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== 空間記憶の分類 == | == 空間記憶の分類 == | ||
=== 空間作業記憶と空間参照記憶=== | === 空間作業記憶と空間参照記憶=== | ||
8方向放射状迷路<ref>'''Olton, D.S.,& Samuelson, R.J.'''<br>Remembrance of places passed:Spatial memory in rats.<br>''Animal Behavior Processes.'':1976,2:97–116</ref> | 8方向放射状迷路<ref>'''Olton, D.S.,& Samuelson, R.J.'''<br>Remembrance of places passed:Spatial memory in rats.<br>''Animal Behavior Processes.'':1976,2:97–116</ref>での空間課題の遂行時に、動物がおかすエラーのパターン分析から、空間記憶は参照記憶と作業記憶に分類された。例えば、8走路のうちの特定の4走路に報酬を置き、これらを選択させる課題の訓練をする時、動物が報酬のない走路を選択せず、報酬のある走路のみに一度だけ訪れれば、この課題を最も効率よく解決したといえる。そのためには、動物はその試行で既に訪れた走路はどこであるかを記憶する必要があり、これが空間作業記憶である。また、報酬が置かれる走路、または決して置かれることない走路はどこであるかを記憶する必要があり、これが空間参照記憶である。空間作業記憶は、その試行で選択した走路と選択していない走路を、装置の外にある環境刺激との位置関係において保持し、その次の試行ではキャンセルされる記憶である。このように1試行にのみ有効な空間作業記憶に対して、空間参照記憶は訓練期間中、全試行にわたって有効な記憶である。この二つの空間記憶を要する課題の遂行に及ぼす海馬損傷の効果が検討された結果、海馬は空間作業記憶と空間参照記憶の両機能を有していると考えられた<ref><pubmed>2623016 </pubmed></ref>。 | ||
=== 自己中心的枠組みと他者中心的枠組み === | === 自己中心的枠組みと他者中心的枠組み === | ||
空間情報は、自己中心的枠組みに基づくものと他者中心的枠組みに基づくものに分類される。自己中心的枠組みとは、空間を移動する動物自身を基軸とした右方向、左方向といった空間情報である。これに対して、他者中心的枠組みとは、絶対空間内の空間表象(認知地図)に基づく空間情報である。自己中心的枠組みの中で、移動距離や方向を統合し自己の位置を継続的に定位する機能が経路統合である。Mittelstaedt & Mittelstaedt (1980)<ref>'''Mittelstaedt, M.L., & Mittelstaedt, H.'''<br>Homing by path integration in the mammal.<br>''Naturwissenschaften.'':1980,67:566–567</ref>は、スナネズミが仔を探しまわり、発見してから巣まで連れ戻す際に直線的な経路をとることから、帰巣の際に経路統合が実行されていることを指摘した。ラットでは経路統合に海馬や嗅内皮質が関与しているいわれるが、ヒトを対象とした研究では、海馬や嗅内皮質損傷患者も統制群の参加者とでポインティング課題(目隠しをして角度変更をともなう移動した後、スタート地点を指さす)の成績に差がなかったことが報告され、経路統合には海馬や嗅内皮質ではなく、頭頂皮質が関与している可能性が指摘されている<ref><pubmed>18687893 </pubmed></ref>。 | |||
== 空間記憶の神経基盤 == | == 空間記憶の神経基盤 == | ||
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=== NMDA受容体と空間記憶 === | === NMDA受容体と空間記憶 === | ||
