「エンハンサー」の版間の差分

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<div align="right"> 
英:enhancer
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0157296 佐藤 達也]、[http://researchmap.jp/tetsuichirosaito 斎藤 哲一郎]</font><br>
''千葉大学 大学院 医学研究院''<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2013年3月25日 原稿完成日:2015年1月15日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0080380 上口 裕之](独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター)<br>         
</div>


英語名:enhancer
 エンハンサーとは、遺伝子の転写量を増加させる作用をもつDNA領域のことをいう。多くの場合、転写制御因子が結合する。プロモーターからの距離や位置、方向に関係なく働く<ref name="ref100"><pubmed>21358745</pubmed></ref><ref name="ref200"><pubmed>21295696</pubmed></ref><ref name="ref7"><pubmed>22487374</pubmed></ref>。サイレンサー(遺伝子の転写を抑制するDNA領域)とともに、細胞や時期特異的な遺伝子などの発現調節で重要な役割を果たす。


{{box|text=
== 構造と機能  ==
 エンハンサーとは、[[wikipedia:ja:遺伝子|遺伝子]]の[[wikipedia:ja:転写|転写]]量を増加させる作用をもつDNA領域のことをいう。[[プロモーター]]からの距離や位置、方向に関係なく働く<ref name="ref100"><pubmed>21358745</pubmed></ref><ref name="ref200"><pubmed>21295696</pubmed></ref><ref name="ref7"><pubmed>22487374</pubmed></ref>。[[wikipedia:ja:サイレンサー|サイレンサー]](遺伝子の転写を抑制するDNA領域)とともに、遺伝子の発現調節で重要な役割を果たす。
}}


== エンハンサーとは ==
 1981年、アカゲザルのポリオーマウイルスSV40の初期遺伝子の上流に位置する72塩基対の反復配列を欠失させると、初期遺伝子の転写量が著しく低下することが見出された。また、この配列を異種の遺伝子と連結すると、その遺伝子の転写量が増加することも見出され、そのような性質をもつ配列をエンハンサーと呼ぶようになった<ref><pubmed>6273820</pubmed></ref><ref><pubmed>6277502</pubmed></ref>。その後、1983年に、マウス免疫グロブリン遺伝子においてもエンハンサーが同定された<ref><pubmed>6409417</pubmed></ref><ref><pubmed>6409418</pubmed></ref>。その他のウイルスおよび真核生物の遺伝子においてもエンハンサーが同定され、普遍的に存在する転写調節領域であることがわかった。
 1981年、[[wikipedia:ja:アカゲザル|アカゲザル]]の[[wikipedia:ja:ポリオーマ|ポリオーマ]]ウイルス[[wikipedia:SV40|SV40]]の[[wikipedia:ja:初期遺伝子|初期遺伝子]]の上流に位置する72塩基の反復配列を欠失させると、初期遺伝子の転写量が著しく低下することが見出された。また、この配列を他の遺伝子と連結すると、その遺伝子の転写量が増加することも見出され、そのような機能をもつ配列をエンハンサーと呼ぶようになった<ref><pubmed>6273820</pubmed></ref><ref><pubmed>6277502</pubmed></ref>


 その後、1983年に、[[wikipedia:ja:マウス|マウス]][[wikipedia:ja:免疫グロブリン|免疫グロブリン]]遺伝子においてもエンハンサーが報告され<ref><pubmed>6409417</pubmed></ref><ref><pubmed>6409418</pubmed></ref>、様々なウイルスおよび真核生物の遺伝子でもエンハンサーが同定されている。
 エンハンサーは多くの場合、ゲノムの非翻訳領域に存在する。多くの遺伝子には、複数のエンハンサーが存在する。また、エンハンサーには、転写制御因子の結合する配列が1個以上存在する。エンハンサーとそれに結合する転写制御因子が多様なため、遺伝子はそれぞれ複雑な発現制御を受けている。いつどの細胞で転写がおきるのかを、エンハンサーが中心になって制御していることが多い。例えば、多細胞生物の発生では、細胞の分化の方向性を規定する様々な遺伝子の発現が正確に制御されているが、これにはエンハンサーが重要な役割を担っている。


