「D-セリン」の版間の差分

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== 発見 ==
== 発見 ==
 <small>D</small>-セリン('''図1''')は遊離型として、[[ミミズ]]([[環形動物]])や[[カイコ]]([[節足動物]])の組織に含まれていることが1960年代から知られていたが、[[脊椎動物]]では、[[アミノ酸]]は<small>L</small>体で占められるという[[ホモキラリテー]]が定説となっており、1980年代までは遊離体・結合型(タンパク質の成分)ともに検出されることはなかった<ref name=Corrigan1969><pubmed>5774186</pubmed></ref>。1980年代になり、筆者らが統合失調症の新しい治療法を研究する過程で、遊離型<small>D</small>-セリンが哺乳類の脳に恒常的に高濃度で含まれることを見出し、[[NMDA型グルタミン酸受容体]](NMDA受容体)の内在性コアゴニストであることを示唆した<ref name=Nishikawa2022>'''Nishikawa, T., Umino, A., Umino, M. (2022).'''<br>
 <small>D</small>-セリン('''図1''')は遊離型として、[[ミミズ]]([[環形動物]])や[[カイコ]]([[節足動物]])の組織に含まれていることが1960年代から知られていたが、[[脊椎動物]]では、[[アミノ酸]]は<small>L</small>体で占められるという[[ホモキラリテー]]が定説となっており、1980年代までは遊離体・結合型(タンパク質の成分)ともに検出されることはなかった<ref name=Corrigan1969><pubmed>5774186</pubmed></ref>。1980年代になり、筆者らが統合失調症の新しい治療法を研究する過程で、遊離型<small>D</small>-セリンが哺乳類の脳に恒常的に高濃度で含まれることを見出し、[[NMDA型グルタミン酸受容体]](NMDA受容体)の内在性コアゴニストであることを示唆した<ref name=Nishikawa2022>'''Nishikawa, T., Umino, A., Umino, M. (2022).'''<br>
<small>D</small>-Serine: Basic Aspects with a Focus on Psychosis. In: Riederer, P., Laux, G., Nagatsu, T., Le, W., Riederer, C. (eds) NeuroPsychopharmacotherapy. pp 495-523, Springer, Cham. [https://doi.org/10.1007/978-3-030-62059-2_470 DOI]</ref> [2]
<small>D</small>-Serine: Basic Aspects with a Focus on Psychosis. In: Riederer, P., Laux, G., Nagatsu, T., Le, W., Riederer, C. (eds) NeuroPsychopharmacotherapy. pp 495-523, Springer, Cham. [https://doi.org/10.1007/978-3-030-62059-2_470 DOI]</ref>。


