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コネクトームは、生命科学分野で広く使われている[[ゲノム]](genome)、[[プロテオーム]](proteome)などにならって、英語のconnect(ラテン語由来)とギリシア語の「完全、すべて、総体」を意味する接尾辞(-ome、ギリシア語-ωμα)を組み合わせた造語であり、英語の複数形は、connectomesである。 | コネクトームは、生命科学分野で広く使われている[[ゲノム]](genome)、[[プロテオーム]](proteome)などにならって、英語のconnect(ラテン語由来)とギリシア語の「完全、すべて、総体」を意味する接尾辞(-ome、ギリシア語-ωμα)を組み合わせた造語であり、英語の複数形は、connectomesである。 | ||
文献上、初めて使われたのは、2005年、[[インディアナ大学|Indiana大学]]のOlaf Spornsが、神経接続のマップを説明するために、[[ヒト]]・コネクトーム(Human Connectome)という概念を記述した論文である<ref><pubmed>16201007</pubmed></ref><ref>'''Olaf Sporns'''<br>Connectome<br>Scholarpedia, 5(2):5584, 2010. [[doi:10.4249/scholarpedia.5584|[DOI]]]</ref>。それとは独立して、[[wj:ローザンヌ大学|Lausanne大学]]病院のPatric Hagmannが、その博士論文の中で同時期に同様に言及していた<ref>'''Patric Hagmann'''<br>From diffusion MRI to brain connectomics [PhD Thesis].<br>Lausanne: Ecole Polytechnique Fédérale de Lausanne (EPFL). 2005 [[doi:10.5075/epfl-thesis-3230|[DOI]]]. </ref>。 | 文献上、初めて使われたのは、2005年、[[wj:インディアナ大学|Indiana大学]]のOlaf Spornsが、神経接続のマップを説明するために、[[ヒト]]・コネクトーム(Human Connectome)という概念を記述した論文である<ref><pubmed>16201007</pubmed></ref><ref>'''Olaf Sporns'''<br>Connectome<br>Scholarpedia, 5(2):5584, 2010. [[doi:10.4249/scholarpedia.5584|[DOI]]]</ref>。それとは独立して、[[wj:ローザンヌ大学|Lausanne大学]]病院のPatric Hagmannが、その博士論文の中で同時期に同様に言及していた<ref>'''Patric Hagmann'''<br>From diffusion MRI to brain connectomics [PhD Thesis].<br>Lausanne: Ecole Polytechnique Fédérale de Lausanne (EPFL). 2005 [[doi:10.5075/epfl-thesis-3230|[DOI]]]. </ref>。 | ||
特に、このコネクトームという概念が普及され始めたのは、2008年、[[ハーバード大学|Harvard大学]]の[[w:Jeffrey W. Lichtman|Jeffrey W. Lichtman]]と[[w:Joshua R. Sanes|Joshua R. Sanes]]による共著総説論文の発表後である<ref><pubmed>18801435</pubmed></ref>。また、用語の定着には、[[w:Sebastian Seung|Sebastian Seung]](当時[[wj:MIT|MIT]]、現[[wj:プリンストン大学|Princeton大学]])らのアウトリーチによる努力もあった<ref>'''Sebastian Seung'''<br>Connectome: How the Brain's Wiring Makes Us Who We Are<br>Mariner Books, 2013 ISBN 9780547678597<br>邦訳 セバスチャン・スン (著), 青木 薫 (翻訳)<br>コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか<br>草思社</ref>。 | 特に、このコネクトームという概念が普及され始めたのは、2008年、[[wj:ハーバード大学|Harvard大学]]の[[w:Jeffrey W. Lichtman|Jeffrey W. Lichtman]]と[[w:Joshua R. Sanes|Joshua R. Sanes]]による共著総説論文の発表後である<ref><pubmed>18801435</pubmed></ref>。また、用語の定着には、[[w:Sebastian Seung|Sebastian Seung]](当時[[wj:MIT|MIT]]、現[[wj:プリンストン大学|Princeton大学]])らのアウトリーチによる努力もあった<ref>'''Sebastian Seung'''<br>Connectome: How the Brain's Wiring Makes Us Who We Are<br>Mariner Books, 2013 ISBN 9780547678597<br>邦訳 セバスチャン・スン (著), 青木 薫 (翻訳)<br>コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか<br>草思社</ref>。 | ||
しかし、これらの研究者の貢献は、あくまでコネクトームという用語を提案、普及、定着させたということで認知されるべきもので、コネクトームとは呼んでいないものの、それに相当する概念はこれらの研究者が提案する以前から存在していたと考えるべきである<ref><pubmed>23866325</pubmed></ref>。その典型例は、1986年に発表されたJohn Whiteらによる[[線虫]](''Caenohabditis elegans'')という一つの生物の神経細胞の結合性を網羅的に記述した研究である(後述)<ref><pubmed>22462104</pubmed></ref><ref><pubmed>25750233</pubmed></ref>。 | しかし、これらの研究者の貢献は、あくまでコネクトームという用語を提案、普及、定着させたということで認知されるべきもので、コネクトームとは呼んでいないものの、それに相当する概念はこれらの研究者が提案する以前から存在していたと考えるべきである<ref><pubmed>23866325</pubmed></ref>。その典型例は、1986年に発表されたJohn Whiteらによる[[線虫]](''[[Caenohabditis elegans]]'')という一つの生物の神経細胞の結合性を網羅的に記述した研究である(後述)<ref><pubmed>22462104</pubmed></ref><ref><pubmed>25750233</pubmed></ref>。 | ||
==コネクトームの研究史と階層== | ==コネクトームの研究史と階層== |
2016年6月26日 (日) 08:38時点における版
山形方人
Harvard University'
DOI:10.14931/bsd.7096 原稿受付日:2016年6月21日 原稿完成日:2016年x月x日
担当編集委員:宮川 剛(藤田保健衛生大学)
英:connectome 独:Konnektom 仏:connectome 西:conectoma 露:Коннектом 中:连接组
コネクトームは、神経系のすべての神経細胞が接続することでできた神経回路の全体を意味する。本来は、ある動物個体、あるいはある動物種の神経系において、全神経細胞の接続の総体を意味する概念である。しかしながら、神経系の一部で神経細胞が化学シナプスや電気シナプスで接続された局所的な接続ダイアグラム(Wiring diagram)に言及する場合にも、しばしば使われる。更に、神経細胞レベルでの接続だけでなく、脳の大まかな領域同士が接続する様相の説明にも使われている。コネクトミクス(connectomics)は、コネクトームを理解するための研究法、つまり実験、検出などの方法、その方法を適用した結果の解釈、そして複数の方法論を統合した研究の戦略についての概念である。
用語「コネクトーム」の起源
コネクトームは、生命科学分野で広く使われているゲノム(genome)、プロテオーム(proteome)などにならって、英語のconnect(ラテン語由来)とギリシア語の「完全、すべて、総体」を意味する接尾辞(-ome、ギリシア語-ωμα)を組み合わせた造語であり、英語の複数形は、connectomesである。
文献上、初めて使われたのは、2005年、Indiana大学のOlaf Spornsが、神経接続のマップを説明するために、ヒト・コネクトーム(Human Connectome)という概念を記述した論文である[1][2]。それとは独立して、Lausanne大学病院のPatric Hagmannが、その博士論文の中で同時期に同様に言及していた[3]。
