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''東北大学 大学院情報科学研究科 情報生物学分野''<br> | ''東北大学 大学院情報科学研究科 情報生物学分野''<br> | ||
DOI:<selfdoi /> | DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2018年2月26日 原稿完成日:2018年4月4日<br> | ||
担当編集委員:[ | 担当編集委員:[https://researchmap.jp/masahikowatanabeo 渡辺 雅彦] (北海道大学大学院医学研究院 解剖学分野 解剖発生学教室)<br> | ||
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英語名:Golgi Method, Golgi | 英語名:Golgi Method, Golgi Stain 独:Golgi-Methode, Golgi-Färbung 仏:méthode de Golgi, coloration de Golgi | ||
{{box|text= ゴルジ染色は、クロム酸とオスミウム酸で 固定した脳サンプルを、硝酸銀に沈めて神経細胞の微細構造を可視化する染色方法。ごくわずかの神経細胞がランダムに染⾊され、染まった細胞は⿊く、そのほかの細胞は無⾊であるため、鍍銀された神経細胞の樹状突起スパインなどの微細構造が明瞭に浮かび上がる。このため、本法による染⾊像は他の染⾊方法と⽐べて⾼いコントラストを有する。一方、煩雑でかつ成功までには技術を要する。}} | |||
== ゴルジ染色とは == | == ゴルジ染色とは == | ||
[[ゴルジ]] | [[Image:golgi1.png|thumb|right|250px|'''図1. カミッロ・ゴルジ (Camilo Golgi 1843年7⽉7⽇ ‒ 1926年1⽉21⽇ 82歳没)''' <br /> | ||
イタリア(19世紀イタリアの[[wj:ロンバルド=ヴェネト王国|ロンバルドヴェネド王国]])の[[wj:コルテノ・ゴルジ|コルテノゴルジ]]に⽣まれ[[wj:パヴィア⼤学|パヴィア⼤学]]医学部を卒業。ゴルジ染⾊と細胞⼩器官の[[ゴルジ体]]を発⾒する。ゴルジ染⾊によって可視化された神経細胞を観察し神経細胞は連続した「[[網状説]]」を提唱した。しかし、同じくゴルジ染⾊を使⽤し研究を⾏なったスペインの[[カハール]]は、ひとつひとつの神経細胞は独⽴しているとする「[[ニューロン説]]」を提唱した。全く違う説を提唱しながらもその功績の⼤きさに、2⼈は1906 年に[[wj:ノーベル賞|ノーベル賞]]を受賞した([[電⼦顕微鏡]]の開発により現在ではカハールのニューロン説が正しいとされている)。ウィキペディアより。]] | |||
[[Image:golgi2.png|thumb|right|250px|'''図2. ゴルジ・コックス染⾊によるマウスの[[海⾺]][[⻭状回]]における顆粒細胞像''' <br /> | |||
⿊い円状の[[神経細胞体]]から、写真の上⽅向に樹状突起が伸びている。よく⾒ると樹状突起からコブのように⾶び出した構造物が確認できるが、さらに高倍率に拡大すると樹状突起スパイン(棘突起)とわかる。。また細胞体からは写真の下部⽅向に細い線維が出ているが、これは[[軸索]]である。ゴルジ染⾊・写真撮影(筆者)]] | |||
[[ゴルジ]]染⾊は、イタリアの[[wj:ノーベル生理学・医学賞|ノーベル生理学・医学賞]]受賞者の[[wj:カミッロ・ゴルジ|カミッロ・ゴルジ]](Camillo Golgi: 1843-1926 '''図1''')によって考案された鍍銀法の⼀種で、神経細胞の形態や[[樹状突起スパイン]]([[樹状突起]]に⾒られる[[棘突起]]構造)などの微細構造を可視化するために⽤いられる染⾊法である。本法による染⾊像は他の化学染⾊や[[免疫染⾊]]と⽐べて⾼いコントラストを有するが、染まった細胞はその細部に至るまで細胞全体が⿊く、そのほかの細胞は無⾊であるため、鍍銀された神経細胞の樹状突起スパインなどの微細構造が明瞭に浮かび上がる。('''図2''')。 | |||
