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<font size="+1">安島 綾子、[https://researchmap.jp/yoshihiroyoshihara/ 吉原 良浩]</font><br>
<font size="+1">安島 綾子、[https://researchmap.jp/yoshihiroyoshihara/ 吉原 良浩]</font><br>
''理化学研究所 脳神経科学研究センター システム分子行動学研究チーム''<br>
''理化学研究所 脳神経科学研究センター システム分子行動学研究チーム''<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2019年3月29日 原稿完成日:2019年2月4日<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2019年3月29日 原稿完成日:2019年4月5日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/keijitanaka 田中 啓治](独立行政法人理化学研究所 脳神経科学研究センター)<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/keijitanaka 田中 啓治](独立行政法人理化学研究所 脳神経科学研究センター)<br>
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=== 入力・出力 ===
=== 入力・出力 ===
 [[ラット]]、[[ネコ]]、[[サル]]等での古典的トレーサー実験により、前障は大脳皮質のほとんどすべての領野および[[扁桃体]][[基底外側部]]と双方向性な神経結合を有すると報告されている<ref><pubmed> 26801010 </pubmed></ref><ref name=eGariepy><pubmed> 12412139 </pubmed></ref><ref>'''Smythies JR, Edelstein LR and Ramachandran VS ed.'''<br>The claustrum-structural, functional and clinical neuroscience.<br>Academic Press: 2014</ref><ref><pubmed> 15643691 </pubmed></ref>。ネコ大脳皮質視覚野あるいは聴覚野と前障との神経結合様式を解析した実験で、前障の異なる亜領域がそれぞれ視覚野あるいは聴覚野と双方向結合を持つことが報告された<ref><pubmed>6169810</pubmed></ref><ref name=Beneyto><pubmed>11397538</pubmed></ref>。これらの亜領域は、それぞれ視覚前障 (visual claustrum)、聴覚前障(auditory claustrum)と呼ばれる。また、サルにおいて、皮質間結合が強い二つの領野(例えば[[運動前野]]と[[前頭連合野]]など)は前障内の共通のサブ領域に投射するが、皮質間結合が弱い二つの領野は異なるサブ領域に投射することが示されている<ref name=eGariepy /><ref><pubmed>6800568</pubmed></ref><ref><pubmed>2846794</pubmed></ref>。また、大脳皮質からの直接入力は、前障内興奮性ニューロンとともに抑制性ニューロンにも送られ、大脳皮質から前障への[[フィードフォワード抑制機構]]が存在することが報告されている<ref name=Kim2016><PubMed>26791208</pubmed></ref>。
 [[ラット]]、[[ネコ]]、[[サル]]等での古典的トレーサー実験により、前障は大脳皮質のほとんどすべての領野および[[扁桃体]][[基底外側部]]と双方向性な神経結合を有すると報告されている<ref><pubmed> 26801010 </pubmed></ref><ref name=eGariepy><pubmed> 12412139 </pubmed></ref><ref name=Smythies2014 >'''Smythies JR, Edelstein LR and Ramachandran VS ed.'''<br>The claustrum-structural, functional and clinical neuroscience.<br>''Academic Press:'' 2014</ref><ref><pubmed> 15643691 </pubmed></ref>。ネコ大脳皮質視覚野あるいは聴覚野と前障との神経結合様式を解析した実験で、前障の異なる亜領域がそれぞれ視覚野あるいは聴覚野と双方向結合を持つことが報告された<ref><pubmed>6169810</pubmed></ref><ref name=Beneyto><pubmed>11397538</pubmed></ref>。これらの亜領域は、それぞれ視覚前障 (visual claustrum)、聴覚前障(auditory claustrum)と呼ばれる。また、サルにおいて、皮質間結合が強い二つの領野(例えば[[運動前野]]と[[前頭連合野]]など)は前障内の共通のサブ領域に投射するが、皮質間結合が弱い二つの領野は異なるサブ領域に投射することが示されている<ref name=eGariepy /><ref><pubmed>6800568</pubmed></ref><ref><pubmed>2846794</pubmed></ref>。また、大脳皮質からの直接入力は、前障内興奮性ニューロンとともに抑制性ニューロンにも送られ、大脳皮質から前障への[[フィードフォワード抑制機構]]が存在することが報告されている<ref name=Kim2016><PubMed>26791208</pubmed></ref>。