 NMDA受容体[[遮断薬]]が[[統合失調症]]と区別し難い精神症状を引き起こすことに基づいて、同受容体の機能低下が推測されている<ref name=Nishikawa2022 /> <ref name=Uno2019><pubmed>30666759</pubmed></ref>。これらの精神症状には、既存の治療薬([[抗精神病薬]])が効果的な[[陽性症状]]だけでなく、改善が困難な[[陰性症状]]や[[認知機能障害]]が含まれる。そこで、本症の新規治療法を開発するため、NMDA受容体機能を促進する同受容体[[グリシン]]調節部位の作動薬('''図2''':グルタミン酸結合部位の作動薬のような高濃度での細胞傷害性がない)として知られていた<small>D</small>-セリンと、その[[血液脳関門]]の透過性向上を目的として合成した[[脂肪酸]]化合物をラットに投与したところ、いずれもNMDA受容体遮断薬による統合失調症の動物モデルとされる異常行動が抑制された。これらの抑制効果は、NMDA受容体グリシン調節部位の選択的拮抗薬により減弱することや、脂肪酸化合物はグリシン調節部位に結合しなかったことより、脂肪酸との[[エステル結合]]が分解して遊離された<small>D</small>-セリンがグリシン調節部位に作用する可能性が示唆された。その検証を、キラルアミノ酸を分離定量可能な[[高速液体クロマトグラフィー]]([[high-performance liquid chromatography]], [[HPLC]])、[[ガスクロマトグラフ]]([[gas chromatograph]], GC)、[[ガスクロマトグラフ質量分析計]] ([[gas chromatograph-mass spectrometer]], [[GC-MS]])法等で行った結果、上記の脂肪酸化合物を投与していない動物の脳(大脳新皮質)において<small>D</small>-セリンが検出され、無菌ラットでも濃度が同等であることから、[[哺乳類]]の脳に細菌由来ではない内在性<small>D</small>-セリンが存在することがわかった<ref name=Hashimoto1992><pubmed>1730289</pubmed></ref><ref name=Hashimoto1993><pubmed>8419554</pubmed></ref> [4, 5]
 NMDA受容体[[遮断薬]]が[[統合失調症]]と区別し難い精神症状を引き起こすことに基づいて、同受容体の機能低下が推測されている<ref name=Nishikawa2022 /> <ref name=Uno2019><pubmed>30666759</pubmed></ref>。これらの精神症状には、既存の治療薬([[抗精神病薬]])が効果的な[[陽性症状]]だけでなく、改善が困難な[[陰性症状]]や[[認知機能障害]]が含まれる。そこで、本症の新規治療法を開発するため、NMDA受容体機能を促進する同受容体[[グリシン]]調節部位の作動薬('''図2''':グルタミン酸結合部位の作動薬のような高濃度での細胞傷害性がない)として知られていた<small>D</small>-セリンと、その[[血液脳関門]]の透過性向上を目的として合成した[[脂肪酸]]化合物をラットに投与したところ、いずれもNMDA受容体遮断薬による統合失調症の動物モデルとされる異常行動が抑制された。これらの抑制効果は、NMDA受容体グリシン調節部位の選択的拮抗薬により減弱することや、脂肪酸化合物はグリシン調節部位に結合しなかったことより、脂肪酸との[[エステル結合]]が分解して遊離された<small>D</small>-セリンがグリシン調節部位に作用する可能性が示唆された。その検証を、キラルアミノ酸を分離定量可能な[[高速液体クロマトグラフィー]]([[high-performance liquid chromatography]], [[HPLC]])、[[ガスクロマトグラフ]]([[gas chromatograph]], GC)、[[ガスクロマトグラフ質量分析計]] ([[gas chromatograph-mass spectrometer]], [[GC-MS]])法等で行った結果、上記の脂肪酸化合物を投与していない動物の脳(大脳新皮質)において<small>D</small>-セリンが検出され、無菌ラットでも濃度が同等であることから、[[哺乳類]]の脳に細菌由来ではない内在性<small>D</small>-セリンが存在することがわかった<ref name=Hashimoto1992><pubmed>1730289</pubmed></ref><ref name=Hashimoto1993><pubmed>8419554</pubmed></ref>。


== 化学的性質 ==
== 化学的性質 ==
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== 生体内分布 ==
== 生体内分布 ==
 [[ラット]]、[[マウス]]、[[ヒト]]などの哺乳類においては、出生後生涯を通じ不均一で脳優位の体内分布を示す。組織中濃度は脳で高く、末梢組織では低濃度([[腎臓]]、[[肝臓]]、[[脾臓]]、[[血液]]等)、痕跡程度または検出感度未満である<ref name=Hashimoto1993 /><ref name=Hashimoto1995><pubmed>7582120</pubmed></ref>。成熟期の脳内では、[[前脳]]部([[大脳皮質]]、[[線条体]]、[[海馬]]など)で高濃度(0.25-0.35 µmol/g tissue)、[[間脳]]、[[中脳]]などでは中等度〜低濃度、[[橋]]―[[延髄]]、[[小脳]]においては痕跡程度または検出感度未満であるが、出生時には各脳部位間でほぼ均一の濃度(0.1 µmol/g tissue程度)が認められる<ref name=Hashimoto1995 /> [6]
 [[ラット]]、[[マウス]]、[[ヒト]]などの哺乳類においては、出生後生涯を通じ不均一で脳優位の体内分布を示す。組織中濃度は脳で高く、末梢組織では低濃度([[腎臓]]、[[肝臓]]、[[脾臓]]、[[血液]]等)、痕跡程度または検出感度未満である<ref name=Hashimoto1993 /><ref name=Hashimoto1995><pubmed>7582120</pubmed></ref>。成熟期の脳内では、[[前脳]]部([[大脳皮質]]、[[線条体]]、[[海馬]]など)で高濃度(0.25-0.35 µmol/g tissue)、[[間脳]]、[[中脳]]などでは中等度〜低濃度、[[橋]]―[[延髄]]、[[小脳]]においては痕跡程度または検出感度未満であるが、出生時には各脳部位間でほぼ均一の濃度(0.1 µmol/g tissue程度)が認められる<ref name=Hashimoto1995 />。


