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脳科学辞典 クオリア 土谷尚嗣 Monash University 2016年5月8日 字数制限 1500−8000字 (現在9500字) クオリアは、我々の[[意識]]にのぼってくる感覚意識やそれにともなう経験のことである。脳科学では、クオリアはなんらかの脳活動によって生み出されていると考える。しかし、具体的にどのようなメカニズムがどのようなクオリアを生み出すのか、また、クオリアを生み出す脳活動と生み出さない脳活動では何が違うのか等はわかっていない。そもそも、クオリアは生物の生存にとってどのような意味で有効なのかすらが明らかでない。哲学者は長くクオリアについて論じてきたが、クオリアという概念に意味があるかどうかですら、意見が分かれている。本項では、クオリアに関する概念・議論を解説し、脳科学研究によってクオリア問題に具体的にアプローチする方法にはどのようなものがありうるかを概説する。哲学的な議論に関してはhttp://plato.stanford.edu/entries/qualia/ を参照。 目次 1.クオリアとは何か? 1.1 狭い意味・広い意味でのクオリア 1.2クオリアと関係する概念 1.2.1 「それになった感じ」what it is like 1.2.2 現象としての意識 (phenomenal consciousness) 1.3 「難しい問題」とクオリアHard problem and qualia 2.心理学・脳科学におけるクオリア問題へのアプローチ 2.1心理学研究における錯視を使ったクオリアの特徴づけ 2.2脳科学研究におけるクオリアに相関する神経活動の同定 2.3 アクセス可能な意識と現象としての意識・クオリアへの実証的な研究 2.4感覚代行、つなぎ変え、[[共感]]覚によるクオリア研究 2.5統合情報理論における「クオリア」 3. まとめと展望 1. クオリアとは何か? クオリアとは、ラテン語 qualia 、のことで、単数形は a quale であり、我々が意識的に主観的に感じたり経験したりする「質」のことを指す。日本語では感覚質とも呼ばれる 。一般に、夕焼けの赤い感じ、虫歯の[[痛み]]、などの[[比喩]]を使って説明されることが多い。 2.狭義・広義でのクオリア 哲学・心理学の文献では、暗示的にクオリアという言葉が、狭い意味、もしくは広い意味で使われることが多く、どのような意味でクオリアという言葉が使われているかに注意して読まないと混乱をきたす。また狭義・広義の区別はそれに対応する脳科学的なアプローチにも関わる重要なものである。 最も狭い意味でのクオリアとは、一瞬の意識経験のうちのある一つの感覚的な側面を指す。例えば、図1のように、画面の真ん中に十字があり、その左、もしくは、右に赤い丸が提示されているような状況で、読者が十字を見つめているとしよう。このとき、赤丸の赤さだけを取り出せば、二つの画面で、読者は、狭い意味では、同じ赤いクオリアを経験している、と言う。 図1 クオリアの例。 一方で、広い意味でのクオリアとは、一瞬に経験される意識経験の中身、すべてを指す。例えば、図1の二つの図では、赤い丸の位置が違うため、広い意味では、異なるクオリアを経験していることになる 。 狭い意味でのクオリアは、脳科学的に最も研究しやすい。古典的な心理物理学は、わずかに異なる二つの感覚刺激を被検者に呈示し、どのような刺激の特性は、意識的に同じとみなせるか、違いを区別できるかが詳しく研究されている 。 より広い意味でのクオリアには、視覚全般を含んだクオリアなどが考えられる。視覚全般のクオリアは、複雑な内容を含んだ自然画像を使った実験などによって研究できる。変化に対する盲目(Change Blindness(Simons & Rensink, 2005))などの実験では、ある一点を除いては全く同じ2つの画像を繰り返し見せられてもなかなかその2つの画像の違いに気づかない。これは、広い意味でいうところの同じ視覚クオリアが二つの画像によって生み出されるから、と考えることもできる。 すべての感覚モダリティ(視覚、聴覚、[[触覚]]など)を含んださらに広義のクオリアを研究するには、映画やバーチャル・リアリティなどを使った実験が行われる(Hasson, Nir, Levy, Fuhrmann, & Malach, 2004)。 究極的に広義のクオリアは、ある生物がある一瞬に経験するすべての感覚モダリティと、すべての非感覚的経験(思考・感情・記憶等)を含むものとなる。そこまでいくと、一瞬一瞬の経験には再現性がないため、科学的な研究はできないだろう。 1.2.クオリアと関係する概念 哲学者らは、クオリアという語で指し示す概念を整理するために、関連する概念をいくつも提案してきた(http://plato.stanford.edu/entries/qualia/)。ここでは、その中で特に脳科学的なクオリア研究に関連する概念を説明する。 1.2.1 「それになった感じ」"what it is like” 哲学者トーマス・ネイジェルは、「[[コウモリ]]になるとはどんな感じか?(what it is like to be a bat?)」という問題を提起した(Nagel, 1974)。この問いは、クオリア問題の本質を理解する上で重要である。