「記憶想起」の版間の差分

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[http://researchmap.jp/kaoruinokuchi 井ノ口 馨]</font><br>
[http://researchmap.jp/kaoruinokuchi 井ノ口 馨]</font><br>
''富山大学医学薬学研究部(医学)生化学講座''<br>
''富山大学医学薬学研究部(医学)生化学講座''<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2017年4月5日 原稿完成日:2017年月日<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2017年4月5日 原稿完成日:2017年7月12日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/fujiomurakami 村上 富士夫](大阪大学 大学院生命機能研究科)<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0048432 定藤 規弘](自然科学研究機構生理学研究所 大脳皮質機能研究系)<br>
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英語名:memory retrieval, memory reactivation
英語名:memory retrieval, memory reactivation


<u>(編集部コメント:抄録とイントロは別々にお願い致します)</u>
{{box|text=記憶想起とは、脳内に保存された記憶の中から特定の記憶を思い出すプロセスを指す。想起は状況に応じて想起した記憶の不安定化、再固定化、消去学習、記憶連合などのプロセスを誘導することが知られており、元の記憶を修飾する機能を持つと考えられている。近年、想起には海馬や扁桃体に加えて、背側視床正中核、前辺縁皮質や側頭葉などの大脳皮質領域も関与することが明らかにされてきており、記憶の獲得や保持に比べて理解が不十分であった記憶想起のメカニズムが徐々に姿を見せつつある。}}


{{box|text=「記憶想起」とは一度覚えた記憶を「思い出す」プロセスのことを指す。「特定のものを認識しているにもかかわらず、その名前がなかなか思い出せない」などという気分に陥ることがあるが、これは記憶しているが想起ができないことを示している。さまざまな経験から得られた情報は、まず不安定化状態の短期記憶として形成され、その後、固定化のプロセスを経て、安定した状態の長期記憶として脳内に保存される。想起された記憶は再度不安定化状態となる場合があり、元の記憶を安定化状態の記憶として脳内に再保存するために再固定化のプロセスを誘導する。一方、記憶想起は元の記憶と相反する記憶を学習する消去学習(extinction)のプロセスを誘導することもある。}}
==記憶想起とは==
[[ファイル:Inokuchi Fig1.png|サムネイル|右|'''図1:想起を介したさまざまな記憶過程'''<br> 情報は固定化され安定な記憶として保持される。その記憶が想起されると、記憶は一度不安定な状態(不安定化)となる場合があるが、再固定化のプロセスにより再び安定した記憶として保持される。一方で、長期間の想起、もしくは短期間内の繰返し想起により、恐怖記憶は消去学習のプロセスに入り、元の記憶と相反する記憶を新たに獲得する場合もある。このように記憶の想起プロセスは想起時のさまざまな条件によって異なる記憶プロセスをとる。<u>(編集部コメント:上から下へ向かった方が自然ではないでしょうか。)</u>]]


==記憶想起とは==
「記憶想起」とは一度覚えた[[記憶]]を「思い出す」プロセスのことを指す。「特定のものを認識しているにもかかわらず、その名前がなかなか思い出せない」などという気分に陥ることがあるが、これは記憶しているが想起ができないことを示している。
「記憶想起」とは一度覚えた[[記憶]]を「思い出す」プロセスのことを指す。「特定のものを認識しているにもかかわらず、その名前がなかなか思い出せない」などという気分に陥ることがあるが、これは記憶しているが想起ができないことを示している。


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 想起された記憶は再度不安定化状態となる場合があり、元の記憶を安定化状態の記憶として脳内に再保存するために[[再固定化]]のプロセスを誘導する。
 想起された記憶は再度不安定化状態となる場合があり、元の記憶を安定化状態の記憶として脳内に再保存するために[[再固定化]]のプロセスを誘導する。


 一方、記憶想起は元の記憶と相反する記憶を学習する[[消去学習]]([[extinction]])のプロセスを誘導することもある(図1)。
 一方、記憶想起は元の記憶と相反する記憶を学習する[[消去学習]]([[extinction]])のプロセスを誘導することもある'''(図1)'''


== メカニズム ==
== メカニズム ==
[[ファイル:記憶想起図2.png|サムネイル|右|350px|'''図2. 記憶痕跡細胞のセルアセンブリモデル'''<br> 学習時に活動したニューロン(オレンジ)の間のシナプス結合が強まり、セルアセンブリを形成し、記憶がセルアセンブリとして[[符号化]]されて脳内に蓄えられる。そのため、なんらかのきっかけでこれらのニューロンの一部が活動すると、強いシナプス伝達で連絡されたニューロンセット(オレンジ)が再び同時活動する。これにより記憶が想起される。]]
 脳内には学習時の刺激に応答して活動するニューロン群が存在するが、それら活動したニューロン群は強い[[シナプス]]結合で結ばれ、[[セルアセンブリ]]([[細胞集成体]])を形成し、記憶はその中に[[符号化]]して蓄えられると想定されている。つまり記憶は、学習時に活動した特定のニューロンの集団という形で脳のなかに保存される。
 脳内には学習時の刺激に応答して活動するニューロン群が存在するが、それら活動したニューロン群は強い[[シナプス]]結合で結ばれ、[[セルアセンブリ]]([[細胞集成体]])を形成し、記憶はその中に[[符号化]]して蓄えられると想定されている。つまり記憶は、学習時に活動した特定のニューロンの集団という形で脳のなかに保存される。