 <small>D</small>-セリンの脳組織中の分布は、NMDA受容体の、[[グルタミン酸]]結合部位、グリシン調節部位および[[フェンサイクリジン]]結合部位と強い相関を示す<ref name=Hashimoto1992 /> [4]('''図2''')。また,生後の発達期から成熟期に至る脳内分布の変化は、[[GRIN2B]]サブユニットの発現分布の変化と類似している<ref name=Watanabe1992><pubmed>1493227</pubmed></ref>[7]
 <small>D</small>-セリンの脳組織中の分布は、NMDA受容体の、[[グルタミン酸]]結合部位、グリシン調節部位および[[フェンサイクリジン]]結合部位と強い相関を示す<ref name=Hashimoto1992 />('''図2''')。また,生後の発達期から成熟期に至る脳内分布の変化は、[[GRIN2B]]サブユニットの発現分布の変化と類似している<ref name=Watanabe1992><pubmed>1493227</pubmed></ref>。


== 代謝 ==
== 代謝 ==
 種々の<small>D</small>体アミノ酸は哺乳類の[[腸内細菌]]で産生されることが知られているが、<small>D</small>-セリンは、無菌ラットまたはマウスの脳や腎臓<ref name=Hashimoto1993 /><ref name=Nagata1992><pubmed>1346751</pubmed></ref>においても組織中濃度は変化が見られないことから、生合成される内在性アミノ酸と考えられる。
 種々の<small>D</small>体アミノ酸は哺乳類の[[腸内細菌]]で産生されることが知られているが、<small>D</small>-セリンは、無菌ラットまたはマウスの脳や腎臓<ref name=Hashimoto1993 /><ref name=Nagata1992><pubmed>1346751</pubmed></ref>においても組織中濃度は変化が見られないことから、生合成される内在性アミノ酸と考えられる。
=== 生合成 ===
=== 生合成 ===
 <small>L</small>-セリンを<small>D</small>-セリンに変換する[[セリンラセマーゼ]]が同定された<ref name=Wolosker1999a><pubmed>9892700</pubmed></ref><ref name=Wolosker1999b><pubmed>10557334</pubmed></ref>。本酵素遺伝子の欠損マウスの脳組織では<small>D</small>-セリン濃度が9-22%に減少するため<ref name=Basu2009><pubmed>19065142</pubmed></ref><ref name=Horio2011><pubmed>21906644</pubmed></ref><ref name=Labrie2009><pubmed>19483194</pubmed></ref><ref name=Miyoshi2012><pubmed>22990841</pubmed></ref>、セリンラセマーゼが<small>D</small>-セリンの主要な生合成酵素と考えられている。<small>L</small>-セリンの合成酵素である[[ホスホグリセリン酸デヒドロゲナーゼ]] ([[phosphoglycerate dehydrogenase]], [[Phgdh]])の遺伝子を[[アストログリア]]特異的に欠損するマウスでは、セリンラセマーゼ欠損マウスと同程度の<small>D</small>-セリン濃度の減少が認められることより<ref name=Yang2010><pubmed>20966073</pubmed></ref> [15]、セリンラセマーゼはアストログリアから供給される<small>L</small>-セリンから<small>D</small>-セリンを合成している可能性が高い。
 <small>L</small>-セリンを<small>D</small>-セリンに変換する[[セリンラセマーゼ]]が同定された<ref name=Wolosker1999a><pubmed>9892700</pubmed></ref><ref name=Wolosker1999b><pubmed>10557334</pubmed></ref>。本酵素遺伝子の欠損マウスの脳組織では<small>D</small>-セリン濃度が9-22%に減少するため<ref name=Basu2009><pubmed>19065142</pubmed></ref><ref name=Horio2011><pubmed>21906644</pubmed></ref><ref name=Labrie2009><pubmed>19483194</pubmed></ref><ref name=Miyoshi2012><pubmed>22990841</pubmed></ref>、セリンラセマーゼが<small>D</small>-セリンの主要な生合成酵素と考えられている。<small>L</small>-セリンの合成酵素である[[ホスホグリセリン酸デヒドロゲナーゼ]] ([[phosphoglycerate dehydrogenase]], [[Phgdh]])の遺伝子を[[アストログリア]]特異的に欠損するマウスでは、セリンラセマーゼ欠損マウスと同程度の<small>D</small>-セリン濃度の減少が認められることより<ref name=Yang2010><pubmed>20966073</pubmed></ref>、セリンラセマーゼはアストログリアから供給される<small>L</small>-セリンから<small>D</small>-セリンを合成している可能性が高い。


