「エピジェネティックス」の版間の差分

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1. 概要<br>エピジェネティクス(epigenetics)とは、DNAの配列変化によらない遺伝子発現を制御・伝達するシステムおよびその学術分野のことである。すなわち、細胞分裂を通して娘細胞に受け継がれるという遺伝的な特徴を持ちながらも、DNA塩基配列の変化(突然変異)とは独立した機構である。このような制御は、化学的に安定した修飾である一方、食事、大気汚染、喫煙、酸化ストレスへの暴露などの環境要因によって動的に変化する<ref><pubmed> 22740325 </pubmed></ref>。言い換えると、エピジェネティックスは、遺伝子と環境要因の架け橋となる機構であると言える。主なメカニズムとして、DNAメチル化とヒストン修飾がある。
1. 概要<br>エピジェネティクス(epigenetics)とは、DNAの配列変化によらない遺伝子発現を制御・伝達するシステムおよびその学術分野のことである。すなわち、細胞分裂を通して娘細胞に受け継がれるという遺伝的な特徴を持ちながらも、DNA塩基配列の変化(突然変異)とは独立した機構である。このような制御は、化学的に安定した修飾である一方、食事、大気汚染、喫煙、酸化ストレスへの暴露などの環境要因によって動的に変化する<ref><pubmed> 22740325 </pubmed></ref>。言い換えると、エピジェネティックスは、遺伝子と環境要因の架け橋となる機構であると言える。主なメカニズムとして、DNAメチル化とヒストン修飾がある。


<br>2. 歴史、経緯<br>昔は発生を説明する仮説として、受精前にすでに複雑な成体の原型が存在しているという説(前成説)と、単純な形の受精卵が徐々に分化することで複雑な器官が作られるという説(後成説)があった。20世紀半ば、イギリスの発生学者のWaddingtonは、遺伝要因と環境要因が相互作用し最終的な生物を形成する過程、すなわち後成説をエピジェネティクスとして提唱した<ref>'''Waddington CH'''<br>The epigenotype<br>''Endeavour Jan:18–20 (London)'':1942</ref>。彼は、受精卵を斜面から転がり落ちるボールに例えて、正常な発生の過程で受精卵は決して元の状態に戻ることはなく、またほかの細胞に転換することもないというエピジェネティック・ランドスケープを提唱した<ref>'''Waddington CH'''<br>The epigenotype<br>''Endeavour Jan:18–20 (London)'':1957</ref>。現在では、Riggs(1996年)<ref>'''Riggs AD, Russo VEA, Martienssen RA'''<br>Epigenetic mechanisms of gene regulation<br>Plainview, N.Y: Cold Spring Harbor Laboratory Press (US)'':1996</ref>が提唱した定義が広く一般的に用いられている。
<br>2. 歴史、経緯<br>昔は発生を説明する仮説として、受精前にすでに複雑な成体の原型が存在しているという説(前成説)と、単純な形の受精卵が徐々に分化することで複雑な器官が作られるという説(後成説)があった。20世紀半ば、イギリスの発生学者のWaddingtonは、遺伝要因と環境要因が相互作用し最終的な生物を形成する過程、すなわち後成説をエピジェネティクスとして提唱した>。彼は、受精卵を斜面から転がり落ちるボールに例えて、正常な発生の過程で受精卵は決して元の状態に戻ることはなく、またほかの細胞に転換することもないというエピジェネティック・ランドスケープを提唱した。現在では、Riggs(1996年が提唱した定義が広く一般的に用いられている。




