「運動視」の版間の差分

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== 窓問題 ==
== 窓問題 ==
[[image:運動視2.png|thumb|300px|'''図2. 窓問題'''<br>窓の奥に見える物体が上に動いているにも関わらず、窓を通して見ると左上方向(輪郭線の垂直方向)に動いて見えてしまう。そのため、物体の本当の動きは分からない。]]
[[image:運動視2.png|thumb|300px|'''図2. 窓問題'''<br>窓の奥に見える物体が上に動いているにも関わらず、窓を通して見ると左上方向(輪郭線の垂直方向)に動いて見えてしまう。そのため、物体の本当の動きは分からない。]]
[[image:Plaid and gratings.mp4|thumb|350px|'''図3. 運動統合を調べるのに用いられる視覚刺激'''<br>動く方向の異なる2つの縞模様を重ね合わせることで、各縞模様とは異なる方向に動く格子縞模様を作ることができる。]]
[[image:Plaid and gratings.mp4|thumb|350px|'''動画1. 運動統合を調べるのに用いられる視覚刺激'''<br>動く方向の異なる2つの縞模様を重ね合わせることで、各縞模様とは異なる方向に動く格子縞模様を作ることができる。]]


 運動視において視覚系が直面する問題として窓問題(aperture problem)が挙げられる。運動する物体を小さい窓枠から覗いたときには、物体全体の運動方向によらず、窓枠から見える物体の局所輪郭線に直交する方向の運動成分が検出されてしまう('''図2''')。これを窓問題という。
 運動視において視覚系が直面する問題として窓問題(aperture problem)が挙げられる。運動する物体を小さい窓枠から覗いたときには、物体全体の運動方向によらず、窓枠から見える物体の局所輪郭線に直交する方向の運動成分が検出されてしまう('''図2''')。これを窓問題という。


 物体運動の最初の検出が行われる一次視覚野は、ニューロンの受容野が小さいため、実質的には窓枠となっている。このため、一次視覚野で検出される運動信号はあいまいさを含んでおり、物体の真の運動を必ずしも反映しない。運動を正しく検出するには、一次視覚野で検出されたあいまいさを含む局所運動信号を空間・方位にわたって統合し、あいまいさを除去する必要がある。この統合過程は一次視覚野より高次の領野、MT野やMST野で行われると考えられている<ref name=ref15><pubmed>9604103</pubmed></ref>[15]。二つの縞模様を重ねた格子縞模様('''図3''')と呼ばれる視覚刺激を用いた生理学的研究によると、MT野では約1/3のニューロンが<ref name=ref16>'''Movshon JA, Adelson EH, Gizzi MS, and Newsome WT.'''<[[br]].The analysis of moving visual patterns.<br>
 物体運動の最初の検出が行われる一次視覚野は、ニューロンの受容野が小さいため、実質的には窓枠となっている。このため、一次視覚野で検出される運動信号はあいまいさを含んでおり、物体の真の運動を必ずしも反映しない。運動を正しく検出するには、一次視覚野で検出されたあいまいさを含む局所運動信号を空間・方位にわたって統合し、あいまいさを除去する必要がある。この統合過程は一次視覚野より高次の領野、MT野やMST野で行われると考えられている<ref name=ref15><pubmed>9604103</pubmed></ref>[15]。二つの縞模様を重ねた格子縞模様('''動画1''')と呼ばれる視覚刺激を用いた生理学的研究によると、MT野では約1/3のニューロンが<ref name=ref16>'''Movshon JA, Adelson EH, Gizzi MS, and Newsome WT.'''<[[br]].The analysis of moving visual patterns.<br>
''Pattern Recognition Mechanisms''. Rome: Vatican Press: 1985, 117-151.</ref>[16]、MST野ではほぼ全てのニューロンが<ref name=ref17><pubmed>19864582</pubmed></ref>[17]この統合過程に関わっていると示唆されている。実際、MT野ニューロンが反応する方位と時空間周波数をマッピングすると、個々のニューロンは、特定の方向に動いている物体から生成される方位・時空間周波数成分を統合していることが判明している<ref name=ref18><pubmed>21994372</pubmed></ref>[18]。
''Pattern Recognition Mechanisms''. Rome: Vatican Press: 1985, 117-151.</ref>[16]、MST野ではほぼ全てのニューロンが<ref name=ref17><pubmed>19864582</pubmed></ref>[17]この統合過程に関わっていると示唆されている。実際、MT野ニューロンが反応する方位と時空間周波数をマッピングすると、個々のニューロンは、特定の方向に動いている物体から生成される方位・時空間周波数成分を統合していることが判明している<ref name=ref18><pubmed>21994372</pubmed></ref>[18]。
== 神経細胞による様々な運動の処理 ==
== 神経細胞による様々な運動の処理 ==
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| <div class="thumb tright" style="width:580px;"><youtube>cGIpSHw7evg</youtube></div>
| <div class="thumb tright" style="width:580px;"><youtube>cGIpSHw7evg</youtube></div>
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| '''動画2.オプティックフローの例'''<br>[https://www.youtube.com/watch?v=cGIpSHw7evg YouTube動画、Example of 100% Radial Optic Flow (no random dots) with the FOE in Center]より
| <small>'''動画2.オプティックフローの例'''<br>[https://www.youtube.com/watch?v=cGIpSHw7evg YouTube動画、Example of 100% Radial Optic Flow (no random dots) with the FOE in Center]より</small>
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===オプティックフローの知覚===
===オプティックフローの知覚===
 自身の動きによって生じる網膜上の動きをオプティックフローと呼ぶ。オプティックフローは並進運動、回転運動、拡大縮小運動に分解できる。例えば、自身が前に進むと、視線方向を中心に拡大パターンの運動が生じる。逆に、拡大運動を見ただけで前に進んでいる感覚が生じる。MST野には並進、回転、拡大縮小、それぞれの運動に反応するニューロンが見つかっている<ref name=ref14 />[14]。
 自身の動きによって生じる網膜上の動きをオプティックフローと呼ぶ。オプティックフローは並進運動、回転運動、拡大縮小運動に分解できる。例えば、自身が前に進むと、視線方向を中心に拡大パターンの運動が生じる('''動画2''')。逆に、拡大運動を見ただけで前に進んでいる感覚が生じる。MST野には並進、回転、拡大縮小、それぞれの運動に反応するニューロンが見つかっている<ref name=ref14 />[14]。


