「こだま定位」の版間の差分

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長谷 一磨
<div align="right"> 
Department of Psychology, Neuroscience & Behaviour, McMaster University
<font size="+1">[http://researchmap.jp/kazuma_hase 長谷 一磨]<br></font>
飛龍 志津子
''Department of Psychology, Neuroscience & Behaviour, McMaster University ''<br>
同志社大学 生命医科学部
<font size="+1">[https://researchmap.jp/Shizuko_Hiryu 飛龍 志津子]</font><br>
''同志社大学 生命医科学部''<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2023年6月15日 原稿完成日:2023年9月8日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/ichirofujita 藤田 一郎](大阪大学 大学院生命機能研究科)<br>
</div>
同義語:反響定位、エコロケーション<br>
英:echolocation 独:Echoortung 仏:écholocation


{{box|text= エコーロケーション(echolocation)とは、動物が自身の音声の反響音(エコー)を用いて物体の定位を行うこと。反響定位、こだま定位ともいう。特にエコーロケーションがよく研究されてきたコウモリでは、採餌生態に適応した種得意的な超音波音声と聴覚系を持つことが知られている。種によりエコーロケーションに用いる音声は異なるが、標的までの距離の計算は放射音声(パルス)とエコーの時間差によってなされ、聴覚野にはパルスとエコーの遅延時間に対応した遅延時間地図が存在する。エコーの音圧を一定の範囲内に保つエコー音圧補償行動に加え、エコー周波数を一定に保つドップラーシフト補償行動を行うコウモリも存在する。補償行動は聴覚系におけるパルス・エコーの処理を促進する。集団で飛行する際にコウモリが経験する他個体からの音響的干渉は、受動的・能動的な音声のばらつきによって低減される。}}
{{box|text= こだま定位とは、動物が自身の音声の反響音(エコー)を用いて物体の定位を行うこと。特にこだま定位がよく研究されてきたコウモリでは、採餌生態に適応した種得意的な超音波音声と聴覚系を持つことが知られている。種によりこだま定位に用いる音声は異なるが、標的までの距離の計算は放射音声(パルス)とエコーの時間差によってなされ、聴覚野にはパルスとエコーの遅延時間に対応した遅延時間地図が存在する。エコーの音圧を一定の範囲内に保つエコー音圧補償行動に加え、エコー周波数を一定に保つドップラーシフト補償行動を行うコウモリも存在する。補償行動は聴覚系におけるパルス・エコーの処理を促進する。集団で飛行する際にコウモリが経験する他個体からの音響的干渉は、受動的・能動的な音声のばらつきによって低減される。}}


== 発見 ==
== 発見 ==
 どうしてコウモリが夜でも飛行できるのかについては、古くから多くの科学者に興味を持たれてきた<ref name=Grinnell2018><pubmed>29687162</pubmed></ref>[1]。18世紀、イタリアの生物学者Lazzaro Spallanzaniは、コウモリが完全な真っ暗闇でも障害物に衝突せずに飛行できること、さらには視覚を奪っても問題なく飛行できることを発見し、コウモリは視覚以外の感覚に頼って周囲の環境を把握することを発見した。その後、スイスの外科医であったLouis Jurineが、耳を塞がれたコウモリが正常に飛行できなくなったことを示し、Spallanzaniも同様の結果を得た。彼らは、コウモリが聴覚に頼って周囲の感覚を把握していることを示唆したが、コウモリが発する超音波帯域の音声を聞く術がなかったため、エコーロケーションの発見には至らなかった。
 どうしてコウモリが夜でも飛行できるのかについては、古くから多くの科学者に興味を持たれてきた<ref name=Grinnell2018><pubmed>29687162</pubmed></ref>[1]。18世紀、イタリアの生物学者Lazzaro Spallanzaniは、コウモリが完全な真っ暗闇でも障害物に衝突せずに飛行できること、さらには視覚を奪っても問題なく飛行できることを発見し、コウモリは視覚以外の感覚に頼って周囲の環境を把握することを発見した。その後、スイスの外科医であったLouis Jurineが、耳を塞がれたコウモリが正常に飛行できなくなったことを示し、Spallanzaniも同様の結果を得た。彼らは、コウモリが聴覚に頼って周囲の感覚を把握していることを示唆したが、コウモリが発する超音波帯域の音声を聞く術がなかったため、こだま定位の発見には至らなかった。
 1938年に、Donald GriffinとGeorge Pierceがともに、超音波検出器を用いて、コウモリが超音波帯域の音声を活発に放射していることを明らかにした。その後、GriffinはRobert Galambosとともに実際に飛行するコウモリが超音波音声を放射していることや、コウモリの口を塞ぐと耳を塞いだときと同様、障害物が避けられなくなることを発見し、コウモリが超音波音声を発しそのエコーで周囲環境を把握する、エコーロケーションを行うことがわかった。
 現在では、エコーロケーションを行う動物として、イルカ、コウモリ、テンレック、トガリネズミ、アブラヨタカ、アナツバメなどが知られる[a]。


