコブ病]]などが知られている。基本的には、アミロイドーシス発症の分子病態は凝集するアミロイドタンパク質の濃度上昇か、凝集能亢進によるものである。したがってアミロイドタンパク質の除去が根本治療戦略となる。}}<br />
<br />
<br />
[[ファイル:Cardiac amyloidosis high mag.jpg|thumb|250px|right| '''図1. ヒト心臓に沈着したアミロイド'''<br>コンゴーレッド染色。Wikipediaより転載。]]<br />
==アミロイドーシスとは==<br />
アミロイドamyloidはコンゴーレッド染色でオレンジ色に染まり(図1)、偏光顕微鏡で緑色偏光を呈し、電子顕微鏡観察下では7~15nmの繊維構造を呈する物質として定義される。アミロイドが、組織間隙に沈着する疾患を総称してアミロイドーシス amyloidosisと呼ぶ<ref><pubmed> 22664198 </pubmed></ref>。多くの場合、前駆タンパクであるアミロイドタンパク質が折りたたみ障害を引き起こして重合し、[[wikipedia:ja:βシート|βシート]]構造に富む不溶性線維として蓄積・凝集している<br />
<br />
沈着するアミロイドタンパク質の種類や臓器によって特徴が見られ(表1、2)、特に大きく全身性アミロイドーシスと限局性アミロイドーシスに分類されている。<br />
<br />
===全身性アミロイドーシス===<br />
アミロイドタンパク質が血中に存在する場合は全身性アミロイドーシスとなる<ref><pubmed> 23451869 </pubmed></ref>。<br />
<br />
アミロイドタンパク質としては、モノクローナル[[免疫グロブリン]]の[[wikipedia:ja:L鎖|L鎖]]由来の[[アミロイドAL]]や[[wikipedia:ja:H鎖|H鎖]]由来の[[アミロイドAH]]、[[wikipedia:ja:血清アミロイドA|血清アミロイドA]]の代謝産物である[[アミロイドA]](AA)、β2[[ミクログロブリン]]、[[トランスサイレチン]]、[[ゲルソリン]]、[[アポAI]]が知られている。いずれもアミロイドタンパク質の産生亢進、濃度上昇がアミロイドーシスを惹起していることが知られており、例えばアミロイドALでは免疫グロブリン産生細胞である[[wikipedia:ja:形質細胞|形質細胞]]の過剰な増殖や腫瘍化がその原因である。また[[wikipedia:ja:膠原病|膠原病]]や[[wikipedia:ja:リウマチ|リウマチ]]などが原因となり全身性[[wikipedia:ja:慢性炎症|慢性炎症]]を基礎疾患として血清アミロイドAの濃度上昇が継続し、全身性AAアミロイドーシスを惹起する。さらに[[wikipedia:ja:腎障害|腎障害]]及び[[wikipedia:ja:血液透析|血液透析]]によってβ2ミクログロブリンの排泄、除去が不全となり、10年以上の長期透析の結果アミロイド沈着を招くことが知られている。<br />
<br />
遺伝子変異によって生じる全身性アミロイドーシスとして、[[wikipedia:ja:家族性アミロイドニューロパチー|家族性アミロイドニューロパチー]] [[wikipedia:Familial amyloid polyneuropathy|Familial amyloid polyneuropathy(FAP)]]が知られている<ref><pubmed> 22094129 </pubmed></ref>。FAPはトランスサイレチン、ゲルソリン、アポAI、血清アミロイドA遺伝子変異に連鎖し、これらのアミロイドタンパク質が[[神経節]]を含む神経系および他の臓器に沈着する。また最近になり、全身性アミロイドーシスを惹起する[[プリオン]]遺伝子変異も同定された<ref><pubmed> 24224623 </pubmed></ref>。我が国を含めて、特にトランスサイレチン遺伝子変異によるFAPが最も多い<ref><pubmed> 11940682 </pubmed></ref>。<br />
<br />
通常トランスサイレチンは四量体を形成しているが、遺伝子変異によって生じるアミノ酸置換によって不安定な単量体へ解離しやすくなり、なんらかの機序で重合して線維化すると考えられている。体内のトランスサイレチンは主として肝臓で産生されるが、肝実質にアミロイドは沈着しない。このためFAP患者の肝臓を移植により正常肝に換えることでアミロイドタンパク質である変異トランスサイレチンの消失が期待され、移植後多くの症例でFAPの臨床進行が停止するか、遅延することが確認されている。また2013年には、トランスサイレチンの四量体の解離及び変性を抑制することでアミロイド形成を阻害し、[[末梢神経]]障害の進行を抑制する[[wikipedia:Vyndaqel|Vyndaqel]](一般名:[[wikipedia:en:Tafamidis|Tafamidis]])が承認された。<br />
<br />
トランスサイレチンが全身性に蓄積する疾患として、老人性全身性アミロイドーシスも知られている。この疾患では心室へ大量にアミロイド沈着を生じ難治性の不整脈と心不全をきたし、老年期心疾患の重要なものの一つである。高齢者の心臓へのアミロイド沈着は80歳以上の剖検例では25~28%の頻度でみられ、心房細動から最終的には心不全に陥る。確定診断としてはトランスサイレチン遺伝子に変異はなく、野生型トランスサイレチンの蓄積が見られることが挙げられる。<br />
<br />
===限局性アミロイドーシス===<br />
特定の臓器に限局して沈着を認める場合は限局性アミロイドーシスとなる。臓器に応じて分類され、脳アミロイドーシス<ref><pubmed> 22482447 </pubmed></ref>としてはアルツハイマー病や脳血管アミロイドアンギオパチーで蓄積が見られるアミロイドβタンパク質(Aβ)の他、[[シスタチンC]]の遺伝子変異<ref><pubmed> 2900981 </pubmed></ref>が[[アイスランド型遺伝性アミロイド性脳出血]]で見出されている。<br />
<br />
また[[wikipedia:ja:プリオン|プリオンタンパク質]]の蓄積、沈着はクロイツフェルト・ヤコブ病や[[ゲルストマン・ストロイスラー・シャインカー症候群]]などのプリオン病患者脳で報告されている。さらに[[wikipedia:BRI2|BRI2]]遺伝子の変異によって生じるアミロイドペプチドABri、ADanはそれぞれBritish型、Danish型[[家族性認知症]]患者脳において蓄積している<ref><pubmed> 19072909 </pubmed></ref>。BRI2はその最C末端部がFurinによって切断され分泌されているが、野生型ペプチドには凝集性が認められない。しかし終止コドン近傍の遺伝子変異により野生型よりも僅かに長く、凝集性の高いペプチドが分泌され、これらがアミロイドとして脳実質に蓄積する。<br />
<br />
その他の限局性アミロイドーシスとしては、内分泌アミロイドーシスのアミロイドタンパク質としては[[カルシトニン]]、[[アミリン]]、[[インスリン]]、[[心房ナトリウム利尿ペプチド]]が同定されており、主にこれらのホルモンを分泌する細胞由来の腫瘍内で蓄積・沈着が観察される。また皮膚アミロイドーシスとしては[[wikipedia:ja:ケラチン|ケラチン]]が、限局性結節性アミロイドーシスはアミロイドALがアミロイドタンパク質として蓄積することが報告されている。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|- class="hintergrundfarbe5"<br />
|+表1. アミロイドーシスの分類(Wikipediaより翻訳転載)<br />
! タイプ<br />
! 頻度<br />
! 詳細<br />
|-<br />
| '''[[原発性アミロイドーシス]]''' || 稀 || 基礎疾患を伴わないアミロイドーシス<br />
|-<br />
| '''[[家族性アミロイドーシス]]''' || 稀 || 遺伝的に変異をおこした[[アミロイド原性タンパク質]]によって惹起されるアミロイドーシス<br />
|-<br />
| '''[[二次性アミロイドーシス]]''' || 低 || 何らかの基礎疾患に合併して生じるアミロイドーシス<br /> [[wj:多発性骨髄腫|多発性骨髄腫]]や[[wj:原発性マクログロブリン血症|原発性マクログロブリン血症]]と[[wj:アミロイドーシス|ALアミロイドーシス]]<br /> [[wj:関節リウマチ|関節リウマチ]]と[[wj:アミロイドーシス|AAアミロイドーシス]]<br /> 長期[[wj:人工透析|透析]]と[[wj:アミロイドーシス|Aβ<sub>2</sub>Mアミロイドーシス]]<br />
|-<br />
| '''[[老人性全身アミロイドーシス]]''' || 高 || 加齢とともに心臓を含めた全身において[[トランスサイレチン]]が蓄積する<br /> 遺伝子変異を伴わず、野生型アミロイドタンパク質が蓄積する<br />
|-<br />
|}<br />
{| class="wikitable" class="sortable wikitable"<br />
|+表2. アミロイドーシスの原因物質と沈着部位(Wikipediaより翻訳転載)<br />
|-<br />
! 略称<br />
! アミロイドタンパク質<br />
! 病態<br />
! [[OMIM]]<br />
|-<br />
| '''AL'''<br />
| [[免疫グロブリンL鎖]]<br />
| 異常[[wj:形質細胞|形質細胞]]によって産出されるモノクローナル[[wj:免疫グロブリン|免疫グロブリン]]L鎖由来のアミロイドALが全身諸臓器([[wj:心臓|心臓]]、[[wj:腎臓|腎臓]]、[[wj:消化管|消化管]]、[[wj:肝臓|肝臓]]、[[末梢神経]]など)に沈着する。<br />
| {{OMIM2|254500}}<br />
|-<br />
| '''AA'''<br />
| [[血清アミロイドA]]<br />
| 慢性[[wj:炎症|炎症]]時におもに肝臓から産出される急性期タンパク質の血清アミロイドA(SAA)の代謝産物アミロイドA(AA)が腎臓や消化管に沈着する。<br />
|-<br />
| '''Aβ'''<br />
| [[アミロイドβタンパク質]]<br />
| アルツハイマー病患者脳において蓄積する老人斑はAβを主要構成成分とする。健常高齢者脳においても蓄積が見られることがある。<br />
| {{OMIM2|605714}}<br />
|-<br />
| '''ATTR'''<br />
| [[トランスサイレチン]]<br />
| 主として肝臓から産生されるが、トランスサイレチン遺伝子に変異のある異型TTRは肝実質にアミロイド沈着はほとんどなく、[[神経節]]を含む末梢神経、[[自律神経系]]やほかの組織に沈着する。<br />野生型トランスサイレチンが蓄積する老人性全身性アミロイドーシスでは主に心臓、他に肺、腎臓、全身の小血管にアミロイドが蓄積する。<br />
| {{OMIM2|105210}}<br />
|-<br />
| '''Aβ<sub>2</sub>M'''<br />
| [[β2ミクログロブリン]]<br />
| 長期透析患者では血中で増加しているβ2ミクログロブリン由来のアミロイドが[[wj:靱帯|靱帯]]、[[wj:骨|骨]]領域に沈着する。<br />
|-<br />
| '''AIAPP'''<br />
| [[アミリン]]<br />
| [[wj:Ⅱ型糖尿病|Ⅱ型糖尿病]]に伴い膵[[ランゲルハンス島|ランゲルハンス島]]や[[wjインスリノーマ|インスリノーマ]]にアミリン由来のアミロイドが蓄積する。<br />
|-<br />
| '''APrP'''<br />
| [[プリオン]]<br />
| プリオン病においては異常なフォールディングを受けたプリオンタンパク質が脳内に蓄積する。<br />
| {{OMIM2|123400}}<br />
|-<br />
| '''AGel'''<br />
| [[ゲルソリン]]<br />
| ゲルソリン遺伝子変異により、アミロイド蓄積が惹起される。<br />
| {{OMIM2|105120}}<br />
|-<br />
| '''ACys'''<br />
| [[シスタチンC]]<br />
| シスタチンC遺伝子変異により、脳血管周囲にアミロイドが蓄積するアミロイドアンギオパチーを家族性に発症する。<br />
| {{OMIM2|105150}}<br />
|-<br />
| '''AApoA1'''<br />
| [[アポAI]]<br />
| ApoA1遺伝子変異により、主に腎臓にアミロイドが蓄積するFamilial visceral amyloidosisを発症する。<br />
| {{OMIM2|105200}}<br />
|-<br />
| '''AFib'''<br />
| [[フィブリノーゲンα鎖]]<br />
| FGA遺伝子変異により、主に腎臓にアミロイドが蓄積するFamilial visceral amyloidosisを発症する。<br />
| {{OMIM2|105200}}<br />
|-<br />
| '''ALys'''<br />
| [[リゾチーム]]<br />
| LYZ遺伝子変異により、主に腎臓にアミロイドが蓄積するFamilial visceral amyloidosisを発症する。<br />
| {{OMIM2|105200}}<br />
|-<br />
| ?<br />
| [[オンコスタチンM受容体]]<br />
| OSMR遺伝子変異により皮膚に生じるアミロイドーシス。<br />
| {{OMIM2|105250}}<br />
|-<br />
| '''ABri'''<BR>'''ADan'''<br />
| [[BRI2/ITM2B]]<br />
| BRI2/ITM2B遺伝子変異により生じる脳アミロイドーシス。<br />
| {{OMIM2|176500}}<BR>{{OMIM2|117300}}<br />
|-<br />
| '''APro'''<br />
| [[プロラクチン]]<br />
| [[下垂体]]のプロラクチン産生腺腫において見出されるアミロイドーシス。<br />
|<br />
|-<br />
| '''AKer'''<br />
| [[ケラチン(ケラトエピセリン)]]<br />
| [[wj:皮膚|皮膚]]に限局して発症するアミロイドーシス。<br />
|<br />
|-<br />
| '''AANF'''<br />
| [[心房性ナトリウム利尿ペプチド]]<br />
| [[wj:心房|心房]]に限局して沈着するアミロイドーシス。<br />
|<br />
|-<br />
| '''ACal'''<br />
| [[カルシトニン]]<br />
| [[wj:甲状腺|甲状腺]][[wj:髄様癌|髄様癌]]において見出されるアミロイドーシス。<br />
|<br />
|}<br />
<br />
==病態生理==<br />
[[Image:2M5N.pdb|thumb|350px|'''図2.クロスβ構造'''<br>トランスサイレチン部分ペプチドからなるクロスβ構造。PDB ID: {{PDB2|2M5N}}]]<br />
===構造===<br />
各アミロイドタンパク質には一定の共通したアミノ酸配列や構造は見られないが、アミロイド線維になると共通して[[クロスβ構造]]と呼ばれる形態をとっている<ref><pubmed> 17468747 </pubmed></ref><ref><pubmed> 21456964 </pubmed></ref><ref><pubmed> 23513222 </pubmed></ref>。これはアミロイド線維を構成するポリペプチド鎖が線維軸と垂直方向に[[wikipedia:ja:βストランド|βストランド]]となり、かつ線維軸方向に[[wikipedia:ja:βシート構造|βシート構造]]をとっているものである(図2)。このような構造学的特徴はイメージング技術に応用されつつあり、[[wikipedia:ja:Aβ|Aβ]]線維に特異的に結合する低分子化合物を利用した[[アミロイドPETスキャン]]が可能となった<ref><pubmed> 14991808 </pubmed></ref><ref><pubmed> 21245183 </pubmed></ref>。<br />
<br />
===線維形成過程と伝播===<br />
[[Image:TTfig6.png|thumb|350px|'''図3.アミロイド線維形成過程'''<br>アミロイド線維形成過程におけるシードの役割]]<br />
[[Image:2M4J.pdb|thumb|350px|'''図4.アルツハイマー病患者脳由来のAβ線維構造'''<br>患者脳由来アミロイドから伸長した[[アミロイドβタンパク質]]の分子構造。PDB ID: {{PDB2|2M4J}}]]<br />
アミロイド線維形成過程では、多くの場合正常なフォールディングをうけているアミロイドタンパク質が何らかの理由で一旦部分変性し、会合することが必要である。また線維形成過程はその鋳型となるシード(種、核)の形成を契機として急速に進んでいくことが示されている<ref><pubmed> 22885025 </pubmed></ref>(図3)。すなわち、このシードの両端の末端にアミロイドタンパク質が結合して線維が伸長していくと考えられている。<br />
<br />
このようなシード依存性伸長反応モデルは、[[プリオン]]タンパク質が示す伝播能力とも関連していると考えられている。すなわち、一旦異常構造をとったタンパク質がシードとなり、別の個体におけるアミロイドタンパク質の構造及び性質を変化させていくというモデルである<ref><pubmed> 8513491 </pubmed></ref>。またシードへの組み込みはアミロイドタンパク質が同様の構造を取りうるかどうかに依存する。プリオンの感染性にはごく僅かなアミノ酸の違いに起因する「種の壁」が存在するが、この現象も一次配列の違いに依存する各種のプリオンが形成するシード構造の違いによって説明できる。<br />
<br />
最近ではアミロイドを形成しうるアミロイドタンパク質がいずれもプリオン様の伝播能力を示す可能性が推測されている<ref><pubmed> 22660329 </pubmed></ref><ref><pubmed> 24005412 </pubmed></ref>。実際、全身性アミロイドーシスの一つであるAAアミロイドーシスはモデル[[wikipedia:ja:マウス|マウス]]を用いた伝播実験が確認されているが、野生の[[wikipedia:ja:チーター|チーター]]においてAAアミロイドーシス発症頻度が近年上昇していることが示されていた。そして興味深いことに、AAアミロイドーシスを発症した個体の糞に伝播性が極めて高いアミロイドA線維が含まれていることが明らかとなった<ref><pubmed> 18474855 </pubmed></ref>。<br />
<br />
糞便を介したアミロイドーシス伝播は、野生動物におけるプリオン病([[wikipedia:ja:ヒツジ|ヒツジ]]おける[[スクレイピー]]、[[wikipedia:ja:シカ|シカ]]における[[Chronic wasting disease]])の[[wikipedia:ja:水平伝播|水平伝播]]メカニズムを説明できるものとして注目を集めている。特に末梢神経や[[wikipedia:ja:リンパ節|リンパ節]]を介したプリオンの伝播に関しては、食物摂取などを介した末梢組織から生じうる限局性アミロイドーシスの発症機構を担っている可能性がある<ref><pubmed> 24189576 </pubmed></ref>。またAβについても、アルツハイマー病モデルマウスの[[wikipedia:ja:腹腔|腹腔]]内にAβ線維を注入すると[[大脳皮質]]でのAβの沈着が亢進することも示されている<ref><pubmed> 20966215 </pubmed></ref>。<br />
<br />
このようなタンパク質凝集物の細胞間伝播という概念は必ずしもアミロイドの形成には依存しておらず、凝集して線維を形成するタンパク質に普遍的に観察される可能性があり、最近では様々な神経変性疾患において細胞内に蓄積するタンパク質([[タウ]]、[[シヌクレイン]]、[[TDP-43]]など)においても伝播能力の存在が確認されつつある<ref><pubmed> 24005412 </pubmed></ref>。また[[wikipedia:ja:酵母|酵母]]などにおいてはプリオン様タンパク性因子による形質転換が報告されており、タンパク質の構造変化に依存した形質の伝播様式として注目されている<ref><pubmed> 23379365 </pubmed></ref>。<br />
<br />
一方、アルツハイマー病患者脳から得られたAβ線維の構造解析がなされ(図4)、<i>in vitro</i>で凝集させた構造とは異なる凝集形態を示していたことから、<i>in vivo</i>における凝集プロセスの違いが指摘されており<ref><pubmed> 24034249 </pubmed></ref>、伝播メカニズムとの関係の解明が待たれている。<br />
<br />
===細胞毒性===<br />
アミロイド線維が発揮する細胞障害および毒性はアミロイドーシスにおける臓器不全の基本的病態と言える。アミロイド沈着後に生じる疾患プロセスを抑制する治療薬の開発のためにも、その理解は必須である。しかしアミロイドタンパク質のどのような構造、分子状態が毒性を発揮するのかについては未だ明確ではない。近年ではAβとFAD変異がもたらす分子病態の解析から、アミロイド線維そのものではなく、その中間体となるオリゴマー<ref><pubmed> 12702875 </pubmed></ref>に起因しているというオリゴマー仮説が提唱されている。<br />
<br />
このアミロイドタンパク質の凝集物がどのように細胞傷害を惹起しているか、という点については、[[脂質二重膜]]の障害、[[酸化的ストレス]]や[[小胞体ストレス]]の惹起、[[ミトコンドリア]]障害などが想定されている<ref><pubmed> 23820032 </pubmed></ref>。興味深いことに、全く異なるアミロイド原性タンパク質であるAβとADanが脳実質に蓄積するそれぞれの疾患モデルマウスを、神経障害と関連するtauトランスジェニックマウスと交配すると、いずれの場合もtau病理が亢進されることが示された<ref><pubmed> 20385796 </pubmed></ref>。これは少なくとも[[大脳皮質]]に沈着するアミロイドが示す神経細胞傷害プロセスの下流には共通性があることを示唆している。すなわち、アミロイド原性タンパク質の種類を問わず、どのような線維がどの細胞や臓器に沈着するかによって最終的にアミロイドーシスにおける病態が決定する可能性が考えられている。またAβが細胞外から神経細胞毒性を呈するために毒性受容体が想定されており、[[NMDA型グルタミン酸受容体|NMDA型]]および[[AMPA型グルタミン酸受容体]]、α7[[ニコチン性アセチルコリン受容体]]、[[インスリン受容体]]、[[RAGE]]、プリオンタンパク質や[[EPHB2|EphB2]]、[[LilrB2]]などがその候補として挙げられている。<br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[アルツハイマー病]]<br />
*[[プリオン病]]<br />
*[[アミロイドβタンパク質]]<br />
==参考文献==<br />
<references/></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E8%84%8A%E9%AB%84%E6%90%8D%E5%82%B7&diff=37054
脊髄損傷
2017-01-09T10:57:21Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">金子慎二郎</font><br><br />
''独立行政法人国立病院機構村山医療センター整形外科''<br><br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0075039 中村 雅也]</font><br><br />
''慶應義塾大学整形外科''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2015年8月2日 原稿完成日:2015年8月5日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br />
</div><br />
<br />
英語名:spinal cord injury 独:Rückenmarksverletzung 仏:traumatisme médullaire, traumatisme de la moelle épinière<br />
<br />
{{box|text= 脊髄損傷の発生数は、年間百万人あたり約40人と推定されている。脊髄損傷によって起こり得る障害としては、四肢の運動・知覚障害、膀胱直腸障害などがあり、また、頚髄損傷では、横隔膜機能の障害に起因する呼吸機能障害も起こり得る。脊髄損傷では、通常、Frankel分類やASIA機能障害スケールを用いて麻痺の高位や程度を評価する。脊髄損傷後の二次損傷予防法としてメチルプレドニゾロン大量投与療法があるが、その効果や施行の是非については議論がある。脊髄損傷・脊椎損傷に対する画像診断法や手術法などの進歩に伴い、脊髄損傷・脊椎損傷に対する治療は進歩してきている。脊髄再生に関する基礎的研究は多いが、それらの研究で確認されている機能回復はいずれも臨床応用を考えた場合、いまだ十分とはいえない。中枢神経系のニューロンの軸索は末梢神経系のニューロンの軸索と違って切断後、自然経過の中では再生しないことが知られており、脊髄再生実現への道のりは決して短いものではない。従って、脊髄損傷の治療においては、二次損傷の予防、すなわち初期治療・管理を適切に行うことが極めて重要である。}}<br />
<br />
==脊髄損傷とは==<br />
脊髄損傷とは、主に高所からの転落や[[wj:交通事故|交通事故]]などの外傷により[[wj:脊椎|脊椎]]の中を走る[[脊髄]]が損傷された状態のことを指す。受傷時に脊椎の[[wj:骨折|骨折]]や[[wj:脱臼|脱臼]]を伴うことが多い。[[wj:頚椎|頚椎]]高位での損傷では四肢の[[麻痺]]、[[wj:胸椎|胸椎]]高位での損傷では両下肢の麻痺を伴うことが多く、麻痺の程度によっては、麻痺の改善が極めて乏しいか、改善が認められないことも少なくない。<br />
<br />
== 疫学 ==<br />
脊髄損傷の発生率は、新宮らによる本邦の全国疫学調査<ref name=ref2 />によると、毎年人口百万人あたり40.2人と推計されている。米国では1973年よりNational Spinal Cord Injury Database (米国脊髄損傷データベース)が設立され、統計学的な調査が行われているが、この結果はNSCISC (National Spinal Cord Injury Statistical Center)のホームページ上で公開されており、死亡例を除く脊髄損傷の発生数は年間百万人あたり約40人と推定されている。本邦の全国疫学調査<ref name=ref2>'''新宮彦助、木村功、那須吉郎 他'''<br>脊髄損傷の疫学と予防<br>''整・災外'' 41: 745-752,1998</ref>によると男女比は約4:1、労災データベース<ref name=ref3>'''富永敏宏'''<br>第3章 発生の現状<br>住田幹男、徳弘昭博、真柄彰 他編、脊髄損傷のoutcome-日米のデータベースより<br>''医歯薬出版''、2001,pp28-42</ref>でもほぼ4:1と同様で、男性に多い傾向にある。米国脊髄損傷データベースによると、アメリカでも男女比はほぼ4:1である。<br />
<br />
脊髄損傷の損傷高位は、本邦の全国疫学調査<ref name=ref2 />では、頚髄損傷と[[胸髄|胸]][[腰髄]]・[[馬尾]]損傷(以下、胸腰髄損傷)の比は約3:1であったのに対し、労災データベース<ref name=ref3 />では、[[頚髄]]損傷が63%、胸腰髄損傷は37%と胸腰髄損傷の割合がやや多くなっている。一方、米国脊髄損傷データベースでは、頚髄損傷が51.6%、胸腰髄損傷は46.3%と、本邦に比較して胸腰髄損傷の割合が多い傾向にある。<br />
<br />
また発生年齢としては、本邦での全国疫学調査<ref name=ref2 />によると、20歳と59歳にピークがあり、胸腰髄損傷は若年者に多く、頚髄損傷は高齢者に受傷者が多い傾向にある。米国脊髄損傷データベースでは、16歳から30歳までの若年層の発生が全体の55%と比較的多くなっており、本邦の特徴としては、高齢者の頚髄損傷の割合が大きいことが挙げられる。<br />
<br />
脊髄損傷の原因としては、本邦での全国疫学調査<ref name=ref2 />によると、[[wj:交通事故|交通事故]]が43.7%と1番多く、それに続いて、高所転落(28.9%)、[[転倒]](12.9%)、打撲・下敷き(5.5%)、スポーツレジャー事故(5.4%)、[[自殺]]企図による飛び降り(1.7%)の順に多い。米国脊髄損傷データベースでも、交通事故が38.5%と最も多いが、銃創などの他者からの暴力が2番目に多い(24.5%)のが特徴的で、高所転落・転倒(21.8%)がそれに続く。<br />
<br />
脊髄損傷の疫学に関する最近の傾向に関しては、医療経済的側面も含めた疫学的データに関する詳細な報告は米国からのものが多いため、以下に、米国における頚髄損傷に関する疫学的データの最近の経時的推移について記す。1970年代初頭に米国でEmergency Medical Systems and Model Spinal Cord Injury Care Systemsが実施されて以来、頚髄損傷の入院初期における死亡率が米国で約5分の1に減少したとされているが<ref name=ref4><pubmed> 10569431 </pubmed></ref>、これは主に、頚髄損傷に対する初期管理がその間、格段に改善されたためであるとされている。米国では毎年1万人以上の新たな症例が発生する一方、看護を含めた治療・管理の進歩により平均余命は改善してきており、その結果として、米国で現在、約25万人以上とされている頚髄損傷の患者数は年々増加している<ref name=ref5><pubmed> 11438844 </pubmed></ref>。頚髄損傷の患者に対して米国社会が負担する疾患管理費と生活費の合計は毎年約8兆ドルに達すると報告されている<ref name=ref6><pubmed> 9589527 </pubmed></ref>。また、患者1人あたり生涯に要する疾患管理費と生活費の合計は43万5千ドル〜2.6億ドルとされており、頚髄損傷の患者の平均年齢が約30歳と比較的若く、また患者の約半数は日常生活でほぼ全介助を要する麻痺のレベルであると報告されており<ref name=ref5 />、これらが脊髄損傷に関わる疾患管理費を増大させている大きな要因となっている<ref name=ref5 />。<br />
<br />
== 診断 ==<br />
脊髄損傷に対する診断は、[[wj:理学所見|理学所見]]・[[wj:画像所見|画像所見]]などから総合的に判断して行う。近年では、放射線学的診断に関しては、[[wj:X線撮影#造影X線写真|単純X線]]に加えて、[[MRI]]や[[CT]]などを用いた診断精度の向上に伴い、形態的診断のみならず、病態や予後予測などに関しても詳細な情報が得られる様になってきている。主に初期診断には単純X線像が重要であることは以前と同様であるが、reconstruction技術を用いたCTの導入によって、立体(3D)画像の再構築も可能となり、骨傷を伴う脊髄損傷において、脊椎の損傷形態の三次元的評価が高精度に施行可能になってきている。単純X線では解剖学的に描出精度が低かった頚胸椎移行部や上位胸椎部に関しても、より正確に評価を行うことが可能になってきている。また歴史的には、画像診断toolとしてMRIが導入されて以降、損傷脊髄の病態として、挫滅・出血・[[wj:浮腫|浮腫]]などの鑑別がある程度可能になり、また、信号変化などから予後予測に関してもある程度は可能になってきている。また、骨傷を伴わない脊髄損傷は非骨傷性脊髄損傷と呼ばれるが、MRIの導入以降、非骨傷性脊髄損傷に関しても、より初期に正確に診断が成される割合が増えた。<br />
<br />
== 脊髄損傷に起因する障害と臨床的評価法 ==<br />
脊髄損傷によって起こり得る障害としては、四肢の[[運動障害|運動]]・[[知覚障害]]、[[膀胱直腸障害]]などがあり、また、頚髄損傷では、横隔膜機能の障害に起因する[[呼吸機能障害]]も起こり得る。<br />
<br />
通常、脊髄損傷に対しては、四肢の麻痺の高位とその程度に応じて分類を行うが、麻痺の程度の評価に最も広く用いられているのは、Frankel分類(表1)とASIA機能障害スケール(American Spinal Injury Association impairment scale)(表2)である。最近のガイドラインでは後者を推奨しているものが多い。これらの分類は患者の転院の際などにも必要な基本的情報であり、また麻痺の予後予測にも必要である<ref name=ref7><pubmed> 12431283 </pubmed></ref> 。以前から脊髄損傷は完全損傷と不全損傷に分類されてきたが、初期に完全損傷と診断された症例でも、経過中に回復して最終的に不全損傷と診断される症例もあることから、近年は損傷程度を完全と不全に安易に分類することへの批判的意見も多い。従って、Frankel分類やASIA機能障害スケールなどを用いて、麻痺の程度をより詳細かつ正確に分類することが望ましい。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+表1. Frankel分類<br />
|-<br />
| A|| complete|| 損傷高位以下の運動・知覚機能の完全麻痺。<br />
|-<br />
| B|| sensory only|| 運動機能は完全麻痺で、知覚機能のみある程度残存。<br />
|-<br />
| C|| motor useless|| 損傷高位以下の筋力はある程度あるが、実用性がない。<br />
|-<br />
| D|| motor useful|| 損傷高位以下の筋力の実用性がある。補助具の要否に関わらず歩行可能。<br />
|-<br />
| E|| recovery|| 運動・知覚機能ともに正常。膀胱直腸障害もない。反射の異常はあってもよい。<br />
|}<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+表2. ASIA機能障害スケール (ASIA impairment scale)<br />
| A||complete||損傷高位以下の運動・知覚機能の完全麻痺。<br />
|-<br />
| B||incomplete||運動機能は完全麻痺で、(S4・S5髄節を含めた)損傷高位以下の知覚機能のみ残存。<br />
|-<br />
| C||incomplete||運動機能は保たれていて、損傷高位以下の主要筋群の少なくとも半分以上の筋力がMMTで3未満。<br />
|-<br />
| D||incomplete||運動機能は保たれていて、損傷高位以下の主要筋群の少なくとも半分以上の筋力がMMTで3以上。<br />
|-<br />
| E||normal||運動・知覚機能ともに正常。<br />
|}<br />
== 病態生理 ==<br />
脊髄は、脳から[[末梢]]への信号を伝えるワイヤー(導線)の束の様なものである。即ち、脳に存在する[[ニューロン]]([[神経細胞]])の[[細胞体]]から[[軸索]]と呼ばれるワイヤーを通じて、末梢側に命令が伝わるが、脊髄損傷では、束になったワイヤーがある程度の割合で切断されることが主たる原因となって様々な障害が起きる。<br />
<br />
また、脊髄に対する障害を原因別に大別すると、受傷時の物理的な外力によってもたらされる一次損傷と、受傷後に炎症細胞などから[[分泌]]されたサイトカインなどによって二次的にもたらされる障害のことを指す二次損傷とがある。<br />
<br />
[[中枢神経系]]のニューロンの軸索は[[末梢神経系]]のニューロンの軸索と違って切断後、自然経過の中では再生しないことが知られている<ref name=ref1><pubmed> 17099709 </pubmed></ref>。従って、脊髄損傷後の経過中に認められる麻痺の改善は、損傷後比較的早期に認められる改善に関しては、損傷後の炎症に伴う脊髄浮腫の改善などによるものであり、また、ある程度の時間が経ってから認められる麻痺の改善は、残存した他の軸索による代償機能などによる側面が大きいと通常、解釈されている。<br />
<br />
== 治療 ==<br />
本稿では脊髄損傷(主に頚髄損傷)の初期治療および専門科にconsultする前のprimary careとして重要な点に焦点を当てて概説する。<br />
<br />
=== 病院へ搬送時の管理の重要性 ===<br />
頚髄損傷の受傷現場から患者を病院まで搬送するまでの間に硬性装具による頚椎外固定を施行するという概念が普及してから約30年の間に、頚髄損傷の麻痺の程度に大きな改善が認められているという報告があり<ref name=ref8><pubmed> 2912620 </pubmed></ref><ref name=ref9><pubmed > 3419859 </pubmed></ref>、この結果は搬送時の頚椎外固定の重要性の裏付けと考えられる。<br />
<br />
前述した様に、中枢神経系のニューロンの軸索は末梢神経系のニューロンの軸索と違って切断後、自然経過の中では再生しないことが知られている<ref name=ref1 />。従って、脊髄損傷の一次損傷のみならず二次損傷の予防も極めて重要であり、搬送時の工夫は極めて重要である。過去の報告でも、脊髄損傷の3%〜26%は外傷後の脊椎の不安定性に引き続く二次的な障害によって、即ち最初の外傷後の傷害が原因となっているとされている<ref name=ref9 />。<br />
<br />
=== 専門医受診までの初期治療 ===<br />
脊髄損傷の可能性が高いと判断される場合でも、最初の臨床評価として診察を行う際にはairwayの確保、呼吸・循環の評価という生命の維持に関わる部分から始める。即ち、これらはAdvanced Trauma Life Support (ATLS)ガイドラインの第一次評価に分類される部分であるが、それに続いて第二次評価として頭からつま先にかけての問題となる損傷を見出すための診察を行う<ref name=ref10><pubmed> 10891516 </pubmed></ref>。<br />
<br />
損傷脊髄は低酸素状態でさらに損傷が拡大するとされており、仮に患者が意識清明で呼吸状態に問題が無くても、脊髄損傷が疑われる際には酸素投与を行うことが推奨されている<ref name=ref11 />。意識の無い患者で脊髄損傷が疑われる際には、低酸素による二次的損傷を防ぐために、気管内または経鼻気管内チューブの早期設置を考慮する。脊髄損傷の患者では、初期の[[脊髄ショック]]によりしばしば[[wj:低血圧|低血圧]]が認められる。これは[[交感神経]]が遮断されることによるものであり、頚髄損傷や上位胸髄損傷の際にしばしば認められる。低血圧が認められたら可及的早期に静脈内への等張性液の投与を行うべきであるが、可能なら受傷現場からこれらの治療を開始することが望ましい。これは虚血による脊髄の二次的な損傷を予防するためである<ref name=ref11><pubmed> 9254087 </pubmed></ref>。<br />
<br />
=== 副腎皮質ステロイド大量投与療法 ===<br />
脊髄損傷後の[[wj:炎症細胞|炎症細胞]]の浸潤などによる二次損傷の予防を主たる目的として実際に行われてきた治療として、[[メチルプレドニゾロン]]大量投与療法がある。NASCISⅢの研究では、初回量としてメチルプレドニゾロン30mg/kgを15分かけて投与し、45分のinterval後に、受傷後3時間以内の症例ではさらに5.4mg/kg/hrを24時間投与、受傷後3〜8時間の症例では同量を48時間投与することで効果が認められたとしており<ref name=ref12><pubmed> 9168289 </pubmed></ref>、このプロトコールを参考にして実際に投与が行われてきた。しかしメチルプレドニゾロンの大量投与により感染や[[wj:消化管出血|消化管出血]]が増加するため、現在では同療法を行わない施設も増えている。<br />
<br />
=== 手術治療 ===<br />
手術は主に脱臼や不安定性を有する骨傷性脊髄損傷に対して、脊髄に対する除圧や脊椎の整復や固定性を得ることによって、早期の[[リハビリテーション]]開始が可能となる、などの利点が大きいと判断された場合に行われる。内固定材を併用した固定手術が行われる場合が多い。一方、骨傷のない頚髄損傷に対する手術の意義については議論がある。<br />
<br />
==展望・課題 ==<br />
脊髄再生に関する基礎的研究は多いが、それらの研究で確認されている機能回復はいずれも臨床応用を考えた場合、いまだ十分とはいえない<ref name=ref1 />。先に述べた様に、中枢神経系のニューロンの軸索は末梢神経系のニューロンの軸索と違って切断後、自然経過の中では再生しないことが知られており<ref name=ref1 />、脊髄再生実現への道のりは決して短いものではない。<br />
<br />
従って、脊髄損傷の治療においては二次損傷の予防、すなわち初期治療・管理を適切に行うことが極めて重要である。<br />
<br />
==関連項目==<br />
* [[軸索再生]]<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
<references/></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E5%89%8D%E9%A0%AD%E5%81%B4%E9%A0%AD%E5%9E%8B%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%97%87&diff=37053
前頭側頭型認知症
2017-01-09T10:56:55Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0007927 山田 正仁]</font><br><br />
''金沢大学 医薬保健研究域 医学系 医薬保健研究域 医学系''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2013年4月30日 原稿完成日:2014年2月20日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
英語名:frontotemporal dementia 英略号:FTD 独:Frontotemporale Demenz 仏:démence fronto-temporale <br />
<br />
類義語:frontotemporal lobar dengeration (FTLD) 、behavioral variant frontotemporal dementia (bvFTD) <br />
<br />
{{box|text=<br />
前頭側頭型認知症は[[人格変化]]や[[行動異常]]に特徴づけられる症候群であり、[[大脳]]の前方部([[前頭葉|前頭]][[側頭葉]])に限局性変性を示す疾患群([[前頭側頭葉変性症]]とよばれる)に認められる。50〜60歳台を中心に発症する。FTLD脳には[[タウ]]([[Tau]])タンパク質、[[TDP-43]] ([[Transactive response DNA binding protein of 43 kD]])、[[FUS]]([[Fused in sarcoma]])他のタンパク質の蓄積がみられるため、FTLDは分子病理学的に蓄積タンパク質に対応して[[FTLD-Tau]]、[[FTLD-TDP]]、[[FTLD-FUS]]他に分類される。さらにFTLDの臨床病型としてFTD、進行性非流暢性失語症(progressive nonfluent aphasia; PNFA)、意味性認知症(semantic dementia; SD)が存在する。FTDの原因疾患の1つである[[Pick病]]はFTLD-Tauに属し、神経細胞内に[[Pick球]]あるいは[[Pick小体]]と呼ばれる[[封入体]]がみられ、封入体には3リピートタウとよばれるタウタンパク質アイソフォームが凝集している。根本的な治療法はなく、対症的治療およびケアが中心となる。経過は緩徐進行性で、平均約8年で寝たきり状態になり死亡する。<br />
}}<br />
<br />
[[Image:Pick's disease.png|thumb|450px|<b>図1. 前頭側頭型認知症 (Pick病)症例のMRI画像</b><br />前頭葉の皮質、白質の著明な萎縮を認める。Wikipediaより。]] <br />
<br />
== 定義・概念・分類 ==<br />
<br />
[[Image:前頭側頭型認知症1.jpg|thumb|350px|'''図2.前頭側頭葉変性症(FTLD)/前頭側頭型認知症(FTD)の分類'''<br>Snowdonらによる分類(1996)<ref name=ref1>'''Snowden JS, Neary D, Mann DM.'''<br>Fronto-temporal Lobar Degeneration: Fronto-temporal Dementia, Progressive Aphasia, Semantic Dementia.<br>New York, ''Churchill Livingstone'', 1996.</ref>を改変。<br>*非流暢性失語を主張とする進行性非流暢性失語(PA)や言語の意味理解の障害を中心とする意味性認知症(SD)においても、進行するとFTDの特徴である行動異常が出現する。]] <br />
<br />
前頭側頭型認知症(frontotemporal dementia: FTD)は人格変化や行動異常に特徴づけられる症候群(syndrome)であり、大脳の前方部(前頭側頭葉)に限局性変性を示す疾患群に認められる。症候および病理学的違いから、大脳の後方部の障害がめだつ[[アルツハイマー病]]([[Alzheimer's disease]]: AD)と対比される。 <br />
<br />
前頭側頭葉の変性という観点からは、FTDは前頭側頭葉変性症(frontotemporal lobar degeneration: FTLD)に含まれる。FTLDの臨床病型は脳病変部位の[[機能局在]]に対応して、FTD、[[進行非流暢性失語]]([[Progressive non-fluent aphasia]]: PA)、[[意味性認知症]]([[Semantic dementia]]: SD)の3型を主要な臨床病型として含む(図2)<ref name="ref1" /> <ref name="ref2"><pubmed>9855500</pubmed></ref> <ref name="ref3"><pubmed>16239184</pubmed></ref> 。FTDはさらに臨床症状から脱抑制型(disinhibited type)、無欲型(apathetic type)、常同型(stereotypic type)の3亜型に分類される(図1)。一方FTLDの病理型としてニューロンやグリア内に蓄積する異常蓄積蛋白質の種類によって表2に示す分子病理学的分類がなされている。 <br />
<br />
一方、最近では、FTDはFTLDの同義語として使用されることがしばしばある。その場合、“FTD(広義)”は、上記のFTD、進行非流暢性失語、意味性認知症を含む複数の症候群の集合体(syndromes)を意味し、上記のFTLDの一臨床亜型としてのFTDは、[[Behavioral variant FTD]] (bvFTD)と呼ばれる。 <br />
<br />
== 臨床症候、検査、診断 ==<br />
<br />
=== 臨床症状 ===<br />
<br />
早期からの[[行動障害]](自己や社会に対する無関心(自己に無頓着で社会的意識の喪失)、[[脱抑制的徴候]](自己中心的で、性的脱抑制、暴力的行動など)、[[口運び傾向]](oral tendency)、常同的および保続的行動(マンネリ化した行動)など)、[[感情]]障害([[抑うつ]]、[[不安]]、[[希死念慮]]、[[固定観念]]、[[妄想]]、[[心気症]]、感情的な無関心、感情移入や共感の欠如、[[感情鈍麻]]、[[自発性低下]]など)、[[言語障害]](発話量減少、常同言語(同じ単語や句の反復)、[[反響言語]]と保続、後期には[[無言症]])を特徴とし、緩徐な進行を示す。早期から高度の[[健忘]]、[[空間的失見当識]]、[[失行]]はみられず、[[アルツハイマー病]]とは対照的である。 <br />
<br />
=== 検査所見 ===<br />
<br />
頭部[[CT]]、[[MRI]]で特徴的な前頭側頭葉の限局性萎縮がみられる。[[局所脳血流]]および[[wikipedia:ja:糖代謝|糖代謝]]の低下が[[SPECT]]や[[PET]]で鋭敏に検出される。家族例、時に孤発例でタウタンパク質他の遺伝子(図1)に変異を認める場合がある。 <br />
<br />
=== 診断 ===<br />
<br />
FTDの診断は人格変化、行動異常、限局性前頭・側頭葉萎縮を特徴とする臨床、画像所見による。病初期からの記憶障害を主徴とするADを鑑別除外する。NearyらによるFTDの臨床診断基準を表1に示す<ref name="ref2" />。FTDの原因疾患の診断については、運動ニューロン疾患の随伴やCBDといった特徴的臨床所見を認める例や特定の遺伝子変異を有する例以外では、診断マーカーが未確立であり、病理学的検索が必要である。 <br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+表1.Neary らによるFTDの臨床診断基準(Nearyら1998<ref name="ref2" />を要約して引用)<br />
|-<br />
| 性格変化と社会的行動の異常が、初期及び経過を通しての主要な特徴である。知覚、空間的能力、行為、[[記憶]]といった道具的機能は正常あるいは比較的良く保たれている。<br />
|-<br />
| '''Ⅰ. 中核的特徴(すべてが必須項目)'''<br> A. 潜行性の発症と緩徐な進行<br> B. 人間関係に関わる社会的行動が早期から障害<br> C. 自己行動の制御が早期から障害<br> D. 感情が早期から鈍化<br> E. 病識が早期から喪失<br />
|-<br />
| '''Ⅱ. 支持的特徴(すべての患者には必須ではない)'''<br> A. 行動障害<br> 1. 自己の衛生や身繕いの低下<br> 2. 精神的硬直と柔軟性の低下<br> 3. 易転導性と維持困難(飽きっぽい)<br> 4. 過剰摂食と食事嗜好の変化<br> 5. 保続と常同的行動<br> 6. 道具の強迫的使用<br> B. 発語と言語<br> 1. 発語の変化<br> a. 自発語の減少、発語の省略<br> b. 言語促迫(多弁で止まらない)<br> 2. 常同的発語<br> 3. 反響言語<br> 4. 保続<br> 5. 無言<br> C. 身体徴候<br> 1. [[原始反射]]<br> 2. [[失禁]]<br> 3. [[無動]]、[[筋強剛]]、[[振戦]]<br> 4. 低く不安定な[[wikipedia:ja:血圧|血圧]]<br> D. 検査<br> 1. 神経心理学的検査:前頭葉機能検査では顕著な障害がみられるが、高度な健忘、失語、知覚や[[空間的認知障害]]はない。<br> 2. [[脳波]]検査:臨床的に明らかな認知症がみられるにも関わらず、 通常の脳波で正常<br> 3. 形態的・機能的画像検査:[[前頭葉]]や側頭葉前方部優位の異常<br />
|-<br />
| '''Ⅲ. FTLDに共通する支持的特徴'''<br> A. 65歳以前の発症. 一親等に同症の家族歴<br> B. [[球麻痺]]、筋力低下と筋萎縮、[[筋線維束性収縮]](一部の患者にみられる[[運動ニューロン疾患]]関連症状)<br />
|-<br />
| '''Ⅳ. FTLDに共通する除外項目'''<br> A. 病歴と臨床所見<br> 1. 発作性事象を伴う突然の発症<br> 2. 発症に関連した頭部外傷<br> 3. 初期からみられる高度の健忘症<br> 4. 空間的見当識障害<br> 5. 思考の連続性を欠いた語間代的で加速的な話し方<br> 6. [[ミオクローヌス]]<br> 7. [[皮質脊髄路]]性の筋力低下<br> 8. [[小脳性運動失調]]<br> 9. [[舞踏アテトーシス]]<br> B. 検査<br> 1. 脳画像:中心溝より後方の病変または機能低下や、CTやMRIでの多巣性の病変<br> 2. 代謝性あるいは炎症性疾患を示唆する検査データ(例えば、[[多発性硬化症]]、[[wikipedia:ja:梅毒|梅毒]]、[[wikipedia:ja:AIDS|AIDS]]、[[単純ヘルペス脳炎]])<br />
|-<br />
| '''Ⅴ. FTLDに共通する相対的な除外項目'''<br> A. [[慢性アルコール症]]の典型的な病歴<br> B. 持続性[[wikipedia:ja:高血圧|高血圧]]<br> C. 血管性疾患の病歴(例えば[[wikipedia:ja:狭心症|狭心症]]、[[wikipedia:ja:間欠性跛行|間欠性跛行]])<br />
|}<br />
<br />
== 病因・病態 ==<br />
<br />
FTLDには病理学的にさまざまな疾患が含まれるが、それらは凝集し不溶化したタンパク質が神経細胞やグリアに封入体を形成して異常蓄積するという共通の特色を有する。蓄積タンパク質にはタウタンパク質、TDP-43 (transactive response DNA binding protein of 43 kD)、FUS(fused in sarcoma)ほかがある。それらに対応して、FTLDはタウ陽性封入体を有するもの(FTLD-Tau)、TDP封入体を有するもの(FTLD-TDP)、FUS封入体を有するもの(FTLD-FUS)、[[ユビキチン]]陽性だがTDP-43とFUSは陰性の封入体を有するもの(FTLD-UPS)に分類される(表2)。 <br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+表2.分子病理学的な分類 Snowdonらによる分類(1996)<ref name=ref1 />を改変。<br />
|-<br />
| '''(1)タウ陽性封入体を有するもの(FTLD-Tau)'''<br> 1. 弧発性:Pick病(Pick球を有するもの)、大脳皮質基底核変性症(CBD)、進行性核上性麻痺(PSP)、嗜銀顆粒性認知症(AGD)<br> 2. 遺伝性:17染色体に連鎖する前頭側頭型認知症およびパーキンソニズム(FTDP-17)<br />
|-<br />
|''' (2)ユビキチン陽性、TDP-43陽性封入体を有するもの(FTLD-TDP)'''<br> 1. 弧発性:<br> a.運動ニューロン疾患(MND)を伴うもの(FTD-MND)(=認知症を伴う筋萎縮性側索硬化症 ALS with dementia)<br> b.MNDを伴わないもの<br> 2. 遺伝性:progranulin、TDP-43、valosin含有タンパク質(VCP)、C9orf72遺伝子変異<br />
|-<br />
|''' (3)ユビキチン陽性、TDP-43陰性、FUS陽性封入体を有するもの(FTLD-FUS)''':神経細胞性中間径フィラメント封入体病、好塩基性封入体病、非典型的FTLD、FUS遺伝子変異<br />
|-<br />
| '''(4)ユビキチン陽性、TDP-43及びFUS陰性封入体を有するもの(FTLD-UPS)''':荷電多発空砲体タンパク質2B(CHMP2B)遺伝子変異<br />
|}<br />
<br />
<br />
FTLDの臨床病型とFTLDの分子病理に基づいた病型との対応という点では、臨床病型は病変の解剖学的局在(脳萎縮の中心)に対応しており分子病理学的な分類とはクリアカットには対応しない。FTDはすべての分子病理タイプ(FTLD-Tau/FTLD-TDP/FTLD-FUS/FTLD-UPS)に起こりうる臨床病型である。FTDが運動ニューロン疾患を合併している場合は、病理は通常FTLD-TDPであり、一方、FTDが高度のパーキンソニズムを合併している場合はFTLD-Tauの場合が多い。 <br />
<br />
=== FTLD-Tau ===<br />
<br />
FTLD-Tauには、孤発性の[[Pick病]]や、遺伝性でタウ遺伝子変異に伴う第17番染色体に連鎖するFTDと[[パーキンソニズム]]([[Frontotemporal dementia and parkinsonism linked to chromosome 17]]: FTDP-17)などがある('''図2''')。Pick病は1892年[[wikipedia:Arnold Pick|Arnold Pick]]により前頭側頭葉に限局性の高度の萎縮を呈する疾患として報告され、神経細胞内に嗜銀性の封入体(Pick球あるいはPick小体)がみられ、封入体には3リピートタウとよばれるタウアイソフォームが凝集している。[[大脳皮質基底核変性症]]([[Corticobasal degeneration]]: CBD)や[[進行性核上性麻痺]]([[Progressive supranuclear palsy]]: PSP)などもFTLD-Tauに含まれる。 <br />
<br />
=== FTLD-TDP ===<br />
<br />
FTLD-TDPはFTLDの約半数を占めると考えられており、孤発性のものが多く、その中には運動ニューロン疾患(motor neuron disease: MND)を伴うFTD([[FTD-MND]])が含まれる('''図2''')。FTD-MNDは[[認知症を伴う筋萎縮性側索硬化症]]([[Amyotrophic lateral sclerosis with dementia]]: ALS-D)ともよばれる。FTLD-TDP/ALSに関連する遺伝子変異として、TDP-43、[[Progranulin]]、[[Valocin含有タンパク質]](VCP)、[[C9orf72]]遺伝子の変異が家族例、時に孤発例で報告されている<ref name="ref4"><pubmed>22732773</pubmed></ref>。また、FTLD-TDPはTDP-43病理の違いにより4型(A~D)に分類され、それらは臨床型や遺伝子変異や生化学的特徴と関連している<ref name="ref5"><pubmed>21644037</pubmed></ref>。 <br />
<br />
=== FTLD-FUS ===<br />
<br />
FTLD-FUSには[[神経細胞中間径フィラメント封入体病]]、[[好塩基性封入体病]]、FUS遺伝子変異例などが含まれる。<br />
<br />
== 治療、経過・予後 ==<br />
<br />
脳病変を修飾する根本的な治療法はなく、対症的治療およびケアが中心となる。FTDの認知障害を改善する薬剤はない。FTDの行動障害を改善する目的で[[選択的セロトニン再取り込み阻害薬]]([[Selective serotonin reuptake inhibitor]]: [[SSRI]])が使用されている<ref name="ref6">日本神経学会(監修)<br>認知症疾患治療ガイドライン2010(コンパクト版2012)<br>''医学書院''、東京、2012.</ref>。経過は緩徐進行性で、平均約8年で寝たきり状態になり死亡する。運動ニューロン疾患を有する場合は平均約4年で死亡する。 <br />
<br />
== 疫学 ==<br />
<br />
50〜60歳台を中心に発症し、男女差はなく、孤発性、遺伝性の両者の場合がある。有病率では45-64歳の人口10万対15他の報告がある<ref name="ref3" />。 <br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
<br />
*[[Pick病]] <br />
*[[タウタンパク質]] <br />
*[[TDP-43]] <br />
*[[筋萎縮性側索硬化症]]<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
<br />
<references /></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E9%96%89%E3%81%98%E8%BE%BC%E3%82%81%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4&diff=37052
閉じ込め症候群
2017-01-09T10:56:25Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0049333 中野 今治]</font><br><br />
''自治医科大学 医学部 神経内科''<br><br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/kyosukekamada *鎌田 恭輔 ]</font><br><br />
''旭川医科大学脳神経外科 ''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2013年3月18日 原稿完成日:2014年2月20日 改訂日:2015年6月4日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446/ 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br>*:責任著者<br />
</div><br />
英語名:locked-in syndrome 独:Eingeschlossensein-Syndrom 仏:syndrome d'enfermement<br />
<br />
同義語:施錠症候群、かぎしめ症候群、ロックドインシンドローム、偽(性)昏睡 (pseudocoma)、de-efferented state、橋腹側症候群 (ventral pontine syndrome)、モンテ・クリスト症候群 (Monte Cristo syndrome)<br />
<br />
{{box|text= 脳底動脈閉塞による脳梗塞などで、主に脳幹の橋腹側部が広範囲に障害されることによっておこる。眼球運動とまばたき以外のすべての随意運動が障害されるが、感覚は正常で意識は清明である。単に意思表示の方法が欠如した状態であり、ほとんど完全に「鍵をかけられた状態」であることからこの命名がされている。}}<br />
<br />
== 閉じ込め症候群とは ==<br />
閉じ込め症候群は、Plum and Posner<ref>'''Plum F, Posner JB'''<br>The Diagnosis of Stupor and Coma.<br>3rd ed. Philadelphia, Davis, 1980</ref>が提唱した名称で、[[意識]]が保たれ開眼していて外界を認識できるが、完全[[四肢麻痺]]と[[球麻痺]]のため、手足の動きや発話での意思表出能が失われた状態を指す。患者は寝たきりで四肢は全く動かせず、緘黙状態を呈する。多くは橋底部の両側性の[[梗塞]]で生じるが、その他に、[[中脳]]腹側の両側性梗塞、橋の[[wikipedia:ja:腫瘍|腫瘍]]、橋出血も原因となる。この場合、[[随意運動]]として残るのは垂直[[眼球運動]]と[[瞬目]]のみである。<br />
<br />
[[脳幹]]の[[上行性網様体賦活系]]が保たれていることが意識保持の機序と見なされ、[[脳波]]は覚醒状態を示すが、実際の患者では垂直眼球運動と瞬目とで正確な応答を得ることが難しい場合もある。脳幹の局所性病変のみでなく、[[重症筋無力症]]、[[Guillain-Barré症候群]]、[[筋萎縮性側索硬化症]]などでも[[wikipedia:ja:人工呼吸器|人工呼吸器]]が装着されると意識が保たれた四肢麻痺・球麻痺状態を呈し、この状態も一般に閉じ込め症候群と呼ばれる。特に筋萎縮性側索硬化症の場合、疾患の進行とともに眼球運動や瞬目も消失するため、外観上完全な無道状態であることから totally locked-in syndrome (TLS)状態と呼ばれている。<br />
<br />
== 病態生理 ==<br />
[[image:閉じ込め症候群.png|thumb|350px|'''図. 閉じ込め症候群での障害部位。'''<br>橋腹側には随意運動を支配する神経の主要経路である錘体路が走行する。この部位の障害により、三叉神経(V)以下の脳脊髄神経の下行路が障害される。一方、背側の感覚などを上向性に伝える求心性線維の束である脊髄視床路、脳幹網様体の上行性網様体賦活系は障害されないため、体性感覚や意識は保たれる。[[動眼神経]](Ⅲ)、[[滑車神経]](Ⅳ)は中脳にあるため障害されず、眼球の上下運動(水平運動はできない)とまばたき(上眼瞼の運動)は可能である。]]<br />
<br />
橋腹側部が広範囲に障害されることによって生じる。[[脳底動脈]]閉塞による橋の[[脳梗塞]]が原因であることが圧倒的に多いが、稀に[[脳幹]]部[[腫瘍]]、[[膿瘍]]、[[脳炎]]、外傷によってもおこる。<br />
<br />
橋腹側には[[大脳皮質]]の[[一次運動野|運動野]]から始まる遠心性線維の束である[[錘体路]]が走行する(図)。この錘体路は[[随意運動]]を支配する神経の主要経路である。[[脳神経]]では[[三叉神経]](Ⅴ)、[[外転神経]](Ⅵ)、[[顔面神経]](Ⅶ)、[[聴神経]](Ⅷ)が存在する。そのため橋腹側部の障害により、[[四肢麻痺]](両側[[錘体路障害]])、[[無言]](両側下位[[皮質球路障害]])が生じる。<br />
<br />
背側には感覚などを上向性に伝える求心性線維の束である[[脊髄視床路]]が走行する。また、背側の[[脳幹網様体]]には、[[上行性網様体賦活系]]という意識の覚醒に重要な関与をしているシステムが存在する。橋腹側部に病変が限局すると、背側部の脳幹網様体と求心性線維は保たれるため感覚は正常、意識は清明である。<br />
<br />
[[動眼神経]](Ⅲ)、[[滑車神経]](Ⅳ)は中脳にあるため障害されず、このため眼球の上下運動(水平運動はできない)とまばたき(上眼瞼の運動)のみ可能である。したがって、自己と外界との意思疎通は、まばたきまたは眼球運動をもってのみ可能である。<br />
<br />
== 経過と予後 ==<br />
最初の頃は、ほとんど死亡すると考えられていたが、1ないし12週後に、ある程度の神経症状の回復をみる例もあり、早期の積極的治療の必要性が強調されている。中には、27年間生存した例も報告されている。本症例に対する栄養補給中止の声明が、1993年American Academy of Neurologyから出されている<ref><pubmed> 8423893</pubmed></ref>。<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