 セリンラセマーゼは、免疫組織化学的にニューロンに局在することが示され<ref name=Miya2008><pubmed>18698599</pubmed></ref>、ニューロン選択的に本酵素遺伝子を欠損するマウスにおいては<small>D</small>-セリン濃度が低下し、アストログリア選択的に欠損させる遺伝子操作では<small>D</small>-セリン濃度に変化がないことから<ref name=Benneyworth2008><pubmed>22362148</pubmed></ref>、主にニューロンに発現していることが支持されている。
 セリンラセマーゼは、免疫組織化学的にニューロンに局在することが示され<ref name=Miya2008><pubmed>18698599</pubmed></ref>、ニューロン選択的に本酵素遺伝子を欠損するマウスにおいては<small>D</small>-セリン濃度が低下し、アストログリア選択的に欠損させる遺伝子操作では<small>D</small>-セリン濃度に変化がないことから<ref name=Benneyworth2008><pubmed>22362148</pubmed></ref>、主にニューロンに発現していることが支持されている。


=== 貯蔵 ===
=== 貯蔵 ===
 脳の細胞内では、[[シナプトソーム]]分画で[[ミトコンドリア]]分画の約3.8倍の濃度の<small>D</small>-セリンが検出されるが<ref name=Hashimoto1993 />[5]、細胞内局在や貯蔵形態は未解明である。抗<small>D</small>-セリン抗体を用いた免疫組織化学的検討では、アストログリアの細胞質あるいは小胞様構造や、ニューロンの[[樹状突起]]または[[シナプス後肥厚]]に含まれているという報告がある<ref name=Martineau2008><pubmed>23426669</pubmed></ref><ref name=Kartvelishvily2006><pubmed>16551623</pubmed></ref> [18,19]
 脳の細胞内では、[[シナプトソーム]]分画で[[ミトコンドリア]]分画の約3.8倍の濃度の<small>D</small>-セリンが検出されるが<ref name=Hashimoto1993 />、細胞内局在や貯蔵形態は未解明である。抗<small>D</small>-セリン抗体を用いた免疫組織化学的検討では、アストログリアの細胞質あるいは小胞様構造や、ニューロンの[[樹状突起]]または[[シナプス後肥厚]]に含まれているという報告がある<ref name=Martineau2008><pubmed>23426669</pubmed></ref><ref name=Kartvelishvily2006><pubmed>16551623</pubmed></ref>。


=== 細胞外遊離 ===
=== 細胞外遊離 ===
 <small>D</small>-セリンは、in vivo[[脳内微小透析法]]([[microdialysis]])で自由運動下の[[齧歯類]]の脳組織から回収した透析液中に検出され<ref name=Hashimoto1995b><pubmed>7644027</pubmed></ref> [20]、細胞外に放出されていると考えられている。[[前頭前野]]および線条体における細胞外液中濃度は6-7 µM程度で、[[神経伝達物質]]の[[ドーパミン]]と比較すると、前者では約20,000倍、後者では約500倍程度高い。成熟した齧歯類の脳における細胞外液中濃度の部位差は、組織中濃度と相関し前脳部で高く小脳で低い<ref name=Hashimoto1995b /> [20]
 <small>D</small>-セリンは、in vivo[[脳内微小透析法]]([[microdialysis]])で自由運動下の[[齧歯類]]の脳組織から回収した透析液中に検出され<ref name=Hashimoto1995b><pubmed>7644027</pubmed></ref>、細胞外に放出されていると考えられている。[[前頭前野]]および線条体における細胞外液中濃度は6-7 µM程度で、[[神経伝達物質]]の[[ドーパミン]]と比較すると、前者では約20,000倍、後者では約500倍程度高い。成熟した齧歯類の脳における細胞外液中濃度の部位差は、組織中濃度と相関し前脳部で高く小脳で低い<ref name=Hashimoto1995b />。