ゴルジ染⾊は、1873年の発⾒から現在に至るまで神経科学研究の第⼀線で利⽤される古典的な組織学的⼿法である。特に、[[精神神経疾患]]や学習に伴う樹状突起スパインの形状や密度の変化などの微細構造解析において頻用されている。一方、樹状突起や軸索を含めた1個のニューロンの形態学的可視化という研究目的では、ゴルジ染色は[[神経トレーサー標識法]]や[[GFP]]などの蛍光タンパク質標識法にとって代わられている。 | |||
== 歴史的背景 == | == 歴史的背景 == | ||
[[Image:golfi3.png|thumb|right|250px|'''図3. 萬年甫による「猫脳ゴルジ染⾊図譜」の⼀部''' <br /> | |||
[[wj:萬年甫|萬年甫]]による「猫脳ゴルジ染⾊図譜」は、1988 年岩波書店によって210 部が刷られ、そのうち100 部は国外の脳研究所へ送られた<ref>'''萬年甫'''<br>神経細胞の形を求めて<br>''⽇仏医学'' 34, 1-16,: 2012</ref>。残りは⼀部の国⽴⼤学図書館や博物館などに貴重書として保管されている。実際の「猫脳ゴルジ染⾊図譜」を⾒るとわかるが、神経細胞は細胞体の⼤きさによって⾊分けがなされており、明らかに軸索とわかる構造には⽮頭が付されてある<ref name=mannen1988/>。これらはゴルジ染⾊像をスキャンして着⾊したのではなく、すべて⼿書きによる作画である。<br /> | |||
岩波書店の許可を得て『意識をめぐる冒険<ref>'''クリストフ・コッホ (著) 土谷 尚嗣, 小畑 史哉 (翻訳)'''<br>意識をめぐる冒険<br>''岩波書店'' :2014</ref>』の表紙の一部掲載。著作権で保護されており転載2次使用不可]] | |||
ゴルジ染⾊では、[[wj:クロム酸|クロム酸]]や[[wj:塩化水銀(II)|塩化第⼆⽔銀]]などが⽤いられるが、これらの化合物は歴史的に、[[アルコール]]や[[ホルマリン]]と同様に組織固定液として利⽤されてきた<ref>'''Stephen Polyak ; edited Heinrich Klüver'''<br>The vertebrate visual system : its origin, structure, and function and its manifestations in disease with an analysis of its role in the life of animals and in the origin of man, preceded by a historical review of investigations of the eye, and of the visual pathways and centers of the brain<br>''University of Chicago Press'':1957</ref>。他の病理学者と同様に、ゴルジ⾃⾝も様々な固定液を⽤いて病理標本の観察を⾏っていた。ゴルジはクロム酸とオスミウム酸で固定した脳サンプルを、当時、⽤いられ始めていた[[wj:硝酸銀|硝酸銀]]に沈めて切⽚を作成することを試みた。作成した切⽚を顕微鏡のステージにのせ、レンズを覗き込んだ彼の眼には⿊々と染まった神経細胞が映しだされ、彼はこの⽅法を「⿊い反応」と名付け、すぐさま学術誌に公表した<ref>'''Golgi C'''<br>Sulla struttura della sostanza grigia del cervello<br>''Gazzetta Medica Italiana, Lombardia,'' 33, 244-246 :1873 [[media:Golgi original publication 1873.pdf|PDF]]</ref>。この「⿊い反応」が発⾒されたのは、1873 年ゴルジがちょうど30 歳の時であった。本法は、のちに彼の名前をつけて「ゴルジ染⾊」と呼ばれるようになり、現在に⾄っている。1873 年の「⿊い反応」の発表以降、多くの医師がゴルジの⽅法を⽤いて神経細胞の染⾊を試み、その恩恵を受けたことは想像に難くない。 | |||