== 構造と機能  ==
 これまでのエンハンサーに関する知識は、限られた数の遺伝子によって得られたものであったが、最近のハイスループットな技術(ChIP-chip, ChIP-Seq)により、エンハンサーを中心としたエピジェネティックな遺伝子発現制御についての理解が近年進みつつある<ref name="ref100" /><ref name="ref200" /><ref name="ref7" />。
 [[wikipedia:ja:イントロン|イントロン]]などの[[wikipedia:ja:非翻訳領域|非翻訳領域]]に存在することが多い。通常、エンハンサーには[[転写活性化因子]]の結合する配列が複数存在し、転写活性化因子の多様性と組み合わせにより遺伝子の発現が多様に制御されると考えられる。 また、多くの遺伝子には複数のエンハンサーが存在し、細胞種に特異的なエンハンサーや時期特異的なエンハンサーなど遺伝子発現が別々のエンハンサーで制御されることも多い。


 [[wikipedia:ja:クロマチン免疫沈降法|クロマチン免疫沈降法]](Chromatin Immuno-Precipitation, ChIP)と[[wikipedia:ja:DNAチップ|DNAチップ]]による検出を組み合わせた方法([[wikipedia:ja:ChIP-chip法|ChIP-chip法]])や、[[wikipedia:DNA_sequencing#Next-generation_methods|次世代シークエンサー]]を組み合わせた方法([[wikipedia:ja:ChIP-Seq法|ChIP-Seq法]])などの技術革新により、網羅的なエンハンサー解析が進んでいる<ref name="ref100" /><ref name="ref200" /><ref name="ref7" />。
== 作用機序  ==


== 作用機序  ==
 一般的に、エンハンサーには1個から複数個の転写制御因子が結合する。一方、プロモーターには転写基本因子(TFIIDなど)が結合する。これら転写制御因子および転写基本因子の双方に、メディエーター(mediator)と呼ばれる約30のサブユニットからなるタンパク質複合体が結合する。すると、DNAはループを形成して、エンハンサーとプロモーターは近づく形となる。RNAポリメラーゼIIは、転写基本因子、メディエーターならびにプロモーターに安定して結合できるようになり、転写の開始する頻度が上昇すると考えられる<ref><pubmed>21330129</pubmed></ref><ref><pubmed>22855826</pubmed></ref><ref><pubmed>22169023</pubmed></ref>。エンハンサーは、プロモーターからの距離が離れていても作用し、時には2ないし3Mbp離れていても機能することがある。上記のループ構造がどのようにして転写を促進するのかについては完全に解明されていないが、ループ構造によって、転写開始に必要な種々の因子の濃度がプロモーター付近において局所的に高くなり、RNAポリメラーゼIIがプロモーターに結合しやすくなるのではないかという説がある。また、細胞核の中では一様に転写が起こっているわけではなく、さかんに転写が起きている領域とそうではない領域が存在する。ループ構造が形成されると、その細胞核内の転写が起きている領域へエンハンサーとプロモーターのペアが移動し、転写が開始されるのではないかという説もある。いずれにしろ、転写の活性化にはループ構造の形成が必要である。


 多くの場合、エンハンサーには複数個の転写活性化因子が結合する。プロモーターには[[基本転写因子]]([[TFIID]]など)が結合し、[[wj:RNAポリメラーゼII|RNAポリメラーゼII]]とともに転写開始複合体が形成される。エンハンサーとプロモーターが離れていても(3Mbpの場合もある)、転写活性化因子と転写開始複合体の両者に[[wj:コアクチベーター|コアクチベーター]]と呼ばれる因子が相互作用することにより、DNAはループを形成しエンハンサーとプロモーターが接近すると考えられる<ref><pubmed>22855826</pubmed></ref><ref><pubmed>22169023</pubmed></ref>。この時、転写活性化因子とコアクチベーターは次々に転写開始複合体の形成を促進することにより、転写が盛んに起きると考えられている。しかし、ループ構造と転写促進には不明な点も多い。[[wj:細胞核|細胞核]]の中では、転写が活発な領域が存在し、ループ構造が転写の活発な領域への移動に関与するという可能性も示唆されている。
なお、エンハンサーとそれに結合した複数の転写制御因子から成る複雑な構造体を、エンハンセオソーム(enhanceosome)と呼ぶことがある<ref><pubmed>18206362</pubmed></ref>


