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マインドリーディングとも密接に関わる問題であり、外部から当人の考えや意志決定などを操作することを意味する<ref name=ref9>'''神谷之康'''<br>マインドリーディングの原理と倫理<br>''脳21''、11(2): 28-32, 2008</ref><ref name=ref11>'''川人光男, 佐倉統'''<br>ブレイン・マシン・インタフェースBMI倫理4原則の提案<br>''現代化学''、471:21-25, 2010</ref>。特に、当人の望まない状況下での心や思考の操作が問題となる。マインドコントロールもマインドリーディングも、現在の脳神経科学では「本当の意味での人間の精神活動の機微を捉えている段階ではない」という点にも留意が必要である。 | |||
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2014年12月25日 (木) 09:57時点における版
礒部 太一、佐倉 統
東京大学
DOI:10.14931/bsd.4041 原稿受付日:2013年8月18日 原稿完成日:2014年月日
担当編集委員:入來 篤史(独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター)
英語名:neuroethics
同義語:神経倫理学、脳倫理、ニューロエシックス
現在の脳神経倫理学は、ヒトを対象とした脳機能画像研究、ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)技術を始め、人間の精神活動や高次脳機能への介入型研究が格段に進展したことを受けて、2000年頃からその重要性が指摘され始めた領域を指す。脳神経倫理学は通常、「脳神経科学の倫理学」、「倫理の脳神経科学」、「脳神経科学と社会」という3つの側面を持つ。脳神経倫理学は、脳神経科学研究の発展に伴う倫理的・社会的問題を扱う学問領域である。生命倫理や医療倫理と密接な関係がある応用倫理学の一分野であり、学際的な領域であるが、脳神経科学がもたらす新たな倫理的・社会的課題について対応するという理由から、生命倫理学などとは異なる新たな学問分野として位置づけるべきという考えが示されている。学問分野としての歴史は浅いが、近年、学術雑誌の刊行や学会の設立など学問領域としての制度化が進んでいる状況であり、今後の脳神経科学のさらなる発展を念頭に置いた場合、脳神経倫理学の重要性が増していくことは確実であろう。
背景と概要
脳神経倫理学とは、脳神経科学研究の発展に伴う倫理的・社会的問題を扱う学際的で実践的な学問領域である[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8]。生命倫理や医療倫理と密接な関係がある応用倫理学の一分野であるが、脳神経科学がもたらす新たな倫理的・社会的課題について対応するという側面から、生命倫理学などとは異なる新たな学問分野として位置づけられることが通常である[5]。現在の脳神経倫理学は、ヒトを対象とした脳活動の画像解析技術が格段に進歩したことを受けて、2000年頃からその重要性が指摘され始めた領域を指す。原語は「Neuroethics」であり、日本語においては「神経倫理学」、「脳倫理」などと称されることもあるが、脳と神経の両方を対象とすることを強調するため、本項目では「脳神経倫理学」とする。
近年の脳神経科学研究の発展としては、例えば、以下のようなものが挙げられる。ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)のような外部機器と脳を接続することで、リハビリや医療応用を目指すもの。脳神経科学と経済学の交錯領域として、脳神経経済学(ニューロエコノミクス)と呼ばれる領域が隆盛してきている。従来の経済学は経済理論、数理モデル、統計を駆使したものが主流であったが、経済学と脳神経科学の融合により、経済学的モデルに対して脳神経科学アプローチによる研究が行われるようになってきた。例えば、不確実な状況下における人間の意志決定に際して、脳内メカニズムの解明を試みるなどの研究がある。将来的には、脳内メカニズムの解明結果を用いて、人間の意志決定の場面などにおいて外部からの意志のコントロールなどの可能性を含んでおり、社会との接点において倫理的・社会的にも注視に値する。また、脳神経マーケティング(ニューロマーケティング)と呼ばれる、脳神経経済学とも密接に関連する領域も研究が盛んである。この研究分野においては、マーケティングという、より実践的で日常的な場面での意志決定などへの脳神経科学的アプローチを用いた研究が行われるようになってきている。