「トポグラフィックマッピング」の版間の差分

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同義語:神経地図形成  
同義語:神経地図形成  


 トポグラフィックマップとはもともと「地形図」という意味であるが、脳科学においてはトポグラフィックマッピングは「神経地図形成」とも訳され、[[神経細胞]]の[[投射]]が地形図を作製するように特異的な配置をなす過程をいう。例えば感覚系において、ある特定の身体の位置からの情報を担う神経の[[軸索]]が、ある特定の配置をその系路内で取り、脳内のある特定の標的に到達した際に、その投射が標的領域内で特定の配置を取る過程のことである。トポグラフィクマッピングは[[感覚系]]での情報処理の基本となる構造を形成するものである。また、脳の[[運動野]]のある位置に存在する神経細胞からの軸索がある特定の身体の位置に投射する場合、脳内の運動野でトポグラフィックな分布があるといえる。ここでは、トポグラフィックマップの神経機能における意義とその分子機構を歴史的な経緯をふまえて感覚系、特に視覚系と嗅覚系を中心にまとめる。
 トポグラフィックマップとはもともと「地形図」という意味であるが、脳科学においてはトポグラフィックマッピングは「神経地図形成」とも訳され、[[神経細胞]]の[[投射]]が地形図を作製するように特異的な配置をなす過程をいう。例えば感覚系において、ある特定の身体の位置からの情報を担う神経の[[軸索]]が、ある特定の配置をその系路内で取り、脳内のある特定の標的に到達した際に、その投射が標的領域内で特定の配置を取る過程のことである。トポグラフィクマッピングは[[感覚系]]での情報処理の基本となる構造を形成するものである。また、脳の[[運動野]]のある位置に存在する神経細胞からの軸索がある特定の身体の位置に投射する場合、脳内の運動野でトポグラフィックな分布があるといえる。ここでは、トポグラフィックマップの神経機能における意義とその分子機構を歴史的な経緯をふまえて感覚系、特に[[視覚]]系と[[嗅覚]]系を中心にまとめる。


== トポグラフィックマッピングとその意義  ==
== トポグラフィックマッピングとその意義  ==
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=== クローニングによる分子同定  ===
=== クローニングによる分子同定  ===


 その後、彼のグループのUwe Drescherらが遺伝子クローニングを含めて更なる分子の同定を試みていた。その頃、ファミリーの非常に多い新しい[[チロシンキナーゼ]]分子(後にEphとよばれる)が同定され、それについての研究が様々なグループで行われていた。中でも[[wikipedia:Regeneron|レジェネロン]]のGeorge Yancopoulosのグループ(Nick Galeら)はこのキナーゼ(Ephにあたる)のファミリーの同定とそのリガンド(ephrinにあたる)の解明を発現クローニングの手法を用いて精力的に行っていた。一方Philip Lederの弟子にあたるJohn Flanaganもハーバードに自分のラボを持った頃で、プロジェクトの一つとして[[Mek4]]([[EphA3]]にあたる)と[[Sek]]([[EphA4]]にあたる)とよばれる上記の[[キナーゼ]]ファミリーに対する[[リガンド]]の発現クローニングを行っていた。それで1994年にとれてきた分子が[[ELF-1]]([[EphrinA2]]にあたる)で、この分子はGPI結合性の膜結合型のタンパク質であることがわかっていた<ref><pubmed>7522971</pubmed></ref><ref><pubmed>3503703</pubmed></ref>。その解析の途中でMek4とELF-1がニワトリ胚の網膜と視蓋で濃度勾配を呈して発現しており、しかもその勾配が相補的であることに気がついた彼のグループは1995年にこのEphA3-ephrinA2がBonhoefferのグループが解析を行ってきたSperryのchemoaffnity theoryを担う分子メカニズムであるという論文を発表した<ref><pubmed>3503693</pubmed></ref><ref><pubmed>7634327</pubmed></ref>。その論文はDrescherらのRAGSがephrinAのグループに属する分子(ephrinA5にあたる)であるという論文と同時に発表されている<ref><pubmed>3503693</pubmed></ref><ref><pubmed>7634326</pubmed></ref>。その後、彼ら以外にも様々なグループ(例えばRudiger KleinやDennis O'learyら)が参画しニワトリだけでなく[[マウス]]でもこのEph-ephrinを介したメカニズムが視覚系におけるトポグラフィックマッピングに働いていることが証明された(詳しくは[[エフリン]]、[[Eph受容体]]の項を参照されたい)。  
 その後、彼のグループのUwe Drescherらが遺伝子クローニングを含めて更なる分子の同定を試みていた。その頃、ファミリーの非常に多い新しい[[チロシンキナーゼ]]分子(後にEphとよばれる)が同定され、それについての研究が様々なグループで行われていた。
 