特に、このコネクトームという概念が普及され始めたのは、2008年、Harvard大学のJeffrey W. LichtmanとJoshua R. Sanesによる共著総説論文の発表後である[4]。また、用語の定着には、Sebastian Seung(当時MIT、現Princeton大学)らのアウトリーチによる努力もあった[5]。
しかし、これらの研究者の貢献は、あくまでコネクトームという用語を提案、普及、定着させたということで認知されるべきもので、コネクトームとは呼んでいないものの、それに相当する概念はこれらの研究者が提案する以前から存在していたと考えるべきである[6]。その典型例は、1986年に発表されたJohn Whiteらによる線虫(Caenohabditis elegans)という一つの生物の神経細胞の結合性を網羅的に記述した研究である(後述)[7][8]。
コネクトームの研究史と階層
歴史的には、簡素な解剖用具などを用いて神経線維を観察することから、目と脳など神経組織同士を接続している構造が存在することは想像されていた(例:デカルト、1677年、図1)。19世紀末になると、Santiago Rámon y Cajal(1852-1934)が、個々の神経細胞の形態を明確に染め出すことを可能にしたGolgi染色と光学顕微鏡を用いることで、脳が多数の神経細胞とそれらの結合によって成り立っていることを提唱した(図2)。以後、神経細胞の間の結合を記述する研究は盛んに行われてきた[9][10]。Golgi染色やNissl染色などを施した連続切片を観察する時代を経て、20世紀中頃になると脳損傷後の変性神経線維をNauta法などで染色することで、神経回路の存在を確認する時代になった。1970年ごろになると、放射性アミノ酸や、酵素(HRP)などの軸索輸送を利用することで、神経回路の観察が簡便に行われるようになった。更に、1980年代には、脂溶性carbocyanine蛍光色素などの生体結合特性を持った蛍光色素(DiIなど)、植物レクチン(WGA、PHA-Lなど)、ビオチン誘導体(Biocytin, Neurobiotinなど)、軸索を効率的に移動するコレラ毒素サブユニット等の高感度トレーサーが開発され、多くの研究者に汎用されるようになった。そして、1990年代になると、蛍光顕微鏡に加えて、共焦点レーザー顕微鏡が普及し始め、デジタル画像として大規模なデータの保存と解析が扱えるようになってきた。コネクトーム研究の観点から、このような組織学的解剖と染色によって得られた知見をまとめた重要な研究が、1991年、FellemanとDavid van Essenらによるマカクサルの視覚系の結合性マッピングの概念の提出であった[11][12]。
このような研究手法は、Allen Brain InstituteのAllen Mouse Brain Connectivity Atlas[13]、Mouse Connectome Project (南カリフォルニア大学)[14]、マカクサルのCoCoMac(ドイツ)[15]などで、まとめられているようなコネクトーム収集プロジェクトにつながっている。これらは、神経系の解剖学的知見と組織学的研究を組み合わせたものであり、解像度的にはマイクロメーター からサブマイクロメーターレベルの「メソスケール Mesoscale」のコネクトームの情報となっている。このレベルのコネクトーム構築のもう一つのアプローチとしては、このような形態学的なアプローチとともに、電気生理学的アプローチ、更に光遺伝学、神経活動を間接的あるいは直接的に観察する細胞、組織レベルのアプローチ(カルシウム、活動電位、血流変化など)もある。しかし、現時点では、これらの方法論の多くは、大規模アプローチとしては適さず、局所的な回路に焦点を当てているか、あくまで予備的な解釈に用いられているのが現状である。