例えば、商品の選好場面において、その個人はどのような脳内状態であるのかを明らかにするような研究がある。より実践的には、企業のマーケティング戦略において、購買意欲を駆り立てるような商品開発や広報の方法の仕方などへの応用も視野に入れられている。そのため、社会との接点においては、企業マーケティングにおいて従来の広告などの手法に加えてより消費者への働きかけが強くなる可能性もあるため、脳神経経済学(ニューロエコノミクス)よりもさらに注意が必要である。また、脳神経科学と法学の接点として、裁判において被疑者や証人の脳状態が証拠となりうる可能性を模索する、脳神経法学と呼ばれる領域も近年の研究は盛んである。精神鑑定やDNA判定が裁判での有力な証拠となるように、被疑者や証人の脳状態もまた裁判の証拠として採用される可能性がある。例えば、脳神経科学研究における脳画像診断によって、被疑者の責任の有無に影響を与えることが想定される。一方で、証人や被疑者の脳状態を法廷での判断材料とすることには、信頼性などの面で時期尚早であるという批判も強い。またこの問題は自由意志と責任帰属の問題とも密接に関連し、当人自体と当人の脳状態によってどこまで責任が当人自体に帰属されるのかということに関わる事項である[7] [9]。
具体的な問題事例
通常、脳神経倫理学は、「脳神経科学の倫理学」と「倫理の脳神経科学」という2つの側面を有するとされることが多いが、3つ目の側面として「脳神経科学と社会」を含んで定義されることもある。これらは相互に密接な関係にあるが、下記では、3つの側面の概要と、それらに含まれる具体的な問題について述べる(一覧については、表1を参照)。ただし、脳神経倫理学が扱う問題事例は、他の応用倫理学領域である生命倫理や医療倫理と一部重複する部分(インフォームド・コンセント、安全性、研究倫理など)があるが、対象とする臓器が脳であるという理由から特異的であり社会的な影響も大きいため、従来の生命倫理などの枠組みだけでは対応しきれないと考えられる。そのため、他の応用倫理学分野と重複している問題群についても、以下の個別項目の説明の箇所において、脳神経倫理に関連する事項の説明を追加しながら紹介することにする。
脳神経倫理学の概要 | 具体的事例(これらは一例である、すべての課題を網羅したものではない) |
1.脳神経科学の倫理学 | 人間の概念の変容 |
エンハンスメント(能力増強、補綴) | |
マインドリーディング | |
マインドコントロール | |
自由意志と責任帰属 | |
研究における偶発的発見 | |
実験参加者・患者保護とインフォームド・コンセント(IC) | |
安全性 | |
患者選定 | |
脳科学などの教育への応用の問題 | |
軍事利用(デュアルユース) | |
脳バンク | |
2.倫理の脳神経科学 | 倫理のメカニズム解明 |
信仰の脳内メカニズム | |
価値規範の脳内メカニズム | |
価値判断の脳内メカニズム | |
3.脳神経科学と社会 | エンターテイメントにおける問題 |
メディアに関する問題 | |
疑似科学化の問題 | |
神経神話 | |
専門家と社会のコミュニケーションの問題 | |
教育と脳神経科学 |
脳神経科学の倫理学
脳神経科学の発展に伴い生じる倫理的・社会的問題について検討・対処することを指す。一般的に脳神経倫理学と言う場合、1つ目の側面である「脳神経科学の倫理学」を指すことが多い。以下で具体的問題事例を紹介する。
基礎的・哲学的問題
人間の概念の変容
脳神経科学技術を用いることで、本来の人間とはいかなるものかという概念が変容することに関する問題。哲学的議論の中では、拡張された心の理論(extended mind theory)などによって議論が展開されており、例えば、脳神経科学技術を用いた外部機器が、記憶などの人間の精神活動に関わる高次脳機能の補助的役割を担うことは、当人の脳を延長した一部として捉えることが出来るのではないか、ということが問題となる[9]。つまり、このような外部機器が記憶の補助を行うことで、どこからどこまでが人間の脳(心)なのかという線引きが曖昧になり、本来の人間の脳(心)の位置づけや意味合いに変容がもたらされる可能性がある。
エンハンスメント[5]
別名、能力増強や補綴とも呼ばれる。記憶力や集中力などの認知機能を高める薬物や機械などを使用することで、もともとその個人が持っていた能力を増強することを意味する。病気などの場合に平均的なレベルにまで症状を改善する治療とは異なり、元々の平均的なレベルからさらに能力を底上げすることを指す。スポーツの世界では肉体的能力を増強するためにドーピングが行われることがあるが、エンハンスメントはより広義に認知機能なども含んで増強を目的とするものである。アメリカでは、中枢神経刺激薬のメチルフェニデート(商品名:リタリン)を使用して学習効果を増強する行為が問題視され、議論の発端になった。
