「生命倫理」の版間の差分

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 例えば、ジョージタウン大学・ケネディ倫理研究所のビーチャムとチルドレスは『[http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010331177-00 生命医学倫理]』(初版1979年)を刊行し、生命倫理の4原則を提示した。その4原則とは、「自律尊重原理」「無危害原理」「仁恵原理」「正義原理」である。この4原則は硬直したものではなく、自らの原則の適用範囲に限界があり、原則が当てはまらないケース、例外的な状況があることを認めているし、原則同士で対立するケースも当然も認めている。しかしながら、自律尊重を強く打ち出すとともに、自律を理解する際に、他者に危害を加えない限り自分の好むことを行える自己決定のことを自律として解釈している部分が多いと言えるだろう。
 例えば、ジョージタウン大学・ケネディ倫理研究所のビーチャムとチルドレスは『[http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010331177-00 生命医学倫理]』(初版1979年)を刊行し、生命倫理の4原則を提示した。その4原則とは、「自律尊重原理」「無危害原理」「仁恵原理」「正義原理」である。この4原則は硬直したものではなく、自らの原則の適用範囲に限界があり、原則が当てはまらないケース、例外的な状況があることを認めているし、原則同士で対立するケースも当然も認めている。しかしながら、自律尊重を強く打ち出すとともに、自律を理解する際に、他者に危害を加えない限り自分の好むことを行える自己決定のことを自律として解釈している部分が多いと言えるだろう。


 しかし、[[wikipedia:JA:ヨーロッパ|ヨーロッパ]]の生命倫理の研究者が[[wikipedia:JA:EU|EU]]の[[wikipedia:JA:ヨーロッパ委員会|ヨーロッパ委員会]]に対して提言した[[wikipedia:JA:バルセロナ宣言|バルセロナ宣言]]は、やや異なる方向を目指している。バルセロナ宣言では、「自律」は治療や実験に与えられる「許可」という意味でのみ理解されてはならないと言われる。そして、自律にはさまざまな限界があることを明確に宣言しているうえ、「他者への配慮の文脈にある自律」の概念を提唱している。また、[[wikipedia:JA:生物学|生物学]]的な意味で[[wikipedia:JA:ヒト|ヒト]]であれば、「尊厳」をもつと主張するとともに、人間の有限性と人間の生のもろさを強調している。バルセロナ宣言はビーチャムとチルドレスの4原則と比べると、自己決定権や自律を弱く解釈し、新しい生命倫理原則を提示しているのである。
 しかし、[[wikipedia:JA:ヨーロッパ|ヨーロッパ]]の生命倫理の研究者が[[wikipedia:JA:EU|EU]]の[[wikipedia:JA:ヨーロッパ委員会|ヨーロッパ委員会]]に対して提言した[[wikipedia:JA:欧州・地中海パートナーシップ|バルセロナ宣言]]は、やや異なる方向を目指している。バルセロナ宣言では、「自律」は治療や実験に与えられる「許可」という意味でのみ理解されてはならないと言われる。そして、自律にはさまざまな限界があることを明確に宣言しているうえ、「他者への配慮の文脈にある自律」の概念を提唱している。また、[[wikipedia:JA:生物学|生物学]]的な意味で[[wikipedia:JA:ヒト|ヒト]]であれば、「尊厳」をもつと主張するとともに、人間の有限性と人間の生のもろさを強調している。バルセロナ宣言はビーチャムとチルドレスの4原則と比べると、自己決定権や自律を弱く解釈し、新しい生命倫理原則を提示しているのである。


 このような理論的背景を考慮しながら、脳科学と生命倫理の関係も検討していく必要があるだろう。近年の脳科学の発展は目覚ましく、幾つもの病気や障害の治療や改善が見込まれるが、脳科学の発展は様々な生命倫理上の問題を投げかけている。例えば、脳科学の発展によって、我々の思考プロセスが外からチェックできるようになり、嘘の発見、感情の読み取りなどに用いられるとしたら、我々のプライバシーをどこまで保護すべきなのかという問題が生じる。[[wikipedia:JA:プライバシー権|プライバシー権]]は、アメリカでは[[wikipedia:JA:堕胎|堕胎]]の権利の承認の際にも使われるものであり、生命倫理における重要なテーマである。もちろん、[[脳]]の中を覗いて良いのか、覗いて良いとしてもどのような場合にそれが許されるのか、脳を覗いて手にしたデータはどう管理されるべきかなど、多くの問題が残るし、そもそも脳の中を読み取ることと、当該の人の自律や尊厳や統合性(integrity)とを折り合わせることができるのかは、難しい問題である。
 このような理論的背景を考慮しながら、脳科学と生命倫理の関係も検討していく必要があるだろう。近年の脳科学の発展は目覚ましく、幾つもの病気や障害の治療や改善が見込まれるが、脳科学の発展は様々な生命倫理上の問題を投げかけている。例えば、脳科学の発展によって、我々の思考プロセスが外からチェックできるようになり、嘘の発見、感情の読み取りなどに用いられるとしたら、我々のプライバシーをどこまで保護すべきなのかという問題が生じる。[[wikipedia:JA:プライバシー権|プライバシー権]]は、アメリカでは[[wikipedia:JA:堕胎|堕胎]]の権利の承認の際にも使われるものであり、生命倫理における重要なテーマである。もちろん、[[脳]]の中を覗いて良いのか、覗いて良いとしてもどのような場合にそれが許されるのか、脳を覗いて手にしたデータはどう管理されるべきかなど、多くの問題が残るし、そもそも脳の中を読み取ることと、当該の人の自律や尊厳や統合性(integrity)とを折り合わせることができるのかは、難しい問題である。