「両眼視野闘争」の版間の差分

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===日本における研究の歴史===
===日本における研究の歴史===
日本においては、両眼視野闘争の研究が大正時代に始まった。1915年に、黒田源次が「色彩視野闘争の時間的研究」と題する論文を「京都医学雑誌」に発表している[4]。黒田は、両目にそれぞれ異なる色を持つ視覚図形を呈示し、知覚の切り替わりにかかる時間や、どの色が知覚にのぼりやすいかといった検討を行った[4]。また、「京都医学雑誌」の同号において、石川日出鶴丸が、「闘争中枢」というメカニズムを仮定した視野闘争に関する生理学的仮説を発表している[5]。我が国における古典的な両眼視野闘争に関する研究に関しては、柿崎(1963)を参照[6]。
日本においては、両眼視野闘争の研究が大正時代に始まった。1915年に、黒田源次が「色彩視野闘争の時間的研究」と題する論文を「京都医学雑誌」に発表している[4]。黒田は、両目にそれぞれ異なる色を持つ視覚図形を呈示し、知覚の切り替わりにかかる時間や、どの色が知覚にのぼりやすいかといった検討を行った[4]。また、「京都医学雑誌」の同号において、石川日出鶴丸が、「闘争中枢」というメカニズムを仮定した視野闘争に関する生理学的仮説を発表している[5]。我が国における古典的な両眼視野闘争に関する研究に関しては、柿崎(1963)を参照[6]。
==両眼視野闘争の主観的な特性==
図1のような図形を、片方の目に赤色のフィルター、もう片方の目に緑色のフィルターをかけて観察すると、両眼視野闘争を体験することができる。図1の図形は赤色の顔画像、緑色の家画像からなり、フィルターを通した場合これらの画像は、物理的には2つの目の網膜にそれぞれ投影される。しかし、私たちの意識にのぼるのは、2つの画像のうちどちらか一方である(両眼視野闘争のターゲットの図形が小さい場合はどちらかだけが知覚されるが、ある程度以上の大きさになると、2つの図形が混ざったものが意識にのぼることが多い [7])。どちらの画像が知覚されるかは、時間が経つとともに変化し、一方の画像が現れては消え、もう一方の画像が現れるというダイナミックな知覚の切り替わりが生じる。
こうした左目の図形と右目の図形の間での知覚の切り替わりは不規則なタイミングで生じ、いつ知覚が切り替わるのかについて正確に予測をすることはできない[3,8]。知覚の切り替わりにかかる時間のばらつきは、ガンマ分布と呼ばれる確率分布に従う[9-11]。また、どちらか一方の目に呈示される視覚刺激の強さを操作すると、刺激強度の強い刺激は弱い刺激よりも知覚される時間が長くなる。(例えばコントラスト・明度の高い刺激や動いている刺激はより長く知覚される[12-15])。
==どのような視覚情報が「闘争」しているか?==
両眼視野闘争という言葉が使われているにも関わらず、実は、一体「何が」闘争しているのか、というのは未だに明らかになっていない。左目からの入力と、右目からの入力は網膜から外側膝状体を通り、それらの情報は一次視覚野で初めて統合される。1980年代後半までは、両目からの入力が統合される所で、それぞれの目からの情報がお互いを抑えつけている、という眼間闘争(eye-based rivalry)という仮説が一般的であった[16]。
しかし、90年代以降、闘争は2つの視覚刺激の脳内表現同士の間で起こっているとする刺激間闘争(stimulus rivalry)という考えが台頭してきた。Logothetisらは、闘争する刺激同士を、左目と右目の間で素早く入れ替えたとしても(1秒間に3回の割合)、意識の上では2つの刺激が数秒毎に入れ替わることを報告した(スワップ闘争, swap rivalry;図2)。これは目のレベルだけで闘争が起きているとすると説明ができない[17]。また、関連した現象として、両眼間のグルーピングというものがある。両眼視野闘争用の刺激が大きい場合は、両目からの入力が混ざって知覚されることが多いが、その混ざり具合はランダムでなく、高次の視覚領域で処理されるような刺激の意味などの情報が反映される。例えば、Kovácsらは、2つの視覚イメージを分解して混ぜ合わせたパターンを左目、右目にそれぞれ分けて呈示した。結果、左目、右目にそれぞれ呈示された視覚刺激の間で知覚交代が起こるのでなく、分解される前の2種類の視覚イメージの間で知覚交代が起こることをしめした[18]。スワップ闘争や、両眼間のグルーピングなどの結果は、両眼視野闘争においては眼間で闘争が起こっているのでなく、両眼間の情報が融合された視覚刺激の表象の間で闘争が起こっていることを示唆する。
もし闘争が眼間でなく、視覚刺激の表象間で起こっているのであれば、「両眼視野闘争」と言う学術用語は適切な表現ではないが、今のところ、「何」が闘争しているのかについては、未だにはっきりとした答えはない。現在は、闘争は階層的な視覚処理の中の様々な段階で起こっており、低次の神経メカニズムに基づく眼間闘争と高次のメカニズムに基づく刺激間闘争のどちらの特徴が現れるかは、闘争を起こすときの刺激条件による、という仮説が主流になっている [16, 19-22]。


(執筆者:竹村浩昌、土谷尚嗣、担当編集委員:藤田一郎)
(執筆者:竹村浩昌、土谷尚嗣、担当編集委員:藤田一郎)

2012年3月20日 (火) 17:13時点における版

英:binocular rivalry

両眼視野闘争とは、2つの目にそれぞれ異なる視覚図形が呈示された場合、どちらか一方の図形が知覚され、時間が過ぎるとともに知覚が切り替わる現象。両眼視野闘争は多義知覚の一種であり、今日では視覚入力に対する気づき(visual awareness)について研究する心理物理学的手法として良く用いられている。両眼視野闘争のデモはhttp://www.psy.vanderbilt.edu/faculty/blake/rivalry/BR.htmlを参照。