= | 1888 年にはイタリアの医師カハール(ゴルジと共に1906 年に神経系の構造に関する研究としてノーベル⽣理学医学賞を受賞)がゴルジの原法を改良し[[反応時間]]を短縮させた急速ゴルジ法(ラピッドゴルジ法)を編み出している<ref>'''Cajal S R'''<br>Estructura de los centros nerviosos de las aves<br>''Cerebelo Rev Trim Histol Norm Patol,'' 1, 1-10: 1888</ref>。さらに1891 年には、オランダの医師コックスがゴルジ染⾊を改変した[[ゴルジ・コックス染⾊法]]を発表した<ref name=CoxWH1891>'''Cox WH'''<br>Imprägnation des centralen Nervensystems mit Quecksilber-salzen<br>''Arch. mikrosk. Anat., 37, 16-21,'': 1891</ref>。ゴルジ・コックス染⾊は、発表当時、ゴルジ染⾊よりも安定した結果が得られると評判になった。 | ||
== | ⽇本においては、神経解剖学者の萬年甫(1923−2011)がゴルジ・コックス染⾊法を⽤いて様々な[[動物]]の脳の神経構造を明らかにしてきた<ref>'''萬年甫'''<br>動物の脳採集記<br>''中公新書'' :1361</ref>。とくに、1988年に出版された「猫脳ゴルジ染⾊図譜」は萬年甫が約30 年の歳⽉をかけて作成した脳地図で、本書はもはや神経解剖学の領域を超えて芸術の域に達している('''図3''')<ref name=mannen1988>'''萬年甫'''<br>A dendro‐cyto‐myeloarchitectonic atlas of the catʼs brain 猫脳ゴルジ染⾊図譜<br>''岩波書店'' :1988 ISBN 9784000097697</ref>。このような歴史のある染⾊法は、現在でも改良が加えられながら時折その⽅法が学術誌に紹介されている。 | ||
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==原理 == | |||
# 2.3% (w/w) ⼆クロム酸カリウムならびに0.19% (w/w) | ゴルジ染⾊とゴルジ・コックス染⾊は⽤いる化合物が異なっており、ゴルジ染⾊では単にオスミウム酸と[[wj:二クロム酸カリウム|⼆クロム酸カリウム]]で固定した脳を硝酸銀⽔溶液に漬けるのみであるが、ゴルジ・コックス染⾊では、⼆クロム酸に加えて[[wj:クロム酸カリウム|クロム酸カリウム]]と[[wj:塩化水銀|塩化水銀]]で固定した脳を[[wj:アンモニア|アンモニア]]⽔で発⾊(⿊化)させている<ref name=NautaW1970>'''Eds: Nauta Walle JH; Ebbesson Sven OE'''<br>Contemporary Research Methods in Neuroanatomy<br>''Springer'': 1970</ref><ref name=HW2017>'''Kang HW et al.'''<br>Comprehensive Review of Golgi Staining Methods for Nervous Tissue<br>''Appl Microsc.,'' 47, 63-69: 2017</ref>。すなわちゴルジ染⾊ではクロム酸銀の沈着を、またゴルジ・コックス染⾊では、⽔銀とアンモニア⽔による反応で⾦属⽔銀の沈着を観察することとなる。(アリゾナ州立大学 James P. Birkのウェブサイト[http://www.public.asu.edu/~jpbirk/qual/qualanal/mercury.html Mercury]を参照。 | ||
これらの⽅法はともに、ごくわずかな神経細胞のみを染⾊し、染⾊された神経は⿊く強調され、そのほかの細胞は全く染⾊されないという⾮常に⾼いシグナル/ノイズ⽐をもたらすが、この成因については未だ明らかにされていない<ref>'''Nicholls JG et al.'''<br>From neuron to brain<br>''Sinauer Associates Inc.,'' pp. 5,: 2001</ref>。コックスが論⽂の中で述べたゴルジ染⾊の特⾊を、萬年甫は⾃らの書籍の中で次のように紹介している。「化合物の化学的あるいは物理的組成が、おそらく細胞の⽣理的状態の違い、あるいは細胞の死と関連してこのような差異を⽣ずるに違いない」と<ref name=CoxWH1891/><ref name=Mannen2011>'''萬年甫'''<br>脳を固める・切る・染める−先⼈の知恵−<br>''メディカルレビュー社'' p176-177,: 2011</ref>。 | |||
==⽅法 == | |||
=== 原法 === | |||
ゴルジ染色の原法<ref name=NautaW1970/>を記載する。 | |||
# 2.3% (w/w) ⼆クロム酸カリウムならびに0.19% (w/w)[[wj:酸化オスミウム(VIII)|四酸化オスミウム]]を含んだ固定液を作成し、約4-5 mm ⾓の脳標品を20 ml の固定液に浸漬する。室温で7⽇間保存する。 | |||
# その後、脳標品を0.75%硝酸銀⽔溶液ですすぎ、あらたに硝酸銀⽔溶液を注ぎ⼊れ室温で⼀晩保存する。 | # その後、脳標品を0.75%硝酸銀⽔溶液ですすぎ、あらたに硝酸銀⽔溶液を注ぎ⼊れ室温で⼀晩保存する。 | ||
# リンスをせずに脳標品を1 の溶液に戻し6⽇間再固定する。 | # リンスをせずに脳標品を1.の溶液に戻し6⽇間再固定する。 | ||
# | # 新しい硝酸銀⽔溶液を⽤いて2.の操作を繰り返し2晩保存する。 | ||
# 新しい1 の固定液再び沈め3⽇間保存する。 | # 新しい1.の固定液再び沈め3⽇間保存する。 | ||
# 100% | # 100%[[wj:エタノール|エタノール]]で脱⽔し、ソフトパラフィン(⽩⾊ワセリン)内に包埋をする。 | ||
# 100%エタノールで湿らせながらスライド式ミクロトームで100-300 μm 程度に薄切する。薄切した切⽚は100%エタノールの⼊った容器に15 | # 100%エタノールで湿らせながらスライド式ミクロトームで100-300 μm 程度に薄切する。薄切した切⽚は100%エタノールの⼊った容器に15 分間沈め、その後、[[w:Oil of clove|クローブ油]]か[[wj:テレビン油|テレピン油]]の⼊った容器に移して15 分間沈める。 | ||
# | # スライドガラスに伸展した後に[[wj:キシレン|キシレン]]でオイルを落とし、中性の封⼊剤を乗せてカバーガラスなしに硬化させる。 | ||
=== ゴルジ・コックス染色 === | === ゴルジ・コックス染色 === | ||
いくつかの修正された⽅法が⽰されているが、ここでは代表的な⽅法を記載した<ref><pubmed> 27065817</pubmed></ref>。 | |||
# 5%⼆クロム酸カリウム⽔溶液(たとえば100 ml 蒸留⽔に5 グラム)と5%塩化⽔銀⽔溶液(100 ml 蒸留⽔に5 グラム)、ならびに5%クロム酸カリウム⽔溶液(80 ml 蒸留⽔に4グラム)を作成する。 | # 5%⼆クロム酸カリウム⽔溶液(たとえば100 ml 蒸留⽔に5 グラム)と5%塩化⽔銀⽔溶液(100 ml 蒸留⽔に5 グラム)、ならびに5%クロム酸カリウム⽔溶液(80 ml 蒸留⽔に4グラム)を作成する。 | ||
# 作成した5%⼆クロム酸カリウム⽔溶液と5%塩化⽔銀⽔溶液を混合し(合計200 | # 作成した5%⼆クロム酸カリウム⽔溶液と5%塩化⽔銀⽔溶液を混合し(合計200 ml)、ガラス棒を⽤いて撹拌する。 | ||
# [[ | #2.で混合した溶液と5%クロム酸カリウム⽔溶液を混合し、さらに蒸留⽔を200 ml を加える。