 中でも[[wikipedia:Regeneron|レジェネロン]]のGeorge Yancopoulosのグループ(Nick Galeら)はこのキナーゼ(Ephにあたる)のファミリーの同定とそのリガンド(ephrinにあたる)の解明を発現クローニングの手法を用いて精力的に行っていた。一方Philip Lederの弟子にあたるJohn Flanaganもハーバードに自分のラボを持った頃で、プロジェクトの一つとして[[Mek4]]([[EphA3]]にあたる)と[[Sek]]([[EphA4]]にあたる)とよばれる上記の[[キナーゼ]]ファミリーに対する[[リガンド]]の発現クローニングを行っていた。それで1994年にとれてきた分子が[[ELF-1]]([[EphrinA2]]にあたる)で、この分子はGPI結合性の膜結合型のタンパク質であることがわかっていた<ref><pubmed>7522971</pubmed></ref><ref><pubmed>3503703</pubmed></ref>。その解析の途中でMek4とELF-1がニワトリ胚の網膜と視蓋で濃度勾配を呈して発現しており、しかもその勾配が相補的であることに気がついた彼のグループは1995年にこのEphA3-ephrinA2がBonhoefferのグループが解析を行ってきたSperryのchemoaffnity theoryを担う分子メカニズムであるという論文を発表した<ref><pubmed>3503693</pubmed></ref><ref><pubmed>7634327</pubmed></ref>。その論文はDrescherらのRAGSがephrinAのグループに属する分子(ephrinA5にあたる)であるという論文と同時に発表されている<ref><pubmed>3503693</pubmed></ref><ref><pubmed>7634326</pubmed></ref>
 
 その後、彼ら以外にも様々なグループ(例えばRudiger KleinやDennis O'learyら)が参画しニワトリだけでなく[[マウス]]でもこのEph-ephrinを介したメカニズムが視覚系におけるトポグラフィックマッピングに働いていることが証明された(詳しくは[[エフリン]]、[[Eph受容体]]の項を参照されたい)。  


== 各論  ==
== 各論  ==
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 嗅覚系においてもトポグラフィックマッピングが行われることが知られているが、坂野らのグループによる精力的な研究によりその詳細な分子メカニズムが明らかにされてきている。匂いは[[嗅覚受容体]]で感知されるが、一つの嗅上皮細胞は一種類の嗅覚受容体を発現している。しかしながら、同じ嗅覚受容体を発現する細胞の嗅上皮内における分布はバラバラであるので、同じ嗅覚受容体を発現する細胞からの情報は嗅球の中の同じ糸球体に収束する必要がある。嗅覚受容体はヒトでは約350種類、マウスでは約1000種類の嗅覚受容体が存在し、[[嗅球]]上に嗅覚受容体の数に対応した糸球体を素子とする2次元マップが形成される。  
 嗅覚系においてもトポグラフィックマッピングが行われることが知られているが、坂野らのグループによる精力的な研究によりその詳細な分子メカニズムが明らかにされてきている。匂いは[[嗅覚受容体]]で感知されるが、一つの嗅上皮細胞は一種類の嗅覚受容体を発現している。しかしながら、同じ嗅覚受容体を発現する細胞の嗅上皮内における分布はバラバラであるので、同じ嗅覚受容体を発現する細胞からの情報は嗅球の中の同じ糸球体に収束する必要がある。嗅覚受容体はヒトでは約350種類、マウスでは約1000種類の嗅覚受容体が存在し、[[嗅球]]上に嗅覚受容体の数に対応した糸球体を素子とする2次元マップが形成される。  