メソスケールのコネクトーム情報は、神経線維の走行や終末部位についての情報を大雑把に収集したものであり、シナプスレベルでの「ミクロスケール Microscale」の神経細胞間の結合性を記述したものではない。化学シナプスおよび電気シナプスを形態的に観察するためには、ナノメーターレベルの解像度がある電子顕微鏡が必要である。電子顕微鏡レベルで、ほぼ完全なコネクトーム解読に成功したのは、Sydney Brennerの大学院生であったJohn WhiteらによるセンチュウCaenohabditis elegansの神経系である(1986年)[16]。センチュウの場合、体のサイズが小型で、神経細胞の数が少なく(雌雄同体で302個)、その結合性も個体差が少なくステレオタイプである(75%再現性があると言われる)ので、コネクトームの構築が可能であった。一方、神経系のサイズが大きく、非常に多くの細胞と、その結合性に多様性がある脊椎動物の神経系のコネクトームの構築は極めて困難である。ミクロスケールなコネクトーム構築には、電子顕微鏡で観察するための多数の連続切片を失うことなく作製し、撮影し、その画像を保存し、結合性を解析していくための技術開発が行われてきている(後述)。その結果、マウス網膜、ショウジョウバエ視覚系、マウス大脳視覚野の部分的なコネクトームなどが構築された。これらの情報を総合的に収集しているのは、Open Connectome project[17]である。
一方、Olaf Spornsによるヒト・コネクトームの提唱以来、脳の機能と病態を理解するためにヒトの脳で研究されているのは、メソレベルのコネクトームより更にスケールの大きな「マクロスケール Macroscale」のコネクトームである[18][19]。これは小型の動物ではなく、ヒト、サルなど比較的大型の動物での脳の活動部位から推定されるコネクトームである。ヒトを中心にこの情報を収集しているのは、Human Connectome Project[20]である。これには、非侵襲なテンソルMRIなどを中心に用い神経線維の走行など解剖学的な側面に注目しているThe Harvard/MGH-UCLA Project[21]、および脳におけるfMRIによる活動領域の検出やゲノム情報など機能的な側面に重点を置く国際プロジェクトThe WU-Minn Project [22]がある。いずれも、解像度が上がれば、メソスケールのコネクトームにも近づくが、非侵襲で得られる解像度は、最大でもミリメートル程度であり、侵襲的な方法で得られる解像度とは違いがある。
以上、肉眼、光学顕微鏡のレベルである「メソスケール」、電子顕微鏡レベルである「ミクロスケール」、そして非侵襲で観察される脳の構造や活動を観察する「マクロスケール」の3つの階層での断絶が、コネクトームの研究では認識されているのが現状である。しかし、例えば、深度のある組織の観察を可能にする多光子励起顕微鏡、広い範囲を高速で観察できる光シート顕微鏡、光学顕微鏡の解像度を著しく向上させるナノスコピー(PALM, STORMなど)[23]、が改良されれば、これらのスケールの間の断絶を埋めることができる。
細胞レベルのコネクトームとコネクトミクス
解像度の観点からは、メソスケール、ミクロスケール、マクロスケールに分類されるコネクトームであるが、特にメソスケール、ミクロスケールで注目されるのは、神経細胞レベル、神経細胞のSubcellularレベルでの神経細胞同士の結合性である。つまり、どの神経細胞同士がシナプスで結合しているか、更にシナプスが細胞体や樹状突起のどの部分に存在しているか、という中核的な情報である。神経細胞同士の結合性を決定するには、上述した歴史的に利用されてきた方法論に加えて、最近の動向としては、以下のような6つの現代的なアプローチがあるが、それぞれのアプローチに長所、短所があり、互いに相補的なアプローチとなっていくものと予想される。
生理学的方法
生理学的な方法を利用し、神経細胞間の結合性を調べる。これには、複数神経細胞の全細胞記録法、ケージド神経伝達物質のレーザー光刺激法、光遺伝学、カルシウムイオンのセンサー(カルシウム感受性蛍光色素、GCaMPなどの遺伝学的なリポーター)、電位感受性センサーなどが利用される[24][25][26][27]。また、神経活動によって誘起される前初期遺伝子(immediate early genes)の発現を利用する方法も利用される[28]。将来的に、哺乳類の神経系全体のコネクトームの解明には大規模生理学に適した方法論の開発が必要である(下記、「機能的コネクトーム」の項参考)。
電子顕微鏡
電子顕微鏡写真に基づき、形態的にコネクトームを構築することは、センチュウのコネクトーム構築でも利用された効果的な方法であり、マウス網膜、マウス大脳皮質視覚野、ショウジョウバエ視覚系(図3)などで部分的なコネクトーム的な報告がなされてきている[29][30][31][32][33][34]。哺乳類の脳のようにサイズの大きな構造におけるコネクトームの構築では、薄い連続切片を失うことなく、巨大な数の電子顕微鏡写真撮影を行い、それぞれの写真上の神経細胞とその突起、結合性を、多数の写真上で逐一トレース、全体を再構築していく必要がある。その情報量は、近年の大容量デジタル情報の保存媒体とコンピューティングの発達が可能にしたビッグデータの典型であり、各種の方法論の開発が進められてきている[35]。