溶液の⼊ったボトルは遮光し2⽇から1週間程度暗所室温で保存してから使⽤する。 | ||
# | # [[灌流]]することなく⽣理⾷塩⽔ですすいだ脳標本([[マウス]]脳程度の⼤きさにトリミングした標本)をバイアルビンなどに⼊れて、3 のゴルジ液を注ぐ。標本を暗所(室温)に静置し、2⽇後にゴルジ液を廃棄。新たなゴルジ液を注ぎ、さらに1-2 週間寝かす。 | ||
# この間にクリオプロテクタント液を作成する。300 g [[wj:スクロース|ショ糖]]、10 g [[wj:ポリビニルピロリドン|ポリビニルピロリドン]]、300 ml [[wj:エチレングリコール|エチレングリコール]]を蒸留⽔に溶解1 リットルに保存する。 | |||
# 1-2 週間ゴルジ液に保存したサンプルを新たなバイアルビンに移し、クリオプロテクタント液を注ぐ。冷暗所(4℃)に保存する。翌⽇、液を交換し数⽇冷暗所に保存する。 | # 1-2 週間ゴルジ液に保存したサンプルを新たなバイアルビンに移し、クリオプロテクタント液を注ぐ。冷暗所(4℃)に保存する。翌⽇、液を交換し数⽇冷暗所に保存する。 | ||
# プロテクタント液を張ったビブラトームを⽤いて、100 μm 程度の切⽚を作成する。切⽚は即座にスライドガラスに伸ばし、プロテクタント液を数滴たらす。プロテクタント液で湿らせたペーパータオルで切⽚の上から指で押し圧をかけてスライドに密着させる。その後スライドを暗所で乾燥させる。 | # プロテクタント液を張ったビブラトームを⽤いて、100 μm 程度の切⽚を作成する。切⽚は即座にスライドガラスに伸ばし、プロテクタント液を数滴たらす。プロテクタント液で湿らせたペーパータオルで切⽚の上から指で押し圧をかけてスライドに密着させる。その後スライドを暗所で乾燥させる。 | ||
# 切⽚の張り付いたスライドを蒸留⽔で軽く、3倍希釈したアンモニア⽔に5から10分程度浸し、アルコール系列で脱⽔後、中性封⼊剤で封⼊する。 | # 切⽚の張り付いたスライドを蒸留⽔で軽く、3倍希釈したアンモニア⽔に5から10分程度浸し、アルコール系列で脱⽔後、中性封⼊剤で封⼊する。 | ||
== | == 問題点 == | ||
ゴルジ染⾊は、我々が⽇常⾏なっている化学染⾊や免疫染⾊と⽐べて、煩雑でかつ成功までには少々の技術を要するため、そう簡易な染⾊⽅法ではない。 | |||
ゴルジ染液に浸して作成した切⽚は乾燥に弱く、少しでも乾くとクラック(ひび割れ)が⼊って標本として利⽤できなくなるため、スライドガラスへの貼り付けは⾵乾ではなく、物理的に⼒を加えて圧着し、湿箱内で静置して標本とスライドガラスを接着させるなどの⼯夫が必要となる。 | |||
また、ゴルジ染⾊は、たやすく神経細胞のみを選択的に染⾊すると思われがちであるが、浸漬時間や温度などの条件によって、神経細胞に加えて[[グリア細胞]]や[[wj:血管内皮|血管内皮]]細胞が染⾊されることもある<ref name=NautaW1970/><ref name=HW2017/>。 | |||
ゴルジ・コックス染⾊液では、クロム酸カリウムだけでなく、二クロム酸カリウムを加えているが、アルカリ性を示すクロム酸カリウム溶液(5% ⽔溶液でpH 8.5 からpH9.5 を⽰す)に酸性を示す二クロム酸カリウム水溶液(5%水溶液でpH3.8程度)を加えることで、染色液の[[wj:水素イオン指数|⽔素イオン濃度]]の調整をおこなっている。<ref name=CoxWH1891/><ref name=Mannen2011/>。このことから、反応温度や時間にくわえて溶液のpH も染⾊結果に影響をもたらすと理解できる。 | |||
==外部リンク== | |||
*アリゾナ州立大学 James P. Birkのウェブサイト[http://www.public.asu.edu/~jpbirk/qual/qualanal/mercury.html Mercury] | |||
== 参考⽂献 == | |||
<references/> |
2019年6月12日 (水) 22:41時点における最新版
内⽥克哉
東北大学 大学院情報科学研究科 情報生物学分野