 エンハンサーに結合した多くの転写活性化因子から成る構造体を、[[w:enhanceosome|enhanceosome]]と呼ぶこともある<ref><pubmed>18206362</pubmed></ref>
 また、多くの場合、エンハンサーに結合した転写制御因子には、ヒストンアセチルトランスフェラーゼ(histone acetyltransferase; HAT)やクロマチン再構成複合体(chromatin remodeling complex)が結合する。 HATとクロマチン再構成複合体は、エンハンサーおよびプロモーター周辺のクロマチンの状態を変更する。HATのうち、CBPおよびp300は、エンハンサーおよびプロモーターにおけるコアヒストンのN末端をアセチル化する<ref><pubmed>21131905</pubmed></ref><ref><pubmed>19698979</pubmed></ref>。アセチル基は負の電荷を持つため、ヒストンの正の電荷を打ち消してヒストンとDNAの間の結合を弱めると考えられる。アセチル化されたヒストンは、クロマチン再構成複合体が結合する足場となることがある<ref><pubmed>10638745</pubmed></ref>。クロマチン再構成複合体は、ATP依存的にヌクレオソームの配置を変更したり、崩壊させる<ref><pubmed>20513433</pubmed></ref><ref><pubmed>10500090</pubmed></ref>。クロマチンの状態が変更されると、一般的に、より多くの転写制御因子がエンハンサーに結合しやすくなったり、転写基本因子とメディエーターならびにRNAポリメラーゼIIがプロモーター上で集合しやすくなって、転写が促進される。


 コアクチベーターには、[[CBP]]や[[p300]]といった[[アセチル化#ヒストンアセチル基転移酵素|ヒストンアセチル基転移酵素]]([[アセチル化#ヒストンアセチル基転移酵素|histone acetyltransferase]]; [[アセチル化#ヒストンアセチル基転移酵素|HAT]])活性を持つものがあり、[[wj:ヒストン|ヒストン]]を[[アセチル化]]する<ref><pubmed>21131905</pubmed></ref><ref><pubmed>19698979</pubmed></ref>。アセチル化されたヒストンでは、DNAとの間の結合が弱まり、[[転写因子]]がDNAに結合しやすくなると考えられる。また、[[wj:クロマチン再構成複合体|クロマチン再構成複合体]]([[w:chromatin remodeling complex|chromatin remodeling complex]])は転写活性化因子に結合し、[[ATP]]依存的に[[wj:ヌクレオソーム|ヌクレオソーム]]の移動や解離を行う<ref><pubmed>20513433</pubmed></ref><ref><pubmed>10500090</pubmed></ref>。その結果、より多くの転写活性化因子がエンハンサーに結合することができるようになり、プロモーター上で転写開始複合体の形成が促進されると考えられる。
 エンハンサーは、ヒストンの種類または翻訳後修飾に関して、他の領域と異なる特徴を持つ。エンハンサーでは、ヒストンH3の4番目のリジンがモノメチル化またはジメチル化されている(H3K4me1/ H3K4me2)<ref><pubmed>17277777</pubmed></ref>。さらに、H3.3やH2A.Zと呼ばれるヒストンを含むヌクレオソームが存在する<ref><pubmed>19633671</pubmed></ref>。このヌクレオソームは、通常のヌクレオソームより不安定な性質を持つため解体されやすく、転写制御因子がこのヌクレオソームに置き換わってDNAに結合しやすくなると考えられている。ヒストンH3.3やH2A.Zを含むヌクレオソームは、プロモーターにも存在するが、ヒストンH3の4番目のリジンはトリメチル化されている(H3K4me3)。<br>  


 エンハンサー領域では、ヒストンの[[wj:翻訳後修飾|翻訳後修飾]]が他と異なり、ヒストンH3の4番目の[[wj:リジン|リジン]]がモノ[[wj:メチル化|メチル化]]またはジメチル化される(ヒストンH3の4番目のリジンがモノメチル化やジメチル化されたものを、それぞれH3K4me1やH3K4me2と記述する)<ref><pubmed>17277777</pubmed></ref>。また、エンハンサー領域のヌクレオソームは、ヒストンH3のバリアントであるH3.3やヒストンH2のバリアントであるH2A.Zを含む<ref><pubmed>19633671</pubmed></ref>。H3.3やH2A.Zを含むヌクレオソームは、通常のヌクレオソームより不安定なため、転写活性化因子がDNAと容易に相互作用できると考えられている。ヒストンH3.3やH2A.Zを含むヌクレオソームは、プロモーター領域にも存在するが、ヒストンH3の4番目のリジンはトリメチル化(H3K4me3)されている。さらに、エンハンサー領域におけるヒストンの修飾は、機能の有無で変化することも知られている。例えば、ヒト[[ES細胞]]では、エンハンサーが働いている時はヒストンH3の27番目のリジンがアセチル化(H3K27ac)されるが、機能していない時はメチル化(H3K27me3)される<ref><pubmed>21160473</pubmed></ref>
 転写の活性化の状態によって、エンハンサーにおけるヒストンの翻訳後修飾が異なる例が報告されている。ヒトES細胞を例にとると、転写が活性化されている遺伝子のエンハンサーでは、ヒストンH3の27番目のリジンがアセチル化されているが(H3K27ac)、転写がおきていない遺伝子のエンハンサーでは、メチル化されている(H3K27me3)<ref><pubmed>21160473</pubmed></ref>。このES細胞を分化させた時、新たに転写が活性化される遺伝子のエンハンサーでは、メチル化されていたヒストンがアセチル化される(H3K27me3 → H3K27ac)。逆に、分化した後に転写が抑制される遺伝子のエンハンサーでは、アセチル化されていたヒストンがメチル化される(H3K27ac → H3K27me3)。他の系においても、様々なヒストンの翻訳後修飾がみつかっており、遺伝子発現制御との関係が調べられている<ref name="ref7" />。一般的に、転写の活性化の状態に関わらず、H3K4me1/ H3K4me2はエンハンサー領域にみられる特徴であり、活性化しているエンハンサーではp300の結合と、ヒストンのアセチル化がみられる。<br>  


