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MeCP2タンパク質は細胞内では[[核]]内に強く発現がみられ、特にヘテロクロマチンに豊富に存在することが知られている。最近の報告では、MeCP2が核内ヘテロクロマチンの[[相分離]](特定タンパク質が濃縮された液滴を形成する現象)を促進しており、レット症候群患者でみられるメチル化DNAへの結合能を失った変異ではこの相分離能を喪失することが報告されている<ref name=Li2020><pubmed>32698189</pubmed></ref> (Li CH et al., Nature 586(7829), 440-444, 2020)。 | MeCP2タンパク質は細胞内では[[核]]内に強く発現がみられ、特にヘテロクロマチンに豊富に存在することが知られている。最近の報告では、MeCP2が核内ヘテロクロマチンの[[相分離]](特定タンパク質が濃縮された液滴を形成する現象)を促進しており、レット症候群患者でみられるメチル化DNAへの結合能を失った変異ではこの相分離能を喪失することが報告されている<ref name=Li2020><pubmed>32698189</pubmed></ref> (Li CH et al., Nature 586(7829), 440-444, 2020)。 | ||
一方で、MeCP2は[[YB-1]]や[[Drosha]]複合体などの[[RNA結合タンパク質]]とも相互作用することが報告されており、[[細胞質]]にも存在し機能している<ref name=Young2005><pubmed>16251272</pubmed></ref><ref name=Tsujimura2015><pubmed>26344767</pubmed></ref><ref name=Nakashima2021><pubmed>34010654</pubmed></ref><ref name=Cheng2014><pubmed>24636259</pubmed></ref> (Young JI et al., PNAS 102, 17551-17558, 2005; Tsujimura K et al., Cell Rep 12, 1887-1901, 2015; Nakashima H et al., Cell Rep 35(7), 109124, 2021; Cheng TL et al., Dev Cell 28(5), 547-560, 2014)。 | 一方で、MeCP2は[[Y-box-binding protein 1 ]] ([[YB-1]])や[[microRNAプロセッサー]]である[[Drosha]]複合体などの[[RNA結合タンパク質]]とも相互作用することが報告されており、[[細胞質]]にも存在し機能している<ref name=Young2005><pubmed>16251272</pubmed></ref><ref name=Tsujimura2015><pubmed>26344767</pubmed></ref><ref name=Nakashima2021><pubmed>34010654</pubmed></ref><ref name=Cheng2014><pubmed>24636259</pubmed></ref> (Young JI et al., PNAS 102, 17551-17558, 2005; Tsujimura K et al., Cell Rep 12, 1887-1901, 2015; Nakashima H et al., Cell Rep 35(7), 109124, 2021; Cheng TL et al., Dev Cell 28(5), 547-560, 2014)。 | ||
=== 組織分布 === | === 組織分布 === | ||
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MeCP2はメチル化された遺伝子[[プロモーター]]に結合し標的遺伝子の発現を抑制する[[転写抑制因子]]([[リプレッサー]])として作用すると考えられてきた。MeCP2タンパク質におけるMBDはメチル化されたCpGヌクレオチドに特異的に結合し、このMeCP2のCpGヌクレオチドに対する結合特異性は近接するA/Tリッチな配列に依存する<ref name=Klose2005><pubmed>16137622</pubmed></ref> (Klose RJ et al., Mol Cell 19,667-678, 2005)。TRDはNIDを介して[[HDAC]]や[[mSin3A]]、NCoR-SMRT複合体などのコリプレッサー、[[SWI]]/[[SNF]]クロマチンリモデリング因子、DNAメチル基転移酵素[[Suv39H1]]等をリクルートすることにより転写抑制活性に寄与する<ref name=Nan1998><pubmed>9620804</pubmed></ref><ref name=Harikrishnan2005><pubmed>15696166</pubmed></ref><ref name=Kimura2003><pubmed>12473678</pubmed></ref> (Nan X et al., Nature 393, 386-389, 1998; Harikrishnan KN et al., Nat Genet 37,254-264, 2005; Kimura H&Shiota K J Biol Chem 278, 4806-4812, 2003)。