「身体図式」の版間の差分

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 田中と湯浅<ref name=ref4>'''田中彰吾、 湯浅泰雄'''<br>身体図式からイマジナル・ボディへ<br>''人体科学'' 2001; 21-29.</ref>は現象学的な観点から幻影肢と身体図式の関係について、次のように述べている。
 田中と湯浅<ref name=ref4>'''田中彰吾、 湯浅泰雄'''<br>身体図式からイマジナル・ボディへ<br>''人体科学'' 2001; 21-29.</ref>は現象学的な観点から幻影肢と身体図式の関係について、次のように述べている。


 「(幻影肢)このような現象に即して忠実に考える限り、我々は以下のような条件を満たすものとして身体図式の存在を想定せざるを得ない。第一に、既に失われた部位の知覚が生じているのだから、欠損した部位からは相対的に独立した機能であること。第二に、通常の状態では意識されず、四肢が欠如したことによって初めて意識されるような潜在的な機能であるあること。第三に、時間の経過ともに消失するような可変的な性質を持つこと。第四に、四肢のすべと関連し、それを全体として統合する機能を持つこと。それゆえ、四肢のどれかが切断されても、全体としての身体図式は、従来のまま働き続けることができる。
 「(幻影肢)このような現象に即して忠実に考える限り、我々は以下のような条件を満たすものとして身体図式の存在を想定せざるを得ない。第一に、既に失われた部位の知覚が生じているのだから、欠損した部位からは相対的に独立した機能であること。第二に、通常の状態では意識されず、四肢が欠如したことによって初めて意識されるような潜在的な機能であるあること。第三に、時間の経過ともに消失するような可変的な性質を持つこと。第四に、四肢のすべてと関連し、それを全体として統合する機能を持つこと。それゆえ、四肢のどれかが切断されても、全体としての身体図式は、従来のまま働き続けることができる。


 身体が単なる物でもなく、また純粋な意識でもないことを示しているのが幻影肢という現象であり、意識と身体の結び目として機能しているものこそ身体図式であ る。」
 身体が単なる物でもなく、また純粋な意識でもないことを示しているのが幻影肢という現象であり、意識と身体の結び目として機能しているものこそ身体図式であ る。」