「脳室下帯」の版間の差分

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==成体の脳室下帯==
==成体の脳室下帯==
[[image:脳室下帯1.png|thumb|350px|'''図1.成体マウスの脳室下帯の細胞構築'''<br>A:脳室下帯の模式図。脳室帯-脳室下帯には、上衣細胞(紫)、神経幹細胞(青)、一過性増殖細胞(黄緑)、ニューロブラスト(赤)が存在する。脳室下帯への縫線核からのセロトニン入力(黄線)・黒質からのドーパミン入力(黒線)・脳室下帯内のコリン作動性ニューロン(桃)によるアセチルコリン入力は、ニューロンの再生を制御している。<br>B:脳室面から観察した上衣細胞の風車状配列。中央には一次繊毛を有する神経幹細胞の突起が存在する。]]
===脳室下帯を構成する細胞とその機能===
===脳室下帯を構成する細胞とその機能===
 成熟した上衣細胞は、表面に多数の長い繊毛を有する上皮細胞で、脳室帯を形成する。その内側の脳室下帯には、アストロサイト、一過性増殖細胞、ニューロブラストの3種類の細胞が存在する(図1A)。これらの細胞は、細胞種特異的マーカーの発現や電子顕微鏡解析によって観察される細胞内微細構造の特徴などによって分類された5)。なお、併記したType E, B, C, A cellという名称のうち、Eは上衣細胞の英語表記から(ependymal cell)、A・B・Cは脳室下帯内に占める細胞数の多い順(おおよそ3:2:1の割合で存在)に付与されたものである。
 成熟した上衣細胞は、表面に多数の長い繊毛を有する上皮細胞で、脳室帯を形成する。その内側の脳室下帯には、アストロサイト、一過性増殖細胞、ニューロブラストの3種類の細胞が存在する(図1A)。これらの細胞は、細胞種特異的マーカーの発現や電子顕微鏡解析によって観察される細胞内微細構造の特徴などによって分類された5)。なお、併記したType E, B, C, A cellという名称のうち、Eは上衣細胞の英語表記から(ependymal cell)、A・B・Cは脳室下帯内に占める細胞数の多い順(おおよそ3:2:1の割合で存在)に付与されたものである。
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 様々な神経伝達物質の受容体刺激や阻害が、脳室下帯におけるニューロンの産生に影響を与える。更に近年の研究により、神経活動に依存したニューロン産生制御機構が回路レベルで明らかになってきた(図1A)。
 様々な神経伝達物質の受容体刺激や阻害が、脳室下帯におけるニューロンの産生に影響を与える。更に近年の研究により、神経活動に依存したニューロン産生制御機構が回路レベルで明らかになってきた(図1A)。


 脳室下帯の一過性増殖細胞は、黒質からのドパミン作動性入力を受けて増殖が促進される27)。[[セロトニン]]刺激も脳室下帯の[[細胞増殖]]を促進してニューロンの産生を増加させるが、近年、上衣細胞層の表面に[[縫線核]]からのセロトニン作動性神経繊維が網の目のように走行しており、上衣細胞やType B1 cellに直接入力して神経幹細胞の増殖を促進的に制御していることが報告された28)。また、脳室下帯の上衣細胞層の直下には少数の[[コリン]]作動性ニューロンが存在し、活動依存的に[[アセチルコリン]]を[[分泌]]して、神経幹細胞の増殖を促進している29)。
 脳室下帯の一過性増殖細胞は、黒質からのドーパミン作動性入力を受けて増殖が促進される27)。[[セロトニン]]刺激も脳室下帯の[[細胞増殖]]を促進してニューロンの産生を増加させるが、近年、上衣細胞層の表面に[[縫線核]]からのセロトニン作動性神経繊維が網の目のように走行しており、上衣細胞やType B1 cellに直接入力して神経幹細胞の増殖を促進的に制御していることが報告された28)。また、脳室下帯の上衣細胞層の直下には少数の[[コリン]]作動性ニューロンが存在し、活動依存的に[[アセチルコリン]]を[[分泌]]して、神経幹細胞の増殖を促進している29)。


