「顔表情認知」の版間の差分

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<font size="+1">[http://kyouindb.iimc.kyoto-u.ac.jp/j/rX6iK 澤田 玲子]、[http://researchmap.jp/read0091864 佐藤 弥]</font><br>
''京都大学 霊長類研究所''<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2013年3月7日 原稿完成日:2013年3月18日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0048432 定藤 規弘](自然科学研究機構 生理学研究所 大脳皮質機能研究系)<br>
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英:Facial expression recognition 独:Erkennung von Gesichtsausdrücken 仏:reconnaissance des expressions faciales
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 顔表情認知とは、他者の顔の表情から[[情動]]を認識・処理することを指す。行動研究から、顔表情はすばやく認識されることや、顔表情認知には様々な処理が関与することが示されている。また、神経科学研究から、顔表情認知には[[上側頭溝]]や[[扁桃体]]といった様々な脳部位が関与し、そうした脳部位の活動が数百ミリ秒以内というすばやい段階で起こることが示されている。  
 顔表情認知とは、他者の顔の表情から[[情動]]を認識・処理することを指す。行動研究から、顔表情はすばやく認識されることや、顔表情認知には様々な処理が関与することが示されている。また、神経科学研究から、顔表情認知には[[上側頭溝]]や[[扁桃体]]といった様々な脳部位が関与し、そうした脳部位の活動が数百ミリ秒以内というすばやい段階で起こることが示されている。  
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== 行動研究 ==
== 行動研究 ==
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 顔表情認知は対人コミュニケーションにおいて重要な役割を果たす。Mehrabian (1972)は、表情や声のトーンやメッセージの内容を変えて、聞き手が受ける好意度を調べた<ref>'''Albert Mehrabian'''<br>Nonverbal communication. <br>Nebraska symposium on motivation, 1971: Vol. 19. (pp. 107-161).<br>In J.K. Cole (Ed.), Lincoln, NE: University of Nebraska Press</ref>。その結果、メッセージの内容と声のトーンが与えた影響はそれぞれ7%と38%であったのに比べ、表情が与えた影響は55%と大きいものであったことを報告している。  
 顔表情認知は対人コミュニケーションにおいて重要な役割を果たす。Mehrabian (1972)は、表情や声のトーンやメッセージの内容を変えて、聞き手が受ける好意度を調べた<ref>'''Albert Mehrabian'''<br>Nonverbal communication. <br>Nebraska symposium on motivation, 1971: Vol. 19. (pp. 107-161).<br>In J.K. Cole (Ed.), Lincoln, NE: University of Nebraska Press</ref>。その結果、メッセージの内容と声のトーンが与えた影響はそれぞれ7%と38%であったのに比べ、表情が与えた影響は55%と大きいものであったことを報告している。  


 顔表情に示される基本情動(例えば恐怖や幸福)は的確に認識され、これは文化を超えて[[wikipedia:ja:ヒト|ヒト]]に普遍的な信号であることが示されている。例えば、Ekman &amp; Friesen (1971)は、[[wikipedia:ja:西洋人|西洋人]]との接触が少ない[[wikipedia:ja:パプアニューギニア人|パプアニューギニア人]]を対象に、西洋人の表情写真に対する認識成績を調べた。その結果、ほとんどの表情を偶然より高いレベルで認識した<ref><pubmed>5542557</pubmed></ref>。  
 顔表情に示される基本情動(例えば恐怖や幸福)は的確に認識され、これは文化を超えて[[wikipedia:ja:ヒト|ヒト]]に普遍的な信号であることが示されている。例えば、Ekman &amp; Friesen (1971)は、[[wikipedia:ja:西洋人|西洋人]]との接触が少ない[[wikipedia:ja:パプアニューギニア|パプアニューギニア人]]を対象に、西洋人の表情写真に対する認識成績を調べた。その結果、ほとんどの表情を偶然より高いレベルで認識した<ref><pubmed>5542557</pubmed></ref>。  


