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Maze
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0102345 上北 朋子]、奥村 紗音美</font>(イラスト作成)<br>
''同志社大学 心理学部心理学科''<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2012年8月23日 原稿完成日:2012年11月8日 一部改訂:2021年6月3日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/atsushiiriki 入來 篤史](独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター)<br>
</div>


英語名:maze 独:Labylinth 仏:labyrinthe
同義語:迷路課題 迷路実験<br>迷路は動物の空間学習や記憶を測定するための装置として、主にげっ歯類(ラットやマウス)を対象とした行動神経科学、生理心理学の実験、および遺伝子改変動物の行動評価に用いられる。


{{box|text= 迷路は動物の空間や場所に関する学習能力や、これを支える記憶を測定するための装置である。主にラットやマウスを対象とした行動神経科学、生理心理学の実験、および遺伝子改変動物の行動評価に用いられる。動物に走路を選択させるT迷路や放射状迷路の他、プール内の逃避台まで泳ぐことを訓練する水迷路などがある。}}
目次<br>1 迷路を用いた行動実験の歴史<br>2 迷路実験の手続きと測定される認知機能<br> 2.1 T迷路<br> 2.2 Y迷路(自発的交替課題)<br>2.3 放射状迷路<br>2.4 水迷路<br>2.4.1 場所課題<br>2.4.2 手掛り課題<br>2.4.3 空間弁別課題<br>2.4.4 視覚弁別課題<br>2.4.5 遅延場所合わせ課題<br>2.5 バーンズ迷路<br>3 その他の迷路<br>4 参考文献


== 迷路を用いた行動実験の歴史  ==
1 迷路を用いた行動実験の歴史<br> 動物の迷路学習の最初の研究は、Clark大学のWillard Small (1901)によるもので、この研究で用いられた迷路は、ハンプトン・コート宮殿の迷路をもとに作製された。スタート地点とゴールの間に、6か所の分岐と5つの袋小路をもつ複雑な構造であったが、走行経験とともに袋小路に入るエラーが減少した。同様の迷路を用いて、John Watsonは、ラットがどのように迷路課題を解決しているか検証した。視覚、嗅覚、聴覚、ひげからの情報を遮断しても成績に変化がないことや、訓練後に迷路の一部の走路を短くすると、それ以前に訓練されたラットが短縮された走路の壁にぶつかったことから、ラットは筋運動の連鎖を学習して課題解決していると考えられた。その後の研究では、迷路学習に必要な認知機能と関連脳部位を明らかにするために、可能な限り単純化された迷路が使用されるようになった。Lashley(1929)の「Ⅲ型迷路」は3つの選択点をもつ単純な構造で、出発地点から左、右、左へ曲がると報酬にたどりつける(Fig.1)。この課題をラットに学習させた後に皮質の様々な部位を損傷し、同じ課題のテストを行った。再学習の成績は、損傷の場所に関わらず、損傷の量が大きくなるにつれて悪くなった。Lashleyは脳における記憶のありかをつきとめることはできなかったが、迷路学習の脳基盤を明らかにしようとしたこの研究は、記憶の神経心理学研究の先駆けとなった。


[[Image:Uekita fig1.jpg|thumb|right|200px|<b>図1.LashleyⅢ型迷路</b><br />図の下方がスタート地点で、上方が報酬(黄丸)の置かれたゴールである]]
2 迷路実験の手続きと測定される認知機能<br> 2.1 T迷路<br>3本の走路がT字状に設置された高架式で、選択点が1点の最も単純な迷路である。走路はそれぞれ出発走路(T字の下方部)と2本の選択走路(T字上方の左右)に割り当てられる(Fig. 2)。訓練に先だって、装置馴致と動因操作(通常、自由摂食時の85%の体重)を行う。訓練では、いずれかの選択走路の先端の報酬皿にペレットやシュークロース溶液などの報酬を置き、被験体が出発走路の先端から分岐点まで移動した後、左右の走路のどちらを選択するかを観察する。報酬のある走路の選択を正反応、報酬のない走路への侵入を誤反応とする。誤反応の後、同一試行内で正しい走路の選択を許す場合を修正法、いずれかの反応をもって試行を終了する場合を非修正法と呼ぶ。<br> T迷路を用いた実験では、動物が運動に基づく反応学習を行っているのか、空間的な手掛りを利用した場所学習を行っているのかについて検討されてきた。報酬が常に被験体にとって相対的に同じ位置にある場合、動物は分岐点で決まった方向(左又は右)に曲がると報酬が得られる。これは反応方略を使用した学習(反応学習)である。報酬が実験環境の中で一定の位置にある時、動物は装置外刺激(装置周囲の棚やPCモニターなど)の位置との関係で報酬位置を同定する。これは場所方略を使用した学習(場所学習)である。ただし、スタート地点が固定されているT迷路では、どちらの場合も報酬は常に同じ走路にあり、動物がどの方略を使用しているか分からない。これを明らかにするために、テスト試行において装置を180度回転させて、訓練とは反対側からスタートさせた時に、どちらの走路を選択するかを観察する。訓練試行とは逆方向に曲がり、実験環境における絶対的に同じ位置を選択した場合、場所方略を使用したとみなされる。ラットは反応学習より、場所学習の方が容易であるとされる(Tolman &amp; Gleitman, 1949)。<br>また、げっ歯類が示す最も単純な空間学習は、環境の探索時の空間的交替行動である。自然環境での効率的な採餌行動にみられるように、以前に訪れて餌を採取した場所には餌がないため、動物は異なる空間的位置を探索する傾向がある。このように以前に訪れた場所と別の場所に訪れる傾向は、交替行動と呼ばれる。(行動を移行させることにより報酬を得ることができることから、win-shift方略の使用ととらえられることもある。これに対して、先述した場所学習のように常に一定の場所に訪れる学習ではwin-stay方略が有効である。)実験室での交替行動は、見本試行と選択試行で構成されるT迷路課題を用いてテストできる(Rawlins and Olton, 1982)。見本では左右どちらかを強制選択(片側走路はブロック)させ、報酬を与える。その後、選択試行では左右の走路を自由選択させ、見本段階で選んでいない走路に入ることを正反応とし、正反応の場合には報酬を与える。これまで海馬損傷により、空間的交替行動が障害を受けることから、空間的交替行動は海馬依存であると考えられてきた(Kim &amp; Frank, 2009)。しかし、より最近のノックアウトマウスを用いた研究により、交替行動そのものにはAMPA受容体サブユニットGluA1が関与するという知見が得られている(Review, Sanderson &amp; Bannerman, 2012)。<br> 2.2 Y迷路(自発的交替課題)<br>3本の走路が120度の間隔で設置されたY字型の高架式迷路である(Fig. 3)。全ての走路の間隔が等しいことにより、被験体が侵入した走路を次の選択のスタート走路とみなし、試行を連続して行うことができる。T迷路と同様に交替行動を測定することができるが、離散試行型のT迷路に対し、Y迷路では一定時間(15分程度)の探索を許し、どの走路をどのような順番で選択したかを記録する。3回連続で異なる走路に入った数が総選択数中どれだけの割合であったかが交替率となる(下記式参照)。<br>交替率(%)= 3連続交替数 ÷(総選択数-2)× 100<br>正常なラットやマウスは、既に訪れた走路よりも、まだ訪れていない新たな走路を選択する傾向があるが、スコポラミンやアンフェタミンの投与により交替率は減少し、同一走路に対する固執反応が出現する(Review, Richman, Dember &amp; Kim, 1986)。


