「恐怖条件づけ」の版間の差分

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{{box|text= 動物に音、光、場所(文脈)など、それ自体では[[恐怖反応]]を誘導しない[[条件刺激]]と、電気ショックなどの恐怖反応を誘導する[[非条件刺激]]を提示し続けると、動物は両者の関連を学習し、非条件刺激のみで恐怖反応を示すようになる。これを恐怖条件付けとよび、生物が危険を予測することを学ぶ行動現象であり、動物にとっての一種の[[防御反応]]であると考えられている。一方、恐怖条件付けが成立した後に、非条件刺激が提示されない条件下で、条件刺激のみを、繰り返し提示し続けると、条件刺激に対する反応が見られなくなる。これを[[消去]]と呼ぶ。恐怖条件付けの獲得、その後の恐怖記憶の[[形成]]、[[貯蔵]]、そして、[[想起]]には[[扁桃体]]が中心的な役割を果たすことが明らかにされている。[[心的外傷後ストレス障害]]は恐怖記憶制御の異常が関係すると考えられており、恐怖記憶制御の観点からのメカニズムの解明が期待されている。}}
{{box|text= 動物に音、光、場所(文脈)など、それ自体では[[恐怖反応]]を誘導しない[[条件刺激]]と、電気ショックなどの恐怖反応を誘導する[[非条件刺激]]を提示し続けると、動物は両者の関連を学習し、非条件刺激のみで恐怖反応を示すようになる。これを恐怖条件付けとよび、生物が危険を予測することを学ぶ行動現象であり、動物にとっての一種の[[防御反応]]であると考えられている。一方、恐怖条件付けが成立した後に、非条件刺激が提示されない条件下で、条件刺激のみを、繰り返し提示し続けると、条件刺激に対する反応が見られなくなる。これを[[消去]]と呼ぶ。恐怖条件付けの獲得、その後の恐怖記憶の[[形成]]、[[貯蔵]]、そして、[[想起]]には[[扁桃体]]が中心的な役割を果たすことが明らかにされている。[[心的外傷後ストレス障害]]は恐怖記憶制御の異常が関係すると考えられており、恐怖記憶制御の観点からのメカニズムの解明が期待されている。}}
[[image:恐怖条件付けの図.jpg|thumb|350px|'''図1.恐怖条件付けの概略'''<br>恐怖文脈条件付けでは(上段)、チャンバー(文脈)が条件刺激、電気ショックが非条件刺激となる。一方、恐怖音条件付けでは(下段)、ブザー音が条件刺激となる。]]
[[image:恐怖条件付けの図2.jpg|thumb|350px|'''図2.恐怖条件付け回路'''<br>げっ歯類を用いた解析に基づいた扁桃体内神経回路図。恐怖条件付けを制御する投射経路を黒矢印で示した<ref name=ref26><pubmed>22036561</pubmed></ref>。]]


== 恐怖条件付け ==
== 恐怖条件付け ==
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 通常、条件刺激と非条件刺激が時間的に接近して提示されるが、非条件刺激が提示されない状況で、条件刺激のみが持続的に、または、繰り返し提示され続けると、条件刺激に対する反応が見られなくなる条件付け反応の「消去」が起こる。恐怖条件付けの消去は、固定化された恐怖記憶が想起された時に誘導されるプロセスである。逆に、条件刺激の提示時間が短い場合には、恐怖記憶想起に伴って恐怖記憶が維持あるいは増強する、再固定化という現象が起きる。このように、恐怖記憶想起後には、恐怖記憶を維持(再固定化)するか、あるいは、消去するかを決定するメカニズムが存在するものと考えられている<ref name=ref11 /> <ref name=ref34><pubmed>10963596</pubmed></ref> <ref name=ref35><pubmed>15152039</pubmed></ref>。
 通常、条件刺激と非条件刺激が時間的に接近して提示されるが、非条件刺激が提示されない状況で、条件刺激のみが持続的に、または、繰り返し提示され続けると、条件刺激に対する反応が見られなくなる条件付け反応の「消去」が起こる。恐怖条件付けの消去は、固定化された恐怖記憶が想起された時に誘導されるプロセスである。逆に、条件刺激の提示時間が短い場合には、恐怖記憶想起に伴って恐怖記憶が維持あるいは増強する、再固定化という現象が起きる。このように、恐怖記憶想起後には、恐怖記憶を維持(再固定化)するか、あるいは、消去するかを決定するメカニズムが存在するものと考えられている<ref name=ref11 /> <ref name=ref34><pubmed>10963596</pubmed></ref> <ref name=ref35><pubmed>15152039</pubmed></ref>。
[[image:恐怖条件付けの図.jpg|thumb|350px|'''図1.恐怖条件付けの概略'''<br>恐怖文脈条件付けでは(上段)、チャンバー(文脈)が条件刺激、電気ショックが非条件刺激となる。一方、恐怖音条件付けでは(下段)、ブザー音が条件刺激となる。]]
== げっ歯類における恐怖条件付け ==
===恐怖文脈条件付け===
 床に電線を敷いた小箱(チャンバー;文脈)の中で、軽い電流を数秒間流す電気ショックを[[マウス]](あるいは[[ラット]])に与える。この場合には、場所を含めた状況(文脈)を条件刺激、一方、電気ショックによる恐怖を非条件刺激とする[[恐怖文脈条件付け]]が行われる(図1上)。条件付けが成立したか否かは、恐怖文脈条件付けの場合、電気ショックを与えたチャンバーにマウスを再び戻して、マウスの恐怖反応である、身動き一つ取らない「[[すくみ反応|すくみ(恐怖)反応]]」を測定して評価する。恐怖文脈条件付けが成立していれば、チャンバーに3−5分程度戻した際に、すくみ反応を示す時間が長くなる。また、恐怖増強驚愕や[[wj:心拍数|心拍数]]も恐怖反応の指標として用いられる<ref name=ref5><pubmed>1972778</pubmed></ref> <ref name=ref6><pubmed>9267648</pubmed></ref>。


