エンハンサー
英:enhancer
エンハンサーとは、遺伝子の転写量を増加させる作用をもつDNA領域のことをいう。多くの場合、転写制御因子が結合する。プロモーターからの距離や位置、方向に関係なく働く[1][2][3]。サイレンサー(遺伝子の転写を抑制するDNA領域)とともに、細胞や時期特異的な遺伝子などの発現調節で重要な役割を果たす。
構造と機能
1981年、アカゲザルのポリオーマウイルスSV40の初期遺伝子の上流に位置する72塩基対の反復配列を欠失させると、初期遺伝子の転写量が著しく低下することが見出された。また、この配列を異種の遺伝子と連結すると、その遺伝子の転写量が増加することも見出され、そのような性質をもつ配列をエンハンサーと呼ぶようになった[4][5]。その後、1983年に、マウス免疫グロブリン遺伝子においてもエンハンサーが報告され[6][7]、様々なウイルスおよび真核生物の遺伝子においてもエンハンサーが同定されている。
エンハンサーは、イントロンなどの非翻訳領域に存在することが多い。多くの遺伝子には、複数のエンハンサーが存在し、時期特異的な遺伝子発現や位置特異的な発現が別々のエンハンサーで制御される。エンハンサーには転写制御因子の結合する配列が1個以上存在し、結合する転写制御因子の多様性と組み合わせにより遺伝子の発現が制御される。
最近、染色体免疫沈降法(Chromatin Immuno-Precipitation, ChIP)とDNAチップによる検出を組み合わせた方法(ChIP-chip法)や、染色体免疫沈降法と次世代シークエンサーを組み合わせた方法(ChIP-Seq法)などの技術革新により、網羅的なエンハンサー解析が進んでいる[1][2][3]。
作用機序
一般的に、エンハンサーには1個から複数個の転写制御因子(多くの場合、転写活性化因子)が結合し、プロモーターには転写基本因子(TFIIDなど)が結合する。転写活性化因子および転写基本因子の双方に、メディエーター(mediator)と呼ばれる約30のサブユニットからなるタンパク質複合体が結合する。その結果、DNAはループを形成して、エンハンサーとプロモーターは近づく形となる。RNAポリメラーゼIIは、転写基本因子、メディエーターならびにプロモーターに安定して結合できるようになり、転写の開始する頻度が上昇すると考えられる[8][9][10]。エンハンサーは、プロモーターからの距離が離れていても作用し、3Mbp離れていても機能することがある。上記のループ構造がどのようにして転写を促進するのかについて完全には解明されていない。細胞核の中では、さかんに転写が起きている領域とそうではない領域が存在し、ループ構造が形成されると、その細胞核内の転写が起きている領域へエンハンサーとプロモーターのペアが移動し、転写が開始されるのではないかという可能性も考えられている。いずれにしろ、転写の活性化にはループ構造の重要性が示唆されている。
なお、エンハンサーとそれに結合した複数の転写制御因子から成る複雑な構造体を、enhanceosomeと呼ぶこともある[11]。
また、多くの場合、エンハンサーに結合した転写制御因子には、ヒストンアセチルトランスフェラーゼ(histone acetyltransferase; HAT)やクロマチン再構成複合体(chromatin remodeling complex)が結合する。 HATとクロマチン再構成複合体は、エンハンサーおよびプロモーター周辺のクロマチンの状態を変更する。HATのうち、CBPおよびp300は、エンハンサーおよびプロモーターにおけるコアヒストンのN末端をアセチル化する[12][13]。アセチル基は負の電荷を持つため、ヒストンの正の電荷を打ち消してヒストンとDNAの間の結合を弱めると考えられる。アセチル化されたヒストンは、クロマチン再構成複合体が結合する足場となることがある[14]。クロマチン再構成複合体は、ATP依存的にヌクレオソームの配置を変更したり、崩壊させる[15][16]。クロマチンの状態が変更されると、一般的に、より多くの転写制御因子がエンハンサーに結合しやすくなったり、転写基本因子とメディエーターならびにRNAポリメラーゼIIがプロモーター上で集合しやすくなって、転写が促進される。
エンハンサーは、ヒストンの種類または翻訳後修飾に関して、他の領域と異なる特徴を持つ。エンハンサーでは、ヒストンH3の4番目のリジンがモノメチル化またはジメチル化されている(H3K4me1/ H3K4me2)[17]。さらに、H3.3やH2A.Zと呼ばれるヒストンを含むヌクレオソームが存在する[18]。このヌクレオソームは、通常のヌクレオソームより不安定な性質を持つため解体されやすく、転写制御因子がこのヌクレオソームに置き換わってDNAに結合しやすくなると考えられている。ヒストンH3.3やH2A.Zを含むヌクレオソームは、プロモーターにも存在するが、ヒストンH3の4番目のリジンはトリメチル化されている(H3K4me3)。
転写の活性化の状態によって、エンハンサーにおけるヒストンの翻訳後修飾が異なる例が報告されている。ヒトES細胞を例にとると、転写が活性化されている遺伝子のエンハンサーでは、ヒストンH3の27番目のリジンがアセチル化されているが(H3K27ac)、転写がおきていない遺伝子のエンハンサーでは、メチル化されている(H3K27me3)[19]。このES細胞を分化させた時、新たに転写が活性化される遺伝子のエンハンサーでは、メチル化されていたヒストンがアセチル化される(H3K27me3 → H3K27ac)。逆に、分化した後に転写が抑制される遺伝子のエンハンサーでは、アセチル化されていたヒストンがメチル化される(H3K27ac → H3K27me3)。他の系においても、様々なヒストンの翻訳後修飾がみつかっており、遺伝子発現制御との関係が調べられている[3]。一般的に、転写の活性化の状態に関わらず、H3K4me1/ H3K4me2はエンハンサー領域にみられる特徴であり、活性化しているエンハンサーではp300の結合と、ヒストンのアセチル化がみられる。
