輻輳開散運動

2013年2月13日 (水) 11:13時点におけるTfuruya (トーク | 投稿記録)による版

英語名: Vergence

同義語: Disconjugate eye movement, Convergence & Divergence

 観察者から異なる距離にあるものに眼を向ける場合に、両眼が違う方向に動く眼球運動である。視差に感受性のある神経細胞が第一次視覚野をはじめとした初期視覚野と後頭・頭頂連合野の大脳皮質MST野(medial superior temporal area)に存在する。ニューロン活動記録実験と局所破壊実験により大脳皮質MST野が短潜時の輻輳開散運動の発現に関わると考えられている。

輻輳開散運動とは

 観察者から異なる距離(奥行き)にある対象物に視線を移動させ時に起こる両眼が違う方向に動く眼球運動である。近くを見るときに両眼が寄ることを「輻輳」と呼び、遠くを見るときに両眼が離れることを「開散」と言う。輻輳と開散の両方を含めてバージェンス(Vergence)と呼び、両眼が同じ方向に動く共同性運動(Version)に対し、輻輳開散運動は非共同性眼球運動(Vergence)である。なお、バージェンスは一般に水平方向の非共同性運動を意味するが、非共同性眼球運動には、このほかに垂直バージェンス(vertical vergence)と回旋バージェンス(cyclovergence)がある。

機能

 
図1.輻輳開散運動の例
木を見ているとき、「木より近いもの」に視線を移すときは輻輳運動が生じる。一方、「木より遠いもの」を見るときは開散運動が生じる。

 輻輳開散運動は、見ている物体の奥行き方向の変化に対応して、対象物を両眼単一視するために機能する眼球運動である。両眼の網膜像を融合させるように奥行の異なる物体に両眼を揃える輻輳開散運動は、進化的に新しい眼球運動で、(おもに)霊長類など両眼が頭部の前方に位置し、中心窩が発達している動物に見られる[1]。図1に示すように、ある奥行きにある対象物を見るには、もっとも解像度の高い中心窩でその像を捉えるために、両眼が対象物上に揃う。すると両眼の視軸の角度(輻輳角)が決まる。輻輳角は奥行きによって変化し、近くにある対象物を見るときには大きく、遠くにある対象物を見るときには小さくなる。輻輳開散運動は、この輻輳角を変化させる。異なる奥行きにある対象物へ視線を移すときには、両眼を同時に反対方向へと動かす非共同性眼球運動(disconjugate eye movement)が生じ、遠方から近くを見るには輻輳運動(convergence)、反対に近くから遠方を見るには開散運動(divergence)が起こる(図1)。

輻輳開散運動を誘発する刺激要因

 
図2.輻輳開散運動を誘発する視覚的てがかり
両眼視差とオプティックフロー

 日常的に、輻輳開散運動は両眼視差や網膜像の不鮮明さなどの複数の手がかりによって生じる。輻輳開散運動は、それを引き起こす刺激の違いによって以下のように分けられる。

  1. 調節性輻輳開散運動(accommodative vergence)
  2. 視差性輻輳開散運動(disparity vergence)
  3. 放射状パターンで生じる輻輳開散運動(optic flow vergence)
  4. (proximal vergence)
  5. 緊張性輻輳開散運動(tonic vergence)

 1)~4)は奥行き視覚の手がかりで生じるが、5)は暗闇において視覚の手がかりがないときに生じる[2]

 奥行きの手がかりで生じる輻輳開散運動のうち、1)を誘発するのはレンズの調節状態の変化(accommodation)であり、潜時150~200ミリ秒の比較的ゆっくりとした応答である。2)を誘発する両眼視差は、両眼の網膜像のわずかな位置のずれ(図2上、視差、disparity)であり、視点より近くにある視覚刺激は交差視差を、一方、より遠くにあるものは非交差視差を生じさせる。3)を誘発するのは、自動車などを運転しているときに経験する視野全体に広がる放射状の視覚パターン(図2下、オプティック・フロー)である。4)は遠近法を用いて描かれた絵画を見たときに一過性に生じ、誘発要因は画法によって表現された奥行き手がかりである[3][4]。5)は暗闇において誘発される、ある一定の輻輳角を維持する眼の動きである[5]。暗闇で視覚の手がかりがなくとも両眼の視軸は開散しきるのではなく、外眼筋神経の一定の活動が反映されて生じていると考えられている。

 これまで実験的によく研究されてきたのは、両眼視差の情報だけを与えて引き起こした輻輳開散運動である。両眼視差とそれによって誘発される輻輳開散運動の関係については、RashbassとWestheimerのヒトを対象とした古典的な研究がある[6]。この実験では、視覚刺激として小さなスポット(0.1°程度)を用い、両眼視差をステップ状に位置を突然変化させて与えている。両眼視差が与えられると、約160ミリ秒で輻輳開散運動が起こり、両眼視差の変化が小さい時(±1度)は、与えた視差の大きさと輻輳開散運動の速度が、線形の関係にあることが知られている[6]。輻輳開散運動の眼球速度は動き始めて200ミリ秒の間にピークを迎え、その後徐々に低下し、約1秒で完了する。その最高速度は与えられた視差の大きさによって異なる。また、輻輳開散運動の速度は、その方向によっても違いがあり、開散運動よりも輻輳運動の方が速い。

