ナノボディ
英:nanobody 独:Nanobody, Nanoantikörper 仏:nanobody 中:纳米抗体 西:nanoanticuerpo
最も一般的な免疫グロブリンIgGは重鎖と軽鎖からなっているが、ラクダ科や軟骨魚は重鎖のみでできた免疫グロブリンも持っている。この重鎖抗体は可変領域のみで抗原と結合でき、この小さな単一ドメインはナノボディ(またはVHH)と呼ばれる。ナノボディは、それぞれアミノ酸配列が厳密に定義され、通常の抗体と同じように、免疫沈降法などの生化学的解析や免疫組織化学などに利用できる。また、細胞内でも抗原と結合できる細胞内抗体などとして機能的に発現させることで、神経細胞を含めたさまざまな細胞生物学的分析に利用可能である。診断や抗体医薬への応用も期待される。
単鎖抗体、重鎖抗体 、ナノボディ
ウサギ、マウスなどに見られる一般的なwj:抗体は重鎖と軽鎖からなる複合体であり、研究、診断、治療などには、IgG、IgMなどの免疫グロブリンとその誘導体(Fab断片など)が広く用いられている(図1)。最も一般的な抗体分子(免疫グロブリンG, IgG)は、別々のwj:可変領域(Variable region)ドメインを持った重鎖と軽鎖からなるヘテロダイマーが1つの抗原を認識し、重鎖のwj:定常領域(Constant region)ドメインを介したジスルフィド結合で、もう一つの同じ重鎖と軽鎖 のヘテロダイマーと一緒になって、分子量150kDaほどのY字型のヘテロテトラマーとなっている。また目的に応じて、 抗原との結合能を維持した小型抗体分子、例えばFab(1つの軽鎖および半分の重鎖) のようなプロテアーゼ切断断片や、重鎖と軽鎖の可変領域ドメインを組換えDNA技術で人工的に接続することで一本鎖の可変断片とした’’’単鎖抗体’’’(single chain antibody、single chain variable fragment (scFV))がしばしば利用されてきた[1] [2]。
一方、1993年、ヒトコブラクダCamelus dromedariusは、 例外的に軽鎖がない重鎖のみでできた特殊な抗体(重鎖抗体 Heavy chain antibodies )も持っていることが、Hamers-Castermanらによって報告された[3][4]。 これは、現存するラクダ科の動物(ヒトコブラクダ、フタコブラクダ、リャマ/グアナコ、アルパカ/ビクーニャ)に共通して見られる抗体である。その後、 軟骨魚(サメ、ギンザメなど)でも類似した重鎖抗体の存在が確認された[5][6]。
サメで見られる重鎖抗体は、IgNAR (new antigen receptor)と呼ばれ、1つの可変領域のドメイン(vNARと呼ばれる)が抗原と結合することができる。一方、ラクダ科の重鎖抗体では、その1つの可変領域ドメインはVHHと呼ばれる。他のポリペプチドの存在なしで抗原と結合する単鎖抗体であるVHHは、その分子量が通常のIgGの10分の1ほどの12-15kDaであり、nm単位の大きさであることから「ナノボディNanobody」と一般的に呼ばれている[4] [7]。
注:実際は、ベルギーのAblynx社(2018年に、フランスのバイオテクノロジー会社Sanofiの傘下となった)の商標となっている。[8]
既知ナノボディの例
ナノボディの情報を系統的に収集してきている中国の南京にある東南大学のiCAN (Institute Collection & Analysis of Nanobody)[9]には、2018年8月現在、約2400のナノボディ配列が登録されている。図2に、ナノボディの1つとして構造が解かれた リャマ由来のGFPナノボディ、図3にはそのアミノ酸配列を示した。このGFPとGFPナノボディのKd値は約1nMである[10]。
ナノボディの構造的な特徴
ナノボディは、通常120アミノ酸残基のポリペプチドである。基本的には、典型的な免疫グロブリンの可変領域の配列の構成と類似しており、FR1からFR4というフレームワーク領域(Framework regions)に挟まれて超可変領域である相補性決定領域(Complementary determining regions)と呼ばれる3つのCDR1-3が見られる(図3)。
