「神経符号化」の版間の差分

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<font size="+1">[http://researchmap.jp/shimazaki 島崎 秀昭]</font><br>
<font size="+1">[http://researchmap.jp/shimazaki 島崎 秀昭]</font><br>
''北海道大学人間知・脳・AI研究教育センター''<br>
''北海道大学人間知・脳・AI研究教育センター''<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2021年8月3日 原稿完成日:2021年8月X日<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2021年8月3日 原稿完成日:2021年8月24日<br>
担当編集委員:[https://researchmap.jp/kkitajo 北城 圭一](生理学研究所)<br>
担当編集委員:[https://researchmap.jp/kkitajo 北城 圭一](生理学研究所)<br>
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 神経符号化は外界の刺激が神経活動に変換・表現され、行動を担う神経活動が生成される過程を指す。刺激の認識や行動生成を担う神経活動とそのメカニズムを同定することで、この過程を明らかにする研究を神経符号化研究という。具体的には、神経系のどの部位のどのタイプの[[神経細胞]]のどのような活動が、動物の[[認識]]・[[行動]]を説明するのに必要かつ十分であるかを明らかにすることで、外界の刺激が神経活動に変換され行動に至る過程を解明することを目指す研究領域である。[[wj:ジョンズ・ホプキンズ大学|Johns Hopkins大学]]の[[w:Vernon Benjamin Mountcastle|Vernon Mountcastle]]は[[振動感覚|振動の感覚]]に関わる[[受容器]]を特定する次のような手法で、神経符号化研究の古典的な方法論を確立した<ref name=Mountcastle1972><pubmed>4621505</pubmed></ref><ref name=カンデル2014>'''日本語版監修 金澤一郎・宮下保司 (2014).'''<br>カンデル神経科学第5版 第21章感覚の符号化・第23章触覚 メディカル・サイエンス・インターナショナル社</ref>。
 神経符号化は外界の刺激が神経活動に変換・表現され、行動を担う神経活動が生成される過程を指す。刺激の認識や行動生成を担う神経活動とそのメカニズムを同定することで、この過程を明らかにする研究を神経符号化研究という。具体的には、神経系のどの部位のどのタイプの[[神経細胞]]のどのような活動が、動物の[[認識]]・[[行動]]を説明するのに必要かつ十分であるかを明らかにすることで、外界の刺激が神経活動に変換され行動に至る過程を解明することを目指す研究領域である。[[wj:ジョンズ・ホプキンズ大学|Johns Hopkins大学]]の[[w:Vernon Benjamin Mountcastle|Vernon Mountcastle]]は[[振動感覚|振動の感覚]]に関わる[[受容器]]を特定する次のような手法で、神経符号化研究の古典的な方法論を確立した<ref name=Mountcastle1972><pubmed>4621505</pubmed></ref><ref name=カンデル2014>'''日本語版監修 金澤一郎・宮下保司 (2014).'''<br>カンデル神経科学第5版 第21章感覚の符号化・第23章触覚 メディカル・サイエンス・インターナショナル社</ref>。


 人間の手には圧力・振動・温度などの物理刺激に反応する12種類の受容器がある。特に指先には触覚に関わる4種類の[[機械受容器]]がある。表皮にある[[マイスナー小体|マイスネル小体]]・[[メルケル受容器]] 、深皮にある[[ラフィニ終末]]・[[パチニ小体]]がそれである。これらの受容器は[[末梢神経細胞]]の[[軸索]]の終末にあり、そのもう一端は[[脊髄]]に投射する。脊髄の神経細胞から先は[[視床]]を介して[[体性感覚野]]に投射があり、我々の[[触知覚]]を担っている。4つの受容器は外界からの力の異なる特徴に対して反応し、順応特性が異なる。受容器が特定されているため、触覚に基づく我々の外界の認識がどの機械受容器を介した神経細胞の活動によって担われているかを問うことができる。
 人間の手には圧力・振動・温度などの物理刺激に反応する12種類の受容器がある。特に指先には触覚に関わる4種類の[[機械受容器]]がある。表皮にある[[マイスナー小体|マイスネル小体]]・[[メルケル盤|メルケル受容器]] 、深皮にある[[ルフィニ終末|ラフィニ終末]]・[[パチニ小体]]がそれである。これらの受容器は[[末梢神経細胞]]の[[軸索]]の終末にあり、そのもう一端は[[脊髄]]に投射する。脊髄の神経細胞から先は[[視床]]を介して[[体性感覚野]]に投射があり、我々の[[触知覚]]を担っている。4つの受容器は外界からの力の異なる特徴に対して反応し、順応特性が異なる。受容器が特定されているため、触覚に基づく我々の外界の認識がどの機械受容器を介した神経細胞の活動によって担われているかを問うことができる。


