伊原さよ子、東原和成 東京大学大学院農学生命科学研究科
生物は外界からの様々な刺激を感知し、適切に応答することで生存を維持している。様々な感覚のうち、嗅覚は化学物質を媒体として外界の情報を感知するシステムであり、食物や配偶者の探索、敵からの逃避、といった生存に必須な行動に重要な役割を果たす。極めて多様なシグナルを感度良く識別できるのが嗅覚システムの特徴であり、嗅覚受容体はその識別の出発点としての役目を果たす。嗅覚受容体は、嗅覚器官に存在する嗅神経細胞に発現し、匂い物質との結合を引き金として神経細胞の興奮をもたらし、脳に信号を伝える。ほとんどの生物種において、嗅覚受容体遺伝子はスーパーファミリーを形成し、数多くの嗅覚受容体の存在が多様なシグナルの識別を可能としている。脊椎動物と昆虫では、嗅覚受容体の構造と分子機能が本質的に異なり、各々の生存環境、生活様式を反映していると考えられている。本項目ではこれらを個別に記載する。また、げっ歯類において、嗅覚受容体は広義に、鋤鼻器官に発現する”フェロモン受容体”も含める場合もあるが、本項目では含めない。“フェロモン受容体”は別項を参照されたい。
脊椎動物
発見、歴史的経緯など
我々が匂いを感知する仕組みについては、古くから複数の学説が唱えられていたが、そのうちのひとつが、Amooreによる立体化学説であった。匂い分子の化学構造、形とサイズが鼻腔上皮の受容部位の構造に適合すると匂いが感知されるとの説である[1]。この学説で概念に過ぎなかった”受容体”の存在は、1991年、BuckとAxelによる、ラット嗅覚受容体(olfactory receptor, OR)遺伝子ファミリーの歴史的な発見により明らかとなった[2]。その後、OR遺伝子によりコードされるタンパク質が匂い物質に応答し、嗅神経細胞の活性化をもたらすことが実証された[3][4]。OR遺伝子は脊椎動物全般において、最大の遺伝子ファミリーとして存在し、多重遺伝子ファミリーを形成するが、その数は生物種により大きく異なり、例えばマウスでは約1100, ヒトでは約400存在する[5]。OR遺伝子ファミリーは他の遺伝子ファミリーに比べると偽遺伝子の割合が高く、進化の過程での重複、欠失が多いことも特徴である。さらに、ヒト個人間においても数多くの遺伝子多型が存在し、特定の匂いへの知覚感度に影響する例も報告されている [6][7][8][9]。
ORに加え、2006年、嗅上皮で発現するTAAR (Trace amine-associated receptor)ファミリーも嗅覚受容体として機能することが報告された[10]。その後、げっ歯類嗅上皮で発現するGCD (guanylyl cyclase D) が呼気中のCO2、CS2、の受容体としてはたらくことが示された[11][12]。さらに2016年、嗅上皮のくぼみに存在する嗅神経細胞に発現する嗅覚受容体として、MS4A (membrane-spanning 4A receptor)が発見されている[13]。
構造
ORはGPCR (G protein coupled receptor)ファミリーのうち、ロドプシンファミリーとよばれるサブファミリーに属し、ヘリックス構造から成る7回膜貫通構造を有する(図1)。全てのGPCRに共通な配列の他、3番目の膜貫通領域細胞質側のMAYDRYVAICモチーフをはじめ、嗅覚受容体を特徴づける複数の配列をもつ。哺乳類ORは、アミノ酸配列の相同性からクラスI、クラスIIに分類され、哺乳類ORの約10~20%がクラスIである [14]。認識するリガンドが、クラスIは親水性、クラスIIは疎水性といった傾向を示す[15]。ORの立体構造については、2023年3月、脊椎動物で初めてクライオ電子顕微鏡による結果が報告された。嗅覚組織以外の様々な組織でも発現するORのうち、クラスIに属するOR51E2について、匂い分子としてはやや例外的な親水性リガンド、プロピオン酸との結合状態を示したものであり[16]、画期的な進展であるが、疎水性匂い分子とORの一般的な結合様式を反映しているかについては、今後の展開が待たれる。その他のORについては、構造が既知のGPCRの情報をもとにした、in silico解析、変異体解析により、匂い物質との相互作用モデルが複数例報告されており、いずれの場合もリガンド結合には、3, 5, 6番目の膜貫通領域のアミノ酸が重要とされている[17][18][19][20]。 TAARファミリーもGPCRに分類され、ロドプシンファミリーに属するが、ORより生体アミン受容体に高い相同性を示す[21]。GCDは1回膜貫通型受容体であり、細胞外にリガンド結合領域を、細胞内にプロテインキナーゼ様ドメインを、C末端に触媒ドメインをもつ。MS4Aは4回膜貫通型タンパク質で、N末端、C末端をともに細胞質側に配置するトポロジーを示す[13](図1)。