しかしながら、通常の免疫グロブリンの可変領域とは異なる特徴が見られ、それがナノボディの長所ともなっている。第1に、通常の免疫グロブリンに比べて、FR2領域に親水性のアミノ酸残基が多く、ナノボディの水溶性の性質や安定性を高めている[11]。第2に、 通常の免疫グロブリンの6つのCDR(重鎖3つ、軽鎖3つ)の代わりに3つのCDRのみで抗原と結合する。その結果、認識に必要な構造(パラトープparatope)が凸型で小さいので、通常の免疫グロブリンが入り込めないような抗原の構造(エピトープepitope)を認識できる可能性がある[12]。第3に、通常の抗体より長いCDR1, CDR3ループを持つために、結合の親和性や特異性を高めることが可能となっている。これらの水溶性、構造的なコンパクトさ、そして超可変領域の配列の多様性が、通常の免疫グロブリンの可変領域と違ったナノボディの利点となると考えられる。
既知ナノボディの作製法
1つのナノボディは、120アミノ酸(cDNAとして360bp)ほどなので、クローニングなどに利用するための配列を付加しても500bp未満の長さに収めることができる。したがって、利用したい特定ナノボディのアミノ酸配列がわかっていれば、いくつかの民間会社が提供している長鎖DNAを化学合成するサービスなどを利用することで短期間のうちにcDNA配列が入手可能である。
多くの種類のナノボディは、目的別に発現ベクターにクローニングした後、 哺乳類細胞だけなく、 細菌、酵母、植物でも産生させることができる。哺乳類細胞では、抗体が本来機能する細胞外だけでなく、細胞内部でも発現させることが可能である(イントラボディ、下記参考)。ただし、ナノボディの配列はそれぞれ異なり、ジスルフィド結合の生成が抗原との結合力あるコンフォメーションを取るために必要な場合、細胞外とは還元環境の異なる細胞内や細菌などではうまくいかない可能性はある。ナノボディの中には90℃という高温でも失活しないものもあるように[13][14]、一般に安定性は高いが、これも各ナノボディのアミノ酸配列から生じる特性による。
新規ナノボディの作製法
一般的な方法としては、重鎖抗体を産生する動物を飼育し、それを抗原で免疫することで、重鎖抗体が得られる。 比較的小型のリャマ Lama glamaのほかに、アルパカVicugna pacos、ヒトコブラクダCamelus dromedarius、ネコザメ Heterodontus francisci などが免疫に利用されている。次に免疫された動物から血液を採集し、その中にあるB細胞から、可変領域を含むcDNAライブラリーを作製、そのライブラリーを固定化した抗原を使ったファージディスプレイなどの方法でスクリーニングすることで、cDNA配列を単離し、抗原に結合するナノボディ配列を知ることができる[15][16]。
このスクリーニングを効果的に行うための工夫が多数開発されてきている[17]。ファージディスプレイの担体の工夫、グラム陽性バクテリア表面へのディスプレイ、酵母細胞表面へのディスプレイ、mRNAディスプレイ、リボソームディスプレイ、細胞内での2ハイブリッドスクリーニングなどが用いられてきている。
特に、最近、これらの方法を組み合わせることで、効率的に行う戦略が考案されている。Fridyらは、免疫動物の結合抗体を精製しその質量スペクトルの結果とファージディスプレイのハイスループットな配列決定を組み合わせる方法で、蛍光タンパク質に結合する多数のナノボディを報告した[18] 。Zimmermann は、リボソームディスプレイ、ファージディスプレイ、ELISAを組み合わせることで、短期間にナノボディ配列を得る戦略を報告している[19]。また、McMahon らは、酵母ディスプレイを用いて、免疫動物を用いない合成ライブラリーをスクリーニングすることで親和性の高いナノボディ配列を得ることができることを示している[20] 。ただ、このような非免疫ライブラリーや合成ライブラリーを用いる方法については、まだ適用例が多くなく、標準的な方法とされるものが存在しないというのが実情であろう。また、ある程度の抗原親和性を示すナノボディの配列を調整することで、親和性の成熟(affinity maturation)を行うこともできる[21] 。将来的には人工知能などを使ったナノボディのデザインなども可能になるのかもしれない[22][23]。