マインドリーディング
外部から当人が考えていることなどを読み取ることを意味する。特に、当人の望まない状況下での心や思考の読み取りが問題となる。心や思考の読み取りに関しては、現行では、嘘発見器などの心理学的手法のものが主流であるが、最近ではブレイン・マシン・インターフェース(BMI)などの技術を用いて脳の状態から心や思考の読み解きが行われる状況が想定される[10]。
マインドコントロール
マインドリーディングとも密接に関わる問題であり、外部から当人の考えや意志決定などを操作することを意味する[10][11]。特に、当人の望まない状況下での心や思考の操作が問題となる。マインドコントロールもマインドリーディングも、現在の脳神経科学では「本当の意味での人間の精神活動の機微を捉えている段階ではない」という点にも留意が必要である。
自由意志と責任帰属
人間が自由意志を有しているのかについては哲学史上、長い議論の歴史がある。脳神経科学の発展によって、自由意志と責任帰属の問題は日常生活にまで影響を及ぼす可能性がある。これは、当人自体と当人の脳状態によってどこまで責任が当人自体に帰属されるのかということに関わる問題であり、特に裁判過程などにおいて被疑者の脳状態によって責任帰属の問題が生じるなど、法的な諸手続の際に具体的な問題が生じる可能性がある。「裁判における脳神経科学」には「(裁判官および陪審員等への)量刑判断に対する脳神経科学的知見提示の影響」という要素と「被疑者の脳神経学的症状の科学的分析結果を法廷に持ち込むことの是非」という 2 つの要素がある。
臨床・応用的問題
最初に述べたように、特に臨床・応用的問題に関しては、他の応用倫理学領域である生命倫理や医療倫理と一部重複する部分があるが、対象とする臓器が脳であるという理由から特異的であり社会的な影響も大きいため、以下では脳神経倫理固有の側面の説明を追加しながら紹介することにする。
研究参加における偶発的所見
臨床検査や治療の過程ではなく研究段階の実験参加者の脳画像に異変が偶然発見されることを指し、どこまで実験参加者にその結果をフィードバックするのか、とくに実験者が医師でない場合の判断基準が難しいとされる。現在では、MRI画像読影時にこの問題が生じる可能性が高く、どのような対処が妥当なのか検討されている。また関連して、実験参加者が研究に参加していることで検査や治療の機会だと誤解し、そのことを過剰に期待する「治療的誤認(therapeutic misconception )」も問題となっている。このことは、MRIの発展や普及を背景とし、医師免許保有者以外の研究者(脳神経科学者や言語学者など)が研究を行うことで対応が必要になってきた。
実験参加者・患者保護とインフォームド・コンセント(IC)
実験参加者や患者にどのように事前説明を行い、彼/彼女らを保護するのかに関わる問題である。実験参加者保護の問題は、生命倫理学や研究倫理などでも長年議論されており、研究か治療であるかを問わず、実験参加者や患者へどのように事前説明を行い承諾を得るのか、またICによって実験参加者や患者はどのように保護されるべきかに関する問題である。研究開始前の機関倫理審査委員会(IRB)への承認手続きや、研究遂行中の実験参加者へのインフォームド・コンセントを含む説明責任や配慮、研究終了後のデータ保管の方法などに関するものなどがある。特に脳神経疾患を伴う患者、実験参加者の「同意能力の判断基準」と「同意能力をもたないヒトの実験協力に関するインフォームドコンセントのあり方」は脳神経倫理特有の問題であるため、生命倫理学や研究倫理の蓄積を踏まえた上での対応が必要不可欠である。また、上記で述べた「偶発的所見」と関わるが、偶発的所見が見つかった際に、その結果を実験参加者に返却するのか否か、もし返却するのであればどの程度の異変であれば行うのかについてICの段階で事前説明を充分に行い、実験参加者などから承諾をえる必要がある。
安全性
研究や治療で使用する器具などの技術的な安全性の問題。例えば、その原因は治療を施した後での経年変化や経年劣化などに起因することが多いが、長期使用においては脳の可塑性への影響も懸念されるため、一概に技術的な進展によってのみでは解決できる問題ではない[12]。
患者選定
脳神経科学技術を用いたリハビリやコミュニケーションツールの使用が有効に働くのかについては、患者の状態や個人差が大きく影響するため、どのような状態の患者に適用することが望ましいのかという難しさがある[12]。
