「手と眼の協調運動」の版間の差分

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安部川 直稔
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NTT コミュニケーション科学基礎研究所
<font size="+1">[https://researchmap.jp/abekawa_N 安部川直稔]</font><br>
''NTT コミュニケーション科学基礎研究所''<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2021年9月3日 原稿完成日:2021年X月X日<br>
担当編集委員:[https://researchmap.jp/wagaKBR_ 我妻広明](九州工業大学大学院 生命体工学研究科 人間知能システム工学専攻)<br>
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{{box|text= 手と目の協調運動(hand-eye coordination)とは、脳計算処理を指す言葉として、二通りの使われ方をすることが多い。一つ目は、運動目標に向かう腕運動が計画・実行される過程において、目と手の動きが時空間的に協調する仕組みを指すものである。目と手が協調して動くことは、必要な視覚情報を、適切なタイミングで取得することにつながり、運動課題の遂行に必要不可欠な機能と考えられている。本稿では、この運動協調動作を中心に概説する。二つ目は、網膜に入力される視覚情報から、腕を動かす運動指令生成に至る変換過程、つまり座標変換処理を指すものである。}}
{{box|text= 手と目の協調運動(hand-eye coordination)とは、脳計算処理を指す言葉として、二通りの使われ方をすることが多い。一つ目は、運動目標に向かう腕運動が計画・実行される過程において、目と手の動きが時空間的に協調する仕組みを指すものである。目と手が協調して動くことは、必要な視覚情報を、適切なタイミングで取得することにつながり、運動課題の遂行に必要不可欠な機能と考えられている。本稿では、この運動協調動作を中心に概説する。二つ目は、網膜に入力される視覚情報から、腕を動かす運動指令生成に至る変換過程、つまり座標変換処理を指すものである。}}
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 目と手の協調関係を支える両運動処理系の相互作用において、いかなる情報が、どのように影響を与え合うのであろうか?
 目と手の協調関係を支える両運動処理系の相互作用において、いかなる情報が、どのように影響を与え合うのであろうか?


 腕運動が眼制御系に与える影響を調べるために、眼球運動に腕運動が付随する場合と付随しない場合との間で、視覚目標へのサッカードRTが比較された。その結果、腕運動が付随する場合、サッカードRTが早まること<ref name=Lunenburger2000><pubmed>11069607</pubmed></ref>[13]、サッカードのピーク速度が上昇し、サッカードの運動時間が短くなること<ref name=Snyder2002><pubmed>11976367</pubmed></ref>[14]が示された。これら知見は、腕運動が眼球運動制御系に与える作用は、固定されたサッカードプログラムの開始時刻を変化させるだけでなく、サッカード生成のプログラム自体に変容を与えることを示唆する。
 腕運動が眼制御系に与える影響を調べるために、眼球運動に腕運動が付随する場合と付随しない場合との間で、視覚目標へのサッカード反応時間が比較された。その結果、腕運動が付随する場合、サッカード反応時間が早まること<ref name=Lunenburger2000><pubmed>11069607</pubmed></ref>[13]、サッカードのピーク速度が上昇し、サッカードの運動時間が短くなること<ref name=Snyder2002><pubmed>11976367</pubmed></ref>[14]が示された。これら知見は、腕運動が眼球運動制御系に与える作用は、固定されたサッカードプログラムの開始時刻を変化させるだけでなく、サッカード生成のプログラム自体に変容を与えることを示唆する。


 では、腕運動制御系のいかなる情報が眼球運動制御系に影響を与えたのであろうか。たとえば、腕運動の有無に応じて、運動目標の表現様式が変化したと解釈することもできるし、腕運動指令が直接的に眼制御系に影響を与えた可能性も考えられる。このような観点のもと、Ariffら<ref name=Ariff2002><pubmed>12196595</pubmed></ref>[15]は、視覚フィードバックのない状態で、腕運動遂行中の手先位置を眼で追従する課題を考案した。この場合の眼球運動は、滑らかな追従運動に加えて、補正サッカードが頻繁に観察される。Ariffらは、各補正サッカードの終端位置が、その時刻から約150ms先の時点での腕位置と合致していることを見出した。つまりこの結果は、腕がこれから通過するであろう位置に向かって、予測的な眼球運動が生じていると解釈できる。更に、NanayakkaraとShadmehr<ref name=Nanayakkara2003><pubmed>14665687</pubmed></ref>[16]は、力摂動によって変位する腕位置への眼球運動課題を行った結果、予測的なサッカードが腕ダイナミクスを考慮して生成される点を示した。これら知見は、腕運動制御系のフォワードモデルによって連続的に推定される予測的腕位置情報が、サッカード生成に利用されていることを示唆する。
 では、腕運動制御系のいかなる情報が眼球運動制御系に影響を与えたのであろうか。たとえば、腕運動の有無に応じて、運動目標の表現様式が変化したと解釈することもできるし、腕運動指令が直接的に眼制御系に影響を与えた可能性も考えられる。このような観点のもと、Ariffら<ref name=Ariff2002><pubmed>12196595</pubmed></ref>[15]は、視覚フィードバックのない状態で、腕運動遂行中の手先位置を眼で追従する課題を考案した。この場合の眼球運動は、滑らかな追従運動に加えて、補正サッカードが頻繁に観察される。Ariffらは、各補正サッカードの終端位置が、その時刻から約150ms先の時点での腕位置と合致していることを見出した。つまりこの結果は、腕がこれから通過するであろう位置に向かって、予測的な眼球運動が生じていると解釈できる。更に、NanayakkaraとShadmehr<ref name=Nanayakkara2003><pubmed>14665687</pubmed></ref>[16]は、力摂動によって変位する腕位置への眼球運動課題を行った結果、予測的なサッカードが腕ダイナミクスを考慮して生成される点を示した。これら知見は、腕運動制御系のフォワードモデルによって連続的に推定される予測的腕位置情報が、サッカード生成に利用されていることを示唆する。