C末端ドメインは[[naked DNA]]や[[ヌクレオソーム]]へのMeCP2の結合を促進することやヌクレオソームの安定性に作用することが示されているが、機能的役割の全貌は明らかになっていない<ref name=Buschdorf2004><pubmed>14618241</pubmed></ref><ref name=Chua2024><pubmed>39164525</pubmed></ref> (Buschdorf JP & Stratling WH J Mol Med (Berl) 82, 135-143, 2004; Chua GNL et al., Nat Struct Mol Biol 31(11), 1789-1797, 2024)。しかし、多くのレット症候群患者においてC末端の欠失がみられること、MeCP2のC末端領域を欠失したモデルマウスは種々のレット症候群にみられる表現型を示すことからMeCP2の正常な機能とその破綻に起因する病態に重要なことは明白である。 | MeCP2はメチル化された遺伝子[[プロモーター]]に結合し標的遺伝子の発現を抑制する[[転写抑制因子]]([[リプレッサー]])として作用すると考えられてきた。MeCP2タンパク質におけるMBDはメチル化されたCpGヌクレオチドに特異的に結合し、このMeCP2のCpGヌクレオチドに対する結合特異性は近接するA/Tリッチな配列に依存する<ref name=Klose2005><pubmed>16137622</pubmed></ref> (Klose RJ et al., Mol Cell 19,667-678, 2005)。TRDはNIDを介して[[HDAC]]や[[mSin3A]]、NCoR-SMRT複合体などのコリプレッサー、[[SWI]]/[[SNF]]クロマチンリモデリング因子、DNAメチル基転移酵素[[Suv39H1]]等をリクルートすることにより転写抑制活性に寄与する<ref name=Nan1998><pubmed>9620804</pubmed></ref><ref name=Harikrishnan2005><pubmed>15696166</pubmed></ref><ref name=Kimura2003><pubmed>12473678</pubmed></ref> (Nan X et al., Nature 393, 386-389, 1998; Harikrishnan KN et al., Nat Genet 37,254-264, 2005; Kimura H&Shiota K J Biol Chem 278, 4806-4812, 2003)。C末端ドメインは[[naked DNA]]や[[ヌクレオソーム]]へのMeCP2の結合を促進することやヌクレオソームの安定性に作用することが示されているが、機能的役割の全貌は明らかになっていない<ref name=Buschdorf2004><pubmed>14618241</pubmed></ref><ref name=Chua2024><pubmed>39164525</pubmed></ref> (Buschdorf JP & Stratling WH J Mol Med (Berl) 82, 135-143, 2004; Chua GNL et al., Nat Struct Mol Biol 31(11), 1789-1797, 2024)。しかし、多くのレット症候群患者においてC末端の欠失がみられること、MeCP2のC末端領域を欠失したモデルマウスは種々のレット症候群にみられる表現型を示すことからMeCP2の正常な機能とその破綻に起因する病態に重要なことは明白である。 | ||
一方、転写抑制因子として作用するだけでなく、極めて多様な機能を有することが明らかになっている。[[転写因子]][[cAMP response element binding protein 1]] ([[CREB1]])と結合し[[転写活性化因子]]としても機能すること<ref name=Chahrour2008><pubmed>18511691</pubmed></ref> (Chahrour M et al., Science 320, 1224-1229, 2008)や、[[クロマチンループ]]構造の形成を介してクロマチン凝集を制御すること<ref name=Horike2005><pubmed>15608638</pubmed></ref> (Horike S et al., Nat Genet 37, 31-40, 2005) | 一方、転写抑制因子として作用するだけでなく、極めて多様な機能を有することが明らかになっている。