ポイントは、「我々が想像するに、コウモリになったらこんな感じだろう」という、擬人化した比喩としてのコウモリ理解ではなく、我々がコウモリそれ自体になってしまった時の経験はどのようなものかを問うているという点である。人間としての[[言語]]も記憶も無く、超音波をつかって物体の位置を感知し、飛びまわり、逆さまになって生活するという性質をもったコウモリそれ自体になったらどのような感じがするか? それはコウモリにならないと究極的にはわからないだろう。この場合の「わかる」は、概念の理解という意味での「わかる」とは異なる。経験とは、言語的な説明では「わからない」ものである。直接の経験を通してしかわからないのがクオリア問題の本質である。 そのように考えると、コウモリに限らず、他の[[動物]]、他人、人工的なシステムなどに、たとえ意識があったとして、それになったときにの感じ(what it is like) は、それ自身にならない限りわからない。脳科学から、この問題に対してどのようなアプローチの可能性があるかについては後の章を参照。 「それになった感じ」としてのクオリアは、通常、広い意味でのクオリアと同義であると考えて良い。クオリアは、意識の感覚的な側面のみを指す時に限定して使われることもあるが、「それになった感じ」には非感覚的な思考や感情など経験すべての側面が含まれる。(http://plato.stanford.edu/entries/qualia/) 1.2.2 現象としての意識phenomenal consciousness 哲学者ネッド・ブロック(Ned Block)は、現象としての意識(phenomenal consciousness)とアクセス可能な意識(access consciousness)という概念を区別した。現象としての意識も、「それになった感じ」と同じく、意識の感覚として側面だけに限定されず、思考や感情も含んだクオリアと考えて良い。用法としては、ある特定のクオリアを指すことが多い。 具体的な(ある程度広い意味での)視覚クオリアを例にとって、現象としての意識とアクセス可能な意識について説明してみよう。 Freeman & Simoncelli (Freeman & Simoncelli, 2011)は、周辺視野の解像度と混みあい効果の影響を考えて、ある自然画像(図2、左)とほぼ同じ広義の視覚クオリアを生み出すような人工画像(図2、右)をつくりだすのに成功した。 図2 広い意味で同じ視覚クオリアを生み出す2枚の画像(Freeman & Simoncelli, 2011)。左のオリジナルの写真も、右の人工的な画像も、中心の点を見つめる限り、ほぼ同じような視覚経験を生み出す。人間の視覚システムの周辺視野における解像度などの特徴を考慮に入れたコンピューターモデルには、左右の写真は区別がつかない。 人の視覚システムは見つめている焦点が最も解像度が高く、周辺視野に行けばいくほど解像度が悪くなる。また、周辺視野では混みあい効果 (crowding(Pelli & Tillman, 2008))という現象が生じる。これらの影響のため、特に複雑な内容の自然画像では、直接に焦点を当てて見ている部位以外では、異なる画像も同じクオリアを起こす。 Freeman & Simoncelliによる図2を例にとると、中心の点を見つめている時に我々にアクセス可能な意識は、「人々が集う公園のような場所で、右後ろには建物があって、左後ろには木がある」というように言語的に報告でき、記憶に保持でき、そのため後の意識的な行動計画に直接影響を及ぼすような、意識の側面を指す。そのような意味では左の図も右の図も同じようなアクセス可能な意識が経験される。 一方、現象としての意識には、アクセス可能な意識に加えて、なんとも言語にしがたい経験も含まれる。読者の中には、長い間図2を見ていると、微妙な曲線の違い、なんとなく感じられる人の数、木の葉っぱの感じ、などに違いがあることが感じられる人がいるかもしれない。そもそも、一瞬だけこの画像を見ただけであっても、言語にしがたいさまざまな側面が意識にのぼることもあるだろう。アクセス可能な意識以上に現象としての意識は本当に経験されているのかという問題については、現在も議論が非常に盛んであり、心理学・脳科学で実証的に研究できる可能性が高い(後の章を参照)。 1.4. 「難しい問題(Hard problem)」とクオリア 哲学者ディビット・チャルマーズによって提唱された意識の「難しい問題」とは、クオリアと脳内で起こる物理化学現象の間にある大きなギャップのことを指す(Chalmers, 1996)。「難しい問題」の議論には、色々な問題が含まれる。たとえば、狭い意味での赤いクオリアを引き起こすような神経活動が、なぜ、青いクオリアを引き起こさないのか、という問題がある。これは「難しい問題」の一例である。哲学者の中には、もし突然、自分が経験するすべての赤と青のクオリアが入れ替わってしまったとしてもそれには自分が全く気づけないはずだ、という「逆転クオリア」の思考実験を行い、どのように神経科学が進んだとしてもこのような問題は解き明かすことができない類の問題である、と論じているものもいる(http://plato.stanford.edu/entries/qualia-inverted/)。はたして、脳科学が根源的にクオリアの謎を解き明かすことはできないのか、実際に研究の手立てがないのかについては、後の項を参照。
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