 一方、ニューロブラストは[[GABA]]を分泌して神経幹細胞の増殖を抑制しており、脳室下帯内の局所的なネガティブフィードバック機構として機能しているのかも知れない30-32)。神経回路によるコントロール機構は非常に複雑であり、これらの知見はまだ断片的であるが、ニューロン新生の生理的意義を理解する上でも非常に興味深いものである。
 一方、ニューロブラストは[[GABA]]を分泌して神経幹細胞の増殖を抑制しており、脳室下帯内の局所的なネガティブフィードバック機構として機能しているのかも知れない30-32)。神経回路によるコントロール機構は非常に複雑であり、これらの知見はまだ断片的であるが、ニューロン新生の生理的意義を理解する上でも非常に興味深いものである。


===ニューロブラストの長距離移動と成熟===
===ニューロブラストの長距離移動と成熟===
[[image:脳室下帯2.png|thumb|350px|'''図2.ニューロブラストの移動とニューロン新生'''<br>A:正常脳で産生されたニューロブラストの移動。RMSを通って嗅球へ移動し、介在ニューロンへと分化・成熟する。<br>B:傷害後のニューロブラストの移動。脳室下帯で産生されたニューロブラストの一部は傷害部へ移動し、分化・成熟する。]]
 脳室下帯で産生されたニューロブラストの鎖状の集団は、脳室下帯の前方につづく吻側移動流(rostral migratory stream, RMS)に入り、[[嗅球]]へと移動する22,23) (図2A)。RMS内でもニューロブラストは増殖を続けている。移動相と休止相を交互に繰り返す移動形式をとるが、平均した移動速度は早いものでは時速100μmにも達する。 
 脳室下帯で産生されたニューロブラストの鎖状の集団は、脳室下帯の前方につづく吻側移動流(rostral migratory stream, RMS)に入り、[[嗅球]]へと移動する22,23) (図2A)。RMS内でもニューロブラストは増殖を続けている。移動相と休止相を交互に繰り返す移動形式をとるが、平均した移動速度は早いものでは時速100μmにも達する。 


 RMSは、成熟ニューロンの細胞体や[[軸索]]がほとんど存在しない、ニューロブラストの移動を支える特殊な環境である。ニューロブラストとの相互作用によって形成されたアストロサイトのトンネルは33)、ニューロブラストの移動を制御する分子の分泌・取り込みを行うとともに、軸索の侵入を防ぎ、RMSを物理的に維持する役割も担っていると考えられる34-38)。またRMSのアストロサイトの一部は、脳室下帯と同様に神経幹細胞として機能している39)。
 RMSは、成熟ニューロンの細胞体や[[軸索]]がほとんど存在しない、ニューロブラストの移動を支える特殊な環境である。ニューロブラストとの相互作用によって形成されたアストロサイトのトンネルは33)、ニューロブラストの移動を制御する分子の分泌・取り込みを行うとともに、軸索の侵入を防ぎ、RMSを物理的に維持する役割も担っていると考えられる34-38)。またRMSのアストロサイトの一部は、脳室下帯と同様に神経幹細胞として機能している39)。


 数日から1週間で嗅球に達すると、鎖状の連結が解かれ、個々に嗅球の表層に向かって放射状に移動を始める。ニューロブラストはブレーキング機構によって移動を停止し40)、2種類の介在ニューロン(顆粒細胞・傍糸球細胞)に分化し、新生から4週間ほどで成熟して神経回路に統合される41)。嗅球の新生ニューロンは、臭いの学習や識別に関与している42-45)。
 数日から1週間で嗅球に達すると、鎖状の連結が解かれ、個々に嗅球の表層に向かって放射状に移動を始める。ニューロブラストはブレーキング機構によって移動を停止し40)、2種類の介在ニューロン(顆粒細胞・傍糸球細胞)に分化し、新生から4週間ほどで成熟して神経回路に統合される41)。嗅球の新生ニューロンは、臭いの学習や識別に関与している42-45)。


