認知症
英:dementia, major neurocognitive disorder 独:Demenz 仏:démence
認知症(英: dementia, DSM-5ではmajor neurocognitive disorder)は、一度正常に達した認知機能が意識清明下で後天的に低下し日常生活や社会生活に支障をきたす状態を言う。原因疾患はアルツハイマー病などの神経変性疾患の他、血管性認知症、慢性硬膜下血腫、正常圧水頭症、脳腫瘍、感染症、各種内科疾患、薬物中毒など多彩である。本邦では「痴呆」という用語が定着していたが、その差別感・侮蔑感が指摘され2005年より「認知症」に変更することが定められた。国際的に広く用いられる診断基準としてICD-10やDSM-Ⅲ-R、DSM-Ⅳ-TRなどが挙げられ、Dementiaという用語が用いられていたが、2013年に改訂されたDSM-5においてはNeurocognitive Disordersという用語で記憶障害を必須としない定義に変更されている。高齢化の進展に伴い患者数は増加しており、また有効な根治療法が確立していないケースが多く経済的、社会的観点からも重大な課題となっている。
認知症とは
背景
認知症は概ね、意識正常下で認知機能が後天的に持続性に低下し、それにより日常生活・社会生活の障害をきたす疾患と捉えられている。近年、世界的な高齢化の進展に伴い増加している。その多くは病因未解明の神経変性疾患であるアルツハイマー病が占めており、有効な根治療法が確立していないケースが多い。認知症ケアに要する経済的コストは2010年時点で全世界において6000億ドル以上と試算され、2030年には1兆ドルにものぼると推計されている[1]。このように、高齢化が進む世界において認知症患者の増加は経済的、社会的観点からも重大な課題となっている。
歴史的推移
本邦において本概念は古来、「呆ける、惚ける、耄ける(ぼける、ほける、ほうける)」「老い痴らふ(おいしらふ)」などの一般語で表わされ、少なくとも平安時代以降の文学などにおいて記載が散見される。江戸時代には広義に「老化による衰え」というニュアンスを含む「耄碌(もうろく)」という一般語が使用されるようになる。一方、医学用語としては、江戸時代の医師である浅井貞庵の著書「方彙口訣」や本間棗軒の著書「内科秘録」の中に「健忘」の語が認められる。江戸時代末期から明治初期にかけて様々な西洋医学用語が日本語に訳されたが「Dementia」については1872年(明治5年)の「医語類聚」では「狂ノ一種」と訳され、以後も「痴狂」や「瘋癩」「痴呆」など様々に訳され一定しなかった。その後、1908年(明治41年)、東京帝国大学精神病学講座の呉秀三教授が「狂」の文字を避ける観点から「痴呆」の使用を提唱し、それが一般化した。しかし、徐々に「痴呆」という用語における差別感・侮蔑感・不適切感が指摘されるようになり、厚生労働省における議論や検討会を経て、2004年末に公的な用語としてはそれまでの「痴呆」を「認知症」と呼び変えることが決定した。一方、人間が外界の情報を内部に取り入れる知的機能・現象を表わす「認知」という言葉の後に「〜の状態」という意味の「症」を続けるのは日本語として意味が不明であり、不適切であると言う議論も出ている。
診断
診断基準
認知症の診断基準のうち、国際的に広く用いられているものとしては世界保健機関によるICD-10や、米国精神学会によるDSM-Ⅲ、DSM-Ⅳ-TRおよび2013年5月に公開されたDSM-5などが挙げられる。
ICD-10は1990年の第43回世界保健総会において採択された「疾病および関連保健問題の国際統計分類(International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems)」第10版であり、Dementiaを「脳疾患により慢性(6ヶ月以上)あるいは進行性に記憶、思考、見当識、理解、計算、学習能力、言語、判断を含む高次皮質機能障害を示す症候群で、意識は清明である」としている。ICD-10における認知症の具体的な診断基準の要約を表1に示す。2017年にはICD-11が制定・公表される予定である。
G1.以下の各項目を示す証拠が存在する。
1) 記憶力の低下 |
G2.周囲の環境に対する認識がG1の症状を明確に証明するのに十分な期間、保たれている(すなわち意識混濁は存在しない)。せん妄のエピソードが重なっている場合は認知症の診断は保留する。 |
G3.情動コントロールや意欲の低下、社会行動の変化など以下の1項目以上を認める。 1) 情動不安定 |
G4.診断確定にはG1症状が6ヶ月以上存在していることが必要。それより短い期間の場合は暫定診断とする。 |
DSM-Ⅲは1980年出版の「精神障害の診断統計マニュアル(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)」第3版であり、1987年にはその改訂版であるDSM-Ⅲ-Rが出版されている。DSM-Ⅲ-Rにおける認知症の診断基準の要約を表2に示す。また1994年には第4版にあたるDSM-Ⅳが出版され、2000年にDSM-Ⅳ-TRとして改訂されている。DSM-Ⅳ-TRにおける認知症の診断基準の要約を表3に示す。
A.短期・長期記憶障害の明らかな証拠が存在する。 |
B.以下のうち少なくとも1項目以上を認める。 1) 抽象的思考の障害 |
C.上記A、Bにより仕事、社会生活、人間関係が損なわれる。 |
D.意識変容やせん妄が存在する場合には起こらない(除外項目)。 |
E.以下のどちらかの状況にある。 1) 病歴、身体所見、検査などの証拠から器質的疾患が病因であると判断される。 |
