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英:Object exploration | |||
動物は環境を自発的に探索することにより、環境にある物体の性質や複数の物体の配置に関する知識を獲得し、環境の変化を察知することができる。基本的には物体探索は自発的に行われるが、強化子を用いて探索行動を誘発し、物体認知能力や記憶力を測定する課題もある。 | |||
== 物体探索と物体認知 == | |||
動物が環境を探索する時、目新しい物体に対しては時間をかけて探索を行い、すでに探索が行われ馴染んだ物体には探索量が減少する。また、物体と物体の位置関係が変化しても探索行動が増加する。このように物体探索行動に見られる新奇物体と馴染物体に対する探索行動の違いや、位置の変化に対する反応は、物体そのものの認知および物体の配置に関する認知に基づいており、これを総称して物体認知と呼ぶ。 正常な動物は、環境の変化に応じて物体認知を更新することができるが、側頭葉内側部を破壊されたサルでは物体認知の障害が生じることが報告されている(Murray & Mishkin, 1998)。ヒトにおいても、アルツハイマー症や脳梗塞、脳炎、慢性アルコール中毒などにより側頭葉内側部にダメージを受けた患者において物体認知障害が生じる(Mumby, 2005)。 | |||
=== 物体探索課題 === | |||
物体探索課題では、通常オープンフィールドに複数の物体を配置し、これを動物に探索させる。例えば、二つの同じ物体を探索させた後、ひとつの物体を新しい物体に置き換えられると、ラットは新奇物体を優先して長時間探索する(Berlyne, 1950)。このように、新奇物体に対する探索嗜好性を利用した物体探索課題は、食餌制限による動機づけの操作や、課題のルールに関する先行訓練が必要でなく、簡便な行動課題として広く使用されている。 2.1 物体探索行動の定義と指標 物体探索についての操作的定義は研究者によって多少の違いがある。多くの場合、ラットの吻部が物体に接触している状態(Poucet, 1989)、および物体から1cm以内(Norman & Eacott, 2005)または2cm以内(Ennaceur & Delacour , 1988)にある状態と定義される。物体の上に登る行動や、物体の周囲を回る行動は物体探索とみなさない。ラットが物体にどのように触っているかを分析することは必要ないが、一貫して適応できる簡便な操作的定義をしておくことが重要である(Mumby, 2005)。 新奇物体への嗜好性は、単純に新奇物体と馴染物体の探索量を比較することでも可能であるが、探索量の個体差の問題を除外するために、馴染物体と新奇物体の全探索量に対する新奇物体探索量の割合として示されることが多い。物体馴致試行における探索量とテストにおける馴染物体または新奇物体の探索量の変化量を指標とすることもある。統計的に有意な嗜好性を示しているかどうかについて、ワンサンプルt検定により、群の平均探索率がチャンスレベルよりも有意に異なっているかどうかを調べることができる。ただし、嗜好性が強いということが、認知能力の高さを示しているかどうかは明らかでない(Mumby, 2005)。 | |||
=== 物体探索行動に影響する要因 === | |||
=== 物体探索行動に影響する要因 | |||
==== 物体の変化 ==== | ==== 物体の変化 ==== | ||