 細胞外<small>D</small>-セリンの放出の分子細胞機構については結論が得られていないが、神経活動に応じた[[シナプス小胞]]の開口によって放出される神経伝達物質とは異なると推測されている。すなわち、in vivoの実験系では、細胞外液中<small>D</small>-セリン濃度は、[[脱分極]]刺激により低下し、神経伝導遮断や細胞外[[カルシウム]]の除去を行っても減少しない<ref name=Hashimoto1995b />。さらに、in vitroの条件下では<small>D</small>-セリンのシナプス小胞に含まれる物質の放出阻害薬の影響を受けない<ref name=Kartvelishvily2006 />。これらに対して、グリアの活動を抑制する薬剤で減少する<ref name=Kanematsu2006><pubmed>16736231</pubmed></ref><ref name=Henneberger2010><pubmed>20075918</pubmed></ref>。これらの所見は、細胞外の<small>D</small>-セリンの放出にはニューロンおよびグリアの双方の活動が影響することを示唆しているが、放出細胞は未同定である。
 細胞外<small>D</small>-セリンの放出の分子細胞機構については結論が得られていないが、神経活動に応じた[[シナプス小胞]]の開口によって放出される神経伝達物質とは異なると推測されている。すなわち、in vivoの実験系では、細胞外液中<small>D</small>-セリン濃度は、[[脱分極]]刺激により低下し、神経伝導遮断や細胞外[[カルシウム]]の除去を行っても減少しない<ref name=Hashimoto1995b />。さらに、in vitroの条件下では<small>D</small>-セリンのシナプス小胞に含まれる物質の放出阻害薬の影響を受けない<ref name=Kartvelishvily2006 />。これらに対して、グリアの活動を抑制する薬剤で減少する<ref name=Kanematsu2006><pubmed>16736231</pubmed></ref><ref name=Henneberger2010><pubmed>20075918</pubmed></ref>。これらの所見は、細胞外の<small>D</small>-セリンの放出にはニューロンおよびグリアの双方の活動が影響することを示唆しているが、放出細胞は未同定である。


