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2013年1月12日 (土) 14:31時点における版
古くから情動発現に介在する神経回路の研究が進められてきた。前半は情動系神経回路同定の歴史を概観する。初めに情動の中枢起源説に分類されるCannon-Bardの中枢(視床)説やPapezの情動回路を概説し、次に情動の末梢起源説に分類されるJames-Lange説、そして、この流れをくむ最近注目されているSomatic marker仮説を取り上げる。後半は心的外傷後ストレス障害(Post-traumatic stress disorder; PTSD)などの後天的な感情異常発症の脳内メカニズムの解明につながる後天的に獲得された情動系神経回路として、恐怖の古典的条件づけによって後天的に獲得された恐怖に介在する神経回路の研究を概説する。これらの研究では、扁桃体の外側核は音刺激をCSに用いた恐怖の古典的条件づけにおいてCSとUSの連合学習を担い、扁桃体の中心核は恐怖の指標となる反応の表出に関係する脳部位への扁桃体からの出力部位であると考えられている。最後に最近の研究動向として、扁桃体外側核で生じる連合学習・記憶を担うシナプスの可塑性の分子メカニズムに関する仮説や学習心理学の分野において構築されてきた古典的条件づけの学習理論に対応する神経基盤をも含めた後天的情動系神経経路の研究、そして、恐怖の古典的条件づけの獲得に関係する脳内神経経路を構成する脳部位が担う心理学的機能や情報処理様式は1対1関係の単純なものではなく、分散的に複数の脳部位で処理されていることを示唆する研究を紹介する。 (編集部コメント:辞典である事を鑑み、抄録では「---を概観する。」「---を取り上げる」と言った表現は避け、内容そのものの要約をお願いいたします)
情動系神経回路同定の歴史
不安神経症や恐怖症などの情動異常の治療を効果的に行うためには、情動発現に介在する神経回路を明らかにし、この基礎的知見に基づいた新薬の開発や直接的な神経系の活性化に結びつく認知行動療法などの心理療法を行うことであろう。古くから多くの研究者がそのような有効活用に通じる情動発現に介在する神経回路の解明を試みてきた。
Bardが唱えた情動体験における視床下部の重要性とともに、新皮質から視床下部に加えられていた抑制が解放されることによって情動が生じるとするCannonの視床説は、Cannon- Bardの中枢(視床)説と呼ばれている[1]。
そして、Papezは視床下部を含む情動回路(Papezの情動回路)を提唱した(図1)[2]。Papezの情動回路では、情動表出の中枢は視床下部乳頭体が担い、情動表出は乳頭体から中脳への出力によりなされると考えられている。感覚刺激の情報は腹側視床を介して視床下部に入力され、その情報は視床前核を経て帯状回に伝達される。そして、Papezは視床前核から入力を受ける帯状回が大脳皮質における情動の受容野であり、主観的な情動体験の座であると考えた。また、海馬体はこの帯状回や他の領域からの入力を組織化し、中枢性の情動過程を形成して、脳弓を介して視床下部乳頭体に出力する。すなわち、帯状回-海馬体-視床下部の経路により、皮質レベルにおける情動体験が視床下部から出力される情動表出に統合される。
その後、MacLeanはPapezの情動回路を“大脳辺縁系(辺縁系:limbic system)”と名づけ、さらにこの辺縁系に視床下部の一部、扁桃体、前頭葉眼窩皮質、および、側坐核を付け加えている[3] 。
上記の提唱された情動系神経回路は、中枢神経である脳が、入力された感覚刺激を処理することによって情動が生じるという立場であり、情動の中枢起源説と呼ばれている。一方、刺激によって引き起こされた身体的反応の状態が脳に入力されることによって情動体験が生じるという立場もある(情動の末梢起源説)。この末梢起源説で有名な仮説としてはJames-Lange説があり、この流れをくむ最近注目されている仮説としては、Damasioのグループらが提唱しているSomatic marker仮説がある[4]。彼らはリスクを引き起こす刺激や状況が自動的に身体の変化を生じさせるとともに、実際に身体の変化を引き起こす末梢からの中枢への回路とは別に、この身体ループをシュミレートした回路が前頭前野を中心とした中枢に存在していると仮定している。
後天的に獲得された情動系神経回路
情動は生存に適応的な機能を有していると考えられている。たとえば、危険な状況に遭遇した時に、恐怖が喚起されることによって逃走や闘争のための身体反応の準備が整い、適応的にその状況に対処することができる。しかしながら、たいていの人々が恐くもなんともない事物に対して恐怖を示したり、状況に即さない過剰な情動の喚起は身体的な消耗を引き起こし、適切な社会生活を行うことに支障を来たすことになる。このような情動異常に介在する神経回路を明らかにするために、もともと恐怖反応を示さなかった刺激に対して後天的に恐怖反応を引き起こす恐怖の古典的条件づけという手続きを実験動物に行い、後天的に獲得された恐怖に介在する神経回路の研究が進められている。このような研究は心的外傷後ストレス障害(post-traumatic stress disorder; PTSD)などの後天的な感情異常発症の脳内メカニズムの解明に有効な手段の1つと考えられている。
恐怖の古典的条件づけ
