「コネクトーム」の版間の差分

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英:connectome 独:Konnektom 仏:connectome  西:Conectoma  露:Коннектом  中:连接组
英:connectome  独:Konnektom  仏:connectome  西:conectoma   露:Коннектом  中:连接组


{{box|text=コネクトームは、神経系のすべての神経細胞が接続することでできた神経回路の全体を意味する。本来は、ある動物個体、あるいはある動物種の神経系において、全神経細胞の接続の総体を意味する概念である。しかしながら、神経系の一部で神経細胞が化学シナプスや電気シナプスで接続された局所的な接続ダイアグラム(Wiring diagram)に言及する場合にも、しばしば使われる。更に、神経細胞レベルでの接続だけでなく、脳の大まかな領域同士が接続する様相の説明にも使われている。'''コネクトミクス(connectomics)'''は、コネクトームを理解するための研究法、つまり実験、検出などの方法、その方法を適用した結果の解釈、そして複数の方法論を統合した研究の戦略についての概念である。}}
{{box|text=コネクトームは、神経系のすべての神経細胞が接続することでできた神経回路の全体を意味する。本来は、ある動物個体、あるいはある動物種の神経系において、全神経細胞の接続の総体を意味する概念である。しかしながら、神経系の一部で神経細胞が化学シナプスや電気シナプスで接続された局所的な接続ダイアグラム(Wiring diagram)に言及する場合にも、しばしば使われる。更に、神経細胞レベルでの接続だけでなく、脳の大まかな領域同士が接続する様相の説明にも使われている。'''コネクトミクス(connectomics)'''は、コネクトームを理解するための研究法、つまり実験、検出などの方法、その方法を適用した結果の解釈、そして複数の方法論を統合した研究の戦略についての概念である。}}
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==用語「コネクトーム」の起源==
==用語「コネクトーム」の起源==
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コネクトームは、生命科学分野で広く使われているゲノム(genome)、プロテオーム(proteome)などにならって、英語のconnect(ラテン語由来)とギリシア語の「完全、すべて、総体」を意味する接尾辞(-ome、ギリシア語-ωμα)を組み合わせた造語であり、英語の複数形は、connectomesである。コネクトームが、文献上、初めて使われたのは、2005年、Indiana大学のOlaf Spornsが、神経接続のマップを説明するために、ヒト・コネクトーム(Human Connectome)という概念を記述した論文である<ref><pubmed>16201007</pubmed></ref><ref>'''Olaf Sporns''' (2010) Scholarpedia, 5(2):5584. [[doi:10.4249/scholarpedia.5584|[DOI]]]</ref>。それとは独立して、Lausanne大学病院のPatric Hagmannが、その博士論文の中で同時期に同様に言及しているとされる<ref>'''Patric Hagmann''' (2005) From diffusion MRI to brain connectomics [PhD Thesis]. Lausanne: Ecole Polytechnique Fédérale de Lausanne (EPFL). [[doi:10.5075/epfl-thesis-3230|[DOI]]]. </ref>。特に、このコネクトームという概念が普及され始めたのは、2008年、Harvard大学のJeffrey W. LichtmanとJoshua R. Sanesによる共著総説論文の発表後である<ref><pubmed>18801435</pubmed></ref>。また、用語の定着には、Sebastian Seung(当時MIT、現Princeton大学)らのアウトリーチによる努力もあった<ref>'''Sebastian Seung''' Connectome: How the Brain's Wiring Makes Us Who We Are  (2013, Mariner Books) [https://www.amazon.com/Connectome-How-Brains-Wiring-Makes/dp/0547678592 ISBN-10: 9780547678597] (邦訳「コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか」草思社  セバスチャン・スン (著), 青木 薫 (翻訳))</ref>。