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3.1.1 多様なDNA配列のメチル化<br>DNAメチル化が重要となる現象の例に、ゲノム刷り込み(genomic imprinting)がある。多くの場合、父親由来の染色体上の遺伝子と母親由来の遺伝子の発現量はほぼ等しいが、インプリンティング遺伝子の場合、一方の遺伝子は発現するもののもう一方からの発現は抑制される。これらの遺伝子は近傍にICR(imprinting control region) と呼ばれる領域を持つことが多く、どちらかの親由来のアレルが高メチル化、もう片親由来のアレルが低メチル化を示すDMR(differentially methylated region)を含む事が多い。ゲノム上の反復配列や転移因子(トランスポゾン)様配列は一般的にメチル化され転写が抑制された状態にある。これは、染色体の安定化に寄与していると考えられている。また、哺乳類における遺伝子量補正(gene dosage compensation)の機構として、女性の2本あるX染色体のうちの1本は転写が不活性化(X chromosome inactivation)され高メチル化された状態にある。不活性化されたX染色体はバー小体(bar body)という特徴的な構造を示す。<br> 
3.1.1 多様なDNA配列のメチル化<br>DNAメチル化が重要となる現象の例に、ゲノム刷り込み(genomic imprinting)がある。多くの場合、父親由来の染色体上の遺伝子と母親由来の遺伝子の発現量はほぼ等しいが、インプリンティング遺伝子の場合、一方の遺伝子は発現するもののもう一方からの発現は抑制される。これらの遺伝子は近傍にICR(imprinting control region) と呼ばれる領域を持つことが多く、どちらかの親由来のアレルが高メチル化、もう片親由来のアレルが低メチル化を示すDMR(differentially methylated region)を含む事が多い。ゲノム上の反復配列や転移因子(トランスポゾン)様配列は一般的にメチル化され転写が抑制された状態にある。これは、染色体の安定化に寄与していると考えられている。また、哺乳類における遺伝子量補正(gene dosage compensation)の機構として、女性の2本あるX染色体のうちの1本は転写が不活性化(X chromosome inactivation)され高メチル化された状態にある。不活性化されたX染色体はバー小体(bar body)という特徴的な構造を示す。<br> 


3.1.2 DNAメチル化と転写の制御<br>一般的にプロモーター領域のDNAメチル化と遺伝子発現の程度はよく逆相関することが知られているが、DNAメチル化と遺伝子発現制御の関係は単純ではない。遺伝子構造内部のgene body領域のDNAメチル化は、スプライシングの制御などに関わっていると考えられている。また、メチル化されたCpG配列には、メチル化CpG結合ドメインタンパク質(methyl-CpG-binding domain protein, MBD) が結合し転写を抑制する蛋白質複合体を引き寄せ、遺伝子発現の抑制が達成されると考えられている。しかしMBDの一種であり、レット症候群の責任遺伝子あるmethyl-CpG binding protein 2(MeCP2)では、転写の抑制および活性化双方の働きがあることが知られている。
3.1.2 DNAメチル化と転写の制御<br>一般的にプロモーター領域のDNAメチル化と遺伝子発現の程度はよく逆相関することが知られているが、DNAメチル化と遺伝子発現制御の関係は単純ではない。遺伝子構造内部のgene body領域のDNAメチル化は、スプライシングの制御などに関わっていると考えられている。また、メチル化されたCpG配列には、メチル化CpG結合ドメインタンパク質(methyl-CpG-binding domain protein, MBD) が結合し転写を抑制する蛋白質複合体を引き寄せ、遺伝子発現の抑制が達成されると考えられている。しかしMBDの一種であり、レット症候群の責任遺伝子あるmethyl-CpG binding protein 2(MeCP2)<ref><pubmed> 10508514 </pubmed></ref>では、転写の抑制および活性化双方の働きがあることが知られている。


3.1.3 DNAメチル化と脱メチル化<br>発生過程でのDNAメチル化パターンの構築に至っては、受精直後に維持メチラーゼ活性が抑制されたり特異的脱メチル酵素が働いたりすることによって、ゲノム全体で波状の脱メチル化がおこる。発生が進むと、メチル化されてないDNAの最初のメチル化は、新規修飾DNAメチラーゼ(de novo DNA methyltransferase; DNMT3AやDNMT3B)によって新たにDNAメチル化状態のプロフィールが形成されていく。
3.1.3 DNAメチル化と脱メチル化<br>発生過程でのDNAメチル化パターンの構築に至っては、受精直後に維持メチラーゼ活性が抑制されたり特異的脱メチル酵素が働いたりすることによって、ゲノム全体で波状の脱メチル化がおこる。発生が進むと、メチル化されてないDNAの最初のメチル化は、新規修飾DNAメチラーゼ(de novo DNA methyltransferase; DNMT3AやDNMT3B)によって新たにDNAメチル化状態のプロフィールが形成されていく。
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4. 脳科学とエピジェネティクス<br>4.1 神経活動とエピジェネティックな変化<br>初代培養神経細胞へのKCl投与により脱分極を誘導すると、Bdnf遺伝子のプロモーターIV領域のCpGが脱メチル化される1。脱メチル化に伴いMeCP2が解離しプロモーターIVからの転写量上昇が認められる1。また、神経細胞における長期増強(LTP)の誘導は、神経伝達に関わる遺伝子のプロモーター領域におけるヒストンH3およびH4のアセチル化と関連していることが報告されている。
4. 脳科学とエピジェネティクス<br>4.1 神経活動とエピジェネティックな変化<br>初代培養神経細胞へのKCl投与により脱分極を誘導すると、Bdnf遺伝子のプロモーターIV領域のCpGが脱メチル化される<ref><pubmed> 14593184 </pubmed></ref>。脱メチル化に伴いMeCP2が解離しプロモーターIVからの転写量上昇が認められる。また、神経細胞における長期増強(LTP)の誘導は、神経伝達に関わる遺伝子のプロモーター領域におけるヒストンH3およびH4のアセチル化と関連していることが報告されている<ref><pubmed> 15273246 </pubmed></ref>。