この手続きでは、音や光などそれ自体では恐怖反応を引き起こさない中性的な刺激(条件刺激 Conditioned stimulus, CS)と電気ショックなどの恐怖刺激(無条件刺激 Unconditioned stimulus, US)を時間的に関連づけて呈示する(対呈示)。CSに対して実験動物が恐怖を獲得したかどうかは、CSの呈示に対して恐怖反応を示すかどうかを行動指標を用いて確かめる。このことから、恐怖の古典的条件づけの獲得には恐怖反応の表出とCS-USの連合学習・記憶という2つの側面が内在している。神経細胞レベルでは、CS-USの連合学習・記憶には脳内で新たなシナプス神経経路の形成・維持を担う学習・記憶機構が関与し、恐怖反応の表出には生得的に備わっている脳内のハードウエア(神経経路)が関与していると考えられている。すなわち、恐怖の古典的条件づけに基づく学習・記憶機能により、CSに関する情報処理経路と恐怖反応の表出に関与する神経経路が繋がり、その結果、CSを呈示しただけで恐怖反応が起こるようになると考えられる。
1980年代初期以降,LeDouxを中心とした研究グループは,音刺激をCSに用いた恐怖の古典的条件づけに関係する神経経路を明らかにした(図2)。この経路を構成する脳部位の中で、扁桃体の外側核は音刺激をCSに用いた恐怖の古典的条件づけにおいてCSとUSの連合学習を担い、扁桃体の中心核は恐怖の指標となる反応の表出に関係する脳部位への扁桃体からの出力部位であると考えられている。近年では、扁桃体外側核で生じる連合学習・記憶を担うシナプス可塑性の分子メカニズムに関する仮説が提唱されている(図3)。シナプスの可塑性とは、シナプス前膜における神経伝達物質の放出機構とシナプス後膜の受容機構によって制御されている信号伝達の効率が変化することである。
恐怖の古典的条件づけにおける情動系神経経路
図2に示されているように、扁桃体中心核はフリージングに関係する中脳中心灰白質や自律反応に関係する外側の視床下部、ストレスホルモンの分泌に関係する視床下部室傍核に投射しており、扁桃体中心核からの投射が恐怖の古典的条件づけにおける情動表出の神経経路としての役割をはたしていると考えられている。
最近の研究の動向
認知的情報処理経路モデル
近年、これまで学習心理学の分野において構築されてきた古典的条件づけの学習理論に対応する神経基盤をも含めた後天的情動系神経経路が詳細に描かれつつあり、ヒトの後天的な感情異常の治療に対して認知的にアプローチできる可能性が示されている。
情動の神経科学者が学習理論に注目している点は、実際に呈示されたUS強度と、被験体が予期しているUS強度である。たとえば、レスコーラ-ワグナーモデル([[Rescorla-Wagner model])では、あるCSとUSの対呈示試行における条件づけ強度の変化は、実際のUSの強度とCSに対して条件づけられた総強度(予期的US強度)の差(Error signal)に、CSの明瞭度などの定数をかけた値として定義される。Error signalがプラスの時には興奮性の条件づけ強度の変化が生じ、マイナスのときには制止性の変化が生じる。神経生理学的には、error signalがプラスの時には神経細胞は発火頻度を増加し、マイナスの時にはその頻度は減少すると考えられている。
CSとUSの連合学習・記憶は扁桃体外側核ニューロンにおいて生じるシナプスの可塑性が担っていることは前述した。このことから、扁桃体外側核はerror signalの情報を受け取り、それらの情報によってシナプスの可塑性が調節されると考えられる。これまでの研究により、error signalの情報はフリージングなどの表出に関係している中脳中心灰白質から生じていると考えられている。たとえば、音CSとショックUSの対呈示が進むにつれて、外側核と中脳中心灰白質のUSに対する応答強度は減少したが、条件性恐怖反応の表出は増加したという結果が報告されている。
また、十分にCSとUSの対呈示訓練を受けたラットにおいて、外側核と中脳中心灰白質のUSに対する応答強度は、CSによってシグナルされたときよりもシグナルされなかったときの方が強かった。これらの結果は、外側核と中脳中心灰白質のUSに対する応答の減少が、USの予期の形成とerror signalの減少によって生じたことを示唆する。中脳中心灰白質は扁桃体外側核に直接の神経投射をしていないため、神経解剖学的知見に基づいて、中脳中心灰白質からいくつかの脳部位を経由して扁桃体外側核にerror signalの情報が伝達される仮説が提唱されている。図4は予期的US強度やerror signalなどの情報の処理回路として提唱されているモデルである。今後、この認知的情報処理経路モデルの実証的研究が進むと思われるが、実証された知見は、感情異常の治療に対する認知行動療法のエビデンスとして活用が期待される。
扁桃体中心核もCSとUSの連合学習・記憶に関与
最近、扁桃体中心核がCSとUSの連合にも関与する可能性を示唆する研究が報告されている。
Wilensky, Schafe, Kristensen, and LeDouxは、中心核にGABAA受容体のアゴニストであるムシモールを投与し、恐怖の古典的条件づけの獲得と表出における効果を検討した[7]。
この研究の重要なポイントはムシモールが中心核に限局していたことをどのように確認するかである。彼らはまず初めに、内側膝状体の内側部が外側核へ投射するという知見に基づいて、内側膝状体の内側部を電気刺激し、外側核で生じる誘発電位を記録することで、記録電極を確実に外側核に挿入した。そして、行動学的な効果の検討に用いる投与量と同じ投与量のムシモールを中心核に投与しても、内側膝状体の内側部の電気刺激による外側核からの誘発電位が減弱せず、ムシモール投与が中心核に限局していることを確かめている。
ムシモールを中心核に投与し、投与後5~10分後にCSとUSを対呈示し、24時間後にCSに対するフリージングを測定した結果、中心核投与ラットは外側核投与ラットと同様にフリージングを示さず、恐怖の古典的条件づけの獲得障害を示した。
