「物体探索」の版間の差分

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=== 物体探索行動の定義  ===
=== 物体探索行動の定義  ===
物体探索についての操作的定義は研究者によって多少の違いがある。多くの場合、ラットの吻部が物体に接触している状態(Poucet, 1989)、および物体から1cm以内(Norman & Eacott, 2005)または2cm以内(Ennaceur & Delacour , 1988)にある状態と定義される。物体の上に登る行動や、物体の周囲を回る行動は物体探索とみなさない。ラットが物体にどのように触っているかを分析することは必要ないが、一貫して適応できる簡便な操作的定義をしておくことが重要である(Mumby, 2005)。
物体探索についての操作的定義は研究者によって多少の違いがある。多くの場合、ラットの吻部が物体に接触している状態<ref><pubmed>2803548</pubmed></ref>、および物体から1cm以内<ref><pubmed>15839802</pubmed></ref>または2cm以内<ref><pubmed>3228475</pubmed></ref>にある状態と定義される。物体の上に登る行動や、物体の周囲を回る行動は物体探索とみなさない。ラットが物体にどのように触っているかを分析することは必要ないが、一貫して適応できる簡便な操作的定義をしておくことが重要である(Mumby, 2005)。


=== 物体探索行動に影響する要因  ===
=== 物体探索行動に影響する要因  ===
==== 物体の変化  ====
==== 物体の変化  ====
 動物は二つの同じ物体を探索させた後、ひとつの物体を新しい物体に置き換えられると、新奇物体を優先して長時間探索する(Berlyne, 1950)。Ennaceur & Delacour (1988) は45 cm x 65cmで高さ45 cmの壁のある実験アリーナ内に、2つの同じ物体を置き、これをラットに数分間探索させた。一旦、ラットを広場から出して遅延をおき、再度、動物を2つの物体のある広場に戻し探索させた。一方は遅延前に提示した物体と同じ物体(馴染物体)で、他方は異なる物体(新奇物体)である。新奇物体の探索時間が馴染物体の探索時間より長ければ、動物が以前に探索した物体を認知したと結論できる。脳損傷や薬物投与によって馴染物体と新奇物体の探索時間に違いが見られなくなった場合、物体認知の障害が生じていると解釈できる。また、遅延時間に依存して障害が生じる場合には、物体認知の障害ではなく、作業記憶障害として解釈すべきである。この課題は課題のルールに関する学習が必要でないため、参照記憶障害の可能性は排除される。
 動物は二つの同じ物体を探索させた後、ひとつの物体を新しい物体に置き換えられると、新奇物体を優先して長時間探索する。Ennaceur & Delacour (1988)<ref><pubmed>3228475</pubmed></ref> は45 cm x 65cmで高さ45 cmの壁のある実験アリーナ内に、2つの同じ物体を置き、これをラットに数分間探索させた。一旦、ラットを広場から出して遅延をおき、再度、動物を2つの物体のある広場に戻し探索させた。一方は遅延前に提示した物体と同じ物体(馴染物体)で、他方は異なる物体(新奇物体)である。新奇物体の探索時間が馴染物体の探索時間より長ければ、動物が以前に探索した物体を認知したと結論できる。脳損傷や薬物投与によって馴染物体と新奇物体の探索時間に違いが見られなくなった場合、物体認知の障害が生じていると解釈できる。また、遅延時間に依存して障害が生じる場合には、物体認知の障害ではなく、作業記憶障害として解釈すべきである。この課題は課題のルールに関する学習が必要でないため、参照記憶障害の可能性は排除される。


