養育行動の神経回路

2012年2月22日 (水) 17:05時点におけるKumikuroda (トーク | 投稿記録)による版

英:Neural circuit of parental behavior

類義語  母性行動, 子育て, 親行動,  Maternal behavior,  Nurturing behavior

要約  養育行動(Parental behavior)とは「子(Offspring)の生存可能性を高めるような親(Parent)の行動」の総称である。本稿では哺乳類、特にラット・マウスの養育行動とその神経回路機構について解説する。詳細は文献[1], [2]を参照されたい。


哺乳類養育行動の要素

巣作り(Nest building)

保温(Incubation)

給餌(Feeding)・哺乳(Nursing)

グルーミング(Grooming, Licking)・出産後の胎盤/羊膜除去(Placentophagia)

子の保護(Protection)

    外敵への攻撃(Defense, Maternal aggression)

    子を隠す(Hiding)・おとり行動(Luring)

    警戒発声(Alarm signal)

子の移動(Carrying, retrieving)

子の訓練・教育(Training)

その他(離乳Weaning, 子別れなど)


げっ歯類養育行動の概要

 養育行動は鳥類、爬虫類、両生類、魚類、さらに無脊椎動物にも広く見られる行動である。しかし哺乳類以外では養育がまったくない種も存在するのに対し、哺乳類(厳密には哺乳綱)では哺乳の必要性から、母親による養育は例外なく行われる。

<母親による出産後の養育行動(母性行動)>マウス・ラットの母親は一回の出産で5-10匹前後の仔を次々と出産し、仔に付着している羊膜や臍帯、胎盤などを取り除く。出産が終わると、用意していた巣の中に仔を集め、仔の上にまたがって授乳し保温する。このように複数の要素からなる一連の行動が妊娠中から出産直前に誘導され、少なくとも授乳中は維持される。

 <母親以外による養育行動> 哺乳類の場合、95%以上の種の父親は直接には仔を養育しないが、母子を含む群れ全体をオスが警護するなどにより、間接的に母子を保護する行動はしばしば見られる。また、一部の霊長類(マーモセット、オマキザル)や齧歯類(ビーバー、マウス)、食肉類(キツネ・タヌキ)などの種においては、父親も母親同様に哺乳を除く養育を行う。また、年長の同胞や自らの繁殖を終えた高齢のメス個体がヘルパーとして育児に参加する場合もある[3]。 

  ラット・マウスでは、未交配のメスを仔と同居させると、はじめは見慣れない仔に拒否的行動をとる場合もあるが、次第に慣れて巣づくりし、仔を巣に集め、保温したりグルーミングしたりするようになる[4]。未交配の成体オスは仔を攻撃することが多いが、交配し父親になると仔への攻撃は抑制され養育するようになる[5]。この行動変化は、オスの繁殖効率を上げる点で適応的であると考えられている。(Sarah Blaffer Hrdyの項目参照)


養育本能の神経回路機構

 養育行動発現に必要な脳内情報処理の過程を便宜上、3段階に分け, 関与する脳部位を挙げる(詳細は[6]参照)。

仔の認識

多くの哺乳類では、子どもからの匂い(嗅覚)や鳴き声(聴覚)、また子どもとの接触(触覚)などの複数の知覚情報が脳内で統合され、「これは子どもだ」という認識が生まれると考えられる。例えばラットにおいて、嗅覚・聴覚・視覚のうち単独の知覚遮断では養育行動は阻害されない。ただしマウスの養育行動はラットに比べ嗅覚に依存する部分が大きい。

行動選択

子を認識しても必ず養育するわけではない。上述のようにオスマウスでは交尾の前後で子に対し正反対の行動を取る。また、季節性繁殖をする哺乳類では、繁殖期になると突然子どもの世話をやめ、巣から追い出したり攻撃したりする場合もある。従って動物は、子からの知覚刺激と、自分や周囲の状況に関する情報を統合して、子に対する行動を選択すると考えられる。養育とくにレトリービング行動の制御を担うもっとも重要な領域は、視床下部(Hypothalamus)の吻側に位置する内側視索前野(medial preoptic area、MPOA)(図1、赤線部)である[7]。その根拠は次の3点で、MPOAよりもこれらの条件をよく満たす脳領域はほかに見つかっていない。

1 MPOAの選択的破壊はレトリービングを特異的に阻害する。

2 レトリービングを行っているラット・マウスでは、MPOAの神経細胞の転写活性が有意に上昇する。

3 エストロゲン、プロラクチンなど出産・授乳に重要なホルモンの受容体がMPOAに発現しており、これらのホルモン投与によりレトリービングが促進される。

    