<references /></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88%E9%9A%9C%E5%AE%B3&diff=37051
トゥレット障害
2017-01-09T10:56:01Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0046287 金生 由紀子]</font><br><br />
''東京大学 医学系研究科・こころの発達医学''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2013年3月11日 原稿完成日:2013年10月3日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
英語名:Tourette’s disorder 独:Tourette-Syndrom 仏: maladie de Tourette, syndrome de Tourette<br />
<br />
同義語:ジル・ド・ラ・トゥレット症候群、トゥレット症候群<br />
<br />
{{box|text=<br />
多様性の運動チックと1つ以上の音声チックを有して、何らかのチックを認める期間が1年以上に及ぶ場合に、トゥレット障害と診断される。[[強迫性障害]]([[obsessive-compulsive disorder]]: [[OCD]])及び[[注意欠陥・多動性障害]]([[attention-deficit/hyperactivity disorder]]: [[ADHD]])など様々な精神神経疾患を併発する。4~11歳頃に発症することが多く、10~15歳頃に最悪時を迎えるが、成人期初めまでに消失や軽快に転じる場合が多い。[[皮質-線条体-視床-皮質回路]]([[cortico-striato-thalamo-cortical circuit]]: [[CSTC回路]])、特に[[ドーパミン]]系の異常が想定されてる。治療には薬物療法、[[認知行動療法]]が用いられる。<br />
}}<br />
<br />
==トゥレット障害とチック==<br />
突発的、急速、反復性、非律動性、常同的な運動あるいは発声をチックという<ref>'''金生由紀子'''<br>トゥレット障害<br> ''日本小児科学会雑誌'' 2010, 114(11): 1673-80. </ref>。チックを主症状とする症候群がチック障害であり、トゥレット障害はその一つである。詳細な症例報告をしたフランス人医師[[wikipedia:Georges Gilles de la Tourette|ジョルジュ・ジル・ド・ラ・トゥレット]]の名にちなんでジル・ド・ラ・トゥレット症候群(Gilles de la Tourette syndrome)と呼ばれてきた。それを縮めてトゥレット症候群(Tourette syndrome: TS)ということもある。重症な[[チック]]障害であると強調されてきたが、その中でも重症度にはかなり幅がある。<br />
<br />
チックには、[[運動チック]]と[[音声チック]]があり、それぞれが単純チックと複雑チックに分けられる。複雑チックは、典型的な単純チックよりややゆっくりで意味があるように見える。単純運動チックには、瞬き、顔しかめ、首ふり、肩すくめなどがある。単純音声チックには、咳払い、鼻鳴らし、叫び声などがある。特異的な複雑音声チックに、社会的に受け入れられない言葉を発してしまう[[コプロラリア]]([[coprolalia]]、[[汚言症]])、他者の発した言葉を繰り返す[[エコラリア]]([[echolalia]]、[[反響言語]])が含まれる。<br />
<br />
チックは、不随意運動とされてきたが、部分的には随意的抑制が可能であることから、“半随意”と考えられるようになっている。チックには、やらずにはいられないという抵抗しがたい感覚をしばしば伴い、この感覚は、[[前駆衝動]]([[premonitory urges]])と呼ばれる。チックは、種類、部位、回数、強さなどがしばしば変動する。変動は自然の経過で生じることもあれば、心理的な影響によることもある。<br />
<br />
== 診断 ==<br />
<br />
チック障害の中で、チックの発症が18歳未満であり、多様性の運動チックと1つ以上の音声チックを有して、何らかのチックを認める期間が1年以上に及ぶ場合に、トゥレット障害と診断される。過去にはコプロラリアがトゥレット障害の代名詞のように使われたことがあったが、現在では診断に必須ではなく、むしろ認めない場合が多い。<br />
<br />
== 併発症 ==<br />
<br />
トゥレット障害は様々な精神神経疾患をしばしば併発して、それも特徴の一つとされる。最も代表的な併発症はOCD及びADHDである。<br />
<br />
トゥレット障害の約30%がOCDを併発し、OCDの診断基準に達しない強迫症状まで含めると過半数に達する。トゥレット障害とOCDの併発では、“まさにぴったり(just right)”せずにはいられないという感覚を伴う強迫行為が特徴的とされる。<br />
<br />
ADHDを併発する場合には、[[学習障害]]などADHDと親和性の高い疾患も伴いやすい。<br />
<br />
併発症としては、[[自閉症スペクトラム障害]]([[autism spectrum disorder]]: [[ASD]])も知られている。むしろASDにトゥレット障害を高率に伴うと強調されるが、トゥレット障害の1~9%にASDを伴う。<br />
<br />
他の併発症状には、些細なことで怒りを爆発させてしまう“怒り発作(rage attacks)”、[[不安]]、[[うつ]]などが含まれる。<br />
<br />
== 経過・予後 ==<br />
<br />
チックは4~11歳頃に発症することが多く、6~7歳頃に最もよく認められる。10歳を過ぎると前駆衝動について気づく者が増える。10~15歳頃にチックの最悪時を迎えることが多い。<br />
<br />
チックは成人期初めまでに消失や軽快に転じる場合が 80~90%である。但し、少数では成人まで重症なチックが続いたり、成人後に再発したりする。<br />
<br />
== 疫学 ==<br />
<br />
過去にはトゥレット障害はかなり稀な疾患と考えられていたが、複数の国の14の疫学研究では5~18歳での頻度が0.4~3.8%に分布し、全体では約1%であった。<br />
== 病因・病態 ==<br />
<br />
トゥレット障害は生物学的な基盤のある神経発達障害と考えられている<ref name=ref4><pubmed>22064610</pubmed></ref><ref><pubmed>21880899</pubmed></ref><ref><pubmed>20807062</pubmed></ref>。<br />
<br />
[[wikipedia:ja:双生児研究|双生児研究]]、[[wikipedia:ja:家族研究|家族研究]]から、トゥレット障害に遺伝的要因の関与が大きいことが明らかになっている。慢性運動チックやOCDがトゥレット障害と遺伝的に関連する可能性が指摘されている。詳細な家族研究から単一遺伝子による疾患と仮説されたこともあったが、現在では複数の遺伝子と環境要因が関与する[[wikipedia:ja:多因子遺伝|多因子遺伝]]と考えられている。最近では、遺伝子変異を有する患者の知見に基づいて、[[wikipedia:ja:膜タンパク質|膜タンパク質]]をコードする[[SLITRK1]]遺伝子、[[ヒスタミン|<small>L</small>‑ヒスチジン脱炭酸酵素]]をコードする[[HDC]]遺伝子の関与が示唆されている。<br />
<br />
また、遺伝的要因と環境要因との相互作用も検討されている。[[wikipedia:ja:溶連菌|溶連菌]]感染症後の[[wikipedia:ja:自己免疫疾患|自己免疫疾患]]([[wikipedia:pediatric autoimmune neuropsychiatric disorders associated with streptococcal infections|pediatric autoimmune neuropsychiatric disorders associated with streptococcal infections]];[[wikipedia:PANDAS|PANDAS]])について関心が持たれてきたが、いまだに議論が続いている。<br />
<br />
トゥレット障害の病態としては、[[皮質-線条体-視床-皮質回路]]([[cortico-striato-thalamo-cortical circuit]]: [[CSTC回路]])の異常が想定されており、その中でも[[基底核]]の機能低下を示唆する所見が多い。CSTC回路には部分的には重なるが大局的には並行する複数の回路が存在しており、トゥレット障害にしばしば併発するOCDやADHDもCSTC回路の異常を有するとされる。<br />
<br />
トゥレット障害におけるドーパミン[[D2受容体]]遮断作用の強い薬物療法の有効性などから、[[神経伝達物質]]の中でもドーパミン系が注目されてきた。ドーパミン系の[[受容体]]の異常、[[トランスポーター]]の異常、ドーパミンの相性の(phasicの)放出などが報告されており、機序は一律ではないかもしれない。ドーパミン系以外にも[[セロトニン]]系、[[ノルアドレナリン]]系をはじめ多様な神経伝達物質の関与も示唆されている。<br />
<br />
== 治療 ==<br />
<br />
=== 治療の進め方 ===<br />
<br />
トゥレット障害を有する本人を包括的に評価するという姿勢が大切であり、トゥレット障害に伴う生活上の困難に関連する要因を、トゥレット障害の重症度、本人及び周囲の認識と対処能力の2つの側面で整理する。トゥレット障害の重症度は、<br />
#チック自体の重症度、<br />
#チックによる悪影響の重症度、<br />
#併発症状の重症度に分けて評価する。<br />
<br />
包括的な評価に基づいて治療を構成する。その際にはチック及び併発症が軽症か重症かで大まかな目安を立てる。<br />
#チックも併発症も軽症な場合には、[[家族ガイダンス]]、[[心理教育]]、環境調整を行って経過をみる。本人にチックへの気づきがあり積極的な治療を望むならば認知行動療法を加える。<br />
#チックが軽症で併発症が重症な場合には、チックを考慮しつつ併発症の治療を優先する。<br />
#チックが重症で併発症が軽症な場合には、環境調整をより積極的に行いつつ、チックに対する薬物療法を行う。チックの重症度が軽症寄り(すなわち中等症)で本人や家族が薬物療法を嫌うならば[[認知行動療法]]を行う。<br />
#チックも併発症も重症な場合には、双方に対して薬物療法を行うことが多い。標的症状がチックか併発症か明確にして認知行動療法を組み合わせることもある。<br />
<br />
===家族ガイダンス、心理教育===<br />
<br />
チックや併発症状について本人及び家族などの周囲の人々の理解と受容を促して適切な対応のための情報を提供する。チックは親の育て方や本人の性格に問題があって起こるのではないこと、チックの変動性や経過の特徴を踏まえて、些細な変化で一喜一憂しないこと、本人にチックを完全にやめさせようと求めずに、本人の特徴の一つとして受容していくこと、チックのみにとらわれずに長所を伸ばすとの観点も含めて対応することなどを伝える。<br />
<br />
===環境調整===<br />
<br />
本人がチックを持っていても大丈夫と感じて前向きに生活できるような環境であることが望ましい。子どもであれば、家庭と並んで学校で理解を得ることが重要である。トゥレット障害に関する基本的なことに加えて、その特定の子どもや家族について、チックや併発症状のみならずその人たちのトゥレット障害に対する思いも含めて関係者に理解を促す。<br />
<br />
===薬物療法===<br />
<br />
薬物療法は主な標的症状がチックか併発症かで大別される。チックに対する薬物の中心は[[抗精神病薬]]である。<br />
<br />
アメリカトゥレット協会医療アドバイス委員会がエビデンスを加味してまとめた薬物療法のガイドラインによると、我が国で使用できる薬物の中で、チックに対して十分にエビデンスのある抗精神病薬は、[[ハロペリドール]]、[[ピモジド]]、[[リスペリドン]]であり、チックに対していくらかのエビデンスがある抗精神病薬は、[[フルフェナジン]]、[[チアプリド]]である。<br />
<br />
ヨーロッパのチック障害の臨床ガイドラインでは、[[スルピリド]]、[[オランザピン]]もいくらかエビデンスがあるとされている。最近では、これらに加えて、[[アリピプラゾール]]の有効性を示す報告が複数あり、鎮静などの副作用が少ないこともあり、注目されている。<br />
<br />
[[非抗精神病薬]]の中でいくらかのエビデンスがあるとされる薬物に、[[α2ノルアドレナリン受容体]]作動性の[[wikipedia:ja:降圧薬|降圧薬]]の[[クロニジン]]がある。<br />
<br />
===認知行動療法===<br />
<br />
チックが“半随意”であり前駆衝動を伴うとの認識が高まるにつれて、行動理論モデルを利用した治療法が行われるようになってきた<ref>'''松田なつみ、金生由紀子'''<br>トゥレット症候群の支援と治療<br>''最新精神医学'' 2013, 18(1): 39-47. </ref>。中心となるのが[[ハビットリバーサル]]([[habit reversal]])であり、前駆衝動への意識を高めるトレーニングとチックに対する拮抗反応の形成からなる。チックが悪化しやすい状況の分析に基づく対応の工夫やリラクセーションをハビットリバーサルに組み合わせる[[包括的な行動介入方法]]([[Comprehensive Behavioral Intervention of Tic Disorders]]: [[CBIT]])の有効性が示されている。<br />
<br />
ハビットリバーサルは、チックに気づくことによってコントロールしやすくなることを目指すが、チックを気にしすぎてかえって悪化しないように配慮を要する。チックをすべてなくそうとしないことを確認しつつ、最も改善したいチックを定めて、よりましな随意的な行動や良いイメージに置き換えることを促す。<br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[強迫性障害]]<br />
*[[注意欠陥・多動性障害]]<br />
*[[大脳基底核]]<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
<references /></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=MPTP&diff=37050
MPTP
2017-01-09T10:55:11Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/atsushinambu 南部 篤]</font><br><br />
''自然科学研究機構 生理学研究所''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2013年2月4日 原稿完成日:2015年5月2日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446/ 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
{{chembox<br />
| verifiedrevid = 464192606<br />
|ImageFile = MPTP.png<br />
|ImageSize = 200px<br />
|IUPACName=1-Methyl-4-phenyl-1,2,3,6-tetrahydropyridine<br />
|OtherNames=<br />
|Section1= {{Chembox Identifiers<br />
| KEGG_Ref = {{keggcite|correct|kegg}}<br />
| KEGG = C04599<br />
| InChI = 1/C12H15N/c1-13-9-7-12(8-10-13)11-5-3-2-4-6-11/h2-7H,8-10H2,1H3<br />
| InChIKey = PLRACCBDVIHHLZ-UHFFFAOYAV<br />
| ChEMBL_Ref = {{ebicite|correct|EBI}}<br />
| ChEMBL = 24172<br />
| StdInChI_Ref = {{stdinchicite|correct|chemspider}}<br />
| StdInChI = 1S/C12H15N/c1-13-9-7-12(8-10-13)11-5-3-2-4-6-11/h2-7H,8-10H2,1H3<br />
| StdInChIKey_Ref = {{stdinchicite|correct|chemspider}}<br />
| StdInChIKey = PLRACCBDVIHHLZ-UHFFFAOYSA-N<br />
| CASNo_Ref = {{cascite|correct|CAS}}<br />
| CASNo=28289-54-5<br />
| PubChem=1388<br />
| IUPHAR_ligand = 280<br />
| ChemSpiderID_Ref = {{chemspidercite|correct|chemspider}}<br />
| ChemSpiderID = 1346<br />
| EINECS=248-939-7<br />
| ChEBI_Ref = {{ebicite|correct|EBI}}<br />
| ChEBI = 17963<br />
| SMILES = c2c(/C1=C/CN(C)CC1)cccc2<br />
| MeSHName = 1-Methyl-4-phenyl-1,2,3,6-tetrahydropyridine<br />
}}<br />
|Section2= {{Chembox Properties<br />
| Formula=C<sub>12</sub>H<sub>15</sub>N<br />
| MolarMass=173.25 g/mol<br />
| Appearance=<br />
| Density=<br />
| MeltingPtC= 39<br />
| BoilingPtC= 130<br />
| Solubility= slightly soluable<br />
}}<br />
|Section3= {{Chembox Hazards<br />
| MainHazards=<br />
| NFPA-H = 4<br />
| NFPA-F = 0<br />
| NFPA-R = 0<br />
| NFPA-O = <br />
| FlashPt=<br />
| Autoignition=<br />
}}<br />
}}<br />
<br />
IUPAC名:1-methyl-4-phenyl-1,2,3,6-tetrahydropyridine <br><br />
<br />
{{box|text=<br />
MPTPとは、[[ドーパミン]]作動性ニューロンを変性脱落させる神経毒。実験動物に投与し、[[パーキンソン病]]モデルを作成するために用いられる。<br />
}}<br />
<br />
==発見の経緯==<br />
[[Image:MPTP Fig2.jpg|thumb|240px|'''図 MPTPの代謝''']] <br />
<br />
疾患モデルを作成するため、長年、パーキンソン病を発症させる[[神経毒]]の探索が続いていたが、良い候補は見つかっていなかった。しかし、以下のような皮肉な事件によりMPTPが「発見」されることになった。<br />
<br />
[[麻薬]]常習者の大学院生が、合成[[ヘロイン]]である[[wikipedia: Desmethylprodine|1-methyl-4-phenyl-propionoxy-piperidine]] (MPPP)を自宅の実験室で合成し、自分で注射していたところ、1976年、重篤なパーキンソン病を発症した。ある時から、合成段階でいくつかの手抜きをしたため、副生成物質が混入したためと思われる。症状は典型的なパーキンソン病で、[[L-ドーパ]]が著効を示した。その後、麻薬過剰摂取で死亡したため剖検したところ、[[黒質細胞]]脱落、[[レビー小体]]陽性など病理的にもパーキンソン病であった。しかし原因物質を特定するまでには至らず、この報告は注目されなかった<ref><pubmed> 298352</pubmed></ref>。<br />
<br />
その後、1982年、北カリフォルニアで4人の若い麻薬常習者が、新しい合成ヘロインを入手し連用したところ、重度の無動を示すパーキンソン病を発症した。この合成ヘロインを分析したところMPTPが発見され、これを実験動物([[wikipedia:ja:サル|サル]])に投与したところ、パーキンソン病様症状を呈したため、MPTPが原因物質として確定した<ref><pubmed>6823561</pubmed></ref><ref> '''J William Langston, Jon Palfreman'''<br>The Case of the Frozen Addicts 309 pp. <br>''New York, Pantheon,'' 1996</ref>。 <br />
<br />
==作用機序==<br />
MPTPが脳内に入ると、[[アストロサイト]]や[[ミクログリア]]内で[[モノアミン酸化酵素]]B ([[MAO-B]])により酸化されMPP<sup>+</sup>となり、これが細胞外に放出された後、ドーパミン作動性ニューロンに取り込まれる。MPP<sup>+</sup>は[[ミトコンドリア]]内に取り込まれ、電子伝達系のcomplex Iを強力に阻害するため、エネルギー産生能の低下によって細胞が変性すると考えられている(図)。ドーパミン細胞の選択的障害については、MPP<sup>+</sup>がニューロメラニンと結合して毒性機構が増強するためと考えられている<ref name=ref4><pubmed>3091760</pubmed></ref>。<br />
<br />
==意義==<br />
このMPTPの「発見」により、ドーパミン作動性ニューロンが変性・脱落するメカニズムの解明が進んだ。また、主に[[wikipedia:ja:霊長類|霊長類]]にMPTPを投与しパーキンソン病モデルを作成することにより、パーキンソン病の病態の解明<ref name=ref4><pubmed>1695404</pubmed></ref>、[[定位脳手術]]や[[脳深部刺激療法]](DBS)などの治療法の開発<ref><pubmed>2402638</pubmed></ref>などにつながった。さらには、パーキンソン病の原因として、内在性・外来性のMPTP類似物質、例えば[[wikipedia:ja:除草剤|除草剤]]などによる原因説も復興した。<br />
<br />
またMPTPによるパーキンソンモデルサルは[[ES細胞]]の移植治療研究に用いられ、症状の改善を認められ[[iPS細胞]]を加えた移植治療の優れた前臨床研究モデルとして注目されている<ref><pubmed>23370347</pubmed></ref>。<br />
<br />
==毒性==<br />
ヒトを含む霊長類は感受性が高く、[[ラット]]は低く、[[マウス]]、[[ネコ]]は、その中間の感受性を示す。ラットでは、[[血液脳関門]]にMAO-Bが豊富に発現しているため、同部位でMPP<sup>+</sup>が産生されるが、MPP<sup>+</sup>は陰性荷電をしており血液脳関門を通過しにくいため、MPTPに感受性が低いと考えられている<ref><pubmed> 3495000 </pubmed></ref>。<br />
<br />
MPTPが揮発性・脂溶性であることから、[[wikipedia:ja:皮膚|皮膚]]、[[wikipedia:ja:呼吸器|呼吸器]]などから吸収され易く血液脳関門も通過し易い、さらに動物に投与した場合、一部、代謝されないまま排泄される。このため取り扱い時には使い捨て手袋を着用し、[[wj:ドラフトチャンバー|ドラフトチャンバー]]内で操作すること、使用後や残分のMPTPは1%[[wj:次亜塩素酸|次亜塩素酸]]で不活性化させる([[wj:オートクレーブ|オートクレーブ]]は揮発するため不可)など、取り扱いに注意を要する<ref><pubmed> 11238711</pubmed></ref>。<br />
<br />
==関連語==<br />
*[[大脳基底核]]<br />
*[[パーキンソン病]]<br />
<br />
==外部リンク==<br />
*[http://www.youtube.com/watch?v=TwCk_dqCg0k BBC Horizon Awakening the Frozen Addicts (1993)]<br />
*[http://www.ors.od.nih.gov/sr/dohs/Documents/Procedures_for_Working_with_MPTP_or_MPTP_Treated_Animals.pdf 米国NIHのMPTPおよびMPTP投与動物の取り扱い指針]<br />
<br />
==参考文献 ==<br />
<references/></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E9%80%86%E8%A1%8C%E6%80%A7%E5%81%A5%E5%BF%98&diff=37049
逆行性健忘
2017-01-09T10:54:44Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/ayaekinoshita 木下 彩栄]</font><br><br />
''京都大学 大学院医学研究科 人間健康科学系専攻''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2012年9月28日 原稿完成日:2013年11月12日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
英語名:retrograde amnesia 独:retrograde Amnesie 仏:amnésie retrograde<br />
<br />
同義語:逆向性[[健忘]]<br />
<br />
{{box|text= 逆行性健忘 (retrograde amnesia) とは、発症以前の、過去の出来事に関する記憶を思い出すことの障害である。ここでいう出来事とは本人の生活史上の経験であっても、本人が生活してきた時代における社会的な事実であってもよい。すなわち、発症以前に本人が経験し、覚えているはずの出来事を思い出すことができない状態である。しかしながら、どの程度の期間の逆行性健忘があるかの評価は必ずしも容易ではない。というのも、その個人の過去の[[記憶]]を正確に証明することは困難であり、世俗的な事象を対象に過去の記憶を確認しようとしても、個人の関心の度合いが異なるためである。<br />
}}<br />
<br />
== 特徴 ==<br />
逆行性健忘 (retrograde amnesia) とは、発症以前の、過去の出来事に関する記憶を思い出すことの障害である。<br />
<br />
逆行性健忘により発症から遡ってみられる健忘の期間は、多くの場合、数か月から数年に及ぶが、数十年に及ぶ症例も存在する。通常、発症時点に近い出来事ほど思い出しにくく、発症時点から遠い過去の出来事ほど思いだしやすい。これを時間勾配 (temporal gradient) というが、必ず時間勾配が認められるわけではなく、認められないこともある。逆行性健忘の回復過程では、発症時点で思い出せなかった過去の事象を、発症から時間が経過するにつれ想起できるようになってくる。このように健忘期間が徐々に短縮し、記憶が消滅している時点が発症時に近づいてゆくが、ある時点まで短縮したが、それ以上短縮せずに残存することも少なくない。また健忘期間の消長は病変の性質にもよる。[[外傷性脳損傷]]などでは、しばしば逆行性健忘が発現するとともに、その後に健忘期間の短縮もみられる。それとは逆に、[[アルツハイマー病]]など進行性の[[神経変性疾患]]では、健忘期間が延長して行き、これは病態の進展を示唆している。<br />
<br />
健忘症では、通常、逆行性健忘と[[前行性健忘]]の両方がみられるが、前行性健忘が主体で逆行性健忘が軽微なものや、逆に前行性健忘に比べ、逆行性健忘が著しいもの (disproportionate retrograde amnesia) など様々な組み合わせがある。特に、前行性には健忘がないか、ごく軽微であるにもかかわらず、顕著な逆行性健忘を呈する病態を、[[孤立性逆行性健忘]] (isolated retrograde amnesia, focal retrograde amnesia あるいはpure retrograde amnesia) と呼び、記憶の神経基盤に関する重要な手がかりを提供するものとして注目されてきた。多くの場合、発症早期には前行性健忘と逆行性健忘が共存するが、速やかに前行性健忘は改善し、逆行性健忘が残存するというパターンをとる。<br />
<br />
== 障害される記憶内容 ==<br />
<br />
障害されるのは本人の自伝的な[[エピソード記憶]]であるが、本人がそれまで生きてきた時代背景に関わる社会的な事実の記憶も障害される。これは知識として定着すれば、[[意味記憶]]となる。逆行性健忘では、この遠隔記憶内の障害のされ方は一様ではない。個々の症例でみれば、[[自伝的記憶]]が顕著に低下する例もあれば、社会的事件や[[自伝的記憶]]の中で意味記憶に近い成分が強く障害される場合もあり、多様である。一方、原則的に、[[手続き記憶]]について逆行性健忘は認められない。<br />
<br />
== 神経基盤 ==<br />
<br />
逆行性健忘の機序は、それまで保持されていた記憶内容の破壊、あるいは記憶内容の再生障害と考えられる。病因として、脳外傷、[[脳炎]]、[[脳血管障害]]、[[てんかん]]、[[低酸素性脳症]]、[[一過性全健忘]]など多様である。責任病変として、比較的健忘期間が短いものは、[[内側側頭葉]]病変が重視され、より長期に健忘期間がみられるものは、内側よりむしろ[[側頭葉]]前方部が重視される。<br />
<br />
[[内側側頭葉損傷]]による[[健忘症候群]]は、ScovilleとMilnerによる有名な症例[[H.M.]]の研究をはじめとする<ref name=ref1><pubmed>13406589</pubmed></ref>。H.M.は27歳時、難治性てんかんの治療を目的に両側内側側頭葉切除術を施行されたが、術後、重度の前行性健忘と約10年の逆行性健忘が生じた。また、[[低酸素脳症]]で両側[[海馬]]の[[CA1]]領域に限局した[[梗塞]]をきたした症例[[R.B.]]も、同様に重篤な前行性健忘と2~3年の逆行性健忘を生じた<ref name=ref2><pubmed>3760943</pubmed></ref>。これらの結果を踏まえ、内側側頭葉がエピソード記憶に重要であることは間違いなく、[[記銘]]と[[保持]]([[固定化]])、あるいは[[想起]]に関与することが示唆される。<br />
<br />
内側側頭葉の具体的構造物と記憶障害の関係について、Yonedaらは[[MRI]]による脳炎患者の側頭葉構造の体積測定から<ref name=ref3><pubmed>7995298</pubmed></ref>、Rempel-Clowerらは限局した側頭葉損傷の病理学的な比較検討から<ref name=ref4><pubmed>8756452</pubmed></ref>、前行性健忘には[[海馬体]]が、逆行性健忘には[[海馬傍回]]が重要であろうと報告している。しかし、その後の報告でも内側側頭葉損傷による健忘症患者の症状は決して一様ではなく、単純に海馬体と海馬傍回を区別して説明しうるかははっきりしない。おそらく、障害が内側側頭葉領域にとどまらず、側頭葉前方部などに及ぶことで逆行性健忘の期間が長くなる可能性はある。<br />
<br />
これまでに逆行性健忘を説明するために提唱された理論として、[[w:Larry_Squire|Squire]]らの「記憶の固定化の2段階理論」<ref name=ref5><pubmed>7620304</pubmed></ref>のほか、Nadelらの「多重痕跡理論 (multiple trace theory) 」<ref name=ref6><pubmed>10985275</pubmed></ref>が挙げられる。Squireらの理論では、「海馬の[[シナプス]]が急速に変化することで、海馬システムが一時的な記憶の貯蔵庫として働く」急速な固定化の段階と、「海馬システムが[[新皮質]]にある記憶表象を繰り返し活性化させることで生じ、次第に皮質間の相互結合を強めることで、記憶が海馬システムから独立したものとなる」緩徐な固定化の段階が存在するというモデルを提唱している。一方、Nadelらは、新皮質同士の長期にわたる相互結合を仮定せずに、海馬を含む側頭葉内側部が新皮質と絶えず相互作用を営み、相互の情報内容を常に更新していくというモデルを想定した。すなわち、Squireらの理論では、海馬の役割が時間とともに減少するのに対して、Nadelらの理論では、記銘だけではなく想起においても海馬が関与するというものである。<br />
<br />
これらのモデルはいずれも海馬を含む内側側頭葉の役割を中心に据えているが、逆行性健忘が数十年という長期に及ぶ孤立性逆行性健忘では、損傷部位を特定できないことも多い。損傷部位がはっきりしていて多いのは、[[側頭極]](側頭葉先端部)、[[嗅内野]]([[28野]])、海馬傍回を含む両側側頭葉の前方であるが、両側または一側[[前頭葉]]の背外側[[前頭前野]]または内側の[[帯状回]]前部、前頭葉底面を含む広範な前頭葉障害、あるいは[[視床]]病変での報告もある<ref name=ref7><pubmed>17015852</pubmed></ref> <ref name=ref8><pubmed>10426519</pubmed></ref> <ref name=ref9>'''Mangels JA, Gershberg FB, Shimamura AP, Knight RT'''<br>Impaired retrieval from remote memory in patients with frontal lobe damage.<br>''Neuropsychology'' 1996; 10: 32-41. <br />
</ref> <ref name=ref10><pubmed>11440756</pubmed></ref>。[[遠隔記憶]]の多様性を考えれば、そのさまざまな側面にかかわる種々の脳領域での病変が健忘を引き起こすと考えられ、逆行性健忘の責任病変が一定でないのはむしろ当然かもしれない。<br />
<br />
== 機能性逆行性健忘 ==<br />
<br />
[[機能性逆行性健忘]](functional retrograde amnesia)とは、過去の遠隔記憶が部分的(10年から数十年に及ぶ)あるいは完全に失われた状態で、明らかな器質性病変の見られないものをいう。孤立性逆行性健忘の中でも、逆行性健忘が全生活史に及ぶものは、[[全般性健忘]] (generalized amnesia)であり 、わが国では[[全生活史健忘]]と呼ばれ、自分の名前、生い立ちから始まる自己の全生活史を思い出せない状態である。多くの場合は心因性と考えられるが、発症の引き金となる明らかな[[心的外傷]]や過度の[[ストレス]]がないこともあり、その場合、患者本人も気づいていないような心的ストレスが存在するのか否か、心因の特定が難しい。心因性か器質性かはっきりしない場合、機能性逆行性健忘と一括して論じられることもある。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
<br />
*[[前行性健忘]]<br />
*[[エピソード記憶]]<br />
*[[海馬]]<br />
*[[内側側頭葉]]<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
<br />
<references /></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E5%A4%9A%E7%99%BA%E6%80%A7%E7%A1%AC%E5%8C%96%E7%97%87&diff=37048
多発性硬化症
2017-01-09T10:54:17Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0196157 吉良 潤一]</font><br><br />
''九州大学 大学院医学研究院 神経内科学''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2013年4月15日 原稿完成日:2014年2月21日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446/ 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
英語名:multiple sclerosis 英略名:MS 独:Multiple Sklerose 仏:sclérose en plaques<br />
<br />
{{box|text=<br />
多発性硬化症は、時間的・空間的に多発する[[中枢神経系]]特異的な非化膿性炎症性[[脱髄性疾患]]である。中枢神経系の様々な部位が傷害されるので、MSの臨床症状は多彩である。中枢神経[[髄鞘]]抗原を標的にした[[wikipedia:ja:自己免疫性疾患|自己免疫性疾患]]であると考えられている。遺伝因子と環境的因子の両者が発症のリスクになると考えられている。90%は再発[[寛解]]の経過を呈する再発寛解型で、残り10%程度は病初期から再発なしに慢性に症状が悪化していく一次性進行型を呈する。再発寛解型の半数は、10年ほどの経過で、再発なしに次第に障害が増悪する二次性進行型MSへ移行する。欧米[[wikipedia:ja:白人|白人]]に多いが[[wikipedia:ja:日本人|日本人]]にも増加しつつある。急性期には[[副腎皮質ステロイド]]薬、再発・障害進行防止には、[[インターフェロンβ]]([[interferon β]], IFNβ)、[[フィンゴリモド]]を用いる。<br />
}}<br />
<br />
[[image:多発性硬化症.jpg|thumb|350px|'''図.多発性硬化症(二次性進行型)MRI像'''<br>側脳室周囲から放射状に拡がる病巣が、多発性硬化症に比較的特徴的とされる。これは脳室周囲に放射状に拡がる後毛細血管静脈からリンパ球が浸潤し、その周囲に脱髄巣をつくりやすいためである。側脳室周囲の病巣が残存しやすいともいわれている。]]<br />
<br />
==多発性硬化症とは==<br />
<br />
多発性硬化症は、中枢神経系を侵す非化膿性炎症性脱髄性疾患である。中枢神経髄鞘抗原を標的にした自己免疫性疾患であると考えられているが、証明はできていない。末梢神経は傷害されない。病因は現在のところ確立されていないが、遺伝因子と環境的因子の両者が発症のリスクになると考えられている。中枢神経白質の傷害に基く症候が、再発と寛解を繰り返し(時間的多発性という)、中枢神経の様々な部位が多巣性に侵される(空間的多発性という)。即ち、臨床的にはMSは中枢神経白質傷害に基づく症候が時間的・空間的に多発し、他の疾患が除外されるときに診断される。MSの90%は再発寛解の経過を呈する再発寛解型(relapsing remitting MS, RRMS)で、残り10%程度は病初期から再発なしに慢性に症状が悪化していく一次性進行型(primary progressive MS)を呈する。再発寛解型MSの半数は、10年ほどの経過で、再発なしに次第に障害が増悪する二次性進行型MS(secondary progressive MS)へ移行する<ref name=ref1>'''Lisak R, Kira J'''<br>Multiple sclerosis. International Neurology. <br>A Clinical Approach. Ed. by Lisak R, Truong D, Carrol W, Bhidayasiri R. ''Blackwell pp. 366-374, 2009''</ref>。<br />
<br />
== 臨床症候 ==<br />
<br />
発症は急性であることが多いが,亜急性に,あるいは緩徐に発症することもある.中枢神経の様々な部位が傷害されるので、MSの臨床症状は多彩である。[[視力]]・[[視野障害]]、[[運動麻痺]]、[[運動失調]]、[[痙性歩行]]、[[感覚]]障害・異常感覚、[[排尿障害|排尿]]・[[排便障害]]、[[複視]]などが主なものである。<br />
<br />
神経学的診察所見としては、[[視神経]]萎縮、[[視神経乳頭]]耳側蒼白([[乳頭黄斑]]線維が[[視神経炎]]で障害されやすいため)、視野欠損等の視神経障害、[[片麻痺]]、[[対麻痺]]、[[四肢麻痺]]等の運動障害、[[痙縮]]、四肢[[腱反射]]亢進、[[病的反射]]の出現、[[痙縮]]、[[小脳性運動失調]]、[[感覚鈍麻]]、[[感覚性失調]]、[[膀胱直腸障害]]、[[内側縦束症候群|内側縦束 (medial longitudinal fasciculus, MLF)症候群]]等に代表される[[眼球運動障害]]、[[眼振]]等がみられる。[[脳幹]]病変により[[三叉神経痛]]、[[顔面筋麻痺]]、[[構音障害|構音]]・[[嚥下障害]]、[[めまい]]、[[難聴]]などを来すこともある。さらに、[[大脳]]病巣により[[記憶障害]]、[[注意障害]]、[[遂行機能]]障害などの[[認知機能障害]]を呈することがある。精神症状としては、[[抑うつ]]、[[不安]]、[[多幸症]]などを認めることもある。 [[けいれん]]、高度の[[認知症]]、[[パーキンソニズム]]を呈することは稀である。<br />
<br />
== 検査所見 ==<br />
===画像診断===<br />
MS病巣は[[核磁気共鳴画像]] (magnetic resonance imaging, [[MRI]])で最も鋭敏に検出される。頭部MRI画像では、[[側脳室]]周囲から大脳[[白質]]に垂直方向に伸びる卵円形の病巣(ovoid lesion)が比較的本症に特徴的とされる。大脳深部白質、皮質直下の白質、[[脳梁]]、脳幹、[[脊髄]]に病巣がみられることが多い。[[T2強調画像]]や[[FLAIR画像]]で高信号、[[T1強調画像]]で低信号に描出される。新しい病巣は、[[血液脳関門]]の破綻を反映して、[[ガドリニウム]]などの[[造影剤]]で造影される。脊髄病巣は2椎体を超えず白質主体に存在することが多い。<br />
<br />
===電気生理学的検査===<br />
[[誘発電位検査]]は、当該伝導路に存在する潜在性病巣の検出に有用である。[[視覚誘発電位]](visual evoked potential)、[[体性感覚誘発電位]](somatosensory evoked potential)、[[聴性脳幹誘発反応]] (auditory brainstem evoked potential)などがある。[[錐体路]]病巣の検出には、磁気刺激装置を用いた[[運動誘発電位]](motor evoked potential)が用いられる。 <br />
<br />
===血液検査===<br />
MSに特異的な所見は乏しく、主に[[wikipedia:ja:膠原病|膠原病]]などによる中枢神経病巣を鑑別診断するために各種[[wikipedia:ja:自己抗体|自己抗体]]を[[検索]]する。MSは[[wikipedia:ja:抗核抗体|抗核抗体]]が弱陽性になる例があるが、それ以外の特異的な自己抗体は検出されない。視神経と脊髄が選択的に侵される視神経脊髄炎では、[[アストロサイト]]の足突起に存在する[[水チャネル]]である[[aquaporin-4]]に対する自己抗体が約半数で検出される。[[髄液]]細胞数と総タンパク質量は、再発期には軽度の細胞増多([[wikipedia:ja:単核球|単核球]])と総タンパク質量増加がみられることがある。髄鞘の破壊を反映した[[髄鞘塩基性タンパク質]] ([[myelin basic protein]], MBP)の上昇、[[wikipedia:ja:IgG|IgG]] indexの上昇,髄液中の[[wikipedia:ja:オリゴクローナルIgGバンド|オリゴクローナルIgGバンド]]陽性などがみられることもある。オリゴクローナルIgGバンドは、欧米白人のMSの90%、日本人MSの約60%で陽性となり、比較的本症に特徴的といえる<ref name=ref3><pubmed>20494560</pubmed></ref><ref name=ref4><pubmed>21962794</pubmed></ref><ref name=ref6>'''吉良潤一'''<br><br />
日本における多発性硬化症の臨床像・疾患観念の変遷.アクチュアル脳・神経疾患の臨床.最新アプローチ 多発性硬化症と視神経脊髄炎.<br><br />
辻省次(総編集).吉良潤一(専門編集).中山書店 pp. 2-8, 2012.</ref><ref name=ref7>'''吉良潤一'''<br>自然経過からみた病型分類と予後.アクチュアル脳・神経疾患の臨床.最新アプローチ 多発性硬化症と視神経脊髄炎.<br>辻省次(総編集).吉良潤一(専門編集).中山書店 pp. 18-28, 2012.</ref>。<br />
<br />
== 治療 ==<br />
MSの治療は、急性期の短縮、再発・障害進行防止、対症療法が行われる。<br />
===急性期===<br />
急性期の治療として最も一般的なものが副腎皮質ステロイド薬である。短期的な機能改善を促進する作用があるが、長期的な予後には影響がなく再発防止効果もないとされる。[[wikipedia:ja:ステロイドパルス療法|ステロイドパルス療法]]として、[[wikipedia:ja:メチルプレドニゾロン|メチルプレドニゾロン]]1000mg/日を3-5日間点滴静注することが多い。後療法として経口プレドニゾロンを漸減投与することが一般的である。ステロイド不応例や投与困難例については,[[wikipedia:ja:血漿交換|血漿交換]]療法が行われることもある。<br />
===再発・障害進行防止===<br />
再発・障害進行防止には、病態修飾薬(disease-modifying drug)が用いられる。これには、インターフェロンβ (interferon β, IFNβ)が使用されることが多い。本薬は再発を30%程度減らす効果があり、20年以上使用しても重篤な副作用の出現は稀である。通常、再発寛解型MSまたは二次性進行型MSで再発が重畳している場合やMRIで造影病巣が認められる場合に、IFNβ-1bを800万単位隔日皮下注、 またはIFNβ-1aを30μg週1回筋注する。病初期から慢性進行性の経過をとる一次性進行型MSでは、障害の進行を防止する効果は証明されていない。2011年より我が国でも経口の再発・障害進行防止治療薬としてフィンゴリモドが使用可能となっている。経口内服薬であるため治療コンプライアンスの面ではIFNβより有用であるが、長期使用に関するエビデンスは必ずしも十分に蓄積されてはいない。<br />
<br />
IFNβ、フィンゴリモド無効ないし使用不可能な症例には、[[アザチオプリン]]、 [[シクロフォスファミド]]、[[ミトキサントロン]]、[[メトトレキセート]]等の[[wikipedia:ja:免疫抑制剤|免疫抑制剤]]が使用されることもある。[[wikipedia:ja:リンパ球|リンパ球]]が脳内に浸潤する際に用いる接着分子であるα4β1[[インテグリン]]に対する[[モノクローナル抗体製剤]]である[[ナタリズマブ]]が、MSの再発を顕著に減少する効果がある。欧米では活動性の高いMSに使用されているが、2年以上使用すると脳内の[[wikipedia:ja:T細胞|T細胞]]の免疫監視が十分でなくなるため、[[wikipedia:ja:JCウイルス|JCウイルス]]による進行性多巣性白質脳症が副作用として出現することがあり、長期使用にはJCウイルス抗体陰性例に限るなどの注意が必要である<ref name=ref2>'''吉良潤一'''<br>「多発性硬化症治療ガイドライン2010」の使用に関してのガイダンス.<br>多発性硬化症治療ガイドライン2010. 日本神経学会、日本神経免疫学会、日本神経治療学会(監).医学書院 pp. 2-10, 2010.</ref>。<br />
<br />
== 経過と予後 ==<br />
MSは上述のように再発寛解を繰り返しながら障害が蓄積し少しずつ進行していく疾患である.生命予後の点からみると、MS患者は同年代の健常者と比べて約5年程度平均余命が短いといわれている。しかし近年,早期に病態修飾薬を使用開始することで、二次性進行期に移行するのが有意に遅延するなどのエビデンスが蓄積されつつあり、早期診断・早期治療開始が重要視されるようになった。それにより本症の予後の改善が期待されている。<br />
<br />
== 疫学 ==<br />
MSは欧米白人に多く、かつ同じ人種では緯度が高いほど有病率が高い。[[wikipedia:ja:北欧|北欧]]では、人口10万人あたり100人を超える有病率となっている。日本人においてもMSはこの30年間で患者数が約4倍増加した(推定患者数9,900人、有病率7.7/100,000人)。増加の理由は不明であるが、遺伝的背景は変わらないので、乳幼児期の衛生環境の改善や欧米型の食生活が免疫系を介して発症を高めていると推定されている。平均発症年齢は約30歳と若年成人に好発する。男女比は1:3前後である。我が国では発症年齢のピークが30歳代から20歳代に若年化した。女性の比率が約2 倍増え、男女比は1:2.9となった<ref name=ref5>'''Kira J'''<br>Genetic and environmental backgrounds responsible for the change in the phenotype of MS in Japanese subjects.<br>''Multiple Sclerosis and Related Disorders'' 1: 188-195, 2012. </ref>。<br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[視神経脊髄炎]]<br />
*[[急性散在性脊髄炎]]<br />
<br />
==参考文献==<br />
<references /></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E3%83%97%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%B3&diff=37047
プリオン
2017-01-09T10:53:42Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">鈴木 元治郎、[http://researchmap.jp/motomasa 田中 元雅]</font><br><br />
''独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2012年9月6日 原稿完成日:2014年2月20日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
{{Infobox protein family<br />
| Symbol = <br />
| Name = Human Prion Protein.<br />
| image = 1QLX.png<br />
| width = 250<br />
| caption = Crystal structure of human prion protein. From Zahn et al.<ref><pubmed>10618385</pubmed></ref><br />
| Pfam = PF00377<br />
| Pfam_clan = <br />
| InterPro = <br />
| SMART = <br />
| PROSITE = PDOC00263<br />
| MEROPS =<br />
| SCOP = 2prp<br />
| TCDB = <br />
| OPM family = <br />
| OPM protein = <br />
| CAZy = <br />
| CDD =<br />
}}<br />
英:prion 独:Prion 仏:prion<br />
<br />
{{box|text=<br />
プリオンとはタンパク質からなる感染性因子のことであり、[[wikipedia:ja:ミスフォールド|ミスフォールド]]したタンパク質がその構造を正常の構造のタンパク質に伝えることによって伝播する<ref><pubmed> 9811807 </pubmed></ref>。他の感染性因子と異なり、[[wikipedia:ja:DNA|DNA]]や[[wikipedia:ja:RNA|RNA]]といった[[wikipedia:ja:核酸|核酸]]は含まれていない。[[狂牛病]]や[[クロイツフェルト・ヤコブ病]]などの[[伝達性海綿状脳症]]の原因となり、これらの病気はプリオン病と呼ばれている。[[脳]]などの神経組織の構造に影響を及ぼす極めて進行が速い疾患として知られており、治療法が確立していない致死性の疾患である。<br />
}}<br />
<br />
== 歴史 ==<br />
<br />
18世紀にイギリスで[[wikipedia:ja:ヒツジ|ヒツジ]]や[[wikipedia:ja:ヤギ|ヤギ]]の[[スクレイピー]]が記録された。ヒトでは1920年と1921年に[[wikipedia:Hans Gerhard Creutzfeldt|Creutzfeldt]]と[[wikipedia:Alfons Maria Jakob|Jakob]]によってクロイツフェルト・ヤコブ病(Creutzfeldt-Jakob disease: CJD)が報告された。1936 年には、プリオン病であると考えられている[[ゲルストマン・ストロイスラー・シャインカー症候群]](Gerstmann-Straussler-Scheinker syndrome: GSS)が報告された。1947年には[[伝達性ミンク脳症]]の発生が報告された。1957年には、Gajdusekらによって[[wikipedia:ja:パプア・ニューギニア|パプア・ニューギニア]]における[[クール―]]が報告され、1959年にはクール―とCJDとの類似性が指摘されている。1976年、Gajdusekが[[wikipedia:ja:ノーベル生理学・医学賞|ノーベル生理学・医学賞]]を受賞した。1982年、[[wikipedia:ja:スタンリー・B・プルシナー|Prusiner]]がスクレイピー感染脳を用いた実験からproteinaceous infectious particlesの概念を提唱し、この感染性因子をプリオンと命名した(プリオン仮説の提唱)<ref name="ref2"><pubmed> 6801762 </pubmed></ref>。1986年、[[ウシ海綿状脳症]](BSE)の発生がイギリスで報告され、1987年には人由来乾燥[[硬膜]]移植による医源性CJDが発生し、1996年にはBSE由来とされる変異型CJD (vCJD)が報告された。1997年にはPrusinerがノーベル医学・生理学賞を受賞した。2003年アメリカにおいてBSEの発生が確認され日本への米国産牛肉の輸入が禁止された。2005年、日本においてvCJDの患者が報告された。<br />
<br />
==プリオンタンパク質 ==<br />
<br />
哺乳類においてプリオンとしてふるまい、狂牛病などのプリオン病の原因となるのはPrPと呼ばれる。PrPは、ヒトでは253個、マウスでは254個のアミノ酸からなるタンパク質であり、そのアミノ酸配列は高度に保存されている<ref name="ref7"><pubmed> 1675487 </pubmed></ref>。 PrPは健康なヒトや動物でも発現しているタンパク質であり、脳、[[wikipedia:ja:心臓|心臓]]、[[wikipedia:ja:肝臓|肝臓]]など多くの組織、臓器において発現が認められているが、特に脳、神経細胞において高い発現をしている。 <br />
同一のアミノ酸配列でありながら、正常プリオンタンパク質と異常プリオンタンパク質の二つの異なる高次構造をとることが知られており、異常プリオンタンパク質がプリオン病に特異的に検出される。 <br />
PrP遺伝子はヒトにおいては第20番染色体上に存在しており、2つのエクソンからなる。<br />
<br />
===正常プリオンタンパク質===<br />
正常プリオンタンパク質(cellular PrP, PrP<sup>C</sup>) は、前駆体タンパク質として翻訳される。N末端の22個のアミノ酸は[[wikipedia:ja:小胞体|小胞体]]への移行シグナルであり、小胞体移行後に[[wikipedia:ja:シグナルペプチターゼ|シグナルペプチターゼ]]によって切断される。C末端の23個のアミノ酸は[[wikipedia:ja:グリコシルホスファチジルイノシトール(GPI)アンカー|グリコシルホスファチジルイノシトール(GPI)アンカー]]シグナルとして機能し、[[ゴルジ体]]での230番目のセリンへのGPIアンカー付加後に除去される。179番目と214番目の[[wikipedia:ja:システイン|システイン]]残基間にはジスルフィド結合が形成され、181番目と197番目の[[wikipedia:ja:アスパラギン|アスパラギン]]には[[wikipedia:ja:糖鎖修飾|糖鎖修飾]]がおこる。このような修飾ののち、主に細胞膜上の[[wikipedia:ja:ラフト|ラフト]]と呼ばれる[[コレステロール]]や[[wikipedia:ja:スフィンゴ脂質|スフィンゴ脂質]]に富む領域に発現する<ref name="ref7" />。細胞膜上に発現したPrP<sup>C</sup>は、エンドサイトーシスによって細胞内に取り込まれ、一部は分解されることなくリサイクルされ、一部はリソソームのタンパク質分解酵素によって分解される。<br />
<br />
PrP<sup>C</sup>の機能についてはわかっていないことが多く、今後明らかにされると思われる。最初に報告されたプリオン遺伝子(''PRNP'')欠損(PrP<sup>-/-</sup>)マウスは何ら行動異常や神経異常を示さないことが報告されたが<ref name="ref5"><pubmed> 1373228 </pubmed></ref>、その後作成された欠損マウスでは老齢期の行動異常や[[小脳]][[プルキンエ細胞]]の[[変性死]]などの異常が報告されている<ref><pubmed> 8606772 </pubmed></ref>。PrPはN末端に繰り返し配列を持っており、この配列を介して[[wikipedia:ja:銅|銅]]イオンと結合し、[[wikipedia:ja:抗酸化|抗酸化]]作用に関係しているとの報告がある。また、[[アポトーシス]]や[[長期増強]]への関与なども報告されている。 <br />
<br />
=== 異常プリオンタンパク質===<br />
異常プリオンタンパク質(scrapie PrP:PrP<sup>Sc</sup>) は、PrP<sup>C</sup>が構造変化を起こしたものであり、プリオン病に特異的に検出される。PrP<sup>Sc</sup>は、PrP<sup>C</sup>と比べてβシート構造に富んだ構造をとっていることが明らかになってきている。また、PrP<sup>C</sup>が[[wikipedia:ja:界面活性剤|界面活性剤]]に可溶性を示し、[[wikipedia:ja:プロテアーゼK|プロテアーゼK]]などの[[wikipedia:ja:タンパク質分解酵素|タンパク質分解酵素]]によって容易に分解されるのに対し、PrP<sup>Sc</sup>は、界面活性剤に難溶性であり、タンパク質分解酵素にも抵抗性を示す。<br />
PrP<sup>Sc</sup>の凝集体は[[アミロイド]]線維とよばれる構造をとっており、PrPのアミロイド線維はPrP単量体が結合する鋳型として働くことができ、PrPの単量体がPrPのアミロイド線維にとりこまれることによってPrPのアミロイドは伸長することができる。また、毒性・感染力の強いPrP<sup>Sc</sup>はアミロイドよりもむしろ[[wikipedia:ja:オリゴマー|オリゴマー]]であるという主張もある<ref><pubmed> 16148934 </pubmed></ref>。 ミスフォールドしたPrPが健康な個体に感染すると、健康な個体に存在していた正常な構造のPrPがミスフォールドしたPrPへの構造変換が起きる。つまりミスフォールドしたPrPは他のPrPの構造変換を引き起こす鋳型としてふるまい、可溶性の正常型タンパク質がアミロイドに重合していくことによって、構造変化がおこり異常型タンパク質の構造へと変化すると考えられている。<br />
アミロイドは物理的にも化学的にも非常に安定な構造であり、このことがプリオン病の封じ込めを困難にしていると考えられる。<br />
<br />
== プリオン病 == <br />
<br />
プリオン病とは、ヒトおよび動物において伝達性(感染性)のある異常プリオンタンパク質(PrP<sup>Sc</sup>)が脳に蓄積し、脳が海綿状に変化することによって起きる疾患の総称である。現在までに知られているプリオン病は、有効な治療法が確立しておらず致死性である。<br />
<br />
===プリオン病に分類される疾患===<br />
動物では、ヒツジやヤギにみられるスクレイピー(scrapie)、ミンクでみられる伝達性ミンク脳症(transmissible mink encephalopathy: TME)、[[wikipedia:ja:シカ|シカ]]でみられる[[慢性消耗性疾患]](chronic wasting disease: CWD)、ウシ海綿状脳症(bovine spongiform encephalopathy: BSE)、[[ネコ海綿状脳症]](feline spongiform encephalopathy: FSE)などが知られている。ヒトでは、クロイツフェルト・ヤコブ病(Creutzfeldt-Jakob disease: CJD)、ゲルストマン・ストロイスラー・シャインカー症候群(Gerstmann-Straussler-Scheinker syndrome: GSS)などが知られており、その原因により特発性・遺伝性・感染性と大きく三つに分類される。<br />
<br />
ヒトのプリオン病のうちもっとも頻度の高いものは特発性であり、原因が不明である孤発性CJD (sporadic CJD)であり、ヒトプリオン病の約80-85%を占めている。<br />
<br />
遺伝性のプリオン病には家族性CJD (familial CJD)、GSS、[[致死性家族性不眠症]](fatal familial insomnia: FFI)が知られており、プリオン遺伝子に変異を有している。<br />
<br />
感染性のプリオン病には、狂牛病から感染することによって起こると考えられる変異型CJD (variant CJD)やCJD汚染[[成長ホルモン]]投与や汚染脳硬膜移植などによって起こる医原性CJD (iatrogenic CJD)などが知られている。また、クールーはパプア・ニューギニアの[[wikipedia:ja:フォレ族|フォレ族]]の子供と女性にみられる疾患であり、[[wikipedia:ja:食人|食人]]習慣による経口感染が原因と考えられる。<br />
<br />
===臨床症状===<br />
<br />
ヒト、CJDの臨床症状としては、急速に進行する[[認知症]]、[[全身性ミオクローヌス]]などが特徴である。しかし、生前診断ではCJDと診断されず、剖検によって初めてCJDと診断される症例が多く存在する(確定診断には、死後、剖検を行い、脳の病理学的な検索が必要)。CJDの早期診断は非常に困難なことが多いが、[[髄液]]中の[[14-3-3タンパク質]]、[[tauタンパク質]]、[[neuron specific enolase]] ([[NSE]])による診断、[[脳波]]での[[周期性同期性放電]]、[[MRI]]における[[大脳基底核]]や[[大脳皮質]]での高信号などによる診断が有効であることが知られてきた。また、プリオン遺伝子の遺伝子検査も家族性、孤発性を問わず診断には重要である。<br />
<br />
===病理所見===<br />
<br />
病理所見としては、PrP<sup>Sc</sup>の沈着、[[灰白質]]における空砲の形成や海綿状変性、[[クールー斑]]の形成、[[グリオーシス]]などが挙げられる。CJDでは海綿状変性が、GSSではクールー斑の出現が、それぞれ特徴的に観察される。PrP<sup>Sc</sup>の沈着はシナプス型、プラーク型の染色パターンがあり、プリオン病の指標となる。プリオン病の組織病理はプリオンタンパクの変異の種類や「プリオン株」の種類によって非常に多彩となり、プリオン病の大部分を占めるCJDにおいてもその病理所見は多彩である。<br />
<br />
===疫学===<br />
ヒトでのプリオン病の発症は人口100万人当たり1人程度とされており、非常にまれな疾患である。わが国では第五類感染症に指定されている。<br />
<br />
===プリオン仮説=== <br />
これまでに発見されたウイルスなどの感染性因子は、遺伝情報としてDNAやRNAなどの核酸を保持している。しかし、プリオン病の病原体であるプリオンには、DNAやRNAは検出されていない。また、[[wikipedia:ja:核酸分解酵素|核酸分解酵素]]による処理や[[wikipedia:ja:紫外線|紫外線]]などの核酸障害処理に対してプリオンは耐性を示す。しかし、[[wikipedia:ja:フェノール|フェノール]]、[[wikipedia:ja:グアニジン塩酸塩|グアニジン塩酸塩]]、[[wikipedia:ja:尿素|尿素]]などのタンパク質変性剤に対しプリオンは感受性を示す。このことはプリオンが核酸に依存しない、タンパク質からなる感染因子であることを示している。Prusinerらは、スクレイピーに感染した脳から、プリオンを高純度に含む分画を精製することに成功し、この分画に特異的に認められるタンパク質としてPrP<sup>Sc</sup>を同定した。さらにPrP<sup>Sc</sup>がプリオンの感染価と一致した挙動を示すことを見出し、PrP<sup>Sc</sup>がプリオンであるとするプリオン仮説を提唱した。プリオン仮説によれば、PrP<sup>Sc</sup>がPrP<sup>C</sup>をPrP<sup>Sc</sup>に変換させることによってPrP<sup>Sc</sup>が新たに産生され、プリオンは複製し伝播すると考えられている。<br />
<br />