 細胞外液中の<small>D</small>-セリン濃度の調節については、[[AMPA型グルタミン酸受容体]]<ref name=Ishiwata2008><pubmed>23298512</pubmed></ref> [23]、[[P2X7プリン受容体]]―[[パネキシン]]複合体<ref name=Pan2015><pubmed>25630251</pubmed></ref> [24]、[[GABAA受容体|GABA<sub>A</sub>受容体]]<ref name=Umino2017><pubmed>28824371</pubmed></ref>等の関与が報告されている。
 細胞外液中の<small>D</small>-セリン濃度の調節については、[[AMPA型グルタミン酸受容体]]<ref name=Ishiwata2008><pubmed>23298512</pubmed></ref>、[[P2X7プリン受容体]]―[[パネキシン]]複合体<ref name=Pan2015><pubmed>25630251</pubmed></ref>、[[GABAA受容体|GABA<sub>A</sub>受容体]]<ref name=Umino2017><pubmed>28824371</pubmed></ref>等の関与が報告されている。
[[ファイル:Nishikawa D-Ser Fig2.png|サムネイル|'''図2. GluN1/GluN2型NMDA受容体'''<br>Gly:グリシン調節部位、Glu:グルタミン酸結合部位、SR:セリンラセマーゼ、DAO:<small>D</small>-アミノ酸酸化酵素、Poly:ポリアミン結合部位、PCP:フェンサイクリジン]]
[[ファイル:Nishikawa D-Ser Fig2.png|サムネイル|'''図2. GluN1/GluN2型NMDA受容体'''<br>Gly:グリシン調節部位、Glu:グルタミン酸結合部位、SR:セリンラセマーゼ、DAO:<small>D</small>-アミノ酸酸化酵素、Poly:ポリアミン結合部位、PCP:フェンサイクリジン]]
=== 受容体結合 ===
=== 受容体結合 ===
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=== NMDA受容体リガンド ===
=== NMDA受容体リガンド ===
==== GluN1/GluN2型NMDA受容体 ====
==== GluN1/GluN2型NMDA受容体 ====
 GluN1/GluN2A-D型NMDA受容体においては、<small>D</small>-セリンがGluN1サブユニットのグリシン調節部位に結合し('''図2''':GLY)、同時にGluN2サブユニットにグルタミン酸が結合することによって('''図2''':GLU)初めてNMDA受容体チャネルが開口することから、<small>D</small>-セリンはNMDA受容体のコアゴニストであることが、in vitro<ref name=Henneberger2010 /><ref name=Matsui1995 /><ref name=Mothet2008><pubmed>10781100</pubmed></ref> [22,27,38]およびin vivo<ref name=Umino2017 /><ref name=Ishiwata2015 />[25,39]の実験系で示されている。グリシンもNMDA受容体のコアゴニストとして機能するが、大脳新皮質、海馬などの前脳部では、
 GluN1/GluN2A-D型NMDA受容体においては、<small>D</small>-セリンがGluN1サブユニットのグリシン調節部位に結合し('''図2''':GLY)、同時にGluN2サブユニットにグルタミン酸が結合することによって('''図2''':GLU)初めてNMDA受容体チャネルが開口することから、<small>D</small>-セリンはNMDA受容体のコアゴニストであることが、in vitro<ref name=Henneberger2010 /><ref name=Matsui1995 /><ref name=Mothet2008><pubmed>10781100</pubmed></ref>およびin vivo<ref name=Umino2017 /><ref name=Ishiwata2015 />の実験系で示されている。グリシンもNMDA受容体のコアゴニストとして機能するが、大脳新皮質、海馬などの前脳部では、


#D-アミノ酸酸化酵素<ref name=Henneberger2010 /><ref name=Mothet2008 /> [22,38]
#D-アミノ酸酸化酵素<ref name=Henneberger2010 /><ref name=Mothet2008 />
#セリンラセマーゼ欠損<ref name=Ishiwata2015><pubmed>25782690</pubmed></ref> [39]
#セリンラセマーゼ欠損<ref name=Ishiwata2015><pubmed>25782690</pubmed></ref>
#GABA<sub>A</sub>受容体遮断<ref name=Umino2017 /> [25]
#GABA<sub>A</sub>受容体遮断<ref name=Umino2017 />


等の方法で細胞外<small>D</small>-セリンを選択的に除去または減少させると、グリシン濃度が正常であってもNMDA受容体機能が低下することより、<small>D</small>-セリンが内在性コアゴニストと考えられている。<small>D</small>-セリンの代謝過程(「代謝」の項)の特徴が古典的な神経伝達物質と大きく異なるのは、神経伝達物質がニューロンの電気活動に即応して急速に細胞外に放出され、速やかに除去されるのに対し、<small>D</small>-セリンはシナプス間隙において一定レベルの濃度が維持されることでコアゴニストとして機能する点にある。
等の方法で細胞外<small>D</small>-セリンを選択的に除去または減少させると、グリシン濃度が正常であってもNMDA受容体機能が低下することより、<small>D</small>-セリンが内在性コアゴニストと考えられている。<small>D</small>-セリンの代謝過程(「代謝」の項)の特徴が古典的な神経伝達物質と大きく異なるのは、神経伝達物質がニューロンの電気活動に即応して急速に細胞外に放出され、速やかに除去されるのに対し、<small>D</small>-セリンはシナプス間隙において一定レベルの濃度が維持されることでコアゴニストとして機能する点にある。
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等が抑制される<ref name=Basu2009><pubmed>19065142</pubmed></ref><ref name=Labrie2009><pubmed>19483194</pubmed></ref><ref name=Inoue2008><pubmed>19118183</pubmed></ref>。
等が抑制される<ref name=Basu2009><pubmed>19065142</pubmed></ref><ref name=Labrie2009><pubmed>19483194</pubmed></ref><ref name=Inoue2008><pubmed>19118183</pubmed></ref>。