==== 位置の変化====  
==== 位置の変化====  
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 探索行動の変化は物体の配置の変化の仕方によって異なる(Thinus-Blanc et al., 1987)。例えば、4つの物体を配置して馴致した後、第3セッションで1つの物体の配置を変化させると、配置が変わった物体に対して探索時間が増加した。4つの物体の配置を4角形から3角形へと幾何学的に変化させると、配置が変わった物体と変わっていない物体いずれに対しても探索量が増加した。興味深いことに、幾何学的配置を保ったまま、物体間の距離のみが変わった場合には探索時間の増加はみられなかった。また、1つの物体を取り除くと、残った物体への探索量が増加した。
 探索行動の変化は物体の配置の変化の仕方によって異なる(Thinus-Blanc et al., 1987)。例えば、4つの物体を配置して馴致した後、第3セッションで1つの物体の配置を変化させると、配置が変わった物体に対して探索時間が増加した。4つの物体の配置を4角形から3角形へと幾何学的に変化させると、配置が変わった物体と変わっていない物体いずれに対しても探索量が増加した。興味深いことに、幾何学的配置を保ったまま、物体間の距離のみが変わった場合には探索時間の増加はみられなかった。また、1つの物体を取り除くと、残った物体への探索量が増加した。


 物体の位置関係の認知と物体そのものの認知(2.2.1)やこれらに関わる神経基盤は、馴致、空間認識テスト、物体認識テストを含む一連のテストによって同時に検討することができる。Save, Poucet, Foreman, & Buhot (1992)は、円形の実験アリーナに5つの異なる物体を配置し、6分間これをラットに探索させた。全ての物体に対して馴染みを形成するため、物体馴致を3セッション繰り返した後、空間認識テストにおいて2個の物体を移動させた。統制群と前部頭頂皮質損傷群のラットは配置の変化した物体に対して変化していない物体よりも多く探索行動を示したが、海馬損傷群と後部頭頂皮質損傷群のラットではこのような傾向が見られず、物体の位置関係の認知に失敗した。次の物体認識テストでは、一つの物体を新しい物体に置き換えたところ、全ての群のラットが新しい物体に対して探索行動が増加した。これらの結果は、海馬や後部頭頂皮質が物体の位置関係の認知に関与するが、物体自体の認知には関与しない事を示している。位置関係の認知に選択的な障害は、げっ歯類デグーの海馬破壊(Uekita & Okanoya, 2011)やラットNMDA受容体の薬理学的阻害(関口, 1997)によっても生じることが報告されている。
 物体の位置関係の認知と物体そのものの認知(2.2.1)やこれらに関わる神経基盤は、馴致、空間認識テスト、物体認識テストを含む一連のテストによって同時に検討することができる。Save, Poucet, Foreman, & Buhot (1992)<ref><pubmed>1616611</pubmed></ref> は、円形の実験アリーナに5つの異なる物体を配置し、6分間これをラットに探索させた。全ての物体に対して馴染みを形成するため、物体馴致を3セッション繰り返した後、空間認識テストにおいて2個の物体を移動させた。統制群と前部頭頂皮質損傷群のラットは配置の変化した物体に対して変化していない物体よりも多く探索行動を示したが、海馬損傷群と後部頭頂皮質損傷群のラットではこのような傾向が見られず、物体の位置関係の認知に失敗した。次の物体認識テストでは、一つの物体を新しい物体に置き換えたところ、全ての群のラットが新しい物体に対して探索行動が増加した。これらの結果は、海馬や後部頭頂皮質が物体の位置関係の認知に関与するが、物体自体の認知には関与しない事を示している。位置関係の認知に選択的な障害は、げっ歯類デグーの海馬破壊<ref><pubmed>21291914</pubmed></ref>やラットNMDA受容体の薬理学的阻害(関口, 1997)によっても生じることが報告されている。


