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英:loss aversion
<font size="+1">[http://researchmap.jp/ohtake 大竹 文雄]</font><br>
''大阪大学 社会経済研究所 ''<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2012年12月3日 原稿完成日:2015年11月3日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0048432 定藤 規弘](自然科学研究機構生理学研究所 大脳皮質機能研究系)<br>
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英:loss aversion
 損失回避(loss aversion)とは、ある額を得る場合(gain)の[[wikipedia:ja:効用|効用]]と失う場合(loss)の不効用を比べると、後者のほうが大きいという個人の[[wikipedia:ja:選好|選好]]である。[[wikipedia:ja:行動経済学|行動経済学]](behavioral economics)における重要な理論である、[[wikipedia:ja:プロスペクト理論|プロスペクト理論]](prospect theory)を構成する一要素である。


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 損失回避(loss aversion)とは、ある額を得る場合(gain)の効用と失う場合(loss)の不効用を比べると、後者のほうが大きいという個人の選好である。[[行動経済学]](behavioral economics)における重要な理論である、[[プロスペクト理論]](prospect theory)を構成する一要素である。
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==期待効用理論とその反証==
==期待効用理論とその反証==
 「くじ」のようなリスクのある事象に対する[[意思決定]]問題は、古くから議論がなされてきた。いくつかのくじからどれが選ばれるか、という問題を説明するのに第一に使われたのは、[[wikipedia:ja:期待値|期待値]](expected value)である。期待値はくじの結果 <math>x_i \!</math> をそれぞれの出現確率 <math>p_i \!</math> で加重和をとったもので、
 「くじ」のような[[wikipedia:ja:リスク|リスク]]のある事象に対する[[wikipedia:ja:意思決定|意思決定]]問題は、古くから議論がなされてきた。いくつかのくじからどれが選ばれるか、という問題を説明するのに第一に使われたのは、[[wikipedia:ja:期待値|期待値]](expected value)である。期待値はくじの結果 <math>x_i \!</math> をそれぞれの出現確率 <math>p_i \!</math> で加重和をとったもので、


<math>EV=\textstyle \sum p_i x_i \!</math>
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と記述できる。しかし、期待値では個人がリスクを好むかどうかを表現することはできない。例えば、「1/2の確率で200万円が当たるくじ(はずれは0円)」と「確実に100万円が当たるくじ」は同じ期待値を持つが、現実にはリスクを好む人は少なく、後者を選ぶ人が多いだろう。
と記述できる。しかし、期待値では個人がリスクを好むかどうかを表現することはできない。例えば、「1/2の確率で200万円が当たるくじ(はずれは0円)」と「確実に100万円が当たるくじ」は同じ期待値を持つが、現実にはリスクを好む人は少なく、後者を選ぶ人が多いだろう。


 個人のリスクを好むかどうかを捉えた理論が、[[期待効用]]理論(expected utility theory)である。この理論では、個人はそれぞれくじの結果に対する効用 <math>u(x_i) \!</math> を持ち、その効用の期待値を最大化するような選択をすると考える。期待効用は
 個人のリスクを好むかどうかを捉えた理論が、[[wikipedia:ja:期待効用|期待効用]]理論(expected utility theory)である。この理論では、個人はそれぞれくじの結果に対する効用 <math>u(x_i) \!</math> を持ち、その効用の期待値を最大化するような選択をすると考える。期待効用は


<math>EU=\textstyle \sum p_i u(x_i) \! </math>
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と記述することができる。<math>u(x_i) \!</math>が上に凸(concave)である(<math>u''(x_i) <0 \!</math>)とすると、個人は大きな額をあまり高く評価せず、リスク回避的(risk averse)であると言える。逆に下に凸の場合は、リスク愛好的(risk love)、線形であればリスク中立的(risk neutral)と呼ばれる。期待効用理論は個人のリスク態度を考慮できる簡便な方法であり、[[wikipedia:ja:経済学|経済学]]のモデルに幅広く用いられている。
と記述することができる。<math>u(x_i) \!</math>が上に凸(concave)である(<math>u''(x_i) <0 \!</math>)とすると、個人は大きな額をあまり高く評価せず、リスク回避的(risk averse)であると言える。逆に下に凸の場合は、リスク愛好的(risk love)、線形であればリスク中立的(risk neutral)と呼ばれる。期待効用理論は個人のリスク態度を考慮できる簡便な方法であり、経済学のモデルに幅広く用いられている。