プリオン仮説を支持する実験結果にプリオン遺伝子(''PRNP'')欠損(PrP<sup>-/-</sup>)マウスを利用した実験がある。PrP-/-マウスではPrP<sup>C</sup>もPrP<sup>Sc</sup>も存在しない。そのためプリオン仮説が正しければPrP-/-マウスは病原性のプリオンに感染せずプリオン病を発病しないはずである。感染実験の結果、野生型マウスでは感染しプリオン病を発病する条件においても、PrP-/-マウスではプリオンに感染せずプリオン病は発病せず、プリオンの感染・伝播にはPrP<sup>C</sup>が必要であることを示している<ref><pubmed> 8100741 </pubmed></ref>。さらに、PrP<sup>C</sup>からPrP<sup>Sc</sup>への変換が試験管内で起きることや<ref><pubmed> 7913989 </pubmed></ref>、[[wikipedia:ja:大腸菌|大腸菌]]から精製したPrPをPrP<sup>Sc</sup>様の構造に試験管内で変換することによって感染性のあるPrPを作成できることが知られており<ref><pubmed> 15286374 </pubmed></ref>、これらの結果はプリオン仮説を強く支持している。一方でプリオン病は未知の[[wikipedia:ja:スローウイルス|スローウイルス]]が原因であるとの主張もある。<br />
<br />
哺乳類のプリオン病は経口摂取により感染すると考えられているが、その詳細な感染過程については不明である。プリオンの不活性化には、[[wikipedia:ja:熱|熱]]、[[wikipedia:ja:放射線|放射線]]、[[wikipedia:ja:ホルマリン|ホルマリン]]などの処理では不十分であり、強酸、高温、高圧の処理が必要である。このことがプリオン病の封じ込めが難しい一つの要因となっている。<br />
<br />
===株=== <br />
プリオンの特徴の一つにウイルスなどと同様に性質が異なる「株(strain)」が存在することがしられている。異なるプリオン株は病理変化、潜伏期間などで異なる性質を示す。プリオンにおける「株」の違いは原因となるPrP<sup>Sc</sup>の構造の違いによって引き起こされると考えられている<ref><pubmed> 21947062 </pubmed></ref>。<br />
<br />
===種の壁=== <br />
また、プリオン感染には「種の壁(species barrier)」と呼ばれる現象が知られている。動物におけるプリオン病はすべてPrP<sup>Sc</sup>によって引き起こされると考えられているが、動物種を超えての感染はほとんど認められず、感染しても長い潜伏期間が必要となることが多い。しかし、ウシの狂牛病がヒトに感染し変異型CJDを引き起こすことが報告され、ウシのプリオンはウシとヒトとの種の壁を乗り越えることが明らかとなった。一方、ヒツジのスクレイピーはヒトには感染しないとされている。<br />
<br />
== 他の生物におけるプリオン == <br />
<br />
哺乳類以外にも菌類やアメフラシでもプリオンが存在することが知られている<ref name="ref3"><pubmed> 22879407 </pubmed></ref><ref name="ref4"><pubmed> 14697205 </pubmed></ref>。ここでいうプリオンとは、タンパク質からなる細胞質性の遺伝因子という意味である。つまり、あるタンパク質が可溶性の正常型構造と不溶性のアミロイド構造をとることによって異なる機能となることであり、タンパク質の構造が伝播することによって遺伝因子となることである。哺乳類以外のプリオンは疾病というよりむしろ、何らかの細胞機能を担っているのではないかと考えられている。 <br />
<br />
=== 菌類におけるプリオン ===<br />
タンパク質のみからなる感染性因子(遺伝因子)としてのプリオンは、[[wikipedia:ja:酵母|酵母]]や[[wikipedia:ja:カビ|カビ]]などの菌類においても見出されており、精力的に研究が行われている。菌類におけるプリオンの発見は1994年にWicknerが[[wikipedia:ja:出芽酵母|出芽酵母]](''Saccharomyces cerevisiae'')の[''[[wikipedia:URE3|URE3]]'']や[''[[wikipedia:PSI+|PSI<sup>+</sup>]]'']といった細胞質性の遺伝因子がプリオンの要素を満たしており、それぞれ[[wikipedia:Ure2|Ure2]]、[[wikipedia:Sup35|Sup35]]タンパク質が構造変化を起こしたものが原因となっていることを発見した<ref><pubmed> 7909170 </pubmed></ref>。その後、出芽酵母では[[wikipedia:Rnq1|Rnq1]]、[[wikipedia:Swi1|Swi1]]、[[wikipedia:Cyc8|Cyc8]]などいくつかのプリオンとなるタンパク質(プリオン化タンパク質)が同定されている<ref name="ref3" />。また、[[分裂酵母]]の[[wikipedia:Cin|Cin]]や[[wikipedia:ja:タマホコリカビ|タマホコリカビ]]の[ [[wikipedia:Het-s|Het-s]] ]などもプリオンであると考えられている。出芽酵母において発見されたプリオンタンパク質の特徴の一つとして、[[wikipedia:ja:グルタミン|グルタミン]]とアスパラギンに富んだドメインを有しており、このドメインが構造変化に大きく寄与していると考えられている。また、出芽酵母では100を超えるタンパク質がそのようなドメインを有し、プリオン化する可能性が高いと考えられている。一方、動物のPrPタンパク質や[Het-s]の原因タンパク質であるHET-sはそのようなドメインを有していない。また、出芽酵母においてもそのようなドメインを有さないプリオン化タンパク質として[[wikipedia:Mod5|Mod5]]が同定され、さらに多くのタンパク質がプリオン化する可能性があると考えられている<ref><pubmed> 22517861 </pubmed></ref>。<br />
<br />
出芽酵母は、モデル生物として広く利用されている生物であり、プリオン研究においても有用なモデル生物として利用されてきた。特に[[wikipedia:ja:大腸菌|大腸菌]]から精製したプリオン化タンパク質を酵母内に導入することで酵母をプリオン化させる、タンパク質の凝集体の性質の違いによってプリオン株の違いが引き起こされる、などプリオン仮説を強く支持するような研究結果が出芽酵母において報告されている<ref><pubmed> 15029196 </pubmed></ref>。<br />
<br />
プリオン病を引き起こす動物のプリオンと違い、酵母プリオンは宿主細胞に対して毒性を示すことは少ない。むしろ酵母プリオンは宿主細胞に対して有益であることがあるのではないかという考え方が広がっている。実際、いくつかの酵母プリオンは[[ストレス]]環境下への応答などに関与していることが示唆されている。また、自然界に存在する野生株酵母においてSup35などいくつかのタンパク質がプリオン化していることが発見され、酵母プリオンが宿主細胞に対して有益であるとの主張を支持している<ref><pubmed> 22337056 </pubmed></ref>。一方で酵母プリオンも動物プリオンと同様に病気の状態であるという主張も存在している。<br />
<br />
=== 長期記憶におけるプリオン ===<br />
<br />
[[wikipedia:ja:ショウジョウバエ|ショウジョウバエ]]や[[wikipedia:ja:アメフラシ|アメフラシ]]の神経細胞における[[cytoplasmic polyadenylation element binding protein]] (CPEB)はプリオンのように振る舞うことによって、[[長期記憶]]の形成と維持に関わっていることがわかってきている。アメフラシ(''Aplysia'')は神経細胞が大きいため神経細胞研究のモデル生物として利用されている。アメフラシのCPEB(ApCPEB)はシナプスの活性に依存してプリオン化状態に類似したオリゴマーを形成することがわかっており、オリゴマー形成が長期記憶の維持に重要であることがわかっている<ref><pubmed> 20144764 </pubmed></ref>。ショウジョウバエにおけるCPEBの一つである[[Orb2]]も同様のオリゴマーを形成し、オリゴマー形成が長期記憶の維持に重要であることがわかっている<ref><pubmed> 22284910 </pubmed></ref>。これらのことから、神経細胞におけるCPEBのプリオン化状態に類似したオリゴマー形成が長期記憶の形成・維持に重要であることがわかり、プリオンが長期記憶の形成・維持という細胞機能の制御に重要であることを示している。<br />
<br />
== 関連項目 == <br />
<br />
*[[神経変性疾患]]<br />
*[[アミロイドタンパク質]]<br />
<br />
== 参考文献 == <br />
<br />
<references /></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E7%97%85&diff=37046
ハンチントン病
2017-01-09T10:52:57Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/cdg_tricot 井原 涼子]、[http://researchmap.jp/atsushiiwata 岩田 淳]</font><br><br />
''東京大学 大学院医学系研究科 神経内科学''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2012年6月26日 原稿完成日:2013年10月22日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446/ 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
英:Huntington’s disease、英略語:HD 独:Huntington-Krankheit 仏:maladie de Huntington <br />
<br />
{{box|text=<br />
ハンチントン病は、四肢末端に始まりやがて全身に及ぶ[[舞踏運動]](chorea)を中心とする[[不随意運動]]、[[易怒性]]や[[易刺激性]]などの[[性格]]変化、[[注意力]]や[[記銘力]]低下などの[[認知機能]]障害、[[幻覚]]・[[妄想]]などの精神障害を古典的主症状とする[[wikipedia:ja:常染色体優性遺伝形|常染色体優性遺伝形]]式の進行性の神経変性疾患である。病因遺伝子は4番染色体短腕4p16.3のIT15(interesting transcript 15)領域に位置する[[ハンチンチン]](huntingtin)タンパク質をコードする''HTT''遺伝子であり、第1[[エクソン]][[コーディング領域]]の三塩基CAGの繰り返し配列(リピート)の伸長によって起こる。CAG配列は[[wikipedia:ja:グルタミン|グルタミン]]に翻訳されるため、トリプレット病のうち、[[ポリグルタミン病]](polyQ disease)あるいは[[CAGリピート病]]と呼ばれる疾患の一つである。このリピート数は正常では35以下で、患者では36以上であるが、この境界は必ずしも厳密ではなく、人種やほかの遺伝的バックグラウンドによって若干のずれが生じうる。[[Image:Huntington.jpg|thumb|right|250px|<b>図 ハンチントン病患者のMR前額断像</b><br />尾状核頭部萎縮、側脳室前角の拡大、大脳皮質の萎縮が認められる。http://www.radpod.org/2007/05/01/huntingtons-disease/より。]] <br />
}}<br />
<br />
== 歴史 ==<br />
<br />
ハンチントン病を最初に報告したのは[[wikipedia:George Huntington|George Huntington]]である。彼は米国New York州のLong Islandで祖父の代から開業していたが、その地域に広く見られる「あの病気」と言われる疾患の存在を父から知らされていた。彼はそれを詳細に調査し、成人発症で遺伝性の精神症状と舞踏運動を伴う疾患として1872年に発表した。時にHuntington舞踏病と呼ばれたが、舞踏運動以外の症状も重要であることより、現在ではHuntington病と呼ばれる。 <br />
<br />
==症状 ==<br />
===臨床症状===<br />
多くは30~40歳代に発症する。手足次いで頭頸部に舞踏運動を中心とした不随意運動が出現し、協調運動障害も認めるようになる。また、並行して易怒性や落ち着きのなさなどの性格変化、幻覚・妄想などの精神症状が見られるようになる。さらに認知機能が緩徐に低下していく。これらの症状は進行性である。このような経過を「古典型」と表現する。しかしながら、臨床経過は症例ごとに大きくばらつきがあり、ごく稀に成人発症でも不随意運動を伴わない症例もある。<br />
<br />
20歳以下で発症する若年型ハンチントン病では精神症状や認知機能障害で始まることが多く、初発時に運動症状を呈する例は少ない。若年型の場合、運動症状として、舞踏運動ではなくパーキンソニズムやジストニアが見られることもある。発症年齢が若いほどてんかん発作の頻度が多く、発症年齢が10歳以下では1/2~1/3に見られる。若年発症型の方が広汎かつ重度な神経変性があり、それを反映して多彩な症状が出現し、進行が早く発症から5,6年で寝たきりとなる症例もある。一方、60歳以降の高齢発症者は、精神障害や知的障害を伴わないなど症状は軽度である。<br />
<br />
ハンチントン病遺伝子のCAGリピートの長さが長いほど若年発症の傾向が強まる。<br />
<br />
===臨床経過===<br />
典型的な症例では罹病期間は10~20年で、死因は誤嚥性肺炎や低栄養、窒息などである。前述のように若年発症者では進行が速く、予後は短い。高齢発症者では進行は緩徐である。<br />
<br />
==診断==<br />
===基準===<br />
有症状者の確定診断は遺伝子診断、すなわちハンチントン病遺伝子のCAGリピートが36以上であることによるが、臨床診断基準として下記の診断基準が挙げられる。<br />
<br />
:(1) 経過が進行性である<br />
<br />
:(2) 常染色体優性遺伝の家族歴がある<br />
<br />
:(3) 下記の神経所見のうち、いずれか1つ以上がみられる<br />
<br />
::① 舞踏運動を中心とした不随意運動。ただし若年発症例ではパーキンソニズム症状を呈することがある<br />
<br />
::② 易怒性、無頓着などの性格変化・精神症状<br />
<br />
::③ 記銘力低下などの認知症<br />
<br />
:(4) 脳画像検査で尾状核萎縮を伴う両側の側脳室拡大を認める<br />
<br />
:(5) 鑑別診断が除外される<br />
<br />
:(6) 遺伝子診断でハンチントン病遺伝子にCAGリピートの伸長を認める<br />
<br />
上記の(1)~(5)を全て満たす、あるいは(3)及び(6)を満たすもの。〔厚生労働省特定疾患治療研究事業による認定基準を要約〕<br />
<br />
===検査所見===<br />
検査所見として、次に述べる病理変化に対応して頭部[[CT]]、[[MRI]]にて[[尾状核]]の萎縮と[[側脳室]]前角の拡大が認められることが特徴的である。進行に伴い[[大脳]]萎縮も認める。 <br />
===鑑別診断===<br />
以下の疾患が鑑別に挙げられる。<br />
<br />
:(1) 症候性舞踏病: 小舞踏病、妊娠舞踏病、脳血管障害に伴うものなど<br />
<br />
:(2) 薬剤性舞踏病: 遅発性ジスキネジー、その他の薬剤性ジスキネジーなど<br />
<br />
:(3) 代謝性疾患: ウィルソン病、脂質代謝異常症など<br />
<br />
:(4) 他の神経変性疾患: ハンチントン類縁疾患2型(Huntington disease-like 2, HDL2)、歯状核赤核淡蒼球ルイ体萎縮症、遺伝性脊髄小脳変性症17型、有棘赤血球症を伴う舞踏病、捻転ジストニアなど<br />
<br />
HDL2の臨床症状および経過は極めてハンチントン病に似ることが知られているが、殆どの症例はアフリカ系であり、日本での報告はない。<br />
<br />
==疫学==<br />
発症年齢は30~40歳代が多いがばらつきがある。CAGリピート数と発症年齢は逆相関し、また父親から遺伝する場合には発症年齢の低下、臨床症候の重症化が認められる。この現象を[[表現促進現象]](anticipation)という。我が国における有病率は100万人あたり7人程度であり、[[wikipedia:ja:コーカソイド|コーカソイド]]の10分の1程度である。 <br />
<br />
== 病理所見 ==<br />
<br />
病理学的には[[尾状核]]と[[被殻]]の神経細胞脱落と[[グリオーシス]]が見られる。特に[[線条体]]では[[GABA]]作動性小型細胞の脱落が顕著であり、[[アセチルコリン]]作動性の大型細胞は比較的残存する。[[ユビキチン]]あるいはハンチンチンの免疫染色により、[[核内封入体]]が認められる。大脳皮質の神経突起内にもユビキチン陽性封入体を認める。 <br />
<br />
==病態生理==<br />
=== ハンチンチンの構造・機能 ===<br />
<br />
病因遺伝子産物のハンチンチンは3145アミノ酸残基、分子量約330 kDaの巨大なタンパク質である。生理的に神経細胞を含む全身の細胞に発現し、正常では[[核]]内に局在する。ハンチンチンは最N末端領域とC末端領域にnuclear export signal(NES)を持ち、全長にわたってタンパク質間相互作用を司ると想定されるHuntingtin, [[wikipedia:Elongator factor3|Elongator factor3]], [[wikipedia:PR65/A regulatory subunit of PP2A|PR65/A regulatory subunit of PP2A]], and [[wikipedia:Tor1|Tor1]](HEAT)リピートを有する。[[wikipedia:ja:HEATリピート|HEATリピート]]領域は構造の弾性を生み、立体構造をとるための折りたたみ機能も持つと考えられている。またN末端領域のpolyQ鎖は何らかの重要な神経機能に関わることが示唆されている<ref><pubmed>22180703</pubmed></ref>。 <br />
<br />
''HTT''ホモログである''Hdh''の[[ノックアウトマウス]]では、''Hdh''を発現する[[wikipedia:ja:外胚葉|外胚葉]]において[[アポトーシス]]の増加が認められ、早期の胎生致死となることが示されている。 <br />
<br />
ハンチントン病患者に発現している伸長したpolyQ鎖を含む変異型ハンチンチンがどのように病態に関与するかについて多角的に検討されており、またそのような研究を通じて多岐にわたるハンチンチンの生理機能が部分的に解明されてきている。 <br />
<br />
=== ハンチンチンの断片化 ===<br />
<br />
いくつかの神経変性疾患において、凝集体内にその構成成分の断片が含まれることが知られており、蓄積タンパク質の切断は病態機序に関係していると考えられている。ハンチンチンのN末端領域を含む切断産物は特に[[線条体]]において多く認められ、ハンチントン病患者脳やモデルマウスで切断産物が増加していることから、病態との関与が示唆される。ハンチントン病患者脳の核内封入体はN末端領域の抗体によってのみ検出されること、細胞に発現させるとN末端断片は全長型よりも速く凝集し、より毒性が強いことから、N末端断片が毒性を持つと考えられてきた。特にマウスモデルを用いた研究から、N末端領域に相当する144-150リピートを含むexon1[[トランスジェニックマウス]](R6/2マウス)は全長型を発現するトランスジェニックマウスと同様の症状及び病理変化をより早期からより急速に呈すること、150リピートを含むハンチンチンノックインマウス(HdhQ150ノックインマウス)では症状発現前から第1エクソンに相当するN末端領域の断片の蓄積が見られること<ref><pubmed>20086007</pubmed></ref>、586番アミノ酸で切断する[[カスパーゼ6]]による切断を受けない変異を導入した全長型のトランスジェニックマウスは運動症状や線条体の変性を来さないこと<ref><pubmed>16777606</pubmed></ref>が示されており、その推察を裏付ける根拠となっている。 <br />
<br />
しかしながら、N末端断片のみの毒性に焦点を当てたCAGリピートの伸長したexon1の過剰発現は、細胞モデル・[[動物モデル]]の構築に簡便ではあるものの、ハンチンチンの有する多くの機能を無視した人工的なモデルであるとの批判もあり、真に病態を反映しているか疑問視する議論もある。またハンチンチンはカスパーゼ、[[カルパイン]]、[[カテプシン]]といった[[プロテアーゼ]]によって切断され、多種の断片が存在することが明らかになってきていることからも、病態を模倣するためには全長型ハンチンチンを用いた研究が重要であろう。 <br />
<br />
=== プロテアソーム機能異常 ===<br />
<br />
ユビキチン―[[プロテアソーム]]系(ubiquitin-proteasome system; UPS)は、ミスフォールドされた、あるいは異常局在した、あるいは変性したタンパク質を分解する機構であり、その機能不全が神経変性疾患の病態において重要な役割を果たすと考えられている。 ハンチントン病患者脳、マウスモデル、細胞モデルのいずれにおいても変異型ハンチンチンの凝集体にはユビキチンが共局在していること<ref><pubmed>9302293</pubmed></ref>から、UPSの破綻が病態の本質であるとの根強い説がある。また、細胞モデルにおいてUPSの構成因子である26Sプロテアソームのサブユニットや、[[HSP40]]、[[HSP70]]、[[BiP/GRP78]]といった分子[[シャペロン]]がハンチンチン陽性封入体に含まれ、UPSの破綻が示されている。逆に変異型ハンチンチン第1エクソンのTet誘導型トランスジェニックマウスを用いた検討から、ハンチンチンの発現抑制により凝集体は消失するものの、UPSの阻害で凝集体のクリアランスが抑制されることが示されている。同様にユビキチンの変異によりハンチンチンの凝集体形成は促進することが明らかになっている。 <br />
<br />
一方、ハンチントン病患者脳やトランスジェニックマウスではUPS活性はむしろ上昇していることを示した研究もあり、UPSに関連しない細胞内プロセスの変化を反映している可能性や、変異型ハンチンチンによりUPSに過剰な負荷がかかっている可能性、あるいは大きな凝集体によって物理的にUPSが妨害されている可能性が挙げられる。それにより他の細胞内タンパク質の分解能が低下すると考えられる。また、変異型ハンチンチンの凝集体がUPSの構成因子を巻き込み、正常な細胞機能への利用を阻害している可能性も示唆されている。 <br />
<br />
UPS活性の変化と変異ハンチンチンの蓄積のどちらが先に起こる事象であるかわかっていないが、封入体形成前よりも封入体形成後の方がUPSの障害の程度は低い、あるいは封入体形成を促進する薬物の投与により細胞毒性はむしろ減じるといった報告もあり、封入体形成はUPSを介して変異ハンチンチンの毒性からの保護的な役割を果たす可能性も示唆されている。 <br />
<br />
R6/2マウスに[[wikipedia:ja:トレハロース|トレハロース]]を投与すると、適切に立体構造を取れないポリグルタミン鎖が安定化し、それによりハンチンチンの凝集と[[細胞死]]を抑制し、運動機能や生存率を改善することが示された。凝集体形成過程における毒性の抑制であり、既に存在する凝集体への効果はないが、治療薬として期待される<ref><pubmed>14730359</pubmed></ref>。 <br />
<br />
=== オートファジー機能異常 ===<br />
<br />
[[オートファジー]]は種々の神経変性疾患において、ミスフォールドし凝集する傾向のあるタンパク質の排出に重要な役割を果たす。ハンチントン病の細胞モデルでは、オートファジーコンパートメントの拡大が見られ、変異型ハンチンチンは部分的にオートファジー小胞と共局在する。[[ノックインマウス]]においても初期にはオートファジー関連タンパク質の増加が認められる。 <br />
<br />
患者脳やモデルマウスにおいてオートファジーの抑制因子である[[Mammalian target of rapamycin]](mTOR)は凝集体に巻き込まれていることが示されており、mTORのキナーゼ活性が低下し、その結果オートファジーの誘導が起きている。細胞モデルにおいてmTOR活性化によるオートファジー抑制によりハンチンチン凝集体の形成と細胞毒性の増加が認められ、逆にmTOR特異的阻害剤である[[ラパマイシン]]処理によりオートファジーが誘導され、ハンチンチンの凝集を抑制し、細胞死を抑制する<ref><pubmed>15146184</pubmed></ref>。患者脳で認める現象は、毒性から細胞を守るメカニズムであろうと考えられている。 <br />
<br />
変異型ハンチンチンは、翻訳後に444番リジン残基にアセチル化を受け、オートファジー小胞への輸送を増加させ、オートファジー経路による分解が促進される。一方、変異型ハンチンチン発現細胞において、オートファジー小胞の形成には問題ないものの、細胞質カーゴの認識の障害のため積み込みができず、ターンオーバーが低下し異常蓄積につながる可能性も示唆されている。 <br />
<br />
[[ラパマイシン]]は副作用が大きくオートファジー促進剤としての使用は難しいが、それに代わるオートファジーの促進因子は治療薬候補の一つである。より選択的なシャペロン介在オートファジーの誘導も有望な治療法である。<br />
<br />
=== 転写制御異常 ===<br />
<br />
ハンチントン患者脳における[[mRNA]]レベルの減少は長年観察されていた現象であるが、患者脳や異なるモデルマウスにおいて非常に似たパターンの、特定のmRNAの減少が見られることがわかってきた。ハンチントン病の[[尾状核]]において発現レベルが変化している遺伝子は、神経シグナリングと恒常性にかかわる遺伝子であり、その多くは発現レベルが低下している。特に、[[代謝調節型]]や[[イオン調節型受容体]]サブユニットや異なる[[神経伝達物質]]からシグナルを受ける[[受容体]]のmRNAレベルの変化が見られた。 <br />
<br />
このようなmRNAレベルの変化を起こすメカニズムも広く研究されている。例えば、ハンチンチンは、[[核内受容体リプレッサー]]NCoR、[[CREB binding protein]](CBP)、[[TATA-binding protein]](TBP)、[[TAFII130]]、[[Repressor element 1 transcription factor]](REST)といった多くの[[転写活性化タンパク質]]と相互作用し、そのうち一部のタンパク質はハンチンチン凝集体中に検出される。また、変異型ハンチンチンは[[PPARγ coactivator 1α]](PGC 1α)の[[プロモーター]]領域に直接結合して[[転写因子]][[CREB]]/[[TAF4]]の結合を妨げ、[[PGC 1α]]の発現を抑制する。PGC1αは[[ミトコンドリア]]の生合成や呼吸を制御する因子であり、これにより後述するミトコンドリアへの作用の一部は説明できる可能性がある。 <br />
<br />
さらに、ハンチンチンの過剰発現により、線条体神経細胞の生存に必要な皮質神経細胞における[[脳由来神経栄養因子]] (brain-derived neurotrophic factor,&nbsp;BDNF)の転写のup-regulationが見られ、この作用はハンチンチンが細胞質において転写抑制因子REST/[[Neuron restrictive silencer factor]](NRSF)に結合して核への移行を留め、[[神経選択的サイレンサー]]neural restrictive silencer element(NRSE)の活性を阻害することにより起こるという報告がある。一方、変異型ハンチンチンではREST/NRSFへの結合能が低下し、REST/NRSFの核への移行が見られ、その結果としてBDNFの転写の促進が見られないことも、病因の一つの理由として示されている<ref><pubmed>12881722</pubmed></ref>。 <br />
<br />
転写の抑制に対して直接効果を発揮することが期待される[[ヒストン脱アセチル化酵素]] (histon deacetylase, HDAC)阻害剤など、RNA発現プロファイルの変化を改善するような治療法がトランスジェニックショウジョウバエ<ref><pubmed>11607033</pubmed></ref>やトランスジェニックマウスモデル<ref><pubmed>12576549</pubmed></ref>で試みられ、効果を示している。 <br />
<br />
=== 細胞内輸送の障害 ===<br />
<br />
ハンチンチンは、[[HAP1]]、[[HIP1]]、[[HIP14]]、[[HAP40]]、[[PSCSIN1]]といった[[小胞輸送]]に関わるいくつかのタンパク質や[[SNARE]]が介在する[[小胞融合]]に関わるタンパク質と相互作用することが知られている。またハンチンチンは直接[[ダイニン]]に結合し、小胞の可動性を促進することや、[[ゴルジ装置]]の形成にはハンチンチンとダイニンやHAP1との相互作用に依存することなども示されている。変異型ハンチンチンではこのようなタンパク質との相互作用が変化していることがわかってきた。ハンチンチンのノックアウトやノックダウンにより[[APP]]やBDNFを含む複数のタンパク質の細胞内輸送が障害されること、細胞内小器官の蓄積が見られることも、ハンチンチンと細胞内輸送との関連を示すデータである。 <br />
<br />
ハンチントン病患者脳における細胞内輸送の障害のメカニズムとして、輸送関連タンパク質のmRNAレベルの変化が示されている。他に特筆すべき現象として、他のポリグルタミン病と同様に、変異型ハンチンチン凝集体は非常に巨大なため、[[wikipedia:ja:電子顕微鏡|電子顕微鏡]]観察にて[[軸索]]断面全体を占めることがあり、細胞質や神経突起内で物理的に[[軸索輸送]]を阻害する可能性も示唆されている。また、凝集したハンチンチンが小胞輸送に必要なタンパク質を巻き込んでしまい利用できなくする可能性も挙げられる。 <br />
<br />
このような[[細胞内輸送]]の障害の結果、[[神経栄養因子]]の供給ができなくなったり、神経突起の伸長や維持が障害されたり、ミトコンドリア輸送が障害された結果、エネルギー供給ができなくなったり、[[神経伝達物質]][[受容体]]の輸送が障害されて数が減少したりするなどの異常が起こると推測されている。 <br />
<br />
=== エネルギー代謝の障害 ===<br />
<br />
ハンチントン病患者の脳や筋肉において代謝の変化が見られることが数十年前から知られていた。そのため[[モデル動物]]や細胞におけるエネルギー経路の変化の探索が行われてきた。 MRSを用いた研究では、ハンチントン患者脳において[[N-acetyl aspartate]](NAA)が増加していることが示され、ミトコンドリアの減少や神経機能不全を反映しているものと考えられている。ハンチントン病患者脳における[[wikipedia:ja:乳酸|乳酸]]の増加や[[wikipedia:ja:クレアチン|クレアチン]]レベルの減少も観察され、[[FDG-PET]]においても発症前から線条体のエネルギー代謝が低下していることが示されている。 <br />
<br />
分子メカニズムとしては、ミトコンドリアの[[Complex II/III]]活性の欠如、[[Complex IV]]活性の減少による[[酸化的リン酸化]]の障害が示唆されている。またモデルマウスの細胞や組織レベルでミトコンドリアへのCa<sup>2+</sup>流入が減少しており、内膜の透過性亢進と[[wikipedia:ATP|ATP]]産生を阻害する[[膜電位]]の喪失を伴うミトコンドリアの膜透過性遷移孔の活性化につながる可能性も挙げられる。 <br />
<br />
このようなミトコンドリアにおける代謝の変化は他の事象に引き続く二次的な変化の可能性が高いが、病態において重要な役割を果たすと考えられる。 <br />
<br />
=== 興奮毒性 ===<br />
<br />
ハンチントン病では、早期から線条体の投射ニューロンであるGABA作動性の[[中型有棘ニューロン]]の脱落が認められる。これらの細胞は[[NMDA受容体|NMDA型グルタミン酸受容体]]の[[NR2B]]サブタイプを豊富に発現しており、大脳皮質からの興奮性入力を受け取る。そのため興奮毒性が長く疑われてきた。これを検証した研究として、ハンチントン病[[トランスジェニックマウス]]と野生型マウスの皮質線条体スライスを用いてEPSCを測定したところ、トランスジェニックマウスにおいて有意にEPSCが増加していることが示された<ref><pubmed>15240759</pubmed></ref>。また、シナプス前のグルタミン酸の[[放出確率]]は変わらないことが示唆されることから、シナプス後のNMDA型グルタミン酸受容体活性が上昇していると考えられる。ただし、トランスジェニックマウスに対するNR2B選択的[[アンタゴニスト]]による治療の試みは成功していない。 <br />
<br />
=== Sirtuinの関与 ===<br />
<br />
抗老化遺伝子として知られる[[アセチル化#ヒストン脱アセチル化酵素|Sirtuin]]も病態に関係する。変異型ハンチンチントランスジェニックマウス(N171-82Qマウス)において[[アセチル化#ヒストン脱アセチル化酵素|Sirtuin1]] ([[アセチル化#ヒストン脱アセチル化酵素|Sirt1]])を過剰発現させるとSirt1の脱アセチル化活性が促進し、トランスジェニックマウスにおいて減少していたBDNFの発現とその受容体[[TrkB]]のリン酸化、および[[ドーパミン]]シグナルカスケードの主要な構成分子である[[DARPP32]]の発現が回復し、それらにより神経保護作用を発揮し、運動機能や脳萎縮の改善をもたらすことが示されている。逆にSirt1のノックダウンにより変異型ハンチンチンの毒性は増悪する。 <br />
<br />
このSirt1の神経保護作用にはSirt1の脱アセチル化活性が必要である。Sirt1の基質の一つにエネルギー代謝や酸化ストレスからの保護に関わる[[Foxo3a]]が知られているが、変異型ハンチンチンがSirt1に直接結合し脱アセチル活性を阻害することによって引き起こされるFoxo3aの過アセチル化に対し、過剰発現したSirt1の脱アセチル化活性が拮抗して作用し、生存促進機能が働く可能性が示唆されている<ref><pubmed>22179319</pubmed></ref>。<br />
<br />
== 治療 ==<br />
<br />
現在のところ個々の症状に対する対症療法のみで、有効性が示された根本療法はない。不随意運動に対する対症療法としては、長らくチアプリドやハロペリドール、ペルフェナジンといったドパミン受容体遮断作用を有する向精神薬が用いられてきた。2008年にFDAにより、ハンチントン病に伴う舞踏運動に対する薬剤としてテトラベナジンが承認された。テトラベナジンは、欧米で昔から不随意運動に対する治療薬として用いられてきたモノアミン小胞トランスポーター2(VMAT2)の選択的阻害剤であり、線条体の神経終末にてドパミンを枯渇させることによって不随意運動を抑制する機序を有する。無作為化比較試験にて不随意運動の減少効果が認められ<ref><pubmed>16476934</pubmed></ref>、テトラベナジンは米国神経学会による治療ガイドラインでは第一選択に位置付けられている<ref><pubmed>22815556</pubmed></ref>。本邦でも2012年12月に承認された。<br />
<br />
今後有望な根本治療は前項で述べた他に、少数例ではあるが胎児線条体の移植も試みられており、良好な経過をたどった症例では5年間を超えるフォローアップで臨床的な改善、PETにて[[D2受容体|D<sub>2</sub>受容体]]結合能の改善が続いていることが示されている<ref><pubmed>18356253</pubmed></ref>。また、トランスジェニックマウスでは[[AAVベクター]]を用いたハンチンチンに対する[[RNAi]]治療により臨床症状の改善を示すことに成功しており、患者への応用が期待される<ref><pubmed>15811941</pubmed></ref>。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
<br />
*[[神経変性疾患]] <br />
*[[トリプレット病]] <br />
*[[ユビキチン]] <br />
*[[プロテアソーム]] <br />
*[[オートファジー]]<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
<br />
<references /></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E3%82%A2%E3%83%91%E3%82%B7%E3%83%BC&diff=37045
アパシー
2017-01-09T10:52:10Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">山下 英尚</font><br><br />
''広島大学''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2012年12月5日 原稿完成日:2014年2月21日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
英語名:apathy 独:Apathie 仏:apathie<br />
<br />
{{box|text=<br />
アパシーとは普通なら感情が動かされる刺激対象に対して関心がわかない状態のことを言い、興味や[[意欲]]の障害であると考えられている。多くの疾患でよく見られる状態であり、古くからある言葉であるにもかかわらず、医学的な注目がなされ始めたのはごく最近のことであり、その定義や病態、意義についてもまだ議論の余地が残されている。 <br />
}}<br />
<br />
== アパシーとは ==<br />
<br />
アパシー(apathy)のaはないという意味の接頭語で、pathosはギリシャ語でpassionを意味する。したがってアパシーは普通なら感情が動かされる[[刺激]]対象に対して関心がわかない状態のことを言い、興味や意欲の障害であると考えられている。しかしその使われ方にはばらつきがあり、特に神経内科領域と精神科領域ではそのとらえ方に差がある。神経内科ではアパシーを独立した病態として、精神科領域では[[うつ病]]の部分症状あるいは近縁疾患として捉えられることが多い。<br />
<br />
1990年にMarinは臨床症状としてのアパシーの定義付けを初めて試みた<ref name=ref1><pubmed>2403472</pubmed></ref>。彼はアパシーを[[意識障害]]、[[認知障害]]、[[情動]]的苦悩によらない動機付けの欠如ないしは減弱した状態と定義した。ここで言う[[動機付け]](モチベーション)とは目的ある行動(goal-directed behavior)の開始、持続、方向性、そしてその活力に対して必要な駆動力を指す。アパシーは多くの疾患でよく見られる状態であり、古くからある言葉であるにもかかわらず、医学的な注目がなされ始めたのはごく最近のことであり、その定義や病態、意義についてもまだ議論の余地が残されている。 <br />
<br />
== 診断 ==<br />
<br />
Marinは、<br />
<br />
*目的ある行動(goal-directed behavior)の減弱(自発的な根気強い努力の欠如で示される)<br />
*目的ある思考(goal-directed cognition)の減弱(個人の健康、経済的問題などへの関心の欠如で示される<br />
*目的ある行動に付随した情動的反応(emotional concomitant of goal-directed behavior)の減弱(感情の平板化や良いあるいは悪い出来事への情緒的反応の欠如で示される)<br />
<br />
を特徴とした動機付けの欠如ないしは減弱した状態とアパシーを定義した<ref name=ref1 />。しかしLevyらはモチベーションは内的な状態であり、その評価は表出された行動や感情の観察に基づかざるを得ないことからMarinの定義には問題が含まれており、彼らはアパシーを自発的な目的ある行動の量的な減少として定義するべきであると提唱している<ref name=ref2><pubmed>17131230</pubmed></ref> 。Marinの定義ではアパシーは認知障害によるものではないとしたが、[[アルツハイマー病]]患者では高率にアパシーを示すことが繰り返し報告されており<ref name=ref3><pubmed>21155143</pubmed></ref> <ref name=ref4><pubmed>20455862</pubmed></ref>、アパシーの定義や診断基準にはまだ混乱が見られる。<br />
<br />
[[国際疾病分類第10版]]<ref name=ref5> World Health Organization International statistical classification of diseases and related health problems 10th revision, vol. 1<br>World Health Organization, Geneva, Switzerland (1992)</ref> においてもアパシーは疾患としての項目はなく、症状、徴候および異常臨床所見・異常検査所見で他に分類されないものの中にR45.3 [[無気力]]及び[[感情鈍麻]](アパシー)とあるに過ぎない。いずれにしてもアパシーの診断基準に統一されたものはまだないのが現状であり、アパシーの研究を進める上で統一された診断基準がないことは最も大きな問題であると考えられる。<br />
<br />
アパシーの重要度評価としては1991年にMarinらが[[Apathy Evaluation Scale]]([[アパシー評価尺度]])を開発し<ref name=ref6><pubmed>1754629</pubmed></ref>、その後Starksteinらがその短縮版として[[Apathy Scale]]を発表した<ref name=ref7><pubmed>1627973</pubmed></ref>。Apathy Scaleの日本語版は岡田らによって[[やる気スコア]]<ref name=ref8>'''岡田 和悟, 小林 祥泰, 青木 耕, 須山 信夫, 山口 修平'''<br>やる気スコアを用いた脳卒中後の意欲低下の評価<br>脳卒中, 1998, 20: 318-323</ref>として翻訳され、[http://cvddb.med.shimane-u.ac.jp/cvddb/ 脳卒中データバンクのホームページ]からpdfファイルのダウンロードが可能であり、使用できる。 <br />
<br />
== うつ状態との異同 ==<br />
<br />
アパシーと[[うつ状態]]は概念的にも臨床的にも混同されることが多い。うつ状態とは概念的には持続的な気分(mood)の障害であり、意欲そのものの障害ではないが、精神科で頻用されているうつ病の診断基準である[[Diagnostic and statistical manual of mental disorders 4th edition]]: [[DSM-IV]] <ref name=ref9>American Psychiatric Association.<br>Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, 4th Ed.<br> Washington, DC: American Psychiatric Association, 1994.</ref>では[[大うつ病]]エピソードは”[[抑うつ気分]]”もしくは”興味・喜びの減退”のいずれかを必須項目としている。抑うつ気分は気分の障害であるが、興味・喜びの減退は普段なら興味や喜びが感じられていた刺激に対して反応しなくなる状態であり、アパシーの概念に近い。<br />
<br />
DSM-IVハンドブックにおける興味・喜びの減退の項目における症状の詳しい説明としては「その人達は趣味に興味を感じなくなったり、あるいは以前に喜びであった活動に何の喜びも感じないと言うかもしれない。家族はしばしば、社会的引きこもり、または楽しみであった娯楽にかまわなくなったことに気づいている」と表現されている。この状態はこれまで楽しめていた活動に対して楽しみや喜びを感じられなくなり、その活動に対してのモチベーションが失われていることを示しており、まさにアパシーの状態と考えられる。そのほかの項目においても[[易疲労性]]、または[[気力]]の減退、思考力や集中力の減退、または決断困難も一部にアパシーの要素が含まれている項目であると考えられる。<br />
<br />
このように精神科におけるうつ病の診断基準にはアパシーという用語こそ含まれていないものの意欲に乏しく何事にもやる気が起こらずおっくうな状態はうつ病の主要な症状であると考えられていることがわかる。大うつ病エピソードの診断基準は一定の症状を示す症候群であり、アパシーの診断基準もまた症候群であるので両者が一部重複をするのは仕方のないことであるが、背景にある病態が異なれば対応も異なるため両者を区別して考えることや、うつ病の症状の中でも気分の障害と意欲や興味の障害を分けて考えることは必要ではないかと考えられる。 <br />
<br />
== 臨床症状への影響 ==<br />
<br />
アパシーの存在の臨床的な意義としてはアパシーが日常生活機能との間に密接な関連があることが挙げられる。たとえばアルツハイマー病患者においてアパシーのある患者ではない患者と比較して[[日常生活機能]](ADL)の障害は高度であり<ref name=ref10><pubmed>11384893</pubmed></ref>、アパシーの程度と機能障害の程度の間には相関関係が認められる<ref name=ref11><pubmed>12611751</pubmed></ref>。<br />
<br />
このような関連はアルツハイマー病だけでなく、[[血管性認知症]]<ref name=ref12><pubmed>12154154</pubmed></ref>、[[脳卒中]]患者1<ref name=ref13><pubmed>8236333</pubmed></ref>、うつ病患者<ref name=ref14><pubmed>9919318</pubmed></ref>においても報告されている。[[認知機能]]に関してもアパシーのある患者ではない患者と比較して認知機能が低く、経過中の認知機能の低下していく速度も大きいことがアルツハイマー病<ref name=ref10 />、脳卒中患者<ref name=ref13 />、老人ホームの居住者<ref name=ref15><pubmed>15804630</pubmed></ref>などで報告されている。さらに、アパシーを有する脳卒中患者ではリハビリテーションによる機能回復が遅延することも報告されている<ref name=ref16><pubmed>17702056</pubmed></ref>。<br />
<br />
アパシーは介護者にとっての負担感を大きくする要因でもある。アルツハイマー病患者の介護者の負担感は患者のアパシースコアとの間に強い相関が認められたが、認知機能障害の程度やADL障害の程度とは関連がなかったと報告されている<ref name=ref17><pubmed>12571824</pubmed></ref>。また、アパシーは患者の[[wikipedia:ja:生活の質|生活の質]](Quality of Life; QOL)にも影響を及ぼす可能性がある。老人ホームの居住者を対象とした検討では認知機能障害があまりない対象ではアパシーは主観的なQOLを低下させていたと報告されている<ref name=ref15><pubmed>15804630</pubmed></ref>。このようにアパシーはさまざまな臨床症状に悪影響を与えることが報告されているが、この影響はアパシーによるモチベーションの障害が影響を及ぼしている[[wikipedia:ja:廃用症候群|廃用症候群]]と呼ぶべきものであるのか、その他の要因を介しているのかは今後の検討が必要である。 <br />
<br />
== 想定されるメカニズム ==<br />
<br />
アパシーは[[パーキンソン病]]やアルツハイマー病、脳卒中後患者など脳器質疾患患者で多い症状とされ<ref name="ref2" />、アパシーが引き起こされるメカニズムもモチベーションの障害などの症状の神経心理学的な特徴<ref name="ref18"><pubmed>16207933</pubmed></ref>、基礎疾患の病態<ref name="ref19"><pubmed>17765337</pubmed></ref> <ref name="ref20"><pubmed>15964021</pubmed></ref>や治療効果のある薬剤<ref name="ref21"><pubmed>12426416</pubmed></ref> <ref name="ref22"><pubmed>12670060</pubmed></ref>、脳卒中患者のアパシーにおける脳損傷部位、アパシー患者における[[PET]]や[[SPECT]]、[[MR spectroscopy]]などの機能的脳画像研究などさまざまな検討がなされている(表)。<br />
<br />
これらの検討からは[[ドーパミン]]や[[アセチルコリン]]などの[[神経伝達物質]]の異常やモチベーションに関連する神経回路として[[前頭葉]]−皮質下回路のどこかが損傷されるとアパシーが引き起こされるとの仮説が提唱<ref name=ref38><pubmed>12169339</pubmed></ref>されているが、報告によって結果には差異が見られる。この結果の差異は使用されている診断基準や重症度評価の違いもあるが、そもそもアパシーはさまざまな疾患で認められる臨床症状あるいは症候群であり、さまざまな原因によって類似した症状が引き起こされるためと考えられる。 <br />
<br />
{| cellspacing="1" cellpadding="1" border="1"<br />
|-<br />
! scope="col"| 手法 <br />
! scope="col"| 所見 <br />
! scope="col"| 関連領域<br />
|-<br />
! scope="col"| 剖検 <br />
| [[神経原線維]]変化 <br />
| [[前帯状回]]<ref name=ref23><pubmed>16391476</pubmed></ref><br />
|-<br />
! scope="col"| [[CT]] <br />
| 病変 <br />
| [[基底核]]<ref name=ref24><pubmed>17131217</pubmed></ref><br />
|-<br />
!rowspan="2"| [[MRI]] <br />
| 体積減少 <br />
| 前帯状回<ref name=ref25><pubmed>17463189</pubmed></ref><br>[[前頭葉]]<ref name=ref26><pubmed> 14702265</pubmed></ref><br>[[側坐核]]<ref name=ref27><pubmed>15939969</pubmed></ref><br />
|-<br />
| 高輝度領域 <br />
| 前頭—皮質下回路<ref name=ref28><pubmed>16202190</pubmed></ref><br>右半球<ref name=ref28 /><br />
|-<br />
! scope="col"| [[MR spectroscopy]] <br />
| NAA/Cr比率低下 <br />
| 前頭葉<ref name=ref29><pubmed>16084528</pubmed></ref><br />
|-<br />
!rowspan="3"| [[PET]] <br />
| 血流減少 <br />
| [[基底核]]<ref name=ref30><pubmed>11207330</pubmed></ref><br>背外側[[前頭前野]]<ref name=ref30 /><br />
|-<br />
| 代謝低下 <br />
| 前頭葉<ref name=ref31><pubmed>15668960</pubmed></ref><br />
|-<br />
| ドーパミン/[[ノルアドレナリン]] [[トランスポーター]]結合能低下 <br />
| 腹側[[線条体]]<ref name=ref32><pubmed>15716302</pubmed></ref><br />
|-<br />
!rowspan="2"| [[SPECT]] <br />
| 血流低下 <br />
| 帯状回<ref name=ref33><pubmed>11304085</pubmed></ref><br>前頭葉<ref name=ref34><pubmed>16834702</pubmed></ref><br>前頭前野<ref name=ref35><pubmed>8912484</pubmed></ref><br>前頭葉眼窩面<ref name=ref36><pubmed> 17565215</pubmed></ref><br>[[側頭葉]]<ref name=ref35 /><br />
|-<br />
|-<br />
| ドーパミン トランスポーター取込低下 <br />
| [[被殻]]<ref name=ref37><pubmed>17900799</pubmed></ref><br />
|}<br />
<br />
'''表.アパシーにおける構造画像/機能画像研究'''<br />
<br />
==治療 ==<br />
アパシーは一定の臨床症状を示す症候群であり、その病態も上述のようにさまざまなものが考えられるので、治療も想定される病態に合わせたものが求められる。大まかには薬物療法と非薬物療法に分けられる。<br />
===薬物療法===<br />
[[パーキンソン病]]などの[[ドーパミン]]神経系の異常が想定される患者では[[L-ドーパ]]<ref><pubmed> 23970460</pubmed></ref>や[[ロチゴチン]]<ref><pubmed>23557594</pubmed></ref> などの[[ドーパミン神経系]]を賦活する薬剤、[[アルツハイマー病]]や[[レビー小体型認知症]]などの[[アセチルコリン]]神経系の異常が想定される患者では[[ドネペジル]]<ref><pubmed> 20597141 </pubmed></ref>や[[ガランタミン]]<ref><pubmed> 14676468 </pubmed></ref>などのアセチルコリン神経系を賦活する薬剤や[[メチルフェニデート]]<ref><pubmed> 24021498 </pubmed></ref>の有効性が報告されている。治療効果の報告の多くはケースレポートやケースシリーズであるが、メチルフェニデイトやドネペジルなどでは少数ながらRCTの報告もある。<br />
<br />
===非薬物療法===<br />
アパシーに対する非薬物療法が重要なことは論を待たないが、系統立てておこなわれた研究は少ない。多職種によるアプローチ、孤立を防ぐ、自律を促し疾患よりも個人への援助を心がける、障害があればそれを補うような器具や環境の整備などが推奨されているが、総説レベルに留まっている<ref><pubmed> 21860324 </pubmed></ref><ref><pubmed> 23921453 </pubmed></ref>。アパシーが存在するとActivities of Daily Living (ADL)や[[認知機能]]に悪影響を及ぼす事は上述の通りであるが、臨床的な実感としてはリハビリテーションなどの身体的な活動性を上げるようなアプローチはアパシーを改善させるため、[[無作為化比較対照試験]] (randomized controlled trial, RCT)をおこなう事は難しいが方法論を工夫して非薬物療法の効果については更なる検討をおこなう事が望まれる。<br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[うつ病]]<br />
*[[アルツハイマー病]]<br />
*[[パーキンソン病]]<br />
*[[血管性認知症]]<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
<br />
<references /></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%B3%E7%97%87&diff=37044
ダウン症
2017-01-09T10:51:14Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0208963 山川 和弘]</font><br><br />
''独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2012年5月11日 原稿完成日:2013年11月18日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
英語名:Down syndrome 独:Down-Syndrom 仏:syndrome de Down<br />
<br />
同義語:[[21トリソミー]]、[[ダウン症候群]]<br />
<br />
{{box|text=<br />
ダウン症は、[[精神遅滞]]の最も頻度の高い原因として知られる疾患で、特有の顔貌や、[[wikipedia:ja:先天性心疾患|先天性心疾患]]、[[wikipedia:ja:消化器疾患|消化器疾患]]、[[wikipedia:ja:免疫|免疫]]系・[[wikipedia:ja:内分泌|内分泌]]系の不全、[[wikipedia:ja:白血病|白血病]]、[[アルツハイマー病]]など、多くの症状を様々な頻度で伴うことで知られる。精神遅滞はほぼ全ての患者で発症する。[[wikipedia:ja:染色体|染色体]]の[[wikipedia:ja:不分離|不分離]]や[[wikipedia:ja:転座|転座]]などにより21番染色体が1本余分で計3本(トリソミー)になることが原因であり、当該染色体上の遺伝子が過剰発現する事が症状を引き起こすと想定されている。およそ700人に一人の割合で生まれてくるとされるが、母親の出産年齢が高いほど発生頻度は増加する為、出産年齢の上昇が続く日本などの先進国では増加傾向にある。近年(2011〜2013年)、母体血液に微量に存在する胎児DNAを用いた高精度の診断法が導入され、社会的議論を呼んだ。2013年現在、精神遅滞などに対する根本治療法は無い。<br />
}}<br />
<br />
==ダウン症とは==<br />
<br />
ダウン症は、[[知的障害]]の最も頻度の高い原因として知られており、およそ700人に一人の割合で生まれてくる<ref><pubmed> 6455611</pubmed></ref>。1866年に英国の眼科医[[wikipedia:John Langdon Down|ジョン・ラングドン・ハイドン・ダウン]](John Langdon Haydon Down) が論文でその存在を発表し、1965年に[[wikipedia:ja:WHO|WHO]]によって「Down syndrome(ダウン症候群)」を正式な名称とすることが決定された。1959年、フランス人の[[wikipedia:Jérôme Lejeune|ジェローム・レジューン]](Jérôme Lejeune)により、21番染色体が1本余分で計3本(トリソミー)になっていることが見いだされた。<br />
<br />
==診断==<br />
===臨床症状===<br />
精神遅滞はほぼ全ての患者で発症するが、その重篤度には患者間で非常に大きな差がある。20歳前後から「急激[[退行]]」と呼ばれる症状(対人反応の低下、興味消失、[[自閉]]、食欲不振)を示す事がある。<br />
<br />
その他、特有の顔貌(目尻が上がっていてまぶたの肉が厚い、鼻が低い、頬がまるい、あごが未発達など)、[[wikipedia:ja:先天性心疾患|先天性心疾患]]、[[wikipedia:ja:消化器|消化器]]疾患、[[wikipedia:ja:免疫系|免疫系]]・[[wikipedia:ja:内分泌系|内分泌系]]の不全、[[wikipedia:ja:白血病|白血病]]、[[アルツハイマー病]]など、多くの症状を様々な頻度で伴う。例えば[[Hirschsprung病]]([[腸管神経叢]]が欠損し重篤な便秘を起こす)も多発することが知られており、一般集団における発症率が約5000人に1人であるのに対して、ダウン症では20−30人に1人の割合で発症する。<br />
<br />
===検査所見===<br />
[[wikipedia:ja:羊水染色体検査|羊水染色体検査]]([[wikipedia:ja:羊水穿刺|羊水穿刺]])で確定的に診断することが可能であるが、0.1〜0.3%の流産のリスクが伴う。ダウン症と診断された場合の中絶率は90%前後とされる。<br />
<br />
2011年、米国において妊婦の血液検査だけで胎児にダウン症の染色体異常を調べる事が出来る新しい出生前診断が開始され、2013年に日本にも導入された。妊婦の血液に含まれる微量の胎児DNAの塩基配列を高速で読み取る機械を用いて診断するもので、妊娠10週より可能であり流産のリスクも無く、精度は99%(検出率99.1%、偽陰性率0.1%)とされる。同じく非侵襲[[テスト]]である母体血清マーカー検査の精度([[wikipedia:ja:クアトロテスト|クアトロテスト]]での検出率86.4%)に比べ、格段に精度が高い。<br />
<br />
===病理所見===<br />
<br />
脳重は1000g程度のものが多く、上側頭回の低形成が特徴的で剖検例の約半数に認められる。また[[大脳]]に比し[[小脳]]と脳幹部が顕著に小さいこ とも特徴であり、[[乳頭体]]、[[海馬体]]の低形成、および[[海馬傍回]]の膨大所見が報告されている。組織学的所見として[[無棘星状細胞]]の縮小、[[ブロードマン3、1、2野|ブロードマン3]], [[ブロードマン17野|17]], [[ブロードマン41野|41野]]における[[大脳皮質]]の[[顆粒細胞]]の密度低下、神経[[細胞分化]]、[[軸索]]有髄化や[[樹状突起]]形成などの異常などが報告され、これらの異常が精神遅滞の基礎をなしていると予想されて いる。<br />
<br />
==病態==<br />
=== 染色体異常 ===<br />
21番染色体が1本余分で計3本(トリソミー)になっており、このことが発症の原因とされる。染色体の不分離や転座によっておこる。染色体の不分離によって起こるケースは全体の95%を占める。2011年の[http://www.gencodegenes.org/ GENCODEプロジェクト]の報告によると、21番染色体上には696個の遺伝子(タンパク質をコードするものは235個)が存在するとされるが、これらの遺伝子の発現量の過剰がダウン症の発症に関わると考えられるが、実際にどの遺伝子がどの症状の発症にどのように関わるのかは明らかでない。<br />
<br />
ごくわずかの症例で第21染色体の一部のみがトリソミーになっているものが見られる。これらの症例の症状とトリソミーになっている領域を比較することにより、それぞれの症状に責任のある遺伝子の場所をある程度推定することが出来るとして複数の研究が報告されている。<br />
<br />
Niebuhrらは[[アミロイド前駆体タンパク質]]([[APP]])から[[wikipedia:ja:テロメア|テロメア]]を部分トリソミーでもつ患者がダウン症の主な症状を有することから、この領域が重要であるとした<ref name=ref2><pubmed>4276065</pubmed></ref>。更に、[[セントロメア]]から[[スーパーオキシドディスムターゼ]]([[SOD]])までをトリソミーで有する患者では精神遅滞の程度が軽いとする報告がある<ref name=ref3><pubmed>2149936</pubmed></ref>。Delabarらは複数の部分トリソミー患者を検討することによりD21S55を含む4Mbの領域が重要としダウン症責任領域(DSCR)と名付けた<ref name=ref4><pubmed>8055322</pubmed></ref>。<br />
<br />
一方、Korenbergらは複数の領域が発症に関わるとし、DSCRのような単一の領域が主な症状すべてに責任を持つとする説を否定している<ref name=ref5><pubmed>8197171</pubmed></ref>。又、精神遅滞については軽重の差こそあれ重複のない異なる領域を部分トリソミーで有する複数の患者で見られることから、その発症にかかわる遺伝子が第21染色体上に複数あることは間違いない。<br />
<br />
===動物モデル===<br />
[[image:ダウン症1.png|thumb|300px|'''図1.部分トリソミーを持つダウン症モデルマウス'''<br>[[動物モデル]]の項を参照。]]<br />
ヒト第21染色体に対応するのがマウス第16染色体の一部であり、現在までに、この第16染色体の部分トリソミーを持ついくつかのマウスがダウン症のモデルとして報告されている。Ts65Dn<ref name=ref6><pubmed>2147289</pubmed></ref>およびTs2Cje<ref name=ref7><pubmed>15859352</pubmed></ref>はAPPから[[Mx1]]までの15.6Mbの部分をトリソミーで持ち、Ts1Cje<ref name=ref8><pubmed>9600952</pubmed></ref>は[[SOD1]]からMX1までの9.8Mbの大きさをトリソミーで持つ。これらのマウスでは[[モリス水迷路テスト]]などの行動学的試験が行われ精神遅滞様の行動異常が確認されているが、Ts1CjeはTs65Dn,Ts2Cjeに比べて[[学習障害]]の程度が軽く、ダウン症患者でみられる[[コリン作動性ニューロン]]の変性はTs65Dnのみで見られるなどの違いが確認されている<ref name=ref9><pubmed>7550346</pubmed></ref> <ref name=ref8 /> <ref name=ref7 />。<br />
<br />