===脳室下帯の神経幹細胞の不均一性===
===脳室下帯の神経幹細胞の不均一性===
 嗅球の介在ニューロンである顆粒細胞・傍糸球細胞の大部分は[[GABA作動性]]の[[抑制性]]ニューロンであるが、マーカータンパク質の発現などの特徴により、オーバーラップしない複数のサブタイプに分類されている。例えば傍糸球細胞は、ドパミン作動性の[[チロシン水酸化酵素]]発現細胞、カルシウム結合タンパクであるカルレチニンやカルビンディンを発現する細胞の3種類で主に構成されている。加えて、短い軸索をもつグルタミン作動性の介在ニューロンも存在する。顆粒細胞においても、一部の細胞はカルレチニンを発現しており、更に深層の細胞と表層の細胞は投射パターンや入力が異なっている。
 嗅球の介在ニューロンである顆粒細胞・傍糸球細胞の大部分は[[GABA作動性]]の[[抑制性]]ニューロンであるが、マーカータンパク質の発現などの特徴により、オーバーラップしない複数のサブタイプに分類されている。例えば傍糸球細胞は、ドーパミン作動性の[[チロシン水酸化酵素]]発現細胞、カルシウム結合タンパクであるカルレチニンやカルビンディンを発現する細胞の3種類で主に構成されている。加えて、短い軸索をもつグルタミン作動性の介在ニューロンも存在する。顆粒細胞においても、一部の細胞はカルレチニンを発現しており、更に深層の細胞と表層の細胞は投射パターンや入力が異なっている。


 これらの嗅球介在ニューロンの起源となる脳室下帯の神経幹細胞は、領域毎に産生するニューロンの種類が異なっていることが分かってきた。例えば背側領域は主に表層の、腹側領域は深層の顆粒細胞を産生している。一方、前方領域ではドパミン作動性の傍糸球細胞が産生される。神経幹細胞を脳室下帯から取り出し、培養したのち脳室下帯の別の領域に移植しても、この性質が保たれることから、環境に依らない内在性の性質であることが示唆される46)。実際、[[PAX6|Pax6]], Dlx2, Neurogenin2, Tbr2などの転写因子が領域によって異なる発現パターンを示し、その一部はすでに特定の種類のニューロンの産生に寄与していることが示されている47,48)。従って、脳室下帯の神経幹細胞は同じ性質を持った集団ではなく、多様性のある不均一な集団であると言えるが、この性質がいつ、どのように決定されるのかはまだ分かっていない。
 これらの嗅球介在ニューロンの起源となる脳室下帯の神経幹細胞は、領域毎に産生するニューロンの種類が異なっていることが分かってきた。例えば背側領域は主に表層の、腹側領域は深層の顆粒細胞を産生している。一方、前方領域ではドーパミン作動性の傍糸球細胞が産生される。神経幹細胞を脳室下帯から取り出し、培養したのち脳室下帯の別の領域に移植しても、この性質が保たれることから、環境に依らない内在性の性質であることが示唆される46)。実際、[[PAX6|Pax6]], Dlx2, Neurogenin2, Tbr2などの転写因子が領域によって異なる発現パターンを示し、その一部はすでに特定の種類のニューロンの産生に寄与していることが示されている47,48)。従って、脳室下帯の神経幹細胞は同じ性質を持った集団ではなく、多様性のある不均一な集団であると言えるが、この性質がいつ、どのように決定されるのかはまだ分かっていない。


===脳室下帯の呼称===
===脳室下帯の呼称===
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===傷害への反応===
===傷害への反応===
[[image:脳室下帯3.png|thumb|350px|'''図3.傷害後のニューロン新生'''<br>脳梗塞などの傷害後には、脳室下帯における細胞増殖が亢進し、ニューロブラストが増加する。一部のニューロブラストは、傷害部へ向かって移動する。]]
 脳にニューロンが大規模に脱落するような侵襲が加わると、脳室下帯におけるニューロン産生が亢進する。この反応は、[[ハンチントン病]]やパーキンソン病などの神経変性疾患モデルや外傷モデルでも生じるが、特に脳梗塞モデル動物で最も詳細に研究されている50-53)。
 脳にニューロンが大規模に脱落するような侵襲が加わると、脳室下帯におけるニューロン産生が亢進する。この反応は、[[ハンチントン病]]やパーキンソン病などの神経変性疾患モデルや外傷モデルでも生じるが、特に脳梗塞モデル動物で最も詳細に研究されている50-53)。