「空間的注意」の版間の差分

編集の要約なし
編集の要約なし
編集の要約なし
9行目: 9行目:
[[Image:Posner.jpg|thumb|right|300px|'''図1. Posner課題''' <br />被験者は、スクリーン中央を固視しながら、ターゲット(右列の赤丸)の呈示後すぐにボタンを押すように指示される(単純反応時間課題)。ターゲットに先立って、その位置を知らせる手がかりが固視点の周りに呈示される。80%の試行では矢印が示す方向にターゲットが現れ(一致条件)、20%の試行では反対側に提示される(不一致条件)。両矢印の場合は、50%の確率で右または左にターゲットが提示される(対照条件)。]]  
[[Image:Posner.jpg|thumb|right|300px|'''図1. Posner課題''' <br />被験者は、スクリーン中央を固視しながら、ターゲット(右列の赤丸)の呈示後すぐにボタンを押すように指示される(単純反応時間課題)。ターゲットに先立って、その位置を知らせる手がかりが固視点の周りに呈示される。80%の試行では矢印が示す方向にターゲットが現れ(一致条件)、20%の試行では反対側に提示される(不一致条件)。両矢印の場合は、50%の確率で右または左にターゲットが提示される(対照条件)。]]  


 注意をある位置や色などに向けると、その属性をもつ対象の検出や弁別が素早く、正確になる。19世紀、[[wikipedia:ja:ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ|Helmholtz]]は電気スパークによる一瞬の光で、暗い部屋の壁に掲げた文字列の一部を読ませる実験を行い、前もって注意を向けていた位置に書かれた文字は読めるが、他の文字はまったく判読できないことを示した<ref>von Helmholtz, H.<br>Helmholtz's treatise on physiological optics<br>Dover(New York):1962</ref>。こうした注意の効果を定量化する方法として、現在もっとも有名で広く利用されているのがPosner課題(<ref>Posner, M.I.<br>Orienting of attention.<br>Q J Exp Psychol 32, 3-25:1980</ref>、図1)である。試行中、被験者はスクリーン中央の固視点を見続けるように指示され、左右に提示されたボックスのいずれかの中心にターゲットが現れると、できるだけ素早く手元のボタンを押すことになっている(単純反応時間課題)。ターゲットに先立って、その位置を知らせる手がかりが固視点に呈示される。左または右向きの矢印が現れた場合、80%の試行ではそれと同じ側にターゲットを提示し(一致条件)、20%の試行では反対側に提示する(不一致条件)。矢印の代わりにプラス記号が現れた試行では、50%の確率で右または左にターゲットを提示し、対照条件(注意を向けない)とする。このとき、一致条件では対照条件に比べて[[反応時間]]が短縮し、不一致条件では対照条件に比べて反応時間が延長する。一般に、注意を向けたことによる反応時間の短縮をbenefit、注意を他に向けたことによる反応時間の延長をcostと呼び、costの方がbenefitよりも大きいことが多い。画面中央の矢印に従って注意を配分するように、被験者が意図的に制御する注意誘導を、[[内発的注意|内発的(endogenous)注意]]と呼ぶ。内発的注意は、[[目的指向性注意|目的指向性]](goal-directed,goal-oriented)、または[[トップダウン注意|トップダウン(top-down)注意]]とよばれることもある。  
 注意をある位置や色などに向けると、その属性をもつ対象の検出や弁別が素早く、正確になる。19世紀、[[wikipedia:ja:ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ|Helmholtz]]は電気スパークによる一瞬の光で、暗い部屋の壁に掲げた文字列の一部を読ませる実験を行い、前もって注意を向けていた位置に書かれた文字は読めるが、他の文字はまったく判読できないことを示した<ref>'''von Helmholtz, H.'''<br>Helmholtz's treatise on physiological optics<br>Dover(New York):1962</ref>。こうした注意の効果を定量化する方法として、現在もっとも有名で広く利用されているのがPosner課題(<ref>'''Posner, M.I.'''<br>Orienting of attention.<br>''Q J Exp Psychol'' 32, 3-25:1980</ref>、図1)である。試行中、被験者はスクリーン中央の固視点を見続けるように指示され、左右に提示されたボックスのいずれかの中心にターゲットが現れると、できるだけ素早く手元のボタンを押すことになっている(単純反応時間課題)。ターゲットに先立って、その位置を知らせる手がかりが固視点に呈示される。左または右向きの矢印が現れた場合、80%の試行ではそれと同じ側にターゲットを提示し(一致条件)、20%の試行では反対側に提示する(不一致条件)。矢印の代わりにプラス記号が現れた試行では、50%の確率で右または左にターゲットを提示し、対照条件(注意を向けない)とする。このとき、一致条件では対照条件に比べて[[反応時間]]が短縮し、不一致条件では対照条件に比べて反応時間が延長する。一般に、注意を向けたことによる反応時間の短縮をbenefit、注意を他に向けたことによる反応時間の延長をcostと呼び、costの方がbenefitよりも大きいことが多い。画面中央の矢印に従って注意を配分するように、被験者が意図的に制御する注意誘導を、[[内発的注意|内発的(endogenous)注意]]と呼ぶ。内発的注意は、[[目的指向性注意|目的指向性]](goal-directed,goal-oriented)、または[[トップダウン注意|トップダウン(top-down)注意]]とよばれることもある。  