 動物の迷路学習の最初の研究は、[[w:W. S. Small|W. S. Small]]<ref>'''W S Small'''<br>Experimental study of the mental processes of the rat II.<br>''American Journal of Psychology'':1901,12;206-239</ref> によるもので、この研究で用いられた迷路は、[[wj:ハンプトン・コート宮殿|ハンプトン・コート宮殿]]の迷路をもとに作製された。スタート地点とゴールの間に、6か所の分岐と5つの袋小路をもつ複雑な構造であったが、走行経験とともに袋小路に入るエラーが減少した。同様の迷路を用いて、[[ラット]]がどのように迷路課題を解決しているかが検証された<ref>'''H Carr, J B Watson'''<br>Orientation in the white rat.<br>''Journal of Comparative Neurology and Psychology'':1908,18,27-44</ref>[[視覚]]、[[嗅覚]]、[[聴覚]]、[[洞毛]]からの情報を遮断しても成績が悪くならなかった。しかし、訓練後に迷路の一部の走路を短くすると、それ以前に訓練されたラットが短縮された走路の壁にぶつかったことから、ラットは感覚情報ではなく、[[wj:筋|筋]]運動の連鎖を学習して課題解決していると考えられた。
2.3 放射状迷路<br>中央プラットホームから複数の走路(走路数は6、8、12など)が放射状に設置された高架式の迷路で、走路の先端に報酬がある(Fig. 4a)。20試行程の訓練により、被験体は既に餌を獲得した走路を避けるようにしながら、まだ訪れていない走路を選択する。したがって、被験体はその試行において既に訪れた走路の位置を装置外刺激との関係において記憶している。この記憶は場所に関する記憶を要し、かつ、その試行のみに有効な記憶であるため、空間作業記憶とみなされる(Olton &amp; Samuelson, 1976)。ただし、走路を隣周りに選択するなどの特定の反応パターンが出現することもあり、この場合は走路入口にドアを設置し、連続的な選択を区切る必要がある。課題獲得後の海馬N-methyl-D-aspartate (NMDA)受容体阻害により、本課題の遂行障害が生じることが報告されている(Kawabe, Ichitani &amp; Iwasaki, 1998)。<br>8本の走路のうち決まった4本の走路だけに餌を置く場合もある(4/8課題)(Olton &amp; Papas, 1979) (Fig. 4b)。40試行程の訓練により、被験体は報酬のない走路を選択しないで、報酬のある走路のみに一度だけ訪れるようになる。このように効率よく報酬を獲得するには、被験体はその試行で既に選択した走路はどこであるかについての記憶(空間作業記憶)と報酬が置かれている走路、又は置かれることのない走路はどこであるかについての記憶(空間参照記憶)の両方を用いることが要求される。走路に視覚や触覚的に異なる手掛板を敷き、特定の手掛板の走路に報酬を置く手掛り課題は、空間情報処理の要因を排除して、手掛りと報酬の連合学習(手掛り参照記憶)とすでに訪れた走路の作業記憶(手掛り作業記憶)を測定することができる。海馬の損傷により、空間参照記憶は障害されるが、手掛り参照記憶には影響がない。一方、作業記憶に関しては、課題が空間か手掛りかに関わらず障害が生じることが報告されている。したがって、海馬は空間認知と作業記憶の両方の機能に関与していると考えられる(Jarrard, Okaichi, Steward and Goldschmidt, 1984)