 顔表情認知においては、情動の認識に加えて、様々な処理が遂行される。例えば、表情を見たとき、注意が引きつけられ<ref><pubmed>3397866</pubmed></ref>、主観的および身体的な情動反応が喚起され<ref>'''Björn H.Johnsen, Julian F. Thayer, Kenneth Hugdahl'''<br>Affective judgment of the Ekman faces: A dimensional approach. <br>''J Psychophysiol'', 1995, 9; 193-202.</ref>、表情模倣が起こる<ref><pubmed>16780824</pubmed></ref>ことが示されている。
 顔表情認知においては、情動の認識に加えて、様々な処理が遂行される。例えば、表情を見たとき、注意が引きつけられ<ref><pubmed>3397866</pubmed></ref>、主観的および身体的な情動反応が喚起され<ref>'''Björn H.Johnsen, Julian F. Thayer, Kenneth Hugdahl'''<br>Affective judgment of the Ekman faces: A dimensional approach. <br>''J Psychophysiol'', 1995, 9; 193-202.</ref>、表情模倣が起こる<ref><pubmed>16780824</pubmed></ref>ことが示されている。


 また、顔表情認知は、すばやく、意識下の段階で遂行されることが示されている。例えば、Murphy &amp; Zajonc (1993)は、怒りあるいは幸福の表情を意識的には見えないように短時間だけ呈示し、直後に無関係な図形を呈示してこれに対する好意度評定を求めた<ref><pubmed>8505704</pubmed></ref>。その結果、直前に怒り表情が呈示されていた場合には図形に対する好意度評定が低下するといった影響を示している。  
 また、顔表情認知は、すばやく、意識下の段階で遂行されることが示されている。例えば、Murphy &amp; Zajonc (1993)は、怒りあるいは幸福の表情を意識的には見えないように短時間だけ呈示し、直後に無関係な図形を呈示してこれに対する好意度評定を求めた<ref><pubmed>8505704</pubmed></ref>。その結果、直前に怒り表情が呈示されていた場合には図形に対する好意度評定が低下するといった影響を示している。


==関与する脳部位  ==
==関与する脳部位  ==
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 顔表情認知の神経メカニズムについては、残されている問題も多くある。例えば、現状では、顔における表情認知と人物認知の関係は明らかではない<ref><pubmed>16062171</pubmed></ref>。脳損傷研究の知見から、表情認知と人物認知が独立の神経基盤で実現されると提案された<ref><pubmed>3756376</pubmed></ref>が、脳損傷の影響の解離は必ずしも明確ではない。また、脳部位と情動カテゴリの関係も不明である。機能的脳画像研究が開始された当初は、扁桃体が恐怖表情の処理に特異的に関与する可能性が示唆された<ref><pubmed>8893004</pubmed></ref>が、現在では扁桃体は他の不快情動や快情動の表情の処理にも関わることが示されている。さらに、各部位がどのような機能的ネットワークを形成しているかは明らかではない。[[大脳皮質|皮質]]下および皮質上の経路があるなど、並列かつ階層的な神経ネットワークが関与することが示唆される<ref><pubmed>12740580</pubmed></ref>。こうした問題について、今後のさらなる研究が望まれる。  
 顔表情認知の神経メカニズムについては、残されている問題も多くある。例えば、現状では、顔における表情認知と人物認知の関係は明らかではない<ref><pubmed>16062171</pubmed></ref>。脳損傷研究の知見から、表情認知と人物認知が独立の神経基盤で実現されると提案された<ref><pubmed>3756376</pubmed></ref>が、脳損傷の影響の解離は必ずしも明確ではない。また、脳部位と情動カテゴリの関係も不明である。機能的脳画像研究が開始された当初は、扁桃体が恐怖表情の処理に特異的に関与する可能性が示唆された<ref><pubmed>8893004</pubmed></ref>が、現在では扁桃体は他の不快情動や快情動の表情の処理にも関わることが示されている。さらに、各部位がどのような機能的ネットワークを形成しているかは明らかではない。[[大脳皮質|皮質]]下および皮質上の経路があるなど、並列かつ階層的な神経ネットワークが関与することが示唆される<ref><pubmed>12740580</pubmed></ref>。こうした問題について、今後のさらなる研究が望まれる。  
==関連項目==
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== 引用文献 ==
== 引用文献 ==
<references />
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(執筆者:澤田玲子、佐藤弥 担当編集委員:定藤規弘)