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Baddeley & Hitch のワーキングメモリーモデルが登場した背景は、Atkinson & Shiffrin (1968)<ref>'''R C Atkinson, R M Shiffrin'''<br>Human memory: a proposed system and its control processes<br>''K W Spence, J T Spence (Eds) "The Psychology of Learning and Motivation: Advances in Research and Theory" Academic Press (New York)'':1968</ref> による[[短期記憶]]と[[長期記憶]]からなる記憶の[[二重貯蔵モデル]]により、うまく説明できない実験結果が存在していたためである。例えば、短期記憶障害を持つ脳損傷患者であっても、長期記憶の形成が可能であることなどは、短期記憶が長期記憶の前段階である事を仮定する二重貯蔵モデルとは矛盾する。 | Baddeley & Hitch のワーキングメモリーモデルが登場した背景は、Atkinson & Shiffrin (1968)<ref>'''R C Atkinson, R M Shiffrin'''<br>Human memory: a proposed system and its control processes<br>''K W Spence, J T Spence (Eds) "The Psychology of Learning and Motivation: Advances in Research and Theory" Academic Press (New York)'':1968</ref> による[[短期記憶]]と[[長期記憶]]からなる記憶の[[二重貯蔵モデル]]により、うまく説明できない実験結果が存在していたためである。例えば、短期記憶障害を持つ脳損傷患者であっても、長期記憶の形成が可能であることなどは、短期記憶が長期記憶の前段階である事を仮定する二重貯蔵モデルとは矛盾する。 | ||
彼らのモデル提唱の直接的な契機となった実験は、彼ら自身の二重課題法による実験である。一次課題として文章の正誤判断課題を遂行する一方で、二次課題として発話された数字の記憶課題を課せられる場合、記憶する必要のある数字の増加に伴い短期記憶容量が消費される。二重貯蔵モデルによれば、二次課題により短期記憶は数字で満たされているため、一次課題に割り当てられる短期記憶容量ほとんどもしくはまったく存在しないため、成績は著しく悪化ないし遂行不可能になるはずである。しかし、最も重い記憶負荷であっても、課題成績はある程度保たれる他、エラーレートは軽記憶負荷とさほど変わらないなど、影響は限定的であった。このような実験結果は、短期記憶という単に受動的に情報を貯蔵する記憶モデルでは説明できず、記憶の保持と課題の処理とが別個のシステムによって担われている可能性を示すものと彼らは考え、彼らは記憶保持を行う2つの記憶貯蔵庫と、課題処理を行う注意制御系という3要素からなるワーキングメモリーモデルを提唱した。[[ファイル:BaddeleyModels v2.jpg|300px|thumb|'''図.Baddeleyのワーキングメモリーモデル'''<br>第1世代モデル (1G) と第2世代モデル (2G) | 彼らのモデル提唱の直接的な契機となった実験は、彼ら自身の二重課題法による実験である。一次課題として文章の正誤判断課題を遂行する一方で、二次課題として発話された数字の記憶課題を課せられる場合、記憶する必要のある数字の増加に伴い短期記憶容量が消費される。二重貯蔵モデルによれば、二次課題により短期記憶は数字で満たされているため、一次課題に割り当てられる短期記憶容量ほとんどもしくはまったく存在しないため、成績は著しく悪化ないし遂行不可能になるはずである。しかし、最も重い記憶負荷であっても、課題成績はある程度保たれる他、エラーレートは軽記憶負荷とさほど変わらないなど、影響は限定的であった。このような実験結果は、短期記憶という単に受動的に情報を貯蔵する記憶モデルでは説明できず、記憶の保持と課題の処理とが別個のシステムによって担われている可能性を示すものと彼らは考え、彼らは記憶保持を行う2つの記憶貯蔵庫と、課題処理を行う注意制御系という3要素からなるワーキングメモリーモデルを提唱した。[[ファイル:BaddeleyModels v2.jpg|300px|thumb|'''図.Baddeleyのワーキングメモリーモデル'''<br>第1世代モデル (1G) と第2世代モデル (2G)。2G図中、グレーは内容の流動性は低いが構造上の安定性が高い結晶システム (crystalised system)、その他の色はワーキングメモリー本体であり、内容の流動性の高い流動システム (fluid system) とされる。視空間スケッチパッドと音韻ループは感覚入力を受け取るが、エピソディック・バッファについては不明。]] | ||