[[転写因子]][[cAMP response element binding protein 1]] ([[CREB1]])と結合し[[転写活性化因子]]としても機能すること<ref name=Chahrour2008><pubmed>18511691</pubmed></ref> (Chahrour M et al., Science 320, 1224-1229, 2008)や、[[クロマチンループ]]構造の形成を介してクロマチン凝集を制御すること<ref name=Horike2005><pubmed>15608638</pubmed></ref> (Horike S et al., Nat Genet 37, 31-40, 2005)、RNA結合タンパク質であるYB-1と相互作用し、mRNAのスプライシングを調節すること<ref name=Young2005><pubmed>16251272</pubmed></ref> (Young JI et al., PNAS 102, 17551-17558, 2005)、Drosha複合体と相互作用することで[[microRNAプロセシング調節因子]]として作用すること<ref name=Tsujimura2015><pubmed>26344767</pubmed></ref><ref name=Nakashima2021><pubmed>34010654</pubmed></ref><ref name=Cheng2014><pubmed>24636259</pubmed></ref> (Tsujimura K et al., Cell Rep 12, 1887-1901, 2015; Nakashima H et al., Cell Rep 35(7), 109124, 2021; Cheng TL et al., Dev Cell 28(5), 547-560, 2014)が示されている。このようにMeCP2は様々なタンパク質パートナーと状況依存的に相互作用し、非常に多彩な機能を発揮していることが明らかになっている。これまでに40以上の結合タンパク質が同定されている<ref name=Lyst2015><pubmed>25732612</pubmed></ref> (Lyst MJ & Bird A Nat Rev Genet 16, 261-275, 2015)。加えて、MeCP2が[[ヒドロキシメチル化シトシン]]([[5hmC]])にも結合することが示され、レット症候群患者でみられるMECP2変異体R133Cでは5hmCとの結合が減弱することから、この機能の病態への関与も示唆されている<ref name=Mellen2012><pubmed>23260135</pubmed></ref> (Mellen M et al., Cell 151, 1417-1430, 2012)。 | ||
=== MeCP2標的因子 === | === MeCP2標的因子 === | ||
レット症候群の疾患病態はMeCP2により本来抑制されるべき標的遺伝子の異常な発現亢進が原因と考えられてきた。MeCP2機能欠損による標的遺伝子発現異常を調べるために、MeCP2ノックアウトマウスの脳組織を用いた転写プロファイリングが行われたが、予想外に大きな発現変化は検出されず病態に関連するような異常発現遺伝子の同定には至らなかった<ref name=Tudor2002><pubmed>12432090</pubmed></ref> (Tudor M et al., PNAS 99(24), 15536-15541, 2002)。 | レット症候群の疾患病態はMeCP2により本来抑制されるべき標的遺伝子の異常な発現亢進が原因と考えられてきた。MeCP2機能欠損による標的遺伝子発現異常を調べるために、MeCP2ノックアウトマウスの脳組織を用いた転写プロファイリングが行われたが、予想外に大きな発現変化は検出されず病態に関連するような異常発現遺伝子の同定には至らなかった<ref name=Tudor2002><pubmed>12432090</pubmed></ref> (Tudor M et al., PNAS 99(24), 15536-15541, 2002)。 | ||
MeCP2の転写抑制標的として、[[脳由来神経栄養因子]] ([[brain-derived neurotrophic factor]], [[BDNF]]) <ref name=Chen2003><pubmed>14593183</pubmed></ref> (Chen WG et al., Science 302, 885-889, 2003)やFXYD domain containing ion transport regulator (FXYD1) <ref name=Deng2007><pubmed>17309881</pubmed></ref> (Deng V et al., Hum Mol Genet 16, 640-650, 2007)、[[インスリン様成長因子結合タンパク質3]] ([[insulin like growth factor binding protein]], [[IGFBP3]]) <ref name=Itoh2007><pubmed>17278996</pubmed></ref> (Itoh M et al., J Neuropathol Exp Neurol 66, 117-123, 