特に重要なのは、神経細胞の電子顕微鏡写真のトレースを一箇所間違えると、全く違う神経細胞をトレースすることになるという危険性があることである。そのため、Sebastian Seungらは、網膜のコネクトームを理解するために、ゲーム感覚で、神経細胞のコネクトーム構築に、一般市民を参加させようとするEyeWire[36]と名付けたウェッブサイトを構築している。これは、現状では、ヒトという作業者の目で電子顕微鏡写真を見て、それをトレースしていくことが、最も確実であるということから実施されているものである。将来は、ディープラーニングを行う人工知能により、コネクトーム構築の精密作業が自動化される可能性も高い。このアプローチにおいては、神経細胞の広がりが小さく局所的なケースでは電子顕微鏡写真上での追跡も比較的容易であろうが、例えば長い神経線維でつながった神経細胞同士のコネクトームを構築することは困難である。この問題の解決には、次項の遺伝学的標識法との組み合わせを利用するのが有用であろう。
遺伝学的標識法
神経細胞を遺伝学的なレポーター(例、蛍光タンパク質)で標識し、神経細胞の形態と結合性を理解する方法論である。この方法論の特徴は、光学顕微鏡レベルでの観察が可能であるので、長い神経線維でつながった細胞同士のコネクトームの構築にも利用できることである。また、遺伝学的に標識できるため様々な神経細胞で特異的に発現するような遺伝子をドライバー(例、Creリコンビナーゼ、GAL4システム)を利用して、特定の神経回路のコネクトームについての知見を深めることができる。当初は、個々の神経細胞を蛍光タンパク質などで標識する方法が用いられていたが、コネクトーム構築には、多数の神経細胞を同時に観察する必要がある。そのために開発された方法論の1つが、Brainbowと呼ばれる技術である[37](図4)。この技術は、ランダムに、異なる色を持ついくつかの蛍光タンパク質の組み合わせの発現を利用したもので、 各ニューロンは、Creリコンビナーゼによる基質となるlox配列の巧妙な組み換えを利用することで、異なる色の蛍光を発色することになり、細胞体とその突起が異なる色として区別することが可能になっている。
これらの遺伝学的なツール(ドライバー、レポーター)の利用には、トランスジェニック動物、ノックイン動物、そして各種ウイルスベクターを用いることができる。中でも、神経細胞に効率的に遺伝子導入が可能であるアデノ随伴ウイルス(AAV)ベクターは、広く用いられている。また、CRISPR・CAS9法の開発によって簡便になったゲノム編集の技術の発達とともに、このような遺伝学的ツールはますます広汎に用いられるようになると予想される。
特に、遺伝的なリポーターとして、電子顕微鏡でその発現を観察できる方法は、2)の全体を電子顕微鏡で再構築する方法と併用することで、様々なコンテキストで利用可能になるので注目される[38]。とりわけ、最近開発されたARTEMIS法は、ペルオキシダーゼ活性を持つレポーター遺伝子を発現した神経細胞を、高品質な電子顕微鏡画像の中で識別することができる[39]。
また、神経細胞同士の結合を記述するコネクトームの本質の一面は、シナプスを介した神経細胞間の細胞接着の記述でもある。シナプス結合しているパートナーを調べるために、シナプス結合したパートナー細胞同士のシナプス結合をシナプス接着分子に融合させた分割GFPで検出するGRASPという方法が開発され、センチュウ、ショウジョウバエなどで利用されている[40][41]。また、GRASP法の他にも、その感度の低さを補うことが可能なsplit HRP法が開発され、哺乳類の神経系でも利用できることが示された[42]。
Trans-synapticな方法
前項目と類似しているが、より積極的にシナプス結合している神経細胞を探査していくコネクトームの構築法である。その1つは、小麦胚レクチン(WGA)などが、前シナプス部の細胞に導入された物質が、細胞質を介して直接は繋がっていない後シナプス部にシナプスを介して移行(Trans-synaptic)するということを利用するものである。これは、歴史的には、物質そのものを注入することで行われてきたが、ウィルスベクター、トランスジェニックマウスのような形で、遺伝学的な手法を利用することが可能になった[43]。
特に重要なアプローチは、同様な性質を持ったウィルスベクターを利用することである[44]。例えば、リポーター遺伝子を有するRabiesウィルスベクターは、Trans-synapticな移動をし、逆行性に輸送されることが知られており、前シナプス細胞のパートナーとなる神経細胞の標識が可能である。特に、ウイルスベクターのエンベロップタンパク質を変更することで、感染細胞を変更することができ、このような方法とCreレコンビナーゼなどを用いることでシナプス結合しているパートナーを標識できるTRIO法が最近開発されたコネクトミクスの手法の一つである[45][46]。