 エンハンサーでは、[[エンハンサーRNA]]([[eRNA]])とよばれるRNAが双方向に転写されることもある<ref><pubmed>20393465</pubmed></ref>。eRNAはタンパク質をコードせず、[[ポリアデニル化]]されない。eRNA合成がエンハンサーの機能に必須な例として、転写活性化因子[[w:p53|p53]]が結合するエンハンサーがある<ref><pubmed>23273978</pubmed></ref>。しかし、全てのエンハンサーでeRNA合成が必要なのかはまだ不明である。一方、100塩基以上の長さを持ちポリアデニル化されるノンコーディングRNA([[w:lncRNA|lncRNA]])が転写を活性化する場合もある<ref><pubmed>20887892</pubmed></ref>。[[wj:ENCODEプロジェクト|ENCODEプロジェクト]]により、ヒトでは9640種のlncRNAが転写されることが明らかとなった<ref><pubmed>22955616</pubmed></ref>
 最近になって、enhancer RNA (eRNA)とよばれるRNAがエンハンサーにおいて双方向に転写されて産生されることが見いだされた<ref><pubmed>20393465</pubmed></ref>。eRNAはタンパク質をコードせず、ポリアデニル化されない。転写制御因子p53が結合するエンハンサーの中には、その転写活性化能がeRNAに依存的なものがある<ref><pubmed>23273978</pubmed></ref>。しかし、eRNAが一般的にエンハンサーの機能に関与しているかどうかはまだよくわかっていない。一方、100塩基長以上の長さを持つノンコーディングRNA(lncRNA)が転写を調節する場合がある<ref><pubmed>20887892</pubmed></ref>。このlncRNAのほとんどは、一方向に転写されることにより産生され、ポリアデニル化される。このlncRNAのうち、''ncRNA-a7''と呼ばれるlncRNAをsiRNA法で阻害すると、近傍の遺伝子の転写が抑制される。''ncRNA-a7''遺伝子をリポーター遺伝子と連結すると、''ncRNA-a7''遺伝子の方向に関係なくリポーター遺伝子の転写が誘導される。このlncRNAが転写を活性化する詳しいメカニズムはまだよくわかっていないが、siRNA法で阻害すると転写が抑制されることから、ncRNA-a7自身が転写の活性化に必要である。ENCODEプロジェクトによると、これまで「junk DNA」であると考えられてきたヒトゲノムの領域から、9640のlncRNAが転写されることがわかった<ref><pubmed>22955616</pubmed></ref>。これらのlncRNAもまた、''ncRNA-a7''と同様に遺伝子の発現を制御している可能性がある。eRNAおよびlncRNAの詳しい作用機序については、現時点では不明な点が多く、さらに調べる必要があると思われる。<br>


