「ナルコレプシー」の版間の差分

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== 病態生理 ==
== 病態生理 ==


 ナルコレプシーの不思議な病態は二つの基本的な障害にまとめられる<ref name=ref23>'''高橋 康郎'''<br>ナルコレプシーと逆説睡眠<br>''最新医学''. 1971;26:98-105.</ref>。ひとつは睡眠覚醒リズムの多相化である。通常ヒトの睡眠は他の動物と異なり一日一回まとめて睡眠をとる単相性睡眠を示す。日中の反復する居眠りと、夜間の頻回の中途覚醒は、睡眠や覚醒の位相が維持できず睡眠や覚醒の位相が細かく分断化されることとして説明できる。もうひとつはレム睡眠関連症状である。レム睡眠の構成要素のうち、活発な夢体験や筋緊張消失が意識水準と解離して覚醒中や半覚醒中に生じることが、入眠時幻覚や睡眠麻痺、情動脱力発作の基盤として説明される。最近、この基本的障害の神経生物学的背景が理解されてきた。視床下部前部の睡眠中枢[[腹外側視索前野]] (ventrolateral preoptic nucleus, VLPO)と[[モノアミン]]性の覚醒中枢が、相互に抑制性神経入力をすることに基づいて、Saperらは視床下部が睡眠覚醒のスイッチ仮説を提唱している<ref name=ref24><pubmed>16251950</pubmed></ref>。このモデルにおいて、オレキシンはスイッチを覚醒側に押して安定させる役割をはたす。ナルコレプシーではオレキシン神経の機能低下により、1.スイッチが不安定となって覚醒維持ができなくなり頻回の居眠りが生じ、睡眠覚醒リズムの多相化につながる、また2.睡眠と覚醒の位相の切り替え後に睡眠覚醒の状態がすぐ安定化しないため、覚醒と特にレム睡眠の中間的な寝ぼけ状態が遷延し、レム睡眠関連症状の背景となる、という内容である。
 ナルコレプシーの不思議な病態は二つの基本的な障害にまとめられる<ref name=ref23>'''高橋 康郎'''<br>ナルコレプシーと逆説睡眠<br>''最新医学''. 1971;26:98-105.</ref>。ひとつは睡眠覚醒リズムの多相化である。通常ヒトの睡眠は他の動物と異なり一日一回まとめて睡眠をとる単相性睡眠を示す。日中の反復する居眠りと、夜間の頻回の中途覚醒は、睡眠や覚醒の位相が維持できず睡眠や覚醒の位相が細かく分断化されることとして説明できる。もうひとつはレム睡眠関連症状である。レム睡眠の構成要素のうち、活発な夢体験や筋緊張消失が意識水準と解離して覚醒中や半覚醒中に生じることが、入眠時幻覚や睡眠麻痺、情動脱力発作の基盤として説明される。最近、この基本的障害の神経生物学的背景が理解されてきた。視床下部前部の睡眠中枢[[腹外側視索前野]] (ventrolateral preoptic nucleus, VLPO)と[[モノアミン]]性の覚醒中枢が、相互に抑制性神経入力をすることに基づいて、Saperらは視床下部が睡眠覚醒のスイッチとして働くという仮説を提唱している<ref name=ref24><pubmed>16251950</pubmed></ref>。このモデルにおいて、オレキシンはスイッチを覚醒側に押して安定させる役割をはたす。ナルコレプシーではオレキシン神経の機能低下により、1.スイッチが不安定となって覚醒維持ができなくなり頻回の居眠りが生じ、睡眠覚醒リズムの多相化につながる、また2.睡眠と覚醒の位相の切り替え後に睡眠覚醒の状態がすぐ安定化しないため、覚醒と特にレム睡眠の中間的な寝ぼけ状態が遷延し、レム睡眠関連症状の背景となる、という内容である。


 ナルコレプシー発症の原因は未解明である。オレキシン発見の契機となった[[wikipedia:ja:イヌ|イヌ]]モデル<ref name=ref25><pubmed>10458611</pubmed></ref>とは異なり、ナルコレプシーの原因としてオレキシンやその[[受容体]]の遺伝子異常は見出されていない<ref name=ref19 />。一方で、HLA遺伝子型自体がナルコレプシーの一遺伝子である(homozygoteはheterozygoteの4-5倍の有病率)。また健常者をMSLTの結果で群分けすると入眠時レム睡眠数や眠気が強い群ほど(つまりナルコレプシー診断基準に近いほど)HLA-DQB1*06:02遺伝子型をもつ頻度が高まること<ref name=ref26><pubmed>16597649</pubmed></ref>、さらにこのHLA遺伝子型をもつ人は疲労度や眠気尺度が高く、部分断眠後でも徐波睡眠持続が悪く、睡眠が分断化する傾向があること<ref name=ref27><pubmed>20975052</pubmed></ref>、からHLA遺伝子自体が睡眠制御機能をもつことが示唆されている。
 ナルコレプシー発症の原因は未解明である。オレキシン発見の契機となった[[wikipedia:ja:イヌ|イヌ]]モデル<ref name=ref25><pubmed>10458611</pubmed></ref>とは異なり、ナルコレプシーの原因としてオレキシンやその[[受容体]]の遺伝子異常は見出されていない<ref name=ref19 />。一方で、HLA遺伝子型自体がナルコレプシーのリスク遺伝子である(homozygoteはheterozygoteの4-5倍の有病率)。また健常者をMSLTの結果で群分けすると入眠時レム睡眠数や眠気が強い群ほど(つまりナルコレプシー診断基準に近いほど)HLA-DQB1*06:02遺伝子型をもつ頻度が高まること<ref name=ref26><pubmed>16597649</pubmed></ref>、さらにこのHLA遺伝子型をもつ人は疲労度や眠気尺度が高く、部分断眠後でも徐波睡眠持続が悪く、睡眠が分断化する傾向があること<ref name=ref27><pubmed>20975052</pubmed></ref>、からHLA遺伝子自体が睡眠制御機能をもつことが示唆されている。