   養育を抑止する方向に働く脳領域として、視床下部前核や腹内側核などが知られている。これらの脳領域の破壊はレトリービングに要する馴化時間を短縮させる。前核は摂食行動、腹内側核はメスの性行動などを促進する機能を持つ。親が非常に空腹なとき、また性行動が活性化されているときには、逆に養育行動が抑制されると考えれば理にかなっている。また扁桃体Amygdalaの破壊や分界条(Stria terminalis、扁桃体からの主要な出力路)の切断も養育行動を促進する。扁桃体内側核・中心核は新奇な仔からの知覚入力に対する忌避反応をMPOAに伝え、養育を抑制していると考えられる。


図1 養育行動に必要な脳内情報処理回路とその中枢、内側視索前野(MPOA)視索前野(Preoptic area, POA)は視床下部の吻側、前交連と視交叉にはさまれた領域であり、終脳と間脳の境界部分に位置する。POAは外側部(LPOA)と内側部(MPOA、赤線部)に分けられる。


行動計画

養育という選択を行った後、具体的に何をするか計画する必要がある。実験的に新生仔と同居させると、子育て経験のあるメスマウスであれば、まず安全な場所に巣を確保することを一番に行う。次に、仔を一匹ずつ口にくわえて巣に連れて行く。最後の一匹を巣に入れた後、もう一度ケージを一周して、残っている仔がいないか確認する。それから改めて巣に戻り、なめて清潔にする、哺乳する、保温するなどを順次、効率よく行う。最終的には、適切な巣材があれば、一人でいる時よりもはるかに大きく精巧な巣を作る。母親はこの一連の行動計画に基づいて運動系を制御し、最終的な養育行動が発現すると考えられる。経験の浅いマウスでは、仔を集めず巣の外で1匹だけを保温したり、一部の仔を巣につれていった後残りを放置していたり、また巣作りの過程で仔が巣からはみ出したのに気づかないといったことも起こる。したがって養育は本能であるとはいえ、このような一連の行動をスムーズに行うためには、ある程度経験による学習が必要であると考えられる。 

  ラットやハムスターにおいて、中隔(Septum)・海馬(Hippocampus)・帯状回(Cingulate cortex)のいずれかの外科的破壊は養育行動を非効率的にする。すなわち、複数の巣に一匹ずつ仔を置いたり、仔をくわえて走り回ったり、いったん巣に入れた仔をまた巣から出したりといった行動を繰り返す。この場合、養育本能自体は正常であるが、巣づくりやレトリービングを正しく行うために必要な空間認識が傷害されていると考えられる。その他にも、中脳被蓋野や腹側淡蒼球などの関与も指摘されている。


参考文献

  1. Rosenblatt, J. S. and C. T. Snowdon, Eds.
    Parental care: Evolution, mechanism, and adaptive significance
    Academic press., San Diego, 1996
  2. Krasnegor, N. A. and R. S. Bridges
    Mammalian parenting: biochemical, neurobiological, and behavioral determinants
    Oxford UP , New York, 1990
  3. Hrdy, S. B.
    Mother nature: Maternal instincts and how they shape the human species(邦題『マザーネイチャー:「母親」はいかにヒトを進化させたか』)
    Ballantine Books , 1999
  4. Rosenblatt, J.S. (1967).
    Nonhormonal basis of maternal behavior in the rat. Science (New York, N.Y.), 156(3781), 1512-4. [PubMed:5611028] [WorldCat] [DOI]
  5. vom Saal, F.S., & Howard, L.S. (1982).
    The regulation of infanticide and parental behavior: implications for reproductive success in male mice. Science (New York, N.Y.), 215(4537), 1270-2. [PubMed:7058349] [WorldCat] [DOI]
  6. Kuroda, K.O., Tachikawa, K., Yoshida, S., Tsuneoka, Y., & Numan, M. (2011).
    Neuromolecular basis of parental behavior in laboratory mice and rats: with special emphasis on technical issues of using mouse genetics. Progress in neuro-psychopharmacology & biological psychiatry, 35(5), 1205-31. [PubMed:21338647] [WorldCat] [DOI]
  7. Numan, M. (1986).
    The role of the medial preoptic area in the regulation of maternal behavior in the rat. Annals of the New York Academy of Sciences, 474, 226-33. [PubMed:3555225] [WorldCat] [DOI]

(執筆者:黒田公美 担当編集委員:岡本仁)