A.多彩な認知機能障害の発現として以下の2項目がある。 1) 記憶障害(新規情報の学習や、過去に学習した情報の想起の障害) 2) 以下の認知機能障害のうち1項目以上を認める。 |
B.上記A-1)、A-2)の認知機能障害各々が社会的もしくは職業的機能の著しい障害を引き起こし、病前の機能水準からの著しい低下を示す。 |
C.この障害はせん妄の経過中にのみ現れるものではない。 |
これらの診断基準を踏まえ、本邦の認知症疾患治療ガイドライン2010では認知症を「一度正常に達した認知機能が後天的な脳の障害によって持続性に低下し、日常生活や社会生活に支障をきたすようになった状態を言い、それが意識障害のないときに見られる。」と定義している。
他方、2013年に公表されたDSM-5ではDementiaという用語は消失し、代わりに「神経認知障害:Neurocognitive Disorders(ND)」と総称することを提唱している。Dementiaという用語が廃止されたのは語源的に「De (without) + mentia (mind)」と構成されており、「mad」「crazy」「insane」「lunatic」など「狂」を意味する語と類義で差別的・侮蔑的なためとされる。認知症に該当するMajor NDの診断基準を表4に示す。
A.1つ以上の認知領域(複雑性注意、遂行機能、学習と記憶、言語、知覚-運動、社会的認知)において過去の水準から明らかな認知の低下を来しているという以下に基づく証拠がある。 1) 本人、本人を良く知る情報提供者、もしくは臨床医による認知機能の明らかな低下があるという懸念。 |
B.毎日の活動において認知機能障害が自立性を阻害している(例:請求書の支払いや服薬管理など日常生活における複雑な操作的活動に援助を要する)。 |
C.認知機能障害はせん妄の経過中にのみ起こるものではない。 |
D.認知機能障害は他の精神疾患ではうまく説明されない(例:うつ病、統合失調症)。 |
DSM-5の変更点に対する本邦の対応は、Major NDが内容的に従来のDementiaと重なる部分が多いこと、またDementiaに対する用語が本邦ではすでに「痴呆」から「認知症」へと変更されており社会的にも受け入れられていることから、Major NDを「認知症」とすることが日本精神神経学会 精神科用語検討委員会 精神科病名検討連絡会にて承認されている。
鑑別診断
認知症と鑑別すべき疾患・病態としては、せん妄などの意識障害、抑うつ状態、統合失調症などが挙げられる。せん妄は症状に類似点も多く、各種診断基準においても除外項目に挙げられることが多いが、本質は意識障害であり急性発症である点、興奮や幻覚で発症することが多い点、日内変動が見られやすい点、数日から数週間で軽快することが多い点などが鑑別点として挙げられる。
また認知症を呈する疾患の鑑別診断には、アルツハイマー病、レビー小体型認知症、前頭側頭葉変性症、嗜銀顆粒性認知症、進行性核上性麻痺、大脳皮質基底核変性症、ハンチントン病などの神経変性疾患が挙げられる他、脳血管障害による血管性認知症、慢性硬膜下血腫、正常圧水頭症、硬膜動静脈瘻、脳腫瘍、外傷性脳損傷、慢性外傷性脳症、Creutzfeldt-Jakob病やその他の感染症としてHIV感染症、亜急性硬化性全脳炎、進行性多巣性白質脳症、神経梅毒、髄膜脳炎など多彩な脳・神経疾患が挙げられる。また上記以外にもパーキンソン病や多発性硬化症、筋萎縮性側索硬化症、あるいは神経ベーチェットやサルコイドーシスなど全身性疾患の中枢神経症状においても認知症を合併する場合がある。さらに、甲状腺機能低下症などの内分泌疾患、糖尿病、栄養異常(ビタミンB1やB12低下)などの代謝疾患、肝不全や腎不全などの臓器不全、アルコールや麻薬、その他薬物や金属、一酸化炭素による中毒など、各種身体疾患においても認知症は認められ、鑑別の範囲は非常に多岐に渡る。
検査
認知症であるか否か、あるいは認知症性疾患であるとしてどのような診断であるのか、以下のような検査が必要になる。
神経心理検査
認知症であるか否かのスクリーニング検査のうち、質問式の方法としては本邦では長谷川式認知症スケール(Hasegawa’s Dementia Scale-Revised:HDS-R)やMini-Mental State Examination(MMSE)が広く用いられる。HDS-Rは1974年に作成された長谷川式簡易知能スケールの改訂版(1991年)であり、2004年の認知症への改称に伴い2005年から現在の名称になっている。9つの設問からなり最高点は30点満点で21点以上を正常、20点以下を認知症の疑いとする。MMSEは国際的に最も広く使用されている方法で、11の設問からなる。最高点は30点満点で24点以上を正常、23点以下を認知症の疑いとしていたが、最近では27点以上を正常、22〜26点を軽度認知症の疑い、21点以下を認知症の疑いが強いとする基準も用いられる。他にも、より簡便なスクリーニング法として「10時10分もしくは8時20分を指す時計の文字盤を描かせる」Clock Drawing Test(CDT)や年齢、日付、生年月日などのみを質問する方法なども行われる。またHDS-RやMMSEでは評価が困難な前頭葉機能の評価法としてFrontal Assessment Battery(FAB)が挙げられる。これは6設問からなり最高点は18点満点でカットオフ値については諸説あり、11、12点を勧める報告[2]などが散見される。
同義語:痴呆、呆け、耄け、老耄、耄碌
(執筆者:松村晃寛、川又 純、下濱 俊 担当編集委員:漆谷 真)