最近になって、enhancer RNA (eRNA)とよばれるRNAがエンハンサーにおいて双方向に転写されて産生されることが見いだされた[20]。eRNAはタンパク質をコードせず、ポリアデニル化されない。転写制御因子p53が結合するエンハンサーの中には、その転写活性化能がeRNAに依存的なものがある[21]。しかし、eRNAが一般的にエンハンサーの機能に関与しているかどうかはまだよくわかっていない。一方、100塩基長以上の長さを持つノンコーディングRNA(lncRNA)が転写を調節する場合がある[22]。このlncRNAのほとんどは、一方向に転写されることにより産生され、ポリアデニル化される。このlncRNAのうち、ncRNA-a7と呼ばれるlncRNAをsiRNA法で阻害すると、近傍の遺伝子の転写が抑制される。ncRNA-a7遺伝子をリポーター遺伝子と連結すると、ncRNA-a7遺伝子の方向に関係なくリポーター遺伝子の転写が誘導される。このlncRNAが転写を活性化する詳しいメカニズムはまだよくわかっていないが、siRNA法で阻害すると転写が抑制されることから、ncRNA-a7自身が転写の活性化に必要である。ENCODEプロジェクトによると、これまで「junk DNA」であると考えられてきたヒトゲノムの領域から、9640のlncRNAが転写されることがわかった[23]。これらのlncRNAもまた、ncRNA-a7と同様に遺伝子の発現を制御している可能性がある。eRNAおよびlncRNAの詳しい作用機序については、現時点では不明な点が多く、さらに調べる必要があると思われる。
神経系におけるエンハンサー
Nestinのエンハンサー
中間径フィラメントの一つであるNestinは、神経幹細胞などで特異的に発現し、分化するとその発現は消失する。トランスジェニックマウスを用いた解析により、Nestin遺伝子の第2イントロン内に神経幹細胞での発現を誘導するエンハンサーが存在することが明らかとなっている[24]。このエンハンサーには、POUファミリーおよびSOXファミリーの転写制御因子の結合する配列が存在する[25][26]。Brn2とSox2は、それぞれPOUファミリーとSOXファミリーに属する転写制御因子であるが、神経幹細胞で発現し、第2イントロン内のエンハンサーに結合してNestinの発現を誘導する[25]。さらにBrn2は、細胞周期のG2期からM期にリン酸化され、エンハンサーに結合しにくくなるため、Nestinの発現が減少する[27]。G1期からS期ではBrn2が脱リン酸化され、エンハンサーに結合して、Nestinの発現が増加する。このように、Nestinの発現は細胞周期の進行に伴い変動する。
Nestinは神経幹細胞のよいマーカーであり、そのエンハンサーは神経幹細胞において遺伝子を発現させるのによく用いられている。蛍光タンパク質の遺伝子をNestinのエンハンサーによって発現させたトランスジェニックマウスが作成されており、このマウス由来の神経組織を用いて、セルソーターにより神経幹細胞を効率よく分離することもできる[27][28][29]。
Mbh1のエンハンサー
動物では、千種類以上の様々な個性を持つ神経細胞が正しく分化し、それらが役割分担しながら情報処理を行っている。プロニューラル因子と呼ばれる転写制御因子は、神経細胞の分化を開始させるスイッチとして働く[30]。プロニューラル因子が直接制御する遺伝子は長らく不明であったが、転写制御因子Mbh1(Mammalian Bar-class homeobox 1)がプロニューラル因子の一つであるAtoh1(Math1)(Mammalian atonal homolog 1)によって直接制御されることが見出された[31]。Mbh1は胎生期の脊髄交連神経細胞で発現しており、in vivo electroporation法によって強制発現させると脊髄背側の細胞を交連神経細胞へ運命転換させる[32]。Mbh1遺伝子の3’側にはエンハンサーが存在し、その中のE-box(CAGCTG)にAtoh1タンパク質が結合する[31]。Atoh1タンパク質はこのE-boxを介してMbh1遺伝子の転写を直接活性化すると考えられる。Mbh1は、プロニューラル因子が直接制御する遺伝子として同定されている数少ないもののうちの一つである。
終脳で機能するエンハンサー
マウス胎児の終脳で発現する様々な遺伝子のエンハンサーが網羅的に同定され、その発現様式が公開された[33]。塩基配列の種間の比較や、p300の結合を指標にしたCHIP-Seqによって、4600箇所以上のDNA領域がエンハンサーの候補として同定された。そのうち329のエンハンサーの活性がトランスジェニックマウスを用いて調べられた。再現性のある145のエンハンサーの活性が、レポーター遺伝子の発現として多くの切片上に発表された。この結果をもとに、終脳で発現する様々な遺伝子の発現制御のネットワークが今後明らかにされていくものと思われる。
関連項目
転写制御因子
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(執筆者:佐藤達也、斎藤哲一郎、担当編集委員:岡野栄之)