その他の問題
軍事利用(デュアルユース)
軍事目的において脳神経科学研究を発展させる、あるいは実用することに関する問題。例えば、ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)などの技術を、兵士の戦闘力を上げるために使用することに関する問題。また、デュアルユースとは、民間で研究開発されたものが軍事利用されるような二重の方法で使用されることを指す[13] [11]。
脳バンク
ゲノムバンクなどと同様に、個人の脳情報を蓄積することに関する問題。脳情報取得のインフォームド・コンセント(IC)や、脳情報の秘匿性や保管に関する問題[14]。
倫理の脳神経科学
倫理判断のメカニズム解明
人間が倫理的な判断を下す際のメカニズムなどを脳神経科学的に解明することを意味する。人間の倫理判断については、これまで倫理学や哲学において主に議論が行われてきたが、近年では、脳神経学技術の発展により、人間の倫理判断メカニズムを脳神経科学の手法を用いて明らかにすることが試みられるようになっている。有名な研究事例としては、トロッコ問題[15]がある。これは、1人の命を犠牲にすれば、トロッコに轢かれそうな複数の人の命を助けることができる状況下において、どのような判断を下すのか、またその際の脳内メカニズムはどのような状態になっているのかということを明らかにするために設定された課題である。また、情状酌量に関わる脳内機構についても重要な事例であろう。
信仰の脳内メカニズム
宗教への信仰は人類史上において長い歴史を持つが、近年では、宗教への信仰の脳内メカニズムについて脳神経科学的手法を用いて明らかにしようとする研究が行われている。また、信仰と密接な関係にある神の認識についても研究が進んでいる状況である。崇高な宗教心や修行について、科学的手法を用いてその状態を把握することには宗教団体や信者の中からの反発心を引き起こす懸念も想定される。その一方で、これまで不透明であった、宗教体験や解脱などについて客観的手法でその様態を提示することは、社会の中の宗教のあり方に影響を及ぼすことも予想される[5]。
価値規範の脳内メカニズム
先に述べた「倫理判断のメカニズム解明」とも密接に関わるが、真・善・美などの判断・評価・行為などの基準となるべき原則についても、脳神経科学的手法を用いての研究がなされている。真・善・美などの基準は、人間社会における倫理判断を含む様々な側面の基盤となるものであるため、それらが慣習的な経験から形成されているというだけではなく、どのような脳内メカニズムによって体現化されているのかまで明らかになることが期待される。その一方で、真・善・美などの判断などには文化的・社会的な要因の影響が想定されるため、比較研究などの視点からの研究も必要であると予測される[16]。
価値判断の脳内メカニズム
価値判断とは、貨幣価値に代表される物的あるいは物欲的な価値などであり、それらと関連する脳内メカニズムがどのような働きをしているのかに関する研究である[16]。
脳神経科学と社会
脳神経科学と社会の関係がいかにあるべきかということを検討し、その方策を提示することを意味する。近年では、サイエンスコミュニケーションやアウトリーチの文脈において活発的に必要性が指摘されるようになった[17]。
エンターテインメントにおける問題
例えば、脳を鍛える大人のDSトレーニングはニンテンドーDS用のソフトとして社会に普及したが、実際の研究データから即座に「頭をよくする」ことを言及することには誇張が含まれることが、多くの脳科学者によって指摘されている。このような脳神経科学研究を用いたエンターテインメントなどが社会に普及する際に拡大解釈が付随することに関する問題であり、脳科学的知見がエンターテインメントを通して誇張されることの問題が深刻である[18]。
メディアに関する問題
「エンターテインメントにおける問題」にも関係するが、テレビや雑誌などにおいて脳科学者を自称する人物が、実際の脳科学研究の事例を誇張や拡大解釈して紹介や説明を行うことに関する問題。また、そのようなメディア上での脳科学の説明を聞いた聴衆が、誤解や拡大解釈をもとに脳科学に関する知識を理解し受容することに関する問題[18]。
疑似科学化の問題
確たるデータや証拠がない状況で、あたかも科学らしく振る舞うことに関する問題。他の科学技術分野と同じように、脳神経科学に関しても同様の問題が生じている[18]。
神経神話
「疑似科学の問題」とも関連するが、実際には誤っている脳科学に関連する情報にも関わらず、広く社会(市民)の間で受け入れられている知識。例えば、「右脳型と左脳型の人がいる」などのような知識がそれに当たる[16]。
専門家と社会とのコミュニケーションの問題[17]
