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神経倫理学とは、2002年に、政治ジャーナリストであるウィリアム・サファイヤによって提唱された用語「Neuroethics」の訳語である。Neuroethicsの訳語としては、神経倫理学以外にも、脳神経倫理学、脳倫理などが用いられることがある(本項目では、神経倫理学という呼称で統一する)。
 
 神経倫理学は、近年の急速な脳神経科学の発展に伴う倫理的・社会的問題に対応するための必然性から生まれてきた学問領域である。神経倫理学は、学際的な領域であり、倫理学者や哲学者だけでなく、広く人文科学系や社会科学系の研究者、また神経科学者によって議論の蓄積がなされている。
 通常、神経倫理学は、「神経科学の倫理学」と「倫理の神経科学」という2つの側面を有する。前者は、神経科学の発展に伴い生じる神経科学に関する倫理的課題について検討することを指す。後者は、倫理的な判断などを人間がどう下すかというメカニズムなどを神経科学的に解明することを意味する。一般的に神経倫理学と言う場合、前者である「神経科学の倫理学」を指すことが多いため、本項目においては、「神経科学の倫理学」を中心として「神経倫理学」の概要を述べる。
 神経倫理学は、学問的には生命倫理や医療倫理などの応用倫理学の議論の蓄積の上に位置づけられるが、同一のものを意味するわけではない。生命倫理の一分野として神経倫理学が位置づけられることもあるが、神経倫理学は脳神経科学がもたらす新たな倫理的・社会的課題について対応するという理由から、生命倫理学とは異なる新たな学問分野として位置づけられることが通常である。
 神経倫理学が取り扱う具体的な倫理的課題としては、大きく分けて2通りの枠組みがある。
 1つ目の枠組みとしては、今後の神経科学の発展を見越しての予測的な倫理的課題である。具体的な事例としては、エンハンスメント(能力増強)、マインドリーディング・マインドコントロール、自由意志と責任帰属の問題などが挙げられる。以下では、具体的な事例を紹介することで、神経倫理学が議論の対象とする倫理的問題の内実をみることにする。
 エンハンスメントとは、記憶力や集中力などの認知機能を高める薬物などを使用することで、もともとその個人が持っていた能力を増強することを意味する。スポーツ界においては世界記録達成のためなどの目的で筋肉増強剤などのドーピングが行われ問題となり禁止されている状況であるが、神経倫理学のエンハンスメントの問題はこの問題と近似している。スポーツの世界では身体の増強のためにドーピングが行われるが、認知機能の増強のためのエンハンスメントはより我々の日常生活と密接な関係がある。例えば、大学入試や資格試験などの試験に合格するために集中力や記憶力を増強する薬を服用することは許される行為であろうか。試験に合格するという目的のためならば個人の自由という観点からはこのような行為は正当化されるのであろうか。また、このような薬を服用しない人々との間での平等・不平等という観点からの問題などが考えられる。しかしながら、私たちは日常生活において広義の意味においては何らかのエンハンスメントを行っていることもある。例えば、眠気を覚まし集中力を高めるためにカフェインを含んだコーヒーを飲む人は多いのではないだろうか。コーヒーを飲むという行為はエンハンスメントなのであろうか。このようなことからは、エンハンスメントを考える際に、どこからどこまでがエンハンスメントになるのかという線引き問題が生じてくる。
 次に、マインドリーディングやマインドコントロールという倫理的問題も指摘されている。マインドリーディングとは、外部から当人が考えていることなどを読み取ることを意味する。マインドコントロールとは、外部から当人の考えや意志決定などを操作することを意味する。双方に共通する神経倫理的問題は、当人の意志に反して、外部から脳で考えていることを読解されたり、脳での考えなどをコントロールされる危険性という点である。
 次に、自由意志と責任帰属の問題が指摘されている。人間が自由意志を有するかどうかは哲学的問題として長年議論の蓄積があり、近年では脳神経科学などにおいても実証的に自由意志の存在について議論を行っている研究(Ribet 2004)などがみられる。神経倫理学においては、自由意志は責任帰属の問題と密接に関わっている。仮に人間が自由意志を持つ存在であるとして、何らかの行為をした場合、通常はその責任は行為主体に帰せられる。しかしながら、その行為主体の脳に疾患があり、その影響で何からの行為を行った場合、その責任は行為主体に帰せられるのか、脳に帰せられるのか、それともその双方に帰せられるのかという点については困難な倫理的問題が含まれる。