LTPの誘発時に働くグルタミン酸NMDA受容体の薬理学的阻害による空間記憶課題への影響が検討されてきた。NMDA阻害薬として拮抗性AP5や非拮抗性MK-801などが使用された。AP5をラットの脳室内に慢性投与すると、水迷路場所課題の獲得が困難になるが、水迷路での視覚弁別課題の獲得には障害が生じなかった <ref><pubmed>2869411</pubmed></ref>。MK-801の腹腔内投与もまた、水迷路場所課題の獲得を妨げたが手掛り課題の獲得は妨げなかった<ref>'''Robinson,G.S., Crooks, G.B., Shinkman, P.G.,& Gallagher, M.'''<br>Behavioral effects of MK-801 mimic deficits associated with hippocampal damage.<br>''Psychobiology.''1989;17:156–164.</ref> | LTPの誘発時に働くグルタミン酸NMDA受容体の薬理学的阻害による空間記憶課題への影響が検討されてきた。NMDA阻害薬として拮抗性AP5や非拮抗性MK-801などが使用された。AP5をラットの脳室内に慢性投与すると、水迷路場所課題の獲得が困難になるが、水迷路での視覚弁別課題の獲得には障害が生じなかった <ref><pubmed>2869411</pubmed></ref>。MK-801の腹腔内投与もまた、水迷路場所課題の獲得を妨げたが手掛り課題の獲得は妨げなかった<ref>'''Robinson,G.S., Crooks, G.B., Shinkman, P.G.,& Gallagher, M.'''<br>Behavioral effects of MK-801 mimic deficits associated with hippocampal damage.<br>''Psychobiology.''1989;17:156–164.</ref>。報酬課題である放射状迷路を用いた実験においても、LTPを阻害する投与量のNMDA受容体阻害薬が場所学習を阻害することが確認された <ref><pubmed>2189143</pubmed></ref>。 これらの研究は、空間記憶にNMDA受容体の機能が必要とされることの実験的証拠といえる。 | ||
ところで、記憶には、記銘(acquisition)と保持(retention)と想起(retrieval)の三つのプロセスがある。空間記憶について、NMDA受容体の阻害効果は記銘時に限定され、保持および想起を妨げることがないことが研究者間で一致して報告されている。具体的には、水迷路や放射状迷路の場所課題の獲得時にAP5やMK-801を投与すると学習障害が生じるが、課題の獲得後に投与しても遂行は妨げられないという結果が得られている<ref>'''Shapiro, M.L.,& Caramanos, Z.'''<br> NMDA antagonist MK-801 impairs acquisition but not performance of spatial working and reference memory.<br>''Psychobiology.'' 1990;18:231–243.</ref>。海馬を完全に破壊すると、障害は記憶の全てのプロセスに及ぶことから、記憶形成時に限定された働きは、NMDA受容体の機能的特徴であるといえる。そして、この特徴はNMDA受容体が長期増強の誘発時にのみ必要とされるという分子レベルのプロセスと対応している。 | ところで、記憶には、記銘(acquisition)と保持(retention)と想起(retrieval)の三つのプロセスがある。空間記憶について、NMDA受容体の阻害効果は記銘時に限定され、保持および想起を妨げることがないことが研究者間で一致して報告されている。具体的には、水迷路や放射状迷路の場所課題の獲得時にAP5やMK-801を投与すると学習障害が生じるが、課題の獲得後に投与しても遂行は妨げられないという結果が得られている<ref>'''Shapiro, M.L.,& Caramanos, Z.'''<br> NMDA antagonist MK-801 impairs acquisition but not performance of spatial working and reference memory.<br>''Psychobiology.'' 1990;18:231–243.</ref>。海馬を完全に破壊すると、障害は記憶の全てのプロセスに及ぶことから、記憶形成時に限定された働きは、NMDA受容体の機能的特徴であるといえる。そして、この特徴はNMDA受容体が長期増強の誘発時にのみ必要とされるという分子レベルのプロセスと対応している。 | ||
