幻肢痛

2012年8月8日 (水) 11:46時点におけるTfuruya (トーク | 投稿記録)による版

 四肢切断後の患者が、失った四肢が存在するような錯覚(phantom limb awareness)や失った四肢が存在していた空間に温冷感や痺れ感などの感覚(phantom sensation)を知覚する現象を幻肢と総称する。幻肢は四肢切断でなくても、脳卒中、脊髄損傷や末梢神経損傷などの運動麻痺や感覚遮断によっても発症し、これらは余剰幻肢と呼ばれる。また、乳房や陰茎、眼球などの切除後にも幻身体は現れる。幻肢に痛みを感じる現象を特に幻肢痛(phantom limb pain)と呼ぶ。

幻肢と幻肢痛

 四肢切断後の患者の80%以上は失った四肢が存在するような錯覚(phantom limb awareness)や失った四肢が存在していた空間に温冷感や痺れ感などの感覚(phantom sensation)を知覚し、これらの感覚経験を幻肢と総称する。幻肢は四肢切断でなくても、脳卒中、脊髄損傷や末梢神経損傷などの運動麻痺や感覚遮断によっても発症し、これらは余剰幻肢と呼ばれる。また、乳房や陰茎、眼球などの切除後にも幻身体は現れる。幻肢に合併する痛み(幻肢痛:phantom limb pain)の発症頻度は四肢切断患者の50-80%とされ、その長期予後は報告によって異なるものの大部分の患者では数年を経ても幻肢痛を伴う。

 幻肢痛の発症機序は、末梢神経の損傷によって出来た神経腫由来の異常インパルスや脊髄レベルでの神経細胞の易興奮性など様々な要因によって誘発されることが考えられており、これらの分子生物学的なメカニズムは幻肢痛に限らず神経障害性疼痛全般に共通していると考えられる[1]


幻肢痛の臨床的特徴

 幻肢痛発症に関与する因子としては様々なものが知られているが、その一つに四肢切断時の年齢が挙げられる。四肢切断時の年齢が低い(幼児)と幻肢痛は起こりにくく、年齢の増加とともにその発症頻度が増加する。また先天性の四肢欠損患者に幻肢痛が発症することも非常に少ない。このことは若年者の脳可塑性が高いことに起因するものと考えられている。一般に、四肢切断前に疼痛を知覚している患者の切断後に現れる幻肢痛の性質は四肢切断前から知覚している疼痛の性質に類似しており幻肢痛の発症には疼痛の“記憶”が関与していると考えられ[2]、四肢切断時に意識が無い(つまり疼痛を自覚していない)患者では幻肢痛の発症頻度が低いことも報告されている。しかし四肢切断時に局所麻酔によって十分な鎮痛(つまり疼痛を自覚していない)が得られていても幻肢痛の発症頻度は減少しないという報告[3]もあり疼痛の記憶の関与には未だ議論がある。さらには、幻肢を知覚していない下肢切断後患者に脊髄くも膜下麻酔が施行された際に、下半身の感覚消失と運動麻痺が得られると同時に幻肢および幻肢痛が出現することもある。この現象は末梢からの運動情報、感覚情報入力が脊髄上位中枢へ到達できないことが幻肢痛の発症機序となることを示唆している。患者の心理的要因も幻肢痛の発症頻度に影響を与え、四肢切断前に家族から支援が得られていない患者では幻肢痛の発症頻度が高いことや疼痛に対する恐れが強いほど発症頻度が高いこと、さらに日常生活で心理的ストレスを多く感じる患者ほど幻肢痛の発症頻度が高いことなどが報告されている。ただし、これらは患者の心理状態が健常者に比して病的であることを示すものではない[4]

 幻肢痛患者は様々な性質の疼痛を訴え、刃物で裂かれるような、電気が走るような、しみるような、など皮膚表在感覚に関連した疼痛を約60%の患者が訴える一方で、幻肢が痙攣するような、こむら返りするような、幻肢がねじれるような、など運動感覚(自己受容感覚)に関連した疼痛を約40%の患者が訴える。このように幻肢痛患者の半数近くの者が幻肢の不快な不随意運動を知覚している。幻肢患者の中には幻肢の不随意運動を知覚する患者がだけでなく、幻肢を随意に運動することができる(幻肢が運動しているように鮮明に知覚できる)患者がおり、その際には健常な四肢随意運動に類似した一次運動野(M1)/一次体性感覚野(S1)、補足運動野(SMA)の賦活化が脳機能画像研究によって観察される[5]。幻肢に不快感を伴う不随意運動時には、S1/M1、SMAに加えて、小脳、前帯状回(ACC)、後部帯状回(PCC)の賦活化が観察される[6]。ただし、ACCとPCCはともに四肢運動の制御と認知にも関連する脳領域であるが、ACC/PCCの賦活化が幻肢不随意運動によって惹起される疼痛や不快感の程度と相関していたことから、ACC/PCCは不随意運動の制御に関連しているというよりは不快情動の生成と関連していると理解する方が妥当であると考えられる。これらの不快情動生成領域以外の幻肢運動に伴う脳賦活化パターンは随意運動であろうと不随意運動であろうとよく似ており、さらには健常肢運動時の脳賦活化パターンともほぼ相同であることから、脳内での四肢運動の実行・認知に関しては幻肢と健常肢には区別がないように推察できる。さらに、中枢神経系における幻肢と健常肢の区別の有無については、次のような興味深い研究が報告されている。両側上肢を同時に運動する際には一側上肢の運動パターンがもう一方の上肢の運動パターンに影響を与え両側上肢の運動が一つの運動パターンに収束する(例:右手で三角形を描きながら左手で円を描くと、右手の三角形が円形に近づいていく)ことが知られているが、このような両上肢協調運動の影響は幻上肢随意運動ともう一方の健常上肢の運動パターンにも観察され、幻肢を随意に運動することができない患者では観察されない[7]。このように行動学的評価でも、中枢神経系での四肢運動制御機構では幻肢と健常肢をほぼ相同のものとして扱っているような知見が得られている。ただし、手を脳内で無意識的に運動することを評価するmental hand rotation taskと呼ばれる心理課題では幻肢の認知(運動イメージ)が健常肢に比べて低下している[8]ことから、運動実行の準備段階である運動企図((運動イメージ)レベルでは幻肢と健常肢は異なる神経基盤によって制御されていることが示唆される。