Ennaceur & Delacour (1988) は45 cm x 65cmで高さ45 cmの壁のあるオープンフィールド内に、1つまたは2つの同じ物体を置き、これをラットに数分間探索させた。一旦、ラットを広場から出して遅延をおき、再度、動物を2つの物体のある広場に戻し探索させた。一方は遅延前に提示した物体と同じ物体(馴染物体)で、他方は異なる物体(新奇物体)である。新奇物体の探索時間が馴染物体の探索時間より長ければ、動物が馴染物体を記憶していることの裏付けとなる。遅延時間が1分の時、明らかに新奇物体に対する選好が見られるが、遅延時間が長くなるにつれ、その傾向は減少した。この課題は、課題のルールに関する学習すなわち参照記憶が必要でないため、測定値は物体についての作業記憶を反映している。 2.2.2 位置の変化 Thinus-Blanc, Bouzouba, Chaix, Chapuis, Durup & Poucet (1987)は、約1mのアリーナに配置した複数の物体の位置的関係性の変化が、物体探索行動に影響することを示した。この課題は、装置馴致および連続する3セッションからなる。1セッションは15分間、セッション間間隔は10時間程度であった。最初の2セッションは、物体馴致セッションであり、同じ配置の物体を繰り返し探索させる。第3セッションにおいて、新しい配置で同じ物体の探索を行わせる。もし新しい位置に移動した物体への探索行動が増加すれば、動物が空間的関係性の符号化ができたとみなすことができる。 探索行動の変化は物体の配置の変化の仕方によって異なっていた。例えば、4つのうちの1つの物体の配置が変化し、配置が変わった物体に対して再探索が生じた。4つの物体の配置が4角形から3角形へと幾何学的に変化すると、配置が変わった物体と変わっていない物体のそれぞれに対して再探索が生じた。興味深いことに、幾何学的配置を保ったまま、物体間の距離のみが変わった場合には再探索は起こらなかった。また、1つの物体を取り除くと、残った物体への探索量が増加した。 上述のように、物体の配置の変化の仕方によって、配置が変わった物体だけでなく、配置が変わっていない物体に対しても探索量が増えることがある。したがって、物体の空間的配置の認知ができているかどうかの判断は、単純に移動物体と固定物体の比較だけでは不十分であるだろう。 | |||
==== 環境の変化 ==== | ==== 環境の変化 ==== | ||
Dix & Aggleton (1999)は、物体の置かれた環境が変化すると、物体への探索行動が増加することを報告している。彼らの実験では二つの異なる環境(X, Y)と2種類の物体の複製3個(A1-A3、B1-B3)を使用している。環境Xで二つの同じ物体Aのペアー(A1, A2)を探索させ、環境Yでは物体Bのペアー(B1, B2)を探索させる。それぞれ、3分間の試行を2試行ずつ実施し、5分間の遅延後のテスト段階において、ペアー物体のうちの一つの環境を入れ換える。すなわち、環境Xまたは環境Yにおいて物体A3および物体B3を探索させる。環境Xの場合、物体A3は環境一致物体、物体B3は環境不一致物体であり、環境Yの場合、物体A3が環境不一致物体であり、物体B3が環境一致物体である。正常なラットは、環境一致物体よりも環境不一致物体に対して長い探索行動を示した。同様の実験において、海馬 (Mumby, 2002)や後嗅領皮質(Norman & Eacott, 2005)を破壊された動物は、このような傾向を示さないことが報告されている。 | |||
=== 実施上の注意点 === | |||
動物が実験環境に十分に慣れていない場合、フリーズが起こり、探索行動そのものが生じない可能性がある。したがって、実験前にラットを10から15分の短時間の環境馴致を数試行行い、実験環境に慣れさせておく必要がある。 使用する物体に関して、物体の特徴や複雑さによって探索量が異なることがある。したがって、使用する物体がどのくらい探索を引き起こすかをあらかじめ調べ、あまりにも探索量が多い物体と、あまりにも少ない物体は使用しない方がよい。また、探索中に物体についた匂いなどによって物体を弁別する可能性を排除するため、物体はペアーで準備しておき、一方を見本段階、もう一方はテスト段階で用いるようにする必要がある。 データ分析に関して、探索行動に対する新奇嗜好性は、探索開始から1,2分間は強く現れるが、馴化は比較的素早く生じ、探索行動が終了される。探索終了後のデータは実験操作に対してノイズを加えることになり、テストの初期段階で起こっているだろう嗜好性を不明瞭にしてしまう可能性がある。したがって、1分ごとに探索量を調べ、どのように新奇嗜好性が変化するかを確認する必要がある(Mumby et al., 2002)。 | |||