 [[wj:カール・ラシュレー|Lashley]]<ref>'''K Lashley'''<br>Brain mechanisms and intelligence: A quantitative study of injuries to the brain.<br>''University of Chicago Press'':1929</ref>は、迷路学習に必要な認知機能と関連脳部位を明らかにするために、より単純化された「Ⅲ型迷路」を使用した。この迷路は3つの選択点をもつ単純な構造で、出発地点から左、右、左へ曲がると報酬にたどりつける(図1)。この課題をラットに学習させた後に[[皮質]]の様々な部位を損傷し、同じ課題の[[テスト]]を行った。再学習の成績は、損傷の場所に関わらず、損傷の量が大きくなるにつれて悪くなった。Lashleyは脳における記憶のありかをつきとめることはできなかった。その後、主にラットや[[マウス]]を対象とした膨大な数の脳破壊実験により、空間処理を必要とする迷路学習には海馬が関与しているという共通認識が得られた。
2.4 水迷路<br>2.4.1 場所課題<br>水の入った大きな円形プール(ラット用150-200cm、マウス用100cm)の水面下の定位置に逃避台が沈められている。プールの水は不透明で、沈められた逃避台は見えない(Fig. 5)。空間参照記憶のみを要する空間認知課題としてMorris (1981)によって考案された。空間作業記憶を考慮する必要がないため、1日複数回の訓練が可能であり、ノーマルな被験体において学習が早く成績が安定しているため幅広い分野で用いられている。被験体の頭を壁側に向け、プールの端からスタートさせ、逃避台に到達するまでの時間(逃避潜時)を測定する。試行を繰り返すうちに、被験体は逃避台の位置を憶え、短時間で逃避台に到達できるようになる。ビデオトラッキングによる遊泳の軌跡の分析を行うと、訓練初期には壁沿いに円を描くような軌跡やプール全体にランダムに広がる軌跡が見られるが、20試行程度行うと、どのスタート地点から出発しても逃避台まで直線的な軌跡が描かれる。これは被験体が装置外刺激との関係において逃避台位置を学習したためである。このような課題は場所課題と呼ばれる。場所学習が成立したかどうかは、プローブテストにより確認することができる。このテストでは逃避台を取り去り、プールを扇形に4分割して各象限での遊泳時間を計測する。学習が成立していると、訓練時に逃避台のあった位置の横断回数が多く、その象限で泳ぐ時間も長くなる。海馬破壊やNMDA受容体の阻害はいずれも課題の獲得障害をもたらすが、獲得後の再訓練においては海馬破壊が課題の遂行障害をもたらすのに対し、NMDA受容体の阻害は遂行を妨げない(Review Morris, 1989)。<br>プールの深さは通常40cm程度であるが、ラットの後肢が底につく程度の浅い水深(12cm)でも同様に課題を行うことができる(Okaichi, 2001)。浅い水迷路は、水温、水質の管理が容易であることや、動物の不安を軽減できること、遊ぎの能力の衰えた老齢動物にも適用できるなどの利点がある。Morrisの論文では水を乳白色に濁らすが、使用する被験体が白色であれば、墨汁などで黒濁するほうが、動物の軌跡を追跡しやすい。<br>2.4.2 手掛り課題<br>逃避台は水上に出ており、泳ぎながら逃避台を見ることができ、見える目標地点まで泳ぎつくことを訓練する。この課題は複雑な学習要素を含んでおらず、視覚、動機づけ、運動能力に異常はないかを確認するために使用される。スタート地点と逃避台の位置関係は試行ごとにランダムに変化するように設定する。装置外刺激の存在は混乱要因となるので、プールの周囲をカーテンで囲み、装置外の刺激を利用できない状況下で訓練を行う。感覚運動障害を引き起こす投与量のNMDA受容体阻害薬の投与は、手掛り課題の学習障害をもたらすが、投与以前に泳ぎの訓練を受けると成績は悪くならないことが報告されている(Saucier &amp; Cain, 1995)。<br>2.4.3 空間弁別課題<br>外観の等しい2つの逃避台のうち、一方を逃避可能な正の逃避台、他方を逃避不可能な偽の逃避台に割り当てる。正の逃避台は訓練を通じて同じ位置にあるが、偽の逃避台は試行ごとに異なる位置に移動する。被験体は移動する逃避台を避け、常に一定の位置にある逃避台を選択することが求められる。見える1つの目標物に対する到達を見る手掛り課題とは異なり、2つの刺激の位置関係を弁別させる空間課題である。NMDA受容体阻害により空間弁別課題の学習障害は,課題経験の有無ではなく訓練環境の新奇性に依存して出現することが報告されている(Uekita &amp; Okaichi, 2005)。<br>2.4.4 視覚弁別課題<br>プールの周囲をカーテンで囲み、装置外の刺激を利用できない状況下で訓練を行う。外観の異なる2つの逃避台(例えば、灰色と白黒縞模様)のうち、一方を逃避可能な正の逃避台、他方を逃避不可能な偽の逃避台に割り当てる。逃避不可能な偽の逃避台はバネや糸で底面とつながれており、被験体がこれに登ろうとすると倒れる。スタート地点と2つの逃避台の位置関係は、試行ごとにランダムに変化する。この課題で被験体は空間情報ではなく、逃避台の視覚的性質の違いにより正誤の逃避台を弁別する必要がある。海馬損傷やNMDA受容体阻害は視覚弁別課題の学習は妨げない(Review Morris, 1989)<br>2.4.5 遅延場所合わせ課題<br>逃避台位置が1日の複数試行においては変化しないが、翌日には異なる位置で訓練を行うという課題。第1試行で潜時が長く、第2試行以降の潜時は大きく短縮される。これは、第1試行において逃避台到達後に周囲を見渡すことにより、この位置で逃避できたというイベント記憶が形成されることによる。この記憶は翌日には有効でないため、作業記憶とみなされる場合もある。第1試行と第2試行の逃避潜時の短縮の度合い(節約率)が評価される。また、第1試行と第2試行の間の試行間間隔を操作することにより、脳損傷や薬理学的処置、その他の実験的処置による記憶障害の遅延依存性について評価することができる。海馬損傷ラットでは15秒遅延条件においても障害を示すが、NMDA受容体阻害ラットは20分以上の遅延条件で障害を示すことが報告されている(Steel &amp; Morris, 1999)


 1990年代には、発達過程のある時期に脳のある領域に限定して、マウスの遺伝子を操作する方法が利根川ら<ref><pubmed>8980238</pubmed></ref>により確立された。長期増強の誘発に必要なNMDA受容体サブユニットを海馬[[CA1]]領域でノックアウトすると、長期増強が起こりにくくなるとともに、[[水迷路]]における場所課題の学習障害がみられた。空間的・時間的に限局した精巧なノックアウト技術の確立、電気生理学的手法による神経活動の記録および迷路での行動評価を行ったこの研究は、分子と行動の関連を明らかにしようとする脳科学研究の突破口となった。
2.5 バーンズ迷路<br>ラットが暗い囲われた場所を好み、開けた明るく照らされた状況を嫌う性質を利用した迷路課題である(Fig. 6)。円形のテーブル(120 cm程度)の外周に18個の穴があり、そのうちの1つがトンネルとなっており、逃避することができる。その他の穴は迷路上からの外観は等しいが塞がっていて入ることができない。トンネルへと続く正しい穴の場所は、装置外刺激の空間的な関係性によって識別できる。テーブル中央の小さな円筒に被験体を入れ、円筒を持ち上げて試行を開始する。訓練により、被験体は逃避可能な穴に直線的に向かうようになる。逃避潜時や誤反応(逃避箱以外の穴をのぞいた回数)を学習測度として用いる。Morris水迷路と同様に訓練後に全ての穴を逃避できないようにしてプローブテストを行うことも可能である。この時、逃避箱のあった位置での滞在時間を学習の測度とする。<br>この他、バーンズ迷路を用いた帰巣行動(homing)に関する研究も多い。ラットやマウスが巣穴を離れて餌を探索し、巣穴に餌を持ち帰る性質をもつ。正常なラットは目隠しをしても直線的な道筋で巣穴まで戻ってくるが、海馬損傷ラットでは帰巣方向が不正確になる(Maaswinkel, Jarrard and Whishaw, 1999)。この帰巣行動は経路統合に依存したものとみなされ、海馬において内的な運動手掛りを統合しながらルートをたどる処理が行われていると考えられている。


== 迷路実験の手続きと測定される認知機能  ==
2.6 その他の迷路<br>環状迷路(O’Keefe) 手掛り課題と場所課題<br>環状水迷路 <br>子どもの迷路実験<br> 十字に交わる4本の走路をもつ高架式十字迷路は不安の測定に使用される。4本のうち2本の走路は高い壁があり(closed arm)、残りの2本は壁がなく解放された走路である(open arm)。狭く暗いところを好む齧歯類は、closed armでの滞在時間が長くなる。不安レベルの低下によりopen armへの進出に抵抗がなくなり、そこでの滞在時間も長くなる。


=== T迷路およびY迷路  ===
関連語 空間学習 空間記憶 認知地図 ナビゲーション 海馬<br>
 
[[Image:Uekita fig2.jpg|thumb|right|300px|<b>図2.T迷路(左)とY迷路(右)</b><br />図の下方がスタート地点で、上方の2走路が選択走路である。]]
 