 被験者(ヒトもしくはサル)に振動する物体を握らせ、振動の有無を報告させる。振動の振幅を変化させ、報告が可能な最小の振幅(閾値)を特定する。この作業を異なる振動数のもとで行うと、閾値は刺激の周波数に依存していることがわかる。次に同じ実験条件下で、機械受容器から投射する[[求心性線維]]から電気記録を行うことで、振動に対する機械受容器の応答を記録し、神経活動が生じる振幅の[[閾値]]を調べる。すると、メルケル細胞の閾値は被験者の閾値よりもずっと高い位置にあり、被験者が振動を認識している状況でも活動をしていない状況があることがわかる。これにより、メルケル細胞の活動は振動の感覚を担う神経符号としては棄却される。一方、マイスネル小体・パチニ小体の閾値の周波数特性はそれぞれ低周波数(20-40Hz以下)・高周波数 (40-500Hz)での被験者のそれとほぼ一致することが示された。他の求心性線維の活動は被験者の報告の結果を説明できないため、マイスネル小体・パチニ小体の活動が振動の感覚を担う神経符号であることが示された。
 被験者(ヒトもしくはサル)に振動する物体を握らせ、振動の有無を報告させる。振動の振幅を変化させ、報告が可能な最小の振幅(閾値)を特定する。この作業を異なる振動数のもとで行うと、閾値は刺激の周波数に依存していることがわかる。次に同じ実験条件下で、機械受容器から投射する[[求心性線維]]から電気記録を行うことで、振動に対する機械受容器の応答を記録し、神経活動が生じる振幅の[[閾値]]を調べる。すると、メルケル細胞の閾値は被験者の閾値よりもずっと高い位置にあり、被験者が振動を認識している状況でも活動をしていない状況があることがわかる。これにより、メルケル細胞の活動は振動の感覚を担う神経符号としては棄却される。一方、マイスネル小体・パチニ小体の閾値の周波数特性はそれぞれ低周波数(20-40Hz以下)・高周波数 (40-500Hz)での被験者のそれとほぼ一致することが示された。他の求心性線維の活動は被験者の報告の結果を説明できないため、マイスネル小体・パチニ小体の活動が振動の感覚を担う神経符号であることが示された。
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</math>
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 ここでパラメータ<math>w</math>は神経活動を生成する基盤としての[[脳]]の構造を表す。<math>p(\mathbf{x}|\mathbf{w})</math>は神経活動に対する事前分布で神経活動に対する制約条件を表す。また、ここでの復号器は神経細胞活動による外界の表現/表象(representation)を記述する。事前分布と復号器を合わせた同時分布<math>p(\mathbf{y},\mathbf{x}|\mathbf{w})=p(\mathbf{y}|\mathbf{x},\mathbf{w})p(\mathbf{x}|\mathbf{w})</math>をデータの生成モデルと呼ぶ。生成モデルはデータ<math>\mathbf{y}</math>が生成される過程を神経活動によって再現するモデルと見做す事ができる。従ってこの式は、刺激に対する神経細胞集団の応答活動をデータ生成のモデルによって解釈することができることを示している。
 ここでパラメータ<math>\mathbf{w}</math>は神経活動を生成する基盤としての[[脳]]の構造を表す。<math>p(\mathbf{x}|\mathbf{w})</math>は神経活動に対する事前分布で神経活動に対する制約条件を表す。また、ここでの復号器は神経細胞活動による外界の表現/表象(representation)を記述する。事前分布と復号器を合わせた同時分布<math>p(\mathbf{y},\mathbf{x}|\mathbf{w})=p(\mathbf{y}|\mathbf{x},\mathbf{w})p(\mathbf{x}|\mathbf{w})</math>をデータの生成モデルと呼ぶ。生成モデルはデータ<math>\mathbf{y}</math>が生成される過程を神経活動によって再現するモデルと見做す事ができる。従ってこの式は、刺激に対する神経細胞集団の応答活動をデータ生成のモデルによって解釈することができることを示している。


 これによれば、脳の内部構造に基づく神経細胞の自発活動、すなわち脳の内発的ダイナミクスは事前分布を構成する。刺激が提示されると、神経活動は刺激の影響を受けて変調され、復号器と組み合わされて事後分布を形成する<ref name=Fiser2010><pubmed>20153683</pubmed></ref> <ref name=Berkes2011><pubmed>21212356</pubmed></ref>。すなわち神経応答活動は刺激を再構成・予測するための推論を行なっていると考える事ができる。神経応答活動のベイズ的な見方によれば、脳内に刺激を推定する復号器の存在を陽に仮定する必要はなくなり、復号器の役割は自発活動から刺激応答活動への変化に内包される。   
 これによれば、脳の内部構造に基づく神経細胞の自発活動、すなわち脳の内発的ダイナミクスは事前分布を構成する。刺激が提示されると、神経活動は刺激の影響を受けて変調され、復号器と組み合わされて事後分布を形成する<ref name=Fiser2010><pubmed>20153683</pubmed></ref> <ref name=Berkes2011><pubmed>21212356</pubmed></ref>。すなわち神経応答活動は刺激を再構成・予測するための推論を行なっていると考える事ができる。神経応答活動のベイズ的な見方によれば、脳内に刺激を推定する復号器の存在を陽に仮定する必要はなくなり、復号器の役割は自発活動から刺激応答活動への変化に内包される。