2007) | MeCP2の転写抑制標的として、[[脳由来神経栄養因子]] ([[brain-derived neurotrophic factor]], [[BDNF]]) <ref name=Chen2003><pubmed>14593183</pubmed></ref> (Chen WG et al., Science 302, 885-889, 2003)やFXYD domain containing ion transport regulator (FXYD1) <ref name=Deng2007><pubmed>17309881</pubmed></ref> (Deng V et al., Hum Mol Genet 16, 640-650, 2007)、[[インスリン様成長因子結合タンパク質3]] ([[insulin like growth factor binding protein]], [[IGFBP3]]) <ref name=Itoh2007><pubmed>17278996</pubmed></ref> (Itoh M et al., J Neuropathol Exp Neurol 66, 117-123, 2007)遺伝子などが同定されている。BDNFはMeCP2の下流標的遺伝子であることが複数の研究により報告されているが、MeCP2ノックアウトマウスにおいて発現量の減少がみられること<ref name=Chang2006><pubmed>16446138</pubmed></ref> (Chang Q et al., Neuron 49, 341-348, 2006)から転写活性化の標的になっていることや間接的に影響を受けている可能性があり、MeCP2によってどのように発現が調節されているのか、病態にどのような寄与をしているのかは依然として不明瞭である。 | ||
CREBを介したMeCP2の転写活性化因子としての標的は、[[ソマトスタチン]]や[[G protein regulated inducer of neurite outgrowth 1]] ([[Gprin1]])などが報告されている<ref name=Chahrour2008><pubmed>18511691</pubmed></ref> (Chahrour M et al., Science 320, 1224-1229, 2008)。MeCP2のスプライシング調節因子としての標的は[[NMDA型グルタミン酸受容体]][[NR1]]サブユニットなどが挙げられる<ref name=Young2005><pubmed>16251272</pubmed></ref> (Young JI et al., PNAS 102, 17551-17558, 2005)。 | CREBを介したMeCP2の転写活性化因子としての標的は、[[ソマトスタチン]]や[[G protein regulated inducer of neurite outgrowth 1]] ([[Gprin1]])などが報告されている<ref name=Chahrour2008><pubmed>18511691</pubmed></ref> (Chahrour M et al., Science 320, 1224-1229, 2008)。MeCP2のスプライシング調節因子としての標的は[[NMDA型グルタミン酸受容体]][[NR1]]サブユニットなどが挙げられる<ref name=Young2005><pubmed>16251272</pubmed></ref> (Young JI et al., PNAS 102, 17551-17558, 2005)。 | ||
miRNAプロセシング調節因子の標的は、MeCP2-Drosha複合体の標的として[[miR-199a]]が同定されており、miR- | miRNAプロセシング調節因子の標的は、MeCP2-Drosha複合体の標的として[[miR-199a]]が同定されており、miR-199aノックアウトマウスはMecp2ノックアウトマウスにみられる体重減少や短寿命などの表現型を模倣する<ref name=Tsujimura2015><pubmed>26344767</pubmed></ref> (Tsujimura et al., Cell Rep 2015)。さらに、このmiR-199aは下流の[[骨形成因子]] ([[bone morphogenetic protein]], [[BMP]]シグナル因子[[Smad-1]]の発現抑制を介してMeCP2の神経幹細胞分化制御作用を媒介し、miR-199aの発現やBMPシグナル阻害剤処理はレット症候群患者[[iPS細胞]]由来神経幹細胞の分化や[[オルガノイド]]発達の異常を改善する<ref name=Nakashima2021><pubmed>34010654</pubmed></ref> (Nakashima H et al., Cell Rep 2021)。 | ||
== 疾患との関わり == | == 疾患との関わり == | ||
MECP2遺伝子の変異はレット症候群を、MECP2遺伝子の重複はMECP2重複症候群を引き起こす。さらに、MECP2の変異は種々の精神・神経疾患患者に認められ、広範な疾患の病態に寄与する。 | |||