== エコーロケーション音声と聴覚系の適応 ==
 1938年に、Donald GriffinとGeorge Pierceがともに、超音波検出器を用いて、コウモリが超音波帯域の音声を活発に放射していることを明らかにした。その後、GriffinはRobert Galambosとともに実際に飛行するコウモリが超音波音声を放射していることや、コウモリの口を塞ぐと耳を塞いだときと同様、障害物が避けられなくなることを発見し、コウモリが超音波音声を発しそのエコーで周囲環境を把握する、こだま定位を行うことがわかった。
 コウモリの超音波音声は口または鼻から発され、通常複数の倍音を伴う(図1)<ref name=Grinnell2018 /><ref name=Yamada2016><pubmed>27566319</pubmed></ref>[1,2]。コウモリがエコーロケーションに用いる音声は、彼らの採餌生態に適応していると考えられている<ref name=Neuweiler1984>Neuweiler, G. (1984).<br>Foraging, echolocation and audition in bats. Naturwissenschaften. 1984;71: 446-455. doi:10.1007/BF00455897"</ref>[3]。開けた空間で飛翔昆虫を捉える種は、採餌飛行時には数ミリ秒から二十ミリ秒ほどの長さの周波数変調(frequency-modulated, 以下FM)型の音声を放射する。FM型の音声を使用するコウモリはFMコウモリと言われ、エコーロケーションを行う多くの種がFMコウモリに含まれる。代表的な種は、オオクビワコウモリ(Eptesicus fuscus)やトビイロホオヒゲコウモリ(Myotis lucifugus)などである。


 一方で、茂みの中で羽ばたく昆虫を捕食する種は、周波数定常(constant-frequency; 以下CF)型とFM型の組み合わせ音を用いる。茂みのような複雑な環境では、標的となる昆虫からのエコーに加え、エコーロケーションによる検知可能な範囲に存在する物体からの大量のエコー(クラッター)も同時にコウモリへ返ってくる。CF-FM型の音声をエコーロケーションに用いる種(以下、CF-FMコウモリ)には、キクガシラコウモリ属とカグラコウモリ属のコウモリ、ウオクイコウモリ属、クチビルコウモリ属の一部が含まれ、中でもキクガシラコウモリ(Rhinolophus ferrumequinum)やヒゲコウモリ(Pteronotus pernellii)がよく研究されてきた。CF-FMコウモリは、標的昆虫の羽ばたきによってエコーCF部に生じる周波数及び振幅変調を利用し獲物を検知しているとされる<ref name=Schnitzler2011><pubmed>20857119</pubmed></ref>[4]。
 現在では、こだま定位を行う動物として、イルカ、コウモリ、テンレック、トガリネズミ、アブラヨタカ、アナツバメなどが知られる[a]。


