「養育行動の神経回路」の版間の差分

 
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<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0118097 黒田 公美]</font><br>
''独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター''<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2012年2月24日 原稿完成日:2012年6月13日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/hitoshiokamoto 岡本 仁](独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター)<br>
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英語名 : neural circuit of parental behavior  
英語名 : neural circuit of parental behavior  


類義語 : 母性行動、子育て、親行動、Maternal behavior, Nurturing behavior  
類義語 : 母性行動、子育て、親行動、Maternal behavior, Nurturing behavior  


{{box|text=
 養育行動(parental behavior)とは「子(offspring)の生存可能性を高めるような親(parent)の行動」の総称である。本稿では[[wikipedia:JA:哺乳類|哺乳類]]、特に[[wikipedia:JA:ラット|ラット]]・[[wikipedia:JA:マウス|マウス]]の養育行動とその神経回路機構について解説する。詳細や哺乳類以外の養育行動については文献<ref name="ref1">'''Rosenblatt, J. S. and C. T. Snowdon, Eds. '''<br>Parental care: Evolution, mechanism, and adaptive significance<br>''Academic press.'', San Diego, 1996</ref> <ref>'''Krasnegor, N. A. and R. S. Bridges'''<br>Mammalian parenting: biochemical, neurobiological, and behavioral determinants<br>''Oxford UP'' , New York, 1990</ref>や、Wikipediaの[[wikipedia:JA: 動物の子育て|動物の子育て]]の項目を参照されたい。  
 養育行動(parental behavior)とは「子(offspring)の生存可能性を高めるような親(parent)の行動」の総称である。本稿では[[wikipedia:JA:哺乳類|哺乳類]]、特に[[wikipedia:JA:ラット|ラット]]・[[wikipedia:JA:マウス|マウス]]の養育行動とその神経回路機構について解説する。詳細や哺乳類以外の養育行動については文献<ref name="ref1">'''Rosenblatt, J. S. and C. T. Snowdon, Eds. '''<br>Parental care: Evolution, mechanism, and adaptive significance<br>''Academic press.'', San Diego, 1996</ref> <ref>'''Krasnegor, N. A. and R. S. Bridges'''<br>Mammalian parenting: biochemical, neurobiological, and behavioral determinants<br>''Oxford UP'' , New York, 1990</ref>や、Wikipediaの[[wikipedia:JA: 動物の子育て|動物の子育て]]の項目を参照されたい。  
 
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== 哺乳類養育行動の要素  ==
== 哺乳類養育行動の要素  ==
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=== 母親による出産後の養育行動(母性行動) ===
=== 母親による出産後の養育行動(母性行動) ===


 マウス・ラットの母親は一回の出産で5-10匹前後の仔を次々と[[wikipedia:JA:出産|出産]]し、仔に付着している羊膜や[[wikipedia:JA:臍帯|臍帯]]、胎盤などを取り除く。出産が終わると、用意していた巣の中に仔を集め、仔の上にまたがって[[wikipedia:JA:授乳|授乳]]し保温する。このように複数の要素からなる一連の行動が[[wikipedia:JA:妊娠|妊娠]]中から出産直前に誘導され、少なくとも授乳中は維持される。
 マウス・ラットの母親は一回の出産で5-10匹前後の仔を次々と[[wikipedia:JA:出産|出産]]し、仔に付着している羊膜や[[wikipedia:JA:臍帯|臍帯]]、胎盤などを取り除く。出産が終わると巣の中で仔を集め、仔の上にまたがって[[wikipedia:JA:授乳|授乳]]し保温する。このように複数の要素からなる一連の行動が[[wikipedia:JA:妊娠|妊娠]]中から出産直前に誘導され、少なくとも授乳中は維持される。


=== 母親以外による養育行動 ===  
=== 母親以外による養育行動 ===  


 哺乳類の場合、95%以上の種の父親は直接には仔を養育しないが、母子を含む群れ全体をオスが警護するなどにより、間接的に母子を保護する行動はしばしば見られる。また、一部の[[wikipedia:JA:霊長類|霊長類]]([[wikipedia:JA:マーモセット|マーモセット]]、[[wikipedia:JA:オマキザル|オマキザル]])や[[wikipedia:JA:齧歯類|齧歯類]]([[wikipedia:JA:ビーバー|ビーバー]]、マウス)、[[wikipedia:JA:食肉類|食肉類]]([[wikipedia:JA:キツネ|キツネ]]・[[wikipedia:JA:タヌキ|タヌキ]])などの種においては、父親も母親同様に哺乳を除く養育を行う。また、年長の同胞や自らの繁殖を終えた高齢のメス個体がヘルパーとして育児に参加する場合もある<ref>'''Hrdy, S. B.'''<br>Mother nature: Maternal instincts and how they shape the human species(邦題『マザーネイチャー:「母親」はいかにヒトを進化させたか』)<br>''Ballantine Books'' , 1999</ref>。   
 哺乳類の場合、95%以上の種の父親は直接には仔を養育しないが、母子を含む群れ全体をオスが警護するなどにより、間接的に母子を保護する行動はしばしば見られる。また、一部の[[wikipedia:JA:霊長類|霊長類]]([[マーモセット]]、[[wikipedia:JA:オマキザル|オマキザル]])や[[wikipedia:JA:齧歯類|齧歯類]]([[wikipedia:JA:ビーバー|ビーバー]]、マウス)、[[wikipedia:JA:食肉類|食肉類]]([[wikipedia:JA:キツネ|キツネ]]・[[wikipedia:JA:タヌキ|タヌキ]])などの種においては、父親も母親同様に哺乳を除く養育を行う。また、年長の同胞や自らの繁殖を終えた高齢のメス個体がヘルパーとして育児に参加する場合もある<ref>'''Hrdy, S. B.'''<br>Mother nature: Maternal instincts and how they shape the human species(邦題『マザーネイチャー:「母親」はいかにヒトを進化させたか』)<br>''Ballantine Books'' , 1999</ref>。   