== 神経系におけるエンハンサー  ==
== 神経系におけるエンハンサー  ==


=== ''Nestin'' ===
=== Nestinのエンハンサー  ===


 [[中間径フィラメント]]の一つである[[Nestin]]は、[[神経幹細胞]]などで特異的に発現し、分化すると発現は消失する。''Nestin''遺伝子の第2イントロン内に神経幹細胞での発現を誘導するエンハンサーが存在する<ref><pubmed>8292356</pubmed></ref>。このエンハンサーには[[POU転写因子|POUファミリー]]および[[SOXファミリー]]の転写制御因子の結合する配列が存在し<ref name="ref22"><pubmed>15456859</pubmed></ref><ref><pubmed>9671582</pubmed></ref>、神経幹細胞で発現するPOUファミリーの[[Brn2]]とSOXファミリーの[[Sox2]]が、''Nestin''の発現を誘導すると考えられている<ref name="ref22" />。また、''Nestin''の発現は細胞周期の進行に伴い変動し、[[G2期]]から[[M期]]ではBrn2が[[リン酸化]]されてエンハンサーに結合できなくなり、''Nestin''の発現が減少すると考えられている<ref name="ref24"><pubmed>18349072</pubmed></ref>
 中間径フィラメントの一つである''Nestin''は、神経幹細胞などで特異的に発現し、分化するとその発現は消失する。トランスジェニックマウスを用いた解析により、''Nestin''遺伝子の第2イントロン内に神経幹細胞での発現を誘導するエンハンサーが存在することが明らかとなっている<ref><pubmed>8292356</pubmed></ref>。このエンハンサーには、POUファミリーおよびSOXファミリーの転写制御因子の結合する配列が存在する<ref name="ref22"><pubmed>15456859</pubmed></ref><ref><pubmed>9671582</pubmed></ref>。''Brn2''と''Sox2''は、それぞれPOUファミリーとSOXファミリーに属する転写制御因子であるが、神経幹細胞で発現し、第2イントロン内のエンハンサーに結合して''Nestin''の発現を誘導する<ref name="ref22" />。さらにBrn2は、細胞周期のG2期からM期にリン酸化され、エンハンサーに結合しにくくなるため、''Nestin''の発現が減少する<ref name="ref24"><pubmed>18349072</pubmed></ref>。G1期からS期ではBrn2が脱リン酸化され、エンハンサーに結合して、''Nestin''の発現が増加する。このように、''Nestin''の発現は細胞周期の進行に伴い変動する。


 Nestinは神経幹細胞のマーカーであり、[[蛍光タンパク質]]を''Nestin''のエンハンサーで発現させるトランスジェニックマウスなどを用い、神経幹細胞を効率よく分離することに利用される<ref name="ref24" /><ref><pubmed>11178865</pubmed></ref><ref><pubmed>20205849</pubmed></ref>。
'' Nestin''は神経幹細胞のよいマーカーであり、そのエンハンサーは神経幹細胞において遺伝子を発現させるのによく用いられている。蛍光タンパク質の遺伝子を''Nestin''のエンハンサーによって発現させたトランスジェニックマウスが作成されており、このマウス由来の神経組織を用いて、セルソーターにより神経幹細胞を効率よく分離することもできる<ref name="ref24" /><ref><pubmed>11178865</pubmed></ref><ref><pubmed>20205849</pubmed></ref>。<br>


=== ''Barh1'' (''Mbh1'') ===
=== Mbh1のエンハンサー  ===


 [[wikipedia:ja:哺乳類|哺乳類]]には、千種類以上の様々な個性を持つ神経細胞が存在する。[[プロニューラル因子]]と呼ばれる転写制御因子は神経細胞の分化を開始させるスイッチとして働くが<ref><pubmed>17898002</pubmed></ref>、直接に制御する遺伝子は長らく不明であった。プロニューラル因子の''[[Atoh1]]''''[[Math1]]'', ''[[Mammalian atonal homolog 1]]'')は''[[Barh1]]''''[[Mbh1]]'', ''[[Mammalian Bar-class homeobox 1]]'')を直接に活性化することが見出された<ref name="ref29"><pubmed>15788459</pubmed></ref>。''Barh1''''Mbh1'')は[[脊髄]][[交連神経]]細胞や小脳顆粒細胞の前駆細胞で発現し、その運命を制御する<ref><pubmed>12657654</pubmed></ref><ref><pubmed>18723012</pubmed></ref><ref><pubmed>20599893</pubmed></ref>。''Barh1''(''Mbh1'')のエンハンサーは翻訳領域の3’側に存在し、Atoh1タンパク質が結合するE-boxと呼ばれるDNA配列が必須である<ref name="ref29" />
 動物では、千種類以上の様々な個性を持つ神経細胞が正しく分化し、それらが役割分担しながら情報処理を行っている。プロニューラル因子と呼ばれる転写制御因子は、神経細胞の分化を開始させるスイッチとして働く<ref><pubmed>12094208</pubmed></ref>。プロニューラル因子が直接制御する遺伝子は長らく不明であったが、転写制御因子''Mbh1''(''Mammalian Bar-class homeobox 1'')がプロニューラル因子の一つである''Atoh1''(''Math1'')(''Mammalian atonal homolog 1'')によって直接制御されることが見出された<ref name="ref29"><pubmed>15788459</pubmed></ref>。''Mbh1''は胎生期の脊髄交連神経細胞で発現しており、''in vivo'' electroporation法によって強制発現させると脊髄背側の細胞を交連神経細胞へ運命転換させる<ref><pubmed>12657654</pubmed></ref>。''Mbh1''遺伝子の3’側にはエンハンサーが存在し、その中のE-box(CAGCTG)にAtoh1タンパク質が結合する<ref name="ref29" />。Atoh1タンパク質はこのE-boxを介して''Mbh1''遺伝子の転写を直接活性化すると考えられる。''Mbh1''は、プロニューラル因子が直接制御する遺伝子として同定されている数少ないもののうちの一つである。<br>


