「病識」の版間の差分

316 バイト追加 、 2012年1月16日 (月)
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持続的な精神症状や後遺障害への対処スキルや、薬物療法と協同していくためのさまざまなスキル形成をねらう認知行動療法のアプローチや、近年研究報告の増えている幻覚や妄想への認知療法によって、障害認識や病識を認知・行動のレベルで形成していくアプローチも有用と思われる。認知行動療法の視点からは、病識欠如をより具体的かつ観察可能な対処行動のレベルでとらえ、ひとつひとつの対処行動を改善の標的とする。たとえば服薬を中断してしまうことを取り上げても、さまざまな対処スキルが関係する。
持続的な精神症状や後遺障害への対処スキルや、薬物療法と協同していくためのさまざまなスキル形成をねらう認知行動療法のアプローチや、近年研究報告の増えている幻覚や妄想への認知療法によって、障害認識や病識を認知・行動のレベルで形成していくアプローチも有用と思われる。認知行動療法の視点からは、病識欠如をより具体的かつ観察可能な対処行動のレベルでとらえ、ひとつひとつの対処行動を改善の標的とする。たとえば服薬を中断してしまうことを取り上げても、さまざまな対処スキルが関係する。
 仲間体験を通して、精神障害やそれに伴うさまざまなハンディの受容をはぐくむ集団アプローチや、セルフヘルプの体験も有用であろう。心理教育や認知行動療法はしばしば集団で行われ、そのために集団であることによるさまざまな治療的要因が活用できる。安永27)は、障害認識を姿勢覚になぞらえた上で、他者との交流のもたらす治療的要因を以下のように述べている。「この機能が多少とも進歩、分化するためには、他者の運動観察とその取り入れ(同一化と再同一化)がきわめて重要である」「意識の目を他者に移してみること、他者(の身)になってみること、他者を「了解」しようと努力することである。それらがことごとく、実は同時に自己内部を見ていることになっていく」と述べている。集団の治療的要因についての、精神療法の側面からの視点といえるだろう。
 仲間体験を通して、精神障害やそれに伴うさまざまなハンディの受容をはぐくむ集団アプローチや、セルフヘルプの体験も有用であろう。心理教育や認知行動療法はしばしば集団で行われ、そのために集団であることによるさまざまな治療的要因が活用できる。安永27)は、障害認識を姿勢覚になぞらえた上で、他者との交流のもたらす治療的要因を以下のように述べている。「この機能が多少とも進歩、分化するためには、他者の運動観察とその取り入れ(同一化と再同一化)がきわめて重要である」「意識の目を他者に移してみること、他者(の身)になってみること、他者を「了解」しようと努力することである。それらがことごとく、実は同時に自己内部を見ていることになっていく」と述べている。集団の治療的要因についての、精神療法の側面からの視点といえるだろう。
Rommeら23,24)は人々(患者とは限らない)の「幻聴とのつきあい方」を調査し、34%が「幻聴とうまくつきあえている」と答えていたが、これらの人の多くは幻聴を病気としてのサインではなく、その人の人生の中で必然的に生じた個性の一部としてとらえ、共存していこうとする見方をとっていた。社会のスティグマがないところでは、障害認識や病識はより形成されやすいと彼らは考えている。したがって社会のスティグマを減らす努力が求められているし、精神障害の程度にかかわらず仲間に受け入れられ、精神病体験も共感をもって受け止められる体験の中で、自身の体験を受容し対処していく中で、障害認識・病識ははぐくまれると考えられる。
Rommeら<ref>'''Romme, M.A.J., Escher,A.D.M.A.C.'''<br>Hearing voices.<br>''Schizophr Bull:'' 1989, 15:209-216</ref>,<ref>'''Romme, M.A.J., Escher,A.D.M.A.C.'''<br>Empowering people who hear voicesHearing voices.<br>''G. Haddock,P.D.Slade eds. Cognitive-Behavioural Interventions with Psychotic Disorders.:'' 1996, pp137-150</ref>は人々(患者とは限らない)の「幻聴とのつきあい方」を調査し、34%が「幻聴とうまくつきあえている」と答えていたが、これらの人の多くは幻聴を病気としてのサインではなく、その人の人生の中で必然的に生じた個性の一部としてとらえ、共存していこうとする見方をとっていた。社会のスティグマがないところでは、障害認識や病識はより形成されやすいと彼らは考えている。したがって社会のスティグマを減らす努力が求められているし、精神障害の程度にかかわらず仲間に受け入れられ、精神病体験も共感をもって受け止められる体験の中で、自身の体験を受容し対処していく中で、障害認識・病識ははぐくまれると考えられる。