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衝動制御障害とは、自分または他人に危害を与えるような行為をおこなう[[衝動]]に抵抗できない、自己制御の障害である。特定の衝動に対する[[制御障害]]として診断されるもののほかに、種々の[[精神疾患]]の一病像または一亜型としてみられることも多いため、衝動制御障害という診断カテゴリーの位置づけは難しく、いまだ定まっていない。衝動制御障害についての生物学的知見は限られてはいるが、衝動性を制御する脳領域として[[前頭前野眼窩部]]が知られているほか、衝動性亢進をもたらす神経化学的要因として[[セロトニン神経]]伝達の低下が注目されている。 | |||
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== 概念 == | == 概念 == | ||
衝動とは、人の心や感覚をつきうごかし、反省や抑制なしに人を行動におもむかせる心の動きである(広辞苑)。衝動は[[本能]]に準ずる原始的な脳機能であり、通常は[[意志]]や[[理性]]といったより高次の脳機能によって制御されている。しかし、制御しきれないほどの衝動や衝動の制御障害が起きると欲求がそのまま行動として現れ、無計画で暴発的、短絡的な行動がみられる。これを[[衝動行為]]といい、その行動特性、すなわち衝動行為があらわれる傾向のことを衝動性と呼ぶ。衝動制御障害において対象となる衝動はさまざまであり、自己制御が破綻することによって衝動行為としてあらわれる。 | |||
=== 衝動制御の障害と精神疾患 === | === 衝動制御の障害と精神疾患 === | ||
[[パーソナリティ障害]]をはじめとするさまざまな精神疾患において衝動の制御は障害されることがあり、[[自殺]]行動、[[自傷行為]]、[[暴力]]、[[攻撃性]]、[[反社会性行動]]などといった形で表出される。さらに、[[双極性障害]]では[[躁]]状態に伴う気分の高揚や興奮によって衝動行為に至りやすくなるほか、[[統合失調症]]では急性期にみられる[[幻覚]][[妄想]]状態により衝動行為におよぶこともある。[[注意欠如/多動性障害]]([[attention-deficit/hyperactivity disorder]]: [[ADHD]])は通常小児期に発症する疾患であるが、[[不注意]]や[[多動]]を特徴とするほかに、自分の順番を待てない、他人の会話を邪魔する、質問が終わる前に出し抜けに答え始めるなどといった衝動制御の障害もみられる<ref name=ref1>'''アメリカ精神医学会'''<br>『[[DSM-IV]] 精神疾患の診断・統計マニュアル』<br>高橋三郎・大野裕・染矢俊幸訳 <br>''医学書院''、1996年</ref>。さらに、衝動制御の障害を主症状とする疾患群は、次項に述べる衝動制御障害の診断カテゴリーに位置づけられる。 | |||
== 診断 == | == 診断 == | ||
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=== 従来のカテゴリー === | === 従来のカテゴリー === | ||
[[精神障害]]の診断マニュアル、[[DSM-Ⅳ]](Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders- | [[精神障害]]の診断マニュアル、[[DSM-Ⅳ]](Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders-Ⅳ)には「他のどこにも分類されない衝動制御の障害」というカテゴリーが存在し、[[間欠性爆発性障害]]、[[窃盗癖]]、[[放火癖]]、[[病的賭博]]、[[抜毛癖]]、[[特定不能の衝動制御の障害]]が含まれる<ref name=ref1 />。 | ||
間欠性爆発性障害とは、攻撃的衝動に抵抗できずに、ひどい暴力行為をふるったり所有物を破壊したりする病態を指し、窃盗癖、放火癖、抜毛癖、病的賭博はそれぞれ、窃盗、放火、抜毛、賭博といった行為に対する衝動の制御障害である。しかしながら、これら6疾患をまとめたカテゴリー自体が「他のどこにも分類されない」と名付けられているように、[[物質関連障害]]、[[性嗜癖異常]]、[[反社会性パーソナリティ障害]]、[[行為障害]]、統合失調症、[[気分障害]]などといった他のカテゴリーの精神疾患を除外することによってこのカテゴリーは形成されている。これは、「衝動制御の障害」が独立したカテゴリーとして存在するというよりは、さまざまな精神疾患で認められる非特異的な症候群であるという事実を示している。 | |||