== 遅延非見本合わせ課題 == | |||
delayed nonmatching to sample,DNMS | |||
DNMS課題は、サルやラットにおいて物体認知を測定するために使用される課題である。この課題は見本試行と選択試行から構成される。まず、見本試行において、見本物体が短時間提示され、遅延時間後の選択試行では、見本物体と同じ物体が新奇物体とともに提示される。動物が新奇物体を選択すると報酬が与えられる。各試行で遅延時間の長さを操作することで、記憶負荷を操作することができる。 同様の実験パラダイムにおいて、見本と同じ物体を選択した場合に報酬がもたらされる遅延見本合わせ課題(delayed matching to sample, DMTS)もある。ただし、動物は新奇物体に対する探索欲求が高く、新奇物体を選択させるDNMSのほうが、比較的素早く習得できる。以下に述べる課題は報酬課題であり、訓練時には食餌制限による動因操作を行う必要である。 | |||
=== | === サルの遅延非見本合わせ課題 === | ||
この課題では、テーブルをサルのケージ正面に配置する。テーブル上の3か所には報酬を入れる窪みがある。見本試行では、その窪み1か所に報酬を置き、その報酬に物体をかぶせ置く。サルが物体をずらして報酬を獲得すると、ケージ正面にスクリーンが降り、遅延期間となる。その間、実験者は別の2か所の窪みの上にそれぞれ異なる物体を置く。一方には見本試行とは異なる新奇な物体、他方には見本と同じ物体を置く。新奇な物体の下の窪みに報酬があり、サルが新奇な物体を選択することが正反応である。この物体をずらすと報酬を獲得することができる。Mishkin (1979)は、この課題を用いて、マカクザルの海馬と扁桃体を含む頭葉内側部の損傷の効果を検討した。その結果、見本試行と選択試行の遅延時間が10秒以内である場合、この課題の遂行に損傷の影響はなかったが、それよりも長い遅延時間が挿入されると、その時間依存的に課題の正答率が低くなった。後に同研究者によって損傷の精度を高めて追試が行われた結果、この障害は海馬や扁桃体単独の損傷では生じず、むしろそれらの近辺領域にある嗅皮質の損傷が障害を引き起こしたことが明らかになった(Murray & Mishkin, 1998)。したがって、海馬と嗅皮質は物体の記憶に関して異なる役割を担っており、物体の記憶には海馬ではなく嗅皮質が重要な役割を担うと考えられる。 | |||
=== 齧歯類の遅延非見本合わせ課題 === | |||
ラットやマウスにとっては迷路での走路選択のように全身運動を伴うDNMS課題が適しているだろう。Aggleton (1985)は、霊長類で使用されたDNMS課題(Mishkin, 1979)と同じ実験パラダイムをY迷路装置で実施できるようアレンジした。この課題では、Y迷路の走路先端には、模様や材質の異なる目標箱が挿入されている。さらに、箱には異なる物体が設置され、ラットにこれを探索させる。最初の試行では、物体の入っていない箱の置かれた走路からスタートさせ、残る2走路を選択させる。これら2走路には同一の箱と物体が設置され、いずれを選択しても報酬が与えられる。これが最初の見本試行となる。動物が走路を選択すると、20秒間そのまま箱内部に留め置かれ、この遅延期間中に次の選択走路となる2走路の箱が入れ替えられる。一方は先の選択と同じ物体の入った箱が設置され、他方には異なる物体の入った箱が設置される。遅延後の選択試行では、動物が見本で選択した物体と異なる新奇な物体の置かれた箱に入ることが正反応で、そこで報酬が与えられる。