不平等嫌悪

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英:inequality aversion

 不平等回避(inequality aversion)とは、「不平等な状態を好まない」という個人の選好である。他者の状態・行動が個人の効用にも影響する、という社会的選好(social preference)の一形態である。行動経済学(behavioral economics)と呼ばれる分野で発達した概念であり、90年以降に様々な定式化が試みられている。検証手法として、当初は実験経済学の手法が用いられ、後に神経科学の手法がとられるようになった。

社会的選好とは

 経済学の世界では伝統的に「個人は自分の利益のみを動機として行動する」と仮定していた。これは、旧来の経済学が、主として多数の個人からなる市場での行動を分析していたことに由来する。実際、市場実験による結果は、利己的な個人をモデルとした予測によりかなりの程度が説明できる。[1][2]

 しかしゲーム理論の進展に伴い、経済学がより少数の個人からなる経済行動を分析するようになると、利己的な個人を基にしたモデルの当てはまりは悪くなっていった。そこで予測のずれを説明するために導入された概念の1つが、「個人は他者の利益や行動も考慮する」と考える、社会的選好である。

社会的選好の類型と不平等回避

 社会的選好の定式化は。大きく2つに分けられる。1つは分配に関する選好、もう1つは他者の意図に対する選好である。[3]不平等回避は、前者の一形態である。

 前者の分配に関する選好は、結果に依存した定式化で、結果(典型的には、お金)がどのように分布しているかが個人の選好に影響する。その結果がもたらされた過程は問わない。後者の意図に対する選好は、他者の行動、そしてその背後にある意図が選好に影響を与えるとする。後者のほうがより現実を生々しく描写しているが、モデルが複雑になるという欠点がある。前者はより簡便で扱いやすい。

 分配に関する選好は、他者の状態がどのように個人に影響を与えるかという点でいくつかに分類される。例えば、他者の利益が本人の効用に常に正の影響を与えるという利他主義的定式化が挙げられる。この中で最も有名と言えるのが、不平等回避である。不平等回避は、個人が本人の利益と他者の利益の相対的な水準を意識し、平等な状態から乖離するほど不効用を感じるとする。例えば、プレーヤーが2人の場合、以下のような定式化が考えられる。[4]

u_i (x_i,x_j )=

 何らかの行動の結果として得られた個人の利益がx_i、他者の利益がx_jである。u_i (∙)は効用関数である。右辺第一項は、個人の利益が大きいほど効用が高まることを示す利己的な部分である。第二項・第三項が不平等回避にあたる部分である(α_i≥0,β_i≥0)。第二項は、自分より相手の利益が大きかった場合の不効用の程度を表す羨望(envy)を、第三項は相手より自分の利益が大きかった場合のそれを表す憐れみ(compassion)を表現している。どちらも、自分と相手の利益の乖離が大きくなるほど、不効用を感じるとしている。ただし、その程度はどちらの利益が大きいかによって異なる。さらに、α_i≥β_iを仮定し、羨望の不効用はより高いとされる。また個人によっても違いがあることを表している。α_iやβ_iが十分大きければ、自分の利益を多少犠牲にしても、他者の利益を優先するような行動が発生する。

経済実験による検証

 不平等回避を含む社会的選好は、様々な経済実験によりその存在が確かめられている。経済実験では、簡単なゲームの結果に応じて報酬を支払う。そのゲームにおける行動を分析することで、社会的選好が存在するかどうかを検証している。最後通牒ゲーム・独裁者ゲーム・信頼ゲーム・公共財ゲームなどの代表的ゲームが、様々な環境で行われている。

 社会的選好を純粋な形で検証するためには、個人の「評判」が行動に影響することを可能な限り避ける必要がある。良い評判が個人の利益につながるような状況を設定すると、自分の利益を犠牲にして良い評判を得ようとする行動が増えるだろう。そのような状況では、自分の利益より他者の利益を優先する行動が、社会的選好によるものなのか、評判を通して最終的に自己の利益を増やそうという利己的な行動なのかが区別できなくなってしまう。

 これを避けるため、実験では同じゲームを同じメンバーで繰り返さず、1回のみのゲームとし、実験内での評判形成を避ける。また、実験外での評判形成を避けるため、可能な限り匿名の状況を設定し、どの行動を誰がとったのかを特定できないようにする。

 こうした経済実験は数多く行われ、社会的選好は国や世代を超えた幅広い層で存在することが確認されている。[5][6]また、「分配に関する選好」と「意図に関する選好」がどちらも重要であることも確認されている。[7]

神経科学による検証

 2000年代に入ると、神経科学の手法を通じて人間の意思決定行動を把握しよう、という神経経済学(neuroeconomics)が盛んに行われるようになった。

 社会的選好に関する最初の神経経済学研究は、最後通牒ゲームとfMRIを用いて、より不公平な提案に対し、前島皮質の両側・前帯状皮質・背外側前頭前皮質の両側が賦活化したことを示し、それぞれ不公平な提案に対する憤り・自分の利益と相手への憤りの間の葛藤・憤りの抑制を示しているとした。[8]同様の研究はさらに、不公平な提案を受け入れる時、前島皮質の右側と外側部前頭前皮質の右側が賦活化しなくなることを示している。[9]

 背外側前頭前皮質の活性化をTMSやtDCSで制御することで、行動に変化があるかどうかを検証した研究は、上記の考察とは異なり、背外側前頭前皮質の右側の活動を落とすと、不公平な提案が受け入られるようになることを示した。背外側前頭前皮質の右側は、公平性を確保する行動を実施する役割があるとしている。[10][11]

 不平等回避の定式化では、より平等であるほど効用が上がるとされる。不平等を嫌がることや実際に避ける行動が、脳の報酬系である線条体に影響を与えるかどうかの研究も多くなされている。PETを用い、「信頼ゲーム」で相手への罰が実際に利得を下げるかどうかで比較した研究では、実際に利得を下げるほうが、背側線条体が賦活化することを示した。[12]自分の利益が同じでも、他者の利得が異なると線条体の賦活度が異なることも知られている。[13][14]また、自分より優れた人に不幸なことが起きると線条体が賦活化すること[15]や、利益が少なかった人に対して自分の利益を譲る場合、より利益が高い人の線条体が賦活化するということ[16]も示されている。