記憶貯蔵庫は音韻ループ (phonological loop) と視空間スケッチパッド (visuospatial sketchpad) の2つがあり、前者は音声言語情報、後者は[[視覚]]・[[空間情報]]を保持する貯蔵庫である。そして、それらを制御する認知システムが中央実行系 (central executive) である。彼らのモデルの特徴は、従来は単純な記憶保持機能のみが想定されていた「短期記憶」のモデルを、情報保持機能と情報処理機能とを区分した「ワーキングメモリー」モデルへと拡張し、読解や学習、推論など、より広範な認知課題をも説明しようとした事にある。しかし、中央実行系の機能については、提唱者のBaddeley自身が後に「王子のいないハムレット」と表現するほど、モデル提案がなされた当初においては詳しい説明がなされておらず、一般的な目的のための処理システムといった程度の位置づけであり、2つの従属システムが行わない「全ての賢い事」を中央実行系が担わされる形となっていた<ref><pubmed>21961947</pubmed></ref>。また、後のモデルでは破棄されることとなる中央実行系自身が貯蔵機能を持つという仮定も置かれていた。 | 記憶貯蔵庫は音韻ループ (phonological loop) と視空間スケッチパッド (visuospatial sketchpad) の2つがあり、前者は音声言語情報、後者は[[視覚]]・[[空間情報]]を保持する貯蔵庫である。そして、それらを制御する認知システムが中央実行系 (central executive) である。彼らのモデルの特徴は、従来は単純な記憶保持機能のみが想定されていた「短期記憶」のモデルを、情報保持機能と情報処理機能とを区分した「ワーキングメモリー」モデルへと拡張し、読解や学習、推論など、より広範な認知課題をも説明しようとした事にある。しかし、中央実行系の機能については、提唱者のBaddeley自身が後に「王子のいないハムレット」と表現するほど、モデル提案がなされた当初においては詳しい説明がなされておらず、一般的な目的のための処理システムといった程度の位置づけであり、2つの従属システムが行わない「全ての賢い事」を中央実行系が担わされる形となっていた<ref><pubmed>21961947</pubmed></ref>。また、後のモデルでは破棄されることとなる中央実行系自身が貯蔵機能を持つという仮定も置かれていた。 |
2012年9月28日 (金) 10:44時点における版
英語名:central executive
中央実行系 (ちゅうおうじっこうけい)とは、Baddeley & Hitch (1974)[1] の提唱したワーキングメモリーモデルにおける中心的な構成概念であり、下位システムの記憶貯蔵庫(視空間スケッチパッド・音韻ループ)と相互作用して、それらの制御と情報処理を行う認知システムである。
現在の課題要求に応じて、注意のスイッチングや、必要な情報の更新などの認知制御を行い、目標志向的行動を支えていると考えられている。近年、研究が進む実行機能 (executive function) の元となった概念である。
Baddeleyのモデル
中央実行系の基本的な機能は、目標に応じて下位の認知・記憶システムを制御することであるが、必ずしもモデル提唱当初からその機能は明示されておらず、明確化されたのは比較的近年の事である。基本的には、2つの課題を同時に行う二重課題法 (dual task) により検討がされており、単一課題の加算では説明できない成分が中央実行系の寄与という形で説明される事が多い。
第1世代:3要素モデル
1974年:3要素モデルの提唱
Baddeley & Hitch のワーキングメモリーモデルが登場した背景は、Atkinson & Shiffrin (1968)[2] による短期記憶と長期記憶からなる記憶の二重貯蔵モデルにより、うまく説明できない実験結果が存在していたためである。例えば、短期記憶障害を持つ脳損傷患者であっても、長期記憶の形成が可能であることなどは、短期記憶が長期記憶の前段階である事を仮定する二重貯蔵モデルとは矛盾する。
彼らのモデル提唱の直接的な契機となった実験は、彼ら自身の二重課題法による実験である。一次課題として文章の正誤判断課題を遂行する一方で、二次課題として発話された数字の記憶課題を課せられる場合、記憶する必要のある数字の増加に伴い短期記憶容量が消費される。二重貯蔵モデルによれば、二次課題により短期記憶は数字で満たされているため、一次課題に割り当てられる短期記憶容量ほとんどもしくはまったく存在しないため、成績は著しく悪化ないし遂行不可能になるはずである。しかし、最も重い記憶負荷であっても、課題成績はある程度保たれる他、エラーレートは軽記憶負荷とさほど変わらないなど、影響は限定的であった。このような実験結果は、短期記憶という単に受動的に情報を貯蔵する記憶モデルでは説明できず、記憶の保持と課題の処理とが別個のシステムによって担われている可能性を示すものと彼らは考え、彼らは記憶保持を行う2つの記憶貯蔵庫と、課題処理を行う注意制御系という3要素からなるワーキングメモリーモデルを提唱した。