 神経倫理学に関する2つ目の枠組みとしては、神経科学の研究・臨床現場の現在の実情に即した倫理的課題があげられている。それらは例えば、ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)、脳深部刺激療法(DBS)、機能的核磁気共鳴画像法(fMRI)などに関わる安全性の問題、また、インフォームド・コンセント(IC)を含む被験者保護の問題などである。以下では、BMIとDBSに関する事例をもとに上記のような神経倫理的問題を紹介する。
 BMIとは、「脳内情報を解読・制御することにより、脳機能を理解するとともに脳機能や身体機能の回復・補完を可能とするもの」と定義される(脳科学研究戦略推進プログラム)。BMIの形態には侵襲的BMI(脳に直接電極を刺すなど侵襲性のあるBMI)と非侵襲的BMI(頭の表面にヘッドセットなどを被せる非侵襲性もしくは低侵襲性のBMI)がある。また、DBSとは「脳の深部に留置した電極からの電気刺激により、その部位の活動を抑えて、従来の外科治療で行われていた脳深部の破壊術と同様な効果を得るという治療法」と定義される(名古屋市立大学病院)。BMIやDBSの医療応用については、電極の耐久性などの技術的な安全性の問題だけではなく、脳の可塑性に起因する脳への影響も大きな懸念事項である。
 また、インフォームド・コンセント(IC)を含む被験者保護については、脳神経科学以外の生命科学分野などにおいても生命倫理や研究倫理の分野において大きな問題となっている。どのような形でインフォームド・コンセントを実施し実験に参加してもらう被験者を保護すべきなのか。また、実験段階ではなくとも、健康保険が適用されるまで確立したDBSを使用した治療などにおいても、患者へのインフォームド・コンセントは問題となっている。例えば、DBS治療はパーキンソン病などの手足の震えを抑制するため、脳に電極を差し込み電流を流す形態をとる。この治療により、確かに身体的改善は見込めるが、治療前後の「自己の変容」という点が問題となる。この治療を行うことによって、患者の性格が変容する事例も指摘されている。
 これまで具体的事例をもとに神経倫理学の射程を紹介したが、神経倫理学は、科学技術についての倫理・法的・社会的問題(Ethical Legal Social Issue: ELSI)とも密接な関係がある。ELSIの必要性が強く言われるようになったのは、遺伝子組み換え作物(GMO)を社会に導入することを巡っての社会との対立の反省から、近年研究の発展が著しい萌芽的技術であるナノテクノロジーの研究開発においてELSIの研究・実践を並行して行うことが強く推奨された。例えば、アメリカ合衆国においては、ナノテクノロジー研究費の約5%をナノテクノロジーに関するELSI研究に充当するよう義務づけられるようになった。神経科学についても、ナノテクノロジーと同様にELSIの研究・実践の重要性は指摘されており、そのことを担う研究領域の一つとして神経倫理学が存在するといえる。
 最後に、科学者共同体内部での神経倫理学の状況を述べる。神経倫理学に関する査読付きの国際ジャーナルとしては、「Journal of Neuroethics」、「American journal of Bioethics: Neuroscience」などがある。関連する国際学会としては、「Neuroethics Society」が2008年から活動を継続している。また、全米神経科学学会「Society for Neuroscience(SfN)」においても脳神経倫理に関するセッションや研究発表が行われている。日本国内においては、日本神経科学学会において定期的に神経倫理学に関するセッションや発表が行われているという状況である。
 以上のように、神経倫理学は、学際的な領域であり、近年の脳神経科学の目覚ましい発展に伴って生じる倫理的・社会的問題に対応するための学問領域である。学問分野としての歴史は浅いが、今後の脳神経科学の発展を念頭に置いた場合、神経倫理学の重要性は増すばかりである。
 
 
参考文献
Libet., B. (2004) Mind Time: The Temporal Factor in Consciousness. Harvard University Press.