幻肢の脳内メカニズム

皮質機能再構築(cerebral reorganization)からの観点

視床

 視床では体部位再現地図(somatotopy)が観察されるが、神経損傷による求心路遮断によって体部位再現地図の皮質機能再構築が起きる[9]。この体部位再現地図の再構築は視床電気刺激による疼痛治療によって正常地図へと再び機能再構築が生じ、疼痛と密接に関連している。さらに、幻肢痛患者の視床体部位再現地図は投射野と受容野に解離があり、これも疼痛の発症機序と考えられている。その他、四肢切断後患者では視床の萎縮が観察され罹病期間と正の相関が認められるが疼痛の強度とは相関がなく視床萎縮の幻肢痛発症への関与は否定的である。

大脳一次体性感覚野と一次運動野

 一次体性感覚野(S1)にも体部位再現地図があり、上肢切断後患者ではその患側上肢に相当する領域が縮小し、上肢の隣に位置する口の領域が拡大している[1]。幻肢痛患者に見られるS1の機能再構築は、断端部の触覚弁別を訓練することによって上肢の領域が拡大(口の領域が縮小)する機能再構築が再び起こり、それと同時に幻肢痛が軽減することが報告されている[1]。幻肢の姿勢・大きさは一定に知覚されるわけではなく、その時々によって正常な長さの肢のように感じたり、断端部に手が埋まっているような非常に短い肢に感じたりと様々に変化する。このような幻肢の大きさが変化する現象をテレスコーピング現象と呼ぶ。S1体部位再現地図の手の領域が縮小して体幹の領域に近付く度合いとテレスコーピングを知覚する度合い(どの程度、幻肢を短く感じるか?)が相関することも明らかになっており、幻肢痛だけでなく幻肢の発症にもS1の機能再構築が関与していることが示唆される[1]

 一次運動野(M1)にも体部位再現地図があり、上肢切断後幻肢痛患者では上肢領域の縮小と口領域の拡大が認められ上肢領域に存在する神経細胞の興奮性が高まっている。このようなM1の機能再構築は上肢切断後に幻肢を知覚するが疼痛(幻肢痛)を伴わない患者には観察されない[10]。また、M1への磁気刺激や電気刺激が幻肢痛をはじめとする疼痛に有用なことも報告されており、M1と幻肢痛は密接に関連している[11]

視覚フィードバック治療(visuomotor training)からの観点

 四肢運動の際には、運動の指令(command)に続いて運動結果の予測(efference copy)と実際の運動(execution)が起こり、続いて実際の運動によって得られた感覚情報(腕の肢位など)がフィードバックされ、運動予測とそのフィードバックを比較することによって新たな運動指令が準備される。この運動に伴う一連の運動系と感覚系の情報伝達は常に中枢神経系でモニターされ知覚-運動ループと呼ばれる。知覚-運動ループは多感覚情報によって統合されており、中でも視覚が最も重要である[12]。例えば、手の位置を正しく認識するためには体性感覚情報だけでは不十分で視覚的に認識しなければならない。このような視覚の優位性を利用して、鏡を用いて健常者上肢の視覚的な運動感覚と体性感覚的な運動感覚を解離させ、上肢の知覚-運動ループを破綻させると病的疼痛をはじめとする異常感覚が生じることが報告されている[13]。このこととは逆に、幻肢痛に対して鏡を用いたリハビリテーション(以下、鏡療法) を行うことによって、幻肢の随意運動の獲得とそれに伴う幻肢痛の緩和が得られたことが報告されている[14]。知覚‐運動ループの観点から切断肢について考えると、「脳からは切断肢を運動する指令(例:姿勢調節など)が常に発動されているが、実際には切断肢の運動が起こらないために感覚情報のフィードバックが欠損し運動予測との間に解離が起き、知覚-運動ループの整合性が得られていない」状況と考えることができるが、鏡療法は患肢への運動指令に対応した体性感覚情報の欠損を視覚的に代償して中枢神経系にフィードバックする結果、知覚-運動ループが再統合され病的痛みが緩和すると考えられる[15]

 知覚‐運動ループには体性感覚のうち皮膚表在感覚はあまり関与せず深部知覚のみが関与しており、鏡療法のような知覚‐運動ループを再統合させる治療では幻肢痛のうち深部知覚に関連するような疼痛(例:腕が捻じれるような疼痛、腕を押し潰されているような疼痛)には著効するが皮膚表在感覚に関連するような疼痛(例:針で刺されるような疼痛、電気が走るような疼痛)には効果がほとんどない[15]。これらのことから、知覚‐運動ループの破綻は幻肢痛の発症機序の少なくとも一部を成すものと考えられる。 

参照文献

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(執筆者:住谷昌彦 担当編集委員:入來篤史)