脳科学の専門家はどのように社会(市民)とコミュニケーションを取るのかに関する問題。サイエンスカフェなどの場において専門家が自身の研究内容を参加者に紹介し、対話を行う試みなどがある。特に近年、このような取り組みの必要性が指摘されるようになり、活発的にこのような取り組みが行われるようになってきている。
教育と脳神経科学
教育という側面でも、脳神経科学が大きな影響を及ぼすことが予想される。例えば、脳画像などの教育への援用の問題がある。それは、医療などでの診断以外の場である教育の現場において入学者選抜などの機会で脳画像の状態を判断基準の1つとする問題である。つまり、脳神経科学の知見による、教育現場等における社会生活上の不公平、不利益の誘発の問題と位置づけられる[1]。
脳神経倫理学の体制化・制度化
本節では、脳神経倫理学の体制化・制度化の状況を述べる。通常、学問領域の制度化は、学術専門誌、学会・協会、大学・大学院での専門家養成教育プログラム、教科書などの環境の整備が必要とされる。順に紹介することにする。
2013年現在、脳神経倫理学に関する査読付きの国際学術専門誌としては、「Neuroethics」(2008年発刊、年間3回発行、出版社:Springer、責任編集者[2014年時点]:Neil Levy)、「American Journal of Bioethics: Neuroscience」(2010年発刊、年間1回発行、出版社:Taylor & Francis、責任編集者[2014年時点]:Paul Root Wolpe)などがある。
関連する国際学会としては、「International Neuroethics Society」(現会長[2014年時点]:Barbara Sahakian)が2008年から活動を継続している。この学会は、脳神経科学に関連する倫理的・社会的問題に対応する必要性から生まれた学際的な学会であり、参加者は、哲学・倫理学分野の研究者だけではなく、医師などの医療従事者、法学者、脳神経科学者など多様なバックグラウンドを有する。また、全米神経科学学会「Society for Neuroscience (SfN)」においても脳神経倫理学に関するセッションや研究発表が行われている。日本国内においては、生命倫理学会、日本神経科学学会、科学基礎論学会などにおいて定期的に脳神経倫理学に関するセッションや発表が行われているという状況である。
大学などでの専門家養成教育プログラムとしては、北アメリカでは、ペンシルベニア大学(Center for Neuroscience and Society)、ブリティッシュコロンビア大学(National Core for Neuroethics)などで、博士課程を含めた大学院教育課程が設置され、専門家の養成が行なわれている。北米以外では、オックスフォード大学(イギリス)やマインツ大学(ドイツ)などで関連した教育が行われている。北米やヨーロッパでは正規の教育課程以外において、サマースクールなどの開講も行われるようになってきている。また、国内では、東京大学大学院情報学環や東京大学大学院総合文化研究科などで関連する教育がおこなわれている。
また、教科書としては、『The Oxford Handbook of Neuroethics』、『Neuroethics: Defining the Issues in Theory, Practice And Policy』、『脳神経倫理学の展望』などが近年相次いで出版されている状況である(詳細については参考文献参照)。
以上を総覧すると、学術分野としての脳神経倫理学は、2000年頃からのスタートという短い歴史にもかかわらず、とくに北アメリカを中心に急速に学会、教科書、教育などの制度化が進んでいると言える。また、日本国内においても、北アメリカの潮流からそれほど遅れることなく、学問的な制度化が進んでいる状況にあるといえる。
脳神経科学コミュニティ内での役割と意義
脳神経倫理学を構成する「脳神経科学の倫理学」、「倫理の脳神経科学」、「脳神経科学と社会」という3つの側面から、脳神経倫理学が脳神経科学コミュニティで果たす役割と意義を述べる。
「脳神経科学の倫理学」の果たす役割と意義
脳神経科学研究に伴う倫理・社会的問題への対処が脳神経倫理学の果たす大きな役割である。脳神経科学に関する研究は、臨床現場や応用研究において多くの倫理・社会的問題を生じさせるだけではなく、基礎科学よりの研究においても倫理・社会的問題を生じさせる可能性がある。このような倫理・社会的問題に対応した上で、その解決方策を提示することや、解決方策を導くための一定の方向性を示すことが、脳神経倫理学の役割である。
「倫理の脳神経科学」の果たす役割と意義