 しかし、期待効用理論にも欠点があり、多数の「パラドックス」があることが知られている。例えば、有名な「アレのパラドックス(Allais paradox)」<ref>'''Maurice Allais'''<br>Le Comportement de l'Homme Rationnel devant le Risque: Critique des Postulats et Axiomes de l'Ecole Americaine. <br>''Econometrica'': 1953, 21(4);503-546</ref><ref name=KT1979>'''Daniel Kahneman, Amos Tversky'''<br>Prospect Theory: An Analysis of Decision under Risk. <br>''Econometrica'': 1979, 47(2);263-292</ref>
 しかし、期待効用理論にも欠点があり、多数の「パラドックス」があることが知られている。例えば、有名な「アレのパラドックス(Allais paradox)」<ref>'''Maurice Allais'''<br>Le Comportement de l'Homme Rationnel devant le Risque: Critique des Postulats et Axiomes de l'Ecole Americaine. <br>''Econometrica'': 1953, 21(4);503-546</ref><ref name=KT1979>'''Daniel Kahneman, Amos Tversky'''<br>Prospect Theory: An Analysis of Decision under Risk. <br>''Econometrica'': 1979, 47(2);263-292</ref>
では、以下のような不備が指摘されている。まず、くじの選択問題を2つ考える。(はずれは全て0円)
では、以下のような不備が指摘されている。まず、くじの選択問題を2つ考える。(はずれは全て0円)


*問題1:「80%の確率で40万円」または「確実に30万円」
*問題1:「80%の確率で40万円」または「確実に30万円」
*問題2:「20%の確率で40万円」または「25%の確率で30万円」
*問題2:「20%の確率で40万円」または「25%の確率で30万円」


問題1では多くの人が後者を、問題2では多くの人が前者を選ぶ。問題1ではより確実な選択肢が選ばれ、問題2はリスクが高いくじの中から、結果がより大きいものが選ばれていると考えられる。しかし、問題2は問題1の確率をそれぞれ単に1/4にしたものであり、期待効用理論から言うと問題1と問題2の選択は「どちらも前者」または「どちらも後者」という一貫したものになるはずである。
問題1では多くの人が後者を、問題2では多くの人が前者を選ぶ。問題1ではより確実な選択肢が選ばれ、問題2はリスクが高いくじの中から、結果がより大きいものが選ばれていると考えられる。しかし、問題2は問題1の確率をそれぞれ単に1/4にしたものであり、期待効用理論から言うと問題1と問題2の選択は「どちらも前者」または「どちらも後者」という一貫したものになるはずである。


==プロスペクト理論と損失回避==
==プロスペクト理論と損失回避==
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<math>V=\textstyle \sum w(p_i) v(x_i) \! </math>
<math>V=\textstyle \sum w(p_i) v(x_i) \! </math>


<math>w(p_i) \!</math> は確率に対する[[wikipedia:ja:加重関数|加重関数]](weighting function)を表し、個人が確率をある程度主観的に評価しているとする([[wikipedia:ja:主観確率|主観確率]])。<math>v(x_i) \!</math> は[[wikipedia:ja:価値関数|価値関数]](value function)である。価値関数の最大の特徴は、参照点依存(reference-dependent)であるという点である。<math>x_i \!</math> がある参照点より大きいか小さいかで、その評価が異なる。プロスペクト理論では、<math>x_i \!</math> が参照点より小さい場合により大きい不効用を感じる、という損失回避を仮定する。さらに、 <math>x_i \!</math> が参照点より大きい場合はリスク回避的だが、小さい場合はリスク愛好的であるとされる。
<math>w(p_i) \!</math> は確率に対する加重関数(weighting function)を表し、個人が確率をある程度主観的に評価しているとする([[wikipedia:ja:主観確率|主観確率]])。<math>v(x_i) \!</math> は価値関数(value function)である。価値関数の最大の特徴は、参照点依存(reference-dependent)であるという点である。<math>x_i \!</math> がある参照点より大きいか小さいかで、その評価が異なる。プロスペクト理論では、<math>x_i \!</math> が参照点より小さい場合により大きい不効用を感じる、という損失回避を仮定する。さらに、 <math>x_i \!</math> が参照点より大きい場合はリスク回避的だが、小さい場合はリスク愛好的であるとされる。