 また、同様の結果は、ターゲットの位置を前もって知らせる手がかりとして左右のボックスのいずれかをフラッシュさせても得ることができる。フラッシュのように顕著な刺激に対し強制的に注意が向けられることを、[[外発的注意|外発的(exogenous)注意]]と呼び、[[刺激駆動性注意|刺激駆動性]](stimulus-driven)または[[ボトムアップ注意|ボトムアップ(bottom-up)注意]]とよばれることもある。しかし、ターゲットがフラッシュ直後に呈示されず、数百ミリ秒後が経過した後に呈示された場合は結果が異なってくる。すなわち、手がかりが出た位置に現れたターゲットへの反応時間は、その他の位置に出た場合比べて却って遅くなる。これは[[復帰抑制]](inhibition of return; IOR)とよばれる現象で、視野内のまだ注意していない位置に注意を向けやすくする働きがあると考えられている<ref>Posner, M.I., and Cohen, Y. <br>Components of visual orienting. In Attention and performance X. pp. 531-556<br>Erlbaum(London):1984</ref><ref name="ref2"><pubmed> 3405288</pubmed></ref>。  
 また、同様の結果は、ターゲットの位置を前もって知らせる手がかりとして左右のボックスのいずれかをフラッシュさせても得ることができる。フラッシュのように顕著な刺激に対し強制的に注意が向けられることを、[[外発的注意|外発的(exogenous)注意]]と呼び、[[刺激駆動性注意|刺激駆動性]](stimulus-driven)または[[ボトムアップ注意|ボトムアップ(bottom-up)注意]]とよばれることもある。しかし、ターゲットがフラッシュ直後に呈示されず、数百ミリ秒後が経過した後に呈示された場合は結果が異なってくる。すなわち、手がかりが出た位置に現れたターゲットへの反応時間は、その他の位置に出た場合比べて却って遅くなる。これは[[復帰抑制]](inhibition of return; IOR)とよばれる現象で、視野内のまだ注意していない位置に注意を向けやすくする働きがあると考えられている<ref>'''Posner, M.I., and Cohen, Y.''' <br>Components of visual orienting. In Attention and performance X. pp. 531-556<br>Erlbaum(London):1984</ref><ref name="ref2"><pubmed> 3405288</pubmed></ref>。  