見本と同じ物体の置かれた箱に入ったならば誤反応とされ、報酬は与えられない。正反応の場合、その試行は次の試行の見本試行となる。誤反応の場合は、もう一度同じ選択肢で試行を繰り返す。その場合を除いて、セッション内で同じ物体ペアーを繰り返し使用しない。ただし、時間的に十分に間隔のあいたセッション間では繰り返して用いられることもある。Aggleton & Rawlins (1989)は、ラットの側頭葉内側部の複合損傷がこの課題の遂行に及ぼす効果を検討した。その効果は上述のサルで報告されたものと一致し、扁桃体の単独損傷では遂行障害が生じないが、海馬および扁桃体の複合的損傷は、この課題の遂行障害をもたらした。 | |||
== | === 実施上の注意点 === | ||
DNMS課題では、典型的には自由摂食時の体重の80%から85%になるように基準を設けて、動因操作を行う必要がある。ただし、基準が適切でない場合、過活動や反応抑制ができなくなり、課題遂行に悪影響を及ぼす。このため、基準は課題の習得の程度に応じて調節する必要がある。 動物がある左右の特定の一方向ばかりを選択する傾向(サイドバイアス)を形成しないよう注意する必要がある。セッションの中に、矯正試行を挿入し、左右どちらの選択肢も選択する機会を設けることで、サイドバイアスを防ぐことができる。 DNMSの障害が物体認知記憶の失敗によると結論付ける前に、いくつかの他の可能性を考慮しなければならない。例えば、過活動、ストレス反応の変化、反応抑制の問題がDNMSの遂行を妨害する非特異的な効果をもつ可能性がある。損傷実験においては、手術後の回復期間を十分に設け、テスト前に遅延を挿入しない条件で再訓練を行うことも必要だろう。 | |||
== 物体認知の神経基盤 == | |||
( | これまで、海馬が物体認知には重要でないことが、各課題での損傷実験から示されている。一方、周嗅領皮質が物体認知には重要であると言われている。これは、視覚刺激が繰り返し提示されたときにおこる周嗅領皮質でのシングルユニット反応やc-fosの発現とも一致している(Aggleton and Brown, 1999)。物体認知記憶の神経基盤の研究は、他の脳部位やサーキットに関しても検討されているが、物体認知の脳内基盤を特定するには至っていない(Mumby, 2005)。 |
2013年2月25日 (月) 23:27時点における版
英:Object exploration
動物は環境を自発的に探索することにより、環境にある物体の性質や複数の物体の配置に関する知識を獲得し、環境の変化を察知することができる。基本的には物体探索は自発的に行われるが、強化子を用いて探索行動を誘発し、物体認知能力や記憶力を測定する課題もある。
物体探索と物体認知
動物が環境を探索する時、目新しい物体に対しては時間をかけて探索を行い、すでに探索が行われ馴染んだ物体には探索量が減少する。また、物体と物体の位置関係が変化しても探索行動が増加する。このように物体探索行動に見られる新奇物体と馴染物体に対する探索行動の違いや、位置の変化に対する反応は、物体そのものの認知および物体の配置に関する認知に基づいており、これを総称して物体認知と呼ぶ。 正常な動物は、環境の変化に応じて物体認知を更新することができるが、側頭葉内側部を破壊されたサルでは物体認知の障害が生じることが報告されている(Murray & Mishkin, 1998)。ヒトにおいても、アルツハイマー症や脳梗塞、脳炎、慢性アルコール中毒などにより側頭葉内側部にダメージを受けた患者において物体認知障害が生じる(Mumby, 2005)。
物体探索課題