発現部位
ORは、嗅上皮に存在する嗅神経細胞に発現する。嗅上皮は、ヒトの場合、鼻腔天井部の5 cm2程度の領域に存在し、嗅粘液層に覆われている。嗅神経細胞は嗅粘液層にむかって10本程度の繊毛を伸ばしており、この繊毛上に発現するORが嗅粘液層に溶け込んだ匂い物質を受容する。ORの発現様式には、1つの嗅神経細胞には1種類の受容体しか発現しない、「1神経細胞1受容体ルール」が存在する。同じORを発現する嗅神経細胞は嗅上皮上ではそれぞれ特定の領域に分布するが[22]、投射部位である脳の嗅球と呼ばれる領域では同じ部位に収束する。
1991年OR遺伝子ファミリー発見当時、ORは嗅上皮に限定して発現すると考えられていたが、次第に多くのORが精巣、腎臓、肺、筋肉、腸、といった他の様々な組織でも発現することが明らかになった。ヒトの場合、約400種類のORのうち、約100種類が非嗅覚組織でも発現している[23]。非嗅覚組織で発現するORは、精子の走化性[24][25]、筋再生[26]、炎症反応[27]、エネルギー代謝調節[28][29][30]といった様々な現象に関わることが示唆されており、創薬の標的としても着目され始めている[31]。 その他、嗅覚受容体として機能するTAAR,GCD,MS4Aのいずれも嗅上皮の嗅神経細胞に発現するが、TAAR, GCDが嗅上皮全域にわたって発現が見られる一方、MS4Aは嗅上皮のくぼみの部分に限局して発現する。
機能
嗅覚受容体は、匂い物質がもつ化学情報を電気信号に変換し、神経細胞の興奮をもたらし、脳に伝達する役目をもつ。 ORにおいては、リガンドである匂い分子が結合すると、受容体と共役している3量体Gタンパク質のαサブユニット、Gαolfがβ、γサブユニットと解離し、GDP型からGTP型への変換を受け、活性化される。活性化Gαolfがアデニル酸シクラーゼの活性化を引き起こし、細胞内cAMP濃度の上昇をもたらすと環状ヌクレオチド作動性チャネル(cyclic nucleotide-gated channel, CNG)が開口し、Na+イオン、Ca2+イオンの流入による細胞膜の脱分極がおきる。細胞内Ca2+イオン濃度の上昇は、Ca2+作動性Cl-チャネル, TMEM16B/ANO2の活性化をもたらし、Cl-イオンが細胞外へ流出することでより大きな脱分極が起きる。これにより、神経細胞の活動電位が生じる。シグナルを終結させる機構として、CNGのcAMPによるチャネルの開口がCa2+濃度依存的なフィードバック制御をうけること、細胞内濃度が上昇したCa2+は、Na+/Ca2+交換体であるNCKX4によって細胞外へ排出されることが明らかになっている。ORとリガンドである匂い分子との対応関係は、一部の例外を除いては、「多対多」の関係にある。すなわち、一つの受容体は、複数の匂い分子に応答し、一つの匂い分子は複数の受容体応答を生み出すため、異なる匂いは、応答受容体の組み合わせパターンの違いによって識別される。この仕組みは“combinatorial coding”と呼ばれ[32]、受容体数をはるかに超える膨大な種類の匂いの嗅ぎ分けを可能にする。
ORが多様な構造の匂い物質を広く認識するのに対し、TAARは、揮発性アミン化合物をリガンドとして認識する。揮発性アミン化合物は、尿中や腐った食物に存在しており、げっ歯類では、TAARは異性、天敵、食物の質の区別の検知に関わるとされている[33]。TAARもORと同様、Gαolfと共役し、cAMP産生を通じて嗅神経細胞の活動を起こすとされている[21]。