 損失回避によって、以下の様な現象が説明できる。
 損失回避によって、以下の様な現象が説明できる。
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(執筆者:大竹 文雄、担当編集委員:定藤 規弘) 

2012年5月14日 (月) 17:12時点における版

英:loss aversion

 損失回避(loss aversion)とは、ある額を得る場合(gain)の効用と失う場合(loss)の不効用を比べると、後者のほうが大きいという個人の選好である。行動経済学(behavioral economics)における重要な理論である、プロスペクト理論(prospect theory)を構成する一要素である。

期待効用理論とその反証

 「くじ」のようなリスクのある事象に対する意思決定問題は、古くから議論がなされてきた。いくつかのくじからどれが選ばれるか、という問題を説明するのに第一に使われたのは、期待値(expected value)である。期待値はくじの結果 をそれぞれの出現確率 で加重和をとったもので、

と記述できる。しかし、期待値では個人がリスクを好むかどうかを表現することはできない。例えば、「1/2の確率で200万円が当たるくじ(はずれは0円)」と「確実に100万円が当たるくじ」は同じ期待値を持つが、現実にはリスクを好む人は少なく、後者を選ぶ人が多いだろう。

 個人のリスクを好むかどうかを捉えた理論が、期待効用理論(expected utility theory)である。この理論では、個人はそれぞれくじの結果に対する効用 を持ち、その効用の期待値を最大化するような選択をすると考える。期待効用は

と記述することができる。が上に凸(concave)である()とすると、個人は大きな額をあまり高く評価せず、リスク回避的(risk averse)であると言える。逆に下に凸の場合は、リスク愛好的(risk love)、線形であればリスク中立的(risk neutral)と呼ばれる。期待効用理論は個人のリスク態度を考慮できる簡便な方法であり、経済学のモデルに幅広く用いられている。

 しかし、期待効用理論にも欠点があり、多数の「パラドックス」があることが知られている。例えば、有名な「アレのパラドックス(Allais paradox)」[1][2] では、以下のような不備が指摘されている。まず、くじの選択問題を2つ考える。(はずれは全て0円)

  • 問題1:「80%の確率で40万円」または「確実に30万円」
  • 問題2:「20%の確率で40万円」または「25%の確率で30万円」

問題1では多くの人が後者を、問題2では多くの人が前者を選ぶ。問題1ではより確実な選択肢が選ばれ、問題2はリスクが高いくじの中から、結果がより大きいものが選ばれていると考えられる。しかし、問題2は問題1の確率をそれぞれ単に1/4にしたものであり、期待効用理論から言うと問題1と問題2の選択は「どちらも前者」または「どちらも後者」という一貫したものになるはずである。

プロスペクト理論と損失回避

 このような期待効用理論の問題を解決すべく作られた理論がプロスペクト理論である。[2][3]プロスペクト理論では、くじの価値 は以下のように表現される。

は確率に対する加重関数(weighting function)を表し、個人が確率をある程度主観的に評価しているとする(主観確率)。 は価値関数(value function)である。価値関数の最大の特徴は、参照点依存(reference-dependent)であるという点である。 がある参照点より大きいか小さいかで、その評価が異なる。プロスペクト理論では、 が参照点より小さい場合により大きい不効用を感じる、という損失回避を仮定する。さらに、 が参照点より大きい場合はリスク回避的だが、小さい場合はリスク愛好的であるとされる。