生体試料観察の工夫
細胞レベルでのコネクトームを理解するためには、それぞれの神経細胞とその突起の形態を高解像度で観察することが重要である。その一つの方法は顕微鏡の改良であるが、もう一つの方法論は神経組織の生体試料を観察しやすいように処理することである。特に、神経組織をホールマウントでその深部まで明確に観察できるようにするための方法論の開発が活発である[47]。古くからグリセロールなどを用いて組織を透明化する技術は用いられてきたが、Atsushi MiyawakiらによるScaleの発表以来、CLARITY, iDisco, SeeDBやその改良法により、より優れたプロトコールの開発と改良が行われてきている[48][49]。また、Edward Boydenのグループは、組織そのものを拡大することができるExpansion Microscopyと名付けた方法を開発して注目されている[50]。
構成論的手法
システムを製作し、動作させることにより理解しようという方法論であり、例えば、シミュレーションやロボティクスを用いる。小規模な研究は、既に多くの神経科学者によって実施されてきている。この手法の代表的で大規模な試みが、コネクトームも考慮して、Henry Markumらによって着手されたBlue Brain Projectであり、欧州を中心とする神経科学、情報科学プロジェクトであるHuman Brain Projectの中核的プロジェクトと位置づけられている[51][52]。人工知能への関心の高まりとともに、今後の展開が注目される。
マクロスケールのコネクトーム
Olaf Spornsによるヒト・コネクトームの提唱以来、脳の機能と病態を理解するためにヒトの脳で研究されているのは、メソレベルのコネクトームより更に大きく、脳全体を視野にいれた「マクロスケール Macroscale」の巨視的なコネクトームである。これは、しばしば、様々なタスクに伴う脳の活動領域を観察する脳マッピングと同時に関心を持たれている。米国の脳科学プロジェクトであるBRAINイニシアティブの一部として実施されている国際プロジェクトであるHuman Connectome Project[53]では、fMRI(図5)による活動領域の検出など機能的な側面に重点を置く国際プロジェクトThe WU-Minn Project[54]と、非侵襲なテンソルMRIなどを中心に用い神経線維の走行を重視するThe Harvard/MGH-UCLA Project[55]が実施されてきた(図6)。いずれも、解像度が上がれば、メソスケールのコネクトームにも近づくが、非侵襲で得られる解像度は、最大でもミリメートル程度であり、侵襲的な方法で得られる解像度とは違いがある。
⾮侵襲脳計測法として、現在、ヒトの脳活動解析技術の主役となっているのは、fMRI(functional MRI)である。fMRIでは、MRIにより、⾎流の流れと、脱酸素化ヘモグロビンの濃度変化をみる([BOLD効果])ことで、神経活動に伴う変動を検出する。つまり、ニューロンの活動を直接観察しているわけではないので、実際のニューロンの活動とは、秒単位の時間的なズレがある。そして、休⽌状態の⼤脳のある領域と別の領域が同調して⾃発的に変動するということが、結合状態にあるということを意味していると仮定すれば、fMRIを使って、領域間のつながりも推定することもできる(休⽌状態fMRI)。この⽅法は、領域間の結合関係、つまりコネクトーム推定の有⼒な⼿段になっている。実際に⼤規模なデータを集めてきているのは、⽶Washington大学(ミズーリ州)と⽶University of Minnesota、そして英Oxford大学を中⼼とするコンソーシアムである。このプロジェクトでは、健常な成⼈を⽬標に、fMRI、PET、EEG、MEGを使うことで、それぞれの脳や⾏動関係の情報を収集してきている。fMRIは、高度な脳機能の理解に利用されている。例えば、2016年、California大学Berkeley校のグループは、自然言語のそれぞれの単語と大脳皮質活動領域を関連づける脳マップを作製した[56]。このような脳マップの中で、コネクトームを理解することが重要である。