[[ファイル:Hase Echolocation Fig1.png|サムネイル|'''図1. エコーロケーション音声のスペクトログラム'''<br>コウモリはエコーロケーション音声の特徴によってFM型(a、アブラコウモリ''Pipistrellus abramus'')とCF-FM型(b, ニホンキクガシラコウモリ''Rhinolophus ferrumequinum nippon'')に大別される。参考文献<ref name=Yamada2016 />[2]より。]]
== こだま定位音声と聴覚系の適応 ==
[[ファイル:Hase Echolocation Fig1.png|サムネイル|'''図1. こだま定位音声のスペクトログラム'''<br>コウモリはこだま定位音声の特徴によってFM型(a、アブラコウモリ''Pipistrellus abramus'')とCF-FM型(b, ニホンキクガシラコウモリ''Rhinolophus ferrumequinum nippon'')に大別される。参考文献<ref name=Yamada2016 />[2]より。]]
 コウモリの超音波音声は口または鼻から発され、通常複数の倍音を伴う(図1)<ref name=Grinnell2018 /><ref name=Yamada2016><pubmed>27566319</pubmed></ref>[1,2]。コウモリがこだま定位に用いる音声は、彼らの採餌生態に適応していると考えられている<ref name=Neuweiler1984>Neuweiler, G. (1984).<br>Foraging, echolocation and audition in bats. Naturwissenschaften. 1984;71: 446-455. doi:10.1007/BF00455897"</ref>[3]。開けた空間で飛翔昆虫を捉える種は、採餌飛行時には数ミリ秒から二十ミリ秒ほどの長さの周波数変調(frequency-modulated, 以下FM)型の音声を放射する。FM型の音声を使用するコウモリはFMコウモリと言われ、こだま定位を行う多くの種がFMコウモリに含まれる。代表的な種は、オオクビワコウモリ(Eptesicus fuscus)やトビイロホオヒゲコウモリ(Myotis lucifugus)などである。


 一方で、茂みの中で羽ばたく昆虫を捕食する種は、周波数定常(constant-frequency; 以下CF)型とFM型の組み合わせ音を用いる。茂みのような複雑な環境では、標的となる昆虫からのエコーに加え、こだま定位による検知可能な範囲に存在する物体からの大量のエコー(クラッター)も同時にコウモリへ返ってくる。CF-FM型の音声をこだま定位に用いる種(以下、CF-FMコウモリ)には、キクガシラコウモリ属とカグラコウモリ属のコウモリ、ウオクイコウモリ属、クチビルコウモリ属の一部が含まれ、中でもキクガシラコウモリ(Rhinolophus ferrumequinum)やヒゲコウモリ(Pteronotus pernellii)がよく研究されてきた。CF-FMコウモリは、標的昆虫の羽ばたきによってエコーCF部に生じる周波数及び振幅変調を利用し獲物を検知しているとされる<ref name=Schnitzler2011><pubmed>20857119</pubmed></ref>[4]。
== 距離の計算 ==
== 距離の計算 ==
[[ファイル:Hase Echolocation Fig2.png|サムネイル|'''図2. ヒゲコウモリの聴覚野に存在する遅延時間同調細胞の最適遅延時間地図'''<br>(A) ヒゲコウモリの左聴覚野の模式図。図中の数字1-6は異なる機能を持つ神経細胞集団が存在する領野である。<br>(B) FM–FM野内には、異なる倍音の組み合わせに反応する3つの領域FM1–FM2、FM1–FM3、FM1–FM4がある。<br>(C) パルス基本音のFM部(P)とエコー第二高調波のFM部(E)、それらの組み合わせ音を異なる時間差で呈示した際のFM1–FM2ニューロンの発火頻度。それぞれの単独呈示の際の発火頻度に比べ、特定の時間差で提示された際の発火頻度は大きくなる(遅延時間同調)。最適遅延時間は6 msである。参考文献<ref name=Tang2007><pubmed>17670987</pubmed></ref>[19]より (Copyright 2007, Society for Neuroscience)。]]
[[ファイル:Hase Echolocation Fig2.png|サムネイル|'''図2. ヒゲコウモリの聴覚野に存在する遅延時間同調細胞の最適遅延時間地図'''<br>(A) ヒゲコウモリの左聴覚野の模式図。図中の数字1-6は異なる機能を持つ神経細胞集団が存在する領野である。<br>(B) FM–FM野内には、異なる倍音の組み合わせに反応する3つの領域FM1–FM2、FM1–FM3、FM1–FM4がある。<br>(C) パルス基本音のFM部(P)とエコー第二高調波のFM部(E)、それらの組み合わせ音を異なる時間差で呈示した際のFM1–FM2ニューロンの発火頻度。それぞれの単独呈示の際の発火頻度に比べ、特定の時間差で提示された際の発火頻度は大きくなる(遅延時間同調)。最適遅延時間は6 msである。参考文献<ref name=Tang2007><pubmed>17670987</pubmed></ref>[19]より (Copyright 2007, Society for Neuroscience)。]]
 コウモリがエコーロケーションから得る情報は多岐にわたるが、最も基本的なものは物体までの距離である。コウモリが音声(パルス)を発し、それが物体へ衝突しエコーとしてコウモリへと戻ってくるまでの伝搬時間t [s]と音速c [m/s]によって、コウモリと物体との距離d [m]は以下のように表される。<br>
 コウモリがこだま定位から得る情報は多岐にわたるが、最も基本的なものは物体までの距離である。コウモリが音声(パルス)を発し、それが物体へ衝突しエコーとしてコウモリへと戻ってくるまでの伝搬時間t [s]と音速c [m/s]によって、コウモリと物体との距離d [m]は以下のように表される。<br>
<math>
::<math>
d=c\times\frac{t}{2}
d=c\times\frac{t}{2}
</math>
</math>


