「マーの小脳理論」の版間の差分

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<font size="+1">[https://researchmap.jp/kawato/ 川人光男]</font><br>
<font size="+1">[https://researchmap.jp/kawato/ 川人光男]</font><br>
''株式会社 国際電気通信基礎技術研究所 脳情報通信総合研究所''<br>
''株式会社 国際電気通信基礎技術研究所 脳情報通信総合研究所''<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2018年7月23日 原稿完成日:201X年X月XX日<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2018年7月23日 原稿完成日:2018年8月8日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/keijitanaka 田中 啓治](独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター)<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/keijitanaka 田中 啓治](独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター)<br>
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=== 登上線維による教師あり学習 ===
=== 登上線維による教師あり学習 ===


 最近の計算論的神経科学では、学習を教師あり学習、[[強化学習]]、教[[師無し学習]]に分類する<ref><pubmed> 12662639 </pubmed></ref>。
 最近の計算論的神経科学では、学習を教師あり学習、[[強化学習]][[教師無し学習]]に分類する<ref><pubmed> 12662639 </pubmed></ref>。


 ニューロンが教師無し学習を実現しようとすれば、[[ヘッブ則]]に基づいてシナプス荷重を変更する必要がある。つまり、シナプスに入力があり、後シナプスニューロンが発火したとき、そのシナプスが選択的に増強される。これが成立するためには、ニューロンが発火したという情報をシナプスまで伝達する必要がある。[[大脳皮質]]と[[海馬]]の[[錐体細胞]]では、[[軸索初節]]から[[樹状突起]]の末端部に向けて逆伝搬する[[活動電位]]がこの情報伝搬を実現している。
 ニューロンが教師無し学習を実現しようとすれば、[[ヘッブ則]]に基づいてシナプス荷重を変更する必要がある。つまり、シナプスに入力があり、後シナプスニューロンが発火したとき、そのシナプスが選択的に増強される。これが成立するためには、ニューロンが発火したという情報をシナプスまで伝達する必要がある。[[大脳皮質]]と[[海馬]]の[[錐体細胞]]では、[[軸索初節]]から[[樹状突起]]の末端部に向けて逆伝搬する[[活動電位]]がこの情報伝搬を実現している。
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 Marrは、小脳では、プルキンエ細胞の平行線維入力に唯一のシナプス可塑性があると提案したが、プルキンエ細胞上の[[抑制性シナプス]]、小脳皮質の[[分子層]]の[[介在ニューロン]]、顆粒細胞、[[小脳核]]細胞にもシナプス可塑性があることが明らかになった<ref><pubmed> 23666089 </pubmed></ref>。しかし、異なるニューロン種での学習の能力を比較するためには、可塑性を有するシナプスの数を比較する必要がある。
 Marrは、小脳では、プルキンエ細胞の平行線維入力に唯一のシナプス可塑性があると提案したが、プルキンエ細胞上の[[抑制性シナプス]]、小脳皮質の[[分子層]]の[[介在ニューロン]]、顆粒細胞、[[小脳核]]細胞にもシナプス可塑性があることが明らかになった<ref><pubmed> 23666089 </pubmed></ref>。しかし、異なるニューロン種での学習の能力を比較するためには、可塑性を有するシナプスの数を比較する必要がある。


 プルキンエ細胞の総数は1千5百万で、一細胞あたり平行線維シナプスが80万個あるから、シナプス総数は十兆である。顆粒細胞は5百億個あるが、シナプス数は4.5であるから、シナプス総数は2千億で、プルキンエ細胞のシナプス総数より、二桁少ない。[[ゴルジ細胞]]、[[バスケット細胞]]はプルキンエ細胞より数が少なく、しかも細胞が小さいのでシナプス総数は三桁以上少ない。[[星状細胞]]の数はプルキンエ細胞の10倍程度あるが、著しく小さいのでシナプス数も少ない。小脳核細胞は数十万個程度しかない。従って、プルキンエ細胞は小脳の他の種類のニューロンを全て集めても、2桁シナプス数が多いことになる。
 プルキンエ細胞の総数は1千5百万で、一細胞あたり平行線維シナプスが80万個あるから、シナプス総数は十兆である。顆粒細胞は5百億個あるが、シナプス数は4.5であるから、シナプス総数は2千億で、プルキンエ細胞のシナプス総数より、二桁少ない。[[ゴルジ細胞]]、[[バスケット細胞]]はプルキンエ細胞より数が少なく、しかも細胞が小さいのでシナプス総数は三桁以上少ない。[[星状細胞]]の数はプルキンエ細胞の10倍程度あるが、著しく小さいのでシナプス数も少ない。小脳核細胞は数百万個程度しかない。従って、プルキンエ細胞は小脳の他の種類のニューロンを全て集めても、2桁シナプス数が多いことになる。