DOI:10.14931/bsd.7511 原稿受付日:2018年2月26日 原稿完成日:2018年4月4日
担当編集委員:渡辺 雅彦 (北海道大学大学院医学研究院 解剖学分野 解剖発生学教室)
英語名:Golgi Method, Golgi Stain 独:Golgi-Methode, Golgi-Färbung 仏:méthode de Golgi, coloration de Golgi
ゴルジ染色は、クロム酸とオスミウム酸で 固定した脳サンプルを、硝酸銀に沈めて神経細胞の微細構造を可視化する染色方法。ごくわずかの神経細胞がランダムに染⾊され、染まった細胞は⿊く、そのほかの細胞は無⾊であるため、鍍銀された神経細胞の樹状突起スパインなどの微細構造が明瞭に浮かび上がる。このため、本法による染⾊像は他の染⾊方法と⽐べて⾼いコントラストを有する。一方、煩雑でかつ成功までには技術を要する。
ゴルジ染色とは
ゴルジ染⾊は、イタリアのノーベル生理学・医学賞受賞者のカミッロ・ゴルジ(Camillo Golgi: 1843-1926 図1)によって考案された鍍銀法の⼀種で、神経細胞の形態や樹状突起スパイン(樹状突起に⾒られる棘突起構造)などの微細構造を可視化するために⽤いられる染⾊法である。本法による染⾊像は他の化学染⾊や免疫染⾊と⽐べて⾼いコントラストを有するが、染まった細胞はその細部に至るまで細胞全体が⿊く、そのほかの細胞は無⾊であるため、鍍銀された神経細胞の樹状突起スパインなどの微細構造が明瞭に浮かび上がる。(図2)。
ゴルジ染⾊は、1873年の発⾒から現在に至るまで神経科学研究の第⼀線で利⽤される古典的な組織学的⼿法である。特に、精神神経疾患や学習に伴う樹状突起スパインの形状や密度の変化などの微細構造解析において頻用されている。一方、樹状突起や軸索を含めた1個のニューロンの形態学的可視化という研究目的では、ゴルジ染色は神経トレーサー標識法やGFPなどの蛍光タンパク質標識法にとって代わられている。
歴史的背景
ゴルジ染⾊では、クロム酸や塩化第⼆⽔銀などが⽤いられるが、これらの化合物は歴史的に、アルコールやホルマリンと同様に組織固定液として利⽤されてきた[4]。他の病理学者と同様に、ゴルジ⾃⾝も様々な固定液を⽤いて病理標本の観察を⾏っていた。ゴルジはクロム酸とオスミウム酸で固定した脳サンプルを、当時、⽤いられ始めていた硝酸銀に沈めて切⽚を作成することを試みた。作成した切⽚を顕微鏡のステージにのせ、レンズを覗き込んだ彼の眼には⿊々と染まった神経細胞が映しだされ、彼はこの⽅法を「⿊い反応」と名付け、すぐさま学術誌に公表した[5]。この「⿊い反応」が発⾒されたのは、1873 年ゴルジがちょうど30 歳の時であった。本法は、のちに彼の名前をつけて「ゴルジ染⾊」と呼ばれるようになり、現在に⾄っている。1873 年の「⿊い反応」の発表以降、多くの医師がゴルジの⽅法を⽤いて神経細胞の染⾊を試み、その恩恵を受けたことは想像に難くない。
1888 年にはイタリアの医師カハール(ゴルジと共に1906 年に神経系の構造に関する研究としてノーベル⽣理学医学賞を受賞)がゴルジの原法を改良し反応時間を短縮させた急速ゴルジ法(ラピッドゴルジ法)を編み出している[6]。さらに1891 年には、オランダの医師コックスがゴルジ染⾊を改変したゴルジ・コックス染⾊法を発表した[7]。ゴルジ・コックス染⾊は、発表当時、ゴルジ染⾊よりも安定した結果が得られると評判になった。
⽇本においては、神経解剖学者の萬年甫(1923−2011)がゴルジ・コックス染⾊法を⽤いて様々な動物の脳の神経構造を明らかにしてきた[8]。とくに、1988年に出版された「猫脳ゴルジ染⾊図譜」は萬年甫が約30 年の歳⽉をかけて作成した脳地図で、本書はもはや神経解剖学の領域を超えて芸術の域に達している(図3)[2]。このような歴史のある染⾊法は、現在でも改良が加えられながら時折その⽅法が学術誌に紹介されている。
原理