 3本の走路から構成され、選択点が1点の最も単純な高架式迷路である。3本の走路がT字状に設置されたものが[[T迷路]](図2右)、Y字状に設置されたものが[[Y迷路]](図2左)である。3本の走路のうち1本が出発走路で2本が選択走路である。基本的にはT迷路とY迷路では以下の課題を同じ手続きで実施できる。ただし、走路の間隔が120度のY迷路では全ての走路の間隔が等しいため、動物が侵入した走路を次の選択のスタート走路とみなし、試行を連続して行うこともできる。したがって、実験者の介入を制限すべき行動の測定にはY迷路が適している。
 
==== 場所課題  ====
 
: 餌のありかについての学習、すなわち場所学習を測定する最もシンプルな課題である。訓練に先だって装置馴致を行い、動因操作として通常自由[[摂食]]時の85%の体重を維持する餌を与える。訓練では、いずれかの選択走路の先端の報酬皿にペレットや[[wj:ショ糖|ショ糖]]溶液などの報酬を置き、動物が出発走路の先端から分岐点まで移動した後、左右の走路のどちらを選択するかを観察する。報酬のある走路の選択を正反応、報酬のない走路への侵入を誤反応とする。誤反応の後、同一試行内で正しい走路の選択を許す場合を修正法、修正を許さない場合を非修正法と呼ぶ。訓練により、動物は常に報酬のある走路を選択するようになり、報酬の位置についての場所学習が成立したとみなされる。
 
: ただし、スタート地点が固定され、かつ報酬が常に同じ走路にある場合、特定の方向に曲がるといった筋感覚の学習(反応学習)による解決も可能である。どちらの学習が行われたかを検証するためには、180度迷路を回転させて、訓練とは反対側からスタートさせるテスト試行が必要である。訓練試行とは逆方向に曲がり、実験環境における絶対的に同じ位置を選択した場合、場所学習が行われていたとみなされる。
 
==== 場所非見本合わせ課題  ====
 
: 自然環境において、以前に訪れて餌を採取した場所には餌がないため、異なる場所を探索することが効率のよい採餌である。場所非見本合わせ課題はこのような反応傾向を測定する課題であり,その実験手続きは、見本試行と選択試行で構成される<ref><pubmed> 7126316 </pubmed></ref>。見本では左右どちらかを強制選択(片側走路はブロック)させ、報酬を与える。その後、選択試行では左右の走路を自由選択させ、見本段階で選んでいない走路に入ることを正反応とし、正反応の場合には報酬を与える。この課題は反応を左右の走路間で交替することにより報酬を得ることから、交替行動とみなされることもある。これまで[[海馬]]損傷により、この課題の成績が悪化することから、場所非見本合わせ学習が海馬依存であると考えられてきた<ref><pubmed>10751449</pubmed></ref>。最近の[[ノックアウトマウス]]を用いた研究により、交替行動そのものには[[AMPA型グルタミン酸受容体]]サブユニットGluA1が関与するという知見が得られている<ref><pubmed>21125585</pubmed></ref>。
 
: 自発的交替行動の観察には,実験者の介入が少ない120°Y迷路での連続試行型の実験が望ましい。15分程度の探索を許し、どの走路をどのような順番で選択したかを記録する。3回連続で異なる走路に入った数が総選択数中どれだけの割合であったかが交替率となる(下記式参照)。<br>交替率(%)=交替行動数 ÷(総選択数-2)× 100 <ref><pubmed>21860534</pubmed></ref>。
 
: 正常なラットやマウスは、既に訪れた走路よりも、まだ訪れていない新たな走路を選択する傾向があり、交替率が高くなる。[[スコポラミン]]や[[アンフェタミン]]の投与により、同一走路を連続して選択する行動が現れると、交替率は低下する<ref>'''C L Richman,W N Dember,P Kim '''<br>Spontaneous alternation in animals: A review.<br>''Current Psycholocial Research and Reviews'':1987,5,358–391</ref>。
 
==== 手掛り弁別課題  ====
 
: 手掛り弁別課題には、[[単純弁別課題]]、[[同時弁別課題]]、[[継時弁別課題]]があり、T迷路やY迷路を用いてこれらを行うことができる。
 
: 単純弁別課題では、常にライトで照らされた走路を選択すれば報酬が得られる。動物は明るい走路と暗い走路を見分けるだけで良い。
 
: 同時弁別課題では、2本の選択走路にそれぞれ視覚的(黒または白)、または[[触覚]]的に異なる手掛り板を挿入し、常に同じ手掛りを選択すると報酬が得られる。動物は手掛りの違いを弁別しなければならない。
 
: 継時弁別課題では、報酬の位置を知らせる手掛りが1つずつ提示される。例えば、スタート走路に白い手掛り板が挿入された時には左に行けば報酬が得られ、黒い手掛り板が挿入された時には右に行けば報酬が得られる。この課題では動物はいつどのように反応するかを手掛りをもとに学習する。
 
: 古くから海馬損傷動物が同時弁別課題ではなく継時弁別課題の学習障害を示すことが報告されている<ref><pubmed>4438558</pubmed></ref>。しかし,手掛りがスタート走路だけでなく選択走路の分岐点においても明示されている場合、海馬損傷動物も継時弁別の学習が可能であることが最近報告されている<ref><pubmed>15317854</pubmed></ref>。
 
=== 放射状迷路  ===
 
[[Image:Uekita fig3r.jpg|thumb|right|250px|<b>図3.8方向放射状迷路</b><br />中央プラットフォームから出発させ、走路の先端のカップに報酬を獲得させる。動物が隣回りに走路を選択することを防ぐために、プラットフォームと各走路の間に扉を設置することもある。]]  中央プラットホームから8本の走路が放射状に設置された高架式の迷路で、走路の先端に報酬がある(図3)。もともと空間記憶を測定するために考案されたが、報酬の置き方により記憶の様々な側面を測定できる。また、項目数を増やすために12本や24本走路が使用されることもある。
 
==== 空間作業記憶課題  ====
 
: この課題では全ての走路の先端に報酬がある。全ての報酬を効率よく獲得するために、動物は既に餌を獲得した走路を避けるようにしながら、まだ訪れていない走路を選択する。10試行程の訓練により、8回の選択で8個の報酬全てを獲得することができるようになる。このことから、動物はその試行において既に訪れた走路の位置を装置外刺激との関係において記憶していると考えられた。この記憶は場所に関する記憶を要し、かつ、その試行のみに有効な記憶であるため、[[空間作業記憶]]とみなされる<ref>'''D S Olton,R J Samuelson'''<br>Remembrance of places passed: Spatial memory in rats.<br>''Journal of Experimental Psychology: [[Animal]] Behavior Processes'':1976,2,97–116</ref>。ただし、この[[作業記憶]]は実験手続き上の操作的定義であり、[[中央演算処理]]を要するヒトの作業記憶とは区別されるべきである。ラットにおいて空間作業記憶課題獲得後の海馬[[NMDA型グルタミン酸受容体]]阻害により、本課題の遂行障害が生じることが報告されている<ref><pubmed> 9507170 </pubmed></ref>。
 