=== レット症候群 === | === レット症候群 === | ||
主に女児にみられる進行性の重篤な神経発達症である。X連鎖優性遺伝病で10,000〜15,000人に一人の頻度で発症する。生後6〜18ヶ月程度までは正常に発達するが、その後それまでに獲得された言語能力や運動機能の退行がみられる。患者は自閉傾向や[[てんかん]]、手もみ動作に代表される[[常同行動]]や[[精神遅滞]]、[[小頭症]]などの種々の神経学的症状を示す。神経系以外の症状としては、全身の成長遅延や骨形成不全などの特徴がみられる<ref name=Rett1966>'''Rett A., (1966)'''<br>Wien Med Wochenschr 116(37), 723-726,</ref><ref name=Hagberg1983><pubmed>6638958</pubmed></ref> (Rett A Wien Med Wochenschr 116, 723-726, 1966; Hagberg B et al., Ann Neurol 14, 471-479, 1983)。 | |||
95% | 95%以上の古典的レット症候群症例にMECP2遺伝子の変異が認められる。変異のタイプは[[ミスセンス]]や[[ナンセンス]]、[[フレームシフト]]型など、300以上のヌクレオチド置換が報告されているが、特にT158M、R306C、R168X、R255X、R270Xの8つの変異が〜70%を占めることが示されている<ref name=Christodoulou2003><pubmed>12673788</pubmed></ref><ref name=Chahrour2007><pubmed>17988628</pubmed></ref> (Christodoulou J et al., Hum Mutat 21, 466-472, 2003; Chahrour M & Zoghbi HY Neuron, 56, 422-437, 2007)。 | ||
MECP2の個体における機能と疾患病態を理解するために様々なモデルマウスが作製されてきた。最初に、Birdらと[[wj:ルドルフ・イエーニッシュ|Jaenish]]らそれぞれの独立したグループにより、エクソン3あるいはエクソン3と4を全身で欠失したMeCP2ノックアウト(MeCP2<sup>-/y</sup>)マウスが作製された(<ref name=Chen2001><pubmed>11242118</pubmed></ref><ref name=Guy2001><pubmed>11242117</pubmed></ref>Chen RZ et al., Nat Genet 27(3), 327-331, 2001; Guy J et al., Nat Genet 27(3), 322-326, 2001)。これらのレット症候群モデルマウスはレット症候群患者の症状を模倣した表現型を示す。3-6週齢までは一見正常な発達がみられるが、それ以降には低活動性や振戦、歩行失調、イレギュラーな呼吸などの中枢性症状を示すようになり8-10週齢までにほとんどの個体が死亡する。脳は、患者の脳と同様に全体的な脳体積が小さく、個々のニューロンの[[細胞体]]も小さい。また、海馬を含めた脳の種々の領域においてニューロンが密に配置されるという組織学的な特徴を示す。一方で、脳全体の顕著な構造的異常は確認されない。MeCP2ヘテロ(MeCP2<sup>+/-</sup>)雌マウスは患者と同様に全組織中においてX染色体のランダムな不活性化により正常MeCP2を発現する細胞とMeCP2を欠失した細胞が混在しておりレット症候群様の行動異常を示すが、全ての細胞でMeCP2を欠失しているMeCP2<sup>-/y</sup>雄よりも遅い時期に表現型が観察されるようになる。さらに[[ネスチン]]-Creドライバーを用いて作製された中枢神経系特異的MeCP2欠損マウスは全身性のMeCP2<sup>-/y</sup>マウスと類似した表現型がみられることから、脳・神経系におけるMeCP2の欠損はレット症候群の病態を引き起こすのに十分であることが証明されている。加えて、[[Ca2+/カルモジュリン依存性タンパク質キナーゼII|Ca<sup>2+</sup>/カルモジュリン依存性タンパク質キナーゼII]] ([[Ca2+-calmodulin-dependent protein kinase II|Ca<sup>2+</sup>-calmodulin-dependent protein kinase II]], [[CaMKII]])-[[Cre]]ドライバーを用いて作製された最終分裂後のニューロンに特異的なMeCP2欠損マウスにおいても時期は遅延するものの類似の表現型がみられることから成熟ニューロン機能におけるMeCP2の重要性が確認されている(<ref name=Chen2001><pubmed>11242118</pubmed></ref>Chen RZ et al., Nat Genet 27(3), 327-331, 2001; <ref name=Gemelli2006><pubmed>16199017</pubmed></ref>Gemelli T et al., Bio Psychiatry 59(5), 468-476, 2006)。