ダウン症の患者では小脳が小さいことは先にも述べたが、これらのマウスモデルでも小脳が小さいことが確認されており、更にその程度はTs1CjeとTs65Dnでほぼ同じであることから、少なくとも小脳のサイズを小さくしている遺伝子はTs1Cjeがトリソミーで持つ領域に存在する遺伝子である可能性が高い。Ms1Ts65はTs65Dnがトリソミーで持つ部分のうち、Ts1Cjeに対応する部分をのぞいたAPPからSOD1までの領域をトリソミーで持つマウスであり、精神遅滞様行動の程度はTs1Cjeのそれよりも、更に軽いと報告されている。<ref name=ref10><pubmed>11044479</pubmed></ref>。最近では更に領域を絞り込んだトリソミーモデルマウス、Ts1Rhr、も報告されている<ref name=ref11><pubmed>15499018</pubmed></ref> <ref name=ref12><pubmed>19420260</pubmed></ref>。これらのマウスモデルを用いた解析により、酸化[[ストレス]]の上昇<ref name=ref13><pubmed>16891409</pubmed></ref> <ref name=ref14><pubmed>19645748</pubmed></ref>、[[神経新生]]の異常<ref name=ref15><pubmed>19710359</pubmed></ref>、神経活動の過剰抑制<ref name=ref16><pubmed>9517425</pubmed></ref> <ref name=ref17><pubmed>15515178</pubmed></ref> <ref name=ref18><pubmed>15371516</pubmed></ref>など複数の異常カスケードがダウン症発症に寄与するメカニズムとして提案されている。<br />
<br />
=== 責任遺伝子 ===<br />
第21染色体上に存在する複数の遺伝子が精神遅滞の発症に関わる遺伝子の候補として報告されている。しかしながらこれらの遺伝子のダウン症発症に於ける実際の意義については確定的な事が言える状況では到底無く、それらを明らかにし、更には実際の治療に結びつけて行く為には今後更なる検証、研究が必要である。<br />
;[[Sim2]]<br />
:helix-loop-helix構造を持ち、中枢神経系の初期発生に関わる[[転写制御因子]]であり、[[βアクチン]][[プロモーター]]下で発現制御されたSIM2を持つ[[トランスジェニックマウス]]での[[記憶]][[学習]]能力の異常<ref name=ref19><pubmed>10400987</pubmed></ref>、Sim2を有する[[wikipedia:BAC|BAC]]クローンのトランスジェニックマウスでの[[不安]]行動、[[痛覚鈍麻]]、[[社会性行動]]減少<ref name=ref20><pubmed>10915774</pubmed></ref>などが報告されている。<br />
<br />
;[[DYRK1A]]<br />
:[[ショウジョウバエ]]で同定され、細胞の発生・[[分化]]の制御に関わる遺伝子として知られるminibrainのヒトホモログであるが、DYRK1Aを含む[[wikipedia:YAC|YAC]]のトランスジェニックマウスで記憶学習能力の異常が報告されている<ref name=ref21><pubmed>9140392</pubmed></ref>。更にはDYRK1Aが[[DSCR1]]/[[RCAN1]]と共同して転写因子[[NFATc]]の機能を抑制し、これがダウン症症状の発現に寄与するとの報告もある<ref name=ref22><pubmed>16554754</pubmed></ref>。<br />
;[[Olig1]]/[[Olig2]]<br />
:転写因子であり、ある種の[[抑制性神経細胞]]の数を増やし、これが神経活動の過剰抑制につながり、ダウン症の知能障害につながると報告されている<ref name=ref23><pubmed>20639873</pubmed></ref>。<br />
<br />
== 治療 ==<br />
<br />
ダウン症に伴う先天性心疾患や消化器疾患等に対する対症治療は行われているが、2013年現在、精神遅滞などに対する根本治療は無い。ただし、アルツハイマー治療薬「[[アリセプト]]」([[ドネペジル塩酸塩]]:[[アセチルコリンエステラーゼ阻害剤]])の「急激退行」に対する有効性の検証や、抗酸化剤や神経活動過剰抑制拮抗剤などの治験など、有効な薬剤の開発が継続して試みられている。<br />
<br />
== 疫学 ==<br />
<br />
およそ700人に一人の割合で生まれてくるとされる<ref name=ref1><pubmed>6455611</pubmed></ref>。母親の出産年齢が高いほど発生頻度は増加し、25歳未満でおよそ1/2000、35歳で1/300、40歳で1/100、45歳以上でおよそ1/20となる。日本では、近年の出産年齢の急激な上昇(1980年では第一子出産年齢平均が26.4歳だったのが2013年では30.1歳)で増加傾向にある。<br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[精神遅滞]]<br />
*[[21番染色体]]<br />
*[[3倍体]]<br />
*[[トリソミー]]<br />
*[[染色体不分離]] <br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
<references /></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E8%A1%80%E7%AE%A1%E6%80%A7%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%97%87&diff=37043
血管性認知症
2017-01-09T10:50:31Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">冨本 秀和</font><br><br />
''三重大学神経内科''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2012年6月26日 原稿完成日:2013年10月4日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
英:vascular dementia 独:vaskuläre Demenz 仏:leucoaraiose<br />
<br />
同義語:脳血管性認知症、脳血管性痴呆、多発梗塞性認知症、多発梗塞性痴呆、脳動脈硬化症 <br />
<br />
{{box|text= 血管性認知症は脳血管障害に起因して生じる認知症の総称である。うち約半数は「認知症を伴う脳小血管病」が占め、それをさらに皮質に主病変が存在する[[アミロイド血管症]]、皮質下に主病変が存在する[[皮質下血管性認知症]]に大別し、後者でのうち白質病変優位型のものをBinswanger病またはBinswanger型脳梗塞とする理解が一般的である。臨床上、記憶、見当識、注意力、言語、視覚空間機能、行動機能、運動統御、行為などの障害が認められられる。神経学的診察で,脳卒中の際にみられる局所神経症候が認められ、脳画像診断でもそれが裏付けられる。アルツハイマー病とは臨床症状や画像診断上区別するが、危険因子を共通とし、また病態生理学的にも重なり合うことがある。治療には高血圧を伴う場合は、それを治療するのが優先である。}}<br />
<br />
==血管性認知症とは==<br />
血管性認知症はすべての脳血管障害に起因して生じる[[認知症]]の総称である。この範疇に属する用語として、古くは「脳動脈硬化症」がある。この用語は認知機能の低下をきたす責任病変が何かが明確でなく、現在学術用語として用いられることはなくなっている。それ以降、1970年にTomlinsonは空洞性の[[梗塞]]巣の容積が50 mlを超えると認知機能の低下が生じることを報告し、「多発梗塞性認知症」(旧来は多発梗塞性痴呆)の概念を提唱した<ref name="ref1"><pubmed>5505685</pubmed></ref>。このことは、[[老人斑]]や[[神経原線維変化]]などの[[Alzheimer病]]理以外に、血管病変が認知機能障害の責任病変となることを指摘した点で重要な意義があった。しかし一方では、脳血管障害に起因する認知機能障害=多発梗塞性認知症とする誤解が生じ、大きな空洞性変化をきたさない[[白質病変]]や[[ラクナ梗塞]]などの小血管病変の重要性が看過される契機にもなった。 <br />
<br />
白質病変を特徴とする血管性認知症として、Binswanger病(Binswanger型脳梗塞)がある。Binswanger病は1894年に報告され、その最初の記録はドイツの神経科医[[wikipedia:Otto Binswanger|Otto Binswanger]]の講演録に見られる。[[wikipedia:ja:梅毒|梅毒]]による[[進行麻痺]]が認知症の多くを占めた当時、Binswangerは血管病変に起因する認知症が存在することを初めて指摘している。脳血管の[[wikipedia:ja:動脈硬化|動脈硬化]]、[[後頭葉]]・[[側頭葉]]白質の高度萎縮、[[側脳室]]後角・下角の開大など皮質下に血管病変が存在し、[[大脳皮質]]はほぼ正常であった症例の肉眼所見を提示し、動脈硬化に起因する病態として”encephalitis subcorticalis chronica progressive” の名称を提唱した。1964年、Jellingerらは本疾患を光顕的に検討し、progressive subcortical vascular encephalopathy of Binswanger typeとして概念をまとめている。さらに、1990年、Bennettらは画像所見を取り入れて、Binswanger型脳梗塞の臨床診断基準を提唱している<ref name="ref2"><pubmed>2283526</pubmed></ref>。彼らは本診断基準を用いて後方視的に剖検例を調べ、本診断基準を満たした症例の大部分が病理学的にBinswanger病であり、Alzheimer病で本基準を満たしたものは184名中3名のみに留まったと報告している。 <br />
<br />
歴史的に記載されてきたBinswanger病であるが、現在では血管性認知症の約半数を占める「認知症を伴う脳小血管病」を、皮質に主病変が存在する[[アミロイド血管症]]、皮質下に主病変が存在する[[皮質下血管性認知症]]に大別し、後者でのうち白質病変優位型のものをBinswanger病またはBinswanger型脳梗塞とする理解が一般的である。頭部[[MRI]]の[[FLAIR画像]], または[[T2強調画像]]では、脳室周囲および深部白質にびまん性の高輝度を呈する.白質病変の程度・広がりはラクナ梗塞を主体とする「多発性ラクナ梗塞」より高度であり,[[脳梁]]萎縮,脳室拡大,[[海馬]]萎縮なども認められる.Binswanger病患者の半数は明らかな卒中発作を呈さずに緩徐進行性の経過をとり、海馬萎縮をともなう症例もあることから、アルツハイマー病との鑑別が重要である。白質病変を主体とする脳小血管病であり、血管性認知症の中核群として位置づけられる。 <br />
<br />
== 診断基準 ==<br />
<br />
[[wikipedia:National Institute of Neurological Disorders and Stroke|米国国立神経疾患・脳卒中研究所]](NINDS)と[[wikipedia:ja:Association Internationale pour la Recherché et l'Enseignement en Neurosciences|Association Internationale pour la Recherché et l'Enseignement en Neurosciences]](AIREN)による診断基準(NINDS-AIREN)は最も代表的な血管性認知症の診断基準である。この他にも米国精神医学会による[[精神疾患の診断・統計マニュアル第4版]](DSM-Ⅳ)、[[wikipedia:ja:世界保健機関|世界保健機関]](WHO)の[[国際疾病分類第10版]](ICD-10)、カリフォルニアの[[wikipedia:ja:Alzheimer病診断・治療センター|Alzheimer病診断・治療センター]](ADDTC)による虚血性血管性認知症の診断基準などが知られている。また、Hachinskiの虚血スコアは臨床症候に基づいてAlzheimer病(AD)と鑑別することを目的に作成された簡便な血管性認知症の診断方法である。これらの診断基準を同一症例に適用した場合、診断の相互一致率は不十分であり、複数の診断基準を組み合わせても感度・特異度とも上昇しない。このため、血管性認知症の診断基準は、今後さらに改良が望まれている。 <br />
<br />
表1は最も汎用されているNINDS-AIREN(National Institute of Neurological Disorders and Stroke and Association Internationale pur la Rechrche et l’Enseignement en Neurosciences)診断基準である。本診断基準は臨床試験に用いることを目的として作成されたものであり、最も厳密な基準である。診断の特異度は高いが、感度が低くなる欠点がある。 <br />
<br />
<br> <br />
<br />
{| cellspacing="1" cellpadding="1" border="1" style="width: 949px; height: 494px;"<br />
|-<br />
| style="background-color:#dfd" | 1.Probable VaDの診断基準<br />
|-<br />
| A. 認知症 <br />
a) 記憶障害と,次の認知機能のうち2つ以上の障害がある.[[見当識]],[[注意力]],[[言語]],[[視覚]]空間機能,[[行動機能]],[[運動統御]],[[行為]]。<br> b) 臨床的診察と神経心理学的検査の両方で確認することが望ましい。 <br> c) 機能障害は,日常生活に支障をきたすほど重症である.しかし,これは脳卒中に基づく身体障害によるものを除く。 <br> 【除外基準】<br> a) 神経心理検査を妨げる[[意識障害]],[[せん妄]],[[精神病]],重症[[失語]],著明な感覚運動障害がない<br> b) [[記憶]]や認知機能を障害する全身性疾患や他の脳疾患がない<br> <br />
<br />
|-<br />
| B. 脳血管障害 <br />
a) 神経学的診察で,脳卒中の際にみられる局所神経症候([[片麻痺]]・下部[[顔面神経麻痺]]・[[Babinski徴候]]・[[感覚障害]]・[[半盲]]・[[構音障害]])がみられる。<br> b) 脳画像(CT・MRI)で明らかな多発性の大梗塞,重要な領域の単発梗塞,多発性の基底核ないし白質の小梗塞あるいは広範な脳室周囲白質の病変を認める。 <br />
<br />
|-<br />
| C. AとBの間隔が3カ月以内<br> <br />
1)明らかな脳血管障害後3か月以内に認知症が起こる。<br> 2)認知機能が急激に低下するか,認知機能障害が動揺性ないし段階的に進行する。<br> <br />
<br />
|-<br />
| style="background-color:#dfd" | 2.血管性認知症の臨床的特徴<br />
|-<br />
| A. 早期からの歩行障害<br>B. 不安定性および頻回の転倒<br>C. [[wikipedia:ja:泌尿器|泌尿器]]疾患で説明困難な[[wikipedia:ja:尿失禁|尿失禁]]などの[[wikipedia:ja:排尿障害|排尿障害]]<br>D. [[偽性球麻痺]]<br>E. [[人格障害]]および[[情緒障害]]([[感情失禁]])<br />
|-<br />
| style="background-color:#dfd" | 3.血管性認知症らしくない症状<br />
|-<br />
| A. 局所神経徴候や画像異常を伴わない記憶障害・認知機能障害の悪化。<br>B. 認知機能障害以外に局所神経徴候を欠く。<br>C. 画像上、脳血管障害が確認できない。<br />
|}<br />
<br />
'''表1:血管性認知症のNINDS-AIREN診断基準''' <br />
<br />
<br> 本診断基準では血管性認知症を以下の6型に分類している(表2)。多発梗塞性認知症は血管性認知症の亜型であり、わが国では認知症を伴う脳小血管病が最も多く約半数を占め、多発梗塞性認知症は2-3割を占める。NINDS-AIREN診断基準の作成委員会メンバーのひとりであったErkinjunti Tは血管性認知症の比較的多数を占め、均質な徴候を呈する皮質下血管性認知症に焦点をあて、画像所見を含めた詳細な診断基準を提唱している(表3)。 <br />
<br />
<br> <br />
<br />
{| cellspacing="1" cellpadding="1" border="1" style="width: 372px; height: 266px;"<br />
|-<br />
| 1. 多発梗塞性認知症 <br />
皮質・皮質下領域に大きな完全梗塞が多発するもの。 <br />
<br />
|-<br />
| 2. Strategic single-infarct dementia<br> <br />
A.皮質領域<br> [[角回]]<br> [[前大脳動脈]]領域<br> [[中大脳動脈]]領域<br> [[後大脳動脈]]領域<br>B. 皮質下領域<br> [[視床]]<br> [[前脳基底部]]<br />
<br />
|-<br />
| 3. 認知症を伴う脳小血管病 <br />
A. 皮質下領域 多発ラクナ梗塞 Binswanger病<br>B. 皮質領域 脳アミロイド血管症 <br />
<br />
|-<br />
| 4. 低灌流によるもの<br />
|-<br />
| 5. 出血性認知症<br />
|-<br />
| 6. その他の機序によるもの<br />
|}<br />
<br />
'''表2:血管性認知症の分類(NINDS-AIREN診断基準)''' <br />
<br />
<br> <br />
<br />
{| cellspacing="1" cellpadding="1" border="1" style="width: 866px; height: 529px;"<br />
|-<br />
| style="background-color:#dfd" | I. 次のすべてを満たす<br />
|-<br />
| 1. 認知機能障害として以下の両者 <br />
A. 遂行機能障害<br>B. 記銘力障害(おそらく軽度) <br />
<br />
|-<br />
| 2.脳血管障害として以下の両者 <br />
A. 支持的な神経画像所見<br> 1)CTによる基準<br> [[脳脊髄液]]と正常白質の中間密度の脳室周囲または深部白質病変で、半卵円中心に伸びる境界不鮮明なもの+最低ひとつのラクナ梗塞。<br> 2)MRIによる基準<br> <br />
<br />
*主に白質病変によるもの(Binswanger type)<br>幅10 mm以上のPVH、幅25mmを超える融合性の深部白質病変、広汎白質病変+深部灰白質のラクナ梗塞 <br />
*主にラクナ梗塞によるもの(Lacunar state type)<br>深部灰白質の多発(たとえば5個以上)ラクナ梗塞+中等度以上の白質病変<br><br />
<br />
B. 皮質下血管病変を支持する神経徴候の存在、または既往 <br />
<br />
|-<br />
| style="background-color:#dfd" | II. 診断を支持する所見<br />
|-<br />
| 1. [[上位運動ニューロン]]障害のエピソード<br />
|-<br />
| 2. 早期からの歩行障害の存在<br />
|-<br />
| 3. ふらつきや原因不明の頻繁な意識消失<br />
|-<br />
| 4. 早期からの頻尿、尿意促迫、その他の泌尿器症状<br />
|-<br />
| 5. 構音障害、[[嚥下障害]]、[[錐体外路症状]]<br />
|-<br />
| 6. 行動症状、心理症状<br />
|-<br />
| style="background-color:#dfd" | III. 診断を支持しないあるいは否定する特徴<br />
|-<br />
| 1. 記憶障害や他の認知機能障害の早期からの発症、あるいは進行性の悪化<br />
|-<br />
| 2. CTやMRIで脳血管障害がない。<br />
|}<br />
<br />
'''表3:皮質下血管性認知症の臨床診断基準''' <br />
<br />
<br> <br />
<br />
{| cellspacing="1" cellpadding="1" border="1" style="width: 866px; height: 231px;"<br />
|-<br />
| A. 多彩な認知機能障害の発現.以下の2項目がある <br />
1. 記憶障害(新しい情報を学習したり,以前に学習した情報を想起する能力の障害) <br />
<br />
2. 以下の認知機能障害が一つ(またはそれ以上)ある <br />
<br />
(a) 失語(言語の障害) <br />
<br />
(b) [[失行]](運動機能は障害されていないのに,運動行為が障害される) <br />
<br />
(c) [[失認]](感覚機能が障害されていないのに,対象を認識または同定できない) <br />
<br />
(d) [[実行機能]](計画を立てる,組織化する,順序立てる,抽象化する)の障害 <br />
<br />
|-<br />
| B. A1およびA2の認知機能障害は,その各々が,社会的または職業的機能の著しい障害を引き起こし,病前の機能水準からの著しい低下を示す<br />
|-<br />
| C. 局所的神経徴候や症状(例:[[腱反射]]の亢進,[[病的反射]],偽性球麻痺,[[歩行障害]],一肢の筋力低下),または臨床検査上その障害に病因的関連があると判断される脳血管障害(CVD)(例:皮質や皮質下白質を含む多発性梗塞)を示す<br />
|-<br />
| D. 認知機能障害はせん妄の経過中にのみ現れるものではない<br />
|}<br />
<br />
'''表4:DSM-Ⅳによる血管性認知症の診断基準''' <br />
<br />
==病態 ==<br />
<br />
近年、アルツハイマー病の危険因子として中年期の血管因子が指摘されている。アルツハイマー病と血管性認知症は共通の危険因子を有しており、両者の合併の頻度は偶然の期待値より高い。また、両疾患の病理変化、すなわちアルツハイマー病理と脳血管病変の合併は認知機能を相加的に増悪させる。さらに、アルツハイマー病でほぼ必発のアミロイド血管症はさまざまな脳血管病変の原因となる。以上から推測されるように、混合型認知症、すなわちアルツハイマー病と血管性認知症の合併は稀ならず存在する。 <br />
<br />
しかし、アルツハイマー病理の存在を抽出することは臨床的には困難なであり、この問題を回避する意味で脳血管障害が関与する認知機能障害として血管性認知障害(Vascular cognitive impairment; VCI)が提唱されている。血管性認知障害は血管性認知症を中核として、[[混合型認知症]]、[[脳卒中後認知症]]、[[血管性軽度認知障害]]までを包含する概念であり、2011年、その診断基準(案)がアメリカ心臓病・脳卒中協会から発表されている(表5)<ref name="ref4"><pubmed>21778438</pubmed></ref>。 <br />
<br />
<br> <br />
<br />
{| cellspacing="1" cellpadding="1" border="1" style="width: 875px; height: 1137px;"<br />
|-<br />
| 1. VCIの用語は血管性認知症(VaD)から血管障害に起因する軽度認知障害(MCI)など全ての認知機能障害を含む。 <br />
2. 以下の基準は薬物やアルコールの乱用、または依存と診断される患者には適応されない。患者は過去3カ月間、上記のいずれの影響にも曝されていないことが必要である。 <br />
3.以下の基準はせん妄の患者には適用されない。 <br />
<br />
認知症 <br />
<br />
1. 認知症の診断は、少なくとも2つ以上の認知領域において認知機能の増悪や検査結果の低下が認められ、その結果、患者の日常生活が損なわれていると判断されることが必要である。 <br />
<br />
2. 認知症の診断は、認知機能検査の結果に基づいて判断される。認知に関する少なくとも4領域(実行機能、記憶、言語、視空間認知機能)を検査する。 <br />
<br />
3. 患者の日常生活障害は、血管障害の結果生じる運動麻痺や知覚障害とは無関係である。 <br />
<br />
|-<br />
| <u>Probable VaD</u> <br />
1. 認知障害と脳血管障害の画像所見が認められ、 <br />
<br />
&nbsp;&nbsp; a. 血管障害(例えば卒中発作)と認知障害の発症の間に明確な時間的関連が存在すること、または <br />
<br />
&nbsp;&nbsp; b. 認知障害と程度やタイプと、び慢性または皮質下性の脳血管病理(例えばCADASIL)の間に明確な関連性が認められること。 <br />
<br />
2. 卒中発作の前後で、非血管性の神経変性疾患を示唆する緩徐進行性の認知記障害の病歴が存在しない。 <br />
<br />
|-<br />
| <u>Possible VaD</u> <br />
認知障害と脳血管障害の画像所見が認められるが、 <br />
<br />
1. 血管障害(例えば無症候性脳梗塞や皮質下の小血管病変)と認知障害の間に明確な時間、重症度やタイプの整合性が存在しない場合。<br />
<br />
2. VaDの診断に関する十分な情報が得られない場合(例えば、臨床症状から血管障害が疑われるが、CT/MRI検査結果が得られない、など)。 <br />
<br />
3. 重度の失語のために正確な認知機能の評価が困難である場合。ただし、失語の原因となった卒中発作の以前は認知機能正常の記録がある患者(例えば例年実施される認知機能検査など)についてはprobable VaDと診断しうる。 <br />
<br />
4. 認知機能に影響しうる脳血管疾患に加え、以下のような他の神経変性疾患や病態を疑う根拠が存在する場合。 <br />
<br />
&nbsp;&nbsp; a. 神経変性疾患の病歴がある(例えば、[[パーキンソン病]]、[[進行性核上性麻痺]]、[[レビー小体型認知症]])、または、 <br />
<br />
&nbsp;&nbsp; b. バイオマーカー(例えば[[PET]]、髄液でのアミロイド変化)や遺伝子検査(例えばPS1変異)からアルツハイマー病理の存在が示される、または、 <br />
<br />
&nbsp;&nbsp; c. 認知機能に影響しうる活動性の[[wikipedia:ja:がん|がん]]、[[精神疾患]]、[[wikipedia:ja:代謝性疾患|代謝性疾患]]の病歴がある。 <br />
<br />
|-<br />
| <u>VaMCI(血管性軽度認知障害) </u><br />
1. VaMCIはMCIの4亜型、すなわち健忘型(amnestic type)、他の認知領域障害を伴う健忘型、非健忘型の単一認知領域の障害、非健忘型の多認知領域の障害、を含む。 <br />
<br />
2. VaMCIの分類は認知機能検査に基づいて行うこととし、少なくとも4つの認知領域、すなわち実行機能/注意、記憶、言語、視空間認知を評価する。分類は以前の水準からの低下で認知機能の低下を判断し、少なくとも1つの認知領域が障害されているものとする。 <br />
<br />
3. 運動、知覚障害の程度に関わらず、手段的日常生活動作(IADL)は正常あるいは軽度の障害がありうる。 <br />
<br />
|-<br />
| <u>Probable VaMCI</u> <br />
1. 認知障害と脳血管障害の画像所見が認められ、 <br />
<br />
&nbsp;&nbsp; a. 血管障害(例えば卒中発作)と認知障害の発症の間に明確な時間的関連が存在すること、または <br />
<br />
&nbsp;&nbsp; b. 認知障害と程度やタイプと、び慢性または皮質下性の脳血管病理(例えばCADASIL)の間に明確な関連性が認められること。 <br />
<br />
2. 卒中発作の前後で、非血管性の神経変性疾患を示唆する緩徐進行性の認知記障害の病歴が存在しない。 <br />
<br />
|-<br />
| <u>Possible VaMCI </u><br />
認知障害と脳血管障害の画像所見が認められるが、 <br />
<br />
1. 血管障害(例えば無症候性脳梗塞や皮質下小血管病変)と認知障害の間に明確な時間、重症度やタイプの整合性が存在しない場合。<br />
<br />
2. VaMCIの診断に関する十分な情報が得られない場合(例えば、臨床症状から血管障害が疑われるが、[[wikipedia:ja:CT|CT]]/MRI検査結果が得られない、など)。 <br />
<br />
3. 重度の失語のために正確な認知機能の評価が困難である場合。ただし、失語の原因となった卒中発作の以前は認知機能正常の記録がある患者(例えば例年実施される認知機能検査など)についてはprobable VaMCIと診断しうる。 <br />
<br />
4. 認知機能に影響しうる脳血管疾患に加え、以下のような他の神経変性疾患や病態を疑う根拠が存在する場合。 <br />
<br />
&nbsp;&nbsp; a. 神経変性疾患の病歴がある(例えば、パーキンソン病、進行性核上性麻痺、レビー小体型認知症)、または、 <br />
<br />
&nbsp;&nbsp; b. バイオマーカー(例えばPET、髄液でのアミロイド変化)や遺伝子検査(例えばPS1変異)からアルツハイマー病理の存在が示される、または、 <br />
<br />
&nbsp;&nbsp; c. 認知機能に影響しうる活動性のがん、精神疾患、代謝性疾患の病歴がある。 <br />
<br />
|-<br />
| <u>Unstable VaMCI </u><br />
probable VaMCI またはpossible VaMCIと診断され正常に復した患者はunstable VaMCIと分類する。 <br />
<br />
|}<br />
<br />
'''表5:血管性認知障害(Vascular cognitive impairment;VCI)の診断基準(案)''' <br />
<br />
VCI, vascular cognitive impairment; VaD, vascular dementia; MCI, mild cognitive impairment; CADASIL, cerebral autosomal dominant arteriopathy with subcortical infarcts and leukoencephalopathy; CT/MRI, computed tomography/magnetic resonance imaging; PET, positron emission tomography; CSF, cerebrospinal fluid; VaMCI, vascular mild cognitive impairment.<br />
<br />
==診断 ==<br />
<br />
診断は臨床経過、神経症状、神経画像をに基づき、診断基準を参考にして行う。白質病変、海馬萎縮は血管性認知症、アルツハイマー病のいずれでも認められるが、白質病変は血管性認知症で顕著であり、海馬萎縮はアルツハイマー病で高度となる。血管性認知症は、アルツハイマー病と比較すると、階段状の増悪、発症早期から歩行障害、排尿障害、構音・嚥下障害などの偽性球麻痺を伴いやすい。血管性認知症の記憶障害の程度は、アルツハイマー病に比べ軽度で、記憶の喚起障害が主体である。その他の認知機能障害として、[[前頭葉]]機能低下を反映した精神緩慢、アパシー、抑うつなどがある。意識障害による夜間せん妄が見られることがあるが、人格は比較的保たれる。 <br />
<br />
サブタイプ別にみると、多発梗塞性認知症は階段状の進行、増悪を示すが、皮質下血管性認知症では約半数の患者が緩徐進行性の経過をとる。多発梗塞性認知症は頭部MRIで皮質、皮質下領域の大小の脳梗塞を特徴とし、特に皮質領域に病変が多発する。皮質下血管性認知症はラクナ梗塞、白質病変が主体であり、これらの小血管病変が皮質下に分布する。脳機能画像では脳血管病変の分布に一致して斑状の血流低下域を呈するが、一般的には前頭葉中心に血流低下を示す傾向がある。 <br />
<br />
==治療 ==<br />
<br />
降圧療法には脳梗塞と同様に[[wikipedia:ja:ACE阻害薬|アンギオテンシン変換酵素 (ACE)阻害薬]]・[[wikipedia:ja:アンジオテンシンII受容体拮抗薬|アンジオテンシンII受容体拮抗薬]] (ARB)、[[wikipedia:ja:カルシウム拮抗薬|カルシウム拮抗薬]]、[[wikipedia:ja:利尿薬|利尿薬]]が適用される。カルシウム拮抗薬の[[wikipedia:ja:ニトレンジピン|ニトレンジピン]]を用いたSyst-Eur試験では、高血圧患者の認知症の発症抑制が示されている。80歳以上の高齢者を対象とするHYVET -cog試験では、ACE阻害薬、利尿薬の認知症抑制効果は認めなかったが、HYVET -cog試験を含む過去4試験のメタ解析では認知症が13%減少している<ref name="ref5"><pubmed>18614402</pubmed></ref>。[[アンギオテンシンII]]は[[アセチルコリン]]の遊離抑制に作用するため、[[レニンアンギオテンシン系]](RAS)抑制薬には[[コリン系]]の賦活効果があり、認知症への効果も期待される。血管性認知症では微小出血(Microbleeds)を伴い易く、特にその多発例では出血性リスクが危惧される。大血管の高度狭窄を伴う場合は別にして、抗[[wikipedia:ja:血小板|血小板]]を行う場合は厳格な血圧管理下のもとで[[wikipedia:ja:シロスタゾール|シロスタゾール]]のような出血性合併症の少ない薬剤が望ましい。 <br />
<br />
アセチルコリンエステラーゼ阻害薬の[[ドネペジル]]、[[ガランタミン]]、[[リバススチグミン]]、[[NMDA型グルタミン酸受容体]]拮抗薬の[[メマンチン]]が有効とする報告があるが、わが国では認められていない。[[wikipedia:ja:釣藤散|釣藤散]]は血管性認知症の認知機能改善効果がある。また、[[wikipedia:ja:八味地黄丸|八味地黄丸]]で血管性認知症や混合型認知症、アルツハイマー病患者に対して認知機能とADLの改善が報告されている。意欲・自発性の低下には[[塩酸アマンタジン]]、[[ニセルゴリン]]が有用である。[[三環系抗うつ薬]]は血圧変動のため白質病変を増悪する可能性や抗コリン作用の問題があり、抑うつには[[選択的セロトニン再取り込み阻害剤]](selective serotonin reuptake inhibitor, SSRI)や[[セロトニン-ノルアドレナリン再取り込み阻害剤]](serotonin-noradrenaline reuptake inhibitor, SNRI)を用いる。脳血管障害後遺症によるめまいには[[イブジラスト]]が有効である。血管性認知症の進行期には、嚥下障害が進行して誤嚥性肺炎をきたし易くなる。ACE阻害薬は咳漱反射を亢進させ誤嚥性肺炎の予防に有効である。また、塩酸アマンタジン、シロスタゾールも脳内[[ドーパミン]]、[[サブスタンスP]]を増加させるため、誤嚥性肺炎の予防に用いられる。<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
<br />
<references /></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E5%B0%8F%E8%83%9E%E4%BD%93%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%B9&diff=37042
小胞体ストレス
2017-01-09T10:49:49Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">浅田 梨絵、[http://researchmap.jp/kazu0321 今泉 和則]</font><br><br />
''広島大学 医歯薬学総合研究科''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2012年3月21日 原稿完成日:2014年2月20日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446/ 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
英語名:endoplasmic reticulum stress 独:endoplasmic reticulum-Belastung 仏:stress du reticulum de l'endoplasmic <br />
<br />
同義語:[[ER]]ストレス <br />
<br />
{{box|text=<br />
小胞体ストレスとは、[[wikipedia:JA:小胞体|小胞体]]内腔に[[wikipedia:JA:タンパク質構造|高次構造]]の異常な[[wikipedia:JA:タンパク質|タンパク質]]や正常な修飾を受けていないタンパク質が蓄積した状態のことである。このようなタンパク質は、折りたたみ不全タンパク質(unfolded protein)と呼ばれ、小胞体内の[[カルシウム]]枯渇、細胞への[[酸化ストレス]]、変異タンパク質の発現、低[[wikipedia:JA:グルコース|グルコース]]状態や[[wikipedia:JA:低酸素|低酸素]]状態など、様々な生理的[[ストレス]]によって生じる<ref><pubmed> 14729177 </pubmed></ref><ref><pubmed> 18650916 </pubmed></ref>。またストレス要因がなくとも、[[分泌]]細胞のように小胞体の処理能力を超えるタンパク質が小胞体内に輸送される場合にも生じる。小胞体ストレスは細胞にダメージを与えるため、細胞にはこれを回避するシステムが備わっており、小胞体[[ストレス応答]](Unfolded protein response; UPR)と呼ばれる<ref><pubmed> 15603751 </pubmed></ref><ref><pubmed> 12438433 </pubmed></ref><ref><pubmed> 12438434 </pubmed></ref>。小胞体ストレス応答が正常に機能しない場合や、回避能力を超える過度の小胞体ストレスが負荷された場合、[[アポトーシス]]により細胞は死に至る<ref><pubmed> 10638761 </pubmed></ref><ref><pubmed> 10650002 </pubmed></ref>。 <br />
}}<br />
<br />
== 小胞体ストレス応答 ==<br />
[[Image:図1. 小胞体ストレス応答.jpg|thumb|right|300px|'''図1.小胞体ストレス応答''']]<br />
<br />
小胞体ストレス応答は、[[wikipedia:JA:酵母|酵母]]から[[wikipedia:JA:哺乳類|哺乳類]]まで広く保存されたシステムである。小胞体ストレスが発生すると、細胞は以下の3つの応答を示す。<br />
#小胞体内に新たなタンパク質が輸送されないように[[wikipedia:JA:mRNA|mRNA]]の[[wikipedia:JA:翻訳|翻訳]]を抑制する<ref><pubmed> 11106749 </pubmed></ref><br />
#タンパク質の折りたたみ効率を上げるように小胞体分子[[wikipedia:JA:シャペロン|シャペロン]]の[[wikipedia:JA:転写|転写]]を誘導する<ref><pubmed> 10866666 </pubmed></ref><ref><pubmed> 9837962 </pubmed></ref><br />
#折りたたみ不全タンパク質自体を分解する[[wikipedia:Endoplasmic-reticulum-associated protein degradation|小胞体関連分解]] (ER-associated degradation; ERAD)を活性化する<ref><pubmed> 10893258 </pubmed></ref><ref><pubmed> 10847680 </pubmed></ref><br />
<br />
哺乳細胞において、折りたたみ不全タンパク質の小胞体内への蓄積は主に3つの小胞体ストレスセンサー([[wikipedia:EIF2AK3|PERK]]<ref><pubmed> 9930704 </pubmed></ref>、[[wikipedia:IRE1|IRE1]]<ref><pubmed> 10650002 </pubmed></ref><ref><pubmed> 11069889 </pubmed></ref>、[[wikipedia:ATF6|ATF6]]<ref><pubmed> 10866666 </pubmed></ref><ref><pubmed> 9837962 </pubmed></ref>)によって感知され、上述の応答が各ストレスセンサーから発信されるシグナルによって引き起こされる。以下に各ストレスセンサーの経路について述べる。 <br />
<br />
=== PERK(PKR-like endoplasmic reticulum kinase)経路 ===<br />
<br />
小胞体膜貫通型キナーゼであるPERKは、小胞体ストレスを感知するとオリゴマーを形成し、自己[[リン酸化]]によって活性化する。活性化したPERKは翻訳開始因子の一つである[[wikipedia:EIF2A|eIF2α]](eukaryotic initiation factor 2α)をリン酸化する。このリン酸化によってeIF2αは翻訳開始複合体を形成することができず、結果として細胞内のmRNAの翻訳が抑制される<ref><pubmed> 9930704 </pubmed></ref>。全般的に翻訳が抑制される中で、転写因子[[wikipedia:ATF4|ATF4]]は翻訳量が増加する<ref><pubmed> 11106749 </pubmed></ref>。ATF4の標的遺伝子には抗酸化反応やアポトーシス、PERK経路の負の制御に関連した遺伝子が存在する。<br />
<br />
=== IRE1 (Inositol requiring 1) 経路 === <br />
<br />
PERKと同じく小胞体膜貫通型キナーゼであるIRE1は、小胞体ストレスを感知するとダイマーを形成し、自己リン酸化によって立体構造を変化させ活性化する。活性化したIRE1は細胞質側に存在する[[wikipedia:JA:RNase|RNase]]ドメインによって基質である[[wikipedia:JA:転写因子|転写因子]][[wikipedia:XBP1|XBP1]] (X-box binding protein 1) mRNA (unspliced XBP1 mRNA)の[[wikipedia:JA:スプライシング|スプライシング]]を行う<ref><pubmed> 11779465 </pubmed></ref><ref><pubmed> 11779464 </pubmed></ref><ref><pubmed> 11780124 </pubmed></ref>。スプライシングされたXBP1 mRNA (spliced XBP1 mRNA)の翻訳産物は、転写因子としての活性を持ったものであり、ERAD関連遺伝子や、小胞体分子シャペロン、酸化還元酵素、小胞体膜合成関連遺伝子の転写を促進する<ref><pubmed> 14559994 </pubmed></ref><ref><pubmed> 19247368 </pubmed></ref><ref><pubmed> 15345222 </pubmed></ref>。<br />
<br />
=== ATF6 (Activating transcription factor 6) 経路 ===<br />
<br />
[[CREB]] / ATFファミリーに属する膜結合型転写因子であるATF6は、小胞体ストレスを感知すると[[wikipedia:JA:ゴルジ装置|ゴルジ装置]]へ輸送され<ref><pubmed> 9837962 </pubmed></ref><ref><pubmed> 10564271 </pubmed></ref>、[[wikipedia:JA:Membrane-bound transcription factor peptidase, site 1|プロテアーゼS1P]](site-1 protease)と[[wikipedia:Membrane-bound_transcription_factor_peptidase,_site_2|S2P]]によって膜内切断を受ける<ref><pubmed> 11163209 </pubmed></ref>。その後、DNA結合能を有する[[wikipedia:JA:bZIP domain|bZIPドメイン]]を含んだ断片が核内へ移行し、転写因子として機能する。標的遺伝子には、小胞体分子シャペロン、ERAD関連遺伝子、そしてXBP1がある<ref><pubmed> 11779464 </pubmed></ref>。 <br />
<br />
これらに加え、ATF6と構造的に類似するOASISファミリー([[wikipedia:CREB3|LUMAN]]/CREB3<ref><pubmed> 15845366 </pubmed></ref><ref><pubmed> 16940180 </pubmed></ref>、[[wikipedia:CREB3L1|OASIS]]/CREB3L1<ref><pubmed> 15665855 </pubmed></ref>、[[wikipedia:CREB3L2|BBF2H7]]/CREB3L2<ref><pubmed> 17178827 </pubmed></ref>、[[wikipedia:CREB3L3|CREBH]]CREBH/CREB3L3<ref><pubmed> 11353085 </pubmed></ref>、[[wikipedia:CREB3L4|CREB4]]/AIbZIP/CREB3L4<ref><pubmed> 15938716 </pubmed></ref><ref><pubmed> 16236796 </pubmed></ref>)が小胞体ストレスセンサーとして知られている。これら5つのストレスセンサーは3つの主要ストレスセンサー(PERK、IRE1、ATF6)がユビキタスに発現しているのに対し、それぞれが特徴的な組織分布を示す。また転写ターゲットも主要センサーとは異なる。<br />
<br />
== 小胞体ストレスと疾患 ==<br />
<br />
小胞体ストレスが関わる神経系疾患について下に示す。 <br />
<br />
===パーキンソン病 ===<br />
<br />
[[Image:図2. パーキンソン病.jpg|thumb|right|300px|'''図2.パーキンソン病''']] <br />
<br />
[[パーキンソン病]]は[[黒質]][[ドーパミン]]神経が選択的に変性する神経変性疾患のひとつである。家族性パーキンソン病のひとつである常染色体劣性家族性パーキンソン病では[[Parkin]]遺伝子が欠損することによって神経細胞死が起こり疾患につながる<ref><pubmed> 10888878 </pubmed></ref><ref><pubmed> 10973942 </pubmed></ref>。Parkinは[[ユビキチンリガーゼ]]の一種で、これまでに10種類以上の基質タンパク質が報告されている。その中でもパーキンソン病の発症に関わる因子としてPeal受容体がある。[[Peal受容体]]は[[エンドセリン]]受容体Bと約50%の相同性をもつ[[Gタンパク質共役受容体]]であるが、その[[リガンド]]はまだ同定されていない。Peal受容体は複数回膜を貫通するタンパク質で小胞体内の折りたたみが難しいタンパク質のひとつであると考えられている。折りたたまれないでミスフォールドされたPeal受容体はParkinによって[[ユビキチン]]化され、ERADによって分解される。Parkinが欠損する患者ではミスフォールド化したPeal受容体がERADの系で分解されず、ミスフォールドのまま小胞体に蓄積し小胞体ストレスを引き起こすことが示唆されている<ref><pubmed> 11439185 </pubmed></ref>。Peal受容体は中枢神経系では[[オリゴデンドロサイト]]に広く分布しているが、神経細胞では黒質ドーパミンニューロンに発現している。パーキンソン病で障害を受けやすい黒質ドーパミンニューロンがPeal受容体を発現していることは、本疾患で小胞体ストレスが発症に密接に関わる重要な根拠になっている。 また、パーキンソン病患者の神経細胞内レビー小体の構成成分である[[α-シヌクレイン]](α-Syn)はリン酸化修飾を受けており、これによって小胞体―[[ゴルジ装置]]間輸送が抑制される<ref><pubmed> 16794039 </pubmed></ref><ref><pubmed> 18162536 </pubmed></ref>。その結果、小胞体内に未成熟なタンパク質が蓄積して小胞体ストレスを誘発する<ref><pubmed> 17986870 </pubmed></ref>。パーキンソン病は[[wikipedia:ja:ミトコンドリア|ミトコンドリア]]の機能障害も生じているが、α-Synによる一連の反応はミトコンドリアの機能障害の発生前に起こることが示唆されている<ref><pubmed> 18562315 </pubmed></ref>。<br />
<br />
===ポリグルタミン病 === <br />
<br />
[[Image:図3. ポリグルタミン病.jpg|thumb|right|300px|'''図3.ポリグルタミン病''']] <br />
<br />
[[ポリグルタミン病]]は、原因遺伝子の翻訳領域内にあるポリグルタミンをコードする[[CAGリピート]]が異常に伸張することによって発症する一群の優性遺伝神経変性疾患である。この中には[[ハンチントン舞踏病]]、[[球脊髄性筋萎縮症]]、[[Machado-Joseph病]]、[[脊髄小脳変性症]]などが含まれる。ポリグルタミンを培養細胞に強制発現させると、細胞質内に凝集し始める。過剰なポリグルタミンを分解するために[[プロテアソーム]]が活性化するが、大量のポリグルタミンの処理に伴ってプロテアソーム活性が減弱し、結果的に小胞体ストレス応答に必要なERADが障害され小胞体ストレスが惹起される<ref><pubmed> 12050113 </pubmed></ref>。ERADが障害されて細胞死に至る過程にはIRE1-[[wikipedia:TRAF2|TRAF2]]-[[wikipedia:Ask1|Ask1]]-[[wikipedia:JNK|JNK]]経路が関わり、Ask1をノックアウトした細胞ではポリグルタミンによる細胞死が抑制される。<br />
<br />
===アルツハイマー病 ===<br />
<br />
[[Image:図4. アルツハイマー病.jpg|thumb|right|300px|'''図4.アルツハイマー病''']] <br />
<br />
[[アルツハイマー病]]患者の脳では、不溶化した[[アミロイドβ]](Aβ)が神経細胞の間隙に蓄積してできた[[老人斑]]と、神経細胞内に細線維が束をなして凝集する[[神経原線維変化]][[リンクの名前]]が特徴的な病理変化として観察される。病変が見られる領域、特に[[大脳皮質]][[連合野]]および[[海馬]]・[[扁桃体]]などの[[辺縁系]]の神経細胞は死滅脱落し、さらに進行すると脳の萎縮につながる。家族性アルツハイマー病(FAD)の原因遺伝子として[[アミロイド前駆体タンパク質]](APP)、[[プレセニリン]]1(PS1)、プレセニリン2(PS2)が同定されている。このうちPS1変異で起こるケースが大半を占めている。変異PS1は小胞体ストレスセンサーの活性化を阻害することで小胞体ストレス感受性を亢進させて神経を細胞死に導く<ref><pubmed> 10587643 </pubmed></ref><ref><pubmed> 11331887 </pubmed></ref>。 一方、孤発性アルツハイマー病(SAD)はPERK-eIF2α経路<ref><pubmed> 16691116 </pubmed></ref><ref><pubmed> 19264902 </pubmed></ref>や[[ユビキチンリガーゼ]][[wikipedia:HRD1|HRD1]]などがその発症に関わることが示唆されている<ref><pubmed> 20237263 </pubmed></ref>。<br />
<br />
===筋萎縮性側索硬化症 ===<br />
<br />
[[Image:図5. 筋萎縮性側索硬化症.jpg|thumb|right|300px|'''図5.筋萎縮性側索硬化症''']] <br />
<br />
[[筋萎縮性側索硬化症]](ALS)は、[[運動ニューロン]]の選択的神経細胞死が起こる疾患である。家族性ALSの原因遺伝子のひとつに[[SOD1]]の変異が知られている。変異型SOD1はERADの構成因子である[[Derlin-1]]と特異的に結合し、ERAD経路を阻害する。その結果、ERAD経路により分解されないタンパク質が小胞体内に蓄積して小胞体ストレスを引き起こす<ref><pubmed> 18519638 </pubmed></ref>。 <br />
<br />
<br />
神経系疾患のみならず、[[wikipedia:JA:糖尿病|糖尿病]]、[[wikipedia:JA:肥満|肥満]]、[[wikipedia:JA:骨代謝疾患|骨代謝疾患]]、[[wikipedia:JA:癌|癌]]など様々な疾患と小胞体ストレスの関わりが報告されており、疾患を理解する上で小胞体ストレスとその応答系の全貌解明が望まれる。<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
<br />
<references /></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%97%87&diff=37041
認知症
2017-01-09T10:47:58Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/bakakyoudai 松村 晃寛]、[http://researchmap.jp/phoca 川又 純]、[http://researchmap.jp/read0012356 下濱 俊]</font><br><br />
''札幌医科大学 医学部 神経内科学講座''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2016年2月5日 原稿完成日:2016年月日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
英:dementia, major neurocognitive disorder 独:Demenz 仏:démence<br />
<br />
同義語:痴呆、呆け、耄け、老耄、耄碌 (いずれも現在では歴史的名称であり、科学的用語として今日用いるべきではない)<br />
<br />
{{box|text= 認知症は、一度正常に達した認知機能が意識清明下で後天的に低下し日常生活や社会生活に支障をきたす状態を言う。原因疾患はアルツハイマー病などの神経変性疾患の他、血管性認知症、慢性硬膜下血腫、正常圧水頭症、脳腫瘍、感染症、各種内科疾患、薬物中毒など多彩である。高齢化の進展に伴い患者数は増加しており、また有効な根治療法が確立していないケースが多く経済的、社会的観点からも重大な課題となっている。<u>(編集部コメント:名称に関する議論は、イントロに詳しいので、省きました。1段落で全体に対する要約をお願いいたします)</u>}}<br />
<br />
== 認知症とは ==<br />
=== 背景 ===<br />
認知症は概ね、[[意識]]正常下で[[認知機能]]が後天的に持続性に低下し、それにより日常生活・社会生活の障害をきたす疾患と捉えられている。近年、世界的な高齢化の進展に伴い増加している。その多くは病因未解明の[[神経変性疾患]]である[[アルツハイマー病]]が占めており、有効な根治療法が確立していないケースが多い。認知症ケアに要する経済的コストは2010年時点で全世界において6000億ドル以上と試算され、2030年には1兆ドルにものぼると推計されている<ref>'''Prince M, Albanese E, Guerchet M, Prina M, Prince M, et al.'''<br>World Alzheimer Report 2014<br>''Alzheimer's disease|Alzheimer's Disease International (London)'': 2014</ref>。このように、高齢化が進む世界において認知症患者の増加は経済的、社会的観点からも重大な課題となっている。<br />
<br />
=== 歴史的推移 ===<br />
本邦において本概念は古来、「呆ける、惚ける、耄ける(ぼける、ほける、ほうける)」「老い痴らふ(おいしらふ)」などの一般語で表わされ、少なくとも平安時代以降の文学などにおいて記載が散見される。江戸時代には広義に「老化による衰え」というニュアンスを含む「耄碌(もうろく)」という一般語が使用されるようになる。一方、医学用語としては、江戸時代の医師である[[wj:浅井貞庵|浅井貞庵]]の著書「[[wj:方彙口訣|方彙口訣]]」や[[wj:本間棗軒|本間棗軒]]の著書「[[wj:内科秘録|内科秘録]]」の中に「[[健忘]]」の語が認められる。[[wj:江戸時代|江戸時代]]末期から[[wj:明治時代|明治]]初期にかけて様々な西洋医学用語が日本語に訳されたが「dementia」については1872年(明治5年)の「[[wj:医語類聚|医語類聚]]」では「狂ノ一種」と訳され、以後も「痴狂」や「瘋癩」「痴呆」など様々に訳され一定しなかった。その後、1908年(明治41年)、東京帝国大学精神病学講座の[[wj:呉秀三|呉秀三]]教授が「狂」の文字を避ける観点から「痴呆」の使用を提唱し、それが一般化した。しかし、徐々に「痴呆」という用語における差別感・侮蔑感・不適切感が指摘されるようになり、[[wj:厚生労働省|厚生労働省]]における議論や検討会を経て、2004年末に公的な用語としてはそれまでの「痴呆」を「認知症」と呼び変えることが決定した。一方、人間が外界の情報を内部に[[取り入れ]]る知的機能・現象を表わす「認知」という言葉の後に「〜の状態」という意味の「症」を続けるのは日本語として意味が不明であり、不適切であると言う議論も出ている。<br />
<br />
== 診断 ==<br />
=== 診断基準 ===<br />
認知症の診断基準のうち、国際的に広く用いられているものとしては[[wikipedia:ja:世界保健機関|世界保健機関]]による[[ICD-10]]や、[[wikipedia:ja:米国精神学会|米国精神学会]]による[[DSM-Ⅲ]]、[[DSM-Ⅳ]]-TRおよび2013年5月に公開された[[DSM-5]]などが挙げられる。<br />
<br />
ICD-10は1990年の第43回世界保健総会において採択された「疾病および関連保健問題の国際統計分類(International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems)」第10版であり、dementiaを「脳疾患により慢性(6ヶ月以上)あるいは進行性に[[記憶]]、[[思考]]、[[見当識]]、[[理解]]、[[計算]]、[[学習能力]]、[[言語]]、[[判断]]を含む高次皮質機能障害を示す症候群で、意識は清明である」としている。ICD-10における認知症の具体的な診断基準の要約を'''表1'''に示す。2017年にはICD-11が制定・公表される予定である。<br><br />
<br />
{| cellspacing="1" cellpadding="1" border="1" width="949" height="20""<br />
|+ '''表1.ICD-10による認知症の診断基準の要約''' <br />
| G1.以下の各項目を示す証拠が存在する。<br />
1) 記憶力の低下<br><br />
新規情報についての記憶力が低下し、重症例では過去に学習した情報の[[想起]]も障害される。可能であれば客観的に確認する。<br><br />
2) 記憶以外の認知機能の低下<br><br />
計画・整理といった判断や思考に関する能力、および情報処理全般の悪化があり、従来の能力水準からの悪化を可能であれば客観的に確認する。<br />
|-<br />
| G2.周囲の環境に対する認識がG1の症状を明確に証明するのに十分な期間、保たれている(すなわち[[意識混濁]]は存在しない)。[[せん妄]]のエピソードが重なっている場合は認知症の診断は保留する。<br />
|-<br />
| G3.[[情動]]コントロールや意欲の低下、社会行動の変化など以下の1項目以上を認める。<br><br />
1) [[情動不安定]]<br><br />
2) [[易怒性]]<br><br />
3) [[無気力]]<br><br />
4) [[社会行動の粗雑化]]<br><br />
|-<br />
| G4.診断確定にはG1症状が6ヶ月以上存在していることが必要。それより短い期間の場合は暫定診断とする。<br />
|}<br />
<br />
<u>(編集部コメント:DSM各版の比較は、概念の歴史的変遷を俯瞰するのには良いかもしれませんが、記事の長さも限られているのでDSM−5を除いて省いてはと思います。)</u><br />
<br />
DSM-Ⅲは1980年出版の「[[精神障害]]の診断統計マニュアル(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)」第3版であり、1987年にはその改訂版であるDSM-Ⅲ-Rが出版されている。DSM-Ⅲ-Rにおける認知症の診断基準の要約を'''表2'''に示す。また1994年には第4版にあたるDSM-Ⅳが出版され、2000年にDSM-Ⅳ-TRとして改訂されている。DSM-Ⅳ-TRにおける認知症の診断基準の要約を'''表3'''に示す。<br><br />
<br />
{| cellspacing="1" cellpadding="1" border="1" width="550" height="20""<br />
|+ '''表2.DSM-Ⅲ-Rによる認知症の診断基準の要約''' <br />
| A.短期・[[長期記憶]]障害の明らかな証拠が存在する。<br />
|-<br />
| B.以下のうち少なくとも1項目以上を認める。<br><br />
1) 抽象的思考の障害<br><br />
2) 判断の障害<br><br />
3) 高次皮質機能の障害(失語、失行、失認、構成障害)<br><br />
4) 性格変化<br />
|-<br />
| C.上記A、Bにより仕事、社会生活、人間関係が損なわれる。<br />
|-<br />
| D.意識変容やせん妄が存在する場合には起こらない(除外項目)。<br />
|-<br />
| E.以下のどちらかの状況にある。<br><br />
1) 病歴、身体所見、検査などの証拠から器質的疾患が病因であると判断される。<br><br />
2) このような証拠がなくとも器質的疾患以外の状況が合理的に除外されている場合。<br />
|}<br />
<br><br />
<br />
{| cellspacing="1" cellpadding="1" border="1" width="602" height="20""<br />
|+ '''表3.DSM-Ⅳ-TRによる認知症の診断基準の要約''' <br />
| A.多彩な認知機能障害の発現として以下の2項目がある。<br><br />
1) 記憶障害(新規情報の学習や、過去に学習した情報の想起の障害)<br><br />
(a)[[即時記憶]]は数字の順唱、逆唱により、近時記憶は言葉や物品の遅延再生により評価する。<br><br />
(b)[[遠隔記憶]]は随伴者に確認可能な個人情報(誕生日や卒業年、結婚記念日など)もしくは被<br />
験者の教育レベル・文化背景に合った一般知識の質問により評価する。<br><br />
<br />
2) 以下の認知機能障害のうち1項目以上を認める。<br><br />
(a)失語(言語の障害)<br><br />
(b)失行(運動機能は障害されていないのに運動の遂行が障害される)<br><br />
(c)失認(感覚機能は障害されていないのに対象を認識もしくは同定できない)<br><br />
(d)[[遂行機能]](計画を立てる、組織化する、順序立てる、抽象化すること)の障害<br />
|-<br />
| B.上記A-1)、A-2)の認知機能障害各々が社会的もしくは職業的機能の著しい障害を引き起こし、病前の機能水準からの著しい低下を示す。<br />
|-<br />
| C.この障害はせん妄の経過中にのみ現れるものではない。<br />
|}<br />
<br><br />
これらの診断基準を踏まえ、本邦の認知症疾患治療ガイドライン2010では認知症を「一度正常に達した認知機能が後天的な脳の障害によって持続性に低下し、日常生活や社会生活に支障をきたすようになった状態を言い、それが意識障害のないときに見られる。」と定義している。<br><br />
他方、2013年に公表されたDSM-5ではdementiaという用語は消失し、代わりに「[[神経認知障害]]:neurocognitive disorders(ND)」と総称することを提唱している。dementiaという用語が廃止されたのは語源的に「de (without) + mentia (mind)」と構成されており、「mad」「crazy」「insane」「lunatic」など「狂」を意味する語と類義で差別的・侮蔑的なためとされる。認知症に該当するMajor NDの診断基準を'''表4'''に示す。<br><br />
<br />
{| cellspacing="1" cellpadding="1" border="1" width="680" height="20""<br />
|+ '''表4.DSM-5による認知症(major neurocognitive disorder)の診断基準の要約''' <br />
| A.1つ以上の認知領域(複雑性注意、遂行機能、学習と記憶、言語、[[知覚]]-運動、社会的認知)において過去の水準から明らかな認知の低下を来しているという以下に基づく証拠がある。<br><br />
1) 本人、本人を良く知る情報提供者、もしくは臨床医による認知機能の明らかな低下があるという懸念。<br><br />
2) できれば標準化された神経心理学的検査で記録される形で、それが無い場合は他の定量化された臨床的評価によって確認された認知機能の明らかな障害。<br />