==== 空間参照作業記憶課題  ====
 
: この課題では半数の走路の先端に報酬がある。効率よく報酬を獲得するには、動物はその試行で既に選択した走路はどこであるかについての記憶(空間作業記憶)と報酬が置かれている走路、又は置かれることのない走路はどこであるかについての記憶(空間参照記憶)の両方を用いることが要求される。<ref>'''D S Olton,B C Papas'''<br>Spatial memory and hippocampal function.<br>''Neuropsychologia'':1979,17,669–682</ref>。[[8方向放射状迷路]]の場合、40試行程度の訓練により、動物は報酬のない走路を選択しないで、報酬のある走路のみに一度だけ訪れるようになる。
 
==== 手掛り課題  ====
 
: 迷路の周囲をカーテンで囲み装置外刺激の利用を制限した上で、走路に視覚や触覚的に異なる手掛板を敷き、特定の手掛り板の走路に報酬を置く。この課題では、空間情報処理の要因を排除して、手掛りと報酬の[[連合学習]](手掛り参照記憶)とすでに訪れた走路の作業記憶(手掛り作業記憶)を測定することができる。参照記憶に関しては、海馬損傷により空間参照記憶は障害されるが、手掛り参照記憶には影響がない。一方、作業記憶に関しては、海馬損傷により空間作業記憶と手掛り作業記憶の両方に障害が生じる。したがって、海馬は空間認知と作業記憶の両方の機能に関与していると考えられる<ref><pubmed>6439229</pubmed></ref>。
 
=== 水迷路  ===
 
[[Image:Uekita fig4.jpg|thumb|right|250px|<b>図4.水迷路</b><br />プール中の1か所にある逃避台(点線円筒)まで泳ぐことを訓練する。丸、三角、四角は装置外刺激を示す。]]
 
 [[空間学習]]を測定する課題として[[w:Richard G. Morris|Richard G. Morris]] (1981)<ref>'''R G M Morris'''<br>Spatial localisation does not depend on the presence of local cues.<br>''Learning and Motivation'':1981,12,239-260</ref>によって考案された。水の入った大きな円形プールの中にある逃避台まで泳ぐことを訓練する課題である(図4)。ラットを使用する場合、水深は通常40cm程度であるが、後肢が底につく程度の浅い水深(12cm)でも同様に課題を行うことができる<ref><pubmed>12467123</pubmed></ref>。浅い水迷路は、水温、水質の管理が容易であることや、動物の不安を軽減できること、遊ぎ能力の衰えた老齢動物にも適用できるなどの利点がある。Morrisは水を乳白色に濁らすが、使用する動物が白色であれば、墨汁などで黒濁するほうが、動物の軌跡を追跡しやすい。
 
==== 場所課題  ====
 
: 逃避台は水面下の定位置に逃避台が沈められている。プールの水は不透明で、沈められた逃避台は見えない。逃避台は動物の頭を壁側に向け、仮想の東西南北の1か所からスタートさせ、逃避台に到達するまでの時間(逃避潜時)を測定する。試行を繰り返すうちに、動物は逃避台の位置を憶え、短時間で逃避台に到達できるようになる。ビデオトラッキングによる遊泳の軌跡の分析を行うと、訓練初期には壁沿いに円を描くような軌跡やプール全体にランダムに広がる軌跡が見られるが、20試行程度行うと、どのスタート地点から出発しても逃避台まで直線的な軌跡が描かれる。これは動物が装置外刺激との関係において逃避台位置を学習したためである。このような課題は場所課題と呼ばれる。場所学習が成立したかどうかは、プローブテストにより確認することができる。このテストでは逃避台を取り去り、プールを扇形に4分割して各象限での遊泳時間を計測する。学習が成立していると、訓練時に逃避台のあった位置の横断回数が多く、その象限で泳ぐ時間も長くなる。この課題は[[空間参照記憶]]のみを要する課題で、空間作業記憶を考慮する必要がないため、1日複数回の訓練が可能である。また、ノーマルな動物において学習が早く成績が安定しているため幅広い分野で用いられている。海馬破壊やNMDA受容体の阻害はいずれも課題の獲得障害をもたらすが、獲得後の再訓練においては海馬破壊が課題の遂行障害をもたらすのに対し、NMDA型[[グルタミン酸]]受容体の阻害は遂行を妨げない<ref name="morris"><pubmed>2552039</pubmed></ref>。
 
==== 手掛り課題  ====
 
: 逃避台は水上に出ており、泳ぎながら逃避台を見ることができ、見える目標地点まで泳ぎつくことを訓練する。この課題は複雑な学習要素を含んでおらず、視覚、動機づけ、運動能力に異常はないかを確認するために使用される。スタート地点と逃避台の位置関係は試行ごとにランダムに変化するように設定する。装置外刺激の存在は混乱要因となるので、プールの周囲をカーテンで囲み、装置外の刺激を利用できない状況下で訓練を行う。通常、海馬損傷やNMDA受容体阻害によりこの課題の学習障害は生じない。ただし、感覚運動障害を引き起こす投与量のNMDA型グルタミン酸受容体[[阻害薬]]の投与は、手掛り課題の学習障害をもたらす <ref><pubmed>7477321</pubmed></ref>。
 
==== 空間弁別課題  ====
 
: 見かけの等しい見える2つの逃避台の位置関係を弁別させる空間課題である。2つの逃避台のうち、一方を逃避可能な正の逃避台、他方を逃避不可能な偽の逃避台に割り当てる。正の逃避台は訓練を通じて同じ位置にあるが、偽の逃避台は試行ごとに異なる位置に移動する。動物は移動する逃避台を避け、常に一定の位置にある逃避台を選択することが求められる。NMDA型グルタミン酸受容体阻害により空間弁別課題の学習障害が生じる。この障害は,訓練以前の課題の学習経験とは関係なく、新しい環境で訓練を行うと生じることが報告されている<ref><pubmed>15839801</pubmed></ref>。
 
==== 視覚弁別課題  ====
 
: 見かけの異なる2つの逃避台を視覚的性質の違いにより弁別させる課題である。プールの周囲をカーテンで囲み、装置外の刺激を利用できない状況下で訓練を行う。外観の異なる2つの逃避台(例えば、灰色と白黒縞模様)のうち、一方を逃避可能な正の逃避台、他方を逃避不可能な偽の逃避台に割り当てる。逃避不可能な偽の逃避台はバネや糸で底面とつながれており、動物がこれに登ることができない。スタート地点と2つの逃避台の位置関係は、試行ごとにランダムに変化する。海馬損傷やNMDA受容体阻害は視覚弁別課題の学習は妨げない<ref name="morris" />
 