 このような学習時に活動した特定のニューロン集団という形で脳内に残った物理的な痕跡のことを[[記憶痕跡]](memory engram)と呼び、2012年、[[wj:利根川進|利根川進]]らのグループにより記憶痕跡の物理的存在が示された<ref name=ref1><pubmed>22441246</pubmed></ref>。何らかのきっかけでこのニューロン集団に属する一部のニューロンが活動すると、強いシナプス結合で結ばれたニューロン集団全体が活動し、その結果として記憶が[[想起]]されると考えられている(図2)。また、記憶は学習した当時とまったく同じ状況ではなくとも類似した状況など一部の手がかりでその記憶全体を想起することが可能である。
 このような学習時に活動した特定のニューロン集団という形で脳内に残った物理的な痕跡のことを[[記憶痕跡]](memory engram)と呼び、2012年、[[wj:利根川進|利根川進]]らのグループにより記憶痕跡の物理的存在が示された<ref name=ref1><pubmed>22441246</pubmed></ref>。何らかのきっかけでこのニューロン集団に属する一部のニューロンが活動すると、強いシナプス結合で結ばれたニューロン集団全体が活動し、その結果として記憶が[[想起]]されると考えられている('''図2''')。また、記憶は学習した当時とまったく同じ状況ではなくとも類似した状況など一部の手がかりでその記憶全体を想起することが可能である。


 このように不完全な情報から完全な情報の神経活動パターンを再現し、記憶を想起する働きは[[パターン完成]] (pattern completion)と呼ばれ,[[海馬]][[CA3]]領域内のフィードバック機能をもつ[[リカレント回路]]([[反回性回路]])にその機能があると想定されている<ref name=ref2><pubmed>24198767</pubmed></ref>。
 このように不完全な情報から完全な情報の神経活動パターンを再現し、記憶を想起する働きは[[パターン完成]] (pattern completion)と呼ばれ,[[海馬]][[CA3]]領域内のフィードバック機能をもつ[[リカレント回路]]([[反回性回路]])にその機能があると想定されている<ref name=ref2><pubmed>24198767</pubmed></ref>。
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=== 消去学習 ===
=== 消去学習 ===
Extinction learning
Extinction learning
 
[[ファイル:記憶想起図3.png|サムネイル|300px|'''図3:消去学習'''<br> 長時間や繰返しのCS提示などにより、条件刺激に対する応答性が抑えられる。<br>  '''A.''' 復元: 消去学習後に弱いUSのみ与え、再度条件付けされたCSを提示すると再び高い応答性を示すようになる。 <br> '''B.''' 更新: 消去学習成立後に再度CSを提示すると、その後のCS提示に対して恐怖反応が再生される。<br> '''C.''' 自発的回復: 消去学習後、間隔(1ヶ月~)を置いてから再度CSを提示すると、再び元の高い応答性を示すようになる。 <br>]]
 消去学習とは、恐怖条件づけにより恐怖反応を誘発するようになった動物に対し、[[条件刺激]](CS;チャンバー、音、匂いなど)を繰返し与える、もしくは長時間再曝露することにより条件づけされた[[恐怖反応]]の表出([[すくみ反応]]など)が減弱する現象を指す。
 消去学習とは、恐怖条件づけにより恐怖反応を誘発するようになった動物に対し、[[条件刺激]](CS;チャンバー、音、匂いなど)を繰返し与える、もしくは長時間再曝露することにより条件づけされた[[恐怖反応]]の表出([[すくみ反応]]など)が減弱する現象を指す。


 重要なのは、恐怖記憶自体が消去されるのではなく、恐怖体験と恐怖条件づけに用いた条件刺激とのあいだに関連性がないことを改めて新規に学習するプロセスということである。つまり消去学習とは、想起した記憶とは相反する記憶を形成するプロセスであり、再固定化阻害によって引き起こされる恐怖記憶の消失とは異なり、消去学習後も、元の恐怖記憶自体は脳内に保存されているが、消去学習によって抑制されている状態となっている。したがって、消去学習により抑制された恐怖反応は、他の感覚刺激などが引き金となり再び回復し得ることが知られている。これまでに観察されている恐怖反応が回復する現象として、次のことが報告されている<ref name=ref14><pubmed>17160066</pubmed></ref><ref name=ref15><pubmed>25991441</pubmed></ref>(図3)。
 重要なのは、恐怖記憶自体が消去されるのではなく、恐怖体験と恐怖条件づけに用いた条件刺激とのあいだに関連性がないことを改めて新規に学習するプロセスということである。つまり消去学習とは、想起した記憶とは相反する記憶を形成するプロセスであり、再固定化阻害によって引き起こされる恐怖記憶の消失とは異なり、消去学習後も、元の恐怖記憶自体は脳内に保存されているが、消去学習によって抑制されている状態となっている。したがって、消去学習により抑制された恐怖反応は、他の感覚刺激などが引き金となり再び回復し得ることが知られている。これまでに観察されている恐怖反応が回復する現象として、次のことが報告されている<ref name=ref14><pubmed>17160066</pubmed></ref><ref name=ref15><pubmed>25991441</pubmed></ref>('''図3''')。


* [[復元]] ([[reinstatement]]): 消去学習成立後に、通常では恐怖条件づけが成立しないような弱い[[嫌悪刺激]]([[無条件刺激]](US)の再提示など)を与えることで、条件づけ刺激(CS‐US pairing)誘発性恐怖反応が再び現れる。
* [[復元]] ([[reinstatement]]): 消去学習成立後に、通常では恐怖条件づけが成立しないような弱い[[嫌悪刺激]]([[無条件刺激]](US)の再提示など)を与えることで、条件づけ刺激(CS‐US pairing)誘発性恐怖反応が再び現れる。