特筆すべきことに、MeCP2欠失マウスにおいて神経系細胞およびニューロンにMeCP2を再発現させると、上述のMeCP2欠失マウスの表現型が改善されることが示されている(<ref name=Guy2001><pubmed>11242117</pubmed></ref><ref name=Giacometti2007><pubmed>17267601</pubmed></ref>Guy J et al., Science 315(5815), 1143-1147, 2007; Giacometti E et al., PNAS 104(6), 1931-1936, 2007)。これらの結果は進行性の重篤な神経疾患を治療することが可能であることを示唆する臨床的にも重要な知見である。 | |||
患者の神経生理学的研究から、レット症候群脳の皮質において異常な[[体性感覚]]誘発電位や[[脳波]]などの興奮性の変質が報告されている(<ref name=Moser2007><pubmed>17275660</pubmed></ref>Moser SJ, Weber P, & Lutschg J Pediatr Neurol 36, 95-100, 2007)。MeCP2<sup>-/y</sup>マウスやMeCP2<sup>308/y</sup>マウス(308番目のアミノ酸からC末端が欠失した短縮型変異体)の皮質スライスでは、[[長期増強]]([[long-term potentiation]], [[LTP]])の減少がみられること(<ref name=Asaka2006><pubmed>16087343</pubmed></ref>Asaka Y et al., Neurobiol Dis 21, 217-227, 2006)、MeCP2<sup>-/y</sup>マウスの皮質においては興奮性シナプス伝達の減少と抑制性シナプス伝達の上昇が示されている(<ref name=Dani2005><pubmed>16116096</pubmed></ref>Dani VS et al., PNAS 102, 12560-12565, 2005)。また、MeCP2-/yマウス由来の培養海馬ニューロンは自発的な興奮性シナプス伝達の頻度の減少と興奮性シナプス密度の減少を示すことが報告されている(<ref name=Nelson2006><pubmed>16581518</pubmed></ref><ref name=Chao2007><pubmed>17920015</pubmed></ref>Nelson ED et al., Curr Biol 16, 710-716, 2006; Chao HT et al., Neuron 56(1), 58-65, 2007)。これらの報告から、MeCP2は主に興奮性シナプス伝達と抑制性シナプス伝達のバランス制御に重要な役割を果たしていることが示唆される。 | |||
様々な脳領域や細胞種特異的にMecp2を欠損させたコンディショナルノックアウトマウスが作製され、種々の脳部位および神経サブタイプ機能におけるMeCP2の機能が個体レベルで明らかにされてきている。[[扁桃体]]特異的コンディショナルノックアウトマウスは、不安様行動の増加と恐怖学習の低下がみられる(<ref name=Adachi2009><pubmed>19339616</pubmed></ref>Adachi M et al., J Neurosci 29(13), 4218-4227, 2009)。[[視床下部]]特異的コンディショナルノックアウトマウスは、不安様行動の増加や、[[攻撃性]]の上昇、[[食欲]]過剰、[[肥満]]を示す(<ref name=Fyffe2008><pubmed>18817733</pubmed></ref>Fyffe SL et al., 59(6), 947-958,2008)。[[チロシン水酸化酵素]] ([[tyrosine hydroxylase]], [[TH]])発現[[ドーパミン]]および[[ノルアドレナリン]]ニューロン特異コンディショナルノックアウトマウスにおいては、ドーパミンおよびノルアドレナリン量の減少と運動機能障害がみられる(<ref name=Samaco2009><pubmed>20007372</pubmed></ref>Samaco RC et al., PNAS 106, 21966-21971, 2009)。[[PC12 ETS factor 1]] ([[PET1]])発現[[セロトニン]]ニューロン特異的にMecp2を欠損したマウスは、セロトニン量の減少と攻撃性の上昇を示す(<ref name=Samaco2009><pubmed>20007372</pubmed></ref>Samaco RC et al., PNAS 106, 21966-21971, 2009)。広範な抑制性ニューロンにおけるMecp2の欠損は、短命や呼吸障害、運動機能障害、反復行動、低活動、異常な社会性の上昇、感覚運動遮断の異常、学習障害などレット症候群様の多くの表現型を示す(<ref name=Chao2010><pubmed>21068835</pubmed></ref>Chao HT et al., Nature 468(7321), 263-9,2010)。 | |||