物体探索課題では、通常オープンフィールドに複数の物体を配置し、これを動物に探索させる。例えば、二つの同じ物体を探索させた後、ひとつの物体を新しい物体に置き換えられると、ラットは新奇物体を優先して長時間探索する(Berlyne, 1950)。このように、新奇物体に対する探索嗜好性を利用した物体探索課題は、食餌制限による動機づけの操作や、課題のルールに関する先行訓練が必要でなく、簡便な行動課題として広く使用されている。 2.1 物体探索行動の定義と指標 物体探索についての操作的定義は研究者によって多少の違いがある。多くの場合、ラットの吻部が物体に接触している状態(Poucet, 1989)、および物体から1cm以内(Norman & Eacott, 2005)または2cm以内(Ennaceur & Delacour , 1988)にある状態と定義される。物体の上に登る行動や、物体の周囲を回る行動は物体探索とみなさない。ラットが物体にどのように触っているかを分析することは必要ないが、一貫して適応できる簡便な操作的定義をしておくことが重要である(Mumby, 2005)。 新奇物体への嗜好性は、単純に新奇物体と馴染物体の探索量を比較することでも可能であるが、探索量の個体差の問題を除外するために、馴染物体と新奇物体の全探索量に対する新奇物体探索量の割合として示されることが多い。物体馴致試行における探索量とテストにおける馴染物体または新奇物体の探索量の変化量を指標とすることもある。統計的に有意な嗜好性を示しているかどうかについて、ワンサンプルt検定により、群の平均探索率がチャンスレベルよりも有意に異なっているかどうかを調べることができる。ただし、嗜好性が強いということが、認知能力の高さを示しているかどうかは明らかでない(Mumby, 2005)。
物体探索行動に影響する要因
物体の変化
Ennaceur & Delacour (1988) は45 cm x 65cmで高さ45 cmの壁のあるオープンフィールド内に、1つまたは2つの同じ物体を置き、これをラットに数分間探索させた。一旦、ラットを広場から出して遅延をおき、再度、動物を2つの物体のある広場に戻し探索させた。一方は遅延前に提示した物体と同じ物体(馴染物体)で、他方は異なる物体(新奇物体)である。新奇物体の探索時間が馴染物体の探索時間より長ければ、動物が馴染物体を記憶していることの裏付けとなる。遅延時間が1分の時、明らかに新奇物体に対する選好が見られるが、遅延時間が長くなるにつれ、その傾向は減少した。この課題は、課題のルールに関する学習すなわち参照記憶が必要でないため、測定値は物体についての作業記憶を反映している。 2.2.2 位置の変化 Thinus-Blanc, Bouzouba, Chaix, Chapuis, Durup & Poucet (1987)は、約1mのアリーナに配置した複数の物体の位置的関係性の変化が、物体探索行動に影響することを示した。この課題は、装置馴致および連続する3セッションからなる。1セッションは15分間、セッション間間隔は10時間程度であった。最初の2セッションは、物体馴致セッションであり、同じ配置の物体を繰り返し探索させる。第3セッションにおいて、新しい配置で同じ物体の探索を行わせる。もし新しい位置に移動した物体への探索行動が増加すれば、動物が空間的関係性の符号化ができたとみなすことができる。 探索行動の変化は物体の配置の変化の仕方によって異なっていた。例えば、4つのうちの1つの物体の配置が変化し、配置が変わった物体に対して再探索が生じた。4つの物体の配置が4角形から3角形へと幾何学的に変化すると、配置が変わった物体と変わっていない物体のそれぞれに対して再探索が生じた。興味深いことに、幾何学的配置を保ったまま、物体間の距離のみが変わった場合には再探索は起こらなかった。また、1つの物体を取り除くと、残った物体への探索量が増加した。 上述のように、物体の配置の変化の仕方によって、配置が変わった物体だけでなく、配置が変わっていない物体に対しても探索量が増えることがある。したがって、物体の空間的配置の認知ができているかどうかの判断は、単純に移動物体と固定物体の比較だけでは不十分であるだろう。
環境の変化
