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<font size="+1">板倉拓海、[https://researchmap.jp/touhara 東原和成]</font><br> | <font size="+1">板倉拓海、[https://researchmap.jp/touhara 東原和成]</font><br> | ||
''東京大学大学院農学生命科学研究科''<br> | ''東京大学大学院農学生命科学研究科''<br> | ||
DOI:<selfdoi /> | DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2018年4月18日 原稿完成日:2018年8月11日<br> | ||
担当編集委員:[http://researchmap.jp/2rikenbsi 林 康紀](京都大学大学院医学研究科)<br> | 担当編集委員:[http://researchmap.jp/2rikenbsi 林 康紀](京都大学大学院医学研究科)<br> | ||
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英語名:pheromone | 英語名:pheromone receptor 独:Pheromon-Rezeptor 仏:récepteur des phéromones | ||
{{box|text= フェロモンとは、「ある個体から分泌され同種他個体において何らかの行動や生理作用を引き起こす化学物質」のことであると定義される。フェロモン受容体は、これらのフェロモン分子を受容するタンパク質である<ref name=Kazushige2009><pubmed>19575682</pubmed></ref>。哺乳類では一般的にフェロモンは鼻腔下部に存在する鋤鼻神経に発現する鋤鼻受容体(Vomeronasal receptor : VR)によって受容される。VRには1型と2型(V1RとV2R)の2種類が存在する。また一部の揮発性のフェロモンは、嗅神経細胞に発現する嗅覚受容体(OR)によって受容される。V1R、V2R、ORは、全て7回膜貫通型のGタンパク質共役型受容体(GPCR)である。昆虫においては、嗅覚受容体の一部がフェロモンの受容に特化してフェロモン受容体として機能すると報告されている。昆虫のフェロモン受容体は哺乳類のフェロモン受容体とは異なり、7回膜貫通型のリガンド作動性陽イオンチャネルであり、ヘテロ複合体で機能していると考えられている<ref name=Kazushige2009/>}} | {{box|text= フェロモンとは、「ある個体から分泌され同種他個体において何らかの行動や生理作用を引き起こす化学物質」のことであると定義される。フェロモン受容体は、これらのフェロモン分子を受容するタンパク質である<ref name=Kazushige2009><pubmed>19575682</pubmed></ref>。哺乳類では一般的にフェロモンは鼻腔下部に存在する鋤鼻神経に発現する鋤鼻受容体(Vomeronasal receptor : VR)によって受容される。VRには1型と2型(V1RとV2R)の2種類が存在する。また一部の揮発性のフェロモンは、嗅神経細胞に発現する嗅覚受容体(OR)によって受容される。V1R、V2R、ORは、全て7回膜貫通型のGタンパク質共役型受容体(GPCR)である。昆虫においては、嗅覚受容体の一部がフェロモンの受容に特化してフェロモン受容体として機能すると報告されている。昆虫のフェロモン受容体は哺乳類のフェロモン受容体とは異なり、7回膜貫通型のリガンド作動性陽イオンチャネルであり、ヘテロ複合体で機能していると考えられている<ref name=Kazushige2009/>。}} | ||
== 哺乳類 == | == 哺乳類 == | ||
[[Image:フェロモン受容体図1.png|thumb|right|500px|'''図1. 哺乳類と昆虫におけるフェロモン受容体''' ]] | [[Image:フェロモン受容体図1.png|thumb|right|500px|'''図1. 哺乳類と昆虫におけるフェロモン受容体''' ]] | ||
[[Image:フェロモン受容体図2.png|thumb|right|400px|'''図2. マウスにおけるフェロモン受容器官と受容体''' ]] | [[Image:フェロモン受容体図2.png|thumb|right|400px|'''図2. マウスにおけるフェロモン受容器官と受容体''' ]] | ||
陸棲の脊椎動物の多くは、[[主嗅覚系]]と[[鋤鼻系]]([[副嗅覚系]])という2つの嗅覚システムを有している('''図1'''、'''2''')<ref name=Munger2009><pubmed>18808328</pubmed></ref>。鋤鼻系の機能に関しては、[[げっ歯類]]において[[鋤鼻器]]を切除するとオスの[[攻撃性|攻撃行動]]や[[性行動]]に異常をきたすことから、[[フェロモン]] | 陸棲の脊椎動物の多くは、[[主嗅覚系]]と[[鋤鼻系]]([[副嗅覚系]])という2つの嗅覚システムを有している('''図1'''、'''2''')<ref name=Munger2009><pubmed>18808328</pubmed></ref>。鋤鼻系の機能に関しては、[[げっ歯類]]において[[鋤鼻器]]を切除するとオスの[[攻撃性|攻撃行動]]や[[性行動]]に異常をきたすことから、[[フェロモン]]を受容する役割を持つとされていた<ref><pubmed>3032065</pubmed></ref>。 | ||