しかし、これらの研究者の貢献は、あくまでコネクトームという用語を提案、普及、定着させたということで認知されるべきもので、コネクトームとは呼んでいないものの、それに相当する概念はこれらの研究者が提案する以前から存在していたと考えるべきであろう<ref><pubmed>23866325</pubmed></ref>。その典型例は、1986年に発表されたJohn Whiteらによるセンチュウ(''Caenohabditis elegans'')という一つの生物の神経細胞の結合性を網羅的に記述した研究である(後述)<ref><pubmed>22462104</pubmed></ref><ref><pubmed>25750233</pubmed></ref>。
コネクトームは、生命科学分野で広く使われている[[ゲノム]](genome)、[[プロテオーム]](proteome)などにならって、英語のconnect(ラテン語由来)とギリシア語の「完全、すべて、総体」を意味する接尾辞(-ome、ギリシア語-ωμα)を組み合わせた造語であり、英語の複数形は、connectomesである。コネクトームが、文献上、初めて使われたのは、2005年、Indiana大学のOlaf Spornsが、神経接続のマップを説明するために、ヒト・コネクトーム(Human Connectome)という概念を記述した論文である<ref><pubmed>16201007</pubmed></ref><ref>'''Olaf Sporns''' (2010) Scholarpedia, 5(2):5584. [[doi:10.4249/scholarpedia.5584|[DOI]]]</ref>。それとは独立して、Lausanne大学病院のPatric Hagmannが、その博士論文の中で同時期に同様に言及しているとされる<ref>'''Patric Hagmann''' (2005) From diffusion MRI to brain connectomics [PhD Thesis]. Lausanne: Ecole Polytechnique Fédérale de Lausanne (EPFL). [[doi:10.5075/epfl-thesis-3230|[DOI]]]. </ref>。特に、このコネクトームという概念が普及され始めたのは、2008年、Harvard大学のJeffrey W. LichtmanとJoshua R. Sanesによる共著総説論文の発表後である<ref><pubmed>18801435</pubmed></ref>。また、用語の定着には、Sebastian Seung(当時MIT、現Princeton大学)らのアウトリーチによる努力もあった<ref>'''Sebastian Seung''' Connectome: How the Brain's Wiring Makes Us Who We Are  (2013, Mariner Books) [https://www.amazon.com/Connectome-How-Brains-Wiring-Makes/dp/0547678592 ISBN-10: 9780547678597] (邦訳「コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか」草思社  セバスチャン・スン (著), 青木 薫 (翻訳))</ref>。しかし、これらの研究者の貢献は、あくまでコネクトームという用語を提案、普及、定着させたということで認知されるべきもので、コネクトームとは呼んでいないものの、それに相当する概念はこれらの研究者が提案する以前から存在していたと考えるべきであろう<ref><pubmed>23866325</pubmed></ref>。その典型例は、1986年に発表されたJohn Whiteらによるセンチュウ(''Caenohabditis elegans'')という一つの生物の神経細胞の結合性を網羅的に記述した研究である(後述)<ref><pubmed>22462104</pubmed></ref><ref><pubmed>25750233</pubmed></ref>。


==コネクトームの研究史と階層==
==コネクトームの研究史と階層==