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上述したNMDA受容体の空間記憶における役割に関する研究では、海馬全体のNMDA受容体の機能を検討している。しかし、海馬の下位領域のNMDA受容体が異なる機能を持つという研究<ref><pubmed>12040087</pubmed></ref>が報告され、海馬内の機能分化が検討され始めた。海馬内では、嗅内皮質から貫通線維を介して歯状回に至るシナプス、歯状回から苔状先生を介してCA3野に至るシナプス、CA3からシャッファー側枝を介してCA1野に至るシナプス、さらにそこから嗅内皮質に戻るシナプスが閉回路を形成している。これに加えて、CA3野には、側枝を出して再びCA3野に戻る反回性経路が存在する。苔状線維からCA3に至る経路のシナプスで生じる長期増強はNMDA受容体を必要としないが、反回性経路からCA3に戻る経路のシナプスでの長期増強はNMDA受容体を必要とすることが分かっている。Nakazawaらは、CA3限定的にNMDA受容体が発現しないノックアウトマウスに水迷路訓練し、訓練後のプローブテストにおいて、迷路を取り囲む環境刺激の数を変化させた。その結果、CA3ノックアウトマウスでは刺激の数が少なるにつれて、記憶したプラットホーム位置の想起が難しくなった。この結果についてNakazawaらは、CA3野のNMDA受容体は一部の手掛りから全体を想起する「パターンコンプリーション能力」に関与すると結論付けた。 | 上述したNMDA受容体の空間記憶における役割に関する研究では、海馬全体のNMDA受容体の機能を検討している。しかし、海馬の下位領域のNMDA受容体が異なる機能を持つという研究<ref><pubmed>12040087</pubmed></ref>が報告され、海馬内の機能分化が検討され始めた。海馬内では、嗅内皮質から貫通線維を介して歯状回に至るシナプス、歯状回から苔状先生を介してCA3野に至るシナプス、CA3からシャッファー側枝を介してCA1野に至るシナプス、さらにそこから嗅内皮質に戻るシナプスが閉回路を形成している。これに加えて、CA3野には、側枝を出して再びCA3野に戻る反回性経路が存在する。苔状線維からCA3に至る経路のシナプスで生じる長期増強はNMDA受容体を必要としないが、反回性経路からCA3に戻る経路のシナプスでの長期増強はNMDA受容体を必要とすることが分かっている。Nakazawaらは、CA3限定的にNMDA受容体が発現しないノックアウトマウスに水迷路訓練し、訓練後のプローブテストにおいて、迷路を取り囲む環境刺激の数を変化させた。その結果、CA3ノックアウトマウスでは刺激の数が少なるにつれて、記憶したプラットホーム位置の想起が難しくなった。この結果についてNakazawaらは、CA3野のNMDA受容体は一部の手掛りから全体を想起する「パターンコンプリーション能力」に関与すると結論付けた。 | ||
神経毒の微量投与による局所破壊法を用いた研究でも、海馬を構成する3領域(CA1,CA3,歯状回)の機能が異なることが水迷路課題を行動指標として示された。訓練前に各領域を損傷されたラットの空間記憶障害の重篤さは歯状回を破壊したラットで最もひどく、CA1損傷ラットでは全海馬損傷ラットと同程度であり、CA3損傷ラットでは障害は示されなかった<ref><pubmed>19378463</pubmed></ref>。したがって、空間記憶の形成に歯状回とCA1領域は役割を担う一方で、CA3領域は空間記憶の形成に関与しないといえる。ただし、歯状回損傷の効果は障害の程度が著しく、空間記憶以外の行動障害をもたらしている可能性も残る。 | |||
== ヒトの空間記憶 == | == ヒトの空間記憶 == | ||
発達に伴い、空間の情報処理は質的に変化していく。子どもでは、空間は自身の見え方にしばられる。発達に伴い、現在の見え方とは関係なく、位置を視覚化できるようになり、空間全体をまとまった形に統合することができる。 | |||
老化に伴って、距離や方向を統合する能力は失われていく。アルツハイマー病では、特に頭部方向細胞を含む脳領域に障害が生じる。 | 老化に伴って、距離や方向を統合する能力は失われていく。アルツハイマー病では、特に頭部方向細胞を含む脳領域に障害が生じる。 | ||
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