 コウモリが距離の計測にパルスとエコーの時間差を用いていることは、1973年にJames Simmonsによって詳細に確かめられた<ref name=Simmons1973><pubmed>4738624</pubmed></ref>[5]。Simmonsは左右2つの着地台のうち近い方へと着地するようにオオクビワコウモリ(Eptesicus fuscus)を訓練し、コウモリが1 cm程度(約60 µs)の距離の差を弁別できることを示した。さらに、台の上で静止するコウモリが発するエコーロケーション音声をマイクロホンで取得し、それを電気的に遅延させてコウモリの左右正面に置いたスピーカ―から異なる遅延時間でそれぞれ再生することでエコーと勘違いさせた。左右のスピーカーから呈示されるエコーの遅延時間が短い方を選択させることで、コウモリが100 µs以下の分解能で時間差を識別できることを明らかにし、距離計測の実態は時間差計測であることを明らかにした。
 コウモリが距離の計測にパルスとエコーの時間差を用いていることは、1973年にJames Simmonsによって詳細に確かめられた<ref name=Simmons1973><pubmed>4738624</pubmed></ref>[5]。Simmonsは左右2つの着地台のうち近い方へと着地するようにオオクビワコウモリ(Eptesicus fuscus)を訓練し、コウモリが1 cm程度(約60 µs)の距離の差を弁別できることを示した。さらに、台の上で静止するコウモリが発するこだま定位音声をマイクロホンで取得し、それを電気的に遅延させてコウモリの左右正面に置いたスピーカ―から異なる遅延時間でそれぞれ再生することでエコーと勘違いさせた。左右のスピーカーから呈示されるエコーの遅延時間が短い方を選択させることで、コウモリが100 µs以下の分解能で時間差を識別できることを明らかにし、距離計測の実態は時間差計測であることを明らかにした。


 さらに、Simmonsらは次のような実験を行った。左右のスピーカーのうち、一方からは一定の遅延時間で、もう一方からは遅延時間に揺らぎを設けて、エコーを呈示した。コウモリは2つの標的のうち、遅延時間に揺らぎのある方を選択するよう訓練された。その結果、コウモリは10 nsもの揺らぎを検出できることが報告されている<ref name=Simmons1990a><pubmed>2074548</pubmed></ref><ref name=Simmons2004><pubmed>14990794</pubmed></ref>[6,7]。この揺らぎ検出の異常なまでの時間分解能の高さに関しては、現在までさまざまな反論があり<ref name=Pollak1993><pubmed>8331603</pubmed></ref><ref name=Beedholm2006><pubmed>16395614</pubmed></ref><ref name=Beedholm1998><pubmed>9528108</pubmed></ref><ref name=Goerlitz2010><pubmed>20815481</pubmed></ref><ref name=Goerlitz2018><pubmed>29876084</pubmed></ref>[8–12]、自然環境における揺らぎの分解能はせいぜい20 µs程度ではないかと推察されている<ref name=Goerlitz2010 />[11]。
 さらに、Simmonsらは次のような実験を行った。左右のスピーカーのうち、一方からは一定の遅延時間で、もう一方からは遅延時間に揺らぎを設けて、エコーを呈示した。コウモリは2つの標的のうち、遅延時間に揺らぎのある方を選択するよう訓練された。その結果、コウモリは10 nsもの揺らぎを検出できることが報告されている<ref name=Simmons1990a><pubmed>2074548</pubmed></ref><ref name=Simmons2004><pubmed>14990794</pubmed></ref>[6,7]。この揺らぎ検出の異常なまでの時間分解能の高さに関しては、現在までさまざまな反論があり<ref name=Pollak1993><pubmed>8331603</pubmed></ref><ref name=Beedholm2006><pubmed>16395614</pubmed></ref><ref name=Beedholm1998><pubmed>9528108</pubmed></ref><ref name=Goerlitz2010><pubmed>20815481</pubmed></ref><ref name=Goerlitz2018><pubmed>29876084</pubmed></ref>[8–12]、自然環境における揺らぎの分解能はせいぜい20 µs程度ではないかと推察されている<ref name=Goerlitz2010 />[11]。