Dix & Aggleton (1999)は、物体の置かれた環境が変化すると、物体への探索行動が増加することを報告している。彼らの実験では二つの異なる環境(X, Y)と2種類の物体の複製3個(A1-A3、B1-B3)を使用している。環境Xで二つの同じ物体Aのペアー(A1, A2)を探索させ、環境Yでは物体Bのペアー(B1, B2)を探索させる。それぞれ、3分間の試行を2試行ずつ実施し、5分間の遅延後のテスト段階において、ペアー物体のうちの一つの環境を入れ換える。すなわち、環境Xまたは環境Yにおいて物体A3および物体B3を探索させる。環境Xの場合、物体A3は環境一致物体、物体B3は環境不一致物体であり、環境Yの場合、物体A3が環境不一致物体であり、物体B3が環境一致物体である。正常なラットは、環境一致物体よりも環境不一致物体に対して長い探索行動を示した。同様の実験において、海馬 (Mumby, 2002)や後嗅領皮質(Norman & Eacott, 2005)を破壊された動物は、このような傾向を示さないことが報告されている。
実施上の注意点
動物が実験環境に十分に慣れていない場合、フリーズが起こり、探索行動そのものが生じない可能性がある。したがって、実験前にラットを10から15分の短時間の環境馴致を数試行行い、実験環境に慣れさせておく必要がある。 使用する物体に関して、物体の特徴や複雑さによって探索量が異なることがある。したがって、使用する物体がどのくらい探索を引き起こすかをあらかじめ調べ、あまりにも探索量が多い物体と、あまりにも少ない物体は使用しない方がよい。また、探索中に物体についた匂いなどによって物体を弁別する可能性を排除するため、物体はペアーで準備しておき、一方を見本段階、もう一方はテスト段階で用いるようにする必要がある。 データ分析に関して、探索行動に対する新奇嗜好性は、探索開始から1,2分間は強く現れるが、馴化は比較的素早く生じ、探索行動が終了される。探索終了後のデータは実験操作に対してノイズを加えることになり、テストの初期段階で起こっているだろう嗜好性を不明瞭にしてしまう可能性がある。したがって、1分ごとに探索量を調べ、どのように新奇嗜好性が変化するかを確認する必要がある(Mumby et al., 2002)。
遅延非見本合わせ課題
delayed nonmatching to sample,DNMS
DNMS課題は、サルやラットにおいて物体認知を測定するために使用される課題である。この課題は見本試行と選択試行から構成される。まず、見本試行において、見本物体が短時間提示され、遅延時間後の選択試行では、見本物体と同じ物体が新奇物体とともに提示される。動物が新奇物体を選択すると報酬が与えられる。各試行で遅延時間の長さを操作することで、記憶負荷を操作することができる。 同様の実験パラダイムにおいて、見本と同じ物体を選択した場合に報酬がもたらされる遅延見本合わせ課題(delayed matching to sample, DMTS)もある。ただし、動物は新奇物体に対する探索欲求が高く、新奇物体を選択させるDNMSのほうが、比較的素早く習得できる。以下に述べる課題は報酬課題であり、訓練時には食餌制限による動因操作を行う必要である。
サルの遅延非見本合わせ課題
この課題では、テーブルをサルのケージ正面に配置する。テーブル上の3か所には報酬を入れる窪みがある。見本試行では、その窪み1か所に報酬を置き、その報酬に物体をかぶせ置く。サルが物体をずらして報酬を獲得すると、ケージ正面にスクリーンが降り、遅延期間となる。その間、実験者は別の2か所の窪みの上にそれぞれ異なる物体を置く。一方には見本試行とは異なる新奇な物体、他方には見本と同じ物体を置く。新奇な物体の下の窪みに報酬があり、サルが新奇な物体を選択することが正反応である。この物体をずらすと報酬を獲得することができる。Mishkin (1979)は、この課題を用いて、マカクザルの海馬と扁桃体を含む頭葉内側部の損傷の効果を検討した。