記憶貯蔵庫は音韻ループ (phonological loop) と視空間スケッチパッド (visuospatial sketchpad) の2つがあり、前者は音声言語情報、後者は視覚・空間情報を保持する貯蔵庫である。そして、それらを制御する認知システムが中央実行系 (central executive) である。彼らのモデルの特徴は、従来は単純な記憶保持機能のみが想定されていた「短期記憶」のモデルを、情報保持機能と情報処理機能とを区分した「ワーキングメモリー」モデルへと拡張し、読解や学習、推論など、より広範な認知課題をも説明しようとした事にある。しかし、中央実行系の機能については、提唱者のBaddeley自身が後に「王子のいないハムレット」と表現するほど、モデル提案がなされた当初においては詳しい説明がなされておらず、一般的な目的のための処理システムといった程度の位置づけであり、2つの従属システムが行わない「全ての賢い事」を中央実行系が担わされる形となっていた[3]。また、後のモデルでは破棄されることとなる中央実行系自身が貯蔵機能を持つという仮定も置かれていた。
1986年:SASモデルとの関連
中央実行系の機能は、1986年に出版された著書[4] において、Norman & Shallice (1980)[5] によるsupervisory attentional system (SAS) のコンセプトを組み入れる形で、ようやく説明が試みられることとなった。SASモデルでは、通常の習慣的な状況では、スキーマと呼ばれる刺激と反応とが定式化された自動的な系によってほとんどの行為が行われると仮定するが、何かしら通常とは異なる状況が生じた場合には、SASが意識的にスキーマの調整を行う事で、非習慣的な状況に対処するというものである。Baddeleyはこのような(特に、非習慣的な状況における)意図的な制御を行う系としてのSASを、中央実行系にほぼ等しいものと考えていたようであり、本書において、読み・児童におけるワーキングメモリーの発達・加齢との関連について述べている。
1990年代後半:中央実行系機能の明示
Baddeley (1996)[6] は中央実行系の機能を細分化し、
- 注意の焦点化
- 注意の分割
- 課題のスイッチング
- 長期記憶とのインタフェース
の4点を挙げた。
Baddeley & Logie (1999)[7] は、二つの隷属システムの調整、注意の焦点化とスイッチング、長期記憶内表象の活性化が中央実行系の基本的な機能であり、読解・推論・計算などの高次認知機能に関与し、新しい知識の獲得や問題解決に貢献して目標志向的な行動を支えているとした。中央実行系の基本的な概念は、1990年代後半のこれらの研究によって形成されたと考えられる。
第2世代:4要素モデル
2000年:エピソディック・バッファと意識
3要素からなる第1世代のワーキングメモリーモデルでは「短期的な」記憶のみしか扱ってこなかったため、長期記憶がどのように現在の課題に役立てられているか、また、長期記憶がどうやって形成されるかについては不明のままであった。そこで、Baddeley (2000)[8] は、エピソディック・バッファ (episodic buffer) と呼ばれる新たな構成要素をモデルに導入し、中央実行系が、このエピソディック・バッファを通じて長期記憶との相互作用を行っていると主張した。
エピソードとは、複数のソースからの情報が時空間的に統合されたまとまり (chunck) を意味する。エピソディック・バッファは、容量制約のある記憶貯蔵庫の一種であり、中央実行系により様々なソースからの情報を統合・操作する「場」となっており、長期記憶とのインタフェースとして働いているのだという。また、中央実行系とバッファとの相互作用は意識を伴うものであるとした。
最近の状況
近年、この中央実行系という概念は、ワーキングメモリー研究以外の分野にも浸透し、それらにおいては実行機能 (executive function) や実行制御 (executive control) と呼ばれている [9]。用語は微妙に異なるものの、想定されている認知機能に大差はなく、概念間で相互に影響しあっている。ただし、ワーキングメモリー研究であれば必ず中央実行系と呼ばれるわけではなく、Baddeley以外のモデルでは、実行機能や実行制御と呼ばれており[10]、むしろ近年では「実行機能のことをBaddeleyは中央実行系と呼んでいる」とさえ表現できるかもしれない。PubMedにおける検索では、central executiveをタイトルもしくはアブストラクトに含む論文件数は459であるのに対し、executive functionの論文件数は4649であり、大幅に上回る(2012年6月26日現在)。
中央実行系、実行機能ともに、類似概念である注意とどのように異なるかについての明確な理論・区分はなされていないが、おおよそ中央実行系・実行機能の場合には前頭前野の関与が強調されるのに対し、注意の場合は頭頂葉の関与が強調される傾向がある[10][11]。ただし、必ずしも二分化できるものではなく、研究者により見解が異なるところである。
神経基盤
詳細は実行機能を参照