== 空間的注意に伴う諸現象  ==
== 空間的注意に伴う諸現象  ==


[[Image:Carassco.jpg|thumb|right|250px|'''図2 Carrascoらの使用した視覚刺激''' <br />被験者は、他の線分と異なる傾きを持った線分の有無を答えなければならない。]]  
[[Image:Carassco.jpg|thumb|right|250px|'''図2.Carrascoらの使用した視覚刺激''' <br />被験者は、他の線分と異なる傾きを持った線分の有無を答えなければならない。]]  


 注意をある位置に向けると、その位置における[[知覚]]が向上する。例えば、注意による空間解像度の上昇<ref><pubmed> 9817201</pubmed></ref>が知られている。Carrascoらが行なった実験では、図2のような視覚刺激がごく短時間(40ミリ秒)示され、被験者は、他の線分と異なる傾きを持った線分(ターゲット)の有無を答えなければならない。このとき、ターゲットが固視点から3度ほど離れたときに最も検出率が良く、それより近くても遠くても検出率は低下する。空間解像度は、[[網膜中心窩]]でもっとも高く、そこから離れるにつれて低下するため、ターゲットを検出するには、適度な空間解像度が必要であることが示唆される。そこで、視覚刺激呈示の直前に、ターゲットの現れる位置に手がかり刺激を呈示すると、ターゲットが固視点から近い場合(視角にして1度以下)には検出率が低下し、遠い場合(5度以上)では検出率が向上した。このことは、注意を向けることで、その位置の空間解像度が上昇したため、もともと空間解像度が高すぎるために検出率が低かった場所ではさらに検出率が低下し、もともと空間解像度が低すぎるために検出率が低かった場所では検出率が向上したことを示している。  
 注意をある位置に向けると、その位置における[[知覚]]が向上する。例えば、注意による空間解像度の上昇<ref><pubmed> 9817201</pubmed></ref>が知られている。Carrascoらが行なった実験では、図2のような視覚刺激がごく短時間(40ミリ秒)示され、被験者は、他の線分と異なる傾きを持った線分(ターゲット)の有無を答えなければならない。このとき、ターゲットが固視点から3度ほど離れたときに最も検出率が良く、それより近くても遠くても検出率は低下する。空間解像度は、[[網膜中心窩]]でもっとも高く、そこから離れるにつれて低下するため、ターゲットを検出するには、適度な空間解像度が必要であることが示唆される。そこで、視覚刺激呈示の直前に、ターゲットの現れる位置に手がかり刺激を呈示すると、ターゲットが固視点から近い場合(視角にして1度以下)には検出率が低下し、遠い場合(5度以上)では検出率が向上した。このことは、注意を向けることで、その位置の空間解像度が上昇したため、もともと空間解像度が高すぎるために検出率が低かった場所ではさらに検出率が低下し、もともと空間解像度が低すぎるために検出率が低かった場所では検出率が向上したことを示している。  
31行目: 31行目:
 同側視野内であっても、注意を向けた位置とそれ以外の位置に提示された視覚刺激への神経応答が異なることが、[[wikipedia:ja:サル|サル]]を用いた研究で示されている。多数の単一ニューロンの活動を比較した結果、注意による変化はより高次の[[視覚領野]]にいくほど大きくなることが明らかにされている。例えば、[[受容野]]に注意をむけることによって、[[V1]]ニューロンの活動は平均で10%程度しか上昇しないのに対し、[[V4]]や[[MT野]]では約25%、[[MST野]]や[[VIP野]]では約40%、[[ブロードマン7野|7a野]]では約50%もの上昇が見られる<ref><pubmed>12217174</pubmed></ref>。  
 同側視野内であっても、注意を向けた位置とそれ以外の位置に提示された視覚刺激への神経応答が異なることが、[[wikipedia:ja:サル|サル]]を用いた研究で示されている。多数の単一ニューロンの活動を比較した結果、注意による変化はより高次の[[視覚領野]]にいくほど大きくなることが明らかにされている。例えば、[[受容野]]に注意をむけることによって、[[V1]]ニューロンの活動は平均で10%程度しか上昇しないのに対し、[[V4]]や[[MT野]]では約25%、[[MST野]]や[[VIP野]]では約40%、[[ブロードマン7野|7a野]]では約50%もの上昇が見られる<ref><pubmed>12217174</pubmed></ref>。  