ナノボディの利用法
基本的には通常の「抗体」のように生化学的解析や免疫組織化学等に利用できる(図4)。しかし、ナノボディだけでは 通常の抗体と違い定常領域を欠いているため、何らかの修飾が必要である。このことはナノボディが抗体のように簡便に利用できないという不便さになっているが、修飾を実験に合わせて自在に工夫できるという利点にもなっている。また、定常領域のような余分な構造を持たないので、バックグラウンドを低下させ、感度や精度の高い解析が可能になるという長所もある。
化学的カップリング
免疫組織化学に最もよく用いられているのは、ナノボディをタンパク質として精製後、色素分子などを化学的にカップリングするという方法である。このような試薬は既製のナノボディ試薬として市販もされている(例、ChromoTek社[24] )。最近、1次抗体を認識する「2次抗体」の活性を持つナノボディが報告されている[25] 。ナノボディの多くは、大腸菌で活性あるものを大量産生、精製することができるので、一度、配列がわかれば、動物を使用する必要がなくなる。
また、化学的なカップリングなので、カップリングする分子を変化させ工夫することで、目的に合わせて様々な標識ナノボディを作製できる可能性がある[26] 。しかし、カップリングによるアミノ酸残基を修飾する反応により抗原結合能を失うことも想定される。しかし、修飾するアミノ酸残基の位置を制御することは可能である[27] 。ナノボディは小さく、通常の抗体では入り込めない箇所に結合することで、STORMやPALMなどの高解像度顕微鏡においても、アーチファクトが減少し、有用なツールになると考えられている[28] 。
RANbody
化学的カップリング反応は、しばしばナノボディの活性を消失させるが、実験的にも条件決定など必ずしも容易ではない。この問題を克服するために開発されたプラットフォームがRANbody(Receptor-and-Nanobody)である[29]。RANbodyは、ナノボディを酵素(改良型[[wj:西洋ワサビペルオキシダーゼ]HRP)、抗原性のあるニワトリ抗体IgY、多重エピトープタグなどと組み換えDNA技術により融合させたものである。プラスミドを293T細胞などの動物細胞に導入するだけで、培地中に放出されるので多くの生物医学系の実験室で利用できる。HRPは大腸菌の中では活性のある酵素として発現させることができない。その一つの解決策として、アスコルビン酸オキシダーゼAPEX2との融合タンパク質を大腸菌で発現させて用いることができるが、APEX2はHRPに比べて活性が弱い[30][31] 。
免疫沈降
免疫沈降法(プルダウンPulldown)では、GFPナノボディなどをアガロースや磁気ビーズなどの担体にカップリングすることで得られた担体が市販されているので利用できる。また、多くのナノボディは大量に自家精製できるので、通常の抗体などのアフィニティクロマトグラフィ担体を作製するのと同じように利用可能である。例えば、GSTなどとの融合タンパク質は、GSTを結合するグルタチン結合ゲルに容易に結合するので、免疫沈降法に有用である[32] [33] [34] 。
Intrabody, Chromobody
ナノボディの特徴は、組み換えタンパク質として、細胞に強制発現させることで、細胞内で機能的に発現することができることである。この方法は、一般にイントラボディIntrabody(細胞内ボディ、細胞内抗体、細胞内発現抗体)と呼ばれる。
クロモボディChromobodyは、ナノボディをGFPなどの蛍光タンパク質と結合することで、標的分子に結合し、標的分子の染色や追跡を可能にする方法である。例えば、アクチンに対するナノボディをGFPと融合させ、それを細胞内で発現させれば、アクチンがナノボディを介してGFPで標識される(アクチンーナノボディーGFP)。この融合させる蛍光タンパク質をSTORM, PALMなどの高解像度顕微鏡に利用できる分子種とすれば、高解像度のバイオイメージングも可能である[35][36][37]。