 最近、[[トランスジェニックマウス]]や[[ウイルスベクター]]技術を駆使した前障ニューロンの神経回路遺伝学的解析が盛んに行われつつある<ref name=Zingg2018><pubmed> 30252130 </pubmed></ref><ref name=Narikiyo2018>'''Narikiyo K, Mizuguchi R, Ajima A, Mitsui S, Shiozaki M, Hamanaka H, Johansen JP, Mori K and Yoshihara Y'''<br>The claustrum coordinates cortical slow-wave activity.<br>bioRxiv: 2018, doi: https://doi.org/10.1101/286773</ref><ref name= Jackson2018><pubmed> 30122374 </pubmed></ref><ref name=Atlan2018><pubmed> 30122531 </pubmed></ref>。その結果は、上述の神経回路トレーサーを用いた古典的神経解剖学の知見とほとんど一致しており、前障が広範な大脳皮質領域および扁桃体基底外側部と双方性神経結合を有することが確認された<ref name=Zingg2018 /><ref name=Narikiyo2018 /><ref name=Wang2017></ref>。また、改変型[[狂犬病ウイルス]]を用いた単一シナプス逆行性トレーシング実験により、[[縫線核]]の[[セロトニン]]作働性ニューロン、[[大脳基底核]]の[[アセチルコリン]]作働性ニューロン、[[視床]][[内背側核]]の[[グルタミン酸]]作働性ニューロンなどから、前障へのシナプス入力の存在が明らかとなった<ref name=Zingg2018 /><ref name=Narikiyo2018 /><ref name=Atlan2018 />。
 最近、[[トランスジェニックマウス]]や[[ウイルスベクター]]技術を駆使した前障ニューロンの神経回路遺伝学的解析が盛んに行われつつある<ref name=Zingg2018><pubmed> 30252130 </pubmed></ref><ref name=Narikiyo2018>'''Narikiyo K, Mizuguchi R, Ajima A, Mitsui S, Shiozaki M, Hamanaka H, Johansen JP, Mori K and Yoshihara Y'''<br>The claustrum coordinates cortical slow-wave activity.<br>bioRxiv: 2018, doi: https://doi.org/10.1101/286773</ref><ref name= Jackson2018><pubmed> 30122374 </pubmed></ref><ref name=Atlan2018><pubmed> 30122531 </pubmed></ref>。その結果は、上述の神経回路トレーサーを用いた古典的神経解剖学の知見とほとんど一致しており、前障が広範な大脳皮質領域および扁桃体基底外側部と双方性神経結合を有することが確認された<ref name=Zingg2018 /><ref name=Narikiyo2018 /><ref name=Wang2017></ref><ref name=Altan2017><pubmed>26973027 </pubmed></ref>。また、改変型[[狂犬病ウイルス]]を用いた単一シナプス逆行性トレーシング実験により、[[縫線核]]の[[セロトニン]]作働性ニューロン、[[大脳基底核]]の[[アセチルコリン]]作働性ニューロン、[[視床]][[内背側核]]の[[グルタミン酸]]作働性ニューロンなどから、前障へのシナプス入力の存在が明らかとなった<ref name=Zingg2018 /><ref name=Narikiyo2018 /><ref name=Atlan2018 />。


=== 内部回路 ===
=== 内部回路 ===
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=== 分子マーカー ===
=== 分子マーカー ===
 前障だけに特異的に発現する分子はこれまでに発見されていない。しかしながら、マウスでは、[[Gnb4]] (guanine nucleotide-binding protein subunit &beta;-4)、[[Gng2]] (guanine nucleotide-binding protein subunit &gamma;-2)、[[Ntng2]]([[ネトリンG2]])、[[Nr4a2]] (nuclear receptor 4a2)、[[ラテキシン]]などが、前障ニューロンに高発現しており、隣接する皮質領域と前障を区別する分子マーカーとして利用されている('''図2'''<ref name=Narikiyo2018 /><ref name=Wang2017><pubmed>27223051</pubmed></ref><ref><pubmed> 24904319 </pubmed></ref>。また最近、前障ニューロンにDNA組換え酵素[[Cre]]を発現させた遺伝子改変マウスが報告されている<ref name=Wang2017></ref><ref name=Narikiyo2018></ref><ref name=Atlan2018 ></ref> 。
 前障だけに特異的に発現する分子はこれまでに発見されていない。しかしながら、マウスでは、[[Gnb4]] (guanine nucleotide-binding protein subunit &beta;-4)、[[Gng2]] (guanine nucleotide-binding protein subunit &gamma;-2)、[[Ntng2]]([[ネトリンG2]])、[[Nr4a2]] (nuclear receptor 4a2)、[[ラテキシン]]などが、前障ニューロンに高発現しており、隣接する皮質領域と前障を区別する分子マーカーとして利用されている('''図2''')<ref name=Narikiyo2018 /><ref name=Wang2017><pubmed>27223051</pubmed></ref><ref><pubmed>16203099</pubmed></ref><ref><pubmed> 24904319 </pubmed></ref>。また最近、前障ニューロンにDNA組換え酵素[[Cre]]を発現する遺伝子改変マウスが報告されている<ref name=Narikiyo2018></ref><ref name=Atlan2018 ></ref><ref name=Wang2017></ref> 。