=== 終脳で機能するエンハンサー  ===
=== 終脳で機能するエンハンサー  ===


 マウス胎児の[[終脳]]で発現する様々な遺伝子のエンハンサーが網羅的に調べられている<ref><pubmed>23375746</pubmed></ref>。p300の結合を指標にしたCHIP-Seq法により、4600箇所以上のDNA領域がエンハンサーの候補となり、145のエンハンサーが同定された。
 マウス胎児の終脳で発現する様々な遺伝子のエンハンサーが網羅的に同定され、その発現様式が公開された<ref><pubmed>23375746</pubmed></ref>。塩基配列の種間の比較や、p300の結合を指標にしたCHIP-Seqによって、4600箇所以上のDNA領域がエンハンサーの候補として同定された。そのうち329のエンハンサーの活性がトランスジェニックマウスを用いて調べられた。再現性のある145のエンハンサーの活性が、レポーター遺伝子の発現として多くの切片上に発表された。この結果をもとに、終脳で発現する様々な遺伝子の発現制御のネットワークが今後明らかにされていくものと思われる。<br>


== 関連項目  ==
== 関連項目  ==
*[[プロモーター]]
 
*[[エンハンサーRNA]]
転写制御因子<br>
*[[転写制御因子]]


== 参考文献  ==
== 参考文献  ==


<references />
<references />  
 
(執筆者:佐藤達也、斎藤哲一郎、担当編集委員:岡野栄之)

2013年3月6日 (水) 13:28時点における版

英:enhancer

 エンハンサーとは、遺伝子の転写量を増加させる作用をもつDNA領域のことをいう。多くの場合、転写制御因子が結合する。プロモーターからの距離や位置、方向に関係なく働く[1][2][3]。サイレンサー(遺伝子の転写を抑制するDNA領域)とともに、細胞や時期特異的な遺伝子などの発現調節で重要な役割を果たす。

構造と機能

 1981年、アカゲザルのポリオーマウイルスSV40の初期遺伝子の上流に位置する72塩基対の反復配列を欠失させると、初期遺伝子の転写量が著しく低下することが見出された。また、この配列を異種の遺伝子と連結すると、その遺伝子の転写量が増加することも見出され、そのような性質をもつ配列をエンハンサーと呼ぶようになった[4][5]。その後、1983年に、マウス免疫グロブリン遺伝子においてもエンハンサーが同定された[6][7]。その他のウイルスおよび真核生物の遺伝子においてもエンハンサーが同定され、普遍的に存在する転写調節領域であることがわかった。

 エンハンサーは多くの場合、ゲノムの非翻訳領域に存在する。多くの遺伝子には、複数のエンハンサーが存在する。また、エンハンサーには、転写制御因子の結合する配列が1個以上存在する。エンハンサーとそれに結合する転写制御因子が多様なため、遺伝子はそれぞれ複雑な発現制御を受けている。いつどの細胞で転写がおきるのかを、エンハンサーが中心になって制御していることが多い。例えば、多細胞生物の発生では、細胞の分化の方向性を規定する様々な遺伝子の発現が正確に制御されているが、これにはエンハンサーが重要な役割を担っている。

 これまでのエンハンサーに関する知識は、限られた数の遺伝子によって得られたものであったが、最近のハイスループットな技術(ChIP-chip, ChIP-Seq)により、エンハンサーを中心としたエピジェネティックな遺伝子発現制御についての理解が近年進みつつある[1][2][3]