=== 現在のカテゴリー === | === 現在のカテゴリー === | ||
2013年に改定された[[DSM-5]] | 2013年に改定された[[DSM-5]]では、「[[注意欠如および破壊的行動障害]]」のカテゴリーに含まれていた破壊的行動障害が抽出され、衝動制御障害と組み合わさって、「[[秩序破壊的、衝動制御・素行症群]]」という一つのカテゴリーとしてまとめられた<ref name=ref2>'''アメリカ精神医学会'''<br>『DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル』<br>日本精神神経学会日本語版用語監修・高橋三郎・大野裕監訳・染矢俊幸・神庭重信・尾崎紀夫・三村將・村井俊哉訳 <br>''医学書院''、2014年</ref>。 | ||
このカテゴリーには、[[反抗挑発症]]([[反抗挑戦性障害]])、[[間欠爆発症]]([[間欠性爆発性障害]])、[[素行症]]([[素行障害]])、反社会性パーソナリティ障害、放火症、窃盗症、[[他の特定される秩序破壊的・衝動制御・素行症]]、[[特定不能の秩序破壊的・衝動制御・素行症]]が含まれる。 | |||
一方で、DSM-Ⅳでは「他のどこにも分類されない衝動制御の障害」に含まれていた抜毛癖は、DSM-5では抜毛症として「[[強迫症および関連症群(強迫性障害および関連障害群)]]」のカテゴリーへと移行し、病的賭博は[[ギャンブル障害]]として「[[物質関連障害および嗜癖性障害群]]」のカテゴリーへと移行した。 | |||
これらの変化は、DSM-Ⅳの「他のどこにも分類されない衝動制御の障害」に含まれていた疾患群から自分への危害を中心とする疾患群を除くことにより、他者の権利の侵害や社会的規範との葛藤をもたらす情動および行動の制御障害としてまとめられ、DSM-5の「秩序破壊的、衝動制御・素行症群」というカテゴリーに組み込まれたものといえる。 | |||
=== 問題点 === | === 問題点 === | ||
診断カテゴリーの変遷からも窺えるように、衝動制御障害を独立した一カテゴリーとして捉えることが難しいだけでなく、それぞれの疾患がどのカテゴリーに位置づけられるべきかについてもいまだ定まった概念を形成するに至っていない。さらに、「衝動性」という行動特性そのものは、健常者においてもみられるものであり、どこまでを「衝動制御障害」という病的な症候として捉えるべきかという基本的な問題が存在する。 | |||
DSM-5ではそれぞれの症状の強さや頻度、持続性などによる基準が一部の疾患に設けられてはいるものの、ヒトの行動特性は年齢や性別、文化の違いなどに大きく影響を受けるものであり、また主観的にも客観的にも個人差が存在することを考慮すると、一概に線引きすることは難しい。 | |||
DSM-Ⅳの編集者でもある[[アラン・フランセス]]は、世の中には衝動性があふれていて、ほとんどは精神疾患とはみなされないものであり、衝動制御障害という診断を安易に用いることは避けねばならないと述べている<ref name=ref3>'''アレン・フランセス'''<br>『〈正常〉を救え―精神医学を混乱させるDSM-5への警告』<br>大野裕(監修)、青木創(翻訳)<br>''講談社''、2013年</ref>。 | |||
== 病態 == | == 病態 == | ||
=== 衝動制御と脳部位 === | === 衝動制御と脳部位 === | ||
衝動の制御について、脳部位との関係を考える上で[[外傷性脳損傷]]の有名な症例がある。もともと真面目な性格であった[[Gage]]は、作業中の事故で鉄の棒が上顎部から頭蓋部へ貫通した。彼の運動機能と感覚機能は障害を残さずに回復したものの、事故後に人格変化をきたし、無責任で衝動的にふるまうようになった。のちに、彼の[[wikipedia:ja:頭蓋骨|頭蓋骨]]をもとに正常[[MRI]]画像とあわせて検討した結果、おもな損傷部位は前頭前野眼窩部や[[前部帯状回]]であったことが報告された<ref name=ref4><pubmed>8178168</pubmed></ref>。現在の脳研究では、前頭前野眼窩部は[[扁桃体]]の活動を抑制し、[[情動]]を引き起こす神経回路を制御することがわかっている<ref name=ref5>'''加藤隆、加藤元一郎'''<br>衝動性の神経心理学<br>''分子精神医学'' 9(4): 311 -315、2009</ref> <ref name=ref6>'''横山正宗、鈴木映二'''<br>衝動の神経生物学<br>''臨床精神医学'' 34(2): 203 -211、2005</ref>。 | |||