==== 遅延場所合わせ課題  ====
 
: 逃避台位置が1日の複数試行においては変化しないが、翌日には異なる位置に逃避台を移して訓練を行うという課題である。各訓練日の第1試行が見本試行となり、動物は迷路内をランダムに泳ぎ、逃避台を探す。それ以降の試行が選択試行となる。各訓練日の第1試行で潜時が長いが、第2試行以降の潜時は大きく短縮される。これは、第1試行において逃避台到達後に周囲を見渡すことにより、この位置で逃避できたというイベント記憶が形成されることによる。この記憶は翌日には有効でないため、作業記憶とみなされる場合もある。第1試行と第2試行の逃避潜時の短縮の度合い(節約率)が評価される。また、第1試行と第2試行の間の試行間間隔を操作することにより、脳損傷や薬理学的処置、その他の実験的処置による記憶障害の遅延依存性について評価することができる。海馬損傷ラットでは15秒遅延条件においても障害を示すが、NMDA型グルタミン酸受容体阻害ラットは20分以上の遅延条件で障害を示すことが報告されている<ref><pubmed>10226773</pubmed></ref>。
 
=== バーンズ迷路  ===
 
[[Image:Uekita fig5.jpg|thumb|right|250px|<b>図5.バーンズ迷路</b><br />明るく照らされされた迷路におかれた動物は、決まった位置にある暗い穴へと逃げ込む。それ以外の穴はダミーで逃げ込むことができない。丸、三角、四角は装置外刺激を示す。]]
 
 ラットやマウスが暗く囲われた場所を好み、明るく開けた場所を嫌う性質を利用した迷路課題である(図5)。円形のテーブルの外周に見かけの等しい18個の穴があり、そのうちの1つのみがトンネルとなっており、暗い場所へと逃避することができる。トンネルへと続く正しい穴の場所は、装置外刺激の空間的な関係性によって識別できる。テーブル中央の小さな円筒に動物を入れ、円筒を持ち上げて試行を開始する。訓練により、動物は逃避可能な穴に直線的に向かうようになる。逃避潜時や誤反応(逃避穴以外の穴をのぞいた回数)を学習測度として用いる。Morris水迷路と同様に訓練後に全ての穴を逃避できないようにしてプローブテストを行うことも可能である。この時、逃避穴のあった位置での滞在時間を学習の測度とする。
 
 この他、[[バーンズ迷路]]を用いた[[wj:帰巣行動|帰巣行動]](homing)に関する研究も多い。ラットやマウスが巣穴を離れて餌を探索し、巣穴に餌を持ち帰る性質をもつ。正常な動物は目隠しをしても直線的な道筋で巣穴まで戻ってくるが、海馬損傷により帰巣方向が不正確になる<ref><pubmed>10560926</pubmed></ref>。この帰巣行動は経路統合に依存したものとみなされ、海馬において内的な運動手掛りを統合しながらルートをたどる処理が行われていると考えられている。
 
=== 高架式十字迷路  ===
 
[[Image:Uekita fig6.jpg|thumb|right|250px|<b>図6.高架式十字迷路</b><br />不安を測定する場合、2本の走路には高い壁を設置して使用する。壁あり走路をclosed arm、壁なし走路をopen armと呼ぶ。]]
 
 十字に交わる4本の走路をもつ高架式迷路である。古くは他の迷路と同様に特定の走路に報酬を置き、その位置を学習させる場所課題の実施に用いられてきた。この迷路を使用した初期の実験において、[[海馬認知地図仮説]]が証明された<ref>'''J O'Keefe,D H Conway'''<br>On the trail of the hippocampal engram.<br>''Physiological Psychology'':1980,8,229-238</ref>。近年、[[高架式十字迷路]]は[[不安]]の測定に使用されることが多い。4本のうち2本の走路は高い壁があり(closed arm)、残りの2本は壁がなく解放された走路である(open arm) (図6)。狭く暗いところを好む齧歯類は、closed armでの滞在時間が長くなる。不安レベルが低下するとopen armへの進出が増加し、逆に不安レベルが高まるとopen armへの進出が減少する。それぞれの走路での滞在時間のほかに移動距離も測定し、活動レベルの影響を考慮しておく必要がある<ref><pubmed>16035954</pubmed></ref>。
 
== 関連項目  ==
 
*[[空間記憶]]
*[[認知地図]] (迷路の解説で)
 
== 参考文献  ==
 
<references />

2012年5月31日 (木) 19:02時点における版

Maze

同義語:迷路課題 迷路実験
迷路は動物の空間学習や記憶を測定するための装置として、主にげっ歯類(ラットやマウス)を対象とした行動神経科学、生理心理学の実験、および遺伝子改変動物の行動評価に用いられる。

目次
1 迷路を用いた行動実験の歴史
2 迷路実験の手続きと測定される認知機能
 2.1 T迷路
 2.2 Y迷路(自発的交替課題)
2.3 放射状迷路
2.4 水迷路
2.4.1 場所課題
2.4.2 手掛り課題
2.4.3 空間弁別課題
2.4.4 視覚弁別課題
2.4.5 遅延場所合わせ課題
2.5 バーンズ迷路
3 その他の迷路
4 参考文献

1 迷路を用いた行動実験の歴史
 動物の迷路学習の最初の研究は、Clark大学のWillard Small (1901)によるもので、この研究で用いられた迷路は、ハンプトン・コート宮殿の迷路をもとに作製された。スタート地点とゴールの間に、6か所の分岐と5つの袋小路をもつ複雑な構造であったが、走行経験とともに袋小路に入るエラーが減少した。同様の迷路を用いて、John Watsonは、ラットがどのように迷路課題を解決しているか検証した。視覚、嗅覚、聴覚、ひげからの情報を遮断しても成績に変化がないことや、訓練後に迷路の一部の走路を短くすると、それ以前に訓練されたラットが短縮された走路の壁にぶつかったことから、ラットは筋運動の連鎖を学習して課題解決していると考えられた。その後の研究では、迷路学習に必要な認知機能と関連脳部位を明らかにするために、可能な限り単純化された迷路が使用されるようになった。Lashley(1929)の「Ⅲ型迷路」は3つの選択点をもつ単純な構造で、出発地点から左、右、左へ曲がると報酬にたどりつける(Fig.1)。この課題をラットに学習させた後に皮質の様々な部位を損傷し、同じ課題のテストを行った。再学習の成績は、損傷の場所に関わらず、損傷の量が大きくなるにつれて悪くなった。Lashleyは脳における記憶のありかをつきとめることはできなかったが、迷路学習の脳基盤を明らかにしようとしたこの研究は、記憶の神経心理学研究の先駆けとなった。