 嗅球の中での嗅上皮細胞の軸索の配置は前後軸及び背側腹側の軸で決定されているが、背側腹側の軸での配列は嗅上皮内での配置によって決定される。前後軸に関してはどの嗅覚受容体が発現されているかによって産生される[[CAMP]]の量が変わり、これによって[[Sema3A]]/[[Neuropilin1]]のカウンターバランスを示す濃度勾配が[[嗅上皮細胞]]の軸索内に発生し、これによって標的にたどり着く前に軸索がソーティングされることによって、前後軸のどこに軸索が到着するかが決定される。背側腹側に関しては、まず、嗅上皮内での[[Robo2]]の濃度勾配と嗅球内での[[Slit1]]の濃度勾配よってパイオニア軸索の嗅球での配置が背側に決定され、その後、嗅上皮細胞の軸索内での[[Sema3F]]/[[Neuropilin2]]のカウンターバランスを示す濃度勾配によって嗅球内での背側腹側の位置が決まる。つまり、後から到着する軸索は先に到着した背側の軸索が発現するSema3Fによってより腹側に配置される(図5)。嗅覚の場合に特徴的なのは、軸索ー軸索の相互作用が非常に重要な役割を果たしていることである。 これはSperryのモデルとは少し異なり、嗅覚系では軸索間で自律的に制御されているということを示しており、また、嗅球がなくてもある程度トポグラフィックマップが形成されるという事実とも合致する。視覚系においては位置情報以外は(網膜のどこからくるか以外は)それぞれの軸索で同じ情報が伝えられているが、嗅覚系では違う嗅覚受容体の情報がそれぞれの軸索によって伝えられているところが異なるのかもしれない。  
 嗅球の中での嗅上皮細胞の軸索の配置は前後軸及び背側腹側の軸で決定されているが、背側腹側の軸での配列は嗅上皮内での配置によって決定される。前後軸に関してはどの嗅覚受容体が発現されているかによって産生される[[CAMP]]の量が変わり、これによって[[Sema3A]]/[[Neuropilin1]]のカウンターバランスを示す濃度勾配が[[嗅上皮細胞]]の軸索内に発生し、これによって標的にたどり着く前に軸索がソーティングされることによって、前後軸のどこに軸索が到着するかが決定される。背側腹側に関しては、まず、嗅上皮内での[[Robo2]]の濃度勾配と嗅球内での[[Slit1]]の濃度勾配よって[[パイオニア軸索]]の嗅球での配置が背側に決定され、その後、嗅上皮細胞の軸索内での[[Sema3F]]/[[Neuropilin2]]のカウンターバランスを示す濃度勾配によって嗅球内での背側腹側の位置が決まる。つまり、後から到着する軸索は先に到着した背側の軸索が発現するSema3Fによってより腹側に配置される(図5)。嗅覚の場合に特徴的なのは、軸索ー軸索の相互作用が非常に重要な役割を果たしていることである。 これはSperryのモデルとは少し異なり、嗅覚系では軸索間で自律的に制御されているということを示しており、また、嗅球がなくてもある程度トポグラフィックマップが形成されるという事実とも合致する。視覚系においては位置情報以外は(網膜のどこからくるか以外は)それぞれの軸索で同じ情報が伝えられているが、嗅覚系では違う嗅覚受容体の情報がそれぞれの軸索によって伝えられているところが異なるのかもしれない。  


 こういった過程で軸索が標的位置に到達しシナプスを形成したあと、嗅覚系でも視覚系と同様に神経活動依存的なリファインメントがおこる(隣同士の[[糸球体]]がきっちりとセグレゲートする)。この過程においては神経活動依存的にホモフィリック結合をする[[細胞接着因子]][[Kirrel]]2/3と接着依存性の反発因子である[[EphA5]]-[[EphrinA5]]がやはり濃度勾配を呈する形で発現し、それによって糸球体が相互にセグレゲートする(図3)<ref><pubmed>21469960</pubmed></ref>。  
 こういった過程で軸索が標的位置に到達しシナプスを形成したあと、嗅覚系でも視覚系と同様に神経活動依存的なリファインメントがおこる(隣同士の[[糸球体]]がきっちりとセグレゲートする)。この過程においては神経活動依存的にホモフィリック結合をする[[細胞接着因子]][[Kirrel]]2/3と接着依存性の反発因子である[[EphA5]]-[[EphrinA5]]がやはり濃度勾配を呈する形で発現し、それによって糸球体が相互にセグレゲートする(図3)<ref><pubmed>21469960</pubmed></ref>。  
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*[[エフリン]]  
*[[エフリン]]  
*[[Eph受容体]]
*[[Eph受容体]]
*[[ゾーン構造]]


== 参考文献  ==
== 参考文献  ==