 ラット・マウスでは、未交配のメスを仔と同居させると、はじめは見慣れない仔に拒否的行動をとる場合もあるが、次第に慣れて巣づくりし、仔を巣に集め、保温したりグルーミングしたりするようになる<ref><pubmed> 5611028 </pubmed></ref>。未交配の成体オスは仔を攻撃することが多いが、交配し父親になると仔への攻撃は抑制され養育するようになる<ref><pubmed>7058349</pubmed></ref>。この行動変化は、オスの繁殖効率を上げる点で適応的であると考えられている。(Wikipediaの[[wikipedia:JA: サラ・ブラファー・ハーディ|サラ・ブラファー・ハーディ]]の項目参照)
 ラット・マウスでは、未交配のメスを仔と同居させると、はじめは見慣れない仔に拒否的行動をとる場合もあるが、次第に慣れて巣づくりし、仔を巣に集め、保温したりグルーミングしたりするようになる<ref><pubmed> 5611028 </pubmed></ref>。未交配の成体オスは仔を攻撃することが多いが、交配し父親になると仔への攻撃は抑制され養育するようになる<ref><pubmed>7058349</pubmed></ref>。このようなオスの行動は、自身の繁殖を促進するためであると考えられている。(Wikipediaの[[wikipedia:JA: サラ・ブラファー・ハーディ|サラ・ブラファー・ハーディ]]の項目参照)


== 養育本能の神経回路機構  ==
== 養育本能の神経回路機構  ==
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=== 仔の認識  ===
=== 仔の認識  ===


 多くの哺乳類では、子どもからの匂い([[嗅覚]])や鳴き声([[聴覚]])、また子どもとの接触([[触覚]])などの複数の知覚情報が脳内で統合され、「これは子どもだ」という認識が生まれると考えられる。例えばラットにおいて、嗅覚・聴覚・視覚のうち単独の知覚遮断では養育行動は阻害されない。ただしマウスの養育行動はラットに比べ嗅覚に依存する部分が大きい。
 多くの哺乳類では、子どもからの匂い([[嗅覚]])や鳴き声([[聴覚]])、また子どもとの接触([[触覚]])などの複数の知覚情報が脳内で統合され、「これは子どもだ」という認識が生まれると考えられる。例えばラットにおいて、嗅覚・聴覚・視覚のうち単独の知覚遮断では養育行動は阻害されない。ただしマウスはかなり嗅覚に依存するなど、種によって仔の認知に必要な感覚は異なる。


=== 行動選択  ===
=== 行動選択  ===


 子を認識しても必ず養育するわけではない。上述のようにオスマウスでは交尾の前後で子に対し正反対の行動を取る。また、季節性[[wikipedia:JA:繁殖|繁殖]]をする哺乳類では、繁殖期になると突然子どもの世話をやめ、巣から追い出したり攻撃したりする場合もある。従って動物は、子からの知覚刺激と、自分や周囲の状況に関する情報を統合して、子に対する行動を選択すると考えられる。養育とくにレトリービング行動の制御を担うもっとも重要な領域は、[[視床下部]](hypothalamus)の吻側に位置する[[内側視索前野]](medial preoptic area、MPOA)(図1、赤線部)である<ref><pubmed>3555225</pubmed></ref>。その根拠は次の3点で、MPOAよりもこれらの条件をよく満たす脳領域はほかに見つかっていない。  
 子を認識しても必ず養育するわけではない。上述のようにオスマウスでは交尾の前後で幼若個体に対し正反対の行動を取る。また、季節性[[wikipedia:JA:繁殖|繁殖]]をする哺乳類では、繁殖期になると突然子どもの世話をやめ、巣から追い出したり攻撃したりする場合もある。従って動物は、子からの知覚刺激と、自分や周囲の状況に関する情報を統合して、子に対する行動を選択すると考えられる。養育、とくに子運び(レトリービング)行動の制御を担うもっとも重要な領域は、[[視床下部]](hypothalamus)の吻側に位置する[[内側視索前野]](medial preoptic area、MPOA)(図1、赤線部)である<ref><pubmed>3555225</pubmed></ref>。その根拠は次の3点で、MPOAよりもこれらの条件をよく満たす脳領域はほかに見つかっていない。  


# MPOAの選択的破壊はレトリービングを特異的に阻害する。  
# MPOAの選択的破壊はレトリービングを特異的に阻害する。  
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<references />
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(執筆者:黒田公美 担当編集委員:岡本仁)