2 迷路実験の手続きと測定される認知機能
 2.1 T迷路
3本の走路がT字状に設置された高架式で、選択点が1点の最も単純な迷路である。走路はそれぞれ出発走路(T字の下方部)と2本の選択走路(T字上方の左右)に割り当てられる(Fig. 2)。訓練に先だって、装置馴致と動因操作(通常、自由摂食時の85%の体重)を行う。訓練では、いずれかの選択走路の先端の報酬皿にペレットやシュークロース溶液などの報酬を置き、被験体が出発走路の先端から分岐点まで移動した後、左右の走路のどちらを選択するかを観察する。報酬のある走路の選択を正反応、報酬のない走路への侵入を誤反応とする。誤反応の後、同一試行内で正しい走路の選択を許す場合を修正法、いずれかの反応をもって試行を終了する場合を非修正法と呼ぶ。
 T迷路を用いた実験では、動物が運動に基づく反応学習を行っているのか、空間的な手掛りを利用した場所学習を行っているのかについて検討されてきた。報酬が常に被験体にとって相対的に同じ位置にある場合、動物は分岐点で決まった方向(左又は右)に曲がると報酬が得られる。これは反応方略を使用した学習(反応学習)である。報酬が実験環境の中で一定の位置にある時、動物は装置外刺激(装置周囲の棚やPCモニターなど)の位置との関係で報酬位置を同定する。これは場所方略を使用した学習(場所学習)である。ただし、スタート地点が固定されているT迷路では、どちらの場合も報酬は常に同じ走路にあり、動物がどの方略を使用しているか分からない。これを明らかにするために、テスト試行において装置を180度回転させて、訓練とは反対側からスタートさせた時に、どちらの走路を選択するかを観察する。訓練試行とは逆方向に曲がり、実験環境における絶対的に同じ位置を選択した場合、場所方略を使用したとみなされる。ラットは反応学習より、場所学習の方が容易であるとされる(Tolman & Gleitman, 1949)。
また、げっ歯類が示す最も単純な空間学習は、環境の探索時の空間的交替行動である。自然環境での効率的な採餌行動にみられるように、以前に訪れて餌を採取した場所には餌がないため、動物は異なる空間的位置を探索する傾向がある。このように以前に訪れた場所と別の場所に訪れる傾向は、交替行動と呼ばれる。(行動を移行させることにより報酬を得ることができることから、win-shift方略の使用ととらえられることもある。これに対して、先述した場所学習のように常に一定の場所に訪れる学習ではwin-stay方略が有効である。)実験室での交替行動は、見本試行と選択試行で構成されるT迷路課題を用いてテストできる(Rawlins and Olton, 1982)。見本では左右どちらかを強制選択(片側走路はブロック)させ、報酬を与える。その後、選択試行では左右の走路を自由選択させ、見本段階で選んでいない走路に入ることを正反応とし、正反応の場合には報酬を与える。これまで海馬損傷により、空間的交替行動が障害を受けることから、空間的交替行動は海馬依存であると考えられてきた(Kim & Frank, 2009)。しかし、より最近のノックアウトマウスを用いた研究により、交替行動そのものにはAMPA受容体サブユニットGluA1が関与するという知見が得られている(Review, Sanderson & Bannerman, 2012)。
 2.2 Y迷路(自発的交替課題)
3本の走路が120度の間隔で設置されたY字型の高架式迷路である(Fig. 3)。全ての走路の間隔が等しいことにより、被験体が侵入した走路を次の選択のスタート走路とみなし、試行を連続して行うことができる。T迷路と同様に交替行動を測定することができるが、離散試行型のT迷路に対し、Y迷路では一定時間(15分程度)の探索を許し、どの走路をどのような順番で選択したかを記録する。3回連続で異なる走路に入った数が総選択数中どれだけの割合であったかが交替率となる(下記式参照)。
交替率(%)= 3連続交替数 ÷(総選択数-2)× 100
正常なラットやマウスは、既に訪れた走路よりも、まだ訪れていない新たな走路を選択する傾向があるが、スコポラミンやアンフェタミンの投与により交替率は減少し、同一走路に対する固執反応が出現する(Review, Richman, Dember & Kim, 1986)。

2.3 放射状迷路
中央プラットホームから複数の走路(走路数は6、8、12など)が放射状に設置された高架式の迷路で、走路の先端に報酬がある(Fig. 4a)。20試行程の訓練により、被験体は既に餌を獲得した走路を避けるようにしながら、まだ訪れていない走路を選択する。したがって、被験体はその試行において既に訪れた走路の位置を装置外刺激との関係において記憶している。この記憶は場所に関する記憶を要し、かつ、その試行のみに有効な記憶であるため、空間作業記憶とみなされる(Olton & Samuelson, 1976)。ただし、走路を隣周りに選択するなどの特定の反応パターンが出現することもあり、この場合は走路入口にドアを設置し、連続的な選択を区切る必要がある。課題獲得後の海馬N-methyl-D-aspartate (NMDA)受容体阻害により、本課題の遂行障害が生じることが報告されている(Kawabe, Ichitani & Iwasaki, 1998)。
8本の走路のうち決まった4本の走路だけに餌を置く場合もある(4/8課題)(Olton & Papas, 1979) (Fig. 4b)。40試行程の訓練により、被験体は報酬のない走路を選択しないで、報酬のある走路のみに一度だけ訪れるようになる。このように効率よく報酬を獲得するには、被験体はその試行で既に選択した走路はどこであるかについての記憶(空間作業記憶)と報酬が置かれている走路、又は置かれることのない走路はどこであるかについての記憶(空間参照記憶)の両方を用いることが要求される。走路に視覚や触覚的に異なる手掛板を敷き、特定の手掛板の走路に報酬を置く手掛り課題は、空間情報処理の要因を排除して、手掛りと報酬の連合学習(手掛り参照記憶)とすでに訪れた走路の作業記憶(手掛り作業記憶)を測定することができる。海馬の損傷により、空間参照記憶は障害されるが、手掛り参照記憶には影響がない。一方、作業記憶に関しては、課題が空間か手掛りかに関わらず障害が生じることが報告されている。したがって、海馬は空間認知と作業記憶の両方の機能に関与していると考えられる(Jarrard, Okaichi, Steward and Goldschmidt, 1984)。