 <small>D</small>-セリンの欠損マウスでは、[[記憶]]、[[学習]]、[[注意]]、[[実行機能]]等の認知機能が障害される<ref name=Basu2009><pubmed>19065142</pubmed></ref><ref name=Labrie2009><pubmed>19483194</pubmed></ref> [11,13]
 <small>D</small>-セリンの欠損マウスでは、[[記憶]]、[[学習]]、[[注意]]、[[実行機能]]等の認知機能が障害される<ref name=Basu2009><pubmed>19065142</pubmed></ref><ref name=Labrie2009><pubmed>19483194</pubmed></ref>。


 グリシンと<small>D</small>-セリンのNMDA受容体に対する生理的役割の違いについての結論は得られていないが、電気生理学的な研究から、<small>D</small>-セリンはシナプスのNMDA受容体に、グリシンはシナプス外NMDA受容体に作用することが示唆されている<ref name=Papouin2012><pubmed>22863013</pubmed></ref>。
 グリシンと<small>D</small>-セリンのNMDA受容体に対する生理的役割の違いについての結論は得られていないが、電気生理学的な研究から、<small>D</small>-セリンはシナプスのNMDA受容体に、グリシンはシナプス外NMDA受容体に作用することが示唆されている<ref name=Papouin2012><pubmed>22863013</pubmed></ref>。
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==== δ受容体リガンド ====
==== δ受容体リガンド ====
 齧歯類の脳では、NMDA受容体グリシン調節部位以外にも<small>D</small>-セリンが結合する部位が検出される<ref name=Matoba1997><pubmed>9202334</pubmed></ref>。[[δ型受容体]][[GluD1]]および[[GluD2]]には、グルタミン酸は結合しないがグリシンや<small>D</small>-セリンが結合する<ref name=Naur2007><pubmed>17715062</pubmed></ref> <ref name=Masternak2023><pubmed>36128700</pubmed></ref> [29,45]。小脳では、幼若期には<small>D</small>-アミノ酸酸化酵素の発現が低く、運動学習に伴う神経活動によって細胞外<small>D</small>-セリン濃度が上昇する。小脳プルキンエ細胞には[[δ2受容体]](GluD2)が強く発現しているため、増加した<small>D</small>-セリンがGluD2に作用することによって[[長期抑圧]]が誘導され易く、発達期の小脳では容易に運動学習が起きることが見出されている<ref name=Kakegawa2011><pubmed>21460832</pubmed></ref> [46]
 齧歯類の脳では、NMDA受容体グリシン調節部位以外にも<small>D</small>-セリンが結合する部位が検出される<ref name=Matoba1997><pubmed>9202334</pubmed></ref>。[[δ型受容体]][[GluD1]]および[[GluD2]]には、グルタミン酸は結合しないがグリシンや<small>D</small>-セリンが結合する<ref name=Naur2007><pubmed>17715062</pubmed></ref> <ref name=Masternak2023><pubmed>36128700</pubmed></ref>。小脳では、幼若期には<small>D</small>-アミノ酸酸化酵素の発現が低く、運動学習に伴う神経活動によって細胞外<small>D</small>-セリン濃度が上昇する。小脳プルキンエ細胞には[[δ2受容体]](GluD2)が強く発現しているため、増加した<small>D</small>-セリンがGluD2に作用することによって[[長期抑圧]]が誘導され易く、発達期の小脳では容易に運動学習が起きることが見出されている<ref name=Kakegawa2011><pubmed>21460832</pubmed></ref>。


== 疾患との関係 ==
== 疾患との関係 ==
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# 統合失調症様症状発現薬による異常行動の増悪
# 統合失調症様症状発現薬による異常行動の増悪


等の、本症の患者で観察される異常と類似の変化、あるいは症状のモデルが報告され、前記の仮説を支持している<ref name=Basu2009><pubmed>19065142</pubmed></ref> <ref name=Horio2011><pubmed>21906644</pubmed></ref> <ref name=Balu2013><pubmed>23729812</pubmed></ref>。
等の、本症の患者で観察される異常と類似の変化、あるいは症状のモデルが報告され、前記の仮説を支持している<ref name=Basu2009><pubmed>19065142</pubmed></ref> <ref name=Horio2011><pubmed>21906644</pubmed></ref><ref name=Balu2013><pubmed>23729812</pubmed></ref>。