一方で、前脳の抑制性ニューロンにおけるMecp2の欠損は、運動機能障害、反復行動、低活動、異常な社会性の上昇、感覚運動遮断の異常、学習障害などいくつかのレット症候群様表現型を示すことが明らかにされている(<ref name=Chao2010><pubmed>21068835</pubmed></ref>Chao HT et al., Nature 468(7321), 263-9,2010) | 一方で、前脳の抑制性ニューロンにおけるMecp2の欠損は、運動機能障害、反復行動、低活動、異常な社会性の上昇、感覚運動遮断の異常、学習障害などいくつかのレット症候群様表現型を示すことが明らかにされている(<ref name=Chao2010><pubmed>21068835</pubmed></ref>Chao HT et al., Nature 468(7321), 263-9,2010)。[[抑制性ニューロン]]サブタイプにおけるMeCP2の機能についても研究が行われており、[[パルアルブミン]]発現抑制性ニューロン特異的にMecp2を欠損したマウスでは運動機能や感覚情報処理、学習、社会性の異常がみられ、[[ソマトスタチン]]発現抑制性ニューロン特異的にMecp2を欠損したマウスにおいてはてんかんや常同運動がみられることが示されている(<ref name=ItoIshida2015><pubmed>26590342</pubmed></ref>Ito-Ishida A et al., Neuron 88(4), 651-8, 2015)。 | ||
実際のレット症候群患者にみられる高頻度にみられるC末端欠失型ナンセンス変異体を模倣したMeCP2<sup>R168X/y</sup>マウス、MeCP2<sup>R255X/y</sup>マウス、MeCP2<sup>308/y</sup>マウスは、運動機能低下、低活動、社会行動低下、不安様行動などのレット症候群患者でみられる多くの表現型を示す(<ref name=Wegener2014><pubmed>25541993</pubmed></ref><ref name=Pitcher2015><pubmed>25634563</pubmed></ref><ref name=Shahbazian2002><pubmed>12160743</pubmed></ref>Wegener E et al., PLoS One 9(12), e115444, 2014; Pitcher MR et al., Hum Mol Genet 24(9), 2662-72, 2015; Shahbazian M et al., Neuron 35(2), 243-54, 2002)。点変異型ミスセンス変異を模倣したモデルマウスも作製されており部分的なレット症候群表現型を示す(<ref name=Goffin2011><pubmed>22119903</pubmed></ref>Goffin D et al., Nat Neurosci 15, 274-283, 2011)。興味深いことに、Mecp2のN末端とC末端を欠失したMBDとNIDを含む短いMeCP2(正常タンパク質のおよそ半分の長さ)を発現するマウスはほぼ正常に近い表現型を示し、Mecp2欠損マウスにこの短いMeCP2を導入することにより表現型の改善がみられることも報告されている(<ref name=Tillotson2017><pubmed>29019980</pubmed></ref>Tillotson R et al., Nature 550(7676), 398-401, 2017)。 | |||
またレット症候群やMECP2重複症候群の[[霊長類]]モデルが作製されており(<ref name=Chen2017><pubmed>28525759</pubmed></ref><ref name=Cai2020><pubmed>32269107</pubmed></ref>Chen Y et al., Cell 169(5), 945-955, e10, 2017; Cai DC et al., J Neurosci 40(19), 3799-3814, 2020)、今後は霊長類モデルを用いた研究によりMECP2機能異常に起因するヒト疾患病態のさらなる理解や治療法開発が期待される。 | |||
=== MECP2重複症候群 === | === MECP2重複症候群 === | ||