一方、主嗅覚系では一般的な匂いが受容されていると考えられていた。しかし最近では主嗅覚系でも揮発性のフェロモンを受容していることが示唆されている<ref><pubmed>17709238</pubmed></ref><ref name=Yoshikawa2013><pubmed>23314914</pubmed></ref><ref name=Lin2005><pubmed>15724148</pubmed></ref>。 | 一方、主嗅覚系では一般的な匂いが受容されていると考えられていた。しかし最近では主嗅覚系でも揮発性のフェロモンを受容していることが示唆されている<ref><pubmed>17709238</pubmed></ref><ref name=Yoshikawa2013><pubmed>23314914</pubmed></ref><ref name=Lin2005><pubmed>15724148</pubmed></ref>。 | ||
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フェロモン分子がV1Rに結合すると[[Gαi2]]を含む[[三量体Gタンパク質]]が活性化される。それに伴い遊離した[[Gβ2γ2]]サブユニットが[[ホスホリパーゼCβ2]]([[PLCβ2]])を活性化する。PLCβ2は[[ホスファチジルイノシトール二リン酸]]を加水分解して[[ジアシルグリセロール]]([[DAG]])と[[イノシトール三リン酸]]([[PI3]])を産生する。 | フェロモン分子がV1Rに結合すると[[Gαi2]]を含む[[三量体Gタンパク質]]が活性化される。それに伴い遊離した[[Gβ2γ2]]サブユニットが[[ホスホリパーゼCβ2]]([[PLCβ2]])を活性化する。PLCβ2は[[ホスファチジルイノシトール二リン酸]]を加水分解して[[ジアシルグリセロール]]([[DAG]])と[[イノシトール三リン酸]]([[PI3]])を産生する。 | ||
この下流として2種類のシグナル伝達機構が考えられている。1つ目はDAGが[[ | この下流として2種類のシグナル伝達機構が考えられている。1つ目はDAGが[[TRPC2]]チャネルに結合することでチャネルが開口してNa<sup>+</sup>やCa<sup>2+</sup>が細胞内に流入して脱分極が引き起される経路である<ref><pubmed>14642279</pubmed></ref>。 | ||
もう一つはDAGが[[DAGリパーゼ]]によって加水分解され[[アラキドン酸]]が産生し、アラキドン酸がCa<sup>2+</sup>感受性チャネルに結合することでCa<sup>2+</sup>が細胞内に流入することで脱分極が引き起こされる経路である<ref><pubmed>12351717</pubmed></ref><ref><pubmed>20147653</pubmed></ref>。このような細胞内シグナル伝達を経て、V1Rが受け取ったフェロモン情報は電気信号へと変換される。 | もう一つはDAGが[[DAGリパーゼ]]によって加水分解され[[アラキドン酸]]が産生し、アラキドン酸がCa<sup>2+</sup>感受性チャネルに結合することでCa<sup>2+</sup>が細胞内に流入することで脱分極が引き起こされる経路である<ref><pubmed>12351717</pubmed></ref><ref><pubmed>20147653</pubmed></ref>。このような細胞内シグナル伝達を経て、V1Rが受け取ったフェロモン情報は電気信号へと変換される。 | ||
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==== 遺伝子の特徴と受容体の構造 ==== | ==== 遺伝子の特徴と受容体の構造 ==== | ||
V2Rは7回膜貫通型のGPCRである('''図1''')。マウスはゲノム上に121個のV2R遺伝子を有する<ref><pubmed>17382427</pubmed></ref> | V2Rは7回膜貫通型のGPCRである('''図1''')。マウスはゲノム上に121個のV2R遺伝子を有する<ref><pubmed>17382427</pubmed></ref>。またV2RはV1Rと異なり配列中にイントロンを含む<ref name=Herrada1997/><ref name=Ryba1997/><ref name=Matsunami1997/>。 | ||
1つの鋤鼻神経細胞には各鋤鼻神経特異的なV2Rが1種類と、広く発現するV2R2の2つが発現している<ref><pubmed>11157070</pubmed></ref>。また、[[wj:主要組織適合遺伝子複合体|主要組織適合遺伝子複合体]](MHC)、[[wj:β2-ミクログロブリン|β2-ミクログロブリン]]と共発現していることから、V2Rはこれらの因子と複合体を形成して機能している可能性が示唆されている<ref><pubmed>12620187</pubmed></ref><ref><pubmed>12628182</pubmed></ref>。 | 1つの鋤鼻神経細胞には各鋤鼻神経特異的なV2Rが1種類と、広く発現するV2R2の2つが発現している<ref><pubmed>11157070</pubmed></ref>。また、[[wj:主要組織適合遺伝子複合体|主要組織適合遺伝子複合体]](MHC)、[[wj:β2-ミクログロブリン|β2-ミクログロブリン]]と共発現していることから、V2Rはこれらの因子と複合体を形成して機能している可能性が示唆されている<ref><pubmed>12620187</pubmed></ref><ref><pubmed>12628182</pubmed></ref>。 | ||