作用機序

 一般的に、エンハンサーには1個から複数個の転写制御因子が結合する。一方、プロモーターには転写基本因子(TFIIDなど)が結合する。これら転写制御因子および転写基本因子の双方に、メディエーター(mediator)と呼ばれる約30のサブユニットからなるタンパク質複合体が結合する。すると、DNAはループを形成して、エンハンサーとプロモーターは近づく形となる。RNAポリメラーゼIIは、転写基本因子、メディエーターならびにプロモーターに安定して結合できるようになり、転写の開始する頻度が上昇すると考えられる[8][9][10]。エンハンサーは、プロモーターからの距離が離れていても作用し、時には2ないし3Mbp離れていても機能することがある。上記のループ構造がどのようにして転写を促進するのかについては完全に解明されていないが、ループ構造によって、転写開始に必要な種々の因子の濃度がプロモーター付近において局所的に高くなり、RNAポリメラーゼIIがプロモーターに結合しやすくなるのではないかという説がある。また、細胞核の中では一様に転写が起こっているわけではなく、さかんに転写が起きている領域とそうではない領域が存在する。ループ構造が形成されると、その細胞核内の転写が起きている領域へエンハンサーとプロモーターのペアが移動し、転写が開始されるのではないかという説もある。いずれにしろ、転写の活性化にはループ構造の形成が必要である。

なお、エンハンサーとそれに結合した複数の転写制御因子から成る複雑な構造体を、エンハンセオソーム(enhanceosome)と呼ぶことがある[11]

 また、多くの場合、エンハンサーに結合した転写制御因子には、ヒストンアセチルトランスフェラーゼ(histone acetyltransferase; HAT)やクロマチン再構成複合体(chromatin remodeling complex)が結合する。 HATとクロマチン再構成複合体は、エンハンサーおよびプロモーター周辺のクロマチンの状態を変更する。HATのうち、CBPおよびp300は、エンハンサーおよびプロモーターにおけるコアヒストンのN末端をアセチル化する[12][13]。アセチル基は負の電荷を持つため、ヒストンの正の電荷を打ち消してヒストンとDNAの間の結合を弱めると考えられる。アセチル化されたヒストンは、クロマチン再構成複合体が結合する足場となることがある[14]。クロマチン再構成複合体は、ATP依存的にヌクレオソームの配置を変更したり、崩壊させる[15][16]。クロマチンの状態が変更されると、一般的に、より多くの転写制御因子がエンハンサーに結合しやすくなったり、転写基本因子とメディエーターならびにRNAポリメラーゼIIがプロモーター上で集合しやすくなって、転写が促進される。

 エンハンサーは、ヒストンの種類または翻訳後修飾に関して、他の領域と異なる特徴を持つ。エンハンサーでは、ヒストンH3の4番目のリジンがモノメチル化またはジメチル化されている(H3K4me1/ H3K4me2)[17]。さらに、H3.3やH2A.Zと呼ばれるヒストンを含むヌクレオソームが存在する[18]。このヌクレオソームは、通常のヌクレオソームより不安定な性質を持つため解体されやすく、転写制御因子がこのヌクレオソームに置き換わってDNAに結合しやすくなると考えられている。ヒストンH3.3やH2A.Zを含むヌクレオソームは、プロモーターにも存在するが、ヒストンH3の4番目のリジンはトリメチル化されている(H3K4me3)。

 転写の活性化の状態によって、エンハンサーにおけるヒストンの翻訳後修飾が異なる例が報告されている。ヒトES細胞を例にとると、転写が活性化されている遺伝子のエンハンサーでは、ヒストンH3の27番目のリジンがアセチル化されているが(H3K27ac)、転写がおきていない遺伝子のエンハンサーでは、メチル化されている(H3K27me3)[19]。このES細胞を分化させた時、新たに転写が活性化される遺伝子のエンハンサーでは、メチル化されていたヒストンがアセチル化される(H3K27me3 → H3K27ac)。逆に、分化した後に転写が抑制される遺伝子のエンハンサーでは、アセチル化されていたヒストンがメチル化される(H3K27ac → H3K27me3)。他の系においても、様々なヒストンの翻訳後修飾がみつかっており、遺伝子発現制御との関係が調べられている[3]。一般的に、転写の活性化の状態に関わらず、H3K4me1/ H3K4me2はエンハンサー領域にみられる特徴であり、活性化しているエンハンサーではp300の結合と、ヒストンのアセチル化がみられる。