==== 環境の変化  ====
==== 環境の変化  ====
 物体の置かれた環境が変化すると、物体への探索行動が増加することが報告されている(Dix & Aggleton, 1999)。この課題では、最初のセッションで、相同の二つの物体(A1とA2)を環境Xで探索させ、異なる相同の2つの物体 (B1とB2)を環境Yで探索させる。それぞれの環境で、3分間のセッションを2試行ずつ実施する。5分間の遅延後のテスト段階において、ペアー物体のうちの一つの環境を入れ換える。例えば、環境Xに物体A1と物体B1を配置し探索させる。この時、物体A1は環境一致物体、物体B1は環境不一致物体である。正常なラットは、環境一致物体よりも環境不一致物体に対して長い探索行動を示したが、海馬 (Mumby, 2002)や後嗅領皮質(Norman & Eacott, 2005)を破壊された動物は両物体への探索行動に違いがなく、環境と物体の組み合わせの変化に反応を示さないことが報告されている。  
 物体の置かれた環境が変化すると、物体への探索行動が増加することが報告されている<ref><pubmed>10512585</pubmed></ref>。この課題では、最初のセッションで、相同の二つの物体(A1とA2)を環境Xで探索させ、異なる相同の2つの物体 (B1とB2)を環境Yで探索させる。それぞれの環境で、3分間のセッションを2試行ずつ実施する。5分間の遅延後のテスト段階において、ペアー物体のうちの一つの環境を入れ換える。例えば、環境Xに物体A1と物体B1を配置し探索させる。この時、物体A1は環境一致物体、物体B1は環境不一致物体である。正常なラットは、環境一致物体よりも環境不一致物体に対して長い探索行動を示したが、海馬 <ref><pubmed>11992015</pubmed></ref>や後嗅領皮質 <ref><pubmed>15839802</pubmed></ref>を破壊された動物は両物体への探索行動に違いがなく、環境と物体の組み合わせの変化に反応を示さないことが報告されている。  


=== 実施上の注意点  ===
=== 実施上の注意点  ===
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 使用する物体に関して、物体の特徴や複雑さによって探索量が異なることがある。したがって、使用する物体がどのくらい探索を引き起こすかをあらかじめ調べ、あまりにも探索量が多い物体と、あまりにも少ない物体は使用しない方がよい。また、探索中に物体についた匂いなどによって物体を弁別する可能性を排除するため、物体はペアーで準備しておき、一方を見本段階、もう一方はテスト段階で用いるようにする必要がある。
 使用する物体に関して、物体の特徴や複雑さによって探索量が異なることがある。したがって、使用する物体がどのくらい探索を引き起こすかをあらかじめ調べ、あまりにも探索量が多い物体と、あまりにも少ない物体は使用しない方がよい。また、探索中に物体についた匂いなどによって物体を弁別する可能性を排除するため、物体はペアーで準備しておき、一方を見本段階、もう一方はテスト段階で用いるようにする必要がある。


 データ分析に関して、探索行動は、探索開始から1,2分間は強く現れるが、馴化は比較的素早く生じ、探索行動が終了する。探索終了後のデータは実験操作に対してノイズを加えることになり、テストの初期段階で起こっているだろう新奇嗜好性を不明瞭にしてしまう可能性がある。したがって、1分ごとに探索量を調べ、どのように新奇嗜好性が変化するかを確認する必要がある(Mumby et al., 2002)
 データ分析に関して、探索行動は、探索開始から1,2分間は強く現れるが、馴化は比較的素早く生じ、探索行動が終了する。探索終了後のデータは実験操作に対してノイズを加えることになり、テストの初期段階で起こっているだろう新奇嗜好性を不明瞭にしてしまう可能性がある。したがって、1分ごとに探索量を調べ、どのように新奇嗜好性が変化するかを確認する必要がある<ref><pubmed>11992015</pubmed></ref>