 選択的注意と密接に関係した実験課題に、視覚探索(visual search)課題がある(図3)<ref>Eriksen, C.W.<br>Partitioning and Saturation of Visual Displays and Efficiency of Visual Search. <br>Journal of Applied Psychology 39, 73-77:1955</ref>。Schallらは、ターゲット(ここでは赤い丸)に向かってサッカードするようにサルを訓練した。妨害刺激がすべてターゲットと異なる色である場合には、ボトムアップ的にターゲットに注意が捕捉される(図3A)。このとき、[[前頭眼野]](frontal eye fields; FEF)のニューロンの多くは、受容野内に妨害刺激が呈示された場合に比べてターゲットが呈示された場合に強い視覚応答を示す<ref><pubmed>    8247155</pubmed></ref>。  
 選択的注意と密接に関係した実験課題に、視覚探索(visual search)課題がある(図3)<ref>'''Eriksen, C.W.'''<br>Partitioning and Saturation of Visual Displays and Efficiency of Visual Search. <br>''Journal of Applied Psychology'' 39, 73-77:1955</ref>。Schallらは、ターゲット(ここでは赤い丸)に向かってサッカードするようにサルを訓練した。妨害刺激がすべてターゲットと異なる色である場合には、ボトムアップ的にターゲットに注意が捕捉される(図3A)。このとき、[[前頭眼野]](frontal eye fields; FEF)のニューロンの多くは、受容野内に妨害刺激が呈示された場合に比べてターゲットが呈示された場合に強い視覚応答を示す<ref><pubmed>    8247155</pubmed></ref>。  


 一方で、図3Bのように色と形の二つの属性の組み合わせでターゲットが定義されている(conjunction search)場合、呈示された視覚刺激の一つ一つに対してトップダウン的に注意を向け、逐次的に処理をする必要がある。これをより効率的に行うには、一度処理した刺激に再び注意を向けないようにする必要があると考えられる。実際、[[wikipedia:ja:ヒト|ヒト]]やサルがそのような戦略をとっていることが心理実験で明らかにされているし<ref name="ref2" /><ref><pubmed>    19618485</pubmed></ref>、頭頂葉において一度処理された刺激に対する視覚応答が減弱することが示されている<ref><pubmed> 19812286</pubmed></ref>。この現象は、前述の復帰抑制(IOR)と深いかかわりがあると考えられる<ref>Klein, R.M., and MacInnes, W.J. <br>Inhibition of return is a foraging facilitator in visual search.<br>Psychological Science 10, 346-352:1999</ref>。  
 一方で、図3Bのように色と形の二つの属性の組み合わせでターゲットが定義されている(conjunction search)場合、呈示された視覚刺激の一つ一つに対してトップダウン的に注意を向け、逐次的に処理をする必要がある。これをより効率的に行うには、一度処理した刺激に再び注意を向けないようにする必要があると考えられる。実際、[[wikipedia:ja:ヒト|ヒト]]やサルがそのような戦略をとっていることが心理実験で明らかにされているし<ref name="ref2" /><ref><pubmed>    19618485</pubmed></ref>、頭頂葉において一度処理された刺激に対する視覚応答が減弱することが示されている<ref><pubmed> 19812286</pubmed></ref>。この現象は、前述の復帰抑制(IOR)と深いかかわりがあると考えられる<ref>'''Klein, R.M., and MacInnes, W.J.''' <br>Inhibition of return is a foraging facilitator in visual search.<br>''Psychological Science'' 10, 346-352:1999</ref>。  