GCDは、糞尿中に存在するペプチドの他、呼気中に存在するCO2, CS2をリガンドとして認識する[11][12]。匂いリガンドとしてはたらくCO2, CS2は嗅神経細胞膜を通過し、細胞内で炭酸水素イオンに変換されるが、この炭酸水素イオンがGCDの細胞内触媒ドメインに作用し、cGMP 産生がおきる。cGMPはcGMP依存性イオンチャネルを開口させることにより、神経細胞の脱分極を引き起こす。
MS4Aはリガンドとして、動物行動に関連のある脂肪酸やフェロモン様物質、2,5-DMP (2,5-dimethylpyrazine)を認識するが、シグナル伝達は明らかになっていない[13]。
疾患との関わり
一部のORは嗅上皮以外の正常組織でも発現がみられる他、各種がん細胞でも発現が確認されている。正常細胞と比較して、がん細胞で発現が亢進しているORも複数報告されており、腫瘍マーカーや治療標的候補としても着目されているが、がん細胞における具体的な機能については明らかになっていない[31][34]。
昆虫
発見、歴史的経緯など
昆虫においても、嗅覚は、餌の探索、交配相手の識別、繁殖場所の選択、天敵の感知など様々な局面で必要な感覚であり、生存維持に欠かせない。嗅覚受容体については、1991年、脊椎動物でのOR遺伝子ファミリーの発見により、昆虫でも同様のGPCRファミリーが存在するとの予想のもと探索が進められたが、試みは失敗に終わった。その後、ショウジョウバエ遺伝子を対象とした発現解析などの研究をもとに、異なる3グループにより、1999年、昆虫嗅覚受容体遺伝子ファミリー、OR (Odorant Receptor)注ファミリーの発見が報告された[35][36][37]。構成遺伝子数は、数10~300程度と種により大きく異なり、ショウジョウバエでは、62遺伝子存在する。ORファミリー発見から10年後、昆虫の第2の嗅覚受容体遺伝子ファミリーとして、イオノトロピック型受容体、IR (Ionotropic Receptor)ファミリーが発見された[38]。構成遺伝子数はORと同様、種により異なり、10〜100程度存在し、ショウジョウバエでは66遺伝子存在する。IRは、匂い物質の他に味物質、湿気、温度も感知する。上記OR, IRファミリータンパク質以外に、味覚受容体,(Gustatory Receptor, GR)ファミリータンパク質のメンバー、Gr21a, Gr63aが嗅神経細胞に発現し、CO2を匂い物質として受容することが明らかになっている[39][40](図2)。
構造
昆虫ORは、脊椎動物ORと同様、7回膜貫通構造を有するが、その膜トポロジーは逆であり、N末端が細胞質に、C末端が細胞外領域に位置する[41][42](図2)。脊椎動物ORと異なり、GPCRとの相同性はない。全般的に種間での配列保存性は低いが、唯一、種を超えて保存性の高い共通のORが存在し、Orco (Olfactory receptor co-receptor)と呼ばれる。Orcoは、リガンド選択性を有するORとヘテロ多量体を形成して機能すると考えられている。近年、クライオ電子顕微鏡解析により、イチジク寄生バチの一種、Apocrypta bakerのOrco、および、イシノミ類の昆虫Machilis hrabeiのOR, MhOR5について、立体構造が明らかになった[43][44]。Orcoは単独ではホモ4量体構造を形成することが示され、チャネルの開閉制御に重要な領域が明らかになった[43]。MhOR5については、2種類の匂いリガンドとの共構造からリガンド結合によるチャネルの構造変化が示されるとともに、単一の受容体が多様な構造のリガンドを認識し得る構造基盤として、リガンド受容が複数の疎水的相互作用に基づくことも示された[44]。
IRは、イオンチャネル型グルタミン酸受容体(iGluR)と相同性が高く、3回膜貫通構造を持つ。IRにおいてもリガンド選択性を有するIR-Xと、Orco同様、リガンドに関わらず共通なIR-coY(ハエでは、IR8a, IR25a, IR76b)が存在する。チャネルとしての機能ユニットは、2つのIR-Xと2つのIR-coYから構成されるヘテロ4量体と考えられている[45][46]。IR-coYはアミノ末端ドメイン(amino-terminal domain, ATD), リガンド結合ドメイン(ligand-binding domain, LBD)、イオンチャネルドメインから構成され、iGluRと高度な保存性を有する一方、IR-XはATDを持たず、iGluRとの相同性が低く、特にLBDの保存度が低い。IRの立体構造は明らかになっていない。