 学習機械の自由度は、パラメータの数で決まり、数が多いとそれだけ複雑な問題を解けることになる。定量的には、小脳の学習能力の殆どがプルキンエ細胞に由来すると考えられる。
 学習機械の自由度は、パラメータの数で決まり、数が多いとそれだけ複雑な問題を解けることになる。定量的には、小脳の学習能力の殆どがプルキンエ細胞に由来すると考えられる。
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 0−1表現ではなく瞬時発火頻度表現で、分類ではなく回帰、連想記憶の容量ではなく内部モデルの精度の違いはあるとはいえ、理論の本質的な精神は生き残っていると言えるのかもしれない。
 0−1表現ではなく瞬時発火頻度表現で、分類ではなく回帰、連想記憶の容量ではなく内部モデルの精度の違いはあるとはいえ、理論の本質的な精神は生き残っていると言えるのかもしれない。


 最近のMRIを用いたヒト小脳の灰白質と入力線維束の定量的測定から、外側小脳と虫部では苔状線維から顆粒細胞の数の拡大率が違うことが明らかになった。外側小脳の灰白質の体積は、虫部の体積の11.4倍である<ref><pubmed> 28461060 </pubmed></ref>。顆粒細胞の数は灰白質の体積に比例していると考えられるので、外側小脳は虫部よりも顆粒細胞数が11.4倍あることになる。一方、脊髄小脳経路と複数の大脳皮質−橋−小脳経路の体積が計測され、計測範囲では脊髄小脳経路の長さは、大脳−小脳経路の長さの半分以下である<ref><pubmed> 25904851 </pubmed></ref>。神経束の断面積は体積を長さで割って求めることが出来るので、上記の計測データから、大脳小脳経路の断面積は脊髄小脳経路の2.8倍以下であると推定できる。苔状線維の太さが一様であると仮定すれば、外側小脳の苔状線維の本数は虫部の2.8倍以下と推定される。つまり、外側部の苔状線維:顆粒細胞の拡大率が200倍だとして、虫部のそれは200*2.8/11.4=49倍以下であると推定される。非常に大きな拡大率は、多次元の入力の任意な組み合わせの神経表現を必要とする系統発生的に新しい大脳小脳に特有である可能性が有る。必ずしもそのような難しい計算を必要としない脊髄小脳では拡大率が1/4、前庭小脳ではさらに低い可能性もある。コドン仮説に反する実験データが、主には除脳標本、麻酔下、そして系統発生的に古い小脳から得られていることを考えると、理論の本質は系統発生的に新しい小脳の自然な条件では生き残っていると言える。
 最近の[[MRI]]を用いたヒト小脳の[[灰白質]]と入力線維束の定量的測定から、外側小脳と虫部では苔状線維から顆粒細胞の数の拡大率が違うことが明らかになった。外側小脳の灰白質の体積は、虫部の体積の11.4倍である<ref><pubmed> 28461060 </pubmed></ref>。顆粒細胞の数は灰白質の体積に比例していると考えられるので、外側小脳は虫部よりも顆粒細胞数が11.4倍あることになる。一方、脊髄小脳経路と複数の大脳皮質−[[橋]]−小脳経路の体積が計測され、計測範囲では脊髄小脳経路の長さは、大脳−小脳経路の長さの半分以下である<ref><pubmed> 25904851 </pubmed></ref>。神経束の断面積は体積を長さで割って求めることが出来るので、上記の計測データから、大脳小脳経路の断面積は脊髄小脳経路の2.8倍以下であると推定できる。苔状線維の太さが一様であると仮定すれば、外側小脳の苔状線維の本数は虫部の2.8倍以下と推定される。つまり、外側部の苔状線維:顆粒細胞の拡大率が200倍だとして、虫部のそれは200*2.8/11.4=49倍以下であると推定される。非常に大きな拡大率は、多次元の入力の任意な組み合わせの神経表現を必要とする系統発生的に新しい大脳小脳に特有である可能性が有る。必ずしもそのような難しい計算を必要としない脊髄小脳では拡大率が1/4、前庭小脳ではさらに低い可能性もある。
 
 コドン仮説に反する実験データが、主には[[除脳標本]]、[[麻酔]]下、そして[[系統発生]]的に古い小脳から得られていることを考えると、理論の本質は系統発生的に新しい小脳の自然な条件では生き残っていると言える。


== 小脳研究に与えたインパクト ==
== 小脳研究に与えたインパクト ==
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*[[小脳によるタイミング制御]]  
*[[小脳によるタイミング制御]]  
*[[小脳]]
*[[小脳]]
*[[瞬膜反射の条件づけ]]
*[[瞬目反射の条件づけ|瞬膜反射の条件づけ]]
* [[マーの視覚計算理論]]


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
<references />
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