 また、視覚探索課題を用いて、ボトムアップ注意とトップダウン注意の相互作用が調べられている。図3Cのように、一つだけ色の異なる、非常に目立った妨害刺激があると、ターゲットの検出が遅れる。これは、目立つ妨害刺激に対して否応なしに注意が捕捉されるためであると考えられる。しかし、顕著な刺激が常に妨害刺激であるということがあらかじめ分かっている状況では、その遅れが消失する<ref><pubmed>8008550</pubmed></ref>。このことは、トップダウンの構えによって、ボトムアップ的な注意捕捉を抑制できることを示しており、実際、サルを用いた研究により、顕著な刺激に対する頭頂葉ニューロンの視覚応答が、顕著でない妨害刺激に対する視覚応答より弱くなることが示されている<ref><pubmed>16819520</pubmed></ref>。このように、一方が他方を弱めることができるということは、トップダウン注意とボトムアップ注意がある程度独立した2つの機構によって担われていることを示唆する。
 また、視覚探索課題を用いて、ボトムアップ注意とトップダウン注意の相互作用が調べられている。図3Cのように、一つだけ色の異なる、非常に目立った妨害刺激があると、ターゲットの検出が遅れる。これは、目立つ妨害刺激に対して否応なしに注意が捕捉されるためであると考えられる。しかし、顕著な刺激が常に妨害刺激であるということがあらかじめ分かっている状況では、その遅れが消失する<ref><pubmed>8008550</pubmed></ref>。このことは、トップダウンの構えによって、ボトムアップ的な注意捕捉を抑制できることを示しており、実際、サルを用いた研究により、顕著な刺激に対する頭頂葉ニューロンの視覚応答が、顕著でない妨害刺激に対する視覚応答より弱くなることが示されている<ref><pubmed>16819520</pubmed></ref>。このように、一方が他方を弱めることができるということは、トップダウン注意とボトムアップ注意がある程度独立した2つの機構によって担われていることを示唆する。


<br>  
=== トップダウン注意とボトムアップ注意の制御領域  ===
[[Image:Corbetta.jpg|thumb|right|300px|'''図4. 注意に関連した大脳部位'''<br />背側系(青)と腹側系(オレンジ)の少なくとも2つに分かれていると考えられている。<br />Neuron 58(3):306-24, 2008 より、許可を得て転載]]&nbsp;


=== トップダウン注意とボトムアップ注意の制御領域  ===
[[Image:Corbetta.jpg|thumb|right|300px|'''図4. 注意に関連した大脳部位'''<br />背側系(青)と腹側系(オレンジ)の少なくとも2つに分かれていると考えられている。<br />Neuron 58(3):306-24, 2008 より、許可を得て転載]]&nbsp;
 では、トップダウン注意とボトムアップ注意は、脳のどこで処理されているのであろうか。Millerらは、訓練したサルの前頭葉(前頭眼野)と[[頭頂葉]]([[LIP野]])からニューロン活動を同時記録し、図3Bのようにトップダウン注意を要する場合では前頭葉が、図3Aのようにボトムアップ注意が働く場合では頭頂葉が、ターゲットの位置情報をより早く表現することを明らかにした<ref><pubmed>17395832</pubmed></ref>。また、[[FMRI]]を用いた研究によって、二つの注意に関わるネットワークが詳しく調べられている(図4)。トップダウン的にある位置に注意を向けるとき、前頭眼野を含む[[上前頭連合野]]と[[頭頂間溝]]周囲の上頭頂連合野の活動の上昇がほぼ両側性に認められる(図4、青色の部分)。空間以外の視覚属性に注意を向けている場合も同様に、背側前頭-[[頭頂連合野]]のネットワークが関与する<ref><pubmed>11994752</pubmed></ref>。予期しない、顕著な刺激によってボトムアップ的に注意が惹きつけられる際には、上述の背側ネットワークに加え、主として[[右半球]]の[[下前頭前皮質]]、[[下頭頂側頭境界部]]、左の[[帯状回前部]]と[[補足運動野]]の活動の上昇が認められる(図4、オレンジ色の部分)。このように、背側のネットワークはトップダウン的、ボトムアップ的な注意のいずれにも関与し、これらを統合することで行動に必要となる感覚情報の選択を行うのに対し、腹側のネットワークは背側のネットワークに干渉し、その情報処理にバイアスを加えていると考えられる。  
 では、トップダウン注意とボトムアップ注意は、脳のどこで処理されているのであろうか。Millerらは、訓練したサルの前頭葉(前頭眼野)と[[頭頂葉]]([[LIP野]])からニューロン活動を同時記録し、図3Bのようにトップダウン注意を要する場合では前頭葉が、図3Aのようにボトムアップ注意が働く場合では頭頂葉が、ターゲットの位置情報をより早く表現することを明らかにした<ref><pubmed>17395832</pubmed></ref>。また、[[FMRI]]を用いた研究によって、二つの注意に関わるネットワークが詳しく調べられている(図4)。トップダウン的にある位置に注意を向けるとき、前頭眼野を含む[[上前頭連合野]]と[[頭頂間溝]]周囲の上頭頂連合野の活動の上昇がほぼ両側性に認められる(図4、青色の部分)。空間以外の視覚属性に注意を向けている場合も同様に、背側前頭-[[頭頂連合野]]のネットワークが関与する<ref><pubmed>11994752</pubmed></ref>。予期しない、顕著な刺激によってボトムアップ的に注意が惹きつけられる際には、上述の背側ネットワークに加え、主として[[右半球]]の[[下前頭前皮質]]、[[下頭頂側頭境界部]]、左の[[帯状回前部]]と[[補足運動野]]の活動の上昇が認められる(図4、オレンジ色の部分)。このように、背側のネットワークはトップダウン的、ボトムアップ的な注意のいずれにも関与し、これらを統合することで行動に必要となる感覚情報の選択を行うのに対し、腹側のネットワークは背側のネットワークに干渉し、その情報処理にバイアスを加えていると考えられる。  