その結果、見本試行と選択試行の遅延時間が10秒以内である場合、この課題の遂行に損傷の影響はなかったが、それよりも長い遅延時間が挿入されると、その時間依存的に課題の正答率が低くなった。後に同研究者によって損傷の精度を高めて追試が行われた結果、この障害は海馬や扁桃体単独の損傷では生じず、むしろそれらの近辺領域にある嗅皮質の損傷が障害を引き起こしたことが明らかになった(Murray & Mishkin, 1998)。したがって、海馬と嗅皮質は物体の記憶に関して異なる役割を担っており、物体の記憶には海馬ではなく嗅皮質が重要な役割を担うと考えられる。
齧歯類の遅延非見本合わせ課題
ラットやマウスにとっては迷路での走路選択のように全身運動を伴うDNMS課題が適しているだろう。Aggleton (1985)は、霊長類で使用されたDNMS課題(Mishkin, 1979)と同じ実験パラダイムをY迷路装置で実施できるようアレンジした。この課題では、Y迷路の走路先端には、模様や材質の異なる目標箱が挿入されている。さらに、箱には異なる物体が設置され、ラットにこれを探索させる。最初の試行では、物体の入っていない箱の置かれた走路からスタートさせ、残る2走路を選択させる。これら2走路には同一の箱と物体が設置され、いずれを選択しても報酬が与えられる。これが最初の見本試行となる。動物が走路を選択すると、20秒間そのまま箱内部に留め置かれ、この遅延期間中に次の選択走路となる2走路の箱が入れ替えられる。一方は先の選択と同じ物体の入った箱が設置され、他方には異なる物体の入った箱が設置される。遅延後の選択試行では、動物が見本で選択した物体と異なる新奇な物体の置かれた箱に入ることが正反応で、そこで報酬が与えられる。見本と同じ物体の置かれた箱に入ったならば誤反応とされ、報酬は与えられない。正反応の場合、その試行は次の試行の見本試行となる。誤反応の場合は、もう一度同じ選択肢で試行を繰り返す。その場合を除いて、セッション内で同じ物体ペアーを繰り返し使用しない。ただし、時間的に十分に間隔のあいたセッション間では繰り返して用いられることもある。Aggleton & Rawlins (1989)は、ラットの側頭葉内側部の複合損傷がこの課題の遂行に及ぼす効果を検討した。その効果は上述のサルで報告されたものと一致し、扁桃体の単独損傷では遂行障害が生じないが、海馬および扁桃体の複合的損傷は、この課題の遂行障害をもたらした。
実施上の注意点
DNMS課題では、典型的には自由摂食時の体重の80%から85%になるように基準を設けて、動因操作を行う必要がある。ただし、基準が適切でない場合、過活動や反応抑制ができなくなり、課題遂行に悪影響を及ぼす。このため、基準は課題の習得の程度に応じて調節する必要がある。 動物がある左右の特定の一方向ばかりを選択する傾向(サイドバイアス)を形成しないよう注意する必要がある。セッションの中に、矯正試行を挿入し、左右どちらの選択肢も選択する機会を設けることで、サイドバイアスを防ぐことができる。 DNMSの障害が物体認知記憶の失敗によると結論付ける前に、いくつかの他の可能性を考慮しなければならない。例えば、過活動、ストレス反応の変化、反応抑制の問題がDNMSの遂行を妨害する非特異的な効果をもつ可能性がある。損傷実験においては、手術後の回復期間を十分に設け、テスト前に遅延を挿入しない条件で再訓練を行うことも必要だろう。
物体認知の神経基盤
これまで、海馬が物体認知には重要でないことが、各課題での損傷実験から示されている。一方、周嗅領皮質が物体認知には重要であると言われている。これは、視覚刺激が繰り返し提示されたときにおこる周嗅領皮質でのシングルユニット反応やc-fosの発現とも一致している(Aggleton and Brown, 1999)。物体認知記憶の神経基盤の研究は、他の脳部位やサーキットに関しても検討されているが、物体認知の脳内基盤を特定するには至っていない(Mumby, 2005)。