== 機能 ==
== 機能 ==
 [[多種感覚情報統合|多種感覚情報の統合]] (multimodal sensory integration)、[[サリエンシー]]の検出 (saliency detection)、[[注意]]の割り当て (attentional load allocation)、[[意識]]の中枢 (neural correlates of consciousness)など、高次脳機能における前障の関与についての仮説が提唱されている<ref><pubmed> 16147522 </pubmed></ref><ref><pubmed> 26116988 </pubmed></ref><ref><pubmed> 29118217 </pubmed></ref><ref>'''Smythies JR, Edelstein LR and Ramachandran VS ed.'''<br>
 [[多種感覚情報統合|多種感覚情報の統合]] (multimodal sensory integration)、[[サリエンシー]]の検出 (saliency detection)、[[注意]]の割り当て (attentional load allocation)、[[意識]]の中枢 (neural correlates of consciousness)など、高次脳機能における前障の関与についての仮説が提唱されている<ref name=Smythies2014 /><ref><pubmed> 16147522 </pubmed></ref><ref><pubmed> 26116988 </pubmed></ref><ref><pubmed> 29118217 </pubmed></ref>。
The claustrum-structural, functional and clinical neuroscience.<br>
''Academic Press:'' 2014</ref>。


=== 前障ニューロンの活動 ===
=== 前障ニューロンの活動 ===
 前障ニューロンは、一般に低い自発発火頻度を持つことが、単一細胞記録で示されている<ref name=Narikiyo2018></ref><ref><pubmed> 13332440 </pubmed></ref>。また、睡眠中<ref name=Narikiyo2018></ref><ref><pubmed> 26601158 </pubmed></ref><ref><pubmed> 28347885 </pubmed></ref>における活動が覚醒時よりも高いことが、[[c-fos]]発現解析や単一細胞記録で報告されている。
 前障ニューロンは、一般に低い自発発火頻度を持つことが、単一細胞記録で示されている<ref name=Narikiyo2018></ref><ref><pubmed> 13332440 </pubmed></ref>。また、睡眠中<ref name=Narikiyo2018></ref><ref><pubmed> 26601158 </pubmed></ref><ref><pubmed> 28347885 </pubmed></ref>における活動が覚醒時よりも高いことが、[[c-fos]]発現解析や単一細胞記録で報告されている。


 サルとネコの実験において、前障には視覚刺激または聴覚刺激に反応するニューロンがあること報告されている<ref><pubmed> 7442793 </pubmed></ref><ref><pubmed> 7209525 </pubmed></ref><ref name=Remedios2010><pubmed> 20881109 </pubmed></ref><ref name=Remedios2014><pubmed> 24772069 </pubmed></ref>。これらの反応の刺激特徴(傾きや音の高さなど)に対する選択性は低く[26][27][30]、刺激開始時に限局している<ref name=Remedios2010></ref><ref name=Remedios2014></ref>[28][29] 。これらのことは、前障ニューロンは詳細な感覚情報ではなく、個々の刺激のタイミングの情報を伝えていることを示唆している。
 サルとネコの実験において、前障には視覚刺激または聴覚刺激に反応するニューロンがあること報告されている<ref name=Olson><pubmed> 7442793 </pubmed></ref><ref name=Sherk><pubmed> 7209525 </pubmed></ref><ref name=Remedios2010><pubmed> 20881109 </pubmed></ref><ref name=Remedios2014><pubmed> 24772069 </pubmed></ref>。これらの反応の刺激特徴(傾きや音の高さなど)に対する選択性は低く<ref name=Olson /><ref name=Sherk /><ref><pubmed> 3948949 </pubmed></ref>、刺激開始時に限局している<ref name=Remedios2010></ref><ref name=Remedios2014></ref> 。これらのことは、前障ニューロンは詳細な感覚情報ではなく、個々の刺激のタイミングの情報を伝えていることを示唆している。