 また、複雑な表面を持つ物体は、時間的に重畳したエコーを反射する。例えば、オオクビワコウモリの餌となる飛翔昆虫は羽や頭部といった複数の反射点を持つ。これらは近接して存在するため、100 μs以下の短い時間間隔でエコーを反射する<ref name=Simmons1989><pubmed>2808908</pubmed></ref>[13]。オオクビワコウモリの音声は数msであるため、短い時間間隔での反射音は1つの音に統合され、干渉により時間間隔の逆数に比例する間隔でスペクトルの特定の周波数にノッチを生み出す。オオクビワコウモリの下丘においては、FM音に反応する神経細胞が、ノッチの周波数と最適周波数が一致する際に反応強度を低下させることでノッチ周波数が表現されており、重畳するFM音の最小の時間分解能は約6 μsと推定されている<ref name=Sanderson2000><pubmed>10758096</pubmed></ref> [14]。さらに、オオクビワコウモリの聴覚野に存在する遅延時間同調細胞(詳細は後述)は、ある特定の時間差(6-72 μs)に対応するノッチがエコーに存在する際に、最適遅延時間のパルス・エコー刺激に対する反応よりも大きな反応が得られる<ref name=Sanderson2002><pubmed>12037185</pubmed></ref> [15]。単一神経細胞における時間分解能がせいぜい1 ms、さらにエコーロケーション音声の長さが数msから数十msであることを考えると、高い分解能を示すコウモリの聴覚系での情報処理は非常に興味深い。
 また、複雑な表面を持つ物体は、時間的に重畳したエコーを反射する。例えば、オオクビワコウモリの餌となる飛翔昆虫は羽や頭部といった複数の反射点を持つ。これらは近接して存在するため、100 μs以下の短い時間間隔でエコーを反射する<ref name=Simmons1989><pubmed>2808908</pubmed></ref>[13]。オオクビワコウモリの音声は数msであるため、短い時間間隔での反射音は1つの音に統合され、干渉により時間間隔の逆数に比例する間隔でスペクトルの特定の周波数にノッチを生み出す。オオクビワコウモリの下丘においては、FM音に反応する神経細胞が、ノッチの周波数と最適周波数が一致する際に反応強度を低下させることでノッチ周波数が表現されており、重畳するFM音の最小の時間分解能は約6 μsと推定されている<ref name=Sanderson2000><pubmed>10758096</pubmed></ref> [14]。さらに、オオクビワコウモリの聴覚野に存在する遅延時間同調細胞(詳細は後述)は、ある特定の時間差(6-72 μs)に対応するノッチがエコーに存在する際に、最適遅延時間のパルス・エコー刺激に対する反応よりも大きな反応が得られる<ref name=Sanderson2002><pubmed>12037185</pubmed></ref> [15]。単一神経細胞における時間分解能がせいぜい1 ms、さらにこだま定位音声の長さが数msから数十msであることを考えると、高い分解能を示すコウモリの聴覚系での情報処理は非常に興味深い。


 エコーロケーションによる距離計測の神経基盤であると考えられているのは、遅延時間同調細胞(delay-tuned neuron)である。遅延時間同調細胞とは、パルスとエコーのような2音を連続で呈示された際に、2音間の特定の時間差に選択的に反応の促進を示す神経細胞で('''図2''')<ref name=Sullivan1982a><pubmed>7143030</pubmed></ref>
 こだま定位による距離計測の神経基盤であると考えられているのは、遅延時間同調細胞(delay-tuned neuron)である。遅延時間同調細胞とは、パルスとエコーのような2音を連続で呈示された際に、2音間の特定の時間差に選択的に反応の促進を示す神経細胞で('''図2''')<ref name=Sullivan1982a><pubmed>7143030</pubmed></ref>
<ref name=Suga1983><pubmed>6875639</pubmed></ref>[16,17]、下丘や内側膝状体、聴覚野などの聴覚系や、上丘で発見されている。特に、聴覚野には最適遅延時間(最も強い反応が誘発される遅延時間)の地図構造が存在し、最適遅延時間の短い神経細胞が吻側に、長いものが尾側に存在する <ref name=Kossl2014><pubmed>24492081</pubmed></ref>[18]。
<ref name=Suga1983><pubmed>6875639</pubmed></ref>[16,17]、下丘や内側膝状体、聴覚野などの聴覚系や、上丘で発見されている。特に、聴覚野には最適遅延時間(最も強い反応が誘発される遅延時間)の地図構造が存在し、最適遅延時間の短い神経細胞が吻側に、長いものが尾側に存在する <ref name=Kossl2014><pubmed>24492081</pubmed></ref>[18]。