== げっ歯類における恐怖条件付け ==
===恐怖音条件付け===
 [[げっ歯類]]における恐怖条件付けでは、床に電線を敷いた小箱(チャンバー;文脈)の中で、軽い電流を数秒間流す電気ショックを[[マウス]](あるいは[[ラット]])に与える。この場合には、場所を含めた状況(文脈)を条件刺激、一方、電気ショックによる恐怖を非条件刺激とする恐怖文脈条件付けが行われる。さらに、チャンバーの中で電気ショックを与える際に、大きな音量のブザー音を30秒程度鳴らして、ブサー音の終了間際に1~2秒間の電気ショックを与えれば、ブザー音を条件刺激とする恐怖音条件付けとなる。条件付けが成立したか否かは、恐怖文脈条件付けの場合、電気ショックを与えたチャンバーにマウスを再び戻して、マウスの恐怖反応である、身動き一つ取らない「[[すくみ反応|すくみ(恐怖)反応]]」を測定して評価する。恐怖文脈条件付けが成立していれば、チャンバーに3−5分程度戻した際に、すくみ反応を示す時間が長くなる。一方、恐怖音条件付けの場合、電気ショックを与えた時とは異なるチャンバーにマウスを入れ、条件刺激であるブザー音を提示した時のすくみ反応を測定する。また、恐怖増強驚愕や[[wj:心拍数|心拍数]]も恐怖反応の指標として用いられる<ref name=ref5><pubmed>1972778</pubmed></ref> <ref name=ref6><pubmed>9267648</pubmed></ref>。
 チャンバーの中で電気ショックを与える際に、大きな音量のブザー音を30秒程度鳴らして、ブサー音の終了間際に1~2秒間の電気ショックを与えれば、ブザー音を条件刺激とする[[恐怖音条件付け]]となる(図1下)。この場合、電気ショックを与えた時とは異なるチャンバーにマウスを入れ、条件刺激であるブザー音を提示した時のすくみ反応を測定する。恐怖音条件付けの場合、一度だけ電気ショックとブザー音の組み合わせ(ペアリング)を与えるのが一般的である。


 恐怖音条件付けの場合、一度だけ電気ショックとブザー音の組み合わせ(ペアリング)を与えるのが一般的である。しかし、重要な点として、たった一度だけのペアリングで、音と電気ショックの関連づけルールを選択的に学習できるわけではなく、あくまでも、場所や音を含めて恐怖を与えられた状況(文脈)を記憶しており、条件刺激の一つである「音」が提示されると、音を手がかり(cue)にして恐怖反応を表出しているに過ぎない。音と電気ショックの関連付けを選択的に学習させるには、このペアリングを何度も繰り返し提示する必要がある(例;[[痕跡恐怖音条件付け]]など)。
===痕跡恐怖音条件付け===
 恐怖音条件付けの重要な点として、たった一度だけのペアリングで、音と電気ショックの関連づけルールを選択的に学習できるわけではなく、あくまでも、場所や音を含めて恐怖を与えられた状況(文脈)を記憶しており、条件刺激の一つである「音」が提示されると、音を手がかり(cue)にして恐怖反応を表出しているに過ぎない。音と電気ショックの関連付けを選択的に学習させるには、このペアリングを何度も繰り返し提示する必要がある。これを[[痕跡恐怖音条件付け]]という。