==運動方向弁別の神経機構==
==運動方向弁別の神経機構==
  [[ファイル:Dots 3coherences.mp4|サムネイル|350px|'''図4.運動方向弁別課題に用いられるランダムドット刺激'''<br>同じ速度で動くシグナルドットとランダムな速度で動くノイズドットから構成される。シグナルドットの割合をmotion coherenceといい、これを高くすると、動きを知覚しやすくなる。]]
  [[ファイル:Dots 3coherences.mp4|サムネイル|350px|'''動画3.運動方向弁別課題に用いられるランダムドット刺激'''<br>同じ速度で動くシグナルドットとランダムな速度で動くノイズドットから構成される。シグナルドットの割合をmotion coherenceといい、これを高くすると、動きを知覚しやすくなる。]]
 以上述べてきたように、視覚系の様々な領域に、動き情報の様々な側面を伝える細胞が存在するが、これらの細胞が実際に動きの知覚に関わっていることを示す強い証拠が得られている。これらの証拠は、多数のドットで構成されたランダムドット刺激の運動方向を弁別する課題を遂行しているサルの大脳皮質からニューロン活動を記録・解析することによって得られた。
 以上述べてきたように、視覚系の様々な領域に、動き情報の様々な側面を伝える細胞が存在するが、これらの細胞が実際に動きの知覚に関わっていることを示す強い証拠が得られている。これらの証拠は、多数のドットで構成されたランダムドット刺激の運動方向を弁別する課題を遂行しているサルの大脳皮質からニューロン活動を記録・解析することによって得られた。


 運動方向弁別課題では、ランダムドットの動きの方向を答えるが、一定方向に動くドットの割合(motion coherence、'''図4''')を変えることで動きの強さを調整できるため、ある正答率を得るために必要なcoherenceを運動視の閾値として定義できる。閾値は動物でもヒトでも測定できる。以下、一連の研究で明らかになった重要事項を解説する。
 運動方向弁別課題では、ランダムドットの動きの方向を答えるが、一定方向に動くドットの割合(motion coherence、'''動画3''')を変えることで動きの強さを調整できるため、ある正答率を得るために必要なcoherenceを運動視の閾値として定義できる。閾値は動物でもヒトでも測定できる。以下、一連の研究で明らかになった重要事項を解説する。


=== 運動方向弁別能力とニューロンの感度の比較 ===
=== 運動方向弁別能力とニューロンの感度の比較 ===