ゴルジ染⾊とゴルジ・コックス染⾊は⽤いる化合物が異なっており、ゴルジ染⾊では単にオスミウム酸と⼆クロム酸カリウムで固定した脳を硝酸銀⽔溶液に漬けるのみであるが、ゴルジ・コックス染⾊では、⼆クロム酸に加えてクロム酸カリウムと塩化水銀で固定した脳をアンモニア⽔で発⾊(⿊化)させている[9][10]。すなわちゴルジ染⾊ではクロム酸銀の沈着を、またゴルジ・コックス染⾊では、⽔銀とアンモニア⽔による反応で⾦属⽔銀の沈着を観察することとなる。(アリゾナ州立大学 James P. BirkのウェブサイトMercuryを参照。
これらの⽅法はともに、ごくわずかな神経細胞のみを染⾊し、染⾊された神経は⿊く強調され、そのほかの細胞は全く染⾊されないという⾮常に⾼いシグナル/ノイズ⽐をもたらすが、この成因については未だ明らかにされていない[11]。コックスが論⽂の中で述べたゴルジ染⾊の特⾊を、萬年甫は⾃らの書籍の中で次のように紹介している。「化合物の化学的あるいは物理的組成が、おそらく細胞の⽣理的状態の違い、あるいは細胞の死と関連してこのような差異を⽣ずるに違いない」と[7][12]。
⽅法
原法
ゴルジ染色の原法[9]を記載する。
- 2.3% (w/w) ⼆クロム酸カリウムならびに0.19% (w/w)四酸化オスミウムを含んだ固定液を作成し、約4-5 mm ⾓の脳標品を20 ml の固定液に浸漬する。室温で7⽇間保存する。
- その後、脳標品を0.75%硝酸銀⽔溶液ですすぎ、あらたに硝酸銀⽔溶液を注ぎ⼊れ室温で⼀晩保存する。
- リンスをせずに脳標品を1.の溶液に戻し6⽇間再固定する。
- 新しい硝酸銀⽔溶液を⽤いて2.の操作を繰り返し2晩保存する。
- 新しい1.の固定液再び沈め3⽇間保存する。
- 100%エタノールで脱⽔し、ソフトパラフィン(⽩⾊ワセリン)内に包埋をする。
- 100%エタノールで湿らせながらスライド式ミクロトームで100-300 μm 程度に薄切する。薄切した切⽚は100%エタノールの⼊った容器に15 分間沈め、その後、クローブ油かテレピン油の⼊った容器に移して15 分間沈める。
- スライドガラスに伸展した後にキシレンでオイルを落とし、中性の封⼊剤を乗せてカバーガラスなしに硬化させる。
ゴルジ・コックス染色
いくつかの修正された⽅法が⽰されているが、ここでは代表的な⽅法を記載した[13]。
- 5%⼆クロム酸カリウム⽔溶液(たとえば100 ml 蒸留⽔に5 グラム)と5%塩化⽔銀⽔溶液(100 ml 蒸留⽔に5 グラム)、ならびに5%クロム酸カリウム⽔溶液(80 ml 蒸留⽔に4グラム)を作成する。
- 作成した5%⼆クロム酸カリウム⽔溶液と5%塩化⽔銀⽔溶液を混合し(合計200 ml)、ガラス棒を⽤いて撹拌する。
- 2.で混合した溶液と5%クロム酸カリウム⽔溶液を混合し、さらに蒸留⽔を200 ml を加える。溶液の⼊ったボトルは遮光し2⽇から1週間程度暗所室温で保存してから使⽤する。
- 灌流することなく⽣理⾷塩⽔ですすいだ脳標本(マウス脳程度の⼤きさにトリミングした標本)をバイアルビンなどに⼊れて、3 のゴルジ液を注ぐ。標本を暗所(室温)に静置し、2⽇後にゴルジ液を廃棄。新たなゴルジ液を注ぎ、さらに1-2 週間寝かす。
- この間にクリオプロテクタント液を作成する。300 g ショ糖、10 g ポリビニルピロリドン、300 ml エチレングリコールを蒸留⽔に溶解1 リットルに保存する。
- 1-2 週間ゴルジ液に保存したサンプルを新たなバイアルビンに移し、クリオプロテクタント液を注ぐ。冷暗所(4℃)に保存する。翌⽇、液を交換し数⽇冷暗所に保存する。
- プロテクタント液を張ったビブラトームを⽤いて、100 μm 程度の切⽚を作成する。切⽚は即座にスライドガラスに伸ばし、プロテクタント液を数滴たらす。プロテクタント液で湿らせたペーパータオルで切⽚の上から指で押し圧をかけてスライドに密着させる。その後スライドを暗所で乾燥させる。
- 切⽚の張り付いたスライドを蒸留⽔で軽く、3倍希釈したアンモニア⽔に5から10分程度浸し、アルコール系列で脱⽔後、中性封⼊剤で封⼊する。
問題点
ゴルジ染⾊は、我々が⽇常⾏なっている化学染⾊や免疫染⾊と⽐べて、煩雑でかつ成功までには少々の技術を要するため、そう簡易な染⾊⽅法ではない。
ゴルジ染液に浸して作成した切⽚は乾燥に弱く、少しでも乾くとクラック(ひび割れ)が⼊って標本として利⽤できなくなるため、スライドガラスへの貼り付けは⾵乾ではなく、物理的に⼒を加えて圧着し、湿箱内で静置して標本とスライドガラスを接着させるなどの⼯夫が必要となる。