⼀⽅、拡散MRI(dMRI)、テンソルMRI、そしてより新しい方法であるDSI(拡散スペクトラムイメージング, diffusion spectrum imaging, DSI)とHARDI (拡散強調イメージング、High angular resolution diffusion imaging)は、脳内にある軸索の束となった⻑距離の接続の様⼦をマッピングする。この⽅法を使うと、⽣きた脳の中で、そのまま神経の⾛⾏を観察することができる。しかし、神経線維の⾛⾏をみているだけで、実際の結合性を⾒ているものではないが、今後のコネクトーム理解の方法論として期待ができる[57]。
機能的コネクトーム
2012年、Richard Yuste(Columbia大学)、George Church(Harvard大学)らが、「The Brain Activity MapProject and the Challenge of Functional Connectomics」と題する提案をした[58][59]。民間財団であるKavli財団を中心としたBrain Activity Map(BAM)プロジェクトについての提案であり、主に電子顕微鏡の利用などを想定した「構造的コネクトーム(Structural connectome)」に対して、すべての神経細胞の活動のパターンを動的にマッピングする「機能的コネクトーム(functional connectome)」の解明を提唱している。その後の技術的進歩により、その方法論については、当初イメージしていたことから徐々に変更になっているが、基本的には、神経細胞の活動に着眼して、上述した大規模生理学的な方法とfMRIなどの方法を、新技術の開発により達成して機能面からのコネクトームを理解しようという提案である[60]。機能的コネクトームの情報が、構造的コネクトームの情報とともに不可欠なのは、センチュウとは対照的に、ヒトを含めた哺乳類の神経系では構造的な可塑性が見られるということである。例えば、神経細胞のスパインは動的な構造であり、出現したり消失したりする[61]。つまり、シナプスの結合性や構造は神経系が機能する際、大きく変化しているので、構造的コネクトームだけで、神経回路の働きを把握することは全く不十分であり、神経活動の情報を含めた機能的コネクトームの考慮が大切であるという議論が背景にある。
コネクトームの利用
コネクトームのプロジェクトは、ヒトゲノムプロジェクトがそうであったように、多数の研究者や技術者の共同作業によって行なわれきており、米国のオバマ政権が提唱した脳科学研究プロジェクトであるBRAINイニシアティブなどによって積極的にサポートされてきた。また、欧州のHuman Brain Project、日本のBrain/MINDSプロジェクトなどを含めた国際的な脳科学プロジェクトの中核的なテーマの一つになっている。このような電子顕微鏡やfMRIなどを用いて得られたデータは、神経科学の大規模データとして、誰でもそのデータが利用できるオープンデータとなる[62][63]。コネクトームのデータは生データとしてサーバーに保存されるが、コネクトームの簡便な表現法としては、図7に示したような結合のダイアグラムを示す方法や結合マトリックスを用いた方法がしばしば用いられてきている。
また、コネクトームに関係したプロジェクトは大きな研究費と多くの研究者の存在が必要となり、そのデータの取得と公開が神経科学者などのコミュニティに広く有用であるため、米国ではNational Brain Observatory(国立脳天文台)設立の提案がなされている[64]。Argonne National Laboratory(イリノイ州)などにそのような組織を作ることが計画され始めている[65]。
このようなコネクトームのデータは、脳科学、神経科学全般の基礎研究情報として、ヒトと動物の脳の働き、神経回路の構造と機能の理解のために広く利用されることになる[66][67][68]。特に、医学領域では、認知症、うつ病、統合失調症を含めた精神・神経疾患、自閉症などの発達障害、神経組織の損傷などに伴う様々な病態や症状の理解の基礎データにもなる。将来はこれらの疾患の客観的な診断への活用が注目されている。そして遺伝子情報を活用した精密医療とともに、有効な治療法の開発と個々の患者への適用にも貢献するであろう。更に、脳を神経回路の仕組みを模倣した人工知能の開発のための基礎情報としても役立つと思われる。コネクトームの知見を活用することで、心理学、言語学、経済学、商業、犯罪、保険、教育、政治、芸術、倫理学などのヒトの脳活動が関係した分野に、神経回路の観点から、これまでにない概念が提供されることも考えられ、その社会的な影響も大きいとの予想もある。コネクトームの情報をどのように利用していくのか、その是非を含めて、社会の広い分野での議論の必要性が高まってきている。
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