|-<br />
| B.毎日の活動において認知機能障害が自立性を阻害している(例:請求書の支払いや服薬管理など日常生活における複雑な操作的活動に援助を要する)。<br><br />
|-<br />
| C.認知機能障害はせん妄の経過中にのみ起こるものではない。<br />
|-<br />
| D.認知機能障害は他の[[精神疾患]]ではうまく説明されない(例:うつ病、統合失調症)。<br />
|}<br />
<br />
DSM-5の変更点に対する本邦の対応は、major neurocognitive disordersが内容的に従来のdementiaと重なる部分が多いこと、またdementiaに対する用語が本邦ではすでに「痴呆」から「認知症」へと変更されており社会的にも受け入れられていることから、major neurocognitive disordersを「認知症」とすることが[[日本精神神経学会]] 精神科用語検討委員会 精神科病名検討連絡会にて承認されている。<br />
<br />
=== 鑑別診断 ===<br />
認知症と鑑別すべき疾患・病態としては、[[せん妄]]などの[[意識障害]]、[[抑うつ状態]]、[[統合失調症]]などが挙げられる。<br />
<br />
せん妄は症状に類似点も多く、各種診断基準においても除外項目に挙げられることが多いが、本質は意識障害であり急性発症である点、興奮や幻覚で発症することが多い点、日内変動が見られやすい点、数日から数週間で軽快することが多い点などが鑑別点として挙げられる。<br />
<br />
また認知症を呈する疾患の鑑別診断には、アルツハイマー病、[[レビー小体型認知症]]、[[前頭側頭葉変性症]]、[[嗜銀顆粒性認知症]]、[[進行性核上性麻痺]]、[[大脳皮質基底核変性症]]、[[ハンチントン病]]などの[[神経変性疾患]]が挙げられる他、[[脳血管障害]]による[[血管性認知症]]、慢性[[硬膜下血腫]]、[[正常圧水頭症]]、[[硬膜動静脈瘻]]、[[脳腫瘍]]、[[外傷性脳損傷]]、[[慢性外傷性脳症]]、[[Creutzfeldt-Jakob病]]やその他の感染症として[[HIV感染症]]、[[亜急性硬化性全脳炎]]、[[進行性多巣性白質脳症]]、[[神経梅毒]]、[[髄膜脳炎]]など多彩な脳・神経疾患が挙げられる。また上記以外にも[[パーキンソン病]]や[[多発性硬化症]]、[[筋萎縮性側索硬化症]]、あるいは[[神経ベーチェット]]や[[サルコイドーシス]]など全身性疾患の中枢神経症状においても認知症を合併する場合がある。さらに、[[wikipedia:ja:甲状腺機能低下症|甲状腺機能低下症]]などの内[[分泌]]疾患、[[wikipedia:ja:糖尿病|糖尿病]]、栄養異常([[wikipedia:ja:ビタミンB1|ビタミンB1]]や[[wikipedia:ja:ビタミンB12|B12]]低下)などの代謝疾患、[[wikipedia:ja:肝不全|肝不全]]や[[wikipedia:ja:腎不全|腎不全]]などの[[wikipedia:ja:臓器不全|臓器不全]]、[[アルコール]]や[[麻薬]]、その他薬物や金属、[[wikipedia:ja:一酸化炭素|一酸化炭素]]による[[wikipedia:ja:中毒|中毒]]など、各種身体疾患においても認知症は認められ、鑑別の範囲は非常に多岐に渡る。主な鑑別疾患の病態や特徴を表6にまとめた。<br />
<br />
=== 検査 ===<br />
認知症であるか否か、あるいは認知症性疾患であるとしてどのような診断であるのか、以下のような検査が必要になる。<br />
==== 神経心理検査 ====<br />
認知症であるか否かのスクリーニング検査のうち、質問式の方法としては本邦では[[長谷川式認知症スケール]](Hasegawa's dementia scale-revised:HDS-R)や[[mini-mental state examination]](MMSE)が広く用いられる。<br />
<br />
:'''長谷川式認知症スケール''':1974年に作成された[[長谷川式簡易知能スケール]]の改訂版(1991年)であり、2004年の認知症への改称に伴い2005年から現在の名称になっている。9つの設問からなり最高点は30点満点で21点以上を正常、20点以下を認知症の疑いとする。<br />
<br />
:'''Mini-mental state examination''':国際的に最も広く使用されている方法で、11の設問からなる。最高点は30点満点で24点以上を正常、23点以下を認知症の疑いとしていたが、最近では27点以上を正常、22〜26点を軽度認知症の疑い、21点以下を認知症の疑いが強いとする基準も用いられる。<br />
<br />
他にも、より簡便なスクリーニング法として「10時10分もしくは8時20分を指す時計の文字盤を描かせる」[[clock frawing test]](CDT)や年齢、日付、生年月日などのみを質問する方法なども行われる。また長谷川式認知症スケールやmini-mental state examinationでは評価が困難な[[前頭葉]]機能の評価法として[[frontal assessment battery]](FAB)が挙げられる。これは6設問からなり最高点は18点満点でカットオフ値については諸説あり、11、12点を勧める報告<ref>'''前島 伸、種村 純、大沢 愛、川原田 美、関口 恵ら'''<br>高齢者に対するFrontal assessment battery(FAB)の臨床意義について.<br>''脳と神経'': 2006, 58; 207-11</ref>などが散見される。<br />
<br />
==== 血液検査 ====<br />
認知症が疑われた際に、認知症をきたす各種内科疾患とそれ以外の認知症疾患の鑑別に有用である。例えば、一般的な項目として[[wikipedia:ja:血算|血算]]、[[wikipedia:ja:血沈|血沈]]、肝機能、腎機能、[[wikipedia:ja:電解質|電解質]]、[[wikipedia:ja:血糖|血糖]]、[[wikipedia:ja:HbA1c|HbA1c]]、[[wikipedia:ja:脂質|脂質]]、[[wikipedia:ja:アンモニア|アンモニア]]、[[wikipedia:ja:甲状腺ホルモン|甲状腺ホルモン]]、ビタミンB1、B12、[[wikipedia:ja:葉酸|葉酸]]、[[wikipedia:ja:梅毒血清反応|梅毒血清反応]]、[[wikipedia:ja:動脈血ガス分析|動脈血ガス分析]]などが挙げられる。<br />
<br />
また悪性腫瘍の鑑別に各種[[wikipedia:ja:腫瘍マーカー|腫瘍マーカー]]、[[wikipedia:ja:自己免疫疾患|自己免疫疾患]]の鑑別に各種[[wikipedia:ja:自己抗体|自己抗体]]、感染症の鑑別には[[wikipedia:ja:HIV抗体|HIV抗体]]や[[wikipedia:ja:JCウイルス|JCウイルス]]、[[wikipedia:ja:麻疹ウイルス|麻疹ウイルス]]、[[wikipedia:ja:風疹ウイルス|風疹ウイルス]]抗体がそれぞれ役立つ。さらに中毒を疑う例では各種薬剤、特に[[抗精神病薬]]や金属、有機化合物などの血中濃度測定が有用である。一方、神経変性疾患であるアルツハイマー病においては血漿[[アミロイドβ]]([[Aβ]])についての検証がなされている<ref><pubmed> 9065558 </pubmed></ref><ref><pubmed> 9029078 </pubmed></ref>。<br />
<br />
==== 脳脊髄液検査 ====<br />
[[脳脊髄液]]検査は[[髄膜脳炎]]や[[くも膜下出血]]、各種[[神経免疫疾患]]、腫瘍性疾患などの鑑別に有用である。[[亜急性硬化性全脳炎]]においては脳脊[[髄液]][[wikipedia:ja:麻疹|麻疹]]抗体、進行性多巣性[[白質]]脳症ではJCウイルス[[DNA]] PCRが、Creutzfeldt-Jakob病では脳脊髄液[[14-3-3タンパク質]]や総タウタンパク質の測定がそれぞれ有用とされる。またアルツハイマー病では脳脊髄液中の[[タウ]]タンパク質やAβが検証され、近年注目されている。<br />
<br />
==== 画像検査 ====<br />
画像検査のうち[[CT]]、[[MRI]]、[[MRA]]は脳血管障害、慢性[[硬膜]]下血腫、正[[常圧]]水頭症、硬膜動静脈瘻、脳腫瘍、髄膜脳炎、多発性硬化症などの診断に有用である。MRIの拡散強調画像はCreutzfeldt-Jakob病の病変描出能に優れる。またMRIは神経変性疾患における脳の形態学的変化の描出にも優れ、近年では[[voxel-based morphometry]](VBM)が発達している。これは各個人の脳の形態情報を標準化し、健常標準脳の形態と比較してvoxel単位で統計学的に脳の萎縮を評価する手法である。アルツハイマー病における[[海馬]]や[[海馬傍回]]の評価などに用いる。<br />
<br />
[[脳血流SPECT]]は主に[[123I-IMP|<sup>123</sup>I-IMP]]や[[99mTc-ECD|<sup>99m</sup>Tc-ECD]]を核種として用い、特に神経変性疾患においては形態学的変化をきたす以前の異常を検出しうる検査法として重要視されている。かつては評価において客観性に欠けることが指摘されていたが、近年では[[statistical parametric mapping]](SPM)、[[three-dimentional stereotactic surface projection]](3D-SSP)、[[easy Z-score imaging system]](e-ZIS)などの画像統計解析手法が発達し、課題が克服されている。<br />
<br />
保健適応外の臨床研究領域では、アルツハイマー病において[[陽電子断層撮像法#脳機能計測|FDG-PET]]で側頭葉内側や[[頭頂-側頭連合野]]、[[帯状回]]後部などにおける糖代謝低下が指摘される。また近年、[[11C-PIB|<sup>11</sup>C-PIB]]や[[FDDNP]]、[[BF-227]]などを核種とした[[陽電子断層撮像法#様々なPETプローブとその応用|アミロイドイメージング]]によりアルツハイマー病における[[老人斑]]の検出が非侵襲的に可能になり注目されている。<br />
<br />
== 病態生理 ==<br />
認知症の原因疾患は非常に多岐にわたるため、個々の疾患の病態生理について本項目に記すことは困難である。認知症の診断基準・定義は先述の通り種々あるが、概ね意識清明下で後天的に認知機能が過去の水準より低下した状態を包含する。必ずしも認知機能障害イコール認知症ではないが、認知機能障害は認知症の構成要素であるとはいえる。認知機能は「情報を脳内に取り入れ、各種処理過程を経て表出するまでに関わる脳の全機能」と考えられ、各認知機能はそれぞれ大脳の特定の部位に局在し、脳の障害部位により特徴的な認知機能障害を呈する。また、脳疾患における認知機能障害は局在の他に疾患に特有のメカニズムが関与する場合もある。そこで、認知機能障害の病態生理について解剖学的見地と各種脳疾患ごとの見地から以下にそれぞれ記載する('''表5、6''')。<br />
<br />
<u>(編集部コメント:次は表にしました)</u><br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+ 表5.解剖学的見地からの病態生理<br />
!障害部位!!症状<br />
|-<br />
|'''[[前頭葉]]'''<br />
|[[失行]]、[[失語]]、[[性格変化]]、[[意欲]]・[[活動性]]低下、[[興奮]]、[[多幸感]]、[[無頓着]]、[[脱抑制]]、大食、[[注意力]]低下、[[記銘力]]障害、問題解決能力低下など<br />
|-<br />
|'''[[劣位半球]][[頭頂葉]]'''<br />
|[[半側身体失認]]や[[半側空間無視]]、[[構成失行]]、[[着衣失行]]、[[病態失認]]、[[地誌的記憶障害]]など<br />
|-<br />
|'''[[優位半球]]頭頂葉'''<br />
|[[観念失行]]や[[観念運動失行]]<br />
|-<br />
|'''優位半球[[角回]]'''<br />
|[[手指失認]]・[[左右識別障害]]・[[失算]]・[[失書]]を4徴とする[[Gerstmann症候群]]<br />
|-<br />
|'''[[側頭葉]]'''<br />
|[[Wernicke失語]]や[[嗅覚障害]]、[[聴覚失認]]、[[皮質聾]]、[[複合幻聴]]、[[Klüver-Bucy症候群]]、側頭葉内側の障害により[[記憶障害]]<br />
|-<br />
|'''[[後頭葉]]'''<br />
|[[半盲]]、[[皮質盲]]、[[視幻覚]]、[[視覚保続]]、[[視覚失認]]、[[純粋失読]]、[[Anton症候群]](視覚障害を否認)など<br />
|-<br />
|'''[[脳梁]]'''<br />
|左視野の[[失読]]や左手の[[失書]]・[[失行]]、[[道具]]の強迫使用、[[拮抗性失行]]([[離断症候群]])<br />
|-<br />
|'''[[大脳辺縁系]]<br>([[梁下回]]・[[帯状回]]・[[海馬傍回]]・[[鉤]]・[[扁桃体]]・[[海馬]]・[[歯状回]]・[[脳弓]]・[[中隔核]])''' <br />
|[[Papez回路]]や[[Yakovlev回路]]を含み、記憶や[[情動]]と関連する。両側海馬障害により[[近時記憶]]が、[[乳頭体]]病変では[[遠隔記憶]]が障害される。<br />
|-<br />
|'''[[視床]]'''<br />
|種々の感覚入力の中継点であり、視床核はPapez回路やYakovlev回路を構成するため、視床障害により記憶・情動障害が起こりえる。<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+ 表6.各種脳疾患ごとの見地から病態生理<br />
!疾患!!病態<br />
|-<br />
|'''アルツハイマー病'''<br />
|早期から海馬を中心とする[[側頭葉]]内側部、[[側頭頭頂移行部]]の萎縮がみられる。記憶障害がほぼ必発である。[[前頭連合野]]は比較的保たれるため初期からの[[人格]]変化は稀で礼節は保たれる。<br />
|-<br />
|'''レビー小体型認知症'''<br />
|[[脳血流SPECT]]において[[一次視覚野]]を含めた[[後頭葉]]から[[頭頂葉]]の血流低下を認め、[[幻視]]や視覚障害を呈するが初期の記銘力障害は目立たないことが多い。<br />
|-<br />
|'''前頭側頭葉変性症'''<br />
|多幸、脱抑制、異常行動、自発性の低下などが高頻度に認められる一方、[[妄想]]や幻視は少なく初期からの顕著な記憶障害、失語、視空間障害、失行・失認、[[構成障害]]は見られない。<br />
|-<br />
|'''嗜銀顆粒性認知症'''<br />
|側頭葉内側面の迂回回が[[嗜銀顆粒]]の好発部位であり、左右差を呈することが多く、物忘れを初発としつつ頑固さや易怒性、自発性低下など前頭側頭葉変性症に類似の症状を呈するが進行は緩徐である。<br />
|-<br />
|'''血管性認知症'''<br />
|病態、局在とも多様で不均一である。記憶力の割に人格や理解力などが保たれる[[まだら状認知症]]を呈し、階段状に進行する。<br />
|-<br />
|'''慢性硬膜下血腫''' <br />
|局所神経症状がなくとも認知機能障害を呈する場合があり、その機序として血腫による脳循環障害が考えられる。<br />
|-<br />
|'''正常圧水頭症'''<br />
|[[脳室]]拡大や正常範囲内での頭蓋内圧上昇をきたし、神経線維の直接圧迫や脳循環障害を介して種々の症状を呈する。タップ[[テスト]]により早期から反応がみられることから脳循環障害の要素が強いと思われる。注意障害や思考・反応・作業速度の低下、語想起能力低下、遂行機能障害など前頭葉機能中心の認知機能障害を呈する。<br />
|-<br />
|'''硬膜動静脈瘻''' <br />
|[[動静脈間シャント]]により動脈血流が静脈に流入し、脳静脈還流障害・浮腫などを呈し認知機能障害を発症する。[[大脳皮質]]のみならず、[[Galen大静脈]]へのシャントによる両側視床の局所血流障害でも発症する。<br />
|-<br />
|'''脳腫瘍''' <br />
|局在により多彩な症状を呈するが、認知症だけを呈する場合は前頭葉病変が多いとされる。[[前頭葉穹窿部]]が両側性に障害されると自発性の欠如が、[[前頭眼窩野]]が両側性に障害されると人格の変化がみられる。<br />
|-<br />
|'''外傷性脳損傷'''<br />
|頭部に対して物理的な衝撃が作用した結果起こる急性の脳損傷で、脳挫傷やびまん性[[軸索]]損傷を主体とし、これによる[[脳浮腫]]や[[脳循環障害]]などにより広範な脳機能障害が誘発される。<br />
|-<br />
|'''慢性外傷性脳症''' <br />
|頭部への外力を慢性的に受けることで脳の微小損傷が蓄積し、数年〜数十年後に様々な神経症状と認知機能障害を呈する。詳細な機序は不明だが病理学的にアルツハイマー病との類似性が指摘される。<br />
|-<br />
|'''Creutzfeldt-Jakob病''' <br />
|MRI拡散強調画像において大脳皮質、大脳基底核、視床に異常信号を認める。食欲不振、倦怠感、[[睡眠障害]]、[[頭痛]]、視覚障害から亜急性に認知症状が進行し、言語障害、性格変化や異常行動、[[小脳失調]]、[[錐体路]]・[[錐体外路徴候]]、[[ミオクローヌス]]を経て[[無動性無言状態]]に至る。<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
== 治療 ==<br />
認知症を呈する疾患のうち、まずは根治可能な疾患を鑑別し加療する。慢性硬膜下血腫や正常圧水頭症などは外科手術、内分泌・代謝疾患、感染症は内科的治療、薬剤誘発性のものは原因薬剤の中止を行う。他方、アルツハイマー病などの神経変性疾患、[[プリオン病]]、後遺障害の残存しやすい外傷性脳損傷や血管性認知症、ある種の脳腫瘍などは根治困難であり対症療法を検討する。認知症の症状は[[中核症状]]と[[周辺症状]](behavioral psychological symptoms of dementia:BPSD)に二分され、以下にそれぞれの特徴と治療・対処法について記載する。<br />
<br />
=== 中核症状 ===<br />
記憶障害、見当識障害、遂行機能障害、計算力低下など進行に伴い出現する普遍的症状を指す。<br />
<br />
==== アルツハイマー病の中核症状に対する対症療法 ====<br />
認知症の50%を占めるアルツハイマー病に対し本邦で承認されているのは[[コリンエステラーゼ]](cholinesterase:ChE)[[阻害薬]]と[[NMDA型グルタミン酸受容体|N-methyl-D-aspartate(NMDA)受容体]][[拮抗薬]]である。ChE阻害薬は「アルツハイマー病において[[Meynert核]]の[[アセチルコリン]]([[acetylcholine]]:[[ACh]])作動性神経細胞の脱落とACh合成系の活性低下が病態に関連する」という[[コリン]]仮説を基に開発され、[[シナプス]]間隙のACh量を増加させる。<br />
<br />
一方、NMDA型[[グルタミン酸受容体]]拮抗薬は「アルツハイマー病において、脳内[[グルタミン酸]]濃度の持続的上昇やNMDA型グルタミン酸受容体への[[アミロイド]]βの結合によりCa<sup>2+</sup>が細胞内に過剰流入し、[[シナプス後膜電位]]変化が増大して(シナプティックノイズ)記憶・学習の形成を阻害したり、[[酸化ストレス]]増大や[[神経細胞死]]を招く」という[[グルタミン酸仮説]]に基づき開発されている。本剤は持続性の病的な低濃度グルタミン酸刺激に対してはNMDA型グルタミン酸受容体に結合して過剰Ca<sup>2+</sup>流入による神経毒性を防ぐが、生理的な神経興奮による一過性の高濃度グルタミン酸刺激に対しては電位依存性にNMDA型グルタミン酸受容体から解離するため、正常な神経伝達や記憶形成には影響しない。'''表7'''に各薬剤の特徴を示す。<br><br />
<br />
{| cellspacing="1" cellpadding="1" border="1" width="850" height="20""<br />
|+ '''表7.アルツハイマー病治療薬の特徴''' <br />
! style="width:14%" | 一般名 !! style="width:12%" | 作用機序 !! style="width:14%" | 適応 !! style="width:23%" | 副次的効果 !! style="width:13%" | 剤型 !! style="width:12%" | 用法(回/日) !! style="width:12%" | 代謝・排泄<br />
|-<br />
! [[ドネペジル]]<br />
| rowspan="3" style="text-align:center"| ChE阻害剤 || style="text-align:center" | 軽〜重度AD || style="text-align:center" | なし || style="text-align:center" | 錠剤・散剤<br>口腔内崩壊錠<br>ゼリー剤等 || style="text-align:center" | 1 || rowspan="2" style="text-align:center" | 肝<br />
|-<br />
! [[ガランタミン]]<br />
| rowspan="2" style="text-align:center" | 軽〜中等度AD || style="text-align:center" | nACh受容体への<br>アロステリック(APL)作用 || style="text-align:center" | 錠剤 || style="text-align:center" | 2 <br />
|-<br />
! [[リバスチグミン]]<br />
| style="text-align:center" | BuChE阻害作用 || style="text-align:center" | 経皮吸収型製剤 || style="text-align:center" | 1 || rowspan="2" style="text-align:center" | 腎<br />
|-<br />
! [[メマンチン]]<br />
| style="text-align:center" | NMDA受容体拮抗薬 || style="text-align:center" | 中等度〜重度AD || style="text-align:center" | なし || style="text-align:center" | 錠剤 || style="text-align:center" | 1 <br />
|}<br />
<small>nACh:[[ニコチン性]]アセチルコリン(nicotic acetylcholine)、BuChE:[[ブチリルコリンエステラーゼ]](butyrylcholinesterase)、</small><br><br />
<small>VaD:血管性認知症(vascular dementia)、DLB:レビー小体型認知症(dementia with Lewy bodies)</small><br />
<br />
==== アルツハイマー病以外の認知症性疾患の中核症状に対する対症療法 ====<br />
血管性認知症では[[ドーパミン]]放出促進作用とNMDA受容体拮抗作用を有する[[アマンタジン]]が「脳梗塞後遺症に伴う意欲・自発性低下」に対し保険承認されている他、保険適応外の臨床研究でChE阻害剤が有効とする報告もある。<br />
<br />
外傷性脳損傷についてはこれも保険適応外だが、注意障害に対し[[メチルフェニデート]]やChE阻害剤、アマンタジンなどが有効との報告がある。<br />
<br />
レビー小体型認知症ではChE阻害剤にて認知機能や妄想、幻覚など臨床症状全般が改善したという報告があり本邦では2014年9月より[[アリセプト]]が承認されている。メマンチンも本邦未承認ではあるが[[ランダム化比較試験]]で改善が報告されている。しかし前頭側頭葉変性症など他の神経変性疾患や[[プリオン]]病は現状では有効な治療薬はない。<br />
<br />
=== 周辺症状===<br />
<u>(編集部コメント:略号の使用は極力避けておりますので、BPSDを周辺症状と致しましたが、よろしいでしょうか)</u><br />
<br />
かつて認知症の問題行動や異常行動とよばれた概念で行動症状と心理症状に二分される。前者は[[不穏]]、[[多動]]、[[徘徊]]、[[攻撃性]]、興奮、[[拒絶]]、[[拒食]]・[[異食]]、[[不潔行為]]、[[つきまとい]]、[[概日リズム障害]]、[[社会的逸脱行動|社会的]]・[[性的逸脱行動]]が、後者は抑うつや[[不安]]、[[アパシー]]、[[幻覚]]、[[妄想]]などがあげられる。認知症患者の約60〜90%が少なくとも1つ以上のBPSD症状を呈し、特に無関心、興奮、[[易刺激性]]、抑うつなどの頻度が高いとされる。<br />
<br />
==== ケアと環境整備による対応 ====<br />
周辺症状に対しては原因、誘因、状態を把握し、会話の仕方の工夫(短く簡潔に、穏やかに)や[[失禁]]・空腹など身体的問題への対処、不安の原因の除去、首尾一貫した対応、道具の工夫などまずはケア・環境整備により対応する。これらの対応で難しい場合には次の薬物療法を試みる。<br />
<br />
==== 薬物療法 ====<br />
ChE阻害剤など中核症状を改善する薬剤により周辺症状も軽減されることが多く、認知症疾患治療ガイドライン2010コンパクト版2012でも焦燥性興奮、攻撃性、脱抑制、体重減少、レビー小体型認知症における幻覚・妄想や[[REM睡眠期行動異常]](RBD)などに記載が見られる。また抑肝散など漢方療法も示唆される(詳細は後述)。<br />
<br />
[[抗精神病薬]]では[[非定型抗精神病薬]]が使われやすいが、米国食品衛生局(FDA)より「認知症高齢者の臨床治験において非定型抗精神病薬投与群はプラセボ投与群に比べ死亡率が増加する」という警告が出ており要注意である。2013年7月には「かかりつけ医のための周辺症状に対する[[向精神薬]]使用ガイドライン」が厚生労働省により公表されている('''表8''')。<br><br />
<br />
{| cellspacing="1" cellpadding="1" border="1" width="965" height="20""<br />
|+ '''表8.周辺症状に対する向精神薬治療''' <br />
! style="width:9%" | 分類 !! style="width:12%" | 作用機序など !! style="width:13%" | 薬物名 !! style="width:21%" | 想定される<br>認知症への使用 !! style="width:43%" | 特徴・注意点 !! style="width:2%" | 用量<br />
|-<br />
! rowspan="5" | 抗精神病薬<br />
| rowspan="2" style="text-align:center"| SDA || style="text-align:center" | [[リスペリドン]] || rowspan="5" style="text-align:center" | 焦燥、興奮、攻撃性<br>または精神病症状 ||・高血糖あるいは糖尿病を合併している場合は第1選択。<br>・DLBではパーキンソン症状の悪化を示しやすいため注意。 || style="text-align:center" | 0.5〜2.0mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center" | [[ペロスピロン]] || ・抗不安薬、眠前薬として使用可。<br>・高血糖/糖尿病合併例では慎重投与。 || style="text-align:center" | 4〜12mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center"| Loose binding || style="text-align:center" | [[クエチアピン]] || ・パーキンソン症状がある場合とDLBでは第1選択、眠前薬として使用可。<br>・高血糖/糖尿病合併例では禁忌。 || style="text-align:center" | 25〜100mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center"| MARTA || style="text-align:center" | [[オランザピン]] || ・眠前薬としては用いない。<br>・高血糖/糖尿病合併例では禁忌。 || style="text-align:center" | 2.5〜10mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center"| Dopamine partial agonist || style="text-align:center" | [[アリピプラゾール]] || ・眠前薬としては用いない。<br>・高血糖/糖尿病合併例では慎重投与。 || style="text-align:center" | 3〜9mg<br />
|-<br />
! rowspan="10" | [[抗うつ薬]]<br />
| rowspan="4" style="text-align:center"| [[SSRI]] || style="text-align:center" | [[フルボキサミン]] || rowspan="4" style="text-align:center" | うつ症状、FTDの脱抑制、<br>情動行動、食行動異常 ||・分3、食直後の服用<br>・開始時悪心や嘔吐が出現することあり<br>・高齢者では慎重投与 || style="text-align:center" | 25-75〜75-100mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center" | [[パロキセチン]] || ・うつ病とうつ状態では用量は右記。原則1週ごとに10mg/日ずつ増量<br>・高齢者では慎重投与(SIADH、出血のリスク増)<br>・分1、夕直後の服用<br>・開始時悪心や嘔吐が出現することあり || style="text-align:center" | 10〜40mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center" | [[セルトラリン]] || ・分1<br>・高齢者では慎重投与 || style="text-align:center" | 25〜50mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center" | [[エスシタロプラム]] || ・分1、夕食後<br>・QT延長例は禁忌<br>・肝機能障害、高齢者では10mgを上限が望ましい || style="text-align:center" | 10mg<br />
|-<br />
| rowspan="2" style="text-align:center"| [[SNRI]] || style="text-align:center" | [[ミルナシプラン]] || style="text-align:center" | うつ症状 ||・分3、[[MAO阻害薬]]との併用は禁忌<br>・[[前立腺]]疾患等合併例では尿閉が起きることあり || style="text-align:center" | 15〜60mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center" | [[デュロキセチン]] || style="text-align:center" | うつ症状、舌などの[[痛み]]<br>を訴える心気症状に<br>効果がある可能性あり || ・分1、夕直後の服用<br>・SSRI類似の消化器症状が出現することあり<br>・高度の肝・腎機能障害では禁忌<br>・高齢者では慎重投与 || style="text-align:center" | 20〜40mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center"| NaSSA || style="text-align:center" | [[ミルタザピン]] || style="text-align:center" | うつ症状、抗不安作用、睡眠障害の改善、食欲改善効果 ||・分1、眠気が出やすい、眠前投与<br>・高齢者では血中濃度上昇のリスクあり、慎重投与 || style="text-align:center" | 7.5〜30mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center"| 三環系 || style="text-align:center" | [[アモキサピン]] || style="text-align:center" | うつ症状<br>(SSRI無効時) ||・抗コリン作用、弱心毒性 || style="text-align:center" | 25〜75mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center"| 四環系 || style="text-align:center" | [[ミアンセリン]] || style="text-align:center" | せん妄、不眠 ||・弱抗コリン作用、鎮静効果<br>・心毒性なし、分1で眠前投与も可 || style="text-align:center" | 10〜30mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center"| 異環系 || style="text-align:center" | [[トラゾドン]] || style="text-align:center" | 焦燥、不眠<br />
||・抗コリン作用、心毒性なし<br>・眠気のため就寝前に投与も可<br>・1〜数回分服、高齢者では安全性未確立 || style="text-align:center" | 25〜100mg<br />
|-<br />
! rowspan="6" | [[抗不安薬]]/<br>睡眠導入薬<br />
|-<br />
| rowspan="4" style="text-align:center" | ω1[[GABA受容体|ベンゾジアゼピン受容体]]<br>[[作動薬]] || style="text-align:center" | [[ゾルピデム]] || rowspan="3" style="text-align:center" | 入眠障害 || rowspan="3" | 超短時間作用型 || style="text-align:center" | 5mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center" | [[ゾピクロン]] || style="text-align:center" | 7.5mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center" | [[エスゾピクロン]] || style="text-align:center" | 1〜2mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center" | [[クアゼパム]] || style="text-align:center" | 中途覚醒/早朝覚醒 || 長時間型、活性代謝物あり || style="text-align:center" | 15mg<br />
|-<br />
| style="text-align:center" | [[メラトニン受容体]]|| style="text-align:center" | [[ラメルテオン]] || style="text-align:center" | 入眠障害 || フルボキサミンとの併用は禁忌 || style="text-align:center" | 8mg<br />
|}<br />
<small>厚生労働省 かかりつけ医のためのBPSDに対応する向精神薬使用ガイドラインより改変引用</small><br><br />
<small>SDA:[[セロトニン]]・[[ドーパミン]]拮抗薬、DLB:レビー小体型認知症、MARTA:[[多受容体作用抗精神病薬]]</small><br><br />
<small>FTD:[[前頭側頭型認知症]]、SSRI:[[選択的セロトニン再取り込み阻害薬]]、SNRI:[[セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬]]、NaSSA:[[ノルアドレナリン作動性・特異的セロトニン作動性抗うつ薬]]</small><br><br />
<br />
=== その他の治療アプローチ ===<br />
==== 漢方療法 ====<br />
保険適応外ではあるが、最もエビデンスレベルが高いのは周辺症状に対する抑肝散である。本邦の認知症疾患治療ガイドライン2010コンパクト版2012にも記載があり、実臨床でも頻用されている。抑肝散には[[甘草]]が多く含まれるので、[[wikipedia:ja:偽アルドステロン症|偽アルドステロン症]]や[[wikipedia:ja:低カリウム血症|低カリウム血症]]に注意を要する。また他にも保険適応外ながら釣藤散、[[抑肝散加陳皮半夏]]や[[柴胡加竜骨牡蠣湯]]、[[黄連解毒湯]]、[[加味温胆湯]]、[[加味帰脾湯]]、[[八味地黄丸]]、[[当帰芍薬散]]など複数の漢方薬の報告がある。<br />
==== 日常生活動作障害への対応 ====<br />
認知症の初期には[[日常生活動作]](activities of daily living:ADL)のうち家事動作・服薬管理・買い物・電話・交通機関の利用など社会的活動に必要な、複雑で高度な手段的日常生活動作(instrumental ADL:IADL)から障害される。その後、中等度以降に進行すると食事・排泄・入浴・更衣・整容・移動などの基本的ADL(basic ADL:BADL)が障害される。IADL障害に対しては記憶の代償手段の活用(メモや日毎の内服分包、タイマー使用など)で対応する。症状が進行してBADL障害も出現するようになったら、「できるADL」を評価しながら段階的に介護量を調整し、安全面や負担も考慮して「していくADL」を検討する。また環境設定を統一し、同じ動作・方法を繰り返して[[手続き記憶]]を活用して学習したり、目印や着衣の容易な服への変更など環境整備により自立度を高める。<br />
<br />
==== 非薬物療法 ====<br />
認知機能、BPSD、ADLの改善を目指して行う。米国精神医学会の治療ガイドラインによると、標的とされるのは「認知」「刺激」「行動」「感情」の4つで、「認知」に関しては、見当識について他者とコミュニケーションをとりながら繰り返し学習する[[リアリティオリエンテーション療法]]、「刺激」については[[音楽療法]]などの各種[[芸術療法]]、「行動」に関しては行動異常を観察・評価して介入法を導き出すアプローチが、「感情」については過去の思い出について聞き手が受容・[[共感]]的に傾聴する[[回想法]]などが試みられる。また他にも[[認知刺激療法]]、[[運動療法]]などが試みられる。<br />
<br />
== 疫学 ==<br />
2014年の[[wj:国際アルツハイマー病協会|国際アルツハイマー病協会]]の報告によると、2013年時点での世界の認知症患者数は4400万人にものぼるとされ、疾患別内訳としてはアルツハイマー病が50-75%、血管性認知症が30-40%、前頭側頭葉変性症が5−10%、レビー小体型認知症が5%以下と記載されている。本邦においても厚生労働省研究班の調査により認知症患者数は2012年時点で460万人以上にのぼることが報告され、2025年には700万人にものぼると推計されている<ref>'''朝田 隆、泰羅 雅、石合 純、清原 裕、池田 学、et al.'''<br>都市部における認知症有病率と認知症の生活機能障害への対応.<br>''平成23年度-平成24年度総合研究報告書 : 厚生労働科学研究費補助金認知症対策総合研究事業'': 2013</ref><ref>'''二宮 利、清原 裕、小原 知、米本 孝'''<br>日本における認知症の高齢者人口の将来推計に関する研究.<br>''平成26年度総括・分担研究報告書 : 厚生労働科学研究費補助金厚生労働科学特別研究事業'': 2015</ref>。<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
<references/></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%84%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%BC%E7%97%85&diff=37040
アルツハイマー病
2017-01-09T06:29:42Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/cdg_tricot 井原 涼子]</font><br><br />
''東京大学大学院医学系研究科 神経内科学''<br><br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0170557 井原 康夫]</font><br><br />
''同志社大学 生命医科学部医生命システム学科''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2013年4月24日 原稿完成日:2013年10月19日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
英:Alzheimer's disease、英略語:AD 独:Alzheimer-Krankheit 仏:maladie d'Alzheimer<br />
<br />
{{box|text=<br />
多くは老年期に発症し緩徐に進行する、[[記憶障害]]を中心とした[[認知機能障害]]を主な症状とする認知症であり、[[認知症]]の中で最も多くを占める。病理学的に[[海馬]]をはじめとする[[大脳皮質]]の萎縮、組織学的には細胞外の[[老人斑]]と細胞内の[[神経原線維変化]]を特徴とする神経変性疾患である。<br />
}}<br />
<br />
==歴史==<br />
<br />
アルツハイマー病は、1906年にドイツの精神医学者[[wikipedia:ja:アロイス・アルツハイマー|アロイス・アルツハイマー]]によって初めて報告された。当時は認知症のほとんどは[[wikipedia:ja:梅毒|梅毒]]によると考えられていたが、初老期(presenile)に発症し、進行性に記憶障害と[[妄想]]を主徴とする認知症を呈し、剖検の結果病理学的に老人斑と神経原線維変化を認めた女性患者[[wikipedia:Auguste Deter|アウグステ・データー]]の病気をアルツハイマー病として分離した。しかし、最初の症例が40代後半~50代前半と若年発症であったことから(アルツハイマー医師による初診時51歳)、アルツハイマー病は初老期の認知症として、よくある[[老年期認知症|老年期(senile)認知症]]とは区別されていたが、1960年代に盛んに行われた臨床病理学的研究から、同一のものであるとの結論に至った。最初に記載された症例が若年発症だったことについて、病理スライドの再発見に伴い遺伝子検査が施行され、2012年に後述する家族性アルツハイマー病の原因遺伝子[[プレセニリン1]] (''[[PSEN1]]'')変異の保因者であったことが判明した。<br />
<br />
==臨床診断と病理診断==<br />
<br />
1984年のNINCDS-ADRDA(National Institute of Neurological and Communicative Disorders and Stroke & the Alzheimer's Disease and Related Disorders Association)によるアルツハイマー病の診断基準では、臨床診断基準を満たすものを「確からしいアルツハイマー病(probable Alzheimer's disease)」、それに加えて病理学的にアルツハイマー病理が確認された症例を「確実なアルツハイマー病(definite Alzheimer's disease)」と同一の病名を用いていたが、しばしば病理学的疾患単位として「アルツハイマー病」、臨床的疾患単位として「アルツハイマー型(老年期)認知症」と区別されて表記される。これは臨床と病理が1対1に対応しない、すなわち臨床的にアルツハイマー病の診断基準を満たすような認知症を呈する症例が必ずしも病理学的にアルツハイマー病ではないこと、また病理学的にアルツハイマー病理を呈するが生前認知症を呈さない症例があることによる。<br />
<br />
2011年に改訂されたNIA-AA(National Institute on Aging & Alzheimer's Association)による臨床診断基準では「アルツハイマー病による認知症(AD dementia)」、病理学的評価ガイドラインでは「アルツハイマー病」と記載されている。近年の[[wikipedia:ja:バイオマーカー|バイオマーカー]]の発達により、生前にアルツハイマー病理の有無を推測することがある程度可能となり、臨床診断と病理診断の垣根は低くなっている。<br />
<br />
===臨床的特徴===<br />
<br />
発症年齢は65歳以上が多く、80歳以降になると[[wikipedia:ja:指数関数|指数関数]]的に有病率が増大する。ただし85歳以上の超高齢者では[[argyrophilic grain disease]]や[[tangle-predominant dementia]](または[[tangle only dementia]])といった他の認知症性の変性疾患の割合が増えると考えられている。逆に全体の約3~5%を占める65歳未満の発症例を早発性ADと呼び、遺伝的素因を疑う。2000年頃の疫学調査では我が国の65歳以上のADの有病率は2~3%である(最近のデータでは10%に近い)。高齢化に伴い全世界的に有病者が増え続けており、2050年には有病率は85人に1人になると推測されている。<br />
<br />
典型的な経過としては、[[記銘力障害]]([[もの忘れ]])で発症し、進行と共に[[視空間認知]]など他の認知ドメインが障害され、徐々に日常生活の自立性が保てなくなる。さらに進行すると[[失行]]や[[失認]]、[[失語]]が見られるようになり、周囲への無関心さが目立ち、昼夜逆転、[[せん妄]]、[[失禁]]、[[徘徊]]が見られるようになる。[[大脳皮質]]が障害されることを反映して、時に[[てんかん]]を合併する。稀なケースとして、視空間認知障害や[[失行]]、[[失書]]といった[[頭頂葉]]症状で発症することがあり、臨床的に[[posterior cortical atrophy]]と称されるが、その多くは病理学的にADである。<br />
<br />
認知障害のみで認知症ではない(即ち日常的にもの忘れはあるが自立して生活できる)段階は、軽度認知障害(mild cognitive impairment、MCI)としてADとは区別するが、長い疾患の軌跡の一部を便宜的に区切った病名と考えることができる。<br />
<br />
検査所見としては、[[CT]]・[[MRI]]で初期は海馬の萎縮、進行性に[[頭頂葉]]の萎縮、次第にびまん性の大脳萎縮を認める。[[PET]]、[[SPECT]]では初期から[[後部帯状回]]~[[楔前部]]や頭頂葉の[[wikipedia:ja:糖代謝|糖代謝]]・血流低下を認める。検査異常はしばしば臨床症状に先行して出現する。<br />
<br />
===病理所見===<br />
[[ファイル:Ryokoihara-Figure1.png|thumb|350px|'''図1.AD患者脳'''(左:側頭葉皮質、右:海馬、Bielchowsky染色)<br /><br />
矢頭は典型的な神経原線維変化、矢印が老人斑。海馬に存在する老人斑は「dystrophic neurite」という特徴的な形態を呈している。]] 肉眼的には主に海馬と[[側頭葉]]内側を含み、次いで頭頂葉と[[前頭葉]]に強い大脳萎縮を認める。組織学的には、萎縮部位に一致して神経細胞脱落と反応性[[グリオーシス]]、老人斑(senile plaque)、神経原線維変化(neurofibrillary tangle, NFT)を認める。老人斑、NFTは本疾患に特徴的であるが、いずれも疾患特異的ではない。老人斑の中で最も神経損傷と密接に関連する、周囲に神経突起を伴うものを[[neuritic plaque]]と呼ぶ。また老人斑の主要構成成分[[βアミロイド]]([[Aβ]])の免疫組織化学により、[[アミロイド]]を検出するための[[wikipedia:ja:コンゴーレッド染色|コンゴーレッド染色]]では見えない斑まで検出することが可能となり、現在ではこれらのAβ斑すべてを老人斑と呼ぶことが多い。その中で、中心に核を持った斑をdense-core plaque、核を持たず淡く境界が不明瞭なものをdiffuse plaqueと呼び、後者が圧倒的に多数を占める。 NFTは神経細胞内に形成される糸くずが巻きついたような凝集体であるが、神経突起内(主に樹状突起の水平分枝)に凝集したものをneuropil threadと呼ぶ。[[神経細胞死]]の後にNFTだけが残されたものを、ghost tangleと表現する。<br />
<br />
ADの病理学的診断には、老人斑がどのような広がりであり(Thal phase)、神経原線維変化がどのような広がりであり(Braak NFT stage)、neuritic plaqueがどのような密度で存在するか(CERAD score)をスコア化することによって世界的に標準的な診断が可能である<ref><pubmed> 22265587 </pubmed></ref>。<br />
<br />
また[[アミロイドアンギオパチー]]が大部分の症例で見られる。これはAβが血管壁に蓄積することによる。<br />
<br />
==原因遺伝子とリスク遺伝子==<br />
<br />
===原因遺伝子===<br />
ADの約1%が常染色体優性遺伝形式の家族性ADである。これまでに原因遺伝子としてプレセニリン1(''PSEN1'')、[[プレセニリン2]](''PSEN2'')、[[アミロイド前駆タンパク質]](''APP'')の変異が同定されている。プレセニリン1・2は、後述する[[γセクレターゼ]]の構成分子であり、その活性中心を構成する。ほとんどの変異が浸透率100%である。<br />
<br />
====''PSEN1''====<br />
1995年にSherringtonらによって家族性AD家系から''PSEN1''の5つの変異が同定された<ref><pubmed> 7596406 </pubmed></ref>。現在までに、世界の各地域の350を超える家系から185の病的変異の報告がある。変異は遺伝子産物の全長にまたがるが、その多くは9つの膜貫通領域と第1・4・6ループ内に存在する。臨床的には、変異によっては失行や[[痙性対麻痺]]が目立つことがあり、病理学的には孤発例で見られるような核を有する老人斑やneuritic plaqueではなく、コンゴーレッドで染まらない綿花様の斑(cotton wool plaque)を特徴とする変異もある。<br />
<br />
====''PSEN2''====<br />
''PSEN1''と非常に相同性が高いが、[[wikipedia:ja:哺乳類|哺乳類]]神経細胞では''PSEN2''発現量は''PSEN1''に比して少なく、''PSEN1''よりも変異の報告は少ない。1995年にLevy-Lahadらが[[wikipedia:ja:ヴォルガ・ドイツ人|ヴォルガ・ドイツ人]]の7家系からPSEN2の変異を同定した<ref><pubmed> 7638621 </pubmed></ref>。現在までに13の病的変異の報告がある。変異によっては[[パーキンソニズム]]や[[幻覚]]を伴うものがある。<br />
<br />
====''APP''====<br />
1990年にLevyらにより[[wikipedia:ja:常染色体優性遺伝|常染色体優性遺伝]]形式のアミロイドーシスを伴う[[遺伝性脳出血]]Dutch typeの病因として21番染色体上の''APP''の変異が同定され<ref><pubmed> 2111584 </pubmed></ref>、翌1991年に早期発症の家族性ADの原因遺伝子として''APP''の変異が報告された<ref><pubmed> 1671712 </pubmed></ref>。これにより、21番染色体トリソミーの[[ダウン症候群]]で若年性に老人斑が出現する理由が''APP''の重複のためらしいと判明した。現在までに9の遺伝子重複と23の点突然変異と1の部分欠失(1アミノ酸欠失であるE693Δ;剖検例はなくADの亜型としてよいか不明だが、ホモ接合体は認知症を呈する)の報告がある。''APP''の遺伝子産物は全長770アミノ酸だが、点突然変異はC末端寄りの膜貫通部位近傍に集中しており、[[βセクレターゼ]]切断部位とγセクレターゼ切断部位付近の変異が多い。全ての変異がAβの配列内に位置するわけではない。最初に変異が同定された家系のように、変異によっては脳アミロイドアンギオパチーが前面に立つ。<br />
<br />
2012年にADや加齢による認知機能低下を生じにくい変異として、''APP'' A673T変異が報告された<ref><pubmed> 22801501 </pubmed></ref>。この変異の1/オッズ比(odds ratio、OR)は4.24と高い保護効果が推測されるが、極めて頻度の低い変異である。β切断部位近傍であり、β切断を受けにくくなることがアルツハイマー病の発症に保護的に働くと考えられている。<br />
<br />
===リスク遺伝子===<br />
AD発症に強力なリスク因子として''[[APOE]]''遺伝子多型が知られている。近年の[[Genome-wide association study]]([[GWAS]])により''APOE''以外にも複数の疾患関連遺伝子が同定されつつあるが、それらはリスクアレルのOR 1.11-1.38、防御アレルのOR 0.92-0.67であり、それらに比べると''APOE''のAD発症への影響は飛び抜けて高い<ref><pubmed> 17192785 </pubmed></ref>。<br />
<br />
====''APOE''====<br />
''APOE''にはε2、ε3、ε4のアレルがあり、アレル頻度は[[wikipedia:ja:コーカシアン|コーカシアン]]ではそれぞれ8%、78%、14%、[[wikipedia:ja:日本人|日本人]]ではそれぞれ4%、87%、9%との報告がある<ref><pubmed> 9343467 </pubmed></ref>。1993年に晩発性の孤発性ADおよび孤発性ADにおいて、''APOE'' ε4アレルが発症のリスクであると複数のグループから報告があった。コーカシアンと日本人の疫学調査によると、ε3/ε3と比較して、ε3/ε4のORは2.7-5.6、ε4/ε4のORは11.8-33.1である。一方、ε2は発症に対して保護的に働き、ε2/ε3のORは0.6-0.9である。apoEタンパク質はADの病態機序のあらゆる段階に作用するという実験データがある。その中で、apoEは[[分泌]]されたAβに結合し、アイソフォームごとにその結合能が異なることが示されており、それによってAβのクリアランスや凝集に関わるという説が重要視されているが、生理的環境下ではAβへの結合はわずかであるとのデータもあり議論の余地が残されている。また、''APOE'' ε4保因者では、アミロイド蓄積の前から脳のfunctional connectivityの破綻が見られることが示されており、Aβを介さない毒性も示唆されている<ref><pubmed> 23296339 </pubmed></ref>。<br />
<br />
==病態生理==<br />
ADの病態解明に向けての研究は、1980年代に生化学的手法により老人斑と神経原線維変化という2つの特徴的な構造物の主要構成成分がそれぞれAβと[[タウ]]と同定されたこと、1990年代に遺伝学的アプローチによって家族性ADの原因遺伝子''PSEN1''、''PSEN2''、''APP''が同定されたことにより急速に進んできた。<br />
<br />
===病態機序に関わる分子===<br />
====Aβの発見====<br />
1984年にアルツハイマー病の脳に見られる脳血管アミロイドーシス、1985年にはアルツハイマー病と共通の病理所見を呈する[[ダウン症]]脳の脳血管アミロイドーシスの沈着物質が未知の配列(Aβ)であることが示された。翌1985年にADおよびダウン症脳実質の老人斑の精製により、その主要構成成分がAβであることが判明した<ref><pubmed> 3159021 </pubmed></ref>。その後のクローニングとアルツハイマー病の原因遺伝子としての''APP''の発見により、''APP''の変異や重複によりAβ産生が増加するとADを発症すると考えられるようになった。<br />
<br />
細胞外に分泌されるAβには主に[[Aβ42]]と[[Aβ40]]があるが、AD脳の免疫組織化学から、老人斑の大部分はAβ42から構成され、またdiffuse plaqueはAβ42のみを含むことからAβ42は最初期に沈着することがわかり<ref><pubmed> 8043280 </pubmed></ref>、''APP''や''PSEN''の変異によるAβ42の比率の上昇が疾患発症につながる根拠が示された。<br />
<br />
====タウの発見====<br />
Aβに続いて、1985~1986年にかけて複数の研究グループにより神経原線維変化の主要構成成分が微小管結合タンパク質タウであり、さらに[[リン酸化]]されていることが明らかにされた。タウをコードする''[[MAPT]]''は1997年に[[進行性核上性麻痺]]の関連遺伝子(H1 haplotype)として、1998年に常染色体優性遺伝形式の17番染色体に連鎖する[[パーキンソン病]]を伴う[[前頭側頭型認知症]]の原因遺伝子として同定されたが、ADと関連する変異や多型は見つかっていない。<br />
<br />
====βセクレターゼ、γセクレターゼ====<br />
APPタンパク質は、まず管腔外(AβのN末端側)でβセクレターゼ、続いて膜貫通部位(AβのC末端側)でγセクレターゼによって切断されることによりAβが産生される。 βセクレターゼの正体は[[β-site APP cleaving enzyme 1]]([[BACE1]])という1回膜貫通型の[[アスパラギン酸プロテアーゼ]]である。γセクレターゼは、原因遺伝子としての''PSEN1''、''PSEN2''の発見により9回膜貫通型タンパク質のプレセニリンがγセクレターゼの活性中心を構成することがわかったが、プレセニリン単独では活性を持たず、[[ニカストリン]]、[[Aph-1]]、[[Pen-2]]とともに4量体を形成することによって初めて活性を持つことが分かった。γセクレターゼによってAβ40、Aβ42が産生されるが、''PSEN''の変異の中には総Aβ産生が上昇したり、凝集性の高いAβ42の産生比率を増大させるものがあるが、全ての変異について同様の効果が証明されているわけではない。γセクレターゼの切断は段階的切断(sequential cleavage)様式をとることが示されており、[[Aβ49]]→[[Aβ46]]→[[Aβ43]]→Aβ40と[[Aβ48]]→[[Aβ45]]→Aβ42→[[Aβ38]]という、3ペプチドごとに切断する(Aβ42→Aβ38のみ4ペプチド)2つの系列があることが推測されている<ref><pubmed> 19828817 </pubmed></ref>。Aβ42とAβ40の産生比率の違いが病態に関係すると考えられてきたが、トリペプチド仮説により酵素側だけでなく基質側にも関心が集まっている。<br />
<br />
===病態機序の仮説===<br />
====アセチルコリン仮説====<br />
分子生物学的手法の導入される前の1970年代の研究により、AD患者脳では、大脳の各部位で[[アセチルコリン#生合成|コリンアセチル転移酵素]] ([[[アセチルコリン#生合成|choline acetyltransferase]])の活性低下が観察された。また投射元の大脳基底部(主に[[マイネルト核]])の[[コリン]]作動性神経細胞の減少が示され、この減少こそが病態の中心であるとの説である。1990年前後から[[アセチルコリン]]仮説に基づきAD治療薬としてアセチルコリンを増加させる作用の[[アセチルコリン#代謝、分解|アセチルコリンエステラーゼ]][[阻害剤]]が開発された。現在では病態の本流ではなく、下流の現象であると考えられている。<br />
<br />
====アミロイドカスケード仮説====<br />
AD脳ではAβとタウの両方の蓄積を認めることから、どちらが先に起こる現象か、どちらが病態の中心にあるか、長年議論があった(”BAPtists” vs “TAUists”)。正常高齢者の病理学的な検討から、Aβの蓄積は認めるが神経原線維変化を認めない症例があること(逆の症例はない)、家族性ADの家系からAβ産生に関係する''APP''、''PSEN1''、''PSEN2''の変異が見つかったことから、Aβが上流であると考えられるようになった。<br />
<br />
アミロイドカスケード仮説とは、<br />
#''APP''や''PSEN1''、''PSEN2''の変異により、<br />
#Aβ42の産生と蓄積が増加し、<br />
#Aβのオリゴマー化と沈着が起こり、<br />
#Aβオリゴマーのシナプスへの毒性が惹起され、<br />
#シナプスや神経細胞傷害が起こり、<br />
#神経細胞内で恒常性が変化し、<br />
#キナーゼ活性が変化し、<br />
#神経原線維変化を生じ、<br />
#同時に神経細胞・神経突起の機能障害と遂には神経細胞死が起こり、<br />
#認知症を生じる<br />
<br />
という仮説である<ref><pubmed> 12130773 </pubmed></ref>。タウの毒性発揮には必ずしも神経原線維変化を伴わないと考えられており(神経原線維変化はむしろ保護的に働くと考えらえている)、8.は脇道である。<br />
<br />
孤発性ADをこの仮説に則って説明するために、孤発性ADでも何らかの要因によるAβの産生上昇、Aβ42比率の上昇、Aβのクリアランスの低下が想定されている。''APP''にAD抵抗性変異が見つかり、その変異はAβ産生を減少させる効果があることは、この仮説を支持するデータである。また、ADのモデルであるAPP[[トランスジェニックマウス]]でも、タウをノックアウトするとAβの蓄積があるにも関わらず認知機能障害が起こらなくなることも、ADの病態においてタウがAPPの下流にあることを支持する<ref><pubmed> 17478722 </pubmed></ref>。<br />
<br />
現在開発過程にあるADの病態に作用する疾患修飾薬(根本治療薬)の多くは、この仮説に基づいてAβの産生や蓄積に焦点を当てて開発されたものである。<br />
<br />
====オリゴマー仮説====<br />
Aβの細胞外への分泌は生理的状況でも行われており、主には[[ネプリライシン]]によりAβが分解されることによって平衡状態が保たれている。何らかの要因で過剰となった可溶性Aβは、最終的にミスフォールドされた不溶性の高い凝集体(老人斑)を形成する。アミロイドカスケード仮説が広く信じられるようになっても、この過程のどのAβ種が毒性発揮するかは謎のままであったが、Aβオリゴマーとモノマーを含むが線維体を含まない培養上清をラットの海馬に打ち込んだところ[[長期増強]]([[LTP]])が抑制されることを示した報告<ref><pubmed> 11932745 </pubmed></ref>以降、Aβオリゴマーの毒性を示した研究が相次ぎ、「Aβオリゴマーこそが毒性発揮の中心的役割を担う」と考えられるようになった。日本人の家族性認知症家系で同定された''APP'' E693Δ変異(Aβ配列内の22番目アミノ酸Eの欠失)は、臨床的にアミロイドPETで検出されたAβ沈着はごくわずかであり、培養細胞レベルではAβの分泌は著明に減る(細胞内に貯留する)が、線維体を形成せず主にダイマー~テトラマーを含むオリゴマーの形成が顕著に促進されることが示された<ref><pubmed> 18300294 </pubmed></ref>。またこの変異を有するAPP[[トランスジェニックマウス]]においても老人斑を形成しないが記憶障害を生じ、[[シナプス]]の変性やタウのリン酸化やグリオーシスや神経細胞死が生じていることが示された<ref><pubmed> 20371804 </pubmed></ref>。これはADの病態におけるオリゴマー化の重要性を支持するデータである。<br />
<br />
この仮説に基づいてオリゴマーを標的とした創薬も行われている。<br />
<br />
==バイオマーカーとpreclinical AD==<br />
<br />
[[バイオマーカー]]とは疾患の病態(病理変化)を反映する定量的な指標を意味する。診断や病期のステージングに用いられる。<br />
<br />
体液バイオマーカーには、ADの二つの特徴的な微細構造物、老人斑と神経原線維変化を反映するものとして、[[脳脊髄液]](cerebrospinal fluid, CSF)Aβとタウが用いられる。Aβの蓄積が始まるとCSF中のAβ42が減少し、Aβ42/40比率が低下する。また、タウの変化が始まるとCSF中の総タウ、リン酸化タウが上昇する。総タウは他疾患でも上昇するが、リン酸化タウの上昇はADに特異性が高い。血漿や血清AβではCSFを超える感度・特異度は得られていない。また画像バイオマーカーとしては、Aβ凝集を検出するアミロイドPET、シナプス機能障害を表す機能MRI、神経細胞傷害を反映した糖代謝低下を検出するFDG-PET、神経細胞死を反映する構造的MRIによる海馬や側頭葉の容積定量が挙げられる。<br />
<br />
アミロイドカスケード仮説に基づくと、バイオマーカーの変化は、<br />
<br />
#脳内アミロイド沈着〔CSF Aβ、アミロイドPET〕<br />
#シナプスおよび神経細胞機能不全〔FDG-PET、機能的MRI〕<br />
#タウによる神経変性〔CSFタウ〕<br />
#神経細胞死・脳萎縮〔構造的MRI〕<br />
#認知機能障害<br />
#全般機能障害<br />
<br />
の順で出現すると考えられており<ref><pubmed> 20083042 </pubmed></ref>、家族性ADの未発症保因者の観察研究から概ね正しいことが示されている<ref><pubmed> 22784036 </pubmed></ref>。<br />
<br />