 また、NeggersとBekkering<ref name=Neggers2000><pubmed>10669480</pubmed></ref><ref name=Neggers2001><pubmed>11495964</pubmed></ref>[17; 18]は、腕運動から眼制御系に与える影響を、これまでとは異なる課題で検討した。彼らの実験課題では、運動目標を注視しながら腕運動を行っている最中に、新たな場所に呈示される視覚目標への眼球運動が求められた。腕運動については、初期目標位置への運動を継続する。その結果、サッカードRTは非常に遅延し、多くの試行において腕運動が終了するまで新たな眼球運動は生成されないことが明らかになった。目が腕運動目標へ固定されるという観点から、この現象は「アンカー効果」と呼ばれる。
 また、NeggersとBekkering<ref name=Neggers2000><pubmed>10669480</pubmed></ref><ref name=Neggers2001><pubmed>11495964</pubmed></ref>[17; 18]は、腕運動から眼制御系に与える影響を、これまでとは異なる課題で検討した。彼らの実験課題では、運動目標を注視しながら腕運動を行っている最中に、新たな場所に呈示される視覚目標への眼球運動が求められた。腕運動については、初期目標位置への運動を継続する。その結果、サッカード反応時間は非常に遅延し、多くの試行において腕運動が終了するまで新たな眼球運動は生成されないことが明らかになった。目が腕運動目標へ固定されるという観点から、この現象は「アンカー効果」と呼ばれる。


 ここまでの知見をまとめると、眼制御系は腕制御系と密接に関連し、腕の目標位置、推定最終位置、オンライン推定腕位置といった情報を基に、眼球運動生成・抑制の調節を行っていると考えられる。特に腕運動制御の内部モデル(フォワードモデル)を用いた予測的な眼球運動生成は、腕運動にとって有益な情報を取得することにつながる機能的な眼と腕の協調関係と解釈される。
 ここまでの知見をまとめると、眼制御系は腕制御系と密接に関連し、腕の目標位置、推定最終位置、オンライン推定腕位置といった情報を基に、眼球運動生成・抑制の調節を行っていると考えられる。特に腕運動制御の内部モデル(フォワードモデル)を用いた予測的な眼球運動生成は、腕運動にとって有益な情報を取得することにつながる機能的な眼と腕の協調関係と解釈される。
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=== 後頭頂葉 ===
=== 後頭頂葉 ===
 サルでは、ニューロン活動が示す性質から、後頭頂葉を、腕運動に強く関与するParietal reach region(PRR)と、眼球運動(主にサッカード)に強く関与するLateral intraparietal area(LIP)と分けて考えることができる。ムシモールによりPRRを不活性化した場合、両運動のRT相関が弱まることから、目と腕の時間的協調関係にPRRが関与していることが示唆された<ref name=Hwang2014><pubmed>25232123</pubmed></ref>[30]。一方、神経の同期活動に着目した解析により、LIPも両運動の時間的協調関係に関与することが示されている<ref name=Dean2012><pubmed>22365554</pubmed></ref><ref name=Hagan2012><pubmed>22157119</pubmed></ref>[31; 32]。また、より近年の研究によれば、PRRとLIPの連関が、腕運動中に生ずる目への強い抑制効果(前述のgaze-anchoring)と関連することが示唆されている<ref name=Hagan>'''Hagan MA, Pesaran B. (2020).<br>'''Functional inhibition across a visuomotor communication channel coordinates looking and reaching. bioRxiv 2020.06.16.156125. [https://doi.org/10.1101/2020.06.16.156125 DOI]</ref>[33]。また、健常人参加者の後頭頂葉への経頭蓋磁気刺激(TMS)の印加により、目と腕の空間的協調関係が崩れることも報告されている<ref name=VanDonkelaar2000><pubmed>10980038</pubmed></ref>[34]。  
 サルでは、ニューロン活動が示す性質から、後頭頂葉を、腕運動に強く関与するParietal reach region(PRR)と、眼球運動(主にサッカード)に強く関与するLateral intraparietal area(LIP)と分けて考えることができる。ムシモールによりPRRを不活性化した場合、両運動の反応時間相関が弱まることから、目と腕の時間的協調関係にPRRが関与していることが示唆された<ref name=Hwang2014><pubmed>25232123</pubmed></ref>[30]。一方、神経の同期活動に着目した解析により、LIPも両運動の時間的協調関係に関与することが示されている<ref name=Dean2012><pubmed>22365554</pubmed></ref><ref name=Hagan2012><pubmed>22157119</pubmed></ref>[31; 32]。また、より近年の研究によれば、PRRとLIPの連関が、腕運動中に生ずる目への強い抑制効果(前述のgaze-anchoring)と関連することが示唆されている<ref name=Hagan>'''Hagan MA, Pesaran B. (2020).<br>'''Functional inhibition across a visuomotor communication channel coordinates looking and reaching. bioRxiv 2020.06.16.156125. [https://doi.org/10.1101/2020.06.16.156125 DOI]</ref>[33]。また、健常人参加者の後頭頂葉への経頭蓋磁気刺激(TMS)の印加により、目と腕の空間的協調関係が崩れることも報告されている<ref name=VanDonkelaar2000><pubmed>10980038</pubmed></ref>[34]。  


=== 小脳 ===
=== 小脳 ===