 1996年、Busettiniらが、視野全体の水平方向の視差を突然、変化させると、これまでの報告よりも100ミリ秒も短い潜時60ミリ秒の輻輳開散運動が生じることを示した[7]。Busettiniらが報告した短潜時の輻輳開散運動は、サルの眼の前に視野全体に広がるランダムドット像を呈示し、両眼に見えている像の位置をそれぞれ反対方向へ突然変化させ視差を与えることで誘発される。それまでの研究対象とされてきた点から点への輻輳開散運動よりも100ミリ秒も潜時が短い輻輳開散運動(潜時60ミリ秒)が観察された理由は、視差が視野全体に存在するため、通常の視点の移動に伴う眼球運動より潜時が短くなったと考えられる。

 次に放射状パターンによって誘発される輻輳開散運動であるが、自動車などを運転しているときに経験する視野全体に広がる放射状の視覚パターン(図2B、オプティック・フロー)によって短潜時で誘発される。視野全体に広がるランダムドット像を突然切り替えること(two-frame movie)でこのオプティック・フローをシミュレートした結果、その他の奥行き手がかり(ドットの大きさの変化や視差など)を与えなくても、拡散する視覚パターン(前進時に正面で生じる視野の流れ)を与えるだけで輻輳運動が、その反対の収縮する視覚パターンでは開散運動が短潜時で誘発されることがわかった(ヒト:80ミリ秒[8] 1997; サル:60ミリ秒[9])。最も効果的な拡散・収縮パターンは±2%であり、ヒトとサルで同様の傾向が観察された。

神経機構

 広い視野の両眼視差によって誘発される短潜時の輻輳開散運動の発現に高次視覚野が関与している点については、2001年にTakemuraらが報告している[10]。視差によって輻輳開散運動を誘発したときにサルの後頭・頭頂連合野の一部であるMST(Medial Superior Temporal)野でニューロン活動を記録すると、約20%のニューロンが視差に感受性をもち、その多くが輻輳開散運動に先行して発火した。一個体で記録されたすべてのニューロン活動の時間パターンを単に加算平均しただけで、その個体の輻輳開散運動の眼球速度を近似することができた。また、これらMST野の視差感受性ニューロンについてさまざまな大きさの視差を与えたときのチューニングカーブを描くと、交差視差により興奮する近位細胞、非交差視差により興奮する遠位細胞、両眼視差がゼロのとき最小の応答を示す抑制型同調細胞があった。与えた視差(入力)と誘発される輻輳開散運動(出力)の間には個体ごとに極めて特徴的な関係があるが、MST野の視差感受性ニューロンのチューニングカーブを足し合わせると、視差に対する眼球運動の特徴的なカーブとほぼ一致したカーブがそれぞれの個体で得られた。これらの2つの結果は、そのとき誘発された輻輳開散運動が、MST野の1つ1つのニューロン活動では説明できないが、MST野で記録されたすべてのニューロン活動を統合することで眼球運動情報をコードできたことを示している。これまでにも、サル大脳皮質のV1、V2、V3, MT(Middle Temporal)野, MST野から、視差感受性ニューロンは記録されていたが[11][12][13]、この研究によって眼球運動制御の観点から、MST野が領域全体として輻輳開散運動を誘発するのに必要な運動情報をコードしており、輻輳開散運動の制御にはMST野の情報全体が使われる(population coding)と考えられている。さらにMST野では、放射状パターンに対しても感受性を持ち、誘発される輻輳開散運動の開始に先行して発火を増加させるニューロンが存在した。このようにMST野のニューロン活動と輻輳開散運動の相関関係を明らかにした後、両側のMST野にイボテン酸を注入して因果関係について考察した。神経毒であるイボテン酸によってMST野のニューロン活動を不活化したところ、視差によって生じる輻輳開散運動にも、オプティック・フローによって誘発される輻輳開散運動にも、有意な障害が生じた[14]。このことから、短潜時の輻輳開散運動の発現には、「両眼視差」、「放射状のオプティック・フロー」のいずれの場合にも、MST野が非常に重要であると考えられる。

 視覚刺激として小さなスポットを用いて輻輳開散運動を誘発する実験では、MST野以外にも前頭葉の前頭眼野(Frontal Eye Field:FEF)や脳幹中脳に、輻輳開散運動関連ニューロンが存在することが報告されている[15][16]。しかし、MST野から下流の経路の詳細はわかっていない。
 ここまで記述してきたのは、輻輳開散運動のみ、あるいは追跡眼球運動と共に生じる輻輳開散運動で、比較的ゆっくりとした60°/秒未満の眼球速度で生じる眼球運動である。一方、奥行きの違う物体間で視線を移動させるには、サッケード(saccade:急速眼球運動)と輻輳開散運動を組み合わせて眼を動かさなければならない(disconjugate saccade:非共役性サッケード)。このときのサッケードには非常に速い輻輳開散運動(200°/秒以上の眼球速度)が含まれる。この発現経路については、これまで輻輳開散運動系と全く別の系統と考えられてきたサッケードシステム(バーストニューロン)が関与していることが示唆されている[17]

関連項目

参考文献

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    Binocular vision
    Adler’s Physiology of the eye. Clinical application. Saint Louis: The C. V. Mosby Company :1970; p.653-688
  2. Owens DA and Leibowitz HW
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    In Schor CM, Ciuffreda KJ, editors. Vergence Eye Movements: Basic and Clinical Aspects. Boston: Butterworths :1983; p.25-74
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(執筆者:竹村文、河野憲二 担当編集委員:藤田一郎)