Aβ沈着が始まってから認知症発症まで15年前後の時間差があることが推測されている。このようにバイオマーカー変化は症状に先立って出現することが示されており、2011年のNIA-AAの診断基準改訂の際に、 Aβ沈着を示唆するバイオマーカーデータを認めるが認知機能は正常あるいはMCIとは言えない程度の軽微な障害のみである段階として、「preclinical AD」という診断区分が研究目的のみに利用が制限されるものとして提言されている<ref><pubmed> 21514248 </pubmed></ref>。<br />
<br />
健常高齢者におけるpreclinical ADの割合は、オーストラリアの大規模観察研究(Australian Imaging, Biomarkers and Lifestyle, AIBL)によると、177例の60歳以上の認知機能健常者のうち33%がPiBを用いたアミロイドPET陽性であり、60代では18%だが80歳以上では65%に上ることが示されている<ref><pubmed> 20472326 </pubmed></ref>。日本でもJapanese Alzheimer's Disease Neuroimaging Initiative(J-ADNI)という観察研究が施行されており、60歳以上のアミロイド沈着バイオマーカー陽性率は20数%と目されている。疾患修飾薬の治験の失敗から、疾患修飾薬による治療介入は病理変化が少ない段階ほど効果を得やすいと考えられてきている。その点でpreclinical ADという病期は良い対象であり、2013年中の開始を目指してpreclinical ADを対象とした治験が計画されている。<br />
<br />
==治療==<br />
疾患修飾薬と症状改善薬に区別して述べる。<br />
<br />
===症状改善薬===<br />
症状改善薬は症状を緩和する効果はあるが、病態の進行を抑制しない薬を指す。多くはアセチルコリン仮説に基づいて創薬された薬物で、コリン作動性のものが多い。アセチルコリンエステラーゼ阻害剤の[[ドネペジル]]、[[ガランタミン]]、[[リバスチグミン]]、[[NMDA型グルタミン酸受容体]][[アンタゴニスト]]の[[メマンチン]]が上市されている他、アセチルコリン受容体部分アゴニストや[[セロトニン]]受容体アンタゴニストが臨床開発段階にある。<br />
<br />
=== 疾患修飾薬 ===<br />
<br />
[[Image:Ryokoihara-Fig2.png|thumb|350px|<b>図2.アミロイドカスケード仮説とそれに基づいた創薬</b>]] 疾患修飾薬は病態の進行そのものを抑制あるいは遅らせる薬である。アミロイドカスケード仮説に基づいた研究開発が盛んになされている。Aβの産生抑制、Aβのクリアランス促進、蓄積したAβの除去、Aβが惹起する神経毒性からの神経細胞保護、タウを介した毒性の抑制といった作用を狙った創薬である。残念ながら2013年現在までに第III相試験が成功した薬はないが、以下これまでに[[wikipedia:ja:臨床治験|臨床治験]]に入った薬物について述べる。 <br />
<br />
==== Aβ産生阻害薬====<br />
<br />
: γセクレターゼ阻害剤は基質である[[Notch]]を介した重大な副作用のため開発が中止され、総Aβ中のAβ42の比率を低下させるγセクレターゼ修飾薬も開発が中断されている。脳内移行性やbioavailabilityの低さへの対策からγセクレターゼより遅れたが、BACE1阻害剤が臨床開発段階にある。BACE1の全ての基質は十分に明らかになっていないが、BACE1をノックアウトしても重大な形態・機能異常を認めないことから、γセクレターゼ阻害剤ほどの副作用は出現しないと期待されている。<br />
<br />
====Aβ除去薬====<br />
<br />
: 抗Aβ抗体、Aβワクチンが開発されている。抗Aβ抗体は臨床開発当初に患者を対象とした際に副作用として[[wikipedia:ja:血管原性浮腫|血管原性浮腫]]を認めたことから開発が難航した。オリゴマーから凝集体まで様々な形態のAβを標的としたものが作られており、オリゴマーを標的としたものはAβの蓄積に抑制的に働き、凝集体を標的としたものは既にある老人斑の除去に働くと想定されている。Aβワクチンは抗体同様Aβ除去を狙ったものである。最初に臨床治験に入った全長Aβを用いたワクチンは6%に[[髄膜脳炎]]の副作用を認めたことから開発中止されたが、副作用軽減のためAβのN末端のワクチンが開発され、臨床治験に入っている。<br />
<br />
====タウ毒性の抑制====<br />
<br />
: タウ病理を抑制する薬物として、タウ凝集阻害剤、タウのリン酸化を担う[[GSK-3β]]の阻害剤などが開発中である。<br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[神経変性疾患]]<br />
*[[認知症]]<br />
*[[アミロイド前駆タンパク質]]<br />
*[[微小管結合タンパク質タウ]]<br />
<br />
==参考文献==<br />
<references /></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E8%84%B3%E5%B9%B9%E7%B6%B2%E6%A7%98%E4%BD%93%E8%B3%A6%E6%B4%BB%E7%B3%BB&diff=37016
脳幹網様体賦活系
2017-01-05T00:19:34Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">本村 啓介</font><br><br />
''九州大学大学院医学研究院 精神病態医学''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2012年8月30日 原稿完成日:2014年1月16日 改訂日:2016年11月8日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学医学部 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
英:reticular activating system in brainstem<br />
<br />
同義語:上行性覚醒系、上行毛様体賦活系<br />
<br />
{{box|text= 脳幹網様体賦活系とは[[覚醒]]状態を維持する脳内機序である。当初[[網様体]]内部の[[ニューロン]]が覚醒をもたらすと考えられていたが、現在では(1)[[中脳橋被蓋]]に[[細胞体]]を持ち[[軸索]]を網様体経由で[[前脳]]に送る[[モノアミン]]および[[アセチルコリン]]作動性ニューロン群、(2)視床下部外側野から生じてそこで(1)に合流する[[ヒスタミン]]、[[オレキシン]]、[[メラニン凝集ホルモン]]といった[[伝達物質]]を含むニューロン群、(3)[[前脳基底部]]から生じてそこで(1)(2)に合流するアセチルコリン作動性ニューロン群等が、覚醒や[[睡眠]]に関連してそれぞれ独特のパターンで活動しつつ、[[視床]]や[[大脳皮質]]のニューロンへの影響を通じて、覚醒状態を維持・調節する機構として考えられている。}}<br />
<br />
==脳幹網様体賦活系とは==<br />
<br />
覚醒状態を維持する脳内機序について、MoruzziとMagounは1949年に[[脳幹網様体]]の重要性を示し、[[上行性網様体賦活系]](ascending reticular activating system; ARAS)の概念を提唱した。この概念は非常に有名になったが、その後の研究により、睡眠と覚醒に関連して活動する重要な[[ニューロン]]の[[細胞体]]の多くは網様体内部には位置しておらず、それらの[[軸索]]が網様体を通過するだけであったことが明らかにされた。それに伴って、専門の研究者は網様体賦活系という呼称よりも、[[上行性覚醒系]](ascending arousal system)などの呼称を好むようになっている<ref>'''Posner JB, Saper CB, Schiff ND, Plum F'''<br>Plum and Posner’s Diagnosis of Stupor and Coma, fourth edition. Oxford University Press, 2007<br>太田富雄監訳.プラムとポスナーの昏迷と昏睡<br>''メディカル・サイエンス・インターナショナル(東京)'':2010</ref>。しかし、睡眠と覚醒を制御する脳内機序は非常に複雑で、現在も研究の途上にあるため、一般には「網様体賦活系」という概念が過去のものとなるには至っていない。<br />
<br />
なお、「網様体賦活系」に含まれない脳幹網様体のニューロンの投射パターンは部位によって異なるが、上行性に限らず下行性、局所性のものなど複雑で、機能的にも多様である。モノアミン作動性ニューロンの一部は下行性に脊髄まで投射しており、運動系の促通、[[感覚]]のゲーティング、[[自律神経系]]の調節など、覚醒制御以外の多様な機能に関与している。<br />
<br />
==歴史的背景==<br />
<br />
[[ファイル:Reticular formation.jpg|thumb|400px|'''図.脳幹網様体賦活系の概観'''<br>A.脳の正中矢状断面図 B.上丘を通る中脳横断面 C.下丘を通る中脳・橋横断面 D.橋上部横断面.図A中の破線b, c, dはそれぞれ図B, C, Dのレベルに相当する<br>図中の部位:1.中脳傍正中網様体(斜線はMorruziとMagounの実験で傷害された領域) 2.脚橋被蓋核 3.背外側被蓋核 4.視床(核群) 5.青斑核 6.背側縫線核 7.正中縫線核群 8.視床下部外側野 赤丸は[[ノルアドレナリン]]作動性ニューロン群、青丸は[[アセチルコリン]]作動性ニューロン群、緑は[[セロトニン]]作動性ニューロン群]]<br />
<br />
19世紀末より、[[意識]]の神経基盤を[[大脳半球]]に求める説と、それに対して上部脳幹や[[間脳]]尾部の重要性を主張する反論とが存在していた。しかし、覚醒と睡眠の神経基盤に関する重要な知見をもたらしたのは、[[wikipedia:ja:第一次大戦前後|第一次大戦前後]]に流行した[[嗜眠性脳炎]]患者に関する[[w:Constantin von Economo|Constantin von Economo]]の研究である。彼の報告によれば、覚醒の困難な大半の患者と、逆に睡眠の困難な少数の患者において、それぞれ異なる脳内部位に病変が見られた。その結果から彼は、覚醒の中枢は脳幹上部から[[中脳水道]]と[[第三脳室]]後部までの[[灰白質]]に、睡眠の中枢は[[視床下部]]吻側部に位置していると推測した。<br />
<br />
1929年にはドイツの精神科医[[wikipedia:ja:ハンス・ベルガー|Hans Berger]]が、ヒトにおける[[脳波]]記録を報告し、非侵襲的な検査法が可能となった。これは動物実験での知見を応用したものであったが、その後の動物実験では[[大脳皮質]]の脱同期化を覚醒の指標として、覚醒および睡眠の神経システムが研究されるようになった。当初は[[感覚]]入力が覚醒をもたらし、感覚の遮断が睡眠をもたらすと考えられていたが、第二次大戦後にMoruzziとMagounの研究によってこれが否定された。彼らは、[[ネコ]]の脳に選択的な損傷を加えたり、電気的に刺激したりすることによって、[[感覚伝導路]]ではなく網様体([[中脳傍正中網様体中心部]];図中の①)が、大脳皮質に対する覚醒作用の主要な中継路であるということを示した<ref><pubmed>18421835</pubmed></ref>。ここから、1949年に上行性網様体賦活系の概念が生まれたが、この段階では、経路の起点となる部位については不明であった。<br />
<br />
その後、脳幹のさまざまなレベルで離断を行ったところ、[[橋]]の上部(吻側)のレベルでの離断によって[[脳波]]は[[徐波]]化し、行動上は無反応となった。この結果より、覚醒には橋吻側から[[中脳]]尾部にかけての構造([[中脳橋被蓋]])が、不可欠であると考えられた。<br />
<br />
==構成要素の複雑化==<br />
<br />
当初は、網様体内部のニューロンが覚醒をもたらすと考えられていた。しかしその後同定された、中脳橋被蓋に細胞体を持ついくつかのニューロン集団は、覚醒や睡眠に関連して活動し、その軸索が網様体を通過して前脳に投射していることが明らかにされた。<br />
<br />
===アセチルコリン系===<br />
<br />
[[脚橋被蓋核]](図中②)および[[背外側被蓋核]](図中③)の[[アセチルコリン|コリン]]作動性ニューロンは、中脳の傍正中網様体を通って[[視床]]中継核、[[非特殊核]]、[[視床網様核|網様核]](図中④)に投射しており、覚醒時と[[REM睡眠]]時に最大頻度の活動を示す。<br />
<br />
[[視床網様核]]は他の視床核群を包み込むように広がっている[[GABA]]作動性ニューロンの集団であり、視床中継核に[[抑制性]]の投射を送っている。上記のコリン作動性入力は、覚醒時とREM睡眠時には視床網様核の抑制性ニューロンを過分極させて活動を抑制しており、この状態では視床中継核のニューロンは求心性入力に応じて発火して信号を伝達し、脳波は脱同期パターンを示す。[[Non-REM睡眠]]に入ると、コリン作動性入力による抑制が減弱するために視床網様核ニューロンの活動は亢進し、視床中継核にGABA作動性の入力を与える。その結果、視床中継核のニューロンは[[過分極]]され、同期化して[[群発放電モード]]に移行し、[[脳波]]上では[[徐波]]が観察されることになる。<br />
<br />
===モノアミン系===<br />
<br />
[[青斑核]](図中⑤)の[[ノルアドレナリン]]作動性ニューロン、および[[背側]](図中⑥)および[[正中縫線核]](図中⑦)の[[セロトニン]]作動性ニューロンは、中脳の[[傍正中網様体]](図中①)と視床下部外側野(図中⑧)を通り、大脳皮質に広汎に投射している。これらの[[モノアミン]]作動性ニューロンの活動は、覚醒時に最も活発で、徐波睡眠中は徐々に減少し、REM睡眠中にはほぼ停止する。<br />
<br />
20世紀後半には、これら中脳橋被蓋のコリン作動性およびモノアミン作動性ニューロンが、覚醒および睡眠の状態の調節に大きな役割を果たすと考えられるようになった。<br />
<br />
===視床下部外側野の諸ニューロン群===<br />
<br />
また、これらのニューロンが視床下部外側野を通過する際には、その部位に位置する複数のニューロン群の活動に影響し、これらが大脳皮質に広汎に投射して、上行性覚醒系の投射を増強する。20世紀の終わりになると、[[ヒスタミン]]作動性ニューロンに加え、[[オレキシン]]、[[メラニン凝集ホルモン]]といった[[神経ペプチド|ペプチド]]を含有するニューロンがこの部位に分布して、覚醒の調整に関与していることも明らかにされた。<br />
<br />
==その後の展開==<br />
<br />
ところが最近の研究によって、これら中脳橋被蓋のコリン作動性およびモノアミン作動性ニューロンの集団や、あるいは視床を広範囲に破壊しても、睡眠・覚醒状態や脳波には大きな変化は生じないことが明らかになった。覚醒および脳波の脱同期化に不可欠で、上行性覚醒系の中軸をなすのは、[[前脳基底部]]とそこに[[興奮性]]の投射を送る[[青斑核]]前域および[[結合腕傍核]]内側部のニューロン集団だったのである<ref><pubmed>21280045</pubmed></ref>。<br />
<br />
全体として上行性覚醒系は、中脳橋被蓋から生じる複数の上行性経路から構成され、視床および大脳皮質に到達するまでのあいだに、視床下部や前脳基底部などの各レベルで付加的な入力が合流して増強されている。これらの経路はさまざまな状況において、それぞれが独自のパターンで活動することによって、大脳皮質のニューロンの活動を適切に調整していると考えられる。<br />
<br />
==関連項目==<br />
<br />
*[[睡眠]]<br />
*[[急速眼球運動睡眠]]<br />
*[[脳波]]<br />
*[[汎性投射系]]<br />
<br />
==参考文献==<br />
<br />
<references /></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E6%84%8F%E8%AD%98%E9%9A%9C%E5%AE%B3&diff=37015
意識障害
2017-01-05T00:17:17Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">松田 和郎</font><br><br />
''京都大学 学際融合教育研究推進センター''<br><br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0192888 野崎 和彦]</font><br><br />
''滋賀医科大学 脳神経外科''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2013年4月15日 原稿完成日:2014年2月21日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446/ 漆谷 真](滋賀医科大学 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
英語名:disturbance of consciousness<br />
<br />
{{box|text= 意識がある状態(意識清明)とは、まず「[[覚醒]]」していること、加えて周囲を「認識」できる状態であり、開眼、言葉、動作などで外界からの刺激や情報に「反応」できることも必要である。これに対し、意識障害とは、何らかの形で意識清明でなくなった状態である。急性期の意識障害は本邦の[[ジャパン・コーマ・スケール]]、英国の[[グラスゴー・コーマ・スケール]]によって数値評価され、原因疾患の重症度判定に用いられる。慢性期の意識障害には障害部位や意識清明度によって[[遷延性植物状態]]、[[最小意識障害]]、[[閉じ込め症候群]]、[[失外套症候群]]などが存在し疾患予後に密接に関連する。さらに意識障害は覚醒度のレベルやの低下による単純な意識混濁以外に、[[幻覚]]や[[失見当識]]の意識内容の変容状態を呈する[[せん妄]]等の複雑な意識混濁も存在する。}}<br />
<br />
== 意識を構成する要素 ==<br />
<br />
[[Image:意識障害1.png|thumb|300px|'''図1.意識の3要素'''<br>太田富雄・松谷雅雄 「脳神経外科学 第8版」金芳堂 p.170より改変して転載]]<br />
<br />
意識障害を厳密に定義することは困難であるため、臨床医学では、いくつかの[[意識評価スケール]]が用いられている。その基本的な考え方においては、意識は便宜的に、1.覚醒、2.運動反応、3.意識内容、の3つの要素に分けて評価され(図1)、意識清明とはこれら3者が正常に保たれている状態である。清明度が低下した状態を[[意識混濁]](clouding of consciousness)という。<br />
<br />
「覚醒」(図1のx軸)とは、意識清明という意味ではなく、動物と共通の意識要素として「目が覚めている(目を開けている)=覚醒している」という状態であり、覚めていない場合は覚醒させるのに必要な刺激の強さに応じて意識障害の程度を判断する。覚醒状態の維持には[[脳幹網様体賦活系]]が関与しているとされる。<br />
<br />
繰り返し強い刺激を加えることで初めて覚醒するような状態を「[[昏迷]]」、強い刺激(痛みなど)に対しても覚醒しないことを「[[昏睡]]」、あらゆる刺激に対して全く反応のない状態を特に「[[深昏睡]]」という。<br />
<br />
「運動反応」(y軸)とは、外界からの刺激に対する顔面・手足の動作による反応の度合いである。命令に従う、刺激部位に手足をもってくる、逃避する、異常な(合目的でない)反応、などの段階に応じて障害の程度が分けられる。<br />
<br />
「意識内容」(z軸)とは、人間に固有の認識内容として、自身の置かれている場所・時間・自分自身への認識の程度(これを[[見当識]]という)をあらわす。見当識に障害がある場合は発語する言葉の内容、発語がみられない場合は発声そのものの有無等に応じて障害の程度を分ける。意識内容の変容を伴う複雑な意識混濁として、さらに特に[[認知症]]や高齢者において、入院・手術や環境の変化を契機に出現する、[[幻覚]]や[[妄想]]を主徴とする[[せん妄]]が重要である。<br />
<br />
図1において、「意識」は暗闇の中でこの3つの座標(x, y, z)によって確保される明るい空間の容積として表現されている。何らかの障害(疾病・外傷)によって、3つの座標の値のいずれかが小さくなると、明るい空間の容積が狭窄する(=意識障害)。全ての座標が限りなく原点(ゼロ)に近づいて意識空間が極度に狭窄した時が(深)昏睡ということになる。なお、深昏睡は[[脳死]]と同義ではないが、脳死の判定基準の一部である。<br />
<br />
== 急性期における意識障害の評価法 ==<br />
<br />
わが国では、本邦の[[ジャパン・コーマ・スケール]]、英国の[[グラスゴー・コーマ・スケール]]がよく用いられている。<br />
<br />
=== グラスゴー・コーマ・スケール ===<br />
<br />
上述の意識の3要素に対応して三軸方式でそのレベルに応じて点数(スコア)をつける方法が国際的に広く用いられているグラスゴー・コーマ・スケール(Glasgow coma scale; GCS)(表1)である<ref><pubmed>961490</pubmed></ref>。この評価法は3つの要素の和で総合的に意識レベルを表現することが可能であり、4+5+6=15点が意識清明、1+1+1=3点が最も悪い意識レベル(深昏睡)として13段階で評価できる。しかしながら、この評価法は3つの要素を独立して評価するために各要素の組み合わせは4×5×6=120通りとなり、同じ合計点数でも、患者の意識レベルが異なる可能性もある。 <br />
<br />
意識の3要素は先述のとおり便宜的なものであり、それぞれの要素は本来的に同格ではない。意識障害の要素としては覚醒の度合いが最も重要であり、覚醒なしに意識内容はあり得ないし、命令に従うことも不可能である。GCSでは3要素にそれぞれ覚醒状態から覚醒不能の重症レベルまでが含まれ、命令に従う(M-6)場合は覚醒しており、他の二項目のスコアは不要とも考えられる。GCSの運動項目だけで、意識障害レベルを表現することもできる、などの批判もある。 <br />
<br />
{|cellspacing="1" cellpadding="1" border="1" <br />
|+'''表1:グラスゴー・コーマ・スケール (Glasgow Coma Scale; GCS、グラスゴー昏睡尺度)'''<br />
|-<br />
| style="text-align:center" | 大分類 <br />
| style="text-align:center" | 小分類 <br />
| style="text-align:center" colspan="2" | スコア<br />
|-<br />
| A.開眼 (E)<br>(eye opening) <br />
| 自発的に (spontaneous)<br>言葉により (to speech)<br>痛み刺激により (to pain)<br>開眼しない (nil) <br />
| style="text-align:center" | E <br />
| style="text-align:center" | 4<br>3<br>2<br>1<br />
|-<br />
| B.言葉による応答 (V)<br>(verbal response) <br />
| 見当識あり (orientated)<br>錯乱状態 (confused conversation)<br>不適当な言葉 (inappropriate words)<br>理解できない声 (incomprehensible sounds)<br>発声がみられない (nil) <br />
| style="text-align:center" | V <br />
| style="text-align:center" | 5<br>4<br>3<br>2<br>1<br />
|-<br />
| C.運動による最良の応答 (M)<br>([[best]] motor response) <br />
| 命令に従う (obeys)<br>痛み刺激部位に手足をもってくる (localises)<br>四肢を屈曲する (flexes)<br> 逃避 (withdraws)<br> <br />
異常屈曲 (abnormal flexion)<br>四肢伸展 (extends)<br>全く動かさない (nil) <br />
| style="text-align:center" | M <br />
| style="text-align:center" | 6<br>5<br> <br>4<br>3<br>2<br>1<br><br />
|}<br />
<br />
=== ジャパン・コーマ・スケール ===<br />
<br />
この点において、より簡便な意識レベルの評価法がジャパン・コーマ・スケール(Japan Coma Scale; JCS、3-3-9度方式)(表2)である<ref><pubmed> 4477641</pubmed></ref>。このスケールは3つの意識要素のうち、最も重要な覚醒軸(x軸)のみに沿って評価する一軸方式である。意識障害の段階を、数字の1桁から3桁(表2のⅠ~Ⅲ)で、Ⅰ.自発的に覚醒している、Ⅱ.刺激すると覚醒する、Ⅲ.刺激しても覚醒しない、の3段階に分け、それぞれの段階がさらに3段階に区分される。意識の3要素のうち他の2軸(意識内容、運動反応)はある程度覚醒している(昏睡でない)ことが前提となるⅠあるいはⅡのレベルでのみ評価される。意識清明を0として、合計10段階となり、同じ点数であれば一義的に決まるので経時的に記載することができる。意識障害の程度および推移の急性期の変化に刻々と対応できるため救急現場や開頭術後などで実用性がある。JCSは我が国で最も広く用いられている評価スケールである。<br />
<br />
GCS、JCSは共に、発症後(あるいは受傷後、術後)急性期の状態を評価する時に主として用いられる。慢性期においては、次項に述べるように、昏睡状態を脱して覚醒軸のレベルで回復しても運動反応や意識内容が回復しないという状態が持続することがあり、これは「[[遷延性意識障害]]」として区別される。<br />
<br />
{| cellspacing="1" cellpadding="1" border="1" <br />
|+'''表2:ジャパン・コーマ・スケール (Japan Coma Scale; JCS、3-3-9度方式)'''<br />
|-<br />
| 0.意識清明<br />
|-<br />
|Ⅰ.刺激しないでも覚醒している状態(1桁で表現)<br> (delirium, confusion, senselessness)<br> 1. だいたい意識清明だが、今ひとつはっきりしない<br> 2. 見当識障害がある<br> 3. 自分の名前、生年月日がいえない<br />
|-<br />
|Ⅱ.刺激すると覚醒する状態 —刺激をやめると眠り込む—(2桁で表現)<br> (stupor, lethargy, hypersomnia, somnolence, drosiness)<br> 10.普通の呼びかけで容易に開眼する<br> 〔合目的な運動(例えば、右手を握れ,離せ)をするし言葉も出るが間違いが多い〕<br> 20.大きな声または体をゆさぶることにより開眼する<br> 〔簡単な命令に応じる。例えば、離握手〕<br> 30.痛み刺激を加えつつ呼びかけを繰り返すと辛うじて開眼する<br />
|-<br />
|Ⅲ.刺激をしても覚醒しない状態(3桁で表現)<br> 100.痛み刺激に対し、払いのけるような動作をする<br> 200.痛み刺激で少し手足を動かしたり、顔をしかめる<br> 300.痛み刺激に反応しない<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
== 慢性期における意識障害 ==<br />
<br />
=== 遷延性植物状態 ===<br />
<br />
遷延性植物状態(persistent vegetative state)<ref><pubmed>4111204</pubmed></ref>とは、覚醒しているにもかかわらず、外界に順応した反応が欠如しており、意思の疎通であるところの精神活動を行っている徴候が認められない状態である。その診断基準は、<br />
#自発呼吸の存在(人工呼吸器から離脱している)<br />
#全身状態良好<br />
#糞尿失禁状態<br />
#[[睡眠]]・覚醒のサイクルが保たれている<br />
#終日臥床(寝たきり)<br />
#経管栄養<br />
<br />
の6つの項目が1ヶ月(persistent; 遷延性)ないし3ヶ月以上(permanent)持続するものである。意識の3要素で説明すれば、覚醒軸は(図1のx軸)はほぼ完全に回復しながら、意識内容(z軸;精神活動)がほぼ完全に失われ、運動反応(y軸)がさまざまなレベルで障害された状態といえる(図1)。<br />
<br />
上述の診断基準で分かる通り、[[植物状態]]とは[[wikipedia:ja:症候群|症候群]]であって特定の病態を指すものではない。植物状態をきたし得る原因としては、[[脳血管障害]]、頭部外傷、[[低酸素脳症]]、[[薬物中毒]]など様々である。その長期的予後は、神経内科医、脳神経外科医らによる合同委員会<ref><pubmed>7818633</pubmed></ref>によると、成人で外傷性の場合、1ヶ月間植物状態にあった患者では33%が受傷後3ヶ月以内、52%が受傷後1年で意識を回復している反面、3ヶ月時点・6ヶ月時点で植物状態であった場合は1年で意識回復する率はそれぞれ35%、16%に低下した。この割合は小児で外傷性の場合は若干良くなるが、非外傷性の植物状態では成人・小児とも回復の可能性は著しく少なくなる。これらのことから、外傷性では1年、非外傷性(低酸素脳症など)では3ヶ月持続した植物状態の回復の可能性は極めて低いことが示唆される。しかしながら、上記の通り植物状態の原因疾患は様々であり、その予後については個々の症例の病態に即して判断する必要がある。例えば、外傷性で3ヶ月から1年近く植物状態が持続した症例で薬物療法による回復例などが報告されており<ref><pubmed> 7494566 </pubmed></ref><ref><pubmed>14617720</pubmed></ref>、統計結果を安易に個別の症例に適用することは慎重であらねばならない。<br />
<br />
=== 最小意識状態 === <br />
<br />
[[最小意識状態]](minimally conscious state)<ref><pubmed>11839831</pubmed></ref>とは、遷延性意識障害患者において、再現可能か持続性の点から限られているが、部分的に自己または周囲を認識しているという行動上の根拠が最小ではあるが確実にある状態、である。その診断基準によれば、自己または周囲への認識とは、<br />
#単純な指示に従う<br />
#身振りまたは言葉で「はい・いいえ」で反応する<br />
#理解可能な発語<br />
#関連する刺激に左右される運動または感情的行動を含む合目的的な行動(例えば刺激による喜怒哀楽の表出など)<br />
のうち1つまたはそれ以上が認められるもの、とされる。最小意識状態は古くは[[不完全植物症]]という言葉で示されるように植物状態の一部と見なされていたが、その転帰が植物状態と比較して有意に良好であることが報告され<ref><pubmed>16350959</pubmed></ref>、植物状態と区別されるようになった。<br />
<br />
=== 施錠症候群またはとじこめ症候群=== <br />
<br />
[[施錠症候群]]または[[とじこめ症候群]](“locked-in”syndrome)<ref>'''Posner JB and Plum F'''<br>Plum and Posner's diagnosis of stupor and coma<br>(1st E.D.), 1966</ref>とは、両側[[皮質脊髄路]]([[錐体路]])および下部[[脳神経]]の障害により[[被蓋]]を含まない腹側[[橋]]部および[[延髄]]が障害され[[四肢麻痺]](両側[[錐体路障害]])および[[無言]](両側下位[[皮質球路]]障害)をきたした状態である。原因としては、[[脳底動脈]]閉塞による橋梗塞が圧倒的に多いが、[[脳幹]]部[[脳腫瘍|腫瘍]]、[[脳炎]]、外傷等、さらには[[筋萎縮性側索硬化症]]、[[Guillain-Barre症候群]]で全身麻痺に至り人工呼吸器管理下の状態で起こりえる。意識の3要素を用いて説明すれば、覚醒軸は(図1のx軸)と意識内容(z軸;精神活動)がほぼ完全に保たれているにもかかわらず、運動反応(y軸)ほぼ完全に障害された状態といえる(図1)。<br />
<br />
随意に動かせる身体部位は[[眼球]]の上下運動と[[まばたき]]だけになるため意思疎通に著しく困難をきたすため医療現場では植物状態と混同されることがあるが、本症候群はあくまで運動障害であり、内的な意識はほぼ完全に保たれているところが[[植物状態]]あるいは[[最小意識状態]]と決定的に異なる。<br />
<br />
=== 無動性無言[症]=== <br />
<br />
その原著<ref>'''Cairns H et al.'''<br>Brain 84: 272, 1941</ref>によれば、[[脳腫瘍]]が拡大し[[第三脳室]]壁および[[前頭葉]]後部内腹側面を圧迫した際、患者が覚醒しているように見えるが、無言で、こわばり、動作がみられないという状態であったとされる。外科的減圧により改善し周囲への認識がみられたが無言無動状態の期間中の記憶はなかった。その後の研究から、内側底部[[前頭前野]]、[[前方帯状回]]、[[前大脳動脈]]支配領域の内側前頭前野、吻側[[基底核]]の病変で同様の症状が起こることが明らかとなった。原因としては、脳腫瘍の他、[[パーキンソン病]]、[[プリオン病]]などの変性疾患、[[クモ膜下出血]]なども報告されている。<br />
<br />
=== 失外套症候群 ===<br />
<br />
「外套」とは[[大脳皮質]]を指しており、本症候群は大脳皮質の広範な損傷により意識内容が著しく低下し、全身は[[痙性]]ないし[[硬直性]]で合目的的な動作は皆無となる。原因の多くは[[低酸素脳症]]、[[脳炎]]等の後半な皮質障害である。意識障害の程度としては植物状態の原因疾患の一部に相当し、器質的障害部位(大脳皮質)を付加した用語といえる。<br />
<br />
=== 通過症候群 === <br />
<br />
[[通過症候群]](transit syndrome)とは、大脳の器質的障害をうけた意識障害患者において、意識清明に回復する過程で呈する症候群であり、[[自発性喪失]]、[[感情]]不安定、[[健忘]]などが認められる可逆的な状態である。特定の病態を指すものでなく、混乱をきたしやすい概念のため近年あまり使用されなくなっている。<br />
<br />
== 脳死 ==<br />
<br />
[[中枢神経系]]が不可逆的損傷を受け、大脳半球機能、脳幹機能のすべてが失われている状態を指す<ref><pubmed>12512174</pubmed></ref>(Schlotzhauer and Liang, 2002)。多くの国で「[[ヒト]]の死」とされているが、近年の[[wikipedia:ja:人工呼吸|人工呼吸]]器や[[wikipedia:ja:昇圧剤|昇圧剤]]などによる全身管理により[[心臓]]の拍動が維持されうるため、本邦では、「ヒトの死」の解釈を巡り社会的問題となっている。<br />
<br />
脳死(brain death)の判定は、竹内基準に基づいて6つの項目によって脳死判定が行われ、<br />
#深昏睡(JCS-300,GCS-3)<br />
#[[自発呼吸]]消失<br />
#[[wikipedia:ja:瞳孔|瞳孔]]固定(瞳孔径は左右とも4mm以上)<br />
#[[脳幹反射]]の消失([[対光]]・[[角膜]]・[[網様体脊髄]]・[[眼球頭]]・[[前庭]]・[[咽頭]]・[[咳反射]])<br />
#平坦[[脳波]](最低4導出で30分間)<br />
#上記諸条件が満たされた後、6時間経過をみて変化がないことを確認する。<br />
<br />
この判定基準の適応は、<br />
#器質的脳障害による深昏睡および無呼吸症例<br />
#原疾患が確実に診断され、それに対し現在行いうるすべての適切な治療をもってしても、回復の可能性が全くないと判断される症例<br />
が前提条件となる。<br />
<br />
除外例、慎重適応例として、<br />
#小児(6歳未満)<br />
#脳死と類似した状態になりうる症例(急性薬物中毒、低体温、代謝・[[wikipedia:ja:内分泌|内分泌]]障害など)<br />
<br />
があげられる。<br />
<br />
判定上の留意点として、<br />
#中枢神経抑制剤、[[wikipedia:ja:筋弛緩剤|筋弛緩剤]]などの影響を除外すること<br />
#[[深部反射]]・[[皮膚表在反射]]、[[脊髄反射]]はあってもよい<br />
#補助検査、たとえば[[脳幹誘発反応]]、[[CT]]、[[脳血管撮影]]、[[脳血流測定]]などは絶対必要なものでない<br />
ことなどがあげられている。<br />
<br />
脳死が社会的問題となる理由のひとつに、脳死患者からの[[wikipedia:ja:臓器移植|臓器移植]]がある。本邦においては、1997年10月16日に[[wikipedia:ja:臓器移植法|臓器移植法]]が施行され、[[wj:心臓|心臓]]停止後の[[wikipedia:ja:腎臓|腎臓]]と[[wikipedia:ja:角膜|角膜]]の移植に加え、脳死からの心臓、[[wikipedia:ja:肺|肺]]、[[wikipedia:ja:肝臓|肝臓]]、腎臓、[[wikipedia:ja:膵臓|膵臓]]、[[wikipedia:ja:小腸|小腸]]などの移植が法律上可能になったが、脳死での臓器提供には、本人の書面による生前の意思表示と家族の承諾が必要であった。しかし、2010年7月17日に改正臓器移植法が全面施行され、本人の意思が不明な場合も、家族の承諾があれば臓器提供できるようになり、15歳未満の方からの脳死下での臓器提供ができるようになった。生後12週未満の幼児については、法的脳死判定の対象から除外され、生後12週~6歳未満の小児については脳死判定の間隔を24時間以上としている。2012年6月には、本邦で最初の6歳未満の脳死患者からの臓器提供が行われた。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
*[[閉じ込め症候群]]<br />
*[[脳幹網様体賦活系]]<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
<br />
<references /></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E5%81%A5%E5%BF%98%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4&diff=37014
健忘症候群
2017-01-05T00:15:18Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">佐藤 正之、冨本 秀和</font><br><br />
''三重大学大学院医学研究科 認知症医療学講座''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2012年3月28日 原稿完成日:2013年10月18日 更新日:2015年7月15日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学医学部 内科学講座 神経内科)<br><br />
</div><br />
<br />
英語名:amnestic syndrome 独:amnestische Syndrome 仏:syndrome amnestique<br />
<br />
{{box|text=<br />
健忘症候群とは、新しい情報を獲得したり保持することの障害で、他の[[認知機能]]が比較的保たれている状態を表す<ref name=ref1>'''Loring DW.'''<br>INS Dictionary of neuropsychology.<br>''Oxford University Press'', New York, 1999</ref>。より広義には過去の記憶の想起の障害をも含んだ、記憶障害を主症状とする症候全般を表す。健忘は、[[認知症]]や[[高次脳機能障害]]の主要症状で、患者の[[wikipedia:JA:生活の質|生活の質]](quality of daily life, QOL)を下げ介護を困難にする大きな要因である。本稿では、最初に記憶の分類と神経機構について述べ、次いで健忘症候群に含まれる主な疾患を解説する。 <br />
}}<br />
<br />
== 症例と機能解剖 ==<br />
<br />
=== 記憶に関する歴史的症例===<br />
<br />
[[Image:図1Papez回路(青・赤矢印)とYakovlev回路(緑矢印).jpg|thumb|280px|<b>図1.Papez回路(青・赤矢印)とYakovlev回路(緑矢印)</b><br />A:[[視床前核]], CA:[[固有海馬]], D:[[歯状回]], MB:[[乳頭体]], PM:[[視床背内側核]]。Nolte J. eds. The Human Brain. An introduction to its functional anatomy. Figure 24-20 を改変。]] <br />
<br />
[[Image:図2アセチルコリン神経系の分布.png|thumb|500px|<b>図2.アセチルコリン神経系の分布<br />(佐藤 2012<ref name=ref5>'''佐藤正之'''<br>レヴィ小体型認知症.河村満編、認知症:神経心理学的アプローチ.<br>中山書店、東京、2012, pp.211-221.</ref>を引用)</b><br />1:[[内側中隔核]](Ch1) 2:[[ブローカ対角帯・背側部]](Ch2) 3:[[ブローカ対角帯・腹側部]](Ch3) 4:[[マイネルト基底核]](Ch4) 5:[[海馬]] 6:[[扁桃体]] 7:[[嗅神経]] 8:[[脳梁]] 9:[[脳弓]] 10:[[帯状回]] 11:[[前頭葉]] 12:[[頭頂葉]] 13:[[後頭葉]]]] <br />
====患者HM==== <br />
[[wikipedia:Paul Broca|Broca]]による[[wikipedia:Paul_Broca#Speech_research|タン氏]]の報告に代表されるように、神経心理学ではある一人の患者の存在が学問を大きく進展させることがある。記憶についても同様で、二人の患者なかでも[[HM]]の脳損傷とその結果現れた症状により、ヒトの記憶のメカニズムの研究がおおいに進んだ。 <br />
<br />
HM(名はヘンリー)は、10歳のころから[[てんかん]]の[[小発作]]が頻発するようになり、16歳からは[[大発作]]へと移行した。神経学的所見は正常。脳波で両側[[側頭葉]]に2~3Hzのspike &amp; wave complexを認めた。薬物治療の効果のない難治性てんかんと診断され、1953年25歳時に両側[[側頭葉]]切除術を受けた。その結果、てんかん発作は消失したが重度の記憶障害を呈するようになった。HMは、手術を受けてからの記憶はまったくなく、主治医も担当ナースも毎朝会う時は“初対面の人”であった。新しいものごとについては、7秒間だけ覚えていることができた。手術前1~2年の記憶は曖昧で、2年以上前の記憶は正常に保たれていた。[[鏡像模写]]などの新しい技能については、毎日の訓練により上達がみられるが、練習したこと自体は覚えていなかった。HMは、自分が容易に課題をこなしてしまうので「なんでこんなに上手くできるのだ?」と驚いた。後年の脳[[MRI]]検査により、両側の側頭葉内側の先端部、[[扁桃体]]、[[嗅内野]]([[海馬傍回]]前部)の大部分、海馬の前半分が切除されていることが明らかになった<ref name=ref2><pubmed>9133414</pubmed></ref>。<br />
<br />
HMは学用患者として現在も米国の某大学内で居住しており、半世紀を経た現在でも数年に一度、彼に関する論文が発表されている(2008年に亡くなりました)。現在も症状に変化はない。HMに鏡を見せると、映った自分の顔に驚愕する。なぜならHMの記憶に貯えられている自分の顔は、25歳時の顔だからだ。鏡が見ている人の容貌を映すということは知っているので、「この老人は誰だ!いったいどうなっているのだ!」と現在の自分の姿に非常なショックを受ける。しかし、鏡を取り除いて10分もするとHMは、さっきあれほどショックを受けたこと自体を覚えていない。<br />
<br />
HMの症状の詳細は、数年間にわたって彼を観察・取材した結果であるルポルタージュ<ref name=ref3>'''フィリップ・ヒルツ、竹内和世訳'''<br>記憶の亡霊:なぜヘンリー・Mの記憶は消えたのか<br>''白揚社''、東京、1997</ref>に詳しい。HMの所見から、記憶には7秒くらいしか続かない短いものと、数年以上の長期間にわたって保持される長いものの最低でも2種類あること、記憶には両側側頭葉の内側部、特に海馬が重要であること、技能はそのほかの記憶とは異なる機序で脳内に蓄えられることが明らかになった。 <br />
<br />
====患者NA====<br />
記憶に関係する部位は海馬だけではない。1960年22歳のNAは、フェンシングのサーベルが右鼻孔から脳まで突き刺さるという傷を負った。その後NAは、日々の出来事を記憶することができなくなった。[[言語性記憶]]の方が[[非言語性記憶|非言語性]]よりも障害が強かった。1960年以前の事柄は思いだせ、IQは124あった。頭部CTの結果、サーベルは右鼻孔から入り[[wikipedia:JA:篩骨洞|篩骨洞]]を経て中心線を超え、[[前頭眼窩皮質]]さらには[[脳梁吻]]、左[[側脳室前核]]、[[線条体]]を通り、最終的に[[視床背内側核]]に至ったと考えられた<ref name=ref4><pubmed>119481</pubmed></ref>。脳弓や乳頭体も障害されている可能性があるが、著者はNAの記憶障害の主たる責任病巣を視床背内側核としている。NAの結果から、海馬以外の皮質下構造物の障害によっても記憶障害が生じること、障害の半球差により言語性/非言語性記憶障害の間に乖離が生じ得ることが明らかになった。<br />
<br />
=== 記憶回路:PapezとYakovlev ===<br />
<br />
記憶を担う重要な神経回路として[[Papez回路]]と[[Yakovlev回路]]が知られている(図1)。Papez回路は、[[海馬]]→[[脳弓]](fornix)→[[乳頭体]](mamillary body)→[[乳頭体視床路]](mamillothalamic tract)→[[視床前核]](anterior thalamic nucleus)→[[帯状回]](cingulate gyrus, Brodmann [[24野]])→→海馬という閉鎖回路を形成している。<br />
<br />
Yakovlev回路は、[[側頭葉]]皮質前部(Brodmann [[38野]])→[[扁桃体]](amygdale)→[[視床]][[背内側核]](dorsomedial thalamic nucleus)→前頭眼窩皮質(frontoorbital cortex)→[[鉤状束]](uncinate fascicle)→側頭葉皮質前部という回路である。上記の患者HM, NAの病巣は、これらの回路を含んでいる。 <br />
<br />
記憶に関連する他の脳部位として、前脳基底部がある(図2)。[[前脳基底部]]は、[[マイネルト基底核]]、[[ブローカ対角帯]]、内側[[中隔核]]からなっており、ともに[[アセチルコリン神経]](ACh)の起始核である。マイネルト基底核からのACh線維は[[新皮質]]、扁桃体に、内側中隔核とブローカ対角帯からの線維は海馬に投射しており、[[アルツハイマー病]]ではこれらの起始核が脱落している。<br />
<br />
== 記憶の分類 ==<br />
[[Image:図3時間軸からみた記憶の分類.png|thumb|300px|<b>図3.時間軸からみた記憶の分類(三村 2012<ref name=ref6>'''三村將'''<br>記憶障害<br>江藤文夫、武田克彦他編、高次脳機能障害のリハビリテーションVer.2.''医師薬出版''、東京、2004, pp.38-44. </ref>を引用)</b>]] <br />
<br />
[[Image:図4ワーキングメモリーのモデル.png|thumb|300px|<b>図4.ワーキングメモリーのモデル</b><br />2000年にBaddeleyは、それまでの[[視空間記銘メモ]]、[[音韻ループ]]に加え、[[エピソードバッファ]]を追加し、それぞれ視覚的意味、[[言語]]、[[エピソード長期記憶]]と対応するとした。図で白抜きの部分は注意や記憶の一時的な保持と関係している(Baddeley<ref name=ref8><pubmed>11058819</pubmed></ref>を訳)。]] <br />
<br />
[[Image:図5内容による記憶の分類.png|thumb|300px|<b>図5.内容による記憶の分類</b>]] <br />
<br />
=== 時間の流れからみた記憶の分類 ===<br />
<br />
====遠隔記憶、近時記憶、即時記憶====<br />
記憶の分類として、記憶の時間的流れからみた分類と、記憶の内容から見た分類がある。記憶の脳内過程として、[[記銘]](encoding)、[[保持]](storage)、[[想起]](retrieval)が考えられている。時間的流れによる分類では、現在からみたある事象が保持されている長さ、あるいは発症時点を中心として記憶障害の及ぶ時間により分けられる(図3)。[[遠隔記憶]](remote memory)は、数週から何十年にも及ぶ、ほぼ永久的に保持される記憶で、容量は無限大である。[[近時記憶]](recent memory)は数日から数時間、[[即時記憶]](immediate memory)は数十秒以内の記憶を表す。近時記憶は、健常人でも急速に[[忘却]]が進む記憶であり、記憶障害の患者ではさらに顕著となる。即時記憶には容量制限があり、数列や無意味な文字列ならばほぼ7個(±2)である。この特性はマジカルナンバー7といわれ<ref name=ref7><pubmed>13310704</pubmed></ref>、記憶障害の患者でも保たれることが多い。心理学では、即時記憶を[[短期記憶]](short-term memory)、近時記憶と遠隔記憶を合わせて[[長期記憶]](long-term memory)と呼ぶ。 <br />
<br />
====ワーキングメモリー====<br />
[[ワーキングメモリー]]は、時間的区分では短期記憶から近時記憶の一部を含む。日本語では、作業記憶あるいは作動記憶と訳され、ある課題の施行に必要な情報を、課題施行中も保ち続ける際にはたらく記憶を表す。われわれは日常生活で、情報を単に保持するのではなく、保持した情報にいろいろな処理を加える。もっとも単純な例は繰り上がりのある計算である。15+17を行う時、まず一の位の5+7=12を行い、十の位への繰り上がりを記憶しつつ十の位の1+1=2を行い、さらにそこに繰り上がった分の1を加え3を導く。あるいは会話などでも、直前の話の内容を記憶しそれに基づいて自分の話を組み立てる。このようにワーキングメモリーとは、記憶と情報処理機能を併せ持った概念である。ワーキングメモリーのモデルとして、Baddely<ref name=ref8><pubmed>11058819</pubmed></ref>のモデルが有名である(図4)。[[音韻ループ]]は、会話や文章の理解などの際に言語的な情報を一時的に保持するものである。視空間記銘メモは、視覚イメージなど言語化できない情報を一時的に保持するもので、黒板やホワイトボードに譬えられる。[[中央実行系]]とは、音韻ループと視空間記銘メモの活動を調整し、仕事を割り振り、情報の流れを統御する。2000年に新たに加えられたエピソードバッファは、音韻ループや視空間記銘メモの情報を統合したり、意味に関する情報を担うとともに、長期記憶へのアクセスを可能とする。1990年代以降に盛んになった[[脳賦活化実験]]の結果から、ワーキングメモリー、なかでも中央実行系には、[[前頭前野]](Brodmann 9,10,46野)の関与が想定されている。ワーキングメモリー仮説は、記憶が単に事物を保存するための容れ物ではなく、注意や意識などを含むダイナミックな活動であることに研究者の目を向けさせた。しかし、Bladdeleyのモデルでは短期記憶が障害されているにも関らず長期記憶は保たれている症例の存在を説明できない。また、複雑なヒトの認知メカニズムをこのモデルだけで解釈するのは不可能である。現在のところ、ワーキングメモリーは機能的観念の域を超えてはいない。 <br />
<br />
====展望記憶====<br />
これまで述べてきた記憶はすべて、過去の事柄に関する記憶である。しかし、われわれの日常生活では「この原稿の締め切りは3月末だ」というように、未来に起こる事象について憶えていることが求められる。これを展望記憶という。3月末の締め切りという知識・情報を保持し続けるという意味で、記憶の一種と解釈される。[[展望記憶]]には[[実行機能]]が関与すると考えられる。 <br />
<br />
====前向性健忘、逆行性健忘====<br />
神経心理学では、脳損傷や発症を起点とした時間的流れにより、記憶障害を分類することがある。[[前向性健忘]]は受傷・発症以降に生じた出来事を記憶できなくなること、[[逆行性健忘]]は受傷・発症前の出来事を想起できなくなることを表す。記憶障害の患者は一般に両者を合併している。逆行性健忘の及ぶ時間的幅は、数分にとどまることもあれば数十年にも及ぶこともあり、症例により異なる。受傷・発症に近い出来事ほど忘却されやすく、遠いものほど保たれる傾向がある。これを記憶の時間的勾配と呼ぶ。<br />
<br />
=== 内容による記憶の分類 ===<br />
<br />
自分の経験として思い出すことのできる記憶を[[顕在記憶]](explicit memory)、そうでないものを[[潜在記憶]](implicit memory)とよぶ。エピソード記憶(episodic memory)とは、特定の時と場所で学習された記憶で、いつ、どこで、何をしたか・何があったかという個人史・社会的記憶のことである。その記憶や知識を有していることを本人が意識し、意図的にアクセスすることができるため、顕在記憶に属する。<br />
<br />
[[意味記憶]](semantic memory)は、単語や数字、物事の概念など一般的な知識に関する記憶である。エピソード記憶は“覚えている”という状態であるのに対し、意味記憶は“知っている”という表現に相当する。山鳥は意味記憶を、言語情報としての言語性意味記憶と、感覚モダリティ横断性の情報としての非言語性意味記憶に分類している<ref>'''山鳥 重'''<br>記憶の神経心理学<br>''医学書院''、東京、2002.</ref>。言語性意味記憶は、顕在記憶に含まれる。エピソード記憶と意味記憶は、本人が何らかの形で言葉やイメージで表すことができるため、両者を合わせて[[陳述記憶]](declarative memory, 宣言的記憶ともいう)と呼ぶ。<br />
<br />
[[手続き記憶]](procedural memory)は、いわゆる技能に該当する記憶で、“体で覚えている”と例えられるものである。<br />
<br />
[[プライミング]](priming)とは、ある課題の遂行がその後に行われる類似の課題の遂行に促進効果を持つという、心理学実験上の事象を表す。もっとも単純な例は、「あきたけん」という言葉を見せた後に「あ○○けん」の○○に語を入れる課題を行うと、「あ○き○たけん」という返答が「あ○い○ちけん」よりも有意に多くなる。プライミングの効果は一般に2時間で消失する。<br />
<br />
[[古典的条件付け]](classical conditioning)とは、[[パブロフの犬]]に代表される記憶に基づく生理反応である。<br />
<br />
手続き記憶、プライミング、古典的条件付けは、言葉やイメージで表すことができないため[[非陳述記憶]](non-declarative memory, 非宣言的記憶)と呼ばれる。またこれら3つと非言語性意味記憶は、それらを有していることを本人は自覚できないため潜在記憶に属している。しかし、上記の分類は研究者により異なり、陳述記憶と顕在記憶とほぼ同義として扱う立場や、意味記憶を潜在記憶に含める研究者もいる。<br />
<br />
健忘患者では一般に、エピソード記憶の障害が目立つが、潜在記憶の障害は目立たない。特に手続き記憶は、重度の健忘患者でも保たれている。[[神経変性疾患]]のなかには、初期に意味記憶だけが顕著に障害されることがあり、[[意味性認知症]](semantic dementia)と総称される。手続き記憶には、[[小脳]]や[[大脳基底核]]が関与しており、[[パーキンソン病]]や[[脊髄小脳変性症]]、[[ハンチントン病]]などで低下すると報告されている<ref name=ref9>'''望月寛子'''<br>手続き記憶の神経基盤<br>''Brain and Nerve'', 60: 825-832, 2008.</ref> 。<br />
<br />
== 健忘症候群を来す主な疾患 ==<br />
<br />
損傷された脳の部位や病変の大きさ、原因疾患により臨床症状はさまざまである(表1)。一般に損傷が[[優位半球]](左半球)の場合は言語性記憶、[[劣位半球]](右半球)の場合は[[視覚性記憶]]の障害が優勢となる。また、前脳基底部の障害による健忘と、それ以外の部位すなわち側頭葉や、乳頭体や視床などを含む間脳の障害による健忘のあいだに、質的相違を認めたとする報告もある<ref name=ref11>'''武田克彦、御園生香'''<br>記憶と前脳基底部<br>In: 高倉公明、宮本忠雄監修 ''記憶とその障害の最前線、メディカル・ビュー社''、東京、1998、pp.115-122.</ref>。Damasio <ref name=ref12><pubmed>3977657</pubmed></ref>は、前脳基底部の損傷による健忘の特徴として、<br />
<br />
#名前や顔などの個別の情報は覚えられるが、それらの統合ができない。<br />
#刺激を時間的に正しく配列して記銘することができず、仮にできたとしても適切に想起することができない。<br />
#再生課題の成績が手がかり・ヒントによりかなり改善する。<br />
<br />
としている。前脳基底部から脳内に広く投射するアセチルコリン神経の障害による健忘と、PapezやYakovlevの閉鎖回路の断絶により生じた健忘という機序の違いを鑑みると、両者の健忘に質的相違が存在することは十分考えられる。しかし、両者に特別な違いはないとする報告もあり<ref name=ref13><pubmed>2259428</pubmed></ref>、さらなる検討を要する。 <br />
<br />
以下、主な疾患について説明する。 <br />
<br />
{| class="wikitable" style="text-align:center": 700px; height: 400px;"<br />
|+表1. 健忘症候群と主な症状 (Cummings<ref name=ref10>'''Cummings JL, Mega MS.''',br>Memory disorders. In: Neuropsychiatry and behavioral neuroscience. <br>''Oxford University Press'', New York, 2003, pp.97-113.</ref>を訳)<br />
|-<br />
| style="text-align:center" | '''症候群''' <br />
| style="text-align:center" | '''臨床症状'''<br />
|-<br />
| [[ウェルニッケ-コルサコフ症候群]] <br />
| [[眼振]]、[[失調]]、[[末梢神経障害]]、[[wikipedia:JA:ビタミンB1|ビタミンB1]]欠乏([[wikipedia:JA:アルコール|アルコール]]多飲)<br />
|-<br />
| 側頭葉切除術後 <br />
| 対側の[[上四分盲]]、手術の既往<br />
|-<br />
| 頭部外傷 <br />
| 前頭葉機能障害、外傷の既往<br />
|-<br />
| 海馬梗塞 <br />
| 同側の[[同名半盲]]、両側性病変の際は[[皮質盲]]<br />
|-<br />
| 視床梗塞/出血 <br />
| 突然発症、血管性危険因子の存在<br />
|-<br />
| 無酸素脳症 <br />
| 心停止、呼吸停止の既往<br />
|-<br />
| [[ヘルペス脳炎]] <br />
| [[クリューバー-ビューシー症候群]]、[[失語]]、[[けいれん]]<br />
|-<br />
| [[wikipedia:JA:腫瘍|腫瘍]] <br />
| [[同名半盲]]、[[片麻痺]]、[[頭痛]]<br />
|-<br />
| 前脳基底部損傷(前交通動脈瘤破裂) <br />
| 性格変化、[[wikipedia:JA:尿崩症|尿崩症]]、低体温<br />
|-<br />
| 初期のアルツハイマー病 <br />
| 高齢者での緩徐進行性の健忘<br />
|-<br />
| [[電気けいれん療法]]後 <br />
| うつと電気けいれん療法の既往<br />
|-<br />
| 一過性全健忘 <br />
| 血管性機序<br />
|-<br />
| [[wikipedia:JA:低血糖|低血糖]] <br />
| [[wikipedia:JA:インスリン|インスリン]]過量投与<br />
|-<br />
| 心因性健忘 <br />
| 自分が誰か分からない<br />
|}<br />
<br />
=== ウェルニッケ-コルサコフ症候群(Wernicke-Korsakoff syndrome) ===<br />
<br />
[[間脳性]]の健忘の代表。ビタミンB1欠乏により、乳頭体や脳弓、視床に変性が生じ、Papez, Yakovlevの両回路が遮断されることにより健忘を生じる。意識障害、[[眼球運動障害]]、失調を示すウェルニッケ脳症が生じ、意識障害から回復してくるとコルサコフ症候群としての記憶障害が顕在化してくる<ref name=ref6>'''三村將'''<br>記憶障害<br>江藤文夫、武田克彦他編、高次脳機能障害のリハビリテーションVer.2.''医師薬出版''、東京、2004, pp.38-44. </ref>。[[見当識障害]]、前向性健忘、逆行性健忘、[[作話]]が特徴で、以前はアルコール多飲者の栄養不良が代表的原因とされた。今日では栄養状態の良くない患者にビタミンB1を含まないブドウ輸液の点滴を行ったことによる医原性もしばしばみられる。“ビタミンB1の補充が1時間遅れると、患者の回復は1日遅れる”と言われるほど、いかにこの疾患を疑いいち早くビタミンを補充するかが、患者の予後を大きく左右する。 <br />
<br />
=== 視床梗塞/出血 ===<br />
<br />
視床は[[wikipedia:ja:脳梗塞|脳梗塞]]、[[wikipedia:ja:脳出血|脳出血]]の好発部位で、その障害によって生じた健忘を視床性健忘という。視床は、血管性認知症のstrategic infarctionの責任病巣の一つで、[[wikipedia:ja:脳底動脈|脳底動脈]]の遠位部が閉塞すると両側視床が一度に障害され覚醒度の障害、健忘、[[眼球運動]]障害を呈する(Top of the basilar syndrome)。視床性健忘は普通、エピソード記憶の障害に限られ、意味記憶や手続き記憶は保たれる。前向性健忘が主体であるが、逆行性健忘も伴うこともある。側頭葉障害での健忘と視床性健忘とでは、前向性健忘の性質が異なるとされる<ref name=ref14>'''佐藤正之、葛原茂樹'''<br>視床性痴呆.神経内科、60: 28-32, 2004.</ref>。すなわち、側頭葉障害の場合には記憶の貯蔵が障害され早い忘却率を示すのに対し、視床性健忘では時間をかけるとかなりの程度まで記憶が可能で忘却率も低いが、記憶した内容の時間的・空間的な文脈が障害される。これは視床性健忘では、記憶の符号化や記銘が主として障害されるのに対し、想起は比較的保たれていることを示唆する。 <br />
<br />
=== ヘルペス脳炎 ===<br />
<br />
[[wikipedia:ja:単純ヘルペスウイルス|単純ヘルペスウイルス]](HSV)による脳炎で、成人発症の脳炎の約20%を占め、1型(HSV-1)が大部分である。HSV-1は、空気や唾液の接触で伝播し、初感染の後は[[三叉神経節]]に潜伏する。何年も後に再活性化し[[wikipedia:JA:口唇ヘルペス|口唇ヘルペス]]を生じ、三叉神経を介して脳底部の[[wikipedia:JA:髄膜|髄膜]]に到達し、側頭葉や前頭葉眼窩面で脳炎を起こす。HSV-1による脳炎の25%は、初回の直接感染で生じる。動物実験の結果から、[[嗅神経]]を介して感染し前頭葉眼窩面や側頭葉に到達すると考えられている。急性に発熱、頭痛、意識障害が進行し、後遺症を残すこともある。クリューバー-ビューシー症候群(Klüver-Bucy syndrome)は両側側頭葉前部を切除されたサルの動物実験での行動異常として報告されたが、ヘルペス脳炎でも認めることがある。口唇傾向、馴化、視覚失認、性欲亢進、異食などを呈し、ヒトの場合特に前二者が目立つことが多い。 <br />
<br />
=== 前脳基底部損傷(前交通動脈瘤破裂) ===<br />
<br />
[[前交通動脈]]は、前脳基底部のすぐ下に位置する。前交通動脈瘤は、[[脳動脈瘤]]の約30%を占め、破裂するとしばしば前脳基底部を損傷し、後遺症として健忘を来す。出血による直接損傷の他に、動脈瘤のクリッピングにより同部を灌流する枝が閉塞されることもあるという<ref name=ref15><pubmed>7112387</pubmed></ref>。 <br />
<br />
=== 初期のアルツハイマー病 ===<br />
<br />
アルツハイマー病(Alzheimer's disease, AD)では、初期から前脳基底部のコリン作動性線維の起始核が変性・脱落する。健忘で発症することが多く、経過とともに他の認知機能障害が加わる。ADの症状に脳内のアセチルコリン濃度の低下が関与するとする仮説があり(コリン仮説)、臨床的にもアセチルコリンの分解を阻害する薬物によりADの認知機能の改善が得られている。詳細はADの章を参照していただきたい。 <br />