更に、特殊な構造を認識できるナノボディを利用すれば、分子の変化を追跡することが可能になる。例えば、活性型と非活性型のβ2-adrenoceptorのwj:コンフォメーション を識別できるナノボディ[38] を使って、同分子の特殊なコンフォメーションを細胞内で観察ができる。また、GFPナノボディのあるものは、GFPを2つに分割した断片と再構成したGFPを区別できる[29]。リン酸化、アセチル化などのwj:翻訳後修飾(Post-translational modification, PTM) された抗原を認識するナノボディは、翻訳後修飾のセンサーとして利用される[39]。
分子間相互作用など分子の機能理解への利用
ナノボディは、分子間相互作用(Protein-protein interaction, PPI)の研究ツールとしても有用である[40][41]。このために、1つの効果的な使用法は、イントラボディとして発現させ、FRET、LRETといったPPIを検出するための方法と組み合わせたバイオイメージングである[42][43][44]。
また、特定のPPIを阻害するナノボディを細胞内で発現させたりすることも可能である。このような方法は、分子機能の研究において、タンパク質の数を調整するRNAiやゲノム編集による変異とは違ったアプローチになりうる[45] 。
また、ユビキチン系を利用することで、ナノボディの標的タンパク質を特異的に分解することも可能である[46]。
ナノボディー以外の組み換え結合体
免疫グロブリンに由来するナノボディ以外に、免疫グロブリン以外に見られるタンパク質のドメインを用いて、新たな組み換え結合体を作製する方法もあり、原理的にはこのような組み換え結合体はナノボディと同じ利用法が可能である[47][48] 。
細胞接着分子[[wj:フィブロネクチン]中の代表的なモチーフであるtype IIIリピートは、免疫グロブリンドメインと構造が類似しており、これを他の分子に結合する免疫グロブリンのように改変することが可能である。この方法は、モノボディ(monobody)と名付けられている[49]。この方法は、ナノボディと違って、ジスルフィド結合によって構造が左右されないので、 細胞内での還元状態の環境でも利用できる可能性が広がる。例えば、Arnoldのグループによって開発されたFingRは、PSD95やゲフィリンといったシナプスタンパク質を認識することができる[50] 。
免疫グロブリンを利用しない組み換え結合体には、このほかにも、アンキリンリピートを利用したDARPin(Designed ankyrin repeat proteins)などの方法がある[47]。DARPinの場合、凸型で隠れた構造を認識しやすいナノボディとは対照的に認識に関わる構造が凹型になりやすい。
抗体利用研究の再現性
近年、生命科学系の研究では、論文発表された実験結果の一部が容易に再現できないとされる問題がしばしば指摘されている。抗体の利用は、この再現性問題の重要な要因の1つであるとされる[51][52][53]。例えば、ウサギなどからのポリクローン抗体は、多数の異なる抗体分子を含んだポリクローン抗体という性格上、免疫した動物などバッチごとの差が大きい。また、wj:モノクローン抗体は、ハイブリドーマ細胞を増殖させることで、永遠に同じものを得ることができるはずであるが、市販抗体は予期せず販売中止になったり、ハイブリドーマ細胞は極低温で凍結維持しなくてはならず、災害や個々の研究者の都合により失われてしまうこともある。ナノボディは、アミノ酸配列レベルで定義されるので質は同じであり、DNAという形で安価で長期保存が可能である。またDNAが失われても、登録されたアミノ酸配列から容易に再生できるので、抗体の利用研究の再現性問題の解決法として注目されている。
ナノボディの応用
通常の抗体同様に、診断への利用とともに、抗体医薬として、感染症、がん、神経系疾患、再生医療などへの利用が期待される[54][55][56]。 特に、Ablynx社が開発した 後天性血栓性血小板減少性紫斑病を対象とした抗VonWillebrand因子ナノボディであるcaplacizumabは、既に第III相試験で良好な結果が得られている[57]。
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