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==== シグナル伝達 ==== | ==== シグナル伝達 ==== | ||
V2Rを介したシグナル伝達機構は未だ明らかになっていないが、V2Rを発現する鋤鼻神経細胞にはGタンパク質のGαo、[[Gβ2]]、[[Gγ8]]やPLCβ2やTRPC2などが発現していることが明らかになっている。また、TRPC2遺伝子欠損マウスでは全てのV2Rリガンドに対する応答がなくなるのではなく、一部のV2Rリガンドに対しては応答が変化しないことが報告されている<ref name=Haga2010/><ref name=Chamero2007><pubmed>18064011</pubmed></ref><ref><pubmed>16820028</pubmed></ref>。これらのことからV2Rのシグナル伝達は、V1Rと同様に2種類存在し、PLCβ2-TRPC2経路と、DAG分解によって生じたアラキドン酸がCa<sup>2+</sup>感受性チャネルを開口させてCa<sup>2+</sup> | V2Rを介したシグナル伝達機構は未だ明らかになっていないが、V2Rを発現する鋤鼻神経細胞にはGタンパク質のGαo、[[Gβ2]]、[[Gγ8]]やPLCβ2やTRPC2などが発現していることが明らかになっている。また、TRPC2遺伝子欠損マウスでは全てのV2Rリガンドに対する応答がなくなるのではなく、一部のV2Rリガンドに対しては応答が変化しないことが報告されている<ref name=Haga2010/><ref name=Chamero2007><pubmed>18064011</pubmed></ref><ref><pubmed>16820028</pubmed></ref>。これらのことからV2Rのシグナル伝達は、V1Rと同様に2種類存在し、PLCβ2-TRPC2経路と、DAG分解によって生じたアラキドン酸がCa<sup>2+</sup>感受性チャネルを開口させてCa<sup>2+</sup>流入を生じさせる経路であると考えられている<ref name=Munger2009 />。 | ||
V2Rを発現する鋤鼻神経細胞は副嗅球の尾側に投射し、V1Rと同様に副嗅球でシナプスを介して扁桃体内側核や分界上床核へと情報が伝達され、その後、視床下部などの高次中枢へと情報が伝達されていく<ref name=Dulac2006/>。 | V2Rを発現する鋤鼻神経細胞は副嗅球の尾側に投射し、V1Rと同様に副嗅球でシナプスを介して扁桃体内側核や分界上床核へと情報が伝達され、その後、視床下部などの高次中枢へと情報が伝達されていく<ref name=Dulac2006/>。 | ||
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== 昆虫 == | == 昆虫 == | ||
生物における初のフェロモンの分子実体の解明は約半世紀前に遡る。[[wj:アドルフ・ブーテナント|ブテナント]]が[[wj:カイコガ|カイコガ]]のメスから放たれるオス誘引因子である[[ボンビコール]]を単離した時に、「フェロモン」という用語が生まれた<ref name=Butenandt1961>'''Butenandt A, Beckmann R, Hecker E'''<br>Über den Sexuallockstoff des Seidenspinners, I: Der biologische Test und die Isolierung des reinen Sexuallockstoffes Bombykol.<br>''Hoppe Seylers Z Physiol Chem.: 1961,324(1);71-83.'' | 生物における初のフェロモンの分子実体の解明は約半世紀前に遡る。[[wj:アドルフ・ブーテナント|ブテナント]]が[[wj:カイコガ|カイコガ]]のメスから放たれるオス誘引因子である[[ボンビコール]]を単離した時に、「フェロモン」という用語が生まれた<ref name=Butenandt1961>'''Butenandt A, Beckmann R, Hecker E'''<br>Über den Sexuallockstoff des Seidenspinners, I: Der biologische Test und die Isolierung des reinen Sexuallockstoffes Bombykol.<br>''Hoppe Seylers Z Physiol Chem.: 1961,324(1);71-83.''<br><pubmed> 13689417 </pubmed></ref>。昆虫のフェロモンは異性を誘引する性フェロモンの他にも、[[wj:アリ|アリ]]の[[道しるべフェロモン]]や[[警報フェロモン]]なども同定されている。昆虫ではフェロモン成分の同定が進んできた一方で、フェロモン受容の分子基盤が解明され始めたのはつい最近のことであり、2004年に昆虫におけるフェロモン受容は、一部の嗅覚受容体(OR)がその機能を果たすことがわかった<ref name=Sakurai2004><pubmed>15545611</pubmed></ref><ref><pubmed>23020622</pubmed></ref>。ここでは主に昆虫のフェロモン受容体としてのORについて概説する。 | ||
=== 発見の経緯 === | === 発見の経緯 === |