== ヒトにおける恐怖条件付け ==
== ヒトにおける恐怖条件付け ==
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 消去を説明する上で、重要な点は、消去学習が進行しても、条件付けそのもの(条件付け記憶)が失われるわけではないことである。消去学習から長期間経過後に、条件刺激を提示すると再び条件反射が現れる(spontaneous recovery)<ref name=ref11><pubmed>17160066</pubmed></ref> <ref name=ref12><pubmed>12464700</pubmed></ref>。また、消去学習後に恐怖条件付けが成立しないような弱い非条件刺激を与えても、条件刺激に対する条件反射が復活する(reinstatement)<ref name=ref11 /> <ref name=ref13><pubmed>11868238</pubmed></ref>。さらに、恐怖音条件付けを例にすると、ある文脈(電気ショックを受けたものとは異なるチャンバー)において、音を提示し続けて消去を誘導しても、さらに異なる文脈(別のチャンバーや電気ショックを受けたチャンバー)において音を提示すると、恐怖反応が再び表出する(renewal)<ref name=ref11 /> <ref name=ref14><pubmed>16198302</pubmed></ref>。以上のような観察から、消去学習後にも、条件付けは保持されていることが示されている。
 消去を説明する上で、重要な点は、消去学習が進行しても、条件付けそのもの(条件付け記憶)が失われるわけではないことである。消去学習から長期間経過後に、条件刺激を提示すると再び条件反射が現れる(spontaneous recovery)<ref name=ref11><pubmed>17160066</pubmed></ref> <ref name=ref12><pubmed>12464700</pubmed></ref>。また、消去学習後に恐怖条件付けが成立しないような弱い非条件刺激を与えても、条件刺激に対する条件反射が復活する(reinstatement)<ref name=ref11 /> <ref name=ref13><pubmed>11868238</pubmed></ref>。さらに、恐怖音条件付けを例にすると、ある文脈(電気ショックを受けたものとは異なるチャンバー)において、音を提示し続けて消去を誘導しても、さらに異なる文脈(別のチャンバーや電気ショックを受けたチャンバー)において音を提示すると、恐怖反応が再び表出する(renewal)<ref name=ref11 /> <ref name=ref14><pubmed>16198302</pubmed></ref>。以上のような観察から、消去学習後にも、条件付けは保持されていることが示されている。
 
[[image:恐怖条件付けの図2.jpg|thumb|350px|'''図2.恐怖条件付け回路'''<br>げっ歯類を用いた解析に基づいた扁桃体内神経回路図。恐怖条件付けを制御する投射経路を黒矢印で示した<ref name=ref26><pubmed>22036561</pubmed></ref>。]]
== 恐怖条件付けを制御する脳領野 ==
== 恐怖条件付けを制御する脳領野 ==
 薬理学的解析や損傷実験により、恐怖条件付けの獲得、その後の恐怖記憶の形成、貯蔵、そして、[[想起]]には[[扁桃体]]が中心的な役割を果たすことが明らかにされている<ref name=ref15><pubmed>3954873</pubmed></ref> <ref name=ref16><pubmed>9267646</pubmed></ref> <ref name=ref17><pubmed>1575447</pubmed></ref>。一方、恐怖文脈条件付けには、[[海馬]]機能も必須であることが明らかにされている<ref name=ref18><pubmed>11261775</pubmed></ref>。このような研究を通して、恐怖音条件付けは扁桃体、一方、恐怖文脈条件付けは扁桃体と海馬の両方を責任領野とすることが示されている<ref name=ref19><pubmed>1590953</pubmed></ref>。ヒトにおいても、げっ歯類と同様に、恐怖条件付けには扁桃体が重要であることも観察されている<ref name=ref20><pubmed>9620698</pubmed></ref>。
 薬理学的解析や損傷実験により、恐怖条件付けの獲得、その後の恐怖記憶の形成、貯蔵、そして、[[想起]]には[[扁桃体]]が中心的な役割を果たすことが明らかにされている<ref name=ref15><pubmed>3954873</pubmed></ref> <ref name=ref16><pubmed>9267646</pubmed></ref> <ref name=ref17><pubmed>1575447</pubmed></ref>。一方、恐怖文脈条件付けには、[[海馬]]機能も必須であることが明らかにされている<ref name=ref18><pubmed>11261775</pubmed></ref>。このような研究を通して、恐怖音条件付けは扁桃体、一方、恐怖文脈条件付けは扁桃体と海馬の両方を責任領野とすることが示されている<ref name=ref19><pubmed>1590953</pubmed></ref>。ヒトにおいても、げっ歯類と同様に、恐怖条件付けには扁桃体が重要であることも観察されている<ref name=ref20><pubmed>9620698</pubmed></ref>。