2.4 水迷路
2.4.1 場所課題
水の入った大きな円形プール(ラット用150-200cm、マウス用100cm)の水面下の定位置に逃避台が沈められている。プールの水は不透明で、沈められた逃避台は見えない(Fig. 5)。空間参照記憶のみを要する空間認知課題としてMorris (1981)によって考案された。空間作業記憶を考慮する必要がないため、1日複数回の訓練が可能であり、ノーマルな被験体において学習が早く成績が安定しているため幅広い分野で用いられている。被験体の頭を壁側に向け、プールの端からスタートさせ、逃避台に到達するまでの時間(逃避潜時)を測定する。試行を繰り返すうちに、被験体は逃避台の位置を憶え、短時間で逃避台に到達できるようになる。ビデオトラッキングによる遊泳の軌跡の分析を行うと、訓練初期には壁沿いに円を描くような軌跡やプール全体にランダムに広がる軌跡が見られるが、20試行程度行うと、どのスタート地点から出発しても逃避台まで直線的な軌跡が描かれる。これは被験体が装置外刺激との関係において逃避台位置を学習したためである。このような課題は場所課題と呼ばれる。場所学習が成立したかどうかは、プローブテストにより確認することができる。このテストでは逃避台を取り去り、プールを扇形に4分割して各象限での遊泳時間を計測する。学習が成立していると、訓練時に逃避台のあった位置の横断回数が多く、その象限で泳ぐ時間も長くなる。海馬破壊やNMDA受容体の阻害はいずれも課題の獲得障害をもたらすが、獲得後の再訓練においては海馬破壊が課題の遂行障害をもたらすのに対し、NMDA受容体の阻害は遂行を妨げない(Review Morris, 1989)。
プールの深さは通常40cm程度であるが、ラットの後肢が底につく程度の浅い水深(12cm)でも同様に課題を行うことができる(Okaichi, 2001)。浅い水迷路は、水温、水質の管理が容易であることや、動物の不安を軽減できること、遊ぎの能力の衰えた老齢動物にも適用できるなどの利点がある。Morrisの論文では水を乳白色に濁らすが、使用する被験体が白色であれば、墨汁などで黒濁するほうが、動物の軌跡を追跡しやすい。
2.4.2 手掛り課題
逃避台は水上に出ており、泳ぎながら逃避台を見ることができ、見える目標地点まで泳ぎつくことを訓練する。この課題は複雑な学習要素を含んでおらず、視覚、動機づけ、運動能力に異常はないかを確認するために使用される。スタート地点と逃避台の位置関係は試行ごとにランダムに変化するように設定する。装置外刺激の存在は混乱要因となるので、プールの周囲をカーテンで囲み、装置外の刺激を利用できない状況下で訓練を行う。感覚運動障害を引き起こす投与量のNMDA受容体阻害薬の投与は、手掛り課題の学習障害をもたらすが、投与以前に泳ぎの訓練を受けると成績は悪くならないことが報告されている(Saucier & Cain, 1995)。
2.4.3 空間弁別課題
外観の等しい2つの逃避台のうち、一方を逃避可能な正の逃避台、他方を逃避不可能な偽の逃避台に割り当てる。正の逃避台は訓練を通じて同じ位置にあるが、偽の逃避台は試行ごとに異なる位置に移動する。被験体は移動する逃避台を避け、常に一定の位置にある逃避台を選択することが求められる。見える1つの目標物に対する到達を見る手掛り課題とは異なり、2つの刺激の位置関係を弁別させる空間課題である。NMDA受容体阻害により空間弁別課題の学習障害は,課題経験の有無ではなく訓練環境の新奇性に依存して出現することが報告されている(Uekita & Okaichi, 2005)。
2.4.4 視覚弁別課題
プールの周囲をカーテンで囲み、装置外の刺激を利用できない状況下で訓練を行う。外観の異なる2つの逃避台(例えば、灰色と白黒縞模様)のうち、一方を逃避可能な正の逃避台、他方を逃避不可能な偽の逃避台に割り当てる。逃避不可能な偽の逃避台はバネや糸で底面とつながれており、被験体がこれに登ろうとすると倒れる。スタート地点と2つの逃避台の位置関係は、試行ごとにランダムに変化する。この課題で被験体は空間情報ではなく、逃避台の視覚的性質の違いにより正誤の逃避台を弁別する必要がある。海馬損傷やNMDA受容体阻害は視覚弁別課題の学習は妨げない(Review Morris, 1989)
2.4.5 遅延場所合わせ課題
逃避台位置が1日の複数試行においては変化しないが、翌日には異なる位置で訓練を行うという課題。第1試行で潜時が長く、第2試行以降の潜時は大きく短縮される。これは、第1試行において逃避台到達後に周囲を見渡すことにより、この位置で逃避できたというイベント記憶が形成されることによる。この記憶は翌日には有効でないため、作業記憶とみなされる場合もある。第1試行と第2試行の逃避潜時の短縮の度合い(節約率)が評価される。また、第1試行と第2試行の間の試行間間隔を操作することにより、脳損傷や薬理学的処置、その他の実験的処置による記憶障害の遅延依存性について評価することができる。海馬損傷ラットでは15秒遅延条件においても障害を示すが、NMDA受容体阻害ラットは20分以上の遅延条件で障害を示すことが報告されている(Steel & Morris, 1999)。

2.5 バーンズ迷路
ラットが暗い囲われた場所を好み、開けた明るく照らされた状況を嫌う性質を利用した迷路課題である(Fig. 6)。円形のテーブル(120 cm程度)の外周に18個の穴があり、そのうちの1つがトンネルとなっており、逃避することができる。その他の穴は迷路上からの外観は等しいが塞がっていて入ることができない。トンネルへと続く正しい穴の場所は、装置外刺激の空間的な関係性によって識別できる。テーブル中央の小さな円筒に被験体を入れ、円筒を持ち上げて試行を開始する。訓練により、被験体は逃避可能な穴に直線的に向かうようになる。逃避潜時や誤反応(逃避箱以外の穴をのぞいた回数)を学習測度として用いる。Morris水迷路と同様に訓練後に全ての穴を逃避できないようにしてプローブテストを行うことも可能である。この時、逃避箱のあった位置での滞在時間を学習の測度とする。
この他、バーンズ迷路を用いた帰巣行動(homing)に関する研究も多い。ラットやマウスが巣穴を離れて餌を探索し、巣穴に餌を持ち帰る性質をもつ。正常なラットは目隠しをしても直線的な道筋で巣穴まで戻ってくるが、海馬損傷ラットでは帰巣方向が不正確になる(Maaswinkel, Jarrard and Whishaw, 1999)。この帰巣行動は経路統合に依存したものとみなされ、海馬において内的な運動手掛りを統合しながらルートをたどる処理が行われていると考えられている。

2.6 その他の迷路
環状迷路(O’Keefe) 手掛り課題と場所課題
環状水迷路 
子どもの迷路実験
 十字に交わる4本の走路をもつ高架式十字迷路は不安の測定に使用される。4本のうち2本の走路は高い壁があり(closed arm)、残りの2本は壁がなく解放された走路である(open arm)。狭く暗いところを好む齧歯類は、closed armでの滞在時間が長くなる。不安レベルの低下によりopen armへの進出に抵抗がなくなり、そこでの滞在時間も長くなる。

関連語 空間学習 空間記憶 認知地図 ナビゲーション 海馬