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<font size="+1">[http://researchmap.jp/thirabayashi 平林 敏行]</font><br> | |||
''国立研究開発法人 量子科学技術研究開発機構 放射線医学総合研究所''<br> | |||
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2023年5月29日 原稿完成日:2023年7月21日<br> | |||
担当編集委員:[http://researchmap.jp/keijitanaka 田中 啓治](国立研究開発法人理化学研究所 脳神経科学研究センター)<br> | |||
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{{box|text= | 同義語:作業記憶、作動記憶<br> | ||
英:working memory 独:Arbeitsgedächtnis 仏:mémoire de travail | |||
{{box|text= ワーキングメモリーは、外界から入ってきた感覚情報などを、それが消えた後に数秒から数十秒の間、短期記憶として保持し、それを用いて他の認知機能を実行する為の、脳の機能である。短期記憶の意味で用いられる事が多いが、本来は純粋な短期記憶ではなく、それを用いて他の認知機能を実行したり、記憶内容に操作を加えたりする為の機能を指す。}} | |||
== ワーキングメモリーとは == | == ワーキングメモリーとは == | ||
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ワーキングメモリーは動物にもあり、ヒトに近い脳の構造と機能を持つ[[[サル]]等を用いて盛んに研究されている。動物を用いた研究は、ヒトでは困難な特定部位の限定的な破壊あるいは不活性化実験による、脳部位と行動との間の因果性解明やニューロンレベルでの機能理解などにおいて大いに貢献しているが、特にワーキングメモリーへの強い関与が示唆される、前頭前皮質などの高次脳領域については、動物種間での脳部位同士の対応関係が必ずしも自明ではない<ref name=Neubert2014><pubmed>24485097</pubmed></ref> 点や、用いられる行動課題も異なる場合が多く、また同じワーキングメモリー課題を課しても、ヒトが[[言語化]]、あるいは意味記憶との連関を多用しながら課題を解くのが一般的であるのに対して、動物は必ずしもそうではない(あるいはどのようにして解いているのかが正確にはわからない)等、課題の解き方が異なる為、使われる脳部位も使い方も異なる可能性がある、という点などから、実験結果をヒトと比較する際には注意が必要である<ref name=Tremblay2023><pubmed>36536242</pubmed></ref> 。 | ワーキングメモリーは動物にもあり、ヒトに近い脳の構造と機能を持つ[[[サル]]等を用いて盛んに研究されている。動物を用いた研究は、ヒトでは困難な特定部位の限定的な破壊あるいは不活性化実験による、脳部位と行動との間の因果性解明やニューロンレベルでの機能理解などにおいて大いに貢献しているが、特にワーキングメモリーへの強い関与が示唆される、前頭前皮質などの高次脳領域については、動物種間での脳部位同士の対応関係が必ずしも自明ではない<ref name=Neubert2014><pubmed>24485097</pubmed></ref> 点や、用いられる行動課題も異なる場合が多く、また同じワーキングメモリー課題を課しても、ヒトが[[言語化]]、あるいは意味記憶との連関を多用しながら課題を解くのが一般的であるのに対して、動物は必ずしもそうではない(あるいはどのようにして解いているのかが正確にはわからない)等、課題の解き方が異なる為、使われる脳部位も使い方も異なる可能性がある、という点などから、実験結果をヒトと比較する際には注意が必要である<ref name=Tremblay2023><pubmed>36536242</pubmed></ref> 。 | ||
[[ファイル:Hirabayashi Working Memory Fig2.png|サムネイル|'''図2. マカクザルの背外側前頭前皮質から記録された、空間作業記憶に関わる単一神経細胞の持続的スパイク発火'''<br>文献<ref name=Funahashi1989><pubmed>2918358 </pubmed></ref><ref name=Constantinidis2018 />より。]] | |||
== 神経機構 == | == 神経機構 == | ||
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また、長い時定数を実現する分子基盤として[[NMDA型グルタミン酸受容体]]の関与が示唆されており、実際にその阻害によってワーキングメモリー課題における持続的なスパイク発火、及びその刺激選択性が損なわれる事が示されている<ref name=vanVugt2020><pubmed>32051326</pubmed></ref><ref name=Wang2013><pubmed>23439125</pubmed></ref> 。 | また、長い時定数を実現する分子基盤として[[NMDA型グルタミン酸受容体]]の関与が示唆されており、実際にその阻害によってワーキングメモリー課題における持続的なスパイク発火、及びその刺激選択性が損なわれる事が示されている<ref name=vanVugt2020><pubmed>32051326</pubmed></ref><ref name=Wang2013><pubmed>23439125</pubmed></ref> 。 | ||
近年では、実は一つの神経細胞が持続的に発火するのではなく、一つの神経細胞の発火は短期間でありながら、複数の神経細胞が互いに異なるタイミングで発火する事で、神経細胞の集団として持続的な発火を実現しているというデータが[[齧歯類]]を中心に多く報告されている他、必ずしもスパイク発火を伴わず、シナプス強度の短期的な調節によって情報が保持されているとするモデル<ref name=Mongillo2008><pubmed>18339943</pubmed></ref> も提唱されている。このようなシナプス強度の短期的な調節は、低次の感覚皮質に比べて前頭前皮質においてより顕著に見られ、脳領域間でのワーキングメモリーへの関与の強さの相違と一致している他、スパイク発火による保持とも両立し得るが、技術的観点から実験的検証がやや難しい。あるいは、多くの神経細胞の、多くの試行におけるスパイク発火の平均が持続的に見えても、個々の神経細胞の個々の試行ごとに見ると実はスパイク発火はスパースである事が多く、実際の事象としては持続的なスパイク発火ではなく、一過性の[[γ帯域]]の[[振動性バースト]] | 近年では、実は一つの神経細胞が持続的に発火するのではなく、一つの神経細胞の発火は短期間でありながら、複数の神経細胞が互いに異なるタイミングで発火する事で、神経細胞の集団として持続的な発火を実現しているというデータが[[齧歯類]]を中心に多く報告されている他、必ずしもスパイク発火を伴わず、シナプス強度の短期的な調節によって情報が保持されているとするモデル<ref name=Mongillo2008><pubmed>18339943</pubmed></ref> も提唱されている。このようなシナプス強度の短期的な調節は、低次の感覚皮質に比べて前頭前皮質においてより顕著に見られ、脳領域間でのワーキングメモリーへの関与の強さの相違と一致している他、スパイク発火による保持とも両立し得るが、技術的観点から実験的検証がやや難しい。あるいは、多くの神経細胞の、多くの試行におけるスパイク発火の平均が持続的に見えても、個々の神経細胞の個々の試行ごとに見ると実はスパイク発火はスパースである事が多く、実際の事象としては持続的なスパイク発火ではなく、一過性の[[γ帯域]]の[[振動性バースト]]であるという結果も報告されている<ref name=Lundqvist2016><pubmed>26996084</pubmed></ref> 。この方式だと、理論的には持続的発火に比べて複数の物を同時にワーキングメモリーとして保持するのに有利である他、スパイク発火を節約でき、エネルギー代謝の観点からもメリットがある。ワーキングメモリーの保持が神経細胞の発火を伴うのか、伴わないのか、発火は持続的か否か、もし持続的なスパイク発火を伴うのであれば、それは個々の神経細胞によるのか、それとも細胞集団によるのか、あるいはこれらの組み合わせなのかについては、現在も議論が続いている。 | ||
== ワーキングメモリーと注意機能 == | == ワーキングメモリーと注意機能 == |