「ミトコンドリア」の版間の差分

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壷井將史、杜羽丹、平林祐介
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<font size="+1">[https://researchmap.jp/m_tsuboi 壷井 將史]、杜 羽丹、[https://researchmap.jp/yuusukehirabayashi 平林 祐介]</font><br>
{{box|text= }}
''東京大学大学院 工学系研究科''<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2025年6月18日 原稿完成日:2025年12月14日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0192882 古屋敷 智之](東京科学大学大学院 医歯学総合研究科 薬理学分野)<br>
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英語名:mitochondrion (複数形:mitochondria)、独:Mitochondrion (複数形:Mitochondrien) 仏:mitochondrie (複数形:mitochondries)
 
{{box|text= 脳のミトコンドリアは、神経細胞が必要とする膨大なエネルギーを供給する中心的な細胞内小器官であり、ATP産生を通じて興奮性シグナル伝達やシナプス可塑性など、多くの神経機能を支えている。脳では糖代謝が主要なエネルギー源とされるが、ミトコンドリアは乳酸、ケトン体、脂肪酸など多様な基質を柔軟に利用でき、特に活動の激しいシナプスや樹状突起に局在することで局所的なエネルギー需要に即応している。また、ミトコンドリアはカルシウムの緩衝・調節を通じて神経細胞の興奮性を制御し、神経伝達物質放出や長期増強(LTP)などの可塑性機構に直接影響を与える。さらに、活性酸素種(ROS)の産生と解毒、細胞死シグナルの統合、分裂と融合を繰り返す動態(ミトコンドリアダイナミクス)、および軸索・樹状突起内での輸送など、神経細胞の恒常性維持に不可欠な多彩な機能を担う。こうした過程が障害されると、シナプスの形態異常や代謝低下、カルシウム破綻が生じ、アルツハイマー病やパーキンソン病をはじめとする神経変性疾患や老化に伴う認知機能低下と密接に関連することが知られている。}}


==ミトコンドリアとは==
==ミトコンドリアとは==
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== 機能 ==
== 機能 ==
=== シナプス前部のミトコンドリア ===
=== シナプス前部===
 マウス大脳のグルタミン酸作動性ニューロンでは、軸索に存在するミトコンドリアのうち半分程度はシナプス前部に局在する。一方で全てのシナプス前終末にミトコンドリアが局在するわけではなく、およそ50%のシナプス前終末にミトコンドリアが局在している。シナプス前終末におけるミトコンドリア繋留メカニズムとして様々なシグナル経路やタンパク質が同定されているが、ミトコンドリア局在と非局在のシナプス前終末がどのようなメカニズムで作られるのかは未だ明らかでない。
 マウス大脳のグルタミン酸作動性ニューロンでは、軸索に存在するミトコンドリアのうち半分程度はシナプス前部に局在する。一方で全てのシナプス前終末にミトコンドリアが局在するわけではなく、およそ50%のシナプス前終末にミトコンドリアが局在している。シナプス前終末におけるミトコンドリア繋留メカニズムとして様々なシグナル経路やタンパク質が同定されているが、ミトコンドリア局在と非局在のシナプス前終末がどのようなメカニズムで作られるのかは未だ明らかでない。


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[[ファイル:Hirabayashi mitochondria Fig5.png|サムネイル|'''図5. シナプス後部における機能'''<br>大脳皮質グルタミン酸作動性ニューロンのシナプス後部において、ミトコンドリアは細長いチューブ状の構造を示す。神経活動やシナプスの長期増強によりDynamin-related protein 1 (Drp1) に依存したミトコンドリアの分裂が促進する。これら形態変化は、ミトコンドリアによるATP産生を促進すると考えられており、樹状突起ミトコンドリアのATP産生はスパインの構造的可塑性誘導に必要であることが示唆されている。また、樹状突起ミトコンドリアは、小胞体との接触 (Mitochondria-ER contact sites; MERCS) を介して小胞体から放出されるカルシウムイオンを取り込む。MERCS形成を阻害すると細胞質のカルシウムイオン濃度が上昇することから、ミトコンドリアによるカルシウムイオン取り込みは、細胞質カルシウム濃度の調節に寄与する。]]
[[ファイル:Hirabayashi mitochondria Fig5.png|サムネイル|'''図5. シナプス後部における機能'''<br>大脳皮質グルタミン酸作動性ニューロンのシナプス後部において、ミトコンドリアは細長いチューブ状の構造を示す。神経活動やシナプスの長期増強によりDynamin-related protein 1 (Drp1) に依存したミトコンドリアの分裂が促進する。これら形態変化は、ミトコンドリアによるATP産生を促進すると考えられており、樹状突起ミトコンドリアのATP産生はスパインの構造的可塑性誘導に必要であることが示唆されている。また、樹状突起ミトコンドリアは、小胞体との接触 (Mitochondria-ER contact sites; MERCS) を介して小胞体から放出されるカルシウムイオンを取り込む。MERCS形成を阻害すると細胞質のカルシウムイオン濃度が上昇することから、ミトコンドリアによるカルシウムイオン取り込みは、細胞質カルシウム濃度の調節に寄与する。]]


=== シナプス後部のミトコンドリア ===
=== シナプス後部===
 樹状突起においても、ニューロンの発達に伴ってミトコンドリアの運動性が徐々に低下することが観察されている<ref name=Faits2016><pubmed>26742087</pubmed></ref><ref name=Macaskill2009><pubmed>19249275</pubmed></ref>47,48。このミトコンドリア運動性の制御は樹状突起の発達に重要であると考えられ、実際に、発達期のマウス大脳皮質興奮性ニューロンにおいてミトコンドリアの運動性を人為的に変え、細胞体から近位の領域にミトコンドリアを留めると樹状突起の発達が過剰になる<ref name=Kimura2014><pubmed>24828647</pubmed></ref>49。
 樹状突起においても、ニューロンの発達に伴ってミトコンドリアの運動性が徐々に低下することが観察されている<ref name=Faits2016><pubmed>26742087</pubmed></ref><ref name=Macaskill2009><pubmed>19249275</pubmed></ref>47,48。このミトコンドリア運動性の制御は樹状突起の発達に重要であると考えられ、実際に、発達期のマウス大脳皮質興奮性ニューロンにおいてミトコンドリアの運動性を人為的に変え、細胞体から近位の領域にミトコンドリアを留めると樹状突起の発達が過剰になる<ref name=Kimura2014><pubmed>24828647</pubmed></ref>49。