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<ref name=Hiryu2007><pubmed>17407911</pubmed></ref>[23,24]。これをエコー音圧補償と呼ぶ。上述したPLSを示す細胞において、エコー遅延時間同調特性が形成されるためには、エコーの音圧レベルがある一定の値よりも小さくならなくてはならない<ref name=Berkowitz1989 />[22]。エコー音圧補償行動は、PLSによるエコー遅延同調回路がはたらくために必要であるという仮説がある<ref name=Budenz2018><pubmed>29543882</pubmed></ref>[25]。
<ref name=Hiryu2007><pubmed>17407911</pubmed></ref>[23,24]。これをエコー音圧補償と呼ぶ。上述したPLSを示す細胞において、エコー遅延時間同調特性が形成されるためには、エコーの音圧レベルがある一定の値よりも小さくならなくてはならない<ref name=Berkowitz1989 />[22]。エコー音圧補償行動は、PLSによるエコー遅延同調回路がはたらくために必要であるという仮説がある<ref name=Budenz2018><pubmed>29543882</pubmed></ref>[25]。


 エコー周波数も同様にコウモリと標的の相対速度の変化によって大きく変化しうる。CF-FMコウモリは、放射パルスの周波数を制御することで、飛行によって生じるエコーのドップラーシフトを打ち消し、自身の聴覚感度の良い周波数帯域にエコー周波数を保つ、ドップラーシフト補償行動を行う<ref name=Hiryu2008 /><ref name=Schnitzler1968>'''Schnitzler, H.-U. (1968).'''<br>Die Ultraschall-Ortungslaute der Hufeisen-Fledermäuse (''Chiroptera-Rhinolophidae'') in verschiedenen Orientierungssituationen. J Comp Physiol A Neuroethol Sens Neural Behav Physiol. 1968;57: 376-408. [[doi:10.1007/bf00303062|[DOI]]]</ref>[23,26]。ドップラーシフト補償行動を行う種には、聴覚の末梢レベルにおいてすでに様々な特殊化が見られる。CF-FMコウモリの放射パルスは第二高調波が最強であり、蝸牛有毛細胞の感度と周波数選択性が第二高調波のCF成分(CF2)に対して非常に高い。この特殊化は聴覚系全体を通じて見られる<ref name=Schnitzler2011 />[4]。CF-FMコウモリであるヒゲコウモリ(''Pteronotus parnellii'')の聴覚野には、FM音の組み合わせに選択的な反応を示す神経細胞(FM-FMニューロン)や、CF音の組み合わせに選択的な神経細胞(CF/CFニューロン)が存在する。FM-FMニューロンは2つのFM音の時間差に選択的であるため距離計測に、CF/CFニューロンは2つのCF音の周波数差に選択的であるため周波数計測にそれぞれ関わると言われる<ref group=1>CF音は通常長く、パルスCFとエコーCFが時間的に重畳する一方で、CF-FMコウモリのFM部やFMコウモリのFM音声は短く、パルスとエコーは時間的に重畳しない。組み合わせ感受性を持つ神経細胞は、音声同士の時間的な重畳がある場合には”/“、ない場合には”-“を用いて命名されている。</ref>。さらに、ドップラーシフトしたエコーのCF2に選択的に反応を示すニューロンが存在し、混雑した環境で獲物となる飛翔昆虫の羽ばたきを検知するのに役立つと考えられている<ref name=Suga1989><pubmed>2689566</pubmed></ref>[27]。
 エコー周波数も同様にコウモリと標的の相対速度の変化によって大きく変化しうる。CF-FMコウモリは、放射パルスの周波数を制御することで、飛行によって生じるエコーのドップラーシフトを打ち消し、自身の聴覚感度の良い周波数帯域にエコー周波数を保つ、ドップラーシフト補償行動を行う<ref name=Hiryu2008 /><ref name=Schnitzler1968>'''Schnitzler, H.-U. (1968).'''<br>Die Ultraschall-Ortungslaute der Hufeisen-Fledermäuse (''Chiroptera-Rhinolophidae'') in verschiedenen Orientierungssituationen. J Comp Physiol A Neuroethol Sens Neural Behav Physiol. 1968;57: 376-408. [[doi:10.1007/bf00303062|[DOI]]]</ref>[23,26]。ドップラーシフト補償行動を行う種には、聴覚の末梢レベルにおいてすでに様々な特殊化が見られる。CF-FMコウモリの放射パルスは第二高調波が最強であり、蝸牛有毛細胞の感度と周波数選択性が第二高調波のCF成分(CF2)に対して非常に高い。この特殊化は聴覚系全体を通じて見られる<ref name=Schnitzler2011 />[4]。CF-FMコウモリであるヒゲコウモリ(''Pteronotus parnellii'')の聴覚野には、FM音の組み合わせに選択的な反応を示す神経細胞(FM-FMニューロン)や、CF音の組み合わせに選択的な神経細胞(CF/CFニューロン)が存在する。FM-FMニューロンは2つのFM音の時間差に選択的であるため距離計測に、CF/CFニューロンは2つのCF音の周波数差に選択的であるため周波数計測にそれぞれ関わると言われる<ref group=注釈>CF音は通常長く、パルスCFとエコーCFが時間的に重畳する一方で、CF-FMコウモリのFM部やFMコウモリのFM音声は短く、パルスとエコーは時間的に重畳しない。組み合わせ感受性を持つ神経細胞は、音声同士の時間的な重畳がある場合には”/“、ない場合には”-“を用いて命名されている。</ref>。さらに、ドップラーシフトしたエコーのCF2に選択的に反応を示すニューロンが存在し、混雑した環境で獲物となる飛翔昆虫の羽ばたきを検知するのに役立つと考えられている<ref name=Suga1989><pubmed>2689566</pubmed></ref>[27]。