=== 前障ニューロンが大脳皮質に及ぼす影響 ===
=== 前障ニューロンが大脳皮質に及ぼす影響 ===
 1980年頃から前障の電気刺激や傷害に伴う大脳皮質ニューロンの活動変化を解析する研究がなされてきたが<ref><pubmed> 7104694 </pubmed></ref><ref><pubmed> 6489496 </pubmed></ref><ref><pubmed> 3257060 </pubmed></ref><ref><pubmed> 26186439 </pubmed></ref>[30-33]、薄く不規則な形のシート状構造をとる前障のニューロンを選択的に興奮あるいは抑制させることは困難であり、前障の機能についての統一的見解は得られていなかった。しかしながら近年の、ウイルスベクター・[[光遺伝学]]・[[化学遺伝学]]などの神経回路遺伝学技術の革新により、光刺激や薬物投与で前障ニューロン特異的に活動操作をすることが可能となり、ようやくその機能の一端が明らかになりつつある。
 1980年頃から前障の電気刺激や傷害に伴う大脳皮質ニューロンの活動変化を解析する研究がなされてきたが<ref><pubmed> 7104694 </pubmed></ref><ref><pubmed> 6489496 </pubmed></ref><ref><pubmed> 3257060 </pubmed></ref><ref><pubmed> 26186439 </pubmed></ref>、薄く不規則な形のシート状構造をとる前障のニューロンを選択的に興奮あるいは抑制させることは困難であり、前障の機能についての統一的見解は得られていなかった。しかしながら近年の、ウイルスベクター・[[光遺伝学]]・[[化学遺伝学]]などの神経回路遺伝学技術の革新により、光刺激や薬物投与で前障ニューロン特異的に活動操作をすることが可能となり、ようやくその機能の一端が明らかになりつつある。


 マウス前障ニューロンに[[チャネルロドプシン|光駆動性陽イオンチャネル]]([[チャネルロドプシン]])を発現させ、光刺激によって前障ニューロンを興奮させると、大脳皮質内の多くの抑制性ニューロン(特に[[ニューロペプチドY]] (NPY)陽性ニューロンと[[パルブアルブミン]] (PV)陽性ニューロン)において[[活動電位]]が発生する<ref name=Narikiyo2018></ref><ref name= Jackson2018></ref>。しかし、大脳皮質の[[錐体細胞]]では、興奮性[[後シナプス電位]](excitatory postsynaptic potential: EPSP)が誘導されるものの、活動電位は発生しない<ref name= Jackson2018></ref>。しかしながら、NPY陽性抑制性ニューロンの活動を阻害しておくと、前障の光遺伝学的刺激により活動電位が発生する<ref name= Jackson2018></ref>。これらのことから前障ニューロンは、大脳皮質内抑制性ニューロン(特にNPY陽性ニューロン)の興奮を介して、錐体細胞に[[フィードフォワード抑制]]をかけると考えられる。
 マウス前障ニューロンに[[チャネルロドプシン|光駆動性陽イオンチャネル]]([[チャネルロドプシン]])を発現させ、光刺激によって前障ニューロンを興奮させると、大脳皮質内の多くの抑制性ニューロン(特に[[ニューロペプチドY]] ([[NPY]])陽性ニューロンと[[パルブアルブミン]] (PV)陽性ニューロン)において[[活動電位]]が発生する<ref name=Narikiyo2018></ref><ref name= Jackson2018></ref>。しかし、大脳皮質の[[錐体細胞]]では、興奮性[[後シナプス電位]](excitatory postsynaptic potential: EPSP)が誘導されるものの、活動電位は発生しない<ref name= Jackson2018></ref>。ところが、NPY陽性抑制性ニューロンの活動を阻害しておくと、前障の光遺伝学的刺激により活動電位が発生する<ref name= Jackson2018></ref>。これらのことから前障ニューロンは、大脳皮質内抑制性ニューロン(特にNPY陽性ニューロン)の興奮を介して、錐体細胞に[[フィードフォワード抑制]]をかけると考えられる。


 ヒトの[[てんかん]]発作の治療の一環で、前障に高頻度電気刺激を与えると、それまでの行動が一時停止し、意識喪失状態になる。電気刺激を止めたところ、何事もなかったかのように元の動作を続けたと報告されている<ref><pubmed> 24967698 </pubmed></ref>。マウス及びヒトにおける以上の知見により、前障が意識のオン/オフに関与している可能性が示唆されている。
 ヒトの[[てんかん]]発作の治療の一環で、前障に高頻度電気刺激を与えると、それまでの行動が一時停止し、意識喪失状態になる。電気刺激を止めたところ、何事もなかったかのように元の動作を続けたと報告されている<ref><pubmed> 24967698 </pubmed></ref>。マウス及びヒトにおける以上の知見により、前障が意識のオン/オフに関与している可能性が示唆されている。