英:enhancer
エンハンサーとは、転写制御因子と結合することで、遺伝子の転写量を増加させる作用をもつDNAの領域のことをいう。プロモーターからの距離や位置、方向に関係なく働く(1)(2)。
構造と機能
1981年、アカゲザルのポリオーマウイルスSV40の初期遺伝子の上流に位置する72塩基対の繰り返し配列が、エンハンサーとして同定された(1)(2)。この配列を欠失させると、SV40初期遺伝子の転写量が著しく低下した。また、異なる遺伝子と連結すると転写が著しく誘導された。その後、1983年に、マウス免疫グロブリン遺伝子においてもエンハンサーが同定された(3)(4)。その他のウイルスおよび真核生物の遺伝子においてもエンハンサーが同定され、普遍的に存在する転写調節領域であることがわかった。
エンハンサーは多くの場合、ゲノムの非翻訳領域に存在する。多くの遺伝子には、複数のエンハンサーが存在する。また、エンハンサーには、転写制御因子の結合する配列が1個以上存在する。エンハンサーとそれに結合する転写制御因子が多様なため、遺伝子はそれぞれ複雑な発現制御を受けている。いつどの細胞で転写がおきるのかを、エンハンサーが中心になって制御していることが多い。例えば、多細胞生物の発生では、細胞の分化の方向性を規定する様々な遺伝子の発現が正確に制御されているが、これにはエンハンサーが重要な役割を担っている。
これまでのエンハンサーに関する知識は、限られた数の遺伝子によって得られたものであったが、最近のハイスループットな技術(ChIP-chip, ChIP-Seq)により、エンハンサーを中心としたエピジェネティックな遺伝子発現制御についての理解が近年進みつつある(5)。エンハンサーは、ヒストンの化学的修飾を通してエピジェネティックな情報を保持し、遺伝子発現制御に影響を与えていると考えられている。
作用機序
エンハンサーが転写を誘導するメカニズムには、様々なモデルが提出されているが、中でも「ルーピングモデル」が最も支持を得ている(6)(7)。転写制御因子がエンハンサーに結合すると、メディエーター(mediator)、ヒストンアセチルトランスフェラーゼ(histone acetyltransferases; HATs)、およびクロマチン再構成複合体(chromatin remodeling complex)が転写制御因子に結合する。メディエーターは、約30のサブユニットからなるタンパク質複合体で、プロモーターに結合した転写基本因子(TFIID、TFIIA)とエンハンサーに結合した転写制御因子の双方に結合し、プロモーターとエンハンサーのループによる相互作用を促進して、RNAポリメラーゼIIによる転写を開始させる(6)(8)(9)。HATsとクロマチン再構成複合体は、エンハンサーおよびプロモーター周辺のクロマチンの状態を変える。HATsのうち、CBPおよびp300は、エンハンサーにおけるコアヒストンのN末端をアセチル化する(10)(11)。アセチル化されたヒストンは、さらにクロマチン再構成複合体が結合する足場となる(12)。クロマチン再構成複合体は、ATP依存的にDNAからヌクレオソームを取り除く(13)(14)。よって、エンハンサーではヌクレオソームの数が減少するため、転写活性化因子が結合しやすくなり、さらに転写が促進される。
エンハンサーにおけるヒストンの状態は他の領域とは異なっており、転写制御に影響していると考えられている。ヒトのエンハンサーでは、ヒストンH3の4番目のリジンがメチル化され(H3K4me1/ H3K4me2)、27番目のリジンがアセチル化されていることが多い(H3K27ac)(15)。さらに、H3.3やH2A.Zと呼ばれる特別なヒストンを含むヌクレオソームが存在する(16)。これは通常のヌクレオソームより不安定で、転写制御因子がこのヌクレオソームに置き換わってDNAに結合しやすくなると考えられている。さらに、エンハンサーの活性状態によって、ヒストンの修飾が異なる例が報告されている。ヒトおよびマウスのES細胞では、活性化しているエンハンサーでは、ヒストンH3の27番目のリジンがアセチル化されているが(H3K27ac)、不活化されているエンハンサーでは、メチル化されている(H3K27me3)ことが知られている(17)。
最近になって、enhancer RNA (eRNA)とよばれるRNAがエンハンサーにおいて双方向に転写されて産生されることが見いだされた(18)。eRNAはタンパク質をコードせず、ポリアデニル化されない。エンハンサーが機能するときに産生されるが、エンハンサーの機能に関与しているかどうかは、まだよくわかっていない。一方、100塩基長以上の長さを持つノンコーディングRNA(ncRNA)が転写を調節する場合がある(19)。このncRNAのほとんどは、一方向に転写されることにより産生され、ポリアデニル化される。このncRNAをsiRNA法で阻害すると、近くの遺伝子の転写が抑制される。ncRNA遺伝子をリポーター遺伝子と連結すると、ncRNA遺伝子の方向に関係なくリポーター遺伝子の転写が活性化される。ncRNAが転写を誘導する詳しいメカニズムはまだよくわかっていない。
神経系におけるエンハンサー
Nestinのエンハンサー
中間径フィラメントの一つであるNestinは、神経幹細胞で発現し、分化するとその発現は消失する。トランスジェニックマウスを用いた解析により、Nestin遺伝子の第2イントロン内に神経幹細胞特異的な発現を誘導するエンハンサーが存在することが明らかとなっている(20)。この第2イントロンには、POUファミリーおよびSOXファミリーの転写制御因子の結合する配列が存在する(21)(22)。Brn2とSox2は、POUファミリーとSOXファミリーにそれぞれ属する転写制御因子で、神経幹細胞で発現し、第2イントロンの配列に結合してNestinの発現を誘導する(21)。また、Nestinの発現は細胞周期の進行に伴って変動している(23)。G2期からM期においてはBrn2がリン酸化されて第2イントロンの配列に結合しにくくなるため、Nestinの発現が減少する。
Nestinは神経幹細胞のよいマーカーであり、そのエンハンサーは神経幹細胞において遺伝子を発現させるのによく用いられている。蛍光タンパク質の遺伝子をNestinのエンハンサーによって発現させたトランスジェニックマウスが作成されており、このマウス由来の神経組織を用いて、セルソーターにより神経幹細胞を効率よく分離する技術が確立されている(23)(24)(25)。
Mbh1のエンハンサー
プロニューラル因子と呼ばれる転写制御因子は、神経細胞の分化を開始させるスイッチとして働く(26)。プロニューラル因子は、神経細胞の分化に先立って発現し、哺乳類の遺伝子としてMash1(Mammalian achaete-scute homolog 1) , Math1(Mammalian atonal homolog 1), Neurogenin1, Neurogenin2が知られている(27)(28)(29)。Mbh1 (Mammalian Bar-class homeobox 1)は、プロニューラル因子が直接制御する遺伝子として同定されている数少ないもののうちの一つである(30)。Mbh1は胎生期のマウス脊髄の背側において、Math1と非常によく似た発現パターンを示す。トランスジェニックマウスを用いたエンハンサー解析ならびに免疫沈降法により、Mbh1遺伝子の下流にエンハンサーが存在し、その中のE-box(CAGCTG)にMath1タンパク質が結合することが示された。E-boxをもつレポーター遺伝子とMath1を共にin vivo electroporation法によって脊髄に導入すると、レポーター遺伝子の転写が活性化したことから、Math1タンパク質はこのE-boxを介してMbh1遺伝子の転写を直接活性化すると考えられる。
関連項目
転写制御因子