=== 衝動制御とセロトニン神経伝達 === | === 衝動制御とセロトニン神経伝達 === | ||
[[セロトニン]] | [[セロトニン]]は衝動性をコントロールする代表的な神経伝達物質であり、セロトニン神経伝達が低下すると衝動性が亢進すると考えられている。衝動的な暴力行為を認める男性においてセロトニンの代謝産物である[[5-ハイドロキシインドール酢酸]](5-HIAA)が尿中で低値であるほか、パーソナリティ障害や殺人者では衝動性が高いほど[[脳脊髄液]]中5-HIAA濃度が低いことが報告されている<ref name=ref8>'''切目栄司、白川治'''<br>衝動性の神経生物学<br>''分子精神医学'' 9(4): 306 -310、2009</ref>。動物実験では、神経毒によってセロトニン神経の働きを弱められた[[ラット]]には衝動的な選択行動が増え、逆にセロトニン神経伝達が増強される[[セロトニントランスポーター]][[ノックアウトマウス]]では衝動的選択が減ると報告されている<ref name=ref8 />。 | ||
=== 衝動制御障害の生物学的知見 === | === 衝動制御障害の生物学的知見 === | ||
近代の脳科学の発展にともない、衝動性について数多くの生物学的知見がもたらされてきた一方で(脳科学辞典「衝動性」参照)、衝動制御障害のカテゴリーに含まれる各疾患についての報告は限られているが、間欠性爆発性障害やギャンブル障害については、いくつか再現性の高い知見が得られている。 | 近代の脳科学の発展にともない、衝動性について数多くの生物学的知見がもたらされてきた一方で(脳科学辞典「衝動性」参照)、衝動制御障害のカテゴリーに含まれる各疾患についての報告は限られているが、間欠性爆発性障害やギャンブル障害については、いくつか再現性の高い知見が得られている。 | ||
[[ポジトロン断層法]]([[positron emission tomography]]: [[PET]])を用いた研究により、間欠性爆発性障害は健常群に比べ、前部帯状回におけるセロトニントランスポーターが減少していること、セロトニン遊離促進薬である[[フェンフルラミン]]を投与すると[[前頭葉]]における脳代謝が低下することが報告されている<ref name=ref7><pubmed>22535310</pubmed></ref>。 | |||
末梢血においても、[[wikipedia:ja:血小板|血小板]]のセロトニントランスポーターが減少していることや、[[プロラクチン]]分泌量を指標とした試験でフェンフルラミン投与による反応が低下していることが報告されており、間欠性爆発性障害ではセロトニン神経伝達の機能が低下していることが推測される<ref name=ref7 />。また課題による賦活をみた[[脳機能画像研究]]では、同疾患は健常群に比べ、怒りの表情を提示された際の前頭前野眼窩部の賦活が乏しい一方で、扁桃体の賦活が強いことが[[functional MRI]]を用いた研究で報告されている<ref name=ref7 />。こういった間欠性爆発性障害にみられる所見は、セロトニン神経伝達の低下や前頭前野眼窩部の障害といった衝動性を亢進させる所見に類似していることから、間欠性爆発性障害は生物学的にも衝動性との関連が深いと推測される。 | |||
ギャンブル障害の患者では、脊髄液中における[[ノルアドレナリン]]の代謝物の増加および尿中のノルアドレナリンの増加<ref name=ref9><pubmed>2451490</pubmed></ref>、脳脊髄液におけるセロトニン代謝物の減少<ref name=ref10><pubmed>23541597</pubmed></ref>、腹側線条体を中心とする[[ドーパミン]]系ニューロンの機能異常<ref name=ref10 /> <ref name=ref11><pubmed>24723865</pubmed></ref>など、幅広い神経伝達系での異常が報告されている。これらの異常はそれぞれ、[[ノルアドレナリン]]系は興奮に、セロトニン系は衝動制御に、ドーパミン系は報酬に関わると考えられている<ref name=ref10 />。ただし、ギャンブル障害はDSM-5では「物質関連障害および嗜癖性障害群」のカテゴリーに編入され、治療面においても[[アルコール依存症]]の治療薬をギャンブル障害に用いる試みが海外でおこなわれているなど<ref name=ref12><pubmed>16449466</pubmed></ref>、より[[嗜癖性障害]]としての色彩を強めている。 | |||
== 治療 == | == 治療 == |