53行目: 52行目:
 ある場所に注意を向けることはその場所への眼球運動を準備することに等しいとする仮説がある([[注意の前運動理論]];premotor theory of attention)。注意と眼球運動が神経機構の一部を共有している証拠として、眼球運動の軌跡が注意の方向によって変化することが、ヒトの行動実験やサルを用いた電気刺激実験などで知られている(<ref><pubmed>8056071</pubmed></ref>、図5)。しかし、ある瞬間にはひとつの場所にしか眼を向けられないことを考えると、この仮説には問題があるようにも思われる。ヒトは、左右それぞれの視野で2つずつ、計4つの物体に同時に注意を向けることができるとの報告もあり<ref><pubmed>16102067</pubmed></ref>、このような時に眼球運動系がどのようにして注意を制御しているのか、今後さらなる研究が必要である。  
 ある場所に注意を向けることはその場所への眼球運動を準備することに等しいとする仮説がある([[注意の前運動理論]];premotor theory of attention)。注意と眼球運動が神経機構の一部を共有している証拠として、眼球運動の軌跡が注意の方向によって変化することが、ヒトの行動実験やサルを用いた電気刺激実験などで知られている(<ref><pubmed>8056071</pubmed></ref>、図5)。しかし、ある瞬間にはひとつの場所にしか眼を向けられないことを考えると、この仮説には問題があるようにも思われる。ヒトは、左右それぞれの視野で2つずつ、計4つの物体に同時に注意を向けることができるとの報告もあり<ref><pubmed>16102067</pubmed></ref>、このような時に眼球運動系がどのようにして注意を制御しているのか、今後さらなる研究が必要である。  