D'Esposito et al (1995)[12] は、言語課題と空間課題とを別々に行う場合と、両課題を同時に行う場合とを比較し、後者のみに前頭前野 (prefrontal cortex) と前帯状皮質 (anterior cingulate cortex) の活動が確認されることから、これらの領域が中央実行系を担っているとした。これ以降の研究の多くがこの二領域の関与を指摘しているが、近年は実行機能の名の下に神経機構が検討される事が多い。
関連項目
参考文献
- ↑ A D Baddeley, G J Hitch
Working memory
G A Bower (Eds) "The Psychology of Learning and Motivation: Advances in Research and Theory" Academic Press (New York):1974 - ↑ R C Atkinson, R M Shiffrin
Human memory: a proposed system and its control processes
K W Spence, J T Spence (Eds) "The Psychology of Learning and Motivation: Advances in Research and Theory" Academic Press (New York):1968 - ↑
Baddeley, A. (2012).
Working memory: theories, models, and controversies. Annual review of psychology, 63, 1-29. [PubMed:21961947] [WorldCat] [DOI] - ↑ A D Baddeley
Working Memory
Oxford University Press:1986 - ↑ D A Norman, T Shalice
Attention to action: Willed and automatic control of behavior
University of California San Diego CHIP Report 99:1980 - ↑ A D Baddeley
Exploring the central executive
Quarterly Journal of Experimental Psychology A, 49(1), 5-28:1996 - ↑ A D Baddeley, R H Logie
Working memory: The multi-component model
A Miyake, P Shah (Eds) "Models of Working Memory: Mechanisms of Active Manitenance and Executive Control" Cambridge University Press:1999 - ↑
Baddeley, A. (2000).
The episodic buffer: a new component of working memory? Trends in cognitive sciences, 4(11), 417-423. [PubMed:11058819] [WorldCat] - ↑ P Rabbit (Eds)
Methodology of Frontal and Executive Function
Psychology Press (Hove):1997 - ↑ 10.0 10.1
Miyake, A., Friedman, N.P., Emerson, M.J., Witzki, A.H., Howerter, A., & Wager, T.D. (2000).
The unity and diversity of executive functions and their contributions to complex "Frontal Lobe" tasks: a latent variable analysis. Cognitive psychology, 41(1), 49-100. [PubMed:10945922] [WorldCat] [DOI] - ↑
Wager, T.D., & Smith, E.E. (2003).
Neuroimaging studies of working memory: a meta-analysis. Cognitive, affective & behavioral neuroscience, 3(4), 255-74. [PubMed:15040547] [WorldCat] - ↑
D'Esposito, M., Detre, J.A., Alsop, D.C., Shin, R.K., Atlas, S., & Grossman, M. (1995).
The neural basis of the central executive system of working memory. Nature, 378(6554), 279-81. [PubMed:7477346] [WorldCat] [DOI]
(執筆者:松吉大輔 担当編集委員:定藤規弘)