また、ゴルジ染⾊は、たやすく神経細胞のみを選択的に染⾊すると思われがちであるが、浸漬時間や温度などの条件によって、神経細胞に加えてグリア細胞や血管内皮細胞が染⾊されることもある[9][10]。
ゴルジ・コックス染⾊液では、クロム酸カリウムだけでなく、二クロム酸カリウムを加えているが、アルカリ性を示すクロム酸カリウム溶液(5% ⽔溶液でpH 8.5 からpH9.5 を⽰す)に酸性を示す二クロム酸カリウム水溶液(5%水溶液でpH3.8程度)を加えることで、染色液の⽔素イオン濃度の調整をおこなっている。[7][12]。このことから、反応温度や時間にくわえて溶液のpH も染⾊結果に影響をもたらすと理解できる。
外部リンク
- アリゾナ州立大学 James P. BirkのウェブサイトMercury
参考⽂献
- ↑ 萬年甫
神経細胞の形を求めて
⽇仏医学 34, 1-16,: 2012 - ↑ 2.0 2.1 萬年甫
A dendro‐cyto‐myeloarchitectonic atlas of the catʼs brain 猫脳ゴルジ染⾊図譜
岩波書店 :1988 ISBN 9784000097697 - ↑ クリストフ・コッホ (著) 土谷 尚嗣, 小畑 史哉 (翻訳)
意識をめぐる冒険
岩波書店 :2014 - ↑ Stephen Polyak ; edited Heinrich Klüver
The vertebrate visual system : its origin, structure, and function and its manifestations in disease with an analysis of its role in the life of animals and in the origin of man, preceded by a historical review of investigations of the eye, and of the visual pathways and centers of the brain
University of Chicago Press:1957 - ↑ Golgi C
Sulla struttura della sostanza grigia del cervello
Gazzetta Medica Italiana, Lombardia, 33, 244-246 :1873 PDF - ↑ Cajal S R
Estructura de los centros nerviosos de las aves
Cerebelo Rev Trim Histol Norm Patol, 1, 1-10: 1888 - ↑ 7.0 7.1 7.2 Cox WH
Imprägnation des centralen Nervensystems mit Quecksilber-salzen
Arch. mikrosk. Anat., 37, 16-21,: 1891 - ↑ 萬年甫
動物の脳採集記
中公新書 :1361 - ↑ 9.0 9.1 9.2 Eds: Nauta Walle JH; Ebbesson Sven OE
Contemporary Research Methods in Neuroanatomy
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Comprehensive Review of Golgi Staining Methods for Nervous Tissue
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From neuron to brain
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脳を固める・切る・染める−先⼈の知恵−
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