 [[wikipedia:ja:慢性関節リウマチ|慢性関節リウマチ]]など既知のHLA関連疾患はすべて[[wikipedia:ja:自己免疫機序|自己免疫機序]]をもつことから、ナルコレプシーの病態にも自己免疫機序が関与することが信じられてきた。ナルコレプシーの自己免疫仮説を支持する知見、否定的な知見の主なものを表2に示す。自己免疫疾患仮説を支持する最大の根拠は、[[wikipedia:ja:HLA遺伝子|HLA遺伝子]]型との関連、そして全ゲノム遺伝子関連解析で同定された[[wikipedia:ja:T細胞受容体|T細胞受容体]]α遺伝子座にある[[一塩基多型]]との関連である(この際HLA遺伝子型を合わせた対照群が用いられている)<ref name=ref28><pubmed>19412176</pubmed></ref>。特定のHLA分子とT細胞受容体を介して免疫反応の司令塔であるT細胞の賦活化され、自己反応性T細胞が生じる可能性がある<ref name=ref29><pubmed>20403960</pubmed></ref>。
 [[wikipedia:ja:慢性関節リウマチ|慢性関節リウマチ]]など既知のHLA関連疾患はすべて[[wikipedia:ja:自己免疫機序|自己免疫機序]]をもつことから、ナルコレプシーの病態にも自己免疫機序が関与することが信じられてきた。ナルコレプシーの自己免疫仮説を支持する知見、否定的な知見の主なものを表2に示す。自己免疫疾患仮説を支持する最大の根拠は、[[wikipedia:ja:HLA遺伝子|HLA遺伝子]]型との関連、そして全ゲノム遺伝子関連解析で同定された[[wikipedia:ja:T細胞受容体|T細胞受容体]]α遺伝子座にある[[一塩基多型]]との関連である(この際HLA遺伝子型を合わせた対照群が用いられている)<ref name=ref28><pubmed>19412176</pubmed></ref>。特定のHLA分子とT細胞受容体を介して免疫反応の司令塔であるT細胞が賦活化され、自己反応性T細胞が生じる可能性がある<ref name=ref29><pubmed>20403960</pubmed></ref>。


 最近ナルコレプシー症例の16-26%に、疾患特異的に[[TRIB2自己抗体]]が同定された<ref name=ref30><pubmed>20160349</pubmed></ref> <ref name=ref31><pubmed>20614846</pubmed></ref> <ref name=ref32><pubmed>20614847</pubmed></ref>。TRIB2自己抗体の臨床的意義は未解明であるが、視床下部ではオレキシン細胞に共局在するため、TRIB2自己抗体がオレキシン細胞を標的とする可能性も示唆されている<ref name=ref30 />。
 最近ナルコレプシー症例の16-26%に、疾患特異的に[[TRIB2自己抗体]]が同定された<ref name=ref30><pubmed>20160349</pubmed></ref> <ref name=ref31><pubmed>20614846</pubmed></ref> <ref name=ref32><pubmed>20614847</pubmed></ref>。TRIB2自己抗体の臨床的意義は未解明であるが、視床下部ではオレキシン細胞に共局在するため、TRIB2自己抗体がオレキシン細胞を標的とする可能性も示唆されている<ref name=ref30 />。
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 ナルコレプシーは10歳代に日中の居眠りの反復で発症し、その後情動脱力発作が生じるのが一般的経過である。発症は13-4歳の思春期に多い<ref name=ref47>'''Honda Y.'''<br>Clinical features of narcolepsy: Japanese experiences. In: Honda Y, Juji T, editors. <br>''HLA in Narcolepsy.'' Berlin: Springer-Verlag; 1988. p. 24-57.</ref>。ただ中国北部では発症ピークが5歳程度早く<ref name=ref48><pubmed>21532956</pubmed></ref>、またフランス人では40歳前後にも小さな峰をもつ二峰性の発症分布をとる<ref name=ref49><pubmed>11739821</pubmed></ref>など、人種差がある。発症は急性経過をとる場合が多く、眠気がはじまった日を特定できる場合も多い。受診者は男性に多い傾向があるが性差はないとされる。症状の消長([[寛解]]増悪)を示さない点は、一般的な自己免疫疾患とは異なる臨床経過である。情動脱力発作は自然経過で軽減する場合が多くみられるが、眠気は長期持続しやすい特徴がある。
 ナルコレプシーは10歳代に日中の居眠りの反復で発症し、その後情動脱力発作が生じるのが一般的経過である。発症は13-4歳の思春期に多い<ref name=ref47>'''Honda Y.'''<br>Clinical features of narcolepsy: Japanese experiences. In: Honda Y, Juji T, editors. <br>''HLA in Narcolepsy.'' Berlin: Springer-Verlag; 1988. p. 24-57.</ref>。ただ中国北部では発症ピークが5歳程度早く<ref name=ref48><pubmed>21532956</pubmed></ref>、またフランス人では40歳前後にも小さな峰をもつ二峰性の発症分布をとる<ref name=ref49><pubmed>11739821</pubmed></ref>など、人種差がある。発症は急性経過をとる場合が多く、眠気がはじまった日を特定できる場合も多い。受診者は男性に多い傾向があるが性差はないとされる。症状の消長([[寛解]]増悪)を示さない点は、一般的な自己免疫疾患とは異なる臨床経過である。情動脱力発作は自然経過で軽減する場合が多くみられるが、眠気は長期持続しやすい特徴がある。