中心核の求心路にある脳部位(たとえば、外側核)がCSとUSの連合に関与しており、中心核はその部位からの学習性の情報の中継し、情動表出に関与しているだけであれば、CSとUSの対呈示中に中心核を不活性化しても、その後のテストにおいてフリージングを示すと予測される。したがって、これらの結果は中心核がCSとUSの連合に関係することを示唆する。一方、表出におけるムシモール投与の効果の手続きは、CSとUSの対呈示の24時間後にムシモールを中心核に投与し、投与の5~10分後にCSに対するフリージングを測定するというものであった。
その結果、中心核投与ラットはフリージングを示さなかった。テストの24時間後に何も投与せず再度テストを行ったところ、中心核投与ラットはコントロールラットと同様にフリージングを示した。これらの結果は中心核が恐怖の古典的条件づけにおいて学習性の情報を中継し、情動表出に関係することを示唆する。
Wilenskyらは、CSとUSの対呈示の直後にタンパク質の合成を抑制するアニソマイシンを中心核に投与し、短期記憶と長期記憶のテストを行うために、投与の4時間後と24時間後にCSに対するフリージングを測定した[7]。その結果、中心核投与ラットは4時間後の短期記憶のテストではコントロールラットと同様にフリージングを示したが、24時間後のテストではフリージングを示さなかった。これらの結果は、中心核が恐怖の古典的条件づけ後の調節的な役割ではなく、恐怖の古典的条件づけの長期記憶に至る記憶固定にも関与することを示唆する。
扁桃体外側核は恐怖の古典的条件づけにおけるCSとUSの連合学習・記憶に重要な役割を果たしているけれども、Wilenskyらの結果は、恐怖の古典的条件づけの獲得に関係する脳内神経経路において、その経路を構成する脳部位が担う心理学的機能や情報処理様式は1対1関係の単純なものではなく、分散的に複数の脳部位で処理されていることを示唆する[7]。
関連項目
参考文献
- ↑ Cannon, W. B.
The James-Lange theory of emotion: a critical examination and an alternative theory.
American Journal of Psychology, 39, 10-124 (1927) - ↑ Papez, J.W.
A proposed mechanism of emotion.
Arch Neurol Psychiatry, 38, 725-743.(1937). - ↑ MacLean, P.
The limbic brain in relation to the pshychoses. In P. Black (Ed.), Physiological correlates of emotion.
New York, London: Academic Press. pp.129-146. (1970). - ↑ Damasio, A.R., Tranel, D., Damasio, H.
Somatic markers and the guidance of behaviour: theory and preliminary testing.
In H.S. Levin, H.M. Eisenberg & A.L. Benton (Eds.). Frontal lobe function and dysfunction.
New York: Oxford University Press. pp. 217–229. (1991). - ↑ 5.0 5.1
Johansen, J.P., Cain, C.K., Ostroff, L.E., & LeDoux, J.E. (2011).
Molecular mechanisms of fear learning and memory. Cell, 147(3), 509-24. [PubMed:22036561] [PMC] [WorldCat] [DOI] - ↑
McNally, G.P., Johansen, J.P., & Blair, H.T. (2011).
Placing prediction into the fear circuit. Trends in neurosciences, 34(6), 283-92. [PubMed:21549434] [PMC] [WorldCat] [DOI] - ↑ 7.0 7.1 7.2
Wilensky, A.E., Schafe, G.E., Kristensen, M.P., & LeDoux, J.E. (2006).
Rethinking the fear circuit: the central nucleus of the amygdala is required for the acquisition, consolidation, and expression of Pavlovian fear conditioning. The Journal of neuroscience : the official journal of the Society for Neuroscience, 26(48), 12387-96. [PubMed:17135400] [PMC] [WorldCat] [DOI]
(以下文献の引用位置をご指定ください)
西条寿夫
大脳辺縁系と情動のメカニズム.
神経研究の進歩, 41, 511-531. (1997).
大平英樹
感情と脳・自律反応. 鈴木直人(編)
感情心理学 朝倉書店 pp.88-109. (2007).
(執筆者:田積徹、西条寿夫 担当編集委員:岡本仁)