 前頭眼野、[[補足眼野]]、LIP野(頭頂間溝外側部)、[[上丘]]などの眼球運動関連領野が実際に空間的注意に関与することは、ヒトやサルを用いた実験で繰り返し示されてきた。fMRIを用いて、画面上の刺激に次々に眼球運動を行っている最中と、眼を動かさないで同様の刺激に注意を向けている場合で活動が上昇する脳部位をfMRIを用いて詳細に比較した研究によると、これらの課題で活動した部位は、前頭眼野とLIP野近傍では8割以上、補足眼野でも約6割が重複していた<ref><pubmed>9808463</pubmed></ref><ref><pubmed>17921456</pubmed></ref>。また、前述の視覚探索課題中でも、眼球運動関連領野内の視覚応答性をもつニューロンの多くが、その受容野に注意を向けた際に活動の大きさを変化させた。  
 前頭眼野、[[補足眼野]]、LIP野(頭頂間溝外側部)、[[上丘]]などの眼球運動関連領野が実際に空間的注意に関与することは、ヒトやサルを用いた実験で繰り返し示されてきた。fMRIを用いて、画面上の刺激に次々に眼球運動を行っている最中と、眼を動かさないで同様の刺激に注意を向けている場合で活動が上昇する脳部位をfMRIを用いて詳細に比較した研究によると、これらの課題で活動した部位は、前頭眼野とLIP野近傍では8割以上、補足眼野でも約6割が重複していた<ref><pubmed>9808463</pubmed></ref><ref><pubmed>17921456</pubmed></ref>。また、前述の視覚探索課題中でも、眼球運動関連領野内の視覚応答性をもつニューロンの多くが、その受容野に注意を向けた際に活動の大きさを変化させた。  


 神経活動と空間的注意の相関だけでは、それらの因果関係は分からない。最近、これに答える実験がなされた(図6、<ref><pubmed>11158629</pubmed></ref>)。Mooreらは周辺視野に呈示された視覚刺激の輝度変化を検出すると手元のレバーを離すようにサルを訓練した。ターゲットとなる視覚刺激から注意をそらすために視野全体に多数の点滅する妨害刺激を提示しておき、注意の度合いをサルが検出可能なターゲットの輝度変化として定量化した。前頭眼野に電極を刺入し、電気刺激を与えてその場所にあるニューロンが符号化している[[サッカード]]の行き先(movement field)を前もって調べておき、そこにターゲットを配置した。輝度を変化させる直前に、眼球運動が起こらない程度の弱い電気刺激を与えたところ、サルが検出することのできる輝度変化の閾値が有意に低下した。このことから、前頭眼野の信号は、注意を一定の場所に向ける要因となっていることが示唆された。同様の現象は、別の研究者たちによって[[上丘]]の電気刺激でも生じることが確認されている<ref><pubmed>15601760</pubmed></ref>。  
 神経活動と空間的注意の相関だけでは、それらの因果関係は分からない。最近、これに答える実験がなされた(図6、<ref><pubmed>11158629</pubmed></ref>)。Mooreらは周辺視野に呈示された視覚刺激の輝度変化を検出すると手元のレバーを離すようにサルを訓練した。ターゲットとなる視覚刺激から注意をそらすために視野全体に多数の点滅する妨害刺激を提示しておき、注意の度合いをサルが検出可能なターゲットの輝度変化として定量化した。前頭眼野に電極を刺入し、電気刺激を与えてその場所にあるニューロンが符号化している[[サッカード]]の行き先(movement field)を前もって調べておき、そこにターゲットを配置した。輝度を変化させる直前に、眼球運動が起こらない程度の弱い電気刺激を与えたところ、サルが検出することのできる輝度変化の閾値が有意に低下した。このことから、前頭眼野の信号は、注意を一定の場所に向ける要因となっていることが示唆された。同様の現象は、別の研究者たちによって[[上丘]]の電気刺激でも生じることが確認されている<ref><pubmed>15601760</pubmed></ref>。  
71行目: 70行目:
*[[頭頂連合野]]  
*[[頭頂連合野]]  
*[[前頭連合野]]
*[[前頭連合野]]
<br>


== 参考文献  ==
== 参考文献  ==
<references />


<references />


<br> (執筆者:松嶋藻乃、田中真樹  担当編集委員:定藤規弘先生)
(執筆者:松嶋藻乃、田中真樹 担当編集委員:定藤規弘)