「倫理の脳神経科学」に関しては、脳神経科学コミュニティ内における脳神経科学的手法を用いての倫理的メカニズムの解明が主な役割となる。その際には、人間の倫理的判断に関するこれまでの倫理学・哲学的議論の蓄積を活用しながら、そのような事柄について脳神経科学が実証的手法を用いて倫理的メカニズムを明らかにするということが期待される。
「脳神経科学と社会」の果たす役割と意義
脳神経科学を取り巻く社会的状況として、脳神経科学と社会の関係の構築の必要性が、アウトリーチ、サイエンスコミュニケーションといった文脈で指摘されている。大型の研究資金においては、このような実践や研究が不可欠の要素となってきている状況があり、このような傾向は今後さらに強まるものと予測される。そのため、このような脳神経科学と社会の関係の構築においても脳神経倫理学の果たす役割はますます重要なものとなっていくと予想される。
今後の展望
今後、脳神経科学研究はこれまで以上のスピードでさらなる発展を遂げることは確実である。このことは、脳神経科学と社会の接点がより増すことを意味する。より具体的には、私たちが日常生活において脳神経科学に関係する技術や商品に触れる機会が増すということである。そのことに伴って、脳神経科学が社会にもたらす倫理的・社会的問題も量的に増加するだけではなく、質的により複雑になることが予想される。よって、脳神経科学研究の発展を受け、脳神経倫理学を学問的にも実践的にもより精緻化した上で、社会における脳神経科学研究のもたらす倫理的・社会的問題への対応を行っていくことは喫緊の課題である。このような状況を踏まえた上で脳神経科学コミュニティ内での役割と意義を勘案すると、学問分野としての歴史は浅いが、今後の脳神経科学のさらなる発展を念頭に置いた場合、脳神経科学コミュニティ内においても脳神経倫理学の重要性が増していくことは確実であろう。
関連項目
参考文献
- ↑ 1.0 1.1 Illess, J. ed.
Neuroethics: Defining the Issues in Theory, Practice And Policy.
Oxford University Press, Oxford, 2005.
(高橋隆雄、粂和彦監訳:脳神経倫理学―理論・実践・政策上の諸問題、篠原出版新社、2009.) - ↑ Illes, J., Barbara J. Sahakian, J. B., Federico, A. C., Morein-Zamir, S.
The Oxford Handbook of Neuroethics.
Oxford University Press, Oxford, 2011. - ↑
Fukushi, T., Sakura, O., & Koizumi, H. (2007).
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(梶山 あゆみ訳:脳のなかの倫理―脳倫理学序説、紀伊國屋書店、2006.) - ↑ 5.0 5.1 5.2 5.3 信原幸弘, 原塑編
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「Brain-Machine Interface (BMI) 研究開発のための倫理とガバナンス:日米における取り組みの現状と将来展望」
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タグ; name "ref15"が異なる内容で複数回定義されています - ↑ Racine, E.
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ケース・スタディ生命倫理と法 第2版
有斐閣、2012 - ↑ 10.0 10.1 神谷之康
マインドリーディングの原理と倫理
脳21、11(2): 28-32, 2008 - ↑ 11.0 11.1 川人光男, 佐倉統
ブレイン・マシン・インタフェースBMI倫理4原則の提案
現代化学、471:21-25, 2010 - ↑ 12.0 12.1 長谷川良平
侵襲型ブレイン・マシン・インターフェイスと動物実験モデル
脳21、11(2): 38-48, 2008 - ↑ 川人光男
脳の情報を読み解く BMIが開く未来
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脳バンク:精神疾患の謎を解くために
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脳ブームの社会的背景とマスメディア
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