4.2 脳神経系細胞における様々なシトシン修飾状態とその機能<br>メチルシトシンがten-eleven translocation (TET)蛋白質によって酸化されたハイドロキシメチルシトシン(5-hydroxymethylcytosine, 5-hmc)が脳神経系細胞に豊富に含まれることが近年明らかにされた。その後、TET存在下でカルボキシルシトシン(5-carboxylcytosine, 5-cac)、フォルミルシトシン(5-formylcytosine, 5-fc)が生成されることが報告されている。これら多様なシトシン修飾は、分裂しない神経細胞における脱メチル化過程の中間産物であると考えられている。盛んに分裂する細胞では、維持メチラーゼの活性が抑制され、メチル化されていない細胞が増加することによる脱メチル化が見られ、passive demethylationと呼ばれている。これに対し、5-hmcを介したシトシンへの脱メチル化は、active demethylationであると考えられており、哺乳類では確認されていなかった。現在提唱されているモデルでは、5-fcから5-cacに変換された後、未同定のcarboxylaseによって再びシトシンに変換されるか、5-fcあるいは5-cacがactivation-induced cytidine deaminase (AID)やpolipoprotein B mRNA editing enzyme catalytic polypeptide (APOBEC)の作用によりチミンに変換され、thymine-DNA glycosylase (TDG)や他のDNA修復関連酵素群による塩基除去修復系によってシトシンに戻るモデルなどが提案されている。また、多くのMBDは5-hmcに結合しないことがin vitroで示されてきたが、近年MeCP2が5-hmcに結合することが明らかにされ、また、5-hmc結合蛋白質のスクリーニングも進みつつあり、脱メチル化過程の中間産物以外の機能を持つことが示唆されている。
4.2 脳神経系細胞における様々なシトシン修飾状態とその機能<br>メチルシトシンがten-eleven translocation (TET)蛋白質によって酸化されたハイドロキシメチルシトシン(5-hydroxymethylcytosine, 5-hmc)が脳神経系細胞に豊富に含まれることが近年明らかにされた。その後、TET存在下でカルボキシルシトシン(5-carboxylcytosine, 5-cac)、フォルミルシトシン(5-formylcytosine, 5-fc)が生成されることが報告されている。これら多様なシトシン修飾は、分裂しない神経細胞における脱メチル化過程の中間産物であると考えられている。盛んに分裂する細胞では、維持メチラーゼの活性が抑制され、メチル化されていない細胞が増加することによる脱メチル化が見られ、passive demethylationと呼ばれている。これに対し、5-hmcを介したシトシンへの脱メチル化は、active demethylationであると考えられており、哺乳類では確認されていなかった。現在提唱されているモデルでは、5-fcから5-cacに変換された後、未同定のcarboxylaseによって再びシトシンに変換されるか、5-fcあるいは5-cacがactivation-induced cytidine deaminase (AID)やpolipoprotein B mRNA editing enzyme catalytic polypeptide (APOBEC)の作用によりチミンに変換され、thymine-DNA glycosylase (TDG)や他のDNA修復関連酵素群による塩基除去修復系によってシトシンに戻るモデルなどが提案されている。また、多くのMBDは5-hmcに結合しないことがin vitroで示されてきたが、近年MeCP2が5-hmcに結合することが明らかにされ、また、5-hmc結合蛋白質のスクリーニングも進みつつあり、脱メチル化過程の中間産物以外の機能を持つことが示唆されている。
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