<br />
=== 一過性全健忘(Transient global amnesia, TGA) ===<br />
<br />
[[一過性全健忘]](TGA)とは、一過性に強い前向性健忘と、さまざまな程度の逆行性健忘を生じる病態で、通常は24時間以内に元通りになる。発作の間の記憶は戻らないこともある。患者は一見正常に活動しているように見えるが、当惑し同じ質問を何度もする。“何かいつもと違う状態が自分に生じている”という病識はある。原因は不明であるが海馬の一過性虚血、てんかん、静脈灌流異常などの可能性が指摘されている。<br />
<br />
== まとめ ==<br />
記憶障害の研究に一大転機をもたらした症例HMに始まり、記憶の機能解剖、分類、そして健忘症候群に属するいくつかの疾患について解説した。健忘は認知症の主症状であり、超高齢者社会を迎えるわが国おいて、医療面・社会面・経済面のいずれにおいても重要性が増している。記憶のメカニズムを明らかにすることにより、治療法やリハビリ、代替手段の開発に役立つと期待される。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[認知症]]<br />
* [[前向性健忘]]<br />
* [[逆行性健忘]]<br />
* [[記憶の分類]]<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
<br />
<references/></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E5%A4%B1%E8%AA%8D&diff=36857
失認
2016-11-03T12:40:07Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">高山 吉弘</font><br><br />
(編集部コメント:ご所属をお願いいたします)<br />
''''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2016年10月4日 原稿完成日:2016年月日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 内科学講座 神経内科)<br><br />
</div><br />
英:agnosia 独:Agnosie 仏:agnosie<br />
<br />
{{box|text= 失認とは主に「ある感覚を介して対象物を認知することの障害」と定義される<ref name=ref1>'''高山吉弘'''<br>失認症<br>''Journal of Clinical Rehabilitation''. 別冊高次脳機能障害のリハビリテーション; 1995;44-49. 医歯薬出版,東京.</ref>。ある[[感覚]]、例えば[[視覚]]で述べれば、視覚的に対象を認知できないが、視覚そのもの要素的な異常や、[[知能]]低下、[[意識障害]]などに対象[[認知障害]]の原因を求めることができない症候である。}}<br />
<br />
== 失認とは == <br />
「失認」とよばれる症候はいくつもあるが、その主なものは、「ある感覚を介して対象物を認知することの障害」と定義される失認である<ref name=ref1>'''高山吉弘'''<br>失認症<br>''Journal of Clinical Rehabilitation''. 別冊高次脳機能障害のリハビリテーション; 1995;44-49. 医歯薬出版,東京.</ref>。ある[[感覚]]、例えば[[視覚]]で述べれば、視覚的に対象を認知できないが、視覚そのもの要素的な異常や、[[知能]]低下、[[意識障害]]などに対象[[認知障害]]の原因を求めることができない症候である。視覚・[[聴覚]]・[[触覚]]などの感覚様式で[[視覚失認]]・[[聴覚失認]]・[[触覚失認]]という臨床型が報告されてきた。<br />
<br />
一方、[[神経心理学]]・[[高次脳機能障害]]学のテキストを開くと、失認という用語が付いている症候はたくさんある。認識・認知を失ったのが「失認」とされるので、指や身体の認識・認知を失ったものは[[手指失認]]・[[身体失認]]である。病態を認識できないものは[[病態失認]]である。つまり、現象的に何かを「認識・認知」することを失う時にも、「失認」と命名されている。<br />
<br />
<br />
==視覚関連の失認== <br />
物をつまんだり、障害物を避けることができるため、「見えている」と考えられるにも関わらず、物を見てもそれが何かがわからない、でも、触れたり、それが発する音を聞くと何かがわかるという、奇妙な視覚関連の症候を示す患者がいる<ref name=ref5><pubmed>21601069 </pubmed></ref> <ref name=ref6>'''石合純夫著'''<br>高次脳機能障害学 第2版<br>''医歯薬出版'' 2012、失認と関連症状 109-149</ref>。視覚からは何かわからなかったのに、視覚以外の感覚情報(例えば聴覚情報)からは何であるかがわかり、わかってしまえばそれを使うことができる方である。こういった症候が視覚失認と言われる。視覚に関連した失認として他には、[[相貌失認]]や[[地誌的見当識]]障害なども述べられてきた。視覚関連の失認は[[後大脳動脈]]の支配領域と関連の深いことが明らかとなっている<ref name=ref7><pubmed>22276198</pubmed></ref>。 <br />
<br />
===視覚失認 === <br />
<br />
統覚型知覚失認・統合型知覚失認・連合型視覚失認は視覚失認の最近の分類方法である<ref name=ref8>'''Heinrich Lissauer'''<br>Ein Fall von Seelenblindheit, nebst einem Beitrag zur Theorie derselben.<br>''Archiv für Psychiatrie und Nervenkrankheiten''.:1890,21; 222-270</ref> <ref name=ref9>'''Martha Farah'''<br>Visual Agnosia, 2nd Ed. <br>''The MIT Press'',. Cambridge,. Massachusetts,. 2004, </ref>。これらは、一連の視覚関連の物品認知障害がスペクトラム的にとらえることが妥当であることを示している。(編集部コメント:この文章はこの説の末尾にありましたが、こちらに持ってきてよいでしょうか)。<br />
<br />
====統覚型視覚失認 ====<br />
視覚認知には、要素的視覚情報(光の強弱、対象の大小、運動の方向など)を形態に統覚する必要があると考えられてきた<ref name=ref10><pubmed>4303441</pubmed></ref>。そして、その統覚レベルでの障害されるため視覚失認を呈するのが[[統覚型視覚失認]]である。両側[[有線野]]を含む[[後頭葉]]損傷例や、両側有線野は保たれるがその周辺が大きく損傷された症例が報告されている。しかし、実際の症例報告では、この要素的[[知覚]]の正常さを完全に証明できているとは言いがたい<ref name=ref11><pubmed>7546671</pubmed></ref>。<br />
<br />
==== 連合型視覚失認 ==== <br />
要素的知覚もその統覚(知覚表象)も正常であるが、視覚的に対象が何かわからない病態を示す症例が報告されている<ref name=ref12><pubmed>5548450</pubmed></ref>。つまり、意味を奪われた正常な知覚表象と説明される。他の感覚モダリティを介するときには正常に物を認識できることより「意味のシステム」自体は正常に維持されていると判断される。この「意味のシステム」とは、過去の経験を貯蔵する系と理解することが可能である。正常な視覚系と対象についての過去の経験を貯蔵する系との連合障害として、正常な知覚表象が確保されているにも関わらず視覚的認知ができなくなると考察された。<br />
<br />
左半球の[[一次視覚野]]、[[脳梁膨大]]、右半球の[[下縦束]]の損傷例の報告があり、[[視覚連合野]]から下縦束を介して[[海馬]]に至る経路が両側性に断たれたため(左半球では一次視覚野の損傷のため、右半球では下縦束の損傷のため)に生じたとしている。両側下縦束の損傷例の報告もある。<br />
<br />
==== 統合型視覚失認 ====<br />
[[連合型視覚失認]]の診断のため、知覚表象が正常であることを、課題を達成する時間要因などを加味して詳細に検討すると、実は「知覚表象は完全には正常ではない」ことが明らかになることがある<ref name=ref13><pubmed>3427396</pubmed></ref> <ref name=ref14>'''平山和美'''<br>視覚性失認<br>''神経内科''.:2008,68;358-367</ref>。つまり、統覚型視覚失認と連合型視覚失認の典型例の間に「移行型」がありえることが明らかになり、[[統合型視覚失認]]と診断される。では、どのように操作的に診断するかであるが、格子で干渉をされた図形(網掛け線画)の模写を用いる課題が考案され、統合型視覚失認では、この課題が困難である。<br />
<br />
==== その他の物品認知障害 ====<br />
上記以外にもいろいろな状況で視覚的な物品認知は低下するが、それらも視覚失認の範疇で論じられている。幾つかを挙げる。<br />
<br />
=====視点による物品認知の障害:変換型失認=====<br />
Transformation agnosia<br />
<br />
ヒトは、ある物品を見る時、普通にそれを見る向き・角度がある。たまたま、ひっくり返されていても、推測し、過去の経験に照らし合わせることで何かを理解する。しかし、それが困難になる症例をWarringtonらは報告している<ref name=ref15><pubmed>3797207</pubmed></ref>。<br />
<br />
=====カテゴリー化機能の障害 =====<br />
[[言語]]優位側の一側性の損傷で連合型視覚失認が生ずるとの報告が蓄積してきた。これらでは視覚的カテゴリー化の障害がみられると考察されている。<br />
<br />
===== 意味型失認=====<br />
Semantic agnosia <br />
<br />
連合型視覚失認では認知された形に意味をもたすことができない。「意味」は脳内で保たれているが、それは他のモダリティからは「意味」にアクセスができることで証明される。しかし、意味自体を失えば、形に意味を持たせることが元来できない。[[意味型失認]]と分類される。物品や[[語彙]]自身の意味を喪失したために物品認知のできないもので、両側の側頭葉[[辺縁系]]の損傷で生ずるとされる。視覚以外の感覚様式でも物品認知は困難になり、視覚失認の概念からは逸脱していく<ref name=ref16>'''Humphreys GW, Riddoch MJ.'''<br>To See But Not To See: A Case Study of Visual Agnosia. <br>''Lawrence Erlbaum, London.'' 1987</ref>。<br />
<br />
===== 同時失認による視覚認知障害 =====<br />
複数の形態を同時に認知できなければ、全体を把握することができない。複雑な情景画などでその個々の部分は理解できるが、全体が何を表しているか理解できない症候である<ref name=ref17>'''Wolpert T.'''<br>Die Simultanagnosie.<br>''Zeitschrift für die Gesamte Neurologie und Psychiatrie'' :1924,93;397–415.</ref>。部分ごとの視知覚は正常だが、その部分と部分の互いの関係を把握できず、結果として全体の意味が分からないものである。同時失認の報告例は、「全体把握の能力の障害」としてとらえられてきた。しかし、一連の視覚刺激に視空間性の注意を維持しつづけることの障害であるととらえ、[[注意障害]]であるとの仮説も述べられてきた。損傷部位として、左後頭葉前方部あるいは後頭側頭葉損傷、もしくは両側後頭葉外側部損傷が報告されている。(編集部コメント:ブロードマン脳領域の番号がわかればお願いいたします)<br />
<br />
==== メカニズム ====<br />
視覚失認のメカニズムの考察では、視覚認知が段階的なステップを経て認識されるという神経心理学的仮説が述べられてきた。要素的[[知覚]]があり、形の統覚があり、意味との連合がなされるというものである。そして、視覚の[[記憶痕跡]]の活性化により、視覚認知が確立するという仮説である。一方、[[w:Antonio Damasio|Damasio]]<ref name=ref18><pubmed>2691184</pubmed></ref>は視覚認知が神経ネットワークの活動のパターンで表現され、特別な記憶痕跡が活性化されるものではないと主張している。<br />
<br />
==== 機能画像研究より ====<br />
[[賦活研究]]で、形の刺激に特別に反応する部位として両側の側後頭複合体部が注目されている。しかしこの部を損傷研究と照合しようとしても、この部の両側性損傷は実際の症例では起こりにくく、照合は困難である。<br />
<br />
=== 相貌失認 === <br />
人の顔を認知することの障害であるが、狭義と広義の[[相貌失認]]が記述されてきた<ref name=ref19><pubmed>21601069 </pubmed></ref>。<br />
<br />
'''狭義の相貌失認'''は、熟知した人物を相貌によって認知する能力の障害である。しかし、声を聞くとわかる。一方、熟知相貌の認知障害がなくとも、未知相貌の学習・弁別、表情認知、性別・年齢・人種などの判定、美醜の区別などにいくつかに障害がある病態が'''広義の相貌失認'''と診断される。<br />
<br />
「一般的な物体失認の変則型」、「健忘症候群の顔貌限定型」、「クラス内での個々の判別障害で顔に特異的なものではない」などといった仮説があるも、「顔貌の認知は特異な系がつかさどっておりその処理システムの障害」が相貌失認であるとの説が受け入れられている。剖検例は両側側がほとんどであるが、右半球後頭葉内側面([[紡錘状回]]、[[舌状回]])が重視されている<ref name=ref20><pubmed>21687793 </pubmed></ref>。一側性では広義の相貌失認は起こるが、軽度で一過性のことが多い。両側性では症状が多彩で重度かつ持続性である。<br />
<br />
賦活研究の顔に関するものはかなり蓄積されてきた。基本的には顔を提示して特異的に反応する部位を抽出するわけであるが、顔の異同弁別課題、顔の向きへの反応課題、倒立顔画像の提示課題など、さまざまな課題が考案されている。顔の認知が、顔の部分の処理過程と顔の全体の処理過程によりなされているであろうことより、課題が考案されている。紡錘状回顔領域(fusiform face area)<ref name=ref21><pubmed>9151747</pubmed></ref>、[[後頭顔領域]] (occipital face area)<ref name=ref22><pubmed>21206532 </pubmed></ref>が注目されている。左右差があり、右半球に賦活が強いと報告されている。これらの領域が顔認知のネットワークを形成し、処理していると考察されている。<br />
<br />
=== 地誌的見当識障害 ===<br />
認知症の方が道に迷ってしまい、家に帰れないことがある。これは全般的な知的機能の低下からと説明される。また、[[半側空間無視]]があっても道に迷ってしまうことがあろうが、その際は、半側空間無視による地誌的情報の処理障害による迷いと説明できる。これらは二次的に生じた症候であるが、しかし、道に迷ってしまう原因となる一次的な要因がないにも関わらず、慣れた道で迷ってしまうとすれば、「道に迷ってしまう」という特別な症候が存在することになる。そして、実際に、他の症候から二次的に発生したとは考えにくく、地誌的な情報の処理が特別に強く障害されている症例が報告されてきた。本邦の高橋<ref name=ref23>'''高橋伸佳'''<br>街並失認と道順障害 神経研究の進歩<br>''Brain and Nerve''.: 2011,63(8);830-838.</ref>がこの症候につき解析を深めた。症候を分類し、熟知しているはずの街並をみても何の建物かどこの風景かわからない街並失認と、一度に見通せない比較的広い範囲内において自己や他の地点の空間的位置を定位することが困難である道順障害に分けている。責任病巣として、街並失認例では[[海馬傍回]]後部、舌状回前部とこれに隣接する紡錘状回損傷が、道順障害は脳梁膨大後域から頭頂葉内側部にかけての損傷が重視されている。<br />
<br />
風景によって賦活される脳部位として、海馬傍回後部から舌状回前部の紡錘状回場所領域と、脳梁膨大後皮質と後帯状皮質が報告されている。地誌的見当識障害の損傷部位と重なり、これらの部位が地誌的見当識と関連することを支持する報告である<ref name=ref24><pubmed>9560155</pubmed></ref> <ref name=ref25><pubmed>9106758</pubmed></ref>。<br />
<br />
==聴覚関連の失認 == <br />
[[聴力]]は保たれており聞こえているはずなのに、音を聞いても何かわからないが、見たり触ったりすると何かがわかるのが[[聴覚失認]]である<ref name=ref26><pubmed>25726291 </pubmed></ref>。環境音、言語、音楽などの聴覚刺激での「失認」症候が報告されてきたが、これらの症例研究より聴覚刺激の脳機能処理過程を検討することがなされてきた。<br />
<br />
=== 聴覚失認 ===<br />
狭義には言語・音楽を除く有意味な聴覚刺激の認知障害である。この意味で聴覚失認の用語を使用するときには、言語性聴覚刺激の認知障害を[[純粋語聾]](pure word deafness)という。広義には、言語性、非言語性を含めた有意味な聴覚刺激の認知障害である。狭義の聴覚失認(auditory agnosia)と純粋語聾が独立して存在することにより、聴入力は言語性、非言語性が別途に処理されるとの説が受け入れられているが、広義の聴覚失認から狭義の聴覚失認への移行例の報告もあり、高次の聴覚認知障害は、スペクトラムを示すとの説も提出されている。<br />
<br />
=== 純粋語聾 ===<br />
言語刺激に限定された聴覚認知障害である。[[ウェルニッケ領]]が聴力入力から両側性に離断されたものとの説が強い。時間分解能の障害との考察もあるが、それのみでは説明できないとの報告もある。通常は両側性病変で[[ヘシュル回]]を幾分残し、両側の上側頭回の前方の皮質・皮質下の病巣で出現の報告がある。一側性でも言語優位側の側頭葉皮質下病変で出現するともされる。[[一次聴覚皮質]]の両側性の病変で、[[純粋語聾]]が生じたが狭義の聴覚失認は生じなかった症例より、言語には一次聴皮質が必要で、非言語性は[[聴覚連合野]]が重要との報告がある。<br />
<br />
=== 狭義の聴覚失認 ===<br />
非言語性有意味の聴覚認知障害であり、言語音認知は正常である。右[[視床]]・頭頂葉損傷例や右側頭・頭頂・後頭接合部の損傷例が述べられている。右の上・中側頭回の後方に位置する一側性の小出血例の報告もある。右半球が非言語性有意味音の認知に優位とされ、その損傷により生ずると考察されている。また。言語性・非言語性両方の聴覚刺激認知障害は両側性の皮質下病変例で散見される。<br />
<br />
== 身体部位に関連して失認の用語が付されている症候 ==<br />
何かを認知できないことを指して、「失・認知」つまり「失認」の用語が使われる。身体部位の認知や手指認知、左右認知に困難をきたす症例の報告が蓄積されてきた。それぞれ、[[身体部位失認]]、[[手指失認]]、[[左右失認]]と記述されている。<br />
<br />
=== ゲルストマン症候群に含まれる手指失認と左右失認 === <br />
[[ゲルストマン症候群]]とは、手指失認・左右失認・[[計算障害]]・[[失書]]を示すものであり、二つの「失認」が構成要素となっている<ref name=ref27>'''高山吉弘'''<br>Gerstmann症候群と身体部位失認<br>失語症臨床ハンドブック.濱中淑彦監修/波多野和夫・藤田郁代 編.<br>''金剛出版'' 1999; 305-310.</ref>。これらの4つの症候が共通する基盤をもつため症候群として出現するとしたのが[[w:Josef Gerstmann|ゲルストマン]]<ref name=ref28>'''Gerstmann J.'''<br>Syndrome of finger agnosia, disorientation for right and left, agraphia and acalculia.<br>''Arch Neurol Psychiatry''.:1940,44;398–407.</ref>である。ゲルストマンは指の個別性の識別能力が左右弁別、計算能力、書字能力成立の共通の基盤であると考え、その障害が基本障害であるとした。しかしゲルストマン症候群の臨床的独立性の意義を問うPoeckら<ref name=ref29>'''Poeck K, Orgass B.'''<br>Gerstmann's syndrome and aphasia.<br>''Cortex''.:1966,2;421-427.</ref>は、何らかの特異な基本障害があるのではなく、[[失語症]]がゲルストマン症候群をおこすのであろうとしている。しかし、それぞれの症候の純粋例の報告またみられている。<br />
<br />
手指失認とは、個々の指を手で掴んだり、呈示したり、前に出したり、名称を言うように指示されてもできない手指の指示障害、手指の呼称障害などがあるときに下される症候名である。この症候を説明する概念が、[[身体図式]]・[[身体イメージ]]である。身体図式は、再帰的な意識、自覚を必要とせずに、身体運動を意識下で調整している主体であるとされる。一方、身体イメージとは、顕在的な自己身体に関する知識を指す。身体イメージが障害され、身体図式が保たれるというパターンを示した手指失認の純粋例をAnemaらが報告している<ref name=ref30><pubmed> 18766025 </pubmed></ref>。 <br />
<br />
左右障害では、患者および検者の右側および左側に対する左右位置づけ障害を、交叉二重命令・交叉性単純命令障害・同側性二重命令・同側性単純命令などで検査されてきた。<br />
<br />
=== 身体部位失認 ===<br />
[[身体部位失認]]は、 <br />
#命令に従って、身体部位を指し示すことができず、迷い、誤り、身体外空間を探ったりする。<br />
#しかし、個々の身体の部分に関する知識の障害ではない。<br />
#検者が身体の部分を指し示したら呼称できることより失語によるものでもない。<br />
#一般的な空間的能力は比較的保たれている、<br />
という特徴を持っている<ref name=ref31><pubmed>7714475</pubmed></ref>。 <br />
<br />
De Renzらは<ref name=ref32><pubmed>5456719</pubmed></ref>、身体部位失認の患者が、身体部位ばかりではなく、自転車の部品の指示に関しても同様の障害を有することを示し、全体から部分を抽出する能力の障害を考えている。しかし、Siriguらの症例<ref name=ref33><pubmed>2004260</pubmed></ref>では身体部位の同定のみが著明に障害されており、身体部位失認が独立して存在することを支持する報告である。<br />
<br />
一般的には、身体部位失認は、失語や知能障害などに二次的症候とする説が受け入れられているが、[[感覚運動]]・[[視空間]]・語義などの多数のレベルの表象が関係する身体意識の統合が障害されるとの考察もある。病巣は、左半球後半、頭頂・後頭・側頭葉領域が重視されている。<br />
<br />
== 触覚失認== <br />
基本的感覚(触覚、痛覚、温度覚、深部知覚など)に障害がなく、素材もわかるが、触ることでは物品を認知できない病態である<ref name=ref34><pubmed>8673499</pubmed></ref> <ref name=ref35><pubmed>8931580</pubmed></ref>。病巣と反対側の手にみられることが多いが、両側性の報告もある。また、[[立体覚障害]](astereognosis)は基本的感覚([[触覚]]、[[痛覚]]、[[温度覚]]、[[深部知覚]]など)に障害がないにもかかわらず、手のなかに与えられた素材がわからない病態であり、これは痛覚失認の統覚型ともみることができる。左[[下頭頂小頭]]の限局性損傷例や、[[左角回]]と右頭頂、側頭、後頭葉の損傷例がある。[[感覚連合野]]の損傷で[[触覚失認]](tactile agnosia)が生じるとも報告されている。感覚連合野が下側頭葉と断離されたために生じたと考察されている。<br />
<br />
== 病態失認 ==<br />
脳損傷では、種々の行動・認知障害が生じ、日常生活が明らかに制限されたり、誰の目にも明らかな障害が出現することも多い。そういった他者からみて明確な症状があるにも関わらず、患者自身はその障害に気付いていなかったり、その障害を軽く見積っていたりすることがある。このような 症候に対し病態失認、病態否認、疾病無認知などの用語が用いられている。<br />
<br />
===片麻痺の無認知 ===<br />
患者は麻痺について何も知らない様に、また麻痺が存在しないかのように振舞う。「手足は動きますか?」等と問いかけると、「両方ともちゃんと動きます」、「今は 動かしたくないので・・・」、等と答える。「動かしてみせて下さい」との求めに、いいほうの手足を動かして「はい、動きました」とか、動いていないのにちゃんと動かした様な表情をしたりもする。片麻痺の無認知は右半球損傷・左[[片麻痺]]で起こりやすい。運動麻痺の程度と麻痺の無認知の程度は必ずしも並行しない。麻痺の無認知の例では深部知覚障害がみられることがほとんどである。片麻痺の無認知は非優位側縁上回もしくは視床ー頭頂葉連絡線維の損傷で生じる可能性が指摘されている。<br />
<br />
急性期に見られることが多く、[[心的防御]]によるとの説明もある<ref name=ref36><pubmed>25481464</pubmed></ref>。また、運動意図が発動されたにも関わらず、麻痺によって運動が引き起こされなかった状況があれば、運動意図だけで運動をおこなったと認知をするが、しかし実際には動いていないという片麻痺の病態失認が発生するとの仮説もある<ref name=ref37><pubmed>25023619 </pubmed></ref>。病態失認の重症度と関連の強い症候を検討したVocatらの研究<ref name=ref38><pubmed>21126995 </pubmed></ref>では、[[固有知覚]]の低下、失見当識、半側空間無視を抽出しており、これらが複合的に関連することで症候が出現すると考察されている。<br />
<br />
== 研究手法==<br />
<br />
=== 機能障害から検討する手法 ===<br />
脳損傷例から脳障害の症候を検討する方法が高次脳機能障害を考える基本的な手法である。[[症例研究]]である。症候を分析し、その症状の発現メカニズムを検討する。また、最近の手法の進展で、健常者に対し、例えば[[経頭蓋磁気刺激法|経頭蓋的に磁気刺激]]を与えることで瞬時の脳機能低下を誘発させることも行われている。患者の[[脳動脈]]に[[麻酔薬]]を注入し一時的に脳の機能を低下させることで脳機能を検討する[[アミタールテスト]]や、[[てんかん]]患者への電極植え込み後の[[覚醒下電気刺激法]]、覚醒開頭下の[[機能的脳外科]]における[[局所的脳機能確認]]といった手法<ref name=ref2><pubmed>19071024</pubmed></ref>も機能低下・機能障害から症候を解析する研究手法といえる。<br />
<br />
=== 正常脳機能解明から ===<br />
機能画像研究として[[PET]]、[[fMRI]]が研究に利用できるようになった<ref name=ref3>'''浅田朋彦、高山吉弘、福山秀直'''<br>画像診断:PET,SPECT.<br>''Journal of Clinical Rehabilitation'' 別冊高次脳機能障害のリハビリテーションVer.2 .;2004;136-142.</ref>。健常者にさまざまな高次脳機能課題を課し、課題による効果を統計的に解析し、有意差から抽出される脳部位を検証することで脳の機能解剖を確立しようとする方法である。「脳の不思議」を、知的好奇心から探求する方法論としても利用される。賦活研究においては、どのような課題を課するかが要点となる。高次脳機能障害として確立されてきた課題が用いられることもあるが、心理学的・認知神経学的の立場から提出されてきた処理モデルに則り、仮説検証的課題を負荷することでも検討されている。機能障害からの知見と健常者研究方の結果の対照を考えるとき、両者がきれいに重ならないことも多い<ref name=ref4>'''高山吉弘'''<br>Modalityの違いによる脳機能解析 言語機能を中心に:神経心理・局所脳血流の立場から<br>''臨床神経生理学32'', 198-204. 2004.</ref>。この乖離を統合する研究成果も期待されている。<br />
<br />
=== 動物実験 ===<br />
動物では[[ヒト]]のようには高次脳機能が発達を遂げておらず、高次脳機能においては、ヒトとはギャップがある。しかし、ヒトと共通する基盤を想定できる高次脳機能に関し、動物から推測するという立場は妥当であろうし、その可能性と限界を明確に了解する限りは興味深い知見が見いだせる実験系であろう。<br />
<br />
==関連項目==<br />
* [[半側空間無視]]<br />
* [[病識]]<br />
== 参考文献 ==<br />
<references /></div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=22q11.2%E6%AC%A0%E5%A4%B1%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4%E3%81%8A%E3%82%88%E3%81%B322q11.2%E9%87%8D%E8%A4%87%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4&diff=36856
22q11.2欠失症候群および22q11.2重複症候群
2016-11-03T12:25:13Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">廣井 昇</font><br><br />
''アルバートアインシュタイン医科大学''<br><br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0080375 吉川 武男]</font><br><br />
''国立研究開発法人理化学研究所 脳科学総合研究センター''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2015年9月17日 原稿完成日:2015年12月30日 改訂版受付日:2016年11月2日 改訂版完成日:201X年XX月XX日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学)<br><br />
</div><br />
<br />
英:22q11.2 deletion syndrom and 22q11.2 duplication syndrome 独:Mikrodeletionssyndrom 22q11.2 仏:Microdélétion 22q11.2<br />
<br />
同義語:[[velocardiofacial syndrome]]([[VCFS]])、[[conotruncal anomaly face syndrome]]([[CTAF]])、[[Cardiac defects, Abnormal facies, Thymic hypoplasia, Cleft palate, and Hypocalcemia, and a variable deletion on chromosome 22]]([[CATCH 22]])、[[DiGeorge syndrome]]、[[Shprintzen syndrome]]、[[Sedláčková syndrome]]、[[Cayler cardiofacial syndrome]]、[[Takao syndrome]]<br />
<br />
{{box|text= 22q11.2欠失症候群および22q11.2重複症候群は、ヒト染色体22q11.2領域の遺伝子量の増減によりおこる一連の症状群をさす。22q11.2欠失の身体症状では、心疾患、口蓋裂、典型的な顔の骨格、副甲状腺縮小、胸腺の欠如あるいは形成不全、ならびにそれらの機能不全によるさまざまな症状がみられる。精神疾患では、知的障害、注意欠陥・多動性障害(ADHD)、統合失調症、自閉症スペクトラム障害などが頻発する。22q11.2重複保有者は、認知運動機能の発達の遅れや知的障害、あるいは学習困難が多くみられ、自閉症スペクトラム障害の診断もみられる。身体症状としては、両眼隔離、発育不全、視覚聴覚異常、小顎、口蓋帆咽頭不全、手足耳の形成異常、筋緊張低下や特徴的顔貌などがある。両者とも、診断は出生前あるいは出生後でのDNA検査によって確定する。22q11.2欠失・重複自体の治療法はないが、各症状に対する外科手術、薬物治療などがなされている。認知機能の遅れや知的障害、学習困難に対しては療育プログラムが施行されている。病態生理の詳細はいまだ十分には理解されていないが、ヒト遺伝子関連研究やマウスなどのモデルを用いた研究では、''TBX1、COMT、DGCR8''などの遺伝子の精神疾患の症状への関与が示唆されている。}}<br />
<br />
==歴史的推移==<br />
現在22q11.2欠失症候群として知られる疾病は、症候群内の個々の症状要素の種類および重篤度に個人差があるため、それぞれの発見者やグループによってさまざまな呼び方をされてきた('''表1''')。<br />
<br />
その後、これらの症候群が実は同じ[[wikipedia:ja:染色体異常|染色体異常]]に由来することが判明したが<ref name=ref1><pubmed>1360769</pubmed></ref> <ref name=ref2><pubmed>1349199</pubmed></ref> <ref name=ref3><pubmed>2045103</pubmed></ref> <ref name=ref4><pubmed>1349369</pubmed></ref>、どの用語を使うかで学会が分裂し用語論争と先取権争いに発展した。しかしそれらの動きは患者の利益に繋がらないことから、用語をその遺伝的機序に基づき22q11.2欠失症候群に統一する動きがある。<br />
<br />
22q11.2欠失患者では、[[知的障害]]、[[ADHD]]、[[統合失調症]]、[[自閉症スペクトラム障害]]の発症が認められ、22q11.2重複患者でも[[認知機能]]の低下および知的障害や[[自閉症]]スペクトラム障害が高い頻度で生じる<ref name=ref5><pubmed>23917946</pubmed></ref> <ref name=ref6><pubmed>24577245</pubmed></ref>。その後、[[精神疾患]]患者のサンプルで報告された[[コピー数変化]]([[CNV]])と総称される[[染色体]]変異は各精神疾患診断名の中で1%以下の割合で存在し、それゆえに他の精神疾患関連CNVと併せてrare copy number variantsと総称されるものの中にも22q11.2欠失および重複は含まれていることがわかった<ref name=ref7><pubmed>22424231</pubmed></ref>。<br />
{| class="wikitable"<br />
|+ 表1.22q11.2欠失症候群の別名<br />
|- <br />
| <br />
*症状による命名:[[velocardiofacial syndrome]]([[VCFS]])、[[conotruncal anomaly face syndrome]]([[CTAF]])、[[Cardiac defects, Abnormal facies, Thymic hypoplasia, Cleft palate, and Hypocalcemia, and a variable deletion on chromosome 22]]([[CATCH 22]])<br />
*名祖命名:[[DiGeorge syndrome]]、[[Shprintzen syndrome]]、[[Sedláčková syndrome]]、[[Cayler cardiofacial syndrome]]、[[Takao syndrome]]<br />
|}<br />
==症状==<br />
22q11.2欠失症候群で観察される症状は多岐にわたり、しかも個人間での発現症状と重篤度でバラツキが見られるのが特徴である。身体症状としては'''表2'''のものが見られる。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+ 表2.22q11.2欠失症候群の身体症状<br />
|- <br />
| <br />
*[[wj:円錐動脈幹異常|円錐動脈幹異常]]などの[[wj:先天性心疾患|先天性心疾患]]<br />
*[[wj:チアノーゼ|チアノーゼ]]<br />
*[[wj:粘膜下口蓋裂|粘膜下口蓋裂]]や[[wj:口蓋裂|口蓋裂]]などの[[wj:鼻咽腔閉鎖機能不全|鼻咽腔閉鎖機能不全]]<br />
*[[wj:胸腺|胸腺]]の欠如あるいは形成不全<br />
*[[wj:自己免疫疾患|自己免疫疾患]]<br />
*典型的な顔の骨格(小さく低い位置にある耳、横に広がった目の位置、厚めのまぶた、比較的長い顔、短い上唇)と短い上唇に起因する乳幼児期の[[摂食]]問題<br />
*副甲状腺縮小による[[wj:副甲状腺ホルモン|副甲状腺ホルモン]]低下<br />
*[[wj:低カルシウム血症|低カルシウム血症]]<br />
*[[腎臓]]異常<br />
*[[wj:喉頭|喉頭]][[wj:気管|気管]][[wj:食道|食道]]異常<br />
*[[痙攣]]<br />
*[[wj:甲状腺|甲状腺]]機能低下<br />
*[[成長ホルモン]]欠如<br />
*[[wj:血小板|血小板]]減少<br />
*[[聴覚]]異常<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
それぞれの精神疾患の罹患率は年齢によっても異なり、また知的障害は自閉症スペクトラム障害とも重複する。精神疾患としては'''表3'''のものがある<ref name=ref5 /> <ref name=ref6 />。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+ 表3.22q11.2欠失症候群の精神症状<br />
|- <br />
| <br />
*[[知的障害]]<br />
*[[注意欠陥・多動性障害]](ADHD)<br />
*[[不安症]]状<br />
*[[統合失調症]]<br />
*[[自閉症スペクトラム障害]]<br />
*[[抑うつ]]<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
22q11.2重複は一般に症状が軽く個人間で症状出現にバラツキがあり、身体症状だけでは診断が難しい。主な症状は'''表4'''のものを含む<ref name=ref5 /> <ref name=ref8><pubmed>18707033</pubmed></ref>。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+ 表4.22q11.2重複症候群の主な症状<br />
|- <br />
| <br />
*[[認知運動機能]]の発達の遅れ <br />
*知的障害および学習困難<br />
*両眼隔離<br />
*発育不全<br />
*[[視覚]]聴覚異常<br />
*[[行為障害]]<br />
*小顎<br />
*口蓋帆咽頭不全<br />
*手足耳の形成異常<br />
*筋緊張低下<br />
*平坦な鼻など特徴的な顔貌 <br />
|-<br />
|}<br />
<br />
なお、22q11.2重複は統合失調症の発症リスクを減少させる(発症防御因子)という報告もある<ref name=ref9><pubmed>24217254</pubmed></ref>。<br />
<br />
==確定診断==<br />
22q11.2欠失の診断は、[[Fluorescence In Situ Hybridization]]([[FISH]])、[[BACs-on-Beads technology]]、[[Multiplex Ligation-dependent Probe Amplification]]([[MLPA]])、[[Array-Comparative Genomic Hybridization]]([[Array-CGH]])などの検査で確定する。<br />
<br />
欠失が単一[[DNA]]プローブの外にある非定型の場合FISHでは見逃すことがあり、多くのプローブを同時に使うBACs-on-Beads technologyやMLPAが必要となる。また、Array-CGHはゲノム全域にわたってプローブが組み込まれた検知法であるため、欠失や重複の長さがより正確に同定できる。重複はFISH, Array-CGHやMLPAで同定されている。<br />
<br />
==疫学==<br />
遺伝子疾患としての22q11.2欠失の頻度は、これまでに主に出生後の子供のサンプルに基づき4,000から6,000人に1人という推定がなされていた<ref name=ref10><pubmed>12837874</pubmed></ref> <ref name=ref11><pubmed>14736631</pubmed></ref>。一方、9,000以上の胎児のサンプルを用いた最近の研究で、遺伝子疾患リスクの高いサンプルで22q11.2欠失が1.08%(92人に1人)、22q11.2重複が0.30%(330人に1人)、遺伝子疾患リスクの低いサンプルでも欠失が0.10%(992人に1人)、重複が0.12%(850人に1人)で見つかり、全サンプルでは22q11.2欠失が0.34%(292人に1人)、22q11.2重複が0.16%(622人に1人)であった<ref name=ref12><pubmed>25962607</pubmed></ref>。<br />
<br />
精神疾患に関しては、22q11.2欠失は稀な染色体数変異(rare copy number variants)と呼ばれるもので、統合失調症と診断された患者群の0.2-0.3%、自閉症スペクトラム障害と診断された患者群の0.07%に存在する。研究初期の小規模の統合失調症サンプルではより高率で22q11.2欠失が見つかるとの報告もあったが、最近の大規模研究でこの主張は否定されている<ref name=ref7 /> <ref name=ref13><pubmed>24311552</pubmed></ref>。また、自閉症スペクトラム障害は22q11.2欠失では生じないとの一部研究者の主張も、大規模研究では支持されていない<ref name=ref7 />。<br />
<br />
22q11.2重複は健常人では0.08%で見られるが、知的障害、[[発達遅延]]、[[wj:先天性形成異常|先天性形成異常]]を持つものでは0.32%、自閉症スペクトラム障害児では0.28%と健常人よりも有意に高い率で見つかっている<ref name=ref7 />。<br />
<br />
==病態生理==<br />
=== 染色体異常 ===<br />
22q11.2欠失は、[[ヒト]]22番染色体長腕のq11.2領域における1コピーの欠失による。大多数においては3 Mbの欠失、残りは3 Mb 部位の内側にある1.5 Mbや2 Mb欠失、あるいは3 Mbを含みそれ大きな以上の染色体欠失である。これらの領域から離れた部位での欠失も1%以下のケースでみられる<ref name=ref14><pubmed>9106531</pubmed></ref> <ref name=ref15><pubmed>23245648</pubmed></ref> <ref name=ref16><pubmed>17028864</pubmed></ref>。22q11.2重複も、欠失と同じ部位での3 Mbあるいはその内側での 1.5 Mb重複として起こる。22q11.2欠失は両親の一方から受け継いだケースがみられるが、新規な遺伝子異常(''de novo'')のケースの方が多い<ref name=ref17><pubmed> 24395195</pubmed></ref> <ref name=ref18><pubmed>9350810</pubmed></ref>。一方で22q11.2重複は、逆に両親の一方から遺伝して生じる方が新規な遺伝子異常のケースより多いと推定されている<ref name=ref19><pubmed>25118001</pubmed></ref>。欠失や重複の起始点や終着点が同一箇所になるのは、[[low copy repeats]](LCR)と呼ばれる染色体部位でのゲノム再編成によると考えられている。<br />
<br />
欠失、重複は最低でも1.5 Mb、大多数において3Mbにも及ぶため、そこに含まれている多くの遺伝子がどのように身体症状および精神症状に寄与しているのかはよくわかっていない。CNV領域にコードされている遺伝子は、タンパクを作るものだけではなく[[マイクロRNA]]と呼ばれるタンパク質を生成せず他の遺伝子の[[翻訳]]を制御するものも含まれている。<br />
<br />
欠失・重複の両方で多くの同じ症状が出現することから、22q11.2での遺伝子が適正値から多くても少なくても症状を引き起こすものと考えられている<ref name=ref5 />。しかしながら、統合失調症は欠失では高頻度で見られるものの重複では見られないか、あるいは防御因子になることから<ref name=ref9 />、遺伝子量の増減が必ずしも同一症状を引き起こすものではない。さらに、22q11.2欠失・重複では症状のバラツキが大きいので、当該領域の遺伝子の表現型に与える影響は決して100%ではなく、各症状の出現には欠失・重複領域の遺伝子の他、他のゲノム領域上の遺伝子との相加的作用、相乗的相互作用が想定される。[[マウス]]での遺伝子背景を変えた研究、また人での統合失調症の[[エキソーム解析]]の結果から、このような機序の存在が示唆されている<ref name=ref20><pubmed>24482440</pubmed></ref> <ref name=ref21><pubmed>19240081</pubmed></ref>。<br />
<br />
ヒトでは、22q11.2欠失・重複領域内にある単一遺伝子のCNVは報告されていないため、個々の遺伝子がどの症状にどのように関与しているかについては、詳細は不明である。ただ、[[TBX1|''TBX1'']]遺伝子の機能欠失型変異を持つ家系は数例報告されており、これらの家系では[[心臓|心]]疾患、[[副甲状腺]]機能低下症、典型的な顔貌、知能発達遅延、自閉症スペクトラム障害、[[広汎性発達障害]]、等が見られることから、''TBX1''の22q11.2欠失症候群における一部の症状への寄与が推定されている<ref name=ref22><pubmed>11748311</pubmed></ref> <ref name=ref23><pubmed>24637876</pubmed></ref> <ref name=ref24><pubmed>16684884</pubmed></ref>。<br />
<br />
===iPS細胞を用いた研究===<br />
22q11.2欠失を持ちかつ統合失調症を発症した患者から[[iPS細胞]]を樹立し、それを分化させた[[ニューロスフェア]]([[神経幹細胞|神経幹]]/[[神経前駆細胞|前駆細胞]]の塊)、[[神経細胞]]、[[グリア細胞|グリア]]系の細胞の解析から得られた知見として、<br />
<br />
#患者由来のニューロスフィアのサイズは健常者と比べて約30%小さい<br />
#このニューロスフィアを神経系の細胞(神経細胞とグリア細胞)に分化誘導したところ、患者由来のニューロスフィアは健常者由来と比べて神経細胞に分化する割合が約10%低く、[[アストロサイト]](グリア細胞の一種)に分化する割合が約10%高い、<br />
#患者由来のニューロスフィアのサイズ減少には、[[miR-17]]/[[miR-92|92]]のmiRNAや[[miR-106a]]/[[miR-106b|b]]、[[miRNA-185]]の発現低下が関与している、<br />
#miRNAの異常は、欠失領域にマップされていて成熟miRNAの形成に関与する[[DGCR8]]の影響と考えられる、<br />
#上記miRNAの発現低下が標的の1つである[[p38α]] ([[MAPK14]])の発現上昇を引き起こし、患者由来のニューロスフィアでみられた分化効率の異常につながると考えらる。実際患者由来のニューロスフィアにおけるp38αの発現量を調べた結果、健常者由来のニューロスフィアに比べて約30%上昇しており、p38の[[阻害剤]]によって患者由来のニューロスフィアの分化効率を改善できた、<br />
#死後脳解析においても、健常者の死後脳と比べて患者の死後脳(統合失調症群)では神経細胞のマーカーである[[MAP2]]遺伝子の発現量の低下と、アストロサイトのマーカーである[[GFAP]]遺伝子の発現量の上昇がみられた、<br />
等が報告されている<ref><pubmed>27801899</pubmed></ref>。<br />
<br />
<br />
=== 病態動物モデル===<br />
22q11.2領域にある遺伝子をマウスのゲノムで遺伝子操作した研究からは、各々の遺伝子の役割が推定されている。''Tbx1''欠損マウスは、22q11.2欠失症候群の[[心臓]]疾患をある程度再現することから<ref name=ref25><pubmed>11242110</pubmed></ref> <ref name=ref26><pubmed>11242049</pubmed></ref> <ref name=ref27><pubmed>11239417</pubmed></ref>、この遺伝子が特に心臓疾患に寄与すると考えられている。マウスでの''Tbx1''欠損は、他にも[[胸腺]]の形成異常、[[口蓋裂]]、[[聴覚]]異常などを起こす<ref name=ref28><pubmed>15190012</pubmed></ref>。<br />
<br />
精神疾患に寄与するものとしては、22q11.2領域遺伝子の単独欠損マウスを用いた解析が行われている<ref name=ref5 />。''Tbx1''欠損マウスは、自閉症スペクトラム障害様の広汎な行動異常を引き起こす<ref name=ref29><pubmed>21908517</pubmed></ref>。<br />
<br />
[[Sept5|''Sept5'']]欠損マウスは、社会行動に選択的な異常を示す<ref name=ref21 /> <ref name=ref30><pubmed>22589251</pubmed></ref>。認知機能の重要な要素である[[作業記憶]]は、''Tbx1''欠損28および''Dgcr8''欠損<ref name=ref31><pubmed>24904170</pubmed></ref> <ref name=ref32><pubmed>23719809</pubmed></ref> <ref name=ref33><pubmed>18469815</pubmed></ref>で異常を呈する。<br />
<br />
22q11.2重複については、ヒト22q11.2ゲノム領域を含んだ[[wj:ベクター (遺伝子工学)#人工染色体ベクター|BAC]]([[wj:ベクター (遺伝子工学)#人工染色体ベクター|bacterial artificial chromosome]])クローンを用いて[[トランスジェニックマウス]]を作成し、複数遺伝子を過剰発現させた場合の解析が進んでいる<ref name=ref5 />。''SEPT5''、[[GP1BB|''GP1BB'']]、''TBX1''、[[GNB1|''GNB1L'']]を含む200 kbのヒト22q11.2相当部位を過剰発現させたマウスでは、[[抗精神病薬]]で抑えられる活動量亢進を示し、[[社会行動]]の低下がみられた<ref name=ref34><pubmed>16365290</pubmed></ref>。その隣接部位190 kbの染色体領域は、[[TXNRD2|''TXNRD2'']]、[[COMT|''COMT'']]、[[ARVCF|''ARVCF'']]を含み、この部位の過剰発現は[[作業記憶]]を選択的に障害した<ref name=ref35><pubmed>19617637</pubmed></ref>。これらの遺伝子の過剰発現が、さまざまな精神疾患のいろいろな側面に関与していると推定されている。<br />
<br />
==治療==<br />
現時点で22q11.2欠失・重複自体の治療法はないが、症候群内の個々の症状に対してはさまざまな治療法が施されている。心臓疾患は修復外科手術により生存率が高まり、胸腺欠如は[[wj:胸腺|胸腺]][[wj:移植|移植]]手術によって機能が回復し、[[wikipedia:ja:細菌|細菌]][[wikipedia:ja:感染症|感染症]]は[[wikipedia:ja:抗生物質|抗生物質]]で対処できる。[[wj:副甲状腺|副甲状腺]]機能低下症に起因する[[wikipedia:ja:低カルシウム血症|低カルシウム血症]]は、[[wikipedia:ja:ビタミンD|ビタミンD]]や[[カルシウム]]サプリメントで補正される。精神症状には[[抗精神病薬]]等が用いられる。認知機能の遅れや[[知的障害]]、[[学習困難]]に対しては、専門機関、専門家による療育プログラムが施行されている。<br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[コピー数変化]]<br />
<br />
==参考文献==<br />
<references /><br />
</div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=22q11.2%E6%AC%A0%E5%A4%B1%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4%E3%81%8A%E3%82%88%E3%81%B322q11.2%E9%87%8D%E8%A4%87%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4&diff=36855
22q11.2欠失症候群および22q11.2重複症候群
2016-11-03T12:23:41Z
<p>Makotourushitani: </p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">廣井 昇</font><br><br />
''アルバートアインシュタイン医科大学''<br><br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0080375 吉川 武男]</font><br><br />
''国立研究開発法人理化学研究所 脳科学総合研究センター''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2015年9月17日 原稿完成日:2015年12月30日 改訂版受付日:2016年11月2日 改訂版完成日:201X年XX月XX日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](滋賀医科大学)<br><br />
</div><br />
<br />
英:22q11.2 deletion syndrom and 22q11.2 duplication syndrome 独:Mikrodeletionssyndrom 22q11.2 仏:Microdélétion 22q11.2<br />
<br />
同義語:[[velocardiofacial syndrome]]([[VCFS]])、[[conotruncal anomaly face syndrome]]([[CTAF]])、[[Cardiac defects, Abnormal facies, Thymic hypoplasia, Cleft palate, and Hypocalcemia, and a variable deletion on chromosome 22]]([[CATCH 22]])、[[DiGeorge syndrome]]、[[Shprintzen syndrome]]、[[Sedláčková syndrome]]、[[Cayler cardiofacial syndrome]]、[[Takao syndrome]]<br />
<br />
{{box|text= 22q11.2欠失症候群および22q11.2重複症候群は、ヒト染色体22q11.2領域の遺伝子量の増減によりおこる一連の症状群をさす。22q11.2欠失の身体症状では、心疾患、口蓋裂、典型的な顔の骨格、副甲状腺縮小、胸腺の欠如あるいは形成不全、ならびにそれらの機能不全によるさまざまな症状がみられる。精神疾患では、知的障害、注意欠陥・多動性障害(ADHD)、統合失調症、自閉症スペクトラム障害などが頻発する。22q11.2重複保有者は、認知運動機能の発達の遅れや知的障害、あるいは学習困難が多くみられ、自閉症スペクトラム障害の診断もみられる。身体症状としては、両眼隔離、発育不全、視覚聴覚異常、小顎、口蓋帆咽頭不全、手足耳の形成異常、筋緊張低下や特徴的顔貌などがある。両者とも、診断は出生前あるいは出生後でのDNA検査によって確定する。22q11.2欠失・重複自体の治療法はないが、各症状に対する外科手術、薬物治療などがなされている。認知機能の遅れや知的障害、学習困難に対しては療育プログラムが施行されている。病態生理の詳細はいまだ十分には理解されていないが、ヒト遺伝子関連研究やマウスなどのモデルを用いた研究では、''TBX1、COMT、DGCR8''などの遺伝子の精神疾患の症状への関与が示唆されている。}}<br />
<br />
==歴史的推移==<br />
現在22q11.2欠失症候群として知られる疾病は、症候群内の個々の症状要素の種類および重篤度に個人差があるため、それぞれの発見者やグループによってさまざまな呼び方をされてきた('''表1''')。<br />
<br />
その後、これらの症候群が実は同じ[[wikipedia:ja:染色体異常|染色体異常]]に由来することが判明したが<ref name=ref1><pubmed>1360769</pubmed></ref> <ref name=ref2><pubmed>1349199</pubmed></ref> <ref name=ref3><pubmed>2045103</pubmed></ref> <ref name=ref4><pubmed>1349369</pubmed></ref>、どの用語を使うかで学会が分裂し用語論争と先取権争いに発展した。しかしそれらの動きは患者の利益に繋がらないことから、用語をその遺伝的機序に基づき22q11.2欠失症候群に統一する動きがある。<br />
<br />
22q11.2欠失患者では、[[知的障害]]、[[ADHD]]、[[統合失調症]]、[[自閉症スペクトラム障害]]の発症が認められ、22q11.2重複患者でも[[認知機能]]の低下および知的障害や[[自閉症]]スペクトラム障害が高い頻度で生じる<ref name=ref5><pubmed>23917946</pubmed></ref> <ref name=ref6><pubmed>24577245</pubmed></ref>。その後、[[精神疾患]]患者のサンプルで報告された[[コピー数変化]]([[CNV]])と総称される[[染色体]]変異は各精神疾患診断名の中で1%以下の割合で存在し、それゆえに他の精神疾患関連CNVと併せてrare copy number variantsと総称されるものの中にも22q11.2欠失および重複は含まれていることがわかった<ref name=ref7><pubmed>22424231</pubmed></ref>。<br />
{| class="wikitable"<br />
|+ 表1.22q11.2欠失症候群の別名<br />
|- <br />
| <br />
*症状による命名:[[velocardiofacial syndrome]]([[VCFS]])、[[conotruncal anomaly face syndrome]]([[CTAF]])、[[Cardiac defects, Abnormal facies, Thymic hypoplasia, Cleft palate, and Hypocalcemia, and a variable deletion on chromosome 22]]([[CATCH 22]])<br />
*名祖命名:[[DiGeorge syndrome]]、[[Shprintzen syndrome]]、[[Sedláčková syndrome]]、[[Cayler cardiofacial syndrome]]、[[Takao syndrome]]<br />
|}<br />
==症状==<br />
22q11.2欠失症候群で観察される症状は多岐にわたり、しかも個人間での発現症状と重篤度でバラツキが見られるのが特徴である。身体症状としては'''表2'''のものが見られる。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+ 表2.22q11.2欠失症候群の身体症状<br />
|- <br />
| <br />
*[[wj:円錐動脈幹異常|円錐動脈幹異常]]などの[[wj:先天性心疾患|先天性心疾患]]<br />
*[[wj:チアノーゼ|チアノーゼ]]<br />
*[[wj:粘膜下口蓋裂|粘膜下口蓋裂]]や[[wj:口蓋裂|口蓋裂]]などの[[wj:鼻咽腔閉鎖機能不全|鼻咽腔閉鎖機能不全]]<br />
*[[wj:胸腺|胸腺]]の欠如あるいは形成不全<br />
*[[wj:自己免疫疾患|自己免疫疾患]]<br />
*典型的な顔の骨格(小さく低い位置にある耳、横に広がった目の位置、厚めのまぶた、比較的長い顔、短い上唇)と短い上唇に起因する乳幼児期の[[摂食]]問題<br />
*副甲状腺縮小による[[wj:副甲状腺ホルモン|副甲状腺ホルモン]]低下<br />
*[[wj:低カルシウム血症|低カルシウム血症]]<br />
*[[腎臓]]異常<br />
*[[wj:喉頭|喉頭]][[wj:気管|気管]][[wj:食道|食道]]異常<br />
*[[痙攣]]<br />
*[[wj:甲状腺|甲状腺]]機能低下<br />
*[[成長ホルモン]]欠如<br />
*[[wj:血小板|血小板]]減少<br />
*[[聴覚]]異常<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
それぞれの精神疾患の罹患率は年齢によっても異なり、また知的障害は自閉症スペクトラム障害とも重複する。精神疾患としては'''表3'''のものがある<ref name=ref5 /> <ref name=ref6 />。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+ 表3.22q11.2欠失症候群の精神症状<br />
|- <br />
| <br />
*[[知的障害]]<br />
*[[注意欠陥・多動性障害]](ADHD)<br />
*[[不安症]]状<br />
*[[統合失調症]]<br />
*[[自閉症スペクトラム障害]]<br />
*[[抑うつ]]<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
22q11.2重複は一般に症状が軽く個人間で症状出現にバラツキがあり、身体症状だけでは診断が難しい。主な症状は'''表4'''のものを含む<ref name=ref5 /> <ref name=ref8><pubmed>18707033</pubmed></ref>。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+ 表4.22q11.2重複症候群の主な症状<br />
|- <br />
| <br />
*[[認知運動機能]]の発達の遅れ <br />
*知的障害および学習困難<br />
*両眼隔離<br />
*発育不全<br />
*[[視覚]]聴覚異常<br />
*[[行為障害]]<br />
*小顎<br />
*口蓋帆咽頭不全<br />
*手足耳の形成異常<br />
*筋緊張低下<br />
*平坦な鼻など特徴的な顔貌 <br />
|-<br />
|}<br />
<br />
なお、22q11.2重複は統合失調症の発症リスクを減少させる(発症防御因子)という報告もある<ref name=ref9><pubmed>24217254</pubmed></ref>。<br />
<br />
==確定診断==<br />
22q11.2欠失の診断は、[[Fluorescence In Situ Hybridization]]([[FISH]])、[[BACs-on-Beads technology]]、[[Multiplex Ligation-dependent Probe Amplification]]([[MLPA]])、[[Array-Comparative Genomic Hybridization]]([[Array-CGH]])などの検査で確定する。<br />
<br />
欠失が単一[[DNA]]プローブの外にある非定型の場合FISHでは見逃すことがあり、多くのプローブを同時に使うBACs-on-Beads technologyやMLPAが必要となる。また、Array-CGHはゲノム全域にわたってプローブが組み込まれた検知法であるため、欠失や重複の長さがより正確に同定できる。重複はFISH, Array-CGHやMLPAで同定されている。<br />
<br />
==疫学==<br />
遺伝子疾患としての22q11.2欠失の頻度は、これまでに主に出生後の子供のサンプルに基づき4,000から6,000人に1人という推定がなされていた<ref name=ref10><pubmed>12837874</pubmed></ref> <ref name=ref11><pubmed>14736631</pubmed></ref>。一方、9,000以上の胎児のサンプルを用いた最近の研究で、遺伝子疾患リスクの高いサンプルで22q11.2欠失が1.08%(92人に1人)、22q11.2重複が0.30%(330人に1人)、遺伝子疾患リスクの低いサンプルでも欠失が0.10%(992人に1人)、重複が0.12%(850人に1人)で見つかり、全サンプルでは22q11.2欠失が0.34%(292人に1人)、22q11.2重複が0.16%(622人に1人)であった<ref name=ref12><pubmed>25962607</pubmed></ref>。<br />