 最近になって、enhancer RNA (eRNA)とよばれるRNAがエンハンサーにおいて双方向に転写されて産生されることが見いだされた[20]。eRNAはタンパク質をコードせず、ポリアデニル化されない。転写制御因子p53が結合するエンハンサーの中には、その転写活性化能がeRNAに依存的なものがある[21]。しかし、eRNAが一般的にエンハンサーの機能に関与しているかどうかはまだよくわかっていない。一方、100塩基長以上の長さを持つノンコーディングRNA(lncRNA)が転写を調節する場合がある[22]。このlncRNAのほとんどは、一方向に転写されることにより産生され、ポリアデニル化される。このlncRNAのうち、ncRNA-a7と呼ばれるlncRNAをsiRNA法で阻害すると、近傍の遺伝子の転写が抑制される。ncRNA-a7遺伝子をリポーター遺伝子と連結すると、ncRNA-a7遺伝子の方向に関係なくリポーター遺伝子の転写が誘導される。このlncRNAが転写を活性化する詳しいメカニズムはまだよくわかっていないが、siRNA法で阻害すると転写が抑制されることから、ncRNA-a7自身が転写の活性化に必要である。ENCODEプロジェクトによると、これまで「junk DNA」であると考えられてきたヒトゲノムの領域から、9640のlncRNAが転写されることがわかった[23]。これらのlncRNAもまた、ncRNA-a7と同様に遺伝子の発現を制御している可能性がある。eRNAおよびlncRNAの詳しい作用機序については、現時点では不明な点が多く、さらに調べる必要があると思われる。

神経系におけるエンハンサー

Nestinのエンハンサー

 中間径フィラメントの一つであるNestinは、神経幹細胞などで特異的に発現し、分化するとその発現は消失する。トランスジェニックマウスを用いた解析により、Nestin遺伝子の第2イントロン内に神経幹細胞での発現を誘導するエンハンサーが存在することが明らかとなっている[24]。このエンハンサーには、POUファミリーおよびSOXファミリーの転写制御因子の結合する配列が存在する[25][26]Brn2Sox2は、それぞれPOUファミリーとSOXファミリーに属する転写制御因子であるが、神経幹細胞で発現し、第2イントロン内のエンハンサーに結合してNestinの発現を誘導する[25]。さらにBrn2は、細胞周期のG2期からM期にリン酸化され、エンハンサーに結合しにくくなるため、Nestinの発現が減少する[27]。G1期からS期ではBrn2が脱リン酸化され、エンハンサーに結合して、Nestinの発現が増加する。このように、Nestinの発現は細胞周期の進行に伴い変動する。

 Nestinは神経幹細胞のよいマーカーであり、そのエンハンサーは神経幹細胞において遺伝子を発現させるのによく用いられている。蛍光タンパク質の遺伝子をNestinのエンハンサーによって発現させたトランスジェニックマウスが作成されており、このマウス由来の神経組織を用いて、セルソーターにより神経幹細胞を効率よく分離することもできる[27][28][29]

Mbh1のエンハンサー

 動物では、千種類以上の様々な個性を持つ神経細胞が正しく分化し、それらが役割分担しながら情報処理を行っている。プロニューラル因子と呼ばれる転写制御因子は、神経細胞の分化を開始させるスイッチとして働く[30]。プロニューラル因子が直接制御する遺伝子は長らく不明であったが、転写制御因子Mbh1(Mammalian Bar-class homeobox 1)がプロニューラル因子の一つであるAtoh1(Math1)(Mammalian atonal homolog 1)によって直接制御されることが見出された[31]Mbh1は胎生期の脊髄交連神経細胞で発現しており、in vivo electroporation法によって強制発現させると脊髄背側の細胞を交連神経細胞へ運命転換させる[32]Mbh1遺伝子の3’側にはエンハンサーが存在し、その中のE-box(CAGCTG)にAtoh1タンパク質が結合する[31]。Atoh1タンパク質はこのE-boxを介してMbh1遺伝子の転写を直接活性化すると考えられる。Mbh1は、プロニューラル因子が直接制御する遺伝子として同定されている数少ないもののうちの一つである。

終脳で機能するエンハンサー

 マウス胎児の終脳で発現する様々な遺伝子のエンハンサーが網羅的に同定され、その発現様式が公開された[33]。塩基配列の種間の比較や、p300の結合を指標にしたCHIP-Seqによって、4600箇所以上のDNA領域がエンハンサーの候補として同定された。そのうち329のエンハンサーの活性がトランスジェニックマウスを用いて調べられた。再現性のある145のエンハンサーの活性が、レポーター遺伝子の発現として多くの切片上に発表された。この結果をもとに、終脳で発現する様々な遺伝子の発現制御のネットワークが今後明らかにされていくものと思われる。

関連項目

転写制御因子

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(執筆者:佐藤達也、斎藤哲一郎、担当編集委員:岡野栄之)