歴史的背景

両眼視野闘争研究の歴史

両眼視野闘争の歴史は古く、16世紀には既にルネサンス期イタリアの博学者であるジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ(Giambattista della Porta)によって両眼視野闘争に関する記述がなされている[1]。19世紀には、Wheatstoneが両眼視野闘争に関する最初の体系的な実験心理学的研究を行った[2]。Wheatstoneは、自身で発明したミラー式ステレオスコープを用いて、左目と右目にそれぞれ異なるアルファベットを呈示した際、どちらか片方のアルファベットが知覚されること、どちらのアルファベットが知覚されるかは時間が経つと入れ替わるといった両眼視野闘争の特性に関する記述を行った。このWheatstoneの研究に触発されて、ドイツのHelmholtz、 アメリカのWilliam James、イギリスのSherringtonといった研究者らによって両眼視野闘争に関する研究が次々となされた[1,3]。

日本における研究の歴史

日本においては、両眼視野闘争の研究が大正時代に始まった。1915年に、黒田源次が「色彩視野闘争の時間的研究」と題する論文を「京都医学雑誌」に発表している[4]。黒田は、両目にそれぞれ異なる色を持つ視覚図形を呈示し、知覚の切り替わりにかかる時間や、どの色が知覚にのぼりやすいかといった検討を行った[4]。また、「京都医学雑誌」の同号において、石川日出鶴丸が、「闘争中枢」というメカニズムを仮定した視野闘争に関する生理学的仮説を発表している[5]。我が国における古典的な両眼視野闘争に関する研究に関しては、柿崎(1963)を参照[6]。

両眼視野闘争の主観的な特性

図1のような図形を、片方の目に赤色のフィルター、もう片方の目に緑色のフィルターをかけて観察すると、両眼視野闘争を体験することができる。図1の図形は赤色の顔画像、緑色の家画像からなり、フィルターを通した場合これらの画像は、物理的には2つの目の網膜にそれぞれ投影される。しかし、私たちの意識にのぼるのは、2つの画像のうちどちらか一方である(両眼視野闘争のターゲットの図形が小さい場合はどちらかだけが知覚されるが、ある程度以上の大きさになると、2つの図形が混ざったものが意識にのぼることが多い [7])。どちらの画像が知覚されるかは、時間が経つとともに変化し、一方の画像が現れては消え、もう一方の画像が現れるというダイナミックな知覚の切り替わりが生じる。

こうした左目の図形と右目の図形の間での知覚の切り替わりは不規則なタイミングで生じ、いつ知覚が切り替わるのかについて正確に予測をすることはできない[3,8]。知覚の切り替わりにかかる時間のばらつきは、ガンマ分布と呼ばれる確率分布に従う[9-11]。また、どちらか一方の目に呈示される視覚刺激の強さを操作すると、刺激強度の強い刺激は弱い刺激よりも知覚される時間が長くなる。(例えばコントラスト・明度の高い刺激や動いている刺激はより長く知覚される[12-15])。

どのような視覚情報が「闘争」しているか?

両眼視野闘争という言葉が使われているにも関わらず、実は、一体「何が」闘争しているのか、というのは未だに明らかになっていない。左目からの入力と、右目からの入力は網膜から外側膝状体を通り、それらの情報は一次視覚野で初めて統合される。1980年代後半までは、両目からの入力が統合される所で、それぞれの目からの情報がお互いを抑えつけている、という眼間闘争(eye-based rivalry)という仮説が一般的であった[16]。

しかし、90年代以降、闘争は2つの視覚刺激の脳内表現同士の間で起こっているとする刺激間闘争(stimulus rivalry)という考えが台頭してきた。Logothetisらは、闘争する刺激同士を、左目と右目の間で素早く入れ替えたとしても(1秒間に3回の割合)、意識の上では2つの刺激が数秒毎に入れ替わることを報告した(スワップ闘争, swap rivalry;図2)。これは目のレベルだけで闘争が起きているとすると説明ができない[17]。また、関連した現象として、両眼間のグルーピングというものがある。両眼視野闘争用の刺激が大きい場合は、両目からの入力が混ざって知覚されることが多いが、その混ざり具合はランダムでなく、高次の視覚領域で処理されるような刺激の意味などの情報が反映される。例えば、Kovácsらは、2つの視覚イメージを分解して混ぜ合わせたパターンを左目、右目にそれぞれ分けて呈示した。結果、左目、右目にそれぞれ呈示された視覚刺激の間で知覚交代が起こるのでなく、分解される前の2種類の視覚イメージの間で知覚交代が起こることをしめした[18]。スワップ闘争や、両眼間のグルーピングなどの結果は、両眼視野闘争においては眼間で闘争が起こっているのでなく、両眼間の情報が融合された視覚刺激の表象の間で闘争が起こっていることを示唆する。

もし闘争が眼間でなく、視覚刺激の表象間で起こっているのであれば、「両眼視野闘争」と言う学術用語は適切な表現ではないが、今のところ、「何」が闘争しているのかについては、未だにはっきりとした答えはない。現在は、闘争は階層的な視覚処理の中の様々な段階で起こっており、低次の神経メカニズムに基づく眼間闘争と高次のメカニズムに基づく刺激間闘争のどちらの特徴が現れるかは、闘争を起こすときの刺激条件による、という仮説が主流になっている [16, 19-22]。

(執筆者:竹村浩昌、土谷尚嗣、担当編集委員:藤田一郎)