<br />
精神疾患に関しては、22q11.2欠失は稀な染色体数変異(rare copy number variants)と呼ばれるもので、統合失調症と診断された患者群の0.2-0.3%、自閉症スペクトラム障害と診断された患者群の0.07%に存在する。研究初期の小規模の統合失調症サンプルではより高率で22q11.2欠失が見つかるとの報告もあったが、最近の大規模研究でこの主張は否定されている<ref name=ref7 /> <ref name=ref13><pubmed>24311552</pubmed></ref>。また、自閉症スペクトラム障害は22q11.2欠失では生じないとの一部研究者の主張も、大規模研究では支持されていない<ref name=ref7 />。<br />
<br />
22q11.2重複は健常人では0.08%で見られるが、知的障害、[[発達遅延]]、[[wj:先天性形成異常|先天性形成異常]]を持つものでは0.32%、自閉症スペクトラム障害児では0.28%と健常人よりも有意に高い率で見つかっている<ref name=ref7 />。<br />
<br />
==病態生理==<br />
=== 染色体異常 ===<br />
22q11.2欠失は、[[ヒト]]22番染色体長腕のq11.2領域における1コピーの欠失による。大多数においては3 Mbの欠失、残りは3 Mb 部位の内側にある1.5 Mbや2 Mb欠失、あるいは3 Mbを含みそれ大きな以上の染色体欠失である。これらの領域から離れた部位での欠失も1%以下のケースでみられる<ref name=ref14><pubmed>9106531</pubmed></ref> <ref name=ref15><pubmed>23245648</pubmed></ref> <ref name=ref16><pubmed>17028864</pubmed></ref>。22q11.2重複も、欠失と同じ部位での3 Mbあるいはその内側での 1.5 Mb重複として起こる。22q11.2欠失は両親の一方から受け継いだケースがみられるが、新規な遺伝子異常(''de novo'')のケースの方が多い<ref name=ref17><pubmed> 24395195</pubmed></ref> <ref name=ref18><pubmed>9350810</pubmed></ref>。一方で22q11.2重複は、逆に両親の一方から遺伝して生じる方が新規な遺伝子異常のケースより多いと推定されている<ref name=ref19><pubmed>25118001</pubmed></ref>。欠失や重複の起始点や終着点が同一箇所になるのは、[[low copy repeats]](LCR)と呼ばれる染色体部位でのゲノム再編成によると考えられている。<br />
<br />
欠失、重複は最低でも1.5 Mb、大多数において3Mbにも及ぶため、そこに含まれている多くの遺伝子がどのように身体症状および精神症状に寄与しているのかはよくわかっていない。CNV領域にコードされている遺伝子は、タンパクを作るものだけではなく[[マイクロRNA]]と呼ばれるタンパク質を生成せず他の遺伝子の[[翻訳]]を制御するものも含まれている。<br />
<br />
欠失・重複の両方で多くの同じ症状が出現することから、22q11.2での遺伝子が適正値から多くても少なくても症状を引き起こすものと考えられている<ref name=ref5 />。しかしながら、統合失調症は欠失では高頻度で見られるものの重複では見られないか、あるいは防御因子になることから<ref name=ref9 />、遺伝子量の増減が必ずしも同一症状を引き起こすものではない。さらに、22q11.2欠失・重複では症状のバラツキが大きいので、当該領域の遺伝子の表現型に与える影響は決して100%ではなく、各症状の出現には欠失・重複領域の遺伝子の他、他のゲノム領域上の遺伝子との相加的作用、相乗的相互作用が想定される。[[マウス]]での遺伝子背景を変えた研究、また人での統合失調症の[[エキソーム解析]]の結果から、このような機序の存在が示唆されている<ref name=ref20><pubmed>24482440</pubmed></ref> <ref name=ref21><pubmed>19240081</pubmed></ref>。<br />
<br />
ヒトでは、22q11.2欠失・重複領域内にある単一遺伝子のCNVは報告されていないため、個々の遺伝子がどの症状にどのように関与しているかについては、詳細は不明である。ただ、[[TBX1|''TBX1'']]遺伝子の機能欠失型変異を持つ家系は数例報告されており、これらの家系では[[心臓|心]]疾患、[[副甲状腺]]機能低下症、典型的な顔貌、知能発達遅延、自閉症スペクトラム障害、[[広汎性発達障害]]、等が見られることから、''TBX1''の22q11.2欠失症候群における一部の症状への寄与が推定されている<ref name=ref22><pubmed>11748311</pubmed></ref> <ref name=ref23><pubmed>24637876</pubmed></ref> <ref name=ref24><pubmed>16684884</pubmed></ref>。<br />
<br />
===iPS細胞を用いた研究===<br />
22q11.2欠失を持ちかつ統合失調症を発症した患者から[[iPS細胞]]を樹立し、それを分化させた[[ニューロスフェア]]([[神経幹細胞|神経幹]]/[[神経前駆細胞|前駆細胞]]の塊)、[[神経細胞]]、[[グリア細胞|グリア]]系の細胞の解析から得られた知見として、<br />
<br />
#患者由来のニューロスフィアのサイズは健常者と比べて約30%小さい<br />
#このニューロスフィアを神経系の細胞(神経細胞とグリア細胞)に分化誘導したところ、患者由来のニューロスフィアは健常者由来と比べて神経細胞に分化する割合が約10%低く、[[アストロサイト]](グリア細胞の一種)に分化する割合が約10%高い、<br />
#患者由来のニューロスフィアのサイズ減少には、[[miR-17]]/[[miR-92|92]]のmiRNAや[[miR-106a]]/[[miR-106b|b]]、[[miRNA-185]]の発現低下が関与している、<br />
#miRNAの異常は、欠失領域にマップされていて成熟miRNAの形成に関与する[[DGCR8]]の影響と考えられる、<br />
#上記miRNAの発現低下が標的の1つである[[p38α]] ([[MAPK14]])の発現上昇を引き起こし、患者由来のニューロスフィアでみられた分化効率の異常につながると考えらる。実際患者由来のニューロスフィアにおけるp38αの発現量を調べた結果、健常者由来のニューロスフィアに比べて約30%上昇しており、p38の[[阻害剤]]によって患者由来のニューロスフィアの分化効率を改善できた、<br />
#死後脳解析においても、健常者の死後脳と比べて患者の死後脳(統合失調症群)では神経細胞のマーカーである[[MAP2]]遺伝子の発現量の低下と、アストロサイトのマーカーである[[GFAP]]遺伝子の発現量の上昇がみられた、<br />
等が報告されている<ref><pubmed>27801899</pubmed></ref>。<br />
<br />
<br />
=== 病態動物モデル===<br />
22q11.2領域にある遺伝子をマウスのゲノムで遺伝子操作した研究からは、各々の遺伝子の役割が推定されている。''Tbx1''欠損マウスは、22q11.2欠失症候群の[[心臓]]疾患をある程度再現することから<ref name=ref25><pubmed>11242110</pubmed></ref> <ref name=ref26><pubmed>11242049</pubmed></ref> <ref name=ref27><pubmed>11239417</pubmed></ref>、この遺伝子が特に心臓疾患に寄与すると考えられている。マウスでの''Tbx1''欠損は、他にも[[胸腺]]の形成異常、[[口蓋裂]]、[[聴覚]]異常などを起こす<ref name=ref28><pubmed>15190012</pubmed></ref>。<br />
<br />
精神疾患に寄与するものとしては、22q11.2領域遺伝子の単独欠損マウスを用いた解析が行われている<ref name=ref5 />。''Tbx1''欠損マウスは、自閉症スペクトラム障害様の広汎な行動異常を引き起こす<ref name=ref29><pubmed>21908517</pubmed></ref>。<br />
<br />
[[Sept5|''Sept5'']]欠損マウスは、社会行動に選択的な異常を示す<ref name=ref21 /> <ref name=ref30><pubmed>22589251</pubmed></ref>。認知機能の重要な要素である[[作業記憶]]は、''Tbx1''欠損28および''Dgcr8''欠損<ref name=ref31><pubmed>24904170</pubmed></ref> <ref name=ref32><pubmed>23719809</pubmed></ref> <ref name=ref33><pubmed>18469815</pubmed></ref>で異常を呈する。<br />
<br />
22q11.2重複については、ヒト22q11.2ゲノム領域を含んだ[[wj:ベクター (遺伝子工学)#人工染色体ベクター|BAC]]([[wj:ベクター (遺伝子工学)#人工染色体ベクター|bacterial artificial chromosome]])クローンを用いて[[トランスジェニックマウス]]を作成し、複数遺伝子を過剰発現させた場合の解析が進んでいる<ref name=ref5 />。''SEPT5''、[[GP1BB|''GP1BB'']]、''TBX1''、[[GNB1|''GNB1L'']]を含む200 kbのヒト22q11.2相当部位を過剰発現させたマウスでは、[[抗精神病薬]]で抑えられる活動量亢進を示し、[[社会行動]]の低下がみられた<ref name=ref34><pubmed>16365290</pubmed></ref>。その隣接部位190 kbの染色体領域は、[[TXNRD2|''TXNRD2'']]、[[COMT|''COMT'']]、[[ARVCF|''ARVCF'']]を含み、この部位の過剰発現は[[作業記憶]]を選択的に障害した<ref name=ref35><pubmed>19617637</pubmed></ref>。これらの遺伝子の過剰発現が、さまざまな精神疾患のいろいろな側面に関与していると推定されている。<br />
<br />
==治療==<br />
現時点で22q11.2欠失・重複自体の治療法はないが、症候群内の個々の症状に対してはさまざまな治療法が施されている。心臓疾患は修復外科手術により生存率が高まり、胸腺欠如は[[wj:胸腺|胸腺]][[wj:移植|移植]]手術によって機能が回復し、[[wikipedia:ja:細菌|細菌]][[wikipedia:ja:感染症|感染症]]は[[wikipedia:ja:抗生物質|抗生物質]]で対処できる。[[wj:副甲状腺|副甲状腺]]機能低下症に起因する[[wikipedia:ja:低カルシウム血症|低カルシウム血症]]は、[[wikipedia:ja:ビタミンD|ビタミンD]]や[[カルシウム]]サプリメントで補正される。精神症状には[[向精神薬]]等が用いられる。認知機能の遅れや[[知的障害]]、[[学習困難]]に対しては、専門機関、専門家による療育プログラムが施行されている。<br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[コピー数変化]]<br />
<br />
==参考文献==<br />
<references /><br />
</div>
Makotourushitani
https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E3%81%A6%E3%82%93%E3%81%8B%E3%82%93&diff=35309
てんかん
2016-03-20T10:40:08Z
<p>Makotourushitani: /* 単純部分発作 */</p>
<hr />
<div><div align="right"> <br />
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0082204 兼子 直]</font><br><br />
''北東北てんかんセンター''<br><br />
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2016年2月8日 原稿完成日:2016年3月12日<br><br />
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](京都大学 大学院医学研究科)<br><br />
</div><br />
<br />
{{box|text= てんかんとは種々の原因(遺伝、外因)により起きる慢性の脳の病気であり、自発性かつ反復性の発作(てんかん発作)を主徴とし、脳波検査で発作性放電を示し、焦点部位の機能異常により多彩な発作症状を示す疾患ないし症候群である。発作にはけいれんだけでなく意識障害を示すものもあり、同じ発作パターンが反復して出現する。脳波検査で発作性放電が出現しても臨床的な発作がなければてんかんではなく、1回のみの発作も治療の対象とはならない。治療は抗てんかん薬による薬物療法が主流である。約70%の症例は抗てんかん薬で発作が抑制され、抑制されない症例では食餌療法、外科治療、迷走神経刺激療法などが検討される。近年、てんかんの原因遺伝子が各種同定され、それに基づくてんかんの分子病態が報告されてきている。その流れからはてんかんを治癒できる薬剤の開発あるいはてんかんの発病を防止する治療が検討されるようになった。}}<br />
<br />
==てんかんとは==<br />
[[wj:世界保健機関|WHO]]の定義では、“てんかんとは種々の原因(遺伝、外因)により起きる慢性の脳の病気であり、自発性かつ反復性の発作(てんかん発作)を主徴とし、[[脳波]]検査で[[発作性放電]]を示し、焦点部位の機能異常により多彩な発作症状を示す疾患ないし症候群である”とされている。<br />
<br />
発作症状は異常興奮を起こす脳部位、範囲により規定される。発作症状は同じパターンを繰り返す。発作にはけいれんだけでなく[[意識障害]]を示すものもある。各てんかん類型の発作症状は以下の診断、分類の項目で記述する。<br />
<br />
==診断==<br />
[[IMAGE:てんかん脳波1.png|thumb|300px|'''脳波1.覚醒時大発作てんかん発作時の脳波'''<br>10歳女児の脳波で両側性に棘波の群発を認める。]]<br />
[[IMAGE:てんかん脳波2.png|thumb|300px|'''脳波2.前頭葉てんかん'''<br>10歳男児の脳波で、左前頭葉に棘徐派結合を認める。]]<br />
[[IMAGE:てんかん脳波3.png|thumb|300px|'''脳波3.側頭葉てんかん'''<br>21歳女性の脳波で、左側頭前部から側頭中部にかけて、棘波、鋭波の群発を認める。]]<br />
[[IMAGE:てんかん脳波4.png|thumb|300px|'''脳波4.後頭葉てんかん'''<br>10歳男児の脳波で、右後頭葉優位に、棘徐波結合を認める。]]<br />
[[IMAGE:てんかん脳波5.png|thumb|300px|'''脳波5.中心・側頭部に棘波を持つ良性小児てんかん'''<br>左半球(左中心・側頭部)にローランド棘波を認める 。]]<br />
[[IMAGE:てんかん脳波6.png|thumb|300px|'''脳波6.欠神発作時の脳波'''<br>脳全体に3Hz(1秒間に3回の頻度)の棘波結合の持続的な出現を認める。]]<br />
[[IMAGE:てんかん脳波7.png|thumb|300px|'''脳波7.ウエスト症候群の脳波'''<br>棘波、多棘波、高振幅の徐波が、同期せずばらばらに出現し、ヒプスアリスミア(hypsarrythmia)を示す。]]<br />
[[IMAGE:てんかん脳波8.png|thumb|300px|'''脳波8.レノックス・ガストー症候群の脳波'''<br>脳全体に3cpsより遅い棘徐波結合が頻会に出現する。]]<br />
<br />
===病歴===<br />
てんかんは慢性の脳疾患であり、脳神経細胞の異常興奮により惹起され、1回以上の発作を起こし、発作以外の症状も伴う。てんかん発作の症状はけいれん発作だけでなく、種々の程度の[[意識障害]]、[[行動障害]]を示す場合もあるが、重要な点は「発作は同じパターンを繰り返す」ことである。診断の際には、発作時に開眼しているか、[[wj:チアノーゼ|チアノーゼ]]があるか、意識障害の有無や行動変化とその回復過程はどうなっているか、尿[[失禁]]、[[嘔吐]]、発作後の[[頭痛]]、[[もうろう状態]]などを伴うか否か、などの発作症状の観察や発病年齢の聴取が重要である。<br />
<br />
===検査所見===<br />
補助診断として[[脳波]]・ビデオ同時記録、[[睡眠ポリグラフィーが]]用いられ、脳[[MRI]]、[[SPECT]]などが検査されるが、最近では[[遺伝子診断]]も試みられている。これらの所見を基に、てんかんか否かを判断し、てんかんと診断されれば次にてんかん発作型を分類することになる。<br />
==== 脳波 ====<br />
てんかんの診断に脳波検査は欠かせない。同じパターンを示す発作の確認と発作間歇期に発作波([[棘徐波結合]]、[[鋭波-徐波結合]]、[[棘波]]、[[鋭波]]、[[徐波]]の群発などが記録されるとてんかんと考えられるが(脳波1-8<ref>'''兼子直'''<br>追補改訂版、てんかん教室<br>''新興医学出版''、2003</ref>を参照。)、てんかんであっても脳波異常が記録されないときもあるため、発作症状からてんかんが疑われる場合には時間をおいて繰り返し、脳波を記録する必要がある。24時間連続して記録するビデオ脳波同時記録は服薬をしない状態で記録するため、発作時脳波を記録できる可能性が高く、鑑別診断の有力な手段である。<br />
<br />
==== 画像診断 ====<br />
てんかんの原因として[[脳奇形]]、[[脳腫瘍]]、[[脳出血]]、[[脳萎縮]]など脳の器質性疾患を見出すには MRI検査が有力であり,[[PET]]あるいはSPECTを併用し代謝、血流の変化する部位同定も焦点部位決定に役立つ。<br />
<br />
==== 遺伝子診断 ====<br />
一部のてんかん類型では遺伝子検査が行われる。特に生後間もない時に発病するてんかん類型('''表3''')では鑑別診断に有力な検査手段となる。てんかんの発病を防止しようとする動きがあり、これには発病前の治療が必要性であり、ハイリスク児同定に遺伝子検査が有力な手段となる<ref name=ref11>'''兼子直、他'''<br>新しい抗てんかん薬の開発とてんかんの発病防止戦略<br>''最新医学'' 70;1044-1050, 2015.</ref>。<br />
<br />
====血液生化学====<br />
目撃者がいない場合にはけいれん発作後の[[wj:クレアチンホスホキナーゼ|クレアチンホスホキナーゼ]] (CPK)の上昇、複雑部分発作の30分以内なら血中[[プロラクチン]]濃度などの増加も診断上参考になる。<br />
<br />
====心電図====<br />
[[複雑部分発作]]などの意識障害の存在が疑われ、脳波異常がなければ、[[wj:心電図|心電図]]検査、[[wj:ホルター心電図|ホルター心電図]]検査も必要となる。<br />
<br />
===鑑別診断===<br />
患者の示す発作症状がてんかん性か否かが問題となる症例は少なくない。鑑別すべき重要な疾患、状態には以下のようなものがある。これらの内、てんかんを疑われて受診した患者では[[心因性非てんかん発作]](psychogenic non-epileptic seizure: PNES)、[[wj:循環器|循環器]]疾患に伴う[[失神]].、および[[レム睡眠行動障害]]、[[ナルコレプシー]]、[[睡眠時随伴症]]([[夜驚症]]、[[夢中遊行]])、[[入眠時ミオクローヌス]]の睡眠関連症状はしばしば鑑別を要する。<br />
<br />
==== 心因性非てんかん発作 ====<br />
心因性非てんかん発作(PNES)は精神医学でいう解離性障害あるいは転換性障害のひとつといえるが、まったく同一とはいえない。診断で難しいのはてんかんと 心因性非てんかん発作が合併した場合である。難治てんかんでは両者の合併は10-35%と高頻度である<ref name=ref14>'''Krumholz A et al'''<br>Coexisting epilepsy and nonepileptic seizures.<br>In: Kaplan PW, et al, eds: Imitator of epilepsy.<br>Pp 261-276, Demos Medical Publishingm INC, New York, 2005. </ref>。 症状は多彩である。首の横振り、[[後弓反張]]、不規則な手足の運動、刺激に反応する場合がある。発作時には閉眼していることが多く、開眼させようとすると抵抗し、[[対光反射]]は存在する。ビデオ脳波同時記録を行い、発作症状と[[脳波]]所見が一致するか否かが診断の要点となる。発作が始まった時期の前に“心因”の存在を見出すことが重要である。<br />
<br />
====循環器疾患に伴う失神====<br />
一過性の意識消失を失神というが、[[不整脈]]、[[自律神経調節性失神]](NMS)がある。<br />
<br />
不整脈には[[wj:徐脈性不整脈|徐脈性不整脈]]([[wj:洞不全症候群|洞不全症候群]]、[[wj:AVブロック|AVブロック]])、[[wj:頻拍性不整脈|頻拍性不整脈]]([[wj:上室性頻拍|上室性頻拍]]、[[wj:心室性不整脈|心室性不整脈]])があり、[[wj:心電図|心電図]]検査を要する。<br />
<br />
自律神経調節性失神には[[迷走神経緊張性失神]](前駆症状は発汗、あくび、吐き気、腹痛)、[[頸動脈洞症候群]](振り向くような動作で起こる)、[[状況失神]](排尿、排便、咳、嚥下などが原因となる)がある。病歴の聴取が重要である。<br />
<br />
==== 一過性脳虚血発作 ====<br />
[[一過性脳虚血発作]]とは可逆的な経過をたどる脳卒中の病型の1つである。一過性脳虚血発作の症状持続時間は2-15分と報告されている<ref name=ref12>'''小坂昌宏'''<br>一過性脳虚血発作の症状<br>''神経内科'' 72;562-568, 2010.</ref>。<br />
<br />
==== 片頭痛 ====<br />
偏頭痛は発作性に見られる変則性の脈拍に一致した拍動性の頭痛である。予兆として[[閃光]]、暗点、[[視野欠損]]、[[錯視]]としての視覚の変形や大小の変化を示す[[片頭痛]]「[[不思議の国のアリス現象]]」などがある。片頭痛とてんかんの両者の特徴を持つ[[てんかん性片頭痛症候群]]の存在に留意する必要がある<ref name=ref15><pubmed>7964814</pubmed></ref>。<br />
<br />
==== 一過性健忘 ====<br />
60歳前後に発症ピークがあり、数時間持続する[[健忘]]を示す。診断基準としては[[逆行性健忘]]の存在、意識障害がなく[[自己同一性]]の喪失はない、[[認知機能障害]]は健忘のみで24時間以内に回復する<ref name=ref2><pubmed>20129169</pubmed></ref>。<br />
<br />
==== ナルコレプシー ====<br />
[[ナルコレプシー]]は[[睡眠発作]]、[[情動脱力発作]]、[[睡眠麻痺]]、[[入眠時幻覚]]、[[自動症]]などを示す。診断には[[終夜睡眠ポリグラフ]]で日中の過剰な睡眠と入眠時[[レム睡眠]]が見いだされること、確定診断として[[髄液]]中の[[オレキシン]]の低下がある<ref name=ref1>'''Americal Academy of Sleep Medicine'''<br>International Classification of Sleep Disorders. Second Edition. Diagnostic and coding Manual. <br>''American Academy of Sleep Medicine'', 2005</ref>。<br />
<br />
==== レム睡眠行動障害 ====<br />
レム睡眠期に一致して手足を動かし、叫ぶ、泣く、笑う、動き回るなどの異常行動が見られ、レム睡眠期が終わると終了する。<br />
<br />
==== 夜驚症、夢中遊行、錯乱性覚醒 ====<br />
いずれも主に小児にみられ、[[ノンレム睡眠]]からの覚醒障害により生ずると考えられている。[[夜驚症]]は睡眠中に突然起きだし[[恐怖]]に満ちた叫び、外界からの刺激に反応せず、混乱、[[失見当識]]を示す。[[夢中遊行]]は睡眠中に起き上がり、開眼し歩き回る。その後布団に戻って眠ることが多い。[[錯乱性覚醒]]は覚醒後数十分間、[[失見当識]]や思考の緩慢さが見られる。これらの状態は[[前頭葉てんかん]]との鑑別に重要である。<br />
<br />
==== 入眠時ミオクローヌス ====<br />
[[入眠時ミオクローヌス]]とは、入眠期に起こる短い不規則な筋の収縮であり、発生機序は不明である。[[ミオクロニー発作]]、[[単純部分発作]]との鑑別に重要である。[[周期性四肢運動障害]]は睡眠中に起こる足関節の背屈進展を伴う運動が頻回に出現する状態であり、入眠時ミオクローヌスとは異なる。<br />
<br />
==== 周期性四肢運動障害 ====<br />
[[周期性四肢運動障害]]とは睡眠中に起こる常同的四肢の運動で、[[むずむず脚症候群]]とオーバーラップする症候群として捉えられる。下肢に多く見られ、重症になると入眠が困難になる。病態として[[視床下部]]A11の[[ドーパミン]](DA)細胞の機能低下が考えられている<ref name=ref9>'''稲見康司、他'''<br>むずむず脚症候群、周期性四肢運動障害<br>''日本臨床'' 71(増刊号5);485-490, 2013.</ref>。<br />
<br />
==== 発作性ジスキネジア ====<br />
[[発作性ジスキネジア]](PD)は[[ジストニア]]、[[アテトーゼ]]、[[バリスムス]]、[[舞踏病]]が単独あるいは複合して出現する。[[発作性運動誘発性ジスキネジア]](paroxysmal kinesigenic dyskinesia: PKD)は男性に多く、家族性症例が多い。[[Proline-rich transmembrane protein 2]]が責任遺伝子の1つとして報告された<ref name=ref8><pubmed>22752065</pubmed></ref>。意識障害はなく、発作間欠期は無症候性である。発作は数十秒で毎日のように頻回に出現する。[[随意運動]]の開始、[[ストレス]]、緊張などにより誘発され、[[前兆]](感覚異常など)がある症例が多い。特発性発作性運動性ジスキネジアでは発作時脳波にも異常は見られない。症候性の場合には画像所見で異常が見いだされることもある。<br />
<br />
==== 非運動誘発性ジスキネジア ====<br />
[[非運動誘発性ジスキネジア]](paroxysmal non-kinesigenic dyskinesia: PNKD)は男性にやや多く、家族性の症例の多くでは[[myofibrillogenesis regulator 1]] (MR-1)遺伝子が責任遺伝子として報告されている<ref name=ref3><pubmed>17515540</pubmed></ref>。MR-1遺伝子変異がない症例の発病は12歳ころで、変異のある症例の発病は平均4歳である。症状は発作性運動誘発性ジスキネジアとほぼ同様であるが、MR-1変異がある症例ではジストニアあるいはジストニアと舞踏病の組み合わせで、変異がない症例ではジストニア、舞踏病、両者の組み合わせ、[[バリスム]]が観察される。発作は主に体肢に起こり、発作は週単位で10分から1時間の持続時間が多い。[[カフェイン]]、[[アルコール]]、情動変化、疲労、空腹などで誘発される。MR-1変異のない症例ではてんかんと合併することもあり、変異を有する症例では片頭痛を約半数が合併する。前兆には体肢の硬直、ふらふら感、しびれ感、などがある。<br />
<br />
==分類==<br />
てんかんの遺伝子解析の最近の進歩で、国際抗てんかん連盟(ILAE)は新たな分類を提案しているが、現実的にはてんかん発作型の分類が抗てんかん薬選択に用いれるため、てんかん発作の国際分類(1981年)<ref name=ref4><pubmed>6790275</pubmed></ref>が多く使われている(表1)。<br />
<br />
この分類では発作は[[全般発作]]と[[部分発作]]に 分類され、それぞれ、前者は[[欠神発作]]、[[ミオクロニー発作]]、[[間代発作]]、[[強直発作]]、[[強直間代発作]]、[[脱力発作]]に分けられ、後者は[[単純部分発作]]、[[複雑部分発作]]と[[2次性全般化発作]]に分けられる。これらの分類に従って治療のための抗てんかん薬が選択される。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+表1.てんかん発作型国際分類(1981年)<br />
|-<br />
| rowspan="3" style="background-color:#d3d3d3" |'''部分発作(焦点性、局在性発作)'''<br />
|'''A.[[単純部分発作]](意識減損はない)'''<br />
#運動徴候を呈するもの<br />
#体性感覚または特殊感覚症状を呈するもの<br />
#自律神経症状あるいは徴候を呈するもの<br />
#精神症状を呈するもの<br><br />
(多くは“複雑部分発作”として経験される)<br />
|-<br />
|'''B.[[複雑部分発作]]'''<br />
#単純部分発作で始まり意識減損に移行するもの<br> a.単純部分発作で始まるもの<br> b.自動症を伴うもの<br />
#意識減損で始まるもの<br />
|-<br />
|'''C.二次的に全般化する部分発作'''<br />
#単純部分発作(A.)が全般発作に進展するもの<br />
#複雑部分発作(B.)が全般発作に進展するもの<br />
#単純部分発作から複雑部分発作を経て全般発作に進展するもの<br />
|-<br />
| rowspan="6" style="background-color:#d3d3d3" |全般発作<br />
|A.<br />
#'''[[欠神発作]]'''<br> a.意識減損のみのもの<br> b.軽度の[[間代要素]]を伴うもの<br> c.[[脱力要素]]を伴うもの<br> d.[[強直要素]]を伴うもの<br> e.[[自動症]]を伴うもの<br> f.[[自律神経要素]]を伴うもの<br> (b~fは単独でも組み合わせでもあり得る)<br />
#'''[[非定型欠神発作]]'''<br> a.筋緊張の変化はA.1.よりも明瞭<br> b.発作の起始/終末は急激ではない<br />
|-<br />
|'''B.[[ミオクロニー発作]]'''<br />
|-<br />
|'''C.[[間代発作]]'''<br />
|-<br />
|'''D.[[強直発作]]'''<br />
|-<br />
|'''E.[[強直間代発作]]'''<br />
|-<br />
|'''F.脱力(失立)発作'''<br />
|-<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |'''未分類てんかん発作'''<br />
| 不適切あるいは不完全なデータのため分類できないものや上記カテゴリーに分類できないすべてのものを含む。<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
===全般発作===<br />
発作の起始から発作発射が脳全体に及び起こる発作で、発作直後から意識は失われる。原因として遺伝的素因が関与すると考えられている。<br />
<br />
==== 欠神発作 ====<br />
ごく短時間の意識喪失を示す発作で定型と非定型の2種類に分けられる。<br />
<br />
定型欠神発作は数秒から十数秒の意識障害が突然始まり速やかに回復する。発作は頻発する傾向があり、思春期頃には消失することが多いが、一部は強直間代発作に移行する。発作時脳波は[[3Hz棘徐派結合]]ないし[[多棘徐派結合]]を示す。<BR> 否定形欠神発作は意識障害以外にも各種症状が混在した臨床症状(ミオクロニー、自働症、間代運動、自律神経症状など)がより多く見られ、脱力などの筋緊張の変化がみられることも多い。発作の始まりと終わりがゆっくりで、脳波所見も不規則で左右非対称、背景活動も突発性異常波が混在することもある。欠神発作は複雑部分発作との鑑別が必要なときがあるが、複雑部分発作は発作持続時間がより長く、成人に多い。<br />
<br />
==== ミオクロニー発作 ====<br />
突然に両側同時に強い筋の[[れん縮]]が出現する。瞬間的なので意識障害を伴わず、光刺激により誘発されやすい。思春期に好発し、覚醒直後、入眠期に起こりやすい。発作時の脳波では両側同期性の棘徐波結合が出現し、棘波に一致し筋れん縮が起こる。<br />
<br />
==== 間代発作 ====<br />
意識消失とともに数秒から1分以上の左右対称性の全身の律動的な筋の痙攣を起こす。発作時脳波では10Hz以上の速波と徐派から構成され、棘徐派結合も出現する。<br />
==== 強直間代発作 ====<br />
突然の叫び(初期叫声)から始まることがあり、意識を突然消失し、左右対称性の全身の強直性けいれん(約30秒)が出現し、次いで間代性けいれん(30から90秒)に移行する。強直けいれんでは体幹・四肢近位が屈曲強直し、[[眼球]]が上転、口をかみしめ、呼吸筋も強直しているため呼吸できず顔面蒼白、[[チアノーゼ]]が出現する。その他発作中には[[唾液]][[分泌]]、[[尿失禁]]をすることもある。間代性けいれんは次第に収束するが、睡眠([[終末睡眠]])に移行し、あるいは発作後朦朧状態に移行する場合もある。この間の意識は無く、朦朧状態から回復しても頭痛、[[筋肉]]痛、[[嘔吐]]などを示すこともある。発作時脳波は強直けいれん時には筋電図やアーチファクトが入るが、間代けいれんに入ると次第に筋電図の間から見える脳波が読めるようになる。脳波は9Hz以上の低電位放電から始まり次第に周波数が減り振幅が増大化するが、発作前の脳波律動になるまでには数分間を要する。 <br />
==== 脱力発作 ====<br />
一瞬(数秒以内)の全身の姿勢保持筋の緊張低下あるいは消失により起こるため、起立時に起これば[[転倒]]する。発作抑制は困難な症例もある。発作時脳波では多棘徐派結合、平坦化、[[低電位速波]]から構成される。<br />
<br />
===部分発作===<br />
脳波上の異常波が脳の一定部位から始まり、発作症状も脳の一定部位から始まる。部分発作は1)意識障害を伴わない単純部分発作、2)意識障害を伴う複雑部分発作、3)、二次性全般か発作に分類される。これらの単純部分発作は複雑部分発作、二次性全般化発作の初期症状として出現することも少なくない。<br />
<br />
==== 単純部分発作 ====<br />
意識障害を示さず、発作時脳波は脳皮質の局所性の放電である。これは発作症状から4種類に分けられる。<br />
:1. '''[[運動徴候を伴う発作]]'''は[[焦点性運動発作]]、[[ジャクソン型発作]]、[[回転発作]]、[[姿勢発作]]、[[音声発作]]がある。焦点性運動発作は[[前中心回]]の[[運動領野]]に焦点があり、その脳部位に関連する身体部位のけいれんが出現する。ジャクソン型発作は前中心回の一部に始まった発作発射が周囲の脳部位に波及するため手ー腕ー下肢などのように同側の身体部位を巻き込んで発作が拡大してゆく。発作後に足などの麻痺が残ることがあり、これを[[トッドの麻痺]]という。<br>'''[[回転発作]]'''は脳皮質焦点の反対側へ眼球、顔、躯幹を向ける発作である。<br>'''[[姿勢発作]]'''は[[補足運動野]]に焦点がある場合、反対側の上肢を挙上し、それを見上げるように頭部、眼球を回転させる。音声発作は前中心回の発作発射により同じ言葉を反復する、叫ぶ、あるいは言葉を話せなくなる発作である。<br>2. '''[[体性感覚ないし特殊感覚症状を伴う発作]]'''には[[体性感覚発作]]、[[視覚発作]]、[[聴覚発作]]、[[めまい発作]]がある。体性感覚発作は[[後中心回]]の発作発射によりその部位がつかさどる体の一部にしびれ感などの[[知覚]]異常が出現する。視覚発作は[[後頭葉]]にてんかん焦点があるとき、閃光、渦巻く雲が見えたり視野が狭くなったりする。<br>'''[[聴覚発作]]'''はてんかん焦点が側頭葉上部にあると、発作として音が聞こえあるいは逆に聞こえなくなる。鉤回に焦点があると匂いを感ずる発作が、焦点が島、弁蓋部にあると苦味、酸味などの味覚発作が出現する。側頭葉上回にあるとめまい発作が出現すると考えられている。<br>3. '''[[自律神経症状ないし兆候を伴う発作]]'''は、数分以内の自律神経系症状(悪心、嘔吐、頭痛、腹部不快感など)を示す発作で、血圧の上昇、[[瞳孔]]散大、くしゃみなどもみられる。成人の場合には多彩な自律神経症状は発作症状の一部として出現する。<br>4. '''[[精神症状を伴う発作]]''' 発作発射は[[側頭葉]]皮質から[[辺縁系]]の一部に限局するため、意識は失われない。発作症状は多彩であり、[[情動発作]]が多い。これは側頭葉下面皮質に焦点があるとき、[[不安]]、[[恐怖]]、[[怒り]]、[[多幸感]]、を感ずるものである。[[言語中枢]]付近に焦点がある場合、言葉を話せなくなる([[運動性失語]])あるいは言葉を理解できなくなる([[感覚性失語]])を起こす。<br>'''[[記憶障害発作]]'''は一過性の[[健忘]]、[[既視体験]]、[[未視体験]]などの発作症状を示し、[[認知発作]]には[[夢幻様体験]]、[[強制思考]]などがある。[[錯覚]]発作の症状として[[変形視]]、[[巨視症]]、[[小視症]]などの視覚症状と音が大きくあるいは小さく聞こえるなどの聴覚性症状がある。[[構成幻覚発作]]は人の声、動作が意味を持ち、情景が見え、音楽が聞こえるなどの複雑な幻覚を感ずる発作である。<br />
<br />
==== 複雑発作 ====<br />
発作時に意識障害を認め、発作後に健忘を残す。発作の始めから意識障害を示す発作と単純部分発作から複雑部分発作へと移行する発作があり、それぞれ意識障害のみを示す発作と自働症を伴う発作に細分化される。意識障害は数十秒から数分間に及び、意識障害の始まりと終わりは欠神発作に比較し、よりゆっくりとしている。発作中は動作が止まるときと体を奇妙に動かす自働症を示すこともある。側頭葉起源の自働症は運動を伴わない凝視と意識の断絶で始まり、噛む、嚥下する、衣類をなでるなどの、単純かつ定型的な[[自働症]]が続発する。側頭葉以外に起始場合には[[凝視]]を欠き、[[歩行性自働症]]、両側四肢の持続的運動および強直性の反体側への頭部、眼球の運動を特徴とする場合、あるいは転倒発作で開始され、[[錯乱]]と健忘を伴い、徐々に回復するタイプがある<ref name=ref5><pubmed>7092181</pubmed></ref>。<br> 前葉性の複雑部分発作の特徴は蹴ったり叩いたりする複雑な運動性自働症、奇妙な発語、軽症の発作後もうろう状態と急速な回復とがある。複雑部分発作時の脳波所見は側頭部、前頭部ないしは広範性の一側性ないしは両側性放電を示すが、脳波異常を記録できない場合もあり、心因性発作と誤診されることもある。<br />
==== 二次性全般化発作 ====<br />
単純部分発作から、複雑部分発作から、単純部分から複雑部分発作を経て二次性全般化発作にいたる3経路がある。強直・間代発作が多いが、強直あるいは間代だけの場合もある。発作時脳波は焦点性発射が全般化することが多く、発作間歇期には焦点性異常波が記録される。しかし、異常所見が記録されないこともある。<br />
<br />
===2006年の発作型の分類===<br />
てんかん学の進歩あるいは遺伝学の進歩に伴い国際抗てんかん連盟は分類の改定を行っている。表2に2006年提案の発作型の分類を示す<ref name=ref7><pubmed>16981873</pubmed></ref>。この分類では、てんかんは[[全般性起始]]と[[焦点性起始]]、[[新生児発作]]に分けられる。 全般性発作(全般性起始)はA.[[強直もしくは間代性症状を有する発作]]、B.欠神発作、 C.[[ミオクロニー発作型]]、D.[[てんかん性スパズム]]、E. 脱力発作に分類される。<br />
<br />
焦点性(部分性起始)発作はA.局所発作(焦点部位により[[新皮質]]、[[海馬]]・[[海馬傍回]]は局所内伝播の有無で細分される。B.同側への伝播、C.対側への伝播、D.2次性全般化、に分類された。この分類では[[てんかん性スパスムズ]](Epileptic spasms)が独立した名称で採用されたが、これは突然発作が起こり、終了する短い発作で(1秒程度)、[[体軸]]と[[近位筋]]の両側性の強直れん縮である。<br />
<br />
発作時間は強直発作より短く、ミオクロニーれん縮(0.1秒)より長い。発作は覚醒直後に起こりやすく周期的に出現することが多い。この分類では[[てんかん重積状態]]がリストされたが、この分類も改定されつつあり、当面は臨床では1981年の分類で薬剤を選択したほうが無難である。<br />
<br />
発症年齢によるてんかん症候群と関連病態の分類(2006)を表3に示す。表のように、発症年齢によるてんかん症候群の分類は診断する際に参考になり、発症年齢の聴取は極めて重要である。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+表2.2006年の発作型の国際分類<br />
|-<br />
| rowspan="9" style="background-color:#d3d3d3" |自己終息性てんかん発作<br />
| rowspan="5" |Ⅰ.全般性起始<br><br />
|A.強直もしくは間代性症状を有する発作<br />
#[[強直間代発作]]<br />
#[[間代発作]]<br />
#[[強直発作]]<br />
|-<br />
|B.欠神発作<br />
#[[定型欠神発作]]<br />
#[[非定型欠神発作]]<br />
#[[ミオクロニー欠神発作]]<br />
|-<br />
|C.ミオクロニー発作型<br />
#ミオクロニー発作<br />
#[[ミオクロニー失立発作]]<br />
#[[眼瞼ミオクロニー]]<br />
|-<br />
|D.てんかん性スパズム<br />
|-<br />
|E.脱力発作<br />
|-<br />
| rowspan="4" |Ⅱ.焦点性(部分性起始)<br />
|A.局所<br />
#新皮質<br> a.局所内伝播なし<br> [[焦点性間代発作]]<br> [[焦点性ミオクロニー発作]]<br> [[抑制性運動発作]]<br> [[要素性症状を持った焦点性感覚発作]]<br> [[失語症発作]]<br> b.局所内伝播あり<br> [[ジャクソンマーチ発作]]<br> [[焦点性(非対称性)強直発作]]<br> [[経験症状を伴う焦点性感覚発作]]<br />
#海馬、海馬傍回<br />
|-<br />
|B.同側への伝播<br />
#新皮質領域(半側間代発作を含む)<br />
#辺縁系領域(笑い発作を含む)<br />
|-<br />
|C.対側への伝播<br />
#新皮質領域<br />
#辺縁系領域<br />
|-<br />
|D.二次性全般化<br />
#強直間代発作<br />
#欠神発作<br />
#てんかん性スパズム<br />
|-<br />
Ⅲ.新生児発作<br />
|-<br />
| rowspan="10" style="background-color:#d3d3d3" |てんかん重積状態<br />
|-<br />
|colspan="2"|Ⅰ.[[持続性部分てんかん]]<br />
|-<br />
|colspan="2"|Ⅱ.[[補足運動野てんかん重積状態]]<br />
|-<br />
|colspan="2"|Ⅲ.[[持続性前兆]]<br />
|-<br />
|colspan="2"|Ⅳ.[[認知障害性焦点性てんかん重積状態]]<br />
|-<br />
|colspan="2"|Ⅴ.[[強直間代てんかん重積状態]]<br />
|-<br />
|colspan="2"|Ⅵ.[[欠神てんかん重積状態]]<br />
|-<br />
|colspan="2"|Ⅶ.[[ミオクロニーてんかん重積状態]]<br />
|-<br />
|colspan="2"|Ⅷ.[[強直てんかん重積状態]]<br />
|-<br />
|colspan="2"|Ⅸ.[[微細てんかん重積状態]]<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+表3.発作年齢によるてんかん症候群と関連病態<br />
|-<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |新生児期<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |青年期<br />
|-<br />
|[[良性家族性新生児発作]]<br>[[早期ミオクロニー脳症]]<br>[[大田原症候群]]<br />
|[[若年欠神てんかん]]<br>[[若年ミオクロニーてんかん]]<br>[[進行性ミオクローヌスてんかん]]<br />
|-<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |乳児期<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |年齢と相関が低いもの<br />
|-<br />
|[[早期乳児遊走性部分発作]]<br>[[West症候群]]<br>[[乳児ミオクロニーてんかん]]<br>[[良性乳児発作]]<br>[[Dravet症候群]]<br>[[非進行性ミオクロニー脳症]]<br />
|[[常染色体優性夜間前頭葉てんかん]]<br>[[家族性側頭葉てんかん]]<br>海馬硬化による[[内側側頭葉てんかん]]<br>[[Rasmussen症候群]]<br>視床下部[[過誤腫]]による笑い発作<br />
|-<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |小児期<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |特殊なてんかん状態<br />
|-<br />
|rowspan="3" |[[早発良性小児後頭部てんかん]]<br>中心・側頭部棘波を示す[[良性小児てんかん]]<br>ミオクロニー失立発作を持つてんかん<br>[[遅発小児後頭部てんかん]]<br>[[ミオクロニー欠神てんかん]]<br>[[Lennox-Gastaut症候群]]<br>[[Landau-Kleffner症候群]]を含む徐波睡眠期棘徐波を示すてんかん<br>[[小児欠神てんかん]]<br />
|特定化されない症候性焦点性てんかん<br>全般性強直間代発作のみを持つてんかん<br>反射てんかん<br>[[熱性けいれんプラス]]<br>多様な焦点を示す[[家族性焦点性てんかん]]<br />
|-<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |てんかん診断を必要としないてんかん発作状態 <br />
|-<br />
|[[良性新生児発作]]<br>[[熱性発作]]<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
==病態生理==<br />
てんかんの原因には遺伝性、脳血管性、外傷性、腫瘍性、変性、感染症性などがあるが、これにより神経細胞の抑制の低下または[[興奮性]]の亢進により神経細胞が興奮し、てんかん発作を起こす。てんかんを起こすようになる脳内の変化を[[てんかん原性]](epileptogenesis)といい、発作を繰り返し起こすようになる変化を[[発作原性]](ictogenesis)というが、それぞれの過程が脳内に成立する時期と期間が存在することが分かってきた<ref name=ref22><pubmed>24045013</pubmed></ref> <ref name=ref23><pubmed>19020039</pubmed></ref>。神経細胞自体の興奮性は細胞内外の[[イオン]]濃度の変化、[[グリア細胞]]からの影響を受ける。<br />
<br />
遺伝子変異などにより、種々の変化が[[シナプス]]を中心にダイナミックな変化が起こる。神経[[細胞膜]]の各種チャネルの機能異常が起こり、神経細胞内外のイオン濃度が変化し、神経細胞は脱分極する。その結果、細胞外の[[wikipedia:ja:カリウム|カリウム]]イオン濃度上昇と[[カルシウム]]イオン濃度の減少を引き起こすが、[[カルシウム]]イオンの減少は[[アストロサイト]]のカルシウムシグナリングを活性化、グルタミン酸の遊離を誘発する。また、興奮したシナプスからあふれ出たグルタミン酸もアストロサイトの[[グルタミン酸受容体]]と結合し、カルシウムシグナリングを活性化させる。結果として[[突発的脱分極シフト]](paroxysmal deporalization shift)が起こり、それが周囲の神経細胞群の興奮を引き起こし、発作発射にいたる。この領域の研究の進展は目覚しく、新たな知見が集積されつつある<ref name=ref20><pubmed>25047565</pubmed></ref>。<br />
<br />
==治療==<br />
治療は[[抗てんかん薬]]による薬物療法が主流で、薬剤で発作抑制が困難な場合、外科治療の可能性が探られる。小児では食餌療法([[ケトン食療法]]など)なども試みられ、外科治療困難例に対しては迷走神経刺激療法も開始されている。<br />
<br />
===治療薬選択===<br />
治療薬は発作型により選択されるが、全般発作に対しては[[バルプロ酸]](VPS)、[[エトサクシミド]](ETS)、[[ラモトリジン]](LTG)、[[レベチラセタム]](LEV)、[[ソニサミド]](ZNS)などが選択され、部分発作に対しては[[カルバマゼピン]](CBZ)、[[トピラメート]](TPM)、レベチラセタム、ソニサミドなどが選択される。[[ドラヴェー症候群]]に[[スティリペントール]]が、[[レノックス・ガストー症候群]]には[[ルフイナミド]]が使用できるようになった。[[ガバペンチン]]は小児難治てんかんに効果を示すときがあり、[[クロバザム]]は全般、部分の両方に付加投与として処方されることが多い。<br />
<br />
薬剤選択には副作用も考慮すべき要因である。容量依存性服作用はすべての抗てんかん薬で存在するため、投与量、血中濃度に留意する必要があるが、各薬剤特有の副作用が薬剤選択に重要である。[[フェニトイン]]は歯肉増殖、[[wikipedia:ja:多毛症|多毛症]]のゆえに女性には避けるべきで、ソニサミド、トピラメートでうつ症状が出現することがあり、レベチラセタムでは行動異常が、ラモトリジンでは重篤な発疹が出現することがある。<br />
<br />
抗てんかん薬には発疹を起こすものがあるが、[[HLA]]領域の[[遺伝子多型]]によることが明らかとなり、予測可能性が出てきた<ref name=ref21>'''吉田秀一ら'''<br>遺伝情報に基づいた個別化治療<br>''医学のあゆみ'' 232;951-955, 2010.</ref>。<br />
<br />
===個別化治療===<br />
[[IMAGE:てんかん1.png|thumb|350px|'''図1.GABA 受容体の膜展開図'''<br>膜の上は細胞外、下は細胞内を示す。GABA受容体には膜貫通部位が4個ある。<br><br />
NはN端をCはC端を示し、数字は変異の位置を示す。<ref name=ref10><pubmed>24422737</pubmed></ref>。]]<br />
<br />
てんかんの遺伝情報に基づいた個別化治療の戦略はてんかんの病態(例えば、[[イオンチャネル]]の異常)、その異常に対応する抗てんかん薬、その抗てんかん薬の副作用を考慮し薬剤を選択する。一方、[[wikipedia:ja:薬物代謝酵素|薬物代謝酵素]]、[[wikipedia:ja:薬剤排泄トランスポーター|薬剤排泄トランスポーター]]の遺伝子多型からその個人の適量を決定する、という個別化治が示されている<ref name=ref21 />。<br />
<br />
表4は抗てんかん薬が基質となる代謝酵素([[シトクロムP450]];CYPs)分子種を示しているが、[[CYP3A4]]、[[CYP2C9]]、[[CYP2C19]]が抗てんかん薬の代謝に重要であり、各CYPには遺伝的多型が存在し代謝能力が異なる(extensive、intermediate、poor metabolizer)。日本人ではCYP2C19のpoor metabolizerは約18%、CYP2C9は約7%がpoor metabolizerである。<br />
<br />
薬剤選択に関してその一例として図1に[[GABA受容体]]の膜展開図を示す<ref name=ref10 />。膜の上は細胞外、下は細胞内を示す。GABRA1遺伝子上の4の位置(A322D)に変異があるとバルプロ酸が第一選択役となり、GABRG2の1の位置(R43Q)に変異があるとバルプロ酸、トピナ、バルビツール剤が選択される。GABRG2の変異位置がK289Mの場合、[[トピナ]]、[[バルビツール剤]]、[[ベンゾジアゼピン]]、ガバペンチンなどが選択され、Q351X変異を持つ症例では抗てんかん薬に抵抗性を示し、変異がR139Gの症例は熱性けいれんの可能性があり、抗てんかん薬が不要かもしれない<ref name=ref10 />。<br />
<br />
このように症例が持つ遺伝子異常の種類、変異の位置などにより薬剤の選択が可能となり、薬物代謝酵素、薬剤排泄トランスポーターなどの遺伝子多型から適量を算出することが理論的には可能である。一部の抗てんかん薬では患者の体重、併用薬剤、処方予定の抗てんかん薬に関わるCYPの多型、などからクリアランスを想定できるので、その患者の抗てんかん薬の至適容量を計算することができる<ref name=ref19><pubmed>24345815</pubmed></ref>。近い将来、このような個別化治療が臨床で実施可能となり、薬剤選択と投与量調整における時間が短縮する。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+表4.抗てんかん薬と代謝酵素<br>文献<ref name=ref21 />より一部改変し、引用<br />
|-<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |抗てんかん薬<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |排泄経路<br />
|-<br />
|カルバマゼピン<br />
|'''[[CYP3A4]]/[[CYP3A5|5]]''', [[CYP2D6]], [[CYP2C8]], [[EPHX1]]<br />
|[[wj:酸化|酸化]]<br />
|-<br />
|エトサクシミド<br />
|'''CYP3A4'''<br />
|酸化<br />
|-<br />
|バルプロ酸<br />
|CYP2D6, '''[[CYP2C9]]''', '''[[CYP2C19]]''', [[CYP1A2]], [[CYP2B1]], [[CYP2B2]], [[CYP2B4]], [[CYP2E1]], [[CYP4B1]], [[UGT2B1]]<br />
|酸化(>50%)と[[wikipedia:ja:グルクロン酸|グルクロン酸]]抱合(30-40%)<br />
|-<br />
|ガバペンチン<br />
| -<br />
|[[腎]]排泄<br />
|-<br />
|フェノバルビタール<br />
|'''CYP3A4''', CYP2D6, '''CYP2C9''', '''CYP2C19''', CYP2B1, [[CYP4A1]]<br />
|酸化+[[N-グルコシル化]](70%)と腎排泄(25%)<br />
|-|<br />
|フェニトイン<br />
|'''CYP3A4''', CYP2C8, '''CYP2C9''', [[CYP2C10]], '''CYP2C19'''<br />
|酸化<br />
|-<br />
|トピラメート<br />
|'''CYP2C19'''<br />
|酸化(20-60%)と腎排泄(40-80%)<br />
|-<br />
|レベチラセタム<br />
|水酸化酵素(アセトアミド基の酵素的加水分解)<br />
|腎排泄(65%)と[[wikipedia:ja:加水分解|加水分解]](35%)<br />
|-<br />
|ラモトリジン<br />
|[[UGT1A4]], [[UGT2B7]]<br />
|グルクロン酸抱合<br />
|-<br />
|ゾニサミド<br />
|'''CYP3A4''', CYP2D6<br />
|酸化 + 還元 + [[wikipedia:ja:N-アセチル化|N-アセチル化]](>50%)と腎排泄<br />
|-<br />
|クロバザム<br />
|'''CYP3A4'''<br />
|酸化<br />
|-<br />
|}<br />
太字で示されている酵素は抗てんかん薬代謝に関与する主な酵素である。CYP:酸化的代謝を行うチトクロームp450、EPH:[[エポキシド水解酵素]]、UGT:[[UDP-グルクロニールトランスフェラーゼ]]<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+表5.抗てんかん薬誘発性重症皮膚反応とHLAアリルs<br>文献<ref name=ref21 />より一部改変し、引用<br />
|-<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |抗てんかん薬<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |副作用<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |HLAアリル<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |人種<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |オッズ比<br />
| style="background-color:#d3d3d3" |P値<br />
|-<br />
|カルバマゼピン<br />
|SJS/TEN<br />
|''HLA-B*1502''<br />
|台湾の中国人<BR>タイ人<br />
|2505<BR>54.8<br />
|2.0×10<SUP>-32</SUP><BR>2.9×10<SUP>-12<br />
|-<br />
|<br />
|SJS/TEN<br />
|''HLA-B*1511''<br />
|日本人<BR>韓国人<br />
|16.3<BR>18.4<br />
|0.0004<BR>0.002<br />
|-<br />
|<br />
|SJS/TEN<BR>(SJS/TEN/HSS/MPE)<br />
|''HLA-A*3101''<br />
|日本人<BR>コーカシアン<BR><BR><BR><br />
|33.9<BR>(9.5)<BR>25.9<BR>(9.1)<br />
|2.4×10<SUP>-4</SUP><BR>(1.09×10<SUP>-16</SUP>)<BR>8.0×10<SUP>-5</SUP><BR>(1.0×10<SUP>-7</SUP>)<br />
|-<br />
|<br />
|MPE/HSS<br />
|''HLA-A*3101''<br />
|香港の中国人<br />
|12.2<br />
|0.0021<br />
|-<br />
|フェニトイン<br />
|SJS/TEN<br />
|''HLA-B*1502''<br />
|タイ人<br />
|18.5<br />
|0.005<br />
|-<br />
|カルバマゼピン/フェニトイン/ラモトリジン<br />
|SJS/TEN/HSS<br />
|''HLA-B*1502''<br />
|香港の中国人<br />
|17.6<br />
|0.001<br />
|-<br />
|}<br />
SJS:スチーブンスジョンソン症候群、TEN:中毒性表皮壊死、HSS:過敏性症候群、MPE:斑丘疹<br />
<br />
===発病の防止===<br />
現在の薬物療法の対症療法であり、根治療法ではない。抗てんかん薬により発作を抑制し、自然治癒を待つという戦略である。前者に対して[[iPS細胞]]などの新たな薬剤スクリンーニングシステムの導入、後者に対しててんかんの発病防止戦略が考えられている<ref name=ref11 />。<br />
<br />
一例として、[[常染色体優性夜間前頭葉てんかん]]で同定されたCHRNA4の変異S284Lを導入した遺伝子改変[[動物]]<ref name=ref23 />を用いた解析から発病前の特定の一定期間[[フロセミド]]で治療すると発病を防止できることが報告された<ref name=ref22 />。フロセミドは[[NKCC1]]を阻害することから、細胞内[[wikipedia:ja:塩化物イオン|塩化物イオン]]濃度を減少させ、[[GABA]]の抑制機能を回復するからと考えられている。同様にNKCC1を抑制する[[ブメタナイド]](bumetanide)は側頭葉てんかんに効果を示す<ref name=ref6><pubmed>23061490</pubmed></ref> <ref name=ref13><pubmed>22797810</pubmed></ref> <ref name=ref18><pubmed>23293960</pubmed></ref>。これらの報告は部分発作に共通の分子基盤が存在し、その分子病態を補正する物質で適切な時期に治療するとてんかんの発病を防止できることを示している。<br />
<br />
==疫学==<br />
[[有病率]](prevalence rate)とはある時点での患者の割合であるが、調査日における対象人口1000人あたりの患者数で示される。治療継続中または最終発作から5年未満の患者を活動性てんかんとみなして調査する。有病率を考える上で問題となるのは調査方法である。つまり、てんかんの診断方法をいかにするか、単発の発作を除いているか、小児期では発熱時の発作を除いているか、どの地域で調査するか、調査がpopulation based surveyなのか、hospital based surveyなのか、あるいは登録制度を持っている国ではそこに集積されたデータを用いているか、などである。調査地域の年齢構成が異なるため、対象年齢別の調査にする必要がある。これらの要因で有病率は異なる。<br />
<br />
表6に地域調査による最近の年齢別に有病率が報告されているデータを示した。前年例で見ると4.8から15.4とばらつくが、これは調査の方法論に起因するものと考えられる。最近は先進国では高齢者が増加しているが、有病率は高齢者で比較的高くなる傾向が認められる。国内では地域調査は少ないが、小児期(0歳から12歳)の有病率は8.8、単発または発熱時の発作を除くと5.3と報告されている<ref name=ref16><pubmed>22797810</pubmed></ref>。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|+ 表6.地域調査による年代別てんかんの有病率<br>文献<ref name=ref17>'''大塚頌子'''<br>てんかんの疫学<br>''臨床てんかん学''、p17-22,医学書院、2015.</ref>を一部改変して引用<br />
|-<br />
|国及び報告者<br />
|患者数<br />
|対象年齢<br />
|有病率(/1,000)<br />
|-<br />
|USA<br>Hauserら<br>1991<ref><pubmed> 1868801 </pubmed></ref><br />
|383<br />
|全年齢<br>0~14歳<br>15~64歳<br>65歳以上<br />
|6.79<br>3.92<br>7.12<br>10.61<br />
|-<br />
|Italy<br>Maremmaniら<br>1991<ref><pubmed> 2044492 </pubmed></ref><br />
|51<br />
|全年齢層<br>0~19歳<br>20~59歳<br>60歳以上<br />
|5.1<br>6.3<br>4.9<br>4.5<br />
|-<br />
|Tanzania<br>Rwizaら<br>1992<ref><pubmed> 1464263 </pubmed></ref><br />
|185<br />
|全年齢<br>0~19歳<br>20~59歳<br>60歳以上<br />
|10.2<br>6.6<br>16.2<br>12.1<br />
|-<br />
|Iceland<br>Olafssonら<br>1999<ref><pubmed> 10565579 </pubmed></ref><br />
|428<br />
|全年齢<br>0~14歳<br>15~64歳<br>65歳以上<br />
|4.8<br>3.4<br>5.0<br>6.5<br />
|-<br />
|Honduras<br>Medinaら<br>2005<ref><pubmed> 15660778 </pubmed></ref><br />
|100<br />
|全年齢<br>0~19歳<br>20~59歳<br>60歳以上<br />
|15.4<br>13.7<br>19.0<br>9.5<br />
|-<br />
|Croatia<br>Bielenら<br>2007<ref><pubmed> 17986093 </pubmed></ref><br />
|1,022<br />
|全年齢<br>0~18歳<br>19~65歳<br>66歳以上<br />
|4.8<br>4.9<br>4.9<br>4.4<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
==参考文献==<br />
<references /> </div>
Makotourushitani