「シャルコー・マリー・トゥース病」の版間の差分

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 1886年にフランス人神経学者である[[wj:ジャン=マルタン・シャルコー|Jean-Martin Charcot]]と[[w:Pierre Marie|Pierre Marie]]が 連名で ‘特に足の[[筋萎縮]]で始まり後に手にも筋萎縮がひろがる家族性の疾患’としてフランスの家系を報告し<ref name=Charcot1886>'''Charcot JM, Marie P. (1886)'''<br>On a particular form of muscular atrophy that is often familial, appearing in the feet and legs and later reaching the hands. Rev Med Interne. 6:97-138</ref>、同年イギリス人神経学者の[[w:Howard Henry Tooth|Howard Henry Tooth]]も ‘Peroneal type(腓骨型)’の筋萎縮症としてイギリスの症例を報告した<ref name=Tooth1886>'''Tooth HH. (1886).'''<br>The peroneal type of progressive muscular atrophy. London: HK Lewis. 1886</ref>。この3人が初めて報告したため、遺伝性末梢神経障害の総称としてシャルコー・マリー・トゥース病の名称が用いられるようになった。シャルコー・マリー・トゥース病の中には[[脱髄型]]、[[軸索型]]、[[中間型]]、[[常染色体顕性]]遺伝形式、[[常染色体潜性]]遺伝形式]]、[[X染色体]]遺伝形式など様々なタイプがある。
 1886年にフランス人神経学者である[[wj:ジャン=マルタン・シャルコー|Jean-Martin Charcot]]と[[w:Pierre Marie|Pierre Marie]]が 連名で ‘特に足の[[筋萎縮]]で始まり後に手にも筋萎縮がひろがる家族性の疾患’としてフランスの家系を報告し<ref name=Charcot1886>'''Charcot JM, Marie P. (1886)'''<br>On a particular form of muscular atrophy that is often familial, appearing in the feet and legs and later reaching the hands. Rev Med Interne. 6:97-138</ref>、同年イギリス人神経学者の[[w:Howard Henry Tooth|Howard Henry Tooth]]も ‘Peroneal type(腓骨型)’の筋萎縮症としてイギリスの症例を報告した<ref name=Tooth1886>'''Tooth HH. (1886).'''<br>The peroneal type of progressive muscular atrophy. London: HK Lewis. 1886</ref>。この3人が初めて報告したため、遺伝性末梢神経障害の総称としてシャルコー・マリー・トゥース病の名称が用いられるようになった。シャルコー・マリー・トゥース病の中には[[脱髄型]]、[[軸索型]]、[[中間型]]、[[常染色体顕性]]遺伝形式、[[常染色体潜性]]遺伝形式]]、[[X染色体]]遺伝形式など様々なタイプがある。


 1989年Vanceらはシャルコー・マリー・トゥース病の中で最も多い常染色体顕性遺伝形式の脱髄型シャルコー・マリー・トゥース病(CMT1A)において原因遺伝子が17番染色体にあることを発見し<ref name=Vance1989><pubmed>2707366</pubmed></ref>、1991年[[w:James_R._Lupski|Lupski]]らのグループ<ref name=Lupski1991><pubmed>1677316</pubmed></ref>とRaeymaekersらのグループ<ref name=Raeymaekers1991><pubmed>1822787</pubmed></ref>がほぼ同時期にCMT1Aの原因が17番染色体のPMP22 (peripheral myelin protein 22) 遺伝子の重複であることを発見した。これによりシャルコー・マリー・トゥース病の遺伝子検査の歴史が始まり、[[PMP22]]重複の検査([[Fluorescence in situ hybridization|Fluorescence in situ hybridization (FISH)法]])は保険適応の外注委託検査として実施可能である。
 1989年Vanceらはシャルコー・マリー・トゥース病の中で最も多い常染色体顕性遺伝形式の脱髄型シャルコー・マリー・トゥース病(CMT1A)において原因遺伝子が17番染色体にあることを発見し<ref name=Vance1989><pubmed>2707366</pubmed></ref>、1991年[[w:James_R._Lupski|Lupski]]らのグループ<ref name=Lupski1991><pubmed>1677316</pubmed></ref>とRaeymaekersらのグループ<ref name=Raeymaekers1991><pubmed>1822787</pubmed></ref>がほぼ同時期にCMT1Aの原因が17番染色体の[[PMP22]] ([[peripheral myelin protein 22]]) 遺伝子の重複であることを発見した。これによりシャルコー・マリー・トゥース病の遺伝子検査の歴史が始まり、PMP22重複の検査([[Fluorescence in situ hybridization|Fluorescence in situ hybridization (FISH)法]])は保険適応の外注委託検査として実施可能である。
 
== 診断 ==
== 診断 ==
[[ファイル:Hashiguchi CMT Fig.jpg|サムネイル|'''図1. 凹足(pes caves)'''<br>自験例]]
[[ファイル:Hashiguchi CMT Fig.jpg|サムネイル|'''図1. 凹足(pes caves)'''<br>自験例]]