 新奇物体への嗜好性は、単純に新奇物体と馴染物体の探索量を比較することでも可能であるが、探索量の個体差の問題を除外するために、馴染物体と新奇物体の全探索量に対する新奇物体探索量の割合として示されることが多い。物体馴致セッションにおける探索量とテストにおける馴染物体または新奇物体の探索量の変化量を指標とすることもある。統計的に有意な嗜好性を示しているかどうかについて、ワンサンプルt検定により、群の平均探索率がチャンスレベルよりも有意に異なっているかどうかを調べることができる。ただし、新奇物体への嗜好性が強いということが、認知能力の高さを示しているかどうかは明らかでない(Mumby, 2005)。
 新奇物体への嗜好性は、単純に新奇物体と馴染物体の探索量を比較することでも可能であるが、探索量の個体差の問題を除外するために、馴染物体と新奇物体の全探索量に対する新奇物体探索量の割合として示されることが多い。物体馴致セッションにおける探索量とテストにおける馴染物体または新奇物体の探索量の変化量を指標とすることもある。統計的に有意な嗜好性を示しているかどうかについて、ワンサンプルt検定により、群の平均探索率がチャンスレベルよりも有意に異なっているかどうかを調べることができる。ただし、新奇物体への嗜好性が強いということが、認知能力の高さを示しているかどうかは明らかでない(Mumby, 2005)。
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 上述のように、物体探索課題を用いた海馬損傷実験では、海馬は物体の配置や物体の置かれた環境の符号化に必要であるが、物体認知そのものには重要でないと考えられている。これまでのところ、物体自体の認知に関わる脳領域について、物体探索課題では積極的な結果が得られていない。しかし、物体認知記憶を測定する遅延非見本合わせ課題(delayed nonmatching to sample,DNMS)を用いた損傷研究により、嗅皮質(rhinal cortex)が物体認知に重要であると考えられている。この課題は、ある刺激を前に見たかどうかについての物体認知記憶を測定するために使用される。見本試行において、テーブル上に見本物体が短時間提示され、遅延時間後の選択試行では、見本物体と同じ物体が新奇物体とともに提示される。動物が新奇物体を選択すると報酬が与えられる。
 上述のように、物体探索課題を用いた海馬損傷実験では、海馬は物体の配置や物体の置かれた環境の符号化に必要であるが、物体認知そのものには重要でないと考えられている。これまでのところ、物体自体の認知に関わる脳領域について、物体探索課題では積極的な結果が得られていない。しかし、物体認知記憶を測定する遅延非見本合わせ課題(delayed nonmatching to sample,DNMS)を用いた損傷研究により、嗅皮質(rhinal cortex)が物体認知に重要であると考えられている。この課題は、ある刺激を前に見たかどうかについての物体認知記憶を測定するために使用される。見本試行において、テーブル上に見本物体が短時間提示され、遅延時間後の選択試行では、見本物体と同じ物体が新奇物体とともに提示される。動物が新奇物体を選択すると報酬が与えられる。


 この課題を用いた初期の実験(Mishkin, 1979)では、マカクザルの海馬と扁桃体を含む頭葉内側部の損傷の効果が検討された。見本試行と選択試行の遅延時間が10秒以内である場合、この課題の遂行に損傷の影響はなかったが、それよりも長い遅延時間が挿入されると、その時間依存的に課題の正答率が低くなった。後に同研究者によって損傷の精度を高めて追試が行われた結果、この障害は海馬や扁桃体単独の損傷では生じず、むしろそれらの近辺領域にある嗅皮質の損傷が障害を引き起こしたことが明らかになった(Murray & Mishkin, 1998)。したがって、物体認知記憶には海馬や扁桃体ではなく嗅皮質が重要な役割を担うと考えられる。
 この課題を用いた初期の実験<ref><pubmed>418358</pubmed></ref>では、マカクザルの海馬と扁桃体を含む頭葉内側部の損傷の効果が検討された。見本試行と選択試行の遅延時間が10秒以内である場合、この課題の遂行に損傷の影響はなかったが、それよりも長い遅延時間が挿入されると、その時間依存的に課題の正答率が低くなった。後に同研究者によって損傷の精度を高めて追試が行われた結果、この障害は海馬や扁桃体単独の損傷では生じず、むしろそれらの近辺領域にある嗅皮質の損傷が障害を引き起こしたことが明らかになった<ref><pubmed>9698344</pubmed></ref>。したがって、物体認知記憶には海馬や扁桃体ではなく嗅皮質が重要な役割を担うと考えられる。
   
   
== 関連項目  ==
== 関連項目  ==
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== 参考文献  ==
== 参考文献  ==


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(執筆者:上北朋子 担当編集委員:入來篤史)
(執筆者:上北朋子 担当編集委員:入來篤史)
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