 損失回避によって、以下の様な現象が説明できる。

保有効果(endowment effect)[4]
ある物を持っていることに特別な価値を置き、それを手放すことを嫌がる効果。保有効果があると、ある物を売っても良いと考える最低額(WTA, willingness to accept)が買っても良いと考える最高額(WTP, willingness to pay)を上回る。
現状維持バイアス(status quo biases)[5]
ある状態から移行することを嫌がり、現状維持を好むようなバイアス。
デフォルト効果(default effect)
外部から与えられたデフォルト状態をそのままとる人が多いという効果。例えば臓器提供において、「提供する」をデフォルトとする国と、「提供しない」をデフォルトとする国では大きく提供率が異なることが知られている。[6]

神経科学による検証

 プロスペクト理論は、神経科学の手法を通じて人間の意思決定行動を把握しよう、という神経経済学(neuroeconomics)でも検証されている。

 金銭的には同じだが、表現が異なる(「損失が発生する」または「利益を得られる」)くじを比較した研究では、「損失」ではリスク愛好的な、「利益」ではリスク回避的な行動が見られた。そのような行動をとる際には、情動が司る扁桃体が賦活化し、逆に報酬系である前帯状皮質が賦活化しなくなることが示された。また、表現に影響されない「合理的な」人は、眼窩前頭皮質がより賦活化していた。[7]

 同じくくじの表現の違いに着目した研究では、くじの結果を『「大きい利益」と「大きい罰」』の組合せと表現したほうが、眼窩前頭皮質の外側と腹内側部が賦活化したことが示されている。[8]

 様々な利益・損失を組み合わせたくじによる研究では、利益が増えるにつれ線条体前頭前皮質・前帯状皮質などの部位が賦活化するが、損失が増えても賦活化せず、むしろ賦活化しなくなる部位があることが示されている。また、賦活量にも「損失回避」の傾向が見られ、実際の損失回避行動と相関があることも検証されている。[9]

参考文献

  1. Maurice Allais
    Le Comportement de l'Homme Rationnel devant le Risque: Critique des Postulats et Axiomes de l'Ecole Americaine.
    Econometrica: 1953, 21(4);503-546
  2. 2.0 2.1 Daniel Kahneman, Amos Tversky
    Prospect Theory: An Analysis of Decision under Risk.
    Econometrica: 1979, 47(2);263-292
  3. Amos Tversky, Daniel Kahneman
    Advances in prospect theory: Cumulative representation of uncertainty.
    Journal of Risk and Uncertainty: 1992, 5(4);297-323
  4. Richard Thaler
    Toward a positive theory of consumer choice.
    Journal of Economic Behavior & Organization: 1980, 1(1);39-60
  5. William Samuelson and Richard Zeckhauser
    Status quo bias in decision making.
    Journal of Risk and Uncertainty: 1988, 1(1);7-59
  6. Johnson, E.J., & Goldstein, D. (2003).
    Medicine. Do defaults save lives? Science (New York, N.Y.), 302(5649), 1338-9. [PubMed:14631022] [WorldCat] [DOI]
  7. De Martino, B., Kumaran, D., Seymour, B., & Dolan, R.J. (2006).
    Frames, biases, and rational decision-making in the human brain. Science (New York, N.Y.), 313(5787), 684-7. [PubMed:16888142] [PMC] [WorldCat] [DOI]
  8. Windmann, S., Kirsch, P., Mier, D., Stark, R., Walter, B., Güntürkün, O., & Vaitl, D. (2006).
    On framing effects in decision making: linking lateral versus medial orbitofrontal cortex activation to choice outcome processing. Journal of cognitive neuroscience, 18(7), 1198-211. [PubMed:16839292] [WorldCat] [DOI]
  9. Tom, S.M., Fox, C.R., Trepel, C., & Poldrack, R.A. (2007).
    The neural basis of loss aversion in decision-making under risk. Science (New York, N.Y.), 315(5811), 515-8. [PubMed:17255512] [WorldCat] [DOI]


(執筆者:大竹 文雄、担当編集委員:定藤 規弘)