MECP2重複症候群はX染色体上にあるMECP2遺伝子を含む領域の重複により引き起こされ、男児に発症する。出生男児10万人に一人の頻度で発症することが報告されている(<ref name=GiudiceNairn2019><pubmed>30756435</pubmed></ref>Giudice-Nairn P et al., J Paediatr Child Health 55(11), 1315-1322, 2019) | MECP2重複症候群はX染色体上にあるMECP2遺伝子を含む領域の重複により引き起こされ、男児に発症する。出生男児10万人に一人の頻度で発症することが報告されている(<ref name=GiudiceNairn2019><pubmed>30756435</pubmed></ref>Giudice-Nairn P et al., J Paediatr Child Health 55(11), 1315-1322, 2019)。同じアレル上で重複することが多くみられるが[[転座]]例も報告されている。重度の知的障害、運動発達障害、自閉的行動特性、筋緊張低下、反復性の[[感染症]]、薬剤抵抗性のてんかんを特徴とする。ほとんどの患者でてんかんが認められ、種々の異常脳波が神経生理学的な異常として報告されている(<ref name=Lorenzo2021><pubmed>34486423</pubmed></ref><ref name=Cani2022><pubmed>35520952</pubmed></ref>Lorenzo J et al., J Child Neurol 36(12), 1086-1094, 2021; Cani I et al., Epilepsy Behav Rep 19, 100541, 2022)。 | ||
ヒトMECP2遺伝子をゲノムに挿入しMeCP2を正常量より多く発現するMECP2重複症候群モデルマウスも作製されており、MECP2重複患者にみられるような異常脳波などの神経生理学的表現型の一部を模倣することが報告されている(<ref name=Collins2004><pubmed>15351775</pubmed></ref>Collins AL et al., Hum Mol Genet 13(21), 2679-89, 2004)。 | ヒトMECP2遺伝子をゲノムに挿入しMeCP2を正常量より多く発現するMECP2重複症候群モデルマウスも作製されており、MECP2重複患者にみられるような異常脳波などの神経生理学的表現型の一部を模倣することが報告されている(<ref name=Collins2004><pubmed>15351775</pubmed></ref>Collins AL et al., Hum Mol Genet 13(21), 2679-89, 2004)。 | ||
治療薬としては、過剰なMeCP2の発現を抑制するようにデザインされた[[アンチセンスオリゴヌクレオチド]]([[ASO]])がMECP2重複モデルマウスの表現型を改善することが示され(<ref name=Shao2021><pubmed>33658357</pubmed></ref><ref name=Sztainberg2015><pubmed>26605526</pubmed></ref>Shao Y et al., Sci Transl Med 13(583), eaaz7785, 2021; Sztainberg Y et al., Nature 528(7580), 2015)、それらの結果を基に現在臨床第1/2相試験が実施されている(ClinicalTrial.gov identifier: NCT06430385)。 | |||
=== その他の疾患との関連 === | === その他の疾患との関連 === | ||
MECP2遺伝子の異常はレット症候群やMECP2重複症候群だけでなく、種々の精神・神経疾患患者にも認められる。これまでに、患者のゲノム解析によりMECP2遺伝子の異常が自閉スペクトラム症(Autism spectrum disorder: ASD) | MECP2遺伝子の異常はレット症候群やMECP2重複症候群だけでなく、種々の精神・神経疾患患者にも認められる。これまでに、患者のゲノム解析によりMECP2遺伝子の異常が自閉スペクトラム症(Autism spectrum disorder: ASD)、[[学習障害]] (Intellectual disability: ID)、[[統合失調症]]、[[双極性障害]]など多様な疾患の発症に寄与することが示されている(<ref name=Chahrour2007><pubmed>17988628</pubmed></ref><ref name=Wen2017><pubmed>28785396</pubmed></ref>Chahrour M & Zoghbi HY Neuron, 56(3), 422-437, 2007; Wen Z et al., Mol Autism 8, 43, 2017; Cohen D et al., Am J Psychiatry 159(1), 148-149, 2002)。今後、精神・神経疾患患者の[[全ゲノムシークエンス]] ([[Whole Genome Sequencing]]: WGS)の普及が進むことによりMECP2遺伝子異常と広範な疾患病態とのさらなる関連の解明が期待される。 | ||
== 関連語 == | == 関連語 == | ||
* [[エピジェネティクス]] | |||
* [[遺伝子発現制御]] | |||
* [[DNAメチル化]] | |||
* [[発達障害]] | |||
* [[レット症候群]] | |||
* [[MECP2重複症候群]] | |||
* [[自閉スペクトラム症]] | |||
* [[学習障害]] | |||
* [[統合失調症]] | |||
* [[双極性障害]] | |||
* [[精神疾患]] | |||
* [[認知機能障害]] | |||