名古屋市立大学病院HP
文部科学省脳科学研究戦略推進プログラムHP

2012年6月3日 (日) 12:08時点における版

神経倫理学とは、2002年に、政治ジャーナリストであるウィリアム・サファイヤによって提唱された用語「Neuroethics」の訳語である。Neuroethicsの訳語としては、神経倫理学以外にも、脳神経倫理学、脳倫理などが用いられることがある(本項目では、神経倫理学という呼称で統一する)。

 神経倫理学は、近年の急速な脳神経科学の発展に伴う倫理的・社会的問題に対応するための必然性から生まれてきた学問領域である。神経倫理学は、学際的な領域であり、倫理学者や哲学者だけでなく、広く人文科学系や社会科学系の研究者、また神経科学者によって議論の蓄積がなされている。  通常、神経倫理学は、「神経科学の倫理学」と「倫理の神経科学」という2つの側面を有する。前者は、神経科学の発展に伴い生じる神経科学に関する倫理的課題について検討することを指す。後者は、倫理的な判断などを人間がどう下すかというメカニズムなどを神経科学的に解明することを意味する。一般的に神経倫理学と言う場合、前者である「神経科学の倫理学」を指すことが多いため、本項目においては、「神経科学の倫理学」を中心として「神経倫理学」の概要を述べる。  神経倫理学は、学問的には生命倫理や医療倫理などの応用倫理学の議論の蓄積の上に位置づけられるが、同一のものを意味するわけではない。生命倫理の一分野として神経倫理学が位置づけられることもあるが、神経倫理学は脳神経科学がもたらす新たな倫理的・社会的課題について対応するという理由から、生命倫理学とは異なる新たな学問分野として位置づけられることが通常である。  神経倫理学が取り扱う具体的な倫理的課題としては、大きく分けて2通りの枠組みがある。  1つ目の枠組みとしては、今後の神経科学の発展を見越しての予測的な倫理的課題である。具体的な事例としては、エンハンスメント(能力増強)、マインドリーディング・マインドコントロール、自由意志と責任帰属の問題などが挙げられる。以下では、具体的な事例を紹介することで、神経倫理学が議論の対象とする倫理的問題の内実をみることにする。  エンハンスメントとは、記憶力や集中力などの認知機能を高める薬物などを使用することで、もともとその個人が持っていた能力を増強することを意味する。スポーツ界においては世界記録達成のためなどの目的で筋肉増強剤などのドーピングが行われ問題となり禁止されている状況であるが、神経倫理学のエンハンスメントの問題はこの問題と近似している。スポーツの世界では身体の増強のためにドーピングが行われるが、認知機能の増強のためのエンハンスメントはより我々の日常生活と密接な関係がある。例えば、大学入試や資格試験などの試験に合格するために集中力や記憶力を増強する薬を服用することは許される行為であろうか。試験に合格するという目的のためならば個人の自由という観点からはこのような行為は正当化されるのであろうか。また、このような薬を服用しない人々との間での平等・不平等という観点からの問題などが考えられる。しかしながら、私たちは日常生活において広義の意味においては何らかのエンハンスメントを行っていることもある。例えば、眠気を覚まし集中力を高めるためにカフェインを含んだコーヒーを飲む人は多いのではないだろうか。コーヒーを飲むという行為はエンハンスメントなのであろうか。このようなことからは、エンハンスメントを考える際に、どこからどこまでがエンハンスメントになるのかという線引き問題が生じてくる。  次に、マインドリーディングやマインドコントロールという倫理的問題も指摘されている。マインドリーディングとは、外部から当人が考えていることなどを読み取ることを意味する。マインドコントロールとは、外部から当人の考えや意志決定などを操作することを意味する。双方に共通する神経倫理的問題は、当人の意志に反して、外部から脳で考えていることを読解されたり、脳での考えなどをコントロールされる危険性という点である。  次に、自由意志と責任帰属の問題が指摘されている。人間が自由意志を有するかどうかは哲学的問題として長年議論の蓄積があり、近年では脳神経科学などにおいても実証的に自由意志の存在について議論を行っている研究(Ribet 2004)などがみられる。神経倫理学においては、自由意志は責任帰属の問題と密接に関わっている。仮に人間が自由意志を持つ存在であるとして、何らかの行為をした場合、通常はその責任は行為主体に帰せられる。