GRはORと同様、7回膜貫通構造を持ち、N末端が細胞質側、C末端が細胞外側のトポロジーを示す。Gr21a, Gr63aそのものの構造は示されていないが、他のGrファミリーメンバーである、カイコBmGr9のホモロジーモデリングと変異体解析において、GRもORと同様のチャネル構造をもつことが示唆されている[47]。
発現部位
昆虫嗅覚受容体OR, IRは、昆虫の嗅覚器、触角(antenna)、小顎髭(maxillary palp)に発現する。嗅覚受容体として機能するGr21a, Gr63aも触角で発現する。これらの嗅覚器は感覚子とよばれる匂い物質を受容するための特殊な構造に覆われ、それぞれの感覚子には、1〜4の嗅神経細胞が格納されている。OR, IRはそれぞれ異なるタイプの感覚子に存在する嗅神経細胞樹状突起上に発現し、感覚子の穴から取り込まれた匂い物質を受容する。多くの場合、単一の嗅神経細胞は、リガンド選択性をもつORまたはIRを1種類のみ発現するが、例外も報告されている[48]。
機能
昆虫ORは、匂い物質をリガンドとするリガンド作動性非選択性陽イオンチャネルとして機能し、リガンド結合によりNa+, K+, Ca2+を透過させる[49][50]。脊椎動物のORが、Gタンパク質を介したシグナルの活性化を通じて別分子であるイオンチャネルを開口させ、神経細胞に脱分極を引き起こすのに対し、昆虫ORは自身がイオンチャネルとしてはたらき、直接膜電位変化を引き起こせるため、匂い物質に対してより迅速な応答が可能となる。認識するリガンドとORの対応関係は、多くの場合、「多対多」を示すが[51]、特定の行動を引き起こす匂い物質やフェロモンに対しては、選択的に応答するORが存在する。食物の有害性の指標としてショウジョウバエの忌避行動を引き起こすカビ臭、geosminにOr56a [52], 産卵を促進するシトラス系の果皮の香りにOr19a[53]、カイコガの性フェロモン、BombykolとBombykalにそれぞれBmOR1, BmOR3 [54][55]、ショウジョウバエの性フェロモンcVA (11-cis-vaccenyl acetate)にOr67d[56]が選択的に応答する。昆虫ORはリガンド非存在下でも自発的なチャネル開口活性をもち[49][50]、OR発現嗅神経細胞の自発発火に寄与する。匂い物質には嗅神経細胞の活性化をもたらすもの以外に、自発発火を抑制するものも多数存在する[57]。
IRも、匂い物質をリガンドとするリガンド作動性イオンチャネルとして機能し、Na+, K+, Ca2+を透過させる非選択性陽イオンチャネルを構成する[45]。匂い物質のうち、主に酸、アミン、アルデヒドを受容する点で、エステルやアルコールを中心に受容するORと相補的なはたらきをすると考えられている[58]。ORと同様、リガンド認識は「多対多」が基本であるが、選択的な認識が特定の行動に結びつく場合もあり、ショウジョウバエIr92aによるアミンやアンモニアの受容が誘引行動に、Ir84aによる食物由来の匂いの受容が雄のハエの交尾行動促進に繋がる報告例がある[59][60]。IR発現神経細胞は、OR発現神経細胞に比べ、活性化に、より高濃度のリガンドあるいは、長時間のリガンド刺激が必要であり、順応がおきにくい[61]。
注)ORはolfactory receptor, odorant receptorいずれの略語としても使用される。olfactory receptorは、広義に嗅覚組織に発現している嗅覚受容体全般を指す一方、odorant receptorは狭義に揮発性匂い物質の受容体を指す。本稿脊椎動物の項目ではORをolfactory receptorの略語として使用しているが、昆虫の項目では、昆虫の嗅覚受容体ファミリー名がodorant receptor(OR)と定められている都合上、odorant receptorの略語として使用する。
関連項目
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