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歴史的には、簡素な解剖用具などを用いて神経線維を観察することから、目と脳など神経組織同士を接続している構造が存在することは想像されていた(例:デカルト、1677年)。19世紀末になると、Santiago Rámon y Cajalが、個々の神経細胞の形態を明確に染め出すことを可能にした[[Golgi染色]]と光学顕微鏡を用いることで、脳が多数の神経細胞とそれらの結合によって成り立っていることを提唱した。以後、神経細胞の間の結合を記述する研究は盛んに行われてきた<ref><pubmed>21782932</pubmed></ref><ref>'''Larry Swanson, Jeffrey W. Lichtman''': From Cajal to Connectome and Beyond (2016) in press</ref>。Golgi染色やNissl染色などを施した連続切片を観察する時代を経て、20世紀中頃になると脳損傷後の変性神経線維をNauta法などで染色することで、神経回路の存在を確認する時代になった。1970年ごろになると、放射性アミノ酸や、酵素(HRP)などの軸索輸送を利用することで、神経回路の観察が簡便に行われるようになった。更に、1980年代には、脂溶性carbocyanine蛍光色素などの生体結合特性を持った蛍光色素(DiIなど)、植物レクチン(WGA、PHA-Lなど)、ビオチン誘導体(Biocytinなど)、軸索を効率的に移動できるコレラ毒素等の高感度トレーサーが開発され、多くの研究者に汎用されるようになった。そして、1990年代になると、蛍光顕微鏡に加えて、共焦点レーザー顕微鏡が普及し始め、デジタル画像として大規模なデータの保存と解析が扱えるようになってきた。コネクトーム研究の観点から、このような組織学的解剖と染色によって得られた知見をまとめた重要な研究が、1991年、FellemanとDavid van Essenらによるマカクサルの視覚系の結合性マッピングの概念の提出であった<ref><pubmed>1822724</pubmed></ref><ref><pubmed>1734518</pubmed></ref>。
歴史的には、簡素な解剖用具などを用いて神経線維を観察することから、目と脳など神経組織同士を接続している構造が存在することは想像されていた(例:デカルト、1677年)。19世紀末になると、[[Santiago Rámon y Cajal]](1852-1934)が、個々の神経細胞の形態を明確に染め出すことを可能にした[[Golgi染色]]と光学顕微鏡を用いることで、脳が多数の神経細胞とそれらの結合によって成り立っていることを提唱した。以後、神経細胞の間の結合を記述する研究は盛んに行われてきた<ref><pubmed>21782932</pubmed></ref><ref>'''Larry Swanson, Jeffrey W. Lichtman''': From Cajal to Connectome and Beyond (2016) in press</ref>。Golgi染色やNissl染色などを施した連続切片を観察する時代を経て、20世紀中頃になると脳損傷後の変性神経線維をNauta法などで染色することで、神経回路の存在を確認する時代になった。1970年ごろになると、放射性アミノ酸や、酵素(HRP)などの軸索輸送を利用することで、神経回路の観察が簡便に行われるようになった。更に、1980年代には、脂溶性carbocyanine蛍光色素などの生体結合特性を持った蛍光色素(DiIなど)、植物レクチン(WGA、PHA-Lなど)、ビオチン誘導体(Biocytin, Neurobiotinなど)、軸索を効率的に移動するコレラ毒素サブユニット等の高感度トレーサーが開発され、多くの研究者に汎用されるようになった。そして、1990年代になると、蛍光顕微鏡に加えて、共焦点レーザー顕微鏡が普及し始め、デジタル画像として大規模なデータの保存と解析が扱えるようになってきた。コネクトーム研究の観点から、このような組織学的解剖と染色によって得られた知見をまとめた重要な研究が、1991年、FellemanとDavid van Essenらによるマカクサルの視覚系の結合性マッピングの概念の提出であった<ref><pubmed>1822724</pubmed></ref><ref><pubmed>1734518</pubmed></ref>。
[[ファイル:Descartes3.jpg ‎|サムネイル|右|Descartes 「視覚と外部刺激への応答メカニズム」(1677年)目から入力した視覚情報が、つながった線で脳に伝えられているという仮説が表現されている。]]
[[ファイル:Descartes3.jpg ‎|サムネイル|右|Descartes 「視覚と外部刺激への応答メカニズム」(1677年)目から入力した視覚情報が、つながった線で脳に伝えられているという仮説が表現されている。]]
[[ファイル:Cajalhippocampus.jpg|サムネイル|右|Santiago Rámon y Cajalによって描写されたゴルジ染色された海馬(1911年)。脳の組織が神経細胞から成立し、神経回路を作っていることを認識された。]]
[[ファイル:Cajalhippocampus.jpg|サムネイル|右|Santiago Rámon y Cajalによって描写されたゴルジ染色された海馬(1911年)。脳の組織が神経細胞から成立し、神経回路を作っていることを認識された。]]