しかしながら、その行為主体の脳に疾患があり、その影響で何からの行為を行った場合、その責任は行為主体に帰せられるのか、脳に帰せられるのか、それともその双方に帰せられるのかという点については困難な倫理的問題が含まれる。  神経倫理学に関する2つ目の枠組みとしては、神経科学の研究・臨床現場の現在の実情に即した倫理的課題があげられている。それらは例えば、ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)、脳深部刺激療法(DBS)、機能的核磁気共鳴画像法(fMRI)などに関わる安全性の問題、また、インフォームド・コンセント(IC)を含む被験者保護の問題などである。以下では、BMIとDBSに関する事例をもとに上記のような神経倫理的問題を紹介する。  BMIとは、「脳内情報を解読・制御することにより、脳機能を理解するとともに脳機能や身体機能の回復・補完を可能とするもの」と定義される(脳科学研究戦略推進プログラム)。BMIの形態には侵襲的BMI(脳に直接電極を刺すなど侵襲性のあるBMI)と非侵襲的BMI(頭の表面にヘッドセットなどを被せる非侵襲性もしくは低侵襲性のBMI)がある。また、DBSとは「脳の深部に留置した電極からの電気刺激により、その部位の活動を抑えて、従来の外科治療で行われていた脳深部の破壊術と同様な効果を得るという治療法」と定義される(名古屋市立大学病院)。BMIやDBSの医療応用については、電極の耐久性などの技術的な安全性の問題だけではなく、脳の可塑性に起因する脳への影響も大きな懸念事項である。  また、インフォームド・コンセント(IC)を含む被験者保護については、脳神経科学以外の生命科学分野などにおいても生命倫理や研究倫理の分野において大きな問題となっている。どのような形でインフォームド・コンセントを実施し実験に参加してもらう被験者を保護すべきなのか。また、実験段階ではなくとも、健康保険が適用されるまで確立したDBSを使用した治療などにおいても、患者へのインフォームド・コンセントは問題となっている。例えば、DBS治療はパーキンソン病などの手足の震えを抑制するため、脳に電極を差し込み電流を流す形態をとる。この治療により、確かに身体的改善は見込めるが、治療前後の「自己の変容」という点が問題となる。この治療を行うことによって、患者の性格が変容する事例も指摘されている。  これまで具体的事例をもとに神経倫理学の射程を紹介したが、神経倫理学は、科学技術についての倫理・法的・社会的問題(Ethical Legal Social Issue: ELSI)とも密接な関係がある。ELSIの必要性が強く言われるようになったのは、遺伝子組み換え作物(GMO)を社会に導入することを巡っての社会との対立の反省から、近年研究の発展が著しい萌芽的技術であるナノテクノロジーの研究開発においてELSIの研究・実践を並行して行うことが強く推奨された。例えば、アメリカ合衆国においては、ナノテクノロジー研究費の約5%をナノテクノロジーに関するELSI研究に充当するよう義務づけられるようになった。神経科学についても、ナノテクノロジーと同様にELSIの研究・実践の重要性は指摘されており、そのことを担う研究領域の一つとして神経倫理学が存在するといえる。  最後に、科学者共同体内部での神経倫理学の状況を述べる。神経倫理学に関する査読付きの国際ジャーナルとしては、「Journal of Neuroethics」、「American journal of Bioethics: Neuroscience」などがある。関連する国際学会としては、「Neuroethics Society」が2008年から活動を継続している。また、全米神経科学学会「Society for Neuroscience(SfN)」においても脳神経倫理に関するセッションや研究発表が行われている。日本国内においては、日本神経科学学会において定期的に神経倫理学に関するセッションや発表が行われているという状況である。  以上のように、神経倫理学は、学際的な領域であり、近年の脳神経科学の目覚ましい発展に伴って生じる倫理的・社会的問題に対応するための学問領域である。学問分野としての歴史は浅いが、今後の脳神経科学の発展を念頭に置いた場合、神経倫理学の重要性は増すばかりである。


参考文献 Libet., B. (2004) Mind Time: The Temporal Factor in Consciousness. Harvard University Press. 名古屋市立大学病院HP 文部科学省脳科学研究戦略推進プログラムHP