== エコーロケーションにおける混信対策 ==
== こだま定位における混信対策 ==
[[ファイル:Hase Echolocation Fig3.png|サムネイル|'''図3. ユビナガコウモリの単独飛行時と4個体飛行時の放射パルスの終端周波数'''<br>単独飛行時(a, c)には類似していた終端周波数が、4個体飛行時(c, d)にはばらつく傾向があった。参考文献<ref name=Hase2018 />[35]より。]]
[[ファイル:Hase Echolocation Fig3.png|サムネイル|'''図3. ユビナガコウモリの単独飛行時と4個体飛行時の放射パルスの終端周波数'''<br>単独飛行時(a, c)には類似していた終端周波数が、4個体飛行時(c, d)にはばらつく傾向があった。参考文献<ref name=Hase2018 />[35]より。]]
 ターゲットとなる物体以外の物体をクラッターと呼ぶ。コウモリが茂みに近い場所で餌となる飛翔昆虫を探索するとき、茂みの葉っぱ一枚一枚からのクラッターエコーが昆虫からの標的エコーと時間的に重畳してしまう<ref name=Simmons2014><pubmed>25122915</pubmed></ref>[28]。このようなクラッター環境でもコウモリは放射パルスの周波数依存の指向性を利用することで、ターゲットとなる獲物のエコーを抽出していることが示唆されている。放射パルスは高周波ほど指向性が鋭いため、音軸から左右に外れたところに存在する物体からのエコーは、コウモリの真正面からのエコーに比べ高周波がより減衰する。
 ターゲットとなる物体以外の物体をクラッターと呼ぶ。コウモリが茂みに近い場所で餌となる飛翔昆虫を探索するとき、茂みの葉っぱ一枚一枚からのクラッターエコーが昆虫からの標的エコーと時間的に重畳してしまう<ref name=Simmons2014><pubmed>25122915</pubmed></ref>[28]。このようなクラッター環境でもコウモリは放射パルスの周波数依存の指向性を利用することで、ターゲットとなる獲物のエコーを抽出していることが示唆されている。放射パルスは高周波ほど指向性が鋭いため、音軸から左右に外れたところに存在する物体からのエコーは、コウモリの真正面からのエコーに比べ高周波がより減衰する。
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==注釈==
==注釈==
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<references group=注釈/>
== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
=== 引用文献 ===
=== 引用文献 ===