 統合失調症患者についての大規模[[ゲノムワイド関連解析]](GWAS)において、セリンラセマーゼと本症の有意な相関が認められたが<ref name=Schizophrenia2014><pubmed>25056061</pubmed></ref>、否定する遺伝子関連研究もある<ref name=Yamada2005><pubmed>15953485</pubmed></ref> [49]
 統合失調症患者についての大規模[[ゲノムワイド関連解析]](GWAS)において、セリンラセマーゼと本症の有意な相関が認められたが<ref name=Schizophrenia2014><pubmed>25056061</pubmed></ref>、否定する遺伝子関連研究もある<ref name=Yamada2005><pubmed>15953485</pubmed></ref>。


 死後脳の研究では、
 死後脳の研究では、
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 セリンラセマーゼ欠損マウスの大脳皮質では、[[NMDA]]や[[Aβ1-42]]による[[神経細胞死]]が著明に抑制され、<small>D</small>-セリン濃度が10%程度まで減少するのに対して、グリシン、<small>L</small>-セリンおよび[[グルタミン酸|<small>L</small>-グルタミン酸]]は変化しない<ref name=Inoue2008><pubmed>19118183</pubmed></ref>。これらの結果から、[[アルツハイマー病]]、[[筋萎縮性側索硬化症]]をはじめとする[[神経変性疾患]]や、[[脳血管障害]]における神経細胞傷害に、<small>D</small>-セリンが関与する可能性が注目されている。
 セリンラセマーゼ欠損マウスの大脳皮質では、[[NMDA]]や[[Aβ1-42]]による[[神経細胞死]]が著明に抑制され、<small>D</small>-セリン濃度が10%程度まで減少するのに対して、グリシン、<small>L</small>-セリンおよび[[グルタミン酸|<small>L</small>-グルタミン酸]]は変化しない<ref name=Inoue2008><pubmed>19118183</pubmed></ref>。これらの結果から、[[アルツハイマー病]]、[[筋萎縮性側索硬化症]]をはじめとする[[神経変性疾患]]や、[[脳血管障害]]における神経細胞傷害に、<small>D</small>-セリンが関与する可能性が注目されている。
=== 腎障害 ===
=== 腎障害 ===
 末梢の<small>D</small>-セリンに関しては、[[腎臓]]における生理的・病態生理学的な意義の解析が進んでいる<ref name=Nakade2019>'''中出 祐介,岩田 恭宜,和田 隆志(2019).'''<br><small>D</small>-セリンと腎臓病 生化学, 91(3),349‒354. PDF: https://seikagaku.jbsoc.or.jp/10.14952/SEIKAGAKU.2019.910349/data/index.html></ref> [62]。腎臓には<small>D</small>-セリン、セリンラセマーゼ、<small>D</small>-アミノ酸酸化酵素および中性アミノ酸トランスポーター等が存在し、尿中にはL体より高い濃度の<small>D</small>-セリンが検出されることから腎排泄機能への関与が示唆されている。腎障害患者では血液中<small>D</small>-セリンの上昇が認められ、腎機能のマーカーとしての可能性が検討されている。  
 末梢の<small>D</small>-セリンに関しては、[[腎臓]]における生理的・病態生理学的な意義の解析が進んでいる<ref name=Nakade2019>'''中出 祐介,岩田 恭宜,和田 隆志(2019).'''<br><small>D</small>-セリンと腎臓病 生化学, 91(3),349‒354. PDF: https://seikagaku.jbsoc.or.jp/10.14952/SEIKAGAKU.2019.910349/data/index.html></ref>。腎臓には<small>D</small>-セリン、セリンラセマーゼ、<small>D</small>-アミノ酸酸化酵素および中性アミノ酸トランスポーター等が存在し、尿中にはL体より高い濃度の<small>D</small>-セリンが検出されることから腎排泄機能への関与が示唆されている。腎障害患者では血液中<small>D</small>-セリンの上昇が認められ、腎機能のマーカーとしての可能性が検討されている。  


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==