 最近発症契機として環境因子、特に感染症既往が注目を集めている。HLA遺伝子型を合わせた対照群について人種と社会経済的階層を補正した上で比較すると、ナルコレプシー群では[[wikipedia:ja:連鎖球菌|連鎖球菌]]性の[[wikipedia:ja:咽頭炎|咽頭炎]]の既往をもつものが5.4倍多く<ref name=ref50><pubmed>19732319</pubmed></ref>、発症後まもない症例では[[wikipedia:ja:A群溶鎖菌|A群溶鎖菌]](ASO)の抗体価が高いこと(発症3年以内のナルコレプシー群では4割が抗体価400以上であるのに対し対照群では5%以下)<ref name=ref51><pubmed>19725248</pubmed></ref>、ASO抗体価高値群で思春期前の小児の非定型な運動症状がより多いこと(一部はA群溶連菌感染後に生じる[[小舞踏病]]や溶連菌感染に随伴して生じる[[自己免疫性神経精神障害]](PANDA)と類似している)<ref name=ref52><pubmed>21930661</pubmed></ref>などである。またフィンランドでインフルエンザワクチン接種後に特に17歳以下の小児の発症率が12.7倍に増加すること<ref name=ref46 /> <ref name=ref53><pubmed>    22470453</pubmed></ref>、若年小児発症がもともと多い中国北部では2009年のインフルエンザ流行に伴って受診者が3倍に増加したこと(7割が10歳以下)<ref name=ref54><pubmed>21866560</pubmed></ref>も報告された。日本ではインフルエンザ流行に伴うナルコレプシー発症増加は報告されていない。免疫賦活が発症促進的であるが、そこに特定の地域や民族といった環境要因が関わると考えられる。今後の検証が必要である。
 最近発症契機として環境因子、特に感染症既往が注目を集めている。HLA遺伝子型を合わせた対照群について人種と社会経済的階層を補正した上で比較すると、ナルコレプシー群では[[wikipedia:ja:連鎖球菌|連鎖球菌]]性の[[wikipedia:ja:咽頭炎|咽頭炎]]の既往をもつものが5.4倍多く<ref name=ref50><pubmed>19732319</pubmed></ref>、発症後まもない症例では[[wikipedia:ja:A群溶鎖菌|A群溶鎖菌]](ASO)の抗体価が高いこと(発症3年以内のナルコレプシー群では4割が抗体価400以上であるのに対し対照群では5%以下)<ref name=ref51><pubmed>19725248</pubmed></ref>、ASO抗体価高値群で思春期前の小児の非定型な運動症状がより多いこと(一部はA群溶連菌感染後に生じる[[小舞踏病]]や溶連菌感染に随伴して生じる[[自己免疫性神経精神障害]](PANDA)と類似している)<ref name=ref52><pubmed>21930661</pubmed></ref>などである。またフィンランドでインフルエンザワクチン接種後に特に17歳以下の小児の発症率が12.7倍に増加したこと<ref name=ref46 /> <ref name=ref53><pubmed>    22470453</pubmed></ref>、若年小児発症がもともと多い中国北部では2009年のインフルエンザ流行に伴って受診者が3倍に増加したこと(7割が10歳以下)<ref name=ref54><pubmed>21866560</pubmed></ref>も報告された。日本ではインフルエンザ流行に伴うナルコレプシー発症増加は報告されていない。免疫賦活が発症促進的であるが、そこに特定の地域や民族といった環境要因が関わると考えられる。今後の検証が必要である。


== 関連項目 ==
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