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====2)シリアル電子顕微鏡====
====2)シリアル電子顕微鏡====
電子顕微鏡写真に基づき、形態的にコネクトームを構築することは、センチュウのコネクトーム構築でも利用された効果的な方法である<ref><pubmed>21390125</pubmed></ref><ref><pubmed>21390124</pubmed></ref><ref><pubmed>23925240</pubmed></ref><ref><pubmed>26232230</pubmed></ref><ref><pubmed>27015312</pubmed></ref>。しかしながら、哺乳類の脳のようにサイズの大きな構造におけるコネクトームの構築では、薄い切片を失うことなく、巨大な数の電顕写真撮影を行い、それぞれの写真上の神経細胞とその突起、結合性を、多数の写真上で逐一トレースしていく必要がある。その情報量は、[[ビッグデータ]]の典型であり、方法論の開発が進められてきている<ref><pubmed>24598270</pubmed></ref>。特に重要なのは、神経細胞の電顕写真のトレースを一箇所間違えると、全く違う神経細胞をトレースすることになるという危険性があることである。そのため、Sebastian Seungらは、網膜のコネクトームを理解するために、ゲーム感覚で、神経細胞のコネクトーム構築に、一般市民を参加させようとするEyeWire<ref>http://eyewire.org/</ref>と名付けたウェッブサイトを構築している。これは、現状では、ヒトという作業者の目で電顕写真を見て、それをトレースしていくことが、最も確実であるという見地から実施されているものである。将来は、ディープラーニングを行う人工知能により、コネクトーム構築の精密作業が自動化される可能性も高い。このアプローチにおいては、神経細胞の広がりが小さく局所的なケースでは電顕写真上での追跡も比較的容易であろうが、例えば長い神経線維でつながった神経細胞同士のコネクトームを構築することは非常に困難である。この解決には、例えばcorrelated EMのような。。
電子顕微鏡写真に基づき、形態的にコネクトームを構築することは、センチュウのコネクトーム構築でも利用された効果的な方法である<ref><pubmed>21390125</pubmed></ref><ref><pubmed>21390124</pubmed></ref><ref><pubmed>23925240</pubmed></ref><ref><pubmed>26232230</pubmed></ref><ref><pubmed>27015312</pubmed></ref>。しかしながら、哺乳類の脳のようにサイズの大きな構造におけるコネクトームの構築では、薄い切片を失うことなく、巨大な数の電顕写真撮影を行い、それぞれの写真上の神経細胞とその突起、結合性を、多数の写真上で逐一トレースしていく必要がある。その情報量は、近年の大容量デジタル情報の保存媒体とコンピューティングの発達が可能にした[[ビッグデータ]]の典型であり、各種の方法論の開発が進められてきている<ref><pubmed>24598270</pubmed></ref>。特に重要なのは、神経細胞の電顕写真のトレースを一箇所間違えると、全く違う神経細胞をトレースすることになるという危険性があることである。そのため、Sebastian Seungらは、網膜のコネクトームを理解するために、ゲーム感覚で、神経細胞のコネクトーム構築に、一般市民を参加させようとするEyeWire<ref>http://eyewire.org/</ref>と名付けたウェッブサイトを構築している。これは、現状では、ヒトという作業者の目で電顕写真を見て、それをトレースしていくことが、最も確実であるという見地から実施されているものである。将来は、ディープラーニングを行う人工知能により、コネクトーム構築の精密作業が自動化される可能性も高い。このアプローチにおいては、神経細胞の広がりが小さく局所的なケースでは電顕写真上での追跡も比較的容易であろうが、例えば長い神経線維でつながった神経細胞同士のコネクトームを構築することは困難である。この問題の解決には、次項の遺伝学的標識法との組み合わせを利用するのが有用であろう。


[[ファイル:Fly.jpg|サムネイル|左|ショウジョウバエ視覚系のシリアル電顕写真に現れた細胞をトレースすることでコネクトームを理解 http://openconnecto.me/takemura13 doi: 10.1038/nature12450]]
[[ファイル:Fly.jpg|サムネイル|左|ショウジョウバエ視覚系のシリアル電顕写真に現れた細胞をトレースすることでコネクトームを理解 http://openconnecto.me/takemura13 doi: 10.1038/nature12450]]